そんな中で、9月12日にはヒラリー・クリントンによる2016年の選挙戦を回顧した『何が起こったか?("What Happened?")』が発売されて話題を呼んでいます。
この本でヒラリーが述べているのは、どちらかと言えば「正義は正義だから暴走ということはありえない」という立場から、徹底的にトランプを「こき下ろす」という姿勢です。
具体的には、ドナルド・トランプというのは「性差別者」であり、「民主主義を信じない権力の亡者」であり、
それゆえに「経済的にも諜報活動のターゲットということでもロシアに操縦され米国の国益を毀損する存在」だという全否定で一貫しています。
ですから「相手のことは悪の暴走」だと100%断定し、その相手側からは「正義の暴走」だとか「ヒラリーを牢につなげ」などと言われても平気(と言いますか、
実際にそう言われてきたわけですが)であり、小気味よいほどです。ですが2017年も9月に差し掛かる中で、実際にトランプ政権が動きだした中では、ヒラリー的なアプローチが社会の分断を緩和するとはとても思えません。
いずれにしても、現在のアメリカでは、
「暴走と見られることをおそれて正義を抑制したオバマ」
「正義への冷笑を権力化するという手品で野次馬的な観客を集めるトランプ」
「正義に暴走なしとして100%の正義を躊躇なく掲げるヒラリー」
という3種類のアプローチが、いずれも国の分断を広める結果になっています。
もっと言えば、これに「正義だけでは人間は生きられないのだから、再分配の大盤振る舞いもセットしないと正義にならない」というバーニー・サンダースのグループが、
今でも民主党内では勢力を維持しており、分断の構図を複雑にしているのです。
こうした混乱、つまり全体として見れば「正義の動揺」という現象は、何もアメリカだけでなく、先進国一般に見られるものだと思います。
ではどうすれば、こうした「正義の動揺」と「社会の分断」は緩和できるのでしょうか?
2つあるのだと思います。1つは、正義の達成というには、不正義を叩くことではなく、不正義の中にある情報不足や誤解を解きほぐすアプローチが必要ということです。
例えば多文化主義を浸透させるには、排外主義を叩くのではなく、具体的な異文化の情報を孤立主義的な人々にも浸透させていく努力が先行すべきだということです。
2つ目は、理念としての正義が、グローバリズムの勝者である富裕層の特権的・貴族的な態度に過ぎないという印象を「与えない」ということです。
あらゆる理想主義は、国内の格差問題などにも目を配ることで「与える側に回れない」という「脱落者」を作らないように配慮しながら進めなくては、足元をすくわれるということです。
いずれにしても、「トランプ現象」というかたちで「正義が挑戦を受けている」のが現在のアメリカであり、そこからアメリカがどう抜け出していくのかということには、世界的な「正義に関する議
論」のなかでも重要な問題のように思います。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2017/09/post-940_2.php