東京都市圏の人が青森県や秋田県といった「田舎」について語る時、しばしば彼の地の「方言」が話題になる。
「何を言っているかわからない」というが、私からみるとそれほど問題ではない。なぜなら東京の人の話す日本語もほとんどわからないからだ。
両県は日本の東北地方に属し、農業を主要産業とする。両県は確かに田舎というほかない。
関東や関西などの都市部で交通機関をスムーズに乗り降りできる交通系ICカード「Suica」はここではまったく使えず、どこかに行こうと思ったら、切符を買うしかないからだ。(文:張豊・コラムニスト、中間層の暮らしウォッチャー。「中国新聞週刊」に掲載)
青森から電車に乗って小説家・太宰治の故郷を訪れるには、乗り換えが2回必要だ。
車窓から見えるのは本物の農村風景で、川の流れは清らかで、鉄道の両側には何もなく、田畑は手入れが行き届いている。
リンゴの木には実がたわわになり、その重みで枝は低く垂れ下がる。多くの木の下にはビニールシートのようなものが張られていて、実が落ちれば受け止めるようになっている。
窓外には時折、アシやススキの群生が現れ、写真に収めるには絶好の眺めだ。
私が小さい頃に暮らした中国北方の農村がちょっとこんな感じだった。
1980年代から1990年代にかけて、農村の川には水が滔々と流れ、出稼ぎラッシュが訪れる以前は、大勢の労働者が田畑で働き、わずかな土地もよく手入れがなされていた。
しかしこうした美しい田園の風景と赤貧の暮らしはセットだった。冬になると、小麦粉を食べ続けることもできなかった。
その後、大勢の人々が都市に働きに出るようになると、彼らは豊かになったが、農村も変化を余儀なくされ、川は枯れ果て、道のあちらこちらにビニール袋が捨てられるようになった。
私たちはどうやら美しさと進歩・豊かさを一緒に実現することができなかったようだ。実に残念なことだ。
http://j.people.com.cn/n3/2020/0108/c94476-9647013-2.html
電車が五所川原駅に着くと、1両しかない小さな電車に乗り換えるのだが、困ったことにそれまで乗っていた列車がなぜか途中で5分間も停車したため、乗り換え時間は3分しかない。
予定の電車には間に合いそうもなく、次の電車を1時間ほど待つしかないと思っていた私だったが、五所川原駅に着いて本当のサプライズが待っていた。
なんと予定していた電車がそこに停車しており、乗務員が乗車口で私たちの到着を待っていてくれたのだ。
東京や大阪ならたった1人の乗客を待つ電車などあり得ず、定時運行が何よりも大事な第一原則となる。しかしここでは、数分の遅れを気にする人は誰もいない。
この小さな電車にとって最も重要な任務は、私たち10人ほどの乗客を待つことのようだ。その後、停車したいくつかの小さな駅では、乗り込んで来る人はあまりいなかった。
日本の「近代化」がまだ全国で完全に一致していないというなら、それはおそらく時間の観念についての不一致にほかならないだろう。
途中で通過した駅はどこも駅員がおらず、乗車券を売る人もなく、改札もない。電車に乗る人は乗車した後で乗務員から切符を買うというスタイルだ。
午後に帰路に就き、芦野公園駅で電車を待っていると、小さな男の子が3人通り過ぎた。
彼らは次々と私に向かって「こんにちは」と大きな声であいさつし、私も笑顔で「こんにちは」と一人一人にあいさつを返した。
もう少し何か話したかったけれど、短いあいさつの言葉しか話せないのが残念だった。東京でもよく学校帰りの子どもに会うが、こんな風に自分からあいさつされたことはない。
こんなあいさつはここでは珍しいことではないらしい。2日後に秋田県の千秋公園をジョギングしていると、野球少年の一団に出くわした。
彼らは坂道を駆け上がる練習でへとへとなのに、行き交う人すべてに大きな声で「すみません」と謝っていた。
道幅は広く、彼らがどんな風に走っても邪魔にはならないというのに、それでも一人一人にきちんと謝っていた。これはきっとコーチの指導によるものなのだろう。
コーチも側にいて、大きな声で道行く人々にお詫びをしていたからだ。
中国語サイトの説明では、このあたりは「人口45万人の秋田都市圏」となっている。
45万人は、中国なら最も小さい県の行政中心地ほどの数だが、日本の北部ではこれでも人口集中地になる。
秋田には工業らしい工業もなく、農業と酒造業が中心で、人口減少ペースは日本国内でトップクラスだという。
この野球少年たちも、将来は「人口減少」する地域の一部になることが運命づけられている。
昨年、秋田県立金足農業高等学校の野球部が甲子園の決勝に進み、優勝は逸したが、秋田の少年の心を大いにかき立てた。
少年たちも上の世代と同じように、都会の広い世界にあこがれているかもしれない。(編集KS)
「人民網日本語版」2020年1月8日 投機マンションが100年後 価値を持つか
むしろ青森の土地の方が売れるかもな
流石父さん大人すぎる記事だ…
中国の都心部を映さないで田舎ばかり映して見下している馬鹿息子と大違いだ
>日本の「近代化」がまだ全国で完全に一致していないというなら、それはおそらく時間の観念についての不一致にほかならないだろう
なるほどなるほど〜
大友監督や押井監督が1990年代近辺に「忘れられた日本の風景」「このまま科学技術マンセーで突っ走っていいものか」みたいなテーマで
アニメ作りまくってたのと同じ現象が中国で起き始めたか
中国も沿岸部と奥地の農村部だと日本より開きあるんじゃないの
収入とか特に
日本はなんかもう見ないようにしてるよな
日本の衰退地方の事を
>>20
民俗学者の柳田邦夫の論だと京都中心に同心円状に訛りがきつくなるらしいから、案外ツーカーで現地人同士会話が通じるんじゃね 我々は1が何故このようなスレッドを立てたのかという
疑問を解決するため、1の故郷である青森県に向かった。
「まだ日本にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
高度成長だの、ブラックフライデーだの、春節だので浮かれていた
我々は改めて農村の現状を噛み締めていた。
ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「息子が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。
我々はこの時初めて1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、農村の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は1の母親から貰った林檎を手に、
打ちひしがれながら北京へと帰路についた。
この20年間でもう完全に日本と中国逆転したな
あと20年したら10倍くらいの給料の差を求めて、日本人が中国に出稼ぎに行く時代だよ
> 小さな男の子が3人通り過ぎた。
> 彼らは次々と私に向かって「こんにちは」と大きな声であいさつし、
いやこれはあれなんだわ
30年後にまた来てよ
1920年代の中国の農村みたいになっているから
>>37
そういえばそうだね
中国語の一人称は「ウォ」で二人称は「ニー」だから似てるね お前の国にはもっとスラムがあるくせに偉そうにしてんじゃねえぞ
これだから自惚れ自国大好き人間は…
いうて中国だって農村部は未だに青森みたいなもんやろ
どこに行っても北京上海みたいな都市部ばかりではない
風景が思い浮かんで懐かしい気持ちになったわ。青森行ったことないけど。
王林とかいうタレントの訛りが耳障りすぎる
関西弁といい本来別言語扱いの方言が標準語化される余地があるのが悪い
殆どの日本人は気づいていないが日本語の高低アクセントは既に崩壊し始めている
なんだよ
豚が待ってるボットントイレとか
中国は全部記憶から抹消してるの?
青森や秋田も
•貧しい農村→不作で飢饉になる
→食べ物無いから口減らし、特に女の子は口減らしをされる(コケシになる)
→高度成長→出稼ぎ
→収入は増えたが家に残るのはジジババ子供だけ
→子供も育って村を出て行って年寄だけになる
を経ての現在だからね
10人の乗客を待っているんじゃなくて、遅れた列車の乗客を待っている。
電車が発車せず待っていたのは特別なサービスじゃなくて遅延の連絡がその線から入ったからだろ?
51番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です2020/01/10(金) 17:02:13.31
放送通信関係は田中角栄のおかげで凄まじい足枷付けている状態
上級が各種利権にありついているから法改正なんてありえない
>>34
意図としてはあれかもしれないけど、
本気で片っ端から挨拶してる子も居るからな。
そんな子も大人になって意図に気付くんだ…😭 こういう悪意も変に持ち上げる気もない記事久々に読んだ
好き
中国人「京都はスゴイ!古代の中国が残っている」
中国人「青森の糞田舎もスゴイ!わたしの子供の頃の故郷のままだ」
なんかなぁ…
>>42
ちゃんと記事を読んでないんか
>その後、大勢の人々が都市に働きに出るようになると、彼らは豊かになったが、農村も変化を余儀なくされ、川は枯れ果て、道のあちらこちらにビニール袋が捨てられるようになった。
私たちはどうやら美しさと進歩・豊かさを一緒に実現することができなかったようだ。実に残念なことだ。 >>53
家の近所の4、5歳くらいの女の子が、誰彼構わず大声で
「おはようございます!」って挨拶して来る
昨日の夕方買い物帰りも挨拶アタック食らった
近くに居た母親が、ちょっと困った風な表情でニコニコ笑っていた BSのNHKで
中国の本当の秘境みたいな糞田舎のドキュメンタリーやってて
どれも面白いからよく見てるんだが
中国人が同じことやってんだよな…
青森とかは田舎をウリにしてる部分もあるからまだいい
島根とか高知とかはガチでヤバい
>>2
>野球少年の一団に出くわした。
>彼らは坂道を駆け上がる練習でへとへとなのに、行き交う人すべてに大きな声で「すみません」と謝っていた。
>道幅は広く、彼らがどんな風に走っても邪魔にはならないというのに、それでも一人一人にきちんと謝っていた。
ジャップ精神 「初恋のきた道」という名作を青森でリメイクできるんじゃん
やったぜ、はやく作れ
>なぜなら東京の人の話す日本語もほとんどわからないからだ。
他意はないんだろうけどなんかわらた
方言を特殊言語扱いするけど外国人は全然気にしないもんな
同じ国の人間がやたら分からない風を装う不思議
>>70
レコチャイ = 日韓分断記事
サーチナ = 日本ホルホル記事 たぶんね
一生働かなくて良いほど大金手にした人が
セミリタイアして暮らすなら良いと思うよ 青森
働こうと思うとダメ
仕事が無い 給料安い
そして真冬がヤバい 雪が積もる
それはもう「まともに生きていく」事に
障害が発生してしまうレベル
雪かきもしなきゃいけない
「二度と雪国には済むまい…」と誓った
青森だけでなく、裏日本全部そうだろうけど
仕事さえしなきゃ、のんびり暮らすには良い
生活必需品買えるのがコンビニとイオンしか無くて、
車が無いとまともに生活できないが
それすらもドライブと割り切って
田舎の風景を楽しむ事もできる
ってか中国人って三島も読むし大江も読むし村上も読むし
この記事でも当たり前に太宰が出てくる
日本人より読んでるんじゃないの
文章うまい
これって中国の記者さんが日本語で書いてるの?
日本人が翻訳してるの?
昔の光景そのままに赤貧の暮らしはさせていないと言うのがミソなんやろな
どうしてそんな田舎に住んでるんだい?
東京から見ると異常だよ?
( ゚Д゚)「昔の中国を探しに日本にやってくるのだ」
(; ・`д・´)「せまいみちやこぎたねえ店が残ってやがるからな」
( ゚Д゚)「再開発でなくなってしまった幻影を求めて」
なんか日本の大新聞のコラムよりも読み口が滑らかだしすっきりしてて且つ内容もよくて草生える
筆が立つ人が勤めてるんだな
>>9
僕もそこすごく好き
締めの文が「少年たちも上の世代と同じように、都会の広い世界にあこがれているかもしれない」
なのも個人的には好き
この国の「近代化」の帰結が東京一極集中でその結果としての人口減少であり、地方の衰退であるのに
その流れを結局日本は変えることができなかった
「鄙びた田舎」にある美しさ、豊かさに向き合うことができなかった
正しく評価することができなかったことによって、国家としての持続可能性を失うことになる
「近代化」というものを経済的に豊かになることだと、そのことばかりに目を奪われて、
そうして出来上がったのが子どもを生み育てるのが非常に困難な東京という都市であり、
そんなところに未だに全国から若い男女をかき集めてくる
「都会の広い世界」に代わる価値観を打ち立てることができなかったのだから
そういう流れになってしまうのも仕方のないことかもしれないが、
結局この国は「近代化」すらまともに実現することができなかったとするのなら、
実に残念なことだ >>72
もともと清明上河図のような中国の街並みを理想として作ってるんだから自分たちで新古典主義建築の邸宅を作ればいいのに
アメリカ人が考える「日本風ファッション」と同じ発想なんだな 適当に書き込もうと開いたら読ませる文章が出てきて驚いたわ
最近はコラムとかでもネットで拾ってきたような話題で済ませる感じの記事が多いし
こういうちゃんとした文章は久しぶりに読んだかも知れない
その年代の中国の農村だと電気ガス水道ないとこもザラにあるだろ
小学生に挨拶をされるのは不審者と認識されてるからだろ
津軽弁のネイティブは青森生まれの俺でもわからんよ
そもそもネイティブ話せる世代は絶滅危惧種
もう少しで津軽弁自体が滅ぶよ
お前らが津軽弁だと思ってるのは半分以上標準語とミックスされたライト津軽弁だよ
>>101
聞かれてもないのにこういう細かい解説するから田舎者は嫌われるんだよ
お前らの言語は理解できない ジャアアアwwwじゃなくてちゃんと良いところを見てる良い文だな
方言はね…40年ほど前でも、田舎の爺婆の方言は、俺にもよくわからんものだった。同じ県内に住んでてもそうだった。いまの年寄りは、方言と標準語(もどき)の使い分けが上手いね