文春
東京・原宿の竹下通りで通行人を無差別に殺害しようと軽乗用車で暴走し、8人に重軽傷を負わせたとして、殺人未遂罪に問われた無職・日下部和博被告(23)。その裁判員裁判が2月18日、東京地裁で開かれた。
事件が発生したのは、2019年元日の午前0時10分のことだ。日下部はシルバーの軽自動車で、明治通りから車両進入禁止の竹下通りへ走行。計4カ所で8人をはねた挙句、ビルに激突。降車して目撃者を殴って逃走したが、間もなく逮捕された。「死刑制度に対する報復でやった」などと供述したことから、海外で多発する単独犯のテロ行為になぞらえ、「ローンウルフ型」とも形容された。
「検察側は公判で動機について『18年7月のオウム真理教幹部13人に対する死刑執行を機に“死刑制度を支持する国民を許せない”と考えるに至り、テロ行為を計画した』と主張しました。実際、事件の直前には『オウムの報復』などと書き残していたことも指摘している。日下部は暴走テロを起こすため、わざわざ免許を取得し、大阪で借りたレンタカーで原宿まで移動。火炎放射器のように加工した高圧洗浄機を車内に積み込んだとして、殺人予備罪でも起訴されています」(社会部記者)
日下部被告が語った動機
これに対し、弁護側は統合失調症による心神喪失状態だったとして無罪を主張した。スーツ姿で現れた日下部本人も「1人でも多く撥ねようとしたのは事実だが、殺意はなかった」と起訴内容を否認。動機については、「無力化された死刑囚の命を奪うことは許されない」と唐突に語った。
「当初は『オウム関連組織や死刑反対関連団体に所属しているのでは』と目されましたが、そうした形跡は確認できなかった。弁護側によると、日下部が中学2年の頃からアルコール依存症の父親に暴力を振るわれたそうです。高校に入学すると、今度は被害妄想が現れ始めた。母親にも『臭いと言われる』『“日下部 臭い”と検索すると自分のことが書いてある』などと相談したものの、そうした事実はなかったようです。その後も妄想に悩まされ、東京の専門学校に入学したものの、数カ月で退学。18年4月に大阪の大学に入り直した頃には、死刑制度を許せなくなったといいます。オウムの死刑執行はその3カ月後でした」(同前)
その一方で、何の落ち度もない被害者らが負った傷は深い。自らも撥ねられた被害者は、他の被害者について「頭から大量に出血していた」などと当時の状況を生々しく語っている。
認否に絡み、「1人目をはねたときフロントガラスにへばりついて前がよく見えなかった」などと被害者を人とも思わぬような発言をした日下部。判決は3月17日に言い渡される。
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