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球磨川での恩返し どん底のおいちゃんは少年に救われた
7月の豪雨による球磨(くま)川の氾濫(はんらん)で自宅が浸水し、落ち込んでいた熊本県人吉市の男性のもとを、一人の少年が訪れた。川釣りが縁で昨秋に一度会っただけだったが、親切な男性のことが忘れられずに心配で駆け付けた。「どん底にいたが、救われた」。励ましに元気づけられた男性と少年の新たな交流が始まった。
男性は国元道則さん(67)。球磨川のそばで生まれ育ち、39年前、結婚を機に川から30メートルほどの場所に家を建てた。電子部品会社に勤めて3人の娘を育て上げ、2年前に退職した。早朝に川べりを散歩して、温泉を引いた自宅の風呂につかる。妻と2人の穏やかな老後を楽しんでいた。
その生活は豪雨災害で一変した。7月4日、平屋の自宅は肩の高さほどまで水につかった。妻と近所の人と、物置伝いに隣家の2階の屋根に逃げて助かった。家の中は泥まみれになり、車も家財のほとんども使えなくなった。
約1キロ離れた避難所に身を寄せ、家の片付けを続けている。娘たちが幼かったころ、家の前でバドミントンをしたこと。少し前に娘の一人が孫を連れて泊まりに来て、みんなで雑魚寝したこと。思い出とともに涙がこみ上げてくることもあった。
「おいちゃん」。被災して2週間ほど経った日曜日。片付けをしていたところ、見覚えのある少年と母親が、たくさんのおにぎりや飲み物を持ってやってきた。昨秋に出会った母子だった。
日課の散歩の途中、自宅から2キロほど離れた人吉橋のたもとに、釣り糸を垂れる少年とそれを見守る母親がいた。「ぼく。そこじゃ釣れんよ。おいちゃんが釣れる場所に連れて行こう」。自宅近くのポイントに案内する道すがら、話をした。「魚は好きね」「うん。大好き」「おいちゃんの友達に魚捕りの名人がおる。捕れとったらもらってあげる」。友人を訪ね、大物を10匹ほど分けてもらうと、自宅に立ち寄って氷と一緒に母子に持たせた。
少年はその出来事を覚えていた。川から少し離れた場所に住む自分たちは被害を逃れたが、川の近くに住むあのおいちゃんは無事だろうか。心配でたまらず、母に何度も「様子を見に行こう」と相談した。だが、しばらくの間、道路は泥に埋まり、家屋の一部や家財が散乱していた。一帯の復旧作業が進んだ頃合いを見計らい、約3キロの道のりを母と歩いて行った。
国元さんは思いがけない訪問に驚き、名前を聞くこともできないうちに2人は帰っていった。「きちんとお礼を言わなければ」と、住んでいる地域や父親の仕事など、少年から聞いたわずかな手掛かりをもとに学校に問い合わせた。
少年は市立東間小学校4年の犬童雅斗君(9)だった。国元さんからの電話に、雅斗君は「暑い日が続くから、今度はうちわを作って持って行きます」と話した。被災して多くの親切を受けた国元さんだが、雅斗君の心遣いには格別に元気づけられた。
今月5日、再び母の恵美さん(39)とやって来た雅斗君に感謝を伝え、釣りざおを握らせた。天井裏に大切にしまっておいて、難を逃れたものだった。
「おいちゃんからのお返しばい。持ってみて、軽かろう」。釣りざおを手にした雅斗君は「うわー」と声を上げ、笑顔を浮かべた。「落ち着いたら、一緒に釣りに行かなきゃね」と恵美さん。夕暮れ時の川面から、涼やかな風が吹いた。