「政教分離」ほんとうの意味 - 徐正敏|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019070800001.html
「李承晩大統領の政権継続は、神様の摂理である」
「朴正煕大統領の偉業は、私たち民族に向けられた神様の恵みである」
「全斗煥大統領は、神様が韓国を愛し遣わした偉大な指導者である」
これらは韓国キリスト教の主流派、多数派の人々の常々の政治的立場をあらわすことばである。
戦後初代の韓国大統領李承晩(イ・スンマン)。
彼は個人的にクリスチャンであったが、彼の政府もまた「親キリスト教政権」であった。
いくつかの政策と人材登用においてキリスト教のグループが優先され、優遇された。
ゆえにこの時期は「キリスト教準国教時代」と呼ばれる。
李承晩政権末期には、独裁にともなう腐敗が蔓延し、不正選挙による政権延長が画策された。
1960年3月15日の選挙には、クリスチャン李承晩とクリスチャン李起鵬(イ・キブン)がそれぞれ大統領と副統領に出馬し、さまざまな不正が横行した。
この時、韓国キリスト教界のほとんどは彼らを支持し、李承晩、李起鵬の当選が神の摂理であると宣言した。
露骨な不正選挙であった。
その李承晩政権は1960年、学生、市民による4.19革命で崩壊する。
にもかかわらず韓国キリスト教は、このとき適切な反省と責任告白を履行しなかった。
1961年、朴正煕(パク・チョンヒ)は、軍事クーデターで政権を奪取した。
そして鉄拳統治と経済開発を強力に推進した。
李承晩政権を支持していた韓国キリスト教界の主流は再び朴正煕こそ神が韓国民族に立てた指導者であるとし、彼の統治を神の恵みと呼んで彼を褒め称えた。
これらの基調は、朴正煕が死後に「新軍部」と呼ぶ全斗煥(チョン・ドファン)中心の勢力が再度クーデターによって政権を奪ったときも続いた。
不当な手順で全斗煥が大統領に就いたとき、彼のために韓国のキリスト教の主要人物たちが開催した「国家朝餐祈祷会」において、彼らクリスチャンは口を揃えて「全斗煥は、神様が韓国を愛し遣わした偉大な指導者である」と称賛した。
朴正煕軍事政権が民主的な手続きを無視し、二期と規定された執権を延長する三選のための改憲に突入したとき、少数の進歩的なクリスチャンが反対運動を始めた。
進歩グループの一人である金在俊(キム・ジェジュン)牧師は「三選改憲反対汎国民闘争委員会」の委員長として軍事独裁の延長反対運動の先鋒に立った。
その後、朴正煕は再度、終身執権を狙った「維新憲法」改憲を断行し、非民主的独裁統治を強行した。
これに対して韓国の民主化勢力は命をかけて反独裁闘争に乗り出した。
運動の中心勢力は、韓国プロテスタントキリスト教の進歩的少数勢力と、カトリック教会の指導者たちだった。
これらの民主化運動は、朴正煕の死後、全斗煥らのクーデター後も継続されたが、それは軍事政権による厳しい受難を意味してもいた。
ところが、これら当時の進歩的クリスチャンによる民主化運動に対して、独裁政権を支持する多数の保守的キリスト教勢力は先頭に立って批判の声を挙げたのである。
現代の「福音主義キリスト教」の正しい伝統にのっとった「政教分離原則」に違反するというのが彼らの言い分であった。
つまり、政権の不当性を告発し、反民主的独裁、人権弾圧と腐敗した権力に対する批判を「政教分離原則」に違反していると決めつけたのである。
今となっては、不当な政権を積極的に支持し、独裁者を称賛するキリスト教主流派の行動こそが「政教分離原則」違反ではないのかと反問してみたくなるような史実である。
以下略