1考える名無しさん2021/03/09(火) 04:44:43.090
自分の存在について考察するスレです。
2考える名無しさん2021/03/09(火) 05:07:44.770
自分が存在していると考えられるのは生物の中である。
幽体離脱の経験はない。自分は生物の中でしか存在出来ない。心臓が止まれば自分は存在しなくなる。
死後に自分は無になるのだが、生前も自分は無であった。死んだところで生前の無に戻るだけであるので、またとある生物の中で自分は発生するだろう。
3考える名無しさん2021/03/09(火) 05:36:17.950
何故に自分が存在し始めたのかわからんな。私の自分に紐付けられている諸々がなんで他の自分ではなく私だったのか。他人の自分と私の自分に本質的な違いがあるのかどうか、これも不明である。有難いことに今は他者の痛みはわからない。しかし、恐らくは、自分を発生させたメカニズムは自分が死んでも働き続けるので、この自分に紐付けられた肉体と共に自分が無くなっても、自分はいずれ再発生してしまうことになるので、いずれは他人か虫か何かの痛みを自分で味わうことになるだろう。
なんとか回避できないものなのか。死ぬ前に自分について考えることで、なんとか自分の再発生を回避したい。半永久的に生死を繰り返すのは記憶を失うにしても酷い運命だからね。
4考える名無しさん2021/03/09(火) 05:57:56.100
やっぱりあれだな。キリスト教的に肉体と精神は別物として考えたほうが楽だ。肉体と自分が紐付けられている限り、楽じゃないからな。
紐付けをコントロール出来ればいいけど、今のところ不可能で、強制的に自分が何らかの生き物に紐付けられて、
死んだって普通に気がついたら中国人かインド人か蟻か家畜にでも紐付けられてて酷い目にあうのが普通とか何地獄だよw蟻地獄か。
5考える名無しさん2021/03/09(火) 06:12:59.570
一度発生したくせに、自分は二度と発生しないと信じるか、自分は肉体から自立して存在出来ると信じたほうが楽だが、
その前に、この地獄の輪廻転生の抜け道がないか探しておかないといかん。抜け道みつけた先人いませんか?
6解脱方2021/03/09(火) 21:00:47.200
梵我一如 バラモン教 ウパニシャッド哲学
7解脱方2021/03/09(火) 21:20:22.490
煩悩を無くすこと 仏教
これだと自分は不滅の存在であり、生まれてきたのは、生まれてきたかったからだということになるが、胡散臭い話だわ。前世の記憶や死と生の間の記憶は、無くしたかったから無くしたということだろうか。
いやいやいやいやないわ。
8考える名無しさん2021/03/09(火) 21:26:58.020
煩悩を無くせば解脱出来るんであれば、自分の意思で誕生するかどうかを決められるということだが、それだと、わざわざ殺される為に生まれてきたような生き物が滅茶苦茶たくさんいる現実はアリエナイ。
よって仏教は間違っている。
9考える名無しさん2021/03/09(火) 21:29:51.850
誕生は強制されたことであるのは、間違いないよね。
10考える名無しさん2021/03/09(火) 21:39:07.190
バラモン教は、誕生は強制であり、霊魂は不滅であり、霊魂には霊位という格差、カーストがあり、霊位によって何に生まれるかが決定され、霊位は生活の善悪で変わりうるものであり、究極的には梵我一如を悟れば解脱できるという話のようだ。どうも梵我一如を悟ると解脱出来る理屈がわからない。
11考える名無しさん2021/03/09(火) 21:42:29.890
そもそも自分が肉体とは自立して存在できる不滅の魂であるとは思えないのだが、どういうわけでそんなこと信じてるんだか不明だな。