反論など全くないが買い物は楽しいからやめられないな
登ることも買いもので物欲をみたすことも全部ひっくるめて俺の趣味だ
>>1
どの様な装備で登山してるの?
リュックサック使わずに風呂敷だよな 夏山を汗でびちょびちょのズボンを腿にびったりくっけて歩きたい?
パンツまで汗でぐっちょぐちょだよ?
股ズレつくりながら、汗でドロッと重く濡れた綿Tシャツ着てぬるい水飲みながら歩きたい?
俺は嫌だね
江戸時代に車や電車や飛行機はなかったから登山口まで歩きで行くんだよな?アホだろおまえ
1の装備を見てみたい。
まさか現代の登山用具など使っていないよな。
「江戸時代にスマホはなかったから、スマホに金かけてる奴はアホ」だよね、うんうん
箱根の山は 天下の嶮(けん)
函谷關(かんこくかん)も ものならず
萬丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)へ 後方(しりえ)に支ふ
雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き 杉の並木
羊腸の小徑は 苔滑らか
一夫關に當るや(あたるや) 萬夫も開くなし
天下に旅する 剛氣の武士(もののふ)
大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ
八里の岩根(いわね) 踏みならす
かくこそありしか 往時の武士
そんなことより江戸の町人になりきって>>1をコケにする大会でもやろーぜ 金が無い上に満足に登山できない自分を正当化したくなる気持ちはわからんでもないけどね
他者を貶すことでしか自分を慰められないってのは哀しいものだね
剱岳登頂した修験者が無事下山できたかわからんよなあ
江戸時代にポリエステルはなかった。冷蔵庫もガスもなかった。
使ってる奴はアホ?
江戸時代に現代の医学はなかった。歯医者もいなかった。
医者に行く奴はアホ?
江戸時代に通信はなかった。もちろん、こんな掲示板もなかった。
それなのに使ってる>>1はアホ 昔の気候と今の気候じゃ比べられないし誰もが生きて帰れるように性能のいいギアを揃えるのは間違いじゃない、馬鹿馬鹿しくて話にもならんね
江戸どころか安土桃山時代に軍隊率いて越中から三河に縦走したアホがいるからなあ
ゴアテックスもブーツもなしで
>>1
そりゃ昔のが山が整備されていたからタビでゆけた。
今は山道はゴツゴツして登山靴なしじゃ登れない。 >>11
江戸時代の人間は水筒使わないと思ってるのか? 結論:登山装備に金を掛けるのは無駄である
理由;その様な高機能な装備は江戸時代にはなかった
反論も何も、何も立証出来てないよな。思い付きで書かれても…
そういえば江戸時代には車も電車もスマホも無いから言い出しっぺは生活するにも大変だなぁ
自分はありがたく使わせてもらうよw
86 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイWW 11eb-z/W6) 2019/09/23(月) 20:24:41.99 ID:O2Qz66tw0
劔でアルパインブーツは大げさ
戦国時代は全国至るところに砦や城があり、軍用道路も整備されていた。
しかし江戸時代に入ると一国一城令により、城が取り壊され、城と城を結んでいた道が、無くなり草が生い茂りやがて山塊になってしまった。
>>1に誰一人反論出来ず論破されまくりでワロタwwwwwwwwww この>>1って、議論のためにこれ言ってるんだよね?
登るのは修験者だとか政府のお仕事で命がけ登山だとかだけの時代と、誰でも気軽にレジャーで登ってる今の時代を本気で比べて言ってないよね? 昔の人もゴアのウェアがあったら喜んで使ってたんじゃないの
江戸時代のやつはアホだからゴアもブーツも開発できなかったんだよ
装備がなくても余裕で登れるんなら年寄り捨てに行かないだろアホか
現代に来た江戸っ子「ゴアめっちゃ便利やん。ブーツ足痛くならんし最高や」
草鞋は半日で朽ちて無くなるらしいから
装備に金がかからないってのは間違いなんじゃないの
むしろ際限なく金がかかり続ける
柿渋を塗った紙のカッパも基本使い捨てと思われる
>>52
んじゃ、ばあさん背負って雪山登ってみろよ。
アイゼンが無いと登れないとか甘いんだよ >>55
ババアは自力で歩かせて脚折ってかえってくれは楽だろ?バカなのか?すこしは頭つかえカス >>54
昔の常用された雨具は笠と簑、土間や外に干して何度か使われた
和傘はあくまで街で使うもの >>57
雪山登れるくらい体力のあるババアなら労働させろよ。
逆に労働力は無いけれど雪山くらいなら自力で登れるならやっぱり昔の人はババアでも凄かったんだよ。 >>60
ババアに食わせる飯がもったいねえだろポンコツが
ガキは売れるがババアは売れねえんだよこのクズ 昔は行楽の為に登山をする文化がなくて坊さんの修行の一環として登る程度だった
>>61
ガキとババァが邪魔者扱いされたのは労働力にならんからだぞ
ガイの者かよガーイwww >>65
おまえアホだな
ガキは人買いにうれるがババアはどうしようもねえだろ
そもそもババア棄てるような百姓は働いても食えねえような小作に決まってんだろバーカ >>1
ヒント
生存率
登山人口および層
昔はエベレストなんか人間が生存できるか未知の領域だったが、テクノロジーの進歩により今や金持ちで交通渋滞発生中。
ゴアやらなんやらで死ににくくなっただけ。 >>66
そんな貧乏のどん底にいた人でも雪山登れるんだよ。
ゴアテックスだの言っている奴らは自分たちの生活を賭けた登山なんてしたことないだろ?
「むれるのが嫌」←んなら最初から登山するな、ネコの散歩でも行ってろ!
「汗冷えすると危険じゃん」← 体が冷めないように休まず登り続けろ!
なにかと理由を付けて登らないことを考える。
生きるか死ぬか、生死を賭けた登山ならこんな下らないことなんて考えないよ。
そういう覚悟がないからトムラウシ山で死ぬんだよ。あれは装備じゃなくて覚悟の問題。 「江戸時代の装備で山登ってみた」
登山系ユーチューバーがやったら視聴数稼げるぞ。
江戸時代の登山ってかなりの遭難者がいたんじゃないのか
2人にひとりは遭難してそう
>>69
バカだな
ババア棄てに行くのにわざわざ自分の身も危ない雪山いくわけねえべ
なにかってに雪山設定してんだよハゲ 修験者に百名山制覇する感覚で山登ること自体目的だったの居らんのかな
>>70
GoPro持ってる時点で言ってる事が破綻するな そもそも江戸時代には頂上まで登る人なんて少数でしょ。
修行場になってる山でもない限りは。
猟師やら木こりやらなら山には入るだろうけれど、
道楽でピークハントなんてしてる暇人なんて
そんないたわけがない。その限りでは近代的な
重装備なんて必要ない。
高い険しい山は、明治以降に政府主導の測量とか
ヨーロッパ文化のアルピニズムが入ってから
初登頂されたとこがほとんど。
それで死んだり怪我した人も沢山いただろう
その中の何人かに自分がならないように
安全の確率を上げるのは登山の基本
>>82
むしろ戦国時代とかの方が
山城構築の為にピークや尾根を目指したはずだよね 家康だって敵に追われながら甲冑を着て伊賀越えしたんだぜ。
クマごときでビビっているゴアテックス愛用者さんとか何やってんの?
出兵中は極地法のような物資のピストン輸送やってる
近くの城から本隊へ、本隊から各隊へって感じでね
甲冑も戦闘時以外は脱いでるし、着てない時は荷物として本陣に随伴しながら輸送してる
甲冑を着ながら移動しなきゃならない時は馬に乗って移動だぞ
江戸時代にも雪沓や水沓と呼ばれる防寒ブーツや防水ブーツはあった
間宮林蔵は、その装備で樺太を踏破してアムール川まで遡っている
江戸時代の製品は全て職人によるハンドメイドなうえ、メンテナンス性も良好だったので、現代の下手な量産品よりも質が高いものも多かった
有名な八甲田山遭難事件でも西洋式の最新防寒装備を着用したいた隊は多数の犠牲者を出したが、地元民の忠告にしたがって和式の防寒装備を着用していた隊は犠牲者を出さなかった
江戸時代をあまりなめない方がいい
江戸時代だって江戸時代なりに金かけて登ってたろ
講なんて各々登る金がないからコミュニティで金集めて代表に登らせたんだよ
なんのことはない江戸時代においても金をかけないと山には登れなかったのさ
>>1はバカだなあw ウェアとかより水を入れる容器がハードル高そう。
どうしたんだろう。竹水筒くらいしか思いつかんが。
>>95
漆塗りのひょうたん
荷物入れも竹を編んだものに漆で防水 1000年前の行者が劔岳に登ったと思われるルートを辿ってる番組でも装備が当時と違いすぎるし参考にならんかったな
江戸時代にあったら喜んで使うだろう
今こんな良い物が使える事に感謝です
>>97
奈良時代に作られたとみられる錫杖が見つかったからといって奈良時代に登られたとは限らないんだけどな でも役行者とかいた時代でしょ
真言が外国から入って来た直後の最新流行だった時代でしょ
決まった行場とかしちめんどくさい手続きとかまだなくて
修行になりそうなそれっぽい山を
ウェーイ系が手当たり次第攻略してたと考えたら
奈良時代がいちばん登ってそう
日光男体山の山頂遺跡も奈良時代だったな
役行者はもっと古いけど
>>1
江戸時代でも深靴はあったらしいよ。
もちろんゴアはないけど、編む素材や編み方、油紙や蝋コーティングなんかで水の侵入を防ぐように工夫していたものもあったらしい。
当然その分、普通の草履や雪駄よりも高かったでしょうけど。 >>1
江戸時代にはこんなクソスレ立てるキチガイは生後すぐ間引かれてた アイヌとかエスキモーの装備って実際どうなんだろう?
エスキモーは高脂質食だからなあ
アザラシの脂肪なんてもりもり食えない
>>113
うちの前に一人で住んでるオッサンにクリソツ 八甲田山の兵隊さんは藁の靴に綿の服でほぼ全滅、私費でゴム靴履いてた上官だけ助かった
今の装備なら死者ゼロだったんだろうな
今の装備でも凍傷にはなってたろうが、死者数はだいぶ違ってたろうね
化繊アレルギーだから割と昔の人みたいなキャンプしてるわ。ほぼコットンかウールしか使えん。化繊の4倍くらい金かかるんよな、つれぇわ。
>>90
鎌倉時代初期くらいの絵で
ペコスブーツみたいな革靴を
履いてるジャップさんいるよね?
なんで革靴を履かなくなったの? >>1
わらじで山登りしてみてから言っとくれ
祭りの時わらじで御神輿の先導するだけで、夜になると足の裏が腫れ上がる〜♪
それまでは、口先だけのチンピラの戯言と思うようにしよう 通年同じ麻の着物着て隙間風だらけの貧乏長屋に住んでたんだよな
気候もプチ氷河期で今よりも寒い中で
何で羊毛産業が産まれなかったんだろ
>>120
冬は重ね着してた
屋内では背面は半纏、前面は囲炉裏や火鉢
外に出る時は足元に赤綿足袋
室内を暖めるのではなく放射熱で直接身体を暖めるスタイル
キャンプの焚き火と似たような感じだね >>120
美輪明宏がテレビで言っていたけど、家の中も外と同じだって
風邪引いたら家の中でガタガタ震えながら薄い寝床で寝ていたが、
外にいるのとさほど変わらないので子供とか簡単に死んでいったって >>123
追記 当然これは昭和初期くらいの話だな 江戸時代でも加賀藩が奥山廻りといって、三俣蓮華岳といった北アルプスの奥地まで探索してるからな。
美輪明宏は4歳の時に二次大戦が起きてるから戦中戦後のひもじい時期の記憶が強いのかと
その頃と比べれば明治大正頃のが日本国内は豊かだと思うぞ
>>4
亀だが…
このレス読んで今世紀で一番笑った 草履で生活して電気や車や電車やスマホを使わず生活してからスレたてろ
つーか、江戸時代に山に登る町人なんていなかったんじゃね?
修験者なら居たと思うけど
湯治やら神社参拝やら旅行はあったと思うけど
お伊勢参りに全国から来るし、すげぇ歩いてたみたいよ
富士講
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E8%AC%9B
江戸時代に成立した民衆信仰のひとつ
定期的に行われる「オガミ(拝み)」とよばれる行事と富士登山(富士詣)から成っている
夏になり富士の開山の時期となると、河口や吉田などにある御師の家に富士講の講員らが続々とやってくるので、
宿を提供し、登山道についての情報や登山に必要な食料や装備も提供するなど、様々な世話をした。
一般に地域社会や村落共同体の代参講としての性格を持っており、富士山への各登山口には御師の集落がつくられ、
関東を中心に各地に布教活動を行い、富士山へ多くの参拝者を引きつけた。
大宮口や須山口は、江戸・関東からの多くの参拝者でにぎわった。最盛期では、吉田口には御師の屋敷が百軒近く軒を
連ねていたほどであったのである。数多くの講社があり、江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほどであった。 >>135
富士、立山、御嶽の山岳信仰が栄えてたけど、金と時間に余裕のある人間が行けた感じかな。
あとは仕事で日常的に山に入る人や、街道の峠越えくらいじゃない?
峠越えに関しては難所で死者が出てたって場所もあるくらいだから、昔の人は旅も命がけだったみたい。
下手したら俺らがやってる登山よりも危険でハード。 余裕がある人じゃなく村の衆がお金を出し合って代表者が参拝に行ったらしい
郵便配達夫がピストルを持っていた時代、配達夫が峠越えをするとき周辺の商人などがズラズラと付いていったらしい
>>140
そこまでするほど、当時の人には霊山に登って参拝する事に宗教的な意味があったんだな。 明治新政府は廃仏毀釈の一環で修験禁止令を出したが、その頃日本には全国で17万人もの修験者(山伏)がいた。
当時の人口は約3000万人で男は半数だったとすると100人に一人以上は修験者だったんだ。
信心深いって話じゃあないな。食えない百姓が集まってきてたってのと、あとは今でいうクライミングとかトレランしたいとかの欲求を持った連中がいっぱいいたんだと思うわ。
当時はそんな趣味だとかレジャーといったカテゴリーが存在しなかったが、人間の欲求なんてのは今も昔もそんな変わらんだろうからな。
お伊勢参りが流行ったのも、江戸時代は移動の自由がなかったが、寺社巡りならどこ行ってもOKという抜け道が、人間の旅行熱に結び付いたもんだからな。
>>1
今、江戸時代の装備整えるほうが金かかるんだけど 積雪期に北陸から山越えて家康に会いに来た戦国武将とか
剱岳に登る修験者らとか
基本綿素材でインパール越えする日本兵とか
八甲田山で雪山行軍とか
まあ話題が尽きないテーマだな。
>>1
自動車買う奴はアホ、江戸時代に自動車は無かった。
自動車をPC、テレビ、スマホ等々に置き換えてくれ。
馬鹿には付き合いきれない。 >>1
背中にみのを掛けて三笠を被ってワラジで登山するの?
そもそも江戸時代は長靴とか無いけどどうしてたんだろう ていうかゴアテックス高杉! もうとっくに研究開発費回収してるから
値段を1万にしてくれ!
ファッションセンターしまむらやアウトドアワークマンのゴアテックスなら5千円でフル装備買えるぞ
>>1
じゃあ修行僧のコスプレで剣岳を登頂してこいよ。 >>1
マジで!?
江戸時代ってどうやって山登ってたんだよ!
っていうか今みたいに趣味として登山があったのかよ!
江戸時代の登山事情に詳しい人教えてください。 マジレスすると江戸時代の北アルプスは加賀藩により禁足地となっており、極々限られた修行僧や巡業者、調査隊しか入山できたなかった。
でもさ
江戸時代と言わず昭和30〜40年代の頃は、
「夏の北アは雨具不要、服は綿でOK」とか言ってなかった?
さすがに冬は雨具必携、ウールが望ましいだったけど
後、昭和30年代ぐらいまで学校登山の雨具って言ったらミノだったよね?
生活自体が不安定な昔は
時間と命をかけての山越えや修行。
現代は、
安定した社会生活を営みながら、たまの休みを使っての、命をかけない娯楽。
比べる事は出来ない気がします。
ゴアも50年か最近登山靴を買ったけど気にしてではなく
ゴアテックス素材だったソールはビブラムだけどよく滑る
安いのにして置けば良かったけど使ってみるまでは分からないという
>>115
1902年か凄いな1977年に映画を公開
ずっと、さ迷ってるだけの映画だった気がする
1836年没の坂本龍馬でも靴を履いてたのに
日本陸軍が藁沓はすごいな まあ坂本龍馬がブーツだから江戸時代にはブーツはあったんだろうな
今も沢登りにはわらじがいいんだけど、わらじ高くて買えない。
つまり、すでに江戸時代の装備の方が高価な場合もあるんだよ。
江戸時代もコンパスと地図で山座同定とかやってたのかな?
さすがに草鞋よりフェルト靴の方が良いとは思うな
フェルト靴と草鞋では耐久性で百倍以上は違うかと
わらじはまだ3足残っている。使う機会を作る元気が欲しい。地下足袋だってまだ新品同様だ。
春が待ち遠しい。近場で低山の谷がオレを待ってるハズだ。 @湘南
四半世紀ほど前、山はやめた。装備も全部処分した。今持ってるのは通勤用のザックと
地下足袋とわらじだけだ。還暦も過ぎて再び山に向かおうとしている。
江戸時代みたいな装備でね。
登山という趣味に費やす金が惜しいなんてケチは初めから趣味人とは認めない。
オレみたいにそもそも使える金がないやつはその限りではないが。
昔、ヤマケイに下駄による沢登りの話が載っていた。何でもいいんだけど。
70年代初頭ぐらいまで、夏の北アは綿でOKとか言ってたよな?
>>177
そらまあ、当時高機能素材なんてなかったし 俺も初めのころはずっと登山装備に金かける奴はアホって思ってたな
今ではウン十万もかけて装備買いあさってより良いものに買い換えてってやってるわ
そんなもんだ