倫理無視していいならDNA鑑定で救う人数絞ったほうが将来性はあるよね
前二作と違ってよくわからなかった
庶民救済センターに素子が絡んでたってこと?
とっさに感じたこと
>虐待受けてる子
一度、虐待を受けてしまうと人間の精神はかなり歪んでしまう。
生化学の分野でも虐待された児童の脳に顕著にその痕跡が認められるなんて
話もあったんじゃないか?
なんにせよ、虐待を受けた子供を正常に戻し、さらに正常以上に伸ばす
ためには強化期だけでなく回復についても考えないといけないような気がする。
>を国が保護して、
>身寄りの無い老人の遺産継がせて
国の資産は公共の財産、パブリックセクターの予算をそれとしてカウントしてよい。
一方、身寄りのない老人の資産は私人の資産だ。これはパブリックセクターではない。
当たり前のことだが、政府が、いくら身寄りがないからといって一個人の資産に
勝手に手をつっこんでいいわけがない。
それを許すとたいていクソ暴虐の政府が誕生する。政治家というゴミどもが、一度、
「個人のサイフ」に何らかの権力で手を突っ込めるということを学習してしまうと
それに対するリミットがきかなくなってくる。欲望が次の欲望をうむ。
そうなれば、ゴミ政府・ファシズムの方向へ一直線である。
低能官僚とバカ政治家が、私人の、個々人の大事な貯蓄を、自分らが勝手に動かして
いいものと勘違いさせる危険性は絶対に伸長させてはいけない。
この勘違いは絶対に許してはならない。
だから、身寄りがあろうとなかろうと、個人には自分の資産を自分の望むように処分する
自由があることは絶対の前提に置く。
そのうえで公募、つまり「自分はその天才児プロジェクトに自分の遺産を使っていいですよ」
と考える奇特な個々人を政府が募集してみる。そういう酔狂な方はどこかにいませんか?
と尋ねてみるぐらいは許されるだろう。
強制はいっさいナシ、「俺はどうせ死ぬし、面白そうだから俺の残すカネで超人のガキを
育ててみても良いぞ」と考える酔狂な有志のみで構成する。
>エリート教育施す
「エリート」をどう定義するかという難しい問題がある。
虐待を受けた児童を莫大な遺産を使って超人化させるにせよ
それがどういう「超人」であるべきかという話が必ず問題になる。
目標とされる人間像をどうするのか。
欧州の昔のエリート像、数世紀前のドイツやイギリスの貴族の家に生まれた
エリートのようなものを目指すのか
それは公的な一般の学校に頼らず、各分野のその時代の超一級の専門家を
家庭教師や討論相手として育ったような人間(ひと昔前の西洋の天才数学者や
天才物理学者は正規教育を受けず、しかし家が裕福で幼いころからその家に
その時代の最大級の知性が出入りしていたというのがしばしばいる)
それとももっと違うエリート像があるのか。
なんにせよ、目標とされる能力や人物像について決めるというプロセスを
すませる必要がある。羅針盤なくして航海はできない。目的地にたどりつける
かどうかは別としても。
むしろ老人ホームで老人に子育てさせてエリート介護職員に育成したほうがよくないか?
知人が児童保護施設で働いてるけど
虐待受けてたりした子ってかわいそうな子だと思うだろ?
でも、本人も施設に入ったら他の子供を殴ったり性的ないたずらしたり
施設職員に殴る蹴るしたりするんだぜ