大麻吸引を犯罪として扱ったり、性器にモザイクかけたりさ
意味のないことはさっさとやめりゃいいのに
600 :本当にあった怖い名無し:2011/03/31(木) 23:52:23 ID:yVZJkiGM0
>ジャンキー
>私たちは言葉を発する時、または思いの中で言葉を発する時、
必ず、特定のターゲットを設定しているのです。
思いの中で言葉を言う時、誰に向かって思いを言っているのか?に注意するようにしているのですが、自分が知っている誰に対しても語っていない事が多いです。
まだ断定には早いかも知れませんが。
思いの中で話す対象が自分であるときは、何か自分の中の深い部分に話しかけているのですか?
あと、何か忘れ物などに気付いた時、忘れる時に心のどこかで忘れている事に気付いていたような気がします。
こういう勘、のようなものを鍛えるにはどうすればいいですか?
あと、ジャンキーは主観が総てだと言いますが、主観が総てなら他人とはどういう存在ですか?
ジャンキーが嫌う資本主義社会は主観がひとりでにみてる妄想ではないですか?
家族や仲間など愛する人は主観がみせるどこにもいない人物という事にはならないのでしょうか。
何が本当で何が妄想か見分けるにはどうすればいいか教えてください。
質問が多くてすみません。
618 :ジャンキー:2011/04/01(金) 23:11:25 ID:tCFWowEK0
つまり極端に言えば、「勘、のようなもの」で生きるならば、あなたと世界の情勢は、
同時進行している実感を得るであろうし、「勘、のようなもの」を使わず、
「勘、のようなもの」の残骸であるシステムや社会制度や流行、常識からの
反射的反応や、記憶という過去の残骸から、残骸を生み出しているならば、
「勘、のようなもの」という今の動きとは同調できませんから、
常にビックニュースの後を追いかける形の日常になるでしょう。
私が資本主義を嫌う理由は、金の社会で格差をつくり、階級を作るから嫌いであるという
事がその根拠であるが、実は、システムの階層の上位の者達がしている事は、
駒をあちらからこちらえというように動かしているだけの遊びをしているからです。
しかも、人々はそれらを肯定します。つまり権力に迎合しますから、
メディアで風潮を煽るであろうし、大衆は風潮にのっかります。
全ての学会は、その権力にのっかり、その路線で歴史が作られるので、
パラダイムシフトがくい止められているのです。
人々が、「勘、のようなもの」に気づかず、階層の上位を目指すようにね。
まるで、卵子を無数の精子が下克上を繰り返し、たった一匹がたどり着くようにね。
それが善であると信じている。つまり個別であると信じている「勘、のようなもの」を
しらぬ者達は、ピラミッドの頂点を目指すようにプログラムされている。
物事の発見は、実は創造であって、精子を中心に卵子を見たならば、
一つの精子が卵子と合体した。ただそれだけの事なのです。
精子を中心に卵子をみるのだから、他の精子など一つもないのです。
619 :ジャンキー:2011/04/01(金) 23:12:17 ID:tCFWowEK0
このような話しをしたのは、妄想というものは、楽しい。また物語や
センチメンタルな面で情緒的な快楽は得られるが一過性のもので、
永続的なものではない。ましてや自分自身を知る事にはまったく繋がってない。
妄想の根元は実に単純なもので、ほとんどが生理的欲求です。
食べたい、セックスしたい、寝たい。
この欲求なきところに妄想による欲求代用は生まれようがありません。
そしてその欲求を持っている「思い」というものが無造作に時空を
ただよっており、それは個人的身体の中に思いがあるとは限らない。
思い自体が時空を越えているのですからね。それが俗に言う生き霊です。
私たちが自分だと思っているのは、この「思い」をキャッチしている、
認識であり、それを人は心と言います。しかし「勘、のようなもの」は
認識など持たず、心でもない。心は自他を区別できないのです。
空間にただよう「思い」をキャッチしているだけです。
そして認知したのだから、自分の「思い」だと思い込むように分断され、教育された。
それを私たちは自我と言っている。または自分だと便宜上言っている。
この社会は自他を分けた上で、支配し、そのルールが法律で、ゆえに法律は、
あなたがたの固有の身体を裁かれるのですからね。
つまりあなた方が自我だの心だのと言っているものの正体は、教育によるもので、
それは作られたものです。もちろん人生も創造されたものですし、
概念も物もそうです。あななたがたはこれを読んでいる以上、目は見えているのですから、
面前に広がる風景を様々にまた個別に鮮明に見えている事でしょう。
620 :ジャンキー:2011/04/01(金) 23:14:37 ID:tCFWowEK0
しかし、それとは裏らに、「勘、のようなもの」がキャッチしているものは、
はそのような区別など理解しませんし、そのようなものの存在すらありません。
あなたの心をキャッチしている。あなたがたの言葉でもっとも適切に表現するならば、
冷静に静観しているとでも言えばいいでしょうか。
だから、自他という問題に戻りますが、肉体と同化してこの世界を見れば、
自分と他人はキッチリ別れており、思いもバラバラで、法によって管理するように見えるでしょう。
心と同化してみれば、つまり自分の認識や知識に基づく内面的な視点でこの世界をみれば、
様々な人の思いによって、上下関係をつくることでしょうし、正誤、是非に敏感になるでしょうから、
イデオロギー闘争を起こすでしょう。
「勘、のようなもの」に同化したならば、思いを実現させるように身体と心を使うでしょうし、
それをこの世界の言葉でいえば、供養、癒し、浄化、融合、愛などというでしょう。
そしてこの三分類の割合は、もちろん下にいけばいくほど少数になりますが、
限られた時間の中で、悔いを残さないという概念は共通認識で受け入れられるものでしょう。
それらの根本には欲求という衝動があり、それを思う主体があり、その主体は個別化されている
という根拠はまったくなく、故に、雰囲気や空間に残存するであろうし、影響も受けている。
今の時代は「勘、のようなもの」を封鎖してしまい。行き場を失い、うっ積して、
いよいよ噴火寸前というような状態になってる。必死に心でくい止めているようだが、
上位は下位に迎合するしかない。人の心や認識の牢獄はそれほど強固なものであるとは
いかなかったという歴史的証明をあなたがたは、これから見ることになるでしょう。
簡単にいえば、あなたがたの心や思いや認識をむりやり一つの考え方に閉じこめようとした
過去のプロパガンダ(意図的洗脳支配)は、これにて失敗という事に人類は気づく日も近いという事です。
あまりにもネットが進みすぎ、真理が事実に追いつくスピードが早くなっているからです。
何が正しく何が間違いか?分かり切ったという状況が真理と今の自分に追いつき、そのような心理の時、
人は安らぎを得るのです。
621 :ジャンキー:2011/04/01(金) 23:47:10 ID:tCFWowEK0
状況が真理と今の自分に追いつくと安らぎを得るという意味を簡単に補足しておきます。
あなたが好きなものやしたいことは、ハッキリ感覚で掴んでおり、それに近いものは、
いまのところ、世の中にあるものかもしれませんが、そうでないかもしれないが、
今だ、出逢っていないという事も解っており、早く知りたいと思う自分にも気づいており、
今、不快なのは、はっきりと過去の経験の再体験で、また繰り返された出来事だったという事
も知っており、過去、あのタイミングで、謝ったり、または行動しなかった事が悔やまれただけ
であり、しかし今はできたから、一応は充実しているが、ただ記憶が思い出されたから不快という
だけだというように自分の感情も知っており、
また大きな天変地異と自分の深い部分の照合もなんとなく解っており、自分の過去の記憶も
大きく崩壊し、修復不能で新しい価値概念を求めているが、価値や概念を持つこと自体が
崩壊をうむのではないかという事にも気づいており、
その気づきは、どこから来るのか?また今、こうして気づいているのは、何故だろう?と
考えている、その主体自体が実は、もとから在った私自身なのかもしれないという事にも
気づき始め、実は、夢でも、私が私に教え、
私は常に私に教えており、私は私を知っているが故に、先を急ぐ気持ちになることも知っており、
これでいいのだ。これで不足はしていないのだ。またこの不足によって気づく事を
受け止めようとしている自分にも気づいているのだが、他人をみれば、どうしてもうとましく
思うことがある自分にも気づくのだが、それは一部分だけをみているからそう思うという事も
知っているが、そのような情報はやけに大声で聞こえてくるのは何故だろう?
その大声が象徴するものが教育や洗脳という事なのです。
私は全てを知っているという事は実は、私は自分がどうしたら満足するかを知っているという事なのです。
自己満足こそが全てなのです。みなさんは自己満足、すなわちオナニーが全てであるという事実を
まずもって認めるべきでしょう。これを認めた先に、振る舞いとして、社会制度に収まる行動を
選択すればいいのです。それをせずに、はみ出すことを恐れて自己満足を行わないという事が大問題なのでは
ないでしょうか。
622 :ジャンキー:2011/04/02(土) 00:05:00 ID:tCFWowEK0
人間設計というものは、根底に欲求を置いています。
そしてその実現の為に人は動き出します。
これが活動であって、身体活動と精神活動があります。
体を動かして欲求充足をする。
考え、思い、時間を引き延ばして、活動時間を長くしたり短くしたりする。
この二つの組み合わせで時空を創作して、記憶の空間を創りました。
これを私たちは人生と言ったり、宇宙といったりします。
欲求を創作した時点で、時空宇宙を創りだした。
欲求、つまり要求宇宙を創っているので、不足、不満という
暗黒宇宙によって、宇宙は消滅します。だから必死に要求宇宙をつくりますが、
別に暗黒宇宙側で要らない、ノー、止めた、というベクトルの発展もあるという事です。
人間の設計の根底に欲求を置かないならば、まったく別の発展もあるという事で、
しかも、未削除で、削除すればするほど、逆発展してしまうという、明暗包括宇宙が
論理的に統合実現してしまうのです。
これを個人で行っても、まったく統合概念ですから、他人にはばれる事もないのです。
あまりにも現実宇宙に同調してしまっているからです。しかしそれをしている個人の
内情は、同時に反対側の宇宙にも居るわけで、実際は包括宇宙にすでに居るのですから。
まずは抽象概念での説明にとなっています。
ようは、あらゆる境目の反対側に行って、それで戻ってくれば、前向きが後ろ向きであり、
頑張りが退化だとしり、変わりたいと思う事が、変わらない原因だったりとまあ、
支離滅裂で根拠すらないという論理になるのでこのへんでやめておきましょう。