毎日新聞 2021/5/25 15:40(最終更新 5/25 15:46)
今年3月、福岡市西区のヨットハーバー近くの海で溺れた女性を救助したのは、居合わせた大学の古豪ヨット部員らだった。部は37年前に事故で部員を失った痛恨事を教訓に安全訓練に力を入れ、代々の部員たちが遺族との交流を続けてきた。海で尊い命を失う悲劇は繰り返さない――。連綿と受け継がれた思いは、別の命を救う形で実を結んだ。
「溺れている人がいる」。3月28日午後6時半ごろ、夕暮れ時のヨットハーバーは騒然となった。女性が近くの岸壁から海に転落し姿が見えなくなっていた。
その場には練習を終え談笑していた九州大(福岡市)のヨット部員7人がいた。叫び声を聞き、主将の佐藤拓海さん(21)=4年=はとっさに「助けなきゃ」と、部所有の救助ボートが停泊するマリーナへ駆けだした。すぐにエンジン付きの3艇に分乗し捜索を始めたが、周囲は暗くなり始め見通しが利かなくなりつつあった。
「あそこだ」。3艇のうちの1艇を操舵(そうだ)していた野妻快成(かいせい)さん(22)=4年=があおむけで泡を吹いている女性が浮いているのを発見。女性を救助しようと海に飛び込み、先に女性のところにたどり着いた非番の自衛官の男性と女性をボートに引き上げた。女性は意識を失ってぐったりし、体は冷たくなっていた。野妻さんらは着ていたジャージーを掛けて人工呼吸をし、駆けつけた救急隊に引き継いだ。女性は救急車の中で呼吸を回復した。
1927年創部の日本で最も伝統のある九大ヨット部には、消し去れない過去があった。84年4月、福岡市東区の海で2年生の部員だった白水(しらみず)武彦さん(当時19歳)が操舵するヨットが練習中に転覆。着ていたライフジャケットの股ひもがヨットの部品に引っかかり、海面に出るのが遅れた。白水さんはすぐに救助されたがそのまま死亡した。死因は溺死だった。
突然長男を失った父親の武人(たけと)さん(87)は当時を今も鮮明に覚えている。「誰の責任でもないが、検視の医師に『適切な人工呼吸がされていれば助かったはず』と言われやりきれなかった」と振り返る。母親の良子(りょうこ)さん(91)も「豪快で繊細でもあった武彦を失い、今でも悲しくてやりきれない」と語る。両親は今も毎朝、仲間思いだった白水さんの遺影に「海の友を守ってくれ」と祈っている。
悲しみに暮れる遺族を二度と生み出さないため、何よりかけがえのない仲間を失った悲劇を繰り返すまいと、部では事故後、白水さんの事故を後輩たちに伝えることが伝統となった。全部員が人工呼吸や心臓マッサージの訓練をし、白水さんをなぜ救えなかったかを知るため、入部すると白水さんの事故報告書を必ず読む。命日には部の幹部が白水さんの墓を参り、武人さんに部の活動を報告することが慣例になり、37年間途切れることなく続いた。その末の今回の救出劇だった。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://mainichi.jp/articles/20210525/k00/00m/040/108000c
今年3月、福岡市西区のヨットハーバー近くの海で溺れた女性を救助したのは、居合わせた大学の古豪ヨット部員らだった。部は37年前に事故で部員を失った痛恨事を教訓に安全訓練に力を入れ、代々の部員たちが遺族との交流を続けてきた。海で尊い命を失う悲劇は繰り返さない――。連綿と受け継がれた思いは、別の命を救う形で実を結んだ。
「溺れている人がいる」。3月28日午後6時半ごろ、夕暮れ時のヨットハーバーは騒然となった。女性が近くの岸壁から海に転落し姿が見えなくなっていた。
その場には練習を終え談笑していた九州大(福岡市)のヨット部員7人がいた。叫び声を聞き、主将の佐藤拓海さん(21)=4年=はとっさに「助けなきゃ」と、部所有の救助ボートが停泊するマリーナへ駆けだした。すぐにエンジン付きの3艇に分乗し捜索を始めたが、周囲は暗くなり始め見通しが利かなくなりつつあった。
「あそこだ」。3艇のうちの1艇を操舵(そうだ)していた野妻快成(かいせい)さん(22)=4年=があおむけで泡を吹いている女性が浮いているのを発見。女性を救助しようと海に飛び込み、先に女性のところにたどり着いた非番の自衛官の男性と女性をボートに引き上げた。女性は意識を失ってぐったりし、体は冷たくなっていた。野妻さんらは着ていたジャージーを掛けて人工呼吸をし、駆けつけた救急隊に引き継いだ。女性は救急車の中で呼吸を回復した。
1927年創部の日本で最も伝統のある九大ヨット部には、消し去れない過去があった。84年4月、福岡市東区の海で2年生の部員だった白水(しらみず)武彦さん(当時19歳)が操舵するヨットが練習中に転覆。着ていたライフジャケットの股ひもがヨットの部品に引っかかり、海面に出るのが遅れた。白水さんはすぐに救助されたがそのまま死亡した。死因は溺死だった。
突然長男を失った父親の武人(たけと)さん(87)は当時を今も鮮明に覚えている。「誰の責任でもないが、検視の医師に『適切な人工呼吸がされていれば助かったはず』と言われやりきれなかった」と振り返る。母親の良子(りょうこ)さん(91)も「豪快で繊細でもあった武彦を失い、今でも悲しくてやりきれない」と語る。両親は今も毎朝、仲間思いだった白水さんの遺影に「海の友を守ってくれ」と祈っている。
悲しみに暮れる遺族を二度と生み出さないため、何よりかけがえのない仲間を失った悲劇を繰り返すまいと、部では事故後、白水さんの事故を後輩たちに伝えることが伝統となった。全部員が人工呼吸や心臓マッサージの訓練をし、白水さんをなぜ救えなかったかを知るため、入部すると白水さんの事故報告書を必ず読む。命日には部の幹部が白水さんの墓を参り、武人さんに部の活動を報告することが慣例になり、37年間途切れることなく続いた。その末の今回の救出劇だった。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://mainichi.jp/articles/20210525/k00/00m/040/108000c