映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」(2011年公開)の撮影で使用された零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の実物大模型の一部が、茨城県笠間市の地域交流センターともべで公開されている。筑波海軍航空隊記念館(同市)が昨秋、機体を所有していた三沢航空科学館(青森県)から譲り受けた。青森では、日本海軍のエースパイロット・坂井三郎の搭乗機の設定で展示。坂井は、筑波海軍航空隊(筑波空)で操縦の腕を磨いたといわれ、縁のある笠間に“帰還”する格好となった。 機体は、映画のセットや大道具などを手掛ける大澤製作所(埼玉県)が製造。映画「山本五十六」の撮影終了後、映画を製作した東映から、三沢航空科学館が譲り受けた。 科学館は、12年4月から機体の展示を始め、坂井三郎が搭乗した零式艦上戦闘機21型の設定で紹介していた。大きさは、全幅約12メートル、全長約9メートル、高さ約3.5メートル。垂直尾翼には、坂井の搭乗機を示す「V-128」の番号が記されている。 一方、今春のリニューアルを前に展示の入れ替えを行うことになり、昨年11月、航空科学博物館(千葉県)に機体の譲渡を申し出た。これに対し、同館は「坂井三郎に縁のある筑波海軍航空隊記念館で保管すべきでは」と回答。3者で協議した結果、記念館が譲り受けることでまとまった。 …続きはソースで。 https://news.yahoo.co.jp/articles/fe2ff757ea37a92942bdc079fdb91c80a90db759 2021年5月4日 10時00分 以下、日帝は人名軽視で無装甲派vsあれが当時の限界、最善派の熱い論戦
>>2 真珠湾攻撃は最善派と最悪派の論争も定期。(´・ω・`) ヤマモトヒィフティーシックスのゼロファイターのサカイサードマンの登場人物全員ナンバー付
ネズミ講をやっていたか、その広告塔になっていたかなどで ゼロ戦に限らず元海軍パイロットの方々からの評判がきわめて悪い人物ですね。
>>2 P-51ムスタングも空飛ぶ戦車といわれたP-47サンダーボルトから装甲板を下ろせるだけ下ろした戦闘機だしね 当初P-51のパイロットはあまりの軽装甲に不安を感じたけど当たらなければどうってことないことに気付いて 縦横無尽に暴れることができた どこの国も似たようなことをやってる >>4 三 十 六 なら左右対称フィーバータイムだったのにね、惜しい 模型じゃ無くて実物を造ればどう? 三菱、それなら造れるだろう。
>>1 > 映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」の撮影で使用された零式艦上戦闘機(ゼロ戦) VIDEO 機体は空飛ぶ棺桶 パイロットは詐話師 こ れ が ゼ ロ 戦 だ 普通に自家用機として生産すればいいじゃん。セスナなんかよりは高性能だろ。
>>14 人名軽視とか精神論とか抜きで 単に発動機の制約がほぼ全て とは思いますね 他方、7.7mmでなかなか落ちなかったF4Fが結果的に熟練搭乗員を育てたという事も事実 そして日本でそれをやったら、おそらく落とされるまで撃たれるドンガメになったような気もしますね 最後の方まで利権にしがみつき 俺を見てみろって飛び立って 米兵のチンピラにすぐに撃墜されたショボボーンん まさか敵国の英雄とは あの運転では新人だと思ったと米国方は大笑い 軍師ズラするニートのどこく終わった
>>19 お前の祖国は欧米諸国の植民地で、欧米諸国とまともに戦える戦闘機すらなかっただろ 寄生虫 改装前に行ったな。 VRで飛行体験が出来るらしいからまた行きたい。
よくこんなデカい物を残したな ただのオープンセットじゃない 地方の公立博物館にでも寄贈されたのかね
>零戦の実物大模型 映画じゃプロペラが回ってたが、ガタガタ揺れてた。 あんなのあり得ないww
>>20 セスナは二人乗りとか、四人乗りだけど、 零戦は一人乗りなんだが… 三代遡れる日本人(笑)😅なんですが 大昔に本物のゼロ戦がP-51と一緒に飛んでるのは見た事ある
>>21 まあ、本人がそう言ってるからな。 あんなのは記者が勝手に書いた数字だと >>38 国籍が日本でも中身がシナチョンなら汚物だぞ。 >>13 そうなの?!知らなかった。。 大空のサムライを読んだけど面白かったよ ひどい模型だなw 米映画のテキサンをモデルにしたバカだな
>>38 例えばの話 お前の両親のどちらかが汚物のシナチョンだとするだろ?(もちろん中身の話) 日本人がカレーだとすると、シナチョンは見た目だけカレーそっくりの下痢だから、お前はカレーと下痢を半分混ぜた汚物にしかならないわけよ 理解できた? >>39 米軍は戦闘機をいくつも接収しているから、 あり得る話か。(´・ω・`) 詐話師の言うことを詐話師が膨らませる 歴史修正 >>38 帰化しても中身まで変わるわけじゃないからね。 お前の中身がシナチョンならお前は汚物なんだよ 汚物m9(^Д^) 戦闘機は見た目カッコいいけど、実際の役割は護衛であり、敵爆撃機の撃墜なんだよな。 敵を撃破するのは爆撃機やね。
>>46 【見た目は似てても中身が全く違う】それが日本人と支那朝鮮人の関係 日本人がカレーだとすると支那朝鮮人は下痢 日本人がアンコだとすると支那朝鮮人はウンコ 日本人が味噌だとすると支那朝鮮人は糞 つまりお前らは”汚物”何だよm9(^Д^) 大和ミュージアム、知覧特攻平和会館、ひめゆり平和祈念資料館は是非行っておきたいスポットです
>>48 零戦は爆撃機としても利用されたわけだが。 >>38 帰化しても中身まで変わるわけじゃないからね。 そして、日本人とシナチョンのハーフも、カレー(日本人)に半分の下痢(シナチョン)を混ぜた汚物 お前の中身がシナチョンならお前は汚物なんだよ 汚物m9(^Д^) >>52 九九式艦上爆撃機が使い物にならなくなったからな。 >>3 イミフ 一式陸攻と勘違いとかの恥ずかしいオチじゃないよな? >>45 いや、アメリカから栄エンジンを積んだゼロ戦とP-51が日本に来て竜ケ崎で飛んだの見ただけw かっちょえかった VIDEO 坂井三郎は戦後は英雄だったかと言うと銭カネの件でかなり評判が悪かったんだよな。
>>58 こんな近い時代に飛んでたのか。知らんかった。 >>18 あの人はぶっ飛んでて好き。 終戦って言われたら即立った行動が零戦乗ってB29叩き落としに行って「今乗らないともう零戦乗れなくなる」とかw もはや国とか戦争とかじゃないんだよね。 友達でもバイクでイカれて速いやつとか自分からベラベラ喋ってるやつじゃなくて同じような感覚なのかなとわたしのような普通の人間と違う感じがしてそんな利益でなく本能重視の人ってわたしにはそんな生き方できなからかっこいいと思う。 三沢で展示したとき 坂井さんの乗機の塗装にしたのはどういういきさつだったのだろうか (映画「出演」時は違う塗装だったと思われる)
>>4 父親が56歳の時に出来た子供だから五六だぞ >>57 一式陸攻も冤罪。ワンショットライターは恐らく九六陸攻と陸軍の九九式双軽爆が誤認されたんだろうと思う 前者は旧式だし、後者はそもそも本来制空拮抗下の強襲任務に使うことを考えてない (九七式重爆、一〇〇式重爆は頑丈だったので強襲にはそちらを使う) >>7 その前に沿岸警備隊が浮上航行してる 日本の潜水艦を攻撃してるから 戦争は真珠湾攻撃の6時間前から開始された あの映画はめちゃ良かった 226事件とか関ヶ原とか、あんな無能に作らせずにこの作品の監督に作らせたら良かったのに
山本五十六はユダヤ金融悪魔の手先 第2次世界大戦にアメリカを参戦させるため アメリカ国民を怒らせるためだけの真珠湾攻撃をやった男 アメリカ留学中に洗脳済み 死んだことにして戦争から逃亡それが真実
「ゼロ戦燃ゆ」の無塗装の21型も映画公開前にあちこちで展示されたが あれ今どこに行ったんだろ、やっぱり解体廃棄かな?
坂井三郎の名前を出すと悪口を言う人が必ず現れる法則
昔嵐山博物館でゼロ戦のコックピットに座った事ある 椅子に座って敵のところまで行けるとは言え、あの狭さでは大変だろうなと思ったわ
磁気コンパスしか無く、GPSも電波誘導も無い自宅に 太平洋の中に浮かぶ小さな空母に戻ってこれる事が奇跡
>>76 大国海軍の愛するアウトレンジ戦法は それがいかに厳しくて辛いものかを理解していないことがな。 国立科学博物館で零戦見たけど案外雑な造りだったんで少し残念だった
>>77 アウトレンジ戦法を採用したのはマリアナ沖海戦だが、 あれでダメなら、他に勝つ方法ないから仕方ない。(´・ω・`) 敵が弱かった時代の零戦搭乗員。教官になってからは自慢と精神訓話だらけで嫌われる。特攻隊員に対し「私も後に続く。遅いか早いか!ごちゃごちゃ言うな!」と言って特攻へ送り出す。戦後は自分に都合がいい話を作り著作活動で有名に。ねずみ講で荒稼ぎしたり原爆投下を賞賛したりで天寿を全うする。 嘘だろ…日本海軍のエースが… 一体どうして >>80 マリアナはアウトレンジをとったから逆に負けた気がするよ。 子どものころ静浜基地にゼロ戦が来て、移動中のゼロ戦が我が家の上を通過していくのを見た。その後静浜基地で間近で見れたよ。
五十六さんのことはよく知らないけど あの言葉にはとても助けられたわ
>>86 これか? 苦しいこともあるだろう。 云い度いこともあるだろう。 不満なこともあるだろう。 腹の立つこともあるだろう。 泣き度いこともあるだろう。 これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。 今だと完全な男性差別だけどな… >>87 そんなのもあるんだね、知らんかったわ そっちじゃなくて「ほめてやらねば」ってやつのほう 五十六って生きてりゃ100%戦犯絞首刑だよな 人間潔く散るものだ
鹿児島海軍予科練乙19期だった親戚が残した同窓の会報見てるけど、訓練兵を殴りまくり私刑にしまくりだった教官は戦後の会の集まりには一切顔を見せてないというw これが誇り高き日本海軍の実態か… ゼロ戦の奮闘asia植民地解放独立 中南米アフリカ...独立
>>83 マリアナ沖海戦の段階では、日本の戦力は既に米国に劣っていた。 アウトレンジを避けて、敵に近づいて真っ向勝負したところで、 単純に物量差で負けてしまう展開だよ。 起死回生を図るには、アウトレンジ戦法しかない。 先日やってたBC級戦犯ドキュメントで撃墜したアベンジャーの搭乗員を銃剣で刺した日本兵数人が纏めて絞首刑にされてたな。
模型で良ければ阿見町の予科練平和記念館にもゼロ戦と回天があるよ
>>96 市街地に飛んできて女子供を撃ち殺してたグラマンのパイロットならやりたくなる気持ちもわかるが 一機の零戦を作るのに必要な人員は一万人 日本は生産性が低かった 道路が整備されてないし自動車もそこまで普及してなかったから 最新鋭の戦闘機の部品を牛車で何日もかけて運んだり 質管理の概念がなかったからネジ発注してもノーチェックなので 半分も使い物にならず新しいのが来るまで製造ストップとかザラだし
F6Fは必ずしも名機とは言われなかったが 対日本戦で活躍した 零戦は性能が尖ってる 尖った性能は腕の良いパイロットなら強いんだろうが 中、末期は腕利きのパイロットが少なくなっていたのが辛い
>>83 いや、あの時点ではもうアウトレンジでダメなら四つに組んでも無理な状態 F4FとかP-36、P-40が相手なら無敵なんだけどな 新型が出てきてボロが出てきた ま、当たり前か 対抗するために設計しているのだから
あれ本当に飛んでるように見えたな どうやって撮ったんだ
>>42 どの本だったか失念したけど、坂井三郎と「大空のサムライ」の功罪が書かれてたのがあったな どれだったかな…… 大ボラのサムライ 緒戦から転戦を続けた筋金入りのベテラン揃いの343空の方々からは 非常に評判の悪い方でした
戦前の軍人を美化するのやめろよ 勘違いしたネトウヨを生み出せてる原因だぞ
>>111 こういう書き込みを見ると本当に日本人に生まれて良かったとしみじみ思う 直接相手の身体を破壊し合う戦争というものは誰にでも分かりやすい。 馬鹿は分かりやすいものが大好きだな。
単にずる賢こくたちまわってぎょうせきをあげただけの、絶対サムライじゃねえ糞な奴がサムライ気取りで武勇伝の自分語りだもんな、それにまんまと騙された戦後の日本人社会であるw
零戦は当初はその存在を一般には伏せられていたが、昭和19年の11月になって初めて朝日新聞にて報道された。しかも、その時期に「新鋭機」としてwwwさらに「ゼロファイター」とまで書かれている始末www敵性言語をタブー視する風潮が御用メディアですら守られていなかった証拠でもある。
>>119 そもそも英語をタブー視する風潮なんて戦中には無かったらしいね 戦後のパヨクメディアが作り上げた概念だとか ツタヤで『聯合艦隊司令長官 山本五十六』のDVD借りてきたぜ! 今日は、これ見て夜を過ごすぜ! (^o^)丿
>>120 敵性言語排除の風潮はあったよ。昔どこかの博物館だか資料館で当時の新聞やポスター、写真を見たことあるし、ネットで検索しても出てくる。ただ敵性言語の排除が法律で制定されてものではないし、何より帝國海軍がシカトしていた。 >>120 マスゴミガーはデマを吐かないこと。 政府が英語禁止を命じた事実はないが、 戦時中の敵性語の自粛は実際に行われた。 俺の大学院生時代のオートバイのナンバーの3681で文句いうまえに 東芝とか西室の大馬鹿に文句いったらどうなんだ、あんた日本人なら 大島栄城だが、俺のよしみで戦火をでっちあげた嘘兵器の役立たずの オンパレードじゃないか戦後の兵器展示なんか 零戦も台湾ラーメンの大馬鹿がでっちあげた可能性が高い
>>111 今時のネトウヨの多くは、昭和の戦争のことをそう知らん。 知識も関心もない。それが、戦争スレを多く立ててるオレの実感。 戦没者に対する慰霊の念もなく、 ただ韓国ガー中共ガー言うてるだけの連中。 そもそも「零戦神話」こそが戦後に生まれた現象じゃないかな?いろいろ調べたりすると戦時中は零戦と言うより海軍の戦闘機がそれほど注目されていたフシがない。戦時中の軍人と言うと陸軍兵士が連想されるように、当時の日本の一般人が連想した軍用機はすべからく陸軍機であり、戦闘機も一式戦闘機、つまり「隼」が注目されていたのではないかな?その根拠は戦時中に公開された映画「加藤隼戦闘隊」からも見てとれる。海軍戦闘機が一般に注目されるようになったのは皮肉にも神風特攻隊からだよ。今では特攻隊と言ったら零戦が敵艦船に突入するイメージがステレオタイプのように認知されている。実際には陸軍も特攻作戦を実施しているのに。
>>90 米内と山本と井上は海軍三羽ガラスと呼ばれて売国奴扱いされていたほど三国同盟反対と日米開戦反対の立場を取っていたから戦犯にはならんでしょ 山本暗殺の時も山本より有能な司令長官になりうる人物は日本海軍には存在しないって判断で決行されたくらいアメリカからは評価されていたから、山本は戦犯にはならんかっただろう 対米宣戦布告の遅れも大使館のせいだし >>122 海軍は英語はタブーしてないよ むしろ技術的に進んでいる英語圏への憧れすらあったくらいだし 零戦の開発コードネームなんてA6Mだよ 英語が適正言語ならこんな開発コードネーム設定しない 実機は40年以上前に八尾飛行場に飛来したのを観たな 当時は万博記念公園にプレーンズ・オブ・フェイムからHe162A-2だの秋水だのBf109G−10だの借りて展示したりというイベントもあって空ヲタにはたまらんかった 嵐山の四式戦は非常に残念だったが
あと、山本五十六に文句いってるのは、俺が大手前中学高校に進学したで 文句いってる役立たず文系、銀行の大馬鹿関係、世界でまったくたたかえない 政策投資銀行もできない、陸上自衛隊もくさい だからはなしにいっさいならん 学歴がそんな憎いなら俺を殺してみたらどうだ 大塩佳織のこと関係なしでな この役立たず文系どもが
>>129 UNIQLOがどうかしたか、監視ばっかして >>76 クルシー帰投航法装置を積んでたぞ 空母部隊用の零戦隊も 最も敵に逆探追跡を恐れて母艦が誘導電波を出すのは実戦では少なかった訳だがw 軍人を美化するな、これほど滑稽な発言はない。この発言の真意はボロ負けした大東亜戦線の恥を誤魔化す為のものではないかとすら思える。何故なら戦国武将はその土地では英雄視されている人はいくらでもいるし、江戸時代は軍事政権。海外に目を向ければナポレオンはヒトラーを超えるヨーロッパを蹂躙した独裁者。毛沢東なんぞ言うまでもない。
馬鹿にかぎって戦略といい 玄人にかぎって補給しか言わない
>>83 結果論からすればアウトレンジが全ての敗因は完璧に正しい ただ、ミッドウェイの再来で発艦前に叩かれたら後世何と言われるか想像もつかん >>127 でも山本五十六は人間の好き嫌いが激しくて戦争遂行の面でも 業務と割り切らなかったからねえ、戦争反対してただけではね >>128 陸軍も平気で使ってた てか陸軍省推薦映画加藤隼戦闘機隊の中で思いっきりエンジンの音、轟轟とって歌っているという皮肉 あれ当時のアカヒとかマスゴミが始めたキャンペーンやったとさ 当時の朝日はネトウヨ御用達新聞じゃなかったのかしら?
>>139 でも硫黄島からの手紙で西中佐がライフルって言ってるのはなんか違和感あったな >>127 憎悪の対象となった真珠湾攻撃の中心人物だからな。 見せしめに絞首刑になってたと思う。 >>140 当時の朝日新聞がむしろネトウヨで、それに釣られた世論とそんな世論を利用した一部の軍人が政府や軍上層部を煽っていた。 キリスト教の詐欺かもしれんが、戦後兵器の情報はマスゴミは無茶苦茶 秘匿でやってんのかネタなのか判別不明、精神疾患になる そもそも、俺も刑務所オリックスで仕事してたときに 計測機器、測定器のゼロも出さすに組み立てしてたとか 近代工業では考えられん馬鹿しててよく動いたなでしかない
>>128 日本海軍はもともと英国海軍に学んで発展してきたから、 英語タブー視がないのはその通り。 しかし、お前が>>120 で書いた、 >そもそも英語をタブー視する風潮なんて戦中には無かったらしいね >戦後のパヨクメディアが作り上げた概念だとか は完全なデマ。 >>143 マレー沖海戦の勝利を指揮した小沢治三郎以上に、 マリアナ沖海戦を指揮する適任者がいますか? 五十六は工作員だった可能性が極めて高い。 恐らく英国で寿命を全うしている筈だ。
ペラペラに軽くして機動性上げるって今の日本に繋がるよな
>>137 結果論で話されてもな… アウトレンジ以外で、勝つ見込みの立てられる戦法があったんかということだ。 こいつらが負けたせいで俺たちが代償を支払わされている 中年Aにしろ名前など語らせるな
>>148 銀行の大馬鹿関係はなにもかもうまくいかず、そう思うしかないんだろな 馬鹿 >>137 アウトレンジ云々は正面戦力比2:1の時点で終わってた 日本側は基地航空隊と空母部隊含めて450機ほど、 対するアメリカは1000機近くが空母部隊に載っていてしかも半数は戦闘機隊やった 日本側は攻撃力不足を補う為に零戦に爆装させて 急降下爆撃機の代わりとして使う隊までいた始末 更に悪い事に陸上基地部隊と連携が取れず五月雨式 に攻撃に出るしかなかった 基地航空隊は出撃する前に先制奇襲を受けて飛び立つ前に壊滅、空母部隊のそれはF6FとFM2の大群に 囲まれてボコられたって話な 零戦も爆弾抱えて爆撃機がわりの隊は空戦どころ じゃなかったし、護衛の戦闘機隊も自分の身を守るので精一杯だたとさ そんなんで通常の雷撃隊と急降下爆撃隊は…… まあ最初から勝ち目なかったって話やな >>147 その過去の戦績で評価したのがダメだったんじゃないのかな?それも今の時代の感覚で言ってるだけだから、当時としては間違っているとは言い難かったのかもしれないが。 >>152 そうやって東大で俺を大馬鹿にしていいわけ 戦中無茶苦茶してたで殺されるかなんかのいいわけだけ なんもしないできない 死ね >>107 無敵ではない。 F4Fに結構落とされてる。 >>149 海軍と言えば軍艦だからね。普通は海軍戦闘機は注目されないよ。 ドイツのルーデルさんを題材にした映画どっかで作ってくれんかな。
>>127 米内と井上は、真珠湾攻撃に直接関わっていない。 だが、山本は真珠湾攻撃を提言した張本人だ。 米国人には敵の象徴として余りにも有名になった人物だし、 生き残ったら、米国人への見せしめにさせられると思うな… >>146 > しかし、お前が>>120 で書いた、 > >そもそも英語をタブー視する風潮なんて戦中には無かったらしいね > >戦後のパヨクメディアが作り上げた概念だとか > は完全なデマ。 戦後直後にタブー視風潮を作れるメディアなんて新聞・雑誌しかない >>13 戦後、元軍人が生き抜くにはいろいろあるさ(´・ω・`) >>155 世界の海戦が航空戦時代に入ったことを証明して見せたのが小沢やぞ。 過去と言うたって、たった二年半前の話やないけ。 小沢を除いて、マリアナ沖の指揮官などあり得んやろ。 >>161 英語タブー視は戦後の話じゃねーだろw 訳わからん話にすんなw >>163 マレー沖海戦なんて戦後の日本人が騒ぎ立てているだけで世界を驚かせてはいないよ。しかも列強視点で報道されていた時代だし。航空機が軍艦相手に大戦果を挙げて当時注目されたのはタラント空襲とかハワイ作戦の方だし、マレー沖海戦の戦果もハワイ作戦の驚きや陸軍の東南アジア方面快進撃のニュースの前に思っているほど注目されていたわけではない。当時の連合国の注目は陸攻ではなくて日本の空母機動部隊だったからな。 >>162 坂井三郎の手下が「天下一家の会」なるネズミ講を始めたのは、 戦後二十年以上も経ってからだぞ… >>163 なんかわけのわからん主張してるが かつて航空万能が実証されたことはないし それを前提とした編成がなされた海軍も存在しない >>143 いや既に物量差でどうにもならん所まで来てたから どう足掻いても日本側に勝機はなかった 例え被害を互角に与えたとしてもだ、日本側は次に繰り出すタマがもうないのにアメリカ様の方は 先鋒がしゃしゃり出てきてただけやからな 日本側は空母に搭載出来る飛行機定数分さえ満たせなかった 空母に離着艦出来る腕を持ったパイロットが 揃えられなかったから それ以外の陸上基地の飛行隊も練度はお察しレベルだた訳 >>166 チャーチルが泣いて悔しがる程度には予想外だったが菜 >>168 ん? つまり君は、艦隊決戦を挑めば、 マリアナ沖は勝てたと言いたいんか? >>151 実際到着すらできてない航空隊多かったし練度低いんだから近づいてから発艦させろって意見は参謀レベルで戦闘前からあった >>174 艦隊決戦思想と航空万能思想は次元が違う ひょっとして本バカなのかな >>176 結局、なにが言いたいのさ? 小沢以外のだれがよかったの? あるいは、マリアナ沖でどういう戦法を取ればよかったの? 自分の意見を開陳してくれずに、 相手をバカ呼ばわりするのは卑怯だわ。 >>178 >世界の海戦が航空戦時代に入ったことを証明して見せたのが小沢 こんな主張はお前以外見たことないからソース出せよ基地外 ってことだ 北朝鮮に飛行可能な一式戦とか二式戦があるらしい 鍾馗さま萌え
>>180 鉄屑混入して増量したシジミより金になりそうだけどな >>133 回収用の艦攻とかを見つけて帰るしかないのかな 反省せずに美化するからネトウヨみたいな 平気で歴史を修正するバケモノを生んだが
>>175 その場合、母艦と航空隊の両方を失う危険性が極めて強いね アウトレンジしない場合、囮戦術でも使うしかないけど それはアウトレンジ以上に高度な練度を要求するだろうね >>184 日本で主導権を失っていく今のお気持ちはいかがニダ? F-35Bが次々と生着陸 2021岩国基地F35B 「4月30日(金)F-35Bに大歓迎された♡♡♥♡♡♡」 A VIDEO >>166 マレー沖海戦は戦艦が自由に動けて対空兵器も使える状態で イギリスの戦艦が次々と撃沈された それが日本の空母機動部隊との戦闘だったならまだしも 陸上基地から延々飛行してきた鈍重な双発機によってだった これは歴史を動かした大きな事件だよ 敵空母が居らず、敵航空基地が1000qくらい遠くても 戦艦は安全に行動できないことが確定したからね >>48 護衛というか制空だな ゼロ戦が人々の心に強く残っているのは理由がる 理想の戦闘がまさにゼロ戦の一連の行動だったからだ 時代が進んでベトナム戦争に投入されたアメリカ空軍の戦闘機は スペック上は強力なんだが 戦場に長くとどまって敵を追い払う能力が低く また発進できる飛行場も限られていた ・優秀な旋回能力 ・長い滞空時間 ・良好な離発着能力 これらを満たして初めて制空戦闘機になる 敵爆撃機めがけて真っ先に飛び上がる機体は 敵戦闘機と会敵しても長く戦えず引き返えす結果になっている その結果地上部隊を敵の航空攻撃から守り切れなくなった >>22 アメリカは戦場で熟練搭乗員を作っているわけじゃない 後方で育成して戦場に引っ張っていいるんだ そういうのを機体の差に求めるのは間違いで 行政能力の差でパイロットの練度に差がついている 国力の差と言ってもいい >>62 戦争終ってすぐと言うけど 日本とアメリカが終戦条約を結んだのは9月に入ってからで それ以前に日本領空を軍用機が飛来した場合、 ゼロ戦に反撃されてもしかたない それを防ぐには日本政府にアメリカ軍用機飛来の予定を伝えて 日本政府から各部隊に該当日時と該当進路の機体に対し反撃するなという 通知を発行してもらわないといけない >>66 97重爆の防弾化は1式陸攻より後だよ 1式陸攻が昭和18年1月以降(改造や生産機の配備を考えるともっと遅いが) 97重爆は昭和18年6月以降 97重爆は7年間も戦場に居続けだけど、防弾があったのはわずか2年 >>14 >P-51ムスタングも空飛ぶ戦車といわれたP-47サンダーボルトから装甲板を下ろせるだけ下ろした戦闘機だしね なに言ってんの >>194 真実もクソも時系列上、97重爆は戦争5年間無防弾だったぞ 97重爆に乗った人の手記で、そのタイトルが 「97重爆に防弾は無かった」って感じで発刊されている ただ最後の2年間だけは、操縦席周りに13o厚鋼板 燃料タンクに16o厚のゴム被覆がついて、防御力は高くなっている 五十六はミッドウェー大敗の責任を取らず死地に逃げた 大勢の陸攻搭乗員を道連れに
日本が有利に戦いを進めて、戦争を1年で集結させていれば 零戦は手放しで名機扱いだったと思う 戦争が3年以上も続いて連合国が新鋭機を投入したら・・・
>>200 支那でさえ泥沼化していたのに米国相手にそれはあり得ないのにね。講和出来ると信じていたのは日露戦争で講和に持ち込めたから都合良く考えたんだろう。それまで上手く言っていたから都合の良い方に考えてしまう、これって日本人だけでなく人間ならではのダメなところではあるね。やっぱり日露戦争の勝利が日本の後退の始まりだったのかもしれない。いや、かと言って負けていたら朝鮮半島はロシアになってはいたけれど。 >>14 アホ! エンジンから、設定仕様迄、全く違う戦闘機だ。 馬鹿は書き込むな! >>201 南雲は長期戦を考えていたからね。そこは多聞丸みたいに行ける時に全力投球の方がよかったのかもしれない。 >>202 頭脳と肉体が整った米国だと、長期戦争に持ち込んで日本をボロボロにしちゃうのは 自然の流れだね そこを打破できる政治家が今も昔も日本に存在しないのは痛いよ >>200 Bf109もバトル・オブ・ブリテンの時点で(DB601に強化した時点で)すでに怪しい性能だ その後、素材やガソリン品質に制限のあったソビエトと戦ったから 撃墜スコアは伸び続けてるけど アメリカ機が参戦した途端、空軍再編が不可能なほど 完膚無きままに叩き落とされてしまった こう考えると戦闘機開発はアメリカ一強で 幾らか見劣りしてソ連、イギリスが続いてるという歴史なのかもしれない ソ連はドイツと共同で空気力学を作り上げた実績があり イギリスは光学射撃装置、レーダー誘導の実用化に実績があって アメリカに優位性が無い事も無かった(総合力では負けているが) >>206 アメリカはP-40とかM3リーとか残念兵器多かったのにP-51からパラダイムシフトがあったイメージ >>206 >>209 WWU以降の優秀な戦闘機は米国製である事実を見ていると 米国の科学技術力と国力は巨大と言わざるを得ないわ 林彪の息子がこの映画にハマって名付けた毛沢東暗殺部隊のコードネームが「連合艦隊」w
中国共産党員には日本海軍のファンが意外と多い 林彪の息子が大の山本ファンで、毛沢東暗殺部隊のコードネームを「連合艦隊」と名付けたのは有名な話
>>210 まずライト兄弟がアメリカで初飛行させているし 第一次大戦もアメリカの木材がかなり航空機転用されているらしいんだよね そしてドイツとソ連が基礎を築いたとはいえ 空気力学の理論に従って翼断面の数理論化はNACA(現NASA)でも行われて 翼断面ではNACAナンバー レシプロエンジン冷却ではNACAカウリング 吸気ダクトではNACAダクト(拡散ダクト)など何でも作っていった ダクトなどは1980年代ごろまで自動車産業にも転用されている >>213 林立果が感化されたのは1968年公開の映画の様だね。 俺が初めて見た映画連合艦隊は1981年公開の。 >>209 そもそもP51も英国のマーリンエンジンと出会ってこそのあの性能だし、 大戦中に発達した兵器は、英国が発明、開発し、米国が高性能化、量産化したパターンが多い。 >>209 P-40は過小評価されすぎ 試作機の時点では確か、時速500qそこそこのスピードしかなかった それを機体外形の改造だけで時速580qまで向上させている 空力的洗練で80q/時も高速化した例はほとんどないだろう それが可能だったのは実寸大風洞でテストを繰り返したからとも言われる ゼロ戦のライバルのF4F-3、-4も最初から性能が良かったわけではなく F4F-2(単葉機として初試作機)は不安定なうえ鈍足、2段式過給機のエンジンはパワー不足と散々な実力だった この時点ではF2Aバッファローがあらゆる性能で勝利している。 F4F-2の機体はやはり風洞でデータを取って改造され、エンジンはメーカーが改造し 太平洋戦争開始時にはF4F-3として大改造を受けて実戦配備されつつあった この時点ではゼロ戦と同じく防弾も無い >>55 そりゃあ二言目には「飛びます飛びます」だもんな 根っからのフライヤーだったんだろ >>2 うむ 昔からいまいち賢くない国だったんだよな 結局日本は天才アングロサクソンに挑むアジアの凡人だった 1940年(昭和15年)9月13日。ゼロ戦13機が重慶爆撃に出撃し、爆撃後 帰路に就いたが、しかし50キロほど戻ってから再び重慶に突入した。すると案の定 回避飛行して飛んでいた敵機・旧式のソ連製イー15・イー16と遭遇すぐさま空戦 になり全機撃ち落とした。味方には損害はなかった。これが零戦のDEBUT戦だった。 重慶の軍事顧問団シェーンノート元米少将は「日本軍には凄い戦闘機がある。航続距離が 長く、運動性能にも優れている」と本国に報告したが、本国では「幻でも見たのか」と 信用されなかった。それが現実の事と解るのは昭和16年12月のフィリピン・クラーク 基地爆撃の時だった。真珠湾でも232機を撃破し、ミッドウエーでも120機を零戦が 撃墜した。「無敵だったんだよね!?」(笑い)
>>216 防弾タンクというか 97重爆の燃料タンクにゴム被覆膜がついたのが 昭和18年(1943年)6月以降 それ以前は特に対策をされていないと思う。 一式陸攻はインテグラルタンクという機体と一体化したタンクで 防弾タンク(ゴム被覆タンク)と取り換えられない仕様だったから 特別批判が集中している(結局機体に直接ゴム膜を貼り付けたんだが)。 しかし97重爆も、ゴム被覆タンクに取り換えたのは一式陸攻がゴム貼り機体になった 数か月あとだったという話 これはそのような順番で製造された事実なので議論しても仕方ないと思う >>76 空母の炊烹所で煮炊きする大量のご飯やおかずの匂いが 任務を完了して帰投する腹ペコの搭乗員を誘導したのだろう >>222 零戦は32型、22型の時点で防弾を施していれば アメリカに大きく遅れたわけじゃなかったんだがな 1年くらいは遅れることになるけど、兵器生産のペースは 1年後の方が拡大しているので時系列としては殆どのゼロ戦が防弾ゼロ戦に入れ替わることになる しかしガダルカナル侵攻戦では、とにかく航続距離、滞空時間が必要だったため 燃料タンクの容積を減らしてしまう防弾タンクに入れ替えることもできなかったんだろう 因みに。撃ち落としたソ連製・敵機は27機!!(笑)
>>224 ノモンハンのころに燃料タンクをゴムと布で覆って塗料塗って防弾にしたとか何かで読んだけど違うのか >>219 ジェットエンジンに関しては今もイギリスとアメリカの二大巨頭だよね。 >>218 そうそう このエピソード知った時には「共産党幹部が大日本帝国軍人に惚れてどうすんじゃい!」と思ったものだがw >>1 五十六の撃墜された機体はジャングルの中にまだある。 >>224 wikiやと39年に防漏タンク採用ってなっとるがな 本格的な防弾装備は43年以降やけどな >>228 97重爆に関しては無防弾だよ 一式戦闘機(隼)1型は、生産時からフェルトを張っていたらしいが ゴム被覆はもっていない また昭和12年(1936年・日中戦争時)に防弾効果のテストも行われており ゴム被覆や鋼板で防弾を施した燃料タンクを100〜200mの距離から 7.7o、13oなど各種機銃で射撃し、どんな効果があるかが記録されている。 その結果、鋼板、ゴム被覆ともに8o厚以上がないと燃料流出も火災も防げないと判明している1 とくに13o機銃が連続して被弾した場合、8o厚でも無力だった それを踏まえて、昭和18年の16o厚のゴム被覆なんだろう 戦闘機は燃料タンクが小さいためもっと妥協している >>233 それは形式上防漏タンクというだけで銃弾に対して無力だったんだ 対空砲の破片くらいは防げたかもしれないが 昭和12年の各種燃料タンクへの試射で 8o厚以上のゴムか鋼板でないと火災も燃料漏れも防げないと判明しているんだ そして97重爆の搭乗者自身が、燃料も背面防御機銃も無いと 乗機の防御無視を嘆いているんだよ 一式陸攻は背面防御機銃くらい初期から持ってるから 97重爆は(年代が古いからとはいえ)防御軽視もいいところだった >本機は1939年中頃の初期量産型である一型乙(キ21-I乙)の時点で、燃料および潤滑油タンクの防漏化(防漏タンク・防弾タンク)化がされている[1]。燃料タンクは耐油性ゴム被覆を施したうえで真綿被覆を、潤滑油タンクは耐油性ゴム被覆を施したうえで羽布を貼り塗料が塗られ、被弾時の防漏防火が考慮されていた。
零戦は所詮は軽量戦闘機だからな。総じて日本の艦載機は空母機動部隊が前半早々に崩れてはじめたこともあって興味持っても続かないよ。後継機が開発されても載せる空母もなかったから、ますますエピソードが少ない。海軍機は陸攻とか局地機とかの方がいろいろと面白い。
>>236 その耐油性ゴムというのはタンクに貼り付ける接着剤だぞ 綿なんか曳光弾の火薬ですら簡単に引火する それで機銃の穴をふさげとうのは暴論だ そんなもんで防弾化されているなら 燃料区画の隔壁に数ミリゴム被覆層を持つ一式陸攻も 被弾時のな防漏防火を考慮した設計だったと言えるが そういう評価にはなってないんだよ 戦史叢書第87巻「陸軍航空兵器の開発・生産・補給」朝雲新聞社,pp.189-190(1975)によると、昭和14年9月20日に指示された「九七重一型乙」の改修点の一つに「胴体内及び翼内タンクに防火被覆を施す」とあるね ただ、その記述だと「徹底した防弾タンクに移る前提として、(中略)最初のものとして、燃料タンクの周囲に、ゴム及び真綿被覆が施された」となっているから、不充分は承知の上であくまで応急の措置だと認識した上での改修だったのは確かだと思う
>>237 その局地戦闘機が活躍するべき場面で 全部ゼロ戦が戦闘してるから、嫌が応にも海軍はゼロの話ばかりになる あとは雷電や月光が集中してB-29に対処したくらいで (といっても一度の出撃数は雷電が30機、月光が10機とかの規模だが) 紫電・紫電改に至っては本当に末期の航空隊に居ただけという存在になってしまった フィリピン戦時は、紫電の生産数は陸海の新型戦闘機の中でも多い方だったが 陸軍疾風のように制空戦闘で結果を残すこともなかった 零戦は当時としては戦闘能力よりも航続距離が驚異的だったみたいだね
>>239 ぜんぜん防弾やってなかったのではないわけだな 不十分ながら防弾はやってた そう言えば国立科学博物館の航空関係の展示、零戦吊られてショボくなってた ラムダロケットとかも消えてたな 昔は会社帰りに寄って見てたけど、久々に行ったら、小せえチャチな展示ばかりで萎えた
米国がドックファイトをやめた事で零戦に勝ち目がなくなった 零戦はドックファイトに向いた機体だったからね 高出力エンジンによる高速一撃離脱戦法に負けたと言える
>>242 それを言うなら一式陸攻も初期から防漏ゴム持ってるぞ それが防弾のうちに入らなかったから批判が出ているんだ 昭和18年以降の改良措置だってアメリカ機に比べれば低い水準の防御力でしかないよ >>245 普通に考えてドッグファイトしないと敵を追い払えないわけで 一撃で帰るようでは制空戦闘にはならない アメリカ軍が得意としたのは一撃離脱というより 的確にゼロ戦を排除する位置取り、待ち伏せであって 遭遇戦はやはりドッグファイトになるし、 アメリカ側が待ち伏せを受けたときはゼロ戦が一撃離脱を行っている 本当にアメリカが一撃離脱を徹底しているなら P-40やP-38の方が致命的な強敵になるはずだけど ゼロ戦が脅威と感じたのは格闘戦が得意なF4FやF6Fだった F4Uも強敵のはずなんだが、昭和18〜19年秋ごろでは良くてゼロ戦と互角 もしかしたら損害で負けているかもしれない (ゼロ戦損害なしでF4Uに損害が集中する日が複数ある) >>249 糸川英夫技師の自信作だった鍾馗はドッグファイトに向かないのでパイロットから人気がなかったらしいよ 鹵獲機を評価した米軍も鍾馗は高く評価しているけど日本では不遇の扱いだった >>246 まあでもゴム被膜はやってたわけだよな ゴム被膜は無かったは間違いだったなw >>249 F4Uなんてドックファイトなんてしていないだろ 実際零戦パイロットはダイブのときF4Uの翼の吸気口から発する空気音を 死神の口笛と言ってたくらいだからね ダイブされればスピードが圧倒的に違った 零戦は強いダイブをすると翼に皺ができたらしい >>252 一式陸攻はタンク後部にあたる箇所のみ(上下は機体構造がタンクの一部あたるため貼れない) という非常識なものだが、ゴム被覆と言えなくもないけど 97重爆はタンクと綿の部分を固着する糊みたいなものだよ I-16のようなソビエト機が燃料タンクに皮を貼っていたので真似したのかもしれない そのI-16は97式戦や96艦戦にバタバタ落とされてる 一方でI-16の一部は操縦席後部に防弾板があり こちらはパイロットを守れた可能性はあると思う >>185 そもそもアウトレンジってのは机上の空論で 成功したためしはないだろ >>252 大戦末期の天号作戦で航続距離が必要になって 天山や零戦の防弾タンクはノーマルのタンクに戻されてる >>253 その割にはF4Uはゼロ戦と会敵した日の損害が多い 撃墜数ではなくゼロ戦とF4Uを双方の軍が失った数 F4Fは例の一撃離脱でゼロ戦を完封した日もあるし F6Fはゼロ戦をボコボコにした最強の敵なんだが F4Uはゼロ戦に一方的に負ける日が散見される ラバウルや南方から撤退するとF4Uも勝ってるんだろうけど その辺はもう数の暴力ですりつぶし始めた頃だ >>137 だからアウトレンジにしたのなら官僚や役人の発想だわな まあ軍人と言えども公務員の一種だがw >>121 おれは何日か前の似たスレで出ていた 堀越二郎と奥宮正武著 「零戦」を注文してたのが昨日届いたぜ しかしなんか読んだことがあるような気がしてきたところだw >>257 低空での混戦になれば零戦が優位だったかもね 高空なら優位になってもダイブで逃げられた それと決定的なのは数だろね >>116 何言ってるんだよ 坂井さんはトップクラスじゃなかったが 中堅として十分な業績を上げてるだろ アホw >>95 起死回生ならこそ接近戦だろ アウトレンジとか 後方の空母側が被害をうけまいとするためのもので 先方の航空機に無理をさせる戦法で 平時のものだ >>74 それはうらやましいが ゼロ戦が狭いって話は聞いたことないな メッサーシュミットは狭かったらしいが >>72 有るようだぞ >G「米海兵隊岩国航空基地」山口 ・・・レプリカ(映画「零戦燃ゆ」) ただあれ(だったと思うが)民生品のやり方で作ったからムチャクチャ重いんだよなあ エンジン無いくせに乾燥重量で2、3トンあったようなw >>265 おおーなついね 零戦燃えるシーンでババアが嗚咽してた思ひで 零戦はめちゃくちゃ強かったってエピソードを子供の頃によく聞いたけど今になって思うと現代と同じで 日本人だけが讃えてるホルホルだったんだなと思う 実際はアメリカドイツの飛行機が花形で日本はソ連やイタリアの飛行機と一緒でその他一般扱いだし
>>249 一撃離脱ってのは一回撃って帰るわけじゃなくて、数機一組で行う降下→攻撃→離脱→再上昇の繰り返しを行う戦術の攻撃局面の表現 言ってみれば複数のアウトボクサーが次々に殴りかかってくるようなものだな 襲われる方が数的劣勢ともなると、相互のカバーもままならずひたすら上空からの攻撃をかわし続ける他なかったと思う 反撃のチャンスは、攻撃して離脱する敵の背中に僅か数秒あるかないかだったろう、それか原則を破って速度を殺して標的を追っかけ回す敵がいた時のみ 昭和54年の1月(当時中1)に展示飛行で市内を零戦が飛んだ 市街地をパイロットが見えるくらいの低空で飛ぶのを見たよ 授業中断してみんなで見た 今でも目と耳に焼き付いてる
●馬鹿「ゼロ戦なんて日本人だけが讃えているホルホルなんだニダ!」 ●国民「ゼロ戦の強さは海外でも有名だ」 ●馬鹿「うぐぐ」 −−−−−− ★エリザベス・ヘインズ著『勝利に貢献した捕獲したゼロ戦』 2012年6月4日 「ゼロ戦は1942年4月セイロン島上空で起きた良く訓練された英国人パイロットとの 戦いで、その名声を不動のものとした。その出撃で36機のゼロ戦は60機の英国機に 襲いかかりわずか1機の損害で27機を叩き落とした。ゼロ戦はあまりにも無敵なので 日本機から襲撃を受けた場合の米国の戦略はこうなった:逃げろ。」 The Zero cemented its reputation in an April 1942 battle with well-trained English pilots over Ceylon (now Sri Lanka). In that sortie, 36 Zeroes took on 60 British aircraft?and shot down 27 of them, with the loss of just a single Zero. So formidable was the Zero that the official American strategy for pilots attacked by the Japanese fighter boiled down to this: run away. http://www.history.com/news/the-akutan-zero-how-a-captured-japanese-fighter-plane-helped-win-world-war-ii The Akutan Zero: How a Captured Japanese Fighter Plane Helped Win World War II By Elizabeth Hanes June 4, 2012 >>269 それをやったのは末期のF6Fくらいで ほとんどの時期の日米機は急降下したらもう再上昇はできないだろ ゼロ戦の方が高い高度を飛んでいる場合もあり ゼロ戦が劣位でも旋回性能で高度を維持されてしまう >>264 数年前ゼロ戦に座った(有料で誰でも座れた)が 軽自動車よりはゆったりしていたよ 椅子が昇降式だから、椅子を下げずに座った人はキャノピーに頭当たったかもしれないけど 俺は椅子を下げたから特に狭い印象は無かった そのとき印象に残ったのはスイッチに手が届かなかったこと 戦闘時の他は椅子との連結具を外して 腰を持ち上げる勢いで前の目にならないとスッチ類に触れない 操縦桿には何のスイッチもなく、スロットルレバーや混合器などのレバーも 腕を大の字にして触る感じだった キャノピーの開閉は座ったまま可能 パンチ穴みたいなののロックを外してスライドさせるもので半開きの状態を数種類選べた またフライト・シムが好きな人は気が付いていたけど やはり零戦の真正面視界は悪く射撃のときカウルの陰に隠れて見え辛くなるだろうと思った 着陸に必要な前下方視界、 防御に必要な後上方視界は良かった。真後ろもなんとか見えた。 >>275 本当に座ったんか? 零戦の座席はパイロットに尻に位置したパラシュートがクッション代わりになるのを 計算して低めに作られてた でパラシュートがクッションになるから、硬いままでそのまま座ると視線は低くなり 尻が痛かったろうにw アメリカで残骸から復元した零戦に現地のパイロットが乗る際、クッションも持ち込んでるぞ >>250 鍾馗はテスト時やBf109との模擬空戦でも射撃に不満が出てるね 旋回性能が低いと敵が前方視界に入ってるのに 機首を上げて射線に入れることができない 無理に機首を上げると失速。 ならパワーを生かして上昇勝負をしたいが 上昇時は高度は上がるもののスピードは減り 機体も機首を空側に向け続けているので 旋回性能に勝る敵がスリップ気味に斜め旋回を撃つと視界から消えてしまう。 それを無理に追うと失速して不利になりかねない。 ゼロ戦や隼でもやっていた事だけど、敵の真後ろを追わず 敵の進路斜め下にダイブ気味入って、スピードを確保してから機首を上げるような 失速を回避するパターンへの理解が必要だったのだろうね これは敵に見破られるとローリングでアッサリ回避されるから ローリングされそうになったら射撃で牽制してプレッシャーを与えるなど 色んな状況判断ができるベテランなら乗りこなせると思う >>276 俺が座ったのも飛行可能なゼロ戦だったけど 椅子に違和感は感じなかった 椅子の昇降機能は設計通りだったと思うが椅子自体は変えていたのかもしれない 日本で飛行できるように耐空証明を取る必要があり、部品についても 色々ダメ出しされていたとお話を伺った。変な部品(射撃照準装置など)は 許可が下りなかったそうだ。 種類は日本に里帰りしていたロシア製の22型 映画パール・ハーバーのときアメリカが購入し 一時日本人が買い上げ里帰り、そしてまたアメリカに行ったらしい。 プレーンズ・オブ・フェイムの52型はまた違うかもしれないな >>274 BnZは一撃離脱後、急旋回とかせずに運動エネルギーをロスすることなくそのまま素直に上昇して 再び急降下一撃離脱、を繰り返す機動で、上空優位からの余剰エネルギー(つまり速度)が残ってる分には 敵機は追いかけてこれないもんだよ 一撃離脱の一撃目は必ず敵より高度がある時に行われるから 逆に敵より低空なのに攻撃を受けた場合は、逃げの一手になる アメリカ側がガダルカナルでF4Fが善戦したのはレーダー誘導としっかりした無線機のおかげでもあり 長駆1000kmを侵攻してくる日本側の戦爆連合に対する迎撃戦だったから、というのも大きいの レーダー誘導により必ず日本側編隊の上空優位から攻撃を行ったの 日本側は低空劣位だったから相手が格闘戦にでも乗って来ない場合、どうにもならなかった オージーのアホスピットはレーダー誘導で上空優位から仕掛けたのにも関わらずその後格闘戦やらかして 散々に打ち負かされたみたいだがw でこれは日本側にも言えることでレーダーが整備され始めた大戦後半、44年のラバウルでさえ今度は 侵攻してきた米戦爆連合に対して零戦が一方的に敵戦闘機と爆撃機を13機撃墜し、味方の損害は0(被弾機はあったが)みたいな結果を出してることもあったのな つまり戦闘機のみの飛行性能の優劣も重要なファクターのひとつではあるが、総合力が実際の戦闘では 大きく作用した、ってのが実情なのさ >>279 上空から一撃かけるのはわかる その後高速から機首を起こして高度を回復するもの分かるが そのとき元の高度までは戻れないし 高度が上がるにつれてスピードもみるみる下がっていく F4Fの場合はそれが危険と見て反復攻撃はしなかったようだ もしかしたらF4Uは反復攻撃をして返り討ちにあったのかもしれない 爆撃機相手にすら(弾幕が来ない位置取りのせいもあるが)反復攻撃には時間がかかるのに 俊敏な戦闘機相手に行うのはリスクが大きいと思う >>254 I-16の防弾鋼板は、ノモンハンでの撃墜機からこれを見つけた陸軍が日本特殊鋼株式会社に研究試作を命じた、とあるから陸軍的にはお気に召したんだろうと思う 日特の開発した鋼板は優秀だったけど、不足物資のニッケルを多く使用する不利があったのでニッケルを含まず焼入れで良好なものを得るよう研究継続され、陸軍機で最初に防弾鋼板を使用したのが九九式襲撃機だった、そうだ >>281 ノモンハンで撃墜された味方機の調査をやってるのな で死亡したパイロットの被弾状況とかみるとかなりの割合で頭に銃弾を受けて戦死 してたそうな で陸軍では最低でも背面鋼板いるだろ?となったわけ 相手側のI-16の損傷状態とかと比較しての話だから ノモンハンでは海軍は参加してないからそれらの戦訓は伝わってなかったんだろうな 支那事変で海軍は中華民国空軍と実戦を経験しまくってたんだけど、相手弱かったしw まあ、防弾鋼板張っても20mm機関砲装備が今後の戦闘機に想定される中では意味ないんじゃね?という結論になったのは判らんでもないけどな 打たれ強いと評判のアメリカの戦闘機でも流石に20mm食らったら防弾も糞もないからな 20mm機関砲は下手な装甲車の装甲すら貫通してくる威力、12.7mmも同様だた てか日本の場合、戦車でも下手すりゃ重機関銃で装甲を貫通以下ry >>279 ダーウィンのスピットは2回戦から一撃離脱 戦法に変えています。 >>280 一騎打ちではないので、離脱後緩上昇しながらエネルギー回復の余裕がある その間相手は追撃もそこそこに、次の降下に備えないといけない 降下射撃の段階で速度差があるので、真っ直ぐ降下を続けられたらあっという間に射撃範囲外に出るし、そもそも撃たれる時には回避旋回中なので自機は速度も違えば、敵機と機軸もあっていないはず(そろっていたら、真後ろから撃たれている) 降下後の敵がよほど変な、エネルギーをロスするような機動をしなければ、まず追い付けるものではない BNZを好み、大きな戦果をあげたのもF6Fよりはf4uやP38などの、「旋回性能では零戦の敵ではない」系の機体だったはず >>284 それが可能なのは末期アメリカ海軍 ほとんどがF6Fだろうね 編隊空戦が苦手という日本でさえ「高度を維持する」「部隊で固まる」というのが基本で 敵を追って延々降下するのは最終手段だった 他に敵がいないなら降下していくだろうけど 一撃離脱をかけた相手がが間抜けに上昇するなら 高度を維持して有利に反撃するだろう F4Fのようにそのまま帰るなら手出しはできないは >>282 とはいえ米と比較して撃墜後の生存率が違いすぎるだろw ドイツとかイギリスとかの生存率は当てにならん あっちは陸上なので当然生存率高いしパラもあるし ↑ 対戦初期の紅の豚ごっこの戦果が旧軍ヲタの心の拠り所www 空とぶポリタンクなのにwww
>>245 そもそも零戦は艦上戦闘機だから制約が多いのも当たり前。 出力が低いエンジンで、まともに空母で運用するため軽量化により着発艦性能を良くしたのが、低空の運動性能に繋がっただけ。 米英も初期は似たようなものだったが、最終的には護衛空母にすらカタパルトを装備するまでになったからね。 昨晩、>>1 の「聯合艦隊司令長官 山本五十六」(2011年公開)を見た。 空母や飛行機の見ごたえはあるし、各役者の演技もいいんだけど、 五十六や多聞が過度に平和主義者にされてたのが、気になったな。 ロンドン会議で軍縮に反対してたの、コイツらやろ。 あと、真珠湾の第二次攻撃を南雲がやめたのは、 永野の意向を汲んだからみたいに描かれてたけど、 なんか裏付けあるんかな? >>283 キラーと呼ばれた男という、ダーウィンのスピット部隊の指揮官の手記を読んだけど 最初の戦闘から高度1万メートル付近に待機してい 急降下戦闘をしているよ 部隊の2部隊に分けて、ゼロ戦に時間差攻撃をかけている そのとき問題になったのは、スピットの航続性能の低さで 一万メートルに上がった時点でもはや燃料ふが乏しく またスピットファイアMrkXは設計ミスの洗い出しが終っていないまま配備されたようで プロペラピッチ機構に欠陥を抱えていたそうだ 上記の問題により一回目の戦闘はスピットが燃料切れや プロペラ機構の不具合により不時着が相次ぐ事態になった。 以降は、機体と落下式増槽の補給を受けるなどして改善があったが 日本側記録では、ダーウィンへの9回の攻撃でゼロ戦3機、一式陸攻2機の損害しか無かった。 スピットは空中喪失が40数機、地上撃破含めると70機以上を失った 面白いのはスピット側はゼロ戦をそれほど脅威に記述しておらず 逆にゼロ戦側(別書のああ青春零戦隊 小高 登貫)は、スピットが高速で照準できないとか 鈴木實さんへのインタビューではスピットが高度1万2000メートルまで上がっていて 優秀な機体だと思ったという意見があったりする。 コールドウェル中佐の本では一万メートル前後だがとにかく零戦と一式陸攻は機体性能上 スピットより低空を進んでいる >>290 五十六や多聞が過度に平和主義者 というか、「平凡な家庭人」みたいに描かれていた。 ミッドウェーで失敗した南雲にお茶漬け出すとか なんだあれはwwww 日本の戦争映画は、ソ連が崩壊したあと米国の 弱体化政策の1つで、どんどん見るに耐えないものに なってしまっている┐(´д`)┌ヤレヤレ >>292 >ミッドウェーで失敗した南雲にお茶漬け出すとか まぁ、あそこは五十六の人格者ぶりを演出したかったんだろうが。 それまで、五十六への反抗者としてずっと描かれた南雲が、 五十六のお茶漬けをすすりながら、涙を流すという… 山本五十六のヤンチャな面も描くべきだったよな、映画では。
映画の「大空のサムライ」は坂井三郎役が藤岡弘、だったのでスポ根ものみたいだったな
>>28 同じ日に坂井の葬儀会場の割と近くで零戦搭乗員の集会があったけど誰も坂井の葬式に行かなかったと言われている >>42 坂井三郎がねずみ講の宣伝に「俺は零戦パイロットだった」って話をプッシュしまくったので 零戦搭乗員で作られた団体が風評被害にキレて一度解散する事態になっている 『零戦の遺産』(光人社NF文庫/堀越二郎海軍零式戦設計主任/昭和35年頃の執筆) ■零戦は昭和18年19年でもまだ強かった。格闘性能には、旋回性能、円滑な操縦性、 上昇力、速度、加速度、視界、火力などがある。防弾の要求は19年頃から出てきた。 ■日本の航空産業は96式戦闘機で世界水準に追いつき零戦で追い抜いた ■「設計者として零戦をよく知る私が、最もやりたいと思いかつ可能だった改造は、 馬力向上、防弾追加、13mm機銃追加よりも、20mm機銃2丁のままで 初速の早い二号銃(5型)に換装することだ。総重量を3000kg内外以下に抑え その優れたバランスを崩さず旧式化を防ぐことであった」。 ■イギリスは戦闘機の生産をスピットファイアなどに絞り国のエネルギーを それらの性能向上に費やした。ソ連も同様。日本は機種が多すぎエネルギーが分散してしまった。 ■敵機別 ○対バッファロー 緒戦の頃基地戦闘機として使われた。零戦のよい餌食 ○対グラマンF4F 艦上機らしい性格という点で零戦に似ており馬力と急降下以外では零戦勝っていた。 よく格闘戦が行われ零戦の特徴が100%発揮された ○対カーチスP−40&ベルP38 同じく馬力と急降下以外では零戦が勝る。一撃離脱で来ても手強い相手ではなかった ○対チャンスボードF4U 2000馬力エンジンで相当優速で零戦にはうるさい相手になった。1.3万機作られた ○対爆撃機雷撃機ダグラスSBD艦爆、グラマンTBF艦攻、B25、B26 零戦の好餌であった ○対B−17 落とすが難しく緒戦の頃敵の希望だった。防弾タンク、死角ない銃など。 ○対グラマンF6F 自重4屯を超える大型戦闘機。まともに零戦と戦ってよい勝負をしたのは本機だけ。 1943年から生産が始まり1万機作られた。零戦が圧倒されたのは性能よりは数量だった。 ○対英スピット 零戦には鎧袖一触という感じ蹴散らされた。
>>301 戦争で活躍する機会に恵まれた 戦争が無ければ一万機以上も生産される事もなく 数百機が造られてお仕舞い >>301 旋回性能、円滑な操縦性、上昇力、速度、加速度、視界、航続距離で 多くの米軍機を上回っていた。 逆に弱点は、急降下性能、防弾というところ。 短所が少なく長所が多いから名機と言われる由縁。 参考→>>302 >>304 こんだけ有名になったのは、まぁそういうことよな。 B29の知名度の高さも、そういう理由だしな。 >>264 たしか他のなにか、四式戦だったかなんだったか忘れたが日本機の後にゼロ戦のに座ってこれは狭いなと感じたのは覚えてる 戦前の日本は満洲なんかに金をかけないで 東北地方に金をかけるべきだった 秋田や青森や山形に帝国大学があっても良かったし 秋田や青森や山形に自動車工場があっても良かった 金をかけた満洲なんて 全部パーになったからね
大東亜戦争の時にイージス艦があればアメリカに勝てた
こういうネタが盛り上がっているのを見ると、5ちゃんっておじいちゃんだらけなんだと実感できるね。 ところで坂井三郎ってだれ?
>>310 当時の日本経済と満州経済は、根本的に方針が違うんだ。 満州は、競争原理を排した計画経済の実験場。 従来の制度に縛られる日本の東北では、それができないんだよ。 だから、満州ではなく東北でというのは、あり得ない話。 >>311 イージスシステムを開発したのはアメリカだろ… >>312 煽りに「おじいちゃん」って言葉を選択してるお前も老人だろ >>312 俺やあんたの在り方を決定的に方向づけた一大イベントだから、爺さんでなくとも盛り上がるだろ 歴史はしっかり勉強しような >>14 > P-51ムスタングも空飛ぶ戦車といわれたP-47サンダーボルトから装甲板を下ろせるだけ下ろした戦闘機だしね なにサラッと嘘ついてんだ。 >>312 大和、零戦、タイガー戦車は男の子の基礎教養みたいなもんじゃろ ロンメル駆逐戦車とかジューコフ突撃砲もカッコエエで 昔の映画って凄いよな トラトラトラを見ると実機と本物の火薬を使っているから迫力がある
【問】 坂井三郎って誰? 【答】 「大空のサムライ」の本の著者でラバウル基地で活躍したゼロ戦乗り。 とても面白い本でした。今でも光人社から出版されています。 海外でも"samurai"という翻訳本が出版されています。 キムチくさいのがやたらケチをつけていますが、どれもソースが無いので でっちあげの可能性大です。 −−−− ★坂井三郎(元海軍中尉台南航空隊零戦搭乗員) 「いちがいに空中戦というが大別すると侵攻戦、迎撃戦、遭遇戦の3つある。 侵攻戦が一番戦果を上げやすい」 「複座の後方にある旋回銃と戦闘機の固定銃の命中率の比は1:10位ある」 「銃は敵機に向けるのではなくその10〜20m先にある未来位置に向かって撃つ。 遭遇させる、という感じ」 「米英の戦闘機は後方視界が悪いのが多くここを狙って奇襲して戦果を上げた。 特に後方下面からは有効。急降下で逃げれば待ちかまえることができるし、 急上昇や急旋回をしたら零戦の思うツボだ」 『海軍戦闘機列伝』(光人社NF文庫)
>>321 連合艦隊もそうだけど今のCGフル活用でリアルな戦争映画とは違う迫力や味があるよね >>76 南太平洋海戦の時、進撃途上の第一次攻撃隊内、瑞鳳 ゼロ戦隊の9機が、味方機動部隊に進撃途上、遭遇した エンタープライズ、ホーネットの艦載機に 攻撃を仕掛け、その半数近くに被害を与えたが、 機位を失い、5機と4機に別れて帰投したが、 4機の方は、味方空母部隊に辿れなかった。 この様に、広大な洋上で、被害がなくても 単座戦闘機では、正確な航法計算が出来なくて海没した 日米とも少なくなかった。 彼らにとっては辻や牟田口や坂井にケチをつける輩は非国民なのだよ
>>321 円谷英二は戦中に制作した映画があまりにもリアルだった為に戦後GHQに取り調べられてたな >>321 あれ飛行場でウォーホーク吹っ飛ぶ場面は火薬や突入位置ミスってエキストラ死にかけてる >>322 ソースがないとか言われてるから、本棚から発掘してきたぞ 神立尚紀「祖父たちの零戦」講談社文庫(2013,初出2010) これの413ページ以降に他の搭乗員の反応が書かれているので読んでみて欲しい ネズミ講関連は425ページから >>298 の話も434ページにあって、ただしこれは「元零戦搭乗員の会合があり約30人が集まったにも関わらず、昔の搭乗員仲間で列席したのは(中略)合わせて4人だけだった」となってた 連合艦隊で瑞鶴が沈む時海ゆかばが流れていたな 今ああいうのやったら怒られたりするのかね
>>319 昔プラモデルでヤークトパンターがなぜかロンメル駆逐戦車という名前で売ってたな >>330 神立尚紀「祖父たちの零戦」講談社文庫(2013,初出2010) これはわざわざどうも。 しかし仲間の評判はともかく、最終階級は海軍中尉というのは たたき上げとしたら、相当な出世だ。上からの評価は抜群に良かったはず。 命を賭けて米機を叩き落し続けた歴戦の戦士に、 あまりにも小さいことをbotのように言い続けるのは、 何か悪意があると取られても仕方がないだろうな。 >>332 ハーケンクロイツ襲撃戦車にM16スカイクリーナーにフォッケウルフFW170に昔の玩具はもうめちゃくちゃよ >>333 キムチ臭いやつが云々とかコピペ貼りまくってるお前が言うことじゃないね >>332 SU-なんとかみたいな型番より ミリタリー少年が知ってる将軍や有名な軍人の名前を付けるほうが売れるって理屈で付けられたらしいで >>330 零戦搭乗員の集会に出てた人で4人しか参列しなかったのか ソースありがとやで >>334 フォッケウルフFW170って何かと思ってググったらスチレンペーパー製の紙飛行機で 重りを兼ねたプロペラがグルグル回るいわゆるソフトグライダーって奴かw ライト兄弟初飛行1903年 ゼロ戦初飛行1939年 アポロ11号月面着陸1969年 なんですかこのイノベーションの暴走は…
>>339 人類の歴史から見れば飛行機を飛ばすのも月までロケットを打ち上げるのも大した差はないってことだろ。 >>319 君、俺と同じく50〜70年代生まれだろ。www >>337 ただ、出席した4人のうち零戦の搭乗員は多くて3人っぽい 1人は艦爆・夜戦に乗ってたみたいなんで 場合によっては30人の集会からは0人で、4人とも集会とは無関係の可能性もあるけど、実際のところは不明かな >>323 やるなら山本五十六が撃墜された一式陸攻だよなあ。 >>84 三船版は、文革期の中国で人気があったらしいね >>338 でもbf108はパチもんのように見えるが存在するんだよなw >>320 最先端かというと微妙だ。技術的には1930年代以上先には行っていない。 太平洋戦争は1941年なんで、戦争後半になるとゼロ戦は型落ちだった。 ただ丁寧に作ったぶんのリターンはあり 高Gや、マイナスGに起因するトラブルが無く、最後まで運動性のは最高の戦闘機だった。 ガソリンエンジンへの燃料供給は、キャブレターという装置の フロートチャンバーという空間に一旦ガソリンを貯めて気化させていく ここで燃料が溢れると最悪エンジン停止の大ピンチになる。 通常のGの場合ガソリン油面にフロート式の弁をつけて、ガソリンが 多すぎると弁が閉まってトラブルを回避できるが マイナスGになるとガソリンが出口に溜まってしまい、フロートは反対側追いやられて 弁として機能せず戦闘機にとって大きな問題だった。 ゼロ戦(栄エンジン)の気化器は、マイナスGで作動するバネ式の弁をつけた。 通常は自重で沈み込んでいるが、マイナスがかかるとバネを抑える力が減って 出口まで伸びることで燃料が溢れるのを防いだ。 そのまま背面飛行も可能なようにバイパス経路も作らてている またゼロ戦だけではないが、当然通常のGでも+1.5G、+2G、+3Gと増す場合も フロート弁が浮きすぎて燃料が止まるため 別途加速ポンプが用意されている ゼロ戦の加速ポンプも上記の弁と似た発想で、Gが掛かるとバルブが下がって 自動的に燃料が漏れるようになっている ここはチャンバーとは別の部屋なので、洩れた燃料は専用のノズルからエンジンに送られるため問題は無い >>346 Bf108は満州飛行機も持っていたな メッサーシュミット社に在籍中のローベルト・ルッサーという人物が設計しているらしい 当然Bf109もルッサーが設計した 社長であるメッサーシュミットは尾翼を大き目に作るルッサーの設計に満足していなかったらしいが 社長自ら作ったMe209単座戦闘機は様々な不良を起こし 尾翼の能力不足もその一つだったらしい >>340 俺はアポロ計画も大好きなんだが アポロとゼロ戦の違いはまさにここで幾つも書き込みがあった 帰還能力、航法の部分で ゼロ戦はクルシー帰投装置など限られたバックアップでしか飛行できなかったが アポロ計画は、ドップラー効果(近くの音程は高く、遠いと低い、周波数の変化を観測できる) でアポロ宇宙船が送り返す電波を追跡するアンテナを スペイン、ナイジェリア、オーストラリア、ハワイなどいくつも建てた。 また電波妨害を考慮して六分儀での直視による星と地球や月の角度を算出する方法でも自己の位置を把握している。 ほかもちろん、ジャイロコンパス+加速度計+積分計算によっても位置を確認している 動力に関してはコンピューターによる軌道修正が大きな特徴だった >>350 動作の感覚としては似てるけど 気圧ではなくGに関連して動くのが違いだ 長くなったから書かなかったけど、 戦闘機の各種G対策は燃料噴射を採用した機体もあって その場合も運動性は安定している Bf109のJumo210、DB601 三菱の金星62型、火星23型など アメリカ機はキャブレター派が多い トラ・トラ・トラのレプリカ機は 今も健在 VIDEO ;t=80s ついでに戦車 日本のオモチャの戦車も参入します VIDEO >>353 原型はノースアメリカンT-6テキサン練習機ですな 何でも零戦に改造したテキサンは空力性能が向上し性能アップしたそうですよ 読まずに書くけど どうせ古峰文三とか神立尚紀とかの受け売りを ジジイがひけらかし合うスレになってんだろ
直木賞の名前に冠されているのが 直木三十五だと知らない人が多い そもそも直木三十五の小説が文庫本ではほとんど読めない
>>280 日本機も一撃離脱をしていたことはあるが その場合は一旦戦場を離脱してから高度を回復して 戦場に戻ってきていたようだな 岩本さんなんかはそれをやっていた 記録はよくわからん 明治維新で徳川家がやぶれたことにされた結果 飛行機関係は囚人が関係し、日本最初の飛行機実験とかも徳川家のパイロットだった? とか、アメリカもなんか空飛ぶ棺桶で囚人が関係してたとか それがアメリカ空軍がエリートなんか、政治家や為政者からすると馬鹿でしかないわ ここの会話も刑務所のなかかと
>>360 アホがwww まったく逆で徳川家(御三卿清水家)の名誉回復のために 初飛行にしてあげた説もあるというのにwww >>347 しかしキャブをよく弄ってるおれからすると そんな複雑なものを作って よく整備が追いつくものだな 飛んでるときにエンジンが止まったのなんて 多いんじゃないか? >>363 実際に特攻機が途中で不時着したとか言う記録や証言が多いよ。特攻作戦なんて戦争末期の頃だから、ベテラン整備員が揃っていた戦争初期はそうでなくても戦況の悪化で年々追い付かなくなっていた証拠なんじゃないかな? パイロットの練度に大きく依存した兵器を量産しながらなぜかベテランを使い潰し大量に死なせ速成のパイロットで突撃を繰り返し、挙句に特攻 戦略の欠如がやばい >>359 その場合30分くらいかかるから ほとんどの空中戦は終了してるだろ 岩本さんは帰路の敵を積極的に撃ったらしいから それでもいいのかもしれないが >>365 日本もイギリス、ドイツ、ソ連の全部がパイロット死にすぎてるし それ以上に航空隊が膨れ上がってるから急増パイロットで埋め合わせしてるよ パイロット育成に関してはアメリカだけ別次元で最初から勝負にはならない >>367 ソ連とアメリカは戦闘機もたくさん製造したけど それ以上に練習機も これは模型で空は飛べないだろ? 確か空を飛べるガチのゼロ戦はアメリカの資産が持ってたような。
>>369 前に日本に持って来て、飛ばした事がなかったっけ。 >>302 ゼロ戦はロマンかもしれないが、盛りすぎてないか? >>363 不調のゼロ戦ももちろんあっただろうけど 堀越・奥宮「零戦」(学研M文庫)ではむしろ燃料噴射システムを搭載したエンジン (三菱の金星、火星)の方が大きく性能が落ちていると書かれていたな 工場で製造したあと2度テストして軍が受領するシステムなんだが そのときの飛行能力の数字を一部引用している ゼロ戦も性能落ちてるけど、まだマシな方だった。 (飛行機は搭載重量によっても性能が変わるが、 昭和18〜19年にかけての陸海軍は正規重量の重さを積ませてテストしている) ただキャブレターを弄りまくって開発者も、整備員も搭乗員も苦しんだケースがある 決戦戦闘機・疾風などの「ハ45(誉エンジン)」だ。 陸海軍ともに誉のオーバーヒートをキャブレターの改造で乗り切ろうとしたが 結局全力運転ができず、低馬力状態で戦わざるを得なくなっている これは開発中ではなく、紫電、烈風、疾風といった戦闘機の試作中に大問題となり 堀越・奥宮「零戦」では水メタノール噴射装置による悪影響 (具体的指摘はないが、戦闘機のキャブレターはスーパーチャージャーありきなので噴射で内圧がおかしくなる可能性はある) 近年、誉について解説する書籍などでは、日本の保有するガソリンの分留性が戦争後期に 悪化していたという論調で解釈されている ガソリンに言及が及んだのは、アメリカに捕獲された疾風などは特に不調なく性能を発揮しているのも 反証にしている >>368 アメリカは訓練時間が非常に長い 実戦に出る前に300時間くらい飛んでるパイロットが 戦争後期に投入されている 急増パイロットを増やしたいのは全ての国で同じだったが 訓練時間を長くとれたのはアメリカくらいだっただろう >>374 内陸の湖に訓練専用の空母を2隻作って発着陸や対艦攻撃の訓練をしてたからな。マジ意味不明。よくこんな国に戦争を仕掛けたもんだわ >>372 ただイギリスやソ連はアメリカ軍から 直接戦闘機の提供を受けているのは 頭に置いておいた方がいいと思う また零戦が明らかに劣った戦闘機と認識されたのは 空襲が始まってからで それは、今まで高度8000mくらいに滞空すれば敵より上空に占位できて 急降下で逃げられることはあっても追われることは無かったんだが B-29は8000より高い位置で迎え撃たないといけず 運よく上をとっても急降下中に弾幕を避けなければならず 急降下中はロールが鈍く、横滑りを多用するしかないという 実情を受けてからだった >>376 ゼロ戦は骨子に小さな穴を開けまくって極限まで軽量化してる構造で。真珠湾攻撃の際にゼロ戦が不時着しちゃって防御力の脆さが露呈してたんだよな。 それでアメリカは対空砲の弾薬に小型レーダーを埋め込んで、直接当たらないにせよ近くで爆発させて弾薬の破片で攻撃する手法に切り替えた。 防弾構造のしてる飛行になら多少の破片攻撃には耐えられるけど、機動性重視=防御無視のゼロ戦には滅茶苦茶効いて、太平洋戦争の空母決戦は大惨敗し続けてた。 ゼロ戦はそういう面も弱かった。 >>377 それは対空砲のVT信管だろ 艦船攻撃はゼロ戦の役割ではないし むしろ防弾能力を付与された天山とかもバタバタ落とされているわけで 対空砲や高射砲の攻撃を防弾で耐えるのは無理だろう 末期の特攻攻撃は艦船を発見した場合は帰還できない 悲しい話だがある種の飽和攻撃だったからば フレームは剛性ばかり言われるが 車ならその逆に曲がる歪むを利用した走りを体現するんだよな 七面鳥撃ちまでされたのってゼロ戦乗りの腕が悪かったが一番の要素
>>377 分析されるほどの状態で鹵獲されたのはアリューシャンの時だろ。VT信管はもっと後だし 時系列おかしい >>302 >○対爆撃機雷撃機ダグラスSBD艦爆、グラマンTBF艦攻、B25、B26 > 零戦の好餌であった その餌にやられちゃったサムライいましたよね?サムライ、言い訳してたけど >>380 全体的な傾向の話だから一例だけ抜き出しても仕方ないだろ F6Fがゼロ戦に撃ち落とされた例だってあるんだぞ F6Fは機体性能のみならずパイロットの質、量、有利な条件での会敵など 全ての面でゼロ戦ふくむ日本航空戦力を超える存在だ >>365 典型的な後知恵評論家の意見だな じゃあ戦略とやらが欠如してなければどうしたと言うんだ? >>383 日本だけの問題ではないんだが 軍事マニアが戦略と言う場合だいたいジョン・フレデリック・チャールズ・フラー という人物が念頭にある場合が多い アメリカ軍や自衛隊もその影響下にあると言われる(フラの〜原則を未だに引用して教育している) ただフラーは学問的側面が多いので 歴史家であるリデルハートの方が分かりやすい。ごく簡単に言えば ・戦争は不確実性が強い ・「人的資源を浪費してはいけない」 2番目の部分でゼロ戦批判が起きることがある。 リデルハートは「効率的な戦争が不可能になった」ことを警告している。 第一次大戦時、輸送力が発展し巨大な物資、巨大な人員を短時間で一か所に 集中させることが可能になった。 その環境で勝利しても国家は衰退するという発想。 日本の場合は、輸送力を使ってインドネシアの石油や金属資源を 輸送させることで国力を維持しようとしているけど 人的資源までは補給できなかったから尚更、パイロットを死なせることに 批判が行っているのだろうね。 日本軍単体の戦略としては「アメリカ軍を太平洋から追放する」 具体的にはオーストラリア東部のタウンズビルという拠点を攻め落として アメリカの物資集積をハワイまで後退させるのが目標だった。 しかしその橋頭保にすぎないガダルカナル島さえ占領できず もはや負け戦が決まっていて、以降は本土をどうやって防衛するか といった具合に戦争の「不確実性」に振り回されていっている。 >>379 車はタイヤのグリップで曲がれるが 飛行機は翼や胴体のグリップで曲がる他ない ので、グニャグニャだと非常にこまる あと、フレームが弱いと高出力のエンジンも、大型の武装も積めないので鈍足豆鉄砲に甘んじざるを得なくなる、良いことない >>384 零戦に米軍標準の0.50calに耐えうる防弾装備をつけようという話になるのかな? 大戦当初の21型なら、エンジンは離昇出力940hp、これに防弾装備を重ねれば単に「撃墜されるまでは撃たれる」ドンガメにならざるを得ない まあ、それ言い出すと「そもそも対米開戦が間違いで云々」になるのは解ってるし冗長なので、解説は結構だけどw 山本五十六は死なずに終戦迎えてたらアメリカに軍事顧問として招かれたろうな
>>386 その時点では敵のF4F-3にも防弾は無いんだよ 防弾仕様の-3は80機くらいのはず 配備されたのは30機くらい イギリスが購入したF4F(マートレット)も当初は防弾が無い >>386 アメリカ機も防弾は実質7.7mm用 20mm喰らうと当たりどころによっては一撃で 落ちた 図体がデカイB17とかはなかなか落ちなかったらしいけどな 問題は初期のエリコンだと60発しか携行出来ず弾道も垂れる事 当てる前に撃ち尽くす事が多かったのな 20mmは主翼の主桁なんぞも一発でへし折り、12mm 程度の防弾鋼板なんぞ簡単に突き抜け炸裂弾だと 外板に20〜30センチの穴を開けるようなシロモノ 人に当たると胴体は千切れとび、頭に当たると簡単に消し飛ぶ存在なのな その意味においては12.7mmの多銃装備は携行弾数も 考慮するなら理にかなってたと言えるかも知れんな 零戦も12.7mm四丁、又は6丁だったら良かったかも知れんな >>387 戦犯として処刑されるに決まってるがな・・・ どんな無理くりな理屈を付けてでもそうする >>389 12.7mm4丁は二単や飛燕がやってて 火力不足と言うことになった 米四発重爆に歯が立たない 両翼20mmはそのままに、機首の7.7mmの片っぽを 陸軍のホ103にするのがベストだったと思う。 52乙の3式13mmはコックピットにはみ出してきて操縦の邪魔になるしね >>385 ただゼロ戦の機体は頑丈だったと思う 胴体に荷重をかけても壊れなかった ヒネリ込み含むスリップなどの機動は 胴体に横荷重がとてもかかるし、ゼロ戦の尾翼面積も大きい むしろ末期の機体である紫電改がスリップ中に胴体が割れて墜落している ゼロ戦は開発中に加速度のデータをとって翼の強度を審査したらしいが 直接関係はないとはいえ、強度という物に無神経な機体ではない 荷重のかかる部分を見極めて設計しているのだろう そんなことより、鹿屋にある大戦の生き残りの二式大艇を見に行こうず
>>388 で、f4fはその時点で1200馬力のエンジンを積んでいたので、設計時から頑丈に作る余裕があったということだよ 同型バリエーションで本家のf4fより多数配備されたFM2に至っては1350馬力 航空機である以上、搭載エンジンの出力は大きな制約条件であり、単純に「日帝はパイロットの人命軽視の精神主義で装甲ケチった」というのはいささか短絡的で、結論ありきと言わざるを得ないよ >>391 そもそも陸海で銃が別々というのもなんともなあ 今だから言える後知恵でしかないのは承知なんだが、当時も誰か統一採用の話は持ち出さなかったんだろうか? >>389 穴が開くというのはあくまで 射撃開始距離距離200〜100m 正面からの射撃の想定だからね 距離が遠かったり、斜め方向から弾丸が当たった場合は アメリカ軍基準の防弾でも大きな効果はあっただろう >>391 13o銃がはみ出しても戦闘中の操縦には問題ないよ その辺の空間を触れないから 離発着の問題も特に指摘は無いから 無駄に広い空間を活用しただけじゃないか >>395 それは現代人の感覚であって 海軍の機銃は海軍向けに生産するので精一杯なんだから リソース共用したほうが不効率なんだろう 陸軍の工場を使うなら陸軍の設計でも問題はない むしろ陸軍の銃でさえ互換性が無い場合もあった 設計図や部品の統一を図る(ライセンス生産)はタイムロスが非常に多く 時間の勝負なら各工場に好きに作らせた方が速い また陸軍もアホじゃないから、順次統一図面に替えていっている >>395 陸軍の12.7mmでは四発重爆に歯が立たないと判明した時に 海軍の20mm(99式1号?)を融通して貰おうと言う検討はあって 海軍の需要分を満たすのが限界と言う事で流れたと言うのは見たことあるな まぁ例によってネットの書き込みからなので 何処まで本当かは分からんけどね >>394 だからゼロ戦と初遭遇したF4F-3や イギリス軍初期のマートレットには防弾は無いんだって パワーとか頑丈さとか関係ないよ >>389 親戚のおじいさんが子供時代戦闘機の機銃を足に受けたけど普通に歩いてるで ちなみに一緒に射た友達はなくなったらしい >>396 あの突き出した銃底が、不時着時に パイロットの肩を砕きそうなのも嫌だ・・・ >>365 天皇が、ソロモンの消耗戦のとき、どんどん送り込めって 煽ったからね。軍幹部呼びつけて色々言ってたのが悪い。 >>398 ホ5機銃など陸軍同士ですら図面を統一せずに 数を揃えることを優先しているから ライセンス生産はもう論外だろう 海軍から完成品直接買い付ける場合は可能性あるけど 実際、飛燕はドイツからマウザー20o銃の提供とかを受けてるね >>401 バンドに固定されてるならそこまで体が届かない バンドが切れてるなら、機外に放り出されるようなもっと深刻な事態になるだろう >>397 なるほどね、図面出されてハイそのとおりに、とはいかん所がネックなんだな 今で言えばトヨタの工場に明日からいきなりホンダ車つくれよ、みたいなもんかなw アメリカみたいに何でもかんでもM2積んで、とはいかんわけね >>403 あんな舶来の高級品、予備の部品も限られてそうなのに整備とかドキドキもんだったろうね 壊したら上司にぶん殴られそうだw ホ5は当初予定通りの品質を保持できてれば 軽量 高初速 高発射速度 同調可能 装弾マシマシ 良くジャムると言う、 ソ連23mmと比肩できるレベルの傑作銃になれるはずが 事故や設計変更や材質劣化のゴタゴタの果てにビミョーな性能に収まってしまったのが残念
ホ5は名作 warthunderでも日本機の銃砲の中では圧倒的に優れている 最強の一角であるドイツのMG151に劣らないし ブローニングM2よりも優れている ていうかホ103(12.7mm機銃)がブローニングM2の日本版 イスパノは論外
>>406 壊すのも嫌だろうけど弾丸の規格が合わないから 焼け石に水というか、戦争中でなければただの実験だったろうね >>407 なんかスペックだけ見ると、ソ連の航空機銃って高性能に見える 実際のとこはわかんないけど >>399 一般的に頑丈さは大事だろ。ボロボロになっても空母や基地に 帰り着いた写真や動画よく見るが。パイロットは助かり、機体は廃棄。 >>410 あれはオーパーツの一つだからな・・・ 常に暖めておかないと動作がおかしくなるので 機首装備にするしかないと言うくらいしか 弱点がない >>413 なるほど、だからいちいち機種装備なんすね 単に翼桁の都合とかなんかかと思ってた >>405 そのアメリカですら戦闘機用では可能ならM2を外して もっと戦闘機に適した銃に置き換えたかったらしい M2を6つ積むということは機関部も6つ積むわけで戦闘機の翼設計に 制約が生まれてしまう ただ試作から実装までに時間がかかるわけで 戦争の大量生産に割り込むことができなかったようだ 傑作機P-51なども、M2を主翼に6つ収めるために 主翼構造を何度も変更して、どうしても無理な場合は4つで妥協することもあった 20oなら4つでも充分な火力があった >>412 そしてパイロットは経験を得て、貴重な実戦の知見が積まれていく、と >>414 戦略があるということは出口があること 負けたとき負けたと言って、敗戦処理に移るのも戦略 それができなかったから戦略が無いと言われる >>412-418 アメリカ軍がパイロット失わないという前提がおかしい 補充が間に合ってるだけでF4Fのパイロットも普通に消耗している 脅威なのは実戦経験ではなく、戦場の他で訓練を積んでいることだ ネズミ講やってた詐欺師だよな 大昔の人って格闘家とかでも大風呂敷を広げるホラ吹き野郎多かったよな まあそういう話上手い奴の方が商売上手いんだけど
>>419 通り魔に襲われて袋小路に追い込まれた時の出口戦略はいかに? もしくは、スキピオを城外に迎えたカルタゴ市民の出口戦略は? 平時の経済活動や処世術でクレバーに割り切れない、とりあえずこうするしか無い的な、異常の時というのはあると思いますよ >>393 見に行ったけど、想像以上に横幅が狭かったw マンボウみたい。 よく底に水がたまったみたいね。 >>422 いやまあ、そういうの、時代だよね オヤジ世代がセールスを「死んだ魚を口上によって生きたように売る」とたとえていたが、現代においてその姿勢は一歩間違えば禍根になりうる >>423 第一次大戦で輸送力が拡大して以降の戦略であって 古代人には適合できないんじゃないか 戦場は不確実性が多いから、逃げ場がない時点で戦ってはいけない 戦う場合は負け方をよく考える という事しか言えないだろう F6Fと零戦52丙を比較したときの日本海軍の所見 「防御力は同等、攻撃力で劣る」 零戦52丙の防御力に対する意外なまでの自信と F6Fの攻撃力に対する評価の高さが伺える ちなみに52丙の3門の13mm銃はほぼブローニングM2のコピーなので ブローニングM2×3門 > 2号銃×2門 と見ていたことが分かる
>>425 今の時代に角川春樹みたいな山師は流行らないだろうな あの時代には合ってたんだろうけど >>351 アクタンゼロをテスト中、機首を突っ込んだら一瞬エンスト することを発見した米軍はそのことを全軍にリポートしたが それを真に受けたパイロット達は酷い目に遭うことになった らしい。 >>379 フレームが歪んだらサスがまともに機能しなくなるのに? >>421 パイロットを救う態勢ができているってのはうらやましい。相模湾でも 潜水艦が出かけて行って米軍パイロットを助けている。日本軍も 2式大廷で救いにいったことあるけど撃墜されてた。行ってくれたことだけでも 他の日本軍パイロットは喜んだとさ。死ぬのがあたりまえの日本軍 パイロット。なお大戦全体を通じてらゼロ戦とF4は7対1のキルレート。 ゼロ戦が強かったのは大戦初期のみ。 >>430 それアメリカ発表のキルレシオだから全然信用できんぞ・・・ 末期だと爆戦や特攻機も含まれるようになるしね F4Fは最後までゼロには勝てなかった だからサッチウィーブをやったわけだ サッチウィーブ知らないやつがキルレートとかウソ言ってんだよな サッチウィーブは、2機以上が1組で動き、 ある一機の後ろを取らせてから、別の一機がゼロを落とす 「機動で勝った」わけではない F4Fは最後の最後まで零戦には勝てなかったし、 また零戦の代替機にも勝てなかった
ものも知らねえ歴史捏造主義の朝鮮人が必ずキルレートとか捏造すんだよ F4Fが日本機に機動で勝ったことは一度もない ところが歴史捏造主義者は、機動性まで勝っていたなどと恥を晒す
>>430 日本軍も潜水艦で救助しているよ 陸上基地からの攻撃は不時着する地点も決めていたから キルレシオは味方戦果報告=敵を撃ち落とした数ではないので 損害数を比較すればどんなに悪くても2対1を超えないと思う 15対1と豪語した朝鮮戦争のF-86セイバーも 損失数としては2:1(敵が2機失われる間にF-86が一機失われる) といった数値になった。F-86が過剰報告しているが これは共同撃墜による重複や誤認の多さを物語っている >>431 それは否定はしないけど、日本軍の方もいろんな技能落ちていて 酷いだろ。煙はいて降下したら撃墜報告とか。 >>435 当時としては戦果報告から推察するしかないが 戦争が終ったら双方の損害を突き合わせて調べられるだろ 朝鮮戦争は陸上戦だったせいか、損害報告も調べられた 結果 戦果報告は15対1でF-86がMiG15に圧勝 その後の損害調査ては5対1まで縮まって 最終的には2対1くらいまで減ってしまった これは損害調査で戦果とは別だが どちらが実情に近いかは言うまでもないだろう ゼロ戦に関しては日本軍側が公式の資料を放棄しており 残存資料を集めての調査は特に行っていないようだが 戦果報告から実情を推測するのは過大でしかない 歴史捏造主義者は「大馬力だからF4Fの上昇力はゼロ以上」とか、これもまた恥ずかしい捏造したんだぜ F4Fは1300馬力で零戦1100馬力と大差はない またアメリカ海軍航空隊では「格闘するな」「上昇力はゼロのほうが上だから追うな」と徹底されていた これの何が大馬力で上昇力が上なのか
>>430 7対1の数字は日米それぞれの被撃墜数比較で出している。 ただF4だけとゼロ戦だけの戦いなんてそうないから絶対正しい とは言わんけど。 >>435 いや技能が如何に高くても戦果誤認は起こる い号作戦なんて、持ってるベテラン全部叩き込んであの過大報告だ 逆にアメリカ軍も倍以上の戦果を報告してて当たり前 梅本やヘンリー境田みたいに徹底的に両方の資料を付き合わせないと 実際の数字は見えてこない >>438 ダメじゃん・・・ F4Fが主戦を張ってたソロモン戦だと P-39やP-40、P-38なんかも出張ってるし 日本はほぼ零戦と少数の一式戦だけやぞ >>432 F4Fは、ゼロ戦を落としたけど、 >「機動で勝った」わけではない 哀れw >>438 被撃墜数とは ・行方不明は含まれない ・「地上撃破を含む」 それに被撃墜数は日本側の資料がほとんどないぞ 非公式資料や、のちに発見回収された分はあるが それでも断片的な比較しかできない >>442 捏造がバレりゃこんなもん 歴史捏造主義の朝鮮人w ちなみに大戦末期まで含むと爆戦や特攻機がキルレシオに含まれてしまう 実はF6Fの圧倒的なキルレシオもここで稼いでいる F4Uの報告キルレシオがF6Fに劣るのも、 特攻機が一番盛んだったとき空母への配備数が限定的だったためと 書いてる人もいたな
>>437 米軍は兵の命を大切にするから、少しでも危険な場合、 やめとけ、言う。それだけの話し。 >>446 少しでも危険なら戦争自体できないわけだが で? 零戦でバーチカルシザースが得意のがいて F4Fがゼロより早く失速するのでよく食われてたが いつものF4Fだと思って仕掛けたら よく似たF6Fで簡単に撃墜されたとか
>>443 その航空戦の被撃墜数は、お互い、出発して帰ってこなかった 機数で出していたな。たしか。行方不明なるのも能力の問題だから 含めていいんだよw >>446 在英戦略爆撃団B17クルー一同(ヽ''ω`)・・・ 対戦闘機なら雷電よりも零戦の方が良いとか 紫電は零戦よりも鈍重で対戦闘機戦に向いてないとか 横空に置かれた疾風がほぼ海軍の興味を引いてなかったりとか 九州での601空の善戦とか 実のところ大戦末期でもパイロットの零戦への信頼を伺わせる証言が散見される ちなみに第二次大戦最後の空戦は、 8月15日 ヨークタウンのF6F-5と302空の雷電・零戦の混成部隊の戦い 失われたのはF6F-5が4機、雷電2機、零戦2機 前日8月14日には帝国陸軍最後の空戦があって そこで失われたのはP-38が1機と疾風2機
>>449 おいおい、それだと本土防空戦で P-51はキルレシオでぼっこぼこに 負けたことになるんですがね・・・ 岩国基地に展開したF-22ラプターの発進映像(2021年4月軍事動画) VIDEO 岩国基地に一時展開した米空軍のF-22ラプターの出撃映像です。飛行隊はハワイのヒッカム基地に所属する第199飛行隊。展開中は在日米軍や航空自衛隊との統合訓練を実施し、米国インド太平洋コマンドの動的な展開能力を実証しました。 F6Fって日本海軍の航空隊にトドメ刺した存在なのに 戦後はあまり恐れられてないんだよな この辺からも戦争末期の資料がまともな形では残らなかったのが伺える P-51はナチスドイツがビビってる資料が残っていたり 日本空襲の護衛だったこともあってかヤバい機体というイメージが浸透していった
>>440 おなじく 三船敏郎版、小学生の時に映画館で見て、ディアゴスティーニでDVD化したのを改めて見た 昔のほうが硬派な感じがしていい。 >>434 ハワイ奇襲のとき、不時着ポイント決めておいて潜水艦が待っている、 という手はずだったのに、早々に潜水艦が引き上げてしまって、不時着 したパイロットは愕然として自決した?とか言う話しあったな。 >>448 九州の海軍の基地上空でキ100とF6Fの空戦があって F6Fを上昇で降り切るキ100に 海軍パイロットが感嘆したと言うエピソードがあったな ニューギニアでは救助に来たカタリナが 見つかってフルボッコになった話もあるね
>>447 普通の戦闘と比べてだよ。より安全に相手を撃ち落せるのなら そっちを選ぶ。 >>453 行方不明になって帰ってこなかったP51の数入れたら いくらになるの? >>452 日本国内では複製は限られているけど 河口湖自動車博物館で展示中の零戦には忠実に新造した部品も多いと言われている ほかは 21型、1機 1990年代、アメリカの零戦21型をダコタ・ブレイド社が引き受ける形で修復。飛行可能。 22型3機 1990年代財政難だったロシアが 少しでも工業製品を売ろうと残骸から22型を3機復元した エンジンは少し大きいR-1830で代用した これは今も飛行していると思う 32型、1機 2000年代にアメリカの復元会社が32型を1機復元した これは栄エンジンも稼働状態に修復されている 飛行可能らしいがまだ実現していない >>460 普通の戦闘とはなにかね? MI作戦でスプルーアンスは数機のF4Fを付けただけの攻撃隊を送り込み その大半を零戦に撃墜された 南雲は護衛無しで攻撃隊を送り込んだら撃墜されまくると恐れ 攻撃隊の発艦を送らせた 人命を重視したはどちらで、勝ったのはどっちかね? >>64 母ちゃん47の時の子だっけ 色々凄いよな >>461 P-51が日本で挙げた戦果と、失った機体(原因問わず)はほぼ同数らしいから 単純な戦果:損失なら、1:1に近い値だろうね 硫黄島から東京まで直線で1200qだから 最良の航法をとっても往復2400qなのでほとんど遭難したということになっているが P-51Dが燃料タンクを切り離さず 時速約370qほどで飛行した場合、3600q以上の航続性能を誇るが これは空戦を除外しているので燃料切れで遭難も多いだろう 空戦時の燃費は知らないが、一般的に3〜4倍に悪化する >>439 梅本は損失の比較にアメリカ側は地上損失を含め日本側は含めなかったり日本びいきだし ヘンリーは日本の機種誤認は認めずにカウントせず、アメリカの機種誤認は認めてカウントしてアメリカびいきだったり 眉唾もんで戦後の戦記作家も信用ならない >>419 で、批判だけして具体的にどうすればよかったかは言えないわけね 批判だけしてればいいとかチョロい評論家気取りだなw 戦争とか飛行機とか知らんけどアメリカの航空博物館でゼロ戦みてきた なんかかっこよかった
>>364 特攻機は事情が違う 行きたくなかったんだよ 嘘ついたのもいるだろうし、そうでなくても あらゆる現象がエンジン不調に思えて不時着とかするんだよ 随伴機のう方はそれほどでもなかったからな >>467 戦術であれば具体的な方法があるけど 戦略というのは国家を疲弊させないものなわけで 戦争を初めてしまったら後はなるべく国家への負担を軽減するとしか言えないよ >>380 あそこでドジ踏んで死にかけることがなかったら 坂井さんは多分ラバウルで戦死していたな 強かったが岩本さんのようにラバウルで生き残れるほどの腕は多分なかったからな >>458 世界の傑作機の三式戦飛燕・五式戦特集号に掲載された元日本陸軍パイロットの回想だと 五式戦の上昇力は力強いがF6Fとの空戦では僅かに五式戦が劣り追撃を諦めたと書かれてたよ まあ戦闘状況や機体コンディションや高度なんかで変わるから一概には優劣を語れないと思うけど >>382 てか後になって坂井降しが流行ったからな 飛行機も空戦のもほとんど知らないニワカの間でなW >>389 >零戦も12.7mm四丁、又は6丁だったら良かったかも知れんな 戦闘機だけが相手ならな >>470 それが戦略の欠如じゃねーのw 行き当たりばったりが戦略かよw >>465 すごく詳しいね。 乗って戦ったことあるの? 坂井三郎はおちょこちょい 普通、艦爆と戦闘機は見間違えないだろ
>>475 第一次大戦以降「大量の物資、人員を結集させられる」ため 仮に勝利できても損害の大きさに国家が耐えられないという事態が起きるようになった 勝てばいいという単純な話ではなくなった 不確実性を受け入れて、柔軟に対応する必要が生まれている フラーはそういう事をを繰り返しているから学ぶ方が賢くないと良くわからない リデルハートは単純に、人や物を失い続けると 国家が成り立たないといった感じで記述している >>476 P-51は説明書が昔ネット上にあった そのとき最大航続距離を計測した条件が記録されていた B型の場合はもっと巡行速度が低かった D型でやや高速になった理由はしらない 山本五十六からおれにつながる家系図は家にある だがどうもフリーハンドで書かれている線と おれの父親が昔からバレバレの嘘を平気でつく体質 ってのが気になるが
>>472 上昇力は出力と自重で決まるから空中性能が大した事ないエンジンにそれなりに重い機体のキ100じゃF6F相手でも分が悪い >>482 自重よりその時点の機体重量じゃないか 例えば同じ機体同士でも燃料少ない機体のほうが軽い分 上昇率は上がる 自重は減らせないから少ないほうが有利なのはそうだが 坂井三郎って山本五十六のことを嫌っていたと聞いているが
戦友からも自己プロデュースに優れてたみたいな評判やったな こいつかなり戦果盛ってるやろ
親父が56歳のときに出来た子だから五十六って名付けられたのは ちょっとかわいそう
坂井三郎って片目打ち抜かれながら帰還したんだろ。 それだけでもスゴイわ。
>>489 ドイツのルーデルに比べれば、まだまだだよ。 ゼロ戦のエンジン音というのは、なんだかしょぼいんだな。 当時はもっと高回転にまわせるエンジンなんて言うのは、作れなかったんだろうな。
>>491 水メタノール噴射を搭載してることと 最後まで軽武装で2型から重量増加が少ない 戦力としては4式戦、3式戦の穴埋め戦力的な使われ方をされたからじゃないかな ただ水メタノール噴射は低空では馬力が上がるものの 2速全開の高高度性能が1000mくらい下がるので 中高度向けの改造になっている ゼロ戦は上に書いたことの逆 水メタノール噴射は無く 武装の強化を繰り返して非常に重くなったうえに 最後まで海軍の主力戦闘機だった 雷電、月光、紫電、紫電改なども配備されているが数の上でゼロ戦が圧倒的に多い >>492 エンジンの回転数が高いと プロペラの振動がおきてしまう(プロペラ自身も振動していることによる共振)らしく またエンジン回転を減速ギアを介してプロペラに伝えるため ギア側の強度や設計もエンジン回転数が高いと難しくなったらしい 坂井三郎は視力を鍛えて昼間でも星が見えた 有りうるの? 上空だとあるのかな
>>495 ☆が見えたかは知らんが 坂井三郎はいろいろどんくさい サイダーの飲もうとしたら気圧が低いので吹きこぼれて風防がベタベタになっちまったとか 何か食わないと力が出ないからと海苔巻き食ったら気持ちが悪くなって吐いたとか スピンドル油で揚げたテンプラでひどい下痢したとか 颯爽たるエースのイメージとは程遠い >>492 航空機用レシプロエンジンはそもそも高回転させる必要性が無くてわざわざ最終ギアで減速させてるよ エンジンを高回転で回すと必然的にプロペラ回転数も上がるから角速度の関係でプロペラの先端ほど速くなる これが行き過ぎるとプロペラの先端が機体各部より先に音速に達して効率がガタ落ちする先端失速が起きてしまう だからある程度プロペラの回転もエンジンの回転もゆっくりと回した方が結果的に機体全体の速度が速くなるんだ しかしパワーが無いとプロペラの回転が空気抵抗に負けるから馬力が強いに越した事は無いけどね >>498 最速のプロペラ機ツポレフTU-95(ベア)は プロペラ側は毎分750回転しかないね ゼロ戦の半分以下の速度で回っている エンジンの方はターボプロップなので毎分8500回転とかゼロ戦(栄)の3倍 >>498 減速ギアを付けてるんだから プロペラの回転速度とは何も関係ないだろ エンジンだけの問題だ 発生馬力と耐久性の関係で決めてるんだよ >>495 見えてたんだろうな 坂井は大口はたたくがそのために 嘘をつかないといけないほどの能力無しではない マイナス一等星くらいになると 天文ファンのようにその位置がわかってる人間には 地上からでも確認できるようだし ハ25を100回上げてパワーアップを図ったけど過熱と振動が 甚だしくて中止されたくらいシビア。
坂井三郎が嘘つきのクズなのと、歴戦のパイロットなのは並列する事実
>>501 といってもマイナス1等の恒星はシリウスだけだけどな マイナス0等級だとカノープス、アークトゥールス、αケンタウリの3つが加わる カノープスは日本だと最高高度でも低空スレスレで昼間は絶対無理、αケンタウリは南天じゃないと見えないけど、ラバウルあたりならいずれも見えるな >>500 プロペラの回転数が低い場合でも エンジンの回転数が高いと、エンジンの発する振動と プロペラの固有の振動が共振してまともに飛行できなくなるようだよ エンジン側で振動を抑制する対策をF6Fなどは行っていたようだけど 日本はプロペラ側の剛性を上げてなんとか共振を制御していた状態だった >>502 ハ45、誉も日本陸海軍が使ってる範囲では 最大2900回転の制限をつけているね もともと高回転を想定しているからハ25、ハ115、栄よりは 高回転に耐えられたのだろうけど ちなみに坂井三郎さんも紫電改の運転手引きのようなものを作成されていて ブースト+250oだとか(毎分)2900回転とかの数字はそこでも登場する 学研が発刊している1000円くらいの日本の局地戦闘機というムック本に写しがあった 丸の方は疾風の運転制限について試作に関わった人の手記を載せていたけど まったく同じ数字が並んでいて、陸海ともに同じ条件でハ45、誉を動かしていた この酒井って英雄扱いされてるが、実際はアメリカ軍機を手当たり次第に攻撃してだけ 赤十字のマークの付いた徴用されたイギリス軍機撃ち落としたんじゃなかったけ?
>>503 坂井三郎のどこが嘘つきなんだ? 坂井は山本五十六をパイロットを虫けらのように消費させたバカだと言ったが 嘘ではなく事実じゃないか? 中川八洋『山本五十六の大罪』より “零戦の天才パイロット”坂井三郎も、“ 部下殺し”の残忍な山本五十六を告発している。 1942年の初期マレー作戦で、 台湾の台南海軍航空基地の「中攻」隊のうち、1機が 被弾して敵地に不時着し、マレー半島の現地人に保護されたあと救出された6名の搭乗員に 対して、「捕虜になった」と認定して、山本五十六は「5月上旬」と指定した「死刑」の “自爆”を命じた。 かくして、6名が乗る「中攻」1機は、ラバウル基地から東ニューギニアの ラエ基地に飛び、そこから敵の高角砲陣地にめがけて「自爆=自殺」した。 このように、山本五十六は、パイロットの命を“虫けら”としか考えなかった。 国家の財産である中型爆撃機1機など“ちり紙”としか考えなかった。
>>510 神立がそう言ってるのか?w 神立のほうが遥かに嘘つき野郎w >>509 引用するのが中川八洋ではな…(ーー;) エンジンの膨らみがカッコ悪い 日本人だけどムスタングの方が遥かにかっこいいと思う
坂井は海兵出身の士官パイロットを批判していたから そのあたりの軋轢もあったのかも知れない。
★山本五十六は捕虜となった搭乗員に自爆を強要 しかし、昭和十七年(1942年)5月の初めでした。 その搭乗員たちにもついに最後の断が下りました。 山本五十六長官によって、これを自爆させろという命令がまいりました。 その頃、私たちはポートモレスビーのアメリカ軍機と戦っておりましたが、 五月の初めに前進基地のニューギニアのラエという基地に、森玉部隊から 二機の九六陸攻が飛来いたしまして、一機は彼らが搭乗していました。 そして、もう一機には飛行長が乗っていて、彼らの最後を見届けるために やってきました。私たちはそんなばかなことはあるかと言ったけれども、 とても私たちの意見は通りません。 『知られざる坂井三郎』大空のサムライの戦後 【第一章】坂井三郎のラスト・メッセージ 日本外国特派員協会講演<1>(1992年6月15日)
>>395 以前ミリタリー雑誌か何かの記事で読んだ話だと 日本側がGHQに提出した戦前〜敗戦までの保有資源や日本の航空工場の生産量を元に計算したら 日本軍が陸海軍航空隊で使用する機体をもっと統一して生産していれば少なくともあと5,000機は余分に生産できたってのを見たな >>495 晴れた日の午後に地面に寝っ転がって頭をガッチリ固定して空の一点を凝視(坂井も実際にやっていた)すれば等級の低い(明るい)天体なら見えないことも無いらしい うろ覚えで悪いが昔は昼間に枯井戸の中に入って直上を通過する天体を観察する方法があったと言うから 100%あり得ないって話では無いと思う >>517 欲しい所に欲しい物資無いと意味ないと思う 部品の共通化も途上だし機雷で海運壊滅した段階で机上の試算かと >>514 ムスタングは出っ腹なのが好かん 単に美しさで言うならP-39こそ至高だろ >>514 感性は人それぞれだけどゼロ戦はかなりスマートで ムスタングの方がデブに見えてしまう そのデブ腹のせいで性能良いんだけど >>518 陸海共通というと難しいけど 三菱とか中島とか大半のメーカーは陸軍と海軍の両方の機体を製造してるからなあ 設計、製造リソースを工夫しても思ったほど改善しないかもしれない 末期の方は三菱にも紫電改を製造させようとして9機くらい完成しているが 川西からのライセンスに手間取って9機くらい完成して終戦してしまった あれもどうなのかなぁ ドイツがP-51のラジエータ配置を観察研究した上で 環状ラジエータの方が優れてるって結論出してるし
現在では射出座席のメーカーとして有名な英国のマーチンベイカー社が戦時中に試作した MB 5という戦闘機がP-51と同じラジエータ配置を採用した機体で非常に高性能だった事で知られる 44年5月の時点で最高速は実に時速740kmで最新のスピットファイアをも凌ぎテストパイロットも絶賛した これがP-51Dと側面のシルエットがそっくりで(但し機体構造は全く違いパクリではない)とても興味深い 結局のところ液冷エンジン戦闘機の理想型とはMB 5やP-51が正解だった気がするよ
一つ確実なのは 機首の環状ラジエターのほうが被弾に強い P-51方式は別途ラジエターを防弾しない限り被弾に弱いと思う まあ機首環状ラジエターも尾部にバランスウェイトとかを置かないといけない場合は 考えものだけど ドイツ軍で言えば、Bf109Eよりあと主翼にラジエター配置し続けている理由も バランスウェイトの増加をなるべく避けようとしたとも思える (デッドウェイトだから少ないほうが良いため)
>>524 被弾に強いんじゃなくて致命箇所が機首に集中してるってだけだろ 主翼ラジエーターは細かいこと言わなければ抵抗的に有利 P-51はクリーンな主翼が建前だったからあそこがベスト 坂井は本当に凄かった たった1機で米軍機50機を相手にして全機撃墜 アメリカから死神と恐れられた最強のパイロット
>>525 層流翼か 設計者の思惑通りの性能を発揮出来たのかな >>362 俺のことでのいっさいのつくりはなしやめろよ、大馬鹿 坂井三郎って敵国飛行船に乗ってた少女と目が合ったから見逃してやったとかホラ吹いてたよな
>>530 層流翼については素人ながらあれこれ漁ってみたがよく分からん 縮尺模型での錯覚とか実機での「効果」は滑らかな翼面のおかげだとかの否定的な話から その発展型の翼形が現代でも使われてるという肯定的話までいろいろ 元祖のNACAもいろいろ実験してたようだがこれぞ理論どおりの効果!てのはみたことがない(たぶん) >>533 理論的には優れてたものの層流翼はコンマ1mm単位での高い工作精度が必要で 性能をフルに発揮するには出撃の度の洗浄やワックスがけ等の手間も考えると実用的には疑問かなあ ドイツ辺りも例えばE・ハインケル博士とかは層流翼のメリットを熟知しながら採用には消極的だったし 日本でも独自研究したLB翼が紫電改に採用されたものの仕上げが悪く充分な性能を発揮したと言い難いですし >>525 頑強なエンジンが盾になるんだから 機首ラジエターは被弾にものすごく強いぞ 逆に主翼のラジエターなんかゼロ戦無防弾タンクを 笑えないくらい脆いよ 層流翼は結局理論通りの効果を出すには ずっと精密な整形が必要なので 米軍がやったのは壮大な空振りだった 日本のデコボコ翼が正解
>>533 >>534 ネットの情報では当時の金属製主翼では どんなに奇麗に仕上げても層流翼効果は無かったようだ 第二次大戦と今の航空機では翼断面形状は同じもののあるけど それを飛行機として組み立てる方法が違う 戦時中は主翼前縁まで小骨(リブ)が伸びている(画像検索で用意にみつかる) その部分にもリベットを打つ その上からパテ埋めしても無駄だったようだ。 今は少なくとも層流翼の効果を狙う場合は 前縁から翼全長の3割(翼弦30%)までは表面のリベット止めなどを行わない構造になっている ただ戦闘機ではないから許容荷重などが低く、素材も複合材ながら金属構造より強いとは言えない物が多い ようするに滑らかに成形しやすい素材ありきで層流翼を採用する。 戦時中もリベット打ちの少ない翼端では層流翼効果があったとNACAのレポートも言っている >>536 ただ機体を奇麗に仕上げたぶんアメリカ陸軍機などは 層流翼とは別に空気抵抗が減っていたようだ 日本海軍もなるべく艶あり塗装にして抵抗が増えないよう配慮したようだけど >>489 それも嘘だったことが当時の医療記録から判明してる 機銃で撃たれたのに傷跡ひとつ残ってなかったのもおかしいしな 坂井は嘘だらけのくせに左翼かぶれの説教してたから今だと一番嫌われるタイプだしネットが普及する前に死んで逃げ切ったのは幸運だった これだけ嘘まみれなのに当時のマスゴミに暴かれなかったのは坂井の支援グループがマスゴミ内にあったかららしい(零の会というらしい) アジ歴が公開されて戦闘詳報が誰でも読めるようになり、坂井三郎のウソが白日に晒されるようになった 実戦参加してたけど弱敵ばかりの時期だけでグラマン初戦やった後になぜか後送されてる
アジ歴ってもうちょっと読みやすく出来んのかね・・・
層流翼の翼形効果は別として、 内部容積を増やして搭載量を確保すると言う副次効果は本物 紫電改は両翼に20mm弾を900発も収納可能で 疾風の同240発を遥かに上回る
>>540 坂井の負傷は従軍カメラマンの吉田一が写真に 残しているし著書にも記しているけど? >>540 坂井氏が負傷時に着用してた血染めの飛行帽や三角巾と弾痕が残ったゴーグルは 米軍の博物館に寄贈され誰でも見学可能な状態で戦争の記念品として展示されてる それと坂井氏を負傷させた艦上爆撃機ドーントレスの後部銃座員は米軍側の戦闘記録から ハロルド・ジョーンズ氏という人物と判明し戦後になって坂井氏とジョーンズ氏は再会して 42年8月7日にガダルカナル上空で1機の零戦と8機のドーントレスが交戦した事が確認された >>545 その日坂井の零戦が機銃で攻撃されたのは事実で記録もありその写真もあるが、記録でも坂井は負傷はしておらず、負傷がわかるような写真も1枚もない(何枚も写真を撮っているにもかかわらず 吉田の証言も坂井が抱えられながら報告を行ったなど写真の様子と明らかに違うことを言ってて嘘をついている 坂井自身も証言がぶれていて負傷したはずの翌日に新任のパイロットを何事もなく歓迎していたことを戦後に話している 坂井とその取り巻きが負傷したと言ってるだけで客観的に負傷した記録はなく、逆に負傷していなかった記録が各所に残されている ◆日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた山本五十六ら海軍の戦争犯罪 ●海軍の目的は、陸軍の対ソ戦阻止、海軍の統帥権独立の維持 ●海軍の航空兵力の配備拡大、宣伝、予算消費の実績作りと予算獲得 ●アメリカを挑発し、アメリカ脅威論を宣伝し、対米戦兵力の正当化 @1934年、岡田首相は海軍と結託し条約継続の予備交渉で 戦艦と空母を全廃すべきだと無茶苦茶な提案をし、交渉を意図的に破綻させ 日本の軍縮条約から脱退を企てる。 山本五十六はその偽りの外交団の団長を務め、計画通りに交渉を破綻させた。 後に日本は条約脱退を通告。 岡田らこれを推進した勢力は利権勢力に与する君側の奸だとして 青年将校らに命を狙われるようになる A1937年、海軍軍縮条約から脱退。 同時に、対米戦争用の兵力を大幅に拡大するマル3計画、マル4計画を作成 航空機を主力とした機動部隊、地上航空隊の新規配備。 これらは海軍次官に就任した山本五十六が主導 岡田、鈴木貫太郎らが重臣として、宮中がこれを強力に後押し。 海軍の山本五十六独裁体制が始まる B1937年、日中全面戦争を勃発させるため大山事件の陰謀を企てる 大山中尉に自爆突入させ、海軍省記者クラブを使い、そのことを宣伝 それを口実に海軍は独断で中国空爆を強行(渡洋爆撃) 日本海軍は上海、南京等、都市に対する無差別爆撃を強行。 そのため日本は世界中から非難を浴びた ・ルーズベルト大統領による隔離演説 ・国際連盟による都市無差別爆撃に対する対日非難決議採択 ・国際連盟による、日本の不戦条約違反、9ヵ国条約違反、侵略戦争を非難する決議採択 ・9か国条約会議でも同様の決議。 国際社会は中国支援決定。対日経済制裁を是とする決議採択 連合艦隊へ移動した山本に代わり、井上成美が中国空爆を主導 海軍は重慶に対する、さらなる空爆強化の計画を主導。航空機を大幅に増強。 井上成美は「皇国の興廃この一戦にあり」と唱えて、 不法な大規模重慶無差別爆撃を強力に推進した
日中戦争は山本五十六ら海軍が謀略によって引き起こした戦争である https://www.bookbang.jp/review/article/30202 日本海軍の知られざる実像 [レビュアー] 山村杳樹(ライター) 一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。 この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。 近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。 当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。 本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」 の展開を跡づける。 更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という 「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。 著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり 、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。 実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二〜四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え 、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。 驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。 東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。 一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れている さらに坂井の当時の上官だった笹井中尉の手紙(坂井が負傷したと言っている日の後に書かれたもの)にも坂井が負傷しておらず もともと視力の悪いパイロットであることが書かれている ゴーグルだの飛行帽だのはいくらでも用意できるし、坂井は零戦が見つかるたびに自分の乗機と主張したり、笹井中尉の手紙をねつ造したり、そういった小細工をたくさんしている この人は自分をよく見せるために普通の嘘つきでもやらないような異常なまでの行動をやってる人だから
>>550 94年に坂井氏が負傷時に搭乗してたとされるラバウル航空隊所属の零戦21型「V-103号」の残骸が 飛行場近くの湿地帯で発見されこの機体が正面の遮風板を修理した形跡がある事が分かったそうだ これも坂井氏が著書で述べている通りで現在は古くからの「V-103号」が負傷時の搭乗機だった説が有力 ネズミ講で戦友を食い物にしたのもひどいが 列機を一人も死なせなかったと言って他の死なせたパイロットを批判するが、実際は坂井も列機を死なせていた 坂井が主張する負傷説を否定してしまう笹井中尉(故人)の手紙を改ざんし、坂井を大絶賛する内容にしてしまう 戦争末期に上官になる士官パイロットの押渕大尉(故人)とラバウルで面識があった感動のエピソードを語るも、押渕は坂井がラバウルを去った1年後の着任で面識は全くなかった こういった嘘は異常だし、故人への敬意が全くないし、普通ならやらないと思う こんなやつが野放しにされてたのも問題だし、サイコパスとしか思えない
>>551 自分の機体番号をV-103号と言い出したのはその機体が見つかってから 海軍では決まった番号の機体に乗るという風習がそもそもなかったんだが その機体自体が坂井の最後の戦闘以降に支給されたものだから搭乗した可能性がそもそもない >>535 ドイツが好きな環形ラジエーター知らんのね それとラジエーターが被弾しなくてもエンジン自体が撃たれまくりで無事に済むわけない 様々な補機やパイプなどの脆弱なものが取り巻いてる >>554 それ逆だよ 坂井氏は当初「V-103号」が自分の搭乗機であると言ってたよ それは「V-103号」発見のずっと以前からで 昭和40年代に発刊された零戦関係の児童書等のカバー絵やイラストでもしっかりV-103の機番が描かれてる それ以降色々な考証や坂井氏自身の発言から少なくとも「V107」「V128」「V138」ではなかったか?とも推測され それぞれ根拠が示されて一時期「V128」が最有力という流れもあったけどね >>550 坂井の後送のすぐ後に戦死した笹井が熾烈なガ島攻防のさなかに下士官を揶揄する手紙を書いてたとは知らなかったな そんな調子じゃ撃墜もされるわガッカリだ 環状ラジェータといえばFW190Dドーラだけど ドーラは空戦でほぼ勝ったことがないんだよね 他の要因はあるにせよ脆すぎる
>>557 坂井は視力0.8なのに俺より早く敵機に気づいてて凄いって内容だぞ >>558 嘘松スレの様相だな そんなに役立たずならTa152を押しのけて敗戦まで改良を続けるわけない >>556 その児童書のタイトルは? 高荷義之はその時期に坂井から泊まり込みで取材した結果としてV128をガダルカナル戦でのナンバーと紹介しているが 当然坂井はまだ存命だった