『半分、青い。』がいつまでも続くことを願う街
岩村町の古い町並みは、同じ岐阜県内にある飛騨高山の「三町」区域を思い起こさせる。やはり江戸時代にできた城下町だ。
ただし、訪れる人の数は圧倒的な差がある。高山の三町は近年“インバウンドの主戦場”と化し、多くの外国人客が集まる街になった。
2016年に高山市を訪れた観光客は約450万人。一方、恵那市は約350万人だ。約100万人の開きがある。
高山市は全国に先駆けてインバウンドに力を入れてきた自治体だ。2016年には日本観光振興協会等が主催する「ジャパン・ツーリズム・アワード」の大賞を受賞し、街全体に「外国人を歓迎しよう」というムードがあふれている。
岩村町の人々も、当然高山の賑わいを知っている。高山のインバウンドの成功をどのように見ているのだろうか。
本通りで生活用品を扱う店の男性に、「高山の賑わいはすごいですね。やはり高山のような観光地を目指したいですか」と尋ねてみた。
筆者は「高山を参考にしたい」という答えを予想したのだが、男性はこう答えた。
「高山はだいぶ荒れとるって聞くなあ。外国人観光客が大手を振って歩いているらしいね」
確かに昨年(2017年)、筆者が高山で取材した際は、あまりにも大勢の外国人観光客が押し寄せた結果、地元の人々の生活が圧迫され始めていた。
生活用品店の男性は、高山市は“行き過ぎ”の状態だと見ているらしい。
また、別の商店の店主は、次のように語った。
「岩村町は狭くて小さい田舎町だから、飛騨高山のようにはなれません。そうなりたいとも思いません。仮に外国人観光客がたくさん来ても、生活の潤いには直結しませんから」
確かにアジア人観光客が日本で欲しがるのは地場産業とは縁のない化粧品や日用品ばかりだ。「生活の潤いとは無縁」という地元の人々の本音は、中国からの大型フェリーが寄港する鹿児島でも耳にした。
恵那市役所にインバウンドへの取り組みを尋ねてみると、こんな返事が返ってきた。
「『外国人観光客が増えすぎても』という意見は確かにあります。岩村城下町は観光地である以前に、町の人たちの生活の場です。生活者の車両通行もあるので、大勢の団体客を受け入れるには不向きでしょう」
インバウンドに詳しい専門家によると、「政府はこれからもどんどんビザを緩和させる方針」だという。最近の国の施策は、ますます「数字稼ぎ」に傾斜しているように見える。
だが、観光客の数を追えば、町はたちまち“キャパオーバー”に陥ってしまう。岩村町は「人々の生活の場」であることを重視しており、インバウンドの本格化には慎重なようだ。
岩村町を訪れる観光客が必ず目にするのが、各戸の軒下に飾られた佐藤一斎(さとう・いっさい、1772〜1859)の語録である(写真)。
佐藤一斎は岩村藩出身の儒学者だ。その著書『言志四録』は、西郷隆盛が愛読していたことでも知られる。
佐藤一斎の思想を語り継ぐNPO法人「いわむら一斎塾」の塾長、鈴木隆一氏(79歳)にも、岩村町の今後を尋ねてみた。鈴木氏はこう語った。
「外国人観光客に岩村町城下町を知ってほしいという気持ちは強くあります。けれどもインバウンドは兼ね合いが難しい。守ってきたものが失われることだってありますから」
街のいたるところで目にする佐藤一斎の語録が単なる飾り物ではないことは、町民の観光客に対する誠実な応対ぶりからもうかがえる。
例えば、筆者が買った話題の五平餅は200円。日本の観光地はどこも観光客相手に“ふっかける”ところばかりだが、ここにはそれがない。
観光地ずれしていないのは、人としての生き方を説く一斎の思想が浸透しているせいなのかもしれない。
『半分、青い。』が終盤を迎えた今、観光に携わる人々が心配するのは「その先」だ。「朝ドラ効果は続いても11月までだろう」――そんなコメントがあちこちで聞かれた。
ブームが去ったあと、岩村町はどんな観光地を目指すのか。今後の選択を見守りたい。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54114