どこかズレている
「ダチョウの平和」ですぐ思い起こすのが、他ならぬ安倍晋三首相の発言である。
2017年10月の総選挙に際して行った記者会見で、少子高齢化を「国難とも呼ぶべき
事態」と位置づけ、突如として、増税される消費税の使途変更を宣言した。
国の舵取り役たる総理大臣の言葉は重い。首相の発言を耳にした私は、「ようやく
、少子高齢化への対応に本腰で取り組むことにしたのか」と期待を抱かずにはいら
れなかった。
だが、それが全くの「ぬか喜び」であったことを思い知らされるのに、多くの
時間を要しなかった。
安倍首相の口から続けて飛び出した対策が、幼児教育・保育、高等教育の無償化
だったからである。「国難」と大上段に構えた割には、スケールがあまりに小さい。
スケールの大小だけでなく、「どこかズレている」と感じた人も多かったのではな
いだろうか。
深刻な少子化にある日本においては、子育て世代が抱える不安を解消しなければ
ならない。だから、教育・保育の無償化について、「全く無意味だ」などという
つもりはない。
だがしかし、今後の日本社会では高齢者が激増する一方で、少子化が止まる予兆
がない。このままでは勤労世代が大きく減り、社会システムが機能麻痺に陥る。
日本という国自体が無くなってしまうことが懸念されるからこそ、「国難」な
のである。
その対応には、ダイナミックな社会の作り替えが不可避だ。私が首相に期待し
たのは、人口が激減する中にあっても「豊かさ」を維持するための方策であり
、国民の反発が避けられない不人気な政策に対し、真正面から理解を求める姿
であった。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55466?page=2