テレビ番組に出ることができるお笑い芸人は、ほんのひと握り。タレント養成所などを卒業して芸人の道に進んでも、成功するのは万分の一の確率だ。サクセスロードの過程で、オンナに食わせてもらうことは珍しくない。現在はコメンテーターや俳優としても活躍する大竹まことは、若かりしころはヒモだったことを隠さない。さらにさかのぼれば、萩本欽一や西川きよし、ビートたけしといった昭和を代表する大物芸人も、不遇時代はオンナの財布に頼っていた。意外なことに、千原ジュニアもその部類のオトコだった。
ジュニアといえば、15年9月に電撃結婚して、世間を驚かせた。過去に女優やモデルと浮き名を流してきた彼が生涯のパートナーに選んだのは、羽田空港のお菓子屋の店員。一般人と、わずか半年の交際で結婚に踏みきった。この結婚が唐突なら、昨年12月中旬に第1子のパパになっていたというのも事後報告。とかく、騒がれるのが嫌いのようだ。
10代のころは、引きこもっていた。14歳のとき、偏差値が高い私立中学校に通っていたがなじめず、不登校になったのだ。部屋でテレビを観て過ごす毎日。母は実家を出ることを勧めたが、ジュニアは奇声をあげながら拒否。母は、精神安定剤を食事に混ぜて飲ませたこともあった。中高一貫だったため、高校に進学したが、中退。兄・せいじに誘われてNSC(吉本興業が運営するタレント養成学校)に入学して、芸人の道に進んだ。
せいじとは2人暮らしをしていたが、このころ、大阪・ミナミのナンパのメッカである通称・ひっかけ橋で女性をナンパして、交際に発展している。弱冠15歳。年上のお相手は、ホステスだった。ほどなくして、せいじと住んでいたマンションを出て、彼女と同棲。芸人仲間の飲食代を、仕事帰りの彼女が払うこともあった。食費はもちろん、家賃や光熱費、生活費のすべては、稼ぎがある彼女が負担。およそ3年、ジュニアはヒモ生活を満喫した。
別れを切り出したのは、彼女のほう。店で古今東西ゲームをやったとき、「吉本芸人の名前」というお題に対して、客が「千原兄弟」と答えたことが、引き金となった。そのころ、若手コンビの千原兄弟は地元・関西のローカル番組に出始めており、町を歩いていても声をかけられることが増えていた。これを“独り立ち”ととらえた彼女。昔のような収入格差がなくなったことで、ケンカも増えていたため、それぞれの道を歩む結論に合意した。
その3〜4年後、ミナミの繁華街である宗右衛門町で、バッタリ再会。一介のホステスだった元カノは、着物を着たクラブのママ風にレベルアップしていた。
水商売のオンナによって、男なら誰もが一度は憧れるヒモ生活を経験できたジュニア。“ジャックナイフ”の異名を名乗り、同世代の芸人から恐れられる存在になるほんの少し前は、ホステスにおんぶに抱っこの毎日を送っていたのだ。
以下ソース
http://wjn.jp/article/detail/6818247/
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