慶応4(1868)年の鳥羽伏見の戦いで敗れた徳川慶喜の追討を命じる高札が、岐阜県瑞浪市で見つかった。戦いの数日後に中山道の大湫(おおくて)宿に掲げられたとみられ、高札を見つけた学芸員は「全国指名手配のような感じで新政府側の正当性をPRする狙いがあったのではないか」と話す。慶喜追討の高札は国内で数点見つかっているが、掲示場所がわかるものは珍しいという。
高札は木製で縦49センチ、横188センチ。瑞浪市内の郷土史家の遺族が5年以上前に同市陶磁資料館に寄贈した。企画展示のため、収蔵資料を整理していた学芸員が見つけた。同館によると、大湫宿を支配下に収めていた尾張藩が宿場の高札場に掲げたとみられる。
…続きはソースで(会員記事)。
https://digital.asahi.com/articles/ASP6X4RPQP62OHGB00H.html
2021年6月29日 6時00分 尾張も一枚岩じゃないからな
水戸と同じで藩祖から尊王の気風で
青松葉事件で佐幕派粛清やって
尾張藩…
水戸ほど有名じゃないがここも尊王藩なんだよなw
御三家筆頭だからこそ徳川宗家とは微妙な関係だったのかね
暴れん坊将軍でも、尾張って将軍家を目の敵にしていたよね
慶喜の父は勤王バリバリの水戸藩主、母は皇女の徳川家と天皇家の血を引くサラブレッドなのに朝敵にされる歴史の皮肉。
まあ徳川慶喜は逃げたんじゃ無くて
水戸家の家訓に忠実に従っただけなんだけどな
徳川光圀の呪いとも言うべきものに
結果として血みどろの内戦を避ける事ができた訳で
本来は尾張藩から将軍が出るはずだったんだけど
誰かの横やりが入ってお流れになった事があって
それに激怒した当時の藩主が将来朝廷と徳川宗家が戦うことになったら
朝廷側に付けと遺言を残したぐらい宗家と深い溝ができたって話は聞いたことがある
敵の敵は味方って奴か
徳川本家憎しが、尊皇派に転じてたんだな
×徳川慶喜の追討を命じた高札が岐阜県瑞浪市で発見
○徳川慶喜の追討を命じた高札を岐阜県瑞浪市で発見
○徳川慶喜の追討を命じた高札が岐阜県瑞浪市で発見される
>>9
いや、馬鹿にされてねえよ
明治政府からも「明治維新の影の功労者」として手厚い待遇を受けた
徳川宗家とは別家で慶喜公爵家も立てられたし
旧幕臣は恨み骨髄だったけどな >>17
尾張藩は安政の大獄で粛清された側だしな。 逃げたんじゃ無い
負けたんじゃ無いさ
ほんの少し弱くなっただけ
尾張藩は初祖義直の頃から朝廷との縁が深く、「王命に依って催さるる事」とされていた。
尾張藩主は分家の高須藩から来てるだろ
幕末に登場する徳川方の殿様はほとんどここの血縁だろ
慶喜も尾張慶勝と従弟か股従弟じゃなかった
会津松平容保と桑名定敬兄弟も同じ血縁の流れだったような
まあ鳥羽伏見二日目で新政府が慶喜追討令を全国に発したんだから極めて当然の事。
>>19
佐竹(秋田藩)が朝敵とかアフォだろ?
いち早く奥羽越列藩同盟を抜けて皇軍の一角となってるわ。 紀伊ばかりから選ばれて尾張は敵視され水戸は格下扱いのコンプで尊王を拗らせて桜田門外ノ変に天狗党騒動
親藩などろくなもんじゃねえ
先に朝廷を抱き込んで、三つ葉葵と菊の御門入りの錦の御旗を掲げちゃえば良かったのに。アホやw
>>9
姿を消すのが最善の策だったと歴史家の先生らが言ってたぞ 長州はアレだけやりたい放題やって
何しれっと新政府に参加してんだよといつも思う
血族主義の徳川の最大のネックが終わり、奇襲、ミトだったのが笑えるよなw
>>37
そのとおり、王政復古より後。
徳川慶喜は、単なる犯罪者に好きず何の公的地位もない。 今徳川イメージで食ってんの愛知だよな
徳川美術館とか庭園とかあるし
>>9
隠居してカメラ小僧なんて、いい生活だよな。
解雇された元幕臣たちには、相当恨まれただろうけど。 最弱の将軍
戦って死ねよ
武士でもなんでもない雑魚
>>1
NHKの歴史番組や大河ドラマを利用した徳川ageの洗脳で
鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争を誤って認識している日本人が多いが
徳川軍は「討薩表」を掲げて大軍勢で天皇が住む京都へと
侵攻したわけだから誰がどう見ても「慶喜の謀反」なのよね
薩長新政府軍の何倍もの大軍勢で必勝態勢で攻め込んだ徳川軍が
ボロ負けしたのを正当化するためにNHKや徳川寄りの勢力が
徳川慶喜正当化キャンペーンをずっと続けているが無茶苦茶だわな 嫡男はベトナムだがフィリピンだかの嫁もらって
立憲民主から立候補して落選するくらい落ちぶれたもんな
錦旗を持ち出すようなタイプが高札作らないわけないっしょー
水戸藩が新政府軍につくのは家康の意図通りだから分かる
が、なんで尾張が?はあ?って感じ
勝ち馬に乗り自分さえ良ければどうでもいい糞ナゴヤンそのものだな
>>48
それで江戸文化を下に見る風潮が昭和までずっとあって
研究が大変だったと江戸文化の本出した研究家だかが
文庫の後書きに愚痴っていてワロタ 御三家筆頭でありながら、
徳川260年の歴史の中で一人も将軍を出せなかったバカ家系。
自分より格下でありながら、その優秀さで抜擢された将軍徳川慶喜を許せなかったんだろ。
ほんと、みっともないバカ家系の意趣晴らし。
それにしても尾張徳川家のバカぶりは、御三家の中でも群を抜いてる。
アルツハイマー病の特効薬「アデュカヌマブ」が岐阜大学教授とその奥様の共同研究で生まれたことはご存知?
松田修二由喜子夫妻は3年以内にノーベル医学生理学賞を受賞します >>47
おまけに江戸や大阪湾で、既に薩摩藩の蒸気船を砲撃してるしな。
どこが戦争回避やら。 >>28
自己レス
追記すると
尾張の分家の高須藩に水戸徳川のから養子で来たおり、
その4人の子ども(高須4兄弟)が
尾張の徳川慶勝
一橋の徳川茂栄(慶喜の将軍就任に伴い後任)
会津の松平容保
桑名の松平定敬
だそうだ
従って、全員水戸の血を継いで慶喜とは又従弟ということらしい
だから皆同じような顔をしてる >>54
そうなのか。
まあ、8代以降は紀州が独占する体制に変えたからね。 >>52
尾張藩は南紀vs一橋からブレてないだろ? >>46
大局的俯瞰と結果論で見ればベストの選択ではある
お前みたいなアッパラパーからみるとカッコ良くは無いだろうけど ◎ 日本は60年周期 (明暗30年ずつ)
1870-1900年 ●明治改革の混乱、デフレ
1900-1930年 ○軍事大国として絶好調❗
1930-1960年 ●米中と戦争の泥沼、戦後の混乱
1960-1990年 ○経済大国として絶好調❗
1990-2020年 ●バブル崩壊、デフレ
2020-2050年 ○文化大国として絶好調❗
令和は良い時代になるよ🎵
\(^o^)/
>>52
どうしても戦争がしたかったのは薩長と会津と幕府の下っ端だけで
上級はみんな「戦争なんかやってる場合じゃないよな」と思ってた。
尾張家だけが異常というわけでもない。 家康に酷い難癖つけられて速攻取りあえず謝った前田家は繁栄して
道理はねえと突っぱねた上杉は冷遇されまくったのみても
時代的にまあそうだわなと思うが徳川はなかなか根性が悪いw
>>1
高札「が」発見 って気持ち悪い
最近のネットニュースにはときどきあるけど
「される」を省略するのは不自然 >>15
それが吉宗への代替わりの時
暴れん坊将軍で事あるごとに尾張がでてくるのはそういうこと でもよくもまぁあの時代に250年続いた幕府から明治政府に移行できたな大したもんだ
>>22
30年ほど前、小学生に
「おならじゃないのよ
おならじゃないのよ
空気が入っただけ」
って言葉流行らせた石橋貴明はどんな気持ちやんたんやろか?
まぁ、関係ないけどね >>12
天皇が朝敵になった例もあるし
朝敵側が返り討ちにした事もある、承久の乱みたいに >>5
御三家なのに
自分とこから将軍出せなかった逆恨み >慶応4(1868)年の鳥羽伏見の戦いで敗れた徳川慶喜の
1800年初頭から大韓帝国になっていた
いつ?作ったファンタージだw
つうか、寄贈されたものを受けるだけ受けて5年以上ものあいだろくに整理も内容確認もしなかったわけ?
「学芸員が見つけた。」じゃねえだろ全然見つけてねえようなもんじゃん
>>61
下っ端を抑えつけるガバナンスがなかった時点で慶喜は無能だよな。
討薩表だの大坂城を枕に徹底抗戦(でもコッソリ夜逃げ)だの場当たり的に部下をなだめる最悪な上司。 >>68
長州のおかげだよ
長州があったから我々日本人は豊かになれた いいから先頭にその旗を立てて進め!徳川慶喜は朝敵でござる!
>>54
だからさあ
低知能のゴミは書き込むなよ
知的障害って「バカ家系」だから尾張が将軍になれなかったとか思ってんだな
「バカ家系」← www 徳川の侍は口だけのクズばかりで戦う能力なんてなかった
>>73
まあそんなもんよ
数が多いと日々の点検確認が先で後回しとか後からよくよく確認したらとか世界中である >>5
尾張藩の徳川慶勝(松平容保の兄)
は明治政府に登用された 小室さんの件はみなさんが解説した方がおもしろいだろう。
御三家筆頭尾張の逆襲なんか?
慶喜水戸から紀伊御三卿へ養子
尾張から将軍が出ない
尾張藩って会津藩みたいに徳川幕府の為に戦ったわけでもなく、
薩摩長州みたいに新政府軍に加わって
明治以降に権力を得ることもなかった。
どっちもつかずで何もできなかったイメージ。
>>57
同じような顔をしているのは
高須藩出身の兄弟だからなだけ 1830年台にクーデター政府(大韓帝国)が日本国を植民地支配 → 樹立した
>>75
まあその大元の尊王攘夷も、元々は水戸学だから
水戸徳川は自分で尊王思想を全国に広めて
自藩は内部抗争で闘争を繰り返し自滅した
そして幕府の幕引きをしたのも徳川慶喜とは
まったくおかしな話 >>74
鳥羽伏見までは慶喜もイケイケだっただろ
でも自軍のあまりの不甲斐なさに絶望
賢すぎる人だから変わり身も早い
誠実さはないがな >>61
何が大局的俯瞰だよw
薩長土人を撃滅して新日本を建設するのが最善だった 御三家や彦根藩、他の有力藩も尽く
離反か日和見。家康の反乱対策が無効に。
>>91
BSで篠井英介が慶勝やった
ドキュメンタリードラマはある
慶勝もカメラマニアだけど >>13
自分だけが夜に逃げただろ。
部下やサムライを放りぱなしにして。
トップとしては最低最悪だけど。 >>87
尾張は将軍位を争うべからず
これが家訓のお家だからねw >>95
イケイケなのは大政奉還後の猟官運動、つまり政治力だけ。
軍事的にはヘタレ。 >>98
秀吉の対徳川用の東海道の秀吉恩顧大名が関ヶ原でことごとく裏切ったのと同じだろ
つまりは因果応報 >>97
代々世襲の議会を作る事が新日本とか嫌だわ
幕府は負けて良かった 戦場から逃げた将軍を再評価しようとするのがすごいよな今の日本
黒を白にしようとしすぎだろ
尾張藩と越前藩は親藩だけど、幕府側から警戒され代々冷遇されてきた恨みがありさっさと新政府に寝返った。
>>97
旧体制の幕藩封建の下で近代国家なんか作れる訳ねえだろ、ドアホ >>109
淀殿に牛耳られてた豊臣家はもはや豊臣家じゃないって論理 >>112
現実的に死ぬまで戦ってくれる味方、家臣が僅かだからな
一橋家
水戸藩の支援なんてないからね >>98
藤堂高虎の津藩は真っ先に寝返りしたから、
「やっぱり藤堂高虎の血筋だ!」と幕府側からも新政府側からも言われたんだと。
あと春日局の子孫の淀藩もソッコー寝返り。 >>111
それを思えば細川の殿は立派だったな。
維新後、熊本藩知事でありながら廃藩置県の建白書を出すんだから。
家門に囚われず有能な若者を登用しないと皇国は滅亡する、との檄文で。 >>63
内戦で国が傾くから上層部は戦争を長引かせたくない方向だったな。無血開城とか。まぁ全てアメリカに踊らされたよな。下田条約で小判=金とられ、その金でアメリカの北軍は南北戦争で勝利し、更に戦後は英仏経由で中古武器を売りつけて戊辰戦争でまた一儲け。今もそうだが、常にアメリカに搾取される日本。 日本が西洋文明に遅れをとったのは徳川の鎖国政策のせい。
鎖国がなければ産業革命の恩恵が日本にも入ってきたのに、徳川家温存だけのために日本を危機に陥れた。
幸い明治政府が必死に盛り返したけど失敗してたら日本は西洋の植民地になってた。
諸悪の根源、徳川許すまじ。
徳川慶喜は大坂を逃げたが、ほかにも問題があるのはいっぱいいる。
幕府軍先鋒大将、大目付滝川播磨守具挙、陸軍奉行竹中丹後守重固は逃げてしまうし、
幕府軍彦根藩は薩摩の裏工作で持ち場を離れて帰国してしまうし、幕府軍藤堂藩はいきなり寝返って幕府軍に砲撃を加えてきた
敗走する幕府軍は、老中稲葉正邦の居城、淀城に逃げ込もうとしたが、稲葉の家来たちは収容を拒否、友軍を追い返している
>>7
その悪役の徳川宗春って興味深い人物で俺は好きだ。 尾張藩主の弟の会津と桑名はゴリゴリの佐幕なんだよな
>>120
味方になりそうなのが実質
会津藩
桑名藩
くらいだからなあ。この二藩の藩主は曾祖父が水戸徳川家であり斉昭の叔父にあたる人だった関係あるから慶喜に味方してるようなもん。
基本的に幕府内部では水戸出身の慶喜はもともと警戒されていた。 あんな都合よく紙袋とかSIMカードとか絶対見つかるはずない。新宿や大阪とネットカフェやコインロッカー、立体駐車場の時と同じ
>>114
いや、越前と土佐は公武合体派の一角だし。
山内容堂なんか鳥羽伏見に参戦した藩士を謹慎させて切腹される直前だったし。
まあ岩倉具視に叱られて(徳川に付くか?アアン?と)心折れて藩の全権を板垣退助に渡すんだがw >>121
蜂須賀「これが天皇陛下の吸ってるハマキかぁ!吸ったろ!」 >>126
幕府の老中が幕末に滅茶苦茶やって
諸藩の信頼を既に損ねているからな
将軍ってだけで国政が動かせる訳ではない >>112
まあ糞チョンなら旧体制の残滓は全て抹殺
現在でもその民族性は変わってないし
「大統領 退任したら 刑務所送り」ww >>123
当時の日本と西洋は軍事力経済力産業力に雲泥の差があるから仕方ない。
そうなったのは徳川の鎖国のせい。 ほんと尾張藩は糞だな
長州征伐に兵隊ださなかった御三家
>>112
戦場から逃げた一点だけで他を全部無視するのが如何にも日本人らしいと思うけどな >>128
太平記と応仁の乱と幕末は誰が敵か味方かわからないから
政治絡みの部分も多く読み解くのに苦労するが、わかれば非常に面白い
しかし大河や歴史ドラマは幕末ばかりで室町のものは数えるくらいしかない >>142
長い徳川時代で幕閣はみんな官僚ボケして役立たず。 佐幕派にとっては悪夢だろう
慶喜みたいな腰抜けが将軍になったのは
今もこうして薩摩長州どもが
のさばってる最大の原因やんけ
こいつらが制御できなかったから
敗戦国になって苦渋を舐めたというのに
>>129
加えてこの二兄弟の祖父か曾祖父が水戸徳川家出身だった。会津藩は水戸藩から養子(容保の叔父)もらってたおかげで家名断絶免れたおかげで水戸藩の人間である慶喜には犬のように忠誠尽くしたわけ。
あと桑名藩は松平定信が藩祖、大元は徳川吉宗になるから佐幕になるのは当たり前 >>20
日本は後で負けても評価されるからいいよね。
あっちの国は永遠に国賊w 慶喜は将軍の地位から降りてむしろ伸び伸びと暮らしていた
>>143
政府のトップだから下っ端が逃げるのと訳が違う 最後は幕臣にも見放された慶喜を
蟄居する静岡まで護衛したのが
新門辰五郎始め江戸の火消しや鳶といった町人によって作られた
義勇兵の大集団ってのが良いよね
武士に守られて江戸に入った徳川が、自ら作った江戸の町衆に守られて出て行くとは
>>7
暴れん坊将軍の処刑前の悪役セリフパターンでも
宗春公は出てくるからなw
「上様がこのような所に来られるはずがない」
「上様の名を騙る不届き者だ」
「上様でも構わぬ」
「上様、お手向かい致しますぞ」
「上様、お命頂戴致します」
「ここで死ねばただの徳田新之助」
「悪党らしく死に花を咲かせてくれるわ」
「飛んで火に入る夏の虫」I 「我ら幕臣あっての上様ではないか」
「八代将軍もこれで終わりぞ」
「もはやこれまで」
「笑止千万」
「吉宗の首を我が殿、宗春公に差し出せ」
「上様の顔を忘れた」
「もはや上様の命に従う必要はない」
「腹を切るのは拙者ではなく、上様である」
「どうせ上様には死んで頂くつもりでした 覚悟なされ」
「御役御免で一度は死んだ身」
「そこまでばれているのなら、毒を食うは皿まで」
「何をほざくか吉宗。良い所に現れたものよ」 江戸城と熊本城って 平屋1戸建て
江戸は超過疎地 長崎藩主の家族しかいねーし
>>121
NHKとか徳川寄りの勢力は徳川美化のために後付けで印象操作して
そうやって単純化しているが現実はそんなに単純では無い
単純に「津藩が寝返った」という認識そのものがウソで大間違い
津藩は鳥羽伏見の戦いの当時は「藩主」は津藩内にいて
大坂城の中には「津藩の幹部」が徳川方として滞在しており
徳川軍へ砲撃した山崎関門の「津藩軍」はそれとはまた別
つまり津藩の鳥羽伏見の戦いを説明するだけでも
「津・大坂城・山崎関門」の「3局」から細かく説明する必要がある
津藩は東京帝大や渋沢栄一らを始めとした徳川寄りの勢力から後付け的に
「寝返り」のレッテル貼りをされて興味を持たれてないが調べると面白いよ >>144
室町時代ってあんまイメージ湧きにくいしな >>9
あそこで逃げなかったら、今の日本はなかったと思う >>145
「いつ徳川家討つ?」「まだでしょ」の毛利家とか、たんなるフカシにならずちゃんと幕末で行動してるし
島津もバーサーカーらしく幕末に行動できてるし この2家はなんで江戸時代中そんな風土でいられたんだろう >>152
現実にそれやっちゃったら
一族郎党全部死刑 幕末の時代小説は面白い。
当時の幕府の兵隊がいかにボケてるかよくわかる。
薩長は新式の鉄炮持ってるのに槍や刀で向かって行ったり。
>>149
そうせい公、毛利敬親もそうだけど
雁字搦めの自分の立場に嫌気がさしてたんだろな
地位も名誉も捨てて、とっとと引退したくなるんだろ 徳川義親侯と尾張藩について研究しないと、
この高札が掲げられたかは分からない。
維新については、真相が語られてない。
>>136
明治天皇「やっぱ血筋やのうw」
>>135
越前藩は結城秀康の系列だから幕府に冷遇されまくってる。春嶽は水戸系の養子だから公武合体だけど藩士は代々の恨みから勤皇倒幕に傾く傾向あり。 >>76
フェイクだらけだから注意しろよ
ここで仕入れた話は間違っても他人に言うなよ >>164
徳川美術館作った人か
この人面白いよね
松平春嶽の息子 >>157
ほとんど朝鮮みたいな感じの
内紛、内輪もめ時代と言ってもいい
室町時代 >>42 戦前の尾張徳川家当主、徳川義親のおかげ。
華族の没落を予見して、戦前に徳川黎明会を立ち上げて、散逸を防いだ。 >>138
滝川は討薩表のお手紙を出すパシリだから交戦権を持ってなかったしな。
マヌケなのは、藩の蒸気船を撃沈された薩摩がニコニコしてるわけないだろwって事。
実際に、鳥羽の現地司令官の谷津どんに砲撃されたしな。 >>142
第一次の総督は尾張の徳川慶勝だし、第二次では全面的に負け戦のところを芸州口で唯一善戦したのが紀州だぞ >>160
大人しく何もしなければ自動的に碌がもらえる。
今の霞ヶ関の官僚と同じだよ。
給料もらうことしか考えてない。
平穏無事に責任回避。 >>165
結城秀康って制外の家だから超特別扱いの優遇家と思ってたけど冷遇されてたのか・・・ 政権変わるときに前政権貶め系の嘘プロパガンダがあるのは分かるけど、
それがそのまま令和まで残ってるのは知性的じゃないね
慶喜は戦場から逃げたw→150年そのまま
大日本帝国は大艦巨砲主義に固執して空母を軽視したw→75年そのまま
>>7
でも徳川って、名古屋が本拠地でしょ。
和歌山ではないと思う。
宗春の財政政策やトヨタ見てもそうだけど
名古屋が正しいわ。
和歌山は緊縮やって
衰退させてばかりのイメージ。
竹中が和歌山だよね。
吉宗も緊縮やって結局幕府を崩壊させた。 >>144
平安時代と鎌倉時代の境目もオモロいけどな
判官贔屓な義経寄りばっかりだけど頼朝の政治力とか
後白河上皇の老獪さとかオッサンになると分かる
面白さもある >>175
藩祖が家康の次男なのに
松平姓のまま
徳川を名乗れなかったお家 軍隊の長州陸軍、薩摩海軍とかはもうないだろうけど
政治家はそういうの残ってる臭いのが気持ち悪い
>>176
慶喜は戦場から逃げた!
逃げたんじゃないの?
慶喜がその後兵力を立て直して一度でも薩長と戦った?
ずっと逃げてる印象しかない。 >>178
江戸幕府はずっと緊縮だから
インフレ狙った荻原重秀や田沼意次の悪名広められたことも分かるように >>184
薩長が単なる反乱勢力じゃなくて
天皇の軍になった時点で
水戸徳川家の慶喜は決して戦えないよ
その辺を理解できなかった幕臣や残党が抵抗してたが >>175
だから敬遠された。家康や秀忠が結城秀康を特別扱いしたけど松平姓のままそのあとも幕府ちより分家を作りまくられ国高分散させられた。
家臣は幕府への恨みが滅茶苦茶ある。 家康が尾張名古屋なのに
紀州和歌山がずっと仕切り続けた違和感。
和歌山は日本の貧乏神みたいだ。
>>186
家康の尾張名古屋が仕切れば良かった。
なんで緊縮和歌山? 慶喜が大坂城に籠城して徹底抗戦しなかったのは、政治家として立派だと思うが。
もし官軍の大坂城総攻撃が実現してたなら。
英仏は局外中立をとらず、日本を植民地化してたろう。
それがなかったとしても江戸を拠点に東日本の大同団結で東西対立が長期化したろうし、大坂の町は一面焼け野原。
>>188
秀康も梅毒で顔から鼻が分家させられたみたいな話もあるしね・・・(´;ω;`) >>190
本拠地は駿河
元は三河
慶喜の謹慎地も静岡 >>190
二階と大村はどっちもどっちだろ
茨城県知事が一番マシだな 徳川討伐軍は錦の御旗をかかげて、ちんどん屋みたいなBGMならして進軍するイメージ
>>1
> 高札は木製で縦49センチ、横188センチ。瑞浪市内の郷土史家の遺族が5年以上前に同市陶磁資料館に寄贈した。
いや「発見」しとらんやん >>196
許嫁を慶喜に横取りされたのは三条だったっけ?
政略結婚とはいえ、将来の嫁を持ってかれた私怨よw でも結局
徳川は260年持ったけど
天皇薩長土肥は100年すら
国家の舵取りできんかったやんけ
見事に国潰してさw
慶喜は新政府になったら政権の一部に
加えてもらえると思ってたから
江戸で戦わないで終わらせたんだろ?
結局無理だったがw
慶喜がアホだっただけ
>>200
ね。その表現イラつくよね
ずっと保存してたのは郷土史家の人だし、郷土史家が亡くなって?寄贈してから
(人数少なくて対応できないとしても)5年以上も放置してたくせに、「発見」なんて表現されたら
遺族の人イラつくだろ >>204
今の財界の上級国民は薩長閥だぞ
安倍も麻生も大久保利通の子孫 >>202
和宮は家茂にゾッコンLOVEだったから。 何故か知名度は抜群に低いけど、明治維新は慶勝が1番のキーマンだよな。
慶勝が内戦に反対してなければ、長州藩とかとっくに滅んでるか改易されてるし。
鳥羽伏見の戦いの後でも、慶勝が内戦を拒まなければ新政府軍は東海道で挟撃されて全滅してたし。
>天皇薩長土肥は100年すら
はあ? 50年50年の半分こて知らないのかw
紀州尾張がナンバー1ナンバー2で将軍を決めてきたからな
慶喜の代でナンバー3の水戸が将軍になって徳川家を終了させようとして怒ったのはわかるけど
諸外国や国内の藩との力関係を理解していない時代遅れ過ぎる発想だな
朝鮮統一省のロシアメリカナダ黒悪魔の帝国ツアーの朝鮮奴隷邪1つ目のお化けしかあたらないだろうよw
>>180
他家に養子に出されたからな
一時期は秀吉の養子で羽柴氏だったんだぜ
名門とは言え実勢はすっかり衰えた結城家の跡取りにたらい回しにされたし
その手垢のついた経歴上「今更徳川の一員に」って訳にもいかなかったんだろ
それでも徳川の係累である松平に復帰できたのは精一杯の配慮じゃね? >>208
普通に幕府軍は負けているよ
薩長は皇軍になったからな >>206
知ってるわw
安倍晋三は大久保とほぼ繋がってねーだろw >>194
逃げずに大阪城で決着すべきだったと思う
皇軍も慶喜が逃げたから追っていったのだし >>212
そもそも「徳川」の名前のほうがが家康が勝手に名字つくってはじめたいい加減なもんだもんなw 尾張藩主だった徳川慶勝はどちらかと言えば公議政体派でありながら、
一橋とある時期まではかなり連携してて、小御所会議以降でもかなり慶喜を庇ってたんだが、
藩内の急進派がかなり勤皇に旋回してたんで、慶勝も制御困難だったろうな。
>>199
西欧では、トルコ行進曲が大流行したんだよな。
自分たちが攻め込まれた時の軍隊行進曲なのにw >>194
内部対立を扇動し漁夫の利で支配するのがイギリスの常道だもんな
「分割して統治せよ!」 >>213
おまえ天皇家に夢見すぎw
禁中法度で何百年縛ってきたと思ってんだよ
水戸学とかの尊皇論がなんで出てきたと思ってんだw 西園寺公望みたいに銃をとって前線に突っ込むイケイケが人気あるのかな?
錦旗のもとでふんぞり返る事なく蛮勇をふるうスタイルが。
>>204
一応徳川家達に首相就任の打診はあったけど本人が断った >>222
幕末無双とかでないのかな
でなくていいけど 歴史ヒーロー物の司馬遼太郎の手でも慶喜だけは傑物には描けない
>>201
討伐令だしてるのは、菅さんだろw
>>204
慶喜は明治政権に加わるには頭がよすぎたんだよ。
>>205
マジレスすると、ただ見つけるだけじゃなくて、内容を確認して公表することが「発見」。
すべてのものはそこにあったんだから。 >>220
葵の威光を過大評価してない?
大政奉還で幕府は消滅し、将軍職もない、タダの徳川家に。 今回の大河ドラマで
慶喜の名誉回復をちゃんと描いてくれるかね
ある意味渋沢栄一の人生の目標だったからな
生涯にわたって慶喜を金銭的にも支えてるし
参与会議を潰さず有力大名の一員として
政権を運営した方が徳川の覇権を維持できた。
>>215
それは東国武士の意地、でしか無いだろ?
天下国家の最善策ではないよ。 まあ、日和見だの卑怯だの言われるが、何だかんだで慶喜の政治力は傑出してたよ。
幕閣からの支持も必ずしも十全ではないなか、幕府から独立したような形で一会桑で京都を切り回し、
将軍になってからも権力基盤が不安定な中、小御所会議の前後でもけっこう自分に有利に情勢を運んでる。
全ては鳥羽伏見で終わったが、これを全部30歳でやってんだから大したもんだ。
薩長が恐れたのも分かる。逆に言えば、やり過ぎたんだろうな慶喜は。
現在の徳川家の人とかって働かなくても地味に豪遊できる「名前はあまり出ないけど代々大富豪」みたいな
一番おいしいポジションなんだろうなあ
>>217
慶勝は水戸系だからな。高須4兄弟の祖父は
水戸徳川の養子だからすべて水戸系列。
越前の春嶽も徳川斉昭の親戚筋、備前や因幡藩も斉昭の息子が養子に入ってる。あの当時の幕府の主要人物がほとんど水戸系だったから幕府本体からも慶喜は警戒された。 ちょうど今、チャンネル銀河で98年大河ドラマ徳川慶喜がやっている。
>>215
敗北を認めたから逃げたわけで
大阪城で決着とかその時点でズレてんだよ >>212
保科正之の会津藩も
松平姓には復帰している
お仕事が色々やりずらいからな
出自を知らない他藩から無礼もされるだろうしね >>226
なんかそうなると学芸員かませないと発見したとか認めませーんみたいなギネスみたいな役所ビジネスなのかな
今の郷土史家とかはYOUTUBEとかで自己主張とかしてるんだろうか >>207
大河の演出みたいに
終始お姫様扱いしてくれるなら
誰であれ愛情わくだろw 小御所会議以降でも慶喜の巻き返しが凄くて、勢力を残しそうな情勢になって
むしろ、追い詰められてた西郷大久保が江戸その他で抗争を誘発させ、
鳥羽伏見の戦いまで導いて、政治での不利を戦争で決着させた感じだよ。
>>227
孝明天皇が死んだら公家どもにいいように政治を操られてたから
天皇の威光なんてただの権力闘争の道具に過ぎないってのが
幕末と第二次大戦でよく分かるだろう 慶喜ってほんとクズだよなwww
大河でやってるがこれからどう描くのか
>>228
ほんそれ
渋沢栄一の目的はそこだもんな・・・渋沢栄一はよくやったよ
渋沢栄一がカネを出して東京帝大の教授らに書かせた某歴史書なんて
徳川慶喜美化の極みだけどそんな書籍がNHK大河ドラマを始めとして
「事実」として現代でも活用されて語られているわけだから怖いわな そもそも、普天之下、率土之浜、御仁慈は四方、遍しと聞き及んでおりまする。何事であるか、二、三の公卿が。御幼帝を擁し奉りて、権威を盗まんとしているのではあるまいか!
>>226
四侯会議見るに慶喜って本当にずば抜けて頭良いよなあ
慶喜中心の公武合体政策取ってたら日本はもっと良い国になれてたとさえ思うわ 「尊王攘夷」という言葉作り言い出したのが慶喜の父で水戸藩主の徳川斉昭
水戸が幕府より朝廷重視なのは水戸黄門が始めた大日本史編纂(水戸藩が249年かけて完成させた日本の正史)によるものが大きい
彼は日本でいち速く大砲造り始めて異国との戦いに備えて軍事訓練始めたり
朝廷の許可得ないまま条約結んだ幕府批判の建白書送ったりしていた
しかし幕府(井伊直弼)が水戸御三家の斉昭や加賀藩松平春嶽 土佐藩山内容堂 公家 吉田松陰 息子の慶喜ら100人ちかくを処刑隠居軟禁(安政の大獄)を命じ批判派を弾圧
これに怒った水戸藩士と薩摩藩士が桜田門で井伊直弼を暗殺
その後水戸藩が内部分裂してグダグダになっているあいだに
薩摩 長州が水戸の思想を引継ぎ明治維新を成し遂げた
>>232
資産管理や税金で大変らしいよ。とくに戦後は華族制度も無くなり悲惨な事に
大名の子孫で今豪遊できてるとしたら、ちゃんと自分で稼いでる人達だよ >>232
大富豪は少ないかもしれないね。
一流企業の役員とか学者は多そう。
>>237
自分で「発見」したものは自分で公開できる時代だからね。
学問としては紀要や専門誌に掲載する必要があるだろうが、発見者としての名前はネットの公表でOKだろう。 >>240
天皇機関説は尊王も佐幕も同根だもんな。 >>244
公武合体要らないわw
公はただ権力闘争してきただけの歴史 慶喜の晩年の回顧録とかはかなり自己弁護が多いな。
自分はもう大政奉還の段階で、政治的野心などなかったとか言うようなこと言ってるが、
これは大嘘。小御所会議どころか、鳥羽伏見以後の江戸に帰った後ですら、しばらくは、
勢力の回復をけっこう模索してるw
尾張藩は藩主の徳川義勝が佐幕派を粛清したんだっけ
幕末はあまり詳しくないのでよく覚えてないのだが
8月18日の政変〜蛤御門の戦いで長州が
自滅したチャンスを活かしていればな。
>>246
大昔の家屋敷の固定資産税なんて(減価償却的に減少して)ほぼゼロかと思ってた
昔ながらの家の人は人でいろいろ税金とられてんのね >>232
実際に、上流階級の姻戚ネットワークのハブは徳川家だしな。
戦後は皇族と距離をとって財界に軸足を移すチャッカリぶり。 >>244
戦争(第二次長州征討)に負ける意味を理解できていなかった慶喜は政治感覚に欠ける >>247
真田家の人も聞いたことない大学の教授だし
上杉家の人も東大宇宙研の元教授 >>242
そりゃ最後の幕臣だし、命の恩人だから美化もするわな
このスレもそうだが、敵前逃亡した最後の将軍程度の理解しかない奴もまだ沢山居るから
徳川慶喜の生き様は、今一度再評価しないとね。 >>194
>英仏は局外中立をとらず、日本を植民地化してたろう。
出来ないからw
出来てりゃ慶喜どうしようが官軍がどうしようが
植民地にしてるわw >>252
それを止めたのが、薩摩の西郷・尾張の徳川慶勝。
慶喜はそれを聞いて怒り、慶勝について薩摩の芋酒に酔いやがってと皮肉を言ってるw 勝てば官軍の薩長土肥と徳川慶喜との人間性比較。
初めてのことで、ドラマが楽しみ。
>>230
大阪城で決着すべきだったという歴史家はいるぞ
慶喜だって昔夢会筆記で指摘されてる >>244
大名で将軍を選挙するってのが面白かった近代法律学やってたんじゃないかって言われてるあれ
イギリスの工作で強くなりすぎた薩摩藩に幕府が潰されるにしても支配者選ぶために毎回関ケ原やってたんじゃ同族に無駄に死人出るだけだしな 尾張藩てさ、江戸の先にあって、西国からの東海道守備の要として置かれた藩でしょ?
その、尾張が幕末にさっさと将軍家から寝返ったのは お笑いだよなw
>>264
慶喜は神聖ローマ皇帝とか知ってたのかねw
相当に知識無いと出てこない発想 >>251
造反者を出さないようにするために、朝廷の権威を利用して前藩主(慶勝の腹違いの弟)の派閥を粛清したんだよ >>245
徳川斉昭には死後朝廷から正一位が贈られた
織田信長 豊臣秀吉にも死後正一位が贈られている 昔は家が滅びないように敵味方に親族わかれることなんてよくあったことじゃん
別に驚くことでもないな
>>263
江戸時代の大阪城って
もはや要塞ではないだろ
本当になんか間違えていないか? >>266
関ヶ原で東海道ラインの大名が東軍側について
進軍の道つくったのと同じ流れで 違う意味で面白い >>267
大政奉還後に、西周に議会制や立憲体制の講義をさせて、
新体制のヴィジョンを作ろうとしてたぐらいだからね、慶喜は。 大阪で籠城しても政治的に勢いの有る方に
寝返る藩が続出したかも知れないな。
鎌倉幕府も朝廷軍に優位だったが高氏の寝返りで一変。
即座に裏切った尾張藩は勝ち組に入れなかった
下級武士は北海道開拓に送られた
>>204
持ったってだけだろ
その間国はたいして発展しなかった
政権が持つ事が正義なら
北朝鮮は正義の塊だwww >>263
武士の意地ならば、それでいい。
しかし大坂城総攻撃が現実となってたら日本の軍備は消耗。
日本の港に駐留してる英軍と仏軍が両勢力の支援を名目に占領してたよ。 >>276
当時足利家は得宗家と一蓮托生の家になってたからな
親戚 >>271
まだ堀もあるし、巨城で、大阪湾には幕府の艦隊が居る
西郷も籠城されて粘られたら負けてたと言う程なのに? まあ、元はといえば、 江戸の将軍家がNO2の尾張を警戒し過ぎた のが後の仇となったよな
>>278
たいして発展してないんなら
260年後に欧米列強の植民地に取り囲まれてる時点で
国として終わってるわ
鎖国を勘違いしてるアホが多すぎ >>185
尾張宗春て実際は年貢をすごく安くしてたりして
庶民からすごい人気があった
一方水戸黄門とか水戸は貧乏なんで実際は年貢が厳しく
庶民から人気なし
実際は水戸黄門あんかより徳川宗春のほうが庶民からf大人気 >>204
300年治世を維持したというより、単にペリーみたいな恫喝する強者と出会わなかっただけだけどな ほんの数年前まで尊王派筆頭だった慶喜を朝敵にしてしまう天皇ってすげえな。
>>277
関係ないよ
薩摩長州も多くの藩士は困窮した >>279
うーん、そこで列強出てくるかな
日本の内政干渉はしないと決めてなかったか 幕末時点で「倒幕がなったら武士要らなくなる」て周知されてても同様に明治の世ってきてたんだろうか
いや、どうせ実際には最低限事務仕事できるような奴は武士→役人にスライドされたんだろうけど
>>289
明治政府の主要職は取っただろ
尾張藩は敵扱い >>262
大久保利通の悪人面時点で、バイアスかかりまくっている気が>>青天
しかし、岩倉具視って、どの大河作品でもお笑い枠なるのだろうか・・・。 >>248
なんか勘違いしてる気がする
法によって天皇の権限を明らかにするということは
天皇を不可侵として権限を剥奪するよりよほど尊王的だけど >>288
天皇ではなく
その取り巻きの公家連中な
だから追い出されている
七卿落ち
反政府勢力がいっぱいいた 徳川慶喜ったらちょんまげ結ったサムライかと思ってたが
普通のサラリーマンのおっさんみたくてワロタw
そもそも武家は天皇を蔑ろにして御料はわずかに三万石だ
世が世ならば大名は全て朝敵だろ(苦笑)
>>288
考明天皇から感謝状や陣羽織下贈された朝廷の忠臣だった松平容保さん・・・ 【もし徳川軍が大坂城に籠城したら?】
大坂湾の幕府艦隊は、瀬戸内海と山陽道を封鎖できる。(西国からの援軍ルート遮断)
中之島沖まで進出できるから大坂城の周辺に有効な対地援護射撃が可能。
これにより膠着状態に持ち込める。
大坂城の築城からして、官軍の野砲(弥助砲)が有効打を叩き込める位置は難波宮跡地しかない。
紀州街道は徳川軍の支援ルートだから、ここよ攻防が戦闘の舞台だろう。
徳川軍が上町台地を焦土化する覚悟ならば、官軍を砲撃できる。
大坂の町を灰燼と化す消耗戦は必定。
勝海舟って徳川慶喜にめちゃくちゃ嫌われてたらしいのに
赦免のため晩年まで奔走してたとかなんでなんやろ もう家臣じゃなくなってるのに。
>>294
それは個人が得ただけ
薩長の大多数の藩士には関係ない
西南戦争の原因は旧薩摩藩士の失業問題 以前から謎なんだけど、 慶喜のフランス軍装写真ってさ、 なんであんなにブーツ潰れてんの?
あれが正しい履き方なん? それとも、あまりにも足が短い事を知らなくて 実際のサイズより長いのプレゼントされちゃったの?
>>148
故郷が気になるかw
でも日本は負けたら全員腹切りだからな、
大河ドラマも大抵一家惨殺から始まって最期は自害で終わるだろう、 >>299
神君の天領を猫ばばしたのは自称五代後の末裔だろw 今の徳川宗家の家広ってのは
憲法改正に反対
選択的夫婦別姓導入に賛成
同性婚に賛成
だおw
8月18日の政変は薩摩主導、蛤御門の戦いは
薩摩の援軍が無ければ敗北濃厚だった。
徳川は薩摩が離反した時点で詰んでいたな。
>>298
そんなおっさんが24人も子供を産ませる性欲モンスターだったことは知られていない >>282
大砲バンバン撃ち込まれて終わりじゃないかい?
鳥羽伏見だって大砲に負けてる。
260年前でさえ、大砲一発で豊臣が崩壊してる。
>>289
長州は幕府利権をほとんど独占した。
薩摩の藩士は自分たちの土地が公有資産になることを拒否して反乱を起こした。
こう見るのが普通みたいだけど?
>>306
敗戦の日本で腹を切ったのは数人かな? >>306
敗戦時の日本で
自害したのは時の陸軍大臣阿南さんだけ 裏切るも何も尾張藩は開戦前から新政府寄りだからな。
>>245
歴史を振り返ると茨城人て間違ってると思ったら絶大な権力ある相手だとしても決して屈しない覇気あるよな
平将門 天狗党 226・・・
関東ヤンキーの本場だぜ >>308
まあグエンさんと結婚しちゃうくらいだし
破天荒な人ではある。 >>303
すでに幕臣じゃなかったのは澁澤も同じ
まあ勝海舟は慶喜の子供を養子にまで迎えてるからな
明治も落ち着いて、旧主君の維新に対する貢献を冷静に評価できるようになったからじゃ無いかと >>236
結城秀康も保科正之も養子先に遠慮して自分の代だけは養子先の姓名乗ってる。保科正之は自分の後を見越して保科家に家宝やら返還。
悲惨なのは結城家のほう。秀康の義父の結城晴朝は家が絶えると家康に直訴して秀康の息子の一人に継承させたがその子供も後には松平と名乗った(家紋だけは結城家)。
結城家って関東ではかなり名門なはずなのにね 尾張は日和ったクズだろ
キチガイの水戸と日和った尾張を横目に頑張ったのは和歌山じゃん
明治維新の時に血みどろの戦いをしていたらもう少し日本はまともな国になっていたのに
>>303
勝が薩摩藩に慕われていたからじゃね、大久保やら国権の中枢に配置された薩摩人たちを安心させるためにも勝が慶喜と徳川家の資産相続処理した方が都合が良い >>311
>長州は幕府利権をほとんど独占した
具体的には?
長州藩士なんて本来の石高を大幅に下回る石高で秩禄処分された >>319
頑張った結果
人材不足の幕府老中に再び国政を任せることになるんだぞw >>309
司馬遼太郎が明治維新に薩長土肥のそれぞれの藩がどれくらい投資してるかというと、薩摩が6割、残りの土佐長州肥前が4割って言ってたな
歴史家の人も「徳川と薩摩の私闘」みたいに言う人いる >>273
維新後の政治に自分が関わる方法を模索したんだと思うよ、
でもまあ拒否されて当然、静岡でも慶喜さんの豪快な遊びぶりを見ると本人も受入れていたんだろう、 >>318
晴朝って死んだ場所が越前とも中久喜(小山市だから結城のあたり)とも言われるけど
どっちにしても悲惨だよなあ 結城から遠く離れた場所で死んだにしても、
みんな去った後にひとり結城で結城家の事心配しながら死んだとしても >>303
勝海舟も、新政府で出世したから幕臣連中から「裏切り者」扱いされてた。基本的に幕臣の多くは新政府に出仕してないからな福沢諭吉しかり >>320
無いわ
シナのように欧米列強にあちこち租借地作られて
意図的に内乱させまくられて植民地一直線だな これ、尾張は高札掲げて勤皇ポーズをとっただけで実際には形だけ兵を出しただけ、
って事もあるよな?
>>288
孝明天皇「岩倉、テメー佐幕派だろ?二度と面見せるな!」
岩倉具視「嘘やろ?」
孝明天皇「慶喜、めっちゃええ奴やん。朕も佐幕派になろ。長州を京から追い出せ!」
徳川慶喜「ははー」
岩倉具視「嘘やろ?」
孝明天皇「朕はもうアカン。長州をぶっ潰せ…ガク」
徳川慶喜「ははー」
岩倉具視「孝明天皇死んで復権できたわ。」
岩倉具視「朕…じゃなくて、御上の言葉を伝えます。徳川をぶっ潰せ!」
薩長「ははー」
徳川慶喜「嘘やろ?」 >>318
秀康使って結城家を乗っ取ったのかと思ってた。
織田が北畠家を武田が仁科家をそうしたように。
結城アスナさんの先祖もかわいそうだな。 >>320
それは日露戦争じゃないの?
明治維新+日露戦争=実質日本の革命&独立戦争、だった 幕府を潰した後、藩も全部潰されてた。
倒幕した方はもっとバカやった。
幕府を温存するか、薩長がとって代わるか、の前に余剰人員であった武士階級をいかに消滅させるのかの争いだったことが、ある程度分かっていた大久保利通と、分かりきらなかった西郷隆盛
>>332
>岸家とか安倍家とか佐藤家とか・・・
はぁ?
レス乞食かよ >>328
結城晴朝は中小の戦国武将だったので、家を生き残らせるために実の親父とも敵対して親父の葬式に行けなかった。そこまでして守ってきた家が無くなったわけだからね最後は >>13
靖国神社に合祀されてる幕末の戦死者の約半数は水戸藩士だぞ
>>311
一発ってw
たまたまの一発にまつわるエピソードに尾ひれがついてるだけ
幕府方は可能な限りの砲列線をしいて打ちまくったけど大した効果はなかった
ベトナムで米国が撤退のきっかけを探して北爆を強化したのとパラレルな感じ
豊臣が評論的には酷く不利な条件で「休戦」を容れたのは謎としか言いようがない >>238
相手は有栖川宮熾仁親王だよ。11歳も年上。
家茂は和宮と同い年でイケメンで、降嫁が14歳だったから有栖川宮 よりは断然よかったはず。 >>334
秀吉に鶴松が産まれて、後継者指名
その時の養子連中はことごとく追い出された 徳川慶喜は ほんとうに草薙みたいだったのかな
そうだったら 名演技だな 抜けてるところが
>>311
その時にアームストロング砲があったとしても大坂城の石垣を削れるのが精一杯だよ。
官軍が初戦で優位に立ったのは砲兵の運用が妙だったからで、標高差や風向を巧みに取り入れたから。 >>347
顔だけで判断すると「賢いけどサイコパス」な感じをうけるけどなあ >>340
長州の下級武士だったり庄屋だったり・・・ だぞ?w >>1
同じ種から派生して250年経てば苗字が同じでも他人なんだね〜
まさに兄弟は他人の始まり >>339
大久保は、わかっていたとしても解決策は持ってなかったんじゃないの?
結果的に西南戦争が解決策になってしまったので、西郷が同情される 水戸がつき 長州がこねし天下餅 座りしままに食らう薩摩
やっぱり昔から名古屋の人間って性格悪いクズだったんだな
>>284
してないだろ
発展してたら260年後にはその欧米列強の仲間入りをしてたわw >>334
もともと結城家が婿探ししてたんだよ。
そこに秀康を養子にしてその始末に困っていた
秀吉が目を付けた。
関東でも有名な名門なので関白の子供が養子にいってもOK、そこに結納金代わりに国高を10万石にするから結城家は大喜び。家康も結城家が事実上徳川家の与力になるし名門なんで面目もたつまさにウィンウィンでした >>339
西郷は斉彬の雄藩連合構想を理想としていたと考えれば辻褄が合う
倒幕後そりが合わないはずの島津久光の下で鹿児島「藩」の整備にいそしんでいた事実が傍証 >>349
260年前に城内に打ち込まれてるのに?
>>356
発展してたから、列強の植民地にならないで済んだんだよ。 >>354
鳥羽伏見の戦いやら王政復古やら明治維新の重要な出来事はほぼ薩摩がやってるだろ >>338
理屈はともかく方法は島津久光がよく知っているはず 賢く天才だけど、薩長のような野生児に敵わなかったイメージ
そう言う漫画いっぱいあるよね
33歳で隠居したんだから老害じゃないだろ 老害たちはもっと慶喜を見習えよ
居座ってたら内戦泥沼で明治維新どころか英仏の奴隷にされてる
>>298
え?
これよりマシだろ
これって何なの?w >>351
岸家が歴史の表舞台に出るのは岸信介の商工官僚時代が初だっけ? 前田家がグダグダムーブしないで倒幕側についてたら新政府で加賀も存在感あったんだろうか
100万石クラスの家のわりに明治では空気な印象
>>273
大君で天皇に
山城国一国与えるって奴か
すぐ後にできるドイツ帝国っぽいけど
幕府と違ってプロイセン軍事力あったし
宰相ビスマルクだからな >>366
お前の頭の悪さを指摘したら、何で安倍擁護になるの?
薩長の藩士の大多数は維新で困窮することになったと言っているだけなのに >>334
>結城家を乗っ取ったのかと思ってた
結城家なんか乗っ取ったって何の得がw >>356
中国や朝鮮の悲惨な末路を見たら
日本の260年間の発展はアホでもわかるが >>368
元は下級武士で明治になって官僚になった。
明治政権は長州政権だからね。
土佐を早々と切り、薩摩は西郷を煽って破滅させた。 >>125
あの時代貿易相手として世界一大きいのが中国
それ以外との交易はそんなに実入りがよくない西洋の知識も漢文に訳されたのを輸入したり出来てたし
その産業革命様のエゲレスにしても阿片売り付けるみたいな外道な商売に切り替えたし >>369
グダグダムーブは前田利長以後の加賀前田家の絶対的な藩是だしw >>374
薩摩は侍の割合が他の藩と比べて圧倒的に多かったから軍人になったのが多かっただけだと思うよ
風土的に政治家より警察や軍人のほうがカッコいいってのが多分多いんだろう >>369
前田利長が本多正信の息子を家老にして
生き残り図ってるから佐幕が強かった。
あと三代目の利常が家康から四国丸ごとと交換打診したけど断ったからね。
もし四国移転してたら前田が倒幕とかね >>371
薩摩は警察官などの下級官吏に、長州は政権中枢に入った。
基本的にはすべての武士に対してそれなりの一時金が渡されたが、長州には特に手厚かった。
まさに勝てば官軍を実現した。 >>372
領土と家臣を得ることができる
入嗣は戦国時代よく行われていたこと
毛利とか伊達とか 慶喜が征夷大将軍になる前から幕府の力が脆弱すぎたんだよ
慶喜はたった1年の在任期間しかなかったが、もはや1年で幕府をどうこうできるレベルじゃなかった
孝明天皇が住む御所に向かって砲撃した長州を征伐するために、幕府は15万人の軍隊を動員して長州を攻めたが
この4境戦争までは朝廷はまだ幕府の力を信頼して、クーデターを鎮圧する姿勢だった
ところが幕府軍15万人がたった5000人の長州兵に衝撃的な大敗を喫することとなった
これによって幕府の力は外敵どころか国内一藩にすら劣るという事実が露になった
もはや征夷大将軍という官位は名ばかり、幕府は無能の象徴となった
朝廷は幕府を利用するはずが、もはやクーデター派に乗り換えるしかなかった
なお孝明天皇が住む御所に向かって砲撃して官位をはく奪され、一時は追討令まで出されていた長州藩主の毛利敬親は
禁門の変のわずか5年後には官位回復されている
しかも最終的には正一位という最高位の位階を賜る
かつて天皇御所に向かって砲撃して朝敵とされた毛利敬親は
それだけ朝廷の信頼を得たということだ
みんな知らないけど、徳川の将軍は3代から14代まで、実は女だったんだよね(13代除く)
謀反ってのはおかしいけどな。尾張徳川だけ将軍だせなかったから、最大の嫌がらせだなw
尾張人の性格がモロに出ているw
>>378
西郷が失業対策で大量の旧薩摩藩士を警察官や軍人にしたからだよ >>380
賞典録のことか?
そんな長州優遇とは思えんのだが >>380
いや薩摩は軍人で元帥やら大将やらいっぱいいるぞ
昔は軍人の位は今の自衛隊より高い
警察も警察官僚はいまかなり地位が高いよ、今の官僚のトップが警察出身だ >>260
それなら最初から反戦派(内戦拡大反対派)の尾張藩に総督の任につけなければいいのに。
いくら尾張藩が孝明天皇の信認が高かったからと言って。 >>387
徳川吉宗との対立や吉宗の子孫を藩主に押し付けられたいと長期にわたる対立があるんだよ
徳川慶勝も擁立時に幕府対立があったし、安政の大獄で強制隠居させられたうえ藩政からも排除されている >>375
新政府軍は6〜7割くらい薩摩だよ
ほぼ薩摩と徳川の私闘 >>378
薩摩藩士は独立知行だったから、知行地を取り上げられて他に生きる道がなかったんだよ。
それが西南の役の原因。
>>389
賞典録とは別に、武家制度廃止に伴う一時金が各藩から配られた、
もちろん、賞典録はもっとも”功績”のあった長州に手厚い。
>>390
官僚には各藩の優秀な人材が集められた。
政権中枢は長州が事実上独占した。 >>381
当時の結城氏ってどれほどの勢力だったの?
北条にすぐにも潰されそうな弱小大名だったべ >>392
そんなのは知っている。
ただ、徳川家がおわろうとしているのにやることか?w >>359
榎本艦隊がいて制海権は奪えないから260年前のように打ち込むのは無理じゃね。 >>353
大久保はわかっていたし、解決策も持っていた。
そのための富国強兵。ただ、明治政府の経済力が追い付かなかった。 >>396
5万石かそこらしかないから宇都宮・佐竹とかと少しでも仲良くして北条をしのいでた
実家の小山は北条についたから仲良くできなかった(´・ω・`)
秀吉がきたらキタコレで速攻秀吉にすりよって生き残った
そんときおねだりして秀康ゲッチュ >>397
時代劇で尾張藩が出てくるとだいたい幕府転覆を目論む悪人なのはその名残かね? >>395
西南戦争はそもそも警視庁のスパイが薩摩で見つかって
「シサツせよ」ってメモを持ってたから意見を言いに東京行こうとしたら大久保が拒んできたんでしょ >>395
小室寅之助
@YouTube
;list=PLNirUQTylKokA02ixXFNbhS2_Vh547oH0&index=10 >>20
アムロのように静岡で30年贅沢三昧の軟禁食らって、牙も権力も何も無くなったところで公爵
徳川家からみれば、大政奉還した慶喜なんか恥やからね・・・ 徳川御三家と徳川将軍家は実は仲悪い
多くの松平家の方が将軍家に忠義尽くした
>>402
尾張が悪人になるのは、吉宗の時だけじゃね?
家光の時代に幕府転覆を目論む悪人は、紀州だろ。 >>402
その設定は幕末より
吉宗に逆らった(とされる)尾張宗春の影響が大きいだろう >>406
贅沢三昧と言ったって
徳川家の資産を食い潰した訳じゃなく
渋沢のアドバイスにしたがって株式運用して自活してたからだよ
蟄居後の慶喜をなんか勘違いしてないか?w >>362
岩倉の剛腕が無茶苦茶すぎた
理性では勝てん >>387
ちゃう。尾張藩内は佐幕派が占めていた。
最終的に新政府側に着いたのは慶勝主導によるもの。
もともと国内の内戦拡大を避けるのが慶勝の考え。
第一次長州征伐も当初は固辞したし、
仕方なく受けた後も岩国藩を利用して寛大な処置に終始し
早々に切り上げている。
その後長州がさらに軍を動かすほど基地外だとは思わなかった部分が
考えが甘い人との批判も強いし、慶喜にも散々皮肉を言われてる。
第二次長州征伐は完全に拒否
鳥羽伏見でも岩倉と交渉し徳川家の今後について相談している。
最終的にはさらなる内戦拡大を嫌った慶勝が新政府に協力することに決めた。
それと同時に、東海道、中山道の諸藩に新政府軍と抗戦する事ないようにとの達しをだした。
そのため新政府軍はなんの抵抗もなく関東に入った。
この時尾張藩が長岡藩のようなどっちつかず態度をとっていたら、東北での戊辰戦争は起きなかった。
少なくとも、新政府軍は畿内から軍を動かせなかっただろうし、戦争が起きても東海道〜江戸で終結した。 >>409
宗春は死んでも墓石に金網張られて罪人扱い、尾張藩は吉宗の息子が養子に入る話もあった。当然みんな幕府嫌いばかり >>404
大久保が拒否したんじゃない。
来たら殺されるから今は辞めとけって言ったはず。確か。 >>370
兵力でいえば薩長足しても幕府(徳川)に遠く及ばない >>125
江戸時代は鎖国なんかしてないぞ
いつの知識だよw >>412
名産の静岡茶も、慶喜について行った幕臣が自活のために始めたものだしな。
まあ渋沢栄一を見抜く時点で、慶喜も経済の才能があるわけで
幕府の遺産にすがって放蕩するようなタマじゃ無いわw >>3
高須4兄弟と慶喜はあまり仲良くないんだよな
尾張藩は藩主が兄弟の会津藩と桑名藩には最後まで色々と便宜を図ってるんだけどな >>414
たしか御三家は附家老という幕府に直属する家老がいるんだよな。家老だけど大名並みの俸給で城を与えられ、将軍にお目見えできると 薩摩藩は借金の一方的な踏み倒し宣言と黒砂糖の密貿易で200万両の金をため込んでいた。
長州藩も貨物引換や倉荷で借財整理に成功した
いっぽう、幕府は家茂上洛だけで金を使い果たし、ゼロックス
>>422
結構最近まで犬山城個人で所有してた成瀬家が附家老 >>414
>その後長州がさらに軍を動かすほど基地外だとは思わなかった
それは認識がおかしい
幕府軍が解兵を長州に通告したのは高杉がクーデターを起こした2週間後
慶勝は内乱状態移行したことを認識した上で幕府の命令を無視して撤兵した >>204
徳川の鎖国が日本の近代化を遅らせた。
明治維新がなければ日本は欧米の植民地になってた。
幕末維新の日本人はギリギリで最悪の事態を脱出できた。 >>429
いいや違うね
欧州のゴタゴタが落ち着き、アメリカ南北戦争も終わり
世界が日本に再び目を向け始めたドンピシャのタイミングだったんだよ。
それ以前に開国してても列強にすり潰されてるし
そのまま鎖国続けてたら朝鮮と同じ末路
近代化とは関係ないわ >>430
ちなみに現在の徳川宗家は、松平容保(会津藩)の男系子孫だからな >>420
むしろ高須4兄弟は水戸系だから慶喜についてたのでは?
慶喜が京都で事実上幕府とは別の政権作ったときに会津や桑名がそれに従ったのも慶喜が水戸の人だからよ。特に会津は水戸藩から容保の叔父を養子もらったから家名断絶免れた経緯もあり幕府と水戸藩が戦争危機のときは調停工作してる。容保はそのときの手腕が買われて京都守護に抜擢。抜擢した春嶽も水戸藩の親族やし >>430
自藩の兵を置きざりにして慶喜に一緒についていった容保や定敬も同罪だぞ。 各藩の藩主、家老クラスは概ね佐幕だったが
下級武士の蜂起は権現様も想定外だったろうな。
>>433
屁理屈。
徳川の鎖国が日本の近代化を遅らせたのは間違いない。 >>440
そもそも近代化の定義が意味不明
つうかそれって西洋が作った概念だよねw >>436
まるでわかってないな、
同じ水戸系なのに意思疎通がまったくうまくいってないってことだよ
慶喜の意思・命令が絶対でもない、事前にすり合わせる、コンセンサスを得るでもない
何をやっているのかわからない
結局、(皇族を母に持つ)慶喜は自分は特別、お前らとは違うと思ってるんだよ >>418
江戸時代の対外通信通商体制を指して鎖国と言うんだよ >>438
だから敵前逃亡の後では、同じ高須四兄弟、実兄の慶勝に
文句、恨み言なんてとても言えないんだよ┐(゚〜゚)┌
尾張藩は、会津藩と桑名藩の藩士の面倒は良く見たしな >>426
家康に仕えていた家臣を秀忠がそのまま
附家老にして厄介払いした側面強い。
附家老になった人見てると昔かたぎの面倒くさそうな人多いからね >>443
通商すると「日本国王」問題が必ず起きるからな。よって幕府は通商を制限しオランダや中国はあくまで私的貿易としてた。国交あったのは李氏朝鮮くらいでそことも「日本国大君」と名乗りボカしてる >>444
尾張藩は終始緩衝材の役割をはたしてるからな。 >>443
教科書で鎖国という言葉の見直しが進んでるがな
何故かパブコメで叩かれまくってたがw
まあ貿易制限行ってた国なんて沢山あるわけで
閉じこもってたなんて誤解させる「鎖国」という言葉はどうかとも思うわ >>449
ありゃ中国の海禁政策と同じだからね。
中国も別に鎖国してたわけじゃない。「朝貢」として受け入れてもそれ以外を原則認めなかっただけで 尾張徳川家は、官軍に協力することで、徳川宗家の座を
手に入れることを目論んでたのかもなあ
まだ、田安亀之助(家達)は5〜6才と小さいしよ
ただ官軍側としては、旧幕府側を懐柔する為、その意向に沿うことや
徳川宗家の当主が幼少の方が都合が良いので、尾張徳川家の狙いは外れるとか?
でも幕末での功績考えると、候爵じゃなくて公爵でも良い気がするんだがな
朝貢といえば、イギリスが貿易不均衡を是正しようとマカートニーという奴を清に派遣して乾隆帝と謁見した。
中国側は朝貢にきたとしてまともにイギリス側を取り扱いせず「せっかく来たからいいものやるよ」と土産物つけて追い返した。その中に顧ガイシの名画があり大英博物館に保管されてるとか
>>451
尾張藩は新政府側に協力した後も、佐幕派の藩の面倒もみてたからな。
何かと薩長には嫌われてたと思うよ。 そもそも尾張藩でさえ背負うのが面倒くさいと思ってた慶勝が徳川家宗家の座に興味を持つわけがない。
将軍職についた慶喜は嫌いではあったが一定の同情をしていたし。
そら家康の遺言どおり本来なら尾張藩こそ
徳川宗家になるべきだったわけだからな
紀州だの水戸のさらに傍流なんぞに宗家面されてもね
>>450
日本は、中国が外国人居留地やら租借地経由で内面から欧米列強に食い荒らされるのをよく見てたからな
いわゆる「鎖国」は徳川の大きな功績の一つだよね
一方で開国しても、列強につけいられないだけの人材育成を絶やさなかった。
明治維新は奇跡と言われるけど、むしろ260年にわたる努力の積み上げだわ >>197
本拠地は静岡とか、何処が?
日本の全てを決めてきた田舎者憧れ山手線内、江戸城中の人
■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中
【三河県幸田町】三河深溝藩
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)
【三河県田原市】三河田原藩
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)
【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)
【三河県岡崎市】岡崎藩
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)
【三河県刈谷市】三河刈谷藩
・本多忠良(1734年 - 1746年)
【三河県碧南市】三河大浜藩
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)
【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年) >>456
肝心の幕府に人がいなかった
小栗とか馬鹿やろ >>455
尾張藩は当主が早死に続いて直系が断絶したんだわ。そのため家康の直系であった吉宗のほうが有利に。跡取りで重視されたのはどれだけ家康の血筋に近いか >>44
長州は徳川の開国政策に猛反発して尊皇攘夷を掲げて京都で狼藉を働き、自藩は米英にチンチンに
されていち早く攘夷は無かったことにして英国を手を結んだじゃねぇかw 会津藩を説得すると申し出ていた
長岡藩の家臣との交渉を無視した
新財布軍の人いるけどな。
それがなきゃ会津戦争なかったかもしれんのに
華族になったあとも経済的に苦労して結局宝物を博物館つくって保管したんだよね
>>193
尾張の田舎者には無理だろ
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>458
小栗が居なかったらそれこそ列強に蹂躙されてるぞ
外国からの軍備輸入の危険性にいち早く気づき
冶金レベルから国産化を始めて成功させた立役者だからな >>178
尾張の田舎者は関係ない
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>462
無理やりにでもどこかと戦争をしないとあかんかったから無理だわ。
会津に避けられたら荘内が攻撃されただけ。。 >>1
親藩筆頭の所領、好立地、でかい城。
東海道と中山道を抑える立場でありながら幕末に寝返り。
恥知らず過ぎるな尾張藩。 >>449
あれだけ渡航制限してたら閉じこもりでいいだろ >>393
いや、それ以前に渡来人系高麗町の大久保一味が
倒幕の邪魔になった孝明天皇を毒で友愛してるからな >>445
尾張の成瀬、紀伊の安藤は明確にそうだな
家康の側近で後の老中になるような家の連中と同格でその中の先輩格だ
まさか自分の家が後々陪臣扱いされるとは2人とも夢にも思ってなかったろうな
ちなみに安藤家の宗家は紀伊の安藤家で老中出した家は分家w 八重の桜の小泉孝太郎の慶喜ぴったりだわ
綾野剛の松平容保も
大坂城も「錦の御旗」を堂々とあげればよかっただけなのになw
徳川義勝の側からみた江戸末期〜明治を読んでみたいな
尾張藩の武士を、北海道の八雲町に入植した話とか含めて
尾張藩、慶喜のために執り成しの奏上や公家たちへの働きかけとかしてなかったの?
していて全部却下されて「万策尽きた」なら仕方ないが、はじめから「水戸の慶喜なんぞのために」と何もしないで討幕側についたなら最低だ。
>>471
そりゃ渡航制限しないと外敵も入ってくるからなw
日本が島国で本当に良かったわ >>3
尾張は伏見の戦い以前から
討幕方なんだなあ >>418
長井雅楽 「航海遠略策」
扨又鎖国と申す義は三百年来の御掟にて島原一乱後別して厳重仰せ付けられ候御事にて
鎖国だな >>333
すべては孝明天皇のうすっぺらい
幼稚な政治感覚のたまものってわけね。 >>476
こう言ったらなんだが幕末大河ドラマの主人公にするなら
この人か松平定敬が1番面白いだろうね。 明治維新はイギリスの乗っ取りだと主張する嘘吐き
徳川幕府はフランスに国を売ってただろう
休載中の「風雲児たち」では松平春獄が幕府滅亡の戦犯のように描かれている
そして、幕府瓦解を防ごうと四苦八苦する慶喜。
早く連載復活してほしい
>>484
売らないから慶喜は協力を断固拒否したじゃない。 >>178
だな。
経済政策の思想は間違っていなかった。 >>462
関係ないよ
河井継之助は会津と同じ大政再委任派で、軍備を増強した上で自藩の恭順派を軍事圧迫している
武備恭順は長州藩も長州征伐時にやっていたスタンス
会津を説得するというのはただの時間稼ぎで平和主義ではない >>481
まぁ〜糞受け侍従を侍らせていた位だからなw たしかに、孝明天皇と徳川家茂はタイミングよく死にすぎ
暗殺説がでるのもわかる
尾張の尊王は敬公(徳川義直)の御遺訓だから仕方ないね
>>485
小栗上野介といえば三井でしょ
大番頭の三野村利左衛門は、小栗の奉公人だし
処刑後に家族の面倒みたのもこの人 >>467
徳川は三河だけの時は弱いので有名だろ。 >>240
逆だろう
意見の対立、権力闘争はどの国にでもあるわけで
それが我が国では「天皇を抱き込む争い」といういささか滑稽な争いに転じてしまうから
本当に国が割れてしまうことは避けられる
偶然の産物とは言え、よくできたシステムだよ >>15
尾張大納言があれだけ八代公方に楯突いたのは
それが原因なの? ペリーが来て開国するか大揉めに揉めて開国したんだからその前は鎖国だよな
当時の人も鎖国してるという認識だったし
長井雅楽 航海遠略策
「扨又鎖国と申す義は三百年来の御掟にて島原一乱後別して厳重仰せ付けられ候御事にて」
>>489
そりゃ、長岡藩の方針は、恭順はしない、そもそも長岡藩には恭順する理由すらもない。
でも会津藩と共に戦うこともしないし、むしろ新政府軍と会津藩との戦争は長岡藩が終わらせる。
という超難易度の高いもんだからな。 >>395
秩禄処分も賞典録も長州を特段優遇したとは思えんのだが…。ソースある?まともな学者さんの >>498
一地方藩の開国論者が使った言葉が
なんで当時の人の全体認識にすり替わるの?w >>54
徳川の血統より、織田の血筋が強いからじゃね?
信雄とかアレだったし... >>501
航海遠略策は一時期朝廷の承認を得て幕府に採用されていた考えだから >>414
そりゃ間違いだわ
アーネスト・サトウによると慶勝は
鳥羽伏見以前から討幕方に加担しているし
鳥羽伏見でも慶喜に圧力をかけるのに協力している
『一外交官の見た明治維新 下』(1960)
108
京都に集まった諸大名の中には…
五大諸侯(訳注 尾張、越前、芸州、薩摩、土佐)の
厚顔さに面食らっている者もあるという。
112
両人(黒田新右衛門と木場伝内)は…
大君の主権返上を認めない藩がかなりあると述べた。
かの五大雄藩が急速に行動を起こそうとしている理由は、
このような主張者が京都へ到着する以前に
計画を実行したいからだとわかった。
128
彼(慶喜)が越前と尾張の二候の行った
勧告に従うことを拒む場合は、
薩摩、芸州、長州、土佐などが武力で
屈服させることに決した…
道理で、慶喜は逸早く遁走したわけだ >>502
関係ないけど
信長の男系の直系って遠の昔に絶えちゃったのね >>20
どうしても負けたくなくて、国外の軍を呼び込んでしまって分割・租借とかする国が多いもんな
潔く早期決着した事は評価されてるよな 会津藩と庄内藩は北海道の租借を条件にプロイセンから軍事支援を受けようとしたしな
前田
細川
黒田
池田
浅野
藤堂
蜂須賀
山内
大大名って、案外と織田の単なる一家臣多いよな
そこまで気を使わずともよかったろうに
まぁ、ここら辺は江戸さまさま、で幕府に全乗っかりしつづけてた印象あるけど
>>507
そうだよ、鳥羽伏見の開戦前から尾張藩は薩長と言うか、朝廷より。
ただし、薩長と違って武力行使は反対の立場。 >>509
高杉晋作が下関戦争の講和で
列強の彦島租借だけは徹底拒否したのも偉いよね
あれを飲んでたら今頃は、山口県に香港みたいなのが出来きてたわけで >>513
当時の列強の常套手段だしな
日露戦争を勉強した時、 「戦場は朝鮮半島と中国じゃん 何でここにロシアの要塞が有るんだよw」 と思った事を思い出した
自分の領土に、同盟でもない他国の軍隊が常設して要塞築いているとか怖すぎw >>3
御三家唯一将軍を出せなかった弱小親藩だからな >>333
大久保や西郷の替わりは幾らでもいるけど、
岩倉具視がいなければ倒幕は不可能だったな。
岩倉はいつ頃から討幕を考えていたのか、興味がある 今も昔も、尾張の田舎者は空気が読めない無能馬鹿
三河の三河武士と長州藩の三河武士の出来レースが分からなかったんだからよ
山口県萩市は三河の萩に由来するんだよ
三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
明治維新とは江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲りである
徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
事実上、徳川幕府は崩壊せず今に至る
草薙は 上手な俳優さんと思うけど
慶喜は 少し違うような感じがする。
狂気じみた感じが あったような気がする
>>513
そこが高杉晋作と会津、庄内との器の違いなんだろうね
会津、庄内には人物がいなかった >>523
馬関を占拠されただけで国が亡ぶわけでも
領内全域を焼き野原にされる訳でもじゃないからな。
強気の交渉ができただけだよ。 >>512
それも違うわ
尾張を含む五大雄藩は
京都に徳川方が結集する前に
兵力を集めて勝とうとしていた
しかし>>507にあるように
本番で尾張兵は動かなかった
『一外交官の見た明治維新 下』(1960)
112
かの五大雄藩が急速に行動を起こそうとしている理由は、
このような主張者が京都へ到着する以前に
計画を実行したいからだとわかった…
五藩の兵士がそれぞれ大坂へ向かって
進軍して来るかもしれなかった 河合継之助って岩村精一郎の態度が気に食わないって理由だけで無謀な戦争起こした馬鹿
そんくらい我慢せーよ
>>524
>占拠されただけで国が亡ぶわけでも
「そう思ってた時期もありました・・・」
by清国 >>524
その強気の交渉が出来なかったのが幕府だよ >>525
武力行使に反対だから動かなかったやろ。 >>517
倒幕の後、平安時代の頃の利権を取り戻せると思ってた上級貴族や
自分ら主導の武家政権作れると思ってた島津久光とか、
みんな抑えること出来たのは、岩倉具視ら現実主義の貴族の功績な気がする
天皇を神輿にするにしても、地位的に直接担ぐの西郷らじゃ無理だし >>531
結果として間違えなかったから
明治維新は成功し
俺らはこうして5chでだべってられるんだよw >>529
うちら関係ないんで長州をどうぞ好き勝手にして
長州1国をまるごと租借でもなんでもあんたらの自由にしてください。とでも言えば良かったんか? 谷中の墓地で徳川慶喜の墓がジムに森繁久彌の墓がポケストップになってた
1500石以上の旗本って500〜600くらいなんだと
幼少や高齢の当主、知障もいるだろうから、まともなのは200、300人
これで幕政を支えるとか無理だわ
>>530
>>525にあるように
尾張は武力討幕計画に参加していたし
出兵する予定もあったんだよ
しかし本番の鳥羽伏見では
尾張は戦おうとしなかった…
つまり「臆病者」ということ >>535
慶喜の墓は神式でカッコいいよな
渋沢栄一の墓はデカすぎて引くが >>507にあるように
土佐・芸州も、鳥羽伏見に参加する予定だったが
両軍とも、ほとんど動かなかったという
討幕方で戦う勇気があったのは薩長だけだった
だてに薩長が戦後でかい面をしているわけじゃないんだな 顔真っ赤にして必死に長岡や尾張を貶めたい人がおるんやな。
>>517
>大久保や西郷の替わりは幾らでもいるけど
いねえよ、あほ >>531
朝敵にいきなりされて大阪で逃げたのは、
朝敵の気持ちの準備がなかったからで、
ここは失敗で、第2次長州征伐も失敗
が、大阪以降は大正解だろう
徳川の世が続いたら、日本の植民地化は
避けられない 長州に勝たせた方が、日本の
植民地化の確率は低そうな気持ちがした
て感じじゃないかな
で、廃藩置県、富国強兵とかは慶喜の
予想以上に日本は植民地化を避けられるな
と安心して老後遊び呆けてたと予想
やっぱり慶喜は将軍になる前に言われてた
ほど優秀じゃなかったけど、徳川家将軍でも
優秀な方 ↑をいっさい見ずに、ここから
参加するがw >>517
岩倉は薩摩系の公家だから薩摩の影響でしょ
西郷と大久保が明治維新と明治政府設立の中心人物だよ さすが将軍を排出出来なかった唯一の御三家だな
水戸藩なんかどうでもいいか
追討て
江戸無血開城とバーターで地元に蟄居で済んだんじゃないのか
勝さんがそういってたような
尾張藩は一橋派の中枢として井伊大老の足を引っ張り、
幕末の混乱を作り出した元凶。
そして望み通り慶喜が将軍になったけど、結局、慶喜は兵を見捨てて逃亡し、
尾張は手のひらを返し慶喜を追討してる。
一橋派は呆れるほど卑怯なクズだらけで、
神君家康公が危惧した最悪の展開になってしまった。
慶喜は別に植民地化を憂えてた訳じゃないだろ
それより「賊軍」のレッテルを未来永劫自分の身に貼られるのを恐れた
水戸学の本拠の出身者だからな
水戸家に流れる歴史主義者の束縛から逃れられなかったんだよ
あの非常にあっさりした「徳川の世の放棄」もそれのなせる業だろ
>>552
それだけなら、慶喜の錦の御旗をたてて南北朝時代を再現すればいいだけでさ。 維新後は慶喜が1番幸せだったと言えるんじゃないか。好きなことやって余生を過ごせて薩長土肥の志士のような死に方しなくてすんだ訳だし。
>>546
大湫なんて旧中山道の中で一番何もないところだもんな 尾張の殿様を新政府の将軍にするって薩長に言われて幕府を裏切ったんだっけ
まんまと騙されたわけだが
>>549
この追討命令で新政府軍が迫ってたから無血開城に繋がったんでしょ そもそも日本を開国させ、
横須賀造船所など近代化への移行を進めてたのは徳川幕府。
薩長は攘夷を掲げてそれを妨害してたおバカ集団で、
単細胞な「攘夷戦争」にボロ負けすると、今度は、
イギリス武器商人の手先となって日本の内乱を煽った。
薩長による権力簒奪があっても日本が植民地化されず、
短期間で近代化できたのは、徳川幕府の礎があったからだよ。
慶喜がもう少し しっかりしていたら 薩長の政府にはならなかったし、フランス式の
政治になったかもしれない。
維新の使節団が ドイツにかぶれたのもいけない。
そのおかげで 軍隊がすべてドイツ式になってしまった。
幕府主導の近代化なら イギリスみたいに古い貴族(徳川家や前田家とか)が残ったかもしれないが
おだやかな近代化で 太平洋戦争には 進まなかったかもしれない。
ただし 近代化や産業革命は遅れていただろう
でも 今の 韓国や中国を見ていると ほぼ近代化は日本と変わりないんで それでも良かったのでは。
>>560
統治能力がない幕府が悪い
長州一藩にすら負ける幕府に何ができるというのか >>561
>でも 今の 韓国や中国を見ていると ほぼ近代化は日本と変わりないんで それでも良かったのでは。
ねえよ
というか気持ち悪い空白は何なんだよw
中韓みたいに中世のコンプレックスを未だに抱えたまま近代化しても
長く続かないのは目に見えてるがな >>472
だから天皇は大韓民国人なんだよね
ジャップ哀れww >>561
世界は弱肉強食の帝国主義の時代なのにそんなのんびり悠長な状況で日本が安泰に過ごせたとでも思ってんの?w
中国よろしく租借地だの居留地だので食い荒らされるかロシアの南下でロシア帝国日本州になってるわ ナポレオン全盛期に維新を迎えてたらどうなってたかねぇ
長州一藩にすら負けるというより、
主力を期待した薩摩や尾張、芸州がのきなみ反対してるのに無理に開戦したからなあ。
まあ、第一次長州征伐が寛大すぎたのがあかんかったな。
>>15
それは間違えだな
遺訓を出した敬公(徳川義直)が亡くなったときはまだ徳川家光が将軍してたから
公方になるならないという話が生じてない >>569
田沼意次の近代化がその頃。
田沼は松平定信に潰されたので。 TBSの世界ふしぎ発見で、フランス軍の将校が描いた慶喜の彩色スケッチを映してた
生き生きした貴重な絵だった
あれをまた見たいな
当時の将校にとってスケッチは必要な技能だったらしい
>>555
遊び呆けてないと粛正された可能性あるし。 >>312
海軍の大西瀧治郎もいるし、他にも何人かいる
近衛だってそう >>570
>薩摩や尾張、芸州がのきなみ反対
幕府の家臣だろ?
家臣を動員出来ない時点で統治能力がないんだよ
それも含めて戦争なのだから うち元々は岩倉具定に帰順して新政府側に与した岐阜の藩の人間みたいなんだ
本当にすみません
日本の歴史は裏切り売国の歴史
っつーか古今東西悪い奴じゃないと勝ち残れない
天皇家だってもともとは血で血を洗う権力闘争の勝ち残り
>>569
ナポレオンはハイチで負けて、ルイジアナを手放したほどだから、アジアに関わり合う余裕はない。
本国が危ういイギリスにも余裕はないので、結局大した外圧がかかってこない。
ということは、維新が起こる前提が満たされないということになるだろ。 >>1
戊辰戦争に乗じて植民地化するつもりが空振りイギリス 孝明天皇と徳川家茂は合同で攘夷祈願イベントを執り行うほどゴリゴリの尊王攘夷派で団結してたのに
数年のうちに若くして変死を遂げて
次の代で大政奉還からの文明開花で欧米カモンな時代に急転回しちゃうんだよね
>>577
越前の朝倉家がいい例だな。
一族が義景差し出しておわり >>576
それを言い出したら、将軍慶喜の命すら聞かなかった江戸家老とか。
慶喜の意思に反してそうそうに長州征伐を和睦で終わらせた尾張公とか。 >>562
今回の我が岐阜県は物を大事に取っておいただけで何も悪いことしてないし >>585
>それを言い出したら、将軍慶喜の命すら聞かなかった江戸家老とか。
誰だよ江戸家老って?家臣を動員出来ないのが悪いと言っているのに何に対する反論?
>慶喜の意思に反してそうそうに長州征伐を和睦で終わらせた尾張公とか。
慶喜の意志なんて関係ないだろ?
改易などの処分権限は幕府にあったが、慶勝は将軍家茂から軍権を完全委任されていたのだから >>531
強いて言えば「皇居で戦う勇気がなかったこと」
長州のように皇居で砲撃できたら、
話は違ったかもしれない
『一外交官の見た明治維新 下』(1960)
102
オランダ学者森山が…慶喜が京都から
退去したという報道を伝えにやって来た…
103
私たちは…大君の洋式訓練部隊の指揮者
窪田泉太郎…に会った。…
私は窪田に、勇敢な人間というものは、
こんなふうに退却しないよ、とささやいた。
すると窪田は、皇居前で兵火を交えて、
天皇の玉体に万一の事があっては申しわけない、
大君はそれを心配されたのだと…言った。
私は、大君は皇居の守護を
放棄するべきではなかった、と答えた。 >>585
さらに、家臣が自分の意に反して廃藩置県までやった島津久光や、
薩長と接近した山内容堂もそうだな。毛利の殿様はそもそも「そうせい!」だし。 今の日本は、平安時代の体制に戻ってるようなもんだよな
韓国は兄の国とか言ってるバカが現れるけど
中国に攻められ、国を放り出して我先に逃げる百済王族が泣きつく先はいつも日本で、
武士の情けというか、日本人が百済の者どもを救ってやり、日本で住ませてやったのは日本だし
中国の攻撃で高句麗から日本に逃げてきた乞食をかくまってやったのも日本だし
その一族を、朝廷は埼玉の日高に住まわせてやった。こんだけ恩知らずな乞食も居ない
日本人が在日朝鮮人や韓国に怒るのは当たり前のこと。
>>587
当時の鬼畜な国際情勢生き抜くには維新で血の雨の下を潜り抜けてきた志士たちの
現実感覚の方が上手く対処できたのかもね
それが秀才主義(学校の試験の点数が良い方が偉くなる組織)が至上になって
机上の空論ばっかの頭でっかちが世の中を差配するようになってから
どんどん日本はおかしくなっていったわな
それの帰結が太平洋戦争の敗戦、と 当時はフランスかぶれの一橋はダメだわって新聞に書かれてたんだよ
(尾張)総督は芋の酒に酔ったらしい。銘柄は西郷印じゃ!
>>588
ああ、ごめん。そこは慶喜じゃなく家茂の間違いな。
むしろ家茂のほうが長州征伐は積極的だったな。 ID:zfKgNI8V0
IDで拾ったらすげえ嫌な奴だった
うっかりレスしたのは大失敗
>>595
秀忠「男がなかなか生まれなかったし、二人しかいないんで不安です」
家光「俺はホモだ!跡取り作らねぇ!」
忠長「俺は家康の爺さんからは、鼻から後継者と見なされてねーし」
と跡取り出せるのは尾張と紀州だけでした。水戸は家格が違うから出せる見込みなかった >>596
西郷と勝の行動のように言われてるけど
そもそも、慶勝は当初から長州征伐には積極的じゃない。
今の情勢で国内で戦争とか馬鹿じゃね?という感じ。 慶喜が十四代ではなく、十三代将軍になっていたらどうなっていただろう?十二代将軍の家慶は慶喜を大変気に入っていたみたいだし。家慶はペリーが来ている時に死んでいるし。
吉宗は緊縮バカのデフレ野郎
宗治様は経済を理解していたのに疎まれてしまった
田沼より松平の方がデフレ緊縮バカなのに正義と勘違いされるのと同じ構造だね
現代でも同じ緊縮バカの傾向が続いているというのがまたバカの極みだ
戦国以前から武士は勝ち馬に乗れが鉄則だったからな。尾張はそれを実践しただけ。
慶喜はみっともない逃亡をぜず戦っていたとしても、負けそうなら指名手配を出したと思うね。それが武士が生き残る道なんだから
>>602
幕藩体制が潰されるのは既定路線だよ
長州征伐や鳥羽伏見の戦いの惨状から察するに
列強と戦える体制ではないので
>>601
戦わなきゃいけないのは外国のガチンコ軍隊なのに
「こっちの藩の方が格が上だから命令とかすんなよ!!」とかやってんだよなw
だから幕藩体制なんかあり得なかったわけだ 200年以上経ってればもはや他人感覚だろう
しかも将軍家とはいさかいがあったからな
新一万円札 高橋是清
新五千円札 徳川宗春
新千円札 池田勇人
長州はよくまあ満身創痍になりながら維新を成し遂げたよ
長州以外には絶対に無理だった
維新は高杉晋作という英雄がいなければ成し遂げられなかった
本来なら薩長土芸の四藩だったんだよなあ。
西郷の策略で江戸の薩摩藩邸焼討が起きなければね。
>>609
維新こそ日本史上最悪の出来事で外国の手先になった売国奴によるクーデター
もうバレてますよ
↓
>>472 >>590
日本は独裁の国では無くボトムアップの
意思決定社会だからね
それが天皇が反対してもアメリカに
開戦する事になったわけだ >>598
過去レス見たが俺は別にあんた(vm3+DnbD0)からレスなんてされてねえよ
俺があんたにしたのはあるけどな
俺も以後あんたにレスしたくないから現在のID教えてや
600でなんかID切り替えるとか何とか言ってるから
あんたも俺にレスされるの嫌だろ >>611 肥前藩のアームストロング砲の活躍は、明治政府の構成を変えるほど決定的だったんかな? >>20
というか日本の救世主
うまく身を引いて内戦の混乱に乗じて完全植民地化しようとする外国勢力の梯子外した
それで龍馬は外国勢力に怒りをかって殺されたんだろうな >>612
維新が無かったら国内一致してないからいいように征服されてしまったインドみたいになってるわ >>617
ちゃうちゃう。薩摩藩邸焼討であきれた土佐藩と芸州藩が兵を動かさなかっただけ。
土佐がかろうじて残ったのは藩命にそむいて勝手に配下の部隊だけ前線に動かした藩士がいたから。
(その土佐藩兵も最前線には行ったが、実際には戦かわなかったどころか、
対峙した会津藩兵にここ自由に通って良いよとまで言ってる) 幕府が常備軍もってないんだから
負けるべきして負けた
>>319
吉宗以降好き勝手やった挙げ句滅ぶんだぞ 外国陰謀説は有り得んよ
イギリス外相の中立維持の指示書が残ってるしフランス本国の命令も無い
日よったアメリカが中立から官軍支持に回ったくらいかな
>>507
土佐の容堂は、維新後の会議なんかで何故会議に慶喜が居ないのかとか
発言して岩倉に叱責されてるんやがな。
また、木戸に何故武市を殺したのかとか問い詰められた逸話もあるで。
容堂は、幕府に家の騒動があっても
藩主にしてくれた恩義から
どちらかと言えば幕府側で
鳥羽・伏見の戦いも初めは
番兵の参加を止めようとしてるんやで。
西郷曰く、酔えば勤皇覚めれば佐幕
公武合体より始末が悪いとか酷評
されてるしな。
尚、維新後に土佐藩の家計を傾かせるほどと言われるぐらい遊んでる >>630
でも江戸の街を火の海にするき満々だった西郷さんが
英国の一言で、子犬のようにしゅんとなって無血開城になったんでしょ。
あれには薩摩藩士も驚いたと。何かしら一定の影響力は常にもっていたはずだよ。 幕末の対馬藩はロシアの軍艦に土地を占拠されて、仲介すると見せかけてイギリスも対馬の占領を計画してたんだよな
けっこう ヤバい状況だった
>>630
そんな「酔えば勤皇覚めれば佐幕」の容堂さんをこえる日和見が肥前の鍋島さんですよ。 元々御三家に分散させておいて、もしも幕府が朝敵になったらそのときは水戸徳川が
官軍に就いて戦うようにと(家康のときから)想定されていたとかいうからな。
室町・戦国時代の教訓から、一方にだけ味方していると血筋が完全に途絶えるから、
それを防ぐ為にそうするのが良いということだったと思う。
>>637 とかく口出す山内容堂、なんも口出さない鍋島閑叟という違いがあるのでは。 >>630
ブリカスというか白人を舐めすぎw
明治維新当時の日本人の方が
はるかに危機意識高くて助かったわ
ちゃんと歴史に学んだんだろな >>468
交渉したのは、後の佐賀の乱を
余計にでかくしたって言われる人やけどね。 >>維新は高杉晋作という英雄がいなければ成し遂げられなかった
木戸孝允は 大村益次郎がいなければ成し遂げられなかった と言ったらしいぞ
司馬遼太郎の本では 大村が幕府側にいてもおかしくなかった と書いてあった
御三家筆頭だけど、速攻幕府を見限ったんだよな。
先見の明があったと言うべきか…
大村が幕府側にいても300人くらいの1部隊を率いて終わりだと思うぞ。
それこそ、長岡藩とか仙台藩にいれば歴史は変わったかもしれないが。
家康は 水戸家に尊王とか言ってないだろ
光圀たちが 大日本史を研究して かってに尊王を信じこんでしまったんだろう
>>640
岩倉に叱責された時は、酔ってたらしいけどね 慶喜は評価が分かれる人だが、敵前逃亡して日本全土を内戦状態にしなかったのは結果的には最高の判断だったとしか言えない
>>644
もともと勤王だし、慶喜が京から大阪に下ったあとも京都にいたし。
岩倉とも頻回に会談してるし。慶喜の立場を助けようとして岩倉と衝突もしてるし。
裏切ったというよりは元々新政府軍側の立場に近い人。 薩長や薩長土肥というけど、現実は薩摩対慶喜だったからね
鳥羽伏見で薩摩がほぼ単独で幕軍を蹴散らして、大方勝敗が決した後に、このままだと負け組になると思った徳川方の諸藩が裏切って幕軍に襲いかかったに過ぎない
西南戦争で薩摩が力を削がれて長州が同格になり、薩長と言われたり、教育水準の高さで肥前が台頭しただけの話で、当初の何とか同盟何ぞ全く意味をなしてない
>>649
あそこで敵前逃亡しなかったら、もっと小規模な戦争で終わってた気がするけどね。
おかげで東日本全域で内戦状態。仙田藩がゴミカスだったからたまたま短期間で終戦したけど。
仙台藩がそこそこに優秀だったら年単位の内戦だったはず。 >>648
土佐の鯨は大虎で
胸と度胸の男伊達
いつでも酔って候
酒と女が大好きで
粋な詩も雪見詩
いつでも酔って候
二升入りの瓢箪で
公家を脅かす無頼酒
粋な酔って候
歯が疼き目も眩み
耳鳴りしようとも
いつでも酔って候
新橋両国柳橋
夜の明けるまで飲み続け
粋な酔って候 >>611
「西郷の策略で江戸の薩摩藩邸焼討が起きた」というのは、
板垣退助を始めとした、反長州・会津寄りの連中が西郷の死後、
死人に口なしで広めた、都合のいいウソ話だと思うけどね。
江戸の薩摩藩邸が焼き討ちされても、薩摩藩が得することは何もない。
(西郷が、薩摩藩邸の焼亡、同志の殺害・逮捕を望んでいた根拠は全くない。)
結果論から、西郷が薩摩藩邸を焼き討ちさせ、鳥羽伏見を起こさせたとされているが、
そもそも大坂城へ、江戸薩摩藩邸の焼亡が伝わったのは、鳥羽伏見の5日前であり、
徳川軍が京都侵攻へ向け、畿内各所の要地を軍隊で掌握し、戦争準備を終えた後。
なにも薩摩藩邸が焼き討ちされなくても、徳川軍による京都侵攻は既定路線だった。
徳川慶喜が、一部の書籍の中で、自己弁護のために述べている妄言を
正当化するためには、「西郷の策略」ということにして西郷を悪者にすれば、
徳川慶喜や渋沢栄一にとって都合が良かった、というだけの話。 芸州が兵を動かそうが動かさまいが、軍事的な力の裏付けもなく、また、人材もいなかったので雄藩として明治以降に躍り出ることはなかったと思うよ
つうかほとんど触れられないけど幕末で薩摩を裏から支援して操っていたのが尾張藩だからな
徳川慶勝はかなり早い段階から幕府に見切りつけて西郷に目をつけてた
将軍補翼をやりながら新政府の儀仗を務めている
あとそもそも尾張藩は藩祖から「幕府と朝廷が対立したら朝廷に味方する」と宣言してる
その尾張の藩祖に私淑したのが水戸光圀
>>626
何だ?こいつ
馬鹿はてめえだろ、ゴミ屑 >>629
物を知らない田舎者だな
三河の三河武士は尾張の三河武士を敵視していたのが分かっている
城郭規模日本3位の岡崎藩主は、尾張藩を仮想敵としていた 関ヶ原の合戦で毛利輝元は敗軍の将になったが
最後は毛利の残党が徳川倒したからなw
どっちが勝者かわからんぞ
>>慶喜は評価が分かれる人だが、敵前逃亡して日本全土を内戦状態にしなかったのは結果的には最高の判断だったとしか言えない
内戦にするつもりないなら、最初から大阪城に集結するなよ
出陣じゃ、出陣じゃ と大演説ぶって、誰にも知られないように脱出する。
満州での関東軍将校が、国民を置いてきぼりにして真っ先に日本に逃げたことを連想する
>>246
山内家は、石灰の山を所有してる会社とかある。当主は東京在住 >>385
よく「錦の御旗」と言われるけどあれって大して効果ないからな
四境戦争なんてそれこそ幕府が朝廷から正式に毛利敬親追討令を受けて錦の御旗を掲げて戦ったのにボロ負け
逆に朝敵扱いされていた長州は大勝した
つまり近代兵装化された組織の前では幕府や朝廷の威光なんてゴミ同然だった
力こそパワー、パワーこそ正義、力なき正義は無力、力なき正義は悪
という指向のもとで朝廷は毛利敬親追討令を引っ込めて
今度は徳川慶喜追討令を出した
朝廷としては無力な幕府を見限って勝ち馬の薩長に鞍替えするしかなかった
逆にもし朝廷が最後まで幕府と共に戦っていればどうなっていただろう
幕府がいくら錦の御旗を掲げていても薩長に滅ぼされていただろうし朝廷も滅ぼされ
フランス型の革命みたいに王政も廃止されて日本共和国が生まれていたのか 毛利輝元ってスゴいよな
残党が徳川倒すし、彼が作った広島城は
明治天皇が滞在し指揮ととられて日清戦争ボロ勝ちw
近代日本を作ったのは、まぎれもなく毛利輝元だよ
>>関ヶ原の合戦で毛利輝元は敗軍の将になったが
最後は毛利の残党が徳川倒したからなw
どっちが勝者かわからんぞ
その毛利の残党が 木戸孝允らに粛清される
>>654
歌にまでされてる容堂さん。
喜んでそうやな >>662
現当主は山内豊功公
豊功は、土佐名産の土佐鶴酒造のCMに出演している
2010年には、長宗我部氏の末裔、長宗我部友親と共に高知県知事尾崎正直のもとへ表敬訪問を行った
土佐山内氏が使用した家紋は、「土佐柏」「山内一文字」「土佐桐」
幕末から明治時代、土佐藩を母体とした企業であった九十九商会や後の三菱商会のスリーダイヤはこれに由来する 武家の力が強くなってから、日本の領土の拡張は
あんましなくなったなあ
>>663
>四境戦争なんてそれこそ幕府が朝廷から正式に毛利敬親追討令を受けて錦の御旗を掲げて
幕府軍は錦の御旗を使っていないだろ
錦の御旗は岩倉が後醍醐天皇の故事に倣って復活させたもの 広島城は朝鮮出兵における前線基地の名護屋城と、大坂をつなぐ中継基地として築城された城だからな。
明治期にも露西亜戦争で同じ役割を果たした。昭和に連合艦隊司が置かれたのも大陸との立地が便利だから。
徳川慶勝が新政府軍と対決姿勢を見せていたら日本は間違いなくアフリカや中東みたいになっていた
というかほとんど慶勝が導いたからあれだけスムーズにいったんだけどね
慶喜が緒戦で薩摩に負けてなかったら天皇を奪還しただろうし、錦の御旗が立ってない
いや、錦の御旗が立っても踏みつぶして、歴史の闇の中に消え去ったことだろう
長州征伐でもそうだけど、弱い奴らに先陣を任せたのが運の尽き
各藩、お侍軍団を諦めて奇兵隊のような庶民部隊にほぼ移行してたのに、それを投入させなかったのが悪い
>>668 そんなことはないだろう
東北や北海道の開拓は進んだし、間宮林道なんか樺太測量までやって 千島列島は日本の領土までなった
小笠原諸島を発見したし、沖縄は属国とした >>655
当時江戸の街を荒らしまくっていた賊徒を薩摩藩がかくまっていた事実は全くかわらんよ。
そこに西郷の命があったかなかったかは別として。
そして薩摩藩邸焼討を理由に芸州藩や土佐藩が軍をうごかさなかった事実もかわらんよ。 水戸も尾張もみんなで徳川家滅ぼすんだから間抜けだよなあ
それで藩も取り潰しで武士階級も取り上げられて
>>668
東南アジアを領土にしようとしなかったのは痛いな。
進出してたら超大国になれてた。 >>674
別に奪回する必要はないだろう。
慶喜は単に新しい天皇陛下を奉り、正当性を主張すれば良いだけ。
日本の歴史は常にそう動いてきた。 >>659
>岡崎藩主は、尾張藩を仮想敵としていた
それは知らんぞ…
ソースがあるのか、三河屋? >>676
NHK大河ドラマのような、明らかに誤った歴史描写が嫌なんだよ
江戸薩摩藩邸焼亡の知らせを聞き、大坂城の徳川軍が大喜びして
その勢いで京都の「薩賊」を滅ぼそうとした、というのが常識的な理解のはず
それを渋沢栄一や徳川慶喜は、西郷隆盛が薩摩藩邸を焼かせてその結果として
鳥羽伏見の戦いが起きたかのように、虚偽を流布しているのが腹が立つ
薩摩藩邸が焼け落ちる前から、徳川軍が京都侵攻の準備が完了していた事実を
知らぬふりして、全てを西郷のせいにする、慶喜や渋沢の卑劣さが許せない >>664
輝元は何もしてないw 幕末の事はもちろんだが、安国寺恵瓊に乗せられて西軍の総大将になり
関が原後は吉川に領土恵んでもらっただけ。有能な爺ちゃんや叔父さんと同じ血が流れてるとは思えないw 薩長の陰謀どうたらなじるけど
徳川だって無理難題の陰謀で豊臣滅ぼしたしな
>>682
まあ、間違いなくそれだな。
慶勝が本気だったら長州藩とか瞬殺されてたし。
第一次はな、長州が御所に向かって砲撃かましてる後だし
まだ諸藩からも征伐には支持があったんだよな。 >>544
歴史的に尾張は三河に負け続けてきた歴史がある
江戸城の中の人の実態は、三河の譜代藩主が牛耳る世界で
言ってみれば、尾張をいじめ続けてきたのは、三河の三河武士
何故、名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」
尾張の歴史
◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。
◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国碧海郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。
◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。
◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。 南北朝合一から何年経ってると思ってるんだ
しかも、各地の後南朝の残り香を葬り去っていったのが徳川だというのに
>>684
そんなもので正統性を確保できるのか
まあ、圧倒的軍事力があれば何とでもなるのかも知れないが、もう負け戦の真っ只中だぞ 日本は大陸進出に野心をもっていたというけど
そんな国がなんで何百年も鎖国してるんだよw
江戸城の幹部が坂東武者なら、こうも対抗心持たんかったんだろうが
史実は、尾張を平安期からイジメ続けてきた三河武士だからな
そりゃ対抗心も持つだろうよ
>>690
いつもこの人勘違いしてるんだけど
トヨタの創業者一族は名古屋住まいだし
司令塔は名古屋つまり尾張 >>678
未だに思うわ
秀吉は唐入りじゃなくてルソンに向かった方が良かったと >>683
水野忠善は尾張藩の尾張藩の後ろ備えの役割として、
吉田4万5千石から5千石の加増で岡崎5万石へ移封したんだよ。
忠義にあつく常に軍備を怠らない性格で、常に隣藩の尾張藩を調べ幕府に報告していた。
本人は幕府への忠義と信じてやっていたけど義直は悪気はないからと少し迷惑がっていた。 >>695
日本の造船技術がもう少し発展してればな。 >>694
豊田佐吉
1867年3月19日三河吉田藩山口村で生まれる。
1875年、下等小学校入学(坊瀬の妙源寺の寺子屋が途中で川尻小学校に変わる)。
1878年春、小学校在学中、三河県岡崎市の岩津天満宮へ参拝、徒歩で往復。
1878年12月、吉津村川尻小学校を卒業。
1885年、二俣紡績(遠州紡績会社)への就職を希望。父の反対で断念。
1886年2月 山口夜学会を山口観音堂で実施。
1886年春、佐吉は朋輩の佐原五郎作と無断で東京方面へ出奔。
1887年春、徴兵検査を受けるが、抽選のがれで入隊できず。
1887年暮、三河県豊橋市中八丁の大工・岡田波平のもとで修行。
1889年正月、再度家を出る。神奈川県横須賀の佐原谷蔵宅に寄寓。
1889年春、愛知県知多郡岡田村へ織機の研究。
1890年4月、東京上野で開催の第3回内国勧業博覧会を見る。
1890年11月11日、豊田式木製人力織機を発明、特許申請。
1891年5月14日付で、豊田式木製人力織機の特許を得る。
1892年10月、東京浅草外千束に住む。
1892年、織機研究のため埼玉県蕨市、高橋新五郎を訪ねる。
1893年3月26日、佐原豊作の三女たみと結婚、東京で暮す。
1893年年末、東京を引き揚げ、妻たみと山口村へ帰る。
1894年正月、家出。三河県豊橋市曲尺手町の叔父・森重治郎宅へ。妻は取り残される。
遺伝子レベルで尾張ドン百姓は無関係w >>694
建国以来の無能馬鹿の尾張が、司令塔と笑わすなよ
濃尾平野で田畑耕していろ
よくこんなダセー町に愛着があるよなw
■那古野荘(名古屋)
・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当)
藤原顕隆→顕頼→小野法印別当
藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院)
■平安時代
・小野法印顕恵が開発
・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る
■鎌倉時代初期〜中期
・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する
■鎌倉時代末期〜南北朝
・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる
■室町時代
・今川那古野氏が領家職となる
初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か?
・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城
■江戸時代
・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城
■現代
・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる >>699
遺伝子レベルの話をするんならもっと別の場所になるだろ
理科からやり直せ >>685
薩摩藩邸焼討ちで慶喜が大喜びした歴史資料でもあんの? 三河じいさんID:LqfATMwk0ってひょっとして低学歴なのかな
>>697
ルソン進出を契機に遠洋航海技術があがればなと
スペインに対しては秀吉は啖呵切るぐらい恐れてないしw >>700
朝廷を形式だけのないがしろにした武家の時代になっていたのを
形勢逆転のために一気に南北朝時代に戻って朝廷を持ち上げたのが鳥羽伏見やからな。
同じことが通じるやろ。 創業者一族が今は名古屋住まいってことも知らないし時間が止まり過ぎてるな
>>655
渋沢はその著書(幕末維新の傑物の生きざまを例にして論語を渋沢流に解釈する本)では西郷隆盛はむしろ高評価になってる。大久保利通はかなり嫌っている。
勿論慶喜公は別格扱いで慶喜公のために明治6年大蔵省を止めて野人になったと繰り返し書いている
そこに野人を楽しむ孔子様の姿に自分を重ねたのか >>708
その逸話は有名だね。それが真実かどうかは不明だけど
忠善が隣藩の情報をせっせと江戸に挙げてたのは事実だね。
それに対して義直がめちゃ怒ったとか、
あいつはそういう奴だ悪気はないからほっておけと迷惑がったとか色々説があるけど。 >>710
ホント、パゴヤは頭が悪いな
尾張徳川が尾張のドン百姓と関係ないように、豊田家の尾張のドン百姓は関係ねーわ
何が司令塔だ、尾張が日本を動かせるかつーの
武士の”名古屋弁
http://www.geocities.../jtohkai/sub11-2.htm
>昭和に入ってから名古屋の旧士族の子孫の会話が『名古屋方言の研究』に収録されている
>明らかに三河弁の語尾である(特に東三河)。「〜ぎゃん」も「〜がや」と同じであろうが、三河弁的にはねる発音が特徴的だ。
>実際の発音は「がん」と「ぎゃん」の中間的なものだろうか。
>尾張藩の武士の言葉は三河弁的な特色が濃い >>715
で、理科は学び直したの?
もしかしてコロナワクチンで遺伝子書き換えられるとか思っちゃってる? でたらめな歴史しか語れず生物の基礎も知らない低学歴な老人に支持される地方も気の毒だな
>>694
三河と多少でも関係があれば、
なんでも持ち込んでくるのが三河屋スタイル。(´・ω・`) >>714 水野が熱心に江戸に報告してたら、そのうち色んな憶測が広がったってパターンかしらん…? >>719
三河と尾張っていうキーワードにだけ反応するの発達障害みがあるな
前にかなり古いログで見かけたことあるから同一人物ならけっこうな高齢だよね >>708
物を知らない田舎者だな
三河の足利将軍家、東国を抑える最前線が額田郡(岡崎市)だったんだから、その逆だろ
三河に事実上の本体を置いて、東西を監視していたのは、三河の足利将軍家、三河の徳川将軍家は同じ
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永 >>708
続き
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>720
まあ、恐らく。尾張が仮想敵国という話もその流れの一環かと。
まあ、真面目で幕府への忠義心厚くて、乱時に備えて常に軍備も整えていたし。
そういう人だから、尾張の後ろ備えとして配置されたんだろうけど。
義直には窮屈なひとだったみたいだね。
あとブログの江戸で義直の言に忠善が言い返すとかはまずあり得ないから。
多分岡崎の人が地元の藩主様を盛るためにできた逸話だと思うよ。 お前ら文部官僚の嘘デタラメの日本史を完全に信じ込んでおめでたいな。
吉宗の質素倹約は経済を確実に衰退させるから尾張宗春は城下の町内に
毎週日曜日は祭りを開くように指示、人口4万だった名古屋はあっという間に
20万都市に、庶民は公然と吉宗よりも宗春が公方になった方が良いと言い出し
これに吉宗が逆ギレして後継ぎがいたにもかかわらず尾張と高須に田安家の
子供を養子に送り込んで義直以来の尾張・高須の家を事実上根絶やしに
結果長州毛利家中と同じ公儀に強い恨みを持つこととなり新政府はそれを利用して
島津と尾張の両家に慶喜追討の命令をだして新政府軍の兵士の6割が尾張の足軽が
占めることに。
青松葉事件って戦前までは名古屋で話すのが
タブーだったって本当かな
一応藩士の子孫だが明治になり薩長に騙されて
いた事が判明してうちのような勤皇派は肩身が
狭くなり移住したって聞いてるけど
>>612
近代化に成功して日清日露戦争に勝って先進国入りした維新が日本史の汚点w
山口県行って土下座してこいお前 >>662
尾張さんは目白に不動産持って女子大生の寮なんか経営しちゃてるな
水戸さんは墓の修繕とか大変だったんじゃないの
紀州さんは全部売っちゃて管理会社もないんじゃないし当主も独身女性だから後付きを取らないと断絶するね 中国メディア 日本人は黄色人種の世界的地位を向上させた
もし19世紀に日本が台頭しなかったら、アジアは第二のアフリカになっていた。
清王朝がアヘン戦争とアロー戦争で英国に敗れ、一部を植民地とされるなど、
西洋列強がアジアに迫る流れのなかで、日本が台頭しなかったらアジア全体が
アフリカのように西洋の植民地になっていた。
古代文明の成果を代表するのは中華民族だが、「近現代文明を切り開いたのは大和民族であり、
日本人である。さらに日本人は事実上、間違いなく黄色人種の世界的地位を向上させ、
アジア独特の発展の道を創造したと絶賛した。
慶勝は写真マニアとしても有名。幕末でも先端をいっていた。
>>727
>尾張と高須に田安家の子供を養子に送り込んで義直以来の尾張・高須の家を事実上根絶やしに
お前の方が嘘の日本史をバラまいとるだろ。
宗春の後継者の徳川宗勝は、まだ義直の子孫だった高須藩出身だ。
義直の血統が途絶えたのは、将軍家斉の時で、一橋家出身(家斉の甥)の斉朝が入った。
田安家から入るのは、その二代後の斉荘の時だ(田安つっても、家斉の子供だが)。 >>706
秀吉は台湾進出したけど疫病で失敗したところを
見ると当時の日本人では病気の耐性は無いから
難しいかも? >>734
秀吉はそのまま朝鮮を開墾すればよかったんだ。
島津とか大大名がイラネと言っても欲しがる小大名は多数おったやろに。 >>735
慶長の役の時には唐入りでは無く朝鮮占領を
意図してたけど死んでしまったからなぁ
まぁ毛利輝元が言葉もわからない人間の領地
なんか要らないと言ってるし、あまり欲しい
大名も居なかったんでは無いかな? >>736
そりゃ毛利みたいな大大名が数年かけて開墾しないといけない土地を今更欲しいとは思わないだろ。
でも城持ち大名になりたい将は無数にいたからなんとでもなる。 >>736
世界史見ると
戦国時代の終焉であぶれた階級が社会不安になって
次の乱世を引き起こすのが黄金パターンだから
それに気付いてた秀吉の政策は間違っちゃいないんだけど
もう少し長生き出来てればな >>739
なんともなると言っても死んでからの
撤退は秀吉が責任を取れないからなぁ
そうなると筆頭大老の家康の責任に
なる訳で結局家康には世界的な視野が
無かったのが江戸時代の日本のある意味の
停滞に繋がった訳で もう将軍レベルになると親戚とかそんな意識ないのかもな
普通、親戚のおっさんを討とうとか思わないだろ
御三家筆頭でありながら一度も将軍出したことないもんね尾張は。
実力的には頼宣が作り上げた紀州の方が上。
(‐@∀@)何か面白いモノが見つかったのか?
>>瑞浪市にまで来て『盗んだバイクで走っちゃう〜♪』しに来たのか?
(‐@皿@)そ、そんな訳あるか!
>>有料記事にする程の記事でもないだろ。だいたい今日から月極め300円値上げこいて
よくのこのこ来れるよな。それに下手しなくても捏造されかねないし。
(‐#@皿@)ち、ちくしょう!腹立ち紛れにヲナニーしてやる〜〜!!
この頃の尾張藩主って高須藩からの養子で水戸の男系なのに慶喜に反抗したのか
>>160
そんなの明治維新後のつくり話だろw
なんせ徳川将軍の息子を養子に迎えて殿様にしていた
時期もあるのだからなw 幕藩体制の殿様って不思議なんだよね。
お家存続のためなんだろうが、遠方から普通に養子を迎えて殿様にするのが普通。
家臣も養子は迎えるが、多くは代々その土地に使えているお家柄が多い。
遠方からよそもんのガキが突然殿としてやってきて忠義心を持てるものなのだろうか?
>>746
尾張藩の最後の藩主は松平容保の実兄だしな
藩という企業の生き残りもあったからなぁ 尾張や越前が入っていた新政府は親徳川の公議政体派が優勢で
辞官納地なんか骨抜きになって慶喜を新政府に迎え入れることが
決まった
これを慶喜が討薩の表なんか掲げて戦起こして負けちゃったんで
薩長の明治政府が生まれてしまった
慶喜は愚将中の愚将だよ
>>47
江戸で薩摩藩が浪人雇ってテロ行為しまくってたもんな仕方がない
ハッキリ言って幕末の薩摩藩は筋が通らない
結局そのツケを西南戦争で支払うことになったんだから >>706
山田長政の戦艦の絵を見ると、遠洋航海技術はあったと思うよ。 >>685
薩摩藩邸の焼き討ちが徳川兵の繊維を高揚させて慶喜がコントロールしきれなくなったからガス抜きに、討薩表とかパフォーマンスしたともいえる。
慶喜のやることなす事が場当たり的なのは否定できない。
朝廷への政治工作は強かだが、周囲の理解者が少なかった点で政治家の資質に悖る。 >>752
京都で会津見廻り組や新撰組がやってた事も似たようなもんだから、そこはお互い駆け引きの範疇かと。 明治天皇と徳川慶喜は、どっちも有栖川宮家から嫁をもらってるから義兄弟の関係なんだよな。
>>742
3代将軍家光なんて自分の弟を討ってるぞw
最高権力者にとって一番のライバルは自分の身内や親戚だったりする >>755
一般市民に軍用金カツアゲや押し込み強盗するような奴はだったのか? >>755
会津見廻り組や新撰組がいつテロ行為を行ったんだ? >>742
慶喜と尾張の当主はハトコ
慶喜の祖父だか曽祖父の弟が尾張の分家を継いで
その分家から尾張本家を継いだのが義勝
会津・桑名・尾張と慶喜が将軍になったあと一橋を継いだのは兄弟 尾張藩主徳川慶勝は弟松平容保と比べると歴史上無名の存在だが
彼が果たした歴史的役割は大きい
慶勝はいち早く明治新政府軍恭順の意を示すだけでなく
東海道中山道沿いの諸藩に働きかけて新政府に付かせた
おかげで新政府軍はほぼ無傷で江戸まで兵を進めることができ
江戸城無血開城につながった
もし慶勝が幕府方についていたら
名古屋城は家康が晩年に築いた戦国の集大成とも言うべき難攻不落の要塞
最新の兵器を持ってしても容易には落とせない
慶勝が名古屋で新政府軍を食い止めている
その一報が江戸に届けば幕府方の士気は大いに高まる
幕府は所有する軍艦を伊勢湾へ派遣
陸と海からの挟撃で新政府軍に壊滅的な被害を与える
こうなるとどっちが勝ってもおかしくない
日本は間違いなく泥沼の内戦に突入しただろう
>>511
そいつらは織田→豊臣と来てるから当時の最多数派なんだよ
そいつらの支持があったから家康は天下取れたんで大きな領地与えないわけにはいかなかった >>763
源義経「大陸に逃げてモンゴル元帝国作ったったw」 頼朝は直接は弟を討ってないよね。
罪を問うただけで。
あとは向こうが反乱しようと西国に行こうとして失敗したり
奥州に逃げ込んだりと。
正直、1万円札の目からみた慶喜公を描くより
慶勝の目からみた慶喜公を描いたほうが何百倍も面白い。
会津桑名も、春嶽も、そして薩長、岩倉も冷静に描けて
非常に面白いドラマになるだろうとは思うわ。
>>766
いや
先に刺客を送って殺そうとしてるよ 尾張藩も、殿様の先祖が徳川家康ってだけで、大半の武士は尾張現地採用組で、織田や豊臣系の連中ばかりだった訳で。信長の親戚筋の子孫が家老になってる
>>768
確かに。土佐坊昌俊という僧兵がいたな。忘れてた。すまん。 >>748
御家断絶=会社倒産(失業)
明日から路頭に迷うよりは馬の骨でも跡取りいる方がいいでしょ >>771
そんな馬の骨に忠誠心をもてたのかな、と思って。
桑名藩は藩主無視して勝手に恭順してるし。 >>773
江戸時代の藩士なんてサラリーマンだよ
現在のサラリーマンが勤めてる会社に忠誠心なんてある?
給料貰う為にいやいや仕事してるのがほとんどだろw >>775
サラリーマンなのに赤字というね
実際はギルドに近い >>775
でも、忠義という概念が生まれたのも江戸時代でしょ。
それまでは「お家を変えてこそなんぼ」と平然という時代だし。 今の徳川宗家も暴れん坊将軍の血統じゃなくて高須四兄弟の会津松平容保の男系子孫でしょ
浅次郎の小説 黒書院の六兵衛 の主人公が官軍の代表として江戸城に乗り込む尾張藩士だったが、
幕臣から嫌味を言われるシーンがあったな
しかし、高須から藩主をもらった会津藩は気の毒だなあとしか思わない。
他から藩主もらえなかったのか?春嶽めこのこの。越前藩が京都守護職をやり通せば良いんだ。
豊臣も徳川も仮想敵を想定して
領地割り当てたのに
うまいこと機能しませんなぁ
そもそも、明治維新って、尾張藩のおかげだからな
第一次長州征討も総督の尾張義勝が、国際情勢を考慮して、長州人7人斬って許してやったのに、
幕府がブーブー言うから、知るか!と言ったら、幕府が直接出てきて第二次長州征討になったのだが、
結果、敗退
尾張を味方につけずに、勝てる訳ねーんだよな
鳥羽伏見前後の紀州藩がどうしてたかというと
小御所会議で会津桑名が暴発しそうになり、慶喜は彼らを連れて二条城から大阪城へ
慶喜は諸藩の大名に大阪城に集まるよう連絡を入れ、伊予松山藩や高松藩など西日本の大名
東日本の大名は大河内正質ぐらいしかいなかったが、義勇兵のような形で散発的に各藩の藩士も集まっていった
戦には間に合わなかったが、加賀前田や上杉や森蘭丸の森氏の赤穂藩なども大阪へ進軍してた
大阪から近い紀州藩へは何度も催促したが、京から近い事もあり勤王派が多く
大阪か京かで揉めて時間が過ぎ、ようやく幕府側に付くと決まったが、この頃には鳥羽伏見は開戦し幕府軍は敗退
結局大阪城へは進軍せず、中立のような立場になった
慶喜が逃げ、さらに大阪城にいた兵も逃亡、逃亡するにも大阪湾の船だけでは足りず
船に乗れなかった兵が紀州藩になだれ込んだ
紀州藩は仕方なく船を貸し、これらの兵は江戸へ逃亡
鳥羽伏見で幕府軍を倒し、さらに大阪城から兵が去り、意気揚々とした朝廷軍
これまで中立だった西日本の多くの諸藩は、これを機に雪崩のように朝廷軍に参陣していく
紀州藩はすぐには対応できず、さらに逃亡兵に船を貸した事もバレてしまい
朝廷軍は紀州征伐を計画する、これに慌てた紀州藩は急いで謝罪し朝廷軍に加わる
幕末御三家の中で一番目立たなかったな、坂本龍馬にたかられて船の賠償されられたり
>>769
そういや徳川慶喜って織田信長の子孫なんだっけ
そしてお市の方と浅井長政の子孫でもあるという 紀州藩は最新式の軍備を整えていたからな。
もし鳥羽伏見に間に合ってたら時代は変わってたかもな。
賊臣慶喜追討のスレ
いや、実際になんて書かれてたのかは知らんけどw
徳川慶喜ねえ、まあ実際大政奉還と時を同じくして出た
薩長プロデュースの討幕の密勅には賊臣とゆわれているわけでね
まあ今回の慶喜追討の高札のロジックとは違うんだろうけどさ
ともあれ、興味深い話ではあるわね。
ついでにいえばその討幕の密勅を出したのは明治帝ってことになってるが
のちにその明治帝から赦免され、既存の徳川公爵家とは別家として
徳川慶喜公爵家がたてられているってのは興味深いですな。
その慶喜を討とうとした尾張徳川家、は次代にして侯爵家ですか。
あとまあ、スレでも御三家筆頭の尾張藩の去就について
いろいろ論じられているけど、まあ皆さん賢明にもおわかりのとおり
御家の護持が何より大事なリアリズムなわけでねw
幕府だ天朝だって基本的にはなんでもいいんですよ、主家が残れば。
また忠誠対象だって陪臣だからね。大名家に仕えてりゃいいんですね。
そういうリアリズムがあるところに幕末は武士道とか尊王とか佐幕とか
攘夷とか忠義とか大義名分とかロマンチシズムもあるわけですがねw
あんまりロマンってか理想政争が過ぎると水戸藩のようになるwww
まああそこは最初から最後まで思想の魔力にとりつかれてましたなw
さもなきゃ新選組とか赤報隊みたいなね。あまり爾後はよくない。
あとは明治の時代も攘夷を言い続けてたようなのもそうか。
そういう跳ねっ返りはともかく、みんなで我が身が大事なんですよ。
だから明治になる数年前まで大政奉還とかがあるまではさ
すべての藩はたぶん薩長であっても幕府に忠義を語ってた筈なんだけど
ある一点から、時間差はあるけどさ、続々と錦旗官軍に属したわけですな。
そして朝廷の側でもこれを是としたわけ。
あ、そうだ、思想の魔力で思い出したけど、幕末の騒乱で
明治政府による改易は一件だけあったな。千葉上総の請西藩。
藩主自らが脱藩して諸隊に加わり官軍と抗戦してんのw
まあこれものちに赦免されて男爵だっけかな?
綬爵しているんでまあ新体制へは円滑にいったんだろうねえ。
まあ話を戻すと大名という親分は明治以後も華族として
身分保障されたとはいえ、その下は幕末維新と地獄絵図だし、
皆が守ろうとした藩もまた御一新で廃藩置県なんでね、
没落士族が辛酸をなめた歴史は歴然とあるんだけどさ
尾張藩主徳川慶勝は幕末の政治に深く関与したけど、大河ドラマでは目立たないな
徳川斉昭が井伊直弼を罵倒する中、その後ろで座ってセリフもない慶勝
第一次長州征伐の総督に任命されるが、その部下の西郷が目立つ
小御所会議にも出席し慶喜を擁護する立場になるが、ここで目立ったのは山内容堂
鳥羽伏見後、尾張藩佐幕派を処罰し、尾張藩が完全に朝廷側に立った事で、江戸から西は朝廷軍一色に
大河ドラマではこの事は説明されず、勢いに乗る西郷ら朝廷軍は一気に江戸へ
江戸城無血開城では名義上尾張藩が預かる形になるが、そんな事はドラマで説明されない
数年前にWOWOWで放送された「黒書院の六兵衛」
主人公は尾張藩士で、江戸城無血開城後の江戸城内の事が描かれた
幕臣からは裏切り者を呼ばれ、薩長らかも信頼された訳でもなく
立場上苦しいながらも奮闘してたが、変な幕臣が居座り、その場所から立ち退こうとしない
このドラマに徳川慶勝は登場しなかった
徳川慶喜ってのは頭が切れる人だから淀藩が裏切って、藤堂藩も寝返った時点でさらに寝返り者が出る
ことが簡単に予期できたんだろうな(現に彦根井伊家が裏切り御三家の尾張、紀伊まで裏切った)
本当は自分も寝返りたかったんだろう。でも自分が大将だしどうしようってことで、大将である
自分が部下を見限るって発想になったんだと思う。なんというかいかにも典型的な日本の政治家って
感じがする。あの頃はちっとは気概がある奴もいたが、本当今の日本は100人の徳川慶喜が
国を動かしてるようなもんだからなw
尾張はもともと京都におったやんw
紀州は寝返るも何も大坂に出陣準備してたのに、
あんさんが大阪から逃亡したから、
しかたなくごめんなさいして新政府に恭順しただけやん。
>>109
あれはしゃあない淀殿が不倫して作った若君の可能性高いし正妻だったねねさまはコ川支持に回ったし。 GO! GO! EAST〜♪ 目指すは江戸城〜
手を取って進もうじゃないか〜
明日の扉をひらこうじゃないか〜♪
今の時代から見ればやっぱり、慶喜さんは評価に値する決断をした
心中苦しかっただろうし死ぬまで本音もあんまり吐いてないけれども
江戸時代は日本の暗黒時代
文明停滞を招いただけの200年間 だから
明治維新は科学開花にすぎない
文明や民度では日本の方がはるかに上をいっていた
世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33
https://bookmeter.com/books/4035069
モース 驚くべき道徳性
シーボルト 輝く神苑の地
ペリー提督 将来の強力なライバル
エジソン 発明・独創の国日本
ハンチントン 日本は一大文明
シュリーマン 高潔
ゴッホ 純真な日本人の浮世絵が糧
タゴール 美の王国
ケンペル 礼儀作法の高等教育
イザベラ・バード 礼儀正しく安全な国 なぜ戊辰戦争が起こったのか それは地理に原因がある
「会津藩」
外国から一番遠い場所の内陸 外国の情報が一番少ない
外国に対する危機意識が一番希薄
なぜ幕府を倒さなければならないか。一番の無理解
幕府への一番の忠誠=譜代大名
「薩摩藩」
イギリスとアメリカの航路に一番近い
イギリスとアメリカの情報を一番持っている
イギリスとアメリカに一番の危機意識を持っている
幕府を倒さなければ日本が危ないことを、一番理解している
幕府への忠誠心は希薄=外様大名
「長州藩」
清とロシアの航路に一番近い
清とロシアの情報を一番持っている
清とロシアに一番の危機意識を持っている
幕府を倒さなければ日本が危ないことを、薩摩藩の次に理解している
幕府への忠誠心は希薄=外様大名
会津藩は、薩長から日本を守ろうとした
薩長は、外国の侵略から日本を守ろうとした
つまり「会津藩」も「薩長」も全てが正義である
「会津藩」の「悲劇」は「日本」における「地理」の「位置」にあった
それが「戊辰戦争」と「明治維新」の真実である
アホ臭さ
会津藩の藩主や高位家臣がずっと会津の山奥に引っ込んでるとでも思ってんのかねw
参勤交代で二年に一年は江戸暮らしだわ
当然ペリー来航も蒸気船騒ぎも知ってて日本の内憂外患状況も肌身で感じてるわ
>>803
戊辰戦争というか東北戊辰戦争(会仙征伐)が起きた原因は
仙台藩主が「薩長の人間を皆殺しにせよ」という命令を発したこと
仙台藩主のこの命令に従って仙台藩士らが東北の各地で
薩長の人間を殺害したうえに新政府軍の城郭を占領したり
皇族を監禁したりして反乱を起こしたのが東北戊辰戦争
この伊達の殿様の基地外みたいな命令は史料的な裏付けもあるのに
なぜか知名度が異常に低いのが泣ける >>803
アホくさw
会津藩は化政の頃から海防の任に着いとるわw 中国人たちが議論 「日本は今も中国侵略の野心を持っていると思うか」
http://news.searchina.net/id/1700418?page=1
「どこの国にも野心はある」
「日本がまた攻めてくるかもしれない」
「米国に中国を倒してほしいと願っているに違いない」
「日本は大昔から、そして永遠に中国を侵略する意思がある」
「今の日本は力がないので静かにしているが、中国が弱くなればすぐに侵略しようとするに違いない」
「現代の日本に野心はない」
「日本の若者は選挙にすら行かない」
「日本の若者は自衛隊に入りたがらない」
「日本の現代の若者は侵略はおろか、政治にすら関心がなさそう」
中国人が日本は野心を持っていると疑うのは、中国メディアの報道によるところが大きいと言えそうだ やはり薩摩が黒砂糖の密貿易でため込んだ金が、モノをいったのでござろうな?
>>779
あれ結局、六兵衛の正体が分からずズッコケたわw >>579
蘇我入鹿だって生き残ってれば
ここまでドラマや学研の漫画で悪人顔で描かれる奴になってないよな 第三王子フェルナンドの人生において明らかにオカシイ点
⑴貴族以上は非嫡出子を修道院に送り
家督に口を出せないようにする習慣があったが
嫡出子だったフェルナンドは父フェリペ3世の勧めで聖職者になっている。
⑵80年戦争でネーデルラントに敗戦確定の状況だったが
フェルナンドは戦地での指揮を執るべく駆り出されてる。
結果的に八方塞がりとなって宮廷側から難癖まで付けられている。
⑶最終的に死ぬわけだが当然毒殺の噂が流れている。
結局一度も将軍を出せなかった尾張徳川家ならやりそう
>>9
自害する訳でもなく
処刑される訳でもなく
趣味に生きたクソ長い晩年
その辺の話を詳しく知りたいのに
伝記なんかも幕末中心になっちゃって
なかなか情報が少ないよね >>802
維新後の徳川慶喜の処遇も物凄く先進的だったと思うんだよね
最後の将軍が地元帰って趣味没頭して天寿全うって
世界史的にもかなり異色なはず そもそも自前の軍事力がほとんどない一橋家だったから家臣に祭り上げられることもなく、実家の水戸藩も既にボロボロ
抵抗のしようがないばかりか、それをいいことに政治には一切口を出さないことで薩長の恨みの行き先が会津に向かった
慶喜は運が良かったけど己の器もよく分かってるやり手だよ
徳川宗家も守ったわけだし
>>821
大将だけは許される、部下が泥をかぶるってのが当時の日本の社会だからな(今でもその傾向はある)
徳川に限らず敗軍でも藩主クラスは命は取られてない
勝者側がそのラインを越えてたら1つの国に団結できなかったかもしれん これがオスマン帝国だったら、皇帝になった者は兄弟を皆殺しにしてたから、御三家なんかあるわけなかったな
>>827
それは日本の社会に限った話じゃない
中世ヨーロッパなんか敗軍の人質ビジネスが
戦争の主目的だったわけで >>828
遊牧系だから長子相続じゃなく
実力あるカリスマが率いることを是とするからな
セリム1世とかメフメト2世とかスレイマン1世とか
なんだかんだで皆優秀 徳川慶喜は世界史上でも屈指の英傑だと思ってる
勝てる可能性が十分にありながら内戦を避けるために徹底恭順を選択してるんだからな
下手すると英仏で日本が東西に分割されて今も別の国だったかもしれない
彼の功績は測りがたいほど大きい
> 明治維新は科学開花にすぎない
> 文明や民度では日本の方がはるかに上をいっていた
いまでもそう
日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう
https://ameblo.jp/tsuyutch-japan-revival/entry-11907351944.html
日本人はヨーロッパを美しく誤解している。ヨーロッパはアフリカのサバンナのようなところだ。
治安が悪いのはもちろんのこと、ヨーロッパ人の民度は恐ろしく低く、日本では当たり前に
通用する善意や思いやりは全く通じない。隙あらばダマそうとする奴ばかりだ。
日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう。これは私の確信であり事実だ。
問題は、日本の素晴らしさについて、日本人自身が全くわかっていない事だ。
おかしな話だが、日本人は本気で、日本はダメな国と思っている。
最初は冗談で言っているのかと思ったが、本気とわかって心底驚いた記憶がある。
信じられるかい? こんな理想的な素晴らしい国を築いたというのに、誇ることすらしない。
本当に奇妙な人達だ。しかし我々欧州の人間から見ると、日本は奇跡にしか思えないのである。
サッカー アーセン・ベンゲル監督 >>831
知識が足りないな
このスレは勉強になるから良く読んだらいいよ >>822
>薩長の恨みの行き先が会津に向かった
なんで事実に基づかない感情論が優先になるのかな?
薩長というか新政府軍は、攻めたくて会津を攻めたわけでも何でもない。
仙台藩主の伊達慶邦が、薩長人皆殺し令を発令し、
世良修蔵を始めとした東北にいた薩長人を皆殺しにして、
会津藩がそれに呼応して挙兵し、新政府側の城を攻め落として、
皇族が仙台藩に軟禁され、反乱を起こされたから攻めただけ。
そもそも会津藩は、それ以前から佐渡や越後などの北陸方面を中心に、
軍隊で荒らしまくっていたから、それを鎮圧する必要もあった。
世良修蔵だって、殺害される寸前まで散々会津藩と降伏勧告の交渉をして、
何カ月も会津藩からの返事を待った末に、ゼロ回答を受けて嘆いている。
みんなNHKの大河ドラマとかのフィクションに洗脳され過ぎだよ。
会津藩は、天皇や将軍家からの説得や、世良修蔵等からの勧告を無視し、
あくまでも徹底的に戦う姿勢を示して、仙台藩と呼応して挙兵し、
新政府軍を襲い、城を攻め落とすなど反逆した結果、敗北しただけ。
そもそも東北戊辰戦争の最後の局面でも、会津攻めを主張したのは土佐と薩摩。
長州は、世良修蔵らを卑劣な手段で虐殺した、卑劣な仙台藩攻めを主張していた。 またいつもの長州を無駄に擁護したいだけの人が来たな。
もはや風物詩
まぁ幕末を見ると長州はただのアホだけど薩摩は酷いな
コロコロコロコロ立場変えて都合のいいポジションにいる
で、立場変えたら今までの仲間を平気で追い落として叩きつぶすという
酷すぎて笑う
>>835
尾張にしてみればこっちは天狗匿ったり佐幕粛清して国内纏めてんのにお前何逃げてんの?て感じだろう >>834
何が感情論なのか分からないね。
むしろ会津藩が京都で反幕勢力を殺しまくってる事実や当時の会津藩は幕府方で最高の軍事力を有していてギリシャのスパルタのような軍事教育を幼少の頃からしていた事実を福島の人たちが知らないか知っていて見て見ぬふりをしていつまでも被害者面している方が問題だよ。
薩摩は京都守護を反故にされ面目を潰されて、長州は取り締まりもなく斬り殺された事実を軽く見てはいけないよ
あなたの自説を誰も知らないと他人を貶める前にそもそも誰も知らないのは学説的にも受け入れられてないんじゃないの? >>837
慶喜公も薩摩だけは許さんと言ってるぐらいだもんな
まぁ西南戦争でそのツケ支払うことになるんだよな
西郷は犬死
大久保は暗殺 >>837
幕末は政治の主導権争いだからな
政局の主流と常に微妙な距離を置くことで自分の存在感を最大化しようとする勢力が出てくるし
薩摩はそれをできるだけの国力があったんだろうな 軍事力がない一橋は、水戸藩からこれという人物を一橋家の家人として連れてくることはできたが、暗殺されちゃうし、大変だったはず
>>837
革命ってのはそういうものだろうけどね
革命家ってのは目的の為なら手段を選ばん連中
そうでなきゃ¨体制¨なんて転覆できん >>834
大村益次郎:幹(仙台藩)を切れば枝(会津藩、米沢藩)は枯れる
板垣退助:枝(会津藩)を切れば幹(仙台藩)は枯れる
で板垣案の会津攻略が優先になったと。
軍事的合理性で判断されたが、龍馬の仇討に松平容保の首が欲しい土佐藩兵と、瀬田の仇討をしたい長州藩兵の感情的な思惑はゼロとは言い切れないね。 >龍馬の仇討に
土佐藩にとって龍馬ってそんな重要人物だったっけ?w
会津藩兵自体は弱かったろ
当時の代々禄を食む武士、とりわけ城下士は武官よりで弱かったし、百姓一揆鎮圧なんかも、指揮官として任じられることはあっても、実際は百姓である庄屋辺り(といっても江戸になるまで元武士の流れ)が人夫を揃えて鎮圧してたりする
全国的にそうで、一揆に担がれた反乱庄屋を別の庄屋が動員されて鎮圧してたりした
長州はもとより、薩摩や土佐の強みは、他藩ではこれら本来百姓身分に値する者らを多く即時動員できたことだ
まあ、会津も新選組を配下にしてるから、そういう側面もないわけではないが
>>803
会津始め東北の藩はロシアからの蝦夷地警備を命令されて殉難者も出してる
これが藩財政を圧迫する原因になっていた 853ニューノーマルの名無しさん2021/07/02(金) 12:26:48.840
>>849
会津藩はの弱さは軍備の近代化が遅れたこと。
独逸から銃をとりよせてることからも近代化の必要性の認識はかなり早くからあったが、
京都守護職にいて、会津、江戸、京都に分散してしまい藩内で意志の統一ができず
また、近代化した軍が必要だとの意思を藩内で統一させた後も
京都での出費が多く資金が足りなかった。 >>846
土佐藩がなんで脱藩した郷士でしかない龍馬の敵討ちとか考えるのかと。
後藤はまだしもましてや板垣がそんな発想を持つわけがない。 >>135
五鳥羽天皇とか五代後天皇の末裔とか六でも無い魑魅魍魎がうじ虫の様に徘徊した明治。大正昭和。平成例話
疫病神、貧乏神、次はなんだ。どんど焼きで厄払い
@YouTube
海舟「御前は、土佐の坂本龍馬なる者をご存知でおられますか」
慶喜「いや、知らぬ。それより薩摩のことだが…」
>>736
文禄の役の時だけど伊達政宗なんかは国元の留守居の家臣に宛てて
「拙者は病人に対して特に念を入れて養生するように申し付けているのだが、
おおよそ朝鮮で腫気を患うと、10人中9人は死んでしまう。どうしようもないことだ」
と朝鮮での様子を伝えている
更に母の義姫宛の書状では
「九州や四国の大名はまだ朝鮮に在陣するが、私はこの城の普請が終われば帰国できそうです。
これに関しては東北の大名で本当に良かったと思っています」
と帰国できる喜びを述べている
他の武将は史料に残ってないだけで、実際は政宗に限らずほとんどの武将が迷惑してただろうね >>855
板垣は勤王党弾圧前から勤王党贔屓だし残党纏めてる龍馬を特別視はするんじゃね? >>855
龍馬伝などで上士は全員、下士を虐げてたような描写だが
上士の中でも下士と平等に接する人もいた、その1人が板垣退助
武市半平太とは別に上士の勤皇党を結成し、後に中岡慎太郎とは盟友の間柄になった
この二人は早くから倒幕の意思を固め
鳥羽伏見前に江戸薩摩藩で暴れた浪士は、元は板垣が集め土佐藩邸にいた連中
板垣が中心となり薩土密約を結び、土佐藩を倒幕へと運動するが
容堂が大政奉還に賛成し板垣は失脚、土佐に帰国させられる
土佐に戻った板垣は、牢獄にいた土佐勤王党残党を釈放し
土佐勤王党を復活させ、自ら党首の立場になった
失脚の立場なので鳥羽伏見へは出陣できなかったが、討幕派の藩士数百人を上洛させた
鳥羽伏見で勝利し、土佐藩は完全に討幕派となり
上士を中心とした胡蝶隊、下士や郷士を中心とした迅衝隊が戊辰戦争に参加する
板垣は土佐藩全体の大将だが、主に迅衝隊を主力とし行動した
板垣は龍馬と生前一度も会った事が無かったが、坂本家武市家とは明治後か前か知らんが縁戚関係
幕末長州藩士の多くが新選組などに殺されたが、戊辰戦争で復讐心に燃える行動や声はあまり聞かないが
近藤勇を絶対に処刑しろ!など土佐藩士は憎しみ度が高い行動や声をよく聞く
特に数ケ月前に殺された龍馬中岡の名を挙げてる人が多いな 会津戦争時点で土佐藩は龍馬中岡を殺したのは新選組と信じてて、その急先鋒の谷干城も会津にいたけど
松平容保がバックにいるまで言ってたっけ?
土佐勤王党引き継いだのが板垣だから、龍馬が残党を纏めてるというよりは
退助の下に龍馬が長崎からやってきたという感じやね。
あとここらへんは詳しくないから俺の知識が拙いだけかもしれないが
会津攻略を現場の板垣と伊地知が主張したのは
会津藩だけは最後まで徹底的に戦うだろうが、
列藩同盟(会津、荘内救済同盟)の他藩は条件によっては早々に降伏するだろう。
冬になるまでに短期で終わらせたいという意見だったような。
会津藩が幹で、仙台藩、米沢藩が枝じゃなかったっけ?
大村の意見は会津藩と戦うのは被害が大きくなる
やる気のない仙台や米沢を先に降伏させて会津を孤立させてしまえばいい。
だったような。そもそもその作戦で平を攻めて相馬に北上してる訳で。
仙台藩が予想外にへなちょこだったため、あっさり攻略しすぎててあれだけど。
>>866
谷干城の新選組への憎しみは少し異常だよね。
新撰組は無関係とされた後もいっさい効く耳持たず、
元京都見廻組今井信郎の自供を頑なに拒否したりとか。 嘘が本当かわからないけど、オレが子供の頃、昭和40年くらいの時に60か70歳の婆さんがよく徳川慶喜に遊んでもらってたと言ってたな。
ただよしのぶ、ではなくてけいきさんと言うし、場所も東京や水戸ではなく静岡だからちと話が噛み合わなかったけどなw
そのときにもらったと言うお手玉とか小物が色々あったけど嘘くさいから捨てちゃったわw
本物なら売り払って家はこんな貧乏なはずねーし。
>>870
静岡の人は、慶喜のことをケーキさんって呼ぶらしいね。
よしのぶさんでは、親しみがわかなかったのかな…? 872ニューノーマルの名無しさん2021/07/02(金) 14:58:17.110
「けいき」は普通に有職読み
安心と信頼の尾張藩。
今も昔も愛知県民はクズだな。
尾張藩主慶勝の祖父は水戸からの養子(高須家に)、父も水戸藩邸で生まれてる
母も水戸からの正室、よって慶喜のいとこ
>>853 尾張藩も財政難で、廃藩置県の命が下る前に、廃藩を申し出たのではなかったっけ? こんな日和見のクズ行為やったから名古屋県にならなくてただの田舎都市に成り下がったんだよなあ
>>870
慶喜は晩年以外はずっと静岡にいて、けいきさんと呼ばれていたらしいからあながちその婆さん嘘でないかもしれんぞ 水戸も尊皇攘夷の本家で時代の最先端だったはずが
変化が早すぎていつのまにか取り残され時代遅れとなって
その反動でグチャグチャになって
御三家はあてにならんっての思われてたけど
さすがに最大勢力の尾張にこうされたら終りだなってので幕府は大ダメージ
一橋慶喜に会ったことある人ギリ生きてる説を水ダウでやってた。慶喜を遠くから見たお婆さんを一人見つけてた気がする。
>>829
それって血縁みたいな王族を各国でグルグル回してた時代じゃなくて?
革命的な体制の変革があった時はお家断絶がスタンダードなんでは? 881ニューノーマルの名無しさん2021/07/02(金) 17:50:05.340
幕末から太平洋戦争終戦まで80年だもんな
>>869
そりゃあ谷は上士筆頭の竜馬ラブだもんな。
竜馬が斬られたときも隣の土佐藩邸から真っ先に駆け付けたのも谷だし。
それと対照的に同じ歳の板垣退助とは全くソリが合わなかったし。
板垣や後藤が積極財政派の軍備拡張派だったのに対し、谷は緊縮財政派(租税軽減派)の専守防衛派。
新政府でキッパリ決別した道を歩んだな。 >>866
虫の息の中岡慎太郎から、竜馬を斬った刺客が「こなくそ!」と言ったと直接証言を得たのは谷干城だからな。
それは伊予弁だ、伊予松山藩の脱藩者、新選組の原田だ!だって流れだよな。
鳥羽伏見で佐々木只三郎が死んでなければめくれた話もあっただろうが、新選組と会津見廻組こそ主犯で藩主の松平容保にケジメを取らせると。 江戸時代でさえ、寺子屋でみんな字が読めるようにしたのに、
なんで現代ではデジタル文盲をほったらかしにするのか。
>>870
白々しい
ネタ投下お疲れさん
おまえが慶喜に詳しい事はよく分かった 当時のお手玉なんて虫に食われて昭和まで保存なんて出来ねえわ
ホラ乙
>>867
但木土佐があっけなく失脚したのも結局は奥州においても武士とは帝から土地の守護を預かってるとの矜持が浸透してたからだろうね。 小御所会議では尾張候は土佐候に引きずられたとはいえ寧ろ慶喜公を支持していたがな
土佐候の「御幼少云々」と放言したのをとらえた岩倉公の「大不敬なるぞ!これ、土佐、返答せよ!土佐ァー!!」
と、西郷大将の「短刀人一本で済みもんそ」という大化の改新に倣った豪胆な一言とで、変わったのだろう
でもこいつの子供がカワサキ作ったんだよな。クワシだったかな、海舟の養子になって最期は自殺か。
そもそも帝國御憲法 御発布により朝敵の汚名が消えたのみか公爵にまでなり官位では将軍より高くなったのだから
明治政府薩長閥も慶喜公を御維新第一級の忠臣と認めざるを得なかったのだろう
御三家の尾張藩や、家康に先陣申しつけられるほど信頼熱かった井伊、藤堂があっさりと官軍側に味方したのに、
徳川にさんざん嫌がらせされた上杉が律儀に旧幕府側でほぼ最後まで戦ったのが、
幕末の面白いところ。
>>895
上杉はドン臭いというかとろくさい
上杉鷹山の改革も膨大な時間を費やしてるし、律義とかそういうのでなくて、組織としての頭の血の巡りが悪かったのだろう
何が起こってるのかよく理解してなかったのかもな >>870
慶喜の没年は1913年
昭和40年に60歳なら1905年、70歳なら1895年生まれだからあり得ない話しではないな
庶民と親しくしてたというし >>854
会津藩は強いのは東の会津、西の薩摩と言われるほどであったが
実際に戦いが始まると負けてばかり
これは教育の失敗だと思う
周りの藩を威圧し融通が効かずよその土地で焦土作戦を行い恨みを買う
対照的なのが薩摩
詮議による思考訓練など単なる体育会系ではなかった
合理性を追求した士官教育だね >>899
戦国以来の譜代って所が裏目に出たんだろw 軍事でも伝統守っちゃたりして >>893
>官位では将軍より高くなったのだから
ググってみたが慶喜と同じ官位(従一位)の徳川将軍はそこそこいるよ
それに慶喜以外の徳川将軍は全て死後正一位を追贈されてる
徳川将軍で正一位になれなかったのは慶喜だけ >>899
第二次長州征伐で、長州藩は新しい散兵戦術を取り入れた。
彦根藩は幕府軍の先鋒として、その新しい戦術といきなり直面させられたわけで、
彦根藩が弱かったということではないと思う。
あそこで先鋒にさせられた不運と見るべきかと。 >>899
桜田門外の変で彦根は幕府から懲罰食らったからもう忠誠心もなくなってたんだろ >>900
戦国時代さながらの赤い甲冑着て出陣したら、
長州藩の鉄砲隊に撃たれまくってホウホウの態で撤退したらしい >>903
安政の大獄で幕府のために働いたのに、
藩主をテロ行為で討たれて10万石も削減された彦根藩は不憫
そりゃヤル気もなくす 幕末譜代が戦争で弱かった理由に
転封が多かったのと、飛び地が多かったのも理由に挙げられると思う
渋沢栄一の生まれた岡部藩は、埼玉以外にも愛知県と大阪府に飛び地があった
鳥羽伏見後の桑名藩は新政府に降参したが、藩主定敬は越後の飛び地で活動した
彦根藩は石田三成の領土を継承し20万石だったが、その後35万石に増え、桜田門外後に10万石削られた
増えた分、減った分は近江でなく、他の飛び地だったはず
長州征伐で大村益次郎率いる長州軍に惨敗した浜田藩は、浜田城や領土のほとんどを奪われてしまい
飛び地の美作に逃げて、そこで藩を継続した
戦力が分散してしまい、力発揮できんかった面があるやろな
江戸政権とその時代は、現代日本にまで歴史的悪影響を多く残している
まさに日本史の汚点
アホ
幕府の大老が江戸城城門前で襲撃を受け首を取られるなんて
武士としてこれ以上の無い恥
しかも井伊家はまだ嫡子届も行っておらず、普通の大名なら御家断絶、領地没収は当たり前の事態
そこを家康以来の重臣の家、しかも譜代筆頭と言う事で特別の配慮で御家存続だよ
幕末なにか功績があったわけでもなくただただ夷狄を排斥せよと言っていた孝明天皇がなぜか急死して
そんな天皇不在のなか掲げられた錦の御旗
そんな風にはじめから天皇はお飾りだって明治の元勲はよくわかっていたから
明治天皇が暴走しそうになったらクギを刺せたけど
そんなこと理解できていなかった愚かな昭和天皇は生まれながらの天皇だといばりくさって
国民を地獄に落とした
戦後は1000年間以上の歴代天皇と同じように元のお飾りに戻ったけど
性懲りもなく政治に口出そうとして側近に失笑されながら制止されたのだった
>>895
そうだね
それは司馬さんも言ってたけど先祖の性格を引き継いでいるのかもね
性格をもとにした家風というかさ
尾張藩の藩祖義直は徳川の天下統一事業に功績があったわけでもなく
だいぶ遅くに生まれた孫のような息子だったから家康が可愛がって大藩を与えただけだし
まあそれは紀伊や水戸も同じだけどね
井伊直政も能力というより家康に可愛がられて小姓から出世した世渡り上手なやつで
竹を割ったような徳川家臣団のなかであまり気持ちよくない人物だし
司馬さんは直政のこと家康の唯一の男色相手だって書いてたし
藤堂は言わずとしれた豊臣恩顧のくせに徳川に寝返ったやつだし
それに比べて上杉は謙信のころよりほんとうに律儀な家風ってことだよね
豊臣のために忠義を尽くしたし徳川には家を残してもらったとはいえひどい目に合わされたのに
それでも最後まで律儀に尽くした
ほんとうに立派だわ
やはり信玄の言うとおり最後に信頼できるのは上杉だよ 古い話だが、海音寺潮五郎だったか司馬遼だったか、
社風とかがあるように、藩風というのがあって、
それは藩祖の性格に由来しているものである。
幕末に幕府を裏切ったことで、藤堂高虎なんぞも
実際の本人の性格はどうだったのかが薄々分かる、
みたいなこと書いてるよなw
譜代大名は政権運営する代わりに領地を
少くし力を与えない方針が仇に成ったな。
大河ドラマって
主役と主役に近い人物をいつも
完全無欠の神様のような善人に描く事しかしてないからな(笑)
>>911
尾張も彦根も幕府に味方すれば良かったんだよ。
日本人同士戦うと外国が付け入るとか勝海舟とか言ってるが、
やるだけやって、官軍を打ち負かすか対等な所まで持って行って、
外国を排除して講和すれば良い。
そこまでやってると、官軍から寝返りも出たかもだしな。
幕府側は勝にしろ慶喜にしろ、物分かりが好すぎた。
小栗みたいなのがもっといるべきだった。 名前に家が入らない徳川将軍は下記の通り
慶喜(豚一殿)
吉宗(暴れん坊)
綱吉(犬公方)
意外にもたった3人しか居ないのである
水戸藩は内ゲバやらかして足引っ張るし尾張藩は新政府軍に尻尾振るしクソの役にも立たんかったな
旗本八千旗なんて本当に役立たず
ガチで戦ってるのは渋沢成一郎とか新撰組とかそういう農民あがりだけ
>>916
一橋・水戸慶喜vs尾張+紀州・井伊
だから無理 シンゲン ケンシン シンゲン!
俺たちはズッ友〜 ケンシンシンゲン〜♪
上杉いいヤツだったんだなぁw
>>3
寝返ったからね
これ読むとわかる
第一次長州征伐のときから勝手に兵を引き上げて、
一橋慶喜含めて本家と対立してる。
まさに味噌カツ
> 御三家筆頭の尾張藩が新政府に寝返った理由
幕末動乱の中、西郷隆盛を信頼した尾張藩主徳川慶勝
2018.3.19
安藤 優一郎
明治維新から150年が経つ。NHKの大河ドラマで西郷隆盛が取り上げられるなど、薩摩・長州の側から維新を描く番組・特集が目立つ。
しかし、負けた側である徳川方にも歴史がある。
会津の松平容保は最後まで将軍家に尽くした悲劇の宰相として有名。
その弟である松平定敬(桑名藩主)も容保と行動をともにした。
それゆえ、桑名藩を飛び出すことになる。
一方、彼らの実の兄である徳川慶勝(尾張藩主)は藩内の親幕派を抑え、新政府につく。
兄弟ではないが、越前・福井の松平春嶽もキーパーソン。
当初は、最後の将軍・徳川慶喜も参加する“連立政権”の実現を図るが頓挫。その後は新政府に人材を供給した。
https://business.nikkei.com/atcl/report/16/030100206/030100001/ >>916
してても幕府軍に勝ち目ないよ
まず大村益次郎とオランダ式兵制の国民兵として
騎兵隊その他がついてる
第二次長州征伐は大失敗
なにせ250年前の甲冑きてくるジジイばっかなんだもの
生きてる間に戦してない
一方長州は下関戦争の経験あるし、
薩摩は薩英戦争の経験がある
近代戦経験してるかどうかは桁が違う
ここに薩摩次元流の命知らずの切り込み隊と、
アームストロング砲撃を
三角関数で計算して江戸に被害与えずに
飛鳥山彰義隊を落城させるのに時計をみて
「そろそろ落ちますな」とかいう化け物に勝てるわけない ていうか徳川自体が自分ちさえ無事なら他はどうでも良い っていう家風じゃんw
江戸幕府の崩壊も身内にそっぽ向かれて終わり は、らしい言えばホント徳川らしいわ
200数十年間も徳川だけの為のまつりごととかクズってレベルじゃねーわ
>>921
そもそも、尾張藩の仮想敵は江戸幕府だからな
八事興正寺は、岡崎街道から攻め込んでくる幕府軍への備えだ
将軍家光が「余は将軍なるぞ!」と言えば、
尾張義直は「わしは神君の子なるぞ!」と言う
家光上洛の帰りに、尾張に寄る予定だったのを反故にした件で、
義直がブチ切れて、無礼な家光と一戦交えるつもりだったのを、
紀伊頼宣が「どうしても戦うというなら一緒に戦います、でも…」
と言って、なんとかなだめたという
その義直から代々尾張藩主に言い伝えられた家訓が、
「王命によって催されること」だ
これは、幕府と朝廷が戦うことになれば、朝廷につけ!ということ
つまり、寝返ったも何も、尾張藩は藩祖義直以来、尊皇だったという話
ちなみに、水戸光圀の『大日本史』は、義直の『類聚日本紀』のマネ >>897
そういう人がいたと仮定しても
お手玉を >>870 が捨てたってところからネタだよな
なあ?笑 >>901
華族制度に切り替わった後でも
明治時代の慶喜のときでも
官位の正一位とかあったんだ
知らんかった
勉強になるわ >>922
大村ってそんなにすごいの
戦闘は実働部隊がやっていて大村は補給しかしてないというし >>922
西南戦争ではかなり手こずって抜刀隊の世話になった訳だが 長州征伐に来た幕府軍を打ち破ったのも大村蔵六の作戦でしょ
むしろ存亡の危機に、村医者上がりを抜擢して任せる方が偉いけど
いつもの花神総集編を見て史実と信じ込み熱く連投しちゃう人かw
この頃はすでに彦根の井伊家も新政府郡の先鋒だしどこもにたようなもん
東北と越後(桑名領含む)だけが例外
幕府と朝廷が争う事態になったとき
徳川の家名、血筋を残すため
朝廷に付くのが尾張なり水戸の家訓かな
もちろん家康からの指示だろう
真田を真似たんだか
>>935
どんだけ家康持ち上げてるんだよw アホ 家康なんて、子沢山なだけの田舎大名
たまたま信長秀吉に付いてただけの棚ぼたジジイだ
なにひとつ革新的な事もしてないだけじゃなく
儒教社会江戸時代へと日本を支那朝鮮並の暗黒停滞社会に堕とした元凶
>>925
徳川家そのものも尊王だったんだがな
尊王攘夷という大義名分を掲げながら、天皇を都合よく利用し、政権をとると
途端に攘夷を止めて西洋化に突き進んだのが新政府(薩長)なんだよな
だから新政府は詔勅を偽造したり、江戸の町で犯罪を起こしまくって慶喜を挑発するしかなかったわけだ 尾張が関わってるとは意外
この時はまだ幕府寄りの勢力が多くいたんじゃないのか
>>936
それむしろ皮肉じゃね?
サムライの時代に産まれなくて本当に良かったとつくづく思う
御先祖さんすんません
直系はここで終わります 生きるか死ぬか
そりゃ平気で手のひら返しするわな
そう考えると戦国武将は潔かった
鰻食ってた慶喜のイメージが相当悪かったんだろうなw
>>929
抜刀隊とは
発案者薩摩人
設立者薩摩人
隊長薩摩人
隊員の半分以上薩摩人
復活を考えたのも薩摩人
それを否定したのも薩摩人 >>938
江戸時代の日本国民ほぼ全員が尊王やけどな、尊王度の高い低いはあったけど
天皇が嫌いだ!こんな反王は、朝廷がまだ権力持ってた時代はいた
平将門など反乱した武士や、朝廷支配から独立した鎌倉武士
院に弓を放った土岐や、高師直や佐々木道誉など北朝武士
各地にあった荘園奪われ、権力皆無になった戦国時代以降、反王はいなくなった
朝廷そのものを倒してやろう!倒朝のような存在は歴史上おらんな
平将門が新皇と名乗ったが、これは関東独立を目指したもので、京の朝廷を倒すまで飛躍したとは思えん
承久の乱で朝廷を倒した北条義時は、首謀者の後鳥羽を島流しにしたが、別の天皇を立て朝廷を滅ぼさなかった
足利義満や織田信長が天皇を滅ぼす企てを考えてた説は、否定されてるみたいだし 幕府寄りの新政府(尾張や越前(春嶽)土佐(容堂)をぶち壊し薩長政府にしちゃったのが
慶喜の大チョンボ(鳥羽伏見の開戦敗北夜逃げ逃亡)
>>938
薩長が政権を取ってから攘夷を止めたのでなく
薩英戦争などで欧米と戦争し負け、これは無理だと悟り攘夷を止めた
「詔勅を偽造」まだこんなアホな事言ってる人いるのか
錦の御旗は朝敵を最大限に利用したアイデアグッズやけどな
長州征伐で長州は朝敵になったが、動じず戦い勝利した
徳川は朝敵を上手く利用できなかった
色んな面を見て思うのは、徳川が負け薩長が勝利したのは必然と思えてくる >>916
ああ
それやったら両陣営に外国勢力ついて武器を売りまくり日本がボロボロになるまで内戦
崩壊した日本をイギリスかフランスが支配して見事植民地完了、だろうね 薩長の執念だよな、どうしてあそこまで執念を燃やせたのか
尊王勤王と言っておきながら誰が孝明天皇を手に掛けたのか
中国人が「日本こそがアジアで最強の運の持ち主」だと感じる理由
http://news.searchina.net/id/1697585?page=1
「錦鯉」は中国では「強運の持ち主」という意味で使用されている。
中国人が自国に対しては「強運」を否定。中国には何千年もの歴史があり、
古代から文明が発展しているので「運が良い」と感じるらしいが、実際には
努力のたまものであり、むしろ「本物の錦鯉は日本」だという。
まず、唐の時代の中国は極めて強大だったが、日本のことを「ただの小さな島」と考えており、
戦略上は朝鮮半島の方を重視していた。白村江の戦いもあったが、唐は日本に興味がなかった。
また、朝鮮半島は軍事面で強くなったことがないため、島国である日本には天敵がいないという
幸運に恵まれたとしている。
その後、「元」の時代には元寇があったものの「神風が撃退」し、「明」王朝は内政で精一杯で
日本まで手が回らず「日本は200年安泰だった。清は、中国史上最弱といえるまで弱体化し、
逆に「日本は清を撃破するほど強くなった。西洋諸国がこぞって清を叩いている間に明治維新を進め、
軍事強国になり、第2次世界大戦では敗戦したが、何かとタイミングが良く、戦後の急激な復興と
先進国への成長いう奇跡を達成することができた。やはり「日本はアジア一の錦鯉だ」と締めくくった。
日本の「強運」も努力と無関係とはいえないだろう。明治維新は「西洋から謙虚に学んだ」おかげで成功した、
と中国との違いを指摘している。今の日本がここまで発展できたのは、タイミングの良さもさることながら
努力も不可欠であり、ただの「錦鯉」ではないと言えそうだ。 >>948
>誰が孝明天皇を手に掛けたのか
岩倉ぐらいだろ
実行しようと思うのは >>98
彦根藩は藩主を殺された上領地を減封警護関係者は罪に問われて
死罪になったりしてるのに肝心のテロリスト集団は許すじゃやってられんわな >>945
徳川慶喜が大政奉還して政権を返上した
↓
王政復古で薩摩・尾張・芸州・越前・土佐藩等を中心とした新政権の形が示された
↓
徳川慶喜は京から大坂城へと移動した
↓
徳川慶喜は大坂城に外国の公使を集めて外交権や政権が徳川家にあると示した
↓
越前・土佐藩の周旋で徳川慶喜が参加する形での新政権へと変化した
↓
徳川慶喜は京へ攻め上るために軍を集めて大坂城や周辺各地へ軍を配置した
↓
江戸薩摩藩邸を夜討ちして薩摩藩の連中や浪士の大半を殺害捕縛したと大坂城に知らせが入った
↓
徳川慶喜が反乱を起こして京へ攻め上った
↓
徳川慶喜が敗北した
↓
徳川慶喜は夜陰に紛れて大坂城を脱走し船に乗ってお妾さんと一緒に江戸へ逃走した
↓
慶喜逃亡により大坂城が大混乱に陥って徳川方の軍隊は相次いで大坂城から逃亡した
↓
この責任を問われた会津藩の神保修理が江戸で詰め腹を切らされた
↓
徳川慶喜は新選組や浅草弾左衛門の配下を甲陽鎮撫隊に任じて甲府を守らせようとした
↓
甲陽鎮撫隊は甲州街道の遊郭で豪遊している間に甲府を新政府軍に占領されて敗走した
↓
徳川慶喜は万事休して江戸城を無血開城した >>927
位階は現在でもあるわ
現在(戦後)は生前授与はなくて没後受勲だけだけどな
一昨年亡くなった中曽根大勲位は従一位授与だよ
総理大臣経験者はだいたい正二位が定位置 >>953
甲陽鎮撫隊は「体のいい厄介払い」だった
って聞いたことがある 956ニューノーマルの名無しさん2021/07/03(土) 07:53:54.810
近藤は、切腹じゃなく打ち首だもんな
土方は五稜郭まであがいてみせたが
>>955
清々しいほどの結果論の陰謀論だなw
もしも甲陽鎮撫隊が命令通りに真面目に進軍して新政府軍よりも先に
甲府城に入城していたらその後の歴史はどう転んだか分からんよ
甲陽鎮撫隊が必ず遊郭で豪遊して甲府城への入城が絶対に間に合わないという
未来を予言できていたかのような陰謀論は論ずるに値しないと思うが? >>956
近藤さんがああならなかったら土方さんもあそこまで抵抗しなかったかもよ >>958
どうだろうね?
近藤や土方の出身地を通過するとき与えられた資金で豪遊しながら行軍
地元の人間に錦を飾ったと言うか、自分らの立場と運命をもう悟っての乱痴気騒ぎと言おうか
厄介払いされたと言う自覚はあったんじゃねえの? >>955
慶喜に無血開城を託された勝海舟が、主戦派を各地に分散させたと言われてるな >>944
承久の乱で鎌倉が朝廷を倒したわけではないぞ
院とそれに味方した鎌倉の在京御家人を倒したに過ぎない
その院が持つ領土を分配しただけで天皇天皇領も寺社領も手付かずだ 皇室は維新後は佐幕派との融和を図ってる
国民国家化した日本国内に変な遺恨が残るのはよくないと思ったんだろう
元朝敵の慶喜を公爵にしたり昭和天皇の嫁は薩摩系だけど弟宮の秩父宮の嫁に会津松平家の娘を選んだりしてね
>>955
名前もダサいしなw 近藤土方が江戸にいたら邪魔だわ >>963
「北条義時が朝廷を倒した」
倒したか倒してないか、どうでもいい事を重箱の隅揚げ足取りしてくる人がいるな
普段から相手???と思わせるような事を、揚げ足取りしてそうやな >>958
いや、先に入城しても鎧袖一蹴されて終わりだろ。
近藤に近代戦指揮する能力があったとは思えんw >>965
その頃だと近藤さん大久保剛か大久保大和に変わってね? >>967
新選組は鳥羽伏見で人数減ってしまい、甲陽鎮撫隊は被差別民も加えた寄せ集めやからな
その後の甲州勝沼での2時間ほどの大惨敗を考えたら、甲府城で籠城できてもあかんかったと思う >>966
重箱の隅でなく、律令制も武家社会もなにもかも根本的なところが理解できてないんだよ
その一つの証左
君は基礎学力ないし、お勉強苦手だったろ
背伸びせんでいいよ >>970
またくだらん事書いてるわ、この人
律令制と武家社会について詳しく教えてくれよ プラスチックって石油からできてるんですよ、皆さん、知ってましたかと言ってた環境大臣がいたけど、そんなやつに出くわした感じ
>>971
学校に帰って勉強しなさい
何でもただでは手に入らない >>972,973
君の言ってる事を理解してくれる人っているの?
周囲から頭デッカチと思われてるわ、典型的な丸暗記人間
「北条義時が朝廷を倒した」
こんな事でイチャモン付ける人って、誰も会話できんと思うわ >>911
家康と直政が男色関係にあったってのは甲陽軍鑑にある記述だな
司馬遼太郎もそれを踏襲したんだと思うけど信憑性は低い話だね 甲陽鎮部隊なんか、勝が和戦両用の保険としてとっといたジョーカーじゃん。
江戸城総攻撃が回避されたら目の上のたんコブ。
せっかく西郷と合意したのに暴れられたら累が徳川家に及ぶ。
関係ないよとトカゲのしっぽ切り扱い。
>>972,973
律令制と武家社会について説明してくれないのか
各地の荘園は武士が管理し、その米を朝廷の人らに収める
武士は苦労したが、公家は遊んでばかり、その怒りが鎌倉幕府成立に
律令制の崩壊は、南北朝から戦国時代にかけて
各地の荘園の米を武士が朝廷の人らに送らなくなったのが原因だと思うが
これで合ってますか? >>819
慶喜の話なら静岡市内なら結構残ってる
まだ150年しか経ってないから 甲陽鎮撫隊自らが騒ぐというよりも
「新撰組の残党がいる!」と気付いて
暴れてしまう可能性のある官軍を刺激しないようにしたか…
>>972,973
元から明へ、明から清へみたいに中国みたいに、皇帝を倒し新たな皇帝を名乗ったみたいに
天皇を倒し新たな王になる倒朝は、日本にいなかったを書いたつもりなのに
それを理解できず
>>963で承久の乱で鎌倉は朝廷を倒してないと難癖
>>970で律令制と武家社会を理解できてないと私を馬鹿と罵る
面倒くさい人だわID:48TeSEmi0 >>975
家康にその趣味あったら直政以外にも話あるよな
直政以外には噂聞かないから俺も家康の男色趣味は疑わしいと思う
でもその後の徳川将軍は男色家が結構いるw (このスレはIDコロコロだらけでレスする相手を選ぶのが難しいな)
甲陽鎮撫隊が普通に甲府に向かっていれば甲府城に先に入城できていたわけだから
甲陽鎮撫隊300名強に加えて甲府城の400名近い幕府軍と合流していたことになる
新選組が近代戦に不慣れとは言っても籠城戦では籠城側の方が圧倒的に有利なので
700名の籠城軍が400名の新政府軍と全く戦えないということはないだろう
ここでのキーポイントは甲府城内の「幕府軍」が慶喜方とも新政府側とも言えず
先に甲府城に到着した方に味方するような不安定な立場だったこと
だからこそ「甲府城に先に入った方が勝つ」と事前に忠告されていたわけで
>>976
その論理は時系列が無茶苦茶では?
江戸城無血開城が旧暦3月1日よりも前に予言できたとでも?
(無血開城交渉は失敗または手遅れになった可能性もあったのに)
甲陽鎮撫隊が江戸を出発したのが旧暦3月1日
新政府軍が甲府城に入城したのが3月5日
甲陽鎮撫隊が甲府へ到着して戦闘に敗北したのが3月6日
慶喜の使者・山岡鉄舟による西郷との江戸開城の予備交渉が3月9日
勝海舟と西郷の無血開城交渉が3月13日と14日
新政府軍による江戸城総攻撃開始予定日が3月15日 高札の実物ってたしかに珍しいな
庶民の識字率が高くないと意味ないよな
>>949
お前らがナメプしてる間勉強してただけだろ 本当は榎本武明などの幕臣が徳川慶喜を討つべきだった。
兵を見捨てて逃げたクズだからね。
ドヤ顔で語っておきながら、赤報隊と相楽総三 も知らない自称 幕末通
>甲陽鎮撫隊が普通に甲府に向かっていれば甲府城に先に入城できていたわけだから
なんでこれが出来なかったかと言えば豪遊しながらチンタラチンタラ進軍したから
その時点でまともにやる気あんのか?って話
またそんな能無しどもが甲府入城したところで西欧式近代戦術を訓練した
板垣率いる総督軍にどこまで抵抗できたのかも甚だ疑問
>>907
最近になって環境保護・動物崇拝・儒教主義から江戸時代は再評価されている 慶喜公が死罪を免れ公爵に上り詰め100万の市民の生命と財産が守られたのは女性の働きが一番大きい。
慶喜公はまず和宮様と天璋院にお願いした。そこで和宮様と天璋院は御仲が悪かったんだが
天子様皇国の御ために話し合って相模原出身の優秀な女官らを駿府に派遣し鉄舟より前に西郷参謀に談判させた。
これが決め手になり慶喜公の無事よ江戸無血開城となった
>>982
いや、時間の問題やろw
洋式訓練受けた官軍の精鋭と治安維持部隊の率いる寄せ集めの百姓では勝負にならんよ。
ま、平行線だろうし同意して貰おうとは思わんが。 松平容保が天皇の意向で動いていたの後から知って維新の志士が青ざめていたみたいなのあってだな
脳内尊皇攘夷で頭おかしかった人たちらしいから
大体、天皇を拉致して喜ぶとか思い込める精神構造がどうかしている
お助けするとかマジでやべえのだよ
尾張藩は御三家筆頭のくせにさっさと薩長に尻尾を振ったクズ
まあ紀州や水戸も戊辰戦争じゃ何の役にも立たないゴミだけど
水戸にいたっては内ゲバで延々と殺しあってる始末w
>>948
いやイギリスの指金よ
徳川は愛国政権だったからそのままだと手強いし旨味がない
なので倒させて傀儡国家に変貌させた
そして日英同盟までやってロシアと戦わせた
その後手向かうようになったので骨の髄まで懲罰
いまに至る
それが日本の近代史 幕末に、幕府には仏ロスチャイルドが、薩長には英ロスチャイルドが金を貸したように、
対立する両勢力をけしかけ金を貸すことによって、どちらが勝っても必ず儲かるというのが
ユダヤの常套手段である。
また日露戦争を仕掛けて、日本の勝利でロシア内に幽閉されていたユダヤ人を解放した。
日本はタダでユダヤ解放に使われたのである。そしてその恩ある日本に、それから
数十年後に原爆を投下したのであるw
lud20230202044402ca
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