友人に誘われて「男の娘」たちの催しをのぞいた。
いわゆる女装する男子のイベントで、サブカルチャーとして海外での人気も高いという。
ちなみに「男の娘」とひとくくりにされるが、一人ひとりはコスプレ好きから性的少数者まで千差万別だ。
この種の現場を訪ねるのは久しぶりだったが、ちょっと驚いたのはキレイな子が多かったこと。
一昔前を思い出し、「人は進歩するもんだ」と感心した。
このイベントから間もない五月下旬、世界保健機関(WHO)は二十九年ぶりに国際疾病分類(ICD)を改定して、精神疾患の一つである性同一性障害(GID)という概念をなくすこと(施行は二〇二二年)で合意した。
今後は「性別不合」という「状態」の扱いになるというが、精神疾患扱いでなくなることは前進だ。
個性の扱いに近づいたといえる。
すでに同性愛については一九九〇年に疾患扱いをやめている。
私も当事者の一人だが、思い出すのは二〇〇三年の「性同一性障害特例法」制定の舞台裏だ。
特例法はGID当事者を対象に生殖腺除去などの要件を満たせば、戸籍の性別を変えられると定めている。
制定の過程では、当事者間でも論争があった。
「患者」というレッテルに甘んじるのか、あくまで個性として権利を主張するのかという対立だった。
結果的には、世間が納得して同情してくれそうな前者の声が多数を占めた。
私は少数派側だったが、その私自身も実は診断書を取っていた。
名古屋大医学部付属病院では第一号だった。
なぜ意に反して診断書を取ったかといえば、会社に残ることを優先したからだ。
当時は労働組合の幹部からも「とても守れない」と告げられていた。
それでも「患者」扱いには常に危うさを感じていた。
戸籍の変更のため、当初望んでいなかった断種をし、後に悔いていた友人がいた。
自らの感覚より世間(多数派)の「理解」に迎合し、擬態(思い込みと言い換えてもよい)してしまう怖さ。
現在のLGBTブームにも似た倒錯が起きてはいないかと案じる。
前進はときに試練を伴う。
精神疾患扱いの消滅で当事者も「患者」に甘んじてはいられなくなる。
でも、新たな世代はきっと乗り越えていく。
イベントで「男の娘」の一人は「『心の性』なんて意味不明。性別からもっと自由になりたい」と話した。
進歩はルックスだけではないと確信した。
(特報部長・田原牧)
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