本でもビジネスにおけるコミュニケーションの手段が、メールからチャットへ移行していると言われている。
ショートメッセージやチャットでの会話は、今後さらに増えていくことが予想されているが、
英語圏では、このチャット上での会話で、日本語の「。」にあたる「ピリオドで終わる文章に違和感を覚える人が増えている」と、報じられている。
ピリオドで終わる文章は、「冷淡な印象」「素っ気ない」「不誠実」「怒っているかのよう」といったネガティブな印象を相手に与える可能性があるのだそうだ。
しかし、本来ピリオドには、感嘆符(!)や疑問符(?)のように感情やトーンを伝える機能はないはず…ではないか?
米紙「ニューヨーク・ポスト」は、「若者はピリオドを使う人を信じない」という見出しの記事の中で、こう述べている。
「ピリオドには、ここで文章終わるという記号としての機能しかない。年配の方はそのように思うかもしれないが、
デジタル・ネイティブの若い世代は、友好的でない、ともすれば、敵意があるのではないかと感じる人が多い」
また、デジタル文化に詳しいイギリスのジャーナリスト、ビクトリア・タークは、デジタル・エチケットについての著書の中で、「どのセンテンスにもピリオドを打つような人は、年配かトラブルメーカーくらいだ」と述べている、と同紙は言う。
例えば、「それ、面白いね」という反応も、ピリオドありの “That’s funny.” よりも “That’s funny” の方が友好的な印象を与え、
前者は堅苦しく、本当はそこまで面白いと思ってなさそうだと解釈されがちなのだそうだ。
では、一体なぜ、デジタル・ネイティブ世代は、スマートフォン上での会話でピリオドを打つこと・打たれることに抵抗があるのか。
これについて、米メディア「クオーツ」はこう述べている。
「確かにピリオドは文章の終わりを示す記号ではあるが、ショートメッセージでは、多くの人がそれを省略している。
センテンスがたったひとつしかない場合は特にだ」。この傾向が、上述のような「ピリオドの新たな解釈を生み出している」
ショートメッセージやチャットの魅力のひとつは、まるで実際に対面会話をしているかのような素早いテンポでの双方向なやり取りができることだ。
そのため、送信一回あたりの文章の長さは短いことが多く、自ずと会話のキャッチボールの行き来も増える。
多くの場合、日常会話では、自分のセンテンスを言い終えた際に、相手側に何かを発言する”間”を与えるのが常ではないだろうか。
実際の会話を思い浮かべると分かりやすいかもない。少なくても、相手が「なるほど」「そうか」などの相槌を打つくらいのスペースを残すのが普通だろう。
しかし、このスペースが一切なかったとしたらどうか?
例えば、
A:今日の手応えはどうだった?
B:まぁまぁ
A:そうか
と、続く会話の中で、もしもBが、「まぁまぁ」の一言にピリオドを打って終えたとしたら、その響きは「まぁまぁ(かなー)」ではなく、
「まぁまぁ(以上)。」というニュアンスで相手に伝わるのだという。それでは相手が「素っ気ない」「怒っているのか」と、感じるのも無理はない。
2015年に米州立ビンガムトン大学の研究員が調べた結果によると、ショートメッセージやチャットでの会話は、実際の会話のようなテンポを持ちながらも、
相手の表情や声のトーンが分からない。そのため「受け手は文字という与えられた情報から、ニュアンスを紐解くしかない」。
絵文字や意図的なスペルミス、ピリオドなどの全ての情報から可能な限りのニュアンスを読み解こうとするのだと言う。
なぜ、Bはピリオドを打ったのか。アメリカの言語学者マーク・リーベルマンが米誌「ニュー・リパブリック」に語ったところによると、
「この話はもうおしまいだ。少なくても、私が言うべきことはこれ以上何もない」というのが、Aの解釈になるだろう。
前述の英ジャーナリストのビクトリア・タークも同様の見解をみせており、仮に「I’m home(家にいるよ)」のような、たった一行のセンテンスの場合、
どうみてもそのセンテンスは完結している故に「そこにピリオドは不必要」。ピリオドがあると、上述のように「この話は以上だ」と、必要以上に「終わり」を強調してしまうと述べている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab0ca6bcbf0730e7eeaa6cc3dbd3448d4b04108b