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朝日記者、安倍首相との向き合い方 一度断った単独取材
安倍晋三首相は、朝日新聞の報道を強く批判することがしばしばありました。朝日新聞は、安倍首相に厳しい姿勢をとっていると言われることがあります。では、首相官邸を担当する朝日新聞の記者たちは、安倍首相とどう向き合ってきたんでしょうか。針のむしろ? 冷遇されていた?
官邸取材のまとめ役である官邸キャップの星野典久さんと、第2次安倍政権発足当時に官邸キャップを務めた林尚行さんに、本音を語ってもらいました。朝日新聞ポッドキャストでお聞きください。主な内容は以下の通りです。
・単独取材、実は最初に打診されていた
・「この人は手ごわい」と感じた靖国参拝
・人に見せない安倍首相の「教訓ノート」
・まじめな「陽キャラ」首相が失ったもの
Q:安倍首相の辞意表明、計算ずくだと感じたのはなぜですか?
林:私は2012年の12月に第2次安倍政権が発足してから1年と少し、官邸キャップを務めました。その時、印象に強く残っている出来事があります。
安倍首相は2013年の12月、靖国神社を電撃的に参拝しました。当時アメリカの副大統領だったバイデン氏が、日韓両国を訪問して関係改善を促した直後というタイミングでした。中国や韓国が反発しただけでなく、米国も「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」と声明を出しました。
私は当時の紙面で「首相の外交の選択肢を狭めることになるのは必至だ」「安倍政権の2年目は課題山積なのに、首相は参拝にこだわった。日本の内政・外交の責任者である首相の政治判断として正しかったとは思えない」と指摘しました。つまり、外交への影響は甚大なのに、首相本人が行きたいから行っただけなのではないかと。
ところが、安倍さんの周辺を取材すると、「これでしばらく行かなくていい。任期中にはもう行かないんだ」と言うんですよね。
安倍さんは当時から長期政権を考えていて、最低6年はやるつもりでした。その6年間のどこで靖国に参拝しておくのが一番いいのかと考えた結果、一番調子がいい時に行ってしまって、後は行かないというメッセージをにじませることによって、日米関係、そして日中関係を安定化させようと計算したと。
それを聞いて私は、はっとなりました。計算ずくで物事を決めて実行する、中長期的に考える、これはなかなか手ごわい首相だぞと思ったのを覚えています。
だから今回も、突然の退陣会見で私もびっくりしましたが、よくよく考えてみると、その直前ぐらいから退陣表明した後まで含めて計算し尽くした上で、あのタイミングだったんだなあと思っています。
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Q:そもそも、靖国参拝ってしなきゃいけないものなんですか。
林:安倍政権を支えている二つのグループがあるんです。一つは日本会議を中心とした超保守派の人たちのグループ。もう一つは、経済産業省を中心とした新自由主義に近いような人たち。アベノミクスですね。
前者の人たちに対して、支持をつなぎ留めなきゃいけない。その象徴的なものが靖国参拝だから、必ずどこかでやらなきゃいけないと思っていたんだと思います。
Q:安倍首相の支持層は右派、保守層だが、政策はリベラルだという指摘もあります。
星野:その通りだと思います。経済政策はリベラル色の強いものが多い。ただ、靖国参拝は、若い頃から支えられてきた人たちへの恩返しという思いがあったんだと思います。中国や韓国との関係の中で、あのタイミングしかないという判断だったんでしょう。
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Q:アメリカも、そういう意図は分かっていたんでしょうか。
林:恐らく。公式にそうは言っていませんが、そういうメッセージというのはじわりじわりと伝わっていくものです。実際に翌年は行かなかったし、その翌年も、そのまた翌年も行かなかったというのを見て、安倍首相はもう行かないんだなというのが徐々に米国の受け止めになっていったと思うんですよね。
Q:2015年の日韓合意や2016年のオバマ米大統領の広島訪問は、リベラル色が強かったように思います。安倍首相の外交政策とは?
林:外交で大事なのは、安定です。第1次安倍政権の時も、安倍首相が一番最初に行ったのは中国でした。「戦略的互恵関係」という言葉、覚えていますか。安倍さんにとって最も遠いとみんなが思っている中国に行って、日中関係を良くしますよというメッセージを出した。