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母のあえぎ声に苦しめられた女性、後に「こんないいものはない」
小学5年生のとき、母に、「夜、あんなこと、しないで」と頼んだことがあります。母は、「しょうがないじゃない。父さんがしたがるんだから」と言って、ぷいと顔を背そむけてしまいました。
それでも少しは遠慮してくれるかなと期待しましたが、逆でした。私の苦情は両親を刺激したのか、母の声は前にも増して大きくなったのです。
◆家に居場所がなくなった中2の私は夜の街へ
私が中1の時、母は3人目を妊娠しました。それなのに父との営みは臨月まで続き、弟を出産して1か月もしないうちに再開。
乳飲み子の弟が泣いても、母は行為が終わるまでふすまを開けません。仕方がないので兄がミルクを作り、私がおむつを替えて抱っこして寝かしつけていました。
あの時、両親が何を思ってせまい家であんなことをしていたのかはわかりませんが、まず、思春期の兄がおかしくなりました。
興奮を抑えきれなくなって、隣に寝ていた私の下着に手を入れてきたのです。思い切り蹴飛ばすと、
気の弱い兄は「ごめん」と言って引き下がりましたが、そうなるともう狭い6畳間で兄と枕を並べられません。
家に居場所がなくなった中2の私は夜、遊びに出かけるようになり、すぐに仲間ができました。男子と一緒にいれば、やることは1つ。子供の頃から耳をふさいでいたあれです。
あんなに嫌がっていたのに、いざ、自分がしてみると、すぐに「こんないいものはない」と思ったのは親の血か。いつの間にか、
私の頭の中はあのことでいっぱいになっていました。 「誘えば誰とでもする女」。
高一になった私は、男子生徒からそう呼ばれていました。私に聞こえるように「バカじゃないの」と軽蔑する男子生徒もいたけど、
そういう男に限って、私がふざけたふりをして腕をとっておっぱいを押しつけると、「させろ」と追っかけてきます。