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「流されてる」切れた電話 津波逃れた親子、台風で犠牲
台風19号に続き、日本に接近した台風21号に伴う大雨被害から25日で1カ月になる。千葉や福島では川があふれ、尊い命が失われた。遺族や親しい人たちはいまだ悲しみの中にいる。
福島県相馬市では、8年前に東日本大震災の津波から逃れた親子が犠牲になった。花澤三保子さん(61)は10月25日、台風21号による大雨の中、あのときと同じ高台を目指した。足が不自由な長男の正智(まさとし)さん(38)を連れて。
福岡県出身。東京で出会った夫と約40年前から相馬市で暮らし、2人の子に恵まれた。15年ほど前に夫を病気で亡くした後も、市内のホテルで働きながら子どもを育てていたという。
2011年3月、東日本大震災の高さ9メートルを超える津波が襲い、職場のホテルがある高台に逃げた。一時、実家がある福岡に身を寄せたが、「夫の墓があるから」と戻り、正智さんと暮らしていた。昨年9月、フェイスブックで「目の前に、辛(つら)いこと待ち受けてますが、それでも生きて行きます」とつづっていた。
地元消防などによると、10月25日午後8時半ごろ、花澤さんはホテルでの仕事を終え、正智さんがいる自宅に戻って車で一緒にホテルがある高台へ向かおうとしていた。13日前の台風19号の時も同じように避難した。
しかし、25日はなかなか高台に姿を見せなかった。心配したホテルの社長が花澤さんの携帯に電話したところ、「大丈夫じゃない。水に流されている」と言って切れた。翌朝、ホテルから1・5キロ離れた浜辺で遺体で見つかった。正智さんも5日後、近くの松川浦で遺体で見つかった。
花澤さんの次男、秀治さん(34)は母が目指した高台のホテルで振り返った。「子ども2人を支え、病気をしたことのないタフな母親、いつも笑顔でいっぱいの明るい母親でした」(小手川太朗、江川慎太郎)
赤いかっぱ姿、濁流にのまれた
千葉県茂原市の川沿いの竹やぶで10月29日、近くに住む派遣社員田辺みち子さん(53)の遺体が見つかった。勤務先から自転車で帰宅する途中、行方が分からなくなっていた。
「なぜ家に帰る時に連絡してくれなかったのか。その場にいるようにとか、アドバイスもできたのに」。兄の元晃(もとあき)さん(60)は悔しがった。10月25日朝、みち子さんは、引き留める母親(86)に伝えた。「夕方にはやむから大丈夫。行ってくるね」。電動自転車で約3キロ先の職場へ向かった。雨が強くなり、心配した母は昼と午後3時ごろ携帯電話を鳴らしたが応答はなかった。
みち子さんは母と兄、姉(57)の4人暮らし。出張の多い元晃さんの代わりに、高齢の母親と病気で寝たきりの姉の世話をしていた。仕事の傍ら、洗濯や買い物、病院への付き添いなど、家事や介護をこなす働きものだった。
普段の帰宅時間から2時間ほどが過ぎた午後8時ごろ。母親は県警茂原署に行方が分からないことを伝えた。みち子さんが午後3時に自転車で職場を出たと署員から聞かされた。元晃さんは「流されてしまったかもしれない」と頭をよぎった。「どこかの病院に運ばれていてくれれば」。無事を願い続けた。
「赤いかっぱを着た女性が流された」。署には通報が相次いでいた。近くに住む女性(71)は午後3時半過ぎ、傘をさして赤いかっぱを着た女性が、自転車を押しながら歩く姿を目撃した。豊田川は氾濫(はんらん)し、周辺に濁流が流れ込んでいた。女性は腰のあたりまで水につかりながら歩いていたところ、濁流にのまれた。
「だいじょうぶー」。繰り返し大声で叫ぶと、女性はこちらを見ながら右手を上げ、助けを求めているようだった。だが、「近づこうとしても足が震え、濁流の中には入っていけなかった」。
見つかったみち子さんは出勤時と同じ、赤いかっぱ姿だった。元晃さんは「母とも仲が良く、家のことを全て任せていた。この先どうしたらいいのか」と言葉を詰まらせた
今秋の台風・大雨被害
内閣府のまとめによると、10月25日に日本列島に接近した台風21号と低気圧の影響による大雨では、千葉、茨城、埼玉各県で計3千棟近くに浸水などの被害が出た。千葉県では11人、福島県では2人が死亡した。
10月12日に上陸した19号も含めた今秋の台風・大雨被害では、11月20日現在で1都9県の69の避難所に2172人が避難している。