まあ無理をしない、てことかな
地の文、てのは要するに5chに書ける素の思い、てのもある
ただ感情だけ、というのではくね
なにか、外に表現出来るものと自分の感情とかのつりあうポイントはいつか訪れる・・・じゃないかな
先々週中学同級会
俺が言われたのは、とにかく本読んでたよね、て
自覚なかったが、そう映ってたんだな
小説はそれこそ語彙力が必要だからなw
むしろセリフ無しで書いてみたら良い
それでも無理なら、好きな小説のあらすじをまとめ続けろ
気付けばオリジナルで書けるようになってるはず
創造性が欠如してる奴に創作は無理
俺クラスなら小説でキャラが単語だけしか話さなくても楽しめる作品作れる
ラノベ読みしかして無かったんだろ
お前の目標が普通の小説ならまずそれを読め
目標知らずに書ける訳がない
語彙語彙言いますけどね、どうやったら語彙って増えるん
>>17
それやったら独白が多すぎて逆に地の文だらけになっちゃった 俺はゆうすけの顔を見た。その顔は顔とは言えぬ顔だった。
強いていうならば白菜のように皺だらけで目も鼻の在り処もわからぬひだのある沼のようなものだった。
その沼の底から声とも呼べぬ声が聞こえてきた。
まるで洞穴の奥に置かれたラジオの音声のような不確かで脆弱な音だった。
「たすkぇて」
微かにゆうすけの声が聞こえる。
俺はぎょっとしてその沼の底を見つめた。
するとその沼がぽっかりと穴を開けた。
暗闇の底から今度はケタケタと子供の笑い声が聞こえる。
「おい、ゆうすけ!しっかりしろどうしたんだ!」
肩を掴んでつよく揺すると今度は俺の背中の後ろから声がする、
「助けkてくれ、地の文が…」
俺はひっと叫び頭を抱えうずくまった。それから数分いや数秒だっただろうか
とにかく沈黙が訪れた。ゆうすけの気配はする。気配はするがそれがゆうすけであるかどうかは定かではない。
しかしゆうすけがそこに居たのは紛れもない事実だ。とはいえそれがゆうすけであるならば今いる存在は一体だれだ?
少なくともかつてのゆうすけとは全く違う。少し落ち着いて俺は思考をめぐらせた。
「なあゆうすけ」俺はうずくまったままそのゆうすけらしき存在に恐る恐る声を掛けた。
今度は大きなケタケタがすぐ耳のそばでした。
「うわあああ」俺は声を上げて後ずさった。
「脚本…になっちゃう」
こんな感じで書けばいいだけだろ
自分の日常生活のちょっとした動作や風景を小説の地の文にする練習はどうだろうか
…試しに自分もやってみようとしたが今日は家を出てないので書けることがない
台詞ばっかの小説もあるし別にいいんじゃない
地の文ばっかの小説もあるし気にすんな自由にかけ
読書はね 大事だよ
こればっかりは、アニメや漫画見てるだけじゃダメ
アニメや漫画って、情報を言葉で説明したりしないでしょ
(ナレーション除いて)
それをやるのが小説なんだよ
「ゴジラはでかい!つよい!」
これだけじゃダメ
どれくらいデカくて、どんな風に強いのかを
文字で説明しなければならない
嫌儲民に聞いたところで実践とは何の関係もないとにかくフワフワした想像アドバイスしかできんからな
あるところにたぬきがいた。しかし普通のたぬきというわけではない。
顔は青くまんまる、耳はない。耳は無いが耳のようなものはある。
その耳のようなもので音を拾う。口は大きい。どら焼きがひとくちで入るほどだ。
ただどら焼きを食べるだけではない。生意気に口答えもする。
とはいえその大半は飼い主に対する小言に費やされる。
なるほど確かに一見たぬきというより耳のないネコに見えるかもしれない
けれどもそれはねずみをひどく恐れる。ねずみを怖がるネコなどいない。
故にそれはたぬきとしかいいようがない。少なくともネコではない。
こんな感じで接続詞を意識して地の文をつなげていけばいい
三段論法や省略三段論法を混ぜるのもいい
地の文で描写をするときはリズムを忘れずに
類語辞典引いて見たことない言葉に置き換える
これで語彙はバッチリ
フォーチュンクエストみたいなのあるし大丈夫だろ
あれ一人死んて一人入れ替わったのにまだ続いてるのな
地の文を「だった」と「あった」といった
全部「た」で終わらせてリズムを作る方法もある
シンプルで短い分を重ねて
乾いた固茹での描写をするならそういう方法もある
会話文は難しい
作者が腹話術やってるだけだからな
実際の会話では意想外の返事が返ってきて議論が思わぬ方向に発展するってことがあるけど
小説ではどうしても予定調和的になる、初めから分かりきった結論に向けて進んでいく
>>29
なるほどなあ
逆に無駄を省くことだけ考えてたわ まあ夏目漱石の猫をちょい意識して書いたな
描写をエピソードにして眺めにするともっと漱石っぽくなる
長め
地の文は接続詞やリズムに特徴が出る気がするな
もちろん文体やその人の比喩の使い方もあるけど
地の文が長いのに読ませる人は接続詞の使い方も上手い
好きな小説を書き写す作業すると文章のリズムみたいなものがつかめてくるよ
あとはそこから好き勝手書いてオリジナリティを出していくと良い
って小説の書き方みたいな本に書いてあった
>>24
戯曲はオペラとかミュージカル?曲ってくらいで 谷崎の文章読本は読んだわ
態とか時間とか焦点化とかの方法論になると
ジュネットからの物語論読む必要になるけど
たとえば時間であるならば
”彼は週に三回病院に通った”
というようなn度起きたことを一度だけ語る”括復法”だと
時間の描写とともに習慣、性格、エートスも
描写をすることができるとか
分析して文章を書いたりする
谷崎はリズム重視なんだよな
とにかく文章は下手な描写や読者の苦手な描写でも
読んでもらわないといけないわけだから
リズムリズムリズム
音読して喉につっかえるなら文章は
推敲するって作家もいる
素人物書き界隈の地の文信仰てほんとひどいよな
芥川くらいの頃は逆に戯曲が流行って映画脚本みたいな文学もあったのに
まあキンキンキンキンみたいなのは低レベルすぎるが
全然知らない人に読ませて面白さが通じればそれで良いんだよ
逆にまったくセリフが書けないほうがケンモメンっぽいんじゃないかと思うんだが
戯曲(劇文学)にすればよくね?
いっそ脚本家になるとか
>>47
そうなんだよな
つーか別にキンキンキンキンだってそれまでのお膳立てが出来てれば使ってもなんら構わないよ
感嘆するわきゃないけど「ああ、そういう風に処理するのか」ぐらいにしか思わないし
大して本も読まない奴らが馬鹿にしてるだけだろ 今は地の文の描写は「散らす」って方法論があるので
バルザックやドストエフスキーのようなまとまった描写は
読者は飲み干すのに体力がいるので
砕いてあちこちに散らす方法論が確立されてる
だから地の文で描写を厚めにするのは避けるって手もある
ただ風景や自然の描写を重ねるのは下手な人がすることなので
ある程度美的効果や現実効果といった効果を意識して描写を
しないといけない
読む側のときでも外見の説明とか風景描写とかくっそどうでもいいから絶対書けないわ
現実効果ってのは
その描写によって真実らしさを担保する
ほんとうらしくする描写な
特段詳細を書く必要はないものでも
詳細を書くことによって真正さを保証するような描写
SFやファンタジーだとわかりやすいか
その詳細や細部を書くことであたかも現実にあるように
思わせるような描写
>>57
それあるなぁ
地の文を読むのがかったるい、字数を稼いでいるだけじゃね?って感じてしまう >>6
最後の彼女はまさに死にかけているのだっていう一文要るか? >>57>>61
それ自分の読み方が低レベルだって言ってるだけやぞ
読解力の欠如、語彙の不足
いわばネトウヨに近い人種や サブカルですまんが、ひぐらしのなく頃になんかは元は芝居の戯曲の応募作品だったんだろ
楽しく物語作れるなら、まずはなんでもいいんじゃね
ラヴクラフトみたいに
一つの架空の街を作り上げるために
描写をする地域風俗を描写するなんてのもあるな
脚本家出身の某小説書きのおそらく初の小説作品にはセリフの上に各登場人物を示すアイコンが入ってた
そんな小説と言えるのか?って小説から始まってたけど
何本か書くにつれて出来については賛否があっても、ちゃんとアイコンのない小説の体をなす作品を書いてるし
wikiに小説家としても記載される存在にはなってる
だから、数を書いてりゃなんとかなるだろ
>>63
まぁそうなっだがなwwww
司馬遼太郎なんか読むとストーリーの途中で土地の歴史とか語り始めるだろ
体調が良い時は楽しめるんだが、疲れてたりするとストーリー進めろやボケ!って思うんだな はっきりいって
>>20
>>27
みたいなの無意味以外の何ものでもないよ
こんなの有り難がって読むのは本人も似たようなもの書きごっこが好きなオタクだけ
一般の読者には読み飛ばされるし教養のある読書家にも「下手」の一言で切って捨てられる
言葉少なでも何が言いたいかわかりやすい正確な言葉遣いの方が大事
それでも案外言葉ってのは人によって解釈に幅があるもんだから誤読されるんだな
そこで初めて何を詳しく書けば良いのか経験値がついてくる
長い文が書けないのは「これでわかるだろう」という自分なりの判断があるからで
そこを読者とすり寄せてくのが大事
>>20
>>27
みたいな自己陶酔でにハマると本来の文章力とは真逆のベクトルに陥るぞ 「喫茶店で話をさせるといいらしいな」
持ち手が小さすぎて実用性に欠けるコーヒーカップを慎重に持ち上げながら
ツイッターの受け売りを言ってみたが、俺の独り言に耳を傾ける者は誰もいなかった。
衝動的にカップをテーブルに叩きつけて粉々にしたくなったが、
独立記念日で湧く韓国の祝賀ムードに水を注すのもはばかられたので
爪楊枝を床に撒き散らして店員に拾わせることで気を晴らすことにした。
逆噴射総一朗の小説講座を読め
ネタに見えるがガチで参考になる
湊かなえさんは、キャラクターのプロフィールを作れば後はそのキャラが勝手に動き出すって、そういう作りかたしてるらしい
>>53
キンキンキンキンは本当に「剣を交えた」という一言すらないのが流石にどうかと思った
「どぐぁっしゃあん テーブルがひっくり返った」みたいなのなら許容範囲だと思うわ >>71
それって理想だよな、キャラが勝手に動いてストーリーを作ってくれましたってやつ >>73
風景描写もキャラクターの心情だったりするわけだからな〜と今思った 誰かに背景や状況や人物の動作を説明するように書けばいいのさ
小説なんて書いたこともない子供部屋おじさんから
適切なアドバイスに満ちた優しいスレ
>>74
いやその理屈はおかしい
それだと3人称だと情景描写ができなくなってしまう >>77
いや、子供部屋おじさんだから暇を持て余して小説くらい書いたことがあるんだよ
レベルの差こそあれ素人の陥りやすいポイントは何となく分かる >>77
一発逆転を夢見てる子供部屋おじさんが小説に手を出してない訳ないだろ >>77
一発逆転を狙って書き始めて3日であきらめてるパターンだから書いたことはあるだろ >>77
子供部屋おじさんと小説家は親和性がある気がなぜかする 頭の中のスクリーンに映像を思い浮かべる
んで、次にそれを言葉だけを使って描写してみる
地の文が完成する
地の文が書けないのは、いちばん最初の映像を作る部分が十分でないから
だいたい書籍化されて売れてる本なんてテンプレ化した展開とネット上のミームだらけだからな
例えるならあたまがふっとーしそうだよーとか私のライフはもうゼロよとかそんな表現ばかり
描写を詳細にしたところで逆にくどいと感じたりもするからなぁ
全文台詞の作品があってもいいんだし、まずは好きに書くことだ
まあ他人に読ませるより前に自分で何度も読むのも大事だよな
翌日とか時間を空けて読むと「なんでこれで通じると思ったんだ俺は」という風になる
プログラムのデバッグみたいなもんで
何度も何度も繰り返して推敲するうちに自然と言葉は増えてくる
(たまにどっさり削ったりもあるが)
いい加減に勢いだけで書いてすまそうと考えてる奴は何につけても成長しない
5chのレスだって10回くらい頭で読み返しながらてにをは確認する
そういうくせを付ける
自ずとうるさいくらいに饒舌になってくる
ドストエフスキーなんかは口述筆記だったらしいが
本人が神経質なくらいに説明過剰なのがそのまま出てるよな
長文ってのはそういう「伝えたい」という強い思いから出てくるんで
スノッブな飾りだと思ってるうちは文章力なんかつかない
ラノベとかなろうってあまり読まないんだよな
まあラノベでも文章的には同じだろ
散らすか散らさないか自意識を混ぜ込むかとか
一人称にするかとかそういう違いはあるだろうけど
ドラえもんというのが存在する。
もちろん君たちも知ってるあのドラえもんだ。
ロボットで、ポケットがあって、どら焼きが好物で
子どもたちの夢を叶えてくれる
のび太の世話をするためにやってきたあのドラえもんだ。
形はといえば手身近に言えば耳をかじられた青狸……もとい猫だ。
でもドラえもんは現実にはいないしマンガやアニメの中の存在だ。
もちろん僕だって見たことがない、見かけたらとっ捕まえて押し入れに閉じ込める。
じゃあ二千年後の未来はどうだろう?
もちろんドラえもんはいない。
なぜって?なぜならドラえもんの魅力は現在に未来の技術力をもってきたことにあるからだ
たしかにドラえもんと似たような形態、道具を持ったロボットは作れるかもしれない。
でもそれは未来にとって普通の技術なんだから、
そんなドラえもんなんてただ道具をいっぱい持ってるロボでしかない。
そんなものはドラえもんといえるだろうか?言えやしない。
少なくとも僕らが望んだドラえもんとは別のなにかだ。
じゃあ未来とは未来の技術とは一体なんだろう?
そんなことを考えてたら寝られなくなった。正確には寝た。おひさまが上りかけたころ。
当然寝坊した、遅刻だ。全くのび太じゃあるまいし。
どこで会話しているのか説明して、会話してる時にも人は動いてるわけだから
動いてることを説明すればいいだろ
会話しながら頭ポリポリかいたりするだろ
語彙力はもちろん、句読点や接続詞の使い方でリズムが付いたり文章に個性が出るから意識した方がいい。
地の文は語彙力が肝要だからひたすら読書と漢字の勉強だな。
あるところに子供部屋があった。といっても子供が住んでいる部屋ではない。
文章構造を意識して
上手い人がどういう文章で
書いてるか真似すればいいよ
その前にどういう構造があるのかを把握するのも
忘れないでね
ニーチェみたいに血をもって書け
さすれば血が精神であることを知るだろうってのもいいけど
ニーチェ本人は修辞学講義なんて著すほどのレトリシャン、修辞家
スタイル、形式への意識は絶対に必要だよ
谷崎だって文章読本を書いてる
漱石だって文学論を書いている
トイレにいぅてうんこをした
いちどこでなぜだれが何をどうした
昼過ぎに起きうつらうつら辺りを見渡し
あああ今日は腹が重いなと自覚をしそこでトイレに行けばよかったのだが
何せ頭がはっきりしていない 洋行帰りの船室でインド洋を過ぎた
あたりから日付が変更するそうだ どいつに残したエリスは今頃と
部屋にこもりきり昨夜はねいるのも遅かったから
体力や胆力を使い果たして疲労困憊したのであった
その目覚めが快適であろうはずもなく
重いジーゼルエンジンの音と波をかき分ける砕けた音はからだにもこたうる
手を腹に持っていき2度3度さすっていた
まだ半分ある いつ どこでくらいが終わった
森鴎外先生
余は模糊もこたる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて、
忽たちまちこの欧羅巴ヨオロツパの新大都の中央に立てり。
何等なんらの光彩ぞ、我目を射むとするは。何等の色沢ぞ、我心を迷はさむとするは。
菩提樹下と訳するときは、幽静なる境さかひなるべく思はるれど、
この大道髪かみの如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々くみ/″\の士女を見よ。
と思い詰めた余はたちまちいかず頓珍漢に腹痛に襲われていた
排便に至ったのである
ナルシズムな文章と洒落た文章は紙一重な気がするけど
書く側になるとその境界がぜんぜんわからん
>>103
そりゃそうだろ
読んでる方の感覚で捉え方は違うし
読んでる方の感覚は人それぞれで違うわけだし
以前は許容できたけど今はダメって感じで一人の人間の中でもその感覚は変わってくる 最近ホメロスのイリアスとオデュッセイア読んだけど情景描写、比喩が詳細で風景や人物のたち振る舞いが鮮明に浮かんだけどあれってギリシャ神話の世界観だからこそなのかな
それとも詩だから小説と違ってそういう風に出来てるんか
>>92
>>100
こういう無理矢理書いた長文てさ
本人が書くこと探しながら書いてるからなのか
話題や視点があっちこっちに飛ぶんだよな
ドラえもんを知らない人に説明してるのか知ってる人に確認してるのか
何を伝えるための説明なのかドラえもんの能力が問題なのか容姿が問題なのか
さっぱり定まってない
こんなのが文章力なわけないじゃんっつう話で
「みんなドラえもんは知ってるよね。あの青くてまん丸いタヌキみたいな猫型ロボット。」
程度に簡潔な方が何万倍も良い文なんだよ
本当に良文が書きたいならこういうオタクの戯れはまず辞めること
それが第一 海外文学話題に出してるやついるけど、翻訳でしょ?
それって翻訳家がすごいんじゃね?
>>106
その文を読んで
ドラえもんを知らない人に説明してる文章だと思う人はいないだろ
そういうふうには書いてないんだから
書くなら知らない人のために書くとといって説明するだろうし
普通はそういうふうに書くものだよ 知らない人のためにかくなら
押入れに入れるなんて
文脈もなしに言ってもわからないような
こと書かない
夢を叶えてくれると
ぼくらが望んだというのは対になってるわけで
「みんなドラえもんは知ってるよね。あの青くてまん丸いタヌキみたいな猫型ロボット。」
じゃあ全く文章の後段に対する意識が欠けて効果として弱すぎるんだよね
技術論は色々あるけどさ、なろう小説読んでいちばんインパクトあったのは
技術が未熟でも面白い作品があるやん、っていうところ
まぁそのなろうでも最低限の技術がないと書けないけどさ
>>108
学生の部誌にも載せたことのなさそうな手慣れない文で「普通」を語られてもね
無理矢理文字数稼いでるせいで知ってる人には要らない情報があると言ってるんだよ
5chで同じ内容書くときにこんな長文書かないだろ
文芸に文芸ごっこは要らんのだよ >>111
いや君のほうが
簡潔な文のほうが伝わると言って
文章の連結、情報構造無視した
指摘してたんだけど大丈夫? 「みんなドラえもんは知ってるよね。あの青くてまん丸いタヌキみたいな猫型ロボット。」
のほうがシンプルで完結で伝わる
って言っても後段となにも連結がなく
そもそも知ってるのを確認するための文章ではなく
「ドラえもんとは何か?」という問いを後段で展開するために
夢を叶えてくれると、形式を書いたわけで
それにたいして無駄だと言ってしまうのって
ただの文章構造読めてない人でしょ
二人して何を青いタヌキの事で言い合ってやがる
はたから見たら滑稽だぜ (´・ω・`)
俺は緑のたぬきを選ぶぜ!
ズルズルズルーッ!
>>112
「君の方が」の意味がわからない
まず根本的にコミュニケーション能力を磨いてくれ
文章力はコミュニケーション能力の延長に過ぎないんだぞ >>116
わからないならいいよ
君が情報構造を意識して文章を書いたことがないのはよくわかったから >>117
お前の頭の中にある「構造」なんて誰も気にしやしないんだよ
そういうとこだぞ 地の文なんてキャラクターの心情吐露、動き、風景描写適当にはめ込んで終わりやろ?
最近はいい加減な地の文の作家の多いし苦手なら会話重視でいいだろ
簡潔な地の文のほうが伝わるって人は
文の効果というものを意識してないんだな
もちろん君たちも知ってる
あのドラえもんってってことを
重ねて確認して聞きながら
「もちろんドラえもんはいない」と聞き手に疑問を抱かせて
「ドラえもんとは」と展開してるわけで
確認、聞き手の認知情報に対する修正を求めていく疑問の
投げかけ、
そこからドラえもんとは何かという語義係争、
問答法、認知の修正へと至るわけだれど
「みんなドラえもんは知ってるよね。あの青くてまん丸いタヌキみたいな猫型ロボット。」
では後段に対する展開では論理的に連結せず、浅くて弱い
重ねて確認して、もちろん、あのと繰り返すから効果があるんだよね
>>118
太宰メソッドみたいな詭弁やられてもな
いらん エロ小説読み漁れば抜くついでに文章の勉強にもなっていいぞ
俺はこのエロ小説家の文章好き
インプットしなければアウトプットも出来ないけれど
インプットだけし続ければ良いわけでもないわな
とりあえず情景描写して添削してけばいいと思うよ
>>1
大丈夫だ、プラトンはどんどん地の文を減らして対話編へと移行していった
それでもなんとかなる 描写が苦手な間はとにかく書くしかないな
映画やドラマの1シーンを自分で小説に書き起こしてみればいい
>>120
手前勝手に効果効果という前に
まずは人に読ませられる文章を書けっての
こういうひどい本末転倒がオタクの駄目なところ >>130
そりゃ文学理論、認知論、修辞学、弁論術の用語で書いてるからなあ
オタクっていうか知識量情報量の差は出ちゃうよね
君が知った風にこんな文章は素人といいながら
今度は一般人、素人ぶって相手に読ませろっていうのは
滑稽だね
まあつまらん煽りしかできないとわかったから相手ににしないけど いるんだよねワナビーでとにかく簡潔な文章が良いとかいう人
シンプルな文章重ねても情報構造や効果やリズムのためといった
何の意図もなければ、それただの短文だからね
短文重ね上手い人ってのは短文だから上手いんじゃなくて
情報を圧縮したりできるだけ言葉を簡潔にするように情報を圧縮
言葉を選んでそのスタイルを取ってるだけだから
「みんなドラえもんは知ってるよね。あの青くてまん丸いタヌキみたいな猫型ロボット。」
なんて情報量の薄っぺらい文章は書かない
文章をなめてるよね
短文で簡潔に書くことが
良いことで
それだけで良いことだと
思ってるんだから
どれだけ文を削ぎ落として
情報や効果を詰め込んでるのか
考えたこと無いんだろうね
>>131
ここまでアホだともうつけるクスリがないなw
「知識のある俺」が書いて「知識のある俺」が読むだけの文章をずっとチラ裏に書いてろよw
良い子はこういう自称物書きにだけはなっちゃいけないぞw ドラえもんが未来から帰ってきた場面
ドラえもん「のび太くん!」
のび太が、部屋のドアを開けると、月明かりに照らされたずんぐりむっくりとした懐かしいシルエット!
なんてことだ!そこにはあのドラえもんがいるではないか!懐かしい!懐かしすぎる!頬を伝い流れ落ちる涙が口に入りしょっぱい!でもそんなのは今ののび太には関係ない!そんなの関係ないんだ!
こんな感じで勢いに任せて書けばいいんだよきっと
なるほど確かにシンプル・イズ・ザベストではある
しかしシンプルであるということは安易ということではない
ニーチェは読まれるためではなく、覚えられるために書き
短い文章、箴言を好んだが
その箴言の書かれた石版の裏には
深い知識と情報が刻まれ裏打ちされていた
今の小説家ってみんな表現豊かで地の文から退屈にならないように読ませるけど
昔は赤川次郎みたいな下手くそでも売れてたし、
森博嗣みたいな全然情景が浮かばない地の文で、人間味のないセリフでも許されてたよね
>>138
そりゃ昔はファミコンクオリティのゲームが売れてたみたいなこと言っても仕方ないでしょ 今の小説家は
他のメディアとの時間の奪い合いとの勝負だからねえ
小説しかなかった時代と比べて娯楽は多様化
現在と昔では時代が違う
だから文体におけるリズムって今の方がより重要
地の文の描写って読んでる間時間が止まるんだストーリーの
そして小説を読んで目を止める時間もそこで取られる
ボトルネックなんだ
>>1
>地の文が全然書けなくて脚本になっちゃう
本当の問題はそこじゃなくて そもそもその脚本が面白いかどうかなんじゃねーの?
つまらない脚本をノベライズしたって面白くなるわけがない
そんなことに労力使うのは バカバカしい 米国海兵隊 vs フェラチオザウルス
「アウチ!オゥシット!足が…」
「何してるスティーヴ!早く掴まれ!奴が来てるぞ!」
「あ…ああ…うわぁぁぁぁっ!」
「馬鹿!早くしろ!早く…」
『んもぉぉぉぉぉぉん!』
「No…Noooooooあ゙あ゙あ゙あ゙らめっ!イグッ!イグぅぅぅぅッ!!」
「スティーヴぅぅぅッッ!」
「止せ!もうアイツは助からないッッ!」
「畜生!離せ!スティーヴがッ!」
「馬鹿野郎っ!お前まで吸われちまうぞ!」
「あばばばば!イグぅ!おちんぽイグぅぅッッ!」
「隊長…スティーヴは…俺とアイツは訓練所から一緒だったんです…」
「ひぎぃぃっ!おちんぽギモヂイイ!射精るっ!また射精ますぅぅぅぅ!」
「マック…」
「ベトナムでもアフガンでも俺達は生き残ったんだ…なのにこんな所で…畜生…」
「もう無理ィ!射精ません!射精ないから止め…ああああやっぱり射精るぅぅぁぁぁぁッッッ!」
「マック、ならお前は生きてスティーヴの仇を討て!」
「はぁぁぁぁんっ!もうらめぇ!おちんぽ取れる!お兄ちゃんボク妊娠しちゃうよぉぉぉっッッッ!」
情景重視の作家って、プルーストの失われた時を求めてみたいなのが極地なんだけれど
ワンシーンがながいんだ
長いのはアクションが多いからじゃなくて
心理描写や認知描写が厚い、長い
一幅の絵や幻灯機を眺めるような描写
美しく綺麗ではあるんだけれど
それじゃつまらないと物語の復権ってのがあって
物語重視の作家の潮流が生まれたのもある
物語重視といってもストーリーがおもしろいというわけではなくて
物語の筋を運ぶ技術を卓越させた作家たち
ガルシア・マルケスみたいな
この手の作家は地の文で要約法をよく使う
簡単に言えばあらすじみたいなもんだ
それこそイリアスやオデュッセイアみたいな
彼の祖父はヴェネチアの船に揺られ育ち、
ヴェネチンアグラスで生計を立て、やがてヴェネチアの底に沈んだ。
そして父もまたヴェネチアの船に揺られ育ち
ヴェネチアンマスクで生計を立て、やがてヴェネチアの底に沈んだ。
ヴェネチアングラスはよく売れた。彼の祖父は豪華客船で酒に溺れて海に溺れた。
ヴェネチアンマスクはまったく売れなかった。彼の父はギャンブルで借金に沈められ海に沈められた。
みたいなのとか
彼は酔いを覚ますために外に出た。麦の穂が垂れる畑を横切り、月の見える丘を越え、
ピザの匂いのする工房を通り、それからもう一度飲み直すことにした。
ビールを飲み、月を思い浮かべ、ピザはないのでトーストにチーズを乗せて食べた。
満腹になると眠気を覚ますためにまた外に出た。もう明け方に近く
シャカシャカと豆を洗う音が聞こえる通りを抜け、大きな音のする滝に打たれる修行僧の横を通り抜け、
タイヤで遊ぶパンダを眺め、それから今一度家に帰った。
彼は歯を磨き、シャワーを浴び、それからぬいぐるみを抱えて寝た。
みたいなの
数学者とか物理学者とか化学者じゃない。数式を書くわけじゃない。
ただただそれっぽく、おまえが喋ってる書こうとしている文章の積み重ねを
紡げばいいだけだろ。
甘ったれんな。たかが小説書くなんて易しいだろ。
それ以上に世の中って難しいんだよ。難しいことの連続
マジレスすると単純に語彙力と文章力が足りない
読書をしろ
そして小説書くときは必ず類語辞典を用意しろ
ID:PWpGmbGD00303
どんな些細な事でもマウント取りたがるクズって出てくるんだな
たとえば漱石の三四郎の描写の文章
三四郎は室の隅にある洋机と、洋机の前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、
その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見廻して、この静かな書斎の主人は、
あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。
というふうに文章の形式とリズムを揃えてる
洋机とその前にある椅子とその横にある本箱と
その中に
ではないんだよね
こういう描写でもこだわってリズムを形式的に整えてる
といっても逆に文体のリズムや形式を排除していく
作家もいるのがおもしろいところ
意味の連鎖や効果やインパクトを重視して読ませる作家
読みにくいけどその文体に憧れてしまう作家
>>148
人に読ませる文を書けと言ってるのにひとり言ばかり
そういうとこだっての
てめーの中学生みたいな辿々しい習作を漱石と並べるとか烏滸がましい
本当に駄目なワナビーの典型だなw >>141
面白い脚本は脚本の段階でも面白いもんね
数日置いてあとで読み直したとき「この描写どういう意味だっけ?」と思わなければ必要十分
余計な装飾などいらん。むしろ装飾を取っ払って読者に想像を委ねるハードボイルドスタイルもあり 漱石の文章って前辞反復って言って
技術レベルではとくに高くないんだけれど
ワナビーには素晴らしく見えちゃうんだね
リズムを整えるために使ってるって例で持ち出しただけだからね
修辞本開けば乗ってるからね
「漱石の文章」ってひと言でいってるけど「猫」「草枕」「虞美人草」
それぞれ文体がまったく違うんだけど
そりゃ上に出した文章のことだよ当然
文体が違うなんて当然知ってるよ
猫はちなみに『牡猫ムルの人生観』って
ホフマンの本がおそらく元ネタ
会話文だけの小説で良いじゃん
スタイルはなんでも良いんだよ、その中で良い悪いがあるだけ
ゲーテのファウストなんかも俺は何だこれと思ったが、あれでそれなりに評価を得てるだろ
漱石の『我輩は猫である』とホフマンの『牡猫ムルの人生観』かなり似てるんで習作レベルというより
今ならパクリと言われてもおかしくないレベル
そんなに似てるのか
『明暗』がヘンリー・ジェイムズ『黄金の盃』を真似てるのはよく言われるな
>>157
ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』からの影響ともいわれている 最初に会話文だけ書いて後から状況説明足してくやり方で
毎回書いてるわまー落選しまくりなんですけど
90年代の段階で三島賞の選考委員を務めていた筒井康隆が
「地の文がつまらない、書けない作家が多いのは自然主義文学に触れていないからだ」というようなことを言っていた
まあこれは自然主義文学が優れているとかそういう話ではなく、どういう形態にせよ作家を志す人間は自然主義文学に触れるのが当たり前だったが
(その当時の)若い作家は自然主義文学に触れることなく作家になってしまったのでは?という疑問から来ていたわけで
30年近く前の大衆文学ですらこういう評論になってたんだから今のラノベ作家やなろう作家なんて言わずもがなだわな
状況描写が足りない。
脚本と小説の違いはそこ。
所作から風景まで必要なものを選んで書け。
心理描写はどちらでもいい。叙事的か叙情的かは作品のカラーだ。
ラノベのお手本は『蹴りたい背中』な。
いとうのいぢ挿絵とかだったら500万部+アニメシリーズ化くらい行ったかもな。
賞は取れなかっただろうけどw
>>20
ゆうすけの顔を見た。顔とは言えぬ顔だった。
白菜のように皺だらけで目も鼻の在り処もわからぬひだのある沼だった。
沼の底から声とも呼べぬ声が聞こえてきた。
洞穴の奥に置かれたラジオの音声のように不確かで脆弱だった。
微かに聞こえる。
「たすkぇて」
ぎょっとしてその沼の底を見つめた。
沼がぽっかりと穴を開けていた。
暗闇の底から今度はケタケタと子供の笑い声が聞こえる。
「おい、ゆうすけ!しっかりしろどうしたんだ!」
肩を掴んでつよく揺すると
「助けkてくれ、地の文が…」
俺の背後から声がして、俺はひっと叫び頭を抱えた。
沈黙が訪れた。数分いや数秒だっただろうか。
ゆうすけの気配はする。気配はするがそれがゆうすけであるかどうかは定かではない。
しかしゆうすけがそこに居たのは紛れもない事実だ。とはいえそれがゆうすけであるならば今いるゆうすけは一体だれだ?少なくともかつてのゆうすけとは全く違う。
「なあゆうすけ」俺はうずくまったままそのゆうすけらしき存在に恐る恐る声を掛けた。
今度は大きなケタケタがすぐ耳のそばでした。
「うわあああ」俺は後ずさった。
「脚本…になっちゃう」
添削してみたぞ
比喩とか表現の繰り返しはなるべく残した >>166
俺は主語削るの嫌いなんだよなあ
つか削るなら背後から声がして、俺はひっと叫び頭を抱えた。
にするだろうな
翻訳でもできるだけ主語を削るという人もいるし
主語はいらないという人もいるが
翻訳文体の系譜で一人称を使うのもありとなってる現在では
とくに削除する必要もない
俺は情報量を増やすというわけではなくリズムとして使ってる
だから俺は、とその顔はでリズムを作ってるから
削除できないもんなんだよな
まあそれは趣味の違いだな
添削してみたっていうけど俺からすればそれを添削したらダメだろっていうね >>165
蹴りたい背中なんて純文内じゃ文章下手な方だぞ
俺は、その顔は、強いていうならば、
でリズム作ってるからそれを削られると
困っちゃうんだよな
簡潔な文章っていって削ぎ落とした結果
リズムを損なわれた文章を出されても困る
そういや
鳩の翼は買って積んであるけど
金色の盃も買うか
トリストラム・シャンディは持ってる
あれカバーが復刊年で違うんだよな
一つだけ違ってて揃えたい
漱石が影響受けた人チェックするの結構おもしろい
>>6
ヴォイドさんのサイズ感がわからんけど人間サイズだとしたら人間大の風穴とは一体…
あとは爆発して木っ端微塵に吹き飛んだとか重複表現多過ぎ 漱石はもともと英文学者だからイギリス文学からの影響はよく指摘されている。
たとえば『虞美人草』の硬質な文体はメレディスの(英語の)硬質な文体を
参考にしたと言われている。
閑話休題。今の作家が目指すべきは丸谷才一だと思う(小説は『笹まくら』しか読んでないけど)。
実作もやって、翻訳もやって、評論もやって、日本の古典にも精通してて、という。
メレディスは『エゴイスト』を持ってて
『リチャード・フェヴェレルの試練』は女性版の教養小説で読みたいなと思ったけど
Amazonでたけえなと思って手をだしてなかった
でも見たらちょっと値下がってるしそのうち買ってしまうか
>>170
こういうのを真に受けてるからお前らは余裕のない読みにくい文章を書くのか
こんなわけわからん本とか5chの創作スレとかどうしてそうすぐ真に受けてしまえるんだかわからん
小説とか読者にどう受け止められるかがまず第一だろうに、それをなおざりにして、
「これが理論的には正しい」でどう考えても普通に読みにくい文章なんぞ書く奴をキチガイというのだぞ
そもそも日本の純文学的(?)作法とか海外では別に常識でも何でもないガラパゴス基準も多くてよくそんな妄信できるなと
うーん、ほんと病んでるね 漱石の漢詩読むとその素養っぷりや
その影響を受けた部分は
真似できないと思う
でも他の外国語の著作から影響を受けた部分は
結構わかりやすくて技術的に参考になる
丸谷才一先生の文章読本の
修辞部分は
先生もう少し詳しくてもいいんじゃない?
もっと知ってるでしょ?書けるでしょって思う
あの先生いろいろ隠し持ちすぎ
>>177
要約的な一文を行頭に挿入しないと読者に狙いを受け止めてもらえない
ただの下手くそでは? >>173
これ自体が手本だよ
メッセージ自体はシンプルに、
されどより深い理解を欲したいと思えば自然に言葉が増える
小説だって同じ
より詳細に情景、気持ちを表現しようと思えば勝手に言葉は出てくる
読み手と書き手の間にある認識の距離感に敏感にさえなれば
何を言うべきで何を言うべきでないのかは自然にわかる
言葉を綴るということがコミュニケーション以外の何かに思えてしまうようでは駄目だ
常に「読者はこれを読んだら何を想像するか」を意識する以外に名文を書く手段はない
とは言え人間は思い込みも激しいものだから意識だけで何とかなるものでもない
だから実際他人に読ませてみる、自分自身でも気分をリフレッシュして新しい気持ちで読み直してみる
何度も何度も読み直してみる
そうすると「これなんでちゃんと説明してないんだろう」「ここ話がとんでてわかりづらいな」
と気づいてくるようになって、そうこうするうちに自然と文が伸びてくる
まあ、普通にものを書いた経験があればそんなの自然に身に付く常識のはずだけどね
ストーリーの構成となるとまた別だが、文章を展開するくらいのことで小理屈捏ねるような奴は、
間違いなく走ってみる前に靴の文句を言う類のアホ
推敲推敲また推敲が「文章力」を上げる唯一の手段
このレスだって何度も推敲して途中に文を足し引きしながら書いてる
それ以上に大事なことなんて、あるわけないでしょう >>179
ディスクリプティブパラグラフとナラティブパラグラフの区別がついてないだけだな
英文の世界では明確に違う種類のパラグラフ構成で目的によって使い分けるべきものとされている
良い悪いという性質のものでなく純文学風とか言うガラパゴスなテイストの問題でしかない パラグラフというより
描写の中の[全体-細目][細目-全体]図式だから
それを使うこと自体は別に下手とか上手いとかではない
使い方の差で技術力は出る
多面磨きや系譜的描写で描き出したりできる
重要なのは意図、所定の効果を発揮できてるかどうかで
その文章の下手なところは最後の要約の部分で
一日の生活がすべて要約されてるといいながら
衣食住のうちほぼ食と洗面に偏ってるってところかと
あとリズムもちょっと悪い、説明描写すぎでイメージも浮かびづらい
もうちょいどうにかできると思う
ハルヒみたいに、キョンの実況みたいな文体でストーリーを書いてみる
集約だった
ラノベの文章的にはインストールを読むのって
あんまよくわからないな
一人称自意識の系譜ならサリンジャーでも読めばって
感じはするけど
教科書の
横の
プラケースの
中に
フォークスプーンお箸が入った
ナイロン袋
この描写文字を眺めてもイメージしにくい
だからその箇所で立ち止まって具体的にイメージしないといけないんだよな
文字を滑って読んでると、ん?ってなった
>>180は「長すぎる」というレスを期待して書いたのだが
もう遅いせいか長文を否定したくないのか反応がないので寂しい
結局は詳しく説明するのも簡潔にすますのも読者とのコミュニケーションのためなのであって
自己陶酔に「名文」書いて喜んでる時点でまったくもって三流以下なんだから
つまらない文芸ごっこなんぞいつまでもやってるんじゃない
待ちきれないので自分でネタバラししておく >>188
よく分かってるじゃん自分の文に人を惹きつける素養がない事を
分かってて皆が触れなかった事を居ても立っても居られず「ネタバラシ」とか言いながら自己申告するの本当ダサいから今後はやめような >>189
そんな話誰もしてないけど
自己陶酔「名文」が否定されてそんなに悔しいのか?
まずは他人が読んでくれる文章を書いてみてからな、そういうのは >>174
ここだけ抜き出してるから
分からんだろうけど、
全高6mのロボットです かまへんよ脚本でいいからどんどん書け
たくさん書いたもんが勝つ
>>189
こういう後ろからちくりとついて逃げるみたいなレスしかできない奴は
結局コミュニケーション能力に問題があるんだよな
相手に効くクリティカルな批判すらしっかり出てこない
頓珍漢な自己満足の「俺はお前を認めない」という感情しか伝わってこない
お前ズレてるぞって言われてズレてねーよって返せるくらいの気概がなければ文章なんて書けない
こんな時間までウォチ気取ってこれぐらいしか言えないとか情けない あんま本読まないけどラノベにありがちな延々と会話で言葉遊びしてるやつホント嫌い
淡々と話を進めろ
>>193
お前の言いたいことはわからくもないが>>180の序盤レスから断定的なモノイイで
退屈で説得力もないから最後まで読む気がおきない
>>193のレスもだ、まずはこのように3行以内に納めて食いつきをみてからそれ以上の長文を書くか判断した方がいい >>196
文章を長くすることなんて簡単だが必要十分で良いんだって話の実例が
その文章自体になってるということなのに説得力があるとかないとか
あえて長くしてる文章を短くしろとか意味不明なんだが
だからちゃんとコミュニケーションしろって脳内のサンドバッグと戦ってないで それでいい
テーブルトークRPGのリプレイだって、全部会話だ
それで状況が伝わるなら、それでいい
>>198
三行目の自然に言葉が増えるの時点で共感できないし魅力がない
読まれない文なら短い方が書き手も労力が少なくて済むから徒労にならないだろ
一方的に書きたい事を書いて満足するのをお前はコミュニケーションというのか >>200
少なくとも相手の実際に言った言葉を無視するのはコミュニケーションではない
俺は例示のためにあえて長くしてるんであって短くても必要十分なら良いと何度も書いている
それを無視して俺が短く書けないかのようなデマを繰り返すのは何故だ?
「深い理解を欲したいと思えば自然に言葉が増える」が共感できない断定だとか本気で言ってるならアスペとしか言いようがない
お前は黙っててもお母ちゃんがすべて察してやってくれるような劇ヌルの人生でも送ってきたのか まず私小説書いてみろよ
私小説なら会話主体にできないだろ
会話は会話で女の言葉遣い、語尾に気を遣うよな
フィクションすぎて自分で興醒めする
あのさぁ
主語を省略したり全体的描写を避けて部分的具体的描写から文章を組み立てるのは
漢詩や万葉集以来の日本語表現の歴史的傾向であって
「趣味」や「テイスト」の一言で相対化してお前らガイジの思いつきと同レベルにできるもんじゃないんだわ
どうしてもそういうことにしたいならまずは日本文学史を書き換えろや
ついでに言うと全く言語体系が異なる英文の技術論を日本語表現にそのまま応用するという発想は
平安時代に漢詩論をそのまま和歌論に応用してきた頃からの典型的ガラパゴスジャップしぐさだからな
最初に要約を持ってくる文章は悪文である、がジャップの伝統とかまじかよ
作者の心情を答えさせるジャップ国語教育とパラグラフライティング教え込む欧米との間には近代文明の壁があるな
戦後50年近く天声人語が文章のお手本だったやべえ国だけあるわ
>>204
本人に決まってるが
>>205
で、それにそぐわないのは「ただの下手くそ」なのか
翻訳調の日本語表現なんて珍しくもないが
5時間か… >>206
天声人語がお手本は本当ヤバいよな
どう考えても誰に聞いても変な原理主義者以外は読みにくいと即答する悪文なのに
それでも筆記式試験のお手本の地位は揺るがない
不正の説明に誰も納得してないのに地位が揺るがない安倍政権みたいだ
日本人には権威の前に王様は裸だと言える勇気がなさ過ぎる うだうだ言ってないで習作のつもりで一度書いて完結させるのが大事だろ
なろう小説みたいな誰かの真似としか思えない様な文章で良いんだからさ
時間をもてあました二人が喧嘩してるけども、言ってることは参考になるよね。
あと天声人語は羽田圭介が子供の頃要約してまらしいね。
>>209
長編一本完成させたけど俺やお前らみたいな奴らにぼこぼこに叩かれるのわかってるから晒せない
俺が人を傷つけるのはいいが、俺自身は傷つきたくないんだ >>860
地の文役の人物がいると想定したら書けそうなもんだけど >>20
その顔は顔とはいえぬ顔
のくだりで読む気失せた
顔とは言えないのになんで、顔なんだよ
顔とはいえぬものとか、、いろいろ表現あるだろ 声とも呼べぬ声と構成の反復をしてるんだが
声とも呼べぬ声には突っかからないのか
>>205
いやあ趣味でしょ
もう翻訳文体の系譜は近代小説以降から
日本に定着して長い トートロジー同語反復って
所詮女は女だ()
君は君だとか言ってることに
どういう意味だよ!わかんないとか
気にしだしたら読めないよね
弱き者よ汝の名は女なりのように
女だから弱いというようなことを含意してたりする
顔とは呼べぬものが顔(の位置)にある
ってことを含意してるわけだが
まあそういうことをいちいち気にして突っかかってもね
>>213
とんでもねえクズ野郎だな
人に傷付けられずに大成したヤツがいるか >>210
喧嘩ね……あーはいはい喧嘩だよね
読み手を考えない美文気取りが如何に日本の言論空間を腐敗させているかなんて
俺が好き勝手に挑んでるお前にはまったく関係ない喧嘩に過ぎないよね
お前はそうやっていつでも「右翼と左翼が俺の人権を争って勝手に喧嘩してる」みたいな感想しか持たないんだろうね
公共性の問題なんか糞食らえ誰も議論するな、でも誰かが勝手にやってくれたことの成果はありがたく頂戴します
よくそんな恥知らずなことをさも高みに立った行動のように勘違いして堂々宣言できるね
本当に日本人というのは数少ない自主的な公共心すら自ら根絶やしにするクソだな
あーわかったよ「喧嘩」しないよお前がオタク同士でニヤニヤするだけの美文気取りの駄文で世の中に認められると勘違いしててもあえて指摘しないよ
そうやっていつまでも研鑽のない人生でただ腐っていくのがお前の望みだというのはよくわかったよ
「喧嘩」しねえ自主的向上心もねえ泥棒じみた倫理観しか持たねえ自分を無敵の存在だと信じて誇ってろよ 地の文章をこそが小説だろ。保坂和志辺りを
世間は勘違いしたよね