明治維新の立役者の一人、大久保利通(1830〜78)らの業績や人柄をしのぶ「大久保利通公並びに維新先覚者慰霊祭」が9日、大久保銅像の向かいにある鹿児島市加治屋町の広場であった。二つの市民有志グループが初めて開催し、約100人が参加した。
大久保の命日の5月14日を前に、昨年12月に発足した「大久保利通公顕彰会」(吉野正二郎会長)と、4年前に発足した「西南之役恩讐(おんしゅう)を越えての会」(原口泉会長)が呼びかけた。
大久保は西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新三傑」と称される。だが外交政策などをめぐって西郷と対立。西南戦争で西郷を敗死させたとして、鹿児島では圧倒的に人気がある西郷に比べて、存在感が薄い。
吉野会長はあいさつで、西南戦争で犠牲になった政府軍と薩軍を一緒に弔う慰霊碑が2017年に建立されたことや、昨年11月に大久保の生誕190年記念祭が開かれたことなどに言及。「恨みつらみを百何十年も持つというのはいいことではない」と訴え、来年以降も慰霊祭を続ける意向を示した。
…続きはソースで。
https://www.asahi.com/articles/ASP5G6RQMP5CTLTB00N.html
2021年5月15日 13時39分
前スレ
http://2chb.net/r/newsplus/1621131739/
★1が立った日時 2021/05/16(日) 11:22:19.48 岡田以蔵か大久保利通かと言われる悪人らしいな。(´・ω・`)
南無阿弥陀仏
(-_-;)y-~
紀尾井坂か、スク水に気を取られてて忘れてた。
その頃は新政府に不満たらたらだった島津久光はニヤニヤしながら見ていたそうですな?
どう考えても西郷の方が無理筋
なんで西郷に肩入れしてるような奴がでかいツラしてんの
西郷隆盛って不安を煽るために強盗させてたってマジ?
(-_-;)y-~
原口さあ。お元気そうで。
実物に会ったことないけど。
何つうかな、薩摩人のそういう薩摩のみファーストみたいな所で西郷も大久保も苦労したと思う
明らかに明治入ってからも、鹿児島だけ特別扱いなんだもんw やりづらいよ。
しかしなんで西郷南洲は叛徒となったかねえ
これがさっぱりわからないんだけどね。
明治六年の下野はわからんでもないけど
(とはいえ征韓論はウリが親韓左派だからってわけじゃなくても滅茶苦茶だ)
別に叛乱起こすことはないじゃないかと思うけどねえ。
結局あの日本国最大最後の内戦において何がしたかったんですか、あれは。
まあ往時頻発した西国の明治の士族反乱がそういうもんだけどさ。
そして叛徒の首魁でありながら、あれは明治帝の強い希望があったんだろうけど
異例なほど速いスピードで赦免され、今なお遺徳を慕う人士も多いし
まあ似る似ないの論争はあるとはいえ上野の山で顕彰されているわけでね。
いやそれにしても一将功なりて万骨枯るというべきか
ほんとあの戦争って、なんだったんですか?
ところで>18を書いていてふと思ったけど
上野の山に西郷像を配置するって
やっぱり風水的になんかあるんですかね。
言うまでもなく上野は帝都東京宮城の丑寅鬼門である。
まあ皇居そのものが将門公首塚と大楠公像という
東西両朝敵のヤンキーパワーで霊的に守護されていることは有名。
で、あれば大楠公が一時朝敵だったように朝敵とされた西郷像が
あの位置にあることも意味があるのかね?
少なくとも幕末に上野の山に依って殉じた彰義隊とか
おそらくは錦旗官軍に手向かった幕兵の無念の魂に対しては
東征大都督参謀としてにらみをきかす効果はあったかしらないが。
(まあ西郷像のすぐ近場に彰義隊慰霊碑はあるけれど。
揮毫は山岡鉄舟の筆に依るんだっけかな)
西郷隆盛は、大久保利通が不遇のときに沢山、助けた それを仇で返した 絶対、許さない
>>18
時代についていけない連中に、死に場所を与えてあげたのよ。
惨めに生きるより、鮮やかに死ぬことを選びたい奴、
中江兆民の言う馬革主義に染まった連中、
本島ならただの敗残者にしかなれない連中が
西郷のおかげで、それなりの大義名分と共に死んで行けたのさ… 日本史上三大嫌われ者
源頼朝 徳川家康 大久保利通
いまさら抜刀隊が活躍ってのがよくわからないよな。鉄砲が強いだろ、なんで鉄砲で決着つけられないんだよ。
西郷さんは、あのまま坊主と一緒に入水自殺しておけば平和だったかもしれない。
平野国臣に助けられたけど、あのまま海に沈めておけばな
>>18
単純に憲法発布に伴う恩赦だよ
西郷個人だけでなく板垣暗殺未遂事件の犯人など多くの人間が対象になった 渋沢栄一
『維新の鴻業を大成するに与つて力のあつた元勲は、孰れもみな富を求めて立働いたのでは無い。西郷卿にしても、大久保卿にしても、木戸卿にしても、悉く国家の興隆を念として之が為に奔走せられたものだ。
ただ、初め尊王攘夷を目標として起たれたのが、時勢に鑑みて尊王開国に其目標を変改せられたのみである。
私の如き志士の末班を汚すに過ぎなかつた者ですら、国家の利益を思うて国事に奔走したものだ。
維新の鴻業が彼の如く円満に遂行せられ、当時多少の動揺が国内にあつたにしても、昨今の露西亜に見る如き惨状を呈する事も無く、日本が能く今日あるを致したのは、固より国体の良い為でもあるが、維新の事業に当つた人々に私の心無く、改革によつて一身の富貴利達を計らんとせず、一に国家の前途を思ふ念が先に立つたからである。
明治維新の先達になつた元勲に、若し一身を富まさんとする如き私心があつたならば、維新の鴻業も彼の如く容易に遂げ得られなかつたらう。』
>>25
政府軍が火力に勝ってるんで薩摩側が奇襲抜刀作戦に出たら、召集兵は農民とかも多いから
ビビッて効果あったんじゃなかったかな。その対抗策として、政府軍も旧士族の警察官などから
抜刀隊を編成して巻き返した >>8
知らんな
寺田屋事件で大山巌、薩英戦争でも大山巌や黒田清隆に野津道貫でさえスイカ売りで名前が出てるが
戊辰戦争ですら大久保のおの字も聞いたことない 大久保利通がアベのせいで死んだのかよ!
オリンピックは中止決定だな
案外、西郷は勝てると思ってたんじゃないの
熊本の鎮台兵に、出迎えて自分の下知を受けよなんて正気の沙汰じゃない
あれが無ければ熊本城の天守閣は今でも残ってたかも知れない
谷干城はよく耐えたよ
>>25
昭和になっても銃剣術を教えていた
帝国陸軍への当てこすりですかな? (´・ω・`) >>12 くんのネタだが西郷南洲は大政奉還後になあなあのまま
勢力を維持しようと試みる幕府…ってか徳川家を挑発して戦闘に持ち込み
完膚なきまで叩いて武力討幕をしようと考えたみたいだね。
そのために浪士なぞを焚きつけて江戸の市中の秩序紊乱を
指示していたとは一説には言われるねえ。倒幕の密勅は得ているわけで。
まあなんせ当時尊攘浪士を中心に諸藩に暴れ者の"志士"はいくらでもいるわけでね
薩摩のケツモチつきの乱暴狼藉自由自在とくればそれは全国から目を吊り上げた
志士だか与太者かわからない有象無象が江戸に集まってくるよね。
百鬼夜行のDQN大行進だ。なんつってもなんでもありのメイヘムなんだから。
それで志士という名のDQNの大暴れという法を法とも思わない
挑発に応じて激おこしたのが徳川将軍家が大政奉還したとはいえ
江戸の市中警備の任に当たっていた出羽庄内酒井家ほかの一団で
芝の薩摩藩邸に切り込んだなんてこともありましたな。
塚原渋柿園の幕末生活の手記はこのエピソードからはじまるんじゃなかったかな。
で、そっから旧幕は薩摩討伐に路線をうつし
…ってその後の歴史は皆さんご承知の通り。
まあクリーンハンドじゃ天下は取れないんですな。
ちなみにこの江戸の騒擾にかかわった相楽"赤報隊"総三の
偽官軍としての最期もまた皆さんご存じの通り。 >>31
それは物を知らなすぎる
大久保は老中と直接やり取りするポジションだった >>39
韓国人みたいな発想だな
明治維新がなければバラ色の未来があったとでも? >>30
新撰組の斎藤一が鬼神の働きをしたと当時の新聞にも載ってる
抜刀隊は旧佐幕側の藩士が多かったから戊辰戦争の敵討ちに燃えてたという 渋沢栄一
『慶喜公恭順の態度
徳川慶喜公が、伏見鳥羽で幕府が官軍を敵にして戦つてる最中に大阪から軍艦で江戸へ御廻りになり、上野の山内へ籠つて恭順の意を表せられたのは実に突然のことで、幕軍の者どもも、之には驚かされたのであるが、慶喜公は其際自身のとつた態度に就て、その理由をクドクドと説明せらるるやうな事をせられなかつたのである。
為に幕軍の者共は公の御意を解する事ができず、其後もいろいろと穏かならぬ挙動に出でたのであるが、あの際に慶喜公が恭順の態度を取られるに至つた事に就ての真意を、一般幕軍の者共へ御語りにならなかつたのは
当時幕軍の者共へ御真意を御話しになつても到底諒解せられず、誤解を招くばかりだと思はれたのにも因るだらうが、必ずしも中人以下には以て上を語るべからずとせられた為では無からうと思ふのである。
慶喜公は一種変つた心持を持つて居られたお方で、自分で自分を守る処をチヤンと守つて居りさへすれば、世間が何んと謂はうが、他人が何と非難をしようが、そんな事には一向頓着せられなかつたものである。
之が、恭順の真意を幕軍の者共へ打ち明けて御話しにならず、突然大阪から船で江戸へ廻られ、上野に籠つて恭順の意を表せらるるに至つた所以であるだらうと思ふ。
慶喜公は、世間が如何に誤解しても、知る人は知つてくれるからといふ態度に出られる方であつたのである。』
>>33
西郷は帝国陸軍大将だから、自分の下知を受けて熊本城は開城すると本気で信じてたみたいやね。
西郷は反乱と言うよりは、幕末によくあった藩兵をひきつれて京に上奏しに行くのを
ガチで明治時代にやろうとしてたみたい。 >>41
抜刀隊に佐幕派の藩兵もいたにはいたが極わずか。
主力はほぼ旧薩摩藩兵だよ。
原の書いた記事で誤認されてるだけ。 >>23 くんからレスを貰ったんでなんか書こうかと思ったが
中江兆民なんて単語が出て来たんで久しぶりに宣伝するが、
岩波文庫が手に入りやすくて現代文が読みやすいのかなあ。
中江兆民先生の『三酔人経綸問答』、明治20年の著作ですが
これね、2ちょんねるのある程度ディープな+民、
ってかネットでウヨサヨ語るのが好きな床屋政談家諸君は
全員読むべきだと思います。あんまりここまで褒めないけど。
何が書いてあるかっていうと三人の酔っぱらい。
主人公の南海先生の前に、理想主義者のイシキタカイ「洋楽紳士」くんと
現実主義者のバンカラな「東洋豪傑」くんが論じ合うって体裁なんだけど。
これねえ、平和主義者のパヨクと好戦主義者のネトウヨ、
まさにそのものが、本当にガチでパヨクとネトウヨの論争になってるから。
つまりねえ、我々2ちょんねらが毎日ネットの掲示板でやってる政論
これはね、昔の日本人もやってたんだよ。繰り返すが明治20年の本だからねこれ。
出羽守とかお花畑平和主義者とか、そう思うようなこと言って突っ込まれてるしねえ。
いやあ、これはね、機会があればねらー諸君も今一度注目すべきだ。
本当に、本当にね、パヨクとネトウヨだからw 変わらないんだよ、そういうのwww
そして南海先生が最後そうなったように、
親韓左派のウリは誰もがいなくなった後も
いつだって一人で酒を飲んでいるってわけさ。
(あの寂しいラストがなんともいえず、いいw) 攘夷で外人ヤるどころか日本人にコロされた犬畜生が一蔵
愛国者で、大きな功績を残した偉人かもしれないが、
江藤新平に対する扱いを知ってから、一人の人間としては尊敬できない
>>25
機関銃じゃあるまいし迫ってくる敵の部隊を小銃の射撃だけで全員なぎ倒すなど不可能だよ 江藤・前原・西郷
皆甘えがあったのだろうな
榎本以下蝦夷共和国の幹部ですら処刑されなかったのだから、自分たちが処刑されるはずがないと
江藤に対する仕打ちには人間の澱のようなものを感じる
大久保さん、明治以降はかなり良い仕事してるんだけどなぁ。
死に方は悲惨だよね…切り刻まれて、ほぼバラバラ死体だからな。
>>27
いや、憲法発布の西郷赦免ってそれは憲法でんでんは口実であってだねw
あれだけの大戦争をやらかした首魁でありながら
たかが乱後12年で許されるってことはないわけですよ。
まあついでにね、当時の恩赦って天皇大権ですからね。
とはいえそんな文字通り一存でできるものではないが、
強い陛下の意向とそれを了解する当時の政界のふいんきは
あったんだろうね。維新の興業者だし魅力も相当だったろうからなあ。
それこそ勝海舟の心酔的な評語ではないがね。
その証左ってわけじゃないが西郷挙兵で同じく官位を褫奪され
朝敵視されたり戦死刑死した志士はいくらでもおったろうが
どうだい? 赦免されたかえ? 他の士族反乱の首魁については?
佐賀の乱とか萩の乱とか神風連とか秋月の乱とかいろいろあったもんだけどさ。
(まあもちろん大抵の士族反乱の首魁はのちに赦免されてはいるが、
ここまで早かったかな? 佐賀の乱の江藤司法卿は同時期に赦免か。
やはり顔見知りの元勲は強いよなw やっぱ人間関係だわwww) >遊んでないでパレスチナいってこいよ朝日新聞
隙あらば改憲して戦争荒稼ぎしたくてたまらない、民主共産ストーカーの安倍チョン、ネトウヨいまだに「ミンスガーキョウサンガーヤトウガー!!!」
朝日ガーネトウヨは(南北朝鮮)統一教会二世信者ユナイト!
朝日新聞阪神支局襲撃テロリスト「赤報隊」散弾銃薬莢付犯行声明文
「とういつきょうかいのわるくちいうやつはみなごろしだ」
安倍チョンマンセーするヘイトネトウヨは在日統一教会合同結婚式ベビー二世信者ユナイト!幕末以来英米の犬、売国奴長州「攘夷志士()」田布施システム政権の忠犬!
戦前戦中「蟹工船」小林多喜二らを拉致監禁拷問死させた、罪の無い日本人苦しめた特高警察作ったのは傀儡満州国アヘン利権独占したA級戦犯「満州国は我が作品!」命乞いにCIAスパイに成り下がり岸信介、満州国非難にキレて国連脱退ヒトラームッソリーニと日独伊三国同盟結んだA級戦犯松岡洋右ら長州田布施閥の「赤狩り安倍」!悪徳長州田布施政権!
嫌われ者統一教会自民党候補が何故か勝つカラクリ
【 #安倍と壺と統一教会 】#安倍 が応援、自民候補 #北村経夫 (山口県田布施出身)の演説会→「統一教会」信者殺到し応援★2
安倍首相肝いりの候補、北村経夫参議院議員の演説会に統一教会信者が大量動員
参院選の折り返しとなった12日、埼玉県で開かれた北村経夫候補(全国比例・自民党)の演説会に統一教会(家庭連合)の信者が集結、演説会自体も同教団の政治団体関係者によって取り仕切られていたことが判った。
必死で安倍擁護野党をガセで攻撃する気持ち悪い奴等の穢いツラをご覧下さい。
統一協会の文鮮明(左)と岸信介
>>53
川路が、加賀者に何が出来るかて警護付けなかったんだよな >>54
当時の政府が緩いだけ
榎本なんて出獄の2か月後には役人になり、出獄の2年後には駐露大使 渋沢栄一
『 西郷、江藤、大久保諸公
明治維新の諸豪傑の中で、仁に過ぎて其結果、過失に陥るまでの傾向があつた御人は誰かと申すに、西郷隆盛公なぞが即ち其人であらうかと思はれるのである。
明治十年の乱が起つた事なぞも、畢竟、西郷公が部下のもの共に対せられて、余りに仁に過ぎたるの致す所であると申さねばならぬ。
西郷公は、飽くまで他人に対するに仁を以てせられた方で、遂に一身をも同志の仲間に犠牲として与へられたので、遂に彼の十年の乱を見る始末となつたのである。
木戸孝允公なぞも、仁の方に傾かれた人であるから、木戸公に若し過失があつたとすれば、それは矢張、仁に過ぎるより来たものである。
江藤新平さんは、西郷公や木戸公とは全然反対の傾向を持たれた人で、これは又忍に過ぐる方であつたのである。
江藤さんは他人に接すれば、何よりも先きに、まづ其人の邪悪な点を看破するに力められ、人の長所を見ることなぞは之を後廻しにせられたものである。
仁に過ぎるのと忍に過ぎるとの孰れが可いかと申すに、忍に過ぎて過失をする人よりも、仁に過ぎて過失をする人の方が無論よろしからうと思ふのである。
孔夫子が論語に於て特に「人の過や各其党に於てす、過を観て斯に仁を知る」と仰せられた所以も、この意を叙べられたるに外ならぬもので、人は仮令過失を致しても、その過失が仁に過ぎたるより起つた質のものであらねばならぬと教へられたものであらうかと存ずるのである。
大久保公は、西郷公と江藤さんの中間にあつた人で、仁に過ぎず忍に過ぎず、仁半、忍半といふ如き傾向の方であつたのだが、孰らかと申せば、仁よりも寧ろ忍に近い方で、仁四忍六の塩梅であつたかの如くに思はれる。
仁五忍五であつたと申上げたいが、什?も私は爾う申上げかねるやうに思ふのである。』
>>57
出獄の7年後には外務次官、その3か月後には海軍大臣(卿) 渋沢栄一の論説、面白いね。
なんか、今風に言うと市場コンセンサスの
真ん中を行ってる感じで、経済人らしい。
>逆にだよ。
>安倍も小泉ジュニアも、慶應に行かせようとしたら、簡単なわけだ。
>そういう大学なんだから。
>でも、安倍は吉祥寺の庶民のお坊ちゃまお嬢様大学だろ。
>小泉の子も、どこだっけ、わからん大学。
>なんか、そこに逆にえらい家系の思想がある気がする。
いや、あのアホの子晋三とポエム進次郎が
慶應幼稚舎のお受験突破出来た筈がない、幾ら大金積もうがw
宿題やったやった詐欺のオオカミ少年晋三を甘やかし倒した岸信介の長女「ゴッドマザー洋子」ママは、宿題やったとウソつき続ける晋三を叱らず
カネで雇われ逆らえないお手伝いさんに深夜まで、晋三の汚い字をマネさせる為に左手で書かせ宿題をやらせ、先生を騙し続けてウソツキバカに晋三を育てますたw
だから日本語すら苦手なバカ晋三は、ウソで国民を騙して平気だし
明らかな犯罪の公文書改竄ですら逆らえない官僚たちにやらせますた
そして官僚たちが自殺しようが、全く良心すら痛まず高級ステーキ焼肉寿司フレンチ会食三昧、明らかな仮病でトンズラしたのに
また菅引きずり下ろして返り咲こうとアップ始めますたw
大久保はもう少し長生きしてれば、初代総理にほぼ確実になれたのに残念だったね
>>31
鳥羽伏見の戦い初日の御前会議で、徳川征討が議決されたのは大久保利通の働きによるものなんだが。 >>59
>>>57
>出獄の7年後には外務次官、その3か月後には海軍大臣(卿)
政府が緩いんじゃなく、攘夷天誅や戊辰戦争で殺しすぎて優秀な人材が枯渇してたのと
何ヶ国語も話せて船動かせるだけでなく榎本武揚がずば抜けて優秀だったのと
その才能を買った敵の大将薩摩黒田清隆が引き上げたから 有村さああああああああああああああ!
きゃあああああああああああ!
(-人-;)
生麦事件、凄いよなぁ。神大河。
(-_-;)y-~
俊斎あああああい!
でした、確認した。
(-_-;)y-~
橋の所にある銅像やろ、あってるで。
お習字室から、T郷先輩ハアハアしてたんやろ。
>>51
近代的司法制度を整備した江藤には甘えがあったかもしれんが、
その江藤がさらし首になったことを知っている前原や西郷に、
甘えなどあっただろうか…? >>65
あれは本当にハマり役だったな
西田敏行の西郷さんも良かった 維新の英傑は、みんな維新の前後にテロや反乱起こして自滅しちゃうが、最後に残ったのはあらくれものの伊藤や山県たちだった。革命的といわれるゆえんだろう。
>黒田清隆の弱腰外交で樺太を失ったのがな。
は???????
それに
安倍晋三の媚びまくりバラマキ接待外交で
北方領土に日本人の血税3000億円失いましたが
(-_-;)y-~
うちは百姓なんで…
士族の争いにどうこう言えないです、はい。
>>78
平時の才と乱世の才は別物だからねえ。
適材適所で時代の役割を演じたのかも。 西郷の最期ってどんなんだったんや
あ、洒落じゃないよ
>>30
>>34
そうなると官軍と列藩同盟軍との戦いでは同盟軍が勝ててもよかったと思うんだよ。
旧式とはいえ皆鉄砲持っていたわけで。侍だから当然剣術は遣える。でも官軍の4倍くらいあった戦いでも負かされてるし。色々要因はあるんだろうけど。 (-_-;)y-~
T郷先輩ハアハアは弟くんを鍛えるためだった!
と言いたいが、本当にそう思っていたかどうか忘れたw
>>18
士族が中途半端にイキってたら、確実にテロリスト集団になってた
フセインが死んでも、残党がISになっただろ、日本も似た状態になってた可能性があった
西郷は全員リストラかつ名誉ある死を選ばせて、自分も責任を取って自決
こうしないと江戸時代を終わらせることが出来なかった >>84
先ず西南戦争で、なんで田原坂が激戦地だったか?
熊本まで重装備を搬入する陸上経路は唯一そこで、尚且つ細い峠道という隘路。
ベトナム戦争と同じく近接戦闘に適した地形だったから。
銃砲は山影でかわせるし樹木が遮る。
あくまでも地形に合わせたヒット&アウェーのゲリラ戦術。 小松帯刀が早逝しなかったら大久保も西郷もそこまで有名にならなかったと思う。桂と並ぶのは西郷大久保ではなく小松だ
>>84
奥羽越列藩同盟と、鳥羽伏見の旧幕府軍は敗因が一緒。
近代戦における野砲運用で戦術的失態を招いたから。 >>58
大久保利通没20年忌に 勝海舟が追悼した和歌
夢なれや つるきのたわみとりしはり あらそひしさへ なつかしき哉 >>84
実際、長岡ではけちょんけちょんに負けてるからな。
最後は物量で押し切ったが。
白河は連合軍なのが仇になって統率がとれなかったのと
攻城戦に拘り過ぎたのが敗因。白河城なんてほっておけばよかった。
ま、長岡も無理に城を取り返そうとしたのが敗因の一つだが。 (-_-;)y-~
ただの性欲モンスターやったのか、そうですか…(´・ω・`)ショボーン
2つ上が仮面ライダーV3さん。
>>88
政治家として、軍略家として、軍人として。
様々なカテゴリーがあるから一概には。 理由はよくわからないが
仙台藩兵がゴミカスのように弱かったのがな。あれ何故に?
>>77
立見尚文は桑名雷神隊の隊長として
戊辰戦争の朝日山の戦いで山縣をブッチめたからな
その時に山縣が戦場に遅参しそれで戦死した時山直八は
維新後も健在なら山縣と並ぶ陸軍重鎮なったと言われた逸材
この件で山縣は後年まで時山を殺したのはお前だと品川弥二郎に
事あるごとに責められたという
維新後の陸軍内でも、おいヘタレみたいに面と向かって言われるから
立見に会うの避けてたらしいな 大久保の偉業って結局大久保でなくても誰かやってるものやろ?
>>94
しょせん奥羽越列藩同盟というものが、仙台(伊達)と米沢(上杉)が北の薩長になりたいがだけの私利私欲だったからな。
他藩(会津)や旧幕府と一心同体で戦うような集団じゃなかったと、ドンゴリは。 明治維新はた単なるクーデター。
こいつらはどっちも単なるテロリスト。
少しも偉人じゃねーよ
>>96
当時の日本政府だと、大久保の代わりが務まるのは江藤しかおらんかったな。 >>97
仙台も米沢も戦はしたくなかったのに。なんでそういう解釈になるんだか。
理解できへん。 維新三傑と言うけど
西郷、桂まではいいが大久保じゃなく坂本龍馬だろ
>>100
むしろ会津を退路を断って行く道を行かせたのは仙台藩の責任大と思うな。 欧州視察団に大久保が加わっていなかったらひょっとしたら西郷は死なずに済んだかもしれん。逆に西郷が視察団に加わっていたなら西南戦争も起きなかったと推測する
>>101
公武合体派を抑えて倒幕に国論をまとめた政治力は、大久保と岩倉の功績大だよ。 東郷平八郎も凄いぞ
なぜ教科書でもっと教えんのだ
アメポチ教員共よ
>>98
おまえよりかは偉人だわ
単なるって単なるもんじゃないのってなんだよ
革命はクーデターだろ
次いでに言うなら会津は売国奴だからな
プロイセンに北海道と新潟売り飛ばそうとしてたんだから >>102
当事者でもないくせに何言ってんだおまえ (-_-;)y-~
ゲームで言うと、サポートカードのグレードアップやろ。
仮面ライダーV3でええねん。
>>102
世良を斬った責任は大きいが、もともと会津を助けるための同盟だろ。
仙台藩にとっては会津か官軍のどちらかと戦うしかない状態から、戦争を避けるための方法でもあった。 坂本龍馬を過大評価しすぎな件
龍馬がいろは丸事件でウソツキ詐欺師な上に
歌で世論を誘導し莫大なカネを手に入れた悪質なクレーマーと判明してるのに
いろは丸に鉄砲・弾薬・金塊は積んでない。龍馬のウソ。
「いろは丸」に鉄砲・弾薬は積んでいない。そのウソがバレそうになった龍馬は“金塊を載せていた”と言い始めるが、やはり金塊も載せていない。
いろは丸と紀州船「明光丸」が衝突した直後に、いろは丸に乗船していた或る土佐海援隊隊士が“積荷は米・砂糖など”と証言しており、昔から龍馬の主張は怪しいという見方があったが、
平成元年(西暦 1989年)に「いろは丸」の船体が発見されて以降数次に亘って実施された潜水調査の結果、やはり鉄砲・弾薬・金塊は発見されず、龍馬がウソをついていたことが証明された。
龍馬は紀州藩に賠償金として7万両を支払わせたが、実際の損害は「いろは丸」本体など3万数千両と思われるので、3万両前後を騙し取ったことになる。
3万両前後という金額を現在の貨幣価値に置き換えるのは簡単ではないが、当時の1両が現在の5万円に相当するという見解があり、それに従うと15億円前後ということになる。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』で“岩崎弥太郎(売国奴:香川照之)が紀州藩との交渉の場で8万数千両の賠償を要求し、龍馬がそれにビックリする”という場面があったが、フィクションである。
鉄砲・弾薬・金塊等を積んでいたという虚偽の主張をしたのは間違いなく龍馬本人だ。
龍馬は、神戸の勝海舟私塾で世話になっていた時代に、海舟責任下の公金50両を近藤長次郎らと一緒に横領したりもしている。
坂本龍馬は立派な「泥棒」「詐欺師」である。
(-_-;)y-~
T郷先輩から予科練にはアクセスできないねん…19期は…
また、整理しとくわ…
>おまえよりかは偉人だわ
>単なるって単なるもんじゃないのってなんだよ
>革命はクーデターだろ
>次いでに言うなら会津は売国奴だからな
>プロイセンに北海道と新潟売り飛ばそうとしてたんだから
この会津憎し「会津プロパガンダ」長州マンセー野郎が
革命とクーデターの違いすら知らないバカなのはよーくわかったw
日本の教育機関なら絶対に教える基本中の基本だから
日本の教育機関には行ってないんだろうw
>>109
容保の首を差し出すのはカンベンを、と新政府側と交渉するだけの政治力は無かったし
会津藩に北関東の兵を引け(もう旧幕軍と関わり合うな)と引かせるほどの交渉力も無い。
戦争を避けるというなら、但木土佐は山岡鉄舟ばりの働きをしとけよと。 >>66
小栗は処刑しただろ?
内乱に完勝して余裕ができたから処分が緩くなったに過ぎない
木戸が主張した通り榎本を処刑していれば、後の士族反乱の規模を抑えられていたかもしれない 埼玉で生まれてまだ九州に行ったこと無い俺だけど鹿児島県にはものすごく憧れと尊敬の念を持っている
鎌倉時代から続く戦闘集団島津家を筆頭に
維新前後では島津斉彬、小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通、村田新八などなど
優秀な人材を輩出し
水際立った政治活動を行った薩摩藩がいま鹿児島県として
あまり目立たない存在になってしまっているのがとても不思議だし不甲斐ないと思う
地元の人達はどうお考えなんだろう?
西南戦争って日本最後の内戦だっけ?
次内戦あるとしたら何処vs何処かな?
>>101
抜刀隊のことといい空想世界のソースを元にレスしているな >>45
面白そうですな、今度探してみることにします
しかし相変わらずの冗長さながらたまには面白いことをいうw
ウヨサヨ話なんかは、ネットの隆盛で誰でもできるようになって良いことですね
俺が学生の頃なんかは、政治向きの話は語るのも深く考えるのも恥ずかしい事、みたいな訳分からん風潮ありましたねえ >>74
薩長の重鎮は別格と考えても不思議ではない(土肥はおまけ)
大村死後の前原は長州系軍人のトップだった >会津とか斗南の人ってまだ現代日本を恨んでるの?
千年恨む恨民族長州安倍が会津や東北を逆恨みしてるから
福島第一の震災対策を国会で追及され、早急に対策するように要求されたのに拒否した上に、その議事録を削除させた
そもそも自民長州田布施連中が斗南の辺りを冷遇し金に困らせ
補助金がないとやっていけなくしてから原発関連施設だらけにした
日露の各師団長クラスを見ても
野津道貫(薩摩)黒木為驕i薩摩)川村景明(薩摩)奥保鞏(小倉)立見尚文(桑名)
それで長州からは無能な乃木希典しかいない
なんで陸軍を握ったのが長州だったか理解に苦しむ
大久保も西郷も本質的には田舎侍であって、大久保が視察団で海外の様子を見てなければ西郷と同じ道を辿ったかもしれん。
日本初の鉄道を敷く事となった件の事後の当事者達の話を読む限り、前原一誠も西郷も結局は胃の蛙のまま無駄に命を散らせてしまった
>>118
できる人はみな明治に中央にいってしもんそ
のこされたおいどんらはのんびりとやってるでごわす (-_-;)y-~
与えられた命でその場を生き抜く、薩摩人はそれだけや。
>>113
あれよく分からんな。会津城下攻めたのは薩摩と土佐なんだが。
政変で京都追い出されて、更に禁門の変でやられて恨むのは長州の方じゃね?寺田屋か池田屋で新選組使って襲った時も会津が手を引いてたし。 しかしなぜ会津藩は斗南で再興しようとしたの?自殺行為にしか思えない。
猪苗代も選択肢として与えられていたって聞いたが。
>>129
領民の恨みを買って藩士は会津に居られなかったというのが正解かと。 >>100
仙台と米沢は新政府の権力が高まり中央集権化されることを嫌っただけ
伊達政宗と同じだと思えばいい >>58
渋沢って論語と算盤っていうだけあって、大久保の計算高さと西郷の仁を兼ね備えていた気がするな
両輪のバランスがとても良いw >>124
まぁ最高司令官も薩摩だし
直前に急死するまで対露作戦を作っていたのも薩摩だし
ただ陸軍は政治に直結すると言われているな (-_-;)y-~
陸軍ってのは、大陸と朝鮮半島を見る時、長州の方が気質に合ってるんよ。
ちょっと曖昧な狡い言い方やけど。
薩摩ってのは、西日本全体をコントロールするには向いてないんよ。
たぶん、薩摩人にしかわからんと思うけど、
中四国地方の人のような日和見ができないねん、下手やねん。
薩摩人は、薩摩人以外が日和見しても全然気にしない気質で、
勢いがあって味方になって来たら受け入れるし、日和見で敵に回っても放置。
上手く言えんが、大陸を見ての陸軍やと、長州人を使わんことにはどうもなぁ…。
>>126
現実はそんなものなのかもしれませんね
いつか城山観光ホテルで朝ごはん食べて
薩摩半島、大隅半島をレンタカーで巡ってみたいものです >>124
まだ司馬史観にとらわれているのか
敵軍の総司令に乃木は一番評価されていた >>130
そんな上層部まで言い出したら総司令大山巌(薩摩)とかキリがなくなる 乃木無能説はよくわからん。
旅順港閉塞作戦が不発に終わった尻拭いを、ムチャ振りで押し付けられたようなもんなのに。
西郷軍は今でいうネトウヨだろ
デマに騙されて過激な行動に
>>101
まぁリアルの坂本龍馬は商売人だからな
頭はキレたしそこそこの人望があったから誤魔化せただけで
リアルの坂本龍馬は綺麗ごと言いながら裏で計画してたことを
坂本の下で働いていた岩崎弥太郎が坂本死後、金儲けの三菱財閥を完成しただけで 薩摩は結構巧みに状況に合わせて、先手打ちながらもある意味日和ってた気がするが。
(-_-;)y-~
西南戦争でも、熊本諸隊の扱いとか、薩摩人らしいやろw
ついて来るなら勝手について来いで、
組織としての扱いは割りと冷たいやろ、肥後もっこすから見ればw
個人的な繋がりは、双方色々あるやろうけど。
大久保利通ほど明治維新で日本のために尽くした政治家もいないのに
鹿児島人は本当に狭量だね
>小栗は処刑しただろ?
>内乱に完勝して余裕ができたから処分が緩くなったに過ぎない
>木戸が主張した通り榎本を処刑していれば、後の士族反乱の規模を抑えられていたかもしれない
は??????????????
榎本の助命が反乱を大規模化したとかバカかよw
「明治政府が悪どく不正汚職ばかりし自分らは百人分もの莫大な給与を自分らで決めながら、不必要な内戦に利用した日本中の士族を用済みと冷遇したせい」
長州子分の伊藤博文にすら裏切られ大久保利通につかれ病気口実にサボタージュしまくり「逃げの小五郎」木戸孝允と
敵の大将黒田清隆すら味方にし、自分を死刑にしようとした長州連中総理の内閣にすら閣僚登用され評価されまくった榎本武揚の功績を比べてみろよ
28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/24(金) 19:16:16 ID:0f1JWv540
日清戦争が終わった後榎本は李鴻章と交渉し
日本の利権が拡大するよう交渉しそれを実現させた
これは伊藤や陸奥に絶賛された
ちなみに李鴻章が日本の政治家で優秀な政治家が陸奥と榎本
面白くてユニークな性格なのが伊藤博文と大鳥圭介と発言w
>>138
鳥羽伏見の戦いで、官軍1:3徳川軍の劣勢をものとせず勝利できたのは
野津鎮雄と大山巌の軍才に拠る所大だね。
弥助どんは砲兵の神様だ。 >>125 西郷は斉彬公の薫陶を受けていて、決して田舎侍ではない
大久保は洋行後に西洋かぶれになった田舎侍 >>139
白襷隊の特攻全滅とか203高地を落とせば旅順湾の観測なるのに
正面から力攻めで要塞を落とそうとして死屍累々の山を築いたのは乃木の無能ゆえだろう >>128
会津はずっと薩摩の世話になっておきながら追い落とそうとし
薩摩を敵に追いやって逆にやられたからな
薩摩を恨んでいるというのは流石に言いにくいんだろう
それに薩摩人は会津娘を嫁に望む事が多かったようだし
フィクションだが大河ドラマ獅子の時代もそうだったな >>18
本人は今戦うべきでないと分かってるのだが、味方が暴走してしまい
やむなく総大将となり戦い負けてしまった戦に
慶喜の鳥羽伏見と、西郷の西南戦争がある
戦に負けて慶喜は逃げたが、西郷はみんなと一緒に死んだ
大河西郷どんで、慶喜と西郷が親しい間柄という架空設定をしたが
西郷の気持ちが痛いほど分かる慶喜が、西南戦争への西郷の気持ちを弁明し語る
そんな展開になると思い視聴してたが、無血開城後の慶喜は全く出ず、最終回にちょっと出て終わり
何やねんってガッカリしてしまった
この2つの戦は将軍である慶喜、大西郷であっても止める事ができない必然の戦であったと思う
西郷が死ぬ事で必然の戦はストップした、もしも慶喜が大阪城で死んでたら、ここでストップし東北戊辰戦争は起こらなかったかもしれないな >>118
異常な郷土愛があるものの過去の郷土の英雄達の栄光を誇りすがるしか能がなく、優秀な人材は上京や県外に転出し彼らは盆正月しか地元に帰ることも無い。
今に誇れることは美味しい豚肉の産地だという事と温泉は良いのが沢山あるという位のもの。その程度のただの僻地。時給も全国最低クラスの貧乏県。公務員くらいしかまともな仕事もないしね >>145
頭を使えよ
慶喜の降伏時に定められた武器艦艇の引き渡しを反故にしたうえ最後まで反乱を続けた人物が短期の禁固で済むのなら
薩長の軍人のトップだった人物は処刑されないと考えても不思議ではない >>121
>>45氏は三河屋と並ぶ歴史スレの常連で、
長文が過ぎるのが玉にキズだが、
知識量は確かに多い。
先日の原敬スレでは、中井弘について語ってくれた。 (-_-;)y-~
各藩独立国家みたいなもので、藩兵はみんな殿様の軍事力なんやし、
全部殿様専用なんよ。
近代国家建設がいかに大変なことだったか…
>>150
会津藩は神保長輝を処分したのがイタイ。 >>149
そういえば福島は震災で世話になるまで薩長を恨み続けてたらしいけど、全く意味わからんね
お前ら士族出身なのかと
松平容保とかドラマじゃ悲劇の名君扱いだけど、領民からの評判最悪だったのに >>124
陸軍を支配したのが奇兵隊隊長から元老まで成り上がった長州山縣有朋だから
その奇兵隊の配下、長州田布施の力士隊の相撲好き大室少年を、力士隊の隊長田布施の伊藤博文と
「今まで御所の奥深く女官に囲まれ、全くしたこともなかった相撲が何故か強い」明治天皇に仕立て上げたのが山縣有朋だったから
と考えたら、何故か無能な長州人がのさばり続けてる理由が腑に落ちるだろ?w >>132 政宗の本質はドンゴリだったか。(´・ω・`) >>146
大山巌はほんと有能
若い頃は寺田屋や薩英戦争でスイカ売りの決死隊に参加するほどの血気盛んだったが
日露で最高司令官になったら、わざと無能を装い昼頃に起きて来て
今日は砲撃の音がすごいが突撃作戦でも敢行してるのか?と問うてたそうだ
それで部下はのびのびやれたって逸話が伝わってる >>155
鳥羽伏見の戦いでは会津軍の戦死者が少なかったのからな
敗戦を受け入れるだけの死者が必要だったのだろう 会津若松市民には、おのれ薩長なんてメンタル無いだろw
観光史学に汚染されたニワカ歴史評論家とか、外野がプンスカしてるだけで。
(もしくは関ヶ原のノリで東西対決を愉しむ東日本原理主義者の口実)
>>162
大坂に残ってたら処罰されなかったやろな。 (-_-;)y-~
おお、完全にセルフ記憶喪失やろ。
御所隣の仮面ライダーV3さんのお屋敷に招かれて、
一晩中長渕剛聴かされても、セルフ記憶喪失のままやろw
ここ10年で評価の上がった人
大久保利通
今川義元
足利義教
武田勝頼
徳川慶喜
>>164
死体野ざらし説が最初に出た時、会津若松城の再建の金を集めていたんだよ
薩摩は西郷人気、土佐は坂本龍馬人気
そこで長州が標的になり金集めに利用されただけ 西郷さん晩年は病気がちだったし、西南戦争あたりのころは精神がちょっと
まいっていたんじするよね
>>144
士族への生活保障を政府が断ち切ろうとしていた事が根底にある。西郷は地元(鹿児島)士族達の意思に殉じた人として祭り上げられてきたが、大久保の方が国家の功労者だという事は子供の頃から理解しているよ
つまり地元士族や西南戦争の遺族達にとって大久保は裏切り者というだけの話 >>141
岩崎弥太郎は後藤象二郎の縁故で海援隊の会計業務を手伝っただけで坂本龍馬の下だった
わけでは無いだろう
関わったのは1年半くらだそうだし >>162
主戦派が敗戦を受け入れなかったから矢面に立たされて、それが会津藩の滅亡へとつながっていくというね。
慶喜と容保に「ここは江戸に戻って建て直しを」というのはツッコミようもないまっとうな進言なのに、それを殿をたぶらかせ敗戦に導いたとか。
容保が日和ってたのを知ってて主君に諫言できないから八つ当たりだぜ。 >>156
福島でも郡山市には大久保神社があるし
郡山出身の西田敏行の養父は薩摩藩士の家の出だし
まぁ一つの県でも色々ある >>166
捕縛されても処刑されなかったと言う気か?
西郷は山縣からも自決をすすめられていた 伊集院ジジイのためにチャンネル登録しとくわ、ポチッとな。
>>170
星亮一も仙台人だろ?
会津人を冒涜してるのは、他ならぬ観光史学一味だよなあ。 スレをざっと見したけど、大久保利通を殺したのは会津でもないのに
なんかよくわからんね
あんだけ尊王攘夷〜倒幕〜と言いながら
政権握れば開国和親にキリスト教を解禁、かつての同僚をリストラして
荻の乱とか神風連の乱とか当然に起こるよね
当然に大久保利通は殺されてしかるべき
なので>>1はどんな意味があるの?と思う >>169
子午谷から長安急襲を献策した魏延もな
あれが取り上げられてたら孔明本軍に釣られて天水方面に主力のほとんどを防衛に向かわせた
魏軍が手薄な長安は間違いなく陥落してた >>156
そりゃ領民の評判は悪くはなるわな。
よそから養子で来たボンボンの殿様が、会津とは全く関係の無い争いに首突っ込んで、軍隊率いて出かけるものだから年貢はキツくなるわ、負け戦やらかして田畑は荒れるわ略奪に会うわで踏んだり蹴ったりだもんな。 >>146
鳥羽伏見は薩摩兵の優秀さもあるが、旧幕府軍があまりにもアホ過ぎて負けた
京は大阪から淀川と、琵琶湖からの水運が動脈であったが
大阪を完全に慶喜に抑えられており、薩長は本土との連絡が閉ざされ孤立
京は山などの地形や、道が碁盤なので守りは弱く、これまで京を攻めた方が毎回勝利してた
蛤御門で攻めた長州は負けたが、あまりにも少数で攻めたのに結構善戦した
西郷らの頭では京南部の戦いは負けを覚悟し、天皇を園部藩に移し
大村ら長州本軍が東へ進軍し、さらに土佐から板垣軍、これらを加え
南北朝でよくやった、一度敵を京に入れ、再度逆襲する戦術だった
本来なら鳥羽伏見は前哨戦であって、本当の大戦は別の場所で行われるはずだった
鳥羽伏見の戦を関ケ原で例えたら、京南部の鳥羽伏見の戦いは、西軍と鳥居がわずかな兵で守った伏見城の戦いに値する
鳥居の兵に返り討ちにあった西軍は総崩れし、関ケ原の戦いが伏見城決戦と名が代わった歴史 >>174
江戸にもどって立て直すなら部下を連れて帰れよw
自分たちだけ船で江戸に行って立て直しとか無理。 もしあの時代にタイムトリップしたらどう立ち回るのが最善だろうか
>>1
(-_-;)y-~
国家を巻き込んでの、義兄弟喧嘩はもうやめえという意味がある。 >>182
銃に弾を込めずに進軍したくらいだから
戦闘になるとは全く考えていなかった感じやね。 西郷さんは田舎の不平士族をまとめた地元の英雄なんだろうけど。
日本国の未来の事を考えていた大久保さんの方が功績は大きいと思う。
>そういえば福島は震災で世話になるまで薩長を恨み続けてたらしいけど、全く意味わからんね
>お前ら士族出身なのかと
>松平容保とかドラマじゃ悲劇の名君扱いだけど、領民からの評判最悪だったのに
会津は薩摩に西南戦争で直接やり返したので有名な山川捨松のように薩摩人との結婚も多数
恨民族長州政権が延々現在に至るまで会津福島東北を冷遇し差別し続けて
恨民族長州山口県人が延々会津逆恨みし続けてる
領民からの評判最悪だったのは「そうせい候」部下の言いなり毛利氏
厳しい身分差別に苛烈な重税、長年二重帳簿で倒幕資金を溜め続け農民を苦しめてきた
(-_-;)y-~
薩摩人、おもしろいやろw
受験戦争マックス大学同期の情報が、
長渕剛を見る聴くだけで簡単に手に入るなんてw
>>183
大阪から撤退した慶喜の判断は政治的に正しいし、それが現実的。
そこを理解しようとしない会津藩の佐幕派が頑迷すぎる。
大政奉還で幕府そのものが存在しないのに、徳川への忠義もくそも無かろうに。 幕府側なんて、慶喜の弟をフランスに留学させたり、西周さんとか三権分立を提言したり
小栗さんみたいに渡米ののち横須賀製鉄所を建てて(あとになって乃木将軍に感謝される)るし
近代化は幕府が進めていたのに、これを倒して、いまだにさも近代化は自分らの手柄にしてる薩長って
好きになれんね
維新後の日帝時代なって長州人が活躍したのって聞いた事がない
昭和になると東北の連中が頭角を現して来るし
>>171
鹿児島に戻る前に明治天皇から太り過ぎを心配されて派遣された医師からダイエットを
指示されたんだってな
上野の銅像はその時に愛犬のツンを連れて散歩してる場面を表したもの
軍服姿案もあったがそれは西南戦争での逆賊時代を思い出すから却下となった >星亮一も仙台人だろ?
>会津人を冒涜してるのは、他ならぬ観光史学一味だよなあ。
「会津プロパガンダ」「会津観光史学」連呼長州山口県人の執拗さが
千年恨む恨民族長州山口県人のアチラ民族との類似点を浮き彫りにwwww
>>191
まだ戦ってる最中に江戸への帰還は完全にミスだよ。
あれがなければ大坂で戦争は終わってた。 >>179
勘違いされやすいが攘夷というのは鎖国ではなく、不平等条約の破棄ないし改正を指す
尊王攘夷派の目的は天皇親政による中央主権政府の樹立
>荻の乱とか神風連の乱とか当然に起こるよね
これも関ヶ原の戦後の論功行賞のように勝者側の大名に加増しなかったから起きたこと
薩長が私利私欲に走らなかった結果と言える >>147
大久保も西洋視察を経て考え方が変わったと言われている。黒田清隆もしかり
鉄道に大反対だった西郷が実際に初めて鉄道に乗った時のはしゃぎようを考えれば海外に行くべきは西郷の方だったと思うよ ただ、幕軍自体第二次長州征伐で芸州口の精鋭が善戦していたりと、練度が高い部隊
もいたわけで正面から薩長と戦ったら勝てたような気もするんだよな。慶喜が無駄な
争いで日本を疲弊させたくなかったとも思えるし、単にもうやるきなかったとも
思えるし、または賊軍とされるのに耐えられなかったとも思えるしちょっとあの人
何考えているのか良うわからんよなぁ
>>187
旧暦の1/1に旧幕府軍は大阪城から進軍、夜ぐらいに淀城に
1/2の早朝から淀城から、伏見街道と鳥羽街道の二手に分かれ進軍
5qぐらい先の伏見界隈と、桂川と鴨川の合流地域ぐらいに薩長軍と遭遇
すぐ戦が始まった訳でなく、徳川は「ここを通せ」と主張
薩長側は「勝手に通す訳にいかない、朝廷に聞いてくる」と時間を稼ぐ
こんなやり取りを朝か夕方まで続け、日が暮れるぐらいに戦闘勃発
この間、徳川側はボ〜〜っとしてたが、薩長側は戦の準備を淡々としてた >>25
夜襲で活躍と聞いたな。
確かに昼間だと鉄砲の的にしかならん。 >>198
不平等条約とかゆうけど倒幕直後の明治政府もバカスカ調印しまってくた
そもそも外国人の取扱いさえ知らない幕末の薩長は国際工法さえ知らないでいた
よって不平等条約ってのは後付けの風聞です
2行目はそうかもだね
3行目以降はゴミカスw >>197
もし慶喜が籠城して官軍の大坂城総攻撃があったとしたら?
勝敗の行方以前に悲惨な末路だったろうね。
大阪湾の幕府艦隊は中之島まで進んで援護射撃、これで大阪一円は灰塵に。
駐留してるフランス軍とイギリス軍も内戦介入を口実に日本侵略。
政治家として慶喜の撤退判断は「日本の為に」正しいよ。 >>176
西郷が自決しなかったと仮定すると、ちと恐ろしいな。
江藤や前原への量刑を考えれば、死罪は免れられないだろうが、
首斬り人の重圧は半端ない… >>176
そんなもの捕まってみないとわからんじゃん
江藤とか前何とかさんと比べて明治天皇から思いがあったみたいだし >>202
討薩表のお手紙を朝廷に差し出すデモンストレーションのつもりでしかなかったからね。 奉天でも戦力差がある中で敵主力と真正面から対峙して戦線維持したのは
薩摩の野津や黒木の師団の踏ん張りだよ
敵と遭遇戦を避けて迂回する別働隊という楽な第三軍の乃木はここでもやらかして
撤退するクロパトキンを追撃捕捉出来なかった
ほんと無能、旅順だけでなく奉天でも無能な乃木のせいで勝ち切れなかったわけだし
>>205
籠城戦って何言ってるのかimiwakarane >>200
長州藩領に攻め込んだ幕府軍が逆撃を食らって芸州藩領内で戦うことしかできなかった段階で終わってる
それに第二次長州征伐では派兵命令を無視した藩も多かった >鳥羽伏見の戦いでは会津軍の戦死者が少なかったのからな
>敗戦を受け入れるだけの死者が必要だったのだろう
長州政権安倍はすぐオリンピック投げ出して仮病トンズラ、菅に難題押し付けて自分は靖国(カルト新興宗教長州招魂社)通いw
死者出しまくってるのにオリンピック中止という敗戦をまだ受け入れられない菅を用済みと引きずり下ろして
また総理に返り咲きたくて記念すべき100代目の総理になりたくて
全くやる気なくて放置してきた改憲や拉致被害者をまた利用w
>>123
六ヶ所村に核燃料処理施設を誘致したのは斗南に移住した会津藩士の子孫の北村正哉 (-_-;)y-~
立命衣笠入学した時、
ここが、鳥羽伏見の主力薩兵駐屯地かぁと思ったよ。
国際工法は国際公法なw
ま、いっか
知ればしるほど薩長はゴミカスです
アホ明治政府は招魂社を建てて(今の靖国神社)、
あいつは祀り、こいつは祀らないとかそれまでの日本のしきたりじゃないよ
元寇から関ヶ原でも敵味方の区別なく弔うのが日本の伝統
これをなきものにしたのは明治です
しっかり学びましょう
西南戦争があったからこそ
武士の世から平民の世へと変わったと考える。
西南戦争こそ武士の最期の抗いだ。
その意味では西郷はやはり最期まで役割を果たしたといえる。
ようつべに歌詞が載ってるから見たらいいけど
西南戦争の抜刀隊を歌った「抜刀隊(陸軍分列行進曲)」は
西郷軍のことを賊軍と呼んではいるが決してけなしてはおらず、
西郷のことも「古今無双の英雄」と持ち上げている
>>193
明治中ごろだと外交の長州のイメージ
清国との談判には伊藤博文、朝鮮だと井上馨
外交の安倍みたいだわ >>204
滑稽
西南戦争や萩の乱の原因を理解出来ていないんだな
戦勝国の兵士が加増はおろか禄を失ったのが原因 [大坂に人物なし]十九世紀一の…
政治家 小栗上野介 東京神田
思想家 横井小楠 熊本熊本
実業家 渋沢栄一 埼玉深谷
資産家 岩崎弥太郎 高知安芸
農政家 二宮尊徳 神奈川小田原
兵法家 平山子龍 東京四谷
剣術家 男谷下総守 東京本所
探検家 間宮林蔵 茨城筑波
測量家 伊能忠敬 千葉九十九里
策略家 勝安房守 東京本所
陰謀家 岩倉具視 京都京都
開国家 岩瀬肥後守 東京愛宕
自信家 佐久間象山 長野松代
経世家 海保青陵 東京霞ヶ関
紀行家 菅江真澄 愛知豊橋
砲術家 高島秋帆 長崎長崎
藩政家 渡辺崋山 東京三宅坂
翻訳家 杉田玄白 東京新宿
啓蒙家 福澤諭吉 大分中津
遊説家 坂本龍馬 高知高知
財政家 松方正義 鹿児島鹿児島
民政家 上杉鷹山 東京霞ヶ関
開明家 橋本左内 福井福井
革命家 高杉晋作 山口萩
戦術家 立見尚文 東京八丁堀
尊王家 蒲生君平 栃木宇都宮
随筆家 松浦静山 東京浅草
弁舌家 江藤新平 佐賀佐賀
画家 葛飾北斎 東京本所
作家 滝沢馬琴 東京深川
噺家 三遊亭円朝 東京湯島
医者 華岡青洲 和歌山西野山
為政者 島津斉彬 東京芝
指導者 西郷隆盛 鹿児島鹿児島
独裁者 大久保利通 鹿児島鹿児島
国学者 塙保己一 埼玉児玉
蘭学者 緒方洪庵 岡山足守
教育者 吉田松陰 山口萩
扇動者 藤田東湖 茨城水戸
兵学者 大村益次郎 山口山口
儒学者 広瀬淡窓 大分日田
漢学者 安井息軒 宮崎宮崎
経済学者 山片蟠桃 兵庫高砂
博物学者 南方熊楠 和歌山和歌山
キリスト教教育者 新島襄 東京神田
キリスト教指導者 内村鑑三 東京小石川
西洋哲学者 西周 島根津和野
仏教哲学者 清沢満之 愛知名古屋
自然哲学者 三浦梅園 大分国東
重商主義者 本多利明 新潟蒲原
国粋主義者 平田篤胤 秋田秋田
豪胆者 山岡鉄舟 東京本所
理学者 帆足万里 大分日出
化学者 川本幸民 兵庫三田
求道者 白井亨 東京桜田
英学者 中村正直 東京麻布
本草学者 平賀源内 香川志度
技術者 田中久重 福岡久留米
>>210
籠城戦じゃなかったら何があるの?
淀城も門前払いを食らって落ちのびる先は大坂城しかない状態だぜ。
新政府から徳川追討令が全国に出て、諸藩は雪崩を打って官軍側につくし。
紀州街道からの援軍ルートを大坂城で待つしかない状態では。 長州に陸軍を握られたのが後年の日本敗戦に繋がった
まだ薩摩閥ならもっとマシな編成や登用があったと思う
>>193
田中義一、松岡洋佑、寺岡寿一、岸信介、鮎川義介、
コイツら全員、長州だぞ… >>224
確かに連合軍と一藩がやりあってたからな >>224
開戦時の中央の陸軍軍人に長州閥が何人いたの? >六ヶ所村に核燃料処理施設を誘致したのは斗南に移住した会津藩士の子孫の北村正哉
誘致せざるを得ないほど困窮させて
誘致するように誘導してきたのは長州政権
>>179
最初のイデオロギーから実際に政権を担当すれば現実を知って政策が変化する事なんて
よくある事じゃん
最初のイデオロギー通り攘夷で外国を排除しようとツッパッテいたら他のアジア諸国の
ように植民地化されて終わりだった >>211
いや、それでも兵力差がぜんぜん違うわけだし家茂が急死してなかったら
長州最終的には負けていたと思うよ。 筋が通ってるのは薩長より会津だわな
ならぬものはならぬ、という心意気
今の日本に一番足りないところだと思う
>>202
茶番じゃねーの。最初からやる気があったのか
紀州派から慶喜公は最初から薩摩と通じてるからコイツが将軍になったら幕府は終わりと思われてたのでは? >>231
知らん人やね
長州は倒幕前から英国に秘密に留学してたのがいた
それが伊藤博文さん
うわっつらだけ見てたら、幕末は理解できないよ >>205
鳥羽伏見敗戦後、大阪城で戦ってたら徳川が勝ってたと主張する人がいるが
自分は大阪冬の陣の再来になると思ってる
鳥羽伏見初日は薩長しか戦わなかった、しかし二日目から土佐藩、さらに鳥取藩や広島藩さらに淀藩や津藩が裏切り
朝敵となった慶喜に、これまで中立だった西国諸藩は次々と攻めて来るだろう
大阪城は江戸初期までは日本一の城だったかもしれんが、それは火縄銃を想定した守り
破壊力が各段にアップした幕末では、各地の城は簡単に落ちた
大坂の陣の豊臣と比べ有利といえば、大阪湾を守る榎本水軍がいたぐらいで
大阪にいた徳川兵も逃げる兵が増え、江戸から援軍が来るか?が焦点だが
京の一会桑と江戸の関係が微妙で、慶喜らが京で勝手な事をしてると関係が悪く
朝敵となった慶喜を切り、我々江戸の徳川は関係ありません、こんな事になってたかもしれない
慶喜や容保ら数人の大名が大阪城から逃げた時、残った兵が何でここで戦わず逃げたのか?
慶喜を非難する前に、暴発し自ら攻めたくせに、この情けない態度の方が問題だ >>214
芸術的なのは、幕兵がここを通せと鉄砲構えて威嚇したのを合図に
一斉に城南宮へ配備した砲列を射撃した野津どんの機敏さ。 >>232
浜田藩が陥落した時も慶喜は追加派兵を近隣諸藩に命じたが拒否された
敗戦は慶喜の性格のみに起因するのではないよ これを機会に鹿児島の人は大久保を許してやって欲しいw
西郷さんと並ぶ郷土の誇りじゃないっすか
>>236
幕府艦隊の6隻があるから、山陽道と瀬戸内海の西国ルートは遮断できる。
加えて有効な対地支援射撃が可能。
大坂城も野砲の射程では容易に突破困難な構造。
一定期間もちこたえるだけの条件は揃ってるが、俺もやっぱり官軍側が勝つしかないと見てるよ。 ・西郷だけでなく、ふるさとの若者数千人を結果的に殺した
・天皇の威を借り、地元へ了承もなく、勝手に700年の島津・薩摩藩を潰した
この2点の報いは当然受けなきゃいけない、鹿児島永久追放なんて甘い甘い
アーネストサトウという英国人外交官がいた
幕末に日本に来て、薩長とも交流があっていろんなことやってる
インドなんかもそうだけど、Aという主流派がいればBという少数派に肩入れして
その国自体を弱体化させる、いわゆる分断統治ってヤツ
これは英国のお家芸
大英帝国といっても海外に展開できる兵は20万たらず
知恵と陰謀の限りを尽くして富を収奪する
その犠牲者であった江戸幕府という側面も注目したほうがいいっすよ
>>200
長州征伐の小倉や石見や大島らの戦闘は、どれも長州の方が兵が圧倒的に少なかった
それにも関わらず徳川側は惨敗
芸州口だけ一進一退だったが、兵の数はここも長州の方が圧倒的に少なかった
これを徳川が善戦したってのは、ちょっとな
小倉や石見は譜代大名の領地、ここを侵略し停戦しても土地は返さなかった
しかし芸州口は外様の浅野の領地、浅野は戦わず場所だけ提供しただけ
長州としてはこの土地を侵略する訳にはいかず、それで一進一退だったと思う 武田鉄矢のyoutubeで、鹿児島で大窪さんって方とゴルフすることになり、
「そのおおくぼですか、よかったですなぁ」ってつい言っちゃったら、
「大久保だとここではいきていけませんよ。」と言われたといっていた。
(-_-;)y-~
ちゃんと来てたよ、だいやめ。
ああ、山A写真ね、おしまい。
長州閥のクソが日本おかしな方向に行かせたのは
松蔭4傑が維新を前に死んだのが原因
高杉晋作 久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一
この面々が維新後も生きてたら伊藤博文山縣有朋とか田中義一に伊藤博文すら表舞台に出て来れてない
>>243 薩摩藩を潰した廃藩置県を主導したのは、西郷だが… 秩禄処分が全ての原因なんだよな。国の財政を圧迫してたものをスパッと断ち切る役目を担ったのが大久保だもの。地元だけでなく全国の士族に恨まれて当然だわな
>>232
小倉口では細川が一時戦い優勢だったが、小笠原がアホな態度を取り帰ってしまった
自分の領土を攻められてる小倉藩だけが戦い続け、一方的な展開
石見口では浜田藩は負け続け逃げて、大村益次郎率いる長州軍は戦う相手がいなくなり停戦
大島口は伊予松山藩兵が負け、島内で逃げ続ける展開
芸州口は一進一退だったが、活発な戦闘は最初だけ
徳川15万に長州3千と言われてるが、そんな兵力差は実際無かったろうな
薩摩だけでなく、土佐や浅野ら外様のほとんどは出兵拒否
勝手に帰った藩も多く
君が長州征伐を詳しく知ってたら
「兵力差がぜんぜん違うわけだし家茂が急死してなかったら長州最終的には負けていたと思うよ」
こんな事思わんと思うわ >>76
西郷隆盛の奥さん役の田中裕子も大久保利通の奥さん役の賀来千香子も良かった >>192
>幕府側なんて、慶喜の弟をフランスに留学させたり、西周さんとか三権分立を提言したり
>小栗さんみたいに渡米ののち横須賀製鉄所を建てて(あとになって乃木将軍に感謝される)るし
>近代化は幕府が進めていたのに、これを倒して、いまだにさも近代化は自分らの手柄にしてる薩長って
>好きになれんね
コレな!
元々幕府が開国して近代化しようとしてたのを
倒幕したい長州が尊皇でもないクセに孝明天皇に学習院利用して公家に近づき、有害な攘夷洗脳したせいで
開国派というだけで有能な日本人が大勢天誅テロされてしまい、京都はじめ日本中の治安が悪化した
そのせいで会津が治安維持の為に派遣されてきたし、新選組はテロ志士を取締りしたから
孝明天皇の信頼を得て、長州が信頼を無くし追放されただけで
カルトテロ集団長州の自業自得なのに、長州サイドはまるでオウム信者のように逆恨み
日本の近代化は10年は遅れたと言われてるのに、平気で手柄ドロボウした長州
長州安倍自民政権や攘夷ネトウヨが同じことしまくり >>235
最初のイデオロギーから現実を知って変わったと言うのは同じだろ
それが早いか遅いかってだけじゃんw >>244
幕末のころは通訳で来てるからそんな権力ないんじゃね
文庫版で出てる日記チラッと読んだら上司の悪口が結構書いてあった記憶 >>240
俺はずっと明治の政治家としての大久保は立派だと思ってる。ただ江藤新平に対しての仕打ちはドン引き。あれは酷すぎる (-_-;)y-~
ああ、やっぱ倉木麻衣か。ネット凄いなぁ、すぐわかる。
薩摩人と愛知県人が来て、蝶ネクタイ付けられたわw
だいやめ、それやなw
>>256 さらし首が写真で見られるのは、
大久保のおかげだからなw >>249
横だが主導したと言うより嫌な役目を押し付けられただけのような・・・ >>244
「Aという主流派がいればBという少数派に肩入れして、その国自体を弱体化させる」
今のアメリカも似たような事してるな
フセインの味方になったり敵になったり、ビンラディンも同じく
ベトナムも片方に味方しベトナム戦争に
その国が一つとなりアメリカに味方してる時はいいが、一丸となって敵になったら困る
戦前の日本みたいに、だから戦後日本は右翼左翼など意見が分かれる社会となった
これはGHQの戦略があったんだろうと思う 西郷は
西南戦争で
地域住民を困窮に追い込んだ
クソ野郎
>>244
アーネスト・サトウと言えばイギリス外交官として
幕末日本で押せば弱腰になる江戸幕府を見抜いて
英国有利となる条約を次々飲ませて辣腕を振るったのは有名だけど
アーネスト・サトウが幕末から日本に来て多くの日本人で出会った中で
イギリス人から見て当時の日本人で一番魅力のある人物として
「小松帯刀(薩摩藩の家老)は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物で
家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず、政治的な才能があり、態度にすぐれ
それに友情が厚く、そんな点で人々に傑出していた。
顔も一般日本人よりも綺麗だったが、少し口が大きいのがその美貌をそこなっていた。」と
日本訪問記に残してる。 (-_-;)y-~
1994年から始まってるのかぁ、コナン君。
蝶ネクタイだいやめ、1993年やわ。
その何年後かに、チャーチル回顧録を読んでる、
全部読んでない、ちょこちょこ読んで返した。
金と暇があるなら、チャーチル回顧録買って全部読んでみたいな。
>>244
>アーネストサトウという英国人外交官がいた
>幕末に日本に来て、薩長とも交流があっていろんなことやってる
>
>インドなんかもそうだけど、Aという主流派がいればBという少数派に肩入れして
>その国自体を弱体化させる、いわゆる分断統治ってヤツ
>これは英国のお家芸
>
>大英帝国といっても海外に展開できる兵は20万たらず
>知恵と陰謀の限りを尽くして富を収奪する
>
>その犠牲者であった江戸幕府という側面も注目したほうがいいっすよ
アヘン戦争や、今ヤバいイスラエルの件も、二枚舌イギリスのクズっぷりをよーく示してる
だから幕府はヤバいイギリスよりもオランダやフランスを選んだのに
下関からあらゆる船を無差別砲撃した攘夷バカの長州松下村塾の連中のせいで
四ヶ国連合軍にフルボッコにされ
不平等条約結ばされ
イギリスの手下になり下がったマヌケ長州w
しかもその賠償金を長州は、二重帳簿で倒幕資金貯めこんでたクセに払わず、幕府になすりつけた
銭ゲバのドクズwwww >>255
岩波文庫のやつでも読んだのですか?
それはそれでアリです
わたしは東大卒でもある萩原延壽さん著作の「遠い崖」をお勧めします
手紙や公文書を漁って取材すること20年以上
はんぱない取材の量は圧巻です
でも、よ〜く読むと肝心なことは伏せてることに気がついてしまう
全14巻だし読破と熟慮にかなりの時間を要するが
かなりヤバい著作ですよ
ホントに >>265
それは現政権の正統性にかんすることですか? なんか>>244にレスがたくさんついてるけど
ま、幕末はそんなに単純じゃないっすよね
様々な歴史書や地球儀見ながらでないと、幕末を理解するのはホントに難しい、と
思っています
では >>265
「遠い崖」の方です
明治15,6年あたりに興味があるので最後の方の巻だけは買いましたが >>262
鹿児島でも西郷や大久保についてはよく語られるが小松帯刀に関してはほとんど語られない
小松あっての西郷大久保だってのに残念 人も集まらねーヤツの不人気パーティとか今のコロナ禍ではある意味合理的なのかw
(-_-;)y-~
薩摩人、平戸A写真の位置におる。
>>266
政治家として凄いかどうか知らんが
1976モントリオール五輪で、射撃の日本代表として出場したのが凄い
五輪の結果は40位ぐらいで、選手層は少ないと思うし代表になるのが難しい競技でなかったかもしれんが
確か同じモントリオール五輪で、アーチェリーでメダル取った選手いたんじゃないかな?
1988ソウル五輪では、大阪府警の女性選手が銀メダル取った
この頃の射撃関係の日本は、今より強かったみたいだし >>272
大久保利通の玄孫だから
歴史的人物の子孫なだけあってオーラが違うよ 明治期だと
薩摩=有能
長州=無能ってイメージ
大久保も大嫌いだけど有能なのは認めるし
黒田清隆も人格に相当難があったが実績は抜群だしな
大久保利通の子孫って言えば、ロッキード事件の丸紅ルートの大久保・・名前忘れた。
あれも子孫だよな。
ちょっと、悪役、多いなw
>>251
いや、兵力差はかなりあったでしょ。
投入兵力が大島、芸州だけでも
大島口、幕府側2800,長州760
芸州口、幕府側40000、長州2000
こんくらいは違うわけだし、さすがに長期戦になったら負けるんじゃないの
長州。ミニエー銃の配備だけみても幕府のほうが手持ち多いわけでしょ、練度がたりないけど。
この戦力差ひっくり返すの無理だと思うんだけど。 大久保卿の法事を鹿児島でできるって人類滅亡でもすんのかな
それくらいやけくそっていうかあり得んくらい嫌われてたろ
俺の先祖は市来正之丞
直系である
吉之助の妹の筋である
渋沢栄一
大西郷は賢愚に超越せり
隆盛公の御平常は至つて寡黙で、滅多に談話をせられることなぞの無かつた方であるが、
外間から観た所では、公が果して賢い達識の人であるか、将た鈍い愚かな人であるか一寸解らなかつたものである。
此点が西郷隆盛公の大久保卿と違つてたところで、隆盛公は他人に馬鹿にされても、馬鹿にされたと気が付かず、
その代り他人に賞められたからとて素より嬉しいとも悦ばしいとも思はず、賞められたのにさへ気が付かずに居られるやうに見えたものである。
何れにしても頗る同情心の深い親切な御仁にあらせられて、器ならざると同時に又将に将たる君子の趣があつたものである。
大西郷は偽らぬ人
維新の頃の人々の中で、知らざるを知らずとして毫も偽り飾る所のなかつた英傑は誰であらうか、と申せば、矢張、西郷隆盛公である。
西郷公は決して偽り飾るといふ事の無い、知らざるを知らずとして通した方であるが、その為又、思慮の到らぬ人々からは、往々誤解せられたり、
真意が果して何れの辺にあるか諒解せられなかつたりしたものである。
これは一に西郷公と仰せられる方が至つて寡言のお仁で、結論ばかりを談られ、
結論に達せられるまでの思想上の径路などに就き余り多く口を開かれなかつた為であらうかとも思ふ。
まづ西郷さんの容貌から申上げると、恰幅の良い肥つた方で、平生は何処まで愛嬌があるかと思はれたほど優しい、
至つて人好きのする柔和なお顔立であつたが、一たび意を決せられた時のお顔は又、丁度それの反対で、恰も獅子の如く、
何処まで威厳があるか測り知られぬほどのものであつた。恩威並び備はるとは、西郷公の如き方を謂つたものであらうと思ふ。
不言実行の大西郷公
人間に尊むべきものは弁説で無くつて行ひである、不言実行だといふにある。
私の知つて居る維新当時の英雄のうちで、西郷隆盛さんなどは、或は「行に敏」とまで謂ひ得られぬかも知れぬが、
兎に角平素は黙々として居られながら、行ふべしと考えられた事は言はずして之を決行せられた方で、
言ふよりも行ふ方の人、即ち不言実行の人であらせられたやうに思はれる。
>>275
それ大久保が否定した世襲封建制の幕府側の考え方やんw
血縁があっても能力なきゃあしょうがないよ 渋沢栄一
文雅な木戸公と器に近き勝伯
木戸孝允卿は同じく維新三傑のうちでも大久保卿とは違ひ、西郷公とも異つた所のあつたもので、
同卿は大久保卿や西郷隆盛公よりも文学の趣味が深く、且つ総て考へたり行つたりすることが組織的であつた。
然し器ならざる点に於ては大久保、西郷の二傑と異なるところが無く、凡庸の器に非ざるを示すに足る大きな趣のあつたものである。
勝伯とても素より達識の方で、凡庸の器でなかつたには相違ないが大久保、西郷、木戸の三傑に比すれば、
何れかと謂ふに、余程器に近い所があつて、器ならずとまでには行かなかつたやうに思はれる。
其他、伊藤公或は現に御存命の山県公にしろ、井上侯にしろ、松方侯にしろ、将た大隈伯にしろ、
あれまでに成られる方々の事故、何れも凡人と違ふ秀れた所のある人々であらせられるに相違ないが、
維新三傑の如く、器ならざる方々にあらせられるや否や、之は現下私から申述べるのを御遠慮申上げることにする。
なほ、是等の方々の外に現今の政治界にも実業界にも器ならざる大人物があるのは必定で、器ならざる大人物は、
維新の三傑に限られたわけでないが、現在の人物に就て批評がましい愚見を述べるのは憚るべきであらうから申上げぬ事に致し、
維新の三傑は流石に三傑と崇められるだけであつて、異つた所のあつたものだといふことだけを申述べて置く。
>>278
長期戦になっても戦い抜く、徳川側に財力があったなら勝てたかもしれん
さらに出兵した藩も同じく、実際には勝手に帰った藩が多かったし
戦が長引けば長引くほど、徳川側の兵は少なくなった
さっきも書いたが小倉口は小倉藩だけ戦ってた、石見口は戦う兵がいなくなった、大島口の松山藩兵は逃げるだけ >>118
昭和8年時点での、47都道府県の中での薩長土肥の生産力
高知県はビリ、鹿児島県はほぼビリ、山口県は40位以下、佐賀県は30位、
これは広瀬隆先生の分析。自分のふるさとなど捨てて、イルミナティの指示どおりに中央を乗っ取ること、これが明治維新の正体。
西郷さんも途中まで踊らされていたが、事態の異様な展開に気づいた、
だから最後には立ち上がった。それが西南戦争。
そしてその後は、昭和20年8月15日までまっしぐら。
だから、未だ西南戦争は終わらず なんです。 >>285
言ってもまだ、石州口に芸州口の兵力まわすなりやりようがあるでしょ。長州
よりも幕府側のほうが継戦能力低いってことないんじゃないのさすがに。 >>286
鳥羽伏見では伊予松山藩も大阪城にいたが、味方からは裏切るんでは?と疑われたらしいな
京への進軍には加わらず、大阪城にいただけだったと思うが
戦後朝敵にされ土佐から板垣軍が進軍、全面降伏し大金を払い許してもらった
この事は坂の上の雲前半でやってたな >>278
何で侵攻したはずの幕府軍が芸州で防戦してんの?
これを考えたことがある? 西郷は徳の人とは言われるが、江戸城無血開城後に会津が明確な形で降伏を示したら、藩主及び家臣たちも含めて命を取らず許しただろうか。
渋沢栄一
木戸公茅屋を訪はる
西郷隆盛公などは、あれほどの大人物であらせられたが、適材を適所に置くといふほどに秀れた人物鑑識眼のなかつた仁であるかも知れぬ。
或は往々にして他人に過まられもしたらうが、元来全く私心の無かつた方であるから、孔夫子の所謂「過ちを観て斯に仁を知る」で、
その過失は畢竟仁の深い優しい情の細い所に端を発し、過失と謂へば過失にもなるが、結局、西郷公の過失は公に仁心が深かつたのを示すのである。
随つて如何に他人に過まられても、他人に陥れらるるといふ如き事は、絶対に無かつたものである。
木戸孝允公は、西郷公と其趣を全く異にし、人を用ひるに当つても頗る綿密周到を極め、
適材を適所に置くことには頗る妙を得られて居つたものであるかの如くに思はれる。
>>291
藩主の切腹はないが家老一人は切腹だろうね 最後まで戦闘が続いてたのが、高杉晋作と小倉藩の戦いで
小倉藩は単独で連戦連敗だったが、それでも諦めず戦ってた
家茂が死ぬ前から、他の戦闘はほぼ止まっており、徳川側のやる気が無さ過ぎた
家茂が死なず慶喜が大号令しても、誰も言う事聞かないと思うがね
>>294
慶喜の異母兄弟ですら拒否するくらいだからね
下関戦争・禁門の変と敗戦続きだったのに、再編して領民を含め士気を高めることに成功した長州との違いだね >>293
>>295
まあそうだよなあ。西南戦争も旧士族の不満を抑えられなかったわけだから、部下が皆会津許すまじとなったら攻めたろうなあ。 大体長州薩摩の戦闘民族ぶりは頭おかしい
なにお前ら藩レベルで外国と戦争してんだよ
>>295
知らないかもしれないが長州は最初から恭順した慶喜の助命を主張していたんだよ >>298
天皇が直々に刀を毛利敬親に下賜したんだから当然だよ >>288
石見口の戦いは隣の亀井とは和平協定し通過、石見銀山を奪還し(この頃は銀も枯渇し、数年後閉山)
浜田城を攻略し、浜田藩は飛び地に逃げた
紀州藩などの援軍もいたが撤退、戦う相手がおらず戦争終結
こんな展開やらかな
戦場となった小倉藩と浜田藩は必死に戦ったが、両藩を助ける藩がいなかった
孤軍奮闘の戦いになってしまい惨敗
芸州口の領土は浅野、ここは出兵拒否 >>18
月照を抱いて入水したのと同じ
不平士族を抱きしめて一緒に消えた >>299
蛤御門の頃までの長州は過激だったが
数年ぶりに京に帰ってきた鳥羽伏見の長州は、薩摩の子分みたいな立場で
決して前に出て大きな事言うような事しなかったな >>144
随分後になってようやく大久保の銅像が鹿児島に出来たと思ったら
わざと名前の字をずらして刻ませたのを知ってドン引きしたわ >>304
鳥羽伏見の結果朝敵に指定された藩は会津だけではないぞ
指定されたすべての藩に討伐軍が派遣されたが皆恭順して開城し雄藩の占領統治を受けいれた
降伏せずに籠城したのは会津だけ(桑名藩ですら本領は開城してl降伏した) >>309
謎の理由で朝敵にされた荘内藩の立場は? 伊予松山藩だって強い奴に従ってただ平和に暮らしたかっただけなのにいきなり朝敵とかひどすぎるんよ
>>310
別に謎ではないぞ
庄内藩は鳥羽伏見に連座していないから、鳥羽伏見絡みで朝敵になっていない
庄内藩が朝敵になったのは天皇に恭順を誓わなかったことと預地で徴税したから
慶喜の降伏後は預地は天皇領 幕府の命に従って大金かけて京都で粛々と仕事をし
光明天皇からも宸翰をいただいたのに
天皇陛下が変わられた瞬間に朝敵にされた会津藩よりはましやで。
>>118
明治維新を起こし自ら中央集権にしたんだからある意味鹿児島にとっては自業自得ではある
昔は藩で国が違うというぐらいでかつ中央の政治に参加できなかったので優秀な人は地方に残った
まぁだけど大久保やらが作った中央集権国家も制度疲労起こしてるんで
変える時だと思うけど地方分権にするには20年遅いかったな >>309
朝敵指名されたのは会津桑名と姫路藩、伊予松山藩、高松藩、備中松山藩、若狭藩、丹後の松平
大垣藩、進軍した名目上の総大将大河内の千葉の藩、九州の2藩ぐらい
これぐらいかな
桑名藩主は慶喜の逃亡の際に江戸へ、残された桑名藩に出兵命令が下され
藩兵は戦うか降参するか悩み、クジで決める事になった、結果は戦うだったが結局は降参
桑名藩の飛び地が越後にあい、そこで桑名藩主は戦い、最後は函館まで戦い逃亡し数年後自首
大垣藩は洋式銃を揃えており、蛤御門とかでも活躍
家老の小原が朝廷に仕えており弁明し降参、戊辰戦争では結構活躍した
会津と桑名藩主以外は、どこもすぐ降参した
千葉の大河内は鳥羽伏見で、薩長兵の死骸を食ったりするなど戦意高かったが、千葉に戻ると大人しくなった >>309
まさに謎の理由だなw
某藩に、「荘内藩を討つのはいいが、どのような罪状で討つのか理由をお聞かせください」
と言われるだけあるわな。 >>314
実際は加増やたびたびの経済支援を受けている
京都守護の役高が5万石、加増が5万石、預地が5万石 >>317
君は何も知らないんだな
預地に対する徴税について説明してごらん >>316
会津の観光史観は自分だけが朝敵になったように語るんだよね
他の藩だって降伏しなかったら戦争になったのに お前こそ寒河江柴橋事件が何で朝敵になるのかをきちんと説明しなよ。
>>304
大総督府の林通顕が会津を赦す気はなかった
http://www.mumyosha.co.jp/ndanda/05/bakumatu06.html
「会津は実々死謝を以ての外(ほか)に之(こ)れなく」、つまり、「会津藩主松平容保は、死罪にするしかない」という激越なものだった。
『戊辰役戦史』の中で、大山柏は、この返答を作成したのは大総督府の参謀、林通顕(みちあき)だと断定している。
このころ、有栖川宮は大津にいた。実際に大総督府を動かす参謀はもう一人いて、それは西郷隆盛なのだが、
西郷はすでに名古屋まで進軍していた。だから沢からの書状が届いた時、有栖川宮総督の傍には林しかいなかったのである。
「会津は死謝」という指令を発した林通顕は、宇和島藩士(愛媛県宇和島市、伊達氏、十万石)である。
この時、三十一歳。藩主伊達宗城(むねなり)の小姓として、幕末、藩主の外交に関わったことから見出され、大総督府参謀に抜擢された人だ。 >>321
馬鹿なの?
慶喜の降伏後の預地は天皇領(新政府領)
ここで庄内藩が徴税したら反逆行為になるのは当たり前だろ
説明されないとわからないのか? >>320
他の藩の大半は、
「え?新政府軍に錦の御旗?江戸幕府を敵にしていいの?今まで結構お世話になってし義理もあるからどうしよう」
て感じで頭の切り替えが出来なかっただけだからな >>320
慶喜が大阪城逃亡したのはお前のせいだ!と切腹させられた会津の神保修理
その嫁は八重の桜で最近自殺した芦名星が演じてたが
夫の不名誉な切腹を挽回するため、自ら出陣したが捕らえられレイプされ自決
このレイプした藩は譜代の大垣藩
鳥羽伏見では旧幕府軍に属し戦ったが、先にも書いたがすぐ降参し朝廷側として活躍
戊辰戦争で残酷な事した兵って、薩長以外の兵が多かった、特に降参した譜代が多かったらしい
福岡藩の黒田は討幕派と佐幕派が、水戸藩みたいなお互い静粛やってしまい
戊辰戦争では博徒や町人らが出陣する事になってしまい、略奪レイプばかりし
それで戦場では弾除けとして先陣押し付けられる事に >>327
ヒントだけあげるよ。時系列。
史実でも他藩から同様のことを言われてるけどねw >>328
ヒントはいらないよ
反論できなければお前の負け >>311
藩の汽船に藩兵のっけて大阪に援軍おくろうとしてて何を。
朝敵認定されたら何事もなくUターンしたヘタレっぷり。 >>289
第二次長幕戦争では周防大島で乱暴狼藉の限りを尽くした強盗まがいの藩だからな。
接収したのが土佐軍でラッキー、長州だったら領地丸ごと更地にされただろう。 >>323
明治4年の廃藩置県までは藩が徴税してるけどね
慶喜降伏後すぐに新政府に徴税ができるのかって思わんの >>290
芸州口は初戦だけ長州が攻め込んだけど、その後は長州が引いて防戦一方 沖縄の大学の先生の講義で琉球は沖縄県に結局なっちゃったんだけどねえ
といいながら、
でも琉球は幕藩体制下の異国とされてきていて、論理の上では日本の版籍奉還の過程とは無縁だったのに、いつのまにか朝廷の傘下に置かれてるみたいな話があって面白かったわ
土佐のアゴが維新まで生きてたらどうなっていたかねぇ。
>>65
佐野史郎は冬彦じゃなく
トラブルメーカー
有村俊斎っていまだに思う >>216
お前は大村益次郎のウンカスにも及ばん浅はかさ。出直せ 熊本城で敗退してるのに大久保のせいとかってレベルじゃねえだろ(´・ω・`)
>>309
長岡藩は?
河合敬之助と佐川がこじれてのまさかの大戦争。薩摩長州連合軍はガトリング銃相手に苦戦したが、力押しで制圧、藩は焼け野原と聞いたけど。詳しい人いる? >>320
庄内藩のように新政府軍相手に大暴れして大活躍みたいな痛快な話が会津には無いんだよな
大きなことを言ってた割に全然良いところが無い 大久保利通ってのは
今に繋がる官僚政治の権化のようなやつだから
おれは好かんな
>>306
大久保の一族は東京に留まり、他の親戚も大方は迫害に耐えきれず鹿児島を去ったと聞いた
現在も鹿児島出身と飲むときは大久保の話題に触れないよう注意が必要
西郷の話題は目を輝かせて幾らでも語るが大久保については吐き捨てるように「あん逆賊が!」と言って怒るのがいる >>326
江戸城一番やりも譜代どころか親藩の尾張藩兵だからな 廃藩置県も西郷の功績だし法律は江藤新平の功績
じゃ大久保利通の功績は何?って言いたくなるくらい存在感がないんだよね
征韓論がなければ西郷さんも日本史上最大のヒーローになれただろうし
大久保利通も悪役のままで終わっただろう
大久保利通は政争のために征韓論を利用しただけだし、政権を掌握してからは征韓論に近い事を行ってるわけだが
>>349
征韓論(西郷特使案)は大久保等の渡欧中に始まった議論だからなぁ。
別に大久保が政局の為に持ち上げた訳じゃない。
もうちょっというと、対西郷に積極的に動いたのは岩倉。 >>343
結局土下座命乞いしてるから庄内藩も一緒 >>315
中央の政治に参加できなかったんじゃなくて
政治と距離置いてたのな
鹿児島はサムライの割合が多かったから軍事に移ったんだよ
警察も陸軍も海軍も航空自衛隊も薩摩の影響力大きいだろ、内閣情報調査室作った人も鹿児島だし >>1
明治維新最大の功労者なのに人気が全く無くて不遇な人だわ
NHK は大久保利通が主人公の大河ドラマを作るべき
視聴率爆死すると思うが >>1
大久保をワルとする前に、西郷従道も討伐に賛成してるのだが。
日本最強の指揮官、大村益次郎も薩摩が殺してるし
大村がいたら日露は余裕で勝ってたぞ
まあ西南戦争でゴミが死んでなきゃ日清も負けてたけど >>349
征韓論そのものは甲申政変とミンピ暗殺でやってる
さらに日清戦争、日露戦争と念願の朝鮮併合できてよかったよね
あんなカスの土地取らなければ満州国も作らなくてすんだのに
朝鮮のせいで敗戦してるからな >>31
さすがに日本史もっと勉強しろよレベルだぞ笑 3年前の西郷どんの最終回で、西南戦争やってる最中に東京で「内国博覧会」を強行し、大久保は外国の大使に「日本は内戦状態だと聞いてたが」と問われていた。鹿児島県の展示スペースは空白で。
何か今のオリンピックにも通じる話だね。
>>358
日本最強の指揮官大村益二郎って長州征伐と上野戦争で指揮官やってただけだろ
一番肝心な鳥羽伏見はなにもしてないし
普通に日清日露、西郷のほうが上だろ >>354
負けるまでの経緯と負けた後の態度が全然違うよ 西南戦争ってまさしく薩摩残留薩摩人と東京行って戻ってこなかった薩摩人の戦いだよな。
思うに東京行って戻ってこなかった薩摩人って、いったん薩摩からでて少しでもマインドコントロール
が解けたとたん、もう暴力団の組事務所もどん引きレベルの薩摩なんかには戻りたくなかった
んだろう?
大久保の人材登用は能力優先で
縁故頼っても断ってたから公平で
藩閥政治とは一線画してたんだろ?
渋沢や榎本ら旧幕府の人間を多く役職に就けてたし。
>>351
外国が何処と交渉すればいのか良くわからんのなw 帝と将軍と雄藩がいる
長州に賠償請求したら、攘夷は幕府と帝の命令でやったんだから長州に責任はない
幕府が払うのが筋とか煙に巻かれるw 大久保はそれでも惜しい人物だった。
大久保の子孫を吹聴する麻生こそあんな死に方をすべき!
>>340
薩摩長州と激しい攻防をした越後長岡藩と言えば
長岡藩士の子息と生まれ明治維新後、東京英語学校の進学した後
遺恨を乗り越え鹿児島の学校に教員校長として赴任した本富安四郎を思い浮かべる 鹿児島出身だけど
ビンタがよか大久保より、西郷のようなぼっけもんが好かれるのは今も昔も変わらんね
昼間っからそつをば飲んでよくろて人に絡むかゴロゴロするのが好きな県民性だから仕方ない
>>364
軍警察以外にも公務員として全国に散らばっていた
だいたい明治維新から10年経っているし辞めるわけにはいかんよ >>340
長岡藩は鳥羽伏見の直後は朝敵でもなんでもない
ただ、会津への通り道にあった藩。それだけ。
新政府軍が通り道の各藩に、兵か軍資金、もしくは両方をだすよう
それに従わない場合は朝敵とみなすと通達をしたが
長岡藩は最後の最後まで態度を保留した。それだけ。
で、越後長岡藩家老・河井継之助と新政府軍軍監・岩村精一郎が
小千谷の慈眼寺で会談をおこない長岡藩は奥羽列藩同盟の参加を断っている事実を説明
長岡藩は今後も非戦を続けるから領内での戦闘行為をしないで欲しい旨交渉したが決裂。
以後朝敵とみなされ攻撃を受けた。
早々に官軍についてら会津、荘内、米沢各藩から総攻撃を受けるし
奥羽列藩同盟についたら速攻で官軍から集中攻撃を受けるし
微妙な立場だったのは否めないガ、最後の最後でどうして官軍につかなかったのかが謎。
ま、岩村の態度が凄まじく上から目線で話し合いにもならなかったと長州藩の記録にはあるが
それだけではなかろうて。幕閣に連ねた牧野家の立場もあるのかもしれない。
ただ、長岡の街は会津以上に徹底的に破壊され、城は跡形もなく取り壊され
死者も人口比で言えば1番多く(正確な数字は不明なので諸説あり)
同じ通り道だっただけの二本松同様、非常に気の毒ではある。 >>375
二本松と言えば中世日本封建社会制研究の代表的な書として
世界でも名高い鹿児島の入来院文書を米国で著した
二本松藩士の子息と生まれて米国に渡った朝河貫一博士を思い出した おぬし学あるのう。もっと多くを思い出してくれると嬉しい。
南部藩 弘前藩 三春藩 平藩
生麦からの薩英戦争は笑う
1つの藩vs大英帝国だぞ
戦闘民族やな
西南戦争は、5ch陰謀厨が大好きな「プロレス」やがな
不平士族の死に場所を与えるための戦い
実際問題、武士道以外にとりえのない人間には
明治以降の時代は、あまりに厳しい
>>376
二本松といえば京都の広大な京薩摩二本松藩邸でしょ >>153
こいつは【知識が多い】んじゃなくて
【自分が知的で高尚な人間であることを(よりにもよってw)5chで認めさせたい】
だけだよ。
まあ評価乞食だわな。
現実社会では出来の悪いバイト爺さんだから仕方がない、、、と言えるかはしらんけどさ。
だからググって見つかることについては饒舌。
でも無意味で普通は使わない日本語やカタカナ語を使って冗長になるところなんてまさに、
「頭がいいふりをする馬鹿そのもの」
そしてググって出てこない事に関してはかなりお馬鹿さん。
「須らく」を「全て」の」】カッコイイ表現だと思い込んでウン十年使ってたりね。
さぞかしリアルでは苦笑、冷笑されているんだろうなあとは思う。 >>306
俗説かもしれんね。
http://www.asahi.com/area/kagoshima/articles/MTW20170201470490001.html#:~:text=%E5%8F%B0%E5%BA%A7%E3%81%AB%E5%88%BB%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F,%E3%81%AB%E5%B0%91%E3%81%97%E3%81%9A%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82&text=%E3%80%8C%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E3%81%AE%E9%8A%85%E5%83%8F%E3%81%8C%E4%B8%80%E6%AE%B5%E3%81%A8,%E5%8C%85%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82
大山巌の心遣いが素敵。 >>362
> 徳川慶喜による大政奉還後の明治元年(1868年)1月14日、鳥羽・伏見の戦いを受け、毛利広封が京へ進撃、17日に益次郎は随行する形で用所本役軍務専任となる。
その際、新政府軍(官軍)の江戸攻撃案を作成したと見られる。
2月22日、王政復古により成立した明治新政府の軍防事務局判事加勢として朝臣となる。
益次郎は京・伏見の兵学寮で各藩から差し出された兵を御所警備の御親兵として訓練し、近代国軍の基礎づくりを開始する。
翌3月、明治天皇行幸に際して大阪へ行き、26日の天保山での海軍閲兵と4月6日の大阪城内での陸軍調練観閲式を指揮する。
4月には、西郷と勝海舟による江戸城明け渡しとなる
益次郎は有栖川宮東征大総督府補佐として江戸下向を命じられた。
21日には海路で江戸に到着、軍務官判事、江戸府判事を兼任する。
5月1日には江戸市中の治安維持の権限を勝から委譲され、同日には江戸府知事兼任となり、いよいよ市中の全警察権を収めた。
こうして満を持した益次郎は討伐軍を指揮し、5月15日、わずか1日でこれを鎮圧する。
同年6月4日、鎮台府の民政会計をも兼任し従四位となる。
関東北部での旧幕府残党勢力を鎮圧する一方で、江戸から事実上の新政府軍総司令官として指揮を行った。
白河方面の作戦を巡って益次郎は西郷と対立し、以降益次郎単独での作戦指導が行われた。
明治2年(1869年)、函館五稜郭で榎本武揚らの最後の旧幕府残党軍も降伏し戊辰戦争は終結、名実ともに明治維新が確立し、新しい明治時代が開かれた。
明治2年(1869年)6月2日、戊辰戦争での功績により永世禄1500石を賜り、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通と並び新政府の幹部となった。
10月24日、軍務官副知事に就任、益次郎は軍制改革の中心を担い、明治2年(1869年)6月には政府の兵制会議で大久保らと旧征討軍の処理と中央軍隊の建設方法について論争を展開している。
益次郎は諸藩の廃止、廃刀令の実施、徴兵令の制定、鎮台の設置、兵学校設置による職業軍人の育成など、後に実施される日本軍建設の青写真を描いていた。
益次郎が「奥羽はいま十年や二十年頭を上げる気遣いはない。今後注意すべきは西である。」と答えたように、西郷らを中心とする薩摩藩の動向が気になっていたためと言われ、すでに西南戦争を予想していたのである。
さらに25日には、大久保が益次郎の更迭を主張し始めている。憤懣やるかたない益次郎はほどなく辞表を提出したが、当時の政府内には、軍事に関して益次郎に代わるべき人物はなかった。
その結果として、翌日益次郎は兵部大輔(今の次官)に就任することとなった。 西郷隆盛の顔写真が一枚も残ってないのが不思議でたまらん
上野の西郷もニセだし
>>18
幕末から
> 幕末には対外進出の一環として朝鮮進出が唱えられ、[4]
吉田松陰は欧米列強に対抗するために「取易き朝鮮・満州・支那を切り随へ、
交易にて魯国に失ふ所は又土地にて鮮満にて償ふべし」と、[5]
橋本左内は日本の独立保持のために「山丹・満洲之辺・朝鮮国を併せ、
且亜墨利加州或は印度地内に領を持たずしては迚も望之如ならず」とそれぞれ主張した。[6]
勝海舟は、欧米列強に対抗するために「我邦より船艦を出だし、弘くアジア各国の主に説き、
横縦連合、共に海軍を盛大し、有無を通じ、学術を研究」しなければならないとして、
「まず最初、隣国朝鮮よりこれを説き、後、支那に及ばんとす」とアジア連合論を主張した。
と、要するにこの頃から朝鮮と満州を視野に入れつつ、
ぶんどることでヨーロッパを追い出そうとは思ってた
そして八戸事件が起こって、朝鮮は江戸幕府の朝貢国なんだから朝貢しろや!と主張して互いに喧嘩腰になる
木戸ですら文句言うなら征服してやるって方向 >>386
まあよくわからんのだけど、
逆賊だったから処分されたとか、
本人が活躍したのがヨーロッパ写真が入る前後だったとか、
本人がミーハーじゃなかったとかいろいろ
実は写真は残ってるが大山巌や西郷従道と混ざってる説もある >>389
岩倉遣欧使節団で大久保利通は名前が乗ってた
坂本龍馬西郷隆盛あたり維新の志士は基本乗ってない
主に近代化が進んで富岡製糸場とかができましたって程度
太平洋戦争は0だった近現代史は本当スカスカだった 前島密の郵便制度
町田久成の日本博物館
とかかなあ
外遊から帰った大久保は使える旧幕臣を内務省にどんどんと登用したのんは周知のとおり
西郷はまだしも、江藤に対する仕打ちのヒドさね
大久保は好かれるわけがないわぁ
伊藤博文や岩倉具視は教科書の太字で表示される
西南の役で反乱首謀者って事で西郷隆盛もね
大久保利通は見たことない
わたしは九州鹿児島の 西郷隆盛娘です
明治十年三月三日 切腹なされた父上の
>>386
西郷は右翼の源流と称されてるのもそこなんだよ
西洋かぶれではなかった 写真も撮っていないし洋行もしていない >>395
日本史の教科書では内務省の新設とか征韓論とか出てこないのか?ふしぎ 明治維新とその後の日本の成り立ちに一番功績があったのは大久保利通だろ
明治維新の成功は藩が動いたことだ 薩摩藩を動かしたのは大久保利通だし
長州藩を動かしたのは高杉晋作だ
>>4
こいつの動画貼られたら必ずバッド付けるようにしてる なぜ征韓論が起こったか?
天皇の親書を朝鮮が「皇の字を使っていいのは清の皇帝だけだ」と言って
日本の使者を追い返したからだ それに対して日本国内が「朝鮮は無礼だ」と
世論が沸騰したんだよ だから無礼な朝鮮は今でも日王とか言ってる
ぶっちゃっけ
大久保利通より板垣退助の方が有名で知名度あるし
お札にまでなって日本国民に周知されてる
「板垣死すとも自由は死なず」の名言もあるしな
逆に大久保が殺される時に「話せばわかる」というみっともない最後は
歴史に詳しい奴なら知ってるから、大久保を擁護するのはいないと思う
薩摩の殿様、幕府に楯突いて若いもんに好き勝手やらせたら、
なぜか殿様の身分が無くなったでごわす。
>>401
日清修好条規との絡みはどういう研究になってんの? >>365
だって、幕臣がいないとノウハウなくて
何もできない新政府だったからw
でも渋沢が新政府に居たのは、ほんの短期間のようだ。 まあでも島津久光はよい身分よ。明治入っても鹿児島だけ特別扱いの独立国だもんなw
示しつかないから西南戦争おきるわけだけど、家臣の西郷が死ぬだけで久光は天寿まっとう
>>404
清が言ってるわけではない 朝鮮が忖度してというより清の一番の子分と
考えてたのに上に日本が来るのが許されなかったんだろ >>384
その記事だと「通像」がずれている事になってるけど、写真見るとずれているのはその上の「利」なんだよな
「久」や「保」が飛び出していたらなんとも思わんけど
「利」が飛び出しているあたり、いやらしい情念をひしひしと感じる
大久保が私利とは無縁だった事は置いておくとしても >>402
話せばわかる?? それは515事件の犬養毅だろ
勤皇の志士の大久保が言わんだろw
昔の日本なら明治維新の有名人と言えば一番に高杉晋作だった
明治維新の英雄と言えば「功山寺決起」の高杉晋作だった 自由と逸脱をはき違えてはいけない
男連中の痴性はお先真っ暗負け犬街道まっしぐら
どんどん醜悪なものに変化していく無恥さ
恥恥恥恥恥恥と1億回毎日書く方がよっぽど慰霊になるだろう
男連中は馬鹿でしたと懺悔文でも毎日唱えるのがふさわしい
>>409
日本外交の話だよ 鎖国してた朝鮮に日本のように開国を勧めたんだよ
そのときの親書だ もし戊辰戦争が平和裡に解決して政権移譲してたら日露時の陸軍は
陸軍大臣 西郷隆盛
参謀総長 大村益次郎
参謀次官 児玉源太郎
満州軍総司令 土方歳三
第一軍団長 河井継之助
第二軍団長 大山巌
第三軍団長 立見尚文
第四軍団長 奥保鞏
鴨緑江軍団長 時山直八
こんな感じの最強メンバーで奉天でクロパトキンも生け捕りにしてたわ
経済知識もないのに大蔵省の財布全開にして各省のお友達にカネばら撒いた人って認識しかないわ
そもそも幕末薩摩が台頭してきた要因は
1.明との密貿易で莫大な裏金を所有していた
2.その明が欧米列強の脅威にさらされ次は薩摩という危機感が有った
3.当時の君主(斉彬)が西洋かぶれであった→いち早く西洋の技術を導入できた
この三点。
>>416
薩摩が外国船を攻撃したというの、あったよね。
それで攻撃されてなかったっけ
その後に外国のすごさを知って武器を輸入だったっけ? 西郷は久光に逆らってばかりで大久保が久光を手懐けてなかったら西郷は表に出られないまま終わってたのを
大久保が救ってくれた
復活した西郷さん
長州こてんぱんにやるぞと脅しておいて裏で最初から長州助ける戦略で
幕府を倒すためにぎりぎりまで幕府の味方のふりして騙して
慶喜がまんまと引っかかった
>>388
前原や江藤の写真が残ってるから処分されたとかはない。 自殺を試み、離島で風雨に耐え、数々の戦場で指揮を執って……、それでも写真機に魂取られるのが恐いのかよ!
西郷を敗死させたってっ、西郷が勝手に体制離脱、謀反、弱くて負けた
だけじゃねーかwそもそも単なる威圧感だけのギョロメのデブ。
元松下村塾筆頭教師「富永有隣先生」による西南戦争前夜の情勢分析
一、 九州ノ兵乱。コレ天下同情、廃県復藩ニシテ、太政官ノ威廃シタルヲ
見テ一快戦ヲ得バ、天下応ゼント見ルモノ也。陳勝呉広也。漢高安ンカ在ル、
呵々。漢土ト日本トハ天朝ノ勢ヒ異ル也。諸藩ノ城郭兵器ヲ毀チタルハ秦始
ノ履轍ニシテ、害ヲ招クハ此レニ在リ。寺島兵ヲ提ルベシ。而シテ大久保コ
レニ任ス。兵ヲ知者ニ求ムルナラバ勝ソノ外アリ、兵ヲ知ラザル者ヲシテ兵
ヲ統ル、コレ迷復ノ凶兆。
その後、実際に西郷挙兵の報を聞いた富永有隣先生は「機熟せずして事を挙ぐ、
孺子輩つひに天下を誤る。この挙、必ず敗れん」との内容の卦を立てています。
>>413
日本には「軍団」という単位はないよ、「第◯軍団」ではなく「第◯軍」
ロシアは師団の上位として軍団という単位があったけど、兵力が少ない日本では軍団という単位は不要だった 土佐の連中は、徳川の密偵に人相書き(指名手配写真)を作成されるのを嫌がって写真撮影時にはポッペたを膨らませて素顔が割れないようにしてるよな。
>>427
大久保と同じらしいよ。従道はどうなんだろう
>>423
テメーは外国に長い事いっててフラフラしてた癖に、留守中勝手なことするな
帰ってきてから、勝手なことすんなって言っただろとか言われて、キレない奴はいないだろ 版籍奉還の時に、琉球藩という宙ぶらりんな形にしたのだが
琉球藩御用船の船員が台湾のタイヤル族に殺される事件が起きて
所謂、台湾出兵が行われ。清国が日本に抗議
大久保利通が李鴻章と直談判する事になったんだが
李鴻章は交渉の際に、備え付けた大砲を交渉して部屋の傍でぶっぱなし
交渉相手をビビらせてから交渉に入るっていう悪どい事をやる人物で
大久保利通にもやったらしいのだが
利通ビビる処か李鴻章を睨み付けたママだったんで
李鴻章の方が逆にビビってしまって
台湾の事は日本の義挙です賠償金も払うし琉球も日本側だと認めます
って
ビビり過ぎだろ李鴻章
ってな形になり
琉球は宙ぶらりんな存在から沖縄県になったわけだ
まあなんだ、李鴻章のせいだな
肝練りとかやってる薩摩人が
大砲の音とかビビるわけないんだよな
>>422
実は日本で最初に写真機を使用して生きている時の自分の姿を後世に伝えたのは、薩摩の
島津斉彬らしい。ある時斉彬が写真機をいじりながらかたわらの家臣に訪ねた「どうだお前
今度俺と一緒に記念撮影しないか?」その家臣は困惑した。「魂を吸い取られるの御免でごわんと
じゃっとん君命には背けもうはん。どげんしたもんじゃろう?」困りはてた末にその家臣は
数日後に突然腹を斬ってしまった。それ以来島津斉彬は家臣の声をかけるときは細心の上にも
細心の注意をはらうようになったとか… >>430
足音がしただけで職場が静かになったという逸話があるくらいだから相当に威圧感があったんだろう >>401
バカチョンは相変わらずくだらんことにこだわって国を失うんだなw 西郷は最後は国賊になり下がったのに
英雄扱いだからな
>>378
長州の方がw
英米仏蘭、幕府薩摩vs長州 >>437
その左側にいるの、いくつかこっそり右側にいましたよねぇ… >>377
九州有数規模を誇る学習塾グループ昴は
陸奥南部八戸藩士の子孫の西村桂夫が
鹿児島大学在学中に 創業したのを思い出した ご先祖の一人が西南戦争時に西郷隆盛を籠?か板?に乗せて運ぶ役だった。
亡くなる間際?
しかし大久保利通を現在まで恨むとか鹿児島人は白痴なのかね
>>443
よく言われるけど本当なんかね。令和の現代にちょっと信じられないがw
年寄りだけじゃないのかね >>443
鹿児島には妙円寺参りというのがあっての〜
ま〜リーメンバー関ケ原を今もやっとるわけですわw >>443
そういう雰囲気を出さないと暮らしにくい土地なのかもね
会津でも「当時すごいシステムやってたけど、長州に壊された」って恨み節の展示がたくさん有ったよ どんなに長州田布施政権が新選組から会津果ては東北北海道まで差別してきても
結局判官贔屓気質日本人だけでなく
外国人にまで絶大な人気あるのは新選組や会津で
女にもカネにもだらしないカルトテロ集団長州志士は全く人気無いというwww
>>430
琉球藩設置は1872年
鹿児島県設置が1871年
最初の書き出しから事実誤認になってるのはなんで? 薩摩は長州のように京都市中で新撰組に斬られたり
禁門の変や長州征伐で有能な人材を失ってないのが大きい
長州は禁門の変で久坂玄瑞や入江九一、来島又兵衛を失い
続く長州征伐で益田親施、国司親相を失った
維新後も三傑のひとりである高杉晋作と陸軍創設者の大村益次郎が早々に病死
だから残った二線級の連中が長州閥として幅をきかせることになる
西郷は月照とのホモ心中に失敗し、自分だけ生き残って自暴自棄になってた。
英国武器商人の言いなりに武力討幕を煽り内戦に火をつけたのも、
戦場で華麗に散るためだった。
負けるはずの討幕戦にまぐれ勝ちしたのは、西郷にとって人生最大の誤算だよね。
クソ面白くない新政府の実務を放り出し再び内乱を始めたのは、
一種の基地外である西郷にとっては必然だった。
>>450
こいつら息を吐くように西日本への悪意を振り撒いてるよな
実態が明らかになる程気持ち悪くなってきたわ
近くにあるらしいけどよく知らなかったあの国みたいに 朝鮮人であることをDNAで証明したら不利になるからなw
絶対に麻生太郎が死ぬまでやらないわ
西郷隆盛が生きてたら陸軍では皇道派みたいのが主流になってたのかね
変なドラマのせいでホモどんにしか
見えなくなったわ
西郷が生きてたら「武士道」や「忠誠心」を重んじる脳筋軍事国家が爆誕するよw
まー戦争はそこそこ強くなるかもしれんが、外交が下手くそすぎて
とても権謀術数でうごめく世界相手に渡り合えない
外人相手に「人の道」を講釈するのが目に見えてるw
あまりに視野が狭すぎる
しまいには「世界が不幸なのは白人ユダヤのせいだ」とか表で言いだして
玉砕覚悟で勇敢にユダヤのロスチャイルドやロックフェラーに乾坤一擲の攻撃しかけて
ぺんぺん草一本もはえないほど日本全部が焦土と化されて終わるw
生麦事件しかり今だとビル・ゲイツにきりかかるのは薩摩藩士w
>>460
統制派だね 大東亜戦争をやったのもその連中だよ 島津薩摩と徳川家康
の慧眼
ガラクタ三流達がどさくさにまみれて
国家に入り込んでいる現状を鑑みて怒ってるだろう
>>463
九州男児はあくまで使いっぱでソルジャー向きだよ
指揮系統は向いてない
そもそもこの世界で生き抜くにはユダヤとアングロサクソンと上手く渡り合わないといけない
アイツらは善悪の二面性を持ってて狡猾だから
他人を支配して自分だけ得しようって腹よ
だから歴史的に奴隷制や植民地制度をやりまくってた
日本人みたいな恩や義理みたいなもんはないし
裏切りまくっても良心が傷まない連中だからな
それが「けしからん」って日本式道徳を推しつても
武力で劣るからどうしようもない
だから脳筋じゃリーダーになれない
人としては西郷は立派かもしれないがあの甘さでは白人に通用しない
その点大久保の方がまだ頭が切れてたと思うよ >>443
大久保の親戚一同は迫害に耐えかね全員鹿児島を去ってるからな
また、久保とか小久保といった似ている名字の子供は学校でいじめの対象になるとも聞いた >>447
伊藤とか女体盛りだもんな・・
山縣もおんなおんな・・
長州毛利ってこれ >>28 くっばっかいのやっせんぼがカゴンマきっせぇゆわんか 伊藤も山縣も私生活や人間性に問題があるが基本的には優秀だよ
井上馨も天才的だけど自分の金と他人の金の区別が付かなくなる欠点がある
>>465
九州が指揮官やって日清日露勝ってるだろ
薩摩は幕末から立ち回り上手いよ >>465
自衛隊に九州の将官が多いのはマジだから
あと大久保よりも五代友厚のほうが頭は良かったらしい 政府や民間で出世できなかった賊軍東北諸藩の子弟が軍部を乗っ取って行く
>>449
>だから残った二線級の連中が長州閥として幅をきかせることになる
まあねえ、勝海舟先生の評語に身もふたもないことが書いてあって
いつもウリのいう『氷川清話』に書いてある話だが
長州には昔の幕末維新の回天の時代に散ったものについて高く評価していて
同時代の長州藩閥の元老は「生きてるからネー」て表現しているのね。
これはどういうことかってことですよ。
あの本さ、当時すでに物故者たる西郷隆盛と横井小楠を
高く評価しているのは有名だけどさ。
とくに長州の時代の人間への月旦もあるんだけど
そこはね、まあ憚って奥歯にものの挟まった表現になってますな
「察しろよ」ってことなんだろうねえ。眼光紙背に徹しろよって。
当時の政界のビックボスたる山県有朋なんて一言だよ
「正直一方の男サ」ってねw これはなかなか多義的に解釈できますナ
まあとにかく人生なんでも生きてることだよ。
ラストマンスタンディングじゃないけどさあ。最後に立ってるのが、勝者。
生きてるからネーwww >>474
池田屋で新撰組に斬られた長州の吉田稔麿や肥後の宮部鼎蔵
禁門の変で死んだ久留米の真木和泉あたりが生きてれば
大久保の独占場にはならなかっただろう >>475
難しいな
桂小五郎だってもっと早く死んでいれば評価はさらに高かったかもしれない >>471
高橋是清のおかげだよ
ロスチャイルドから資金を取り付けた外交力はさすが
今の政治家にそれクラスはいない
TSMCの台湾の方がよっぽどしたたかだよ >>475
真木和泉なんてただの思想家じゃん。政治家として何も出来ねえだろうよw
吉田宮部も未知数過ぎて何とも言えんな 明治初期、権力を握った薩長は、
廃仏毀釈でお寺や仏像など国宝級の文化財を狂ったように焼き払い、
さらに廃城令を出して200近くあったお城のほとんどをぶち壊した。
特に鹿児島県は文化財破壊が最もひどく、全てのお寺が破壊され、
今や歴史的な文化遺産がろくに残ってない。
なぜ薩長が日本の伝統文化をここまで憎んだのかは歴史的謎だけど、
おそらく、廃仏毀釈が李氏朝鮮の廃仏運動の模倣であること、及び、
薩長が半島渡来系であることが関係してるんだろうね。
あと、いまでこそ国宝級だけど
当時で言えばどこにでもあるあいふれた建設物だから。
今の感覚で言えば、全国どこにでもある何も珍しくも何ともない
普通の鉄筋コンクリート製の市役所を片っ端から破壊したようなもん。
>>471
東郷も言ってるように、日本が日清日露に勝てたのは、
徳川幕府と小栗上野介が東洋最大の横須賀造船所を建設してたおかげだよ。
幕府による先験的な近代化政策がなければ日本は植民地になってた。
ちなみに日露戦争で日本を支援したアメリカは、
満鉄の共同経営を望み、条約締結寸前まで話がまとまったけど、
九州の田舎者・小村寿太郎が横やりを入れてひっくり返し、
日本だけで戦果を独占してしまった。
これ以降、英米との利害対立がどんどん拡大し、最後は、
満州利権を牛耳る長州の松岡洋右がナチスと三国同盟を結び、
太平洋戦争で激突することになる。 まあでも小栗や幕府は、日本の為じゃなくて幕府の為だけにやったんたけどな
そこを立てる辺りが東郷の出来た所w
実績なかった東郷を運がいいというだけで連合艦隊司令長官に抜擢した山本権兵衛が有能
逆に陸軍の山縣は西南戦争で軍旗を奪われたりと運の悪い男を司令官に任命
>>483
第二次大戦ははめられたんだよ
米国のコミンテルンのせいだよ
日本がナチスと同盟結んで石油の供給を止められた
あとロスチャイルドを敵に回したから
1940年ドイツはフランスに侵攻した
時同じくして日本もフランスの植民地だったベトナムに進軍
なんと間が悪いことにキイロ・ロスチャイルドがそこにいて
命からがらNYに逃げた
ブチ切れたロスチャイルドは日本とドイツをぶっ潰す決意をしたのである >>26
西郷ってウホッなアッー!だったのか
キモい 土佐の両巨人が健在だったら
海援隊の坂本龍馬が海軍大臣で陸援隊の中岡慎太郎は陸軍大臣だったかな
>>489
紀州藩から積んでない荷物の代金を掠め取った連中が陸海軍の大臣とかないわーw
そんなことになったらぼったくりの見返りに中抜きピンハネされまくり放題になるわ。 フリーメイソンの武器商人トーマス・グラバーのパシリの龍馬はないわw
岩倉具視が近江屋事件を聞いて我が両腕でもぎ取られたと嘆き
三条実美が慟哭して祭壇を作って祀ったというから
維新後も生きていたら薩長閥以上に国政を担う相当な人物だったと推測される
坂本龍馬はよくある小説による捏造後付け評価が過大なだけでそんな大した人物ではない
竜馬は外交大臣が適役か
彼ならポーツマスで全樺太に賠償金もせしめてただろう
確かに詐欺師の素質はあるけどそこまでの才覚はないんじゃないかな
竜馬が薩長同盟をまとめた手腕はすごい
長州にしたら禁門の変で来島又兵衛を討ち取られた際の直接の相手が西郷だし
殺しても飽き足らない相手だったのは確かだから
いかに人たらしというか今でいうコミュ力の陽キャ強者だったか伺い知れるわ
長州は上海経由の密貿易に藩の命運をかけ、イギリス武器商人の言いなりだった。
薩摩を介した三角密貿易、つまり薩長同盟を拒否する選択肢はなかったんだよ。
龍馬は英国武器商人のエージェントとして立ち会っただけ。
>>486
それ、独逸軍の動きに同調してベトナムに進軍した日本が悪いんじゃね? >>500
石油を止められたから日本はインドネシアの石油を求めて南方戦線を展開していた
今のロスチャイルドのトップはジェイコブ・ロスチャイルド
なんとホテル・オークラの令嬢と結婚するとこまでいったらしいが
父親が猛反対して決裂したようだ
くだらん外人と結婚するぐらいなら地球皇帝を狙え
その点、ビル・ゲイツの再婚相手といい、ザッカーバーグの嫁といい
マードックの嫁といい中国人はしたたかだよ >>501
火事場泥棒みたいな事して陰謀にやられたとか言ってもな >>480
違うがな 徳川幕府は朝廷の力を弱める為に神社より仏教に力を入れた
だから尊皇の薩長は仏教の力を弱める為にやったんだよ >>504
ちゃうちゃう明治政府が目指す中央集権国家にするには
当時の寺院の勢力があまりにも強すぎたんだ。廃藩置県と同じ理由で廃仏毀釈やで。 >>498
坂本龍馬は薩長の同盟成立時には同席していません
具体的なことは秘密でしたからはっきりと示したものはないのですが
会談の開かれた京の小松帯刀邸にいた
薩摩藩の桂久武(赤山靱負の弟)が大事成ると日記に書き残し、
その二日後に大久保利通が報告のため薩摩に旅立っています
その夜には長州勢の送別会が開かれ坂本龍馬が小松邸に来たのはそれに出るためなのです
ではなぜ仲介とか言われているかというと桂小五郎が長州に帰った時
同盟が結ばれた証拠がほしいとごねたからです
長州の家老はとっとと京見物にいってしまったというのにね
同盟は秘密ですから薩摩が応じるわけもなく
窮した桂小五郎は自分で同盟の中身を箇条書きで書くことになります
薩摩が応じなくても薩摩の手下が認めていればと思ったのでしょうね >岩倉具視が近江屋事件を聞いて我が両腕でもぎ取られたと嘆き
岩倉が黒幕か・・
>>475 くんからレスをもろうたのでご返事
あのねえ、まさに勝海舟はそういう幕末に散った人物を
高く評価しているんだねえ。
そこにはね、それなりの根拠があったんだろうねえ。
で、長州でね、明治の御世を見ることなかった
若くして死んだ大物として高杉晋作とかいるけど
この人が長命をえたらどうなったんだろうかと思わぬこともないね。
あとは長州藩の正義派の三家老とかさ。
他に航海遠略策の長井雅楽とか周布政之助とか
そういう明治を現実にリードした山県とか伊藤とか長閥元老の
親分筋の先行上級世代の人士がおったら
明治時代も随分と変わったものになったに相違ない。 岩倉は薩長と組んでるから、土佐に寄って慶喜に甘い龍馬は邪魔だよなw
あと、なんかスレでは廃仏毀釈の話題があるけどさ
あれはさあ、あくまで民間レベルの住民運動宗教暴動なんだよねえ。
信長の叡山焼き討ちや松永弾正の大仏ネタとは違うわけで
別に明治政府の命令一下、御親兵とか官軍鎮台が集まって
バンダリズムしてたわけじゃないんでね。
まあ、ヨタ勘でいうんだろうけど、あくまで一般論として
当時のムーブメントから考えると神道側の扇動とかもあるんだろうけど
寺院その他は嫌われていたのかもしれないね。普通に。
そこに別に明治政府からの直截的なオーダーがあったわけじゃないけど
分離しろって指示、それに乗じてやらかしちゃうわけでさ。江戸三百年の鬱憤式に。
廃仏毀釈運動は全国でも濃淡色々あるんだけど
どうなんでしょ? 寺院防衛のために信者集まり擁護側と棄釈側が
交戦とかそういうのってあったんですがね。あまり聞かない気もするな。
ことは宗教問題なんで、そういうのあっても不思議じゃないんだけどね。
勝敗度外視、身を挺しても命を懸けても信仰を守るなんて
隠れキリシタンがらみとかでよくあったもんだけどさ。
>>509
高杉君は建設的な事には向かないでしょ
役割を果たしてさっと去って行く
あれで良かったんだよ
大村益次郎が生きていた場合の日本陸軍がどつなったかは気になるけど >>512 くんのレスを読んで思い出したネタでまったく根拠はないんだけどね
全然根拠レス…っていうかキッズのときから漠然と思ってることなんだけど
高杉晋作が長命を保って維新その後に生きながらえたらさ、
明治初年の士族反乱の時になんかやってるような気がするんだよなw
何度も言うけど根拠ないっすよ。功山寺挙兵のクーデターがよほど印象深いのかな。
まあそれいえば西郷も江藤も前原も士族反乱をやった指導者に
幕末の時にそういうことやりそうな予兆って全然ないけどさ。
(まあ、倒幕派ってのは全員徳川レジームからみれば謀叛人だから
全員反乱の素養や前例があるといえばそうなんだけどさwww)
ま、それはともかく高杉晋作は偉い人で
英国公使館焼討事件のときは責任者として
伊藤春畝をなんと鉄砲玉につかってるでしょw 初代総理w
さらに奇兵隊初代総督でございますが、のちの総督に仕えた軍監が
山県狂介(←カッコよすぎないかこの名前w)なわけで
明治時代を牛耳った元老の堂々たる親分なわけで、これはもうすごいねwww
高杉晋作と吉田松陰先生もそうか、生きていたらどうなったかなあw
とくに後者、どうなったんだろうねえwww >>28
嫌儲民が160万大殺戮をやるって息巻いてたから
そのうち虐殺されるだろ >>513
戊辰戦争が終わって用済みになった奇兵隊は長州人によって皆殺しにされてる。
高杉が長生きしても一緒に粛清されてるよ。
ちなみに卑賎部隊の抹殺を指示したのは木戸なんだけど、
こいつは池田谷事件の時も自分だけ藩邸に逃げて門を閉ざし仲間を見殺しにしてる。
ほんとろくでもない奴だね。 確かに大村益次郎が生きてて山縣有朋の台頭を防いでたらその後の歴史はどうなったか興味ある
西郷を全く評価しなかったばかりか明治初年には西郷の反乱を予期してたみたいだし
萩の乱、佐賀の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争をどう処理したか興味深い
山縣を抑えれば華族制自体がなかったかもしれないし
>>516 大村が生きてたら、大久保の参謀だろう。
長州で罵声を浴び続けたに違いないと思うよ! >>508
は?
京都見廻組の今井信郎が切ったんだろうが
岩倉なんて関係ない 日本を開国させた井伊大老と、近代日本の基礎を築いた小栗上野介が、攘夷バカに殺された事が幕末史最大の損失。
代わりに山県や井上のような意地汚い藩閥政治家が台頭し、日本の近代化の方向性を歪めてしまった。
>>522
ブレーンに海外知識もった奴いないのに
岩瀬とか川路左遷してどうするつもり井伊 小説、漫画、ドラマの開国観は全部ウソ。
明治維新なんてクーデターでしかない。
まぁそろそろ全部バラされるけどな。
会津も権力闘争の渦中に飛び込んで負けたからといってゴチャゴチャ泣き言ってんじないよ
勝ちゃよかったんだよ
まさか薩長や岩倉が孝明天皇を〇殺するとは予想してなかったんだろうね。
慶喜なんて純粋培養の尊王家だから、
岩倉がでっちあげたニセ錦旗になんら対抗できなかった。
水戸から将軍を出したことが徳川幕府に最悪の結果を招いたわけで、
それを事前に警告していた神君家康公はやはりすごい。
革命だよ
あのまま薩長を中心とした諸侯会議かなにかが権力を握るのならクーデターだね
でも明治維新は良さげな政策を取り込みまくって幕藩体制とは別物になった
>>528
だったら神君は毛利と島津を滅ぼして置けば良かったのに