開山期間は山梨県側で7/1〜9/10。静岡県側で7/10〜9/10です。
初心者が登れるのは山小屋が営業する期間に限られます。
初冠雪(積雪)は例年10月初旬ですが、9月でも降雪の可能性があります。
10月以降、風雪と強風に磨かれカチカチに凍った急斜面は氷の滑り台のようになります。
毎年のように滑落事故があります、十分なご注意を。
高度が100m上がるごとに気温は0.6℃下がり、風速1m/sごとに体感温度は1℃下がります。
富士山では台風並みの強風が吹くこともあり、夜明け前の山頂は真冬のような寒さに、体感温度は氷点下になります。
冷えた体を温めるために多くのエネルギーが消耗され、真夏でも低体温症や疲労凍死のリスクがあります。
万全の準備で臨みましょう。
2ちゃんねるの書き込みは、釣りや冗談、初心者以下の知識で語る人や受け売りも多いので気をつけましょう。
また、各種業者のステマやアフィリエイト目的のブログ誘導などにも注意、まずは対策から>>1。
「自分はこれで大丈夫だった」「他の人もこうしてる」という話は鵜呑みにせず、信頼できる情報源から総合して慎重に判断しましょう。
■気象について
雨の日に登っても楽しくありません。天気が悪ければ延期する決断を。予報が晴れでも、夏は局地的な夕立や雷雨があります。
雨具や荷物の防水も忘れずに。降水確率と雨量は無関係です。確率が低くても大雨ということも。
風の強さも確認を。天気概況で「大気の状態が不安定」「急変する恐れ」「雷を伴い」と予報されていたら、登山は中止してください。
冷たい風が吹き降ろしてきたら夕立の合図です。降り出す前に雨具を着用しましょう。
■装備 ◎必須○有効△状況しだい×余計な荷物
◎ザック....防寒着が嵩張るので、30〜35gが適当
○ザックカバー.雨のとき被せる防水カバー。砂埃除けにも
○スタッフバッグ ..小物をまとめ、パッキングが楽に。電子機器、着替えなどは防水袋へ
◎登山靴....防水のミドルカットが最適。ハイカットは必要ないが、スニーカーはNG
◎雨具.....予報にかかわらず必要。ポンチョ、100円雨合羽はNG。傘は不可。強風で雨が下から
吹き上げるので、上下セパレートタイプが必須。強風時はウィンドブレーカーとして使える
◎ヘッドランプ.日帰りでも下山遅れに備えて必ず必要。予備の電池も忘れずに
◎帽子.....風に飛ばされない対策を。ご来光待ち用にニット帽も
◎サングラス..目も日焼けする。安物はレンズに歪みがあるのでNG
◎手袋.....軍手と防水の手袋を別々に。転倒時に怪我をしないように、下りでは必ず着用
◎防寒着....夜明け前は真冬並みの寒さ。ダウンなど、脱ぎ着しやすいものを
◎長ズボン...伸縮性の物が良い。ジーンズは濡れると動き難くNG。半ズボン、短パンは、風が吹くと寒い
◎化繊の下着..必ず100%のものを。綿は濡れると乾きにくく、体温を奪う
◎中厚手の靴下.長時間歩行のクッションとして。柔らか過ぎず、網目が密でしっかりしたものを
◎日焼け止め..汗で落ちたら塗り直し、首筋、耳も忘れず
◎登山地図...下山時に道を間違う人が多い
◎飲み物....2〜3gが目安だが個人差がある。怪我や目に入った砂埃を洗う真水も必要
◎救急セット..下痢止め、バンドエイド(靴擦れ対策にも)、テーピングテープ、保険証のコピーなど
◎その他....飴や干し梅など行動食を定期的に摂ろう。タオルや日本手ぬぐい。ゴミ袋
×保冷水筒...重く嵩張るのでペットボトルが良い
○保温水筒...ご来光待ち用に。山小屋でお湯を売っていれば出発時に補給
△スパッツ...砂や小石が靴に入るのを防ぐ
○ストック、金剛杖.腕の力を活かし、足(特に下りの膝)の負担軽減に有効
△その他....マスク(下山時の砂埃対策)、ウェットティッシュ、カイロ
△頭痛薬....高山病の頭痛も和らげるが、症状を隠すので却って危険という意見も
×酸素缶....吸っている間しか効果ない
■登山の注意点
余計な荷物は体力を消耗するだけ。無駄は省きましょう。但し、必要な装備を重いとかザックに入らない
などといって持たずに登るのは本末転倒。きちんと装備を揃え、背負える体力をつけてから登りましょう。
登り始めは靴一足分の歩幅で、ゆっくりと登りましょう。追い抜かれても慌てずに。オーバーペースの人は
すぐバテるので、いずれ抜き返せます。高所は乾燥しています。水分は少量を定期的に摂るのが最適。
グループで登る方は、途中ではぐれないように必ず2人以上での行動を維持しましょう。何か問題が起きた
ときに対処が遅れると命取りです。登山中は最も遅い人のペースに合わせ、登るのが早いからといって
子供に単独行動をさせないように統率しましょう。初心者は隊列の真ん中に挟み、経験者が前後を固め
て目を配りましょう。
一人にひとつずつ地図のコピーを持たせること。どの登山口から登って来たか、全員が覚えておくこと。
はぐれた場合に落ち合う場所を複数決めておくこと。特に下山時の分岐点について予習しておくこと。
万が一体調不良、怪我人が出た時は全員で下山するのが大原則です。どうしても登山を続行する場合
でも病人などを一人で下山させるのは絶対に避け、必ず付き添いを付けるようにしましょう。 体調不良の
人は高山病も疑われるので、山小屋などで待たせるよりもすぐに下山させた方が良い場合もあります。
トイレは有料なので、100円玉を多く用意しておきましょう。順番待ちになることも多いので限界まで粘らず、
出来るときに早めに済ませましょう。ツアー登山は、スケジュールが決められているために自分のペースが作り
難く、無理について行くと高山病を誘発する場合もあり、あまりお薦めしません。
下山時は重心を軽く前にかける。歩幅も小さく、靴一足分。滑りやすいところでは、足を逆八の字に開く。
富士宮ルートの、岩の平らな所は砂で滑りやすい。岩の角に靴底の溝を引っ掛けると滑らない。爪先で
踏ん張らず、力を抜いて足裏全体で接地するか、親指の付け根を意識する。猫のように下れ。
■高山病の予防と対策
高山病は体質に起因すると言われ、年齢や性別、体力やスポーツ経験もあまり関係ないようです。
自己の体力を過信せず、登り始めはゆっくりと時間を掛け、身体を慣らしながら登りましょう。
息を吸う事よりも吐く事を特に意識してください。有圧呼吸法も有効とされています。
大きく息を吸い込み、2秒ほど息を止めるとともに、胸に圧力をかけるように力を入れた後、口先を
すぼめてゆっくり吐き出す。これを5〜6回繰り返すと、血中の酸素濃度が上がり、楽になります。
水分を定期的に摂ることも大切です。行程の時間から逆算して必要量を算出し、計画的に摂取し
ましょう。1時間あたり、体重kg×5mlを4回ぐらいに分けて飲むのが良いそうです。(間隔や量は各自
調整してください)
・Yutaka Miura's home page:私の高山病の治療方針
http://www.med.nagoya-cu.ac.jp/igakf.dir/chyo_AMS.html
睡眠中は呼吸が浅くなるため、高山病になりやすいです。なるべく低い標高の山小屋を選択し、着い
てからすぐ横にならずに、しばらく身体を動かして高度に慣らしましょう。催眠成分を含有する頭痛薬
なども呼吸を浅くするため、高山病を誘発しやすいようです。
高山病になったら悪化する前に下山させるのが一番の解決策です。無理に動かしたり、引っ張って
登らせてはいけません。重篤な場合には、診療所・救護所へ助けを求めましょう。
初期症状は、頭痛、息切れ、むくみ、不眠症、食欲不振、脱力感、吐き気など。さらに、激しい頭痛、
嘔吐、空咳、 意識障害(支離滅裂なことを言う、問いかけに無反応など)になると、とても危険な状態
です。登山は諦めて付き添いの人と共にすぐに下山してください。高山病は最悪の場合死に至ります。
ワッチョイにしてみました。
果たして異常者は荒らすでしょうか。
ちょっと実験です。
>>8
他の山はともかく富士山にスパッツは必須やろ >>13
無しで登ってる時やつはいくらでもいるので必須ではないな
靴がドロドロになったり、小石が入ったりするだけだから致命的ではない >>14
じゃあ手袋も帽子もないやつも腐るほどおるやん 帽子は必須だな、日焼けするし、
手袋も寒いとか、岩場で手をついたりするし
軍手くらいは持ってるでしょ?
まあでもランニングマンたちは短パンノースリーブにスニーカーで駆け上がっていくよ
>>17
富士山で手をつくようなとこあったっけ? 記憶にねえや >>575
吉田には岩場あるし、滑って手をつくことのある
登山に手袋はほぼ必須だよ 拝した後、頂上を目指した。登山道には茶屋や山小屋が建てら
れ、多くの登拝者の活動を支える施設が体系的に整備されたの
もこの頃である。また、富士講においては長谷川角行ら指導者
の言動にならって周辺の風穴や湖沼・滝なども修行の地とされ
、ここにおいて富士山と周辺の宗教施設・霊地・巡礼地は庶民
の信仰の場として定着し、山の結界が開放される二ヶ月間に年
平均1万〜2万人の人々が信仰を目的とした登山を行うように
なった。芸術作品の多様化とジャポニスム芸術面においても、
とりわけ江戸時代(17〜19世紀半ば)には、文学、絵画、
工芸、庭園等のモチーフとして多岐にわたって取り上げられ、
三保松原と富士山を描いた絵画など多様な表現が追究されるよ
うになった。(表参照)特に、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に
代表される浮世絵の数々は、西洋の画家たちに文化的衝撃を与
えた。19世紀後半には「ジャポニスム」という芸術上の画期
的な転機を惹き起こし、印象派の作品に影響を与えるとともに
、その富士山を含んだ構図は海外において日本のイメージの一
つとされてきたのである。日本を訪れた外国人が富士山からイ
ンスピレーションを得て記述した紀行文の中でも、富士山のア
イコン的側面を綴ったものが多い。近世以前も富士山は日本一
有名な山であったが、19世紀後半の開国によって日本が近代
国家としての体制を整えるにつれて、日本を代表する山から日
本を象徴する山へと変貌した。廃仏毀釈と登山の利便性向上1
9世紀半ばより、明治政府を中心に行われた日本の近代化・西
欧化政策は富士山にも影響を与えた。政府が神仏分離や修験道
禁止の方針を打ち出したことや、これを契機に発生した廃仏毀
釈の運動により、仏教的施設は神道系の施設に再編されたが、
1872年の(信仰の山における)女人禁制解禁の影響もあり
富士山への登拝は継続ないし拡大した。19世紀末以降の鉄道
・自動車道の開通も、登山者の利便性を格段に向上させた。南
麓へは1889年に東海道線が開通し、北麓へは1900年前
後に馬車鉄道と中央線が開通したことによって、東京からの登
山がさらに活発になった。自動車道としては、1929年に北
口本宮冨士浅間神社から馬返(標高1450m)まで自動車専
用道路が開削され、1937年には大型バスによる輸送も始ま
った。第二次大戦以降、日本の価値観や経済状況の変化により
、富士山への登山は信仰を中心としたものから、富士山への憧
れを主な動機とするものに変化した。また、1964年に中腹
までの自動車道として、北麓の富士山スバルラインが、197
0年に南麓の富士山スカイラインが開通し、これ以降、中腹(
標高2300〜2400m)を起点とした登山が主流になった
。この結果富士山への登山者は急増し、年平均20万〜30万
人に達するに至った(2007年からはさらに増加し年間35
万〜43万人)。これらの登山者の行動様式の中には富士山へ
の信仰の核心が受け継がれており、加えて、現代的な富士山信
仰の形態として、静岡県の柿田川のように、新たに富士山との
関わりが明らかになったことが、環境保護活動の活性化につな
がった例などがある。最近の保全の歴史20富士山体は文化財
としては、1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法により、山
麓の幅広い地域が名勝に仮指定された。これとほぼ同じ範囲は
、1936年に自然公園法により国立公園の一部として指定さ
れ、現在も保全の対象となっている。さらに、第二次世界大戦
後の1952年には、新たに文化財保護法によって、御中道以
下500mより上及び一部の登山道などが名勝として(同年、
特別名勝として)指定され、1966年には指定区域を拡大し
た。山梨県は1978年(のち、1999年及び2006年に
改定)、静岡県は2006年に「特別名勝富士山」の保存管理
計画を策定し、適切な保存と活用を図っている。周辺の浅間神
社や御師住宅の近代以前の修理や保存の状況は2bで述べたと
ころだが、それらを含めた富士山に関わる記念工作物・建造物
群・遺跡は、1907年以降、古社寺保存法(1897年〜1
929年)、(国宝保存法(1929年〜1950年))、史
蹟名勝天然紀念物保存法(1919年〜1950年)、文化財
保護法(1950年〜現在)により、名勝、特別天然記念物又
は天然記念物、重要文化財、史跡等として指定され、文化財ご
とに保存管理計画が策定されており、それぞれの価値が最もよ
く表れる時代の状態が保たれるように細心の注意が払われてい
る。、また、周辺に位置する個々の文化財は、「包括的保存管
理計画」によって、富士山体も含めた統一的な保存・管理が行
われている。21表富士山の美術(1)日本古来の伝統様式に
よるもの(国宝重要文化財)指定所在作品名形式時代(年代)
説明東京国立博物館聖徳太子絵伝屏風1069現在最古の富士
山。聖徳太子が馬で富士山を越える物語の状景。神奈川清浄光
寺外一遍聖絵絵巻1299一遍が全国遍歴の途中、富士川に入
水する往生者を見送る背後に富士山。兵庫・真光寺遊行上人縁
起絵絵巻1323他阿上人が全国遍歴の途中、甲斐の御坂峠を
越えて河口に進む背後に富士山。大阪・久保惣記念美術館伊勢
物語絵巻絵巻14世紀伊勢物語現存最古の絵巻。第九段物語の
主人が富士山麓を進む場面。東京国立博物館月次風俗図のうち
小屏風15世紀十二月風俗図の一場面。鎌倉初期に行われた富
士山麓の巻狩を題材とする。富士山本宮浅間大社富士参詣曼荼
羅図掛軸16世紀霊山である富士山に参拝する行者達の登山風
景、山頂に三尊あり。狩野派の祖元信筆。東京国立博物館武蔵
野図屏風17世紀武蔵野の状景を装飾的に描いた名所図屏風の
一。ススキ野の奥に富士山がそびえる。山梨県立博物館曽我物
語図屏風17世紀鎌倉将軍源頼朝が主催した富士の巻狩最中に
果された曽我兄弟による仇討ちを題材。富士山の美術(2)室
町時代水墨画によるもの指定所在作品名形式時代(年代)説明
東京・根津美術館富岳図仲安真康筆掛軸15世紀現存最古の水
墨による富士山図。鎌倉建長寺の僧で、鎌倉画派の祖とされる
。東京国立博物館富岳図祥啓筆掛軸1490仲安真康の弟子、
建長寺の書記を勤めた禅僧万里集九や雪舟とも交友があった。
東京永青文庫富士清見寺図雪舟集掛軸15世紀世界的に著名な
日本を代表する水墨画家の作。水墨画による富士山の一典型作
。静岡県立美術館富士八景図式部輝忠筆掛軸1530東国を中
心に活躍した水墨画家。瀟湘八景にあやかって連作に挑んだ作
品。個人(?)富士三保松原図是庵筆掛軸16世紀京都相国寺
の僧で、画をよくした。下辺に三保松原、富士山の左手に日輪
を描く。22富士山の美術(3)江戸時代諸派の作家と富士山
指定流派著名な作家名所在代表作(年代)説明陶芸野々村仁清
東京・鼻山美術館銹絵富士山香炉(17世紀)世界的にも著名
な京焼の第一人者。富士山の朝昼晩の三つの景色を造型化する
。狩野派狩野探幽静岡県立美術館富士山図1670江戸狩野派
の祖、第一人者。富士山連作の緒を開いた。狩野派狩野山雪静
岡県立美術館富士三保松原図屏風(17世紀)山楽の養子とし
て京狩野派を継ぐ。装飾性と抒情性に富む。琳派尾形光琳奈良
・大和文華館富岳図(扇面貼交手箱内)(18世紀)世界的に
著名な代表的画家。工芸デザイナーとしても卓越する。文人画
派池大雅東京芸術大学富士十二景図(18世紀)日本文人図(
南画)の大成者、第一人者。富士・立山・白山を信仰登山し、
三岳道者と自称。その体験を描く。文人画派与謝蕪村富山佐藤
美術館松林富士図(18世紀)大雅と並ぶ日本文人画の第一人
者。俳人としても高名で、俳画を大成した名手。文人画派野呂
介石和歌山・田辺市立美術館(寄託)紅玉芙蓉峰図1821紀
州藩の役人で、大雅にも師事した。早春の明け方の朱に染まっ
た富士、赤富士の魁。文人画派谷文晁静岡県立美術館富士山図
屏風1835江戸文人画の大家。諸国諸山の風景を写実的に描
いた写生派の草分け。円山派円山応挙兵庫・白鶴美術館富士三
保松原図屏風1784装飾性と写実性とを融合し、独自の画境
を開いた、いかにも応挙らしい作品。洋風画派小田野直武秋田
県立近代美術館富岳図1777秋田藩士。日本で最初に西洋画
を学んだ、秋田蘭画の創始者。江戸出府の折の作。洋風画派司
馬江漢静岡県立美術館薩?山富士遠望図1804平賀源内らと
蘭学を研鑚、後に小田野直武の影響を受けて、洋風写生画の第
一人者となる。南蘋派宋紫石東京国立博物館日金山富岳展望図
(18世紀)長崎に渡来した清人画家より写生的花鳥画を学び
、また平賀源内らを通じて蘭学に通じた。禅画白隠慧鶴大分・
自性寺富士見大名行列図日本臨済禅を確立した禅僧。全国を遍
歴、布教した。禅画の大成者としても著名。浮世絵派葛飾北斎
山梨県立博物館版画富岳三十六景1831世界的に著名な浮世
絵師。富岳三十六景に見る象徴主義は欧米文芸に大きく影響し
た。23浮世絵派歌川広重山梨県立博物館版画不二三十六景(
19世紀)北斎とともに世界的に著名な浮世絵師。東海道五十
三次など風景画に新境地を開き、印象派に与えた影響は大きい
。浮世絵派歌川貞秀神戸市立博物館三国第一山之図1849幕
末の浮世絵師。自ら富士山に登り、その感動を本図や富士絶頂
之図など多くの作品を残した。富士山の美術(4)近現代作家
と富士山文化勲章指定ジャンル著名な作家名所在代表作(年代
)説明油画(洋画)高橋由一金刀比羅宮宝物語館牧の原望岳図
1878明治維新以降、最初に油彩技法を習得した先覚者の作
品。明治初期の貴重作。〃五姓田義松東京都現代美術館清水の
富士1881父芳柳と共に早く油彩技法に目覚めた開拓者の一
人。明治初期の貴重作。〃和田英作鹿児島歴史資料センター富
士(河口湖)1926日本近代洋画を技法的に確立した先駆者
の一人。写生の確かさを見よ。〃梅原龍三郎岡山・大原美術館
朝陽1945ルノアールに学び、日本洋画に存在感ある独特の
装飾技法を樹立した。その金字塔とも言うべき作。〃田崎広助
長野・田崎美術館箱根朱富士1975日本独特の平面的装飾に
新しい一頁を開いた田崎ならではの自然景観。〃林武箱根彫刻
の森美術館赤富士1967主として第二次大戦以後洋画壇をリ
ードした。豪快な技法で富士連作に挑んだ。膠画(日本画)富
岡鉄斎兵庫・清荒神清澄寺富士山及び山頂全図屏風1898最
後の文人画家とも言われる思想家。自ら富士山に登り、その神
聖性をダイナミックに表現した。〃横山大観東京国立近代美術
館或る日の太平洋1952フェノロサ、岡倉天心と共に日本画
壇を復興した巨匠。日本の象徴と意識して多くのテーマに富士
山が描かれた。〃下村観山秋田県立近代美術館三保富士図屏風
1919横山大観とともに明治日本画壇を背負った作家が伝統
的テーマに新風を吹き込む。〃川端龍子東京・大田区立龍子記
念館怒る富士1944強烈な個性で大作に挑んだ激情の画家。
激しい気象現象を示す富士に挑戦した作品。〃松岡映丘宮内庁
三の丸尚蔵館富岳茶園1928昭和天皇即位記念の作品。伝統
的日本画に透明感のある新しい表現技法を示す。〃徳岡神泉京
都国立近代美術館富士1965福田平八郎と共に昭和の日本画
壇に独自の新風を吹き込んだ。茫漠たるモノトーンの中に立す
る富士。24〃横山操東京・五島美術館朱富士1966第二次
大戦後の日本画壇をリードした新星。多くの富士を描いたが、
赤富士と電光の対比の妙。〃小松均京都市立美術館白富士19
82第二次大戦後の日本画壇に詩的な大画面で新境地を開いた
。郷土山形や大自然に魅せられて。〃片岡球子神奈川県立近代
美術館面構葛飾北斎数年前に没したが、最も現代日本画界をリ
ードした女流画家。本図は女史のライフワーク面構シリーズの
一つ。写真鹿島清兵衛宮内庁三の丸尚蔵館富士1894アマチ
ュアながら当時の技術を駆使した大版写真を御成婚25年記念
に皇室に託した。〃岡田紅陽山梨・岡田紅陽写真美術館忍野赤
富士1894文字通り富士山の写真家。富士山のあらゆる表情
を写真に収め、広めた。木版画萩原英雄山梨県立美術館三十六
富士1926本県出身の日本を代表する木版画家。新しい視点
からの富士山シリーズ。富士山の文学歴史書「六りっ国史こく
し」(奈良−平安)菅野すがのの真ま道みちら「続日本しょく
にほん紀ぎ」(平安)藤原通憲ふじわらのみちのり「本朝ほん
ちょう世紀せいき」(平安)伝皇こう円えん「扶桑ふそう略記
りゃっき」(平安)※作者未詳「吾妻鏡あづまかがみ」(鎌倉
)斎藤月岑さいとうげっしん「武江ぶこう年表ねんぴょう」(
江戸)風土記元明天皇げんめいてんのう詔「常陸ひたち国のく
に風土記」(奈良)談話集景戒きょうかい「日本にほん霊異記
りょういき」(平安)※作者未詳「今昔こんじゃく物語集もの
がたりしゅう」(平安)和歌集大伴家持おおとものやかもち「
万葉集まんようしゅう」(奈良)紀淑望きのよしもち・紀貫之
きのつらゆき「古今和歌集こきんわかしゅう」(平安)村上む
らかみ天皇てんのう「後撰和ごせんわ歌集かしゅう」(平安)
後鳥羽ごとば上皇じょうこう「新古今和歌集しんこきんわかし
ゅう」(鎌倉)後鳥羽院ごとばいん「最勝さいしょう四天王院
してんのういん障子しょうじ和歌わか」(鎌倉)藤原長清「夫
木和歌抄ふぼくわかしょう」(鎌倉)藤原ふじわらの為ため明
あきら「新拾遺和しんしゅういわ歌集かしゅう」(室町)25
記録・紀行文都良香みやこのよしか(平安)「富士山記ふじさ
んき」※作者不詳(鎌倉)「海道記かいどうき」※作者不詳(
鎌倉)「東関紀行とうかんきこう」飛鳥井あすかい雅世まさよ
(室町)「富士紀行ふじきこう」堯孝ぎょうこう(室町)「覧
らん富士記ふじき」堯恵ぎょうえ(室町)「北国紀行ほっこく
きこう」※作者不詳(室町)「富士御覧日記ふじごらんにっき
」道興どうこう(室町)「廻国かいこく雑記ざっき」宗牧そう
ぼく(室町)「東国とうごく紀行きこう」紹巴じょうは(室町
)「富士見ふじみ道記みちのき」小堀遠州こぼりえんしゅう(
江戸)「東海道紀行とうかいどうきこう」浅井了意あさいりょ
うい(江戸)「東海道名所記とうかいどうめいしょき」岩佐い
わさ又兵衛またべえ(江戸)「迴国道の記」松尾まつお芭蕉ば
しょう(江戸)「野ざらし紀行」香川景樹かがわかげき(江戸
)「中空の日記」古川古松こしょう軒けん(江戸)「東遊とう
ゆう雑記ざっき」藤とう惺せい梅ばい(江戸)「東海紀行」日
記文学菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ(平安)「更級
さらしな日記」阿仏尼あぶつに(鎌倉)「十六夜日記いざよい
にっき」「うたたね」後ご深ふか草院くさいんの二条にじょう
(鎌倉)「とはずがたり」賀茂真淵かものまぶち(江戸)「岡
部日記おかべにっき」永井ながい荷風かふう(江戸−昭和)「
大窪だより」伝説・物語※作者不詳「竹取たけとり物語ものが
たり」(平安)※作者不詳「伊勢いせ物語ものがたり」(平安
)紫式部むらさきしきぶ「源氏げんじ物語ものがたり(若紫わ
かむらさき)」(平安)藤原兼輔ふじわらのかねすけ「聖徳太
子伝暦しょうとくたいしでんりゃく」(平安)※作者不詳(平
安)「平中へいちゅう物語ものがたり」「平家へいけ物語もの
がたり」(鎌倉)※未詳「曽我そがの物語ものがたり」(鎌倉
)※作者不詳「源平げんぺい盛衰記せいすいき」(鎌倉)※未
詳「承久記じょうきゅうき」(鎌倉)浅井あさい了りょう意い
「東海道名所記」(江戸)能(謡曲)伝世阿弥ぜあみ原作(室
町)「富士山ふじさん」※未詳(室町)「羽衣はごろも」御伽
草紙「富士の人穴ひとあな草紙ぞうし」(江戸)仮名草紙※作
者不詳(江戸)「竹斎ちくさい」滑稽本十返舎一九じっぺんし
ゃいっく(江戸)「東海道中膝栗毛とうかいどうちゅうひざく
りげ」仮名垣魯文かなかきろぶん(江戸−明治)「滑稽富士詣
こっけいふじもうで」26浄瑠璃近松門ちかまつもん左ざ衛門
えもん(江戸)「聖徳太子絵伝記」竹田たけだ出雲いずも・三
好松洛みよししょうらく・並木千柳なみきせんりゅう(江戸)
「仮名かな手本でほん忠臣蔵ちゅうしんぐら」童謡巌谷いわや
小波さざなみ(明治−大正)「富士山ふじさん」(「ふじの山
」)海野うんの厚あつし(明治−昭和)「背せいくらべ」随想
・随筆新井あらい白石はくせき(江戸)「折おりたく柴しばの
記」田山たやま花袋かたい(明治−昭和)「富士を望む」小島
烏水こじまうすい(明治−昭和)「すたれ行く富士の古道」、
「不二山ふじさん」永井ながい荷風かふう(明治−昭和)「日
和ひより下駄げた」太宰だざい治おさむ(明治−昭和)「富嶽
百景ふがくひゃっけい」大町桂月おおまちけいげつ(明治−大
正)「富士の大観」中村星湖なかむらせいこ(明治−昭和)「
少年行しょうねんこう」北村きたむら透谷とうこく(明治)「
富嶽ふがくの詩し神しんを思おもふ」深田ふかだ久弥きゅうや
(明治−昭和)「日本にほん百名山ひゃくめいざん」小説落合
直文おちあいなおぶみ(江戸−明治)「たかねの雪ゆき」夏目
漱石なつめそうせき(明治−大正)「三四郎さんしろう」「虞
美人草ぐびじんそう」泉鏡花(明治−昭和)「婦おんな系図け
いず」「春しゅん昼ちゅう」「春しゅん昼ちゅう後刻ごこく」
徳富とくとみ蘆花ろか(明治−昭和)「冨士ふじ」「自然しぜ
んと人生じんせい」(随筆)永井ながい荷風かふう(明治−昭
和)「新帰朝者日記」橋本英吉はしもとえいきち(明治−昭和
)「富士山頂ふじさんちょう」井伏鱒二いぶせますじ(明治−
平成)「岳麓点描がくろくてんびょう」武田泰淳たけだたいじ
ゅん(大正−昭和)「富士ふじ」武田百合子たけだゆりこ(大
正−昭和)「富士日記ふじにっき」新田にった次郎じろう(大
正−昭和)「強力伝ごうりきでん」「怒いかる富ふ士じ」「芙
蓉ふようの人ひと」「富士ふじに死しす」「着氷ちゃくひょう
」「冬山ふゆやまの掟おきて」「富士ふじ山頂さんちょう」川
端康成かわばたやすなり(明治−昭和)「東海道とうかいどう
」白井喬二しらいきょうじ(明治−昭和)「富士ふじに立たつ
影かげ」国枝くにえだ史郎しろう(明治−昭和)「神州纐纈城
しんしゅうこうけつじょう」松本まつもと清せい張ちょう(明
治−昭和)「波なみの塔とう」芹沢光せりざわこう治じ良ろう
(明治−平成)「我が入道にゅうどう」「人間にんげんの運命
うんめい」幸田文こうだあや(明治−平成)「崩くずれ」27
詩歌伝柿本かきのもとの人麻呂ひとまろ(飛鳥−奈良)「柿本
集」山部赤人やまべのあかひと(奈良)「万葉集まんようしゅ
う」高橋たかはしの虫むし麻呂まろ(奈良)「高橋虫麻呂たか
はしのむしまろ歌集」藤原ふじわらの清きよ正ただ(平安)「
清きよ正ただ集」在原業平ありわらのなりひら(平安)「業平
集」藤原ふじわらの公きん任とう(平安)「公きん任とう集」
藤原ふじわらの定家さだいえ(平安−鎌倉)「内裏名所百首」
「名号みょうごう七字十題和歌」飛鳥あすか井い雅まさ経つね
(平安−鎌倉)「明日香あすか井い和歌集」藤原ふじわらの俊
とし成なり(平安−鎌倉)「(藤原兼ふじわらのかね実ざね)
右う大臣家だいじんけ百首ひゃくしゅ」「五社百首」「丹後守
為忠朝臣家百首」慈じ円えん(平安−鎌倉)「拾玉集」西行さ
いぎょう(鎌倉)「新古今和歌集しんこきんわかしゅう」源実
朝みなもとのさねとも(鎌倉)「金槐和歌集きんかいわかしゅ
う」阿仏あぶつ尼に(鎌倉)「安嘉門院あんかもんいんの四条
しじょう五百首ごひゃくしゅ」万里ばんり集九しゅうきゅう(
室町)「梅香無尽蔵」堯ぎょう恵え(室町)「下葉和歌集」水
無瀬みなせ氏成うじなり(安土桃山−江戸)「水無瀬殿富士百
首」清水浜臣しみずはまおみ(江戸)田安宗たやすむね武たけ
コピペキチガイまだ自演続けてるのか
よく飽きないなぁ
テンプレもまた盗んでるし
恥とかマナーとかそういう概念が無いのかな?
世界遺産条約第1条及び『世界遺産条約履行のための作業指針
』(以下、『作業指針』という。)第45項に規定にする「記
念工作物」、「建造物群」及び「遺跡」に該当する。2)評価
基準への適合性証明以下に示す理由に基づき、「富士山」には
、世界遺産一覧表への記載のための評価基準のうち(?)、(
?)、(?)が適用できる。評価基準(?)現存するか消滅し
ているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承
する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
評価基準(?)の適用富士山では神聖なる気持ちを喚起する自
然環境を背景とし、山頂への参詣などの特徴を持った山に対す
る宗教的な儀礼・活動が成立し、18〜19世紀にかけて大規
模な大衆による宗教的登山の代表的存在となった。山体とその
周辺の地域には、体系化された儀礼・活動の場となった神社、
登山道、及びその沿道に分布する関連遺跡群、霊地・巡礼地と
なった風穴・湧水地・湖沼などが残されている。そこでの儀礼
や活動を通じて、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心
が継承されている。また、今日でも富士山は日本を代表し象徴
する最高峰として老若男女を問わず憧れ親しむ「名山」である
。したがって、富士山は山頂への参詣という形態を中心とし、
時代を超えて今日まで継承された山に対する固有の文化的伝統
を顕著に表わす物証として稀有な存在である。・日本における
山に対する固有の文化的伝統を顕著に表わす物証富士山の山頂
部一帯は、山に対する日本の宗教観とその秀麗な姿、及び10
世紀頃まで盛んであった火山活動などに基づき神仏の世界、あ
るいは他界(死後世界)とされてきた。このため富士山では富
士山の神(※1)を祀った山麓の浅間神社における遥拝活動と
ともに、以下の絵図(類似の登山案内図が数多く作成された)
に示されたように、雲上の神仏の世界へ一定の儀礼に従って参
詣する「登拝」を中心に、富士山体・周辺にある富士山の火山
活動によって生成され神聖な意味を持つとされた風穴・溶岩樹
型・湖沼・滝・湧水地などを巡礼し、修行することで治病・除
災などの超自然的力を獲得し、罪や穢れを消して生まれ変わる
(擬死再生)と考える「富士山禅定」(※2)と呼ばれる行為
(儀礼・活動)が成立し、18〜19世紀にかけて富士山は体
系化された登拝のための宗教施設も含め、大規模な大衆による
宗教的登山を代表する存在となっていた。このような自然への
畏敬という日本の宗教観の根本を基盤とし、神仙思想(道教)
や仏教(特に密教)なとど融合した日本独特の山岳信仰を代表
する遥拝及び登拝・登山の様式は今日でも命脈を保ち、特に夏
季を中心に訪れる外国人を含む多くの登山客とともに富士登山
の特徴を成している。また、信仰の核心部分は各地の浅間神社
に対する信仰や今日も続く宗教的な儀礼・活動によって受け継
がれ、富士山は日本を代表する神聖な山として知られている。
(※1)この神は、1868年の神仏分離令まで神仏習合の影
響を受け仏の化身と考えられていた。また、この神は一つの神
に限定されず、信仰の種類や時代ごとに異なる性格と名称を持
ついくつかの神または仏が信仰されていた。(※2)「禅定」
とは本来は心を静めて一つの対象に集中する宗教的瞑想・状態
、あるいはその結果仏と一体化することを示す言葉であり、そ
の後、主に修験道において富士山などの霊山に登って修行する
ことも意味するようになった。写真「絹本著色冨士曼荼羅図」
(部分:16世紀ごろ)30「絹本著色冨士曼荼羅図」(16
世紀ごろ)評価基準(?)歴史上の重要な段階を物語る建築物
、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕
著な見本である。評価基準(?)の適用富士山では、富士山信
仰の形成の中で神社等の建築群・登山道・宗教施設を経て山頂
に参詣する体系化された宗教的儀礼・活動が15〜16世紀に
かけて発達し、18〜19世紀にかけて完成された。この過程
において、日本における山に対する固有の文化的伝統や富士山
により生み出された芸術活動を背景として、富士山の宗教施設
、そこでの儀礼・活動は富士山の自然環境と一体となって宗教
的な意味を持つ景観として認知され、これが宗教的絵画等で表
現されることにより、多くの人々に富士山が神聖な山であると
の認識がより強固に定着し、日本写真上図拡大部分宗教施設水
垢離場における山と人間の良好な関係の形成に影響を与えた。
したがって、富士山への信仰の形成過程を通じて定着した富士
山の景観認識は近代工業社会以前の段階における山と人間との
精神的関係を表す景観の顕著な見本である。・山と人間との精
神的な関係を表す景観の顕著な見本富士山では噴火が沈静化し
た12世紀ごろから山頂への宗教的登山が開始され、15〜1
6世紀には「富士山禅定」と呼ばれた登拝様式が整い、大衆に
も拡大した。この過程で富士山は、矮小な存在である人間が山
麓の草原地帯(「草山」、「カヤ原」などと呼ばれた)にある
神社・水垢離場で身を清め、森林地帯(「木山」、「深山」な
どと呼ばれた)の山中の宗教施設等を順に経ながら、砂礫地帯
(「焼山」、「ハゲ山」などと呼ばれた)の神仏の世界あるい
は他界に至るイメージで認知されるようになり、同時期に絵画
や文学作品において典型的な富士山像が成立したことを背景に
、「絹本著色冨士曼荼羅図」を代表例とする信仰上の景観認識
が成立した。17世紀以降はこれらの典型的な認識を基に、さ
らに多様な信仰上の認識(※3)が模索され、「富士講」と呼
ばれる富士山信仰集団の隆盛や交流人口の拡大などにより、1
8世紀後半から19世紀にかけてほとんどの日本人に富士山の
神聖な山としての景観認識が定着した(※4)。この認識は近
代工業社会の自然に対する考え方が一般化する以前の山と人間
との良好な精神的関係を示すものであった。、31(※3)富
士山は神仙思想における不老不死の象徴である「蓬莱山」や仏
教における世界の中心である「須弥山」に見立てられた。また
、主に18世紀後半より富士山の信仰上の景観認識を立体化し
た「富士塚」が東京を中心に建設され、女性を含め山頂への登
拝ができない人にとっての代参施設となった。(※4)登拝者
には登山口の浅間神社や御師の発行する富士山の信仰上の景観
認識を描いた宗教画が配布されるとともに、縁起の良いものと
して富士山やその図像を拝したり、眺めることが行われた。右
「富士山のゾーニング」左「三尊九尊図」評価基準(?)顕著
な普遍的意義を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信
仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連
がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ま
しい)。評価基準(?)の適用富士山と周辺の特徴的な自然が
醸成する優秀な景観美や火山としての活動は、日本人の山に対
する信仰の形成の一翼を担い、今日まで継承されている山頂へ
の遥拝と参詣を中心とした文化的伝統は、アジア地域に顕著で
ある山を神聖視する文化と深い関りを有している。写真写真焼
山(ハゲ山)木山(深山)草山(カヤ原)32また、これらの
富士山の特色は古くから様々な芸術活動の母胎ともなり、「万
葉集」や「竹取物語」をはじめとする日本固有の和歌、俳句、
物語文学やこれらを主題とする絵画などの対象として日本人に
良く知られていた。特に富士山を題材にした「浮世絵」などは
海外にも広く知られ、近現代の西洋芸術に様々な影響を与えて
きた。したがって、富士山は、顕著な普遍的意義を持つ生きた
伝統、芸術的作品・文学的作品と直接的・実質的に関連がある
景観である。・顕著な普遍的意義を持つ生きた伝統との直接的
・実質的関連アジア地域、特に東アジア地域では特異な形態を
持った山岳の空間を神聖視し、仏教(特に密教)や道教(神仙
思想)、儒教と結びついて修行の場や宗教施設を設置する場と
した。これらの伝統は6世紀〜8世紀を中心に日本に伝えられ
、日本固有の山岳信仰や神道と結びつき修験道などの信仰を生
んだ。現在の富士山においてはこれらの信仰の核心部分が登拝
などの形態や儀式に伝えられている。また、富士山のみならず
日本各地の山岳やアジア地域の山岳においても形態は異なると
はいえ山を神聖視することをその根本に据えた文化的伝統が数
多く行われている。したがって、富士山は顕著な普遍的価値を
持つ生きた伝統と直接的・実質的に関連がある景観である。・
顕著な普遍的意義を持つ芸術作品との直接的・実質的関連独立
峰である富士山の周囲には湖や海と組み合わされた富士山の優
れた景観を望む展望地があり、今日に至るまで多くの芸術作品
を創造する場となった。これらの富士山を題材にした芸術作品
のうち、最も海外に影響を与えた作品は葛飾北斎の浮世絵「冨
嶽三十六景」である。19世紀前半に作成されたこの一連の作
品は、日本の開国に伴い西洋に輸出され、他の浮世絵とともに
その構図や表現方法がジャポニスムと呼ばれた西洋における日
本芸術の流行を生み、モネ、ゴッホといった印象派の画家に大
きな影響を与え、アールヌーボーが発生する一因となった。そ
のほか、富士山と三保松原を舞台に富士山に関わる伝説をモチ
ーフとした能(謡曲)「羽衣」は文学におけるモダニズムに影
響を与えた作品である。また、19世紀後半から20世紀初頭
にかけて、日本が万国博覧会などで意図的に出品した富士山を
題材にした絵画・工芸作品や、富士山を意匠に用いた日本の輸
出品は、富士山を描いた浮世絵や日本を訪れた外国人が富士山
からインスピレーションを得て記述した紀行文の文学的表現な
どとともに多くの世界の人々に他の世界の著名な山と明確に区
別される富士山の景観イメージを広めることに貢献した。文学
では海外に良く知られた「万葉集」以来、数多くの和歌や俳句
などによってその崇高さや美しさが称えられ、近代以降も海外
にも知られた文学者(※夏目漱石「三四郎」・太宰治「富岳百
景」など)によるものをはじめ富士山を舞台とした作品が生み
出された。写真写真左「神奈川沖浪裏」右「凱風快晴」葛飾北
斎「冨嶽三十六景」より(1831〜36年)33写真ゴッホ
「タンギー爺さん」b)顕著な普遍的価値の証明a)において
証明した評価基準への適合性の証明の結果として、「富士山」
は以下に記す観点から顕著な普遍的価値を持つ。顕著な普遍的
価値の言明富士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高
3776m)の秀麗な独立した火山として世界的に著名であり
、その自然的美しさと崇高さを基盤として日本人の自然に対す
る信仰の在り方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広重な
どによる顕著な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独特の
芸術文化を育んだ「名山」である。富士山は、山岳に対する信
仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の
諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であ
るのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観
の傑出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的
価値を持つ山である。富士山の山体とその周辺の地域には、宗
教的な儀礼・活動の場となった神社、登山道と関連遺跡群、霊
地・巡礼地となった風穴・湧水地・湖沼などが残され、そこで
の儀礼や活動を通じて、人々の生活の中に富士山に対する信仰
の核心が継承されている。また、富士山信仰の中で山体・樹叢
・湖沼などの自然環境を基盤とし、体系化された神社等の建築
群・登山道・宗教施設を経て山頂に参詣する宗教的な儀礼・活
動が成立した。これが発展し、18〜19世紀にかけて富士山
は大規模な大衆による宗教的登山及びその体系の典型的存在と
なり、この体系の核心は現代の登山に継承されている。現在で
も、富士山は日本を代表し象徴する最高峰として老若男女を問
わず憧れ親しむ「名山」である。加えて、富士山と周辺の特徴
的な自然が醸成する美しさと崇高さは、信仰上の景観として捉
えられただけでなく、古くから様々な芸術活動の母胎となり、
「万葉集」をはじめとする日本固有の和歌や俳句、絵画などの
対象として日本人に良く知られていた。特に富士山を題材にし
た「浮世絵」などは海外にも広く知られ、近現代の西洋芸術に
様々な影響を与えてきたものである。さらに、これらの芸術と
富士山やその景観美を紹介した外国人の著作を通じて、富士山
が一つの国の文化を代表する「名山」であることは国際的に認
知されるに至っている。34写真写真本栖湖からの富士山三保
松原からの富士山c)比較検討による証明1)比較軸の特定富
士山の顕著な普遍的価値を表す要素を特定し、他の同種の遺産
がそれらの要素に該当するか否かを検討することによって比較
を行う。富士山の顕著な普遍的価値は、以下の3つの要素に整
理できる。(1)山に対する固有の文化的伝統を顕著に表わす
物証として稀有な存在:富士山では山頂への参詣などの特徴を
持った山に対する宗教的な儀礼・活動が成立し、山体とその周
辺の地域には、神社、登山道、霊地・巡礼地となった風穴・湧
水地・湖沼などが残されている。そこでの儀礼や活動を通じて
、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心が継承されてい
る。(2)景観の顕著な見本:富士山体とその周辺の景観は、
類いまれな美しさ、神聖な空間として認知され、日本における
自然美の典型として、多くの人々に世界の山の中でも最も著目
なアイコンとして共有されている。(3)顕著な普遍的意義を
持つ芸術的作品との関連性:富士山の優れた景観美は、近現代
の西洋美術に影響を与えた芸術的作品などに「関連する景観」
である。信仰の山については、2001年9月に和歌山県で開
催された国際会議「アジア・太平洋地域における信仰の山の文
化的景観に関する専門家会議」(以下、「信仰の山会議」とい
う)において、信仰の山の認定及び保護に関する様々なテーマ
と問題が討議された。ここで、信仰の山の遺産としての価値は
、有形的価値、無形的価値の形態をとって現れるとされた。ま
た、信仰の山の自然的特性についても評価が可能とされた。信
仰の山会議で示された指標を参考に、富士山の顕著な普遍的価
値を表す要素を勘案して、自然的要素としては、「形状・標高
」(独立峰かどうか、富士山と同程度の標高か)、「岩盤や岩
(洞窟を含む)・水域」「火山」(火山であることに由来する
特徴的な風穴・湧水地・湖沼などがあるか)、有形的価値とし
ては、「洞窟」「歴史的な巡礼路又は参詣道」「神社」「寺院
」「眺望・展望地」がそれぞれ存在するかどうか、無形的価値
としては、「継続性」(崇拝儀礼などが今も行われているか)
、「存在」(山自体が信仰の対象か)、「慣習」(登拝、遙拝
を行っているか)、「アイデンティティ」(山自体が国、民族
の象徴となっているか)、「知名度」(富士山と同程度(山頂
までの登山者が30万人、山麓が4,000万人)の訪問者が
あるか)、といった観点から、評価することとする。同様に、
顕著な普遍的意義を持つ芸術的作品との関連性については、山
の景観美が芸術作品を産み出す母胎となったかどうか、またそ
れらの作品群が海外にも広く知られ、世界史に大きな影響を3
5与えたかどうか、といった観点から、評価することとする。
2)海外同種資産の特定同種資産の特定にあたっては、評価基
準に関するものとしては、@「信仰の山会議」で信仰の山と紹
介されている山岳、評価基準に関するものとしては、A世界遺
産リストの概要で芸術への明確な関連性が示されている山岳、
B海外の専門家による研究書等で芸術の山として紹介されてい
る山岳等を抽出した。また、両方の基準に関するものとしては
、Cイコモスによる研究書「FillingtheGaps」
の類型別分析・テーマ別分析、D文化的景観に関する研究書の
分析を行った。具体的には、Bでは、の三つの文献を対象とし
て資産を抽出した。Cでは、「文学・芸術への関連性、演劇」
、「聖なる山」、「アジア・太平洋地域の土着信仰」に関する
山岳等を抽出した。Dでは、ユネスコ世界遺産センターから刊
行されたPeterJ.Fowler氏による研究書の中で、
山が特徴として挙げられている資産のうち、「美的資質」、「
集団のアイデンティティ」、「信仰、聖地、神聖性」の特徴を
持つ資産を抽出した。以上より、富士山の比較対象とする海外
の同種資産は表1の34件となる。その中では富士山との共通
性のあるものに、共通性の大きいものにがしてある。信仰面で
は、上記の無形的側面での共通性があるもの、芸術面では山自
体が絵画の題材とされ、画派等を生むなど、美術史への影響力
があるものを共通性が大きいとしている。が付された比較対象
について、1)で示した比較軸である信仰の物証(自然的特性
、有形的側面、無形的側面)、芸術作品との関連性により、同
種資産を整理すると表2、表3のとおりになる。36表1:比
較対象とした海外の山岳等(34件)番号山名資産名評価基準
国名信仰芸術1ウルル、カタ・ジュタウルル−カタ・ジュタ国
立公園オーストラリア2サバラン山サバラン−イラン3スライ
マン−トースライマン−トー聖山キルギス4プーカオ山チャン
パサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群
ラオス5ボグドハン山、ブルカン・カルドゥン山、オトゴン・
テンゲル山モンゴルの聖なる山:ボグドハン山、ブルカン・カ
ルドゥン山、オトゴン・テンゲル山−モンゴル6ヒマラヤ山脈
サガルマータ国立公園(?)ネパール7ルアペフ山、ナウルホ
エ山、トンガリロ山トンガリロ国立公園ニュージーランド8泰
山泰山中国9黄山黄山中国10武当山武当山の古代建築物群中
国11廬山廬山国立公園中国12峨眉山峨眉山と楽山大仏中国
13武夷山武夷山中国14青城山青城山と都江堰水利(灌漑)
施設中国15三清山三清山国立公園中国16五台山五台山中国
17華山、衡山、恒山、崇山泰山の登録拡大として四つの聖山
−中国18雁蕩山雁蕩山−中国19南山慶州歴史地区韓国20
漢拏山済州火山島と溶岩洞窟群韓国アジア・太平洋地域21ア
ダムスピークピーク野生保護区、ホートンプレインズ国立公園
、ナックレス山脈−スリランカ22アパラチア山脈グレート・
スモーキー山脈国立公園アメリカ23キラウェア山ハワイ火山
国立公園アメリカ24ロッキー山脈カナディアン・ロッキー山
脈自然公園群、恐竜州立自然公園、ウォータートン・グレーシ
ャー国際平和自然公園、イエローストーン国立公園カナダ・ア
メリカ25シナイ山聖カトリーナ修道院エジプト26サント・
ヴィクトワール山サント・ヴィクトワール山とセザンヌに関連
する土地−フランス27ペルデュ山ピレネー山脈−ペルデュ山
スペイン及びフランス28アトス山アトスギリシャ29オリン
ポス山オリンポス山周辺−ギリシャ30ドロミテ山塊ドロミテ
イタリア31ケニア山ケニア山国立公園/自然林ケニア32ワ
スカラン山ワスカラン国立公園ペルー33スイス・アルプス(
ユングフラウ−アレッチュ峰、ビチホルン峰ほか)スイス・ア
ルプスユングフラウ−アレッチュスイスアジア・太平洋地域以
外34キリマンジャロ山キリマンジャロ国立公園タンザニア3
7表2:信仰関連の山岳等番信仰の物証号山名自然的要素、有
形的側面無形的側面1ウルルカタ・ジュタ・ウルルは単一の岩
石・アボリジニにとって、ウルル−カタ・ジュタの岩は伝統的
な信仰の中で不可欠なものである。・山自体が信仰の対象であ
り、遙拝といった信仰形態をもつ。3スライマン−トー・参詣
道、岩面陰刻・中央アジア随一の聖なる山とされ、ムスリムの
聖地である。前イスラム教とイスラム教を融合した信仰形態が
残る。・山頂を目指すという行為自体に宗教的意義付けがない
(登拝といった信仰形態をもたない)。4プーカオ山寺院、山
頂のリンガ(シバ神の象徴)・シバ神の住む山である。・山頂
から麓の川に至るまでに建てられた寺院群はヒンズー教の宇宙
観を表現する配置である。6ヒマラヤ山脈・同程度以上の標高
(エベレスト8848m)・修道院、寺院・神々の住処として
崇拝される空想的な山であるメール山(スメール山、須弥山)
が地上に顕現・チベット仏教、ボン教、ヒンズー教、ジャイナ
教の聖地・ヒンズー教の聖典の一つには人間の罪はヒマラヤを
見れば消滅する、とある。・登山許可は下りない。7ルアペフ
山ナウルホエ山トンガリロ山・火山・マオリにとってこれらの
山は文化的・宗教的な重要性を持っており、そのコミュニティ
と環境との間の精神的なつながりを象徴している。・山自体が
信仰の対象であり、遙拝といった信仰形態をもつ。8泰山・参
詣道、寺院・小泰山(山頂まで登れない人が泰山の代わりに祈
る場所)・儒教・仏教・道教の聖地である。・秦の時代より、
皇帝即位の際の儀式である「封禅の儀」を執り行っていた。・
宗教施設が山頂、山中に点在するため、参拝が登山の形態をと
るが、登山行為自体に宗教的な意義を求める登拝とは異なるも
のである。11廬山参詣道、寺院・中国の近代政治上、重要な
場所とされている。・山自体ではなく、山に築かれた宗教施設
が信仰の対象である。・仏教、道教、儒教の聖地とされ、キリ
スト教、イスラム教の施設も建てられている。12峨眉山・同
程度以上の標高(万仏頂3099m)・参詣道、寺院・中国に
おける仏教の最初の聖地。・山に築かれた宗教施設や日の出・
ブロッケン現象といった自然現象が信仰の対象。宗教施設が山
頂・山中に点在するため、参拝が登山の形態をとるが、登山行
為自体に宗教的な意義を求める登拝とは異なる。13武夷山・
参詣道、寺院・南中国での道教と新儒教の源であり、朱子が生
涯の大部分を過ごした地である。・山自体ではなく、山に築か
れた宗教施設が信仰の対象。16五台山・同程度以上の標高(
葉頭峰3058m)・参詣道、寺院、小朝台(朝台を簡略化し
た祈る場所)・中国仏教四名山の一つで、文殊菩薩が悟りを開
いた地とされる。・自然景観を神聖なものとしているが、5つ
の台頂に築かれた寺院に参詣すること(「朝台」)が最大の願
いである。20漢拏山・独立峰、火山・参詣道・韓国の最高峰
の火山で、聖なる儀式の場としても使用された溶岩洞窟を多く
持つ。・山自体よりも山中の石に対する信仰が強い。21アダ
ムスピークストゥーパ、沐浴場・釈迦が訪問した地とされる。
・山頂に聖なる足跡があり、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教
それぞれの聖地とされ、巡礼者が訪れる。25シナイ山修道院
・シナイ山は、旧約聖書において、モーセに神からユダヤ教の
聖典と十戒が渡された場である。28アトス山寺院、修道院・
古代ギリシャの聖なる山であった。・1054年にギリシャ正
教の中心地として定められ、現在も修道士たちの隠棲の地であ
り、敬虔な宗教活動が続けられている(女人禁制)。入場者は
ごく少数に制限されている。34キリマンジャロ山・同程度以
上の標高(キボ峰5895m)・地域の神が住む場所と考えら
れ、東アフリカの人々は死者を埋葬する。・チャガ族(キリマ
ンジャロ山麓に居住する部族)は、神の住む場所としており、
彼らの伝承や慣習には、山への高い敬意が表されている。38
表3:芸術関連の山岳等番号山名芸術作品との関連性8泰山・
数多くの詩や文が残る。・山頂の風景が紙幣の図柄になるなど
、中国人の精神的シンボルと捉えられている。9黄山・絵画は
数多く描かれ、黄山画派と呼ばれた。11廬山・山水画、山水
詩は多数作られ、特に「観瀑図」は日本の画家にも大きな影響
を与えた。22アパラチア山脈・フレデリック・チャーチやト
ーマス・コールといったアメリカの風景画家に描かれている。
24ロッキー山脈・19世紀のアメリカ人画家、アルバート・
ビエスタッドの描く絵画は、ロマン主義運動の理念を最も劇的
に具現化しており、”ロッキーマウンテン画派”の指導者であ
った。・富士山と同程度以上の標高(エルバート山4401m
)26サント・ヴィクトワール山・20世紀の初頭、フランス
人画家、ポール・セザンヌによって、風景画に対して根本的に
異なるアプローチが始められ、西洋美術作品の中でも最も有名
な山となった。27ペルデュ山・この風景は生活の伝統(牧畜
との暮らし、国境の文化、ピレネー独特の文化)と芸術・文学
作品が関連して、顕著な普遍的価値を構成。(レイモンド・デ
・カルボニエ、ヘンリー・ラッセル、ヴィクトル・ユゴー等)
。・ヨーロッパ芸術の中でロマン主義が発展していく上で重要
な役割を果たした。・富士山と同程度以上の標高(3352m
)33スイスアルプス(ユングフラウ峰、ビーチホルン峰、ほ
か)・印象的な風景はヨーロッパ芸術、文学等において重要な
役割を担った。・レオナルド・ダ・ヴィンチはモンテ・ローザ
のスケッチをモナリザの背景として描いた。・富士山と同程度
以上の標高(フィンスターアールホルン4274m)3)国内
同種資産の特定同様の方法で、日本国内の資産について、世界
遺産登録物件または暫定リストから抽出すると、表4のとおり
3つの山が考えられ、特に共通性が認められる2件について評
価を行った(表5)。表4:比較対象とした国内の山岳等(3
件)39表5:信仰、芸術関連の国内の山岳等(2件)信仰の
物証番号山名自然的要素有形的側面無形的側面芸術作品との関
連性1紀伊山地参詣道、神社、寺院、滝・日本古来の自然崇拝
の思想と大陸から伝来した仏教とが融合して形成された修験道
などの行場としても重視され発展した。・山自体が修験の場で
あり、山中で廻峰行という宗教行為が行われている。神聖性の
高い自然及び継続的に行われている宗教儀礼は、信仰の山の文
化的景観を構成する要素として優秀かつ多様である。2瀰山神
社・古くは彌山を含む島全体を神聖視し、対岸から遙拝してい
たのであるが、やがて水際に社殿が成立し、彌山を含めた背後
の山腹が社殿群の背景的効果をもつ自然景観として重要視され
た。神道の施設であり、仏教との混交と分離の歴史を示す文化
遺産として、日本の宗教的空間の特質を理解する上で重要な根
拠である。番号山名資産名評価基準信芸国名仰術1紀伊山地紀
伊山地の霊場と参詣道日本2瀰山厳島神社日本3御蓋山(春日
山)古都奈良の文化財日本404)結論以上の比較分析から、
他の信仰・芸術に関連する山と比べて、推薦資産は、以下の3
つの点で顕著な普遍的価値を持つ事例であると言える。(1)
海外の信仰関連の山岳との比較富士山は、8世紀以降、噴火を
鎮めるため山麓に浅間神社が建てられた。12世紀に修験者の
道として登山道が開かれ、15〜16世紀には修験者に引率さ
れ、登拝を中心とした宗教的な活動が盛んとなった。山体につ
くられた宗教施設だけでなく、溶岩洞穴・樹型・湧水地も巡礼
・修行の場となった。この結果、登拝の行為を通じて周辺の神
社及び巡礼地、参詣道が形成された。このように、富士山は、
今日まで継承された山に対する固有の文化的伝統を顕著に表す
物証であるとともに、人間と山との精神的な関係を表す景観で
あり、18〜19世紀は既に年平均1〜2万人という世界的に
も類例のない大衆による高山への登拝が行われるようになった
。富士山は、(ケニア山やキリマンジャロ山、トンガリロやウ
ルル等に代表されるような)原始的な山岳信仰のあり方から、
(泰山等の中国の山々やアトス山やシナイ山等に代表されるよ
うな)多様な宗教の介入によって生み出された信仰のあり方ま
で、そのいずれも失うことなく現在に至るまで継承している。
信仰に関連する山の多くは、山自体ではなく、山麓に点在する
宗教施設や石仏が信仰の対象であり、そうした宗教施設等を参
詣するための道が整備されている。また、一部は山頂にそうし
た宗教施設があるため、参拝が登山の形態をとるが、富士山の
ように登山行為自体に宗教的な意義を求める登拝とは異なるも
のである。アダムス・ピークは多くの巡礼者が登山の形態をと
るが、頂上の聖なる足跡とされる岩を目指す点で、宗教施設に
参拝する形態と類似するものであり、富士山とは異なると考え
る。また、一部の山岳はその聖なるがゆえに登山を制限してお
り、登拝はなく、遙拝という信仰形態しか持たない山もある。
信仰の山の自然的要素である標高については、自然遺産を中心
に富士山よりも高い山も存在するが、その標高に比した登頂者
の多さ(年約30万人)は他に例がなく、山頂部への道路や軌
道によるアクセスがないことから、登頂者は徒歩6時間以上か
けて、山頂部を目指すことになる。こうした登山形態は、日本
では20世紀前半に開花する近代アルピニズムに起源するもの
ではなく、17世紀以降の江戸(現在の東京)を中心に数多く
組織された富士講の登拝活動を母胎に発展したものである。こ
のことは、人々の生活の中に富士山に対する信仰の核心が継承
され、今日でも富士山は日本を代表し象徴する最高峰として老
若男女を問わず憧れ親しむ「名山」であることを示している。
また、富士山への登山は夜明け前の山頂到着を目指す登山者が
多いことにも特徴がある。これは、山頂付近で日の出を拝むた
めであるが、17世紀以降、道者が山頂周辺において「御来迎
(仏の来迎と見なされたブロッケン現象)」(のち「御来光(
日の出)」)を拝んだことに由来する。こうした自然現象に宗
教的な意義を見出す傾向は、比較対象の中では峨眉山以外には
見あたらない。IUCNが2009年に行ったテーマ別研究で
ある「世界遺産の火山」では、世界遺産一覧表には一般の人々
が一様に認めている火山の多くが含まれていないことは興味深
いとし、その例として、イタリアのエトナ火山や富士山などを
挙げている。とくに富士山は、火山とその周辺地域に訪れる年
間の観光客が地球上のどの火山よりも多い点で重要とされてい
る。こうしたギャップを埋めるために、知名度、科学的重要性
、文化及び教育的価値を基準に個々の長所を検討すべきとして
いる。41(2)海外の芸術関連の山岳との比較独立峰であり
、高い標高を持つ富士山の秀麗な姿は、四方の広い範囲から眺
めることができ、古くから芸術活動の対象となった。これら富
士山を題材にした芸術作品のうち、最も海外に影響を与えた作
品は、葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景」である。この一連の
作品は、ジャポニスムと呼ばれた西洋における日本芸術の流行
を生み、モネ、ドガなどの西欧の印象派の画家達は浮世絵から
、構図、デフォルメ、平面的な表現技法を学んでいる。また、
アールヌーボーが発生する一因ともなった。芸術的作品との関
連性では、比較対象資産の関連する多くの芸術作品が、周囲の
山々や景観を合わせて描いたものである。また、そうした芸術
作品との密接な関連を持ち、アメリカの山々のように芸術史の
上で一つの流派を形成したものもあるが、その作品の影響は国
内に留まる。また、中国の山水画は日本にも大きな影響を与え
たが、近世以降で美術史に影響をもたらす芸術作品を生み出す
母胎となった山は富士山しかない。山と芸術作品との密接な関
連を持つ代表例は、セザンヌが描いたサント・ビクトワール山
があり、これはその作品の多さからも西洋美術で最も著名な山
とされるが、富士山を題材とした浮世絵がセザンヌの出自であ
る印象派にも大きな影響を及ぼしたことを考慮すると、そうし
た浮世絵の制作を喚起した富士山の優位性は揺るがない。(3
)国内同種資産との比較信仰との関連性では、比較対象の資産
では、古くは山自体が神聖視されたが、その後は宗教施設が発
展し、山は背景となっていった。紀伊山地では、修験道の道場
として山々をめぐる行為が宗教行為とされており、富士山でも
その初期においてはこうした修験者による登山が中心であった
が、富士山については、その後、修験者に導かれた一般人の登
拝が増加し、18世紀後半より東京を中心に流行した富士講に
よる大衆登山へと発展していった。現在も夏を中心に30万人
が徒歩による富士山の登山を体験しており、こうした信仰の核
心が多くの人々に継承されている点において富士山の優位性は
明らかである。芸術作品との関連性では、比較対象の資産では
、評価基準(?)は信仰の空間との関連性で用いられており、
関連する芸術作品等も宗教的な題材とする作品が多い。富士山
は、和歌や俳句、絵画、文学の多くの分野においても、数多く
の作品を輩出し、その中には葛飾北斎の浮世絵「冨嶽三十六景
」のように西洋の美術史に大きな影響を与えた作品もある。そ
の多様性や生み出した芸術作品の影響の大きさの面でも富士山
の優位性は明らかである。(4)結語このように、富士山にお
いては、登拝等により、信仰の核心が現代の多くの人たちに受
け継がれ、また、浮世絵等により、近代の西欧芸術史に大きな
影響を及ぼした。富士山は、信仰のあり方、芸術の両面で、古
代から現代まで影響を与えている唯一の山であり、世界的にも
類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山岳である。42d)真
実性及び完全性1)完全性推薦資産の範囲は、「ある文化的伝
統の存在を伝承する物証として希有な存在」として神聖視され
、「歴史上の重要な段階を物語る景観を代表する顕著な見本」
として認知された富士山の範囲が適切に確保されているととも
に、「顕著な普遍的意義を有する芸術的作品及び文学的作品と
の直接または実質的な関連性」を示す富士山体の範囲も、数々
の顕著な普遍的意義を有する作品に共通して描かれた最大の範
囲に相当しており、資産の重要性を伝える諸要素・過程を完全
に表す上で適切な範囲が確保されている。(図面挿入:主要な
展望地点から見た資産範囲を示した正面図)また、登山道、神
社並びに富士五湖などの儀式・修行・巡礼の場や、適切な展望
線を確保した主要な展望地点といった、顕著な普遍的価値を表
すのに必要な全ての要素を包含している。登山道は、信仰登山
が盛んに行われていた18〜19世紀に認識されていた登山道
を全て含み、登山道の起点となる浅間神社も不足なく資産に含
まれている。その他、御室浅間神社や河口浅間神社といった富
士山信仰を語る上で欠かすことの出来ない重要な浅間神社や、
富士講を迎えて登拝の世話を行った御師の住宅、富士講がオプ
ショナル・ツアー的に巡礼・修行を行った地として代表的な湖
沼、滝、風穴・溶岩樹型も全て資産を構成する要素として推薦
範囲に含めている。それらは、周辺に必要十分な範囲の緩衝地
帯を設定しており、負の影響を与える可能性の行為に対して適
切な法的規制を行うとともに、包括的保存管理計画の下に保全
又は改善のための対策を明示している。したがって、資産の周
辺環境の保全に関する完全性も揺らぎはない。2)真実性推薦
資産は、所有者をはじめ、国及び地方公共団体によって適切な
維持管理が行われ、文化資産としての価値を失することなく良
好な状態を保っている。以下に、『世界遺産条約履行のための
作業指針』第82項に示された文化遺産の評価に適用される真
実性の属性に基づいた、構成資産の種類ごとの分析を示す。(
1)富士山体(遺跡(site))富士山は、1707年を最
後に噴火しておらず、以降、形態に変更はない。また、今後噴
火によって形態上の変化が起こったとしても、富士山の荒ぶる
姿は人々の信仰心を鼓舞し、芸術活動に駆り立てることから、
真実性が損なわれるものではなく、むしろ、有史以来時代を超
えて、精神・機能の観点からみた真実性は確実に維持されてい
る。神聖性が最も高いとされる、山体中腹以上の核心となる区
域には、文化財保護法により厳格に保護されているほか、その
周辺地域や展望線及び主要な展望地点は、自然公園法などの国
内法により展望・眺望への妨げとなるものの除外や風致景観と
の調和を図る景観保全が行われており、景観全体の真実性は確
実に保証される。また、登山道や山小屋、信仰関連遺跡などの
諸要素が総体的な登拝システムを構築し、その機能は良好に遺
存している。登山道は、人為による現状の変更には厳しい規制
がかけられており、地下に埋もれた遺構を含め、価値の真実性
の伝達については、将来にわたり確実に保証されている。また
、宗教空間としての用途・機能を何百年も維持してきた。レク
リエーションのために登43山を行う人々にとっても、脈々と
継承してきた富士山に対する信仰の核心の証左として、それら
は機能している。(2)神社・御師住宅(記念工作物・建造物
群・遺跡(site))神社について、建築の歴史的価値を表
す平面形式、構造様式、内外の立面意匠は顕著な普遍的価値を
表す時代のままである。近代以降の保存修理事業においては、
建立後に修理又は改変された後補部分について、後補材の撤去
・復原・欠失した部分の復旧を行うなど、高い真実性が追究さ
れてきた。脆弱な材料・材質から成る木造建築の修理に関する
伝統をはじめ、そこに用いられる技術についても確実に継承さ
れている。また、富士山の顕著な普遍的価値が最もよく表現さ
れる時代の位置を維持し、境内林などに囲まれた周辺の環境も
良好である。さらに、宗教空間としての用途・機能を何百年も
維持してきた。レクリエーションのために登山を行う人々にと
っても、脈々と継承してきた富士山に対する信仰の核心の証左
として、それらは機能している。(3)その他の信仰関連遺跡
(遺跡(site))富士五湖及び忍野八海においては、文献
や石碑などの状況証拠から、内八海巡りや富士御手洗元八湖が
行われていたことがわかっている。人々の信仰心を駆り立てた
湖沼の水そのものは、顕著な普遍的価値の核心として現在に継
承されている。さらに、周辺環境においても、自然公園法や景
観法に基づく景観計画などにより風致景観との調和を図る景観
保全が行われており、景観全体の真実性は確実に保証されてい
る。白糸ノ滝においては、長谷川角行の修行地がどこであった
かを明確に示す文献はないが、富士講講徒が滝壺で修行したこ
とは講徒の記録及びその挿図で確認できる。船津胎内樹型及び
吉田胎内樹型の中には祠などが祀られ、穴自体を神聖視する精
神、宗教空間としての機能は現在も受け継がれている。入洞者
の安全のため、船津胎内樹型の入り口部分は改変が加えられて
いるが、それ以外の形状・位置の真実性は、自然崩落の場合を
除き、確実に継承されている。人穴富士講遺跡においては、碑
塔のほとんどに建立者、講の名称や年号(創建年号や関係者の
死亡年号)などが記載されており、真実性に疑いの余地はない
。444.保全状況と資産に与える影響a)現在の保全状況「
富士山」の17個の構成資産については、すでに多くの修理や
整備の事業が適切に行われており、自然的な要因に基づく一部
の資産を除き構成資産の保存状況も良好である。特に神社の建
造物及び境内については、所有者である宗教法人により適切な
維持的措置が恒常的に行われており、保存状況は良好である。
1)資産全体の保全状況(1)主要な展望主要な展望としての
構成資産は、本栖湖と三保松原であり、展望点及びそこから展
望した山体の大部分である。展望面に関しては本栖湖の場合構
成資産に含まれており、三保松原の場合は展望点より山体まで
距離の距離が約45qと遠方であり、かつ、その間のかなりの
部分が海面及び人口密集地(富士市市街地)であるため、展望
点より山体までの範囲は構成資産に含めてはいない。現状にお
いてこれらの資産範囲及び展望面は三保松原の一部を除き良好
な状態を保っている。これらの資産範囲については、信仰の核
心である御中道より上の範囲は文化財保護法(特別名勝及び名
勝)及び自然公園法(特別保護地区及び第1種特別地域)によ
り厳密に保全され、下部(標高1500〜2000m以下、特
別名勝範囲外)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別
地域、普通地域)及び森林法(保安林)により重層的に保護さ
れている。また、展望面の周辺部については自然公園法(特別
保護地区、第1〜3種特別地域、普通地域)及び森林法(保安
林)、景観法に基づく景観条例、景観計画により保護されてい
る。これらの法令の許可制に基づく保護により、景観面に関し
て資産に影響のある開発は厳重に管理されている。また、資産
範囲及び緩衝地帯に含まれていない三保松原の展望面について
も海面において実質的に開発行為は起りえず、市街地において
も景観法に基づく景観条例、景観計画により保護されているた
め、特に問題は生じない。(2)登山道(遺跡(site))
これらの構成資産は富士山体及びそこに所在する登山道である
。これらの構成資産については、真実性及び完全性が担保でき
る部分が史跡に指定されるとともに、その大部分の範囲が特別
名勝に指定されている。これらの構成資産については、県が、
建造物については、火災による焼損防止のために自動火災報知
設備及び各種の消火施設・避雷施設を設置し、防火・消火に関
する組織の運営についても万全を期している。また、建造物の
所有者である宗教法人及び市並びに個人は、県又は各市町村が
策定した保存活用計画に基づいて、それらの確実な保存管理に
当たっている。また、建造物の軽微な補修等の日常管理につい
ては、所有者の依頼により、専門の建築技術者によって実施さ
れている。(4)その他信仰関連遺跡(遺跡(site))こ
れらの構成資産は、湖沼、風穴・溶岩樹型、滝・湧水、石造工
作物(人穴の碑塔)である。これらの構成資産については、そ
の自然的価値から湧玉池が特別天然記念物に、白糸ノ滝が名勝
及び天然記念物に、富士五湖が名勝に、風穴・溶岩樹型及び忍
野八海が天然記念物に指定されているとともに、その一部が史
跡に指定されている。これらの構成資産については、県及び市
町村が、各史跡等の規模・形態・性質・立地・環境等に応じて
保存管理計画を策定し、確実な保存管理に当たっている。した
がって、各史跡等を構成する諸要素及びそれらと一体をなす周
辺の地域は、良好な状態を保っている。さらに、指定地内で行
われる現状変更等については、文化財保護法の下に許可制に基
づき厳重に規制されている。2)構成資産の保全状況(A)山
体(眺望の対象である富士山、ある文化的伝統を伝承する物証
である、連続性のある資産としての富士山)登録範囲における
自然的環境については、おおむね良好な状態である。資産範囲
の上部は文化財保護法(特別名勝)及び自然公園法(特別保護
地区及び第1種特別地域、第2種特別地域)により厳密に保全
され、下部(標高1500〜2000m以下、特別名勝範囲外
)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別地域、普通地
域)及び森林法(保安林)により重層的に保護されているため
、景観および文化的価値のどちらの点においても資産に影響を
及ぼす行為は発生しない。た46だし、山体西側には山頂部付
近から標高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れ(以下
、「大沢崩れ」という。)が、約1000年前より継続して発
生している。このため山体西側の一部でかつての信仰に関わる
道(御中道)の通行等が禁止されている区域がある。山頂及び
登山道周辺では、多くの人々によって行われる登山行為に起因
する廃棄物・し尿が発生するが、山小屋組合などにより適切に
管理・除去されている。なお、山腹において、山小屋の維持・
廃棄物の撤去のためにブルドーザーが通行する道路があるが、
使用は必要最小限にとどめられている。山頂部周辺の文化的環
境についても、現時点における保全状態は良好である。ただし
、降雪・強風等に常時さらされるため、小規模な変更は常時行
われてきた。(A1)山頂信仰遺跡現時点における保全状態は
良好である。(A2〜5)登山道富士山は脆弱な火山地質であ
るとともに、雪崩・強風等に常時さらされるため、登山の開始
以降登山道小規模な経路の変更は常時行われていた。したがっ
て、継続的な観点における保全状態について明確に述べること
はできない。しかし、現在も登山道として使用されている部分
については毎年登山期前に県、地元保存会(須山口)又は山小
屋組合により整備が行われ、適切な状態に保たれている。(A
6)北口本宮冨士浅間神社北口本宮冨士浅間神社は定期的な維
持修理が行われており、現時点における保全状態は良好である
。(A7〜9)西湖・精進湖・本栖湖すべての湖とも現時点に
おける保全状態は良好である。中でも本栖湖は、訪問者の体験
を損ねないように、展望地点から富士山を見た展望線と展望地
点区域の周辺環境の維持に配慮した良好な保存管理が行われて
おり、現時点における保全状態は特に良好である。(B1)富
士山本宮浅間大社定期的な維持修理が行われており、現時点に
おける保全状態は良好である。湧玉池は全般的には良好な状態
であるが、二つの池のうち「上池」では、湧水量が減少し、藻
類が繁殖しているため、「湧玉池保全再生会議」が設置され、
対策が検討されている。(B2)山宮浅間神社現時点における
保全状態は良好である。(B3)村山浅間神社現時点における
保全状態は良好である。(B4)須山浅間神社現時点における
保全状態は良好である。(B5)富士浅間神社(須走浅間神社
)現時点における保全状態は良好である。(B6)河口浅間神
社現時点における保全状態は良好である。47(B7)冨士御
室浅間神社現時点における保全状態は良好である。ただし、漆
塗装の磨耗退色が著しい部分がある。また、本宮本殿の脇障子
版は富士山二合目所在時に毀損にあっており、今後、修復・修
繕の検討が予想される。(B8)御師住宅旧外川家住宅は20
06−2007年に大規模な修繕工事を行ったため、現時点に
おける保全状態は良好である。小佐野家住宅は、所有者らによ
って日常的な維持管理が行われているほか、補助事業などによ
って文化財としての保護に必要な修繕や設備の整備が進められ
てきた。(B9〜10)山中湖、河口湖どちらの湖とも現時点
における保全状態は良好である。(B11)忍野八海天然記念
物として指定されている範囲は水面に限られており、私有地が
隣接しているため、周辺環境を含めた保全状態に課題がある。
しかし、忍野村が景観計画を策定し、周辺環境を含めた保全を
行っている。(B12)船津胎内樹型現時点における保全状態
は良好である。(B13)吉田胎内樹型内部の溶岩の盗掘や人
の侵入による破壊を防ぐために本穴入り口は施錠されており、
現時点における保全状態は良好である。(B14)人穴富士講
遺跡碑塔群はおおむね良好な状態であるが、一部の碑塔に修理
が必要である。(B15)白糸ノ滝現状では滝壺周辺に売店が
あるなど景観面において課題がある。このため、富士宮市が中
心となり保存管理計画の改訂および整備計画の策定を行い、今
後適切な整備がなされる予定である。滝の自然崩壊については
特に対策は採られていない。(C)三保松原現状では1960
〜80年代に進行した海岸浸食の影響からの回復を図るため、
資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影響を
与えている。また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイ
センチュウ)による松枯れがみられるため、薬剤注入・散布に
よる予防措置及び植林、枯れた松の除去が実施されている。現
在これらの対策により、資産の現状を保ち、将来においてはよ
り良好な保全状態となることは確実である。なお、三保松原の
象徴的存在である羽衣の松は1707年の宝永噴火とその前後
の地震により初代とされる松が失われたため、現在の松(樹齢
約650年)を指定した。しかし、この松も台風による幹の損
傷で樹勢が衰え、2010年10月にその交代が行われる(三
代目は樹齢約300〜400年と推定されている)。また、現
在静岡市が保存管理計画の改訂を行っている。なお、資産範囲
・緩衝地帯範囲には含まれないが、三保松原の富士山方向の対
岸に当たる富士市の工業地帯においては、現在使用していない
高煙突の撤去が静岡県の政策(富士地域煙突ゼロ作戦)として
実施されている。48b)資産に与える影響の要因1)開発の
圧力資産及びその緩衝地帯において、建築物又は工作物の建設
、土地の形質変更、木竹の伐採等の等の行為を行う場合には、
文化財保護法、自然公園法、都市計画法、森林法、河川法、海
岸法及び関係市町村が定める条例(景観法に基づき策定された
景観条例等)の下に、それらの規模、形態・構造に関する規制
(建築物又は工作物に関しては、それらの高さ・色彩・意匠等
の規制を含む)が行われるため、資産の価値を著しく低下させ
るような開発は起り得ない。「富士山世界遺産両県協議会」(
設置予定・仮称)では、両県の知事・市町村長を中心に、許認
可・保存に関わる国機関も加わり、開発の状況を把握し、コン
トロールのあり方について検討を行う予定である。開発計画の
うち、現在北麓(山梨県)においては都市計画区域用途地域ま
たは都市計画区域外では5ha以上、都市計画内(用途地域外
)では10ha以上の計画については、山梨県内の組織である
「山梨県土地利用調整会議」に事前協議書が提出され、知事の
同意が必要とされている。その同意を得た後で、個別法令の許
認可を担当する部署での手続きを行うことになっており、一元
化した組織かつ統一した基準での開発のコントロールが行われ
ている。こうした大規模開発を含む緩衝地帯内で行われる一定
規模以上の開発行為については、「富士山世界遺産両県協議会
」へ報告がなされ、必要に応じて個別法令の許認可を担当する
部署に対して助言等がなされる予定である。また、各市町村の
景観計画の下に、各市町村は景観阻害要因の排除に努めること
としているほか、世界遺産暫定一覧表に記載され、世界遺産一
覧表への記載の可能性のある文化資産に相応しい周辺市街地を
創出するために適切な景観の保全・改善の施策を実施すること
としている。なお、次に掲げる開発計画等の立案に当たっては
、いずれにおいても資産への影響を最小限に留めるよう関係機
関・団体と調整を行うことし、実施する場合にも事前に十分な
協議を行うこととしている。(1)観光開発(ホテル・ゴルフ
場・スキー場)緩衝地帯に位置するホテル等については、自然
公園法に基づき、高さ・色彩・意匠等の規制が行われており、
既存施設の改築についても同様である。特に山体の五合目以上
、本栖湖からの展望線の核心部は自然公園法の特別保護地区、
第1種特別地域となっており、新規の構造物の建築は禁止され
ている。また、富士山北麓(山梨県)では新規の10ha以上
のゴルフ場開発については凍結されている。(2)廃棄物処分
場又は清掃工場現時点で計画なし。(※演習場内の解放地に御
た、三保松原における松にはマツクイムシ(マツノザイセンチ
ュウ)による被害が見られる。これに対しては、薬剤注入・散
布による予防措置及び植林、枯れた松の除去を資産の所在する
静岡市とNPO法人が行っており、被害の拡大を防止している
。3)自然災害と危機管理資産の所在地域における自然災害と
しては、第一に富士山特有のものとして山体及び側火山からの
噴火及びそれに伴う噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪
型火山泥流、降灰、降灰後の降雨による土石流などが予想され
るとともに、数年単位で発生する山体における雪崩(特に大量
の水分を含んだ雪が流動する雪泥流)や大沢崩れ及びそれに伴
う土石流、強風、雨水による浸食などが考えられる。また、富
士山を含む駿河湾沿いの地域はM8クラスの海洋プレート内地
震の発生が予測されている。第二に日本列島の太平洋側におけ
る一般的自然災害である台風・大雨・洪水並びに火災等が予測
されている。第三に三保松原に関しては海岸浸食に伴う高潮な
どの被害がある。これらについてそれぞれ以下のような防災対
策を講じている。噴火及びそれに伴う災害に対しては、気象庁
をはじめとする研究・防災機関が常時観測を行うと同時に、国
の富士山ハザードマップ検討委員会報告書(2004年)に基
づき県及び市町村において火山防災計画(ハザードマップ・避
難計画)などを策定している。雪崩については、吉田口登山道
では馬返より上の登山道に浸透桝を設け、雨水や雪崩による崩
壊を防いでいる。土砂崩れ・土石流(主に大沢崩れ)について
は国が中心となり、源頭部における水分と土砂の分離、山麓に
おける土石流災害防止を目的とした遊砂地の設置などを行って
いる。また、登山道を管理する県では導流堤を設置し、落石の
落下先をコントロールしている。これらの災害は発生自体を防
止することは困難であるため、その被害を最小限にとどめるこ
とを対策の骨子としている。50地震に関する対策としては、
大規模地震対策特別措置法(1978年)に基づき、予知を目
的とした観測体制、予知を前提とした非難・警戒体制、防災施
設整備が行われるとともに、東海地震対策大綱(2003)に
基づき国・県・市町村の防災計画が策定されている。また、今
後各神社等の耐震化が行われる計画となっている。台風は19
96年9月に富士山南側の人工林地区(ヒノキ)に風倒の被害
(標高1100〜1200m中心、計1125ha、富士山で
は約935haうち国有林620ha)をもたらしたことがあ
るため、1997年より静岡県が中心となり、被害地に対して
自生種(ブナ・ミズナラ)の植栽(のべ22・68ha)を実
施している。また、風倒による被害を防ぐため人工林における
下刈を実施している。大雨・洪水に関しては堤防・遊水地・砂
防堰堤の建設や河川の改修などにより、大雨時の洪水に対する
防止策を講じている。山火事に対しては、国、県、市町村の連
絡・協力体制を確立し、草原地帯においては防火帯を設け、大
規模な火災に対して最大限の対応を可能としている。建造物の
火災に対しては自動火災報知設備・ドレンチャー設備・消火栓
、放水銃などを設置しているほか、自主防火組織も整備するな
ど、万全を期しているので問題ない。万一、上記の災害が発生
した場合においても、速やかに現状復旧の対策を講じるための
制度及び体制を完備しており、資産の価値が減じることはない
。三保松原においては、高潮対策事業として安倍川(土砂供給
源)下流部での砂利採取を1968年より海岸浸食の原因の一
因と考え禁止するとともに、1989年より34年計画(20
34年まで)でヘッドランド・離岸堤の設置や養浜による海岸
保全対策を行い、現在、海岸と平行した方向に年250mの割
合で砂浜の回復が進行している。現在ヘッドランドの一部が景
観に影響を与えているが、砂浜の回復後に撤去する計画が進ん
でいる。登山者の安全に関しては、気候の急変に備え、「富士
山登山指導センター(山頂と富士宮口新五合目)」、「富士山
安全指導センター(吉田口六合目)」と「富士山衛生センター
(富士宮口八合目)」が設けられている。また、富士宮口のす
べて、吉田口七合目以上のほとんどの山小屋にはAEDが設置
されている。(御殿場口はなし、須走口は1軒・東富士山荘)
4)来訪者及び観光の圧力富士山の構成資産のうち私有財産で
ある小佐野家住宅(御師住宅)を除いた資産はすべて公開され
ている。ただし山体資産範囲については登山道及び山頂部以外
は土地所有者(国、県、富士山本宮浅間大社)の了解が必要で
あり、安全上の観点からも県が登山道からの逸脱を好ましくな
い行為として事実上立入を制限している。山体以外の資産につ
いては、き損・悪戯・盗難等の被害から建造物等の構成資産を
護るために、防犯警備施設を設置するとともに巡視及び監視の
体制を整備し(山宮・村山・人穴等では防犯システムは採用さ
れていない)、来訪者によるゴミの増加等に対しても地域住民
や関係市町村が適切な管理を行っていることから、観光による
圧力が資産の価値を著しく低下させるようなことは起こり得な
い。山体に関しては、観光客によるごみ及びし尿、並びに自動
車で訪れる来訪者(富士山スカイラインでは4月〜11月の合
計で年平均127,000台・1999〜2009年、富士ス
バルラインで年平均410,000台・2006〜2008年
)による環境への負荷及び混雑の軽減を目的に以下の対策を行
った。ごみに関しては国・県及びNPO法人(富士山ネットワ
ーク・富士山クラブ)、ボランティアによ51る清掃作業が活
発に実施されるとともに(平成20年実績・92回、約64t
、延べ参加人数約7000名)、外国人も含め登山者に対して
マナー向上を呼びかけ、登山道周辺のごみは減少している。山
頂部で発生するごみについては山小屋組合(富士山吉田口旅館
組合等)により、山麓に搬出し、適切に管理・処理されている
。し尿対策に関しては登山道及び山小屋のトイレ48箇所を2
006年までにバイオ処理式等に改良し、環境への負荷を軽減
した。さらに、登山者の増加や設備の老朽化に対応するため、
環境配慮型トイレ適正管理委員会を設けて対策を検討しており
、今後は業者と連携を密にしてメンテナンスをきちんとしてい
くことが確認された。自動車に関しては、土日・休日を中心に
各登山道の利用者数に応じて自家用車の利用を規制し(利用者
の多い富士スバルラインで最大12日間、利用者の少ない御殿
場口はなし)、山麓の臨時駐車場と五合目駐車場間のシャトル
バスによる輸送を行っている。吉田口においては2011年夏
には富士吉田IC付近に1400台の駐車場を整備し、自家用
車の利用規制を15日に拡大する予定である。5)資産と緩衝
地帯の居住者人口構成資産内人口:人緩衝地帯内人口:人合計
:人集計年:2010年No.構成資産の名称構成資産範囲内
人口(人)緩衝地帯内人口(人)合計(人)富士山A1山頂信
仰遺跡A2大宮・村山口登山道A3須山口登山道A4須走口登
山道A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8
精進湖AA9本栖湖B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社
B3村山浅間神社B4須山浅間神社B5冨士浅間神社(須走浅
間神社)B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅
52B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹
型B13吉田胎内樹型B14人穴冨士講遺跡B15白糸ノ滝C
三保松原535.資産の保護の管理a)所有関係各構成資産の
所在地及び所有者については、以下に記すとおりである。b)
法に基づく指定保護資産を構成する重要文化財に指定された「
記念工作物」「建造物群」、史跡、特別名勝又は名勝、54特
別天然記念物又は天然記念物に指定された「遺跡」は、古社寺
保存法(1897年制定)、史蹟名勝天然紀念物保存法(19
19年制定)、国宝保存法(1929年制定)などの下に適切
な保護が行われてきた。また、1950年には、それらの諸法
を統合・改革して文化財保護法が制定され、それ以後、現在に
至るまで、個々の構成資産はこの法律の下に万全の保護措置が
講じられてきた。富士山の山体及び北側の構成資産の範囲にお
いては、さらに国立公園法(1936年制定)、それを改定し
た自然公園法(1957年制定)により、その優れた自然の風
景地が保護されてきた。17個の構成資産の指定保護の状況に
ついては、以下に示すとおりである。(A)富士山1936年
2月1日:富士箱根国立公園の指定(1952年10月7日:
名勝富士山の指定1952年11月22日:特別名勝富士山の
指定1966年10月6日:特別名勝富士山の指定地域の変更
(A1)山頂信仰遺跡(特別名勝範囲内・Aに同じ)史跡富士
山の指定予定(A2)大宮・村山口登山道史跡富士山の指定予
定(A3)須山口登山道(一部のみ特別名勝範囲外・範囲内は
Aに同じ)史跡富士山の指定予定(A4)須走口登山道史跡富
士山の指定予定(A5)吉田口登山道(特別名勝範囲内・Aに
同じ)史跡富士山の指定予定(A6)北口本宮冨士浅間神社1
907年8月28日:特別保護建造物(富士嶽神社境内東宮本
殿)の指定1953年3月31日:重要文化財北口本宮冨士浅
間神社本殿の指定1953年3月31日:重要文化財北口本宮
冨士浅間神社西宮本殿の指定史跡富士山の指定予定(A7)西
湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五
湖の指定予定55(A8)精進湖1936年2月1日:富士箱
根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定(A9)本栖湖※
本栖湖からの展望面含む1926年2月24日:天然紀念物富
士山原始林の指定1936年2月1日:富士箱根国立公園の指
定(2010年3月8日:天然記念物富士山原始林及び青木ヶ
原樹海の指定名勝富士五湖の指定予定(B1)富士山本宮浅間
大社1907年5月27日:特別保護建造物浅間神社本殿の指
定1944年11月7日:天然紀念物湧玉池の指定1952年
3月29日:特別天然記念物湧玉池の指定史跡富士山の指定予
定(B2)山宮浅間神社史跡富士山の指定予定(B3)村山浅
間神社史跡富士山の指定予定(B4)須山浅間神社史跡富士山
の指定予定(B5)冨士浅間神社(須走浅間神社)史跡富士山
の指定予定(B6)河口浅間神社史跡富士山の指定予定(B7
)冨士御室浅間神社1985年5月18日:重要文化財冨士御
室浅間神社本殿の指定史跡富士山の指定予定(B8)御師住宅
1976年5月20日:重要文化財小佐野家住宅の指定重要文
化財旧外川家住宅の指定予定(B9)山中湖561936年2
月1日:富士箱根国立公園の指定(名勝富士五湖の指定予定(
B10)河口湖1936年2月1日:富士箱根国立公園の指定
(名勝富士五湖の指定予定(B11)忍野八海1934年5月
1日:天然紀念物忍野八海の指定(B12)船津胎内樹型19
29年12月17日:天然紀念物船津胎内樹型の指定(B13
)吉田胎内樹型1929年12月17日:天然紀念物吉田胎内
樹型の指定(B14)人穴富士講遺跡史跡富士山の指定予定(
B15)白糸ノ滝1936年2月1日:富士箱根国立公園の指
定(1936年3月6日:名勝及天然紀念物白糸ノ滝の指定(
C)三保松原1922年3月8日名勝三保松原の指定1977
年4月1日名勝三保松原の一部指定解除1990年3月29日
名勝三保松原の追加指定及び一部指定解除c)保護の実施手段
1)資産各構成資産については、遺跡、記念工作物、建築物群
のみならず、それらと密接な関連を持つ展望線など、富士山の
本質的価値を構成する諸要素を厳格かつ的確に把握し、それら
をすべて含む範囲について、価値の中核をなす部分は文化財保
護法の下に指定(特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然
記念物、重要文化財、史跡)され、また、価値の中核をなす部
分を取り囲む地域の大部分は自然公園法の下に国立公園(国立
公園、県立自然公園)に指定している。これら範囲のうち、富
士山の顕著な普遍的価値を証明するために必要不可欠な範囲を
資産範囲とした。これらの範囲の大部分においては、国の許可
無くそれらの現状を変更することはできない。文化財保護法、
自然公園法の及ばない地域は国有林であり、開発行為が行われ
ることはない。また、森林法に基づき森林の伐採に関しても適
切な管理が行われている。文化財保護法の定めるところにより
、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、重57
要文化財、史跡の保存管理・修理・公開については、所有者又
は管理団体が適切に行うことを原則としている(法第31条・
第32条の2、第113条・第115条・第119条)。また
、自然公園法が定めるところにより、国立公園の管理と保護に
ついては、国又は管理団体が適切に行うことを原則としている
(法第9条、第37条、第38条、第39条)。重要文化財に
指定されている建造物の修理に関して、部材の痕跡調査などか
ら判明した原型への復元などの現状変更等を行おうとするとき
や、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、史跡
の指定地内において現状変更等を行おうとするときは、あらか
じめ文化庁長官の許可を得なければならない(法第43条・第
125条)。文化庁長官は国が設置し、イコモス国内委員会委
員を多数含む文化審議会文化財分科会に対して当該現状変更等
に関する諮問を行い、その答申を経て許可することとしている
。したがって、資産の現状を変更する場合には、学術的かつ厳
密な審査に基づく許可を必要としている。また、国立公園(特
別保護地区及び特別地域)の現状変更については、あらかじめ
環境大臣の許可を得なければならない(法第13条、第14条
)。特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物、重要
文化財、史跡の管理と修理に対しては、必要に応じて国が経費
を補助し、技術的指導を行うこととしている(法第35条・第
47条・第118条)。国立公園の管理と保護は国が費用を負
担する(法43条)。また、管理団体が管理と保護を行う場合
、国が必要な情報の提供又は指導・助言を行う(法42条)。
資産範囲の国有林については森林施業計画により皆伐は年5h
aにとどめるなど景観への影響を最小限に留めるよう適切に保
護・管理されている。加えて国有林の大部分である保安林は指
定施行要件(保安林の種別ごとに異なる。)に合致しない伐採
等には都道府県知事の許可が必要である(法34条)。2)緩
衝地帯緩衝地帯の全域においては、文化財保護法、自然公園法
、景観法(それに基づく景観条例及び景観計画)、森林法、砂
防法、海岸法、又は関係各県・市町村が定める条例等の下に資
産の周辺環境について万全な保全措置が講じられている。緩衝
地帯の範囲については、資産から眺望できる山の稜線のほか、
法律・条例等に基づく境界、地籍境界、行政界、道路等の明確
な境界などを考慮しつつ、資産の保護に必要不可欠な範囲を定
めた。山体の緩衝地帯については富士山を周辺ないし構成資産
から展望した際、資産範囲を含め良好な景観を形成する範囲を
基準としている。この範囲の中には演習場を挟んで、三保松原
以外のすべての構成資産が含まれる。緩衝地帯において行われ
る建築物及び工作物の新築・増築・改築、土地の形質変更等に
係る行為、木竹の伐採については、許可制や届出制に基づく規
制を設けており、これらの行為に関する重要な事項については
、特に関係各市町村の景観審議会等による調査、審議に基づき
、関係市町村が事前に適切な指導や助言を行うこととしている
。なお、緩衝地帯設定の考え方や、行為規制等の詳細について
は、本推薦書の付属資料及び別添参考資料を参照されたい。緩
衝地帯は大きく3つの方法により保護措置が講じられている。
一番目は自然公園法(山梨県のほぼ全域)、二番目は景観法に
基づく各市町村の景観条例及び景観計画(静岡県富士市・富士
宮市ほ58か)、三番目が各市町村独自の景観条例や土地利用
事業指導要綱(山梨県富士吉田市の一部・静岡県裾野市・御殿
場市・小山町)である。三番目の地域に関しては将来的に二番
目の保護措置に移行する予定である。なお、三保松原などいく
つかの資産においては、資産範囲が文化財としての登録範囲よ
りも狭く設定されているため、緩衝地帯の一部は文化財保護法
により保護されている。これらの地域では適用する法令等に違
いはあるが、緩衝地帯において行われる建築物・工作物の新築
、増築、改築、土地の形質変更等に係る行為については、許可
制ないし承認制・届出制に基づく規制が定められ、資産の周辺
環境の万全な保護措置が講じられている。緩衝地帯に適用され
る諸法令等の概略法令名対象地区規制内容許認可文化財保護法
三保松原(一部)現状変更文化庁長官の許可自然公園法(国立
公園)山体・静岡県・山梨県工作物の新築等、ごみ捨て又は放
置、木竹の採取、土石の採取、車馬の乗り入れ等環境大臣の許
可(特別地域)、届出(普通地域)自然公園法(県立自然公園
)県立自然公園条例三保松原(一部)工作物の新築等、ごみ捨
て又は放置、木竹の採取、土石の採取、車馬の乗り入れ等県知
事の許可(特別地域)、命令景観条例及び景観計画(景観法に
基づく)富士市・富士宮市静岡市・忍野村・山中湖村・富士河
口湖町建築物の新築等、工作物の新設等、開発行為、土石の採
取・堆積等(高さ・色彩・形状を規制)市町村長への届出勧告
、指導・要請(問題があった場合)景観条例(自主条例)富士
吉田市建築の新築等市長への届出勧告、助言・指導土地利用事
業指導要綱裾野市・御殿場市・小山町土地利用事業市長・町長
の承認森林法(保安林指定施業用件)保安林(土砂流出防備保
安林)(保健保安林)(水源涵養保安林)立木の伐採(原則択
抜※水源涵養保安林除く)県知事の許可砂防法(静岡県砂防指
定地管理条例)砂防指定地(富士宮市等)施設又は工作物の新
築等、竹木の伐採等、土地の形状変更、土石の採取・集積又は
投棄等県知事の許可海岸法三保松原(海岸の水際線から50m
の範囲)土石の採取、施設等の新設、土地の掘削等海岸管理者
(静岡県河川砂防管理室)の許可県有林管理計画山梨県県有林
なし(水土保全林)(森林と人との共生林)立木の伐採皆伐〜
禁伐59(資源の循環利用林)なお、緩衝地帯の外側に広がる
市街地のうち富士山の主要な眺望(北側では河口湖・山中湖北
部から眺望した富士山、南側では三保松原から眺望した富士山
)に若干の影響を及ぼす範囲については、日本政府が自主的に
保護する範囲として「保全管理区域」を設定している。F資産
に影響する可能性がある個別の開発計画企業立地促進法に基づ
く静岡県東部地域基本計画(静岡県及び14市町)2009年
2月策定市町村森林整備計画(富士宮市・富士市・裾野市・御
殿場市・小山町)2006年4月策定e)資産の保存管理計画
又はその他の保存管理体制構成資産のうち、史跡又は特別名勝
・名勝、特別天然記念物・天然記念物に指定されている土地及
びその範囲に立つ建造物(重要文化財含む)については、19
19年に制定された史蹟名勝天然紀念物保存法及び1950年
以降においては文化財保護法に基づく段階的な指定により保護
措置がとられ、史跡等の管理団体である各市町村と静岡県・山
梨県が個別に保存管理計画を策定して適正な保存管理に当たっ
ている。さらに、2011年には、資産を構成する重要文化財
、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物に
ついて、静岡県・山梨県が文化庁、所有者である宗教法人・個
人、史跡等の管理団体である各市町村との調整の下に構成資産
の全体を対象とする包括的保存管理計画を策定し、保存管理全
体の整合を図る予定である。上記した各構成資産の保存管理計
画の概要と資産全体を対象とする包括的保存管理計画の全文に
ついては、本推薦書付属資料−として添付している。1)保存
管理計画各構成資産の保存計画の策定状況については、本推薦
書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理計画書に示すとお
りである。特に静岡県・山梨県教育委員会は、文化庁及び関係
各市町村の教育委員会との十分な調整の下に『世界遺産富士山
包括的保存管理計画』を策定し、資産の全体を視野に入れた総
括的な保存管理を行う予定である。包括的保存管理計画に定め
る基本方針は、次の5点である(別添参考資料)。(1)構成
資産の適切な保存管理(2)周辺環境を含めた一体的な保全(
3)経過観察の実施(4)整備・公開・活用推進(5)保存管
理体制の整備と運営包括的保存管理計画に定めた上記の基本方
針に基づき、管理団体である県・市町村が個々の重要文化財、
史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保
存管理計画を利用し、具体的で適切な保存管理に当たる予定で
ある。これらの保存管理計画を要約したものについては、付属
資料に示すとおりである(別添参考資料)。「富士山」を総体
として保全するためには、構成資産のみならず緩衝地帯をも含
め、資産に影響を及ぼす人工物などを適切に制御していく必要
がある。そのため、構成資産の本質的な価値に負の影響を与え
る可能性のある人工物や開発については、たとえそれが緩衝地
帯におけるものであってもできる限り抑制することとし、やむ
を得ず設置する場合であっても、最小限の数量・規模とすると
ともに、色彩等の観点から景観にも十分配慮するよう関係者へ
の理解と協力を求める予定である。なお、既存の鉄柱・看板・
広告塔など構成資産に影響を及ぼすものについては、撤去また
は修景に努め、公益上必要と考えられる施設については、現状
の利用状況を尊重しつつ、将来的に撤去又は移転等について検
討するとともに、当面の間、資産に対する影響の軽減を図るこ
ととする予定である。図保存管理計画の構造図「富士山」包括
的保存管理計画62各構成資産の都市計画保存管理計画等観光
計画(山梨県・静岡県・各市町村)整備計画等632)保存管
理体制包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づき、
静岡県・山梨県と関係市町村は、広範囲にわたる富士山の構成
資産及び緩衝地帯を包括的保存管理計画に基づき統一的に管理
するため「富士山世界遺産両県協議会」(以下「両県協議会」
という。仮称)及びその支部組織である「静岡県世界遺産協議
会」・「山梨県世界遺産協議会」(以下両者をまとめて「各県
協議会」という。仮称)を設置し、各構成資産を成す重要文化
財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物
の保存管理計画を共通の基準に基づき確実に実行する予定であ
る。両県協議会及び各県協議会は、資産及びその周辺地域にお
いて、国・静岡県・山梨県・関係市町村等・民間団体等が実施
する予定の事業等についての情報を総合的に把握し、それぞれ
の事業が、資産の保存管理に負の影響を及ぼすことなく、適切
に実施されるように関係各機関の連絡・調整を行う。両県協議
会・各県協議会における調整結果に基づき、静岡県・山梨県及
び関係市町村は、民間事業者等に対して権限に基づく適切な指
導や助言を行うこととする予定である。また、両県協議会には
国関係機関(文化庁・環境省・国土交通省・防衛省・林野庁)
、国内の大学及びイコモス会員等の研究者・専門家が参加し、
学術的な観点からの助言を行う予定である。各県協議会の下に
は、各県庁内の実務担当者レベルの調整組織として、静岡県(
山梨県)庁内連絡会議を設置するとともに、各市町村担当者や
民間業者(観光協会、登山組合、神社関係者)などの代表者と
の調整組織として静岡県(山梨県)保存管理協力者会議を設置
し、十分な連携を図る予定である。さらに、静岡県・山梨県文
化財保護審議会をはじめ各市町村文化財調査委員会は指定文化
財及び文化財全体に関する事項を審議し、それぞれ、静岡県・
山梨県教育委員会及び直接的な構成資産の管理を行う各市町村
教育委員会に対して建議を行っている。これらの組織の運営は
静岡県・山梨県の世界遺産推進課が行い、専門の職員名により
業務が行われる。また、富士山文化課世界遺産推進係を設置し
た富士宮市教育委員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田市
をはじめ、各市や市町村教育委員会においても構成資産の保存
管理を担当する専門の職員を定めている。これらの組織体制に
ついては、さらなる充実化に努める予定である。なお、上記の
体制については現在登録準備のために設置され、実質的に機能
している組織を改変・名称変更・役割変更するものであり、そ
の運営に関して問題は生じない。図「富士山」に係る保存管理
の組織体制図(仮案・今後変更の可能性大)64富士山世界遺
産両県協議会(構成)静岡県、山梨県、関係市町村学識経験者
等国関係機関(文化庁、環境省、国土交通省、防衛省、林野庁
)f)財源及び財政的水準各構成資産の管理については、それ
ぞれの所有者又は管理団体が行っている。特に「記念工作物」
、「建造物群」の修理を行う場合には、小修理その他特別な場
合を除いて国が必要に応じて経費の50開発事業者、地域住民
、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県世界遺産協議会(委員)
行政:静岡県、関係市町(委員)行政:山梨県、関係市町村等
民間:観光協会、登山組合、神社関係者等民間:観光協会、山
小屋組合、静岡県保存管理協力者会議(委員)関係市町(企画
・都市計画・文化財担当)観光関係者、登山組合、神社関係者
等神社、関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県庁内連絡会議(委
員)関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者会議(委
員)関係市町村(企画、都市計画、文化財担当)観光関係者、
山小屋組合、神社関係者等65〜85%の補助金を交付してい
る。「遺跡」である史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物
又は天然記念物において発掘調査・修理・整備の事業を行う場
合にも、国が必要に応じて経費の50%の補助金を交付してい
る。これらの国の補助金に併せて、静岡県・山梨県は国の補助
金相当額を控除した額の50%に相当する額以内の補助金を交
付し、構成資産所在の市町村が同内容の補助金を交付する予定
である。また、重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天
然記念物又は天然記念物において、それぞれ防災施設等を設置
する事業についても、同様の比率の下に経費の補助を行うこと
としている。なお、上記の補助金とは別に、2006年より構
成資産の整備活用及び保護に関する教育プログラムのための基
金を設けており(「富士山基金」)、基金には国内の経済界を
中心に民間からの資金提供も行われている。g)保全及び保存
管理の技術における専門的知識及び研修構成資産の保存管理に
ついては、所有者(宗教法人を含む)をはじめ、静岡県・山梨
県教育委員会及び各史跡等の管理団体に指定された各市町村教
育委員会が実施している。静岡県・山梨県教育委員会とその関
連機関である財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所及び山梨県
埋蔵文化センターでは、それぞれの組織内に文化財の高度な保
存・管理技術を持つ専門職員及び技術者を配置し、管理団体で
ある各市町村が行う保存管理に対して適切な技術的支援を行っ
ている。また、独立行政法人国立文化財機構は、全国の史跡等
における整備活用事業の円滑な推進と専門職員及び技術者の技
術や能力の向上のために、地方公共団体の専門職員を対象とし
て定期的に研修を開催しており、静岡県・山梨県をはじめ関係
各市町村の職員も当該研修等に積極的に参加して、資産の整備
活用の技術向上に努める予定である。さらに、独立行政法人国
立文化財機構(201年度より国内の大学の研究者及びイコモ
ス会員を含む富士山世界遺産両県協議会の助言者及び両県協議
会も含まれる予定である)の助言・指導に基づいて行われてい
る保存・管理技術は、高い水準を維持する予定である。重要文
化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念
物を維持するための措置として簡単な修理又は復旧を行う場合
は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術的指導を行って
いるため、管理技術の水準はきわめて高く保たれている。資産
の見回りや清掃等の日常的な維持管理については、静岡県・山
梨県教育委員会から嘱託された文化財保護指導員(静岡県3名
、山梨県2名:構成資産の所在地区を担当する人数)のほか、
地域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている
。表技術者の資質向上のために行われているおもな研修h)来
訪者の施設と統計構成資産の大部分は、周囲に展開する景勝地
とともに日本を代表する優れた名所として国内のみならず海外
に広く知られており、夏季の登山をはじめとして四季折々の自
然の姿を求めて来訪する観光客でにぎわい、現在も国内有数の
観光地となっている。図富士山への登山者数の推移(各登山口
推計登山者数)静岡県山梨県富士宮口御殿場口須走口県計吉田
口合計図富士山への来訪者数の推移(7・8月における各登山
口五合目への入れ込み数推計)66図主な構成資産の来訪者数
の推移(推計等)富士山では、山頂へ7〜8月の登山期に約2
9万人(1999〜2009年平均)が登山し、自動車でアク
セス可能な各登山道の「五合目」(自動車道建設以前の五合目
とは一致しないため「新五合目」と呼ばれる)には、同期間に
約250万人(1999〜2009年平均)が訪れ、近年は外
国人がかなりの数を占めるようになっている(外国人の数に関
する統計は取られていないため、正確な数値は不明である)。
富士山体においては、国内外から来訪する観光客や登山者等の
利用者の安全と利便を確保するとともに、秩序ある良好な風致
景観を維持及び形成することを目的として、「富士山における
標識類静岡県山梨県合計富士宮口御殿場口須走口県計吉田口(
年間)富士吉田・河口本栖湖・精進湖・山中湖・忍野八三保松
原浅間大社白糸ノ滝湖・三つ峠周辺西湖周辺海周辺総合ガイド
ライン」作成し、統一されたデザインによる四ヶ国語(英・中
・韓及び日)の道標や解説板を設置しているほか、富士山体の
主として緩衝地帯には駐車場・トイレ・資料館等の便益施設が
整備されている。今後とも、適切な計画の下に順次整備してい
くこととしており、「ビジターセンター」などのガイダンス施
設の充実も行われる予定である。自動車による訪問者の管理に
ついては、土日や休日等登山者が突出して増加する日に、仮設
トイレ・臨時駐車場等を設置するとともに、登山用の自動車道
は自家用車の通行(登山道ごとに異なる、最も利用数の多い吉
田口(富士スバルラインを利用)で最大12日間)を規制しシ
ャトルバスによる代替輸送を行うことで環境への負荷と混雑を
軽減するようにしている。この日数は山麓の駐車場の整備に従
い(2011年に吉田口に1400台の駐車場を整備)今後拡
大(吉田口で15日)する予定である。登山者の安全管理につ
いては、4箇所の案内施設(山頂、富士宮口、吉田口、富士ス
バルライン終点)と3箇所の救護センター(富士宮口に1箇所
、吉田口に2箇所)が対応を行っている。南麓では静岡県によ
って30名の「富士登山ナビゲーター」が登山指導・案内・通
訳業務を行っており、北麓では富士吉田市条例によって、登山
下山の案内を行う約230名のガイドが「富士吉田市案内員組
合」に登録している。さらに吉田口の山小屋では、民間の気象
予報会社と連携し山岳気象情報を共有している。事故に対して
は県警察山岳救助隊及び消防本部や市町村消防署が対応し、場
合により自衛隊の出動も要請する。また、気象条件が一般の登
山を行うには危険となる冬季は登山道・山小屋を閉鎖(山梨県
側は10月初旬、静岡県側は11月末より翌年7月初旬)する
ことにより十分な装備と経験を有する者以外の登山は不可能で
ある。冬山登山者は各登山口所轄警察署(御殿場署・富士宮署
・富士吉田署)に登山計画書の提出を推奨されている(また、
おおむね11月末〜4月末まで静岡県側の登山用自動車道は閉
鎖され、山梨県側も積雪・凍結等の状況に応じて段階的に閉鎖
される。)山体以外の構成資産については、おおむね来訪者数
に応じた駐車場・トイレ等を整備しており、今後、これらをさ
らに整備する予定が立てられている。i)資産の整備・活用に
関する方針・計画静岡県・山梨県では、構成資産及びその周辺
を対象とした保存管理に関する事業計画を定め、地域住民によ
る活用の取組をも取り込んで計画的に実施している。こうした
諸計画に基づき、富士山地域の歴史的背景を展示する「富士吉
田市歴史民俗博物館」「裾野市立富士山資料館」「富士市立博
物館」の活用や、富士山に係る包括的な保存・管理や利用者ニ
ーズに適切に対応する拠点の整備を検討するなど富士山の適切
な保全・管理・活用を図っていく。加えて、富士山についての
市民向け講座の開催をはじめ、児童・生徒を対象とした体験学
習などの情報発信施策が定期的に実施されている。個別の資産
については、「遺跡」である特別名勝又は名勝、天然記念物、
史跡をはじめ「記念工作物」・「建造物群」である重要文化財
に指定されている建造物については、一部を除き所有者・管理
団体が年間を通じて一般に公開している。なお、登山について
は、登山期間(基本的に7月1日〜8月31日)が公開時期に
当たる。この時期以外の登山も禁止されてはいないが、道路・
山小屋等の閉鎖、および冬季の気象条件などにより専門家以外
の登山は困難である。j)専門分野・技術・管理に関する人的
措置68静岡県・山梨県教育委員会の委嘱を受けた文化財保護
指導員(以下、「指導員」という。)が定期的に文化財を巡回
・点検し、両県教育委員会に対して保護に関する助言を行って
いる。静岡県・山梨県は、指導員の調査報告に基づき、所有者
や関係市町村に対して文化財の保存管理に関する指導を行って
いる。このように、将来的に良好な状態の下に資産を維持して
いくための体制についても万全を期している。6.経過観察(
モニタリング)の体制a)保存状況を計測するための主たる指
標構成資産である「遺跡」・「記念工作物」・「建造物群」を
はじめ、それらの緩衝地帯については、顕著な普遍的価値の確
実な保持、修理又は復旧、維持管理、防災及び危機管理に関す
る体制の充実及び技術の向上を目的として、4章に掲げた保全
状況及び資産全体に与える影響に対し、次に掲げる主な観点の
下に適切な指標を設定し、定期的かつ体系的な経過観察(モニ
タリング)を実施する予定である。@「3.記載のための価値
証明」に記された資産の価値と真実性及び完全性が維持されて
いるか。A「4.保全状況と資産に与える影響」に記された諸
要素(開発・環境問題・自然災害・観光・その他)が資産とそ
の緩衝地帯にどのような影響を与えているか/与えたか。B「
5.資産の保護と管理」に関連して、資産とその緩衝地帯及び
それらを取り巻く周辺の広い地域が、相互に呼応しつつ資産の
顕著な普遍的価値に関する知識を発信する場として適切な発展
を遂げているか。設定するおもな観察指標については、以下の
表に示すとおりである(予定)。表観察指標一覧表※斜字は富
士山を守る指標(2010年度改定予定)から指標周期記録組
織(1)資産の視覚的結a)視点場における景観阻害要因数毎
年両県びつきの保護b)電線の地中化延長毎年両県a)富士山
環境教育開催数・参加者数毎年両県b)パンフレット・HPに
よる情報提供数毎年両県c)主要地点での観光客の入込み数毎
年両県d)登山者数(5合目以上)毎年市町村e)登山者数(
8合目以上)毎年環境省(2)資産の関連性の保護f)森林伐
採面積(森林の整備形態?)毎年両県a)文化財保護法におけ
る現状変更の数毎年両県b)自然公園法における許可行為の数
毎年両県・環境省c)生活排水クリーン処理数毎年両県(3)
個別資産の保護d)富士山5合目以上のごみ収集量毎年両県a
)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省b)ゴル
フ場面積毎年両県(4)緩衝地帯の保護c)森林伐採面積(森
林の整備形態?)毎年両県69d)廃棄物の不法投棄量毎年両
県なお、上記指標の具体的な設定根拠及び測定方法等に関する
内容の詳細については、本推薦書参考資料である包括的保存管
理計画において具体的に記述している。b)資産の経過観察(
モニタリング)のための行政上の体制定期的報告を含む経過観
察(モニタリング)については、以下の表に示すように管理団
体である山梨県及び関係各市町村が、静岡県・山梨県教育委員
会を通じて文化庁の指導の下に行う。『世界遺産条約履行のた
めの作業指針』(2008年)第5章に基づき、年度ごとに情
報収集及び記録作成を行い、蓄積した成果について6年ごとに
保存管理状況の評価としてまとめ、世界遺産センターを通じて
世界遺産委員会に定期報告書(英文)を提出する。モニタリン
グ体制分担管轄域担当組織1.担当組織及び担当課名資産及び
緩衝地帯2.監督組織資産及び緩衝地帯組織名称:文化庁組織
代表者氏名:文化庁長官担当課及び担当責任者氏名:記念物課
課長3.指導組織資産及び緩衝地帯組織名称:静岡県教育委員
会:山梨県教育委員会組織代表者氏名:静岡県教育長:山梨県
教育長担当課及び担当責任者氏名:静岡県世界遺産推進課課長
:山梨県世界遺産推進課課長c)以前の保全状況報告の成果経
過観察(モニタリング)に必要とされる諸事項に関し、現時点
及び過去における資料・情報については、静岡県・山梨県・及
び資産の所在する市町の下に適切に収集・保管されている。そ
れらの一覧表については、以下のとおりである。表(過去に経
過観察のために実施した過去の資料・情報)番号編著者標題対
象資産年要約707.資料a)写真・スライド・画像一覧表N
oフォーマット標題撮影年月撮影者・編集者著作権保持者著作
権者連絡先非独占的権利譲渡b)保護のための指定に関する文
書などc)資産関連資料d)資産管理機関住所e)参考文献8
.連絡先a)申請書作成者連絡先b)管理組織・官庁c)その
他の組織d)公式ウェブサイト9.署名構成資産の分析(1)
番号構成資産候補名所在市町村文化財指定状況保存管理計画策
定状況H21.10.30学術委員会評価分析結果備考富士山
両県未着手分析結果A:富士山の価値を証明するのに必須の資
産C:富士山の価値を証明するのに不可欠ではない資産平成2
1年10月30日の各県学術委員会(両県合同開催)での評価
A:顕著な普遍的価値を有する資産B:顕著な普遍的価値につ
いてさらに調査等が必要な資産C:顕著な普遍的価値を有しな
い可能性がある資産保留:評価を保留平成22年度第1回静岡
県学術委員会・第2回山梨県学術委員会資料3世界文化遺産富
士山包括的保存管理計画原案−1−世界文化遺産富士山包括的
保存管理計画原案目次第1章目的と経緯1目的2計画策定の経
緯(1)各県における検討の経緯(2)学術委員会・保存管理
計画検討部会組織3計画の位置付け(1)行政計画との関連・
連携(2)計画の実施第2章構成資産の概要1構成資産の一覧
2資産及び緩衝地帯等の範囲3構成資産の概要(1)富士山山
体及び登山道A富士山A1山頂信仰遺跡A2大宮・村山口登山
道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道A6北
口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2)信仰
B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B
4須山浅間神社B5冨士浅間神社B6河口浅間神社B7冨士御
室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八
海B12船津胎内樹型−2−B13吉田胎内樹型B14人穴富
士講遺跡(人穴浅間神社)B15白糸ノ滝(3)眺望C1三保
松原第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環
境等を構成する諸要素(1)顕著な普遍的価値を構成する諸要
素@富士山山体及び登山道A信仰B眺望(2)顕著な普遍的価
値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自然地形A森林、
植栽樹木B社寺の境内に含まれる歴史的な建造物及び工作物等
以外の建築物及び工作物C道路とその関連施設(3)周辺環境
を構成する諸要素@自然的要素A歴史的要素B人文的要素2保
存管理の基本方針(1)構成資産の適切な保存管理(2)周辺
環境を含めた一体的な保全(3)経過観察の実施(4)整備・
公開・活用推進(5)保存管理体制の整備と運営第4章構成資
産の保存管理1現状の把握(1)富士山山体及び登山道(2)
信仰(3)眺望2保存管理の基本的な考え方(1)現状変更の
制限についての考え方(2)地区区分についての考え方(3)
指定地に関わる諸法令について3具体的な施策(1)第1種保
護地区(2)第2種保護地区(3)三保松原−3−第5章緩衝
士山の秀麗な姿は古くから芸術活動の対象となり、その結果生
み出された「万葉集」の和歌などの文学作品や「浮世絵」など
の秀麗で独自の絵画作品は、日本国内のみならず海外にも広く
知られ、様々な影響を与えてきた。それらの作品群は、地球上
の特定の地域において独自の文化的伝統が形成・発展するのに
当たり、富士山が重要な源泉となった極めて強力な関連性であ
ることを示している。このような価値をもつ「富士山」の構成
資産は、山梨県と静岡県の二県にまたがって分布している。こ
れら一連の構成資産を世界文化遺産「富士山」の総体として確
実に保存し、確実に次世代へと継承するためには、両県共通の
考え方を基に、各構成資産全体を一つの資産として包括的に保
存管理していくための方法を整理していく必要があることから
、個別の構成資産についての保存管理計画に加え、構成資産相
互の関係性を保全し全体の価値を継承していくための包括的な
保存管理計画を策定しておくことが必要である。そのため、山
梨県・静岡県は、文化庁・環境省の指導・助言の下に関係市町
村、関係各機関等と調整を図り、本計画を策定した。「富士山
」包括的保存管理計画−5−各構成資産の都市計画保存管理計
画等観光計画(環境省・山梨県・静岡県・各市町村)整備計画
等図包括的保存管理計画の体系2計画策定の経緯富士山包括的
保存管理計画は、構成資産に係る個別の保存管理計画を基礎と
し、世界遺産の推薦に当たって必要とされる保存管理及び整備
に係る理念・基本方針とその具体的内容について明示するため
、学術研究者等により構成される山梨県・静岡県学術委員会及
び二県学術委員による審議を経て策定されたものである。学識
経験者等により構成する各県学術委員会のもとに、保存管理計
画の原案を検討する保存管理計画検討部会を設置した。原案を
検討するにあたり、県庁内の関係部署との連携や共通認識を得
るため、それぞれ「山梨県保存管理計画検討プロジェクトチー
ム」(表)及び「静岡県保存管理計画検討庁内連絡会議」(表
)を設置し、連携・確認を行った。また、富士山の効果的かつ
確実な保存管理を行うためには、地元関係者など幅広い方々の
協力・助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・
観光関係者・神社関係者などで構成する「山梨県保存管理計画
策定協力者会議」及び「静岡県保存管理計画協力者部会」を設
置し、連携を図った。さらに、二県学術委員会のもとに設置し
た「包括的保存管理計画検討部会」における検討とあわせ、文
化庁の指導・助言の下、201■年■月に策定した。(1)各
県における検討の経緯両県の経緯(包括的保存管理計画検討部
会と学術委員会)2007年11月29日平成19年第1回包
括的保存管理計画検討部会・包括保存管理計画の必要性・国内
の世界遺産における包括的保存管理計画の事例2007年12
月26日平成19年第2回包括的保存管理計画検討部会・目的
と経緯・構成資産の概要・保存管理の包括的な基本方針200
8年3月17日平成19年度第2回学術委員会・包括的保存管
理計画検討部会の審議結果2008年6月19日平成20年度
第1回包括的保存管理計画検討部会−6−・包括的保存管理計
画の役割・構成要素と本質的価値の明確化2009年5月20
日平成21年度第1回包括的保存管理計画検討部会・各資産候
補の概要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理区域につい
て2010年3月19日平成21年度第2回学術委員会・保存
管理計画の考え方について山梨県の経緯2007年8月31日
平成19年第1回山梨県保存管理計画検討部会・保存管理計画
の事例2007年12月9日現地調査2008年1月31日平
成19年度第2回山梨県保存管理計画検討部会・包括的保存管
理計画検討部会の審議結果・山梨県保存管理計画の基本方針2
008年2月21日平成19年度第3回山梨県・静岡県学術委
員会・各県保存管理計画検討部会の審議結果2008年4月1
6、17日現地調査2008年5月1日平成20年度山梨県保
存管理計画策定ワーキング・山梨県保存管理計画の策定につい
て2008年6月10日現地調査2008年6月30日現地調
査2008年7月22日平成20年度第1回山梨県保存管理計
画検討部会・構成要素と本質的価値の明確化・保存管理の方法
と考え方2009年4月24日平成21年度第1回山梨県保存
管理計画策定協力者会議・富士山の世界文化遺産登録の現状に
ついて・山梨県保存管理計画策定協力者会議について2009
年6月19日平成21年度第1回山梨県保存管理計画検討部会
・各資産候補の概要について・構成資産、緩衝地帯、保存管理
区域について2009年8月26日平成21年度山梨県保存管
理計画策定ワーキング・富士山世界文化遺産登録への取組状況
について・山梨県保存管理計画の策定について2010年3月
16日平成21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管
理計画の考え方について2010年6月30日平成22年度第
1回山梨県保存管理計画検討部会静岡県の経緯2007年7月
5日平成19年度第1回静岡県保存管理計画検討部会・保存管
理計画について−7−2008年1月23日現地調査2008
年1月30日平成19年度第2回静岡県保存管理計画検討部会
・包括的保存管理計画検討部会の審議結果・静岡県保存管理計
画について2008年2月21日平成19年度第3回山梨県・
静岡県学術委員会・各県保存管理計画検討部会の審議結果20
08年7月16日平成20年度第1回静岡県保存管理計画検討
部会・包括的保存管理計画検討部会の報告・静岡県保存管理計
画について2008年9月9日平成20年度静岡県保存管理計
画検討部会第1回庁内連絡会議・富士山の世界文化遺産登録推
進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について200
9年2月12日現地調査2009年6月1日平成21年度第1
回静岡県保存管理計画策定協力者部会・富士山の世界文化遺産
登録推進の取組について・静岡県保存管理計画の策定について
2009年6月17日平成21年度第1回静岡県保存管理計画
検討部会・静岡県保存管理計画の策定について・富士山の緩衝
地帯に関する考え方2009年7月13日平成21年度静岡県
保存管理計画検討部会第1回庁内連絡会議2009年10月2
9日平成21年度静岡県保存管理計画検討部会第2回庁内連絡
会議2009年11月25日平成21年度第2回静岡県保存管
理計画策定協力者部会2010年1月29日平成21年度第3
回静岡県保存管理計画策定協力者部会2010年3月16日平
成21年度第3回山梨県・静岡県学術委員会・保存管理計画の
考え方について2010年6月30日平成22年度第1回静岡
県保存管理計画検討部会(2)学術委員会・保存管理計画検討
部会組織学術委員会及び保存管理計画検討部会の組織は図に示
すとおりである。また、その構成は表〜のとおりである。(1
)行政計画との関連・連携構成資産及び緩衝地帯を有する山梨
県・静岡県及び関係市町村では、まちづくり、観光、防災など
に関する各種計画を策定し、実施している。これらの計画は、
包括的保存管理計画と密接に関連し、日常的に連携を図りつつ
実施されている。表包括的保存管理計画に関連する計画(山梨
県)計画名称策定年等F資産に影響する可能性がある個別の開
発計画大規模集客施設等の立地に関する方針(山梨県)201
0年1月ゴルフ場造成に事業に関する今後の取扱いについて(
山梨県)1993年10月−17−明神峠自然環境保全地域保
全計画昭和50年策定静岡県森林共生基本計画平成19年3月
策定富士地域森林計画書平成18年4月策定F資産に影響する
可能性がある個別の開発計画企業立地促進法に基づく静岡県東
部地域基本計画(静岡県及び14市町)平成21年2月策定市
町村森林整備計画平成18年4月策定−18−(富士宮市・富
士市・裾野市・御殿場市・小山町)(2)計画の実施今回提出
する富士山包括的保存管理計画は、20年月から既に実施され
機能されているものである。−19−第2章構成資産の概要1
構成資産の一覧世界遺産「富士山」の構成資産の種別、位置、
面積、緩衝地帯の面積、所在地については、以下の表に示すと
おりである。表構成資産の一覧大種別分類小分類構成資産世界
遺産条約文化財保護法自然公園法所在地位置資産面積(ha)
緩衝地帯面積(ha)A富士山(山体)(御中道含む)遺跡特
別名勝史跡山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り)遺跡特別名勝史跡
A2大宮・村山口登山道遺跡特別名勝史跡A3須山口登山道遺
跡特別名勝史跡A4須走口登山道遺跡特別名勝史跡A5吉田口
登山道遺跡特別名勝史跡静岡県(富士宮市、裾野市、御殿場市
、小山町)山梨県(富士吉田市、身延町、鳴沢村、富士河口湖
町)県境未確定地″A6北口本宮冨士浅間神社遺跡建造物記念
工作物特別名勝史跡重要文化財A7西湖遺跡名勝A8精進湖遺
跡名勝A9本栖湖遺跡名勝BB1富士山本宮浅間大社遺跡建造
物記念工作物重文静岡県富士宮市B14人穴富士講遺跡遺跡市
史跡静岡県富士宮市NEB15白糸ノ滝遺跡名勝・天然記念物
静岡県富士宮市NEC三保松原文化的景観遺跡静岡県静岡市N
E2資産及び緩衝地帯等の範囲「富士山」の顕著な普遍的価値
を表す構成資産の保護を確実にし、各構成資産における富士山
体への良好な眺望を保証するために、個々の構成資産の周囲に
必要十分な範囲の緩衝地帯を設定する。さらに、個々の構成資
産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保
証するために、緩衝地帯を含め、広く保全管理区域を設定する
。構成資産の位置及びその周辺地域である緩衝地帯、保全管理
区域の範囲については、図に示すとおりである。図「富士山」
の範囲(構成資産・緩衝地帯)富士山山体の範囲については、
現在特別名勝富士山に指定されている区域だけでなく、その周
辺部にあたる標高約1,500m付近までとした。この範囲に
おいて、特別名勝の区域は文化財保護法で保護され、特別名勝
指定地外から標高1,500mの区域については自然公園法と
森林法で保護されている。緩衝地帯との境については林班によ
り線引きを行い、県道などの人工物の改修工事等への影響が軽
減するよう配慮した。そして本栖湖、精進湖、西湖までを富士
山の山体として考え、範囲付けしたことは、展望地点から山頂
までを連続して保護するための措置である。緩衝地帯の範囲に
ついては、当初国道469号から県道72号にかけての富士山
側を計画していたが、国際専門家から飛び地の資産である、富
士山本宮浅間大社や山宮浅間神社を緩衝地帯に含めるべきだと
の指摘があり、市道を境に緩衝地帯を設定した。その際、富士
山本宮浅間大社からの富士山の眺望を確保するため、富士山に
向かって約36度の広がりで設定した。この範囲については、
文化財保護法以外の法律を適用し、自然公園法、森林法、景観
法で保護されている。保全管理区域の範囲については、三保松
原から富士山を眺望する際、その阻害要因を軽減させるために
、溶岩が流出した範囲を基本として設定した。そのため、静岡
県側においては、裾野市、御殿場市、小山町に流出している溶
岩流の範囲については、保全管理区域とはしていない。なお、
保全管理区域についても、森林法と景観法で保護されている。
富士山山体の東に位置する、演習場(北富士演習場・東富士演
習場)については、従前より大規模開発が予定されていないこ
とから、緩衝地帯同様に資産を緩衝することが可能な区域であ
ると言える。3構成資産の概要構成資産及び保存管理状況の概
要については、以下に記すとおりである。構成資産の詳細につ
いては、推薦書本文にて説明を行っている。保存管理状況等の
詳細については、構成資産毎に策定されている個別の保存管理
計画等において、それぞれ具体的内容を含めた説明を行ってい
る。なお、p18,19表のA〜Cは次のように分類し、整理
したものである。A富士山山体及び登山道B信仰に関わるもの
C富士山の眺望に関わるもの(1)富士山山体及び登山道A富
士山標高3776mを測る富士山は、日本を代表し、象徴する
日本最高峰の秀麗な独立火山である。その自然的な美しさと崇
高さを基盤として、日本人の自然に対する信仰のあり方や、日
本独自の芸術文化を育んだ名山でもある。富士山は山岳に対す
る信仰の在り方や芸術活動などを通じ、時代を超えて一国の文
化の諸相と極めて深い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証
であるのみならず、人間と自然との良好で継続的な関係を示す
景観の傑出した類型として、世界的にも類例を見ない顕著な普
遍的価値を持つ山である。世界文化遺産としての富士山とは、
富士山山体の内、標高約1500m以上の範囲である。この範
囲は、富士山周辺の主要な神社や景勝地から見た可視領域が重
なり合う範囲であるとともに、各登山道における山体の神聖性
に関する境界の一つである「馬返」の標高とほぼ一致する。な
お、「馬返」とは、乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも
不可能になる地点を示す。景観的には山体の傾斜角の変化率が
大きくなり「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線
が優美な曲線を描き、絵画などの対象とされることが多い範囲
である。写真上空から見た写真に資産範囲を線で示したもの(
推薦原案と同じもの)−21−−22−標高約2500m付近
の森林限界より上方は富士講信者には「焼山」と呼ばれ、神聖
な地域あるいは死後世界である「他界」と考えられていた。ま
た、登山道ごとに標高は異なるが、1779年以降、浅間大社
の境内地とされてきた八合目以上はより強い神聖性を持つとさ
れる。理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口である「内院
」の底部に浅間大神が鎮座するとの信仰に基づく。富士山頂へ
向かい、登山の歴史の中で開鑿された登山道が、現在の4本の
登山道の起源となっている。また、ほぼ森林限界に沿い、富士
山山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ごろ富士講の祖
とされる長谷川角行によって開かれたとされ、その後「大沢崩
れ」という危険箇所を通るため、富士講信者により修行の道と
して利用された。表法的保護、修理・整備の経緯1924年史
蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年国立公
園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年文化財保護
法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1969年国が大沢崩れ
に対する砂防事業に着手(継続中)1996年国・県が台風に
よる森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中)「御中道」
は、標高2,300m付近から2,800m付近の山腹を通り
、富士山の中腹部を時計回りに一周する約25kmの道である
。「御中道巡り」は、修験道の祖とされる役行者が始めたと伝
えられ、16世紀後半、富士講の基礎を築いた長谷川角行が行
ったことが記録されている。古くは定まった道もなく巡ったと
され、富士講が盛んになった江戸時代後期には一定の道が整備
された。富士山信仰の上では、山体西側の大沢崩れを渡るとい
う危険を伴う最大級の大行の道とされていた。富士登山3回以
上の経験を持ち、誓約書を御師に提出し、神への伺いをたてた
上でないと許可されないほど厳しいものであった。この御中道
の巡拝を無事終えると、その証である「御許し」を御師から受
けることができた。1816年の資料では年間100人以上が
御中道巡りを行っているが、1977年の転落事故で通行止め
となり、現在では一周することはできなくなっている。写真御
中道の写真A1山頂信仰遺跡(富士山本宮奥宮)富士山山頂部
の火口壁沿いに、いくつかの神社及び宗教関連施設が所在する
。富士山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け山
頂部において寺院の造営や仏像等の奉納がおこなわれるととも
に、山頂部での宗教行為が体系化されていった。登拝者は山頂
周辺において「御来光」を拝み、内院と呼称される噴火口に鎮
座すると言われる神仏を拝した。また、火口壁にいくつかある
ピークを仏教の曼荼羅における仏の世界に擬して巡拝する「お
鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行為を行なうことが一般
的であった。山頂の宗教的施設は、12世紀中ごろ、修行僧末
代により建立された大日寺(大日堂)が最初とされ、その後、
経典・懸仏・仏像等の山頂部への奉納・埋納や内院への散銭が
行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮・村山口山頂部
に大日堂が、吉田・須走口山頂部に薬師堂が造営された。この
様子は19世紀中ごろの絵図によって確認できる。1874年
、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によって撤去さ
れ、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変された。しか
し、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の行為
は現代の−23−登山者の多くが行っており、これらを通じて
富士信仰の核心が現代に受け継がれている。写真奥宮の写真表
法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が史蹟名勝天然
紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在地が国立公園
法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年所在地が文化
財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定2008年財団法
人静岡県埋蔵文化財調査研究所により現地調査が行われ、その
成果に基づき2010年に「史跡富士山保存管理計画」が策定
された2010年文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡
富士山として指定山頂の噴火口の周囲を一周し、頂上の各峰を
巡る行為は、古くから「お鉢巡り」と呼ばれ、現在も多くの人
々に受け継がれている。13世紀後半の資料には「いたゞきに
八葉の嶺あり」との記載があり、このころには山頂の峰々に信
仰的意義を見出していたことが伺える。16世紀前半には地元
為政者が「八要メサルヽ也」との記述も見られ、後に盛んにな
るお鉢巡りの古態と思われる習俗があったことが知られる。富
士講講中の多くは、頂上に着くと、時計回りに山頂を巡ってい
った。内院に賽銭を投じ、御来光を礼拝し、途中にあるいくつ
かの仏像や石碑を拝みながら、大日寺(現奥宮)の大日如来、
最高峰の剣ヶ峰、釈迦割石、霊泉とされた金明水などを巡礼し
た。写真お鉢めぐりの写真A2大宮・村山口登山道富士山南西
麓の浅間大社及び村山浅間神社を起点とし、山頂大日岳に至る
登山道である。12世紀前半、富士山で修行した末代上人の開
削した登山道が起源だとされ、14世紀初め、僧の頼尊が修験
者とその活動を組織化したことで、村山を基点とする登山が行
われていたことが推測できる。15世紀に入ると村山での宿坊
の存在が確認でき、同世紀前半には、地元支配者である今川氏
により発心門等の施設が寄進されたとの記録がある。今川氏は
1552年、村山を神聖な地と定め、村山三坊には山役銭の徴
収権を与えている。この権利は19世紀後半まで継続し、浅間
大社が登山道の管理に関わることはなかった。一方、16世紀
ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な儀式と位置づける
ことによって、浅間大社を経由した登拝を喧伝した。浅間大社
には16世紀前半に30余りの道者坊があったことが伝えられ
、同時期の絵図である「絹本著色富士曼荼羅図」には浅間大社
・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が描か
れている。道者坊はその後統合され、19世紀前半には5坊と
なった。また、1600年頃以降、地元支配者により、大宮を
経て村山口登山道を利用することが求められた。登山道中の宗
教施設は、17世紀初頭までに建設され、石室などの施設は主
に17世紀後半、興法寺から許可を受けた先達により建設され
たが、1707年の宝永噴火で登山道と共にことごとく破壊さ
れた。これらは再建されたが、その復興は須走口より遅かった
。主要な宗教施設としては発心門、中宮八幡堂、室大日などが
あった。登拝者は興法寺の檀所や浅間大社の道者場としていた
静岡県西部地方を含む西日本の人々が多かった。なお、153
2年以降不連続であるが、登拝者の記録が残され、その数は1
8世紀後半から19世紀初頭の道者坊の記録より、御縁年で2
,000人前後、平年で数百名程度と推測できる。1826年
の記録ではその数が減少し、村山の村落も衰退していたとの記
述もあるが、1860年、初の外国人登山となる英国公使オ−
24−ールコックは大宮を経由して村山に宿泊し、山頂をめざ
した。彼の記録では大鏡坊、中宮八幡堂の存在や登山道の様子
が確認できる。明治維新以降、女人登山の解禁もあり、登山者
は増加傾向を示すが、1889年、東海道線の開通による御殿
場口利用者の増加により衰退し、これへの対策として1906
年、村山を経由せず4km短縮された大宮新道(カケスバタ口
)が建設されたため、大宮から現六合目までの村山口登山道は
登山道としての機能を失い、その歴史を閉じた。現在は、林道
の建設に雨水による侵食も加わり、一部を除き登山道跡の推定
は困難な状態であり、道標、地蔵・不動明王像、建物跡などを
ある程度たどることができるのみである。写真大宮・村山口登
山道の写真A3須山口登山道富士山南東麓、須山浅間神社を起
点とし、山頂部浅間嶽(駒ケ嶽)に至る登山道である。その起
源は明確ではないが、1200年の資料には大宮・村山口、吉
田口、須山(珠山)口以外には登山道がないことが述べられて
いる。1486年の京都の僧による資料(廻国雑記)では、「
すはま口」の名が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須
山浅間神社及び12軒の御師を中心とした須山村により管理さ
れていた。ただし、銀明水の管理を巡り、須走村と争いになっ
た際は浅間大社の裁定を仰いでいる。登山道には宝永噴火前の
状況を描いた絵図で須山御胎内に附属する御胎内神社等の宗教
施設と山室がみられる。これらの施設及び登山道はその中腹よ
り噴火した宝永噴火により壊滅し、御縁年の1740年に復興
したが永続せず、1780年にようやく復興した。また、18
80年代の記録では御室浅間神社、中宮浅間社、御胎内等の宗
教施設と4箇所の石室があることが確認できる。中宮浅間社や
水呑浅間は村山修験の富士峯修行の行場としても使用された。
登拝者については詳しい研究が進んでいないが、西日本・東日
本両方からの登山者があったことが、宿帳及び案内立札の立地
から確認できる。登拝者数は御縁年に当たる1800年に約5
,400人、1840年代前半は年平均約1,700人、続く
1860年の御縁年には約3,600人であった。登拝者は神
仏分離令後も継続していたが、1883年、須山口二合八勺に
接続する御殿場口登山道が開鑿された。また、1889年に東
海道本線が開通し、御殿場口の利便性の向上により須山口から
の登拝者や登山者が減少することとなった。1912年には、
登山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため、須
山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っている。二合八勺
以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一部のみである。
また、1999年、地元住民により須山口下山歩道の名でかつ
ての登山道の一部が復興された。写真須山口登山道の写真A4
須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点とし、八合目で
吉田口登山道と合流して山頂久須志岳に至る登山道である。そ
の起源は明確ではないが、六合目からは1384年の銘のある
掛仏が出土している。文献からは「勝山記」の1500年6月
の項に、関東地方での戦乱を避け、吉田口を利用すべき登拝者
が須走口に集中したことが確認できる。遅くとも17世紀まで
に、冨士浅間神社及び須走村が登山道山頂部までを支配し、薬
師嶽(現久須志岳)における石室建設の独占、薬師堂の開帳・
入仏などを行った。また、内院および薬師堂の散銭取得権も浅
間大社に次ぐ権利を有していた。冨士浅間神社及び須走村は、
1703年と1772年の2回幕府に訴え、これらの権利につ
いて八合目以上の支配権を主張する浅間大社と争い、正式に権
利を認められた。−25−登山道の施設は1683年の資料等
で詳細が確認でき、大日堂、御室浅間神社、古御岳神社等の宗
教施設と共に、小屋・石室が山頂部まで設置されている。17
07年の宝永噴火では、これらの施設及び麓の浅間神社、須走
村は約3mの降砂に覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け
、翌年の登拝期までには復興を完了し、多くの登拝者を集めた
。18世紀半ばには800名前後に減少したとの資料があるが
、18世紀後半、相模の大山石尊や関本の道了尊とセットにさ
れた参詣の流行で登拝者数は増加し、年平均約1万人、180
0年の御縁年に23,700人とピークを迎えた。登拝者は関
東地方の富士講関係者が多く、東北地方からの登拝者も見られ
る。講によっては吉田口から登山し、砂道で下山に適した須走
口へ下山する形をとった。また、1831年、須走口山頂部に
宝経塔が作られたことにより、日蓮宗の信徒による登拝も増加
した。1889年の東海道線開通による御殿場口、および19
03年の中央線開通による吉田口の利便性の向上で、距離が長
い須走口は敬遠されるが、御殿場口の下山道として利用され続
けた。1909年より登山道の周囲に石垣を築き、1916年
には、八合目まで馬による登山が可能になった。八合目以上は
浅間大社境内地という理由で馬の利用は行われなかった。また
、1923年に皇太子(昭和天皇)の登山に利用されている。
1959年、バス道路(現ふじあざみライン)の完成により、
五合目以下の登山道の利用は減少し、一部登山道としての確認
ができない区間がある。写真須走口登山道の写真A5吉田口登
山道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す道で
ある。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけでなく、
ごく一般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世紀後半
には参詣の道者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登るた
めの設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷川
角行が吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講
隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって
信者の登山本道をこの吉田口と定めた。このため、富士講の信
者が次第に増加した18世紀後半以降は、年間数万人を数える
富士講の道者が登拝したとされる。1964年に富士山有料道
路が開通した後は、ほとんどの登山者が新五合目(小御岳)を
起点として登るようになったため、五合目以下の道を利用する
登山者は激減したが、六合目以上については、現在残る登山道
の中で最も多くの道者(外の登山口の合計と同程度)が吉田口
登山道を上って山頂を目指している。しかも、古道としては唯
一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道である。写真吉田口登
山道の写真表法的保護、修理・整備の経緯1924年所在地が
史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に仮指定1936年所在
地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1952年
所在地が文化財保護法の下に名勝、ついで特別名勝に指定19
78年「特別名勝富士山保存管理計画」策定(1999年、2
006年改訂)1996年歴史の道整備活用事業により馬返〜
1合目区間を発掘調査・整備1999年「特別名勝富士山保存
管理計画」を改訂2006年「特別名勝富士山保存管理計画」
を改訂2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに登山
道の一部を史跡富士山として指定−26−2011年「史跡富
士山保存管理計画」を策定(予定)A6北口本宮冨士浅間神社
富士山北麓、吉田口登山道の起点に位置し、祭神として木花開
花姫命、天津彦彦火瓊瓊杵命、大山祇命を祀る神社である。富
士山の遙拝所に祀られていた浅間明神(富士山の荒ぶる神)を
起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16
世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていたとされる。当神社は
領主からの崇敬が厚く、境内に現存する3つの社殿は、156
1年、1594年、1615年にそれぞれ当時の領主が寄進し
たものである。富士講とのつながりが強く、1730年には富
士講の指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の
修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。
北口本宮冨士浅間神社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田
の御師に所属しており、神社の管理も御師団の中から選ばれた
者に委ねられていた。社殿の背後に登山門があり、この神社を
起点として富士山頂まで吉田口登山道が伸びている。富士講や
吉田御師と密接な関係を持ちながら発展した神社である。写真
北口本宮冨士浅間神社の写真(本殿、西宮本殿、東宮本殿)表
法的保護、修理・整備の経緯1907年古社寺保存法の下に東
宮本殿が特別保護建造物の指定1952年所在地が文化財保護
法の下に名勝、ついで特別名勝に指定1952年東宮本殿・解
体修理工事を行う1953年文化財保護法の下に本殿、西宮本
殿が重要文化財の指定1962年西宮本殿・解体修理工事を行
う(〜64年)1978年「特別名勝富士山保存管理計画」を
策定1973年本殿・部分解体修理工事を行う(〜74年)1
981年東宮本殿・部分修理工事を行う(〜82年)1997
年東宮本殿・部分修理工事を行う2008年本殿・屋根の葺替
え修理工事を行う(〜09年)2010年「重要文化財北口本
宮冨士浅間神社保存活用計画」を策定2011年文化財保護法
の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定)20
11年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)A7西湖富
士山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山の北北西に
位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが行わ
れたが、この西湖にも多くの富士講徒が訪れた。西湖と精進湖
はかつて「?の海(せのうみ)」と呼ばれる一つの湖だったが
、日本最古の歌集・万葉集で?の海が詠われたほか、いくつか
の文学作品ともゆかりがある。写真西湖の写真A8精進湖富士
山の火山活動により形成された堰止湖で、富士山の北西に位置
する。富士山周辺の湖を巡って修−27−行する内八海巡りが
行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒が訪れた。富士山
北麓で最初の洋風ホテルはこの精進湖畔に建てられ、多くの西
洋人が訪れた。20世紀初頭には、絵葉書に使われた富士山の
写真はこの精進湖からのものがほとんどだった。写真精進湖の
写真A9本栖湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で、
富士山の北西に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内
八海巡りが行われたが、この精進湖にも多くの富士講徒が訪れ
た。本栖湖は、日本の紙幣の図柄として何度も使用された写真
の撮影地点であり、重要な展望地点(viewpoint)で
ある。富士山は、プロ・アマを問わず多くの写真家に愛され、
撮影されてきた。なかでも、生涯にわたり富士山を追い続けた
岡田紅陽によって、1935年に本栖湖北西岸の峠道から撮影
された「湖畔の春」という写真は有名である。この写真は、1
984年に採用された5千円札及び2004年に採用された千
円札の図柄として使用された。山体の裾野が湖まで広がり一体
の景観を構成している本栖湖からの展望は、「湖畔の春」に撮
影された富士山とほぼ同じ姿のまま現在も残している。写真本
栖湖の写真表法的保護、修理・整備の経緯(A7・A8・A9
)1936年所在地が国立公園法の下に(富士箱根)国立公園
に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏の保全に関する条例
」を制定2006年自然公園法の下に本栖湖の湖面全域での動
力船の使用が規制される2011年文化財保護法の下に名勝に
指定(予定)2011年「名勝富士五湖保存管理計画」を策定
(予定)(2)信仰B1富士山本宮浅間大社富士山の南西麓に
位置する神社であり、この神社とともに発展してきた富士宮市
の中央部に所在する。富士山の神とされる木花之佐久夜毘売命
を主祭神とし、現在全国に約1300社ある浅間神社の総本宮
とされている。境内には登拝の際に水垢離場として使用された
湧玉池がある。浅間大社は7世紀ごろ、富士山により近い遥拝
所であった山宮浅間神社から現在の地に移転されたとされる。
創建当時は富士山の噴火が盛んであり、これを畏れ鎮めること
を信仰の目的としていた。朝廷も浅間大神に他の山よりも高い
神階を与えることで崇敬の念を示した。12世紀後半ごろには
、浅間大神は本地垂迹説の影響を受け大日如来の垂迹である「
浅間大菩薩」と見なされるようになり、12世紀頃より政治の
実権を掌握した武士階級に戦勝の神として信仰された。15世
紀ごろ、登拝が盛んになるにつれて、浅間大社は村山浅間神社
とともに大宮・村山口登山道の起点となり、宿坊が周辺に建設
された。16世紀ごろ、浅間大社は湧玉池での水垢離を重要な
儀式と位置づけることによって、浅間大社を経由した登拝を喧
伝した。同時期の絵図である絹本著色富士曼荼羅図には、浅間
大社・湧玉池及び村山浅間神社を経由して登山する人々の姿が
描かれている。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築
されていく中で、浅間大社は徳川家康の庇護の下、1604年
現在の社殿が造営されるとともに、1609年山頂部の散銭取
得における優先権を得た。これを基に浅間大社は山頂部の管理
・支配を行うようになった。ただし、大宮・村山口登山道と頂
上部の大日堂周辺は−28−村山浅間神社が支配し、廃仏毀釈
以降、村山浅間神社の衰退と1906年の村山浅間神社を経由
しない登山道の開削などにより、浅間大社には多くの参拝者が
訪れた。また、明治政府の政策により、一時国有地とされてい
た八合目以上の土地は1974年の最高裁判決に基づき、20
04年浅間大社に譲渡(返還)された。写真本殿・拝殿+富士
山表法的保護、修理・整備の経緯1907年本殿が古社寺保存
法の下に特別保護建造物に指定1925年本殿・拝殿・楼門等
の補修1929年本殿は国宝保存法制定に伴い国宝に名称変更
1934年楼門の修理1936年袖廊・廻廊を附した1950
年本殿は文化財保護法制定に伴い重要文化財に名称変更195
2年本殿の屋根の修理等が行われた1970年本殿の屋根の修
理等が行われた1988年本殿の屋根の修理等が行われた19
96年富士宮市教育委員会が調査を行った2002年富士宮市
教育委員会が調査を行った2005年本殿の屋根の修理等が行
われた2008年財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所により
境内の発掘調査が行われ、その成果に基づき2010年に「史
跡富士山保存管理計画」を策定2010年文化財保護法の下に
他の文化財とともに史跡富士山として指定湧玉池は富士山本宮
浅間神社境内に所在する面積約2,500uの池である。池は
約1万年前に噴出した万野溶岩流の末端から湧き出す一日平均
14万?(2008年)の水を源としている。湧水のメカニズ
ムは、富士山の標高1000m前後ないしそれ以上の高所の降
水が地下にしみ込み、何層もある溶岩層の間にはさまれて充満
し、それが押し出されるようにして末端から湧出したものであ
る。浅間大社の位置は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考
えや、富士山を聖なる水源の山として崇める考え方から、豊富
な湧水量を持つ湧玉池のほとりに置かれたとされる。この湧水
には灌漑用水としての役割もあり、浅間大社境内の神田の宮で
は水徳の神・農業神としての浅間大神に感謝する祭礼が行われ
ている。池の名前の由来には、地底から玉が湧き出るように湧
水しているためという説や湧く霊たま(神霊)との説等があり
、わく玉の名は10世紀後半の地元支配者による和歌に見られ
、湧玉池の名称は1670年作成の「社頭古絵図」に見られる
。湧玉池は浅間大社に参拝し、富士山をめざす登拝者が身を清
める場として使用された。その様子は「絹本著色富士曼荼羅図
」や「富士浅間曼荼羅図」、17世紀初頭の登山記で確認でき
る。この絵図では現在の形状に近い湧玉池が描かれ、水垢離す
る人々やそのための施設が見られる。登拝者の水垢離は192
0〜30年代まで行われ、現在では山開きの恒例行事に形を変
えて継承されている。また、湧水は聖なる水として現在でも利
用する人が多い。湧玉池および周辺には様々な宗教に係わる施
設があるが、特に池の南端にある「神幸橋」は、御神幸道の基
点であり、現在でも1691年に作られた石碑がたもとに残さ
れている。−29−写真沸玉池の写真B2山宮浅間神社浅間大
社の北北東約5kmに位置し、木花之佐久夜毘売命を主祭神と
する神社である。その起源は「富士本宮社記」によれば、山足
の地に祀られていた浅間大神を、神話上の英雄である日本武尊
が大神の神威により難を逃れた謝礼に山宮に祀ったこととされ
、これが802年に再び遷され浅間大社となったとする。具体
的な創建年代は不詳だが、文献上での初見は1551年である
。神社は神事の際に使用する籠屋以外の建物施設を持たず、拝
殿・本殿等が位置すべき場所には石列でいくつかに区分された
遥拝所が設置されるのみという特異な形態を示している。この
形態は古代からの富士山祭祀の形を止めていると推定されてお
り、遥拝所の主軸は富士山方向を向いている。発掘調査では1
2〜15世紀にかけての神事に使用されたと推定される破砕さ
れた土器が遥拝所北側から多数出土し、当神社での宗教活動を
裏付けている。また、遅くとも1577年までには浅間大社と
の間で「山宮御神幸」といわれる儀式が開始された。これは4
月と11月に神の宿った鉾を持ち、浅間大社から山宮浅間神社
へ行き、神事を行った後、翌日未明に浅間大社へ戻る行事であ
る。行事の意味として、現時点では神が4月に旧跡に戻るとい
う解釈と、山にいる神が4月に田の神として里へ降りるという
解釈がある。この行事は1874年まで行われていた。なお、
「山宮御神幸」に使用される経路を御神幸道と称し、浅間大社
湧玉池横より発し、約600m東へ向かった後、ほぼ直角に曲
がり直線状に北上して山宮浅間神社に至る。道の出発点及び途
中には1691年に置かれた距離を示す石碑が少なくとも四箇
所残っている。写真山宮浅間神社の写真B3村山浅間神社山宮
浅間神社の南東約4km、富士山南麓に張り出した標高約50
0mのバルコニー状地形に位置し、木花開花姫命を主祭神とす
る神社である。神社と一体化した範囲には、現在別の宗教法人
となった大日堂・水垢離場・護摩壇などが存在している。これ
らは1868年の神仏分離令までは一体のものであり、富士山
興法寺(村山興法寺)と呼ばれていた。なお、周辺には興法寺
の維持・運営にあたっていた道者坊の村山三坊(池西坊・大鏡
坊・辻之坊の三箇所)の跡が発掘調査によって確認されている
。その起源は、1149年の記録に見える修行僧末代上人によ
る富士山頂への大日寺の建立にあるとされる。末代上人が富士
山中又は村山の地に興法寺を建立したとの記録も残されている
。これらの記録等から、12世紀中ごろに村山周辺において修
験道または密教系の宗教活動が行われていたと推測できる。1
259年には、現存する大日如来が寄進されたことを仏像の銘
で確認できる。末代以後、その流れを汲み富士山で修行する人
々が現れ、村山が富士山修験道(富士行)の拠点となったと考
えられる。14世紀初めには僧の頼尊が修験者とその活動を組
織化し、興法寺を再興したとされる。15世紀に入ると興法寺
とそれを支える宿坊の存在が現存する大日如来の銘(1478
)で確認できる。1482年には修験道本山派の本寺である聖
護院と関係を持ち、その権威を高めた。16世紀中には十数軒
あった道者坊が村山三坊に統合され、その活動を資料で確認で
きる。坊に所属する山伏は夏に「富士峯修行」を山中及び山頂
で行った。また、富士山への一般の登拝者も増加し、夜間に白
装束をまとい、仏がいるとされた山頂を目指す多くの人々の様
子が「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。村山の山伏は
、富士峰修行の際に東麓、南麓の村を年一回巡回し加持祈祷等
を行った。また18世紀、富士講の隆盛に対抗し西日本の一般
登拝者中の有力者に対して「先達」の免許を発行し組織化を図
ると−30−ともに、登拝が困難な人々に対しては川辺で垢離
を取り、祈ることで登拝と同等の利益があるとする「富士垢離
」の手法を広めている。加えて富士山を航海の目印とする伊豆
半島の漁業者に対しては航海安全と大漁の祈願を行った。興法
寺の勢力は地元支配者である今川氏の支援を受けていた16世
紀前半が最も強かったが、それ以降衰退しつつも聖護院の力を
背景に一定の権威をもち、登山道及びその頂上部の大日堂周辺
を支配した。社殿については、1697年徳川幕府により修復
され、現在の大日堂は建築様式や部材の状況から19世紀半ば
に建立されたと推定される。また、浅間神社は1913年改築
されたものを基本としている。1868年、神仏分離令により
浅間神社と興法寺(大日堂)は分離され、山伏は還俗し、19
06年の登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、富
士峰修行と加持祈祷は1940年代まで継続された。現在は1
970年代より活発になった地域住民による伝統復活のための
活動が見られ、水垢離等の行事が行われている。また、村山浅
間神社の影響を受けた地域のうち、滋賀県甲賀市、三重県南伊
勢町等では現在でも富士垢離の行事が継続されている。写真村
山浅間神社の写真B−4須山浅間神社富士山の南東麓、須山口
登山道の入り口に位置し、木花開花姫命を主祭神とする神社で
ある。その起源は1598年作の社伝旧記によると110年、
日本武尊が蝦夷征伐の際、この地を訪れ浅間神社を創起し、さ
らに552年有力豪族の蘇我稲目が再興したとある。記録上神
社の存在が確認できるのは1524年で修築時の棟札による。
また、市天然記念物である境内の杉は、樹齢500年以上と推
定されており、遅くともこの時期までに須山浅間神社が現在の
地に存在したと推測できる。現在の社殿は1823年の再建で
ある。1707年の宝永噴火により登山道も含め大きな被害を
受けたが、1780年に登山道が再興され、1800年の御縁
年には約5,400人の登拝者があった。須山浅間神社は12
軒の御師とともに当時の須山村の中心的存在であり、村全体で
須山口登山道と山頂部銀明水を管理した。また、京都吉田家よ
り神道裁許状を得たり、朝廷・公家に銀明水を献上したりする
等して権威を高めているが、山頂部で発生した問題については
、浅間大社の判断を仰いでいる。須山浅間神社は村山三坊とも
関わりを持ち、1940年頃まで境内で富士峯修行の一環とし
ての祈祷が行われていた。1883年、御殿場口登山道が開設
され、1899年の東海道本線開通による御殿場口利便性の向
上は須山口からの登拝者や登山者を奪い、加えて1912年登
山道の一部が陸軍演習場となり使用不可能となったため、須山
口は衰退した。しかし、その後都市化の影響を余り受けなかっ
たため、須山浅間神社周辺は日本的伝統に基づく村落景観を保
っている部分が多い。写真須山浅間神社の写真B5冨士浅間神
社富士山東麓、須走口登山道の起点に位置し、木花開花姫命を
主祭神とする神社である。境内西側には鎌倉往還が通り、神社
周辺は古来、交通の要衝であった。社伝では802年、噴火の
鎮火祈願のために祭事を行い、翌年噴火が収まったことから、
807年に祭事の跡地であるとされる現在の地にお礼のために
社殿を造営したとされる。その他の文書で確実に存在が確認で
きるのは、1571年のものである。16世紀には地元支配者
である武田氏の保護を受け、山頂部の散銭取得権の一部を得て
いる。17世紀以降、須走浅間神社は当時の須走村の御師など
と共に須走口登山道を支配し、山頂部薬師嶽(現−31−久須
志岳)の薬師堂開帳の権利及び山頂部の散銭取得権の一部を得
ていた。これら山頂部の権利については八合目以上の支配権を
主張する富士山本宮浅間大社と争いになり、須走村は1703
年と1772年の2回、幕府に裁定を求めている。この結果、
これらの権利は幕府によって認められた。また、冨士浅間神社
神主や御師は須山の場合と同じく、京都吉田家より神道裁許状
を得て権威を高めている。社殿は、記録の残っている範囲では
1662年、地元領主である沼津城主大久保氏や小田原藩主稲
葉氏などの援助によって修造が行われた。しかし1707年の
宝永噴火では3m以上の降砂に埋もれ崩壊したため、1718
年に再建された。この後もこの際の部材を使用し、2009年
の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。境内には水路
があり、水垢離に利用された。18世紀末から19世紀初頭に
かけて富士講が隆盛を迎えると須走口にも関東からの登拝者が
登山又は下山の際立ち寄った。その数は1800年の御縁年の
際に約27,300名であった。同時期から20世紀前半まで
富士講信者は境内に登山回数等の記念碑を約80基造営した。
また、神社には神社神官や御師が発行した木版印刷による神影
や神符の版木が保管されている。写真冨士浅間神社の写真B6
河口浅間神社古くから富士山に関わる祭祀は南麓の浅間神社(
山宮浅間神社か?)が執り行っていたが、864年〜866年
に北麓で起こった噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられ
ることとなった。それが、富士山を望む河口湖の北岸にあり、
溶岩の届かなかった河口浅間神社であるとされる。浅間神社を
中心とした河口の地は、甲府盆地から続く官道の宿駅という役
割に加え、富士登拝が大衆化した中世後半から御師集落として
発展を遂げた。しかし、江戸における富士講の大流行と、それ
に伴う吉田御師の隆盛により、河口の御師集落としての機能は
、19世紀以降衰退してしまった。ただし、河口浅間神社は、
現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史
的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことができな
い資産である。写真河口浅間神社の写真表法的保護、修理・整
備の経緯2011年文化財保護法の下に他の文化財とともに史
跡富士山として指定(予定)2011年「史跡富士山保存管理
計画」を策定(予定)B7冨士御室浅間神社冨士御室浅間神社
は吉田口二合目に鎮座した本宮(もとみや)と、河口湖畔に建
立された里宮から構成されている。8世紀初めに吉田口登山道
二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られ
た最初の神社であるとする文献もある。富士修験の信仰拠点は
南西の村山であるが、北面の二合目、御室浅間神社が鎮座する
御室の地にも山内の信仰拠点として役行者堂が整備されたよう
である。また、社記によると958年、二合目は冬季における
参詣が難儀であることから河口湖畔の現在地に里宮が建立され
たという。江戸時代以降富士講の隆盛にともない、吉田口登山
道の信仰拠点の一つとしてこの二合目の役割はさらに増すこと
になる。しかし、昭和に入ると富士信仰のありかたの変化や、
富士スバルラインの開通等もあって吉田口登山道は衰退する。
それに伴い二合目を通過する登拝者も激減する。また、富士御
室浅間神社本宮を支えてきた氏子にとっても、その維持管理が
困難となって、1973年から74年にかけて、−32−本殿
を里宮地内に移転することとなる。修験や登拝といった様々な
富士信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の
産土神としての里宮が一体となって機能してきた神社である。
写真冨士御室浅間神社の写真表法的保護、修理・整備の経緯1
973年本宮本殿・二合目から里宮境内地に移築、整備された
(〜74年)1985年本宮本殿・文化財保護法の下に重要文
化財として指定1983年回廊修理工事を行う1995年外部
の漆塗の塗り直しほか一部補修を行う2010年「重要文化財
冨士御室浅間神社本殿保存活用計画」を策定2011年文化財
保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定(予定
)2011年「史跡富士山保存管理計画」を策定(予定)B8
吉田地区は、富士の雪代の被害を避けるため、1572年に旧
地である古吉田地区から集落ごと移転し、北口本宮冨士浅間神
社の北西隅から北東方向の傾斜面に沿って短冊状に町割が行わ
れたと伝えられている。小佐野家住宅は、南北の間口が16m
、東西方向の奥行きが150mほどの長大な屋敷地に建てられ
ている。小佐野家は、元亀の集落移転に合わせて現在地に移転
してきたと伝えられる。代々御師を勤め、屋号を堀端屋と号し
、江戸時代には当主は小佐野壱岐あるいは小佐野大隈と名乗っ
ていた。当家に宿泊する参詣者は年間1,000人に達したと
される。現在、屋敷地の東側には所有者が住む住居が建築され
ており、小佐野家住宅には所有者の親族が居住している。写真
小佐野家住宅の写真表法的保護、修理・整備の経緯1976年
文化財保護法の下に重要文化財として指定1977年消防設備
設置を行う1979年屋根の葺替えを行う1996年雨樋いの
補修を行う1997年主屋、蔵の修理を行う1998年主屋、
蔵の修理を行い2010年「重要文化財小佐野家住宅保存活用
計画」を策定B9山中湖富士山の火山活動によって形成された
堰止湖で、富士山の北東に位置する。富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが行われたが、この山中湖にも多くの富士
講徒が訪れた。古くから景勝地として有名で、20世紀前半に
は湖畔に洋式ホテルが建てられたほか、別荘地としても整備さ
れた。ゆかりのある芸術家も多く、山中湖を描いた文学や絵画
が散見する。富士山の頂上付近に日の入りが重なる様子はダイ
アモンド富士と呼ばれ、多くの写真家を集める。写真山中湖の
写真B10河口湖富士山の火山活動により形成された堰止湖で
、富士山の北に位置する。富士山周辺の湖を巡って修行する内
八海巡りが行われたが、この河口湖にも多くの富士講徒が訪れ
た。古くから景勝地として有名で、20世紀前半には湖畔に洋
式ホテルが建てられた。ゆかりのある芸術家も多く、湖を題材
にした文学や絵画は、富士五湖中この河口湖が最も多い。葛飾
北斎や歌川広重といった浮世絵師も、河口湖越しに見える富士
山を描いている。写真河口湖の写真表法的保護、修理・整備の
経緯(B9・B10)1936年所在地が国立公園法の下に(
富士箱根)国立公園に指定1988年「山梨県富士五湖の静穏
の保全に関する条例」を制定2006年自然公園法の下に本栖
湖の湖面全域での動力船の使用が規制される−34−2011
年文化財保護法の下に名勝に指定(予定)2011年「名勝富
士五湖保存管理計画」を策定(予定)B11忍野八海富士山の
北東、忍野村忍草にある、富士山の伏流水による八つの湧水地
(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲
池)の愛称である。それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関わ
る巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れ
を祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞられ「富士
御手洗(みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えら
れ、1843年に富士講道者によって再興されたとされる。写
真忍野八海の写真(どれか1つ)図忍野八海周辺図表法的保護
、修理・整備の経緯1934年史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に天然紀念物に指定2010年忍野村景観計画を策定、忍野八
海周辺を景観形成重点区域に指定2010年街なみ環境整備事
業により忍野八海周辺環境の整備を行う(〜14年)2011
年「天然記念物忍野八海保存管理計画」を策定(予定)B12
船津胎内樹型1617年、富士講の祖とされる長谷川角行が富
士登拝の際、現船津胎内樹型の南方に焼入(船津胎内樹型指定
範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を
発見し、浅間明神を祀った。1673年、富士講道者村上光清
により現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅
間明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(
むつむろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣
い社号を無戸室浅間神社と名付けた。富士道者は、富士登拝の
際に、樹型を入って身を清める風習があり、洞穴内外の地形空
間に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富士講にと
っての富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られている。写
真船津胎内樹型の写真表法的保護、修理・整備の経緯1929
年史跡名勝天然記念物法の下に天然紀念物として指定2010
年「山梨県南都留郡富士河口湖町町内国指定天然記念物溶岩洞
穴等保存管理・整備活用計画書」を策定B13吉田胎内樹型吉
田胎内本穴は、1892年に富士道者により整備された「御胎
内」である。吉田胎内本穴の奥には、石祠があって富士講にと
っての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹型内
に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠があり、その下
段には、さらに横穴があり左右に分かれている。右の穴が天津
彦彦火瓊瓊杵命を祀る父の胎内で、左の穴が木花開耶姫を祀る
記念や大願成就の碑塔や角行二百年忌の宝篋印塔などがある。
碑塔は富士講の講毎に群を成した所があり、その目的は講の勢
力を誇るためと推定されている。碑塔で建立年代のわかる89
基の内、富士講が隆盛した18世紀末から19世紀前半(17
81から1850年)に建立されたものが半数(44基)、1
9世紀末より20世紀前半(1871から1940年)のもの
が3分の1(29基)を占める。写真B14の写真B15白糸
ノ滝人穴の北方約5kmにある落差約20〜25m・幅約12
0〜210mの数百の流れを持つ滝である。滝は約1万年前に
噴出した白糸溶岩流の末端から湧き出す一日平均13万?の水
を源としている。滝の名前は湧水の噴出が数百条の白糸が垂れ
ているように見えるため名づけられた。湧水のメカニズムは、
湧玉池と同様であり、透水性の白糸溶岩流と不透水性の古富士
泥流の境界に降水・雪解け水が滞水し、三層の溶岩の隙間、及
び溶岩流と泥流層の間より湧き出しているものである。このメ
カニズムが解明される前の19世紀半ばの資料「不二山道知留
邊」ではその起源を富士五湖の伏流水としていた。白糸ノ滝は
富士講関連の文書では、開祖とされる長谷川角行が人穴での立
行と合わせて水行を行った地と記されている。−36−その後
、白糸の滝は富士講を中心とした人々の巡礼の場となった。そ
の様子は1845年と1854年にこの地を訪れた富士講先達
の記録で確認でき、滝つぼの中で垢離をとる信者の周囲に虹が
出来る現象を「御来光」としている。また、周辺にある食行身
禄の碑や不動尊が同書の挿画に描かれている。そのほかの19
世紀の登山記でも人穴と共にその存在が長谷川角行との関わり
を通して紹介されている。また、白糸ノ滝は景勝地としても有
名であり、多くの和歌・絵画の題材となっている。写真B15
の写真表法的保護、修理・整備の経緯1936年所在地が国立
公園法の下に(富士箱根)国立公園に指定1936年史蹟名勝
天然紀念物保存法の下に名勝及び天然紀念物に指定1987年
富士宮市により「白糸ノ滝」保存管理計画が策定2010年富
士宮市により保存管理計画が改定され、これにともなった整備
計画に基づき、滝周辺の景観整備が行われた(3)眺望C三保
松原富士山頂の南西約45kmに位置する駿河湾に突き出した
長さ約7kmの砂嘴をなす三保半島上の松原である。現在、5
万4千本の黒松が外海側海岸線4kmを中心に繁茂し、その中
でも樹齢約650年といわれる「羽衣の松」付近は、富士山と
砂浜の松という日本で好まれた景観を組み合わせて望むことが
できる景勝地として知られている。三保松原のある三保半島は
約6000年前に現在の形となったと考えられ、三保の名前は
内海側の三つの岬を稲穂にたとえたという説が有力である。か
つては半島一帯に松が繁茂し、8世紀初頭には松原自体を景勝
地として捉えた和歌が詠まれ、「万葉集」に掲載された。その
後遅くとも13世紀初頭までに三保松原は後鳥羽上皇など中央
の権力者に富士山と組み合わされた景勝地として認識され、1
4〜15世紀には室町幕府将軍足利義満と足利義教が三保半島
と対岸(現静岡市清水区興津)との間を船で渡り富士山を眺め
る行事を行い、16世紀には徳川家康が三保半島内海側に富士
見櫓を建設した。文学では「万葉集」以降も和歌等の詩の題材
となると共に、地元の伝説を基にし、羽衣の松を舞台とした謡
曲(能)「羽衣」が遅くとも16世紀までに成立した。降臨し
た天女と漁師との出会いと別れを描いたこの話の最終場面では
ヒロインの天女が富士山方向へ飛び去っていく描写が見られる
。これはすでに成立していた「竹取物語」で示された富士山の
噴煙が天上と地上とを結んでいるとする考えとの関係が指摘さ
れている。この作品は、19世紀後半、海外へ伝えられ、イェ
ーツ、パウンドといったモダニズムの作家に影響を与えるとと
もに、伝統芸能である「能」が世界に広まるきっかけを作った
作品である。また、絵画でも15〜16世紀には三保松原を右
に富士山を左に配する構図が描かれ、この構図は狩野探幽によ
り完成され、19世紀に至るまで日本画・浮世絵において富士
山を描く際の典型的構図とされた。また、20世紀には和田英
作が「羽衣の松」付近から見た富士山を数多く描いた。三保松
原は16世紀以降、江戸幕府の直轄地となり松が守られてきた
。江戸幕府滅亡後は内海側の開発が進んだが、外海側の景観は
保たれ、1922年、国内初の名勝として国文化財に指定され
た。現在、砂礫の供給減による海岸侵食とマツクイムシによる
松の枯死が進んでいるため、静岡市及び地元民間団体による保
護活動が行われている。写真三保松原(現在の写真・静岡市)
写真歌川広重の浮世絵−37−写真三保松原の写真表法的保護
、修理・整備の経緯1922年史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に名勝に指定1976年名勝「三保松原」管理計画書を策定1
977年名勝地内の一部が指定解除1989年名勝「三保松原
」保存管理計画書を改定1990年名勝地内の一部が追加指定
及び指定解除2011年名勝「三保松原」保存管理計画書を改
定第3章保存管理の基本方針1顕著な普遍的価値及び周辺環境
を構成する諸要素世界文化遺産「富士山」の顕著な普遍的価値
は以下に示すとおりである。「富士山」の顕著な普遍的価値富
士山は、日本を代表し象徴する日本最高峰(標高3776m)
の秀麗な独立した火山として世界的に著名であり、その自然的
美しさと崇高さを基盤として日本人の自然に対する信仰の在り
方や、海外に影響を与えた葛飾北斎や歌川広重などによる顕著
な普遍的価値を持つ「浮世絵」などの日本独自の芸術文化を育
んだ「名山」である。富士山は山岳に対する信仰の在り方や芸
術活動などを通じ、時代を超えて一国の文化の諸相と極めて深
い関連性を示し、生きた文化的伝統の物証であるのみならず、
人間と自然との良好で継続的な関係を示す景観の傑出した類型
として、世界的にも類例を見ない顕著な普遍的価値を持つ山で
ある。本計画では、顕著な普遍的価値に対し、資産に含まれる
要素を「顕著な普遍的価値を構成する諸要素」と「顕著な普遍
的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素」に分類し、さ
らに緩衝地帯における「周辺環境を構成する諸要素」を加え、
表に示すとおり整理を行った。A富士山山体及び登山道B信仰
に関わる周辺のものC富士山から離れた眺望に関わるもの表富
士山の構成要素A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡・富士
山本宮奥宮・東北奥宮(久須志神社)・金明水・銀明水・八葉
(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間
岳、駒ヶ岳、三島岳)・大内院・小内院・馬の背・東安河原・
西安河原・虎岩(獅子岩)・割石・雷岩・このしろが池・荒巻
・吉田須走拝所跡・須山拝所跡・村山大宮拝所跡・三島ヶ岳経
塚・外浜道・内浜道A2大宮・村山口登山道・札打場・中宮八
幡堂跡(1号建物跡)・八大龍王・5号建物跡・8号建物跡・
12号建物跡・鳥居A3須山口登山道・須山御胎内(溶岩洞穴
)・石像・石燈篭・鳥居・標柱・祠A4須走口登山道・古御岳
神社・迎久須志之神社・鳥居・狛犬・石碑A5吉田口登山道・
現登山道・旧登山道・馬返・五合目・烏帽子岩A6北口本宮冨
士浅間神社−38−−39−・本殿・東宮本殿・西宮本殿・大
塚山・御鞍石A7西湖・湖水A8精進湖・湖水A9本栖湖・湖
水・中ノ倉峠からの展望B1富士山本宮浅間大社・神立山・湧
玉池(上池、下池)・社叢・社殿(本殿・拝殿・幣殿)・透塀
・楼門・手水舎・廻廊・灯籠・石鳥居・東鳥居・西鳥居・桜の
馬場・禊所・神幸橋(湧玉橋)・輪橋(太鼓橋)・護摩堂跡(
推定)・随身像・狛犬・御神幸道首標の碑・三之宮・七之宮・
鉾立石・欄干橋(神路橋、神路枚橋)B2山宮浅間神社・溶岩
流地形・社叢・籠屋(参籠所)・鉾立石・石段(参道)・石塁
・玉垣・遥拝所・石鳥居・参道B3村山浅間神社・元村山溶岩
流・水源地「竜頭ヶ池」・御神木(イチョウ、大スギ)・社叢
・浅間神社社殿・大日堂(興法寺)・水垢離場・護摩壇・氏神
社(高嶺総鎮守社)・石鳥居・氏神社鳥居・手水舎(手水鉢)
・石段(参道)・狛犬B4須山浅間神社・社叢・社殿・神輿殿
・狛犬・灯籠・手水舎・参道・鳥居・石碑・古宮神社B5冨士
浅間神社(須走浅間神社)・社叢(浅間の杜)・ハルニレ・エ
ゾヤマザクラ・根上がりモミ・社殿・楼門・参道大鳥居・裏参
道鳥居・富士塚狛犬・富士講講碑群B6河口浅間神社・社殿、
鳥居B7冨士御室浅間神社・吉田口二合目(拝殿の一部、行者
堂跡、定善院跡、建物礎石)・移築された二合目本殿B8御師
住宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)・主屋・離座敷・中門・
屋敷地(タツミチ)B9山中湖・湖水B10河口湖・湖水B1
1忍野八海・八つの池(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧
池、濁池、鏡池、菖蒲池)・湧水B12船津胎内樹型・溶岩樹
型・無戸室浅間神社、石造物群B13吉田胎内樹型・溶岩樹型
・洞内の石祠、石造物群−40−B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)・犬涼み溶岩流・溶岩洞穴・社叢(周辺の植生)・
碑塔群・参道・建物跡・参道跡・道跡・炭焼窯跡・井戸跡B1
5白糸ノ滝・古富士泥流堆積物・白糸溶岩流・白糸の滝・音止
の滝・鬢撫水・植物・富士講・白糸の滝の勝景・音止の勝景・
富士山の展望・富士の巻狩の伝承・歌碑・標識C三保松原・特
別規制A地区・特別規制B地区・第1種規制地区・第2種規制
地区・第3種規制地区@自然地形(山林、河川など)・宝永山
(宝永火口)・溶岩洞穴、樹型等富士山体・側火山からの噴出
物による地形・富士山原始林及び青木ヶ原樹海・国指定天然記
念物(鳴沢溶岩樹型、鳴沢氷穴、本栖風穴等)A森林、植栽樹
木(山林を構成する森林、寺社・遺跡等の植栽樹木など)・自
然林、森林施業地、人工林・社叢林、境内林・富士山特定地理
等保護林・富士箱根伊豆国立公園富士山管理計画区B保存管理
又は公開活用を目的とした建造物(展示館、管理棟、解説板な
ど)・総合案内標識、解説板C道路とその他の人工物(生活用
道路、電柱、看板など)顕著な普遍的価値を構成する諸要素と
密接に関わる諸要素・富士山測候所・NTT富士山頂分室・便
益施設@自然的要素(山並み、河川など)A歴史的要素(埋蔵
文化財、社寺境内、伝承地など)成する諸要素周辺環境を構B
人文的要素(農耕地、市街地、道路、その他人工物)上表にお
いて分類した諸要素について、以下に提示する。(1)顕著な
普遍的価値を構成する諸要素@富士山山体及び登山道A富士山
富士山体のうち、標高約1500m以上の範囲である。この範
囲は、周辺の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合
う範囲で、芸術・鑑賞の側面における比重が最も高い。各登山
道における山体の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(
乗馬登山が物理的にも、宗教的観点からも不可能になる地点)
の標高以上の範囲とほぼ一致している。地元住民が、とりわけ
この「馬返」より上を目指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」
と呼び、富士山の範囲と見なす地域もあった。景観的には山体
の傾斜角の変化率が大きくなり「平野部」と「山体」の境界と
して認識され、稜線が優美な曲線を描き絵画などの対象となる
ことが多い範囲である。御中道巡りのルートには、現在も石碑
が一部残存している。ルートはほぼ森林限界に沿って、富士山
体を一周する。15〜16世紀ごろ富士講の祖とされる長谷川
角行によって開かれたとされその後大沢崩れ−41−を通るた
め富士講信者により修行の道として利用された。写真標高約1
500m以上の写真A1山頂信仰遺跡図山頂信仰遺跡の分布図
・富士山本宮奥宮富士宮口登山道頂上に位置し、7、8月の開
山期にのみ開かれる。祭神は木花之佐久夜毘売命である。『本
朝世紀』には、久安5年(1149)「富士上人末代は、富士
山に数百度登り、山頂に仏閣を構え、大日寺と称し、写経を埋
納下した」とある。江戸時代には、村山三坊所有の大日堂があ
ったが、明治7年(1874)、廃仏毀釈により山中の仏像を
取り除き、大日堂跡へ奥宮を建立し、浅間大神を祭った。写真
奥宮の写真[奥宮周辺の石碑群](a)蹲虎の碑(高さ139
×幅64×厚さ18p)奥宮の裏手、浅間岳の麓に所在する。
一方の面に漢文が、もう一方には虎の絵が彫られている。天保
年間(1830−34)に、岸岱が作ったとされる。(b)鎮
國之山(高さ146×幅61×厚さ31p)奥宮の前に所在す
る。碑面に「鎮國之山」と彫られている。明治31年(189
8)に書家の中林梧竹により建碑された。後年、落雷により破
壊されたが、昭和42年(1967)に再建された。・東北奥
宮(久須志神社)浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦名
命を祀る。須走口登山道、吉田口登山道の終点にある。室町時
代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師ヶ嶽)に薬師堂が
あり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であっ
た。薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久
須志神社と改称した。写真東北奥宮の写真・金明水雪解け水が
湧く泉で、その湧き水は霊験あらたかな「御霊水」として珍重
された。大正期の写真をみると、井戸は石組みや木製の柵で囲
われ、旗や幟などもみられる。・銀明水金明水とおなじく、富
士山頂の霊験あらたかな湧き水として珍重された。『富士の歴
史』によれば、「如何なる旱にも水の涸れることはない」と記
している。写真銀明水の写真[銀明水の石碑群](a)石碑@
(高さ112×幅62p)銘文には「明治三拾九年」と「大正
五年」の2つの年代が確認できる。富士講の人々が建碑したも
のと考えられる。(b)石碑A(高さ162×下幅76×上幅
63p)表面に龍が、裏面には文字が刻まれている。(c)石
碑B(未計測)「大正十三年八月」と刻してある。写真銀明水
の石碑群の写真−42−・八葉(剣ヶ峰、白山岳、久須志岳、
成就岳、伊豆岳、朝日岳、浅間岳、駒ヶ岳、三島岳)山頂部の
直径約800mの火口を囲む峰々の総称で、それぞれの峰に仏
が住むとされた。文永年中(1264〜1275)の作である
『万葉集註釈』には「いたゞきに八葉の嶺あり」とあることか
ら、鎌倉時代中期には山頂の峰々を蓮の「八葉」に見立ててい
たと考えられる。江戸時代後期の地誌である『駿河国新風土記
』には「ソノ名一定ノ説ナク、又峰ノ数八ツアルニアラズ。コ
マカニカゾヘバ、十二バカリナリト言フ。」とあり、八葉を構
成する峰も、またその名称も一定でないことがわかる。峰の名
称は、明治8年に廃仏毀釈により仏教色を払拭したものに変更
された。以下、平成20年度の静岡県埋蔵文化財調査研究所に
よる発掘調査報告書で示された9つの峰について、最高峰の剣
ヶ峰からお鉢巡りの回り方である時計回りの順に、記述する。
なお、浅間大社では、伊豆岳以外の8つをもって「八神峰」と
している。図八葉の配置図[剣ヶ峰(標高約3,776m)]
かつては剣ノ峰、阿弥陀岳とも呼ばれた。遠くから見ると剣を
立てたようにそびえ立っているためにこの名があるという。道
者たちはあまりに険しいこの峰を恐れて多くは登らなかったと
いう。この峰の石は「神の惜ミ給ふ」とされ、採取を禁じられ
たが、麓からの石と取り替えるということが行われていた。写
真剣ヶ峰の写真図気象庁測候所跡周辺の平面図[白山岳(標高
約3,756m)]かつては釈迦ヶ岳とも呼ばれた。現在は一
般の立入は禁止されている。頂上には鳥居が立ち、また二等三
角点が存在する。[久須志岳(標高約3,725m)]かつて
は薬師岳とも呼ばれた。現在の久須志神社の裏手にあたる。他
の峰々と比べ傾斜はなだらかである。頂上には鳥居が火口の方
向に向けて建てられている。頂上付近には石造物が残存し、首
から上と手首から先が欠損している。台座正面に「食行」「身
禄」の文字が確認できる。写真久須志岳の石造物の写真[成就
岳(標高約3,734m)]かつては大日岳とも呼ばれ、大小
2つの鳥居が、噴火口の方角を向いて建てられている。[伊豆
岳(標高約3,748m)]かつては勢至ヶ嶽、観音嶽とも呼
ばれた。『浅間神社の歴史』には、「中腹より地中に熱気を感
じ、下りて荒巻の険を越え、成就岳にいたるまで、至る所に蒸
気を噴出する」とある。頂上には鳥居は見られない。[朝日岳
(標高約3,733m)]伊豆岳と同様、かつては地中から蒸
気を発していたとされる。頂上に鳥居は存在しない。石積みが
あるが時期は不明である。他の峰々と比べ、文献の言及が乏し
い。[浅間岳(標高約3,722m)]浅間大社奥宮の裏手に
あり、頂上に鳥居がある。現在は一般の立入が制限されている
。[駒ヶ岳(標高約3,718m)]聖徳太子が黒駒に乗って
登山した際に、ここで休息をとったという伝説のある峰である
。山頂に鳥居が存在する。峰全体が岩石からできている。[三
島岳(標高約3,734m)]−43−かつては文殊岳とも呼
ばれた。頂上に木製の鳥居と、「三島岳」と刻まれた白い角材
の木杭が立っている。三島岳の石仏群として、三島岳のふもと
、かつて経塚が発見された付近に、10体の石像が安置されて
いる。これらは原位置を留めておらず、周辺にあったものが集
められたと考えられる。いずれも頭部を欠損している。・大内
院山頂の火口中央に存在する穴で、ここより雲が生じ、風が起
きるとされた。大内院(噴火口)は中央にある大きな火口、小
内院(阿弥陀ヶ窪)は雷岩の下の小さな火口を指す。神や仏の
居る所であると信じられ、登山者は各登山口に設けられた拝所
あるいは初穂打場から、噴火口に向けて賽銭を投げ入れた。現
在、噴火口への立入は禁止されている。写真大内院の写真・小
内院西安河原から白山岳に向かう途中にある大きな窪地で、大
内院との対比で小内院と呼ばれる。かつては噴火口だったと考
えられる。写真小内院の写真・馬の背剣ヶ峰に通じる坂道で、
火山礫と砂の急斜面である。お鉢巡りの道中で最大の難所であ
る。現在はブルドーザーが通れるよう整地されている。火口に
向けて傾斜しており、その険しさから道者たちの多くは剣ヶ峰
に登らなかったといわれる。・東安河原須山口拝所東側にあり
、山頂部では稀な広い平坦部である。かつては現世と来世の境
である「賽の河原」になぞらえて、道者たちが溶岩礫を積み上
げ石塔を作った。また「初穂打場」とも呼ばれ、火口に向けて
賽銭が投げ込まれた場所とされる。・西安河原東安河原と対を
なす、剣ヶ峰から北側に下りた付近の平坦部である。火口の外
壁を行く外浜道と内壁を行く内浜道との分岐点に位置する。・
虎岩(獅子岩)大内院の南岸に突き出た大岩で、形状が虎(獅
子)のうずくまる姿に似ていることから名付けられた。・割石
かつては「釈迦の割石」と呼ばれた溶岩で、溶岩が急速に冷え
て固まったため割れていた。高さが15m程あったが、現在は
崩壊してしまっている。古くから行者の修行場として知られ、
食行身禄がここで入定しようとしたが、大宮浅間の社人からの
許可が得られず、吉田口七合五勺の烏帽子岩で入定したとされ
る。写真割石の写真・雷岩白山岳の西側にある岩で、この方角
から強い雷雲がくる事からこう呼ばれたとされる。また、文化
年間の初め、岩より雷鳴がとどろいて雷獣が出現し、8合目の
石室に走り入った。これを石室に居合わせた人々が生け捕りに
したとも伝えられる。・このしろが池三島岳の雪解け水が窪地
に溜まってできる季節的な池で、6月から7月に姿を現し、雪
解け水の供給が無くなると消えてしまう。・荒巻−44−かつ
ては勢至ヶ窪と呼ばれ、強い風が吹き付ける富士山頂の難所と
して知られた。道の火口側には、火山礫を積み上げた石組みが
ある。・吉田須走拝所跡須走口登山道を登りきったところにあ
ったとされる。拝所は初穂打場とも呼ばれ、登山者たちが賽銭
を噴火口の大内院に投げ入れる、そこに鎮座する浅間大菩薩を
拝む場所であった。また、御来光を拝む場所でもあった。現在
は、付近に鳥居がなく痕跡も残っていないため、場所を特定す
ることはできない。写真吉田須走拝所跡の写真・須山拝所跡銀
明水の裏手の火口を臨む位置にあったとされる。大正2年(1
913)の登山スタンプが押された写真では、銀明水裏手の火
口の縁に立っている鳥居が確認できる。現在その地点には、2
つの目印の石が存在している。写真須山拝所跡の写真・村山大
宮拝所跡『隔掻録』は、大日堂の裏手に建つ鳥居を「大宮拝所
」としている。『富士山明細図』は、このしろが池の裏手の鳥
居を影拝所としている。このしろが池から剣ヶ峰の登山道に沿
って3体の大日如来があり、それぞれ延徳2年(1490)、
天文12年(1543)、寛永元年(1624)の銘があった
とされる。昭和初期の絵葉書にも、剣ヶ峰の手前の火口を臨む
位置に鳥居が建っている。写真村山・大宮拝所跡の写真・三島
ヶ岳経塚昭和4年(1929)、頂上の神官が銅仏の破片と一
石経を採集して下山、それを受けて昭和5年に三島岳のふもと
を調査したところ、経巻が詰まった経筒や木槨、土器片などの
遺物が出土した。富士山本宮浅間大社には、現在10巻分の経
巻が残っており、うち5巻は開かれていて内容を確認できる。
経巻のスタイルや計測値から平安時代後期までさかのぼる可能
性が考えられる。写真出土遺物の写真・外浜道・内浜道山頂を
周回し八葉を巡る「お鉢巡り」を行う道である。剣ヶ峰を下り
西安河原の北側で道が二手に分かれるが、峰の外を回り雷岩、
割石を経て白山岳に至る道が外浜道で、峰の内側を大内院に沿
って回り金明水に至る道が内浜道である。沿道には信仰に関わ
る工作物や自然物が数多く存在する。外浜道は近年崩落が著し
く、現在は立入禁止となっている。A2大宮・村山口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・札打場村山浅間神社の北
東約3.5q、天照教社の西南西約1qの地点(標高約830
m)に、東西約7m、南北約10mの平場がある。南側に1本
の大きなケヤキの巨木があり、ここが札打場であった。札打と
は、自分の院号を記した札を打ちつけることである。村山で修
験道が盛んであった頃、山伏が峰入修行に先立ち札打を行った
。昭和30年(1955)頃までは、木に打ちつけた札が見ら
れたという写真札打場の写真・中宮八幡堂跡(1号建物跡)村
山口登山道跡と富士山スカイラインが交差する地点から南西方
向に約500mの地点に位置する。標高は約1,280mであ
る。東側を走る沢から一段上がった平坦面に所在している。平
坦面は2段あり、上−45−段には小さな祠が建てられている
。また下段には、南東から北西方向に石列が伸びている。江戸
時代には馬返しと呼ばれ、駒立小屋があったとされる。また、
ここからは女人は登山道を登ることを許されず、駒立小屋は女
人堂として使われた時期もあったと考えられる。下段平坦面の
南側には溝が東西方向に延び、西側の森林に突き当たって痕跡
をたどれなくなる。木馬道である可能性が指摘される。写真中
宮八幡堂の写真・八大龍王中宮八幡堂跡より北東に約100m
の地点に「八大龍王」と刻まれた石碑と水神の祠が並んで建て
られている。水神祠には「文化十三年寅年六月日」、八大龍王
には「文化七年七月十七日」との銘が刻まれている。駿河国大
宮町神田の横関家の主人が、天保14年(1843)から文久
3年(1863)にかけて記録した『袖日記』には、安政7年
(1860)5月11日の条に「中宮八幡堂の井戸を掘ったの
で山が荒れた」との記述がある。この「中宮八幡堂の井戸」と
は、八大龍王前にある井戸跡を指すものと考えられている。井
戸跡は幅80p、深さ50pほどである。・5号建物跡4号建
物跡から登山道跡を登りしばらくすると一面の倒木帯となり、
その中に5号建物跡がある。標高は約1,865mである。平
成5年の富士宮市による調査では、平場の北側の斜面の縁に3
体の石像が発見されていたが、平成20年の静岡県埋蔵文化財
調査研究所による調査では石像が4体見つかっている。木が倒
れた際に地面が掘り起こされ、地中にあった石像が地上に現わ
れたと考えられる。うち1体の不動明王像には、文化7年(1
810)の銘がある。背面には「瀧本前」と刻まれており、こ
こが「富士山表口南面路次社堂室有来之次第絵図」でいう「瀧
本・笹垢離」跡であると推測できる。4体の石像には破壊され
た痕跡が確認できる。廃仏毀釈によるものと考えられる。なお
、明治末の登山案内では5号建物跡に該当する施設の記載がな
くなっている。・8号建物跡7号建物跡から北西に約220m
(標高約2,170m)の位置にある。中宮八幡堂跡より標高
の高い位置に所在する建物跡の中で最も大規模なものである。
2つの平場により構成され、南西部の平場は東西約25m、南
北約10mである。入口に石段が残存しており、石段の東西に
は石垣が組まれている。また平場中央部よりやや西に護摩壇と
思われる石組も残存している。もう一つの北東部の平場は北西
から南東に傾斜する斜面上に、長軸約15m、短軸約6mの三
角形で、北西側斜面の縁と南側斜面の縁に石組が確認できる。
昭和時代の地図には「一ノ木戸」として載っており、「富士山
表口南面路次社堂室有来之次第絵図」に描かれた「室大日堂・
木戸堂・茶屋堂」にあたると考えられる。室大日堂は大日如来
と役行者像が祀られていたとの記述が『駿河国新風土記』にあ
り、また末代上人が建てた往生寺があったところだともいわれ
ている。写真8号建物跡の写真・12号建物跡村山口登山道跡
に残る遺構のうちで、一番標高の高い位置(約2,390m)
にある。11号建物跡から北に50mの地点に所在する。東西
約8m、南北約5mの方形の区画が石組によって作られている
。東側には直径約90pの丸い穴が二つある。(同様の穴は他
の建物跡でも見られ、)便所跡と考えられる。−46−・鳥居
登山道跡の8合目上に、自然木により構築された鳥居が設置さ
れている。「昭和五十二年七月吉日」と刻まれており、個人が
設置したものである。A3須山口登山道図登山道に要素が点在
している平面図・須山御胎内(溶岩洞穴)旧須山口登山道1合
目(標高1,440m付近)にある全長10m余の溶岩洞穴で
ある。洞穴の直径は約1mで南東側と北西側に入口があり、内
部を通り抜けることができる。登山者は、この洞穴を通って登
山するのがならわしであった。かつて洞穴の延長は数10mあ
ったが、関東大震災により天井部分が崩落し、現在の長さにな
った。崩落した部分は、長さ約30mのU字型の溝状の溶岩地
形として須山御胎内の南東側に残っている。この付近の溶岩は
須山胎内溶岩と呼ばれている。年代測定では1030〜123
0年という結果が出ており、永保3年(1083)の噴火時に
噴出した可能性がある。平成21年に実施した測量調査では、
須山胎内溶岩は須山口登山道脇の標高1,485m付近から認
められており、須山口登山道がこの溶岩流に沿って形成されて
いることが判明した。写真須山御胎内の写真・石像須山御胎内
の洞穴内部に、「木花咲耶姫」の石像が安置されている。地元
在住の彫刻家、杉山拓氏の作品。須山口登山道復興後の平成1
2年に作られたものである。・石燈篭須山御胎内の南東側入口
の両脇に、石燈篭が設置されている。・鳥居須山御胎内の南東
側入口前に高さ3m前後の木製の鳥居が建てられている。・標
柱鳥居脇に、「旧須山口登山道一合目(須山御胎内)」と記さ
れた標柱が、富士山須山口登山道保存会によって設置されてい
る。・祠須山御胎内から南東に続くU字状の溶岩地形脇に、石
造りの祠が設置されている。写真祠の写真A4須走口登山道図
登山道に要素が点在している平面図・古御岳神社冨士浅間神社
の境外末社で、5合目の登山道登り口にある。現在の社殿は、
昭和54年(1979)に建立され、間口九尺、奥行九尺の規
模である。その際、御室浅間神社を合祀した。神社の前には鳥
居がある。かつては3000坪の境内地を持ち、本殿、拝殿、
庁舎を備えていたという。写真古御岳神社の写真・迎久須志之
神社冨士浅間神社の境外末社で、9合目(3,570m付近)
に建てられている。かつては向薬師、向ヒ薬師、手引薬師と呼
ばれ、石室の中に薬師如来が祀られ冨士浅間神社の神主が管理
していた。元禄16年(1703)−47−の文書「大宮司富
士信安等返答下書」に「前薬師之小屋」の記述があることから
、江戸時代初期以降にはすでに祀られていたものと考えられる
。道者はここで薬師に線香を手向けたという。廃仏毀釈によっ
て仏像は山を降ろされ迎久須志神社と改められた。祭神は大己
貴命と少彦名命である。以前は登山道が建物の西側を通るルー
トであったが、現在は建物の東側を通るようになっている。迎
久須志神社の直下には、「日ノ見御前」「日ノ御子」と呼ばれ
る日の出を遥拝する場所があり、江戸時代には「日ノ御子石」
という富士山型の石が置かれていた。富士講の講中が大きな平
石の上で朝日を拝したという。現在「日ノ御子石」はないが、
祠と鳥居が建てられている。写真迎久須志之神社の写真・鳥居
登山道の浅間大社東北奥宮(久須志神社)前(登山道終点)、
9合目、本8合目、本7合目、7合目、本5合目、古御嶽神社
前に自然木などにより構築された鳥居が設置されている。・狛
犬登山道終点の鳥居前に狛犬2体が設置されている。この場所
は「鳥居御橋」(とりいおはし)と呼ばれていた。・石碑7合
目付近の登山道脇に富士講関連の石碑がある。以前はもっと標
高の高い場所にあったが、雪崩によって流されて別の場所に転
がっていたものを山小屋関係者で運び、現在の場所に設置した
という。日付は「七月吉日」とあるのみで、上部が欠損してい
る。A5吉田口登山道図登山道に要素が点在している平面図・
登山道吉田口登山道は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富
士山頂を目指す道である。18世紀後半以降は、最も多くの道
者が吉田口登山道を目指している。しかも、古道としては唯一
徒歩で麓から頂上まで登れる重要な道である。顕著な普遍的価
値を構成する要素として、現存する吉田口登山道や沿道の宗教
施設や山小屋等信仰の拠点などがある。・旧登山道・馬返ここ
から急坂となり馬が使えなくなることからこの名がついた。こ
の一体は草山から木山への境でもあり、ここからが御山の聖地
ということにもなる。富士山有料道路が開通する以前の馬返の
周辺は、本格的な登り勾配の坂道が始まる直前の平地であり、
登拝者たちがいったん休憩を取る場所として賑わった。登山期
間には4軒の茶屋が営業され、登拝者の便に供された。写真馬
返周辺の写真・五合目ここは木山と焼山の境界でもあるこの地
は天地境(てんちのさかい)とも言われる場所である。役場、
中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮
三社の神供料として役銭を納めた場所である。後年は登山切手
改め所となった。小屋については、江戸後期には4軒があった
が、すでに武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」という
名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−48−て
いたことがわかる。最盛期には18軒が所在したと伝えられて
いる。写真五合目周辺の写真・烏帽子岩七合五勺に烏帽子の形
をした岩があり、これを烏帽子岩という。ここにて富士講中興
の祖と称される食行身禄が、1733年に31日間の断食修行
を経て入定した。「甲斐国志」にも「享保十八六月十三日富士
行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋アリ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲
者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期にはすでに身禄の聖地と
して信者が登拝していたことがわかる。現在も富士講の聖地と
して重要な地である。写真烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅
間神社図以下に示す要素が点在している平面図北口本宮冨士浅
間神社は、富士講とのつながりが強く1730年代に富士講の
指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工
事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。社殿の
背後には登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで吉
田口登山道が延びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持
ちながら発展した神社である。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境
内地、吉田口登山道の起点などがある。・本殿本殿は、161
5年、都留郡の領主鳥居土佐守成次によって建立された。桁行
一間・梁間二間の規模で、入母屋造の建物を身舎としてその前
面に唐破風造の向拝一間をつけた形式をとり、独自な本殿形式
が採用されている。各部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・
金具を配して豪華絢爛な装飾を展開し、桃山式建築の装飾的技
法の多様性を示すとともに、すぐれた意匠をみせる顕著な建物
である。写真本殿の写真図本殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1
223年北条義時の創建とも伝えられるが、現社殿は1561
年武田信玄が浅間本社として造営したものである。本殿は身舎
梁間一間、桁行一間で正面に一間の向拝をつける一間社流造の
形式である。東宮本殿は、本社本殿はもとより西宮本殿に比較
してやや小規模であるが、構造形式や蟇股に挿入した彫刻など
に室町時代の手法を示しており、三殿中最も古い建物である。
写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西宮本殿西宮本殿は、1
594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わる本殿
として建立されたが、1615年、鳥居成次の本殿建立により
現在地に移され西宮となった。本殿の形式は東宮と同じ一間社
北側にある丘陵地一帯は神立山と称される。神立山及び富士山
本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩流
に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積
物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのた
め指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見される
。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿
いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(1
670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建
築物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。
写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池
」は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山
に降った雨や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の
溶岩層間を流れ、溶岩流末端で湧出して池になったものである
。禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉
池、下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池
の水で心身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連
の深い池であった。現在も富士山山開きの7月1日には、湧玉
池で禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢
神立山表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の
樹木が生育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。ま
た、野鳥の生息に適した環境でもあり、「野鳥の森」碑が建て
られている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大
社は、社伝によれば大同元年(806)に造営されたという。
かつての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の
総本社として崇められている。現在の社殿は、慶長9〜11年
(1604〜06)に徳川家康が造営したものである。写真社
殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財で
ある。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他
に例を見ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階
上層は桁行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。
明治40年(1907)5月27日古社寺保存法により特別保
護建造物に指定され、以後、国指定重要文化財として保護され
ている。写真本殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図
(幣殿・拝殿含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行
3間・梁間3間の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図に
は幣殿は描かれていないが、現在幣殿として使われている部分
に「作合三間四間ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全
景がよく見えるように描かれたと推測される。県指定文化財と
して保護されている。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床は幣
殿より2段高くなっている。正面が入母屋造、背面が切妻造で
、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付いている。三方に縁を
巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文化財として保護
されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、その外側、本殿
横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−
51−の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文化財とし
て保護されている。[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋根
は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左右には随
身像が安置してある。静岡県指定文化財として保護されている
。写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門から東西に伸び
る回廊は、昭和9年(1934)に付加されたものである。・
手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清めるために手
や口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれの灯籠が境
内各所に設置されている。・石鳥居本殿へ続く参道に石造りの
鳥居が建てられている。昭和33年3月に寄進されたものであ
る。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗り
の鳥居が建てられている。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り
行われる馬場が約200mに渡って東西に伸びている。源頼朝
が富士の裾野で巻狩を行った際、流鏑馬を奉納したことに始ま
ると言われ、室町時代の初期にはすでに神事が行われていたと
の記録が残っている。馬場に沿って両側に御神木の桜が植えら
れている。・禊所湧玉池の上池と下池の境部分が禊所とされ、
池に下りるための石段が組まれている。・神幸橋(湧玉橋)湧
玉池南側の神田川への流出口に石造りの橋が架けられている。
春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発したとされる
。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺かれている
。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋が
架けられている。寛文10年の絵図には既に描かれているが、
大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真
図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成
20年の発掘調査により、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成
された石垣と建物跡が検出された。石垣は樵石積みで組まれ、
平面形は正方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞され
た敷地内で建物跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で
、南側に入口を有していたと考えられる。発掘調査後に、江戸
時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「本地堂」とする記載が確
認されており、最終的に護摩堂から本地堂へ造作し直された可
能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完掘写真(平面写真)
図平面図・随身像慶長19年(1614)2月に建立された。
背銘には、左側の像は「甲州河内下山住番匠石川清助作」、右
−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井三蔵作」と記され、
市指定有形文化財として保護されている。写真随身像全体の写
真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられている。大正7
年5月に奉献されたものである。・御神幸道首標の碑明治以前
に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道の首標が、
池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未年十一
月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれて
いる。昭和59年(1984)に浅間大社境内の土中から発見
され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三
御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・
七之宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅
間神社」が建てられている。・鉾立石楼門前の石段には、鉾立
石が置かれている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の
際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神
路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている
。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、寛文10年(
1670)の絵図では西側にのみ架けられている。写真橋全体
の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下に示す要
素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥居か
ら参道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流上に展開し
ている。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶岩流の先
端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子山)溶
岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よって
、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含め、4つ
の異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝所の基盤
となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によって
流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区域
と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。そのために、
樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていたため
、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写真
溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通り
の幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9,780
uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定されてい
る。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が
建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅
間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」において、これに同行し
た大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾
立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の
宿った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山
弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1
つの計2つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する
丘陵へ登るための石段が組まれている。現在あるものは戦中も
しくは戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周
辺約45m四方が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩
流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を
含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いられたと
思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた12
世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定
される。写真石塁の写真図石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所
の周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もし
くは戦後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口に
は鉄製の門扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝
礼し、祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施
設である。南北約15.2m、東西約7.6mの長方形で、3
0〜40p程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。
富士山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀
を行う際の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側
に別当・供僧席が設けられている。写真遥拝所の写真図遥拝所
の平面図・石鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。
昭和6年(1931)に建立されたものである。・参道石鳥居
から籠屋まで参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示
す要素が点在している平面図・元村山溶岩流村山浅間神社は、
新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間
は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区は
標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に
位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼
ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた
。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社
西側から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立さ
せた要因の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチ
ョウ]−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念
物に指定された。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m
、枝張り東西19m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発
達も著しい。気根が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して
祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰
を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られていた
といわれ、現在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31
年5月24日に県天然記念物に指定された。村山浅間神社の御
神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で最大のも
ので目通り9.9m、枝張り東西17.5m、南北31m、樹
高47mもある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内
板では約1,000年の樹齢とされるが、実際にはおよそ40
0〜600年と推定される。・社叢境内には胸高直径0.7m
以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ1本などの
大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキやスギ
である。富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間神社社
殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間七
社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命
、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊
ら江戸時代末期の建造と考えられるが、外壁は波鉄板板張りに
変えられている。桁行5間・梁間7間、入母屋造、鉄板葺きで
、南面に出入り口を開き、前面と両側面に幅一間の回り縁を巡
らしている。写真社殿の写真図社殿の図面・水垢離場山伏修行
者及び修験者が、富士登拝の道者が垢離をとって身を浄めた場
所で、間口約6.5m、奥行き約4mの長方形で、深さ約0.
6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みとなっている
。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧
水を引き、上の段から樋で落とし垢離を取るようにしてある。
水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石像
が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側に
あり、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四
囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組となっている。丸い石
組の前に置かれた葛石には、「干時安政四年九月」と刻まれ、
安政4年(1857)造立と考えられる。周囲の正方形の石組
みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異な
っているものと思われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総
鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなったところに末代上
人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しかし、神仏分離令
により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏
山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大
己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮守」と呼ばれ、
元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五月十七日奉
再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿
は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る
石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和28年(195
3)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮
守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成1
5年の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水
鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置さ
れている。明治16年(1883)に設置されたものである。
・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大
日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5
年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須
山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢
500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高37m
、目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体が市
指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対
馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河国司
・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録とし
て社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524)と記さ
れた修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(1823
)に再建されたとされている。写真社殿の写真図社殿の図面・
神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿殿
が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内には、社殿前と
石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されている。社殿前の
一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に奉納された
ものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。登り
口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは、
それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納されたもので
ある。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に
、手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−
年と刻まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほど
は石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコン
クリート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗り
のコンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(19
66)に奉納されたものである。・石碑鳥居の東側に、郷社と
して奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮
神社八坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を
祀る境内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物
である。B5冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図・社叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広が
っている。特に参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小
山町の天然記念物である大樹が生育している。・ハルニレ昭和
38年(1963)2月19日に静岡県の天然記念物に指定さ
れた。根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東
西28.10m、南北23.50m、樹齢約500年。北日本
の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社以外の
小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生育
している。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天
然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m
、目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南
北9.5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方
型で、静岡県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根
上がりモミ平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定され
た。樹齢約300年で、根回り4.61m、目通り3.07m
、樹高27m。この根上り群は約150年生のモミの根本にブ
ナ、イヌシデの種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨によ
り流亡しながらモミが成長したため、根が爪を立てた状態で生
育し、根上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれ
ている。・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造
物)に指定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享
保3年(1718)に再建された。その後蟻害や老朽化により
改修したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが
今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権
現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年
間の遺構を残した流造りとなっている。−57−構造は、拝殿
が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風
付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、
向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真
図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付
きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神と
して配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破してお
り、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時
に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門
、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は出
組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入口には、
花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束には「不二
山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納された。
・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居
が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両側に、富士塚
が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士講講碑群明治
より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された記念碑が多く
残されている。多くは、数多く富士登山が成就されたことを感
謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたもので、境内地の
西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられている。写真富
士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B6河口浅間神社図
以下に示す要素が点在している平面図河口浅間神社は、864
〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓でも浅間神社
が建てられることになったが、その神社である可能性が高い。
現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史
的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできな
い資産である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富
士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある
。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡
る可能性がある。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり
、当時の富士山及び噴火ということに対する当時の考え方を理
解することができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知の
再建。銅製の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公
弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御
室浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図−58−冨
士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場を
しつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社で
あるとする文献もある。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参
拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在の里宮が建立さ
れたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷
地内に移設されている。修行や登拝といった様々な富士信仰の
拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがあ
る。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮
)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年
代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をし
つらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、
平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験
所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の
村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点と
して行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当
時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時
代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らかにさ
れている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m
、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも
彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩
も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の
遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿
の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒
の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊であ
る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み
路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅
などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式
の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設された
ものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型」
をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前
の御師住宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、富士
講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがある
などの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、
御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的
な御師住宅に比して独自の構成を有している。写真主屋等の写
真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部
二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を
背面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷部は
間口11.8m、奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面
北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に
建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの
覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設
がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅としての形態を
、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない
社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家
住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平
面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士
講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象と
して数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作
品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として
、自然地形(湖水)などがある。写真山中湖の写真B10河口
湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡
って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが
、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。ま
た、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著
な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)など
がある。写真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が
点在している平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの
湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地
(霊場)であった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として
、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す
要素が点在している平面図船津胎内樹型は、1673年に富士
講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開祖であ
る長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹
型船津胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1
溶岩流の西縁に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に
交叉して形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が
肋骨のように見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あ
たかも内臓を摘出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称は
これに基づくものであり、極めて貴重な形態と言える。・無戸
室浅間神社・石造物群1673年、富士講道者村上光清により
現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神
が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむ
ろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号
を無戸室浅間神社と名付けた。−60−B13吉田胎内樹型図
以下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、189
2年に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹
型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1
溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が
肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(木
花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内の
石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講
にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹
型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B
14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在
している平面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶
岩(約11,000年前から約5,000年前)に属する犬涼
み溶岩流の末端部近くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高
1,206mの犬涼み山から噴出し、西方に約5q、標高差に
して約700mの扇状地をつくる溶岩流である。写真溶岩流の
写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に
富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行ったとされる洞穴で
ある。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所の溶岩洞穴のうち
、西端部の最も低い位置にあり、溶岩が流れ下るとき溶岩表面
が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶岩が抜けて空洞がで
きたものである。洞穴の南西の端が進入口となり、洞穴中央部
でくの字型に曲がっている。入口から約30mの屈曲部手前中
央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅広く、奥に
入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部までは約8
0mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴の
写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生)人穴集落では主に製炭
と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・ク
ヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の
消費が減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギ
に改植された。御神木に相当する大樹等は存在しない。・碑塔
群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基
の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89
基についてみると、一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立
のものである。建立目的によって大きく分類すると、個人の戒
名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑供養碑」、修行に
よる大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講
の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」の3種とそれ以外に整理
される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61−写真碑塔群の写
真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社社殿のある平場
へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている。現在はコン
クリートで覆われている。・建物跡大小2つの建物跡が人穴洞
穴直上の平場で検出されている。西側に規模の大きな1棟と、
その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なものの方がより
古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施されて
いる。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場か
ら斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34m続いている
。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築
されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り
口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ
機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地の北側を通
る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初
期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺構は検
出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶
岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B15
白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、
古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫
岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。
写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩流の
ひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度にあ
る。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境目に
はマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達し
ている。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。
白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰
り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、こ
の多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆
積物を次第に浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上
部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなく
なった時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後
退し続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理
は浸食に弱く、滝の後退を早める一因と指摘されている。白糸
ノ滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退してい
るという計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であ
り、同様のメカニズムで崩落−62−を繰り返していると考え
られている。写真溶岩流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白
糸の滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡り
馬蹄状に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を
垂らしたように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周
辺の地質は、下部に不透水層である古富士泥流堆積物があり、
上部に透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富士
山麓に降った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層
との境目を流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両
層が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間
から水が湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止
の滝も同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも
呼ばれ、白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差
約25メートルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせ
ている。崖面では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見
られるが、白糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は
、「お鬢水」とも呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、
湧水が池となったものであり、その水は白糸の滝の一部として
流れ落ちている。また、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)
石」、「杓子石」等の名前のついた石があったとされるが、現
在は不詳である。・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い
茂っている。また指定地内には、メヤブソテツ、ユリワサビ等
特色ある植物相がある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代
中期以降江戸で隆盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝承
がある。角行は白糸の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富
士講の信者の中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の滝で修行を
行う者がいたことが知られている。幕末の資料には、白糸の滝
で垢離をとり修行を行った富士講の信者の記録がある。指定
内には富士講の信者が建てた石碑があり、「仙元大神」と記さ
れたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記されたもの(白糸
の滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数
多の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景がある。写真景
勝の写真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な
勝景がある。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では、白糸
の滝と音止の滝の勝景とともに、見事な富士山が望まれる。写
真展望の写真・富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年
(1193)に源頼朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる
伝承がある。音止の滝の名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄
弟の仇討ち伝承に由来するもので、兄弟が仇討ちの相−63−
談をしている間は水音を止めたことから名づけられたという。
また、鬢撫水には、富士の巻狩の折に源頼朝がここで鬢のほつ
れを直したという伝承がある。・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古
くから詩歌に詠まれてきており、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸
の滝の勝景を詠んだ歌碑がある。・標識名勝及び天然記念物で
あることを明示する標識がある。B眺望C三保松原図以下に示
す要素が点在している平面図三保松原は、静岡市清水区南東部
に位置する三保半島にあり、半島の東岸真崎から海岸線に沿い
、南北に約4キロメートルに及ぶ松林と内陸部に散在する松林
が主体をなしている。真崎から海岸線に沿う松林は、国有地又
は市有地が大半を占めているが、内陸部の松林と松林の景観を
維持している背後地については、ほとんどが民有地となってい
る。松林には、300年を経た老木から幼令木が約54,00
0本、幅広く分布している。図三保松原の地区区分図表地区区
分詳細表地区境界@特別規制A地区真崎灯台の内海側の第2種
規制地区との境界は、隣接する特別規制B地区と第2種規制地
区との境界(松が途切れる所)の延長線上とする。A特別規制
B地区特別規制A地区との境界は防潮堤外側とし、その他の規
制地区との境界は、羽衣参道は道路外側、それ以外は平成元年
4月1日現在において松原を形成している地区、ただし、真崎
先端の境界は真崎灯台と建設省財産、運輸省財産及び民地側の
境界を結んだ線とする。B第1種規制地区真崎付近の第2種規
制地区及び第3種規制地区との境界は、都市計画道路の中心線
とし、字広道の第2種規制地区との境界、字羽衣脇の三保第一
小学校を中心とする第2種規制地区との境界及び大字折戸地区
における第2種規制地区との境界は、隣接する道路の中心を境
界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規制地区との境界は
、羽衣参道中心より25mの位置とする。C第2種規制地区真
崎付近第3種規制地区との境界は、市道本村海岸58号線の中
心の延長を境界とする。その他の地区との境界は、@ABを参
照。D第3種規制地区各地区との境界はABCを参照。(2)
顕著な普遍的価値を構成する諸要素と密接に関わる諸要素@自
然地形構成資産の土地には、山並み、湧水や富士山及び側火山
の噴火等の火山活動によって形成された溶岩樹型などの自然地
形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在し
ているものもある。ア富士山山体及び登山道A富士山−64−
・テフラ噴火の際、山頂火口から粘性の小さい玄武岩質のテフ
ラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、山頂付近はテフラに
覆われている。・大沢崩れ「八百八沢」と呼ばれる多くの浸食
谷の中で最も大きなもので、富士山西斜面の山梨県との県境に
位置する。山頂直下から標高2,200m付近まで延長2.1
q、最大幅約500m、最大深さ約150mに渡る。崩壊は現
在も進行中で年平均約15万?の岩石・土砂を流出し、大沢川
流域に扇状地を形成している。写真大沢崩れの写真図大沢崩れ
の図面A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・日沢(
浸食谷)日沢は富士山の浸食谷の1つで、村山口登山道跡とほ
ぼ並行に山腹を南下していく。村山口登山道跡とは、中宮八幡
堂跡の東側(標高1,280m付近)及び、6号建物跡と7号
建物跡の間(標高2,015m付近)で交差する。2,015
m付近には、日沢の上に巨石があり、自然の橋のような地形に
なっており、横渡と呼ばれる。登山道はここで日沢の左岸から
右岸に渡る。写真日沢の写真A3須山口登山道起伏に富んだ自
然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテフラと溶岩を繰り返
し多量に噴出したため、テフラに覆われている。A4須走口登
山道起伏に富んだ自然地形をなし、粘性の小さい玄武岩質のテ
フラと溶岩を繰り返し多量に噴出したため、テフラに覆われて
いる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られる古
富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶岩
成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖
A9本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂基盤
層により構成されているが、東側新富士火山の旧期の溶岩、さ
らにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。この溶岩
流については水中に流入して形成された水底溶岩の可能性も指
摘されている。(久野久(1968)水中自破砕溶岩)また本
栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新富士火山
の特徴が示され、それより深いところは古富士火山の特徴を示
している。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩主体の
富士山起源の火山活動が確認−65−されている。イ信仰B1
富士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言われ
る。参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(
1670)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込
んでいる。写真鏡池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地に
は丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる
重要な要素となって存在しているものがある。B3村山浅間神
社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構
成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがあ
る。B4須山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自
然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存
在しているものがある。B5須走浅間神社・信しげの滝(清め
の滝)境内地の池で汲み上げた水が、石鳥居南側の「信しげの
滝」まで流れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社
B8御師住宅中門をくぐると川(水路)が流れており、かつて
は当家に宿泊する富士講の禊ぎの場となっていた。B9山中湖
B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・構成岩石質
、地質学的形状(平面的、立体的)等B13吉田胎内樹型溶岩
流の流出時の表面の状態がほぼ保たれている。地域を覆う玄武
岩溶岩流をはじめ、スコリアなどの火山活動に伴う噴出物が顕
著に見られる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)−66
−構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構
成資産を成立させる重要な要素となって存在しているものがあ
る。B15白糸の滝構成資産の土地には丘陵や河川などの自然
地形が見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在
しているものがある。ウ眺望C三保松原なしA森林、植栽樹木
構成資産の土地には、富士山の景観を構成している天然林、富
士山原始林及び青木ヶ原樹海、人工林などからなる森林が存在
しているほか、社叢林・境内林などが存在している。ア富士山
山体及び登山道A富士山標高3,300m付近より上方の地域
にコケ類・地衣類が生育している。A1山頂信仰遺跡なしA2
大宮・村山口登山道・草山部分の植物村山浅間神社から中宮八
幡堂跡の下までにあたり、植物の垂直分布では、丘陵帯から
地帯にあたる。戦後、スギ・ヒノキ・モミなどの植林が行われ
、道沿いはほとんどが人工林であるが、天照教社から富士山麓
山の村を経て中宮八幡堂跡に至る道沿いには、ブナ・ミズナラ
・カエデなどの落葉広葉樹の自然林が残っている。林の下には
ササ(スズタケ)が視界を遮るほど生い茂っている。・木山部
分の植物中宮八幡堂跡付近から新5合目の森林限界(2,40
0m付近)までにあたり、植物の垂直分布では、山地帯から亜
高山帯にあたる。高所に上がるにつれてブナ・カエデなどの広
葉樹からウラジロモミ・シラビソなどの針葉樹に変わり、標高
1,600m付近で落葉樹とササがなくなる。・焼山部分の植
物森林限界である標高2,400m付近から上で、植物の垂直
分布では高山帯にあたる。この付近の植物は7月下旬から9月
上旬にかけていっせいに花を咲かせる。オンタデ、ムラサキモ
メンヅル、ミヤマオトコヨモギなどが見られる。A3須山口登
山道・木山部分の植物植物の垂直分布では、須山御胎内(標高
1,440m付近)付近は夏緑樹林帯(ブナ・ミズナラ・カエ
デ類)にあたり、林床にはササ類が密生している。幕岩上部(
標高1,680m付近)付近は、針葉樹のシラビソ・−67−
オオシラビソ・コメツガなどが多くなるが、森林限界(標高1
,700〜1,750m)に近くなるにつれて樹高が低くまば
らになる。宝永噴火の際に噴出したスコリアが厚く堆積してい
るため、須山口登山道付近の森林限界は、他の登山道よりもか
なり低い。・焼山部分の植物須山口登山道2合8勺(標高2,
050m付近)から頂上までは、植物の垂直分布で高山帯にあ
たる。オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジアザミなどが
、まばらに分布する。A4須走口登山道・木山部分の植物植物
の垂直分布では、須走口登山道5合目(標高2,000m)付
近は、亜高山針葉樹林帯でシラビソ・オオシラビソ・コメツガ
などが分布する。須走口登山道の森林限界は約2,700mで
、他の登山道よりも高い。・焼山部分の植物森林限界を過ぎる
と高山帯となり、オンタデ、イタドリ、フジハタザオ、フジア
ザミなどが、まばらに分布する。A5吉田口登山道標高160
0m付近より下方の区域は、山地帯に属する。自然林はごく少
なく、ほとんどがアカマツ・カラマツなどの植林地である。わ
ずかに残る自然林では、ミズナラ・ウラジロモミや自生のアカ
マツ等が生えている。天然記念物「躑躅原のレンゲツツジ及び
フジザクラ群落」が存在するのもこの地域である。標高160
0mから2500m付近までの区域が亜高山帯にあたり、コメ
ツガ・シラベ・オオシラビソの森林を形成している。火山礫の
露出した日当たりの良いところには、ダケカンバが生えている
。・焼山部分の植物標高2500m付近から上の区域は高山帯
に当たり、森林は形成されない。植物はほとんどみられない地
域であることから、かつては「焼山」と呼ばれた。植物の遷移
の過程を見ることが出来る場所としても、学術的価値が高い。
ここには、カラマツが匍匐状に生育し、乾燥に強いミヤマハン
ノキ・オンタデ・メゲツソウ・フジアザミ・ムラサキモメンズ
ルなどが生育する。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精
進湖A9本栖湖水辺植物群、沈水植物群にそれぞれ特徴が挙げ
られる。イ信仰B1富士山本宮浅間大社構成資産の土地には、
丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植
栽された樹木等が存在している。−68−B2山宮浅間神社構
成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林などのほか
、敷地内において植栽された樹木等が存在している。B3村山
浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内林
などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在している
。B4須山浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢
林・境内林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存
在している。B5須走浅間神社構成資産の土地には、丘陵を構
成する社叢林・境内林などのほか、敷地内において植栽された
樹木等が存在している。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神
社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12
船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)構成資産の土地には、丘陵を構成する社叢林・境内
林などのほか、敷地内において植栽された樹木等が存在してい
る。B15白糸の滝イロハカエデ、ヤブツバキ等の自然林や植
栽等の植物がある。ウ眺望C三保松原松の生立木が植栽及び自
然植生している。B保存管理又は公開活用を目的とした建造物
構成資産の土地には、保存管理、公開活用のための各種展示施
設・管理棟・防災施設のほか、解説板・誘導案内板等が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山−69−富士山にお
ける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された案
内標識等の整備が進められている。A1山頂信仰遺跡富士山に
おける標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統一された
案内標識等の整備が進められている。A2大宮・村山口登山道
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統
一された案内標識等の整備が進められている。A3須山口登山
道なしA4須走口登山道富士山における標識類総合ガイドライ
ンに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められ
ている。A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドラ
インに沿ったデザインで統一された案内標識等の整備が進めら
れている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9
本栖湖・2006年3月22日より、自然環境や適切な利用環
境の保全を図るため、本栖湖水面は動力船の乗り入れ禁止区域
に指定された。こうした規制内容を説明するための説明板や水
上バイク等動力船乗り入れ禁止看板が湖畔の川尻地区などに設
置されている。・中之倉トンネル脇の山腹は旧五千円札(現千
円札)の裏面に使用されている富士山と本栖湖のイラストのモ
デルとなった岡田紅陽の写真の撮影地である。国道300号線
沿いの中之倉トンネル脇には四阿を有する展望地がある。自然
公園法の第2種特別地域として、観光施設等も景観に配慮され
ている。イ信仰B1富士山本宮浅間大社・渋沢用水(横溝川)
神立山の北側部を流れる渋沢用水(横溝川)は、淀師地区渋沢
の湧水地に源を発し、神立山の北半部を蛇行しながら南東方向
へ流れ、富士宮市中心部を灌漑する用水路である。開削時期は
不明であるが水田開発を目的として開削されたと考えられ、開
発が進むにつれ生活用水や防火用水として使われるようになっ
た。現在は水質悪化により生活用水としては利用されなくなっ
ている。・社務所−70−楼門から続く東廻廊の東側に、神社
を管理し神社の社務を取り扱う社務所が建てられている。・祈
祷殿楼門から続く西廻廊の西側に、各種祈祷や御祓いを行うた
めの祈祷殿が建てられている。・浅間大社参集所現在の参集所
は昭和53年(1978)に建てられたもので、直会や各種会
合に利用されている。・神田川ふれあい広場施設昭和39年に
富士宮市が浅間大社境内地の一部を児童公園として整備され、
さらに平成6年から7年にかけて親水広場を備えた「神田川ふ
れあい広場」として再整備された。現在は、同時期に改修され
た神田川護岸も含め、中心市街地の親水空間として市民の憩い
の場となっている。広場内には、トイレ、各種遊具、ベンチ、
時計、水飲み場等の施設・設備が設置されている。・御手洗橋
神田川ふれあい広場の南東側には、長さ7.3m、幅11.5
mの御手洗橋が架けられている。『大宮町誌』には、明治26
年(1893)に架けられたとの記述がある。・弓道場第1駐
車場西側に、弓道場が整備されている。・消防団詰所鉄骨2階
立ての富士宮市消防団第1方面隊第3分団の詰所が、神立山南
西の端に建てられている。・案内板・説明板本殿や湧玉池など
が、文化財に指定されていることを案内・説明する高札が建て
られている。・古神札納所拝殿東側に、古い神札を納めるため
の屋根付きの箱が置かれている。・大金剛杖古神札納所西側に
、大金剛杖が置かれている。開山祭に使用されていた。・藤棚
水屋神社の南側に、藤棚が設けられている。・駐車場指定地の
南西部分には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車
場が整備されている。B2山宮浅間神社・案内板・説明板籠屋
の南側に、案内板等が建てられている。山宮浅間神社の由緒を
記したもの、山宮浅間神社の概要と、市指定文化財であること
を記したもの、山宮浅間神社の概要と、富士宮市「歩く博物館
」のコースであることを示すものの3本である。・手すり籠屋
から遥拝所へ向かう石段の脇に、手すりが設置されている。・
鉄柱籠屋から遥拝所へ向かう参道と石段の両脇に、祭祀で利用
する鉄柱が設置されている。・トイレ籠屋西側に、水洗トイレ
が設置されている。・水道籠屋南側に、コンクリート製の水道
施設が設置されている。−71−・水飲み場水道施設の南側に
、コンクリート製の水飲み場が設置されている。・ベンチ休憩
用のベンチが設置されている。・鳥居駐車場横の参道に、コン
クリート製の鳥居が建てられている。・燈篭コンクリート製の
鳥居から籠屋へ至る参道の両側に氏子等が奉納した燈篭が並ん
で設置されている。また、籠屋北側鉾立石の左右にも1基ずつ
設置されている。・駐車場乗用車3台程を駐車できる駐車場が
、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けられている。・
石碑山宮浅間神社の由緒を記した石碑が、駐車場の北側に設置
されている。・石造物参道沿いには、道祖神、青面金剛、観音
等の石造物が置かれている。B3村山浅間神社・社務所境内西
側に、社務所が建てられている。・宝物殿社殿の南西側に、宝
物殿が建てられている。・村山公会堂社務所の西側には、元村
山地区の住民が、会合等で利用する公会堂が建てられている。
・トイレ社務所北側に、トイレが設置されている。・参道手す
り氏神社へと登る参道脇には、アルミ製の手すりが設置されて
いる。・御神木柵県指定天然記念物のイチョウの周囲には、樹
木保護のための柵が設置されている。・御神木指定証県天然記
念物に指定されているイチョウと大スギが、御神木に指定され
た旨を示す札が、イチョウ周囲の柵と大スギの幹に掲げられて
いる。・石柱村山浅間神社が、大正14年(1925)に縣社
に昇格したことを示す石柱が、参道入口左側に設置されている
。また、昭和62年(1987)に寄贈された「富士根本宮村
山浅間神社」と刻まれた石柱が、参道入口右側に設置されてい
る。・児童公園六道坂入り口付近に、すべり台等の遊具を備え
、またプールを併設した児童公園が整備されている。・駐車場
境内地西端に、参詣者用の駐車場が整備されている。−72−
・村山水道完成記念碑社務所裏側に、村山水道の完成を記念す
る碑が建てられている。昭和33年に建立された。・説明板(
富士山表口真面之図)麓の吉原から山頂へ至る登山道と、途中
のポイントとなる地名、集落を繋ぐ道等を示した地図が、村山
公会堂の北側に設置されている。B4須山浅間神社・御胎内説
明板須山口御胎内の由緒等についての説明版が、富士山須山口
登山道保存会により、鳥居脇に設置されている。・洞窟内説明
板「須山胎内」と書かれた金属板が、洞穴内部壁面に設置され
ている。・梯子須山御胎内の北西側入口に、ジュラルミン製の
梯子が架けられている。・ベンチ・テーブル須山御胎内から登
山道を80mほど進んだ場所に、木製のベンチ2脚とテーブル
1台が設置されている。・蝋燭台須山御胎内の南東側入口に、
木製の蝋燭台が設けられている。・標識須山御胎内から幕岩ま
での登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を示す標識が設
置されている。木製と金属製のものがある。御殿場口との合流
点より上部については、茶色と緑色の地に白い文字で統一され
た登山道案内標識が設置されている。この標識は富士山におけ
る標識類総合ガイドライン(仮称)に沿ったデザイン案で統一
されている。B5須走浅間神社・神馬舎楼門の西側に神馬舎が
建てられている。・神輿庫恵比寿大黒社の東側には、例大祭で
使用される神輿の格納庫が建てられている。・あずまや祖霊社
の北側には、あずま屋が建てられている。・神橋(太鼓橋)県
道138号線から、川を渡って参道へと通じる橋が架けられて
いる。・説明板・案内板浅間神社の由緒、天然記念物の樹木の
概要等を記した説明板、参拝路を表示した案内板等が立てられ
ている。・駐車場社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車6
台分が設けられている。・トイレ神輿庫の東側には、参拝者用
のトイレが建てられている。・ベンチ−73−浅間の杜内には
、散策する際に休憩するためのベンチが、6基置かれている。
・社務所・記念資料館参道入口脇に、神社を管理し社務を取り
扱う社務所と、冨士浅間神社や須走地区の歴史的な資料を保管
する記念資料館が併設されている。・須走護国神社西南の役か
ら太平洋戦争に至る間の、須走の戦没者24名が祀られている
。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅旧外川
家住宅は、主屋や離座敷などに旧外川家が有する民俗資料等を
展示し、定期的に入れ替えながら御師や御師住宅、富士講など
に関する理解を深めるよう活用されている。B9山中湖B10
河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型船津胎内樹型の管理
を行う施設として河口湖フィールドセンターがある。溶岩樹型
に関わる資料や自然、生物等の展示施設をもち自然共生室とい
う研究機関も兼ね備え、洞穴や周辺環境の価値の普及、洞内環
境の保護、入洞者の安全確保に寄与している。B13吉田胎内
樹型吉田胎内樹型に関する解説板が山梨県・富士吉田市教育委
員会により設置されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間
神社)・説明板、案内板洞穴の入口に、人穴の由緒や市指定文
化財であることを記した説明板、碑塔群や洞穴内の危険に対し
て注意を促す旨の案内板が4本建てられている。B15白糸ノ
滝なしウ眺望C三保松原なしC道路とその他人工物構成資産の
土地には、日常生活を営む地域住民が使用する生活道路や、富
士スバルラインや富士山スカイラインなどの観光道路をはじめ
てとして、電柱、看板、誘導標識などをはじめとする各種の建
築物及び工作物が存在している−74−ア富士山山体及び登山
道A富士山・救急搬送・荷物搬送区域救急用・緊急避難道とし
ての役割を持つ道路等の施設である。搬送には、ブルドーザー
が使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵・注意表示板が
設置されている。A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山
道6合目以上では、登山者の安全確保のため、登山道に沿って
鉄杭、ロープ等が設置されている。A3須山口登山道須山御胎
内から幕岩までの登山道脇に、須山口登山道及び須山御胎内を
示す標識が設置されている。木製と金属製のものがある。御殿
場口との合流点より上部については、茶色と緑色の地に白い文
字で統一された登山道案内標識が設置されている。この標識は
富士山における標識類総合ガイドラインに沿ったデザインで統
一されている。A4須走口登山道登山者の安全確保のため、登
山道に沿って鉄杭、ロープ等が設置されている。須走口登山道
は、茶色地に赤色の帯が入り、白い文字で統一された登山道案
内標識が設置されている。この標識は富士山における標識類総
合ガイドラインに沿ったデザインで統一されている。吉田口登
山道が合流する八合目より上部は、さらに黄色の帯が加わる。
A5吉田口登山道富士山における標識類総合ガイドラインに沿
ったデザインで統一された案内標識等の整備が進められている
。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖湖
西側に位置する水力発電用取水口は、(株)日本軽金属蒲原製
造所の工場群に電力を供給する自家用水力発電所の一つ、本栖
発電所のものである。イ信仰B1富士山本宮浅間大社指定地の
南西部分には、自動発券機(料金収受機)を設置した第1駐車
場が整備されている。B2山宮浅間神社乗用車3台程を駐車で
きる駐車場が、県道から入って境内地を横切る道沿いに設けら
れている。−75−B3村山浅間神社境内地西端に、参詣者用
の駐車場が整備されている。B4須山浅間神社裾野市と須山振
興会によって、須山口からの登山道の案内図が設置されている
。B5須走浅間神社社務所東側には、参拝者用の駐車場乗用車
6台分が設けられている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間
神社B8御師住宅国道139号に面した敷地入口には、御師住
宅(旧外川家住宅、小佐野家住宅)の内容を示す解説板が設置
されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船
津胎内樹型河口湖フィールドセンターの開設に伴い整備された
トレイル(遊歩道)が設けられている。遊歩道には石造物の分
布が確認でき、自然散策路としての要素以外に歴史散策路的要
素も兼ね備えている。B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山
道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである。古
くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道
」として記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口、石垣の西側
に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有してい
たと考えられる。B15白糸ノ滝市道・私道等の道路、階段、
曽我橋、滝見橋等がある。また、それらの付属施設がある。危
険を伴う区域には、護岸や落石防護ネットが整備され、また、
立入禁止の札が立てられている。県道沿い及び芝川本流左岸等
には駐車場があり、管理小屋等の付帯施設がある。また、県道
沿いの駐車場には公衆トイレがある。ウ眺望C三保松原−76
−なし(3)周辺環境を構成する諸要素@自然的要素構成資産
の周辺には、山並み、河川をはじめとする各種自然地形が存在
している。また、統一感のある山並み景観を構成している天然
林及び施業林からなる森林が存在している。ア富士山山体及び
登山道A富士山・宝永火口静岡県側からの富士山の景観を特色
付ける噴火口で山頂信仰遺跡の南東側にある。宝永4年(17
07)に発生したテフラの爆発的噴火により、白い灰のデイサ
イト質軽石・黒曜石(烏石)・凝灰石など新第三紀の基盤岩類
、斑レイ岩、黒い玄武岩質スコリアなどを降らせた。記録によ
れば約100q離れた江戸にまで火山灰が到達したが、溶岩の
流下はなかった。活火山であり、今後も噴火活動の可能性があ
る。・富士山特定地理等保護林8合目から標高約2,400m
付近にかけて展開する約927haの保護林である。富士山の
国有林においては第3次国有林野施業実施計画、自然環境の維
持、動植物の保護が図られ、あわせて遺伝資源の保存を図るこ
とを目的として設定されている。富士山独特の地形・地質を持
つ区域の植生として貴重な区域である。・富士箱根伊豆国立公
園富士山管理計画区自然公園法の特別保護地区あたる概ね5合
目以上の火山高原を主体とした山頂部までの区域である。富士
山の火山景観の核心部を呈する区域であり、富士山の秀麗な山
容、植物の遷移過程等が保全の対象となっている。A1山頂信
仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・鳥類相富士山域で観察さ
れた鳥類は約160種である。固有種は存在しない。・陸生哺
乳類富士山の山域には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生
息する。その中には、特別天然記念物に指定されているニホン
カモシカや天然記念物に指定されているヤマネが含まれる。ま
た、ツキノワグマも生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息
できる環境が限られ、生息数は少ない。A3須山口登山道・幕
岩登山道の東側50m、標高1,650m付近にあり、新富士
火山の中期溶岩の切り立った岩壁で、比高は15mを超える。
岩肌には樹木が生い茂り、崖の下には直径1〜2cmのスコリ
アが一面に堆積している。その存在は宝永噴火前の古絵図にも
記録されている。古絵図には「まこ岩」「孫岩」の名で記述さ
れることもある。役行者が7世紀後半に伊豆に流された折、こ
の地で修行したという言い伝えが残っている−77−(日本霊
異記)。登山道から幕岩の直下に降りる道がある。・側火山登
山道沿いには宝永山(標高2,698m)、二ツ塚(標高1,
926m、1,804m)、アザミ塚(1,626m)などの
側火山が見られる。宝永4年(1707)の宝永の噴火により
須山口旧登山道は崩壊し、その後、宝永山を東に迂回する形で
復興した。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約160種で
ある。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域には、
6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中には、特
別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記念物に
指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマも生息
するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限られ、生
息数は少ない。A4須走口登山道・御胎内(溶岩洞穴)須走口
登山道6合目の北側(標高2,630m付近)にある溶岩洞穴
。開口部は腰をかがめなければ進めないほど狭いが、内部は数
名が立つことのできる空間が広がっている。・小富士標高1,
959mの側火山で、須走口登山道5合目からほぼ北に600
mほど離れた場所にある。延暦19年(800)とそれに続く
噴火により形成されたとされている。須走口5合目から高低差
の少ない小富士遊歩道が整備され、気軽に訪れることができる
。周辺は針葉樹林(シラビソ・コメツガ・トウヒ)に覆われて
いるが、頂上部分はスコリアに覆われて樹木がなく、山中湖・
箱根など東の眺望が楽しめる。小山町観光協会によるコンクリ
ート製の標識と、大正13年(1924)に扶桑教によって建
立された祠がある。祠内部に仏像が三体あったというが、現在
は残っていない。・鳥類相富士山域で観察された鳥類は約16
0種である。固有種は存在しない。・陸生哺乳類富士山の山域
には、6目14科35種程の陸生哺乳類が生息する。その中に
は、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや天然記
念物に指定されているヤマネが含まれる。また、ツキノワグマ
も生息するが、落葉広葉樹林が少なく、生息できる環境が限ら
れ、生息数は少ない。A5吉田口登山道A6北口本宮冨士浅間
神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖北側・西側・南側の山は御
坂層基盤により構成されている。北側から西側にかけては、標
高1100m〜1300m前後の山が連なっている。また南側
には標高1485mの竜ヶ岳が位置している。イ信仰B1富士
山本宮浅間大社・神田川−78−湧玉池の湧水を水源とする神
田川が、約1,000mを流れ潤井川に注いでいる。かつては
禊所より下流(下池)の部分も含めて御手洗川と呼ばれていた
。現在、護岸の一部は、神田川ふれあい広場から下りる親水護
岸として整備されている。B2山宮浅間神社なしB3村山浅間
神社なしB4須山浅間神社なしB5須走浅間神社なしB6河口
浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B
10河口湖B11忍野八海B12船津胎内樹型・溶岩洞穴等の
主体となる地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と
火砕物により構成)B13吉田胎内樹型・溶岩洞穴等の主体と
なる地形・溶岩洞穴等を構成する地質(剣丸尾溶岩流と火砕物
により構成)B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)なしB1
5白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なしA歴史的要素構成資産の
周辺地域の地下には、関連の遺構、遺物が良好に残されている
区域があり、それらは文化財保護法に基づき埋蔵文化財包蔵地
として周知されている。また、かつて登山者に利用された御師
の家並みなど、文献史料に記載された多数の伝承地や名所等が
存在している。ア富士山山体及び登山道−79−A富士山なし
A1山頂信仰遺跡なしA2大宮・村山口登山道・馬頭観音1村
山浅間神社脇の舗装された道を登って南西から北東に進んでい
くと、舗装道が大きく北西方向にそれていく。村山口登山道跡
はここを北西に行かずに、直進し北東方向へ進む。その交差点
に馬頭観音の碑が建っている(標高約590m)。昭和8年(
1933)に上原伸郎によって建てられたものである。・馬頭
観音2静岡県立富士山麓山の村を抜けた場所にある。ここはや
や道幅が広い、比較的直伸している経路と、屈曲した経路の2
つが存在する。前者については明治以降に木材の切り出し・運
搬に使われた木馬道であると推測される。ここで以前に馬が死
んだので、供養のために馬頭観音を建てたと伝えられている。
・2号建物跡平成5年の富士宮市の調査では、中宮八幡堂跡手
前で日沢を渡り、50mほど登ったところに2号建物跡がある
とされる。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』では、「道
の南側に12m×8mの平坦面があり、道の北側にも平らな場
所がある」と報告している。平成20年の調査では平場らしき
地形を確認したが、平成5年当時の景観と著しく異なっており
、両者が同一のものか判断できない。写真建物跡の写真図建物
跡の図面・3号建物跡登山道跡と県道富士宮富士公園線が交差
する地点から約60m南に下りた位置にある。周囲はなだらか
な傾斜の天然林で、地面は落葉に覆われている。むき出しにな
った岩石には一面に苔がむしている。東西4m弱・南北6m弱
の方形の石列があり、その北東側に小さなくぼみを確認した。
『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』は、このくぼみを便所
跡としている。写真建物跡の写真図建物跡の図面・4号建物跡
富士山スカイラインと村山登山道が交差する地点から北北東の
方角に約600mの位置にある。登山道の西側には日沢が南北
に走っており、北側と東側には斜面が迫る。周辺は天然林で、
下草にスズタケが生い茂っている。平場は東西約8m、南北は
約6mで、南側の縁には一部石組が確認された。南側中央部に
は石段が確認された。『富士山村山口登山道遺跡調査報告書』
はここを「矢立・新小屋」にあたるとしているが、後世まで木
の切り出しなどの休憩小屋として使われていた可能性をも指摘
している。・6号建物跡5号建物跡から北北東に約450mの
位置(標高約1,985m)にある。周囲は西向きに傾斜する
やや急な斜面である。登山道の西側は、日沢に向けて急激に落
ち込んでいる。登山道の東側には、東西約12m、南北約10
mの平場がある。平場の南縁には石組が見られ、登山道を挟ん
で東西12mにわたって延びている。平場の北側の斜面にも石
組が確認できる。・岩屋不動岩屋不動は、役行者からの伝法で
村山三坊が毎年年番で行っていた札打ちや勤行等を行う富士峯
修行の修行所の1つであった。江戸時代の絵図には、高所にあ
る洞穴と、その脇を流れる滝の情景で描かれ−80−ることが
多い。洞穴内には不動明王が安置されていたという。慶長7年
(1602)に書かれた「富士山持場之事」に記述があるが、
宝永4年(1707)の宝永噴火で堂室が消失したと言われて
いる。また、文化13年(1816)〜天保5年(1834)
に執筆された『修訂駿河国新風土記』には、岩屋不動に、家の
ような板葺きの建物があり、登山者の休憩所であったことが記
されているが、嘉永7年(1854)の「富士山室小屋建立古
帳面写」では「堂室無之」と記載され、この時点では再び堂室
が消失していると推測される。その後、岩屋不動の所在は不明
となっていたが、平成19年に候補地たりうる洞穴の存在を確
認した。不動沢を標高約1,820mの地点まで登りつめ、地
上から7mほどの高さの場所にある。洞穴の内部は、高さ2m
、幅6.4m(最奥)、奥行9mを測る。洞穴内は人が立つこ
とのできる程度の高さがあり、内壁は全体的に赤みがかってい
る。中央部向かって右側から入口付近に向けて崩落した大岩が
多く転がり、入口は半ば塞がれたような状態である。最奥の向
かって左側については人工的に開削された可能性が残る。写真
岩屋不動の写真図岩屋不動の図面A3須山口登山道なしA4須
走口登山道・御室浅間神社跡ふじあざみライン沿いの標高1,
830m付近にある。冨士浅間神社の末社で、かつては中宮小
室社と呼ばれた。女人禁制の時代には、須走口登山道で女性が
登山できるのはこの場所までであった。祭神は瓊々杵命と木花
開耶姫命である。昭和54年に古御岳神社に合祀された。国土
地理院の地形図に記載があるものの、社殿は昭和50年代に倒
壊し、廃屋となっている。鳥居、灯籠等、神社に関連する工作
物はなく、かつては石仏が多くあったが、現在は1体も残って
いない。写真神社跡の写真・大日堂(野中神社)冨士浅間神社
の末社で、富士あざみラインから南側の脇道を入った自衛隊東
富士演習場内の標高1050m付近にある。演習場内のため、
許可なく立ち入ることはできない。明治7年に野中神社と改名
されたが、それ以前は大日堂と呼ばれ、水源地に祀られている
ことから雨乞いの神として地元の信仰を集めた。元禄3年(1
690)の冨士浅間神社の古文書に記述が見られ、成立年代は
江戸時代前期まで遡る。宝永4年(1707)の噴火によって
被害を受けたが、宝暦14年(1764)に再建された。祭神
は大日要命(大日如来)で、建物は本殿・拝殿合わせて間口二
間、奥行き二間三尺、それに四間と二間の籠舎が付いていたと
される。古絵図(小山町史)では、須走口登山道から脇道にそ
れた場所に描かれている。江戸時代には、大日堂に立ち寄って
から山頂を目指したとされる。建物は現存しないが、二重の石
組みに囲まれた建物跡に一対の灯篭(江戸時代)と不動明王像
が置かれ、敷地脇には地蔵菩薩像と石碑がある。昭和58年(
1979)に石の祠が建てられ、毎年9月に祭礼が行われてい
る。写真神社跡の写真・下山道(砂走り)登山道の南側に、下
山道(砂走り)がある。須走口では江戸時代から登山道と下山
道が別々に存在していた。下山道は標高約2,900mの7合
目付近で登山道と分岐し、登山道南側の砂礫地を直線的に降り
る。御殿場口(須山口)の「大砂走り」と区別して、「砂走り
」と呼ばれる。−81−A5吉田口登山道北口本宮冨士浅間神
社を起点とする登山道で、本8合目で須走口登山道に合流する
。合流地点は古くから「大行合」と呼ばれた。ここから上は頂
上奥宮の神域で、小屋を建てることが許されなかったことから
、登山道最後の小屋場として多くの小屋が建てられていた。写
真小屋の写真A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A
9本栖湖・中道往還と関連遺跡中道往還は甲斐と駿河との交通
路のうち、若彦路と河内路の中間に発達したので「中道」と呼
ばた。甲府市から国道358号線を経て精進湖赤池交差点より
国道139号に入り、静岡県の富士宮市・富士市に至る道であ
る。こうした交通の要地であることから本栖湖周辺には中道往
還に関連する遺跡が複数確認できる。イ信仰B1富士山本宮浅
間大社・浅間大社遺跡(埋蔵文化財包蔵地)浅間大社周辺の南
北500m・東西200mの範囲は、縄文時代から近世にかけ
ての複合遺跡として埋蔵文化財包蔵地となっており、遺構や遺
物等が発見されている。写真出土遺物の写真・大宮城跡浅間神
社大宮司の居館としての大宮城が、現在の県道富士宮富士公園
線の東側に位置していた。・神田宮第2駐車場から100mほ
ど南にある水田を備えた神社である。五穀豊穣を祈願して米を
作り奉納する「御田植祭」が毎年7月7日に行われる。・大鳥
居昭和30年(1955)に寄進された大鳥居が、第2駐車場
に設置されている。・大灯籠昭和35年(1960)に奉納さ
れた大灯籠2基が、第2駐車場南側入口に設置されている。B
2山宮浅間神社なしB3村山浅間神社なしB4須山浅間神社な
しB5須走浅間神社・須走護国神社−82−西南の役から太平
洋戦争に至る期間の、須走地区の戦没者24名が祀られている
。・鎌倉往還指定地南側には、相模から駿河、甲斐への連絡路
であった鎌倉往還が通っていた。中世の幕府所在地鎌倉から放
射状に存在した複数のルートの一つで、当時の御家人らが鎌倉
と自領との往還に利用した道である。また、生活必需品を運ぶ
商人や各国々に旅する人も多く、須走地区が、古くから富士北
麓地域と静岡県駿東部を結ぶ交通の要衝として利用されていた
ことがわかる。写真鎌倉往還の写真B6河口浅間神社B7冨士
御室浅間神社B8御師住宅なしB9山中湖B10河口湖B11
忍野八海B12船津胎内樹型・社寺等溶岩洞穴等については、
洞穴本体あるいは富士山の関連として信仰の対象と位置づけら
れたものが多く見られ、周辺には社寺等の宗教的施設がみられ
、船津胎内樹型に伴う無戸室浅間神社などの設置形態は、洞穴
と一体になって信仰が行われている事例である。・信仰的意味
を付された地形・空間B13吉田胎内樹型・参詣道吉田口登山
道の「中ノ茶屋」から、吉田胎内本穴に向かうものである。古
くから富士講の信者等に利用され、「甲斐国誌」には「胎内道
」として記述されている。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神
社)・中道往還かつて甲斐と駿河を結んだ街道のひとつである
。富士講信者は、富士参詣に合わせて人穴参拝をする習慣があ
り、富士山北口の吉田と人穴を結ぶ巡礼道として中道往還を通
っていた。写真中道往還の写真・赤池家跡境内地から南へ下っ
たところに、人穴で修行する行者の食事や宿泊の世話、洞穴や
周辺の碑塔の建立や管理等を代々行ってきた赤池家の跡地があ
る。・石鳥居県道脇の参道への入口に石鳥居が建てられている
。額束には「富士人穴」と刻まれている。・参道参道は、県道
清水富士宮線から石鳥居をくぐって進み、浄土門と刻まれた石
碑を右折して、境内地内の参道へ続いている。石碑から階段ま
での参道はかつての中道往還と重複する。−83−B15白糸
ノ滝なしウ眺望C三保松原なしB人文的要素富士山山体におい
ては、登山道沿いに登下山者の緊急避難や遭難者の救助、応急
処置の機能を兼ね備えた山小屋が立地している。富士山麓にお
ける構成資産の周辺については、山林、農耕地のほか市街地と
なっており、日常生活に関連する各種施設等をはじめとして、
道路、橋、線路、電柱、看板等の各種人工物が存在している。
また、構成資産の公開活用を目的した資料館等の施設が存在し
ている。ア富士山山体及び登山道A富士山なしA1山頂信仰遺
跡なしA2大宮・村山口登山道・岩屋不動山小屋とその関連施
設標高の低い地点から順に、表富士宮5合目、雲海荘(6合目
)、宝永山荘(6合目)、御来光山荘(新7合目)、山口山荘
(元祖7合目)、池田館(8合目)、万年雪山荘(9合目)、
胸突山荘(9合5勺)がある。山小屋周辺にはバイオトイレ、
自動販売機、ベンチ、テーブル等が設置されている。・緊急・
救急施設富士山は、高山であり気候も急変することから、登山
客の安全確保を目的として、富士山登山指導センター(山頂、
富士宮口登山道新5合目)と富士山衛生センター(富士宮口登
山道8合目)が設けられている。写真救急施設の写真・救急搬
送・荷物搬送区域登山道にほぼ並行して、救急用・緊急用避難
道としての役割を持つ道路等の施設が設けられている。搬送に
はブルドーザーが使われる。歩道との交差部には、進入禁止柵
・注意看板等が設置されている。・県道180号線富士宮富士
公園線浅間大社前交差点を起点とする「県道180号富士宮富
士公園線」が、村山口登山道跡と2箇所で交差している。交差
する地点は、西臼塚駐車場から山頂方面へ約1.5q進んだ地
点と、高鉢山駐車場から約700m下った地点であるが、道路
沿いには特別な表示等はない。また、この道路は富士山スカイ
ライン、富士宮口登山道を経て6合目から旧村山口登山道と合
流し、富士山山頂まで続いている。・宝永遊歩道富士宮口新5
合目駐車場の東端から宝永第二火口の西縁までほぼ等高線に沿
って東西に通じる遊歩道で、旧村山口登山道と11号建物付近
で交差する。写真遊歩道の写真−84−・駐車場・附属施設4
50台収容の駐車場が5合目に設置されている。付属施設とし
て、レストハウス、宿舎、トイレ、バス乗車券販売所、登山シ
ーズンの夏季のみ在番の交番がある。工作物としての広告物、
広告旗、バス停留所などがある。・林道富士山麓には多くの林
道があり、そのうち、大渕林道・吉原林道が、旧村山口登山道
と交差する。A3須山口登山道・山小屋登山道沿いに、山小屋
が建てられている。標高の高い地点から順に、赤岩八合館(7
合9勺)、砂走館(7合5勺)、わらじ館(7合4勺)、日ノ
出館(7合目)、(※休館:見晴館(8合目)6合目小屋)が
ある。山小屋周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、椅子等が
設置されている。・避難小屋登山道沿いの2箇所(7合8勺、
2合8勺)に、気象庁の避難小屋が建てられている。富士山頂
測候所に勤務する職員用の施設であったが、測候所廃止に伴い
現在は使用されていない。・救急搬送・荷物搬送区域登山道の
南西側に、救急用・緊急用避難道としての役割を持つ道路等の
施設が設けられている。搬送にはブルドーザーが使われる。歩
道との交差部には、進入禁止柵・注意看板等が設置されている
。・下山道(大砂走)登山道の南西側に、下山道(大砂走り)
がある。標高約3,000mの日の出館(7合目)付近で登山
道と分岐する。宝永山脇のスコリアで覆われた斜面を一気に下
り、御殿場口新5合目(標高1,450m付近)に至る。写真
下山道の写真・御殿場口登山道明治5年(1872)に女性の
富士登山が許可された後、手軽に登れる登山道をめざし、御殿
場在住の伴野佐吉らが中心となって明治16年(1883)に
完成した。同地の浅間神社から滝ヶ原、馬返、太郎坊を経て、
須山口登山道2合8勺に接続する経路であった。明治22年、
東海道線(現JR御殿場線)が開通し御殿場駅が設置されたこ
とにより、登山道が富士山東表口新道本社浅間神社を通る現在
の経路に変更された。御殿場口登山道は須山口よりも距離が短
い上に道も良く、関東方面からの登山客の多くが同登山道を利
用し、須山口登山道衰退の契機となった。現在は、須山口登山
道と接続する2合8勺から頂上までの部分も、御殿場口登山道
と呼ばれている。写真御殿場口登山道の写真・須山口登山歩道
須山浅間神社を起点とし、弁当場、水ヶ塚水源地、水ヶ塚駐車
場、御殿庭を通り、宝永火口の西側火口壁を抜けて富士宮口登
山道六合目に通じる登山道である。平成9年に富士山須山口登
山歩道保存会が中心となって復興した。道筋の一部は裾野市と
御殿場市の市境に沿っている。宝永噴火後から明治時代までの
須山口登山道とはルートが異なるため、区別する意味で須山口
登山歩道と呼ばれる。・須山口下山歩道須山口2合8勺から二
ツ塚の西側を下り、四辻分岐、幕岩上部、須山御胎内上部を通
り、水ヶ塚駐車場に至る道で、平成11年に富士山須山口登山
歩道保存会が中心となって復興した。道筋の一部(幕岩上部〜
須山御胎内上部)は宝永噴火後〜明治時代の須山口登山道と一
致する。−85−写真須山口登山歩道の写真A4須走口登山道
・山小屋とその関連施設登山道沿いに、山小屋が建てられてい
る。上から順に、御来光館(8合5勺)、胸突江戸屋(本8合
目)、江戸屋(8合目)、見晴館(本7合目)、大陽館(7合
目)、瀬戸館(本6合目)、長田山荘(6合目)、東富士山荘
(5合目)、菊屋(5合目)、吉野屋(砂払い5合目)がある
。山小屋周辺にはトイレ、自動販売機、ベンチ、テーブル等が
設置されている。山小屋周辺にはバイオトイレ、自動販売機、
ベンチ、テーブル等が設置されている。・避難小屋下山道から
ブルドーザー道に入った2,120m付近に地元山岳会による
避難小屋が設けられている。・救急搬送・荷物搬送区域登山道
とほぼ並行して、救急用・緊急用避難道としての役割を持つ道
路等の施設が設けられている。昭和40年(1965)の開通
で、搬送にはブルドーザーが使われる。歩道との交差部には、
進入禁止柵・注意看板等が設置されている。須走口登山道は、
特に吉田口登山道と合流する8合目から上部の混雑が激しいた
め、頂上部から8合目までのブルドーザー道が下山道として利
用されている。写真ブルドーザー道の写真・駐車場・附属施設
200台収容の駐車場が5合目に設けられている。付属施設と
して、登山シーズンの夏季のみ在番の交番と観光案内所、小山
町により設置・管理されている公衆トイレがある。写真駐車場
(交番・観光案内所)の写真A5吉田口登山道A6北口本宮冨
士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖・建築物及び工作物
本栖地区集落の人口は156人(2008年4月1日現在)国
道139号線と300号線が分岐する本栖交差点周辺を中心に
集落が形成されている。その他湖畔にキャンプ場などの観光施
設及び管理施設が存在する。自然公園法第2種特別地域に指定
されていることから、建築物等の高さ規制を受けているので、
景観上良好な状況が保たれている。湖南東側にある本栖青少年
スポーツセンターやキャンプ場などの管理施設等も同様である
。その他の工作物として、電柱やアンテナなどが存在する。イ
信仰B1富士山本宮浅間大社・駐車場神田川ふれあい広場の南
側には第2駐車場が整備されている。南北に仕切られ、北側が
普通車用、南側がバス専用となっている。トイレも併設されて
いる。・宮町交番−86−第2駐車場バス専用入口の東側に宮
町交番が建てられている。・売店協同組合富士山特産品振興会
」が、第2駐車場内に、富士宮の特産品を取り扱う販売所「こ
こずらよ」を設置し営業している。・富士山せせらぎ広場第2
駐車場から200mほど南に富士山せせらぎ広場がある。入口
には大鳥居が建てられており、神田川に沿って散策できる遊歩
道をはじめ、トイレ、無料駐車場などの施設が整備されている
。写真広場の写真・道路神田川東側には、浅間大社前交差点を
起点とし神田川に沿って北へ向かう県道180号富士宮富士公
園線が通っている。この道路は富士山スカイライン、富士宮口
登山道を経て富士山山頂まで続いている。また、湧玉橋から約
130m北上する区間が、山宮御神幸の経路である「御神幸道
」と重複している。第2駐車場南側には、県道76号富士富士
宮由比線が東西に伸びている。この道路はかつて「甲州街道(
中道往還)」と呼ばれ、駿河と甲斐を結ぶ主要街道であった。
B2山宮浅間神社・御神幸道御神幸道は、祭儀「山宮御神幸」
で浅間大社と山宮浅間神社を往来した道である。石鳥居から南
方向へと伸びていたが、区画整理や道の付け替えのため当時の
道はところどころ途絶え、正確にたどる事はできない。・御神
幸道標石御神幸道沿いに、一丁(約109m)毎に標石が建て
られていた。現在ではそのほとんどが失われたが、山宮浅間神
社周辺には四十七丁目石、四十九丁目石が残っている。写真道
標石の写真・東山宮二区区民館山宮二区の住民が、会合等で利
用する区民館が建てられている。・県道180号富士宮富士公
園線山宮浅間神社東南側には、浅間大社前交差点を起点とし、
富士山山頂が終点の「県道180号富士宮富士公園線」が通っ
ている。B3村山浅間神社・宿坊跡(大鏡坊、池西坊、辻之坊
)江戸時代には、村山三坊のうち「辻之坊」は東屋敷跡が現在
の児童公園付近に、西屋敷跡が北西に300m離れた酪農用牛
舎付近に、「大鏡坊」は辻之坊東屋敷のさらに西側に、「池西
坊」は現在の児童公園の南側にあったとされる。児童公園から
西へ道沿いに宿坊跡のものとされる石垣が残り、大鏡坊の入口
跡と考えられる痕跡を見ることができる。写真宿坊跡の写真・
見付跡(東見付、西見付)集落の出入り口となる東西のはずれ
に「東見付」「西見付」と呼ばれる、村山に入る不審者を取り
締まる関所があった。−87−西見付跡は村山浅間神社門前か
ら西へ約550m、東見付跡は神社門前より南に約200mの
ところにある。B4須山浅間神社・浅間橋朱塗りの欄干を持つ
橋が境内地の南側に架けられている。B5冨士浅間神社・駐車
場(トイレ)境内地の南西側、裏参道を出たところに、参拝者
用の駐車場が設けられている。また駐車場東端には、トイレも
建てられている。・国道138号線及び県道150号線足柄停
車場富士公園線境内地の西側には、国道138号線が、また東
側には県道150号線足柄停車場富士公園線が通っている。県
道の終点は富士山頂となっている。B6河口浅間神社B7冨士
御室浅間神社B8御師住宅来訪者のための駐車場として、また
緊急時や災害時の緊急車両の配置ができるよう駐車場敷地が整
備されている。B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12
船津胎内樹型・産業関連施設・その他の人工物B13吉田胎内
樹型富士スバルライン料金所付近から、吉田胎内本穴方面に向
かう、林業施業のための物資搬出路がある。B14人穴富士講
遺跡(人穴浅間神社)・県道75号清水富士宮線指定地に隣接
する西側に、県道75号線清水富士宮線が通っている。B15
白糸ノ滝なしウ眺望C三保松原なし2保存管理計画の基本方針
−88−山梨県・静岡県に分布する構成資産について、将来に
わたり確実に保存管理していくために、各構成資産の保存管理
計画の調整事項や、資産全体として考慮すべき周辺環境保全の
あり方など、保存管理の目標を踏まえ、保存管理計画の基本方
針を以下の5項目とする。(1)構成資産の適切な保存管理各
構成資産が、現在も人々と関わり続けている点や、構成資産総
体が、生きた文化的伝統の物証であり、人間と自然との良好で
継続的な関係を示す景観の傑出した類型であることに十分配慮
し、山梨県・静岡県に分布する具体的な構成要素の規模・性質
・立地条件等に応じて、以下の視点により適切な保存管理をお
こなう。@各構成要素の歴史的・文化的価値の継承と自然的要
素の維持A構成資産により形成される文化的景観の保全B地域
住民の生活、生業への配慮C登山客、観光客等の来訪者への配
慮D防災面における安全確保への配慮(2)緩衝地帯等の適切
な保存管理構成資産保護のための適切な範囲の緩衝地帯等(保
全管理区域)を定めるとともに、その保全の方策を講ずる。緩
衝地帯等(保全管理区域)に存在する諸要素の規模・性質・立
地条件などを把握し保存管理の基礎とする。(3)経過観察の
実施顕著な普遍的価値に対して与える負の影響の可能性につい
て、様々な角度から検討を行い、その原因となる可能性のある
諸要素について確実に把握するとともに、それらに対する監視
及び適切な対応を行う。(4)整備・公開・活用推進資産の顕
著な普遍的価値を確実に保存するとともに、総合的な理解を深
めることができるよう、適切な整備・公開・活用の施策を推進
する。@多様な構成資産からなる富士山総体としての価値の理
解が深められるように、山梨県・静岡県の関係市町村が一体と
なった適切な整備活用をおこなう。a富士山の価値の持続的な
利用b適切な公開範囲の設定A都市計画、観光計画、防災計画
等との調整を図り、資産の価値の保存と来訪者の安全に配慮し
た施策を推進する。B適切な整備活用を推進する。(5)保存
管理体制の整備と運営確実な保存管理を推進するために、各々
の構成資産を管理する山梨県・静岡県や関係市町村、所有者や
環境省、林野庁、国道交通省などの関係諸機関を中心として組
織体制を整備する。その際には、地域住民が資産の資産の適切
な保存管理と整備活用の施策に積極的に参加できるよう配慮す
るとともに、関係諸機関との連携を強化し保存管理の運営に関
する方法・体制の整備を図る。−89−第4章構成資産の保存
管理1現状の把握(1)富士山山体及び登山道A富士山登録範
囲における自然的環境については、おおむね良好な状態である
。資産範囲の上部は文化財保護法(特別名勝)及び自然公園法
(特別保護地区及び第1種〜2種特別地域)により厳密に保全
され、下部(標高1600〜2000m以下、特別名勝範囲外
)は自然公園法(特別保護地区、第1〜3種特別地域、普通地
域)及び森林法(保安林)、山梨県及び静岡県有林管理計画に
より重層的に保護されているため、資産に影響を及ぼす行為は
基本的に発生しない。ただし、山体西側には山頂部付近から標
高2200m付近までを源頭部とする土砂崩れが約1000年
前より継続して発生し、これは「大沢崩れ」と呼称されている
。この土砂崩れのため山体西側の一部でかつての信仰に関わる
道である「御中道」の通行等が禁止されている区域がある。山
頂部付近では登山者に起因する廃棄物・し尿が発生するが、山
小屋組合などによりバイオトイレが設置され、適切に管理・除
去されている。一部過去の廃棄物が堆積している箇所があるが
、将来的に撤去が予定されている。なお、山腹において、急病
人の搬送や山小屋の維持・廃棄物の撤去のために必要最小限使
用されるブルドーザーが通行する道路がある。アお鉢巡り八葉
及び大内院の現時点における保全状況は良好である。ただし、
降雪・強風等に常時さらされ、年々増加する登山者の影響によ
り、土砂の崩落が一部で認められる。また、トイレやゴミの問
題なども年々改善されているが、一部有識者にさらなる改善を
指摘されている。イ御中道巡り御中道は大沢崩れ部分の通行止
めの他に、通行量の減少と表土の流失に伴い道の存在が不明に
なった箇所があるが、その他の保全状況は良好である。A1山
頂信仰遺跡現時点における保全状態は良好である。その他の山
頂信仰遺跡の現時点における保全状態は良好である。A2大宮
・村山口登山道現在登山道として利用されていない大宮・村山
口の一部については、国有林の範囲であり林業関係者以外の立
ち入りは許可制となっていることにより、現状維持の観点から
の現時点における保全状態は良好である。A3須山口登山道現
時点における保全状態は良好である。A4須走口登山道現時点
における保全状態は良好である。−90−A5吉田口登山道登
山道は、土砂崩れによる浸食などにより登山道の一部に変更が
みられるものの、人為による現状の変更には厳しい制限がかけ
られている。また、道路管理者である山梨県により日常的に維
持管理が行われており、保全状態は良好である。A6北口本宮
冨士浅間神社定期的な維持修理等が行われており、現時点にお
ける保全状態は良好である。ただし、拝殿・幣殿については、
建物全体に歪みが生じていて、今後、修復・修繕の検討が必要
であると想定される。祈願のため多くの参詣者が訪れるととも
に、宗教行事が行われている。A7西湖文化財保護法(名勝)
及び自然公園法(特別地域)により適切に保護されており、現
時点における保全状態は良好である。A8精進湖文化財保護法
(名勝)及び自然公園法(特別地域)により適切に保護されて
おり、現時点における保全状態は良好である。A9本栖湖文化
財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)により適切に保
護されており、現時点における保全状態は良好である。(2)
信仰B1富士山本宮浅間大社定期的な維持修理が行われており
、現時点における保全状態は良好である。湧玉池に関しては、
全般的には良好な状態であるが、「上池」「下池」の二つの池
の内「上池」では、湧水量が減少し、藻類が繁殖しているため
、「湧玉池保全再生会議」が設置され、対策が検討されている
。B2山宮浅間神社現時点における保全状態は良好である。地
元からは参道・遥拝所等の整備が今後必要であるとの要望が出
されている。B3村山浅間神社現時点における歴史的価値を示
す建造物の保全状態は良好である。今後、トタン作りの大日堂
覆堂の修理が必要とされている。また、地元からは参道・遥拝
所等の整備が今後必要との要望が出されている。B4須山浅間
神社現時点における保全状態は良好である。B5冨士浅間神社
現時点における保全状態は良好である。−91−B6河口浅間
神社現時点における保全状態は良好である。B7冨士御室浅間
神社現時点における保全状態は良好である。ただし、近年、向
拝柱、登高欄及び木階の漆塗装の摩耗退色が著しく、木目が露
出している場所がある。脇障子版においては富士山二合目本宮
所在時に毀損にあっており、今後、修復・修繕の検討が想定さ
れる。B8御師住宅旧外川家住宅は、2007年〜2008年
にかけて所有者である富士吉田市が大規模な保全修理を行った
ため、現時点における保全状態は良好である。現在、富士吉田
市歴史民俗博物館の附属施設として、2008年4月から敷地
及び主屋内部を一般公開しており、外川家協力会員が交代で勤
務し、来場者に直接解説を行っている。小佐野住宅は、所有者
らによって日常的な維持管理が行われているほか、補助事業な
どによって文化財としての保護に必要な修繕や設備の整備が行
われており、現時点における保全状態は良好である。ただし、
建物に関する専門的な調査はほとんど行われたことがないため
、基礎や構造物の状況など現状把握を早急に行う必要がある。
現在、居住の用に供しており、敷地内部及び建物は一般公開さ
れていない。B9山中湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法
(特別地域)により適切に保護されており、現時点における保
全状態は良好である。B10河口湖文化財保護法(名勝)及び
自然公園法(特別地域)により適切に保護されており、現時点
における保全状態は良好である。B11忍野八海天然記念物と
して指定されている範囲は水面に限られており、私有地が隣接
しているため、周辺環境を含めた保全状態に課題がある。しか
し、忍野村が景観計画を策定し、周辺環境を含めた保全を行っ
ている。また、水位が低下して、文化財指定当時の状態を維持
していない池があり、今後の調査によって原因の究明が求めら
れる。忍野村では、平成20年(2008年)に地下水資源保
全対策基礎調査を実施している。B12船津胎内樹型富士河口
湖町により、日常的な維持管理が行われており、現時点におけ
る保全状態は良好である。船津胎内樹型はその狭小な断面形状
の特性から、入洞の順路が設定されており、入洞口と出洞口が
分化している。入洞口には無戸室浅間神社の社殿(拝殿)が建
てられており、神社と入洞口が一体化している。B13吉田胎
内樹型−92−富士吉田市及び冨士山北口御師団により、日常
的な維持管理が行われており、現時点における保全状況は良好
である。内部の溶岩の盗掘や人の進入による破壊を防ぐため吉
田胎内本穴入口には、扉が設置され、施錠されている。B14
人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)碑塔群はおおむね良好な状態
であるが、一部の碑塔に修理が必要とされる。B15白糸の滝
現状では、滝つぼ周辺に売店があるなど景観面において課題が
ある。このため、富士宮市が中心となり保存管理計画の改訂お
よび整備計画の策定を行い、今後適切な整備がなされる予定で
ある。(3)眺望C1三保松原現状では1960〜80年代に
進行した海岸浸食の影響からの回復を図るため、資産内及び周
辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影響を与えている。
また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイセンチュウ)
による松枯れがみられるため、薬剤注入・散布による予防措置
及び植林、枯れた松の除去が実施されている。現在これらの対
策により、資産の現状を保ち、将来においてはより良好な保全
状態となることは確実である。また、保存管理計画についてが
静岡市がる改訂を行っている。管理団体である静岡市は、シロ
アリ防除・駆除・シロアリ被害状況調査、松くい虫防除、松林
の下草刈り、育苗、松苗定植等の保護及び充実対策を行ってい
る。また、地元自治体、三保名勝保存会等とも連携し、官民一
体となって保全充実を積極的に推進している。静岡市教育委員
会は、文化財を保護・育成する立場を堅持し、予想される開発
計画との適切な調整を図るため、文化庁及び静岡県教育委員会
と協議の上、『名勝「三保松原」保存管理計画書』及び『名勝
「三保松原」保存管理計画書解説』を平成元年4月15日に改
訂し(解説:平成4年10月29日一部改訂)、現状変更申請
等に対応している。名勝三保松原地内における文化財保護法以
外の法令・条例による規制は、静岡県立自然公園条例、静岡県
風致地区条例等がある。2保存管理の基本的な考え方資産全体
を適切に保存管理していくための方向性としては、まず、顕著
な普遍的価値を理解することが必要であるとともに、地域住民
及び行政など資産に直接的に関わる者がその知識を向上させ、
連携しつつ保護していくことが重要である。また、顕著な普遍
的価値に与える負の影響を考慮しつつ、その特質に応じた適切
な保存管理の考え方及び取扱の方針が必要となる。負の影響と
その対応の方法については、第6章に記載している。富士山の
構成資産については、文化財保護法の下、国指定文化財に指定
されている。これらの現状変更及び保存に影響を及ぼす行為(
以下、「現状変更」という。)については、同法の下に許可制
に基づき厳重に規制されている。なお、山体や富士五湖につい
ては文化財保護法により、確実な保存管理が行われており、指
定された文化財保護法周辺においても、自然公園法と森林法及
びその他所法令により確実な保存管理が行われている。−93
−しかし、特に信仰に関する建造物については、酸性雨などの
気候変動、大雨などの自然災害及び観光客増加によるき損など
の影響を受けることが想定される。したがって、これら負の影
響について、具体的な指標を用いて監視する必要がある。また
、これらは木造建造物であることから、部材の交換などによる
修理によって全体の枠組みを維持しつつ、顕著な普遍的価値が
損なわれることのないよう、適切に保存管理する必要がある。
(1)現状変更の制限についての考え方本来、文化財保護法は
文化財を保存し、かつ、その活用を図り、もって国民の文化的
向上に資することを目的としたものであり、文化財の保存が適
切になされることを原則としている。また、自然保護法は、優
れた風景地を保護するとともに、その利用の増進を図り、もっ
て国民の保健、休養及び教化にしすることを目的としたもので
あり、風致景観が適切に管理されるとともに適切な利用を促進
することを原則としている。しかしながら、一方ではそこを所
有し生活している住民が存在することも事実であり、住民生活
もまた尊重されなければならない。したがって構成資産の諸要
素の現状に変更が生じる場合には、構成資産の保存と住民生活
との調整を図りつつ、適切に行われる必要がある。そのため、
構成資産のうち特別名勝地だけでなく、史跡や遺跡、眺望地点
などは文化財保護法や自然公園法、景観法などにより保護措置
を講じる必要がある。世界遺産としての地区区分として、「文
化財保護法を基本に保存管理する地域(第1種保護地区)」及
び「自然公園法を基本に保存管理する地域(第2種保護地区)
」という2つの地域に区分し、それぞれ現状変更の取扱いを定
め、住民生活との調整を図りつつ構成資産の保存管理を行って
いる。その概要については以下に示すとおりである。(2)地
区区分についての考え方各構成資産における保護に関する基本
的な考え方としての地域区分並びに想定される現状変更等の行
為とその具体的取扱方針の概要は、以下に示すとおりである。
なお、構成資産ごとの詳細な情報は、個別の保存管理計画に示
している。図富士山地区区分図−94−表保存管理のための地
区区分(富士山北側)第1種保護地区第2種保護地区1−1地
区1−2地区1−3地区1−4地区2−1地区2−2地区2−
3地区2−4地区特別名勝御中道下500m〜頂上まで富士山
有料道路五合目終点施設習合区域以外富士山有料道路五合目終
点施設習合区域A富士山(富士山体)(御中道含む)天然記念
物青木ヶ原樹海地区精進口登山道地区道路地区大室山周辺概ね
標高2000m以上富士山原始林及び青木ヶ原樹海周辺富士五
湖周辺地域概ね1500m以上その他地域A1山頂信仰遺跡(
奥宮、お鉢巡り含む)八合目以上全域特別名勝一合目から御中
道下500m国有林諏訪の森地内登山道の起点から一合目まで
A5吉田口登山道史跡中ノ茶屋から山頂までの範囲建造物文化
財建造物の雨落までの敷地文化財建造物の雨落までの敷地以外
の敷地A6北口本宮冨士浅間神社史跡境内地全域A7西湖湖水
面周回道路内側、文化財指定範囲を除く周回道路内側、文化財
指定範囲を除くA8精進湖湖水面周回道路内側、文化財指定範
囲を除く周回道路内側、文化財指定範囲を除く−95−A9本
栖湖湖水面周回道路内側、文化財指定範囲を除く周回道路内側
、文化財指定範囲を除くB6河口浅間神社境内地全域建造物重
要文化財の軒下までの敷地中門、翼廊及び囲壁によって区画さ
れる範囲B7冨士御室浅間神社史跡境内地全域B8御師住宅文
化財建造物の雨落までの敷地文化財建造物の雨落までの敷地以
外の敷地B9山中湖湖水面周回道路内側、文化財指定範囲を除
く周回道路内側、文化財指定範囲を除くB10河口湖湖水面周
回道路内側、文化財指定範囲を除く周回道路内側、文化財指定
範囲を除くB11忍野八海湧水面B12船津胎内樹型洞内と開
口部天然記念物指定範囲の地表面指定範囲内の町道5107号
線の道路敷B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴の洞内及び開口部
吉田胎内本穴の洞外及び地表面※地区区分は仮案・今後変更有
−96−表保存管理のための地区区分(富士山南側)第1種保
護地区第2種保護地区(周辺地区)A富士山山体8合目以上全
域標高約2000m〜約2300mの範囲緩衝地帯・保全管理
区域・演習場A1山頂信仰遺跡8合目以上全域─8合目未満A
2村山口登山道跡(登山道)・富士宮口八合目から山頂までの
山頂信仰遺跡に含まれる範囲・8号建物跡から12号建物跡ま
での範囲・横渡から7号建物跡までの範囲(遺構・建物跡)札
打場、中宮八幡堂跡、八大龍王、5号、8号、12号建物跡富
士宮口6合目から8合目までの範囲国有林A3須山口登山道(
登山道)・須山口(御殿場口)8合目から山頂までの山頂信仰
遺跡に含まれる範囲・須山胎内から幕岩上部までの範囲(遺構
)須山御胎内須山口(御殿場口)2合8勺から8合目までの範
囲国有林A4須走口登山道(登山道)須走口8合目から山頂ま
での山頂信仰遺跡に含まれる範囲(神社)古御岳神社、迎久須
志神社須走口5合目から8合目までの範囲国有林B1富士山本
宮浅間大社ふれあい広場と駐車場を除く境内地、神立山(社叢
?)神田川ふれあい広場、第2駐車場第1駐車場周辺市街地B
2山宮浅間神社籠屋から遥拝所までの境内地籠屋より下部の神
社境内地周辺住宅地、森林B3村山浅間神社六道坂以東の境内
地六道坂以西の境内地宿坊跡、見付跡周辺住宅地、森林−97
−B4須山浅間神社境内地全域境内地周辺の社叢周辺住宅地、
森林B5冨士浅間神社境内地全域─西側駐車場、周辺住宅街、
西側森林B14人穴富士講遺跡境内地全域、地下洞穴─森林B
15白糸ノ滝本体〜滝つぼ、両岸の崖音止の滝市街化調整区域
C三保松原特別規制A地区及び特別規制B地区第1種規制地区
第2種規制地区第3種規制地区@第1種保護地区この地区は、
富士山の本質的価値を構成する宗教的な建造物、信仰の対象と
なった自然物等、史跡及び眺望地点として重要な要素を含む区
域とする。登山道においては、歴史上使用された登山道跡と断
定できる道跡、及び登山道跡に存在する石碑や建物跡等を含む
区域である。神社等においては、社殿・遺構・石碑等歴史的な
価値のある要素が存在し、指定地の中核を成す区域である。歴
史的に価値のある社殿・石碑・遺構等史跡として重要な要素が
存在し、指定地の中核部をなす地区であるため、特に厳格な保
存管理を行う。そのため、本地区では、土地の形状、建築物・
工作物に関し現状の維持に努め、それらがき損した場合には適
切に復旧・整備する。また、建築物・工作物等の更新等につい
ても、遺構破壊及び景観阻害を防ぐため厳しく規制する。また
、地面掘削を伴う場合には、必要に応じて発掘調査等を実施す
るなど、遺構・遺物の適切な保存・整備に努めることとする。
本質的価値を構成する要素ごとの考え方ア自然的要素となるも
の(ア)土地の形状・土壌の性質を変える行為、及び植生に影
響を与える行為については、安全確保の措置及び学術研究を目
的とするもの以外は厳しく規制する。(イ)土壌・岩石の採取
については、安全確保の措置及び学術研究を目的とするもの以
外は厳しく規制する。(ウ)湧水や御神木、札打場等宗教的な
意義が付与された自然物については、現状維持に努め、き損し
た場合には適切に復旧・整備する。(エ)境内地・社叢内の植
物の採取、動物の捕獲、木竹の伐採・植栽については、景観の
保全に関わるもの、安全確保の措置及び学術研究を目的とする
もの以外は厳しく規制する。イ歴史的要素となるもの(ア)社
殿等の建築物や鳥居・石碑等の工作物、遺構等については、現
状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。(イ
)お鉢巡り、登山道については現状維持に努め、き損した場合
には適切に復旧・整備する。(ウ)建築物・工作物等の復旧・
整備に地面掘削を伴う場合には、必要に応じて発掘調査等を実
施し、遺構・遺物の適切な保存・整理に努める。−98−ウ社
会的要素となるもの(ア)山小屋等の建築物、橋等の工作物に
ついては、現状の規模の維持に努める。また、景観を現に阻害
しているものについては、除却するか更新時に改良を行い、景
観との調和に十分配慮することとする。(イ)安全確保等に関
わる地形の形質変更、建築物及び工作物の設置に当たっては、
景観との調和に十分配慮する。本質的価値を構成する諸要素と
密接に関わる要素ごとの考え方ア自然的要素となるもの(ア)
土地の形状・土壌の性質を変える行為、及び植生に影響を与え
る行為については、安全確保の措置及び学術研究を目的とする
もの以外は厳しく規制する。(イ)土壌・岩石の採取について
は、安全確保の措置及び学術研究を目的とするもの以外は厳し
く規制する。(ウ)歴史的な意義を持つ自然物については、現
状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。(エ
)植物の採取、木竹の伐採・植栽については、景観の保全に関
わるもの、安全確保の措置及び学術研究を目的とするもの、森
林施業に関わるもの以外は厳しく規制する。イ歴史的要素とな
るもの(ア)境内社・末社等の建築物や鳥居・石碑等の工作物
については、現状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・
整備する。(イ)建築物・工作物等の復旧・整備に地面掘削を
伴う場合には、必要に応じて発掘調査等を実施し、遺構・遺物
の適切な保存・整理に努める。ウ社会的要素となるもの(ア)
社務所、公会堂等の建築物、案内板等の工作物については、現
状の規模の維持に努める。また、景観を阻害しているものにつ
応じて発掘調査等を実施し、遺構・遺物の適切な保存・整理を
行う。本質的価値を構成する要素ごとの考え方ア自然的要素と
なるもの(ア)木竹の伐採・植栽以外の行為については、第1
種保護地区と同様に厳しく規制する。対象となるのは、土地の
形状・土壌の性質を変更する行為、土壌・岩石の採取、植生に
影響を与える行為、植物の採取、動物の捕獲の行為などである
。(イ)木竹の伐採・植栽については、安全確保の措置、学術
研究、森林施業に関わるもの以外は規制する。イ歴史的要素と
なるもの(ア)鳥居や祠等の工作物については、現状の維持に
努める。(イ)登山道については、現状維持に努め、き損した
場合には適切に復旧・整備する。(ウ)建築物・工作物等の復
旧・整備に地面掘削を伴う場合には、必要な範囲内に応じて発
掘調査等を実施し、遺構・遺物の適切な保存・整理を行う。ウ
社会的要素となるもの(ア)登山道の各山小屋については、第
1種保護地区と同じ考え方に基づいて保存管理する。本質的価
値を構成する諸要素と密接に関わる要素ごとの考え方ア自然的
要素となるもの第1種保護地区と同じ考え方に基づいて保存管
理する。対象となるのは、自然的要素の維持に関し、危険防止
及び安全管理のための工作物や計測機器の設置、森林施業に係
る行為、砂防工事、登山道(歩道)整備等である。イ歴史的要
素となるもの石碑等については、第1種保護地区と同じ考え方
に基づいて保存管理する。ウ社会的要素となるもの(ア)登山
道における安全確保のために行う道路関連の工作物の新設・更
新については、周辺植生への影響、土壌の性質への影響を精査
し、景観との調和を図ることとする。(イ)登山者向けの指導
標の設置、危険防止及び安全管理のための工作物の設置につい
ては、第1種保護地区と同じ考え方に基づくこととする。(ウ
)公園施設等における、建築物・工作物等の扱いについては、
景観との調和を図りつつ、適切に維−100−持管理を行うこ
ととする。ウ周辺地区良好な自然景観が残される周辺区域現に
ある良好な景観を保全し、かつ良好な景観の形成に貢献するよ
う、以下の方針に基づいて適切に保全を図ることが望ましい。
ア建築物・工作物の新設・更新については、眺望の著しい妨げ
にならない規模とし、また眺望に著しい支障を及ぼすものでな
いものとする。イ建築物・工作物の新設・更新については、屋
根及び壁面の色彩並びに形態が指定地の景観と著しく不調和で
ないものとする。ウ建築物・工作物の撤去については、跡地の
整地を適切に行うこととする。エ登山道周辺の森林管理につい
ては、国有林野施業実施計画に基づき適切に施業し、森林の適
正な整備及び保全を図る。開発の進んだ周辺区域ア富士山と一
体となった良好な景観や指定地の景観を阻害することのないよ
う、景観法や条例に基づく施策に沿って、周辺地域の景観の保
全に努める。イ景観を阻害している建築物・工作物等は、更新
時に規模・形態・色彩・材質等において改良し、周囲の景観の
保全に努めることが望ましい。B三保松原ア現状変更の制限文
化財保護法に基づき、名勝「三保松原」の海浜と松原の保護並
びに景観の維持を図るため、特別規制A地区、特別規制B地区
、第1種規制地区、第2種規制地区、第3種規制地区の5ヶ所
の規制地区と規制基準を設定し、保存管理の適正化を推進する
。また、各規制地区における現状変更又は保存に影響を及ぼす
行為については原則として認めない。しかし、軽微な現状変更
については、文化財保護法第条の規定による許可及びその取消
並びにその停止命令に係る文化庁長官の権限に関する事務を静
岡市教育委員会が行う。イ保護の基本的な考え方名勝三保松原
の海浜と松原の保護並びに景観の維持を図るため、指定地域を
特別規制A地区、特別規制B地区、第1種規制地区、第2種規
制地区及び第3種規制地区の5規制地区に分けて、管理のため
の基本方針を定め、管理するものとする。・特別規制A地区防
潮堤外側の国有浜地の海浜地区。松原の景観保護のため、将来
にわたって海浜を保護し、自然景観の維持を図るものとする。
・特別規制B地区松原のすぐれた景観を保ち、価値の極めて高
い地区。将来にわたって松原を保護し、自然景観の維持を図る
とともに、その回復にも努めるものとする。・第1種規制地区
特別規制地区に次ぐ、優れた三保松原の景観を形成しており、
自然景観の維持を図っていく地区。地−101−域経済社会の
振興と発展に配慮するものとする。・第2種規制地区三保松原
の景観を形成しており、自然景観の維持に努めなければならな
い地区。住民の生活の場であることに配慮するものとする。・
第3種規制地区三保半島の内海側で、主なる松原景観から離れ
ている地区。三保半島先端部の景観維持の上で重要な地区であ
り、無秩序な開発は避けるものとする。(3)指定地に関わる
諸法令について指定地内は、文化財保護法以外にも他の法令に
よる規制を受け、景観及び森林等の保全措置が講じられてきた
。また、指定地の自然的特性に基づく自然災害が、周辺地域に
まで及ぶため、指定地の周辺地域を含めた安全の確保に関する
法令もある。そのため、次の表に特別名勝としての保存管理の
方法と各法令との関係について整理した。表他の法令との関係
他の法令文化財保護法との関係景観の保全に関わる法令自然公
園法この法律の目的は優れた自然の風景地を保護することにあ
り、特別名勝の指定地全域に係る適切な保存管理の方法と調和
するものである。森林法森林計画・保安林その他の森林の基本
事項を定めた法律であり、8合目以下における国有林の森林管
理・保全は特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。
鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律8合目以下の国有林
における鳥類又は哺乳類に属する野生動物の保護の観点から、
特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。絶滅のおそ
れのある野生動植物の種の保存に関する法律指定地の全域に関
わるが、希少野生動植物種等保護の観点から、特別名勝の保存
管理の方法と調和するものである。特定外来生物による生態系
等に係る被害の防止に関する法律この法律では、特定外来生物
の施設以外での繁殖・生育を禁止しており、指定地全域におけ
る在来植生の維持の観点から、特別名勝の保存管理の方法と調
和するものである。山梨県景観条例優れた景観の保全・創造を
図ることを目的にしており、大規模な工作物の新築・増改築等
が規制されており、包括的保存管理計画の方針と調和するもの
である。静岡県森林と県民の共生に関する条例森林と県民が共
生していくための努力目標等を規定しており、特別名勝の保存
管理の方法と調和するものである。山梨県環境基本条例静岡県
環境基本条例自然と人との共生を確保することを目指した理念
等をまとめており、特別名勝の保存管理の方法と調和するもの
である。−102−山梨県屋外広告物条例静岡県屋外広告物条
例登山道沿いに規制区域が定められており、広告物のうち、著
しく破損し老朽化しているもの、倒壊又は落下のおそれがある
もの、信号機・道路標識等に類似するものなどを規制している
。安全確保を図ると伴に、優れた景観の保全にも資するもので
あり、特別名勝の保存管理の方法と調和するものでもある。指
定地及び周辺地域の安全の確保に関する法令砂防法大沢崩れ源
頭部下方における国の直轄砂防地に関し、砂防事業を推進し、
潤井川流域等の安全確保を図っており、特別名勝地の地形の維
持にとって必要とされる事業を含んでいる。土砂災害警戒区域
等における土砂災害防止対策の推進に関する法律南・西斜面に
規制地区が広がる。指定地内の沢地形等における土砂災害を防
止し、安全確保を図っている。以上のことを踏まえ、特別名勝
富士山を適切に保存管理する上で、現状変更等の取扱いに係る
共通事項を次のとおり定める。@必要最小限の内容であり、富
士山の保存管理上支障をきたすものでないものとする。A自然
公園法・森林法など関係する各法令との調整を図るものとする
。B原則として、外来生物による生態系等に対する被害の防止
を図るものとする。C建築物は、その外観(形態・材料・色彩
)が周囲の景観と調和したものとする。D屋外広告物等の工作
物は、その形態・材料・色彩が周囲の景観と調和したものとす
る。E砂防事業等の安全確保の措置に関しては、景観との調和
にも十分配慮しつつ進めるものとする。F8合目以上の区域に
おける現状変更等については、静岡県と山梨県の県境が確定し
ていないため、「県境未確定地(8合目以上)に係る事務処理
の取扱い基準(関係法令編に掲載)」に従い、事務処理を行う
ものとする。3具体的な施策資産全体に関する保存管理計画の
具体的な行動計画については、「現状変更の制限」が挙げられ
る。なお、その他の施策については付章の事業計画一覧表に示
している。『史跡富士山』保存管理計画では、上表において、
それぞれの保存管理の方法に沿った、各地区の現状変更等の取
扱基準を次のとおり定めている。図第1種、第2種区分図(1
)第1種保護地区@建築物の新築・増築・改築及び除却ア建築
物の新築・増築は、原則として許可しない。ただし、次の各項
については、個々の事案ごとに検討するものとする。(ア)か
つて歴史的要素として存在しながら滅失し現存しないものの復
元整備または改変されてしまったものの原状回復。−103−
(イ)宗教活動に必要不可欠で、伝統的工法・建築様式を用い
景観に配慮したものの新築・増築。イ社殿等の歴史的建築物の
改築、又は災害によりき損・滅失した場合の復旧・復元につい
ては、規模・形態・工法・色彩・材質等において、現状を維持
するものとする。ウ山小屋等既存の社会的建築物の改築につい
ては、用途、構造、規模等を著しく変更せず、遺構等の保存と
景観の保全に努める。A工作物の設置・改修・除却ア工作物の
設置に関しては、周囲の景観にそぐわないものを許可しない。
景観を阻害する既存の工作物は、除却するか更新時に形状・色
彩・規模において改良し、周囲の景観の保全に努める。なお、
工作物については、以下の5種類に分類し、その取扱を以下の
とおりとする。(ア)鳥居や碑塔などの宗教的工作物a鳥居や
碑塔などについては、規模・形態・色彩・材質等に関し現状を
維持し、新規の設置は許可しない。b老朽化に伴う改修や安全
確保を図る目的で強度等を向上させる場合には、現状の形態・
色彩を踏襲するとともに、周囲の景観にも調和したものとする
よう努める。c顕彰碑等については現状の維持とし、新規の設
置を許可しない。(イ)文化財の活用に資する工作物照明設備
、文化財等の説明板・地図等の案内板等については、規模・形
態・色彩・材質等に関し、周囲の景観に調和するものとする。
(ウ)登山道の整備に必要な工作物a安全確保を目的とする道
路関連の工作物については、周囲の景観に馴染む形態・色彩と
する。b危険防止及び安全管理のための工作物については、安
全確保の機能を前提として、周囲の景観に馴染んだ形態・色彩
とする。c指導標、屋外広告物等については、富士山標識関係
者連絡協議会が策定する「富士山における標識類総合ガイドラ
イン(仮称)」に沿ったものとする。(エ)学術研究を目的と
して設置する工作物計測機器類については、規模・形態・色彩
・材質等において、景観を阻害しないものとする。(オ)その
他の工作物期限を限って設置する仮設の工作物については、周
囲の景観に馴染んだ形態・色彩とする。イ既存の工作物におい
て、史跡としての本質的価値を有しないものまたは史跡の保存
・活用に資するものでないものについては、老朽化または耐用
年数経過等の時点をもって、除却する。B土地の形状・土壌の
性質の変更、土壌・岩石の採取ア土地の形状・土壌の性質を変
更する行為、土壌・岩石の採取は許可しない。ただし、安全確
保及び学術研究を目的とするものついては、この限りでない。
イ地面の掘削を伴う復旧・更新・整備に当たっては、必要に応
じて発掘調査等を実施し、その成果を十分踏まえて遺構・遺物
の保存・整備を行う。C動植物の捕獲・採取、木竹の伐採・植
栽ア動植物の捕獲・採取は許可しない。ただし、安全確保の措
置及び学術研究に基づくものについては、この限りでない。イ
木竹の伐採・植栽については許可しない。ただし、次の各項に
該当するものについては、この限りでない。(ア)景観の保全
に関わるもの(イ)病害虫木の伐採及び危険木の伐採等の森林
管理及び安全管理に関わるもの。(ウ)崩壊地に対する植栽。
ただし、(ウ)については、原則として周辺の在来植生と調和
した植物とする。D登山道・道路等の新設・維持現状の維持に
努め、新設は許可しない。復旧・整備を行う場合には、景観と
の調和に努める。増設・改設については、災害復旧または公益
上必要と認められる場合に限り認めるものとする。ただし、安
全確保の措置及び国有林野施業実施計画に基づくもの、その他
公益上必要と認められるものについては、この限りでない。(
2)第2種保護地区@建築物の新築・増築・改築ア建築物の新
築・増築は、原則として許可しない。ただし、次の各項につい
てはこの限りでない。(ア)宗教活動に必要不可欠で、伝統的
工法・建築様式を用い景観に配慮したものの新・増・改築(イ
)学術研究、防災、その他の公益上必要と認められるもので、
当該地区以外ではその目的を達成することができないと認めら
れるものの新・増・改築。(ウ)安全確保上必要最小限の新・
増・改築イ前述の(ア)から(ウ)の場合における外観意匠は
、和風仕様を原則に以下のとおりとし、細部についてはその都
度検討する。勾配屋根とし、材料に自然素材を用いるか、色彩
及び形態が既存の建築物または周囲の景観になじむものとする
。屋根材料に自然素材を用いるか、色彩及び形態が既存の建築
物または周囲の景観になじむものとする。壁面ウトイレ等既存
の社会的建築物の改築については、用途、構造、規模等を著し
く変更せず、遺構等の保存と景観に配慮するものとする。A工
作物の設置・改修・除却ア工作物の設置に関しては、周囲の景
観にそぐわないものを許可しない。景観を阻害する既存の工作
物は、除却するか更新時に形状・色彩・規模において改良し、
周囲の景観の保全に努める。なお、工作物については、以下の
5種類に分類し、その取扱を以下のとおりとする。(ア)鳥居
や碑塔などの宗教的工作物a鳥居や碑塔などについては、規模
・形態・色彩・材質等に関し現状を維持する。b老朽化に伴う
改修や安全確保を図る目的で強度等を向上させる場合には、現
状の形態・色彩を踏襲するとともに、周囲の景観にも調和した
ものとするよう努める。−104−−105−(イ)文化財の
活用に資する工作物照明設備、文化財等の説明板・地図等の案
内板等については、規模・形態・色彩・材質等に関し、周囲の
景観に調和するものとする。(ウ)登山道等の整備に必要な工
作物a安全確保を目的とする道路関連の工作物については、周
囲の景観に馴染む形態・色彩とする。b危険防止及び安全管理
のための工作物については、安全確保の機能を前提として、周
囲の景観に馴染んだ形態・色彩とする。c指導標、屋外広告物
については、富士山標識関係者連絡協議会が策定する「富士山
における標識類総合ガイドライン(仮称)」に沿ったものとす
る。(エ)学術研究を目的として設置する工作物計測機器類に
ついては、規模・形態・色彩・材質等において、景観を阻害し
ないものとする。(オ)その他の工作物公園施設等における建
築物・工作物、期限を限って設置する仮設の工作物については
、周囲の景観に馴染んだ形態・色彩とする。イ土地の形状・土
壌の性質の変更、土壌・岩石の採取第1種保護地区と同様の取
扱基準とする。ウ動植物の捕獲・採取、木竹の伐採・植栽(ア
)動植物の捕獲・採取については、第1種保護地区と同様の取
扱基準とする。(イ)木竹の伐採については許可しない。ただ
し、次の各項に関するものはこの限りでない。・病害虫木の伐
採及び危険木の伐採等森林管理及び安全管理に関わるもの。・
国有林野施業実施計画に基づくもの。(ウ)植栽については、
原則として周辺の在来植生と調和した植物とする。エ登山道・
道路等の新設・維持第1種保護地区と同様の取扱基準とする。
(3)三保松原静岡市教育委員会は、文化財を保護・育成する
立場を堅持し、予想される開発計画との適切な調整を図るため
、文化庁及び静岡県教育委員会と協議の上、『名勝「三保松原
」保存管理計画書』及び『名勝「三保松原」保存管理計画書解
説』を平成元年4月15日に改訂し(解説:平成4年10月2
9日一部改訂)、現状変更申請等に対応している。名勝三保松
原地内における文化財保護法以外の法令・条例による規制は、
静岡県立自然公園条例、静岡県風致地区条例等がある。さらに
、指定地域を特別規制A地区、特別規制B地区、第1種規制地
区、第2種規制地区及び第3種規制地区の5規制地区に分け、
管理のための基本方針を定め、管理している。また、『三保松
原保存管理計画書』には、取扱基準に関する解説が下記のとお
り明示されている。詳細は『三保松原保存管理計画書』を参照
。@人命の安全を確保するためのもの−106−A海岸保全上
必要なもので、景観等に著しい影響を与えないもの。B既存の
飛行場の各設備の整備C都市公園としての整備D学校、体育施
設等の25mを越えない照明及び旗柱類E松の生立木に対する
管理団体との協議F伐採に伴う植栽協力図5規制地区区分図な
お、現状変更については、下表の基準を適用する。表地区施策
内容特別規制A地区特別規制B地区(1)本地区に係る現状変
更等のうち、次のア又はイに該当するものを対象とする。ア階
数が2以下で、かつ、地階を有しない木造又は鉄骨造の建築物
であって、建築面積(増築又は改築にあっては、増築又は改築
後の建築面積)が120uを超え1,000u以下のもので3
月以内の期限を限って設置されるものの新築、増築又は除却イ
道路の設置、改修又は除却(当該道路の設置期間が1年以内の
ものに限る)(2)(1)の現状変更等についての許可の基準
は、次のとおりとする。ア(1)のアについては、当該建築物
が公共性の高いもの又は広く一般の利用に供されるものであっ
て、景観等に著しい影響を与えず、かつ、その設置期間終了後
に原状に復されることが確実な場合でなければ、原則として認
めない。イ(1)のイについては、当該道路が海岸保全のため
に必要な工事に伴って設置されるものであって、その設置期間
終了後に原状に復されることが確実な場合でなければ、原則と
して認めない。第1種規制地区(1)本地区に係る現状変更等
については、その全部を対象とする。(2)(1)の現状変更
等についての許可の基準は、次のとおりとする。本地区におけ
る次のアからカまでのいずれかに該当する現状変更等について
は、原則として認めない。ア高さが17mを超える工作物(学
校施設、体育施設その他の教育又は文化に関する施設における
照明灯、旗柱その他これに類するもの(以下「施設内照明灯等
」という。)にあっては、その高さが25mを越えるもの)イ
高さが17m以下の工作物の増築又は改築であって、増築又は
改築後の工作物の高さが17m(施設内照明灯等にあっては、
25m)を超える場合ウ高さが17mを超える工作物の増築又
は改築であって、増築又は改築後の工作物の高さが増築又は改
築前のもの(施設内照明灯等にあっては、25m)を超える場
合エ規模、形態、意匠又は色彩が景観を損なうおそれがあると
認められる工作物の新築、増築、改築又は除却オ環境を損なう
おそれがあると認められる塵芥、汚泥、産業廃棄物その他こ−
107−れに類するものの投棄又は埋立てカ松の生立木の枝打
ち又は伐採(所有者及び管理団体による同意のある場合を除く
。)第2種規制地区(1)本地区内の現状変更等については、
その全部を対象とする。(2)(1)の現状変更等についての
許可の基準は、次のとおりとする。本地区における次のアから
カまでのいずれかに該当する現状変更等については、原則とし
て認めない。ア高さが21mを超える工作物(施設内照明灯等
にあってはその高さが25mを超えるもの)の新築イ高さが2
1m以下の工作物の増築又は改築であって、増築又は改築後の
工作物の高さが21m(施設内照明灯等にあっては、25m)
を超える場合ウ高さが21mを越える工作物の増築又は改築で
あって、増築又は改築後の工作物の高さが増築又は改築前のも
の(施設内照明灯等にあっては、25m)を超える場合エ規模
、形態、意匠又は色彩が景観を損なうおそれがあると認められ
る工作物の新築、増築、改築又は除却オ環境を損なうおそれが
あると認められる塵芥、汚泥、産業廃棄物その他これに類する
ものの投棄又は埋立てカ松の生立木の枝打ち又は伐採(所有者
及び管理団体による同意のある場合を除く。)第3種規制地区
(1)本地区内の現状変更等については、その全部を対象とす
る。(2)(1)の現状変更等についての許可の基準は、次の
とおりとする。本地区における次のアからウまでのいずれかに
該当する現状変更等については、原則として認めない。ア規模
、形態、意匠又は色彩が景観を損なうおそれがあると認められ
る工作物の新築、増築、改築又は除却イ環境を損なうおそれが
あると認められる塵芥、汚泥、産業廃棄物その他これに類する
ものの投棄又は埋立てウ松の生立木の枝打ち又は伐採(所有者
及び管理団体による同意のある場合を除く。)−108−第5
章緩衝地帯の保存管理本章では、富士山の世界文化遺産として
の価値を将来にわたり適切に保存・管理するために緩衝地帯を
設け、その施策について記述する。富士山の効果的かつ確実な
保存管理を行うためには、地元関係者の協力・助言が不可欠で
あることから、関係自治体・地域住民・観光関係者・神社関係
者で構成する「山梨県保存管理計画策定協力者会議」(第1章
表)を平成年月に、「静岡県保存管理計画協力者部会」(第1
章表)を平成年月にそれぞれ設置した。協力者部会の委員それ
ぞれの立場から、富士山を良好な状態で守っていくための課題
や、今後検討する必要があると考えられる事項等を幅広く提案
している。1現状の把握現在、富士山の緩衝地帯においては、
自然公園法、森林法、都市計画法及び山梨県、静岡県の各関係
市町村が定める条例、計画の下に、資産の周辺環境について万
全な保護措置がとられている。緩衝地帯の範囲については、行
政界・自然地形・道路等の明確な境界などを考慮しつつ、資産
の保護に必要不可欠な範囲を設定した。現在、緩衝地帯におい
て構成資産の顕著な普遍的価値を著しく低下させるような開発
は計画されていないが、今後計画、実施されるおそれも想定し
なければならない。また、自然環境についても同様である。構
成資産の所在地域における自然災害については、台風・大雨・
地震・洪水・噴火などが想定され、それぞれについて綿密な防
災対策が講じられている。保全管理区域については、各々の構
成資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性
を保証するために、緩衝地帯を含め広く設定した。設定につい
ては、富士山を周辺から展望した際、資産範囲を含め良好な景
観を形成する範囲を基準としている。図緩衝地帯全体図以下に
それぞれの現状を記す。(1)富士山山体及び登山道A富士山
(御中道含む)標高約1,500m以上は構成資産内に含まれ
ている。A1山頂信仰遺跡(御鉢巡り含む)標高約1,500
m以上は構成資産内に含まれている。A2大宮・村山口登山道
標高約1,500m以上は構成資産内に含まれている。A3須
山口登山道標高約1,500m以上は構成資産内に含まれてい
る。A4須走口登山道標高約1,500m以上は構成資産内に
含まれている。標高約1,500m〜800mにおいては、保
全管理区域として保護されている。A5吉田口登山道全体が緩
衝地帯で保護されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖
A8精進湖A9本栖湖(2)信仰B1富士山本宮浅間大社B2
山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神社B5冨士浅間
神社全体が緩衝地帯で保護されB6河口浅間神社ている。B7
冨士御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11
忍野八海B12船津胎内樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富
士講遺跡(人穴浅間神社)B15白糸の滝(3)眺望C1三保
松原海浜に面した南側のエリアが構成資産であり、水際線から
50mの範囲については、海岸法により保護されている。北側
エリアは緩衝地帯として保護されている。2保全管理の基本的
な考え方各構成資産の保存計画の策定状況については、本推薦
書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理計画書に示すとお
りである。特に山梨県・静岡県教育委員会は、文化庁及び関係
各市町村の教育委員会との十分な調整の下に『「富士山」包括
的保存管理計画』を策定し、資産の全体を視野に入れた総括的
な保存管理を行っている。包括的保存管理計画に定めた基本方
針に基づき、管理団体である県・市町村が個々の重要文化財、
史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保
存管理計画を策定し、具体的で適切な保存管理に当たっている
。これらの保存管理計画を要約したものについては、付属資料
に示すとおりである(別添参考資料)。「富士山」を総体とし
て保全するためには、構成資産のみならず緩衝地帯をも含め、
資産に影響を及ぼす人工物などを適切に制御していく必要があ
る。そのため、構成資産の本質的な価値に負の影響を与える可
能性のある人工物や開発については、たとえそれが緩衝地帯に
おけるものであってもできる限り抑制することとし、やむを得
ず設置する場合であっても、最小限の数量・規模とするととも
に、色彩等の観点から景観にも十分配慮するよう関係者への理
解と協力を求めることとしている。−109−−110−なお
、既存の鉄柱・看板・広告塔など構成資産に影響を及ぼすもの
については、撤去または修景に努め、公益上必要と考えられる
施設については、現状の利用状況を尊重しつつ、将来的に撤去
又は移転等について検討するとともに、当面の間、資産に対す
る影響の軽減を図ることとする。(1)緩衝地帯等の設定と行
為規制緩衝地帯等(保全管理区域)は、資産と密接に関連する
丘陵・河川・樹木などの自然的要素をはじめ、埋蔵文化財、歴
史的な建築物、歴史的な出来事に関する伝承地などの歴史的要
素のほか、資産の活用に関する施設、市街地を構成する建築物
又は工作物、道路・鉄道及びそれらの関連施設、その他の人工
物などの人文的要素により構成される。緩衝地帯等においては
、資産の周辺に良好に残る自然的要素及び歴史的要素を保全す
るとともに、人文的要素については資産を保護するための緩衝
地帯の特質にふさわしいものとなるよう適切に誘導することが
必要である。したがって、そのために緩衝地帯の範囲を適切に
確保するとともに、自然公園法や山梨県、静岡県関係各市町村
が定める条例に基づき行為規制を行い、緩衝地帯の保全対策を
講ずることとしている。緩衝地帯等の範囲については、地籍境
界・行政界・道路等の明確な境界などを考慮した上で、資産の
顕著な普遍的価値を適切に保護することが可能であることを前
提として定めている。緩衝地帯において行われる建築物及び工
作物の新築・増築・改築、土地の形質変更等に係る行為、木竹
の伐採については、許可制や届出制に基づく規制を設けており
、これらの行為に関する重要な事項については、特に関係各市
町村の景観審議会等による調査、審議に基づき、関係市町村が
事前に適切な指導や助言を行うこととしている。緩衝地帯は大
きく3つの方法により保護措置が講じられている。一番目は自
然公園法(山梨県のほぼ全域)、二番目は景観法に基づく各市
町村の景観条例及び景観計画(山梨県忍野村・静岡県富士市・
富士宮市ほか)、三番目が各市町村独自の景観条例や土地利用
事業指導要綱(山梨県富士吉田市の一部・静岡県裾野市・御殿
場市・小山町)である。三番目の地域に関しては将来的に二番
目の保護措置に移行する予定である。なお、三保松原などいく
つかの資産においては、資産範囲が文化財としての登録範囲よ
りも狭く設定されているため、緩衝地帯の一部は文化財保護法
により保護されている。これらの地域では適用する法令等に違
いはあるが、緩衝地帯において行われる建築物・工作物の新築
、増築、改築、土地の形質変更等に係る行為については、許可
制や届出制に基づく規制が定められ、資産の周辺環境の万全な
保護措置が講じられている。保全管理区域については、富士山
の信仰と緊密に関わる湖沼・湧水、神社などの構成資産は、富
士山の火山活動とも深く結びついており、富士山の火山噴出物
(溶岩等)の到達範囲及びその外縁部に立地するため、富士山
の景観の一体性を保全するために、火山噴出物(溶岩等)の到
達範囲を基本とし、現在の土地利用形態をも十分考慮した上で
、演習場や緩衝地帯を含め広く設定した。保全管理区域は、条
例や協定等により十分な保全の仕組みが講じられている。(2
)都市計画との調整資産とその緩衝地帯において、道路の整備
や公共下水道の整備などの施設を整備する場合には、資産の保
護及び緩衝地帯の保全の観点から、関係機関の間で相互に連携
を図りつつ、調整を行うこととしている。現在、資産と緩衝地
帯は一部都市計画区域に含まれており、これらの区域では引き
続き山梨県・静岡県が定める「都市計画区域マスタープラン(
都市計画区域の整備、開発及び保全の方針)」や関係市町−1
11−村が定める「市町村マスタープラン(市町村の都市計画
に関する基本的な方針)」に基づく様々なまちづくりの施策を
進めることとしている。これらのマスタープランにおいては、
都市計画区域の将来像が明示されており、これにより道路など
の都市施設の整備事業や市街地開発事業が行われる場合には、
適切な距離を考慮して緑地を配置し、自然的環境の整備又は保
全の視点との調和を図ることとしている。なお、資産とその緩
衝地帯について、今後、都市計画区域の変更やマスタープラン
の見直しなどを行う場合には、国が定めた「都市計画運用指針
」に基づき、地域住民の意見を聞くことはもとより、静岡県及
び関係各市町の文化財・環境・景観などの各部局の担当を含む
関係行政機関とも十分な連絡・調整を図ることとしている。資
産とその緩衝地帯において、道路の整備や公共下水道の整備な
どの施設を整備する場合には、資産の保護及び緩衝地帯の保全
の観点から、関係機関の間で相互に連携を図りつつ調整を行う
こととする。以上のように、資産とその緩衝地帯については、
文化財保護法をはじめ関係法令が適切に適用されるとともに、
山梨県、静岡県及び関係市町村が定める都市計画の下に資産の
保存・整備と開発及び保全が一体となって機能している。(3
)住民生活との調和資産及びその周辺に居住する住民の生活に
ついては、資産の保護を前提としつつ、日常の住民生活を著し
く妨げることの無いよう調和を図ってゆくことが必要である。
そのためには地域住民に対し、資産の価値を十分に伝えること
はもとより、資産とともに生活するという認識をいっそう深め
られるような施策を講ずる必要がある。上記の視点に基づき、
山梨県・静岡県及び地元市町村では地域住民に対する説明会が
必要に応じて実施されており、行政と住民との間において積極
的な情報交換が行われている。また、各市町村担当課の役所に
は地域住民からの問い合わせに迅速に対応するための体制が整
備されている。3具体的な施策鉄塔・看板・広告塔などの景観
に負の影響を与える人工物については、規模、色彩、素材等の
観点から、外観の調和に努める。構成資産の周囲において人工
物の設置計画がある場合には、構成資産に与える影響からそれ
らの位置、規模等に関する十分な検討を行うとともに、設置を
する場合においても、条例及び関係法令に定める規模・色彩・
素材等の観点から景観に十分配慮するよう関係者への理解と協
力を求める。既存の施設で、特に資産の顕著な普遍的価値に著
しい負の影響を及ぼす可能性のあるものについては、撤去・修
景を含めた対応により影響の軽減に努める。公益上必要な施設
については、利用状況を尊重しつつ、修景を行うことにより景
観に対する影響の軽減を図る。資産とその緩衝地帯において予
定されている開発計画で、顕著な普遍的価値に影響を与える可
能性があると判断されているものについては、あらかじめその
影響を最小限にとどめるような施工方法について検討し、事前
協議を行うよう関係機関との調整を図る。以上の取扱い内容の
詳細については、付章に事業計画一覧表として示している。ま
た富士山は、山頂から駿河湾の海浜に至るまでの広い裾野を有
している。そのため多様な植生がみられ、広範囲に湧水が分布
しており、周辺では古くから人々の生活が営まれ、市街地化や
企業の進出など開発が進んでいる。このような特性をふまえ、
富士山及び富士山周辺の環境を、良好な状態で一体的に保全す
るためには、以下の項目について施策を実施することが必要で
ある。−112−(1)ゴミ、不法投棄対策の取組マナーの啓
発や清掃活動を実施するとともに、あわせて不法投棄防止のた
めの監視体制を強化するなど、良好な環境を保全するための対
策をより一層進める。(2)自然環境の保全富士山の自然的特
性に配慮し、自然環境を保全するための体制整備や、体制が実
施する取組の検討を早急に進め、検討を重ねて実施していく。
また、自生種の植樹・植栽を推進することにより、あわせて水
源涵養を図る。(3)景観の保全富士山の美しい景観を守るた
め、県や関係市町などが連携し景観計画を基本として、景観を
保全するための体制整備や、体制が実施する取組の検討を早急
に進め検討を重ねて実施していく。(4)登山環境の整備登山
者の安全に配慮するとともに、登山マナーの向上に努めるなど
、適切な登山環境の整備を推進する。また、マイカー規制の拡
大について研究を進める。−113−第6章経過観察の実施1
顕著な普遍的な価値に負の影響を与える要因(1)開発の圧力
資産及びその緩衝地帯において、建築物又は工作物の建設、土
地の形質変更、木竹の伐採等の等の行為を行う場合には、文化
財保護法、自然公園法、都市計画法、森林法、河川法、海岸法
及び関係市町村が定める条例(景観法に基づき策定された景観
条例および景観計画を含む)の下に、それらの規模、形態・構
造に関する規制(建築物又は工作物に関しては、それらの高さ
・色彩・意匠等の規制を含む)が行われるため、資産の価値を
著しく低下させるような開発は起こり得ない。「富士山世界遺
産両県協議会」では、両県の知事・市町村長を中心に、許認可
・保存に関わる国機関も加わり、開発の状況を把握し、コント
ロールのあり方について検討を行っている。開発計画のうち、
現在北麓(山梨県)においては都市計画区域用途地域または都
市計画区域外では5ha以上、都市計画内(用途地域外)では
10ha以上の計画については、山梨県内の組織である「山梨
県土地利用調整会議」に事前協議書が提出され、知事の同意が
必要とされている。その同意を得た後で、個別法令の許認可を
担当する部署での手続きを行うことになっており、一元化した
組織かつ統一した基準での開発のコントロールが行われている
。こうした大規模開発を含む緩衝地帯内で行われる一定規模以
上の開発行為については、「富士山世界遺産両県協議会」へ報
告がなされ、必要に応じて助言等がなされる。現時点で、緩衝
地帯内に存在するゴルフ場・スキー場については改築の際など
により景観に配慮した形態にすることを個別に求めていく。ま
た、各市町村の景観計画の下に、各市町村は景観阻害要因の排
除に努めることとしているほか、世界遺産暫定一覧表に記載さ
れ、世界遺産一覧表への記載の可能性のある文化資産に相応し
い周辺市街地を創出するために適切な景観の保全・改善の施策
を実施することとしている。なお、次に掲げる開発計画等の立
案に当たっては、いずれにおいても資産への影響を最小限に留
めるよう関係機関・団体と調整を行うことし、実施する場合に
も事前に十分な協議を行うこととしている。@観光開発(ホテ
ル・ゴルフ場・スキー場)A廃棄物処分場又は清掃工場B工場
又は工業団地C道路整備(ブルドーザー道)また、資産の保全
状況及び資産に与える影響の概要については、推薦書本文にお
いて記述しているとおりである。これらの影響などについて顕
著な普遍的価値の適切な保存管理という観点から、「資産の視
覚的結び付き」、「資産の関連性」、「個別資産の保護」の3
つに分類し、影響の程度を観察する指標を設定した。資産の顕
著な普遍的価値を確実に保護するためには、資産に影響を与え
る要因について、監視の方策及び負の影響が及ばない方策を検
討する必要がある。その考え方の概要については以下の表に示
すとおりである。−114−表資産に負の影響を与える要因と
その考え方顕著な普遍的価値を構成する諸要素資産に対する負
の影響観察指標として考えられるもの富士山の顕著な普遍的価
値眺望・信仰知識の提供・普及活動等の停滞による影響・資産
の知覚的結び付き、関連性の未理解による影響気候変動による
影響・酸性雨による影響(建造物等の腐食)・温暖化による影
響(植生への影響)自然災害による影響・大雨による影響(遺
跡、建造物のき損)・噴火(遺跡、建造物のき損)・虫害、樹
木の成長等による影響(遺跡、景観のき損)観光圧力による影
響・観光客増加による影響(遺跡、建造物のき損、周辺環境の
変化)開発圧力による影響・周辺地域の大規模開発による影響
(埋蔵部下材の消失、景観阻害要因の設置)・住民の多様な意
識による影響(統一性のない町並みデザイン)資産の視覚的結
び付きに関して・視点場における景観を阻害する要因の数・規
制(景観条例等)に適合しない要因の数資産の関連性に関して
・知識の提供、普及状況(整備の進捗、ガイダンス施設、研究
報告、発掘調査、パンフレット、HPなどによる各種情報提供
、国内外専門家による現地確認、各種研修会、セミナー等の開
催)・観光客数の動向(入込数、便益施設と収容能力など)個
別資産の保護に関して・酸性雨の状況(PHなど)・水系の状
況(水質、水量、生物など)・植生の状況(樹種とその割合な
ど)・遺構の状況(礎石の位置など)・現状変更数及び内容(
2)環境の圧力資産の価値を著しく低下させるような自然的環
境の変化として、山体の形状を変化させる噴火及びそれに伴う
噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降灰、
降灰後の降雨による土石流などによる登山道及び周辺の資産の
損傷が予測される。「大沢崩れ」が約1000年前より始まり
、現在その幅は年1.6mの割合で拡大している(富士砂防・
S45〜H20の38年間で約60m・3400メートル地点
・523万?・年13.8?の土砂が流出)。ただし、噴火・
地震等がなければ少なくとも200年後までは富士山の景観に
大きな変化はないと予測されている(大沢崩れと富士山の土石
流・「富士火山」P407〜)。酸性雨を含む大気汚染が引き
起こす被害については、現段階では確認されていない。白糸ノ
滝については、年2cmの割合で後退しており、10年程度の
間隔で自然崩壊が発生する。−115−砂嘴である三保松原で
は20世紀後半に土砂供給源の川での土砂採取が活発になり、
堆積活動が減少したことで海流による海岸浸食が進んでいたが
、現在は土砂採取の禁止等により、堆積活動が回復している。
また、三保松原における松にはマツクイムシ(マツノザイセン
チュウ)による被害が見られる。これに対しては、薬剤注入・
散布による予防措置及び植林、枯れた松の除去を資産の所在す
る静岡市とNPO法人が行っており、被害の拡大を防止してお
り、将来的に改善される見通しが付いている。(3)自然災害
と危機管理資産の所在地域における自然災害としては、第一に
富士山特有のものとして山体及び側火山からの噴火及びそれに
伴う噴石、火砕流・火砕サージ、溶岩流、融雪型火山泥流、降
灰、降灰後の降雨による土石流などが予想されるとともに、数
年単位で発生する山体における雪崩(特に大量の水分を含んだ
雪が流動する雪泥流)や大沢崩れ及びそれに伴う土石流、強風
、雨水による浸食などが考えられる。また、富士山を含む駿河
湾沿いの地域はM8クラスの海洋プレート内地震の発生が予測
されている。第二に日本列島の太平洋側における一般的自然災
害である台風・大雨・洪水並びに火災等が予測されている。第
三に三保松原に関しては海岸浸食に伴う高潮などの被害がある
。これらについてそれぞれ以下のような防災対策を講じている
。噴火及びそれに伴う災害に対しては、気象庁をはじめとする
研究・防災機関が常時観測を行うと同時に、国の富士山ハザー
ドマップ検討委員会報告書(2004年)に基づき県及び市町
村において火山防災計画(ハザードマップ・避難計画)などを
策定している。雪崩については、吉田口登山道では馬返より上
の登山道に浸透桝を設け、雨水や雪崩による崩壊を防いでいる
。土砂崩れ・土石流(主に大沢崩れ)については国が中心とな
り、源頭部における水分と土砂の分離、山麓における土石流災
害防止を目的とした遊砂地の設置などを行っている。また、登
山道を管理する県では道流堤を設置し、落石の落下先をコント
ロールしている。これらの災害は発生自体を防止することは困
難であるため、その被害を最小限にとどめることを対策の骨子
としている。地震に関する対策としては、大規模地震対策特別
措置法(1978年)に基づき、予知を目的とした観測体制、
予知を前提とした非難・警戒体制、防災施設整備が行われると
ともに、東海地震対策大綱(2003)に基づき国・県・市町
村の防災計画が策定されている。台風は1996年9月に富士
山南側の人工林地区(ヒノキ)に風倒の被害(標高1100〜
1200m中心、計1125ha、富士山では約935haう
ち国有林620ha)をもたらしたことがあるため、1997
年より静岡県が中心となり、被害地に対して自生種(ブナ・ミ
ズナラ)の植栽(のべ22・68ha)を実施している。また
、風倒による被害を防ぐため人工林における下刈を実施してい
る。大雨・洪水に関しては堤防・遊水地・砂防堰堤の建設や河
川の改修などにより、大雨時の洪水に対する防止策を講じてい
る。山火事に対しては、防火帯を設けており、大規模な火災に
対して最大限の対応を可能としている。建造物の火災に対して
は自動火災報知設備・ドレンチャー設備・消火栓、放水銃など
を設置しているほか、自主防火組織も整備するなど、万全を期
しているので問題ない。万一、上記の災害が発生した場合にお
いても、速やかに原状復旧の対策を講じるための制度及び体制
を完備しており、資産の価値が減じることはない。三保松原に
おいては、安倍川(土砂供給源)下流部での砂利採取を196
以下の対策を行った。ごみに関しては国・県及びNPO法人、
ボランティアによる清掃作業が活発に実施されるとともに(平
成20年実績・92回、約64t、延べ参加人数約7000名
)、外国人も含め登山者に対してマナー向上を呼びかけ、登山
道周辺のごみは減少している。山頂部で発生するごみについて
は山小屋組合(富士吉田口環境保全推進協議会等)により適切
に管理・処理されている。し尿対策に関しては登山道及び山小
屋のトイレ48箇所を2006年までにバイオ処理式等に改良
し、環境への負荷を軽減した。自動車に関しては、土日・休日
を中心に各登山道の利用者数に応じて自家用車の利用を規制し
(利用者の多い富士スバルラインで最大12日間)、山麓の臨
時駐車場と五合目駐車場間のシャトルバスによる輸送を行って
いる。※オフロード車の進入等書くべきか※保存管理計画で車
対策を充実させなくて良いか(立ち枯れの問題を記述する場合
特に)2負の影響を与える要因の観察1で示した観察指標とし
て考えられるものについて、測定すべき内容、周期、記録組織
の概要を以下の表に示す。指標の具体的な測定内容等について
は、表に明示している。表観察指標一覧表※斜字は富士山を守
る指標から指標周期記録組織(1)資産の視覚的結a)視点場
における景観阻害要因数毎年両県びつきの保護b)電線の地中
化延長毎年両県a)富士山環境教育開催数・参加者数毎年両県
b)パンフレット・HPによる情報提供数毎年両県c)主要地
点での観光客の入込み数毎年両県(2)資産の関連性の保護d
)登山者数(5合目以上)毎年市町村−117−e)登山者数
(8合目以上)毎年環境省f)森林伐採面積(森林の整備形態
?)毎年両県a)文化財保護法における現状変更の数毎年両県
b)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省c)生
活排水クリーン処理数毎年両県(3)個別資産の保護d)富士
山5合目以上のごみ収集量毎年両県a)自然公園法における許
可行為の数毎年両県・環境省b)ゴルフ場面積毎年両県c)森
林伐採面積(森林の整備形態?)毎年両県(4)緩衝地帯の保
護d)廃棄物の不法投棄量毎年両県−118−第7章整備・公
開・活用1基本方針資産全体の保存管理を確実に行うためには
、適切な整備・公開・活用の方針を定め、それらを着実に実現
していくことが必要である。資産の顕著な普遍的価値を確実に
保存するとともに、総合的な理解を深めることができるよう、
適切な整備・公開・活用の施策を推進する。(1)構成資産の
関連性を考慮した顕著な普遍的価値の伝達富士山は、一連の歴
史的背景と構成資産相互の関連性によって全体の顕著な普遍的
価値が構成されているという観点を踏まえる必要がある。その
ため、各構成資産の修復及び整備に当たっては、構成資産相互
の関連性を考慮し、資産全体として有する顕著な普遍的価値を
顕在化させる整備計画を策定し、修復及び整備を進めることと
する。また、山梨県・静岡県及び構成資産所有の市町は、「(
仮称)富士山フォーラム」を始めとする資産の関連性を含めた
富士山の顕著な普遍的価値を理解するための講座及び研修会等
を実施し、情報の伝達を行うことについて配慮する。さらに、
日常的な情報提供の一環として、ガイドブック等の充実を図る
ほか、地域の児童・生徒を対象とした学校教育及び地域住民を
対象とした社会教育活動との連携を図る。表資産の保存管理に
要する経費単位:千円項目2008年2009年2010年2
011年文化財保護富士山保護来訪者施設、普及啓発合計(2
)歴史的事実に基づく真実性の担保記念工作物や文化財の修復
及び復元整備はその真実性を担保するため、建造物の解体修理
や発掘調査等の各種学術調査の結果に基づき、高い精度により
実施する。そのためには、歴史学、考古学、建築史学、環境学
、地質学等、構成資産に関する調査研究を継続し、保存・活用
上の諸課題について、研究成果の充実を図っていく必要がある
。そのため、山梨県では、2008年より富士山の歴史、信仰
、芸術などをはじめとする総合的な調査・研究や、富士山関連
資料の整備・把握を行う「山梨県富士山総合学術調査委員会」
を設置し、成果の充実に努めている。また、静岡県では、資産
の文化財調査を実施する「(仮称)富士山文化財調査事務所」
を静岡県内に設置するとともに、「(仮称)富士山の総合的研
究基本計画」を策定し、大学及び関係市町と調査研究活動の連
携を図り、成果の充実に努めている。なお、両県の関係部局及
び関係市町村、学識経験者等を構成員とする「(仮)富士山保
存活用両県協議会」が定期的に開催され、専門的立場からの助
言を得ることで、資産の調査研究等についての客観性を確実に
している。−119−(3)適切な公開・活用施設の設置公開
・活用施設の設置に当たっては、資産の持つ顕著な普遍的価値
を伝達するために必要な質及び量を考慮する。そのため、現在
「環境省生物多様性センター」、「山梨県立富士ビジターセン
ター」、「山梨県環境科学研究所」、「富士吉田市歴史民俗博
物館」、「河口湖フィールドセンター」などにおいて行ってい
る、構成資産の解説については、顕著な普遍的価値の観点から
一層の充実を図る。表資産の顕著な普遍的価値の伝達に関する
公開・活用施設一覧NO名称解説対象備考1環境省生物多様性
センター自然2山梨県富士ビジターセンター富士山全般大型映
像施設あり3山梨県環境科学研究所自然4富士吉田市歴史民俗
博物館歴史5旧外川家住宅歴史4の附属施設6富士吉田市世界
遺産センター歴史7河口湖フィールドセンター自然8富士市立
博物館歴史9裾野市立富士山資料館富士山全般(4)国内外か
らの観光客への対応富士山地域は、優れた名所として知られて
おり、広く国内外から多くの来訪者を受け入れている国内有数
の観光地となっているため、地域住民に向けた公開・活用のみ
ならず、資産の価値に対する理解促進と普及啓発に向けた積極
的な宣伝に努める。山梨県及び各市町村では、景観や環境の保
全にも十分配慮した観光計画を策定しており、その計画に基づ
き来訪者の受入れ態勢の整備などを進めていく。また、富士山
山体においては、登山者の安全と利便を図るため、統一された
デザインによる4ヶ国語(英語・中国語、ハングル、日本語)
の道標や解説板の整備を進めている。表富士山への来訪者数の
推移(7・8月推計)単位:人年吉田口富士宮口御殿場口須走
口合計※吉田口:富士吉田市富士山課で集計(六合目安全指導
センター調)※富士宮口、御殿場口、須走口:富士宮市観光協
会等の推計表主な構成資産の来訪者数の推移(推計等)単位:
人富士吉田・河口湖・三つ峠周辺本栖湖・精進湖・西湖周辺山
中湖・忍野八海周辺三保松原浅間大社白糸ノ滝※「山梨県観光
客動態調査」(山梨県)2整備と公開・活用富士山体及び富士
山周辺には、富士山の価値を示す多くの貴重な文化財が、広い
範囲に分布している。それらを確実に保存管理するためには、
適切な整備を進め、地域住民や来訪者に対し、効果的な情報提
供を行うことが重要である。資産の整備及び活用は、資産の管
理者である関係市町村及び個別資産の所有者が実施しており、
文化財の適切な整備と活用を進めるため、以下の点に留意する
ことが必要である。(1)文化財の保護富士山の価値を表す貴
重な文化財を、確実に保護するための適切な整備を進める。個
別保存管理計画との整合を図り、保護と活用の観点から、地域
住民の生活や来訪者の活動などとの調和を図る。(2)文化財
及び周辺の整備富士山の文化の特徴や様々な文化財の価値につ
いて、年齢国籍を問わず分かりやすい資料の作成や案内板等の
整備を検討する。また、訪問者への対応や周辺環境の保全に配
慮した整備計画の検討を進める。計画は以下のとおりである。
ア富士山山体及び登山道A(A1〜A9共通)・誘導看板の設
置・登山道及びブルドーザー道の整備・破損した石造物の修復
・土砂崩落防止柵の整備イ信仰B1〜B15共通−120−−
121−・継続的な文化財調査・社殿を始めとする建造物や境
内地の修復および保存・解説板、案内板等の設置・良好な景観
の維持・永続的に行われている習俗の継承、保存ウ眺望C三保
松原・継続的な植生及び海浜の調査・解説板、案内板等の設置
・良好な景観の維持・永続的に行われている習俗の継承、保存
・病害虫の駆除−122−第8章保存管理体制の整備と運営1
保存管理体制の整備と役割分担構成資産及び緩衝地帯の確実な
保存管理のためには、関係する行政機関、所有者、地域住民、
市民団体などが相互に意思を疎通し連携を図る組織や、運営体
制を整備することが重要である。効果的かつ確実な保存管理の
体制を整備するため、以下の4点に留意することが必要である
。(1)行政機関の連携国・県・市町の役割を明確にし、相互
に連携を図る協力体制を整備する。また、一元的な体制整備に
ついての検討も進めるとともに、関係市町村は、それぞれ保存
管理に必要な体制の整備を行っている。山梨県、静岡県におい
ては、関係市町村と緊密に情報交換を行い、資産の保存管理に
関して行政的な助言を行っている。また、山梨県、静岡県とそ
の関連機関である山梨県埋蔵文化財センター及び静岡県埋蔵文
化財研究所では、それぞれの組織内に文化財の高度な保存・管
理技術を持つ専門職員及び技術者を配置し、市町村が行う保存
管理に対して適切な技術的な支援を行っている。また、独立行
政法人国立文化財機構は、全国の史跡等における整備活用事業
の円滑な推進と専門職員及び技術者の技術や能力の向上のため
に、地方公共団体の専門職員を対象として定期的に研修を開催
しており、山梨県・静岡県をはじめ関係各市町村の職員も当該
研修等に積極的に参加して、資産の整備活用の技術向上に努め
ている。また、構成資産の保護に関しては、必要に応じて文化
財補助金制度等の財政的、技術的な支援を行うこととしている
。さらに、独立行政法人国立文化財機構(201年度より国内
の大学の研究者及びイコモス会員を含む富士山世界遺産両県協
議会の助言者及び両県協議会も含まれる)の助言・指導に基づ
いて行われている保存・管理技術は、高い水準を維持している
。重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は
天然記念物を維持するための措置として簡単な修理又は復旧を
行う場合は、事前の届出に基づき、文化庁が適切な技術的指導
を行っているため、管理技術の水準はきわめて高く保たれてい
る。文化庁及び環境省においては、山梨県、静岡県及び関係市
町村との緊密な情報交換を基に、資産の保存管理全般に関して
行政的な助言を行うとともに、必要に応じて財政的・技術的な
支援を行うこととしている。同時に、国内の世界遺産の保存管
理に関する情報をはじめ、各国における世界遺産の保存管理状
況などに関する情報の収集及び周知に努めている。資産の見回
りや清掃等の日常的な維持管理については、静岡県・山梨県教
育委員会から嘱託された指導員のほか、地域住民・民間団体・
管理団体が協働して積極的に行っている。表技術者の資質向上
のために行われているおもな研修(2)民間との連携、住民参
加行政機関の連携を図るとともに、構成資産及び緩衝地帯の確
実な保護と活用のためには民間との連携が重要である。そのた
め、民間の団体や地域住民が積極的に参加できる組織や体制の
整備を進める。資産の所有者及び資産に関する権利者や地域住
民等の間で生ずる様々な課題に対し、山梨県、静岡県の関係市
町村及び資産の保存管理に関する諸団体等においては、日常的
な情報共有を行い、資産保護の連携を図っている。また、山梨
県、静岡県は、関係市町村と連絡調整のための会議を年に複数
回開催し、保存管理等の状況や今後の管理運営についての情報
交換を行うなど、さらなる連携の強化に努めることとしている
。−123−(3)広報関係保護・保全に対する意識を高める
ためには、世界遺産登録の意義を理解することが重要であるこ
とから、地域住民をはじめ、来訪者への広報や啓発活動を推進
する。(4)(仮称)富士山世界遺産両県協議会包括的保存管
理計画に定めた上記の基本方針に基づき、静岡県・山梨県と関
係市町村は、広範囲にわたる富士山の構成資産及び緩衝地帯を
包括的保存管理計画に基づき統一的に管理するため「富士山世
界遺産両県協議会」(以下「両県協議会」という。)(図「富
士山」に係る保存管理の組織体制図)及びその支部組織である
「静岡県世界遺産協議会」・「山梨県世界遺産協議会」(以下
両者をまとめて「各県協議会」という。)を設置し、各構成資
産を成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念
物又は天然記念物の保存管理計画を共通の基準に基づき確実に
実行する。両県協議会および各県委員会は、資産及びその周辺
地域において、国・静岡県・山梨県・関係市町村・民間団体等
が実施する予定の事業等についての情報を総合的に把握し、そ
れぞれの事業が、資産の保存管理に負の影響を及ぼすことなく
、適切に実施されるように関係各機関の連絡・調整を行う。両
県協議会・各県協議会における調整結果に基づき、静岡県・山
梨県及び関係市町村は、民間事業者等に対して権限に基づく適
切な指導や助言を行うこととしている。また、両県協議会には
国関係機関(文化庁・環境省・国土交通省・防衛省・林野庁)
、国内の大学及びイコモス会員等の研究者・専門家が助言者と
して参加し、学術的な観点からの助言を行う。各県協議会の下
には、実務担当者レベルの調整組織として、山梨県(静岡県)
庁内連絡会議を設置するとともに、各市町村担当者や民間業者
などの代表者との調整組織として山梨県(静岡県)保存管理協
力者会議を設置し、十分な連携を図る。さらに、静岡県・山梨
県文化財保護審議会をはじめ各市町村文化財調査委員会は指定
文化財及び文化財全体に関する事項を審議し、それぞれ、静岡
県・山梨県及び構成資産の管理を行う各市町村教育委員会に対
して建議を行っている。これらの組織の運営は静岡県・山梨県
の世界遺産推進課が行い、専門の職員名により業務が行われる
。また、世界遺産推進係を設置した富士宮市教育委員会や世界
遺産推進室を設置した富士吉田市をはじめ、各市町村教育委員
会においても構成資産の保存管理を担当する専門の職員を定め
ている。これらの組織体制については、さらなる充実化に努め
ることとしている。なお、上記の体制については現在登録準備
のために設置され、実質的に機能している組織を改変・名称変
更・役割変更するものであり、その運営に関して問題は生じな
い。(5)その他地元関係者の意見を考慮し、将来的な計画を
視野に入れた保存管理のあり方について検討を進める。2地域
住民等との連携・協働富士山の顕著な普遍的価値を適切に保護
していくためには、資産の物理的な保護はもとより、緩衝地帯
を含めた総合的な保存管理が求められる。これらを円滑に実現
するためには、資産の周辺に居住する地域住民と行政との連携
が不可欠であることから、地域住民との連携・協働による各種
事業を実施している。−124−表地域住民と行政との連携に
よる事業主な実施事業事業主体頻度実施年度富士山一斉清掃各
自治体各登山道年1回毎年度富士山の美化活動財団法人富士山
をきれいにする会年2回程度1962年〜毎年度また、地域住
民による資産の保存管理を確実なものとするためには、住民の
資産の価値に関する理解を深め、保護に対する意識をより一層
醸成する必要がある。そのため、山梨県及び関係市町村では、
地域住民参加型の各種講演会、研修会などの各種事業を主催し
ている。表地域住民が参加する主な事業主な実施事業事業主体
頻度実施年度富士山世界遺産出前講座行政随時2007年〜毎
年度富士山学習会行政外随時毎年度富士吉田市世界遺産専門学
校行政年1回2009年〜毎年度図「富士山」に係る保存管理
の組織体制図−125−富士山世界遺産両県協議会(構成)静
岡県、山梨県、関係市町村学識経験者等国関係機関(文化庁、
環境省、国土交通省、防衛省、林野庁)開発事業者、地域住民
、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県世界遺産協議会(委員)
行政:静岡県、関係市町等(委員)行政:山梨県、関係市町村
等民間:観光協会、山小屋組合、民間:観光協会、山小屋組合
、神社関係者等静岡県保存管理協力者会議(委員)関係市町(
企画・都市計画・文化財担当)観光関係者、山小屋組合、神社
関係者等神社関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県庁内連絡会議
(委員)関係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者会議
(委員)関係市町村(企画、都市計画、文化財担当)観光関係
者、山小屋組合、神社関係者等−126−3持続的運営のため
の定期的確認包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基
づき、山梨県・静岡県は、世界遺産の保存管理を専任とする職
員の組織を整備するとともに、連絡調整会議を設置して関係市
町村の教育委員会との十分な連携を図っている。山梨県・静岡
県教育委員会では、文化財・世界遺産担当の組織を設け、現在
名の職員によって資産全体の保存管理に当たっている。富士宮
市教育委員会では世界遺産推進係を、富士吉田市では世界遺産
推進室を設置し、専任職員によって構成資産の保存管理に当た
っている。また、これ以外の市町村においても他の文化財とと
もに構成資産の保存管理を担当する職員を定めている。これら
の組織体制については、さらなる充実化に努めることとしてい
る。さらに、国・山梨県・静岡県と関係市町村は、広範囲にわ
たる「富士山」の構成資産及び緩衝地帯を包括的保存管理計画
に基づき統一的に管理するため「(仮称)富士山世界遺産両県
協議会」(以下「協議会」という。)を設置し、各構成資産を
成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又
は天然記念物の保存管理計画を共通の基準に基づき確実に実行
している。協議会では、資産及びその周辺地域において、国・
静岡県・山梨県・関係市町村・民間団体等が実施する予定の事
業等について、それぞれの事業が、資産の保存管理に負の影響
を及ぼすことなく、適切に実施されるように連絡・調整及び各
法令を管轄する行政機関に対する助言を行う権限を有する。協
議会における調査結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係市町
村は、民間事業者等に対して権限に基づく適切な指導や助言を
行うこととしている。協議会には、国内の大学及びイコモス会
員等の研究者・専門家が参加しており、協議会に対して学術的
な観点からの助言を行っている。さらに、静岡県・山梨県文化
財保護審議会をはじめ各市町村文化財調査委員会は指定文化財
及び文化財全体に関する事項を審議し、それぞれ、山梨県・静
岡県及び各市町村に対して建議を行っている。付章1保存管理
に関する事業計画一覧表富士山包括的保存管理計画を適切に実
施していくため、「(仮)富士山保存活用両県協議会」が毎年
開催されている。現状の把握及び保存管理の方向性については
、その概要を本文第4章1・2、第5章1・2に示している。
また、実施される事業については本章に一覧表として示してい
る。事業主体実施機関二県山梨県静岡県市町村その他事業主体
「その他」の内容番号保存管理の方向性実施事業短期中長期〜
〜2014年2027年1顕著な普遍的価値の確実な保記念工
作物に関する経過観察の実施宗教法人護のための適切な監視「
遺跡」に関する経過観察の実施宗教法人2世界遺産講座等の開
催専門家(国内外)会議の開催顕著な普遍的価値を理解するた
めの方策史跡等調査整備計画(暫定整備含む)相談窓口の設置
及び事前相談の受付各分野の専門家による現地指導会の開催宗
教法人等3地域住民、行政による資産に地域住民及び開発企業
向け説明会の開催対する知識の向上現状変更手続き等に関する
パンフレット作成−127−及び配布史跡等公有化計画の策定
及び公有化の実施各分野の専門家による現地指導会の開催宗教
法人等史跡等見学会の実施民間団体等ガイダンス施設の整備各
種サイン計画の実施史跡等環境の整備・管理運営民間団体等史
跡等の追加指定及び新規指定の推進4資産等の巡視・監視体制
の強化民間団体等関係者による連絡調整会議の開催宗教法人等
行政、地域の連携による資産の保護資産等を案内するためのガ
イド養成5「鉄塔」の取扱いに関する関係事業者との協議「家
庭用電柱」の取扱いに関する協議の実施各種人工物等に対する
適切な取扱い「違反広告物」の撤去景観法に基づく景観計画に
よる屋外広告物の規制違反広告物の掲出に関する地域住民への
予防的措置の実施負の要素の除去既存の「観光関連施設」等に
関する関係者との協議の実施6景観に配慮した「便益施設」の
計画的な整備景観に配慮したデザインの検討各種人工物等の景
観への配慮景観の既存の便益施設の撤去、修復−128−「樹
木」の保存宗教法人等既存及び新設の「公共施設」の景観への
配慮向上「高速道路」「鉄道」の修景の取扱いに関する関係事
業者との協議の実施「既存の建物」の景観への配慮道路・河川
の景観形成国景観阻害要因の撤去・修景民間団体等7開発行為
への適切な対応第三者機関による開発内容のチェック地方公共
団体内部におけるチェック民間団体等資産等の巡視・監視体制
の強化開発計画に対する必要な勧告制度景観保全のためのルー
ルづくり8観光圧力に対する適切な対応モデルコースの設定・
周知誘導看板の整備「便益施設」の計画的な整備資産等の巡視
・監視体制の強化民間団体等ガイドの養成各種ガイドブック(
富士山全体、構成資産、児童生徒向け)作成9顕著な普遍的価
値の伝達児童・生徒向けイベントの開催富士山フォーラム、世
界遺産に関する研修会、講座等の開催−129−発掘、歴史、
自然、民俗等の各種分野における調査推進・公開富士山及び構
成資産の関連書籍のデータベース作成10モデルコースの設定
・周知誘導看板の整備富士山に関する顕著な普遍的価値を考慮
した公開・活用「便益施設」の計画的な整備資産等の巡視・監
視体制の強化民間団体等ガイドの養成11神社関連施設及び遺
跡の調査・整備宗教法人等神社関連施設及び遺跡の公開・活用
宗教法人等遺跡に関する顕著な普遍的価値を考慮した公開・活
用自然関連の情報収集・調査民間団体等富士山総合研究の実施
大学、行政、民間団体等12歴史的事実に基づく真実性の担保
富士山研究機関の設置民間団体等13適切な公開活用施設の設
置「(仮称)富士山センター」の充実各種ガイダンス施設の整
備・拡充14国内外からの観光客への対応外国人観光客の受け
入れ態勢の整備民間団体等資産の価値に対する理解促進に向け
た積極的な宣伝適切な経路の設定トイレ等の便益施設の設置シ
ャトルバス等の交通渋滞の緩和策の実施−130−−131−
平成22年度第1回静岡県学術委員会・第2回山梨県学術委員
会参考資料1顕著な普遍的価値の登録基準2005年2月版「
世界遺産条約履行のための作業指針」77項より(?)人間の
創造的才能を表す傑作である。(?)建築、科学技術、記念碑
、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間
にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示
すものである。(?)現存するか消滅しているかにかかわらず
、ある文化的伝統又はある文明の存在を伝承する物証として無
二の存在(少なくとも希有な存在)である。(?)歴史上の重
要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あ
るいは景観を代表する顕著な見本である。(?)あるひとつの
文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態
若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本であ
る。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本であ
る(特に不可逆的な変化によりその存在が危ぶまれているもの
)(?)顕著な普遍的意義を有する出来事(行事)、生きた伝
統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接また
は実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられ
ることが望ましい)(?)最上級の自然現象、又は、類まれな
自然美・美的価値を有する地域を包含する。(?)生命進化の
記録や、地形形成における重要な進行中の地質学的過程、ある
いは重要な地形学的又は自然地理学的特徴といった、地球の歴
史の主要な段階を代表する顕著な見本である。(?)陸上・淡
水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群集の進化、発展において
、重要な進行中の生態学的過程又は生物学的過程を代表する顕
著な見本である。(?)学術上又は保全上顕著な普遍的価値を
有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の生息
域内保全にとって最も重要な自然の生息域を包含する。平成2
2年度第1回静岡県学術委員会・第2回山梨県学術委員会参考
資料2富士山世界文化遺産静岡県学術委員会設置要綱(趣旨)
第1条この要綱は、富士山世界文化遺産静岡県学術委員会(以
下「委員会」という。)の設置に関し必要な事項を定めるもの
とする。(事業)第2条委員会は、富士山の世界文化遺産登録
を目指し、関係資料の整備、推薦資産の検討及び価値証明等を
行う。(組織)第3条委員は、学識経験のある者のうちから、
富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議会長が委嘱する。(
役員)第4条委員会に次の役員を置く。(1)委員長1人(2
)副委員長1人2委員長及び副委員長は、委員の互選による。
3委員長は、委員会を代表し、会務を総理する。4副委員長は
、委員長を補佐し、委員長に事故があるときは、その職務を代
理する。(任期)第5条委員の任期は、1年とする。ただし、
補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。2委員は、再
任されることができる。(会議)第6条委員会の会議は、委員
長が招集し、委員長がその議長となる。(事務局)第7条委員
会の事務を処理するため、静岡県文化・観光部世界遺産推進課
に事務局を置く。2事務局に関し必要な事項は、委員長が別に
定める。(解散)第8条委員会は、富士山が世界文化遺産に登
録されたときに解散する。(補則)第9条この要綱に定めるも
ののほか、委員会の運営に関し必要な事項は、委員長が別に定
める。附則1この要綱は、平成18年5月23日から施行する
。2この要綱の施行後最初に選任される委員の任期は、第5条
第1項本文の規定にかかわらず、平成19年3月31日までと
する。附則この改正は、平成19年4月1日から施行する。附
則この改正は、平成22年4月1日から施行する。−1−富士
山世界文化遺産山梨県学術委員会設置要綱(趣旨)第1条この
要綱は、富士山世界文化遺産山梨県学術委員会(以下「委員会
」という。)の設置に関し必要な事項を定めるものとする。(
事業)第2条委員会は、富士山の世界文化遺産登録を目指し、
関係資料の整備、推薦資産の検討及び価値証明等を行う。(組
織)第3条委員は、学識経験のある者のうちから、富士山世界
文化遺産登録推進両県合同会議会長が委嘱する。(役員)第4
条委員会に次の役員を置く。(1)委員長1人(2)副委員長
1人2委員長及び副委員長は、委員の互選による。3委員長は
、委員会を代表し、会務を総理する。4副委員長は、委員長を
補佐し、委員長に事故があるときは、その職務を代理する。(
任期)第5条委員の任期は、1年とする。ただし、補欠の委員
の任期は、前任者の残任期間とする。2委員は、再任されるこ
とができる。(会議)第6条委員会の会議は、委員長が招集し
、委員長がその議長となる。(事務局)第7条委員会の事務を
処理するため、山梨県企画県民部世界遺産推進課に事務局を置
く。2事務局に関し必要な事項は、委員長が別に定める。(解
散)第8条委員会は、富士山が世界文化遺産に登録されたとき
に解散する。(補則)第9条この要綱に定めるもののほか、委
員会の運営に関し必要な事項は、委員長が別に定める。−2−
附則1この要綱は、平成18年5月17日から施行する。2こ
の要綱の施行後最初に選任される委員の任期は、第5条第1項
本文の規定にかかわらず、平成19年3月31日までとする。
附則1この要綱は、平成19年4月1日から施行する。附則1
この要綱は、平成22年4月1日から施行する。
建物に関する専門的な調査はほとんど行われたことがないため、基礎や構造物の状
況など現状把握を早急に行う必要がある。現在、居住の用に供しており、敷地内部
及び建物は一般公開されていない。B9山中湖文化財保護法(名勝)及び自然公園
法(特別地域)により適切に保護されており、現時点における保全状態は良好であ
る。B10河口湖文化財保護法(名勝)及び自然公園法(特別地域)により適切に
保護されており、現時点における保全状態は良好である。B11忍野八海天然記念
物として指定されている範囲は水面に限られており、私有地が隣接しているため、
周辺環境を含めた保全状態に課題がある。しかし、忍野村が景観計画を策定し、周
辺環境を含めた保全を行っている。また、水位が低下して、文化財指定当時の状態
を維持していない池があり、今後の調査によって原因の究明が求められる。忍野村
では、平成20年(2008年)に地下水資源保全対策基礎調査を実施している。
B12船津胎内樹型富士河口湖町により、日常的な維持管理が行われており、現時
点における保全状態は良好である。船津胎内樹型はその狭小な断面形状の特性から
、入洞の順路が設定されており、入洞口と出洞口が分化している。入洞口には無戸
室浅間神社の社殿(拝殿)が建てられており、神社と入洞口が一体化している。B
13吉田胎内樹型−92−富士吉田市及び冨士山北口御師団により、日常的な維持
管理が行われており、現時点における保全状況は良好である。内部の溶岩の盗掘や
人の進入による破壊を防ぐため吉田胎内本穴入口には、扉が設置され、施錠されて
いる。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)碑塔群はおおむね良好な状態である
が、一部の碑塔に修理が必要とされる。B15白糸の滝現状では、滝つぼ周辺に売
店があるなど景観面において課題がある。このため、富士宮市が中心となり保存管
理計画の改訂および整備計画の策定を行い、今後適切な整備がなされる予定である
。(3)眺望C1三保松原現状では1960〜80年代に進行した海岸浸食の影響
からの回復を図るため、資産内及び周辺にヘッドランドなどが仮設され、景観に影
響を与えている。また、松原においてもマツクイムシ(マツノザイセンチュウ)に
よる松枯れがみられるため、薬剤注入・散布による予防措置及び植林、枯れた松の
除去が実施されている。現在これらの対策により、資産の現状を保ち、将来におい
てはより良好な保全状態となることは確実である。また、保存管理計画についてが
静岡市がる改訂を行っている。管理団体である静岡市は、シロアリ防除・駆除・シ
ロアリ被害状況調査、松くい虫防除、松林の下草刈り、育苗、松苗定植等の保護及
についての考え方本来、文化財保護法は文化財を保存し、かつ、その活用を図り、
もって国民の文化的向上に資することを目的としたものであり、文化財の保存が適
切になされることを原則としている。また、自然保護法は、優れた風景地を保護す
るとともに、その利用の増進を図り、もって国民の保健、休養及び教化にしするこ
とを目的としたものであり、風致景観が適切に管理されるとともに適切な利用を促
進することを原則としている。しかしながら、一方ではそこを所有し生活している
住民が存在することも事実であり、住民生活もまた尊重されなければならない。し
たがって構成資産の諸要素の現状に変更が生じる場合には、構成資産の保存と住民
生活との調整を図りつつ、適切に行われる必要がある。そのため、構成資産のうち
特別名勝地だけでなく、史跡や遺跡、眺望地点などは文化財保護法や自然公園法、
景観法などにより保護措置を講じる必要がある。世界遺産としての地区区分として
、「文化財保護法を基本に保存管理する地域(第1種保護地区)」及び「自然公園
法を基本に保存管理する地域(第2種保護地区)」という2つの地域に区分し、そ
れぞれ現状変更の取扱いを定め、住民生活との調整を図りつつ構成資産の保存管理
を行っている。その概要については以下に示すとおりである。(2)地区区分につ
いての考え方各構成資産における保護に関する基本的な考え方としての地域区分並
びに想定される現状変更等の行為とその具体的取扱方針の概要は、以下に示すとお
りである。なお、構成資産ごとの詳細な情報は、個別の保存管理計画に示している
。図富士山地区区分図−94−表保存管理のための地区区分(富士山北側)第1種
保護地区第2種保護地区1−1地区1−2地区1−3地区1−4地区2−1地区2
−2地区2−3地区2−4地区特別名勝御中道下500m〜頂上まで富士山有料道
路五合目終点施設習合区域以外富士山有料道路五合目終点施設習合区域A富士山(
富士山体)(御中道含む)天然記念物青木ヶ原樹海地区精進口登山道地区道路地区
大室山周辺概ね標高2000m以上富士山原始林及び青木ヶ原樹海周辺富士五湖周
辺地域概ね1500m以上その他地域A1山頂信仰遺跡(奥宮、お鉢巡り含む)八
合目以上全域特別名勝一合目から御中道下500m国有林諏訪の森地内登山道の起
点から一合目までA5吉田口登山道史跡中ノ茶屋から山頂までの範囲建造物文化財
建造物の雨落までの敷地文化財建造物の雨落までの敷地以外の敷地A6北口本宮冨
士浅間神社史跡境内地全域A7西湖湖水面周回道路内側、文化財指定範囲を除く周
回道路内側、文化財指定範囲を除くA8精進湖湖水面周回道路内側、文化財指定範
囲を除く周回道路内側、文化財指定範囲を除く−95−A9本栖湖湖水面周回道路
内側、文化財指定範囲を除く周回道路内側、文化財指定範囲を除くB6河口浅間神
社境内地全域建造物重要文化財の軒下までの敷地中門、翼廊及び囲壁によって区画
される範囲B7冨士御室浅間神社史跡境内地全域B8御師住宅文化財建造物の雨落
までの敷地文化財建造物の雨落までの敷地以外の敷地B9山中湖湖水面周回道路内
側、文化財指定範囲を除く周回道路内側、文化財指定範囲を除くB10河口湖湖水
面周回道路内側、文化財指定範囲を除く周回道路内側、文化財指定範囲を除くB1
1忍野八海湧水面B12船津胎内樹型洞内と開口部天然記念物指定範囲の地表面指
定範囲内の町道5107号線の道路敷B13吉田胎内樹型吉田胎内本穴の洞内及び
開口部吉田胎内本穴の洞外及び地表面※地区区分は仮案・今後変更有−96−表保
存管理のための地区区分(富士山南側)第1種保護地区第2種保護地区(周辺地区
)A富士山山体8合目以上全域標高約2000m〜約2300mの範囲緩衝地帯・
保全管理区域・演習場A1山頂信仰遺跡8合目以上全域─8合目未満A2村山口登
山道跡(登山道)・富士宮口八合目から山頂までの山頂信仰遺跡に含まれる範囲・
8号建物跡から12号建物跡までの範囲・横渡から7号建物跡までの範囲(遺構・
建物跡)札打場、中宮八幡堂跡、八大龍王、5号、8号、12号建物跡富士宮口6
合目から8合目までの範囲国有林A3須山口登山道(登山道)・須山口(御殿場口
)8合目から山頂までの山頂信仰遺跡に含まれる範囲・須山胎内から幕岩上部まで
の範囲(遺構)須山御胎内須山口(御殿場口)2合8勺から8合目までの範囲国有
林A4須走口登山道(登山道)須走口8合目から山頂までの山頂信仰遺跡に含まれ
る範囲(神社)古御岳神社、迎久須志神社須走口5合目から8合目までの範囲国有
林B1富士山本宮浅間大社ふれあい広場と駐車場を除く境内地、神立山(社叢?)
神田川ふれあい広場、第2駐車場第1駐車場周辺市街地B2山宮浅間神社籠屋から
遥拝所までの境内地籠屋より下部の神社境内地周辺住宅地、森林B3村山浅間神社
六道坂以東の境内地六道坂以西の境内地宿坊跡、見付跡周辺住宅地、森林−97−
B4須山浅間神社境内地全域境内地周辺の社叢周辺住宅地、森林B5冨士浅間神社
境内地全域─西側駐車場、周辺住宅街、西側森林B14人穴富士講遺跡境内地全域
、地下洞穴─森林B15白糸ノ滝本体〜滝つぼ、両岸の崖音止の滝市街化調整区域
C三保松原特別規制A地区及び特別規制B地区第1種規制地区第2種規制地区第3
種規制地区@第1種保護地区この地区は、富士山の本質的価値を構成する宗教的な
建造物、信仰の対象となった自然物等、史跡及び眺望地点として重要な要素を含む
区域とする。登山道においては、歴史上使用された登山道跡と断定できる道跡、及
び登山道跡に存在する石碑や建物跡等を含む区域である。神社等においては、社殿
・遺構・石碑等歴史的な価値のある要素が存在し、指定地の中核を成す区域である
。歴史的に価値のある社殿・石碑・遺構等史跡として重要な要素が存在し、指定地
の中核部をなす地区であるため、特に厳格な保存管理を行う。そのため、本地区で
は、土地の形状、建築物・工作物に関し現状の維持に努め、それらがき損した場合
には適切に復旧・整備する。また、建築物・工作物等の更新等についても、遺構破
壊及び景観阻害を防ぐため厳しく規制する。また、地面掘削を伴う場合には、必要
に応じて発掘調査等を実施するなど、遺構・遺物の適切な保存・整備に努めること
とする。本質的価値を構成する要素ごとの考え方ア自然的要素となるもの(ア)土
地の形状・土壌の性質を変える行為、及び植生に影響を与える行為については、安
全確保の措置及び学術研究を目的とするもの以外は厳しく規制する。(イ)土壌・
岩石の採取については、安全確保の措置及び学術研究を目的とするもの以外は厳し
く規制する。(ウ)湧水や御神木、札打場等宗教的な意義が付与された自然物につ
いては、現状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。(エ)境内地
・社叢内の植物の採取、動物の捕獲、木竹の伐採・植栽については、景観の保全に
関わるもの、安全確保の措置及び学術研究を目的とするもの以外は厳しく規制する
。イ歴史的要素となるもの(ア)社殿等の建築物や鳥居・石碑等の工作物、遺構等
については、現状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。(イ)お
鉢巡り、登山道については現状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備す
る。(ウ)建築物・工作物等の復旧・整備に地面掘削を伴う場合には、必要に応じ
て発掘調査等を実施し、遺構・遺物の適切な保存・整理に努める。−98−ウ社会
的要素となるもの(ア)山小屋等の建築物、橋等の工作物については、現状の規模
の維持に努める。また、景観を現に阻害しているものについては、除却するか更新
時に改良を行い、景観との調和に十分配慮することとする。(イ)安全確保等に関
わる地形の形質変更、建築物及び工作物の設置に当たっては、景観との調和に十分
配慮する。本質的価値を構成する諸要素と密接に関わる要素ごとの考え方ア自然的
要素となるもの(ア)土地の形状・土壌の性質を変える行為、及び植生に影響を与
える行為については、安全確保の措置及び学術研究を目的とするもの以外は厳しく
規制する。(イ)土壌・岩石の採取については、安全確保の措置及び学術研究を目
的とするもの以外は厳しく規制する。(ウ)歴史的な意義を持つ自然物については
、現状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。(エ)植物の採取、
木竹の伐採・植栽については、景観の保全に関わるもの、安全確保の措置及び学術
研究を目的とするもの、森林施業に関わるもの以外は厳しく規制する。イ歴史的要
素となるもの(ア)境内社・末社等の建築物や鳥居・石碑等の工作物については、
現状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する。(イ)建築物・工作物
等の復旧・整備に地面掘削を伴う場合には、必要に応じて発掘調査等を実施し、遺
構・遺物の適切な保存・整理に努める。ウ社会的要素となるもの(ア)社務所、公
会堂等の建築物、案内板等の工作物については、現状の規模の維持に努める。また
、景観を阻害しているものについては、除却するか更新時に改良を行い、景観との
調和に十分配慮する。(イ)安全確保等に関わる地形の形質変更、危険防止及び安
全管理のための工作物の設置に当たっては、景観との調和に十分配慮する。(ウ)
指導標の設置については富士山標識関係者連絡協議会が策定する「富士山における
標識類総合ガイドライン(仮称)」に沿ったものとする。(エ)測候所等について
は、富士山独特の自然を生かして設置された意義を持つ施設であることから、その
維持又は活用を前提に取り扱うこととする。(オ)登山者の指導や安全確保の役割
を担う富士山衛生センター(富士宮登山道8合目)については、景観との調和を図
りつつ、適切に整備する。(カ)8合目以上の下山道、救急搬送・荷物搬送区域に
ついては、現状の維持に努める。A第2種保護地区この地区は、第1種保護地区に
隣接し密接に関わる区域とする。登山道においては、現在登山道として実際に利用
されている範囲のうち、山頂信仰遺跡に含まれる8合目以上を除く範囲である。−
99−また神社においては、境内地における公園等社会的な活用が進む区域や古絵
図に描かれている区域、社叢と連続する森林等の区域である。民有林や市民生活の
中で活用される区域等を含むが、境内地として史跡の構成要素の一部が存在し、ま
た社叢等の森林が境内地や登山道の景観及び周辺の風致を考える上で重要な地区で
あるため、厳格な保存管理を行うこととする。この地区では、土地の形状、土壌の
性質、建築物・工作物に関して現状の維持に努め、き損した場合には適切に復旧・
整備する。特に建築物・工作物等の更新等に当たり、遺構破壊及び景観阻害が発生
しないよう厳しく規制する。また、地面の掘削を伴う施設の更新にあたっては、必
要に応じて発掘調査等を実施し、遺構・遺物の適切な保存・整理を行う。本質的価
値を構成する要素ごとの考え方ア自然的要素となるもの(ア)木竹の伐採・植栽以
外の行為については、第1種保護地区と同様に厳しく規制する。対象となるのは、
土地の形状・土壌の性質を変更する行為、土壌・岩石の採取、植生に影響を与える
行為、植物の採取、動物の捕獲の行為などである。(イ)木竹の伐採・植栽につい
ては、安全確保の措置、学術研究、森林施業に関わるもの以外は規制する。イ歴史
的要素となるもの(ア)鳥居や祠等の工作物については、現状の維持に努める。(
イ)登山道については、現状維持に努め、き損した場合には適切に復旧・整備する
。(ウ)建築物・工作物等の復旧・整備に地面掘削を伴う場合には、必要な範囲内
に応じて発掘調査等を実施し、遺構・遺物の適切な保存・整理を行う。ウ社会的要
素となるもの(ア)登山道の各山小屋については、第1種保護地区と同じ考え方に
基づいて保存管理する。本質的価値を構成する諸要素と密接に関わる要素ごとの考
地区、第3種規制地区の5ヶ所の規制地区と規制基準を設定し、保存管理の適正化
を推進する。また、各規制地区における現状変更又は保存に影響を及ぼす行為につ
いては原則として認めない。しかし、軽微な現状変更については、文化財保護法第
条の規定による許可及びその取消並びにその停止命令に係る文化庁長官の権限に関
する事務を静岡市教育委員会が行う。イ保護の基本的な考え方名勝三保松原の海浜
と松原の保護並びに景観の維持を図るため、指定地域を特別規制A地区、特別規制
B地区、第1種規制地区、第2種規制地区及び第3種規制地区の5規制地区に分け
て、管理のための基本方針を定め、管理するものとする。・特別規制A地区防潮堤
外側の国有浜地の海浜地区。松原の景観保護のため、将来にわたって海浜を保護し
、自然景観の維持を図るものとする。・特別規制B地区松原のすぐれた景観を保ち
、価値の極めて高い地区。将来にわたって松原を保護し、自然景観の維持を図ると
ともに、その回復にも努めるものとする。・第1種規制地区特別規制地区に次ぐ、
優れた三保松原の景観を形成しており、自然景観の維持を図っていく地区。地−1
01−域経済社会の振興と発展に配慮するものとする。・第2種規制地区三保松原
の景観を形成しており、自然景観の維持に努めなければならない地区。住民の生活
の場であることに配慮するものとする。・第3種規制地区三保半島の内海側で、主
なる松原景観から離れている地区。三保半島先端部の景観維持の上で重要な地区で
あり、無秩序な開発は避けるものとする。(3)指定地に関わる諸法令について指
定地内は、文化財保護法以外にも他の法令による規制を受け、景観及び森林等の保
全措置が講じられてきた。また、指定地の自然的特性に基づく自然災害が、周辺地
域にまで及ぶため、指定地の周辺地域を含めた安全の確保に関する法令もある。そ
のため、次の表に特別名勝としての保存管理の方法と各法令との関係について整理
した。表他の法令との関係他の法令文化財保護法との関係景観の保全に関わる法令
自然公園法この法律の目的は優れた自然の風景地を保護することにあり、特別名勝
の指定地全域に係る適切な保存管理の方法と調和するものである。森林法森林計画
・保安林その他の森林の基本事項を定めた法律であり、8合目以下における国有林
の森林管理・保全は特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。鳥獣の保護
及び狩猟の適正化に関する法律8合目以下の国有林における鳥類又は哺乳類に属す
る野生動物の保護の観点から、特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。
絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律指定地の全域に関わるが、
希少野生動植物種等保護の観点から、特別名勝の保存管理の方法と調和するもので
ある。特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律この法律では、
特定外来生物の施設以外での繁殖・生育を禁止しており、指定地全域における在来
植生の維持の観点から、特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。山梨県
景観条例優れた景観の保全・創造を図ることを目的にしており、大規模な工作物の
新築・増改築等が規制されており、包括的保存管理計画の方針と調和するものであ
る。静岡県森林と県民の共生に関する条例森林と県民が共生していくための努力目
標等を規定しており、特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。山梨県環
境基本条例静岡県環境基本条例自然と人との共生を確保することを目指した理念等
をまとめており、特別名勝の保存管理の方法と調和するものである。−102−山
梨県屋外広告物条例静岡県屋外広告物条例登山道沿いに規制区域が定められており
、広告物のうち、著しく破損し老朽化しているもの、倒壊又は落下のおそれがある
もの、信号機・道路標識等に類似するものなどを規制している。安全確保を図ると
伴に、優れた景観の保全にも資するものであり、特別名勝の保存管理の方法と調和
するものでもある。指定地及び周辺地域の安全の確保に関する法令砂防法大沢崩れ
源頭部下方における国の直轄砂防地に関し、砂防事業を推進し、潤井川流域等の安
全確保を図っており、特別名勝地の地形の維持にとって必要とされる事業を含んで
いる。土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律南・西斜
面に規制地区が広がる。指定地内の沢地形等における土砂災害を防止し、安全確保
を図っている。以上のことを踏まえ、特別名勝富士山を適切に保存管理する上で、
現状変更等の取扱いに係る共通事項を次のとおり定める。@必要最小限の内容であ
り、富士山の保存管理上支障をきたすものでないものとする。A自然公園法・森林
法など関係する各法令との調整を図るものとする。B原則として、外来生物による
生態系等に対する被害の防止を図るものとする。C建築物は、その外観(形態・材
料・色彩)が周囲の景観と調和したものとする。D屋外広告物等の工作物は、その
形態・材料・色彩が周囲の景観と調和したものとする。E砂防事業等の安全確保の
措置に関しては、景観との調和にも十分配慮しつつ進めるものとする。F8合目以
上の区域における現状変更等については、静岡県と山梨県の県境が確定していない
ため、「県境未確定地(8合目以上)に係る事務処理の取扱い基準(関係法令編に
掲載)」に従い、事務処理を行うものとする。3具体的な施策資産全体に関する保
存管理計画の具体的な行動計画については、「現状変更の制限」が挙げられる。な
お、その他の施策については付章の事業計画一覧表に示している。『史跡富士山』
保存管理計画では、上表において、それぞれの保存管理の方法に沿った、各地区の
現状変更等の取扱基準を次のとおり定めている。図第1種、第2種区分図(1)第
1種保護地区@建築物の新築・増築・改築及び除却ア建築物の新築・増築は、原則
として許可しない。ただし、次の各項については、個々の事案ごとに検討するもの
とする。(ア)かつて歴史的要素として存在しながら滅失し現存しないものの復元
整備または改変されてしまったものの原状回復。−103−(イ)宗教活動に必要
不可欠で、伝統的工法・建築様式を用い景観に配慮したものの新築・増築。イ社殿
等の歴史的建築物の改築、又は災害によりき損・滅失した場合の復旧・復元につい
ては、規模・形態・工法・色彩・材質等において、現状を維持するものとする。ウ
山小屋等既存の社会的建築物の改築については、用途、構造、規模等を著しく変更
せず、遺構等の保存と景観の保全に努める。A工作物の設置・改修・除却ア工作物
の設置に関しては、周囲の景観にそぐわないものを許可しない。景観を阻害する既
存の工作物は、除却するか更新時に形状・色彩・規模において改良し、周囲の景観
の保全に努める。なお、工作物については、以下の5種類に分類し、その取扱を以
下のとおりとする。(ア)鳥居や碑塔などの宗教的工作物a鳥居や碑塔などについ
ては、規模・形態・色彩・材質等に関し現状を維持し、新規の設置は許可しない。
b老朽化に伴う改修や安全確保を図る目的で強度等を向上させる場合には、現状の
形態・色彩を踏襲するとともに、周囲の景観にも調和したものとするよう努める。
c顕彰碑等については現状の維持とし、新規の設置を許可しない。(イ)文化財の
活用に資する工作物照明設備、文化財等の説明板・地図等の案内板等については、
規模・形態・色彩・材質等に関し、周囲の景観に調和するものとする。(ウ)登山
道の整備に必要な工作物a安全確保を目的とする道路関連の工作物については、周
囲の景観に馴染む形態・色彩とする。b危険防止及び安全管理のための工作物につ
いては、安全確保の機能を前提として、周囲の景観に馴染んだ形態・色彩とする。
c指導標、屋外広告物等については、富士山標識関係者連絡協議会が策定する「富
士山における標識類総合ガイドライン(仮称)」に沿ったものとする。(エ)学術
研究を目的として設置する工作物計測機器類については、規模・形態・色彩・材質
等において、景観を阻害しないものとする。(オ)その他の工作物期限を限って設
置する仮設の工作物については、周囲の景観に馴染んだ形態・色彩とする。イ既存
の工作物において、史跡としての本質的価値を有しないものまたは史跡の保存・活
用に資するものでないものについては、老朽化または耐用年数経過等の時点をもっ
て、除却する。B土地の形状・土壌の性質の変更、土壌・岩石の採取ア土地の形状
・土壌の性質を変更する行為、土壌・岩石の採取は許可しない。ただし、安全確保
及び学術研究を目的とするものついては、この限りでない。イ地面の掘削を伴う復
旧・更新・整備に当たっては、必要に応じて発掘調査等を実施し、その成果を十分
踏まえて遺構・遺物の保存・整備を行う。C動植物の捕獲・採取、木竹の伐採・植
栽ア動植物の捕獲・採取は許可しない。ただし、安全確保の措置及び学術研究に基
づくものについては、この限りでない。イ木竹の伐採・植栽については許可しない
。ただし、次の各項に該当するものについては、この限りでない。(ア)景観の保
全に関わるもの(イ)病害虫木の伐採及び危険木の伐採等の森林管理及び安全管理
に関わるもの。(ウ)崩壊地に対する植栽。ただし、(ウ)については、原則とし
て周辺の在来植生と調和した植物とする。D登山道・道路等の新設・維持現状の維
持に努め、新設は許可しない。復旧・整備を行う場合には、景観との調和に努める
。増設・改設については、災害復旧または公益上必要と認められる場合に限り認め
るものとする。ただし、安全確保の措置及び国有林野施業実施計画に基づくもの、
その他公益上必要と認められるものについては、この限りでない。(2)第2種保
護地区@建築物の新築・増築・改築ア建築物の新築・増築は、原則として許可しな
い。ただし、次の各項についてはこの限りでない。(ア)宗教活動に必要不可欠で
、伝統的工法・建築様式を用い景観に配慮したものの新・増・改築(イ)学術研究
、防災、その他の公益上必要と認められるもので、当該地区以外ではその目的を達
成することができないと認められるものの新・増・改築。(ウ)安全確保上必要最
小限の新・増・改築イ前述の(ア)から(ウ)の場合における外観意匠は、和風仕
様を原則に以下のとおりとし、細部についてはその都度検討する。勾配屋根とし、
材料に自然素材を用いるか、色彩及び形態が既存の建築物または周囲の景観になじ
むものとする。屋根材料に自然素材を用いるか、色彩及び形態が既存の建築物また
は周囲の景観になじむものとする。壁面ウトイレ等既存の社会的建築物の改築につ
いては、用途、構造、規模等を著しく変更せず、遺構等の保存と景観に配慮するも
のとする。A工作物の設置・改修・除却ア工作物の設置に関しては、周囲の景観に
そぐわないものを許可しない。景観を阻害する既存の工作物は、除却するか更新時
に形状・色彩・規模において改良し、周囲の景観の保全に努める。なお、工作物に
ついては、以下の5種類に分類し、その取扱を以下のとおりとする。(ア)鳥居や
碑塔などの宗教的工作物a鳥居や碑塔などについては、規模・形態・色彩・材質等
に関し現状を維持する。b老朽化に伴う改修や安全確保を図る目的で強度等を向上
させる場合には、現状の形態・色彩を踏襲するとともに、周囲の景観にも調和した
ものとするよう努める。−104−−105−(イ)文化財の活用に資する工作物
照明設備、文化財等の説明板・地図等の案内板等については、規模・形態・色彩・
材質等に関し、周囲の景観に調和するものとする。(ウ)登山道等の整備に必要な
工作物a安全確保を目的とする道路関連の工作物については、周囲の景観に馴染む
形態・色彩とする。b危険防止及び安全管理のための工作物については、安全確保
の機能を前提として、周囲の景観に馴染んだ形態・色彩とする。c指導標、屋外広
告物については、富士山標識関係者連絡協議会が策定する「富士山における標識類
総合ガイドライン(仮称)」に沿ったものとする。(エ)学術研究を目的として設
置する工作物計測機器類については、規模・形態・色彩・材質等において、景観を
阻害しないものとする。(オ)その他の工作物公園施設等における建築物・工作物
、期限を限って設置する仮設の工作物については、周囲の景観に馴染んだ形態・色
彩とする。イ土地の形状・土壌の性質の変更、土壌・岩石の採取第1種保護地区と
同様の取扱基準とする。ウ動植物の捕獲・採取、木竹の伐採・植栽(ア)動植物の
捕獲・採取については、第1種保護地区と同様の取扱基準とする。(イ)木竹の伐
採については許可しない。ただし、次の各項に関するものはこの限りでない。・病
害虫木の伐採及び危険木の伐採等森林管理及び安全管理に関わるもの。・国有林野
施業実施計画に基づくもの。(ウ)植栽については、原則として周辺の在来植生と
調和した植物とする。エ登山道・道路等の新設・維持第1種保護地区と同様の取扱
基準とする。(3)三保松原静岡市教育委員会は、文化財を保護・育成する立場を
堅持し、予想される開発計画との適切な調整を図るため、文化庁及び静岡県教育委
員会と協議の上、『名勝「三保松原」保存管理計画書』及び『名勝「三保松原」保
存管理計画書解説』を平成元年4月15日に改訂し(解説:平成4年10月29日
一部改訂)、現状変更申請等に対応している。名勝三保松原地内における文化財保
護法以外の法令・条例による規制は、静岡県立自然公園条例、静岡県風致地区条例
等がある。さらに、指定地域を特別規制A地区、特別規制B地区、第1種規制地区
、第2種規制地区及び第3種規制地区の5規制地区に分け、管理のための基本方針
を定め、管理している。また、『三保松原保存管理計画書』には、取扱基準に関す
る解説が下記のとおり明示されている。詳細は『三保松原保存管理計画書』を参照
。@人命の安全を確保するためのもの−106−A海岸保全上必要なもので、景観
等に著しい影響を与えないもの。B既存の飛行場の各設備の整備C都市公園として
の整備D学校、体育施設等の25mを越えない照明及び旗柱類E松の生立木に対す
る管理団体との協議F伐採に伴う植栽協力図5規制地区区分図なお、現状変更につ
いては、下表の基準を適用する。表地区施策内容特別規制A地区特別規制B地区(
1)本地区に係る現状変更等のうち、次のア又はイに該当するものを対象とする。
ア階数が2以下で、かつ、地階を有しない木造又は鉄骨造の建築物であって、建築
面積(増築又は改築にあっては、増築又は改築後の建築面積)が120uを超え1
,000u以下のもので3月以内の期限を限って設置されるものの新築、増築又は
除却イ道路の設置、改修又は除却(当該道路の設置期間が1年以内のものに限る)
(2)(1)の現状変更等についての許可の基準は、次のとおりとする。ア(1)
のアについては、当該建築物が公共性の高いもの又は広く一般の利用に供されるも
のであって、景観等に著しい影響を与えず、かつ、その設置期間終了後に原状に復
されることが確実な場合でなければ、原則として認めない。イ(1)のイについて
は、当該道路が海岸保全のために必要な工事に伴って設置されるものであって、そ
の設置期間終了後に原状に復されることが確実な場合でなければ、原則として認め
ない。第1種規制地区(1)本地区に係る現状変更等については、その全部を対象
とする。(2)(1)の現状変更等についての許可の基準は、次のとおりとする。
本地区における次のアからカまでのいずれかに該当する現状変更等については、原
則として認めない。ア高さが17mを超える工作物(学校施設、体育施設その他の
教育又は文化に関する施設における照明灯、旗柱その他これに類するもの(以下「
施設内照明灯等」という。)にあっては、その高さが25mを越えるもの)イ高さ
が17m以下の工作物の増築又は改築であって、増築又は改築後の工作物の高さが
17m(施設内照明灯等にあっては、25m)を超える場合ウ高さが17mを超え
る工作物の増築又は改築であって、増築又は改築後の工作物の高さが増築又は改築
前のもの(施設内照明灯等にあっては、25m)を超える場合エ規模、形態、意匠
又は色彩が景観を損なうおそれがあると認められる工作物の新築、増築、改築又は
除却オ環境を損なうおそれがあると認められる塵芥、汚泥、産業廃棄物その他こ−
107−れに類するものの投棄又は埋立てカ松の生立木の枝打ち又は伐採(所有者
及び管理団体による同意のある場合を除く。)第2種規制地区(1)本地区内の現
状変更等については、その全部を対象とする。(2)(1)の現状変更等について
の許可の基準は、次のとおりとする。本地区における次のアからカまでのいずれか
に該当する現状変更等については、原則として認めない。ア高さが21mを超える
工作物(施設内照明灯等にあってはその高さが25mを超えるもの)の新築イ高さ
が21m以下の工作物の増築又は改築であって、増築又は改築後の工作物の高さが
21m(施設内照明灯等にあっては、25m)を超える場合ウ高さが21mを越え
る工作物の増築又は改築であって、増築又は改築後の工作物の高さが増築又は改築
前のもの(施設内照明灯等にあっては、25m)を超える場合エ規模、形態、意匠
又は色彩が景観を損なうおそれがあると認められる工作物の新築、増築、改築又は
除却オ環境を損なうおそれがあると認められる塵芥、汚泥、産業廃棄物その他これ
に類するものの投棄又は埋立てカ松の生立木の枝打ち又は伐採(所有者及び管理団
体による同意のある場合を除く。)第3種規制地区(1)本地区内の現状変更等に
ついては、その全部を対象とする。(2)(1)の現状変更等についての許可の基
準は、次のとおりとする。本地区における次のアからウまでのいずれかに該当する
現状変更等については、原則として認めない。ア規模、形態、意匠又は色彩が景観
を損なうおそれがあると認められる工作物の新築、増築、改築又は除却イ環境を損
なうおそれがあると認められる塵芥、汚泥、産業廃棄物その他これに類するものの
投棄又は埋立てウ松の生立木の枝打ち又は伐採(所有者及び管理団体による同意の
ある場合を除く。)−108−第5章緩衝地帯の保存管理本章では、富士山の世界
文化遺産としての価値を将来にわたり適切に保存・管理するために緩衝地帯を設け
、その施策について記述する。富士山の効果的かつ確実な保存管理を行うためには
、地元関係者の協力・助言が不可欠であることから、関係自治体・地域住民・観光
関係者・神社関係者で構成する「山梨県保存管理計画策定協力者会議」(第1章表
)を平成年月に、「静岡県保存管理計画協力者部会」(第1章表)を平成年月にそ
れぞれ設置した。協力者部会の委員それぞれの立場から、富士山を良好な状態で守
っていくための課題や、今後検討する必要があると考えられる事項等を幅広く提案
している。1現状の把握現在、富士山の緩衝地帯においては、自然公園法、森林法
、都市計画法及び山梨県、静岡県の各関係市町村が定める条例、計画の下に、資産
の周辺環境について万全な保護措置がとられている。緩衝地帯の範囲については、
行政界・自然地形・道路等の明確な境界などを考慮しつつ、資産の保護に必要不可
欠な範囲を設定した。現在、緩衝地帯において構成資産の顕著な普遍的価値を著し
く低下させるような開発は計画されていないが、今後計画、実施されるおそれも想
定しなければならない。また、自然環境についても同様である。構成資産の所在地
域における自然災害については、台風・大雨・地震・洪水・噴火などが想定され、
それぞれについて綿密な防災対策が講じられている。保全管理区域については、各
々の構成資産間の関係を良好に保ち、富士山の景観の一体性・連続性を保証するた
めに、緩衝地帯を含め広く設定した。設定については、富士山を周辺から展望した
際、資産範囲を含め良好な景観を形成する範囲を基準としている。図緩衝地帯全体
図以下にそれぞれの現状を記す。(1)富士山山体及び登山道A富士山(御中道含
む)標高約1,500m以上は構成資産内に含まれている。A1山頂信仰遺跡(御
鉢巡り含む)標高約1,500m以上は構成資産内に含まれている。A2大宮・村
山口登山道標高約1,500m以上は構成資産内に含まれている。A3須山口登山
道標高約1,500m以上は構成資産内に含まれている。A4須走口登山道標高約
1,500m以上は構成資産内に含まれている。標高約1,500m〜800mに
おいては、保全管理区域として保護されている。A5吉田口登山道全体が緩衝地帯
で保護されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A9本栖湖(2
)信仰B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村山浅間神社B4須山浅間神
社B5冨士浅間神社全体が緩衝地帯で保護されB6河口浅間神社ている。B7冨士
御室浅間神社B8御師住宅B9山中湖B10河口湖B11忍野八海B12船津胎内
樹型B13吉田胎内樹型B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)B15白糸の滝(
3)眺望C1三保松原海浜に面した南側のエリアが構成資産であり、水際線から5
0mの範囲については、海岸法により保護されている。北側エリアは緩衝地帯とし
て保護されている。2保全管理の基本的な考え方各構成資産の保存計画の策定状況
については、本推薦書の7.資料、e)参考文献、3)保存管理計画書に示すとお
りである。特に山梨県・静岡県教育委員会は、文化庁及び関係各市町村の教育委員
会との十分な調整の下に『「富士山」包括的保存管理計画』を策定し、資産の全体
を視野に入れた総括的な保存管理を行っている。包括的保存管理計画に定めた基本
方針に基づき、管理団体である県・市町村が個々の重要文化財、史跡、特別名勝又
は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を策定し、具体的で適切な
保存管理に当たっている。これらの保存管理計画を要約したものについては、付属
資料に示すとおりである(別添参考資料)。「富士山」を総体として保全するため
には、構成資産のみならず緩衝地帯をも含め、資産に影響を及ぼす人工物などを適
切に制御していく必要がある。そのため、構成資産の本質的な価値に負の影響を与
える可能性のある人工物や開発については、たとえそれが緩衝地帯におけるもので
あってもできる限り抑制することとし、やむを得ず設置する場合であっても、最小
限の数量・規模とするとともに、色彩等の観点から景観にも十分配慮するよう関係
者への理解と協力を求めることとしている。−109−−110−なお、既存の鉄
柱・看板・広告塔など構成資産に影響を及ぼすものについては、撤去または修景に
努め、公益上必要と考えられる施設については、現状の利用状況を尊重しつつ、将
来的に撤去又は移転等について検討するとともに、当面の間、資産に対する影響の
軽減を図ることとする。(1)緩衝地帯等の設定と行為規制緩衝地帯等(保全管理
区域)は、資産と密接に関連する丘陵・河川・樹木などの自然的要素をはじめ、埋
蔵文化財、歴史的な建築物、歴史的な出来事に関する伝承地などの歴史的要素のほ
か、資産の活用に関する施設、市街地を構成する建築物又は工作物、道路・鉄道及
びそれらの関連施設、その他の人工物などの人文的要素により構成される。緩衝地
帯等においては、資産の周辺に良好に残る自然的要素及び歴史的要素を保全すると
ともに、人文的要素については資産を保護するための緩衝地帯の特質にふさわしい
ものとなるよう適切に誘導することが必要である。したがって、そのために緩衝地
帯の範囲を適切に確保するとともに、自然公園法や山梨県、静岡県関係各市町村が
定める条例に基づき行為規制を行い、緩衝地帯の保全対策を講ずることとしている
。緩衝地帯等の範囲については、地籍境界・行政界・道路等の明確な境界などを考
慮した上で、資産の顕著な普遍的価値を適切に保護することが可能であることを前
提として定めている。緩衝地帯において行われる建築物及び工作物の新築・増築・
改築、土地の形質変更等に係る行為、木竹の伐採については、許可制や届出制に基
づく規制を設けており、これらの行為に関する重要な事項については、特に関係各
市町村の景観審議会等による調査、審議に基づき、関係市町村が事前に適切な指導
や助言を行うこととしている。緩衝地帯は大きく3つの方法により保護措置が講じ
られている。一番目は自然公園法(山梨県のほぼ全域)、二番目は景観法に基づく
各市町村の景観条例及び景観計画(山梨県忍野村・静岡県富士市・富士宮市ほか)
、三番目が各市町村独自の景観条例や土地利用事業指導要綱(山梨県富士吉田市の
一部・静岡県裾野市・御殿場市・小山町)である。三番目の地域に関しては将来的
に二番目の保護措置に移行する予定である。なお、三保松原などいくつかの資産に
おいては、資産範囲が文化財としての登録範囲よりも狭く設定されているため、緩
衝地帯の一部は文化財保護法により保護されている。これらの地域では適用する法
令等に違いはあるが、緩衝地帯において行われる建築物・工作物の新築、増築、改
築、土地の形質変更等に係る行為については、許可制や届出制に基づく規制が定め
られ、資産の周辺環境の万全な保護措置が講じられている。保全管理区域について
は、富士山の信仰と緊密に関わる湖沼・湧水、神社などの構成資産は、富士山の火
山活動とも深く結びついており、富士山の火山噴出物(溶岩等)の到達範囲及びそ
の外縁部に立地するため、富士山の景観の一体性を保全するために、火山噴出物(
溶岩等)の到達範囲を基本とし、現在の土地利用形態をも十分考慮した上で、演習
場や緩衝地帯を含め広く設定した。保全管理区域は、条例や協定等により十分な保
全の仕組みが講じられている。(2)都市計画との調整資産とその緩衝地帯におい
て、道路の整備や公共下水道の整備などの施設を整備する場合には、資産の保護及
び緩衝地帯の保全の観点から、関係機関の間で相互に連携を図りつつ、調整を行う
こととしている。現在、資産と緩衝地帯は一部都市計画区域に含まれており、これ
らの区域では引き続き山梨県・静岡県が定める「都市計画区域マスタープラン(都
市計画区域の整備、開発及び保全の方針)」や関係市町−111−村が定める「市
町村マスタープラン(市町村の都市計画に関する基本的な方針)」に基づく様々な
まちづくりの施策を進めることとしている。これらのマスタープランにおいては、
都市計画区域の将来像が明示されており、これにより道路などの都市施設の整備事
業や市街地開発事業が行われる場合には、適切な距離を考慮して緑地を配置し、自
然的環境の整備又は保全の視点との調和を図ることとしている。なお、資産とその
緩衝地帯について、今後、都市計画区域の変更やマスタープランの見直しなどを行
う場合には、国が定めた「都市計画運用指針」に基づき、地域住民の意見を聞くこ
とはもとより、静岡県及び関係各市町の文化財・環境・景観などの各部局の担当を
含む関係行政機関とも十分な連絡・調整を図ることとしている。資産とその緩衝地
帯において、道路の整備や公共下水道の整備などの施設を整備する場合には、資産
の保護及び緩衝地帯の保全の観点から、関係機関の間で相互に連携を図りつつ調整
を行うこととする。以上のように、資産とその緩衝地帯については、文化財保護法
をはじめ関係法令が適切に適用されるとともに、山梨県、静岡県及び関係市町村が
定める都市計画の下に資産の保存・整備と開発及び保全が一体となって機能してい
る。(3)住民生活との調和資産及びその周辺に居住する住民の生活については、
資産の保護を前提としつつ、日常の住民生活を著しく妨げることの無いよう調和を
図ってゆくことが必要である。そのためには地域住民に対し、資産の価値を十分に
伝えることはもとより、資産とともに生活するという認識をいっそう深められるよ
うな施策を講ずる必要がある。上記の視点に基づき、山梨県・静岡県及び地元市町
村では地域住民に対する説明会が必要に応じて実施されており、行政と住民との間
において積極的な情報交換が行われている。また、各市町村担当課の役所には地域
住民からの問い合わせに迅速に対応するための体制が整備されている。3具体的な
施策鉄塔・看板・広告塔などの景観に負の影響を与える人工物については、規模、
色彩、素材等の観点から、外観の調和に努める。構成資産の周囲において人工物の
設置計画がある場合には、構成資産に与える影響からそれらの位置、規模等に関す
る十分な検討を行うとともに、設置をする場合においても、条例及び関係法令に定
める規模・色彩・素材等の観点から景観に十分配慮するよう関係者への理解と協力
を求める。既存の施設で、特に資産の顕著な普遍的価値に著しい負の影響を及ぼす
可能性のあるものについては、撤去・修景を含めた対応により影響の軽減に努める
。公益上必要な施設については、利用状況を尊重しつつ、修景を行うことにより景
観に対する影響の軽減を図る。資産とその緩衝地帯において予定されている開発計
画で、顕著な普遍的価値に影響を与える可能性があると判断されているものについ
ては、あらかじめその影響を最小限にとどめるような施工方法について検討し、事
前協議を行うよう関係機関との調整を図る。以上の取扱い内容の詳細については、
付章に事業計画一覧表として示している。また富士山は、山頂から駿河湾の海浜に
至るまでの広い裾野を有している。そのため多様な植生がみられ、広範囲に湧水が
分布しており、周辺では古くから人々の生活が営まれ、市街地化や企業の進出など
開発が進んでいる。このような特性をふまえ、富士山及び富士山周辺の環境を、良
好な状態で一体的に保全するためには、以下の項目について施策を実施することが
必要である。−112−(1)ゴミ、不法投棄対策の取組マナーの啓発や清掃活動
を実施するとともに、あわせて不法投棄防止のための監視体制を強化するなど、良
好な環境を保全するための対策をより一層進める。(2)自然環境の保全富士山の
自然的特性に配慮し、自然環境を保全するための体制整備や、体制が実施する取組
の検討を早急に進め、検討を重ねて実施していく。また、自生種の植樹・植栽を推
進することにより、あわせて水源涵養を図る。(3)景観の保全富士山の美しい景
観を守るため、県や関係市町などが連携し景観計画を基本として、景観を保全する
ための体制整備や、体制が実施する取組の検討を早急に進め検討を重ねて実施して
いく。(4)登山環境の整備登山者の安全に配慮するとともに、登山マナーの向上
に努めるなど、適切な登山環境の整備を推進する。また、マイカー規制の拡大につ
いて研究を進める。−113−第6章経過観察の実施1顕著な普遍的な価値に負の
影響を与える要因(1)開発の圧力資産及びその緩衝地帯において、建築物又は工
作物の建設、土地の形質変更、木竹の伐採等の等の行為を行う場合には、文化財保
護法、自然公園法、都市計画法、森林法、河川法、海岸法及び関係市町村が定める
条例(景観法に基づき策定された景観条例および景観計画を含む)の下に、それら
の規模、形態・構造に関する規制(建築物又は工作物に関しては、それらの高さ・
色彩・意匠等の規制を含む)が行われるため、資産の価値を著しく低下させるよう
な開発は起こり得ない。「富士山世界遺産両県協議会」では、両県の知事・市町村
長を中心に、許認可・保存に関わる国機関も加わり、開発の状況を把握し、コント
ロールのあり方について検討を行っている。開発計画のうち、現在北麓(山梨県)
においては都市計画区域用途地域または都市計画区域外では5ha以上、都市計画
内(用途地域外)では10ha以上の計画については、山梨県内の組織である「山
梨県土地利用調整会議」に事前協議書が提出され、知事の同意が必要とされている
。その同意を得た後で、個別法令の許認可を担当する部署での手続きを行うことに
なっており、一元化した組織かつ統一した基準での開発のコントロールが行われて
いる。こうした大規模開発を含む緩衝地帯内で行われる一定規模以上の開発行為に
ついては、「富士山世界遺産両県協議会」へ報告がなされ、必要に応じて助言等が
なされる。現時点で、緩衝地帯内に存在するゴルフ場・スキー場については改築の
際などにより景観に配慮した形態にすることを個別に求めていく。また、各市町村
の景観計画の下に、各市町村は景観阻害要因の排除に努めることとしているほか、
世界遺産暫定一覧表に記載され、世界遺産一覧表への記載の可能性のある文化資産
に相応しい周辺市街地を創出するために適切な景観の保全・改善の施策を実施する
こととしている。なお、次に掲げる開発計画等の立案に当たっては、いずれにおい
ても資産への影響を最小限に留めるよう関係機関・団体と調整を行うことし、実施
する場合にも事前に十分な協議を行うこととしている。@観光開発(ホテル・ゴル
フ場・スキー場)A廃棄物処分場又は清掃工場B工場又は工業団地C道路整備(ブ
ルドーザー道)また、資産の保全状況及び資産に与える影響の概要については、推
薦書本文において記述しているとおりである。これらの影響などについて顕著な普
遍的価値の適切な保存管理という観点から、「資産の視覚的結び付き」、「資産の
関連性」、「個別資産の保護」の3つに分類し、影響の程度を観察する指標を設定
した。資産の顕著な普遍的価値を確実に保護するためには、資産に影響を与える要
因について、監視の方策及び負の影響が及ばない方策を検討する必要がある。その
考え方の概要については以下の表に示すとおりである。−114−表資産に負の影
響を与える要因とその考え方顕著な普遍的価値を構成する諸要素資産に対する負の
影響観察指標として考えられるもの富士山の顕著な普遍的価値眺望・信仰知識の提
供・普及活動等の停滞による影響・資産の知覚的結び付き、関連性の未理解による
影響気候変動による影響・酸性雨による影響(建造物等の腐食)・温暖化による影
響(植生への影響)自然災害による影響・大雨による影響(遺跡、建造物のき損)
・噴火(遺跡、建造物のき損)・虫害、樹木の成長等による影響(遺跡、景観のき
損)観光圧力による影響・観光客増加による影響(遺跡、建造物のき損、周辺環境
の変化)開発圧力による影響・周辺地域の大規模開発による影響(埋蔵部下材の消
失、景観阻害要因の設置)・住民の多様な意識による影響(統一性のない町並みデ
ザイン)資産の視覚的結び付きに関して・視点場における景観を阻害する要因の数
・規制(景観条例等)に適合しない要因の数資産の関連性に関して・知識の提供、
普及状況(整備の進捗、ガイダンス施設、研究報告、発掘調査、パンフレット、H
Pなどによる各種情報提供、国内外専門家による現地確認、各種研修会、セミナー
等の開催)・観光客数の動向(入込数、便益施設と収容能力など)個別資産の保護
に関して・酸性雨の状況(PHなど)・水系の状況(水質、水量、生物など)・植
生の状況(樹種とその割合など)・遺構の状況(礎石の位置など)・現状変更数及
災等が予測されている。第三に三保松原に関しては海岸浸食に伴う高潮などの被害
がある。これらについてそれぞれ以下のような防災対策を講じている。噴火及びそ
れに伴う災害に対しては、気象庁をはじめとする研究・防災機関が常時観測を行う
と同時に、国の富士山ハザードマップ検討委員会報告書(2004年)に基づき県
及び市町村において火山防災計画(ハザードマップ・避難計画)などを策定してい
る。雪崩については、吉田口登山道では馬返より上の登山道に浸透桝を設け、雨水
や雪崩による崩壊を防いでいる。土砂崩れ・土石流(主に大沢崩れ)については国
が中心となり、源頭部における水分と土砂の分離、山麓における土石流災害防止を
目的とした遊砂地の設置などを行っている。また、登山道を管理する県では道流堤
を設置し、落石の落下先をコントロールしている。これらの災害は発生自体を防止
することは困難であるため、その被害を最小限にとどめることを対策の骨子として
いる。地震に関する対策としては、大規模地震対策特別措置法(1978年)に基
づき、予知を目的とした観測体制、予知を前提とした非難・警戒体制、防災施設整
備が行われるとともに、東海地震対策大綱(2003)に基づき国・県・市町村の
防災計画が策定されている。台風は1996年9月に富士山南側の人工林地区(ヒ
ノキ)に風倒の被害(標高1100〜1200m中心、計1125ha、富士山で
は約935haうち国有林620ha)をもたらしたことがあるため、1997年
より静岡県が中心となり、被害地に対して自生種(ブナ・ミズナラ)の植栽(のべ
22・68ha)を実施している。また、風倒による被害を防ぐため人工林におけ
る下刈を実施している。大雨・洪水に関しては堤防・遊水地・砂防堰堤の建設や河
川の改修などにより、大雨時の洪水に対する防止策を講じている。山火事に対して
は、防火帯を設けており、大規模な火災に対して最大限の対応を可能としている。
建造物の火災に対しては自動火災報知設備・ドレンチャー設備・消火栓、放水銃な
どを設置しているほか、自主防火組織も整備するなど、万全を期しているので問題
ない。万一、上記の災害が発生した場合においても、速やかに原状復旧の対策を講
じるための制度及び体制を完備しており、資産の価値が減じることはない。三保松
原においては、安倍川(土砂供給源)下流部での砂利採取を1968年より海岸浸
食の原因の一因と考え禁止するとともに、1989年より34年計画(2034年
まで)でヘッドランド・離岸堤の設置や養浜による海岸保全対策を行い、現在、海
岸と平行した方向に年250mの割合で砂浜の回復が進行している。現在ヘッドラ
ンドの一部が景観に影響を与えているが、砂浜の回復後に撤去する計画が進んでい
る。−116−登山者の安全に関しては、気候の急変に備え、「富士山登山指導セ
ンター(山頂と富士宮新五合目)」、「富士山安全指導センター(吉田口五合目)
」と「富士山衛生センター(富士宮口八合目)」が設けられている。(4)来訪者
及び観光の圧力富士山の構成資産のうち私有財産である御師住宅(小佐野家住宅)
を除いた資産はすべて公開されている。ただし山体資産範囲については登山道及び
山頂部以外は土地所有者(国、県、富士山本宮浅間大社)の了解が必要であり、安
全上の観点からも県が登山道からの逸脱を好ましくない行為として事実上立入を制
限している。山体以外の資産については、き損・悪戯・盗難等の被害から建造物等
の構成資産を護るために、防犯警備施設を設置するとともに巡視及び監視の体制を
整備し(山宮・村山・人穴等では防犯システムは採用されていない)、来訪者によ
るゴミの増加等に対しても地域住民や関係市町村が適切な管理を行っていることか
ら、観光による圧力が資産の価値を著しく低下させるようなことは起こり得ない。
山体に関しては、観光客によるごみ及びし尿及び自動車で訪れる来訪者(富士山ス
カイラインでは4月〜11月の合計で年平均127,000台・1999〜200
9年、富士スバルラインで年平均410,000台・2006〜2008年)によ
る環境への負荷及び混雑の軽減を目的に以下の対策を行った。ごみに関しては国・
県及びNPO法人、ボランティアによる清掃作業が活発に実施されるとともに(平
成20年実績・92回、約64t、延べ参加人数約7000名)、外国人も含め登
山者に対してマナー向上を呼びかけ、登山道周辺のごみは減少している。山頂部で
発生するごみについては山小屋組合(富士吉田口環境保全推進協議会等)により適
切に管理・処理されている。し尿対策に関しては登山道及び山小屋のトイレ48箇
所を2006年までにバイオ処理式等に改良し、環境への負荷を軽減した。自動車
に関しては、土日・休日を中心に各登山道の利用者数に応じて自家用車の利用を規
制し(利用者の多い富士スバルラインで最大12日間)、山麓の臨時駐車場と五合
目駐車場間のシャトルバスによる輸送を行っている。※オフロード車の進入等書く
べきか※保存管理計画で車対策を充実させなくて良いか(立ち枯れの問題を記述す
る場合特に)2負の影響を与える要因の観察1で示した観察指標として考えられる
ものについて、測定すべき内容、周期、記録組織の概要を以下の表に示す。指標の
具体的な測定内容等については、表に明示している。表観察指標一覧表※斜字は富
士山を守る指標から指標周期記録組織(1)資産の視覚的結a)視点場における景
観阻害要因数毎年両県びつきの保護b)電線の地中化延長毎年両県a)富士山環境
教育開催数・参加者数毎年両県b)パンフレット・HPによる情報提供数毎年両県
c)主要地点での観光客の入込み数毎年両県(2)資産の関連性の保護d)登山者
数(5合目以上)毎年市町村−117−e)登山者数(8合目以上)毎年環境省f
)森林伐採面積(森林の整備形態?)毎年両県a)文化財保護法における現状変更
の数毎年両県b)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省c)生活排水
クリーン処理数毎年両県(3)個別資産の保護d)富士山5合目以上のごみ収集量
毎年両県a)自然公園法における許可行為の数毎年両県・環境省b)ゴルフ場面積
毎年両県c)森林伐採面積(森林の整備形態?)毎年両県(4)緩衝地帯の保護d
)廃棄物の不法投棄量毎年両県−118−第7章整備・公開・活用1基本方針資産
全体の保存管理を確実に行うためには、適切な整備・公開・活用の方針を定め、そ
れらを着実に実現していくことが必要である。資産の顕著な普遍的価値を確実に保
存するとともに、総合的な理解を深めることができるよう、適切な整備・公開・活
用の施策を推進する。(1)構成資産の関連性を考慮した顕著な普遍的価値の伝達
富士山は、一連の歴史的背景と構成資産相互の関連性によって全体の顕著な普遍的
価値が構成されているという観点を踏まえる必要がある。そのため、各構成資産の
修復及び整備に当たっては、構成資産相互の関連性を考慮し、資産全体として有す
る顕著な普遍的価値を顕在化させる整備計画を策定し、修復及び整備を進めること
とする。また、山梨県・静岡県及び構成資産所有の市町は、「(仮称)富士山フォ
ーラム」を始めとする資産の関連性を含めた富士山の顕著な普遍的価値を理解する
ための講座及び研修会等を実施し、情報の伝達を行うことについて配慮する。さら
に、日常的な情報提供の一環として、ガイドブック等の充実を図るほか、地域の児
童・生徒を対象とした学校教育及び地域住民を対象とした社会教育活動との連携を
図る。表資産の保存管理に要する経費単位:千円項目2008年2009年201
0年2011年文化財保護富士山保護来訪者施設、普及啓発合計(2)歴史的事実
に基づく真実性の担保記念工作物や文化財の修復及び復元整備はその真実性を担保
するため、建造物の解体修理や発掘調査等の各種学術調査の結果に基づき、高い精
度により実施する。そのためには、歴史学、考古学、建築史学、環境学、地質学等
、構成資産に関する調査研究を継続し、保存・活用上の諸課題について、研究成果
の充実を図っていく必要がある。そのため、山梨県では、2008年より富士山の
歴史、信仰、芸術などをはじめとする総合的な調査・研究や、富士山関連資料の整
備・把握を行う「山梨県富士山総合学術調査委員会」を設置し、成果の充実に努め
ている。また、静岡県では、資産の文化財調査を実施する「(仮称)富士山文化財
調査事務所」を静岡県内に設置するとともに、「(仮称)富士山の総合的研究基本
計画」を策定し、大学及び関係市町と調査研究活動の連携を図り、成果の充実に努
めている。なお、両県の関係部局及び関係市町村、学識経験者等を構成員とする「
(仮)富士山保存活用両県協議会」が定期的に開催され、専門的立場からの助言を
得ることで、資産の調査研究等についての客観性を確実にしている。−119−(
3)適切な公開・活用施設の設置公開・活用施設の設置に当たっては、資産の持つ
顕著な普遍的価値を伝達するために必要な質及び量を考慮する。そのため、現在「
環境省生物多様性センター」、「山梨県立富士ビジターセンター」、「山梨県環境
科学研究所」、「富士吉田市歴史民俗博物館」、「河口湖フィールドセンター」な
どにおいて行っている、構成資産の解説については、顕著な普遍的価値の観点から
一層の充実を図る。表資産の顕著な普遍的価値の伝達に関する公開・活用施設一覧
NO名称解説対象備考1環境省生物多様性センター自然2山梨県富士ビジターセン
ター富士山全般大型映像施設あり3山梨県環境科学研究所自然4富士吉田市歴史民
俗博物館歴史5旧外川家住宅歴史4の附属施設6富士吉田市世界遺産センター歴史
7河口湖フィールドセンター自然8富士市立博物館歴史9裾野市立富士山資料館富
士山全般(4)国内外からの観光客への対応富士山地域は、優れた名所として知ら
れており、広く国内外から多くの来訪者を受け入れている国内有数の観光地となっ
ているため、地域住民に向けた公開・活用のみならず、資産の価値に対する理解促
進と普及啓発に向けた積極的な宣伝に努める。山梨県及び各市町村では、景観や環
境の保全にも十分配慮した観光計画を策定しており、その計画に基づき来訪者の受
入れ態勢の整備などを進めていく。また、富士山山体においては、登山者の安全と
利便を図るため、統一されたデザインによる4ヶ国語(英語・中国語、ハングル、
日本語)の道標や解説板の整備を進めている。表富士山への来訪者数の推移(7・
8月推計)単位:人年吉田口富士宮口御殿場口須走口合計※吉田口:富士吉田市富
士山課で集計(六合目安全指導センター調)※富士宮口、御殿場口、須走口:富士
宮市観光協会等の推計表主な構成資産の来訪者数の推移(推計等)単位:人富士吉
田・河口湖・三つ峠周辺本栖湖・精進湖・西湖周辺山中湖・忍野八海周辺三保松原
浅間大社白糸ノ滝※「山梨県観光客動態調査」(山梨県)2整備と公開・活用富士
山体及び富士山周辺には、富士山の価値を示す多くの貴重な文化財が、広い範囲に
分布している。それらを確実に保存管理するためには、適切な整備を進め、地域住
民や来訪者に対し、効果的な情報提供を行うことが重要である。資産の整備及び活
用は、資産の管理者である関係市町村及び個別資産の所有者が実施しており、文化
財の適切な整備と活用を進めるため、以下の点に留意することが必要である。(1
)文化財の保護富士山の価値を表す貴重な文化財を、確実に保護するための適切な
整備を進める。個別保存管理計画との整合を図り、保護と活用の観点から、地域住
民の生活や来訪者の活動などとの調和を図る。(2)文化財及び周辺の整備富士山
の文化の特徴や様々な文化財の価値について、年齢国籍を問わず分かりやすい資料
の作成や案内板等の整備を検討する。また、訪問者への対応や周辺環境の保全に配
慮した整備計画の検討を進める。計画は以下のとおりである。ア富士山山体及び登
山道A(A1〜A9共通)・誘導看板の設置・登山道及びブルドーザー道の整備・
破損した石造物の修復・土砂崩落防止柵の整備イ信仰B1〜B15共通−120−
−121−・継続的な文化財調査・社殿を始めとする建造物や境内地の修復および
保存・解説板、案内板等の設置・良好な景観の維持・永続的に行われている習俗の
継承、保存ウ眺望C三保松原・継続的な植生及び海浜の調査・解説板、案内板等の
設置・良好な景観の維持・永続的に行われている習俗の継承、保存・病害虫の駆除
−122−第8章保存管理体制の整備と運営1保存管理体制の整備と役割分担構成
資産及び緩衝地帯の確実な保存管理のためには、関係する行政機関、所有者、地域
住民、市民団体などが相互に意思を疎通し連携を図る組織や、運営体制を整備する
ことが重要である。効果的かつ確実な保存管理の体制を整備するため、以下の4点
に留意することが必要である。(1)行政機関の連携国・県・市町の役割を明確に
し、相互に連携を図る協力体制を整備する。また、一元的な体制整備についての検
討も進めるとともに、関係市町村は、それぞれ保存管理に必要な体制の整備を行っ
ている。山梨県、静岡県においては、関係市町村と緊密に情報交換を行い、資産の
保存管理に関して行政的な助言を行っている。また、山梨県、静岡県とその関連機
関である山梨県埋蔵文化財センター及び静岡県埋蔵文化財研究所では、それぞれの
組織内に文化財の高度な保存・管理技術を持つ専門職員及び技術者を配置し、市町
村が行う保存管理に対して適切な技術的な支援を行っている。また、独立行政法人
国立文化財機構は、全国の史跡等における整備活用事業の円滑な推進と専門職員及
び技術者の技術や能力の向上のために、地方公共団体の専門職員を対象として定期
的に研修を開催しており、山梨県・静岡県をはじめ関係各市町村の職員も当該研修
等に積極的に参加して、資産の整備活用の技術向上に努めている。また、構成資産
の保護に関しては、必要に応じて文化財補助金制度等の財政的、技術的な支援を行
うこととしている。さらに、独立行政法人国立文化財機構(201年度より国内の
大学の研究者及びイコモス会員を含む富士山世界遺産両県協議会の助言者及び両県
協議会も含まれる)の助言・指導に基づいて行われている保存・管理技術は、高い
水準を維持している。重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は
天然記念物を維持するための措置として簡単な修理又は復旧を行う場合は、事前の
届出に基づき、文化庁が適切な技術的指導を行っているため、管理技術の水準はき
わめて高く保たれている。文化庁及び環境省においては、山梨県、静岡県及び関係
市町村との緊密な情報交換を基に、資産の保存管理全般に関して行政的な助言を行
うとともに、必要に応じて財政的・技術的な支援を行うこととしている。同時に、
国内の世界遺産の保存管理に関する情報をはじめ、各国における世界遺産の保存管
理状況などに関する情報の収集及び周知に努めている。資産の見回りや清掃等の日
常的な維持管理については、静岡県・山梨県教育委員会から嘱託された指導員のほ
か、地域住民・民間団体・管理団体が協働して積極的に行っている。表技術者の資
質向上のために行われているおもな研修(2)民間との連携、住民参加行政機関の
連携を図るとともに、構成資産及び緩衝地帯の確実な保護と活用のためには民間と
の連携が重要である。そのため、民間の団体や地域住民が積極的に参加できる組織
や体制の整備を進める。資産の所有者及び資産に関する権利者や地域住民等の間で
生ずる様々な課題に対し、山梨県、静岡県の関係市町村及び資産の保存管理に関す
る諸団体等においては、日常的な情報共有を行い、資産保護の連携を図っている。
また、山梨県、静岡県は、関係市町村と連絡調整のための会議を年に複数回開催し
、保存管理等の状況や今後の管理運営についての情報交換を行うなど、さらなる連
携の強化に努めることとしている。−123−(3)広報関係保護・保全に対する
意識を高めるためには、世界遺産登録の意義を理解することが重要であることから
、地域住民をはじめ、来訪者への広報や啓発活動を推進する。(4)(仮称)富士
山世界遺産両県協議会包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づき、静岡
県・山梨県と関係市町村は、広範囲にわたる富士山の構成資産及び緩衝地帯を包括
的保存管理計画に基づき統一的に管理するため「富士山世界遺産両県協議会」(以
下「両県協議会」という。)(図「富士山」に係る保存管理の組織体制図)及びそ
の支部組織である「静岡県世界遺産協議会」・「山梨県世界遺産協議会」(以下両
者をまとめて「各県協議会」という。)を設置し、各構成資産を成す重要文化財、
史跡、特別名勝又は名勝、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を共通の
基準に基づき確実に実行する。両県協議会および各県委員会は、資産及びその周辺
地域において、国・静岡県・山梨県・関係市町村・民間団体等が実施する予定の事
業等についての情報を総合的に把握し、それぞれの事業が、資産の保存管理に負の
影響を及ぼすことなく、適切に実施されるように関係各機関の連絡・調整を行う。
両県協議会・各県協議会における調整結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係市町
村は、民間事業者等に対して権限に基づく適切な指導や助言を行うこととしている
。また、両県協議会には国関係機関(文化庁・環境省・国土交通省・防衛省・林野
庁)、国内の大学及びイコモス会員等の研究者・専門家が助言者として参加し、学
術的な観点からの助言を行う。各県協議会の下には、実務担当者レベルの調整組織
として、山梨県(静岡県)庁内連絡会議を設置するとともに、各市町村担当者や民
間業者などの代表者との調整組織として山梨県(静岡県)保存管理協力者会議を設
置し、十分な連携を図る。さらに、静岡県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各市
町村文化財調査委員会は指定文化財及び文化財全体に関する事項を審議し、それぞ
れ、静岡県・山梨県及び構成資産の管理を行う各市町村教育委員会に対して建議を
行っている。これらの組織の運営は静岡県・山梨県の世界遺産推進課が行い、専門
の職員名により業務が行われる。また、世界遺産推進係を設置した富士宮市教育委
員会や世界遺産推進室を設置した富士吉田市をはじめ、各市町村教育委員会におい
ても構成資産の保存管理を担当する専門の職員を定めている。これらの組織体制に
ついては、さらなる充実化に努めることとしている。なお、上記の体制については
現在登録準備のために設置され、実質的に機能している組織を改変・名称変更・役
割変更するものであり、その運営に関して問題は生じない。(5)その他地元関係
者の意見を考慮し、将来的な計画を視野に入れた保存管理のあり方について検討を
進める。2地域住民等との連携・協働富士山の顕著な普遍的価値を適切に保護して
いくためには、資産の物理的な保護はもとより、緩衝地帯を含めた総合的な保存管
理が求められる。これらを円滑に実現するためには、資産の周辺に居住する地域住
民と行政との連携が不可欠であることから、地域住民との連携・協働による各種事
業を実施している。−124−表地域住民と行政との連携による事業主な実施事業
事業主体頻度実施年度富士山一斉清掃各自治体各登山道年1回毎年度富士山の美化
活動財団法人富士山をきれいにする会年2回程度1962年〜毎年度また、地域住
民による資産の保存管理を確実なものとするためには、住民の資産の価値に関する
理解を深め、保護に対する意識をより一層醸成する必要がある。そのため、山梨県
及び関係市町村では、地域住民参加型の各種講演会、研修会などの各種事業を主催
している。表地域住民が参加する主な事業主な実施事業事業主体頻度実施年度富士
山世界遺産出前講座行政随時2007年〜毎年度富士山学習会行政外随時毎年度富
士吉田市世界遺産専門学校行政年1回2009年〜毎年度図「富士山」に係る保存
管理の組織体制図−125−富士山世界遺産両県協議会(構成)静岡県、山梨県、
関係市町村学識経験者等国関係機関(文化庁、環境省、国土交通省、防衛省、林野
庁)開発事業者、地域住民、関係者静岡県世界遺産協議会山梨県世界遺産協議会(
委員)行政:静岡県、関係市町等(委員)行政:山梨県、関係市町村等民間:観光
協会、山小屋組合、民間:観光協会、山小屋組合、神社関係者等静岡県保存管理協
力者会議(委員)関係市町(企画・都市計画・文化財担当)観光関係者、山小屋組
合、神社関係者等神社関係者等静岡県庁内連絡会議山梨県庁内連絡会議(委員)関
係課等(委員)関係課等山梨県保存管理協力者会議(委員)関係市町村(企画、都
市計画、文化財担当)観光関係者、山小屋組合、神社関係者等−126−3持続的
運営のための定期的確認包括的保存管理計画に定めた上記の基本方針に基づき、山
梨県・静岡県は、世界遺産の保存管理を専任とする職員の組織を整備するとともに
、連絡調整会議を設置して関係市町村の教育委員会との十分な連携を図っている。
山梨県・静岡県教育委員会では、文化財・世界遺産担当の組織を設け、現在名の職
員によって資産全体の保存管理に当たっている。富士宮市教育委員会では世界遺産
推進係を、富士吉田市では世界遺産推進室を設置し、専任職員によって構成資産の
保存管理に当たっている。また、これ以外の市町村においても他の文化財とともに
構成資産の保存管理を担当する職員を定めている。これらの組織体制については、
さらなる充実化に努めることとしている。さらに、国・山梨県・静岡県と関係市町
村は、広範囲にわたる「富士山」の構成資産及び緩衝地帯を包括的保存管理計画に
基づき統一的に管理するため「(仮称)富士山世界遺産両県協議会」(以下「協議
会」という。)を設置し、各構成資産を成す重要文化財、史跡、特別名勝又は名勝
、特別天然記念物又は天然記念物の保存管理計画を共通の基準に基づき確実に実行
している。協議会では、資産及びその周辺地域において、国・静岡県・山梨県・関
係市町村・民間団体等が実施する予定の事業等について、それぞれの事業が、資産
の保存管理に負の影響を及ぼすことなく、適切に実施されるように連絡・調整及び
各法令を管轄する行政機関に対する助言を行う権限を有する。協議会における調査
結果に基づき、静岡県・山梨県及び関係市町村は、民間事業者等に対して権限に基
づく適切な指導や助言を行うこととしている。協議会には、国内の大学及びイコモ
ス会員等の研究者・専門家が参加しており、協議会に対して学術的な観点からの助
言を行っている。さらに、静岡県・山梨県文化財保護審議会をはじめ各市町村文化
財調査委員会は指定文化財及び文化財全体に関する事項を審議し、それぞれ、山梨
県・静岡県及び各市町村に対して建議を行っている。付章1保存管理に関する事業
計画一覧表富士山包括的保存管理計画を適切に実施していくため、「(仮)富士山
保存活用両県協議会」が毎年開催されている。現状の把握及び保存管理の方向性に
ついては、その概要を本文第4章1・2、第5章1・2に示している。また、実施
される事業については本章に一覧表として示している。事業主体実施機関二県山梨
県静岡県市町村その他事業主体「その他」の内容番号保存管理の方向性実施事業短
期中長期〜〜2014年2027年1顕著な普遍的価値の確実な保記念工作物に関
する経過観察の実施宗教法人護のための適切な監視「遺跡」に関する経過観察の実
施宗教法人2世界遺産講座等の開催専門家(国内外)会議の開催顕著な普遍的価値
を理解するための方策史跡等調査整備計画(暫定整備含む)相談窓口の設置及び事
前相談の受付各分野の専門家による現地指導会の開催宗教法人等3地域住民、行政
導看板の整備富士山に関する顕著な普遍的価値を考慮した公開・活用「便益施設」
の計画的な整備資産等の巡視・監視体制の強化民間団体等ガイドの養成11神社関
連施設及び遺跡の調査・整備宗教法人等神社関連施設及び遺跡の公開・活用宗教法
人等遺跡に関する顕著な普遍的価値を考慮した公開・活用自然関連の情報収集・調
査民間団体等富士山総合研究の実施大学、行政、民間団体等12歴史的事実に基づ
く真実性の担保富士山研究機関の設置民間団体等13適切な公開活用施設の設置「
(仮称)富士山センター」の充実各種ガイダンス施設の整備・拡充14国内外から
の観光客への対応外国人観光客の受け入れ態勢の整備民間団体等資産の価値に対す
る理解促進に向けた積極的な宣伝適切な経路の設定トイレ等の便益施設の設置シャ
トルバス等の交通渋滞の緩和策の実施−130−−131−平成22年度第1回静
岡県学術委員会・第2回山梨県学術委員会参考資料1顕著な普遍的価値の登録基準
2005年2月版「世界遺産条約履行のための作業指針」77項より(?)人間の
創造的才能を表す傑作である。(?)建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設
計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内
での価値観の交流を示すものである。(?)現存するか消滅しているかにかかわら
ず、ある文化的伝統又はある文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なく
とも希有な存在)である。(?)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体
、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。(?)あるひと
つの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・
海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあい
を代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存在が危ぶまれてい
るもの)(?)顕著な普遍的意義を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信
仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は
他の基準とあわせて用いられることが望ましい)(?)最上級の自然現象、又は、
類まれな自然美・美的価値を有する地域を包含する。(?)生命進化の記録や、地
形形成における重要な進行中の地質学的過程、あるいは重要な地形学的又は自然地
理学的特徴といった、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本である。(?
)陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群集の進化、発展において、重要な
進行中の生態学的過程又は生物学的過程を代表する顕著な見本である。(?)学術
上又は保全上顕著な普遍的価値を有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生物
富士山(ふじさん、英語:Mount Fuji)は、静岡県(
富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と、山梨
県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。標高3
776.12 m、日本最高峰(剣ヶ峰)の独立峰で、その優美
な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られている。数多
くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与えただけでは
なく、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与えている。懸
垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は
駿河湾の海岸まで及ぶ。古来霊峰とされ、特に山頂部は浅間大神
が鎮座するとされたため、神聖視された。噴火を沈静化するため
律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。ま
た、富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場と
しても認識されるようになり、登拝が行われるようになった。こ
れら富士信仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった
一派を形成するに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多く
ある他、夏季シーズンには富士登山が盛んである。日本三名山(
三霊山)、日本百名山、日本の地質百選に選定されている。また
、1936年(昭和11年)には富士箱根伊豆国立公園に指定さ
れている。その後、1952年(昭和27年)に特別名勝、20
11年(平成23年)に史跡、さらに2013年(平成25年)
6月22日には関連する文化財群とともに「富士山−信仰の対象
と芸術の源泉」の名で世界文化遺産に登録された。日本の文化遺
産としては13件目である。富士の山とは詠んだとしても、「ふ
じやま」という呼称は誤りであり、愛媛県大洲市柚木にある冨士
山(とみすやま)とは字も呼び方も異なる。富士山についての最
も古い記録は『常陸国風土記』における「福慈岳」という語であ
ると言われている。他にも多くの呼称が存在し、不二山もしくは
不尽山と表記する古文献もある。また、『竹取物語』における伝
説もある。「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じ
て富士山と称されたという説もある。近代以降の語源説としては
、宣教師・バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイ
ヌ語の「フンチヌプリ」に由来するとの説を提示した。しかし、
これは囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」
からきた誤解であるとの反論がある。その他の語源説として、マ
レー語説・マオリ語説・原ポリネシア語説等がある。明確に「富
士山」と表記されるに至るにおいては駿河国富士郡に由来すると
するものがあり、記録としては都良香の『富士山記』に「山を富
士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とある。富士山に因む命
名富士山が日本を代表する名峰であることから、日本の各地に「
富士」の付く地名が多数存在している。富士山の麓として静岡県
に富士市・富士宮市、富士郡、山梨県に富士吉田市・富士河口湖
町・富士川町があるほか、よくあるものとして富士山が見える場
所を富士見と名づけたり(例:埼玉県富士見市)、富士山に似て
いる山(主に成層火山)に「富士」の名を冠する例(信濃富士な
ど)がある。日本国外に移住した日本人たちも、居住地付近の山
を「○○富士」と呼ぶことがある。詳細は「富士見」および「富
士街道」を参照また、全国各地には少なくとも、321座を超え
る数の富士と名の付く山があり、それらを郷土富士と呼ぶ。詳細
は「郷土富士」を参照なお、地名以外にも「富士」を冠した名称
は多く存在する。詳細は「フジ」を参照また、異名として芙蓉峰
とも言う。詳細は「芙蓉」を参照地質学上の富士山富士山周辺の
地形図富士山の構造図地質学上の富士山は典型的な成層火山であ
り、この種の火山特有の美しい稜線を持つ。現在の富士山の山体
は、大きく分けて下記の4段階の火山活動によって形成されたも
のだと考えられている。先小御岳(せんこみたけ)火山小御岳(
こみたけ)火山古富士(こふじ)火山新富士(しんふじ)火山こ
の中で先小御岳が最古であり、数十万年前の更新世にできた火山
である。東京大学地震研究所が2004年4月に行ったボーリン
グ調査によって、小御岳の下にさらに古い山体があることが判明
した。安山岩を主体とするこの第4の山体は「先小御岳」と名付
けられた。古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を続
け、噴出した火山灰が降り積もることで、標高3,000m弱ま
で成長した。山頂は宝永火口の北側1?2kmのところにあった
と考えられている。2009年10月に、GPSによる富士山の
観測で地殻変動が確認された。これは1996年4月の観測開始
以来初めてのことである。この地殻変動により最大2センチの変
化が現れ、富士宮市−富士吉田市間で約2cm伸びた。これはマ
グマが蓄積している(活火山である)現れとされている。プレー
トの観点からは、ユーラシアプレート外縁部で、北アメリカプレ
ート又はオホーツクプレートと接するフォッサマグナ(すぐ西に
糸魚川静岡構造線)に南からフィリピン海プレートが沈み込む位
置であり(ほぼ、相模トラフと駿河トラフ及び伊豆・小笠原・マ
リアナ島弧を陸上に延長した交点)、3個のプレートの境界域(
三重会合点(英語版))となっている。富士山下で沈み込んでい
るフィリピン海プレートのさらに下に太平洋プレートが沈み込ん
でおり、富士山のマグマは、東日本にある島弧火山と同様に太平
洋プレートに由来するものである。富士山の火山上の特徴は、日
本列島の陸上で他にない均整のとれた山体であること、日本の火
山のほとんどが安山岩マグマを多く噴出しているのに対し、富士
山は玄武岩マグマを多く噴出すること、側火山が非常に多いこと
がある。富士山頂山頂火口を上空より山頂火口山頂には火口(お
鉢)がありこれを「大内院」と呼ぶ。これを囲むようにして8つ
の峰がありこれを八神峰と呼ぶ。火口の南西側に最高点の剣ヶ峰
があり二等三角点(点名は、富士山。標高3775.51m20
14年4月1日改算)、火口の北側には二等三角点(点名は、富
士白山。標高3756.23m2014年4月1日改算)が設置
されている。火口の構造は、国土地理院によると、最深部の標高
が3538.7m、火口の深さは約237m、山頂火口の直径は
780m、火口底の直径は130mとある。登山道を除く8合目
より上は、富士宮市にある富士山本宮浅間大社の私有地であるが
、県境と市町村境界は未確定である。2014年1月の富士山世
界文化遺産協議会後の記者会見でも静岡県知事の川勝平太と山梨
県知事の横内正明は県境を定めないことを明言している。国土地
理院がインターネット上で公開している地形図では2013年1
0月から地図上の地点を指定すると住所、緯度・経度、標高が表
示される機能が加わったが、帰属未確定の地点の場合には近くの
帰属が確定している住所が表示されるという設定になっているた
め、富士山頂(剣が峰)を指定すると静岡県富士宮市として表示
されることが山梨県などから指摘され、これを受けて富士山頂の
住所表示については非表示になるよう変更された。宝永山宝永山
と宝永噴火口宝永山(ほうえいざん)は宝永4年(1707年)
の宝永大噴火で誕生した側火山(寄生火山)である。富士山南東
斜面に位置し標高は2,693mである。宝永山の西側には巨大
な噴火口が開いている。これらを間近で見ることができる登山コ
ースも整備されている。詳細は「宝永山」を参照富士山と火山活
動富士山の噴火詳細は「富士山の噴火史」を参照最終氷期が終了
した約1万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩
を大量に噴出した。この溶岩によって、現在の富士山の山体であ
る新富士が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の
東側に顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約
2,500?2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大
規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊した。新
富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前?約8
,000年前の3,000年間と、約4,500年前?約3,2
00年前の1,300年間と考えられている。山頂部からの最後
の爆発的噴火は2300年前で、これ以降は山頂部からの噴火は
無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が散発的に発生
している。延暦19年−21年(800年−802年)に延暦噴
火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出した貞観大噴火
。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(1707年)の宝永大
噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火山灰が
降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の山体に宝永山
が形成された。その後も火山性の地震や噴気が観測されており、
今後も噴火の可能性が残されている。噴火の年代が考証できる最
も古い記録は、『続日本紀』に記述されている、天応元年(78
1年)に富士山より降灰があったくだりである。平安時代初期に
成立した『竹取物語』にも、富士山が作品成立の頃、活動期であ
ったことを窺わせる記述がある。平安時代の歴史書『日本三代実
録』には貞観大噴火の状況が迫力ある文体で記載され、平安時代
中期の『更級日記』には、富士山の噴気や火映現象を表した描写
がある。宝永大噴火についての記録は、新井白石による『折りた
く柴の記』をはじめとした文書、絵図等により多数残されている
。その後も、噴煙や鳴動の記録は多く残されているが、記述から
見て短期間かつ小規模な活動で終わったものと推測される。宝永
大噴火以来300年にわたって噴火を起こしていないこともあり
、1990年代まで小学校などでは富士山は休火山と教えられて
いた。しかし先述の通り富士山にはいまだ活発な活動が観測され
ており、また気象庁が休火山という区分を廃止したことも重なり
、現在は活火山に区分されている。2013年7月20日、産業
技術総合研究所は、1999年から約15年分の踏査データや地
質調査データをまとめ富士火山地質図第2版(Ver.1)とし
て発表し、2016年には修正加筆が終了した。同時に、溶岩が
流れ出す規模の噴火は過去2000年間に少なくとも43回あっ
たとしている。山体崩壊の発生地震および噴火活動にともなう山
体崩壊(岩屑がんせつなだれ)が発生年代が不明確なものも含め
て南西側に5回、北東側に3回、東側に4回の計12回起きたと
されている。また、直下に存在が示唆されている活断層の活動に
よるマグニチュード7クラスの地震による崩壊も懸念されている
。主な発生歴約2900年前(御殿場泥流):東斜面で大規模(
約18億立方メートル)な山体崩壊が発生し、泥流が御殿場周辺
から東へは足柄平野へ、南へは三島周辺を通って駿河湾へ流下、
山体崩壊の発生原因は不明。1331年の元弘地震に伴い発生。
1891年濃尾地震に伴い発生。災害対策火山噴火予知連絡会(
気象庁)−富士山のみを限定するものではないが、日本の火山活
動についての検討を実施する。状況に応じて見解を発表するが、
噴火の日時を特定して発表することはない。定例会は年3回実施
されるが、噴火時には随時開催される。2000年10月に富士
山の低周波地震が増加した際は、ワーキンググループが設置され
、富士山に関する基礎データの収集・整理、監視体制の検討、火
山情報発信の方法などが集中的に検討された。富士山ハザードマ
ップ検討委員会(内閣府防災担当)−噴火時の広域避難のために
必要なハザードマップの作成が、検討委員会を通じて進められて
いる。富士直轄砂防事業(国土交通省)−大沢崩れを源にして発
生する大規模な土石流から、下流の保全対象を守る砂防事業を実
施中。山梨県は2015年6月11日、「富士山噴火時避難ルー
トマップ」を作成した。「静岡市市長の田辺信宏は2016年1
月22日の定例記者会見で、市消防航空隊が2013年、富士山
で滑落した登山者を救助中にヘリコプターから落下させ、この登
山者が死亡した事故を受け、再発防止策として、市消防局がヘリ
で救助できる山の高さに3200メートルと上限を設けたことを
明らかにした。」。地殻変動の観測国の機関(防災科学技術研究
所、気象庁、国土地理院、産業技術総合研究所)及び大学(東京
大学地震研究所)などにより観測が行われている。国土地理院:
地磁気観測点が、鹿野山測地観測所、水沢測地観測所および江刺
観測場に設置されている。また、山頂にはGPSの電子基準点。
気象庁観測所:地震計(山頂、御殿場口8合目、吉田口6合目、
鳴沢塒塚東、太郎坊)、傾斜計(太郎坊)、空振計(太郎坊、上
井出)、GSP(太郎坊)、望遠カメラ(萩原)防災科学技術研
究所:火山活動可視情報化システム(VIsualizatio
nsystemforVolcanicActivity)噴出
物災害などへの対策国土交通省、富士砂防事務所:静岡県、山梨
県と連携し火砕流、溶岩流などの火山活動に伴う災害を防ぐため
の調査・検討を実施しハザードマップが作成されている。しかし
、山体崩壊を想定したハザードマップは2012年現在未作成で
ある。富士山と気象気候山頂は最暖月の8月でも平均気温が6℃
しかなく、ケッペンの気候区分では最暖月平均気温が0℃以上1
0℃未満のツンドラ気候に分類される。太平洋側の気候のため1
月や2月は乾燥し、3月、4月、5月、6月が最深積雪トップ1
0を占める。観測史上最低気温は−38.0℃で最高気温が−3
0℃未満の日も過去に数回観測されていて−30℃を上回ること
がない1日というのは北海道でも例がない。富士山での気象観測
かつて気象庁東京管区気象台が富士山頂剣ヶ峯に設置していた気
象官署が富士山測候所である。現在は富士山特別地域気象観測所
となっており、自動気象観測装置による気象観測を行っている。
詳細は「富士山測候所」を参照気象現象山体に強風が吹くと砂が
巻き上げられ、周辺の自治体に降ることがある。2010年12
月15日には、神奈川県の西部から南部にかけて黒い砂が積もり
、その状況から富士山の砂が巻き上げられ、西風に乗り降り積も
ったと考えられると報道された。富士山北麓の一部農地(現在の
山梨県富士吉田市など)では、富士山の標高2600m付近に現
れる農鳥(鳥の形に見える残雪)の出現する時期によって、農作
物が豊作になる・凶作となるという言い伝えがある。富士山では
山岳波が発生することもあり墜落事故も起きている(英国海外航
空機空中分解事故など)。富士山麓の自然環境富士山麓の天然記
念物として、「富士山原始林及び青木ヶ原樹海」(天然記念物:
1926年2月24日指定、2010年3月8日追加指定・名称
変更)、「富士風穴」(天然記念物:1929年12月17日指
定)などがある。伏流水白糸の滝(静岡県)富士山に降った雨や
雪は、長い年月をかけ伏流水として地下水脈を流れ湧き出てくる
。最も高い地点から湧き出す湧水として確認されている例は標高
1670m(富士宮口二合目付近)とされ、その他山麓を帯状に
分布している。富士山麓における湧水の総湧出量は1968年で
1日あたり154万立方メートル以上だという。しかし、近年湧
出量の減少が確認されている例がある。地域名称南東麓されてい
柿田川(日本三大清流)、小浜池南麓吉原湧泉群西麓湧がってい
玉池(特別天然記念物)、白糸の滝(国指定の名勝及び天然記念
物)、猪之頭湧泉群北麓忍野八海(国指定の天然記念物)またの
、一部で駿河湾や富士五湖の西湖(水深25m付近)で湧出があ
るとされている。富士山を源とする伏流水を利用し、周辺地域で
製紙業や医薬関連の製造業などの工業が活発に行われている。ま
た、富士山の伏流水はバナジウムを豊富に含んでいるため、ミネ
ラルウォーターとして瓶詰めされ販売されている。溶岩洞窟西湖
コウモリ穴入口富士山麓周辺には大小100以上の溶岩洞窟が形
成されている。その中でも総延長2139mの三ツ池穴(静岡県
富士宮市)は溶岩洞窟として日本一の長さを誇る。また、山麓周
辺で最大規模の溶岩洞窟として西湖コウモリ穴(山梨県南都留郡
富士河口湖町)があり、国の天然記念物に指定されている。その
他、鳴沢氷穴(山梨県南都留郡鳴沢村)も国の天然記念物に指定
されている。植生富士山は標高は高いが、日本の他の高山に比較
すると高山植物などの植生に乏しい。これは富士山が最終氷期が
終了した後に山頂から大規模な噴火が繰り返したために山の生態
系が破壊され、また独立峰であるため、他の山系からの植物の進
入も遅れたためである。しかし、宝永山周辺ではいくらか高山植
物が見られる。山の上部ではタデ科オンタデ属のオンタデ(御蓼
)、山腹ではキク科アザミ属のフジアザミ(富士薊)が自生して
いる。中部山岳地帯の高山の森林限界の上にはハイマツ帯が広が
っているのが通例であるが、富士山にはハイマツ帯は欠如し、そ
の代替にカラマツ林が広がっている。人間史富士山本宮浅間大社
古代古代より富士山は山岳信仰の対象とされ、富士山を神体山と
して、また信仰の対象として考えることなどを指して富士信仰と
言われるようになった。特に富士山の神霊として考えられている
浅間大神とコノハナノサクヤビメを主祭神とするのが浅間神社で
あり全国に存在する。浅間神社の総本宮が麓の富士宮市にある富
士山本宮浅間大社(浅間大社)であり、富士宮市街にある「本宮
」と、富士山頂にある「奥宮」にて富士山の神を祭っている。詳
細は「富士信仰」を参照古代では富士山は駿河国のものであると
する考え方が普遍的であった。これらは「高く貴き駿河なる富士
の高嶺を」(山部赤人『万葉集』)や「富士山は、駿河国に在り
。」「富士山は駿河の国の山で(省略)まっ白な砂の山である」
(都良香『富士山記』)、「駿河の国にあるなる山なむ」(『竹
取物語』)など広く見られるものである。しかし「なまよみの甲
斐の国うち寄する駿河の国とこちごちの」(「高橋虫麻呂」『万
葉集』)のように駿河国・甲斐国両国を跨ぐ山であるという共有
の目線で記された貴重な例もある。それより後期の時代、イエズ
ス会のジョアン・ロドリゲスは自著『日本教会史』にて「富士山
は駿河国に帰属している」としているため、帰属は駿河国という
関係は継続されていたと考えられる。登山口は末代上人が開いた
登山道を起源とし、登山道が完成されたそれが最初の登山道と言
われる村山口である。これにより富士修験が成立したとされる。
次第に他の登山道も開削されてゆき、大宮・村山口、須山口、須
走口が存在してる。神仏習合は富士山も例外ではなかった。山頂
部は仏の世界と考えられるようになり、特別な意味を持つように
なった。遺例としては正嘉3年(1259年)の紀年銘である木
造坐像が古いとされ、これは大日堂(村山)の旧本尊であった。
鎌倉時代の書物である『吾妻鏡』には神仏習合による「富士大菩
薩」や「浅間大菩薩」という呼称が確認されている。富士山頂の
8つの峯(八神峰)を「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し、
文永年間(1264年−1275年)の『万葉集註釈』には「い
ただきに八葉の嶺あり」とある。その他多くの書物で「八葉」の
記述が確認できる。江戸時代江戸時代になると、徳川家康による
庇護の下、本殿などの造営や内院散銭取得における優先権を得た
ことを基に江戸幕府より八合目以上を寄進された経緯で、現在富
士山の八合目より上の部分は登山道・富士山測候所を除き浅間大
社の境内となっている。登山の大衆化と共に村山修験や富士講な
どの一派が形成され、富士信仰を発展させていった。富士講の隆
盛が見られた18世紀後半以降、新興宗教として旧来の登山道で
は発展できなかったために吉田口を利用する道者が目立つように
なっていたと考えられ、18世紀後半以降では、他の登山口の合
計と同程度であったという。富士参詣の人々を「道(導)者」と
いい、例えば『妙法寺記』の明応9年(1500年)の記録に「
此年六月富士導者参事無限、関東乱ニヨリ須走へ皆導者付也」と
ある。また、登山における案内者・先導者を「先達」といい、先
達の名が見える道者帳(『公文富士氏文書』、文中に「永禄6年
」とあり)などが確認されている。明治以後慶応4年(1868
年)に神仏分離令が出されると、これら神仏習合の形態は大きく
崩されることとなる。富士山中や村山における仏像の取り壊しな
どが進んだ。富士山興法寺は分離され、大日堂は人穴浅間神社と
なり大棟梁権現社は廃されるなど改変が進んだ。北口本宮冨士浅
間神社では仁王門や護摩堂などが取り壊されることとなった。仏
教的な名称なども改称され、「八葉」の呼び名も変更された。1
883年(明治16年)に御殿場口登山道が、1906年(明治
39年)に新大宮口が開削された。富士山は平成23年(201
1年)2月7日に国指定文化財である「史跡」に指定された。史
跡としての富士山は複数の資産から構成され「史跡富士山」とし
て包括されている。指定範囲は静岡県は富士宮市・裾野市・駿東
郡小山町、山梨県は富士吉田市・南都留郡富士河口湖町・鳴沢村
である。このとき富士山八合目以上の山頂部や各社寺、登拝道(
登山道)が指定された。その後富士山本宮浅間大社社有地の一部
、人穴富士講遺跡、各登山道が追加指定された。登山史富士登山
の伝承においては伝説的な部分が多く入り混じっており、諸説存
在する。富士山の登山史和暦西暦内容補足推古天皇6年598年
平安時代の甲斐の黒駒伝承には、聖徳太子が神馬に乗り富士山の
上を越えたとする記述がある。諸国からが多献上された数百匹の
中から白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、同年
9月に太子が試乗すると、馬は天高く飛び上がり東国へ赴き、富
士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという
。天智天皇2年663年役小角が県は富、流刑したされた伊豆大
島から毎晩密かに逃げ出し、富士山へ登ったという伝説が残る。
役小角は「富士山開山の祖」ともいわれる。この役小角の登山は
マルセル・クルツの『世界登頂年代記』に掲載されており、記録
は改訂されたものの「世界初の登山」という記述がされていた。
貞観17年875年平安時代の学者である都良香が『富士山記』
の中で山頂火口のさまを記す。山頂には常に沸き立つ火口湖があ
り、そのほとりに虎の姿に似た岩があるなど、実際に見た者でな
ければ知りえない描写から、実際に登頂したか、または登頂した
者に取材したと考えられる。なおこの約10年前には山頂噴火で
はないが有史最大の貞観大噴火があった。久安5年1149年『
本朝世紀』には末代上人が数百回の登山を繰りかえしたとある。
回数は一致するものかは不明であるが、登山を多く行った人物と
して知られる。江戸時代に入ると富士講が盛んになり、多くの参
拝者が富士登山(富士詣)をした。特に江戸後期には講社が多数
存在し、富士詣は地域社会や村落共同体の代参講としての性格を
持っていた。最盛期には吉田口だけで百軒近くの宿坊(山小屋)
があった。文政11年1828年気圧計による高度測定の試みシ
ーボルトの弟子である二宮敬作が登頂し、気圧の変化により高度
測定を行った。伊能忠敬の測量では2603m−3732mとさ
れていたが、この測定では3794.5mと算出されている。天
保3年1832年高山たつが女性として初登頂。女人禁制が敷か
れていた時代である。嘉永6年1852年松平宗秀(本庄宗秀)
が近世大名として初登頂。富士宮市の有形文化財となっている、
造り酒屋の主人が記した「袖日記」という古記録に宮津藩主松平
宗秀が富士登山を行った記録がある。袖日記の6番によると、宗
秀は江戸と宮津を参勤交代で往復しているうちに富士山に登ろう
と思い始めたが、参勤交代の道程は幕府に指定されたルートであ
り、これを逸脱したコースを通ったり、たとえ社寺参詣であって
も寄り道することは許されないため、富士に登ることを幕府に願
い出るも中々許可が出ず、3年を経て許可を得るも「馬返し」と
呼ばれる地点までであった。(馬返しというのは一合目よりも下
の場所であり、登山客はここで馬を下りて山に登るという所)そ
こで宗秀は嘉永6年(1852)6月21日、幕府に内緒で登山
を決意し、明け方から出発して山を登り始め、昼過ぎには頂上に
着いたという。宗秀の富士山登頂は、近世大名が富士登山を行っ
た唯一の記録となった。万延元年1860年英国公使オールコッ
クが外国人として初登頂。『古事類苑』にオールコックの登山に
ついての記録(富士重本が寺社奉行所に提出した届出)があり、
「英人富士山ヲ測量スルニ就キ、大宮司ヨリ届書寫…廿二日大雨
にて、廿四日晝立、大宮小休、村山泊に相成り、廿五日快晴致し
、不士山六合目へ泊り、廿六日快晴頂上いたし…」とある。オー
ルコックは7月24日に大宮から村山に入り登山を行い、26日
に登頂した。明治4年1872年女人禁制が解かれる。明治時代
になると信仰登山は徐々に衰退してゆき、代わって娯楽やスポー
ツとしても登られるようになり、欧米の近代登山技術が取り入れ
られることになる。明治25年1892年英国人のウォルター・
ウェストンが登頂。翌年にも登頂した。その後本を出版し富士山
などの日本の山々を世界に紹介した。明治28年1895年野中
到が冬季初登頂。2月16日に御殿場口から単独で登頂。同年1
0月から12月まで山頂で気象観測を行った。大正12年192
3年皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の登山7月26日の事、須
走に赴いてから8合目まで乗馬にて登山後、8合目以上は徒歩に
て登山を行なった。奥宮を参拝し金剛棒に焼印などを行った後、
御殿場口より下山された。大正12年1923年秩父宮雍仁親王
の登山8月20日の夜に御殿場口から登山し、翌朝頂上に到着。
奥宮を参拝後、下山。昭和2年1927年中村テルが冬季女性初
登頂1月1日に御殿場口から登頂、男性2人と共に。昭和63年
1988年浩宮徳仁親王(当時)の登山。8月1日−2日の登山
で、須走口から八合目を往復した。天候の悪化で登頂は断念され
る。平成20年2008年皇太子徳仁親王が登頂。8月7日に富
士宮口を出発後、御殿場口登山道に入り登頂。富士山を巡る利権
争い山役銭と内院散銭『冨嶽三十六景諸人登山』山麓の各地域に
は各登山道があり、特に村山口と大宮口、須走口、須山口が古来
の登山道であり、その登山道を管理する地域の浅間大社が山役銭
を徴収していた。これらの地域は互いに山役銭などを巡り、争い
を起こしている。特に内院散銭は相当額になるため、争いの火種
になりやすかった。例えば須走村への配分だけでも1年で76両
を越えたといい、一戸に約一両が配当される計算になるという。
内院散銭の権利は、大名などに与えられた権利を根拠に主に3地
域によって争われた。「村山」と「須走」と「大宮」である。村
山においては、1533年(天文2年)に村山三坊の「辻之坊」
が今川氏輝により内院散銭の取得権を与えられている。須走は1
577年(天正5年)に武田氏により薬師堂(現在の久須志神社
)の開帳日の内院散銭の取得権が与えられている。大宮は160
9年(慶長14年)に徳川家康が内院散銭を浅間大社に寄進し、
内院散銭の取得の優位権を得ている。浅間大社の大宮司が村山よ
り登る際は山役銭を取られたので、村山を避け「須走」から登拝
する慣例などもあった。新規に出来た登山道である現富士吉田口
は、登山道を管理している「須走」に許可なく、浅間大社の大宮
司富士信安など富士氏が自分たちに山役銭を支払えば、「須走」
の登山道を利用するにも関わらず勝手に山がけ(登山道を作り山
小屋を建てる)の許可を与えたことで論争となり、「河口」と「
吉田」は1810年に登山ルートや山役銭の徴収方法で論争を起
こし、「大宮」と「吉田」では薬師堂における役銭の配分で争っ
ている過去などがある。元禄の争論元禄16年(1703年)に
散銭や山小屋経営を巡り須走村が富士浅間神社本宮(浅間大社)
を訴えた争論が元禄の争論である。須走村側は東口本宮冨士浅間
神社の神主や御師らが、浅間大社の大宮司富士信安など富士氏ら
を相手取り寺社奉行に訴え出た。訴えは三か条であった。1つは
浅間大社が吉田村の者に薬師嶽の小屋掛けを認めたことへの不服
、2つ目は浅間大社側が造営した薬師堂の棟札に「富士本宮が入
仏を勤める」という旨の記述があることを、須走の既得権を犯す
ものであるというもの、3つ目は内院の散銭取得における2番拾
いは須走側が得るという慣例となっているとし、それを浅間大社
が取得しているという訴えである。これに対し訴えられた浅間大
社側は江戸に赴き、薬師嶽は須走村の地内ではないこと、薬師堂
の入仏については浅間大社側が造営したものであるので権利は浅
間大社にあること、散銭の2番拾いの慣例は根拠がないというこ
とを主張した。それらは第三者に委ねる内済という扱いとなり、
その内済にて「他の者に小屋掛けさせないこと」「薬師堂の入仏
は須走村が行うこと」「内院散銭は一番拾いを大宮と須走で6:
4で分け、2番拾いは須走が得るものとする」という決定となり
、以後これらは遵守された。安永の争論安永元年(1772年)
に、須走村が山頂の支配権は同村の支配にあるとして浅間大社を
相手として訴えた争論が安永の争論である。またこれをみた浅間
大社側の富士民済も反論を起こした。さらに吉田村と浅間大社と
で支配地域を確定する争論もあったため、ここに大宮・新規参入
である吉田と須走の争いの決着が望まれることとなり、勘定奉行
なども関わる大論争となった。安永8年(1779年)に持ち越
されることとなった。結論は徳川家康が富士山本宮浅間大社を信
奉していたという幕府側の配慮があり、勘定奉行・町奉行・寺社
奉行のいわゆる三奉行による裁許で、最終的に富士山の8合目よ
り上は、富士山本宮浅間大社持ちとすることが決定された。この
2者の争論を起因とする裁判により、これまで曖昧であった山頂
の支配権やその他権利の所在などが、江戸幕府により明確に定め
られることとなった。富士山と眺望特別名勝としての富士山富士
山は昭和27年(1952年)10月7日に「名勝」に指定され
、同年11月22日に「特別名勝」に指定された。山梨県側は富
士吉田市・船津村(現・富士河口湖町)・鳴沢村・中野村(現・
山中湖村)の範囲が指定された。静岡県側は御中道に囲まれる地
域全部および富士宮口登山道(富士宮市)と御殿場口登山道(御
殿場市)を挟む標高1,500m以上の地域、またこれと重複し
ない一合目以上御中道に至る富士宮口登山道および須走口登山道
(小山町)が範囲となっている。富士山の眺望ウィキメディア・
コモンズには、各地点からの富士山の眺望に関連するカテゴリが
あります。富士山への良好な眺望が得られる128景233地点
を、国土交通省関東地方整備局が関東の富士見百景として、20
05年(平成17年)に選定した。羽田空港から西に向かう国内
便などでは富士山の上空を通過する。その際、機長が富士山を案
内するアナウンスをすることが多い。また、新年のご来光を見る
ための遊覧飛行便も運行される。富士山の眺望の最遠は2013
年現在、和歌山県那智勝浦町である。那智勝浦の色川富士見峠(
妙法山とは別)は、富士山頂からの距離は322.9キロで、一
番遠く最も西にあるとされる。また、眺望の北限は2017年1
月16日に福島県川俣町と飯舘村にまたがる花塚山(標高919
m)と日本地図センターにより認定された(富士山からは308
kmの距離にある)。南東方向に約271Km離れた八丈島の三
原山からも眺望される。富士山の見える都道府県は、理論上可能
とされていた京都府から2014年に撮影に成功したことにより
、20都道府県となった。様々な表情の富士山富士山の表情は、
見る場所・角度・季節・時間によって様々に変化する。富士と名
が付く、いくつかの姿がある。画像富士山の姿解説赤富士夏の朝
、露出した山肌が朝焼けにより赤くなった姿。葛飾北斎をはじめ
とした画家が「赤富士」を描いた絵画を残した。紅富士雪化粧し
た富士山が朝日や夕日で紅色に染まる姿。「モルゲンロート」(
ドイツ語Morgenrot)が用いられる場合がある。逆さ富
士波立ちが少ない水面に映る逆さの富士山の光景。D五千円券の
裏の図案に、本栖湖の逆さ富士が使用された。竜ヶ岳(山梨県)
から望む日の出時のダイヤモンド富士(2015年12月5日撮
影)ダイヤモンド富士太陽が昇った時又は沈む時、太陽が富士山
の頂上と重なり、富士山の頂上付近がダイヤモンドのように光る
現象。富士山が見える西又は東の場所から、年に2回見ることが
できる。影富士朝日や夕日で富士山の山容の影が周囲に映し出さ
れる風景。富士山登山時に山の上部から、雲海の上に見られる場
合がある。笠雲笠雲とレンズ雲を伴う。富士山の頂上に傘をかぶ
せた雲がある風景。その際は、次第に麓では曇りまたは雨になる
ことが多い。「表富士」と「裏富士」『不二三十六景甲斐夢山裏
富士』現在も富士山の山小屋や登山道の道標として「表口」や「
裏口」という表現がみられ、一般的に静岡県から見た富士山を表
富士、山梨県からの姿を裏富士として認知されているが、これに
は歴史的背景がある。延宝8年(1680年)に作成された『八
葉九尊図』では既に「するが口表」という表記がある。他に『甲
斐国志』巻35ではこのような記述がある。登山路ハ北ハ吉田口
、南ハ須走口・村山口・大宮口ノ四道ナリ、(中略)南面ヲ表ト
シ、北面ヲ裏トスレドモ、…??『甲斐国志』他の資料にも共通
した記述がみられ、このように南麓を表、北麓を裏とする考え方
は一般的な認識であったと言える。これとは別に「裏富士」とい
う言葉があり、葛飾北斎の『富嶽百景裏不二』『冨嶽三十六景身
延川裏不二』や歌川広重の『不二三十六景甲斐夢山裏富士』など
、作品名に採用されている例がみられる。富士山の文化美術にお
ける富士山三峰型富士の例絹本着色富士曼荼羅図狩野元信(伝)
峰型富士の例(上図)と同じ構図の実写富士は、ギャラリーに掲
載富士山絵画は平安時代に歌枕として詠まれた諸国の名所を描く
名所絵の成立とともにはじまり、現存する作例はないものの、記
録からこの頃には富士を描いた名所絵屏風の画題として描かれて
いたと考えられている。現存する最古の富士図は法隆寺献納宝物
である延久元年(1069年)の『聖徳太子絵伝』(東京国立博
物館)で、これは甲斐の黒駒伝承に基づき黒駒に乗った聖徳太子
が富士を駆け上る姿を描いたもので、富士は中国山水画風の山岳
図として描かれている。楽焼白片身変茶碗銘不二山(国宝)鎌倉
時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描写法が確立し、『
伊勢物語絵巻』『曽我物語富士巻狩図』など物語文学の成立とと
もに舞台となる富士が描かれ、富士信仰の成立に伴い礼拝画とし
ての『富士曼陀羅図』も描かれた。また絵地図などにおいては反
弧状で緑色に着色された他の山に対して山頂が白く冠雪した状態
で描かれ、特別な存在として認識されていた。室町時代の作とさ
れる『絹本著色富士曼荼羅図』(富士山本宮浅間大社所蔵、重要
文化財)には富士山とその富士山に登る人々や、禊ぎの場であっ
た浅間神社や湧玉池が描かれており、当時の様子を思わせるもの
である。また、富士山は三峰型富士で描かれている。凱風快晴、
葛飾北斎作江戸時代には明和4年(1767年)に河村岷雪が絵
本『百富士』を出版し、富士図の連作というスタイルを提示した
。浮世絵のジャンルとして名所絵が確立すると、河村岷雪の影響
を受けた葛飾北斎は晩年に錦絵(木版多色摺)による富士図の連
作版画『冨嶽三十六景』(天保元年1831年頃)を出版した。
多様な絵画技法を持つ北斎は大胆な構図や遠近法に加え舶来顔料
を活かした藍摺や点描などの技法を駆使して中でも富士を描き、
夏の赤富士を描いた『凱風快晴』や『山下白雨』、荒れ狂う大波
と富士を描いた『神奈川沖浪裏』などが知られる。また、歌川広
重も北斎より後の1850年代に『不二三十六景』『冨士三十六
景』を出版した。広重は甲斐国をはじめ諸国を旅して実地のスケ
ッチを重ね作品に活かしている。『東海道五十三次』でも、富士
山を題材にした絵が多く見られる。北斎、広重らはこれらの連作
により、それまで富士見の好スポットと認識されていなかった地
点や、甲斐国側からの裏富士を画題として開拓していった。工芸
品としては本阿弥光悦が自ら制作した楽焼の茶碗に富士山の風情
を見出し、「不二山」と銘打っている。50銭政府紙幣(193
8年発行)岡田紅陽が撮影した愛鷹山からの富士山がモデル。富
士は日本画をはじめ絵画作品や工芸、写真、デザインなどあらゆ
る美術のモチーフとして扱われている。日本画においては近代に
殖産興業などを通じて富士が日本を象徴する意匠として位置づけ
られ美術をはじめ商業デザインなどに幅広く用いられ、絵画にお
いては伝統を引き継ぎつつ近代的視点で描かれた富士山絵画が制
作された。また、鉄道・道路網など交通機関の発達により数多く
の文人・画家が避暑地や保養地としての富士山麓に滞在し富士を
題材とした作品を製作しているが、富士を描いた風景画などを残
している画家として富岡鉄斎、洋画においては和田英作などがい
る。富士山をモチーフとした美術品は当時のヨーロッパでも多く
流通しており、このことから富士山もヨーロッパで広く知られて
いた。1893年(明治26年)、日本を旅行していたオースト
リア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント
大公は、日記に次のように書いている。フジサン、フジノヤマ。
いったい、この日本の象徴――ヨーロッパではふつうフジヤマと
呼ばれる――を知らない者などいるのだろうか?ヨーロッパでも
っとも好まれる日本工芸のデザインとして漆器、陶磁器、和紙、
金属などに描かれているから、もう、わたしたちにはお馴染みだ
。??8月15日付戦時下には国家により富士は国体の象徴とし
て位置づけられ、富士は国家のシンボルとして様々に描かれた。
戦後には国体のシンボルとしてのイメージから解放された「日本
のシンボル」として、日本画家の横山大観や片岡球子らが富士を
描いた。また、現代美術の世界ではこれらの伝統的画題へのアン
チテーゼとしてパロディや風刺、アイコンとして富士を描く傾向
も見られる。深田久弥は『日本百名山』の中で富士山を「小細工
を弄しない大きな単純」と評し、「幼童でも富士の絵は描くが、
その真を現わすために画壇の巨匠も手こずっている」という。日
本画全般の題材として「富士見西行」があり、巨大な富士山を豆
粒のような人物(僧、西行法師)が見上げるという構図で、水墨
画や彫金でも描かれている。千円札、旧五千円札のモデルとなっ
た本栖湖からの富士山近代では紙幣や切手のデザインにも用いら
れている。富士山が紙幣のデザインに用いられる例は数多くある
。古くは1913年発行の50銭政府紙幣があり、愛鷹山からの
富士山でる。その後の1951年と1969年発行の旧五百円札
は大月市の雁ヶ腹摺山からの富士山を元にしている。1984年
発行の旧五千円札と2004年発行の千円札は本栖湖の湖畔から
の富士山である。富士山を描写した切手が郵便局から発売された
。河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、山中湖(1999年(平成1
1年))葛飾北斎(1999年(平成11年))オオマツヨイグ
サ・山梨県(2005年(平成17年))文学における富士山富
士山は和歌の歌枕としてよく取り上げられる。また、『万葉集』
の中には、富士山を詠んだ歌がいくつも収められている。「田子
の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」(
3.318)は山部赤人による有名な短歌(反歌)である。また
、この反歌のその次には作者不詳の長歌があり、その一節に「…
燃ゆる火を雪もち消ち降る雪を火もち消ちつつ…」(巻3・31
9・大意「(噴火の)燃える火を(山頂に降る)雪で消し、(山
頂に)降る雪を(噴火の)火で消しつつ」)とあり、当時の富士
山が火山活動を行っていたことがうかがえる。『新古今和歌集』
から。富士の煙が歌われている。風になびく富士の煙の空にきえ
てゆくへもしらぬ我が心かな西行(#1613)都人にとって富
士は遠く神秘的な山として認識され、古典文学では都良香『富士
日記』が富士の様子や伝承を記録している。『竹取物語』は物語
後半で富士が舞台となり、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老
不死の薬を、つきの岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山
頂で燃やしたことになっている。それからその山は数多の士に因
んでふじ山(富士山)と名付けられたとする命名説話を記してい
る。なお、富士山麓の静岡県富士市比奈地区には、「竹採塚」と
して言い伝えられている場所が現存している。ほか、『源氏物語
』や『伊勢物語』でも富士に言及される箇所があるものの、主要
な舞台となるケースは少ない。富士は甲駿の国境に位置すること
が正確に認識されており、古代においては駿河国に帰属していた
ため古典文学においては駿河側の富士が題材となることが多いが
、『堤中納言物語』では甲斐側の富士について触れられている。
また、「八面玲瓏」という言葉は富士山から生まれたといわれ、
どの方角から見ても整った美しい形を表している。中世から近世
には富士北麓地域に富士参詣者が往来し、江戸期には地域文芸と
して俳諧が盛んであった。近代には鉄道など交通機関の発達や富
士裾野の観光地化の影響を受けて、多くの文人や民俗学者が避暑
目的などで富士へ訪れるようになり、新田次郎や草野心平、堀口
大學らが富士をテーマにした作品を書き、山岳文学をはじめ多く
の紀行文などに描かれた。富士山麓に滞在した作家は数多くおり
、武田泰淳は富士山麓の精神病院を舞台とした小説『富士』を書
いており、妻の武田百合子も泰淳の死後に富士山荘での生活の記
録を『富士日記』として記している。津島佑子は山梨県嘱託の地
質学者であった母方の石原家をモデルに、富士を望みつつ激動の
時代を過ごした一族の物語である『火の山―山猿記』を記した。
また、北麓地域出身の文学者として自然主義文学者の中村星湖や
戦後の在日朝鮮人文学者の李良枝がおり、それぞれ作品の中で富
士を描いており、中村星湖は地域文芸の振興にも務めている。太
宰治が昭和14年(1939年)に執筆した小説『富嶽百景』の
一節である「富士には月見草がよく似合ふ」はよく知られ、山梨
県富士河口湖町の御坂峠にはその碑文が建っている。直木賞作家
である新田次郎は富士山頂測候所に勤務していた経験をもとに、
富士山の強力(ごうりき)の生き様を描いた直木賞受賞作『強力
伝』や『富士山頂』をはじめ数々の富士にまつわる作品を執筆し
ている。高浜虚子は静岡県富士宮市の沼久保駅で降りた際、美し
い富士山を見て歌を詠んだ。駅前にはその歌碑が建てられている
。「とある停車場富士の裾野で竹の秋/ぬま久保で降りる子連れ
花の姥」富士山と地域振興富士山一帯の宗教施設や避暑、富士登
山を目的とする観光客相手の観光業も活発に行われている。しか
し、富士山麓には温泉地として成立する規模の湯量は湧出してい
ない。富士山の利用について、静岡県側が自然・文化の保護を重
視するのに対し、山梨県側は伝統的に観光開発を重視しており、
山頂所有権問題、山小屋トイレ問題、マイカー規制問題、世界遺
産登録問題等、過去から現在に至るまでの折々で双方の思惑の相
違が表面化している。富士山と観光富士登山富士登山には登山の
知識や経験、装備が不可欠である。一般的には、毎年7月1日の
山開きから9月上旬の山じまいまでの期間、登山が可能である。
期間外は、万全な準備をしない者の登山は原則禁止されている。
とくに積雪期・残雪期の登山は自殺行為である。詳細は「富士登
山」を参照その他の観光その優美な姿から、富士山が見える場所
は著名な観光地となっていることが多い。箱根−箱根は富士山が
望めるうえに、東京から近く温泉や歴史・美術館や各種の乗り物
が楽しめることもあり、年間を通じて内外の観光客が絶えない。
また、夏は避暑地としても有名である。富士五湖−富士五湖は富
士山周辺の観光地として著名であり、本栖湖の逆さ富士が日本銀
行券に採用されている。白糸の滝−白糸の滝は上流に川は存在せ
ず、富士山の雪解け水が溶岩断層から湧き出す非常に珍しい形成
をしている滝である。また、音止めの滝と共に日本の滝百選に指
定されている。朝霧高原−朝霧高原は富士山を綺麗に臨むスポッ
トとして著名であり、その自然と広大な土地もあり過去に第13
回世界ジャンボリーも開催されている。ダイヤモンド富士−ダイ
ヤモンド富士などがはっきりと拝める田貫湖や山中湖といったス
ポットも有名で、特に写真撮影を目的として訪れる観光客もいる
。ドライブ−富士スバルラインや富士山スカイラインなどを利用
して、5合目までマイカーで上がることができる。シーズン中は
マイカー規制の期間があり、冬期は閉鎖される。富士山の日(2
月23日)2月23日を「2:ふ・2:じ・3:さん」と語呂合
わせで読み「富士山の日」として制定している自治体がある。2
001年(平成13年)山梨県富士河口湖町(当時は河口湖町)
にて条例を制定。2002年(平成14年)山梨県富士吉田市を
中心に、山梨県の富士山麓10市町村、2恩賜林組合が了承。2
009年(平成21年)12月21日静岡県議会にて条例を全会
一致で可決。同年12月25日条例を制定。静岡県、山梨県どち
らも、富士山は普段の生活に溶け込み過ぎており、「あって当た
り前」の空気のような存在である。そのため「富士山の日」に、
各自治体や県内企業などがさまざまなイベント等を催し、参加す
る事など通じて、身近すぎる富士山を改めて、日本のシンボルと
しても名高い名峰として再認識する機会としている。また併せて
富士山の世界遺産登録に向けた動きを地元から活発化したいとの
期待も込められている。静岡県教育委員会で、各市町村に対して
2011年(平成23年)より「富士山の日」を学校休業日とす
るよう要望した。休業日として組み込んだ自治体があるなか、麓
である富士市教育委員会では「特定日を学校休業日とすることは
なじまない」という理由で、2011年以降休業日としていない
。ただし富士山の日の意義から、学校で学べる場の提供や、富士
山こどもの国の無料開放、図書館や博物館などの社会教育施設に
も富士山の日にちなんだ事業実施を要請している。なお、富士山
の日を最初に宣言したのは、パソコン通信「NIFTY−Ser
ve」内の「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」で
、1996年1月1日にネット上で発表した。富士山ナンバー静
岡運輸支局管内の4市2町と山梨運輸支局管内の1市2町4村を
対象とした、いわゆるご当地ナンバーとして2008年11月4
日から富士山ナンバーの交付が開始された。管轄支局が二県にま
たがるナンバープレートは珍しい。富士山検定「富士山検定実行
委員会」が主催する富士山検定が、富士商工会議所、富士吉田商
工会議所、静岡新聞社・静岡放送、山梨日日新聞社・山梨放送、
NPO法人富士山検定協会の5者により行われている。地域間交
流富士山頂の湧水を琵琶湖へ、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ交流
が昭和三十二年以降静岡県富士宮市と滋賀県近江八幡市の間で続
けられている。これは「近江の土を掘り富士山を作りその穴が琵
琶湖になった」という伝説からである。富士山頂の湧水を琵琶湖
へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を富士山頂へ注ぐ
ことを「お水取り」という。2014年には日本富士山協会と中
華民国山岳協会との間で、富士山と玉山の友好山提携が締結され
ている。標高3,952メートルの玉山は台湾の日本統治時代に
新高山と呼ばれ、日本の最高峰であった。その他他山の標高玉山
(台湾)−日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった
。標高3,952メートル。雪山(台湾)−日本統治時代は次高
山と呼ばれ、日本で2番目に高い山であった。標高3,886メ
ートル。北岳−日本で2番目に高い山。標高3,193メートル
。日和山(仙台市)−日本で最も低い山。標高3メートル。エベ
レスト−世界最高峰。標高8,844メートル。文字この節には
、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Uni
code6.0の絵文字)が含まれています。和文通話表で、「
ふ」を送る際に「富士山のフ」という。文字コードのUnico
de6.0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追加され
たが、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含まれて
いる。続けられている。これは「近江の土を掘り富士山を作りそ
の穴が琵琶湖になった」という伝説からである。富士山頂の湧水
を琵琶湖へ注ぐことを「お水返し」といい、琵琶湖の水を富士山
頂へ注ぐことを「お水取り」という[82][83]。2014
年には日本富士山協会と中華民国山岳協会との間で、富士山と玉
山の友好山提携が締結されている[84]。標高3,952メー
トルの玉山は台湾の日本統治時代に新高山と呼ばれ、日本の最高
峰であった。その他[編集]他山の標高[編集]玉山(台湾)−
日本統治時代は新高山と呼ばれ、日本最高峰であった。標高3,
952メートル。雪山(台湾)−日本統治時代は次高山と呼ばれ
、日本で2番目に高い山であった。標高3,886メートル。北
岳−日本で2番目に高い山。標高3,193メートル。日和山(
仙台市)−日本で最も低い山。標高3メートル。エベレスト−世
界最高峰。標高8,844メートル。文字[編集]この節には、
一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Unic
ode6.0の絵文字)が含まれています(詳細)。和文通話表
で、「ふ」を送る際に「富士山のフ」という。文字コードのUn
icode6.0では、携帯電話などで使われていた絵文字も追
加されたが、その中に「MOUNTFUJI」として富士山も含
まれている。富士山世界文化遺産平成22年度第1回静岡県学術
日本政府が世界遺産一覧表への記載を推薦する「富士山」は、東
アジアの東端に当たる日本列島の本州島の中央部、日本の東海地
方の東部及び関東地方の西部に位置する。推薦する資産は17個
の構成資産(26個の構成要素(後述))から成り、現行の行政
区分に基づく各構成資産の所在地については以下に記すとおりで
ある。構成資産所在地No.所在地座標計測位置緯度経度A静岡
県(富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町)山梨県(富
士吉田市・身延町・鳴沢村・富士河口湖町)県境未確定地富士山
(山頂剣ヶ峰)資産範囲及び緩衝地帯の範囲図資産と緩衝地帯の
位置及び範囲を示す図面、並びに資産近傍における法的保護区分
を示す図面は以下のとおりである。f)資産面積及び緩衝地帯の
面積各構成資産の面積及びその緩衝地帯の面積、資産の総面積及
びその緩衝地帯の総面積については、以下に記すとおりである。
構成資産面積:緩衝地帯面積:合計:No.構成資産の面積(h
a)緩衝地帯の面積(ha)合計説明a)資産の説明1)資産全
体の説明富士山は、標高3776mと日本一の高さを誇る独立峰
である。高度を増すごとに山腹の傾斜が急になる美しい懸垂曲線
を呈し、類まれな優美さを持つ円錐形の山容を有した玄武岩質成
層火山である。その山体は南の駿河湾の海浜にまで及び、海面か
らの実質的な高さは世界的にも有数である。富士山は、日本列島
のほぼ中央に位置し、フィリピン海プレート、ユーラシアプレー
ト、北アメリカプレートの三つのプレートが会合し、さらにその
下に東側から巨大な太平洋プレートが沈み込んでいる特異な地点
に存在する。富士山は、新生代第三紀中新世のおもに海底火山噴
出物からなる地層の上に第四紀更新世に造り上げられた先小御岳
火山とそれに重なる小御岳火山を土台として、古富士、さらにそ
れを覆う新富士山の4層構造で構成されている。山頂部の火口は
およそ2200年前を最後に噴火していないが、フィリピン海プ
レートが北進しユーラシアプレートを南南東方向から押し続けて
いるため割れ目が発生することによって、山頂を通って北北西に
向かう方向にほぼ直線的に側火山が並び、有史以降も火山活動を
行ってきた。富士山が過去に流出した溶岩などの火山噴出物は、
適度な粘度を持つために美しいコニーデ型の山容を形成しながら
、山頂を中心として約15〜20km(最大約30km)の範囲
に広がった。山麓には数多くの風穴・溶岩樹型等の地形が見られ
、溶岩流の末端部では富士山の中腹以上への降水を起源とする豊
富な湧水(日量約450〜680万t、現在最大の湧水は日量約
100万tの柿田川)が見られる。富士山北麓ではこれらの湧水
や降水を起源とする湖沼が点在している。上記のような自然的環
境を持つ富士山は、古来自然物、特に山岳に対する信仰の伝統を
持っていた日本人に畏敬の念を抱かせ、日本における様々な宗教
の融合した信仰の対象とされた。遥拝や山中での修行のみならず
、神仏の在所と考えられた山頂への登山という宗教行為が一般化
するとともに、山体及び山麓周辺に神社などの宗教施設や風穴・
湧水といった自然物・自然現象を起源とする霊地・巡礼地が設け
られ、登山のための道や施設及びそれを支援する包括的なシステ
ムが作られた。標高約2500m付近の森林限界より上方は富士
講(富士山信仰の集団の一つ)信者には「焼山」と呼ばれ、神聖
な地域ないし他界(死後世界)と考えられていた。北麓地域では
さらに、山体を上方から順に「焼山」(森林限界以上)、「木山
」(森林地帯)、「草山」(草原地帯)と呼び習わし、俗界(「
草山」)と死の世界(「焼山」)を往復することでこの世の罪と
穢れを消すという富士登拝の区分と関連付けていた。森林地帯は
神聖な地域の入口の一つとされる一方で木材の伐採等生活のため
に利用される地域でもあった。また、富士山山麓に見られる湧水
は登山前に身を清めるために必須のものであり、現代においても
柿田川をはじめ各所で「霊水」として取り扱われている。また、
富士山の稜線、冬季に一般的に見られる雪を戴いた姿、周辺の湖
や海岸線などの展望地から眺めた景観などが時代を超えて多くの
人々に神秘的な美しさとして賞賛され、芸術的な創造意欲を掻き
立てた。富士山体のうち、標高約1500m以上の範囲は、周辺
の浅間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸
術・鑑賞の側面における比重が最も高い。各登山道における山体
の神聖性に関する境界の一つである「馬返」(乗馬登山が物理的
にも、宗教的観点からも不可能になる地点)の標高以上の範囲と
ほぼ一致している。地元住民が、とりわけこの「馬返」より上を
指して「オヤマ」又は「オヤマサマ」と呼び、富士山の範囲とみ
なす地域もあった。景観的には山体の傾斜角の変化率が大きくな
り「平野部」と「山体」の境界として認識され、稜線が優美な曲
線を描き絵画などの対象とされることが多い範囲である。2)資
産の構成推薦資産は、日本列島のほぼ中央に位置する富士山体と
、周辺の浅間神社や御師住宅、霊地・巡礼地である風穴・溶岩樹
型・湖沼、芸術作品の視点場(又は舞台)となった地点から構成
される。富士山体の中には山頂信仰遺跡や登山道などの重要な要
素が含まれている。これらの構成資産が一体となった推薦資産「
富士山」は、山に対する固有の文化的伝統を表す物証であり、山
と人間との精神的な関係を生み出した景観の見本であるとともに
、芸術的作品との関連がある山岳である。表構成資産/構成要素
の分類No.世界遺産条約上の分類遺跡A1山頂信仰遺跡遺跡A
2大宮・村山口登山道遺跡A3須山口登山道遺跡A4須走口登山
道遺跡A5吉田口登山道遺跡A6北口本宮冨士浅間神社遺跡、記
念工作物、建造物A7西湖遺跡A8精進湖遺跡A9本栖湖遺跡B
1遺跡、記念工作物、建造物B2遺跡B3遺跡B4遺跡B5遺跡
B6遺跡B7遺跡、記念工作物、建造物B8建造物B9遺跡B1
0遺跡B11遺跡B12遺跡B13遺跡B14遺跡B15遺跡C
遺跡A富士山(富士山体)富士山本宮浅間大社山宮浅間神社河口
湖村山浅間神社須山浅間神社富士浅間神社(須走浅間神社)河口
浅間神社白糸ノ滝三保松原構成資産/構成要素忍野八海船津胎内
樹型吉田胎内樹型人穴富士講遺跡冨士御室浅間神社御師住宅山中
湖673)構成資産の説明富士山(富士山体)・展望地点富士山
には、山頂部に点在する宗教関連施設を始め、信仰登山の支援施
設として機能してきた登山道や山小屋といった宿泊施設、信仰の
証として建てられた石碑などが存在する。推薦範囲は、周辺の浅
間神社や展望地点から見た可視領域が重なり合う範囲で、芸術・
鑑賞の側面における比重が最も高い。特に本栖湖や三保松原は、
何度も紙幣の図柄に採用された写真の撮影地や富士山を描く典型
的な構図に含まれる景勝地であり、主要な展望を供する展望地点
である。また推薦範囲は、山体の神聖性の境界の一つである「馬
返」以上に該当する標高1500m以上の区域でもあり、その中
でも、他界(死後世界)と考えられた森林限界より上方、富士山
本宮浅間大社の境内地とされた八合目(登山道を10区間に分割
した目安の一つ。登山道ごとに異なり標高約3200〜3375
m)以上と、山頂に近づくほどより強い神聖性を持つと認識され
てきた。A富士山(富士山体)A1山頂信仰遺跡A9本栖湖C三
保松原(写真複数、地図挿入)(改頁)登山道富士山には、麓の
浅間神社を起点として山頂に至る登山道が、複数存在する。12
世紀前半から中ごろにかけての修行僧末代の活動がきっかけにな
ったと考えられる大宮・村山口登山道や、六合目から1384年
の銘のある掛仏が出土した須走口登山道などがある。吉田口登山
道は、富士講信者の登山本道とされ、18世紀後半以降、最も多
くの道者(他の登山口の合計と同程度)によって利用された。ま
た、1200年の資料では、大宮・村山口及び吉田口の外、須山
口登山道を挙げて、それ以外には登山道がないと述べられている
。登山道沿いには要所要所に祠や石碑が設置され、随所に小屋や
石室が設けられており、富士独特の登拝システムを語る上で、登
山道は欠かすことのできない構成要素である。A2大宮・村山口
登山道A3須山口登山道A4須走口登山道A5吉田口登山道(写
真複数、地図挿入)(改頁)浅間神社・御師住宅登山道の起点や
周辺地域には浅間神社が建造された。古くから富士山は遥拝の対
象であり、山宮浅間神社などは古代からの祭祀の形をとどめてい
る。噴火活動の活発化を受け、律令国家によって9世紀前半に富
士山を神体とする浅間神社(後の富士山本宮浅間大社)が、9世
紀後半には北麓にも噴火を鎮めるための神社が祭祀された。11
世紀後半の噴火を最後に火山活動が休止期に入ると、富士山を舞
台とする修験の活動が活発化し始め、修験者の拠点が後に村山浅
間神社や冨士御室浅間神社へと発展していった。登拝の大衆化に
伴って、須山浅間神社や富士浅間神社(須走浅間神社)8など、
登山口の起点にも浅間神社が建立されるようになる。なかでも、
北口本宮冨士浅間神社は、江戸を中心に流行した富士講によって
大いに利用された吉田口登山道の起点であったが、その北には
富士講徒の案内し、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅が今も
残されている。B1富士山本宮浅間大社B2山宮浅間神社B3村
山浅間神社B4須山浅間神社B5富士浅間神社(須走浅間神社)
A6北口本宮冨士浅間神社B8御師住宅B6河口浅間神社B7冨
士御室浅間神社(写真複数、地図挿入)(改頁)霊地・巡礼地と
が、この理由は八合目の標高とほぼ一致する噴火口(「内院」と
呼び宗教的に意義付けられている)の底部に浅間大神が鎮座する
との信仰に基づく。標高約2500m付近の森林限界より上方は
富士講信者(富士山信仰の集団の一つ)には「焼山」と呼ばれ、
神聖な地域ないし他界(死後世界)と考えられていた。ほぼこの
境域に沿い、富士山体を一周する「御中道」が15〜16世紀ご
ろに富士講の祖とされる長谷川角行によって開かれたとされ(1
561年及び1580年とされる)、その後「大沢崩れ」という
危険箇所を通るため富士講信者により修行の道として利用された
。構成資産範囲内には、山頂信仰遺跡や登山道といった、富士山
の顕著な普遍的価値を語る上で重要な役割を担う、次のような構
成要素が存在する。A1.山頂信仰遺跡富士山山頂部には、火口
壁に沿っていくつかの神社など、宗教関連施設が所在する。富士
山への信仰登山が開始されると、修験道の影響を受け山頂部にお
いて寺院の造営や仏像等の奉納がおこなわれるとともに、山頂部
での宗教行為が体系化されていった。道者は山頂周辺において「
御来迎(仏の来迎と見なされたブロッケン現象)」(のち「御来
光(日の出)」)を拝み、内院(噴火口)に鎮座するとされる神
仏(大日如来が本地仏とされた浅間大神ないし浅間大菩薩)を拝
し、火口壁にいくつかあるピークを仏教の曼荼羅における仏の世
界に擬して巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」と呼ばれる行
為を行なうことが一般的であった。山頂の宗教的施設は、12世
紀中ごろ修行僧末代により建立された施設(後の大日堂)が最初
とされ、その後、経典(12世紀末〜13世紀前半と推定される
ものが最古)・懸仏(1482年の銘のあるものが最古)・仏像
等(1302年の銘があるものが最古)の山頂部への奉納・埋納
や内院への散銭が行われた。また、遅くとも17世紀には、大宮
・村山口山頂部に大日堂(現在は富士山本宮奥宮が所在)が、吉
田・須走口山頂部に薬師堂(現在の久須志神社)が造営された。
1874年、山頂の仏教的施設及び仏像は廃仏毀釈の影響によっ
て撤去され、ピークの名称も変更され、寺院は神社に改変された
。しかし、山頂部に対する信仰自体は変化することなく、上記の
行為は現代の登山者の多くが行っており、これらを通じて富士信
仰の核心が現代に受け継がれている。A2.大宮・村山口登山道
富士山南西麓の浅間大社を起点とし、村山浅間神社を経て山頂南
側に至る登山道である。12世紀前半から中ごろの、修行僧末代
の活動により、富士山南麓における登山が本格的に開始されたと
され、14世紀初めには修験者による組織的登山が始まったとさ
れる。15世紀以降19世紀後半まで、「村山三坊」と呼ばれた
3軒の有力宿坊が村山浅間神社(興法寺)と登山道の管理を行う
とともに所属の修験者が登山道等を利用して修行を行った。また
、一般人の信仰登山(以下これを行う者を「道者」と言う。)も
開始され、その様子は16世紀の作とされる「絹本著色富士曼荼
羅図」に描かれている。道者の数は18世紀後半から19世紀初
頭の宿坊(大鏡坊のみ)の記録より、御縁年で2,000人前後
、平年で数百名程度と推測できる。また1860年、初の外国人
登山を行った英国公使オールコックがこの登山道を利用した。1
01889年、鉄道(東海道線)の開通による御殿場口利用者の
増加により衰退し、これへの対策として1906年、村山を経由
しない新道が建設されたため、大宮から現在の六合目(標高26
00m)までは登山道としての機能を失った。この区間は一部除
き登山道跡の推定は困難な状態である。現在は1970年に標高
2400m地点まで開通した自動車道を利用しての登山が行われ
ている。(推薦範囲は六合目以上である。)A3.須山口登山道
富士山南東麓、須山浅間神社を起点とし、山頂南東部に至る登山
道である。その起源は明確ではないが、文字資料の中で1486
年にその存在が確認できる。登山道および山頂部銀明水は須山浅
間神社及びその所在地の須山村(現裾野市須山)により管理され
ていた。また、登山道のいくつかの宗教施設は村山の修験者の行
場(参拝所)としても使用された。道者については詳しい研究が
進んでいないが、1800年(御縁年:富士山出現伝説に由来す
る60年に1回の記念の年)に約5,400人、1840年代前
半は年平均約1,700人、1860年(御縁年)は約3,60
0人であった。1883年、須山口二合八勺(標高2050m)
に接続する御殿場口登山道が開削され、1889年、東海道本線
開通による御殿場口利便性の向上は須山口よりの道者を奪い、さ
らに1912年、一部が陸軍演習場となり使用不可能となったた
め、須山口からの登拝(登山)は衰退し現在に至っている。二合
八勺以下の登山道で当時の道が確認できる部分は一部のみである
。(資産範囲は現在「御殿場口」の名称で使用されている二合八
勺以上の部分及び遊歩道として整備された旧須山口の一部である
)A4.須走口登山道富士山東麓の冨士浅間神社を起点とし、八
合目で吉田口登山道と合流し山頂東部に至る登山道である。その
起源は明確ではないが、六合目からは1384年の銘のある掛仏
が出土しており、文字資料では1500年にその存在を確認でき
る。登山道は遅くとも17世紀までに、冨士浅間神社及びその所
在地の須走村が登山道の山頂部までを支配し、散銭取得権の一部
などを得ていた。山頂部の権利については富士山本宮浅間大社と
争いになり、須走村は18世紀(1703年と1772年)、幕
府に裁定を求め、権利は幕府によって認められた。1707年の
宝永噴火の際、これらの施設及び冨士浅間神社、須走村は噴砂に
覆われ壊滅したが、江戸幕府の支援を受け翌年には復興を完了し
、多くの道者を集めた。18世紀後半、他の霊場とセットにされ
た参詣の流行で道者数は年平均約1万人、1800年の御縁年に
23,700人とピークを迎えた。1959年、バス道路の完成
により、新五合目(標高約2000m)以下の登山道の利用はほ
とんどなくなり、一部道としての確認ができない区間がある。(
推薦範囲は現在も利用されている新五合目以上である。)A5.
吉田口登山道北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂東部を
目指す道である。15世紀には、富士山への登拝が、修験者だけ
でなく、ごく一般の人々の間にも広まっていた。吉田口は14世
紀後半には参詣の道者のための宿坊もでき始め、大勢の人々が登
るための設備が整うようになった。16世紀から17世紀、長谷
川角行が吉田口を利用して修行を行い、18世紀前半には富士講
隆盛の礎を築いた食行身禄は、入定(宗教的自殺)にあたって信
者の登山本道をこの吉田口と定めた。このため、富士講の信者が
次第に増加した18世紀後半以降は、最も多くの道者(他の登山
口の合計と同程度)が吉田口登山道を登って山頂を目指している
。しかも、古道としては唯一徒歩で麓から頂上まで登れる重要な
道である。(推薦範囲は登山道全体である。)11法的保護、修
理・整備の経緯1924年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名
勝に仮指定された。1936年に国立公園法の下に(富士箱根)
国立公園に指定された。1952年に文化財保護法の下に名勝、
ついで特別名勝に指定された。1969年に国が大沢崩れに対す
る砂防事業に着手(継続中)。1996年に国・県が台風による
森林の風倒被害に対する対策に着手(継続中)。文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。A6
.北口本宮冨士浅間神社説明富士山の遥拝所に祀られていた浅間
明神(富士山の荒ぶる神)を起源とし、1480年には「富士山
」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整って
いたとされる。その後、1561年に現在の東宮本殿、1594
年に西宮本殿、1615年には本殿が建立された。富士講とのつ
ながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清の
寄進によって境内の建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境
内の景観の礎が形成された。本殿は、一間社入母屋造・檜皮葺の
本殿に唐破風付向背をつけた形式で、正面と側面に挿肘木の腰組
をもって支える擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらしている。東宮本
殿・西宮本殿はともに桧皮葺・一間社流造である。3本殿とも、
各部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して、それぞ
れの時代の装飾的特色がよく表されている。北口本宮冨士浅間神
社の支配権は外川家、小佐野家などの吉田の御師に所属しており
、神社の管理も御師団の中から選ばれた者に委ねられていた。社
殿の背後には登山門があり、この神社を起点として富士山頂まで
吉田口登山道が伸びている。富士講や吉田御師と密接な関係を持
ちながら発展した神社である。法的保護、修理・整備の経緯19
07年に東宮本殿が古社寺保存法の下に特別保護建造物に指定さ
れた。1929年の国宝保存法制定に伴い、本殿は国宝とされた
。1950年の文化財保護法制定に伴い、東宮本殿は重要文化財
とされた。1953年に本殿及び西宮本殿が文化財保護法の下に
重要文化財に指定された。1952年に東宮本殿の解体修理工事
が行われた。1962〜63年に西宮本殿の解体修理工事が行わ
れた。1973〜74年に本殿、西宮本殿及び幣殿の部分修理工
事が行われた。1981〜82年に東宮本殿の部分修理工事が行
われた。1997年に本殿の部分修理工事が行われた。文化財保
護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定
。A7.西湖A8.精進湖A9.本栖湖説明富士山の火山活動に
よって形成された堰止湖である。富士山周辺の湖を巡って修行す
る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、長谷川角行
の水行からいつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられたの
が、後述の山中湖及び河口湖とこの3湖である。また、景勝の地
でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。12特に本栖湖は、
日本の紙幣の図柄として何度も使用された写真の撮影地点であり
、重要な展望地点(viewpoint)である。富士山は、プ
ロ・アマ問わず多くの写真家に愛され、撮影されてきた。なかで
も、生涯にわたり富士山を追い続けた岡田紅陽によって、193
5年に本栖湖北西岸の峠道から撮影された「湖畔の春」という写
真は有名である。この写真は、1984年に採用された五千円札
及び2004年に採用された千円札の図柄として使用された。山
体の裾野が湖まで広がり一体の景観を構成している本栖湖からの
展望は、「湖畔の春」に撮影された富士山とほぼ同じ姿のまま現
在も残している。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下
に名勝として指定される予定。B1.富士山本宮浅間大社説明社
記によれば806年に、富士山により近い遥拝所であった山宮浅
間神社から現在の地に移転されたことを起源とする神社で、古く
から富士山南麓地域の中心的神社であった。現在全国に約130
0社ある浅間神社の総本宮であり、広く信仰されている。創建当
初は遥拝のための施設であったが、15世紀ごろ登拝が盛んにな
るにつれて、富士山本宮浅間大社は村山浅間神社(興法寺)とと
もに大宮・村山口登山道の基点となり、宿坊が周辺に建設された
。登拝の拡大に伴い、富士山中での諸権利が構築されていく中で
、浅間大社は徳川家康(約150年間の戦乱期をおさめ統一政権
である江戸幕府を開いた人物)の庇護の下、1604年現在の「
浅間造り」と呼ばれる独特な構造を持った社殿が造営されるとと
もに、1609年山頂部の散銭取得における優先権を得た。これ
を基に浅間大社は山頂部の管理・支配を行うようになり、177
9年、幕府による裁判によりこの八合目以上の支配権が認められ
た。明治政府によりここは国有地とされたが、1974年の最高
裁判決に基づき、2004年浅間大社に譲渡(返還)された。浅
間大社境内には富士山の湧水を起源とする湧玉池がある。浅間大
社は、富士山の噴火を湧水によって鎮める考えや、富士山を聖な
る水源の山として崇める考え方から、豊富な湧水量(日平均14
万?)を持つ湧玉池のほとりに置かれたとする説が有力である。
なお湧玉池は、浅間大社内に所在する富士山の湧水を起源とする
池である。16世紀前後、湧玉池は浅間大社により道者が身を清
める場と位置づけられたとされ、同時期の絵図や旅行記でその様
子が確認できる。この水垢離は1920〜30年代まで行われた
。現在でも湧水を聖なる水として利用する人が多くいる。法的保
護、修理・整備の経緯1907年に本殿が古社寺保存法の下に特
別保護建造物に指定された。1923〜26年に本殿・拝殿・楼
門等の補修が行われた。1929年の国宝保存法制定に伴い、本
殿は国宝とされた。1933〜34年に楼門の修理を行った。1
936年に袖廊・廻廊を附した。1950年の文化財保護法制定
に伴い、本殿は重要文化財とされた。1951〜52年、197
0年、1988年に本殿の屋根の修理等が行われた。1969〜
70年に本殿の屋根の修理等が行われた。1987〜88年に本
殿の屋根の修理等が行われた(部分補修)。2005年に本殿の
屋根の修理等が行われた。13文化財保護法の下に他の文化財と
ともに史跡富士山として指定される予定。B2.山宮浅間神社説
明富士山本宮浅間大社の社伝によれば、浅間大社の前身とされ、
拝殿・本殿等が位置すべき場所に石列でいくつかに区分された遥
拝所が設置されるのみという特異な形態は古代からの富士山祭祀
の形を止めていると推定されている。この遥拝所の主軸は富士山
方向を向いている。具体的な創建年代は不詳だが、発掘調査では
神事に使用されたと推定される12〜15世紀の土器が出土し、
文献上では1551年にその存在が確認できる。また、遅くとも
1577年までには浅間大社との間で「山宮御神幸」といわれる
儀式が開始された。これは4月と11月に神の宿った鉾を持ち、
浅間大社と山宮浅間神社を往復する行事である。現時点では神が
4月に旧跡に戻るという解釈と、山にいる神が4月に田の神とし
て里へ降りるという解釈がある。この行事は1874年まで行わ
れていた。なお、「山宮御神幸」に使用される経路を御神幸道と
いう。道には1691年に置かれた距離を示す石碑が少なくとも
四箇所残っているが、正確な道筋は現在確認されていない。法的
保護、修理・整備の経緯1985年に富士宮市の史跡に指定され
る。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指
定される予定。B3.村山浅間神社説明12世紀前半から中ごろ
の修行僧末代の活動が創建の起源とされており、1868年の神
仏分離令までは神仏習合の宗教施設として興法寺(富士山興法寺
または村山興法寺)と呼ばれていた(資産範囲には浅間神社と寺
院である大日堂が含まれる)。富士山における修験道の中心地で
あり、14世紀初めには、その活動が組織化された。15〜16
世紀には一般の道者の登拝も増加し、その様子が16世紀の制作
とされる「絹本著色富士曼荼羅図」に描かれている。1868年
、神仏分離令により浅間神社と大日堂は分離され、1906年の
登山道の変化にも伴い両者とも衰微した。ただし、修験者の活動
は1940年代まで継続された。また、村山の修験者の影響を受
けた地域では現在でもその宗教行事が継続されている。法的保護
、修理・整備の経緯2001年から2003年にかけて富士宮市
教育委員会により発掘を含む調査が行われた。文化財保護法の下
に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B4.
須山浅間神社説明須山口登山道の起点として遅くとも1524年
には存在していた神社である。1707年、宝永噴火により社殿
は登山道も含め大きな被害を受け、現在の社殿は1823年に再
建されたものである。神社は村山浅間神社(興法寺)の修験者と
も関わりを持ち、1940年頃まで境内で修行の一環としての祈
祷が行われていた。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の
下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。14
B5.富士浅間神社(須走浅間神社)説明社伝では807年に社
殿を造営したとされ、須走口登山道の起点となった神社である。
16世紀には地元支配者(武田氏)の保護を受け、山頂部の散銭
取得権の一部を得ている。社殿は1707年の宝永噴火で崩壊し
1718年に再建された。この後もこの際の部材を使用し、20
09年の修理も含め何回かの修理がおこなわれている。神社には
富士講道者が多く立ち寄り、20世紀前半を中心に登拝回数の達
成(33回がひとつの区切り)等の記念碑を約80基造営した。
法的保護、修理・整備の経緯2006年に社殿が小山町の有形文
化財となる。2009年に本殿・参道の修理が行われた。文化財
保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予
定。B6.河口浅間神社説明古くから富士山に関わる祭祀は南麓
の浅間神社が執り行っていたが、864〜866年に北麓で起こ
った噴火を契機に、北麓にも浅間神社が建てられることとなった
。それが、富士山を望む河口湖の北岸にあり、溶岩の届かなかっ
た河口浅間神社である可能性が高い。浅間神社を中心とした河口
の地は、甲府盆地から続く官道の宿駅という役割に加え、富士登
拝が大衆化した中世後半から御師集落として発展を遂げた。しか
し、江戸における富士講の大流行と、それに伴う吉田御師の隆盛
により、河口の御師集落としての機能は、19世紀以降衰退して
しまった。ただし、河口浅間神社は、現在も富士山と密接に結び
ついた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富士山信
仰を語る上で欠かすことのできない資産である。法的保護、修理
・整備の経緯文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山
として指定される予定。B7.冨士御室浅間神社説明冨士御室浅
間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえた
のが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文
献もある。富士修験の信仰拠点は南西の村山であるが、北面の二
合目、御室浅間神社が鎮座する御室の地にも山内の信仰拠点とし
て役行者堂が整備されたようである。山中という厳しい条件の下
に所在するためたびたび破損し、1189、1275、1475
、1525年と加修され、1564には地元領主による大修理が
行われている。現在の本殿は1612年建立と認められ、その後
も1698年、1867年に修復が行われていた。1973−7
4年には里宮の地にそのままの形で移設された。里宮は、二合目
の本宮(もとみや)が冬季の参拝に苦渋するために河口湖畔に建
てられたとされる。修験や登拝といった様々な富士信仰の拠点と
して位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮
が一体となって機能してきた神社である。法的保護、修理・整備
の経緯1973〜74年に吉田口登山道二合目にあった本殿が里
宮の地に移築された。151985年に移築された二合目本殿が
文化財保護法の下に重要文化財に指定された。文化財保護法の下
に他の文化財とともに史跡富士山として指定される予定。B8.
御師住宅説明御師は、道者に宿や食事を始め登拝のための一切の
世話をするとともに、登拝の指導や祈祷を行うことを業とした。
富士山御師として代表的なのは、吉田口登山道の起点である北口
本宮冨士浅間神社の北西に、北東方向の傾斜面に沿って大規模な
集落を形成した吉田の御師である。御師屋敷の多くは短冊状をな
し、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に
住宅兼宿坊の建物が建っている。玄関から奥へ客室が続き、最奥
部には神殿が設けられている。1768年に建てられ最古の部類
に数えられる旧外川家住宅や、格式的な構えが確立した頃に建て
られ富士講最盛期の御師住宅の典型例とされる小佐野家住宅が代
表的である。1861年に新築された小佐野家住宅同様、富士講
の流行に伴い増加する宿泊者に対応するため、旧外川家住宅では
1860年代に離座敷が増築された。法的保護、修理・整備の経
緯1976年に小佐野家住宅が文化財保護法の下に重要文化財に
指定された。1979年に小佐野家住宅の屋根の修理等が行われ
た。1996〜98年に小佐野家住宅の腐敗修理等が行われた。
旧外川家住宅が文化財保護法の下に重要文化財に指定される予定
。B9.山中湖B10.河口湖説明富士山の火山活動によって形
成された堰止湖である。富士山周辺の湖を巡って修行する内八海
巡りが多くの富士講徒によって行われたが、長谷川角行の水行か
らいつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられたのが前述の
3つの湖とこの山中湖及び河口湖である。この巡礼行為について
、具体的に湖沼のどこで修行や巡礼が執り行われたか、またどの
ルートを辿って各湖を巡ったかは、定まっていなかった(少なく
とも、明らかになっていない)ものの、人々の信仰心を駆り立て
た湖沼の水そのものを核心として、周辺地域も含めた範囲が文化
財とされている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆ
かりが深い。法的保護、修理・整備の経緯文化財保護法の下に名
勝として指定される予定。B11.忍野八海説明富士山の伏流水
による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る富士信仰に関
わる巡拝地であった。富士登山を目指す行者たちはこの水で穢れ
を祓った。長谷川角行が行った富士八海修行になぞらえ「富士御
手洗(みてらし)元八湖」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、
1843年に富士講道者によって再興されたとされる。法的保護
、修理・整備の経緯1934年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に天然紀念物に指定された。16B12.船津胎内樹型説明16
17年長谷川角行が富士登拝の際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指
定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を
発見し、浅間明神を祀った。1673年には富士講道者によって
現船津胎内樹型が発見され、浅間明神が遷宮された。富士登拝の
際に、樹型に入って身を清める風習があり、洞穴内外の地形空間
に宗教的な意義付けが行われるとともに、奥には富士講にとって
の富士山の祭神である木花開耶姫などが祀られている。法的保護
、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下
に天然紀念物に指定された。B13.吉田胎内樹型説明1892
年に富士道者によって整備された「お胎内」である。富士講講徒
は、昼までに御師の家に着き、夕方まで胎内巡りをし、翌朝富士
山に登山した。本穴については、古くから冨士山北口御師団が管
理している。法的保護、修理・整備の経緯1929年に史蹟名勝
天然紀念物保存法の下に天然紀念物に指定された。B14.人穴
富士講遺跡説明富士講の開祖長谷川(藤原)角行が修行したとさ
れる溶岩洞窟の人穴と富士講信者による約230基の碑塔群が残
る遺跡である。「吾妻鏡」では人穴探検の様子が描かれ、「浅間
大菩薩の御在所」とみられていたとされている。この内容は遅く
とも1603年までに、浅間大菩薩の霊験譚として説話化され、
その存在が広く知られていた。富士講関連の文書によれば人穴は
16世紀から17世紀にかけ、長谷川角行が修行により浅間大菩
薩(富士講では仙元大日神とする)の啓示を得た場であり、入滅
した場だとしている。また、角行は人穴を「浄土(浄土門)」と
述べ、これらの結果人穴には熱心な富士講信者が参詣し、修行を
行う者も見られた。また、信者は人穴への分骨埋葬などを望み、
墓碑、供養碑、記念碑などを建立した。1942年付近が軍用地
となり、人穴の浅間神社や周辺の住民は一時移転した。1954
年神社は現在地に復興されたが、冨士講自体が衰退したことで参
詣者はみられるものの1964年以降碑塔の建設は行われていな
い。法的保護、修理・整備の経緯1999年に富士宮市の史跡と
なる。文化財保護法の下に他の文化財とともに史跡富士山として
指定される予定。B15.白糸ノ滝説明富士山の湧水を起源とす
る数百の流れを持つ滝である。滝の名前は湧水(日平均15〜1
6万?)の噴出が数百条の白糸が垂れているように見えることを
その起源とする。17白糸ノ滝は富士講関連の文書によれば長谷
川角行が人穴での修行と合わせて水行を行った地とされ、富士講
を中心とした人々の巡礼・修行の場となった。また、景勝地とし
ても有名であり、和歌・絵画の題材にもなっている。法的保護、
修理・整備の経緯1936年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に
名勝及び天然紀念物に指定された。C.三保松原説明三保松原は
、万葉集以降和歌の題材となり、謡曲「羽衣」の舞台となった。
15〜16世紀以降富士山を描く際の典型的な構図に含まれる景
勝地として数多く描かれ、歌川広重等の作品をはじめ海外にも広
く知られている(又は海外に影響を与えた)芸術作品の視点場、
又は舞台となった場所のひとつである。法的保護、修理・整備の
経緯1922年に史蹟名勝天然紀念物保存法の下に名勝に指定さ
れた。18b)歴史と発展山容の形成富士山の原型は、40〜1
0万年前、周辺の火山とともに活動をはじめ、先小御岳火山が形
成された。その後これを覆うように標高約2500mの小御岳火
山が形成された。さらに約10万年前、そのふもとに古富士火山
が誕生し、爆発的噴火、火山礫・火山灰の噴出、山体崩壊を繰り
返し、小御岳火山をほぼ山体に納める形で3000mを超える火
山に成長した。約1万年前には大量の溶岩を噴出する形で現在の
富士山(新富士火山)が成長を始め、古富士山を覆いつくし、約
5600〜3500年前に現在の規模となった。繰り返された溶
岩の流出によって何層にもわたる溶岩層が形成され、その先端部
には山体への降水を起源とする湧水が各溶岩層の隙間より湧出す
る形で各所に形成された。富士山北麓においてはこれらの湧水や
降水が北側の山地との間の低地にたまり、湖や湿地が形成された
。また、溶岩層の中には数多くの風穴、溶岩樹型が形成された。
山頂からの噴火は2200年前の噴火を最後に起こっていないが
、歴史時代になっても北西〜南東方向に連なる側火山からの噴火
を続け、1200年前から後には少なくとも800〜802年、
864〜866年、937年、999年、1033年、1083
年、1435〜1436年、1511年、1707年の九つの時
期の噴火が確認されている。神々しい山容と「鎮爆」このような