性の教科書、そして実用書として、エロ本というメディアは日本の男性たちに寄り添ってきた。戦後から21世紀にかけてのエロ本を総括する『日本エロ本全史』を上梓したアダルトメディア研究家の安田理央氏が、自身のコレクションの中から、一時代を築いた昭和のエロ本7冊をセレクトした。
●現在のエロ本の源流となった『100万人のよる』
「夜の文藝春秋」の異名を持ち、大ヒットした娯楽誌。モデルに全裸でスキーをさせたり、楽器を持ったクレージーキャッツと共演させたりというコミカルな企画グラビアを得意とし、そのポップでカラフルなセンスは今見ても新鮮だ。ある意味で、現在のエロ雑誌の源流と言ってもいいだろう。そして同誌の増刊として1959年に創刊された『世界裸か画報』(第三集から『世界裸か美画報』に改題)は日本最初の本格的ヌードグラビア誌であった。
『100万人のよる』/大正生まれの写真家・秋山庄太郎が撮影を担当。明るく「バカでエッチ」なセンスは後のエロ雑誌に影響を与え、1966年まで発行された(季節風書店、1956年創刊)
●隠し持つのに最適サイズの『PocketパンチOh!』
1964年に創刊され大人気となった初の若者向け週刊誌『平凡パンチ』の兄弟誌として誕生。創刊当初はヌードグラビアもセックス記事も皆無な真面目な雑誌だったが、次第に本誌よりお色気要素が増えていき、1970年代に入ると完全にエロ中心の誌面に。しかしコンパクトなポケットサイズの判型はこっそり隠し持つのに最適だった。本誌『パンチ』以上に思い入れの強い人も多いだろう。このヒットにより、ポケットサイズのエロ雑誌が急増した。
『PocketパンチOh!』/モノクロの誌面では、せんだみつおが川崎・堀之内のソープランドで遊んだ体験記も収録。ヌードグラビアとともにエロ記事も充実していた(平凡出版、1968年創刊)
●SM本を活字からグラビアに移行させた『SMセレクト』
それまでにも『奇譚クラブ』『裏窓』など、ごく一部の好事家向けにSM雑誌は存在したが、本誌はグラビアに力を入れたわかりやすい誌面で一般層にも広く支持され、最盛期には発行部数10万部以上という人気雑誌となった。 このヒットにより、1970年代のSM雑誌ブームが巻き起こる。本誌がポケットサイズだったため、以降のSM雑誌はポケットサイズが定番化していた。縄師の濡木痴夢男による現場ルポ「撮影同行記」が人気企画だった。
『SMセレクト』/1960年代後半からピンク映画でもSM色の強い作品が人気を博す。その流れでSM雑誌も次々と創刊された。執筆陣は団鬼六、須磨利之など錚々たる面々(東京三世社、1970年創刊)
●買いやすい表紙でも中はハードな『映画の友』
淀川長治が編集長を務めていた映画雑誌から商標を譲り受けて創刊したが、こちらは成人映画専門誌。映画業界ともつながりが深い近代映画社ということもあり、日活とのパイプも太くロマンポルノの撮影現場にも常時カメラマンが張り付いていたという。成人映画のスチールがメインのため、カラミの写真が多く、当時のエロ雑誌としてはハードな印象もあったが、映画雑誌のような表紙のため、青少年には買いやすいというメリットも大きかった。
『映画の友』/日活ロマンポルノを中心に、当時では珍しい「カラミ」シーンを多く収録し、読者の興奮を誘った。最盛期には40万部が発行され、類似誌も多数あった(近代映画社、1976年創刊)
続く
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20190715_1408413.html
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