<世界の金融危機年表>
1929年 ウォール街大暴落(ブラックサーズデー)
1971年 ニクソンショック
1987年 ブラックマンデー
1991年 日本バブル崩壊(日本)
1997年 アジア通貨危機
2001年 ITバブル崩壊
2006年 ライブドアショック(日本)
2008年 リーマンショック
世界恐慌からいち早く立ち直ったのはナチスだった!〜『ヒトラーの経済政策』
第一次世界大戦での敗戦により支払不能なほどの賠償金を負わされたドイツは、ハイパーインフレーションに見舞われ経済がほとんど崩壊しかけていた。
一時、持ち直しかけたりしたものの、息つく間もなく今度は世界恐慌に襲われ壊滅的な打撃を受けてしまう。そんな大不況のなか、生活が破綻した中産階級
や労働者、農民らの怒りを吸収して支持を伸ばしたヒトラーが政権を取る。
ナチスは、ドイツ経済に驚異的とも奇跡的ともいいうる復興をもたらす。失業問題をわずか数年で解決し、経済を安定させ、世界恐慌からいち早く抜け出す
ことに成功したのである。
ナチスというと暗黒の支配といったイメージが強いが、一方で、大胆な政策によって国を立て直し、国民を厚くケアした福祉国家という別の顔も持っていた。
だからこそヒトラーは熱狂的な支持を集め続けたわけだ。
いったいどんなマジカルな政策をヒトラーは繰り出しのか? 本書は、経済政策という側面から、ヒトラーおよびナチスを探った、ちょっと珍しい一冊である。
ナチス政権誕生までのドイツ経済の足取りを簡単に振り返っておこう。
第一次大戦に敗戦したドイツはベルサイユ条約により植民地全部と領土の一部を取り上げられたうえ、1320億マルク(330億ドル)の賠償金を請求された。ドイツ
の当時の歳入20年分くらいの額であり、毎年の支払いは歳入の2分の1から3分の1に及んだ。
そんなもの払えるわけがない。札をガンガン刷ったドイツは、1922年から1923年にかけてハイパーインフレーションに見舞われてしまうことになる。どのくらい
ハイパーだったかというと、0.2?0.3マルクだった新聞が1923年11月には80億マルクに暴騰する勢いだったそうである(村瀬興雄『ナチズム』中公新書)。
ハイパーインフレによってもっとも打撃を受けたのは中産階級や労働者、農民だった。一方で、外貨でドイツの資産を買ったりしてボロ儲けする者もいたのだが、
そのなかにはユダヤ人実業家が少なからず含まれていた。その怨みもユダヤ人迫害の一因となる。
このハイパーインフレを止めたのは、ヒャルマール・シャハトという銀行家である。ときの首相シュトレーゼマンにより通貨全権委員に任命されたシャハトは、
兌換紙幣「レンテンマルク」を発行し、同時にデノミを実行してインフレを収束させることに成功、1926年ごろからドイツ経済は回復に向った。この「レンテンマルク
の奇跡」により、シャハトはドイツ国民から英雄視されることとなった。
だが、好況も束の間、1929年10月、ウォール街暴落をきっかけに世界恐慌が起こり、アメリカからの投機マネーに依存していたドイツは深刻な不況におちいってしま
うのである。
(続きはソース先で)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090528/195992/