大麻をやると大量殺人を起こす確率が高まるんでしょ?
こんだけ被害者が多いともはや普通の弁護しても死刑は免れないからな
一か八か心神喪失で無罪主張するしか手はない
マリファナ吸うと寝つきが良くなって鎮痛剤替わりになって音楽や映画が身に染みるようなっておまけに人殺ししても無罪とかもうこれ神の植物かよ
789 :ジャンキー:2009/04/03(金) 15:41:00 ID:P/Twp2gg0
カラスが近くに来たり、コウモリが身近にくるならば、
それは、カオスの感覚を思ってる者だ。
鳥の声が妙に好きな者は、神の言葉が良く届く。
バタンっ、ドカンと、濁音が特に嫌いなものは、
静寂を知っている。教えをよく受け取っている。
完結された解釈は、常に終わりがある。終わるから求める。
あらゆる解釈は解釈者の癖(カルマ)に還元されないかぎり、
常に解釈する対象を渇望するようになる。
なぜならば、解釈は、(カルマ)を維持方向にしか働かない。
無解釈は、感動だ。感動を解釈したら、感動は終わる。
感動することであり、解釈した感動をしてどうする?それを永遠繰り返す。
解釈していることすら忘れる。これが解釈のカルマだ。
飛躍は無解釈から始まる。
797 :ジャンキー:2009/04/03(金) 20:56:17 ID:VInKwI7E0
タオについては、やはりゼロ、無い、という観点を教えるための教義と
思えばよい。タオは理解するものではなく、その視点を自分に創るという事だ。
するとタオは、入り口だったと知る。禅もその入り口までは言葉が在る。
もし、禅、タオの入り口に立ったなら、この文章を解釈しない。
そして、感ずる(観ずる)。するとこの文章自体は自分自身が書いたものだと知る。
そこに理解も解釈もない。すでに視点が創られたからだ。しかしそれは空白の時間として
思考は直ぐに無かった事となる。だから記憶にものこらないことだろう。直ぐに
覚めてしまう。
教育によって教わることは具体的な事柄だけだ。しかしこの世界に具体的な事は
あるだろうか?具体的にした時点で断片化された理解となる。人はそれで満足する。
満足のしかたも教育されている。
絶対とは何か?在る。無いだ。在るのに無いというのが教育の成果だ。
逆に無いのに在ると教えるのも教育の成果だ。まったく逆転している。
最初の悟りといわれるものは、知り得ない。知っているのと悟っているのは違う。
知るは知った。悟りは行為だ。行為中にはあらゆることが起こる。
ジャンキーは、同じ事を書いているが、引っかかるところがあれば、即知る。
だから同じ意味を連発しているという事情がある。
心神喪失の精神障害者なら、こいつ自殺するんでしょ?
こいつのおかげで大麻合法化は日本では論議することすらタブーになる
恨むならこいつを恨め
ガイジ虐殺の正当性を主張する男がガイジ割引で無罪狙うとかw
弁護士なんてつけるなよ
最後まで堂々としてろ
さもないとお前のやったことが間違いになるぞ