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大阪府泉大津市に生まれ、茨木市で育つ。大阪府立茨木高等学校、京都大学工学部卒業。1990年、同大学大学院工学研究科修士課程修了。1990年、通商産業省(現:経済産業省)に入省。
1998年、アメリカ合衆国コロンビア大学国際関係公共政策大学院修士課程を修了。大臣官房参事官(商務情報政策局担当)、日本貿易振興機構ブリュッセル・センター所長などを歴任[5]。東日本大震災を機に2011年3月、退官[6]。退官後はみんなの党に入党したが、2012年9月にみんなの党を離党[7]し、日本維新の会の結党に参加した。
同年の第46回衆議院議員総選挙では、大阪9区から日本維新の会公認で出馬し[8]、自由民主党元職の原田憲治、民主党前職の大谷信盛らを破り、初当選した(原田は比例復活)。
2014年の日本維新の会分党に際しては、橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加[9]。分党後の日本維新の会を経て、結いの党の合流による維新の党の結党に参加した。
同年の第47回衆議院議員総選挙では、維新の党公認で大阪9区から出馬し、自民党前職の原田に約4千票の僅差で敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、再選。
2017年の第48回衆議院議員総選挙においても、約2千票差と再び僅差で原田に敗れ、比例近畿ブロックで復活し再選。
なお、この選挙では茨木青年会議所が主催した大阪9区の候補者公開討論会や自身のTwitter発言で「今回小選挙区で落ちれば比例復活は無し。」と宣言していたが、当選翌日に前言を撤回した[10][11]。