NHKのやつ見てこい
織田信長は要するに裏にパトロンが居ただけ
織田信長はイメージよりすげえ気を使ってるし許しまくってる
比叡山の焼き討ちとかもかなり伝聞自体が怪しいし
歴史を現代の倫理基準で裁くのは不毛だと結論はでてるだろ
リアル上司には勘弁だが
ドラマの中の上司ならアリ
って感じ
信長なんて凡百の武将の内の一つに過ぎない
何も見るべきところのない凡人
最近は保守的なイメージが再評価されて
秀吉のアクの強さの方が目立ち始めてるね
民主主義の破壊者
町衆と一向宗の敵
カトーを殺したカエサル
>>6
信長の卓越した点は
身分のふたしかな者や外様を重用したこと 昔は徳川家康の方が人気あったような記憶があるが
いつの間にか信長が人気出た
自分を投影視するのが信長の配下や敵や領民じゃなくて信長本人だからだろ
信長すごい=俺すごい のシステム
有名な比叡山や伊賀と比べると
伊勢長島での虐殺はあまり触れられないよね
>>13
家康はただのせこい裏切りもんだから人気が出る要素がない 三傑の仲じゃ一番人気だろうけどもう皆三傑自体飽きてて実態はそんなに人気ないんじゃね
ネトウヨがヒロヒト賛美してるのと同じだろ
ジャップは人殺しが好き
>>19
もう戦国時代が飽きられてるよな
というかもう消費尽くした感じ
最近も南北朝とか応仁の乱の方が人気だし
まあそもそも歴史人気自体下火だが… 既存の考えに捕らわれない斬新な思考してて刀鍛冶使って世界に先駆けて鉄甲船生み出したり
キリスト教重視したり身分よりも能力のあるものを重用したり
日本人らしくないとこかな
俺の知識ちょっと古いから間違ってたら指摘たのむ
秀吉と家康は統一したけど信長は領土が若干広いだけの普通の大名に過ぎない。豊臣や徳川と比べるにはショボ杉。せいぜい毛利上杉武田北条辺りと同格
結果は残した
結果を残せない無能を支持するよりマシ
目的のために手段を選ばなかったよな
一代でなにかするにはあのぐらい必要かもな
人生がドラマチックだからだろ
勝てるはずの無い今川相手に勝って名を上げて
数々のピンチを乗り越えながら勢力拡大していき
天下統一直前で一番信頼してた光秀に裏切られて死ぬってのが
秀吉や家康には無いドラマチックさ
>>29
農民の息子から天下人まで成り上がった秀吉のほうが高低差で言えば大きいだろ 当時としては別にそこまで大したことやったわけじゃないんだよね
>>31
その尺度で計るなら細川藤孝の方が世渡り上手い 結局今川義元って暗殺みたいなもんだよな
他の武田とか上杉も織田と戦うときにちょうど死んだりしててひたすらトップの暗殺狙ってた奴だった説あるんだけど
俺の中で
結局空気読めないからあととり共々暗殺されたわけだが
斉藤道三の意思をついで武家の世を決定付けた
鎌倉からの長年の抗争を終結させたのは信長だ
歴史を追っていくとやっぱり信長が中央を手中に収めたのは武家の終着点
>>32
いやいや大した奴でしょ
後の世に言う「信長包囲網」とか周辺から相当警戒されてたわけだし
数年がかりとはいえそれすら突破しちまって
足利は追放するわ、浅井朝倉なんか各個撃破でまとめて一気に仕留めちまうわで
当時の列強国の大名レベルとすら明らかに別格 >>24
信長が上り詰めた二位右大臣の地位は並の足利将軍よりも格が高い
各地の有力大名や細川や三好みたいな畿内を制圧して幕府を操る大物と違い
信長は個人で政権能力を担うだけの実力者として朝廷が認められていたことは確かだろう
将軍職に拘らなかったあたり信長の考えていた政権は幕府的な軍事政権ではなく
律令的な中央集権国家なのかもしれないけど 信長は政治の天才、軍事的にはそこそこの才能
当時の宗教は多大な力を持っておりそこに踏み込んで政教分離をなしとけた事だけでも偉大な才能だよ
他にも兵農分離や楽市楽座、先見性ははんぱねえ
信長がジャップを統一してたら
ジャップはフィリピンコースだった
「支配のためにモラルを踏みにじる」
という日帝に都合のいいイメージもってるから
ヒトラーみたいなもん、カリスマ性はあった
ヒトラーも部下や同盟国には結構優しかったしな
桶狭間の戦いは日本版電撃戦だったな
裏から回っての奇襲が大成功した
あれはマンシュタイン作戦に匹敵する快挙
私の命に従い、この度、この地(安土城)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。
その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。
そのお返しに、私の方からも「何をやろう」かと思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何を返せば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。
そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。
藤吉郎(秀吉)が、何か不足を申しているとのことだが言語同断けしからぬことだ。
どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう。
これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。
ただし、女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。
この手紙は、羽柴(秀吉)にも見せること。
又々 かしく藤吉郎 女ども
のぶ
>>30
統一後にに半島出征しちゃったからね
あれはあれで描けば
戦国武将オールスターの遠征って事で面白くなるはずけど
政治というか外交というか
いろいろ面倒な問題が出てくるからまともに映像化出来ず
なんか尻すぼみな惨めな晩年になっちゃってる 信長は苦しい逆境を才能と努力で乗り切ったのがクソカッコいいんだよな
軍事的には上杉や信玄程の戦上手とは言えないんだが、なんとか乗り越えて乗り越えて全国統一が見えて来たところで本能寺というドラマよ
もともとは有能だけど残酷な人物として賛否の分かれる武将だったけど、ねねへの手紙とか地球儀を見て地球は丸いと理解したとかのエピソードなどから創作などで人物像が独り歩きして肯定的に紹介される事が多くなり人気になった
いわゆる「実はいい人」キャラの走り
滅ぼした大名が多すぎてそれが結果的に本能寺のような
謀反に繋がった
信長の政策は革新的ではあったけどやりすぎた反動も大きかった
西洋の品々を収集するのが趣味でオタ信長と呼ばれてたんだよな
茶器の価値高めたりとかも信長だな
田舎大名には思いもつかんことよ
信長のオヤジの信秀が財テク大名で貨幣経済に精通していた
信長の影に隠れがちだけど信秀がすでに信長の基盤を作ってるんだよ
いまだって安倍周辺自民党周辺をどんどん滅ぼしていったら喝采するヒトはいるだろうそれがどんなに非道であれ覇道なりに
能力主義だから面白いのがたくさん居た
でも、それは信長がトップだからコントロールできたけど代替わりしたら維持できない組織だった
その点徳川家は代替わりしても維持できる組織だった
織田が滅びたのは代替わりの時期の組織変革とそれにそぐわない面白い部下達との軋轢と歪よ
暴君て例によって江戸時代に徳川に都合よく脚色されたんだろとしか思わんな
寧ろ部下の裏切りに寛容過ぎた末路が本能寺
世の中変わる時期に活躍したからでしょう。
戦国時代が人気なのも世の中が変わりそうだったから。
最後の覇者が徳川家康だったので結局は陰気な統制国家になっちゃったけれど
キャラが立ってるから使いやすい
それより家康が地味過ぎる方が謎だろ
人類史上偉大な政治家や革命家は大勢いただろうが260年の前では全部チンカス
権威や既得権益をぶっ壊したって一面が今の時代に受けてるんだろ
糞邪魔なカルト教団や公家排除して江戸時代への礎築いた素晴らしい人やで
今でも上級をぶっ壊すのは人気出るぞ
N國は本人がぶっ壊れちまったが上手くやれば政権取るまで行ってたかもな
信長の生涯は家督争いから不利な状況ばかりで十分魅力的だろ
北条早雲のあたりから、斎藤道三、織田信秀といった下剋上の実力主義になり、
それを武将採用のあたりまで実力主義にしたのが信長の世代で、
長いこと縁のあった家の譜代の者達より実力者を重用した結果その重用した明智光秀に謀叛起こされて死んだ。
豊臣秀吉もそうやって採用された人材だから譜代が無く実力主義にならざるをえなかった。
その後の徳川家康は譜代の家臣に支えられて(強い結束で)生き残ったので実力主義は定着せず
西洋の市民社会に最も近かったのが戦国時代で
家康はガチガチの封建制に戻したんだよな
>>72
文明が急激に発達する時期に鎖国しなければもうちょっと違う日本になっていたかも?
というIfと信長人気がつながっていると。 >>72
徳川支配で日本人は下剋上を忘れ隷属のDNAを植え付けられた
関ヶ原で西軍を勝たせるべきだったな >>74
平和な時代に生きてるからこそ言える戯れ言よ >>74
細川政権で殿様の子孫が首相になったともてはやすようではね。
安倍家も第一回の山口県議員選挙に当選してからずーっと続いている政治家の家系らしいし。 人材登用は面白いよなあの松永久秀まで配下にしてたって
実際金ヶ崎の退き口で救われたし
信長の虐殺って、言うほど悪いか?
現代日本だって、オウム信者をさっさと死刑にしろって意見が大半じゃん。それを実行しただけ
教科書なり、ドラマなりだと、現代の寺社仏閣や特に本願寺あたりに配慮されてオブラートに包まれてるけど、少し調べたら相当に悪質だった事が分かるし
形式的には室町の体制でも足利家に各国の守護や管領が従属して天下統一されていることになっていたので信長が初めて天下統一したわけではなく、
そういう形式と実効の違いがポイントなのかも。
秀吉、家康が日本を支配したのにその上司だったということで、よりすごい人ってイメージがついてる
桶狭間は勘違いによる攻撃でたまたま義元討ち取れたってのが今の有力な学説になってるしなあ
信長の勢力拡大は基本的にほぼ幸運の要素でできてるのがね
>>91
だが運を掴むには決断をしなきゃいかんからな
清洲城で寝てたって勝手に義元が死んだわけじゃない 義元と義龍の死亡がなけりゃ信長が一代で
勢力拡大するのは難しかっただろうな
とはいえ勝負はいつの時代も時の運でその運に最後は負けたのが信長自身でもある
>>91
信長は桶狭間の合戦以降は必ず敵より多数で決戦しているそうで。 >>1
存命のタレントとかと違って、歴史上の人物については誰も
「そいつと一緒に暮らす」
「そいつの部下になる」
みたいな視点で評価してないからだろ
でかいことを成し遂げてたり歴史上重要な位置にいれば、それだけで価値がある
人格なんかどうでもいい >>79
あの時代力持つ組織は全部相当悪質なことしてるがな 法治国家なんてものが近代になるまで存在しなかった国だぞ
名君と言われたのは後世のイメージでしょ
あの世で秀吉が「あれが名君とかないわ」って真顔で言いそう
>>101
信長は名君だなんて言われてないしそんなイメージもないだろ 平和だの、礼儀だの、正義だの、こんなの儒教の教えが根底にあるからであって、
実際に歴史はそんなのでは動かないんだよ。
>>96
今だって「ソイツと一緒に暮らす」を考えて高感度なんか出してない
渡辺直美は性格最悪で反日で汚部屋住みのゴミだけど
高感度高い上にまんこはこぞってインスタ見るやん?
いつの時代も庶民はバカだから人気なんて完全イメージだよ 比叡山の焼き討ちなんて、キチガイクソ坊主が抵抗し続けたらやっただけやん。
やられて当然
>>105
宣教師に教わったんかのう
馬車とか考えてたのかもしれん 足利とその分家共が糞過ぎたから
結局、後醍醐帝が正しかった
>>104
お前はそもそも渡辺直美を嫌ってる側の人間なんだから論理が破綻してるぞ坊主w
渡辺に投票してる奴はそもそもお前みたいに渡辺のことをゴミだなんて思ってない 叡山焼き討ちの有無はともかく
白河院の頃からすればだいぶ歴史が流れたなと
思うわ。普通に攻撃して無力化だしな
>>106
そもそも延暦寺の僧兵が浅井・朝倉軍に合流したせいで家臣の森可成が死んでるからな
抵抗云々抜きにしても見せしめと報復の為に多少の焼き働きはやっただろうな >>111
公家と坊主の争いなんて所詮政争の具でしかないけど
ガチンコ殺し合いレベルになると話は別だからな なんか残虐で苛烈なイメージ持たれてるけど、大した事やってないぞ
あの頃の武士にしては普通
足利将軍大切にするし、朝廷は尊重するし、
畿内まで下剋上上等、公家や坊さんからの横領略奪は当たり前になってた時代背景からすると
むしろ政治的には古いタイプの人間
地方都市からやってきた良いとこのお坊ちゃんって感じ
>>114
あれも武家ではない市井の強い奴をスカウトするためだった説あり 小説やドラマでは信長以外の人は神罰を恐れる原始人のように描かれて
信長だけが迷信に振り回されない現代的価値観を持っているかのようだけど
寺を焼き払うなんて平安時代にも室町時代にもいくらでも前例がある
信長は革新的な新時代の旗手と言うよりも旧時代の生き残りという感じかな
>>82
叡山のときも明智は殺しまくって秀吉は子供逃がしたりしてたっていうからな >>118
信長が現代的価値観とか確信とか言われてるのは、何も寺を焼いたからだけじゃないぞw
部下を出自じゃなく実力主義で登用したり、平城を作って経済を重視したりとか、
色々な面で当時の常識とは逆の合理的な判断をしてる >>31
武田信玄が勢いあるうちは自らは高価な贈り物してへりくだりながら、裏では弟分の家康をけしかけて武田の勢力拡大をおしとどめていたの上手い >>120
信長は領民に人気あったらしいよ。
祭りとか好きで 寺焼きは歴史の条件が揃ってないと
できないな。焼いたから焼いたやつがすごい
とはならん観。平重衡は東大寺焼いて
鎌倉で斬られた。光秀は叡山の敵討ちと
喧伝しなかったし誰もそんな思いいれ
持たずに無事敗死
信長の死後は敵も味方も小粒になったかのような感覚
F1でアイルトン・セナが死んだ後、その他の脇役がトップ争いしてる印象
>>130
実力主義の時代の有力者の息子はエリート教育されるから、
知勇兼備になる反面、個性は弱いのかなと。 >>20
実際の信長もあんな感じだったんだろ
ゲームの信長が英雄すぎておかしい 大体は成果主義だと思うね
暴君でも有能なればそれでよしみたいなのが戦国でしょ
一昔前は独創性のある指導者っていうのが典型的信長像だったが
近年では根回しに長けた用意周到な人物だったってのがわかってきたからな
信長が殿様の息子扱いされているが、会社で言うならせいぜい部長の息子程度だぞ
信虎がかなり仕切ってはいたが
信長生きていたら弥助が大名とかになっていただろうし黒人みたいな日本人割といたかもしれないんだよな
本能寺で死んだから。日本では最後に非業の死を遂げる奴が大人気。
畳の上で大往生する奴は人気無い
>>138
斯波家の中で信秀が部長から急激に専務ぐらいにまで伸びて 逆に信玄や謙信は何で天下取れなかったんだ?
とっとと美濃や越前攻めて、そっから京へ上洛できなかったんか?
>>64
普通に中国の王朝でもっと長いのあるやろ
>>68
何か一つでも上級ぶっ壊しましたっけ?
そもそもあいつ何かほんの一つでもNHK壊したのか? 謙信は天下取る気ない
足利幕府を中心とした既存の秩序を守ろうという立場
だから上杉の氏と関東管領を受け入れた
有能には異状に甘いだけで
嫌儲メンみたいなコミュ障無能には災厄でしかないだけ
あと陽キャ体育会系は大好きだけど
陰キャ軍師系は嫌い
>>137
でも地侍の娘を実の娘にしたてあげ
信玄のもとに送るのはギャンブルすぎませんかね? >>11
信長なんて身分が不確かなものを重用なんていない
軍団長とやらもほとんどが尾張の領主だし明智は親族衆
尾張の領主層以外の重鎮なんて殆どいいない
北陸軍団の顔ぶれも、柴田、佐久間、佐々、前田
本願寺攻めも佐久間、原田
その他も池田、丹羽、明智
武田攻め後も川尻、森、滝川と尾張の領主が多く
ほぼ全員が領主出身なのにどう見たら身分が不確かな人間を重用したっていえます?
秀吉もこの顔ぶれ見たら尾張の領主に入ると思うのですが >>148
それ小説の話
勝頼には織田の養女として送ってる 秀吉持ち上げると発狂する国あるからな
真の英雄なのに
信長のような急進的なやり方だとトップにそれなりの能力とカリスマ性を兼ね備えてないと政権は長続きしない
本能寺がなくても結局一代限りで終わったのでは
>>105
逆に徳川は街道が整備されると江戸まで簡単に攻め込まれると
道をわざと狭く小さく作ったんだよな
本当に徳川が天下とったのは日本の不幸だわ 晩年に差し掛かる前に暗殺されて、老後の醜態晒さなかったてのもデカい
お前らみたいに信長にビビッて気を使いまくりそうな奴はすぐ斬られてるだろうな
顔色伺って下手なお世辞とか言って無言で斬られてそう
信長はそういう奴が一番嫌いだったからな
それより堂々として自分を貫いてるような尖った人間を敵でも好んだ
>>143
この二人は衰えた将軍家の使いっぱしりをやらされて喜んでるレベルだから
無理そう あれだけ過去の自慢話をしたがる秀吉が
世に出るまでの話を頑なにしなかった時点でお察し
真っ当な出なら京都職のさいに朝廷が文句言うはずが無いわ
>>151
朝鮮出兵なんてあんな単なる自爆行為を深く掘ったらそりゃジャップ発狂するわな >>149
あ光秀親族なん
帰蝶の親戚っつう今の大河の設定そのまま
信じてええんか 一応そういう説もあるし
土岐家と全く関係ないという説もある
>>159
生まれが農民の子で
家を飛び出して針売りしながらあっちこっち行ってた >>37
コーエーのおかげなのは他の武将だろw大名達は違うわ >>149
光秀が親族??
秀吉が領主??
それって何か裏付けがあるの? >>166
信長の正室の実家は斉藤氏で道三の嫁は明智氏出身。
細川日記にしっかり書いてある
秀吉が領主だという史料は無いが、秀吉の父の嫁は武家出身なこと、
母も水野氏説がある人物と再婚してることから領主でないかと思われるわけで。 >>167
つまり信長の嫁の実家の義父の嫁のひとりが明智家出身ってだけでしょ?
光秀の血の繋がりは確定してるの?
道三の嫁のひとりが明智家出身ってだけでは弱いと思うんだが
光秀は父親の名前すら定かではないんだし、同じ明智家でも道三に嫁に出した明智家と別で傍流の可能性だってあるわけでしょ
それに細川家記は信頼性に問題のある史料だ。特に藤孝時代なんかは
秀吉が領主っていうのも妄想なのね >>169
信長の正室は帰蝶で道三の娘、道三の正室は明智家氏で、
道三が死んだ際に明智家は離散して光秀も斉藤氏から離れてますし
説得力が有ると見ていいのでは?
妄想なのねって、>>149でも書かれてるように
秀吉さんの経歴はモロ尾張の領主だから妄想ともいえない 信長の正室が「嫁の一人」なんてよく言えると思うが
当時の大大名の政略結婚を「嫁の一人」なんてとてもじゃないけど言えん
>>170
だからーその道三の嫁と光秀に血の繋がりはあるのかってことが重要なんでしょ?
で、それはまだ確定されてないわけで
そ嫁は光秀からみて何になるの?
お母さんの姉妹?
はたまた何代も前に枝分かれした同じ明智性を持つ誰か?
道三が死んで龍興に攻められて離散したというのがなんの関係があるわけ?
あと信長が尾張の領主層を重用したから
同じく重用された秀吉も領主出身なんて
いうのは論理的にみえてただの論理の飛躍だよ >>123
合理的精神を持ってるけど
価値観は保守的なんじゃないの 興奮して質問ばっかだな
>だからーその道三の嫁と光秀に血の繋がりはあるのかってことが重要なんでしょ
重要なんじゃなくて、その一族ってことが大事なんだが、当時血が繋がって無くても
一族ってことに大きな価値があったから、織田信長でさえ親族衆に津田とかが普通にいる
正室の嫁の実家が道三について一族が離散したから、
信長が上洛したときに家臣になりましたよってのが
親類じゃないのか、正室を嫁の一人なんてよく言えるね
????????
>いうのは論理的にみえてただの論理の飛躍だよ
論理の飛躍に見えるのはお前の頭の悪い考えでしょ
大卒しかいない大手企業の社員を大卒だと類推したら論理飛躍だって言ってるくらい
普通に尾張領主衆ばっかりが
立場につけられてる中で、秀吉だけ違うって方がむしろ論理の飛躍だろうが
>>123
いやいや信長なんて能力主義登用は全くやってないし
秀吉ですら史料が無くて出自が不明ってだけで、普通に扱われ方も尾張領主と同じなのだから
尾張領主でいいと思うんだが
若年から生駒に年貢徴収の代行をお願いできたり領土安堵状に署名する立場なので
農民なんてことはけしてない 影響力強い将軍や顕如や主君の斯波義銀とか殺してないし意外と常識人やぞ
謀反起こされても許すこと多いし
ただ潔癖症の気があるのな
筋が通ってたりしたらいいけど人間的に卑怯だったり怠惰だったり
こちらの好意を踏みにじったやつは絶対に許さないみたいなところがある
コーエーのおかげ
日本人離れしたイケメンだしなゲームでは
>>25
あの人絶対主人公を善人にしようとするよね 善悪は別としてやることのスケールがとにかくデカかった
坊主皆殺しとか出来るの信長くらいだろ
そこに痺れる憧れる
>また、従兄妹でなくても何らかの血縁があったと推定される
とwikiでも書かれてる様に帰蝶の血縁者でいいと思う
出典は1984年の研究だが
なあなあで空気嫁社会の日本だからこそ徹底的にやる信長が人気なんだろう
中国なんかは家康の方が人気あるし信長に似た曹操も悪人扱いだからな
しかし桶狭間で死んでたら今川氏真や一条兼定と大差無い評価だったんだろうなぁ・・・
尾張統一なんかも叔父の信光のお陰にされそうだし
>>174
信長と自分に親戚関係があると知っているなら
なぜ離散した直後ではななく信長上洛後に頼るんだい?
お前は自分の脳内のストーリーに史実が合うように事実を歪めているだけ
秀吉の出身に関してもなんら証拠があるわけでもなくみんなそうだからそうに違いないというのは歴史学でもなんでもないただの妄想 >>182
支那は関羽が人気があるし日本と価値観が違う。
あと信長と曹操は似てねーよ >>175
馬の世話係とか草履取りやってる領主格なんていないだろ >>3
そもそも戦国期の寺や神社って武装してて大名みたいなもんだしな
信玄と戦った諏訪頼重とか大名扱いされてるけど諏訪大社のオーナーの神主だろ >>119
その後の秀吉の所業を見るに逆だったんじゃないか
明智は敗者だからどうとでも描かれてしまう >>188
のぶに叡山の件でめちゃくちゃ怒られてたやんきんかんは >>184
明智一族であること道三に攻められて滅んだことは土岐一族と書かれており間違いないと思うのですが
土岐氏と朝倉は親戚だったからでは?
妄想って、むしろほぼ周りがそうなのに秀吉だけが違うって方が妄想だと思いますが
中世ヨーロッパの諸侯が記録が無いからキリスト教徒じゃないってくらいむしろ荒唐無稽でしょうに 秀吉なんてよくて庄屋の家の息子で水呑百姓レベルの貧農ではありませんでしたってレベルだろ
>>188
比叡山攻略のあと比叡山の麓の坂本に城を造る事を許可されてるから
明智光秀が延暦寺焼き討ちで活躍したのは確実だろ じゃあそれに負けたほかの連中が馬鹿みたいじゃないですか
>>187
諏訪家は江戸時代は大名になってるな。今川氏真より格上。 >>185
信長と曹操をダブらせてるのって、間違いなくコーエーの仕業だろうな
中国人の曹操のイメージは、京劇の白臉や「三国演義」の鮑国安のイメージで、信長とはちっとも似とらんわな >>175
こいつずっと「秀吉は尾張の領主」って強弁しててわろた
残念だけどお前の負けだよ坊主w >>196
三国志はお互いに殺し合って最後しっくりこない感じで終わるけど、信長は間違いなく天下統一の
最大の立役者だし 庄屋ってことは在地領主みたいなもんだろ。
例えば前田家と大差無かったんじゃねーか?
ルッキズムの最大の受益者だろ
サルとタヌキがかわいそすぎる
>>197
特に反論が無いんですね
史料が残ってない=農民だったのが論理の飛躍だと思いますが
秀吉は父が死んだ後に、信長に仕えられてる立場でして一度出奔した際も普通に帰参してます
農民だったらそうはならないはずです、そもそも親戚に尾張の豪族が普通におり母も普通に豪族の娘です
ろ豪族の生駒氏に小額といえど年貢徴収代行をお願いといえど注文までつけてさせてますし
1565年の時点で領土安堵状に署名していたり美濃攻めで城代やってますし、
京都で政務担当をしてるように農民だったらありえないことばかりしてます
後年でさえ、上杉戦で勝手に撤退しようが、宇喜多を赦免しようが普通に赦されてます。
信長自体が尾張の領主を大事にする人物でほぼ一人として下層からの登用をしてない時点で
これは不自然極まりないかと >>199
前田とか地侍なんて室町期の身分制じゃ百姓だろ
鎌倉殿に本領安堵してもらった地頭由来のその土地の正規の継承権を担保された国人とは身分が違う
と言っても実質は地侍がその土地を収めてたわけで古来の身分制度じゃ不都合が多いから、家康が幕府開府の大整理でその実質に合わせたんだろうね 最近の研究だと魔王みたいなイメージじゃなくて、普通の戦国武将だったらしいな
>>201
最初は今川家の下っ端で
桶狭間の後に知り合いの伝手で織田家に入ったんじゃなかったか? いや秀吉自身が子供の頃から織田家に仕えてたといっとる
>>174
類推なのか論理なのかはっきりしろ
意味不明 >>203
宣教師の記録では、家臣は皆ビビっててワンマンだった、とあるが
全く家臣の献策も聞かない人物だったわけじゃない >>190
秀吉が領主だというのなら
確実にその証拠が残ってないとおかしいでしょ?
じゃあ秀吉の親は何者でその時に仕えていた家来は誰で秀吉が栄達していたあとは何してたの?
何の証拠もなく領主だ領主だって言われても困るんだけど
じゃ秀吉は自分をご落胤だと言ってるから天皇の落胤になるわけ?
そういうことじゃないでしょう
もっと歴史学っていうのを真摯に学んでくれよ
あと普通に考えて近くの尾張に
信長という有力な親戚がいるんだからわざわざ越前まで行かないでいいとおもうんだが?
でなんでお前がそんな苦しいこというかというとお前が信頼する細川家記にそう書いてあるからだろ?
だからお前は光秀は信長の親戚だけど頼らずにわざわ遠くの越前に言ったと主張するしかないわけだ 仮説としては面白いんじゃね秀吉地力の主説は
でも勢力拡大期のような出世の機会が多い時期に
出世するのが大半で当たり前だから美濃攻略時で
家臣にいた秀吉が織田家縁故の者じゃなくても
別におかしかないから仮設としては弱いと思うけど
>>211
また興奮して質問だらけなんですね???
その証拠が残ってないとおかしいとかいうけどろくに
南北朝時代だとか鎌倉時代でさえ史料が無いですし状況証拠で見ていくしかないと思いますが
というか細川家記とかの証拠を出しても証拠扱いしないなら証拠なんて無くなりますって
?????
そのときに仕えていた家来なんて言い出したら
井伊氏だの水野氏だののでさえ譜代なんてろくにいないことになりますね
歴史学ってお前の妄想をこじつけるものじゃないんで
織田信長が有力って朝倉だって有力ですし、光秀の目から見て今川義元や斉藤を敵に回してる信長と
加賀豪族くらいしか敵がいない朝倉なら朝倉選んでもおかしくは無いのではと思いますが >>213
悪いけど質問してるわけじゃなくて
ツッコミなお前の論理の矛盾を指摘してるんだよ
だから史料っていうのは書いてることを鵜呑みするんじゃなくて書いてあることが正しいかどうかを精査する必要があるわけ
細川家記については少なくても前半の藤孝の時代には伝聞が多く信憑性にかけると判を押されてるわけさ
だからそれを持ってこられてあーだこーだ言われて知らんわってこと
秀吉が領主だというのなら
少なくとも太閤関白の累代の家来の家系
の〇〇太郎でございますなんて奴が出てきてもおかしくないと思うんだけど?
そのことに関しては何の疑問を思わないわけだお前は
光秀の足跡に関しても全然納得できない
近くの織田家に身を寄せてそこからどこかに行くならわかるが初手から朝倉に行くのは論理が合わない
合うとしたら信長とは縁がなく頼るつてがなかったからだ 坊主皆殺しにしたのを悪と思ってるヤツ多いだろうけど
当時の坊主は今のアイフルやら武富士、プロミス、アコムやで?
>>214
信憑性にかけるといわれるのは明智軍記を書き写してるからで
これについては書き写してなんていませんってば、
状況的にも土岐明智家は織田家の遠い縁戚ですし血縁関係は有るとされてますね
自称血縁者が出てこなくてもおかしくないと思いますって、
現に井伊家だろうが森氏だろうが水野家だろうが
そんなやつろくに現れてないわけですし、秀吉だけ現れるって言っても
それこそおかしいでしょうって
あんた個人が納得できなくても事実、越前と美濃は隣国ですし
うつけと名高い信長があれだけ勢力伸びるなんて当時は誰も思ってなかったでしょうって
そっちのほうが不思議ですが >>208
その書状が生駒家の使い走りで年貢の取り立てした時の書状だとしたら
当時の秀吉の年齢は20歳前後だろ >>143
農民動員だから遠くに行くと農業に帰れない >>203
抜け目ない獣の世界で暴君なんかやれないし命がけで計算づくで生きてるよ >>217
生駒家の使い走りって
逆でしょ
生駒を使いパシリにしたの間違いでは?
代行徴収させとる
それだけでどれほどの立場なのかわかるものだけどね 当時の坊主は武将
ただ年貢とかはかなり低かったらしく民からの支持はあったとか聞いた
秀吉領主説のやつって、別スレにもいたよな
いきなり堺の政務に抜擢されてるからって言ってたな
信長の登用の仕方が異常なだけだろ
>>221
信長の側室である生駒吉乃の実家を使い走りにするとか秀吉すげぇな
その時点で大名なんじゃね? 信長の登用って信長さんはろくに実力主義的な登用なんてやってませんが
>149を見てヤンキーのように地元愛に溢れ尾張領主衆ばっかり引き立ててますし
秀吉だけがそうじゃないってのは無理がありますってむしろ
秀吉領主くんの主張をまとめておくわ
秀吉は領主だった
特に証拠はないけど他もそうだからそうに違いない
秀吉は領主で太閤関白になっても
秀吉に代々仕えたという累代の家臣を名乗る人物はいない
でも他もそうだから全然不自然じゃない
書いてて相手するの馬鹿らしくなってくる
秀吉は義父が織田の課長クラスだし、そもそも生駒家の伝手で取り立てられているから実力主義だの平民上がりってのは無理が有るだろ
というかそもそも小説家の創作を真に受けて歴史語るなよ、馬鹿かクソ老人共
信長の一番の魅力は尾張統一だよな
その出発点みたらその他の戦国大名と
比較にならんくらいヘルモードだもんよ
言うほど残虐か?
信長が留守中にうかれて遊びに行った侍女皆殺しにしたのと
比叡山と長年の部下にいきなり「おめー無能だから結果出すか出家するかしろや」とか言って
パワハラしたぐらいしかなくね?
糞パワハラ野郎
38回謀反起こされて38回目に死んだ
どんだけ人望無いねん
>>212
それ言ったら義元討ち取った毛利さんはろくに出世してませんし
美濃攻めでも秀吉は特に何もしてないですって
それでも出世してるのだから不思議だなぁと 寿命で死んでも、家康に天下盗られてたやろ。
ボンクラ後継者では。
>>229
伊勢長島で許してやるから大人しく投降しろと言って武器を捨てさせてから皆殺しが抜けてる 信長に一番近い海外の為政者って誰になるんだ?
始皇帝?
カエサル?
ナポレオン?
ヒトラー?
>>234
一番近いと言われてるのは曹操だな
金持ち成金の息子だし
朝廷を立てて出世の道具にしたり
実力主義を重んじたところが割と共通してる >>234
強い敵には近くに城築いて長期戦で嫌がらせするのカエサルっぽいかな >>234
それを例えることになんの意味がある?
似てる奴なんていない >>22
とにかく戦がおもんない
各武将がどういった治世してたのか取り上げてほしいがそういうコンテンツがほぼない >>228
歩兵がほぼ全滅して各地で尾張は終わりやと絶望して反乱開始
というところがスタートだもんな
そこから残った騎兵を主力に残存兵力で本人も前線に立ってギリギリの戦いの繰り返し >>228
石高以外の多くの要素がヘルモードだからなw >>242
そりゃ身分社会時代の治世なんて現代人の感性にはそぐわない
ところが多すぎるからだろ
近代以前の世界なんてどこかしこも独裁国家しかないし
戦国時代が人気なのは実力でのし上がるって言う現代人にとっても
共感できる部分があるからだよ
どの武将が強いだの弱いだのスポーツ見て熱狂するのと似たようなもんだからな >>44
その半コテ、以前はキチガイ丸出しだったのに
なんか話せるようになってきてるな
驚いたわ。或いは偽物か 信長は寛容だぞ
話悪く盛りすぎ
むしろ秀吉のほうがやばいだろ
>>112
浅井・朝倉軍と通じて森可成が死亡、度重なる書状にも無視、僧兵を所持する武装勢力に対して対応しただけ。 知れば知るほど信長はまだ優しいって気が付いてガッカリする
>>251
天下を取った際に部下に言った台詞
秀吉「わしは信長ほど甘くはない」
家康「わしは秀吉ほど甘くはない」
家光「わしは家康ほど甘くはない」
・・・という書き込みを見た事がある。 >>152
光秀には母殺しを、家康には息子殺しを命じて実行させてるから、本能寺無くてもどのみち殺されてたよ。 国民国家成立以前の暴君は愛される
だからアイヌ(笑)とかどーでもいい
>>215
それは堺衆じゃなくて
坊主はISISだろ 信長神話や武田騎馬軍団とか全部歴史小説のせいじゃね?
あれ禁止した方が良いわ
信長は虐殺愛好家だけどゲームは売るために印象を変えたから
実際の信長のように極悪人にしたらゲーム売れんだろう
>>242
治世といっても治めている地域の国人との人間関係に収まるような気がする。 >>149
森可成は美濃で、滝川は伊勢
元は尾張の人間じゃない
織田家で出世著しいのは、明智、秀吉、滝川、後は最古参家臣の森可成の息子の長可
柴田勝家なんかは、バカにしてた秀吉から方針に着いていけないと対上杉戦線を勝手に離脱されても信長から特に重い罰は与えられず、中国方面の攻略を任され、その後の功績と率いる軍勢の数は簡単に抜かれる始末
柴田勝家は敗退、失態が多いものの頑張ってたから佐久間のようにはならなかったが、信長が死なず上杉を長可が落とせばいよいよ存在感が薄くなってたろう
佐久間や林と同様の目に会う前に寿命で死んだかもしれんが、勝豊はダメだ >>249
信長は一向一揆相手や摂津より西の裏切り者には苛烈だけどな ヒトラーだって人気モンだった
バカが洗脳されやすい
いつの時代も
美濃岩村城攻めで武田の部将秋山虎繁及び夫人のお艶の方を許してやるからと騙して逆さ磔にしたよな
天魔とは第六天魔王波旬、すなわち仏道修行を妨げている魔のことである。天子魔・他化自在天・第六天魔王ともいう。
人々の煩悩を餌にしているので釈尊の修行完成を恐れてブッダの修行を邪魔しにきた天魔である。
カリスマ性を利用して衆生の煩悩を炎上させを餌としてる天魔。
巷で評判になりつつある霊能者だか何だかの話を聞き
そいつを城まで呼び出して
「キミ、何か聞く所によると他人に化けれるとか何とかで評判らしいな」
「ほなちょっと今ここで化けてもらえんか」
「何や化けられへんのかお前焼くぞアホコラ」の信長公記エピソード見てから
上岡龍太郎感がいつもついて回る
> と対上杉戦線を勝手に離脱されても信長から特に重い罰は与えられず
種無し小梨の秀吉が信長の息子を養子にくれと願い出ているので実質ただ働きを申し出ているようなもんかと
>>228
よく石高多い尾張からスタート出来たヌルゲみたいなこと言うやつ居るけどぜんぜん違うからなw >>268
森氏は元々土岐氏に仕えていました
当然可成も最初は土岐氏に仕えていたが、斎藤道三によって頼芸追放時かその前に美濃を出て、信長に仕えている 今のトランプとそっくり
死んでよし、てか死んでるか
>>264
あれは信長の子供甲斐に人質として送ったのがまずかった
何お前わしの子供人質にして女として幸せになっとるんじゃって話 滝川、明智、森くらいしか他国衆いない気が
毛利も団も尾張ですよ
なんだかんだ神秘性がダンチだよな
創作物でも大抵イケメンのカリスマ的に書かれるし
>>274
堀も美濃
信長は途中で死んだから分からんけど、越前方面の連中(尾張普代グループ)って冷遇されそうなんだけどな
上杉を落としたのは間違いなく森長可
(上杉だって越中まで迫った柴田より森長可にビビってた)
家臣の格で言えば、関東管領任されるべきは柴田勝家だろうに、実際任されたのは外様の滝川
織田家随一の家臣で畿内管領と言ってもいいくらいだったのは明智
中国方面の功績が著しい秀吉 堀は小身だからはずした
河尻でさえ甲斐一国
>上杉を落としたのは間違いなく森長可
それはないでしょ森くらいの兵力だと上杉には足りないと思いますよ
>>278
「あの手この手」で信濃衆強制動員するから 信長と消えた家臣たち 谷口克弘 読んでみな。
まあこれじゃあ家臣はいつ消されるかわからんから、不安でびくびくだよ。
>>162
三河の松平さんの一族に室町幕府の下級役人がいたみたいな感じで
明智さんも幕府の下級役人から徐々に成り上がっていったんじゃないかな >>265
法華じゃ魔王波旬の誘惑は悟りを得るためのイベントであって
悟りを得た後は仏法の守護者となるんだよな
織田家は日蓮宗だし信長って教養人だったんだろうなって思う >>283
第六天魔王が恐れるもの
それは仏教四天王
つまり四天王である毘沙門天を名乗る上杉謙信には手を出せない >>284
一番の強敵って理解してから光秀や秀吉じゃなく家臣団で序列一位の勝家に北陸を任せたんじゃないの >>285
武田信玄も出家して僧侶資格を取得してる
武田信玄は何か名乗ってたのだろうか?
雰囲気は四天王に近い >>283
教養なんてないよ
毘沙門天を名乗る上杉謙信の書状に対して
自らを第六天魔王と署名
第六天魔王は毘沙門天が天敵だってのw >>286
天台座主沙門信玄
人の域を越えないあたり信玄のバランス感覚が窺えるな 自作農を領主という香ばしいのが居てw
江戸時代の自作農もご領主様かなw
秀吉の扱われ方は自作農クラスではないんですよね
明らかに一門でもおかしくない
信長が死んで家康が天下獲らなければ今に続くジャップ気質も作られなかったのに
秀吉が厚遇されてるのは優秀だからじゃないの?
手取川も負け戦なこと分かってて退却を進言したけど聞き入れられなくて
自分は撤退
その後柴田が善戦してるならばまだしも
結局退却することになって時既に遅くて川を背にしていて退却もままならず大敗だからな
信長は立場上怒らなくちゃいけないけど
正しい判断したのは秀吉だしな
>>293
自分の息子を養子後継者にしているから、いつでも秀吉軍団は乗っ取れる。
長野、神戸、北畠、磯野、皆このやり方。
信長は基本的に血族、体の関係あった近習以外信用しない >>293
三方が原の戦いでも佐久間は折檻上で戦わなかったことを非難されてる
勝手に撤退したら普通は許されない >>296
手取川の時は戦闘が始まる前に秀吉が撤退を進言して聞き入れてもらえず帰ってしまったけど
三方ヶ原はがっつり戦闘が始まってて目の前で同盟国の徳川家康が窮地に陥ってるのに助けず逃げたから状況は若干違う
もし手取川でも戦いが始まってて
柴田勝家を見殺しにして逃げ帰ってたら
大将を見捨てる者を許すとは思えない それなら同じでしょうって
目の前で織田方の城が攻められてるのに撤退って織田の信用に関わるし
それこそ戦闘があるのに撤退してるんだから佐久間と同じじゃ
信長粛清録
ゲームや漫画の影響かどうかは知らないが、信長厨は信長に対してやたらとさわやかなイメージを持ちたがっている
そして信長から離反した相手は大抵信長の所業を原因として離反しているにもかかわらず、その相手の事をぼろくそに叩きという
本末転倒なことをやらかしている
しかし史実を見ても、戦国時代から数百年に及ぶ評価でも、信長は猜疑心深く粗暴で狭量な人物であったというのは
主流な見解であった
信長の猜疑心の深さ、その憎悪の深さ、長く根に持つ執着性、といった面は
史実を基にしてみれば非常に濃い信長の特徴である事がわかる
そしてそれらが最も顕著に現れたのが粛清問題である
今回はそこから信長の闇に迫ってみたい
279 : 名無し曰く、[] 投稿日:2011/03/09(水) 17:02:20.15 ID:vEYV9K5L [12/47回]
まず信長の陰惨な粛清殺戮劇を語る上で佐和山城ははずせない
この城では3人の武将とその一族達が粛清されている
その最初はこの高宮右京亮である
1571年9月 高宮右京亮とその一族が佐和山に呼ばれて殺戮
罪状は一年前の敵対行動
高宮一族は1571年2月以降に信長に下っており
一年前の敵対行動を非難されるのは筋違いというものだが
信長は冷酷にも呼び出して謀殺している
この「昔あった事をいったん許しても後で穿り返して処断する」というのは
信長における顕著な特徴である
279 : 名無し曰く、[] 投稿日:2011/03/09(水) 17:02:20.15 ID:vEYV9K5L [12/47回]
まず信長の陰惨な粛清殺戮劇を語る上で佐和山城ははずせない
この城では3人の武将とその一族達が粛清されている
その最初はこの高宮右京亮である
1571年9月 高宮右京亮とその一族が佐和山に呼ばれて殺戮
罪状は一年前の敵対行動
高宮一族は1571年2月以降に信長に下っており
一年前の敵対行動を非難されるのは筋違いというものだが
信長は冷酷にも呼び出して謀殺している
この「昔あった事をいったん許しても後で穿り返して処断する」というのは
信長における顕著な特徴である
280 : 名無し曰く、[] 投稿日:2011/03/09(水) 17:12:27.37 ID:vEYV9K5L [13/47回]
佐和山における陰惨な粛清殺戮劇は後二つある
共に越中の国人である石黒氏と寺崎氏である
この石黒氏に関しては1581年に信長に帰順し、挨拶に来るよう命じられて
佐和山まで来たところを襲撃され一門17人が殺戮されている
信長の猜疑心を表す事例といえる
信長の生涯を通じてみられるのはこの強烈な猜疑心とそれによる粛清である
ネットには「信長は尾張時代の家臣から離反されたことなんかない!」とか
正気でいう信長厨とかいて呆然とさせてくれるものだが、
現実の信長は信望が乏しい故に生涯にわたって家臣たちから離反され、
自らも猜疑心深く、長く根に持つ性分であるが故に粛清に明け暮れ、
それがさらなる離反を招くという悪循環を繰り返し、最後はその謀反で織田家中もろとも崩壊した
信長死後に誰もが織田宗家を守ろうとせず、皆で自分の勢力拡大に走った面からも
その空気はおおよそ察しうるであろう
以後、信長に粛清された者達を可能な限り時系列順で示していきたい
とにかく多い
1554年11月26日 織田信光が暗殺されている
この人物は信長の叔父にあたり、その清洲乗っ取りに多大な貢献をしており
信秀からは常づね信長に対し「信光を父と思え」といわれるほどの人物であった
信長は清洲乗っ取りの功績から、信光と尾張下4郡を半分にわける約束をしていたという
それに先立つ横死であり、信長は信光の一族に対してその約束を守る事は無く、自身で
尾張下4郡を統治している
真意がどこにあったのかは明白であった
1557年11月 織田信勝が謀殺されている
通説では、信勝が2度目の謀反を企てたためにおびき寄せて殺した、とされているが
その密告をしてきた柴田はこの時期には信勝が他の家臣を信頼するようになった為に、
遠ざけられて不満がたまっていた人物であり、その人物に果たして信勝が大事を打ち明けるか疑問である
ただ事実として言えるのは、これから後に柴田が信長の直臣になるという事である
288 : 名無し曰く、[] 投稿日:2011/03/09(水) 17:43:59.63 ID:vEYV9K5L [17/47回]
1556年6月 織田安房守が暗殺される
彼は「利口なる人」と人に評価された信長の異母兄とも弟ともされる人物であり、
彼を殺した角田新五は織田一門を殺したにもかかわらず、追求を受けずにそのまま信長に仕え続けている
非常に不自然な事態であった
1571年1月 神戸一族当主とその妻が蒲生家に挨拶に行ったところをそのまま信長の命令で幽閉される
同年に4年も前に織田勢を撃退したことのある伊勢高岡城主山路弾正忠が信長に呼び出されて殺される
これは信長の神戸一族乗っ取りの一幕であり、高岡城は織田一族が入ることになった
1573年春 伊勢の関一族が放逐され、蒲生家預かりとされる
理由は昔六角と協力した、という事であり既に許されていた事柄を穿り返しての事であった
彼らは1582年まで伊勢に戻ることを許されなかった
関氏の家老や分家も相次いで勢力を削られていった
1574年8月 信長からの援軍が遅れた中で一揆勢の攻撃を防げなくなった樋口直房が
講和を結んだことからそのまま織田勢に追い討ちをかけられ殺される
その主君だった堀秀村はそれを理由として領地と権益の全てを没収された
1575年12月 三河と尾張の中間領主として存在していた水野信元が信長の命令を受けた家康
1575年9月 近江の領主林員清が殺害される
理由はなんと「5年前の志賀の陣で朝倉浅井を手引きして早船で攻撃した事」
近江の林氏はもうとっくに織田家に下っていた勢力であり、
周囲を浅井勢力に囲まれながらも織田のために奮闘していた存在である
それでさえ、過去の事柄を穿り返されて粛清されたのである
これは信長の無慈悲な粛清録における大きな特徴であった
1576年11月 とっくに信長に実権を奪われていた北畠当主具教が刺客を差し向けられて殺される
上記と時を同じくして北畠一門の大勢が朝食に招待された所を襲撃されて殺戮される
1576年12月 織田一門の津田信安、生き残っていた北畠一族を扶助していた事を理由に暗殺される
1574年7月 三淵藤英が息子ともども殺される
これまた去年に信長に下ったばかりであった
1576年 信長の功臣だった塙直正の戦死により、塙一族が追放の憂き目にあう
1578年 浅井旧家臣磯野員昌が逃亡する
背景には連枝の津田に磯野領を譲りたい信長の意向が働いていたとされる
1579年 荒木とその家臣の一門が虐殺される
1580年 長年の功臣であった佐久間が一族追放の憂き目にあう
その理由は有名な折檻状にあるが、10年20年前の事が平気で盛り込まれている
同じく、織田家の重臣である林が追放の憂き目にあう
これまた20年以上前のとっくに許された後の事を穿り返されての事であった
同じく、安藤一族も追放される 理由は信玄西上のときに武田と内通したという事であった
1580年 長い間織田と同盟であった長宗我部氏が信長に四国統一を突如否定され、切り捨てられる
1581年 冒頭で紹介した越中国人の石黒氏と寺崎氏が殺戮される
1582年 北陸で織田方として長らく戦ってきた神保長住が権益の全てを奪われて追放される
さて、とりあえず主要なものはまとめ終えた
ここから分析に入れば、信長の粛清はとにかく多い
それを時系列順に件数で示してみると以下になる
1554年 一件
1556年 一件
1557年 一件
1571年 二件
1573年 一件
1574年 二件
1575年 二件
1576年 三件
1578年 一件
1579年 一件
1580年 四件
1581年 二件
1582年 一件
これを見ればわかるように
1573年以降はほぼ毎年のように粛清している
ここで紹介した粛清劇の中で
降伏して忠勤を励んだにもかかわらず過去の事を穿り返されて粛清されるケースがやたらと目に付く
長宗我部や神保のように、完全に信長の都合で切り捨てられてしまった勢力もある
毎年のようにこんな感じで粛清されていくものが出る事は家中からすれば相当な恐怖だったと思われる
ここで示される信長の特徴
端的にいうならば「猜疑心が強く」「とっくに許したはずの過去の事でも穿り返してくる」
という特性を家臣達は重々知っていただろう
そして譜代の重臣といえども、ひとたび信長が粛清しようと思えば簡単に切り捨てられる事は
1580年の粛清で明確になった
なにせ5年前はおろか20年以上前の事でも必要があれば持ち出してくるのである
自分は絶対安全、などと断言できる織田家臣などいなかっただろう
315 : 名無し曰く、[] 投稿日:2011/03/09(水) 19:49:55.26 ID:vEYV9K5L [33/47回]
>>312の続き
本能寺の変や荒木の離反、それを訝しげに思う者もいる
しかし、それらはこういった信長の性質を背景にしていたとするなら
何の疑問もなく解決してしまう
端的にいうならば、「やられる前にやれ」という論理が働いたという事である
もともと荒木も明智も腕一つでのし上がってきた人物である
信長の粛清癖を知る以上、何もせずにやられる事を潔しとするはずもなかった
また別のときに語るかも知れないが、信長が離反された回数もこれまた異常に多い
信長という人物に対する不信や恐怖は家中に常に付きまとっていた問題であった これを見ればわかるように
1573年以降はほぼ毎年のように粛清している
ここで紹介した粛清劇の中で
降伏して忠勤を励んだにもかかわらず過去の事を穿り返されて粛清されるケースがやたらと目に付く
長宗我部や神保のように、完全に信長の都合で切り捨てられてしまった勢力もある
毎年のようにこんな感じで粛清されていくものが出る事は家中からすれば相当な恐怖だったと思われる
ここで示される信長の特徴
端的にいうならば「猜疑心が強く」「とっくに許したはずの過去の事でも穿り返してくる」
という特性を家臣達は重々知っていただろう
そして本能寺で信長が倒れたとき、残った者達の胸に去来したものはなんだったのであろうか
答えは彼らの行動によって示される事になる
織田領土のあちこちで膨大な反乱や離反が相次ぎ、混乱のるつぼと化した
そしてそれが収まった後、清須会議で有力者達がまず最初に決めた事は
「織田宗家の領土をゼロにする事」であり、その後に決めた事は
「旧織田領土を有力者達で山分けする事」であった
そして旧織田領土を山分けした後の有力者はみな独自に勢力拡大に走り、
誰も織田家を守ろうとはしなかった
>>319の続き
それは信長のお気に入りとされていた秀吉にしても同様であった
彼は容赦なく旧織田領の権益をむしりとり、自己の勢力拡大に努め、
信長の息子達や一門といえども容赦なく迫害した
重度な信長崇拝者はここら辺を無視して、
豊臣政権が織田から禅譲されたものでもあったかのように唱え
信長が天下統一したように語るが笑止といえる
実態は信長の所業によるツケが当然のように織田家自体を押しつぶし、
その一族や子孫にあたったにすぎない
>>320の続き
こうした信長の所業は当然の事ながら否定的にとらえられてきた
信長死後数百年にわたって、その事跡評価については色々あっても
信長の残忍で猜疑心が強く、長く根に持つ、という陰険な性質については
概ね固定された評価となっていた
しかし近年にいたってゲームや漫画の影響からか、
やたらと現実と乖離した信長像が流布されるにいたり、
信長は誠実だったとか、信長は爽やかだったとか、信長は裏切られたことが無いとか、
奇妙なことを真顔でいう輩が横行するようになった
しかし、資料と向き合ってみれば、これを見て一番苦笑しているのは当の信長本人かもしれないのである
生前に周囲から様々に胸中を忖度されたとはいえ、おそらくそこまで乖離するようになるとは
当人とて予想外だったであろうから 幼少期から父親以外全員自分のことを劣等だと罵倒してくる
だけど父親は自分最大の誇りでこれを拠り所に我を貫く
18歳でその親父が死亡、母親含む周囲の百戦錬磨な
大人の9割が敵となり自分を殺しにかかってくる
自分と同世代の若い連中を率いてバッサバサ血縁者を
殺してまわって生き延びる
こんな出発してりゃそりゃ猜疑心も強くなって当たり前だわな
かっこいいわ