奈良県高取町で、丘陵上に造られた7世紀後半の飛鳥時代ののろし台跡が発見され、同町教育委員会は20日、「佐田タカヤマ遺跡」と命名、発表した。日本書紀には朝鮮半島での白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)の敗戦後、日本が情報伝達のためにのろし台を指す「烽(とぶひ)」を設けたと記されており、専門家はこの記述に関連する防衛施設跡とみている。こうした施設の発見は全国で初めて。
※中略
奈良県立橿原考古学研究所の山田隆文指導研究員は「白村江の戦いの後に、朝廷が造った烽に関連する施設跡の可能性が高い。飛鳥時代ののろしのネットワークを研究する重要な資料になる」としている。現地説明会は行われない。
※全文は下記よりお願いいたします。
https://www.sankei.com/west/news/210120/wst2101200021-n1.html
江戸時代だが、米相場の相場情報の伝達にのろし使って大坂江戸間を数十分ほど
で通信できたらしい。
>>1
奈良は唐側だろw
むしろ警戒したのは九州じゃねーかw 陳寿の勘違いアホ記述のせいで元の時代でも日本のみやこの場所はシナにはバレてなかったのに
白村江って書いている>>10
大和朝廷は百済と同盟関係だったんで唐新羅と対立していた。 >>6
さすがにそれは信用できない(笑)
狼煙見てから火をくべるのにも数分は要したべ >>13
現代において再現した訳じゃないだろうから、盛っている可能性もあるが、
天候など最善の条件が整えば、不可能ではないかもしれない。
相場情報なんだから通信時間帯、レンジは限定されるから、予め用意
することは可能だろうし。 あ、旗振りだったか。
武田信玄のとゴッチャになっていたかもw
呂蒙「狼煙は上がらない。いいね?」
狼煙台「あ、はい」
どの狼煙台も一度も「烽火」を上げることなく、呉軍を荊州に入れてしまったのである。
旗振りは無理だろ。
やっぱ煙だって。
煙なら相当遠方から見えるからな。
お前ら現代のビルだらけの街並みしか知らないから想像できないんだろうよ。
そのビルが全部無い状態を想像してみ?
煙なら東京〜大阪間なんてあっという間だぞ。
江戸時代なら色付き、花火など使えるから情報乗せられるな。手旗の方がコスト安いだろうけど。
江戸時代なら望遠鏡はあったんで距離取れただろうが、狼煙より多くの中継基地を必要
とするだろうな。狼煙手旗の混合かもしれない。知らんけど。
タイムスクープハンターなら米相場の伝達だろ?とかやっちゃいそう。
産経は、奈良関連では、
なかなか良質な記事を出してくるな。
さすがは奈良の地方紙だな。(´・ω・`)
>>20
フランスだったか
腕木式の信号を用いて目視で伝達してたような
定例文ならそれなりのスピードで伝えてたとか >>6の話し聞いたことがあるけどな
あと狼煙は火をあらかじめ燃やしといて上からなんかかけて煙を出すはず
通信手段なのに合図見てからあわてて火をくべるなんてするかよ 「ゴゴロー デルタフォース」とかもこうやって上げてたのか
>>13
熾火で待機していれば松葉とかくべればすぐ煙上がるかと 飛鳥で狼煙あげて海外に威嚇できるとは到底おもえないが
信仰とか慣習の延長戦だったんかな
>>36
新羅、唐の連合軍に攻め込まれると恐れてたんだよ。
その時に知らせるための狼煙台。 のろしとか一ヶ所つぶされたら伝達系統が崩壊するの 関羽の時でわかってるだろうに
何百年後の日本もかなりのアホで笑えないわ
はずかしいわから見なかった事で遺跡を取り潰してしまえ
海外からの侵攻を警戒するのならもっと北か西の沿岸とかじゃ
ないのか。そっちまで統治できてないから国境ギリギリの所を見るのか?
白村江でボロ負けして「このままだと日本本土に攻め込まれる」ってびびりまくって国防を必死に固めてた時期のものか
>>41
狼煙ってのは情報を伝えるために存在するのであって
敵を発見するものではない 狼煙の煙が見える範囲は限定されているから
最前線の九州辺りから平城京まで
方々の山々の頂に設置された"のろし台"を伝って情報を伝達する仕組みが造られた
反撃の狼煙を上げたわけじゃないのは興味深いな。古代の日本人は特攻なぞと云う馬鹿な事はしなかったわけだ。
>>9
新羅のおうさま、ちんちん切られたんじゃ無かったっけ?
本当かよ?w こんなん奈良自体が遺跡みたいなもんなんだからどれだけ価値があるのやら
なんで誇らしげにㄘんㄘん切ったんだろうw
当時の人😅わけわᓓ̸ᐠめ
自慢せんでも
白村江に攻め込んで負けたんだから、
攻め込まれると考えるのは自然。
蝦夷側攻めれば簡単に占領出来たんじゃ?
何故博多だけ?
二度と、大陸へ進出しない約束が得られれば
島なんかどうでも良かった?
>>53
ちゃう。真逆。これで日本ができた。
攻め込まれないように中央集権を強めた。
歴史を書き残し、国家統合を始めた。 >>53
蝦夷すら滅んでないぞ?
ただ、日本語に変化が起きたって事は、
色々難しい事が起きたんだろうけど。
大陸からの亡命者の影響か? 白村江の時唐軍は13万もいたけど水軍は7000人だから
日本を攻めるには本格水軍の大軍を用意する必要あり
なんで日本は、北魏の文化好んだんだろう?
誇らしげに源を名乗ったり
はじめて漢字まとめたのも北魏だよな?
これじゃないけど、岡山県かどっかに鬼の城とかいうて、戦国時代とは違う
唐から攻め込まれる想定の城もあったよな?岡山の奴いたらなんか言え
>>60
島国の占領は無理だろw
モンゴル帝国だって、「あんな強い奴ら見たことない!」
って報告したらしいからな 明日香村の国道169を少しだけ真っ直ぐ進んだ所にある高取町の坂道は、知る人ぞ知る奈良のベストスポット。
壺阪寺は、アミューズメントパークみたいだった記憶が、、境内に奈良県の主要な寺が真っ直ぐ一列に並んで見える高台があるんだっけ? 7、8年ぐらい前に仏像が盗難に遭ったのがニュースになったような気がする。
でも唐と新羅の関係が悪化して杞憂に終わる
目出度し目出度し
百済人じゃなくて
魏から亡命した人たちが
文章の仕事やってるんだよなw
七姓漢人(4世紀)
で、この人達も唐の漢字読めなかったの?
読めなかったから、白村江の戦いの捕虜から漢字学んだ?
じゃ、百済は何語使ってたんだ?
まさか、魏は漢字使ってるよな?
>>41
多分地域の気象警報とかに使ってたんだろうね。
「唐からの復讐を恐れて〜」というのは軍事知識も兵站のイロハも知らない昭和歴史家の夢想だよ。
あのモンゴル軍でも九州すら落とせなかったのに、古代の軍隊が本州まで攻め込めるわけない。 >>73
元寇の際に白村江の戦いを例に出して、日本の軍隊は弱いと判断して攻め込んだんだぜ
日本が強かったのは武家社会になってから うちの近所の八尾空港こと八尾駐屯地が首都防衛の最終防衛線だったと聞いたが。高安山レーザー基地のあたりとか?
ちなみに飛鳥から天智天皇は大津に逃亡してたから飛鳥時代やなく滋賀作時代な。
負けたあとは定期的に駐留してくるのになぜ出迎えて歓待せんってので使われたんだけどね
朝鮮諸国のもそれを使わせようとして格が違うとまあくだらんことでもめるもめる
狼煙台の高さを下げるってそれ意味があんのかって解決案
>>74
元寇の時もあっさり陸まで攻めこまれ
疫病おそれて船にかえっていってたけど
弱すぎるって言われてたよ >>63
鬼ノ城ね。100名城にもなってるよ
>>74
7世紀に半島覇権を巡って全盛期の唐に喧嘩売る日本が弱かったわけないだろうが。
普通に考えて数の差にすぎない。 >>1
白村江の戦いの経緯を見ると朴市秦田来津が可哀想になる
阿倍比羅夫(新潟県等)
上毛野稚子(群馬県)
阿曇比羅夫(長野県)戦死
廬原臣(静岡県)
朴市秦田来津(滋賀県)戦死
巨勢神前訳語(滋賀県)
狭井檳榔(兵庫県)
大伴部博麻(福岡県) >>67
中国には旗を掲げたり振ったり、燃やしたりしたらしいね。
狼の糞は燃えると真っ直ぐ煙が昇るので合図に使われ狼煙と呼ばれたとか。
日本にも伝わってたんだろね。 西ならわかるが飛鳥の南側なんだよな高取町
九州や瀬戸内からの伝達ではなく和歌山方面からってことかな
そうなるとここのはあまり重要ではない
>>74
日本が有史以来弱かった時代はない
それは日本という国が国名を変えずに万世一系の天皇を続けてきたのでも分かる
中国や韓国なんかコロコロ国が変わってんじゃん >>28
モンテクリスト伯に、信号所の爺さんを買収して嘘の情報を流し
株で大損させて敵を破滅させるというのがある >>77
たった1日だぞw
2回目は島しか上陸出来てない >>36
当時は、携帯やスマホはないんだよ
情報伝達と記事に書いてあるだろうがwww まさか、北魏の源さんと血縁関係あったり
しないよね?
高向 玄理(たかむこ の くろまろ)とか、三國志の方の魏の
文帝の末裔らしいけど。系図では。
魏の帰化人いたのに、唐の漢字読めなかったって
どういう事なんだろうw
魏の漢字と唐の漢字は違ったって事だろうけど。
>>77
いや、あの元軍の奇襲を波打ち際で撃退したわけだから鎌倉武士は凄いよ。
しかも、菊池や島津といった九州の主力が川の氾濫で到着が遅れていたにも関わらず九州北部の武士だけで撃退したわけだからな。
元軍が船に戻ったのは、補給船からの補給が間に合わなかったから。
鎌倉武士って近隣の武士団が徒党を組んでなかなかの騎馬集団を形成して戦ったらしいよ。
鎌倉武士って世界でも珍しい重装騎兵だからね。
加えて命知らず。
そんなのが集団になってヒットアンドウエイを繰り返すわけだから元軍の矢はあっという間に尽きちゃうわけで、船からの補給がマジで間に合わなかったのよ。
で、橋頭保も確保できずに船に戻るしかなかったんだよね。 高取町って半島からの渡来人が作った町なんだろ。飛鳥時代の頃は百済系と伽系とかがほぼ全住民なんでしょ?
>>85
元は長門(山口県)にも侵攻したという記録がある。 >>92
それも読んでいて待ち構えて撃退したらしいね。
鎌倉幕府の国際的諜報能力はかなり高かったらしい。 >>92
処刑されずに生き延びた人がいる事を知った高麗が
感謝の書類を日本へ送ってるぞw ・法隆寺の仏像など、日本に残存する諸仏像は多く北魏様式である。
・日本の源氏という氏族のおこりは、北魏の太武帝が同族に源氏を名乗らせたことに影響されたものではないか。
・北魏の国家体制は、日本古代の朝廷の模範とされた。このため、北魏の年号・皇帝諡号・制度と日本の年号・皇帝諡号・制度には多く共通したものが見られる。平城京・聖武天皇・嵯峨天皇・天平・神亀など、枚挙に暇がない。
百済じゃなくて北魏
>>83
陸続きのクニは騎馬民族に攻めこまれたらひとたまりもない。
日本は、日本海に護られた天然の大要塞だ。
日本海は、蒙古、シナ人、朝鮮人などの侵略から日本を護ってきた。 ヘリからの空撮映像をテレビで見ながら国会でバカ話をしていたまゆ毛政権
>太武帝は禿髪氏と拓跋氏の源が同じであるとして、破羌に源氏の姓を与えた(ちなみに日本の源氏はこの故事に由来する)
へー知らんかった
まぁそれはそれとして禿髪氏が気になるけど
>>1
そこは4世紀から朝鮮人自治区みたいな土地だぞ?
周辺はオンドルだらけ >>98
んー、それなw
鴻臚館(博多市)と太宰府市で睨み合ってる状態だったんじゃ?
663年12月〜664年6月は 戦前の日本は白村江の戦いで敗戦経験ありのに
なんで外国に一度も敗けたことがないなんて馬鹿なこと言い張ってたんだ?
>>83
白村江の前と後で皇室の断絶が起こってるっていう説がある
実際これ以降唐風の政治文化と一気に体制が変わっている
万世一系は宗教としてならまあ分かるが、事実じゃないよ >>104
いい加減な大陸の学者と
一緒にしないでねw >>92
六波羅の主力をギリギリまで動かさなかったのは、全方向からの侵攻に備えてたんだという説を取る
そうして結果的に地方の守備隊だけで撃退してしまってるからな
武家の世になった日本が強かったのは間違いないよ
日本が遊牧の民にとって疫病蔓延の瘴癘の地だったってのはあるんだろうけどね この頃ならアフリカ民みたく視力5.0とかで
100km間隔設置でも問題無さそうな気がす(根拠のない想像)
>>109
江戸時代の旗通信は、夜間でも松明を使って通信していたので22kmほどの間隔だったそうだがな
関西には「カンナビ」と名のつく山が多いが、そういうところはもともと通信施設だった可能性が高い >>109
問題は山脈をどう回避するかなんだよね。
海沿いに狼煙台を設置すれば見晴らしは問題がないので相当間隔を空けて設置できると思うが海からの風がネック。
だけど、瀬戸内海なら比較的穏やかな風だから可能だったんじゃないかと思う。
第一次木津川口の戦いでも、大阪湾に展開した織田軍側の船から淡路島の岩屋附近に停泊していた村上海賊の船団が見えていたらしいからね。 >>110
宍道湖の四隅に神奈備山があるが
なぜ同名かといえば狼煙山という
ことかな >>62
北魏と源氏が関係してるなんて初めて知りました
ありがとう、勉強になりました >>111
伊那谷に沿って信玄ののろし台が確認されている。
南アルプスは越えてないみたいだけど、そこそこ高い山を繋いで甲府まで通信をしたようだよ なんで外人の侵攻なん四国や九州や関東の侵攻かもしれんやん
なんで朝鮮は太平洋に近い奈良なんか狙うの?普通、日本海の対馬とか沖縄とか島からやろ?
奈良県て海あんの?大阪や四国や三重より奈良なん?
畿内の古代史をもっと明らかにしないとな
弥生時代〜奈良時代
なんで最近は白村江をハクソンコウなんていう味気のない読み方するの?
>>118
狼煙はリレーで伝えるから中継の一つだったという可能性。 >>6
そういうのって軍事技術としてなら何千年も前から世界のあらゆる地域でできてたことだよ