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「北の国から」演出家が俳優へ 70歳転身勧めた柄本明
「北の国から」やトレンディードラマなどフジテレビの演出家・プロデューサーとして活躍してきた山田良明さん(73)。フジテレビの常務などを経て、現在は共同テレビの相談役だが、70歳になってから俳優活動を始めた。背中を押したのは、俳優の柄本明さん。また、根底には、尊敬する脚本家・山田太一さんの言葉があった。
山田良明さんとテレビドラマとの出会いは小学校3年の時。1955年12月10日、待望のテレビが自宅にやってきた。その日放送していたドラマは探偵物の「日真名氏(ひまなし)飛び出す」。テレビドラマに夢中になり、いつしか「自分もテレビドラマをつくりたい」と思うようになった。
「ドラマ王国」をつくりあげた立役者の一人
慶応大学を卒業して、フジテレビに入社したのは69年。情報番組の担当などを得て、30歳で念願のドラマ制作に携わることになった。そこからはまさに水を得た魚のごとし。フジテレビを代表するホームドラマ「北の国から」(倉本聰さん脚本)の演出をつとめた後は、浅野温子さん、浅野ゆう子さん主演の「抱きしめたい! I WANNA HOLD YOUR HAND」や「東京ラブストーリー」など若者たちの支持を集めたトレンディードラマを数多く企画制作。80年から90年代にかけて、「月9(月曜9時)ドラマ」を頂点とする「ドラマ王国」をつくりあげた立役者の一人である。しかし、高視聴率に高揚する一方、心の中では満たされないものがあった。
そんな中、出会ったのが脚本家の山田太一さんだった。「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎(りんご)たち」など日本を代表するストーリーテラーであこがれの存在。その太一さんに脚本をお願いして企画したのが「秋の駅」(93年放送)だった。
視聴者の心に深く届くドラマを作りたい
92年夏ごろ、都内の喫茶店で打ち合わせのため初めて会った。あいさつを交わしたあと、太一さんはいきなり「ドラマって『how to live』(いかに生きるか)ですよね」と語りかけた。
「一瞬で山田太一さんに引き込まれました。私はトレンディードラマをプロデュースしながら、視聴者の心に深く届くドラマを作りたいと模索してきたので、『山田さんもそう思って書いているんだ、それでいいんだ』と、ドラマ作りの姿勢を再確認できました」
その思いは「白線流し」(96年)などに結実する。派手さはないが、若者の喜怒哀楽を正面から見つめた青春群像劇だ。「17、18歳の若者にいかに生きるかを考えてほしいと思って企画したドラマです。私自身、人生の素晴らしさや家族の大切さをテレビに教えてもらった。だから、私も作り手としてお返しをしたいと思ったのです」
ストレスでじんましんも
70歳になってから俳優活動を始めた。きっかけは俳優の柄本明さんと妻の角替和枝さんとの出会いだった。「共同テレビの取締役を退任、時間に余裕ができ、俳優はやりたいけど無理かなと思っていたときに、柄本さんから『老化防止になりますよ』と背中を押されて」。角替さんが主宰するシニア向けの演劇塾で学び、現在はシニア劇団「扉座大人サテライト」に所属している。
毎週1回、演技の稽古をして、舞台にも立った。「道具も楽器も使わず身一つで自己表現できるのは楽しいです」。ところが、演じてみると頭で描くようには肉体は動いてくれない。「自分が演出の時はどうしてできないの?と思ったもの。今さらながらプロの役者さんを尊敬します」
テレビドラマでは日本テレビ系の人気ドラマ「ハケンの品格」に会社役員役で出演した。「友人のプロデューサーから演技力より存在感が欲しいと言われて出演しましたが、思ったように体が動かず、ストレスでじんましんが出ました」
「自分自身の『how to live』を探しながら挑戦しています」
◇山田さんが所属する「扉座大人サテライト」は29日から11月1日まで、東京都墨田区の「すみだパークギャラリーささや」で「イースト・すみだ・ストーリー2」を公演する予定だ