そもそも謙信も言う程だろ
結局、北陸の一大名止まりだし
中央集権できない豪族連合の田舎大名って大体2代目で内乱起こして自滅するよな
揚北衆はそれでも新発田ぐらいしか反旗を翻してないか?
挙げ句の果てには赤穂浪士にビビって戦わなかった雑魚扱いされるしな
>>2
政治力低いだけや
コーエーは盛ってるが実際は一桁でもおかしくないわ 大大名だったのは豊臣時代ぐらいで
謙信時代でも意外と小さいと言うか、毛利の2/3もないんだよなあ
>>2
1560年の関東出兵で小田原を落としてたら天下取れてたくらいには凄かった
田舎の豪族連合からここまで辿り着けたのは実際軍神扱いされる理由も分かる >>12
上杉謙信がこう言う事をしましたっての聞かないよな 関ヶ原中立してたら前田家ぐらいの規模で残ってたかな?
キチガイみたいにメリットのない外征するしそりゃ家中もまとまりませんわ
>>7
戦国の時代は地方豪族や荒くれ者を登用して領地を与えればあとは好きにやらせて済むが、
二代目に束ねる力量がなかったり先代が領地を与えすぎたりでお家騒動に 政治力あったら軍神みたいなキチガイじみた戦い出来ないし
難しいね
損得抜きで暴れまくるとかできん
謙信を神と崇めたこその元々強かった越後勢が
さらにキチガイじみて強くなったんだし
いくさバカだからな
ただ強さだけは最強クラスなんだよな
>>27
家康に真っ先に逆らったのに
家名残り続けたのは異常w 飲んだくれの童貞が軍神とか
現代じゃ、なろう小説扱いだよな
地形的にあれしかないんだろな
越後は四方が山じゃん?
その越後を失ったらあれしかない
軍神って言ってもずっと内輪もめしてた領地を統一しただけだろこいつ
越後本国は40万石だからね
米どころになったのはもっとずっと後の話で
佐渡の金山とか青苧の収入とか色々副収入があったのは確かだけど
まあただ今の米沢は観光だと面白い町だぞ
また行きたい
西軍だったのに改易されずに減封で済んだだけマシ
悪けりゃ景勝も打ち首だっただろ
長尾家に家名譲ってなかったら北条にガチ滅ぼされて旗本クラスだったろうな
>>33
12万束ねて北条攻めて
最後は越前まで手中に収めて柴田勝家撃破したけど >>33
武田以外正面から戦うのを避けまくってたが >>29
不思議か?
タダの三河縁故のエコ贔屓だ
足利尊氏と徳川家康の生誕地は目と鼻の先
おそらく足利尊氏直義は、足利氏の大門屋敷の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 そのおかげで上杉鷹山が神格化されるようになったのでセーフ
米沢市やと神やぞ
こいつ上杉家と関係無いだろ
あと上杉家コンプは大概西の渡来系勢
司馬遼太郎が反武田同盟で家康が上杉に好感持った可能性指摘してるよね
上杉不識庵嫌儲
足利家に忠誠を誓う義の人
のイメージだけど遠征軍の道中にはペンペン草も残らない掠奪人身売買している
そもそも親父が守護と管領をWキルしているヤベー奴だし
>>48
これより池上遼一の信長の謙信の方が確実に強い 新発田重家の謀反が最悪過ぎた 本能寺の変が無ければ上杉家はあのまま柴田勝家に滅ぼされていた可能性が高い
延々関東進出試みて失敗してるのは
ちょっと姜維みたいだよね
とどっちもかじった程度の知識で語ってみる
>>50
池上遼一の信長は本当に美術品みたいな美しさがあるよな
トレース問題とかで最終巻が長い間まぼろしになってたけど >>41
最近の研究では手取川で戦闘自体がなかったとされている 雪の峠のサイコパスっぽい上杉謙信すき
岩明均はヒストリエの次は日本の戦国時代を・・・やっぱいいです
滅亡寸前から逆転して会津120万石五大老までになった景勝は超ラッキーマンだったろ
柴田や佐々と仲悪くて秀吉に味方したらなんか知らんがそうなっていた
石高で言えば謙信のときより多いし
その後家康に難癖つけられたのはまあ仕方ないというか必然
テルがアホじゃなかったら再逆転もあり得た
昔はこういう武将ネタとか好きだったけど、ケンモメンになって大名家の末裔が今も実際に上級国民として存在してるのに気付いてからあまり楽しめなくなった。
>>61
ちょっと北に行けば本店があるからいらんだろ 北海道 松前慶広 シャクシャイン オキクルミ
青森 津軽為信 南部信直 北畠親房 太宰治
秋田 平田篤胤 小野小町 小林多喜二
岩手 奥州藤原氏 阿弖流為 後藤新平 原敬 斎藤実 米内光政 新渡戸稲造 宮沢賢治 石川啄木
宮城 伊達政宗 片倉景綱 原田甲斐 志賀直哉
山形 最上義光 斎藤茂吉 酒井玄蕃 酒井忠徳 本間光丘 上杉鷹山 清河八郎 南雲忠一 石原莞爾
福島 蘆名盛氏 松平容保 白虎隊 野口英世
栃木 那須与一 足利氏
群馬 新田義貞 国定忠治 荒木幸雄 小栗上野介 田中正造 荻原朔太郎
茨城 佐竹義宣 塚原卜伝 水戸黄門
千葉 里見義堯、義弘 八犬伝 伊能忠敬
埼玉 大田道灌 木曽義仲 塙保己一 渋沢栄一
東京 葛飾北斎 新撰組 山岡鉄舟 勝海舟 榎本武揚 東條英機 樋口一葉 高橋是清 夏目漱石 芥川龍之介
神奈川 北条早雲、氏政、氏直 二宮尊徳 風魔小太郎 良弁
山梨 武田信玄 山本勘助 雨宮敬次郎 小林一三 根津嘉一郎 早川徳次 辻信太郎 小佐野賢治 金丸信 輿石東
長野 仙石秀久 真田信繁 木曽義仲 佐久間象山 若槻俊一
新潟 上杉謙信 直江兼続 阿倍比羅夫 河井継之助 山本五十六 田中角栄 坂口安吾
静岡 今川義元、氏真 北条政子 清水次郎長
愛知 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 水野勝成 吉良仁吉
岐阜 斎藤道三、義龍 明智光秀 松永久秀 島崎藤村
三重 九鬼嘉隆 熊野水軍 服部半蔵 松尾芭蕉 江戸川乱歩
富山 神保長職 正力松太郎 大谷米太郎 安田善次郎
石川 前田利家、慶次 蓮如
福井 朝倉義景 柴田勝家 松平春嶽 由利公正
滋賀 小野妹子 浅井長政 藤堂高虎 石田三成 淀殿 井伊直弼
奈良 藤原不比等 武内宿禰 橘諸兄 日本武尊 坂上田村麻呂 筒井順慶 柳生石舟斎
京都 菅原道真 紫式部 源義経 平清盛 日野富子 岩倉具視 西園寺公望
大阪 荒木村重 本願寺顕如 千利休 楠木正成 大塩平八郎 緒方洪庵 与謝野晶子 川端康成
和歌山 空海 雑賀孫一 陸奥宗光 南方熊楠
兵庫 山名宗全 赤松則祐 大石内蔵助 白洲次郎 柳田国男
岡山 宇喜多直家、秀家 吉備真備 和気清麻呂 宮本武蔵
広島 毛利元就 小早川隆景 吉川元春 安国寺恵瓊 村上水軍 水野勝成
鳥取 因幡の白兎
島根 尼子経久 山中鹿之助 出雲阿国 出雲国風土記、ヤマタノオロチ 森鴎外
山口 大内義隆 陶晴賢 吉田松陰 大村益次郎 桂小五郎 高杉晋作 伊藤博文 山県有朋 中原中也
香川 十河存保 弘法大師 平賀源内 菊池寛
徳島 三好長慶 蜂須賀家政
愛媛 鶴姫 正岡子規 秋山兄弟
高知 長宗我部元親 ジョン万次郎 坂本龍馬 岩崎弥太郎 板垣退助
福岡 秋月種実 蒲池鑑盛 島井宗室 筑紫磐井 田中久重 夢野久作 松本清張
大分 大友宗麟 立花道雪、宗茂、ァ千代 三浦梅園 前野良沢 福澤諭吉 瀧廉太郎
佐賀 竜造寺隆信 鍋島直茂 幡随院長兵衛 伊東玄朴 山本常朝 江藤新平 島義勇 大隈重信
熊本 甲斐宗運 クマソタケル 天草四郎 横井小楠 北里柴三郎 北原白秋
長崎 有馬晴信 松浦党 シーボルト
宮崎 伊東義祐 アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ 小村寿太郎 高木兼寛
鹿児島 島津四兄弟 東郷重位 五代友厚 小松帯刀 大久保利通 西郷隆盛 東郷平八郎 森有礼
沖縄 尚巴志 阿摩和利
>>>52
新発田重家の謀反も元はと言えばイキり兼続のせいだからな
あいつはマジで無能な働き者
なんであれだけ評価されてるのか意味がわからん 野戦は本当に強い ほぼ負け無し
武田信玄も北条氏康も手痛い負けはあるのに
城攻めは結構失敗しとるけど 臼井城とか唐沢山城とか
謙信の最大領地は
越後、越中、能登、加賀、佐渡、あと越前の一部、信濃の一部、上野の一部、出羽の一部
と考えると120万石はあっただろう
>>49
そもそも軍神とか正義のイメージって後世のものだし >>48
信長「不識庵、君と僕は同じ未来を見ている」 >>60
そんなこと言ったら関東に移転して全く移転してない毛利宇喜多島津に圧勝した家康はどうなる? >>53
長尾家から上杉家になった以上、勝てないの判ってても北条と戦わないといけない
関東管領だから そもそも上杉家は足利将軍家と血縁で関東一円を支配していた大大名
それを無能上杉憲政が北条氏康に領土を奪われ新潟に逃げ込み
部下の末裔だった長尾景虎に譲った
上杉憲政は調子に乗って御館の乱にも上杉景虎に付いて負けた
こう言っちゃ何だけど、上杉北条ともに武田と共倒れする寸前だったよね
今でも名君で語り継がれてるんだからまあよかったんじゃないの
奸臣直江兼続のせい
ただ、鷹山公のおかげで兼続も評価が見直されているが
実際のところ与板衆に代表されるように
上杉家には反骨の家臣が多い、謙信公も何度か投げ出そうとしている
それをまとめ上げた兼続は確かに大人物ではあるが
こいつは慶長出羽合戦で徳川を敵に回したのがいけなかった
その後会津120万石から兼続の旧領米沢30万石に移されるわけだが
召し放ちを極力避けて家臣を丸抱えしたところはさすがなのだが、のちに財政を直撃してしまう
この江戸初期の頃上杉家の実権を握っていたのがもともと村上義清の一族で信濃衆と称される清野氏
(なお清野長範は蘆名四天王と称された平田家の出身、景勝に近習して清野家を相続し、兼続より主君に近かったと言われる)
こいつらの専横と歴代殿様の無能ぶりのせいで鷹山公が出るまでは一気に下り坂という次第
単なる戦争オタク
勝手にライバル視されてストーキングされた信玄はほんと気の毒
>>50
陣形ワークとかまなり隼人じょう?に信長追跡命じただけじゃん あいつらなんであんなにまとまらないの?
一丸となれば天下取るレベルにめっちゃ強いだろ?バカなの?
長尾為景の戦争キチガイっぷりが信長の野望のAIでも忠実に再現されてるんだよな
>>66
新発田は扱い酷すぎるよな
藤田信吉とかも 謙信が死んでからの方がはるかにでかくなってるんだが
それを言うなら景勝だろ
田舎の外様大名は石高それなりのくせに譜代が低いのはなんでなん?
>>56
ヒストリエ終了まであと百年位かかるんじゃねえかな >>91
前田家は百万石の加賀宰相として幕末まで存続しているのだが?
秀秋は戦場で寝返ったからハブられたんよ
実際東北は伊達でも上杉でも(あるいは最上でも)良かったんだが
うまく立ち回ったのが伊達で、何とか生き延びたのが上杉という次第 戦争の強さだけは本物なんだよなぁ
物量的に劣勢だった織田とやりあっても引けを取らなかったんだから
兵の質は誇張無しに甲州並だった
最上義光も出羽合戦で庄内が瞬殺されて焦っただろうな
>>90
前田家臣の最大が5万石にたいして徳川家臣の最大が30万だから多いよ /⌒ヽ
く/・゜ ⌒ヽ
| 3 (∪ ̄]
く、・。 (∩ ̄]
米沢いったことある。
>>79
そもそも120万石にしてもらったのは三成と兼続のおかげだよ >>90
外様は幕閣に入れない分領地もらえた
ただし、何かあれば容赦なく潰されたのも外様 >>89
真田丸のせいで景勝クソザコイメージが拭えない 上杉家
北条にやられて滅亡寸前だった頃から考えれば上出来だろ
>>55
聖徳太子もいなかった とか言ってるしな
最近の歴史修正主義の一環なんじゃないか 日本海交易奨励したり商売応援したり
上杉謙信は内政もソツないよ
なんでもできたんだなって感じじゃん
火縄銃もスゴイ数保有してたし万事に抜かりない
軍師も置かずに血気だけ盛んなアホの越後衆率いて
一人で武田や北条とやりあってたんだから凄いよ
生け垣をおひたしにして
雑草もおひたしにして
水草もおひたしにする米沢です
むしろ古河公方と一緒に内紛でぼろぼろになったところを後北条にごりごり削られて
謙信が継いで大活躍してくれてなかったらそのまま消滅してたんじゃないの
北条と武田に喧嘩売り続けて領地拡大してるからすごいだろ
>>73
愛知は3人だけ書けばあとは説明いらないというかそもそも愛知は名前書く必要ないレベル 3代目だか4代目が吉良の息子なんだよね
吉良も血筋としては名門らしいし
その血統が続いて 上杉と吉良の子孫であれば、代々誇りに思ってもいいんじゃないか
石高は仕方ないかな せめて30万は死守したかっただろうなー
滅ぼした大名
信長・・・今川、斎藤、朝倉、浅井、足利、三好、松永、北畠、畠山、武田
秀吉・・・明智、柴田、北条
家康・・・豊臣(秀頼)
武田、上杉、伊達・・・特になし
信長以外は過大評価
ガチ名君の上杉鷹山だけで謙信のアホっぷりを相殺して余りある
織田軍を「存外に弱い」と言ったのは謙信だけだしね
あの信長が震え上がって「お館様」とか持ち上げた書状
何度もしたためて貢物で御機嫌伺いしてた記録も残ってるしな
謙信の関東遠征はかんとうの弱小大名には朗報だったが北条家と佐竹家ではウザがられてたみたいだな
狙い撃ちされてた北条がウザがるのはまあ当然としても
佐竹にしても北条と和解してみたり苦しい時に来なかったり不安定な行動をとる長尾家にはうんざりしてたようだ
しかも多賀谷の件いらい北条は義重を見るだけで逃げるようになったから義重も謙信にあまりたよらなくなったしな
誰もが自分のことだけ考えてる戦国の世で
「管領の権威」とか持ち出して出征してくるとか
マジキチとしか言いようがない
そりゃ滅ぼした奴や占領した土地は少ないだろ
謙信はそんな目的で戦争してないんだから
織田に勝った後ぐらいだぞ 天下統一に言及し出したの
信長がおさめる近江のくにも長浜に羽柴、坂本に明智、安土に信長と上杉を
迎えうつ体制になってるらしい
結局何で強かったのかよく分かっていないんだよな
戦の前に一人籠もって戦略を練っていたらしいが
車懸かりの陣というのも謎
あの時代もっとも天下取りに近かったのは謙信だろうな
跡継ぎがいないままぽっくり死んだのが仇になった
>>123
川中島の第四回とか歴史的評価高いらしいけど
やっぱり スゴイじゃん
高坂弾正と真田幸隆のジレンマを読み切って
城の脇を通り抜けてくところとかね
会った事のない相手の心情を完全に読み切ってる
あの真田が完全に小物扱いで相手になってない
城の中で震え上がってたろう 軍隊編成を近代に近いかたちに変えたから強かったんでないかっては話はあるけど
それだけで強くなる訳でもないし、上杉の強さは結局謎だよね
現代まで子孫が生き残ってるし
その子孫も宇宙開発のリーダーやってたりで世界的にも活躍してるから十分じゃないの
他見てみろ、徳川は皇族の召使い、織田に至ってはアイススケートだぞ
戦史や軍略専門の学者や専門家が検証し尽くした結果が
武田や上杉の評価につながってるわけじゃん
血は繋がってるの?
上杉姓を力で買ったり買われただけなんじゃ?
江戸時代の軍略家なんか他に何もやることない
ただひたすら戦史を研究するのが仕事だったのにフィクションだったのか?
またエラく不毛な人生選んだもんだな
昔っから日本人がそんなにバカばっかりなら謙信じゃなくても連戦連勝だな
俺らでも織田家殲滅して天下統一できるわ
戦国自衛隊が上杉+織田の連合軍状態だったが他家をつぶしまくってワラタ
}ミミ;;;} ::: {:: ゙:::::、::: :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
jミミ;;;;} ::: ヽ::::ミヽ:: | ノ W:: |;;;;彡:|
}ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ”:::: };;;;;;彡{
iミ゙;;;ノ:::::: \’、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ’ァ;;イ、
{;;;;リ:レ彡”三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'” |;;〉l.|
l”‘;;;l ゙”’<<~(::) >>::)-ら::ィ’ー゙-゙,,彡゙ .:|;l”lリ
|l ‘;;’, ::: ー` ̄:::::::ミ}゙’~}彡ィ””´ .:::lリノ/
l’、〈;’, ::: :::::::t、,j iノ:::、::.. ..::::lー’/
,、,,,/| ヽヽ,,’, ::.、 :::::(゙゙( ),、)、ヽ::. イ ::::l_ノ
)ヽ”´ ”””レl_ヽ,,,’, ヾ’ー、:::;r'”`’ ゙”;;”” ゙l| ::j ::: |: l,,,,
゙”(,l ‘, l| リ {“ィr””’ ーー”ijツヽ l| :” l |’,`ヽ,
き 利 (l :’、 `’,. ‘l| |;;゙゙゙゙”””´ー、;;| ノ: / /リヽ \
. く い Z::::ヽ ’、 ゙’t;ヽ ` ´ ノ;;リ ,r’ // |
な. た >; :::ヽ ::ヽミニニニ彡'” , ‘:::::// |
┃ ふ フヽ ::\ : ミー―― “ノ , ‘:::: //: |
┃ う }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://: |
┃ な }| ヽヽ :::::`’-、竺;;ニィ’:::// | l
// 口 (: | ヽ ヽ :::: ::::::… ::// | |
) ・・. を ( | ヽ ヽ:: ::::::… // リ. |
つ、 r、{ | ヽ ヽ // / |
ヽ ’´ | ヽ ヽ // / |
>>121
元々関東管領って立場に縛られて勝てない戦繰り返して港の整備とかせずに戦してたから財政に困って女子供略奪して売り払ってそれでもままならなくて、特産品の販路を広げたい&軍を動かす大義名分が欲しくて足利幕府や朝廷をダシにしてただけ
若い頃に酷い失恋して女嫌いになって不機嫌な時に部下の妻を馬で引きずって殺したりするとかマジ狂ってる
家康が若い頃信玄にコテンパンにされました、その信玄のライバルは謙信でした!で後世の歴史小説で話盛られただけで >>137
随分とうがった歴史解釈だけど
関東管領なんて無視すりゃ良かっただけじゃん
有名無実化した役職だったんだから 上杉謙信と武田信玄が名将だったなんて
過去の歴代の日本人の長い検証によるもんで
ゲームしただけの現代人が否定しようってのがどうかね
それとも日本人は歴史的に見ても
ニートモメン並の使えない馬鹿レベルだったんかね
上杉鷹山で復権の話する人ここでは多いが
実はこいつ上杉氏と何の関係も無いの知らない人多いんだな
秋月氏だぞ
>>140
母方の祖母が上杉なんで血は繋がっている
武家は別に男系絶対じゃないんで
徳川将軍家は家康公と吉宗公という二大種馬のおかげで男系繋がっただけでして もし石高通りに人を減らしていたら浪人が多くて江戸初期はより殺伐としていたかもしれないし
由井正雪の乱みたいなのが決行されていたおそれもある
>>128
上杉の家名は残ったけど景勝の血筋は絶えてるんじゃね
男系血統絶えてるのは上杉だけじゃないけども だいたい徳川将軍家にしたって嫡男相続は家光ただ一人という話
それでもあれだけ膨大なスペア(御三家御三卿)があれば男系は繋がるけど
嫡男どころか嫡子相続ですら難しい時代
マジレスすると後継者を決めてなかったのと景勝が謀反起したから
景虎を支援する為に謙信の有力な家臣団は壊滅するし
>>141
元は長尾だからな
上杉憲政から家名譲られて上杉政虎→上杉輝虎→上杉謙信だし 武家なんて血は繋がってないのデフォだしな
勝海舟だって勝家と何の関係も無いしね
むしろ、上杉憲政は謀反人の血筋に家名譲った事になるんだよな
謙信の親父は関東管領と越後守護上杉家当主を死なせているからね
上杉と武田は事ある事に内乱してるから外征どころじゃないイメージ
血筋より家の存続が重要な時代だったからな
幕府瓦解後も家が残って爵位貰えた時点で勝ち組
その点一番まとまりありそうなのが北条
小田原評定による合議制や国人衆の掌握には定評がある
謀略の武田
武勇の上杉
内政の北条
>>99
譜代でも大久保忠隣や本多正純みたいに容赦なく改易されてるがな >>153
北条家は戦国にありがちな家督争いが無いんだよな
同母兄弟だから仲良かったらしい
他の国もこうしてりゃ良かっただろうに >>155
それすらなんだかきっちりは分かってないんだからなあ
一発屋もクソもたった2敗しかしてなくて
その敗戦も別に潰走とかじゃねえし
無双しまくってんだよな 謙信があと10年長生きして信長と決戦してたらってのはifとして面白いよな
領土的には加賀まで進出していていつでも越前を伺える状態
財政的にも青苧の生産と日本海航路を抑えているからド安定
外交的にも本願寺と武田は懐柔済で北条も上杉景虎という人質がいるから表立って敵対はして来ない
晩年は詰みかかってた信玄と違ってガチの長期決戦を挑める状態にあった
>>163
ただ、京都と博多を織田が抑えとしまうと日本海航路も移出先がなくなって利益にならなくなるし
それほど余裕のある長期戦でもないんだよなあ
経済では封鎖しきれずに、どっかで決戦するしかないとこがある 毛利の落ちぶれっぷりに比べたらマシだろ
最終的に朝敵にまでなるし
関ヶ原発端の上杉征伐もさ
どう見てもイヤイヤ国変えさせられたが
秀吉死んだから越後を取り返すために
国変えルール破り連れてくべき部下をわざと越後に残して城までこさえようとしたようにしかみえない
徳川が難癖つけたように解釈する物が多いがどう見ても上杉が悪い
>>35
青苧座持ってたのが大きいんじゃないか?
京の青苧市場独占してたし。 桶狭間の数年前に京に武装勢力を進駐させてたって言う。
武田信玄を信濃から追い出せなかったあたりから、戦略的敗北が決まってたような
>>171
そりゃ将軍を護衛させてたんだろ
謙信の悲願は足利幕府再興だぞ?信じられないけど
戦略的に敗北って戦略とかないんだよ本人には
本気で神仏に帰依してて「自分が真面目に目の前のことに
当たっていれば他の人間も自分の背中を見て思い直すだろう」
そんなことをやってたのが上杉謙信 天下統一なんてとんでもない
諸将が正気に返って将軍に忠誠を誓うのが理想だった
この上なく迷惑な正義マンだったんだよ そりゃ皆呆れるわ >>14
小田原まで辿り着けたのは長尾に賭けた関東の小大名の群れが協力したからで、それでも勝てなかったのが長尾だろ 謙信本人は信玄にも勝てるとか思ってなかっただろ
神仏の加護を受けてるから闘わなきゃと思ってるだけ
悪人を懲らしめなきゃいけないと信じてんだよ
武力による天下統一なんて選択肢に無かった
そんなの不可能だと思ってた節がある 信条に反するしな
手取川で柴田勝家に勝った後 初めて謙信が
「評判の織田も存外に弱い。これなら天下統一もできんでもない」
って天下統一に欲を出したけど その後あっさり死ぬんだな
マジで仏罰かも知んない
>>175
残ってる手紙から感じるに心は女だった系の人かなと思ってる 小田原まで攻めた時は負けと言うより自分から退いたのでは?
>>138
本気で天下狙うなら関東無視して越中攻略に専念すべきだったと思うよ
祖父の代からの因縁の地でもあったし
まあ謙信と越中一向一揆の死闘は川中島とかより面白いが >>183
関東管領の肩書に拘って上杉憲政を保護しちゃったんだから、関東方面で時間の浪費は避けようがなかったかと
同じように信玄も謙信との対決で時間浪費してるしな