2017年夏、豊田真由子さんがメディアで騒がれて自民党離党されるというタイミングで、この文章を書いています。
中略
この文章を、豊田さんのお子さんが数十年後に読むかもしれないことと考えて、
私の確かに経験して知っている事だけを、隠さず記録しておこうと思います。
豊田真由子さんと私とはともに、私立桜蔭中学校に1987年4月入学、同高校を1993年3月に卒業しました。
東京大学文科一類に、ともに1993年4月入学、同法学部を1997年3月卒業で同じでした。
中1と中2は別のクラスで、互いに知らない存在だったので、
中3で同じクラスになったところから交流が始まりました。
私、田中絵里緒は、名門学校の中でかなり異端児。中学の時点で学校にエロ本を持ってくる、
パーマをかけてくる、もちろん校則違反の色つき模様つき髪飾りは日常茶飯事、などなど。
中略
豊田真由子さんは、私とは全く対照的。問題を起こして先生からのお説教などは完全NG、
親が呼び出されて親に恥をかかせるなどはさらにもってのほか。うちの親など比べ物にならないほど、
よっぽど厳しいご家庭で、彼女もその親に正面から背くまでの事は出来なかったのでしょう。
先生からの評価はパーフェクトな優等生でした。この点は中高生活を通して全く変わらなかったと思います。
そんな対照的な二人が、なぜか仲良くなったポイントは、「ダサい女でモテない人生を送るのはイヤ」
「男の人に愛されたい」という所で気持ちが通じ合ったことでした。
親や学校の締め付けが厳しく、自分はもっと自由にしたい気持ちがある。でも、名門学校をやめたくないし、
頭の悪い女の子たちに交じってバカばっかりやるのも納得がいかない。東大には入りたいし、
将来成功するコースを進んで社会的にも認められたいけど、イイ女にもなりたいよね、
そのためには学校の言う事だけ聞いてダサくしてちゃダメよね、というようなことを、よく話し合いました。
その裏には私たち二人とも、深く刻まれた「寂しさ」「劣等感」があったので、そこの所が互いにピーンと通じ合ったのでしょう。
その寂しさ、劣等感、不安、自分への自信の無さ、といった要素は、どこから来ているのか、
というと、幼少期の親からの育てられ方・自尊心の形成の所で、かなり問題があったと思います。
豊田さんも私も、頭もよくて可愛くて健康な体を持っていた。
https://www.facebook.com/note.php?note_id=10155518526459066 もっと自分に自信をもってドッシリしていても良いはずの存在だったと思いますが、
私達は、自信の無さと、寂しさを共有していたのです。
このことを、今子育てや若者の育成をしている皆さんにも、しっかりと知ってほしいし、参考にしてもらいたいのです。
「キレる」「暴力」「暴言」といった要素も、全て「自分への自信の無さで、もがいている人の姿」なのだということ。
その痛みを理解しないで、いくら批判しても何も変わらないということ。
中略
豊田さんは、学校で皆の前で怒鳴ったりカッコ悪い自分を見せるということは全くありませんでした。
学校の教室の中ではない所で、私に対しては、男の人と付き合う付き合わないのやり取りを通じて、
ごくたまにですが、電話や対面でキレて怒鳴るということはありました。
「女の友情、男で崩れる。男の友情は、女で崩れないのにね。」
と豊田さんがある日ぽつりと言ったことがありました。寂しいんだろうなと思いました。
私は「崩れないよ。友達やめないよ。親友だよ」といいました。
よく覚えているのは、豊田さんがうちの高校の文化祭の時に話していた男の子のことを、
私が気に入って、紹介してほしい、と話した時のことでした。
「ああ、あれでいいなら、あげるよ」。
その男の子は、豊田さんのお目当ての彼氏ではなく、たくさんいる男の友達の一人だったのです。
だから絵里緒ちゃんに紹介してあげる、といってデートの場を作ってくれたりしました。彼と二人で会うようにもなりました。
でも、彼は豊田さんのことが好きで付き合いたかったようです。
私のことは、紹介はされて会ったものの、ラブラブモードが盛り上がることも無く友達モードでした。
私の方は絶対彼氏が欲しかったので、他の友達にも男子の紹介などをお願いしてました。
それを知って、豊田さんが怒って電話かけてきて、「なんで××君を紹介したのに他と二股かけてんのよ!!」といったキレ方でした。
でも、私は恋愛は自由だと思っていたし、早く彼氏が欲しいから他の友達にも頼んだ、
と平然と答えたので、その話はそれで終わり、友達関係も続きました。
ああ、彼女怒ってるな、という程度で、私は、怒られたから友達やめるというようなスタンスではありませんでした。
それに、この件は、友達に紹介してあげた男の子が自分のことを好きなので友達と付き合わなかった、すなわち、
自分の方が優れたオンナであった、ということにもなるので、彼女の優越感はくすぐられたのかも・・・。と思いました。
男の子と集団で会うとか、合コンの人数を集めるというときに、豊田さんは、自分が負けるほどメッチャ可愛い女の子が来て、
自分が添え物にされる展開を恐れ、嫌がっていました。「あの子は可愛いから私負けちゃう・・・。」
ということをいつも気にして口にしてました。
この田中絵里緒という存在は、適度に自分より可愛くない、だけど
「あんな変な子を連れてきて、なんなんだよ!」と男子サイドに言われずに、
そこそこ自分の添え物になってくれる存在として、置いときたかったのかもしれません。
別にそんならそれでいい、という所も、私は飄々としてました。
中略
文化祭で私が一目で気に入った彼も、「どうして真由子ちゃん付き合わないの?」と私が聞いたら、
「落ち着きすぎて、おっさん臭い」と言ってました。
私は、穏やかで落ち着いた、優しい、おっさん臭い人、大好きなタイプでした。
彼女の方が気に入る男の人は、なんか性格悪そうというか、私には「初対面で論外」と思う人ばっかりでした。
それで「なんであんな人たちが好きなの?」と聞いた時に「お父さんが暴力をふるう、精神的にも完全に威圧するタイプ。
お母さんが耐えていて、自分も辛いけれど、そういう男の人ばかり選んでしまう傾向はある」と答えてました。
芸能人で言うと「東幹久、吉田栄作!!」と、当時のバブル人気王道タイプを答えていたので
「私はパス!もっと地味でも優しそうな人がいい!」と言い返してました。
吉田栄作まではさすがにその辺にはいないけど、豊田さんは見た目は気にしていて、
友達にも「真由ちゃんの彼氏かっこいいね」と言ってもらえる人じゃないとイヤ、といった所でもプライドは高かったと思います。
「誰が何と言おうが、かっこ悪かろうが、王道から外れていようが、自分はこうしたい」というものが定まっていると、
人間の軸が定まっていきますが、「人からの高い評価」自体を求める生き方というのは、もとより非常につらいものです。
中略
あの青春時代のしんどいフラフラ感を共有し、一緒に苦しみ悩み励まし合った同志として、
私は豊田さんとの友達関係を誇りに思っています。豊田さんをよく知らない人から
「極悪モンスター」みたいに言われるのは、とても耐えがたい思いがします。
中略
少なくとも、これからの子供達が、こういう事をする少女に育ってほしくないし、そのための対策は、
ガミガミ禁止することではなくて、自分を大切にする気持ちを、幼少時から身につけてほしいのです。
子供が問題なのではなく、大人の育て方の問題です。
あの名門校で私たちだけが特殊だったのではなく、先生に聞くと「あなたたちが卒業したしばらく後から、
手首を切る生徒たちが出てきて問題になっていた」という話です。苦しんでいる少女は今も存在する、
いや、さらに増えているのではないか、と私は危惧しています。
中略
思い返せば、中3で出会ったときは真面目一筋だった優等生の豊田さんに、いろいろ悪さをさせたのは私の罪かもしれません。
が、私たちの数年間の関係の中で、ケンカはわずか数回のもので、ほとんどはなんだかんだと楽しく言い合って笑いあう、
真面目じゃない自分たちを堪能し、ふざける、スリルを楽しむ、という、今思い返しても楽しかった大切な友情でした。
ストレスをためる関係ではなく、ほかでたまったストレスを解消して和らげる、ラクになれる関係を作りたくて、互いに試行錯誤していたと思います。
これだけのことをして、先生や親にチクると互いに大問題になるのですが、二人とも「あの子がチクリはないよね」と信頼できていました。
春、無事に東大に受かって、卒業式も済み、東大入学式を前にした春休み。
当時大流行のディスコ「『ジュリアナ東京』に行こう!このタイミングが一番!」と、また二人で企てました。
「ソバージュパーマかける!ボディコン着る!もう学校の先生にも何も言われない!私たち自由だね!」
そして二人で繰り出して、ジュリアナに着く前に、繁華街で何か、全然関係ない取材をしているテレビ取材陣がいました。
街頭インタビューで、何か特定のテーマについて取材している人たちだったので、
そのテーマに沿ったコメント以外は放送されないのに、豊田さんがわざわざ「私たち東大に受かったんですけど!!!」
とマイクに向かって発言していたので、「もぉー、これは東大生の取材じゃないんだから意味ないでしょ」と、ぶつぶつぼやく私。
でも、そんな関係ない所で目立ちたいアピールする彼女のことも「面白い、子供みたいで可愛いじゃん」と笑っていた私でした。
ジュリアナに着いた私達、女子大生やOLのお姉さんたちに交じって、ドキドキしながら尻を振って踊りました。
この時は私の方がジュリアナで出会った男性と泊まりに行ってしまったので、
豊田さんがその後どうしたか見てませんが、ちゃんと帰ったと思います。
中略
勉強はできるけれど、テストのための勉強は社会的な分別には結び付かず、
いわゆる非行少年、不良少年といわれる人たちと、共通する危なっかしさだったと思います。
こんなに一緒に無鉄砲な行動をしてきて「ほんとにほんとに、死ななくてよかったなあ」という気持ちがあります。
悩んで苦しんで、その悩みや苦しみから、必死に目をそむけるための行動をしていた・・・。途中まで、私達は同じ道を歩いていました。
私はそこから「ストレス解消しないと自分が壊れるから、東大を出て就職もしない、徹底的に自分を甘やかしてストレスの少ない人生を送る」
と決めて、逃げました。22歳でニートになったのです。
豊田さんは、そんな暴挙には出ず、けなげに努力し、社会的にも東大卒として好ましく思われる「国家公務員」の道を歩んで、順当に活躍していきました。
私に想像もできないほど、一生懸命頑張ったのです。
その後政治の道に進んだと聞いて、彼女の本意であれば喜ばしいことだと思いました。
でも、あの頃あんなに繊細に揺れ動いていた彼女が、今、ストレスの解消はちゃんと出来ているのだろうか・・・。
幸せになれているのだろうか・・・。ということが疑問・心配でした。
私がもはや、豊田さんの近くにいないので知る術がなく、ただただ遠くから、幸せでいてくれることを願っていました。
今、過去を振り返って、大切な友人として思う事。
「あまりに大変すぎる仕事を担わされて、中・高・大学の時とは比べ物にならない心の負荷がかかって、
心が折れてしまったのだと思う。これ以上続けられないというSOSだった。」
「心の平穏を取り戻して、自分に向いている別の道を見つければ、また活躍できるし輝ける人。
今度は、自分もお子さんも幸せになれるようにしてほしい。周りももう一度、応援してあげてほしい」
豊田真由子さんは、頭脳明晰、細やかで、才色兼備な人であり、記録された時の暴言だけをもって「極悪人」
と決めつけるのはやめてほしいと私は思います。
もちろん暴力や暴言そのものを肯定することはできないし、自分がしてしまったことは反省してほしいけれども、
これから精神の安定を取り戻して、十分やり直せる人だと信じています。
彼女の精神がそこまで壊れるまでに、周りからどういう扱いを受けていたのかも不信感が湧いてきます。
人材を潰して排除していくのではなく、人材を伸ばす社会であってほしい。
「あれほどの人材が潰されるような社会なら、どんな人材だって潰れてしまうよ!」 私はそう思います。
今も変わらず、豊田真由子さんのことは大切な友達と思っています。またいつか、彼女と二人で笑いあえる日が来ることを願っています。
厳しい家庭とか書いてあるしやっぱり母親に虐待されてたんだろうか
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」はナチスのプロパガンダであってデキムス・ユニウス・ユウェナリス
は実際にはそんなことは言っていないのである。
全部見てないが、どうせ豊田の名前を使った自分自慢だろ?
そもそもこの女は自分が正しいと思ってんのにストレスとか関係あるのか
>豊田さんも私も、頭もよくて可愛くて健康な体を持っていた。
尚、この物語はフィクションです。
並の締めくくり方
>中学の時点で学校にエロ本を持ってくる、
>パーマをかけてくる、もちろん校則違反の色つき模様つき髪飾りは日常茶飯事、などなど。
初カキコ…ども…
俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
富田真由ってアイドルが刺された事件を思い出すからやめれ
>豊田さんも私も、頭もよくて可愛くて健康な体を持っていた。
「私は、頭もよくて可愛くて健康な体を持っていた。」
単にこれが言いたいだけなんだが、まんまだと叩かれる
だから豊田が話題になった今、セット売りならセーフだろうという
浅はかな考え
自分は学習院大学卒だからテキトーに割引いて読んでくれ。
1983年にビリー・ジーンが街中に流れていた時代に入学。その年に現皇太子殿下は大学院へ。
正直大学構内で一度も見かけた事はなかった。
学食のカレーは米が糠臭く不味かったが浩宮殿下の大好物だったとよく言われていた。
自分は学習院大学文学部心理学科の学生だったんだけどね。
大学2年になったら礼宮殿下が法学部に入学。当時学内でははみんなアヤちゃんって言ってたね。
まあ時代のなせる技。当時礼宮殿下は皇位継承順位3位(なにせ時代は昭和だから)だったが、
常時SPが大学の構内に20人くらいいた。今の御時世ならこの人数はありえんだろう。
SPが20人もいるもんだから近くにアヤちゃん(おっと失礼!)がいると学生の誰もがすぐに
気がついた。近くにいるなと2〜3秒キョロキョロすると「あっいた!」という感じ。
3年になったら自分と同じ学部に紀子妃殿下ご入学。経済学部の川島教授は単位が厳しい事
で有名でみんな川島教授の般教を避けていたがその娘が心理学科に来たもんだからみんな
一応当時から存在は知っていた。自分は当時目が濁っていて週に最低1日は六本木に入り浸って
いたので紀子妃殿下的な存在に価値観を見いだせなかったwww 当時学習院は美人が多かった。
尾張徳川の徳川慶子は雑誌JJのモデルだったし、男もポパイのレギュラーモデルがいたし
田宮二郎の息子の柴田某もいたね。ハジけた時代だったwww
秋篠宮殿下が娘2人を毛唐の宗教大学に入れたのには強烈な違和感があったね。
神道の総本家の娘が毛唐の宗教にかぶれるなどバカげている。そうしたら案の定、
真子内親王殿下はフリーターと婚約。日本全国お祝い気分はまったくなくワイドショーも
ほとんど取り上げないw
皇室の家系の人間がノーブレス・オブリージュも忘れ、犬猫のように出会い頭の自由恋愛に
溺れるのは愚劣のきわみ。真子内親王殿下はまさに愚劣。
「ローマの休日」のアン王女はノーブレス・オブリージュから犬猫恋愛に溺れなかった。
皇室にはもっとマジメにやってもらいたい。
内親王殿下は旧皇族男子と結婚し、新たな宮家を創設するべき。
日本の保守層は必ず新宮家の創設に汗をかく。
機能不全家族
図星指摘された発達障害がWikipedia上書きしてる
優秀な人なんだろうけど政治家には向いてないよね
SMクラブでその才能を存分に発揮してほしい
この女も東大出なんだな
読んでててっきり落ちぶれて三流大に行ったクチかと思ってた
東大に行っても、こんな人を不快にするだけの文章をダラダラと書くんだな
>>37
誰があんなBBAを指名するんだよ
SMクラブの熟女は割と美人が多いぞ あの水道橋のくそ女子校に
こういうややこしい自意識の女子ばかりだったのは確か
くそすぎて思い出したくもないが
この人はずいぶん仔細に覚えているんだな
https://www.facebook.com/note.php?note_id=10155518526459066
2017年下半期の怪文書コンテストグランプリを掴み取りそうなこちら。
私は正直にいってドン引きした。
この文章を書かれた田中さんという方のtwitter,facebookを遡ると、思わず眉間にシワが寄る。
大量にアップロードされている謎のセクシー?中国語動画と自撮り写真。中には裸エプロンなんてものもある。
あの怪文書を読んでいても感じたが、承認欲求と自己顕示欲の闇に飲み込まれてしまった人間の成れの果てを
見てしまったような気がする。
彼女は現在子供六人を抱えるシングルマザーらしい。
話を豊田議員本人へ移す。
私の子供が通う小学校の近くに、この一帯では有名なモンスターペアレンツがいる。
豊田議員その人だ。
すこしでも気に食わないことがあると、物凄い剣幕で怒鳴りこんでくるそうだ。
それにより、心が壊れてしまった教師が何人もいる。
子供はというと、他を寄せ付けない圧倒的な学力を有しているものの、同級生とちょっとした衝突を起こすと、
給食の味噌汁をぶっかけたり、発狂したりとやりたい放題。 これをみるといかにあの電車の三景が名文だったかがよく分かる
要約するとモテなさすぎてグレたってことでしょw
こいつらの究極体がウルスラ学園の斧女だからな
ブスは犯罪者予備軍だなこえー
「東大生」という肩書きで90年代に何度かテレビに出てるみたいだし
その承認欲求の延長が選挙であり議員なんだろ
健康だけど仮病で入院してます。
昔可愛いなら今も可愛いはずです。体形や相当な加齢による劣化がない限り。
あたまのよい人は運転中の人に暴力はふるいません。
豊田姓ってゴミ遺伝子の家系なの?
あのチンチクリンの不細工なとっちゃん坊やもそんな感じだし。
タイピングしてて疲れないのかな?
それとも伝えなければならない事は自分の中にあると思って身を粉にして昼夜PCと向き合ったといったテイなのかな?
誰に頼まれたでもなくこんな半生記を垂れ流してるようじゃ健康どころか精神的欠陥すら疑わしいがね
>豊田さんも私も、頭もよくて可愛くて健康な体を持っていた
自分で言うなや
恥ずかしいぞ
おまえらちゃんと読めや。つまり、父親が手をあげるやつで精神が歪んでおかしい奴になった。この自称友達もちとおかしいし、桜蔭クラスだと親にダメにされた奴も多そうだな
桜蔭だと親がべったりくっついて中学受験してきて
成長期にそれをこじらせる人が多い
学校側も抑圧的でメンタルサポートするような体制はなかった
とにかく暗い学校に六年間
昔の話だな