かつて日本の公衆浴場では、風呂焚きから客の背中流し、髪すきといった様々な労働に従事する者がおり、男性は三助、女性は湯女と呼ばれていたという。無論、こうした仕事は、近代化が進むにつれて姿を消していくこととなったが、日本のとある地域においては、村の男衆による“ボランティア”という形で、たった半世紀ほど前まで、こうした行為が続けられていたのだそうだ。
「最近では誰もやりやしないけども、昔はみんなでやっていたもんだよ」
北関東のとある地域で行われていたという、一風変わった入浴の習慣についてそう語りはじめたのは、当地で生まれ育ち、現在もなお、苺農家を営んでいるという長澤正道さん(仮名・85)。なんでも長澤さんの話によると、その昔、当地の共同浴場においては、村で暮らす男性たちが、交替制で女湯の「三助」役を担っていたのだという。
「毎週当番が決まっていてね。今週がこの家なら、来週はあの家という具合に、各家の男たちがね、持ち回りでやってたんだよ。といったって、ここいらは温泉だからね、湯を沸かす手間もなくてさ。掃除と女の背中を流すのが主な仕事だね」
現在とは違い、各家に風呂がなかった時代、集落で暮らす人々の大半は、共同浴場を利用していたという。しかし風呂場が1つしかなく、男女の別もなかったため、前半が男湯、後半が女湯といった具合に、時間で区切って入浴していたのだそうだ。そうしたなか、三助の当番となっている男性は、男湯がはじまる前に掃除を済ませて湯を張り直すと、女湯が始まるまで休憩。その後、女湯の開始とともに浴場で待機し、女性客がくると、彼女たちの背中を流す仕事に励むのだという。
「まあ、風呂の掃除やら何やらってのは、あれでなかなか骨が折れるんだけどもね、その分、隣近所の奥さん連中の裸を拝めるし、触り放題なもんだからね、私ら男たちは自分の当番になるのを楽しみに待ってたもんだよ(苦笑)。もっとも、若い頃はムラムラっときちゃって、我慢するのが大変だったけどもね」
そもそも女性客しかいない浴場で、男性が彼女たちの背中を流すためにいるという光景自体、今の時代では考えにくいことであるが、その実、長澤さんの話によれば、昭和40年代半ばまで、当地では当たり前のように、こうした行為が習慣が続けられていたのだという。現代の世に暮らす男性諸氏にとっては、なんとも羨ましい話であるといえるかもしれない。
以下ソース
https://tocana.jp/2020/02/post_138808_entry.html
★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/