https://news.yahoo.co.jp/articles/027fbde5158aac73c0a88dfb91dcc0a44b48c03b
※リンク先に動画あり
およそ2200年前、弥生時代中期の暮らしや文化がわかる遺物で、「顔に4本の入れ墨が入った弥生時代中期の土偶」が、
四国で初めて高知県香南市の遺跡で出土しました。
香南市野市町(のいちちょう)の北地(きたじ)遺跡で出土したのはおよそ2200年前、弥生時代中期の土器や石製品などです。
香南市教育委員会が2年にわたり続けている発掘調査で、北地遺跡には弥生時代中期の集落があったことが確認されています。
特に今回、四国で初めての出土となったのが、「顔に4本の入れ墨が入った弥生時代中期の土偶」です。
横幅2.3センチ、高さは4.6センチです。頭部の骨格から女性とみられ、目の下の4本の入れ墨は当時、祭祀などの文化があったと推測できるということです。
ほかにも波の文様が施された貯蔵につかうツボや稲を刈る石包丁なども出土し、当時の暮らしぶりや文化を知る貴重な手がかりとなりそうです。
(香南市文化財センター埋蔵文化財調査員 横山藍さん)
「どういう風に出土したのか、どういう入れ墨が入っているのか類例を調べることで今回の土偶の性格付けに迫っていきたいと思う」
北地遺跡出土の遺物は香南市文化財センターで9月30日まで展示されています。 入れ墨は沖縄経由して来た南国系の人たちの文化なのかな?
>>4
アンパンマンがいるのが香美市
どろめ祭りで飲まされるのが香南市 よくわかんないものが出土するとだいたい祭祀ってことになるよね
あ…邪馬台国九州説にとって不都合な証拠が…
九州以外も黥面文身してたのバレちゃったw
もしかして四国、田舎すぎて調べてないだけで
邪馬台国じゃね?
>>9
当時は歩いて瀬戸内海を渡れたから今より栄えてたかもしれない あれ? 入れ墨を入れるのは縄文の文化で、文明的な弥生人はそんなことしなかった、みたいな話じゃなかったか?
やっぱり縄文→弥生で民族の入れ替えなんてなかったってことだな
これを機に日本国民はタツゥーの不当な弾圧を止めましょう
国際社会に笑われてますよ
顔に入れ墨は殷の人達もやってた
起源はスンダランド
ハワイからサモアからスンダ列島まで顔に入れ墨の文化がある
人類文明の起源がスンダランド
ここから縄文人やインカやシュメールに発展した
>>11
あったよ
まるまる入れかえではないとDNAで分かってる
日本だけで文明が発達するには人口的に厳しい
色んな地域間の交流があって発展した 四国は渡来人遺伝子が一番濃いらしいから
中国江南あたりから来た奴らだろう
魏志倭人伝にも、倭人は黥面文身(入墨のこと)すと書かれてる
なのに、大和朝廷を作った豪族らは、入墨はやってないし、卑弥呼の伝承も持ってない
つまり、大和は倭人じゃない
ここら辺の時代か
8年 漢皇帝の劉氏から天命に基づいて禅譲を受けたとして王氏が自ら皇帝に即位、「新」を建国
この出来事は歴史上で初めての禅譲であり、簒奪(身勝手な禅譲)となる
14年 倭人が兵船百余隻で新羅の海辺に侵入
25年 王氏に滅ぼされた漢王朝の皇族「劉秀(光武帝)」が漢を再興し「後漢」とする
57年 九州の倭奴国(筑紫城)が後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り、「漢委奴国王」に
こんな感じかな?
>>5
南方系の海人族の痕跡だろうね
東南アジアから沖縄、南九州、四国、紀伊半島と流れて、最後は房総半島まで広がる >>23
それは遺伝子の解析でわかってる
古墳時代の古墳人は現代日本人とほぼ一致
つーか現代人そのもの
弥生人とは別民族
つまり古墳時代に大陸渡来した大和民族が弥生人を征服した >>23
女王国の東、海を渡ること千余里、復、国があり、みな倭種である
魏志倭人伝では、倭人とあるが >>6
なるほどー!
どろめ祭りは大変そうですね。 >>32
その当時には、奈良盆地には殆ど人が住んでなかっただけ
無人なのに卑弥呼の箸墓だけ作ってたと言う奈良考古学の闇 嘘臭、人類の歴史は2000年だ!
誰の言葉か忘れたけど
>>31
その説だと大陸側にもっと日本語に近い言語がないとおかしいよ
征服した側が自分の言語捨てるわけないし >>43
日本語の方が利便性が良かったのだろうな。
祖先の人、ナイスwww まぁ、古墳時代が始まる直前に渡来したのが秦氏だとすればある程度説明は付くけどね
秦氏は高度な技術と潤沢な資金を持ち、渡来の規模も数万人とも言われていて征服も余裕で出来たはずだが、なぜか裏方に徹するという変わった人たち
自分たちの言語すら捨てて同化の道を選んだとしても不思議は無い
そもそも古墳時代に灌漑用水路と水田を全国に整備しまくったり古墳を作りまくったのも秦氏の土木建築技術あったればこそだし、
弥生時代、朝鮮半島から間接製鉄法で作られた鉄を輸入していたにも関わらず、古墳時代以降はなぜか直接製鉄法で自作を始めたのもたぶん秦氏の技術だよね
たたら製鉄がどうやってもたらされたのか分かってないのも、秦氏が裏方に徹していたからとすれば説明は付く
こいつらが何者なのかすごく興味深いw
>>11
そもそも埴輪に刺青あったような
古墳時代までは続いてるはず
廃れたのは仏教伝来による価値観の変化かねえ >>50
文法だけが語族?
変な用法だな
文法ぐらいしか似てないから日本語のアルタイ語族説は受け入れられてないのが現状 チョン顔弥生系はウジャウジャ増えたブルーギルみたいな単なる輸入農奴だろ。
土偶作る産業が無くなり、当時土偶に入れ墨入れる先端技術も消えた…
ロストテクノロジーって事か?
つまりまとめると、
古代には、日本列島を始め、長江文明→殷までの中国大陸や、朝鮮半島には広く同じ文化圏の民族集団=倭人が住んでいた
このうち、縄文時代から日本列島に住んでいた人たちが出雲系、殷の流れをくむ人たちが大和系の国を作っていたが、
弥生時代の終わり頃秦氏が渡来し古墳時代に突入、やがて統一国家が形成されていったという流れか
これらの人たちは元は同じ倭人で基本的に同系統の言語を話していたので、問題無く融合できた(とか?)
よく分からないのは、その後なんで中国に倭人の子孫がほぼまったく残っていないのかってところくらいだな
まぁ、倭人の国として生き残っていた日本列島に集結したということなのかもしれないが
>>60
何か参考になれば
黒川伊保子『日本語はなぜ美しいのか』集英社新書
「日本語は、母音を主体に音声認識をする、世界でも珍しい言語である」
「日本語と同じように、母音を主体に音声認識をする言語として確認されているのは、ポリネシア語族のみ(ハワイ語などもこの仲間)」 江南人の墓制は甕棺墓、甕の中に遺体を折り曲げて入れ、同じ形の甕を
くっつけて粘土で水が入らないよう固める。この方式の墓制は北部九州の
長崎、佐賀、福岡の1部、熊本北部、大分日田地方と鹿児島の1部地域だけ
なのでそれ以外に来た渡来人はすべて朝鮮北部からの北方系民族だ
北方系民族の墓制は方形周溝墓で、滋賀、奈良、埼玉から大量に出土した
>>66
普通に青森県三内丸山遺跡でも甕棺墓がでてるんですが?
北海道でもあるし、甕棺墓自体は縄文時代には伝播してたものだよ >>68
インドネシアの南の海の底という表現をよくされるけど
オーストラリアの北の海の底とも言えなくはないかな >>67
北部九州の甕棺は合わせ甕棺と呼び二つの甕棺をくっつけて遺体を
埋葬している。青森のは一つだけだし形も全然違っている
完全に別物。北部九州の甕棺墓の故郷は中国、長江中流域だ >>70
ん?九州北にも甕棺が一つのものもあるけど?
あれは他所の墓制だと言いたいの? >>71
それは中国から伝わった物では無い 縄文人が使っていたものだな >>74
北の縄文人も縄文時代に大陸から渡ってきてるし
弥生時代の九州にしか興味がないのかもしれないけど、もっと広く歴史に興味を持とうよ
甕棺自体はもっと歴史の古いものだよ 縄文人は中国大陸とは無関係とかいたあったな
とにかく北部九州に渡来した江南人が弥生時代に
本州に行った形跡は無い。本州に来たのは朝鮮北部の
ツングース系民族だな。
>>66
文化の伝播=渡来人とか前世紀の遺物だな
大航海時代に「宗主国」が現地人を「教化」したイメージで騙ってるんだろうがいろいろおかしい 北部九州の甕棺墓内の遺骨の遺伝子検査をしているが、江南人のDNAは
検査数の1/4ほどで、縄文人が1/4、残りは江南人と縄文人が混血した
倭人、従って日本列島に渡来した江南人は少数で本州に多く見られる
朝鮮北部の渡来人よりも遙かに少ない事が判る
>>76
>とにかく北部九州に渡来した江南人が弥生時代に
>本州に行った形跡は無い。
江南人=呉越系中国人がどこまで移動してたかは置いとくけど
沖縄や九州南部の海南人が四国や瀬戸内、紀伊半島、東海と渡って、関東の房総半島までは到達していたことは
遺物や墓制、地名の一致などから、総合的にほぼ確定している
貝環や銅環、地下集合簿、紀伊半島と房総半島の地名など HLA遺伝子頻度%
****A2**A24**A26**B46**B54**DR9*DR14
青森*25.3*33.8*15.4**4.2**6.7*14.3**8.2 青森
東京*23.8*36.9*11.9**4.6**7.3*14.5**7.5 東京
奈良*24.5*38.8**9.7**4.4**8.0*14.9**5.8 奈良
大阪*24.2*37.0*11.2**4.8**7.8*14.8**6.6 大阪
和歌*26.2*37.5*10.4**5.2*10.2*14.3**6.7 和歌
香川*25.6*34.3*13.5**5.7**9.3*14.5**7.9 香川
愛媛*25.8*37.5*12.4**4.9**9.1*15.4**6.2 愛媛
徳島*23.6*39.8*11.8**4.3*11.0*14.6**7.1 徳島
高知*25.3*34.3*12.6**4.5*10.5*14.7**6.3 高知
福岡*23.3*37.3*11.8**4.2**8.3*14.5**6.0 福岡
長崎*23.8*38.4*12.9**3.9**8.4*15.7**6.5 長崎
熊本*23.4*36.7*11.8**3.3**8.5*16.0**6.4 熊本
大分*24.4*37.6*12.1**4.5**8.4*16.5**6.4 大分
宮崎*22.6*38.3*11.4**5.2**8.8*17.2**5.7 宮崎
鹿児*26.1*37.2*12.6**4.2**9.2*14.9**7.5 鹿児
沖縄*31.6*34.2*16.6**2.9**8.6*11.4*10.8 沖縄
どれが江南なのか海南なのか何なのか分からんが
移動の痕跡みたいなのは見えてくるな
縄文時代は食料が豊富な東北の方が西日本より人口が多かったようだね
空海の時代にすでにそれなりに栄えてたんだから進んだ地域だったのかもしれない
>>23
継体の古墳から入墨のはいった土偶が出土しとんねん >>84
貝環、銅環が出土してるので、同じルーツの人の持ち物だと考えられる
九州南部と東海、関東に地下集合墓と言う墓制の同じ墓がある
紀伊半島と房総半島(一部は伊豆半島にも)海岸沿いの地名の一致が20箇所くらいあり、おまけに地名の位置も類似してる
例)白浜、勝浦、洲崎、加茂川など
海岸線にある為、漁労民の移動があったと考えられる >>90
紀伊半島の漁労民が房総半島に移住したのはもっとあとでしょ
醤油造りもそれで伝わったから >>79
群れの中の異物排除は石器時代からやってる >>11
縄文系の集落と渡来系の集落が同時代に近所にあったって遺跡も出てたはず >>5
アイヌもやってるから、
南方とは限らない
海洋民族ならやるらしく、
魏志倭人伝にもサメ避けのためと現地人が言ってる >>11
弥生時代も入れ墨入れてるよ
大宝律令までだな >>2
>>5
入れ墨は犯罪者の証
もともと大韓民国の犯罪者が島流しにされてできたのが日本
だから日本人は犯罪者が多いんだ >>11
そもそも弥生人というのは「弥生時代」のひとたちなだけで
その混血の度合いによって、縄文系弥生人~渡来系弥生人と区別されてて
その両者の間には無数の混血具合があったはず >>104
数億年後に滅んだ日本が発見されたら、江戸期と明治以降で民族が入れ替わったように見えるだろうな
建築様式が代わり、西洋人や東アジア人も流入して遺伝子も多彩になるし >>105
元々列島にいた人間
大陸からきたやつら
南方からきたやつら
いろいろだろ
日本語の起源もまだ解明できてない
DNAの研究が更に進めばまた変わるだろう 明治天皇のときハワイ側から婚姻の話が持ち込まれていたのに断った
>>61
江南の前にこの特徴はどういう推理がありえる? >>104
> そもそも弥生人というのは「弥生時代」のひとたち
弥生文化圏のひとたちかな。 縄文の女神
縄文のビーナス
縄文のー、は名前負け 弥生時代の墓制は、方形周溝墓、箱式石棺墓、甕棺墓 の他に穴を掘ってそこに
遺体を埋める直埋め方式があった。数としては直埋め方式が多かったが
これは一般庶民の墓で、それ以上のランクの人間はその土地にある墓制の
最高ランクの墓に入ろうと頑張っていた訳だな 人間は生まれてから死ぬまで
過激な競争をして生き残った者が最上位のお墓に入れる仕組みだった訳だ
>>112
弥生時代の人たちを弥生人、古墳時代の人を古墳人と呼ぶんじゃなかったかい?
身体的特徴でも遺伝子でも文化でもなく
縄文人的な形質の弥生人みたいに言ってないか? 医療技術の皆無ですぐに人が死ぬ時代で感染症の危険のある入れ墨とか怖いよな
>>116
弥生人と同じ遺伝子の日本人は古墳人~現代人の中にはいない
ニホンオオカミみたいにいなくなった
どこかに集団移住してもいないからそれは。。。 >>117
縄文時代は小児死亡率が高くて
平均寿命30歳くらいだったんだろ?
医療なんか無いけど少ない長寿の老人もいた
魏志倭人伝には100歳もいるみたいに書いてる >>118
古墳時代には統一が進んで混血が進んで
弥生人としてはいなくなったように見える
ということじゃないのかい? 入れ墨のガチ激痛とか死ぬ危険を覚悟とかが古代人の成人の証とかなのかもな
アフリカの部族のドキュメント観たけど前身に入れ墨いれないと成人扱いされないから30過ぎてもビビって成人になってない人とか、逆に一桁年齢で成人扱いの子供とかいて面白かった
痛みとリスク考えたら趣味でやってたとは思いにくいな
>>120
混血で同化したにしては古墳人と同じ遺伝子構成が少ない
極端に弥生人の人口が少なかったような結果だ
つまり弥生人は殆ど殺されたか奴隷化されて子孫を残せなかったことになる
まるで民族浄化のようだ
古墳人と現代日本人の遺伝子はそっくりさんなのに 古代の具体的な情報はないからな
でも今ですら痛くて感染症でヤバい入れ墨を古代にやるんだからな
楽しんでるとは思えない
俺が見た奴は何日もかけて小刀で肌に何百か所も跡が残るように深く削りいれて墨流し込んでるんだからな
泣き叫びながら削られて、痛みと高熱でゲロ吐きながら何日も苦しみ続けてる
ヤバすぎる
>>9
邪馬台国四国説は調べると色々合ってるのに
九州、近畿勢力が全力で潰しに掛かって
闇に葬られてる >>123
適当なこと言うなよ
日本人のハプロタイプは単一民族集団としては異例なほど多様で、民族浄化などの痕跡は全く見られないんだが >>127
どう考えても九州だろ
あの時代中国とか半島からの使者が、わざわざ九州を通り越して何故四国まで行かなきゃならんの? >>128
それは古墳人(現代日本人)のことであって弥生人の話ね
混血して同化した程には両者の遺伝子は一致するところが少ない ほう
そんな偉いご先祖様がそうなら、ここにいる人間みんな〇〇人なんじゃねw
メソポタミア文明からあるわけやからな…無い方が少し不自然
>>123
関心あるんであなたの元になるソースを
いくつか提示頂けますか? >>43
現地の言葉に合わす征服者もいる。
清王朝がそれ。 >>119
乳幼児死亡率が高いから、平均値は下がるからね
どこぞの医大の法医学研究室が、12歳以上の縄文人の遺骨を調べて死亡推定年齢を調査したら
12歳を超えると平均寿命は70歳を超えることが解った
流石に100歳は超レアケースだろうけど >>136
コレ。
なんとなく皆35歳位で死んでるイメージ持ってるけどw >>137
乳児の半数が1歳を迎えられなくてなくなってるから、平均値を計算する時に、寿命0歳を1人とカウントすることになる。
平均は万能ではなく、読み方を間違えると、あらぬ方向に行く 弥生時代か縄文後期だったろうに顔を刺青入れる習慣があったのか
>>43
元王朝もそうだな。
元帝国はモンゴル語ではない。 温泉入れませんね
>>139
アイヌなんてつい最近まで顔に入れていましたがな
今は服とか髪型とか化粧で違いだせるけど
昔はお前らと違うのだぞ。というのは入れ墨ぐらいしか出せなかった。
シャーマンの子供なんかは骨が柔らかいうちに型に羽目て、顔を変形させていた。
そういう頭蓋骨が発掘されている。 縄文時代に平均寿命70歳超えなんかあるわけないだろ
医療も食料も欠けてる時代の人間が現代と変わらんほど生きれるわけない
>>140
この時代のことは学者でも意見が分かれてるから、シロウトが何を書いても間違いとは言い切れないしなw >>144
特に肌に施した入墨なんて、今更現物が見つかる可能性は極端に低いしね
偶々運良くミイラ化した遺体が見つかれば或いは確定できるかもしれないが、高温多湿の日本では中々それも難しい
文献にある黥面文身と、模様のある土偶を根拠に、おそらく〜と仮設を立ててるに過ぎない
それでも人類史上、入墨の風習は世界各地にあるので、入墨なんて無かったとひ否定するほうが難しい 刺青、お歯黒の形跡があった場所を時代ごとに日本地図にプロットしてみると面白いかもな
>>142
なるほどなぁ
たしかにアイヌに習慣あったものね >>141
そりゃ、元は漢民族を駆逐して国を作ったわけじゃないからな
>>31 は弥生人を駆逐して古墳人が現在の日本人になったと言ってるのに、言語だけは弥生人のを使ってたらおかしいでしょ 入れ墨文化は日本書紀の段階だと野蛮なものとして扱われてるな
どのあたりで廃れたんだろうかね
民族の伝統的なタトゥーはOKにしても良いね
ヤクザの和彫りは駄目ねこれでいいじゃん
神武天皇の部下は入れ墨してるな
で逆にイスケヨリ姫は入れ墨の風習が無くて驚いてる
奈良にはなかったというとそうでもなくて吉備とかそれこそ四国とか近畿周辺にも入れ墨文化あるんだよね
>>151
魏志には鯨面文身はおかしなことだと書かれていないけど
神武の側近の刺青は奇妙だとツッコまれたという逸話が残ってるな 考古学者や医学者、歴史学者がいろんな角度で調べた結果
邪馬台国は埼玉県である事が判明している、詳しい事は不明だが
魏志倭人伝の末廬国は福井県で伊都国が長野県、奴国が群馬県で
投馬国は栃木県らしいぞ、この説が1番信憑性の高いと思っている
魏 (三国)の如淳「人面に入れ墨する(委する)」習俗をもって倭の由来が正しい
>>156
海人は入れ墨をしていた
神武は山人だが先祖が海人との抗争の結果
海人を部下として従えるに至る(海幸山幸神話) 縄文系弥生人なのか?
縄文から弥生へは、従来言われていたよりも
もっと長い時間をかけて地域ごとに徐々に変遷していったんじゃないの?
>>1
んなとこに遺跡なんかあったっけ?
あんぱんまんの町出身どけど知らんかった
つーか同じようなのがもう1個以上見つかってから言え >>161
土偶は縄文時代からあるけど、四島には拡がってるが南西諸島にはない
国宝になってるような、つくりが精巧で有名な土偶は、大抵東日本から出てるし
南方系縄文人の文化ではなく、北海道や東北の北の縄文人から拡がったのかもね >>157
イルマからグンマーにかけて実は一つの国だった可能性がある。 倭人は黥面に全身刺青してたって
魏志倭人伝に記録が残っとるらしいけど
野蛮な戦闘民族やったんかな。格好ええな
その頃は文字も無かったし、中国大陸からしたら蛮族やろうな
>>168
弥生時代は人口増加の時代
農耕と定住の為に水資源のある平野部の土地の取り合いが起こる
縄文人も定住と農耕は始まっていたが、人口が少なく取り合いをする必要性があまりなかったから
縄文人は戦争をしなかった(痕跡が見つからない)と言われてる 弥生時代の西日本は日本海側と瀬戸内海側は先進地だったけど、高知のような太平洋側は後進地位だったろ
縄文が色濃く継続していても不思議はない
倭人はみんな入墨をいれてる→顔面に入墨のある土偶出土
倭人は裸足で暮らしてる→靴は一つも見つからず
物証が魏志倭人伝を裏付けしてるな
人形遊びの道具だったかもしれないし
なんでいつも祭祀だと思うんだろう
>>164
7300年前の鬼界カルデラの大噴火で西日本は一度滅びてるからそういうのが関係してるんじゃないの? >>150
古墳人と弥生人の言葉が同じ系統だったということでは
実際大まかに両者とも倭人であり倭語族を話していた >>173
人が踏み入れなくなったのは九州だけで、西日本全体ではないし南西諸島もセーフだろうね
九州の鹿児島とかには土偶は残ってるし、縄文の痕跡がないわけではない
ただ明らかに土偶の数と精巧さのレベルが高いのは東日本の方
遮光器土偶や縄文のビーナスも東日本
西日本の土偶は時代も新しめだし、作りもちょっと残念 >>175
完全に滅びるまでいかなくても降灰によって一度森が死んだならしばらくは養える人数も減るだろうし、文化の中心は無傷の東北に移動したってことでしょ
で、西日本~九州では残ったり戻ったりした人たちと新たに渡来した人たちになどによって新たな文化が形成され、やがて弥生時代に発展していくという流れなのでは >>174
古代だと倭の国は野蛮な蛮族
大陸から流れてくる中華思想を持つ人々が蛮族の言語を主として受け入れるだろうか?
当時の倭国にそれなりの文化があり、征服より平和的な融和を選んだ背景があったのかなと。 日本人が日本全国同じ遺伝子を持っていると勘違いしている
者がいるようだな。朝鮮人に近い遺伝子が多い地域があっても
不思議では無い
考古学の先生も「分からないと全部祭祀扱いにする」とは言ってたなw
>>177
大陸っつーか半島南部からだし
蛮族度はそんなかわらんだろ >>181
入れ墨いれてる=野蛮ってのが単に中華思想ってだけ 周の王子が王位継承権を放棄するために入れ墨して南方に逃げたって話があったな
入れ墨は中国的な観点では野蛮の証ってことだな
>>181
中華思想だと異民族は中国の都からの距離で優劣をはかっていた事を考えると
半島南部でも倭国より上位にいると信じていたんじゃないかなと >>179
今の日本人の遺伝子の分布を調べるよりも、遺骨から遺伝子を調べる方が有益
例えば弥生時代最大の戦乱の痕跡の残る鳥取県青谷上寺地遺跡の遺骨を調べると
大半は渡来人のものだと分かった
このことから、青谷上寺地遺跡の戦乱後は渡来人と土着民との戦乱であったと推測される 昔から漠然と四国が日本の始まりじゃないかと思ってたが
俺の感は正しいのかもしれんな
そんな浅いところで、すごい出まくっているわね。
ここは元はなにがあった場所なの?空地だったの?
最初に淡路島ができたくらいだから、あの辺りなのは間違いないはず
>>150
弥生人を駆逐してない。
それを征服はしたが。
つまり日本人を虐げて巨大古墳つくらせたのが、半島からの侵略者ども。
朝鮮人は昔っから日本人を苦しめて来た 日本人のルーツがラピタ人説
ポリネシア人と縄文人には骨格の類似性がある>>61 でも入れ墨の痕跡が証明はされてないからこういう土偶の文様が入れ墨かどうかの確証はないんだよね
ただの絵画的な物かも知らんし
>>195
しれっと当時の半島人と現代半島人を混同させるな >>195
朝鮮から能動的に来たわけじゃなくて、日本人に連行されてきたんだよ。日本人の女系先祖に渡来人がいるからね。慰安婦の元祖。 巨大古墳は西から東に
時期を移り変わりながら移動してる
それの意味するものはなんなのか
祀られる統治者が東に追いやられた
(東征の結果?)
単なる文化流行の移り変わり
(縄文文化から弥生文化へ)
朝鮮半島にもあるよな
「これ、倭人の墓じゃね?」
って、奴等埋めちゃったけどw
>>204
古墳は水田の灌漑用水路を掘った土のやり場に困って積んだのが始まりという説があるw
それって水田の灌漑用水路の整備状況とリンクしてたりしない? 海難除けの魔除けで船乗りがしてるという記述もあるな
そういや現代でも遭難して死んだ時に身元が分かるようにと言う理由もあるな
そうなると海に関わる人に多いんだろうか
>>129
九州なんかいかなくても、半島から出雲に直に行けます
海流を考えればむしろ、そのほうが楽です >>129
九州なんかいかなくても、半島から出雲に直に行けます
海流を考えればむしろ、そのほうが楽です
ちなみに
遣隋使など大和政権の航海を一手に担った海人宗像氏の祖先は
【出雲王国】の6代目王「臣津野(八束水臣津野)」の息子、隠岐の島の吾田片隅 >>195
古墳人も弥生人も漢民族の亜種の遺伝子であって
半島の北方民族由来の遺伝子とは違ってる
北方民族に近いのはアイヌや樺太民族
縄文人は古モンゴロイド系だが北方民族にも近い
それより古い湊川人は何だか知らん >>202
縄文時代は海面が数メートル高く
最終氷期の後期旧石器時代には120メートルくらい低くて瀬戸内海はほぼ陸地だった トリビア
四国は古くから大和王権の支配下に有ったと思われるが
何故か古事記・日本書紀に於ける記述はほとんど無い
また風土記の中でも阿波風土記は原本が明治まで
間違いなく存在していたはずなのに、
その後、何故か行方不明になってしまっている。
古代の四国には一体何があったのだろうか?
>>214
最初に淡路島が出来だとされていて、重要な土地のはずなのに不思議だよね こういう調査研究をしている学者に聞いたんだけど
日本中の遺跡を発掘するたび どこもかしこもハングルだらけで それを隠すのに大騒動なんだって・・・w
ハングルを読んで日本の歴史と擦り合わせて報告するのが仕事になってるから
「私は考古学者なのに 韓国語の専門家みたいになっていまいましたww」って言ってた
>>217
ハングルができたのって500年前で考古学的にはつい最近の出来事
それが出てくるってことはそこら中に落書きして回る韓国人がいて迷惑してるって話かw
ツングースみたいじゃね?
そういう事だろwハプログループN スラブ人が🇨🇳中国や🇰🇷韓国の王族??そんな単純じゃ無いだろうけど