三国時代の有力人物も戦国武将も実は全員女の子だぞ 武田今川北条って強敵が同盟結んでるし
本人が野望低いし
上杉家ってなんか内部で戦って塩を信玄に高値で売り捌いてるイメージしかない
城がSぐらいじゃないのかな
武将風雲録でかなりいい城だった記憶
容姿A
月に一回お腹が痛くなるA
エッチ大好きA
女だったのか
なんか残ってる着物とか鎧がサイズ小さめでデザインかわいいんだろ? やっぱ女じゃん
義理Sだけど実は人望は低いんじゃない?大軍で小田原囲んだとき諸将をまとめきれなくて解散しちゃったらしいじゃん
北条高広と本庄繁長というガチ重臣に謀反起こされてるくらい統治能力が低い
養子の代で起きた新発田重家の謀反はもう致命的で本能寺の変が無ければ上杉氏はそのまま滅んでいた可能性が高い
>>21
既存の秩序を重んじる=権威主義者
関東管領の俺は偉い(お前らはひれ伏せ)=不遜に振舞い関東勢は北条になびいていく 後北条氏は民政に関しては本当に良かったから関東の民衆にとって上杉謙信の南下は迷惑千万な季節の風物詩だったろうな
松岡修造ばりに熱い人が本当に人望あるかどうか、って感じだな。
「おまえらがちゃんとまとまってくれないから
出家するんだからね!
止めてくれって言っても無駄なんだからね!(チラッチラッ)」
実際に家臣が来やすい、あまり離れない場所に居座るw
やっぱ女説あるぞ。
すっかすかの地方統治すら出来んのに海千山千の国人と寺社が犇めく天下たる畿内を収めることなど不可能...
関東おじさん居なかったら北条の内政力でもっと関東パワーアップしてたかもしろんのに
猿も追い払えたかも
>>33
やっぱうぜー性格してたのかね?🤔
いくらなんでも裏切られすぎだよな😂 新潟が大穀倉地帯になったのは江戸時代になってからで
この時代の石高はあまり高くないんだよねえ
苧麻とか他の稼ぎ頭があったから経済力は石高に比べて高くはあったけど
ストレス半端なかっただろうね
お酒と宗教に逃げるのも分かるわ
上杉謙信女性説はなしだろ…
女性の関東管領の例がない
肩書に執着して関東にばっか拘って京とかに興味示さなかったからな
一番上に立つという気概がなかったんだろ
やっぱり武田信玄倒せないし徳川や織田と戦うわけじゃないから武田に負けなかったというだけで有名になった武将に見えちゃうな
家臣Eだろ
人材の宝庫の武田とやりあえたのが不思議なくらい
>>21
権威や伝統を重んじる割に関東の武士の家柄にニワカさらしたからな
成田長泰に馬上から降りないとは失礼だろ!って恥かかせたり >>6
信長も序盤は近畿地方とれればいいかな位に思ってた 1467 応仁の乱勃発。うわあ・・・これは戦乱の世の幕開けですね
1508頃 宇佐美定満、女を絶つ。主君謙信から女を勧められるまで以降40年近く続く
1527 高坂弾正誕生
1530 長尾景虎(後の上杉謙信)誕生
1540頃 高坂弾正、武田晴信(後の信玄)から「小姓やらないか」の誘い
1550頃 陶晴賢、主君・大内義隆から吉川元春と義兄弟の契りを結ぶよう勧められる
那古野勝泰、簗田弥次右衛門とウホッの契りを結ぶ
1559 前田利家、織田信長オキニの小姓を斬って出奔
1560 桶狭間で今川義元討たれるも、息子氏真、男色含む酒色に溺れる
1565 森蘭丸誕生
1570頃 蒲生氏郷、人質に出された先の信長から「小姓やらないか」の誘い
宇喜多直家、敵のガチホモ武将に男の刺客を送って寝首を掻く
1573 武田信玄死去。高坂弾正、葬儀を一手に取り仕切る
1575 浪人していた井伊直政、鷹狩り中の徳川家康から「小姓やらないか」の誘い
1575頃 直江兼続、上杉謙信から「小姓やらないか」の誘い
1578 上杉謙信死去。ただの一度も女ともしなかったガチホモ人生に幕
同じ年、高坂弾正死去
1582 本能寺の変。過熱した本能寺は、遂に危険な領域へと突入する
1584 蘆名盛隆、アッー!してもらえないことを逆恨みした家臣に斬られる
1587 大崎義隆の小姓同士が主君の寵愛を巡って対立。内乱にまでハッテン
1599頃 美男子で知られた片倉重綱、欲情した小早川秀秋から激しいストーキングを受ける
1610頃 木村重成、豊臣秀頼から「小姓やらないか」の誘い
1615 豊臣家滅亡。なんだこの結末は・・・たまげたなあ
最近ののぶやぼじゃ上杉家臣団のが武田より優秀だったりするけどな
部下にお立ち飯とか馬鹿みたいに白米食わせて糖尿病リスクの遺伝子を残しまくった屑
>>49
信長追っ払ってるじゃん。
ろくに戦わずに信長逃げたけど。
その後に「ノッブたいしたことないじゃん」
って言い残してる。 >>6
誰も狙ってない
大内も織田も請われたから上洛しただけ
その目的も天下"静謐" さしあたっての問題は
謙信時代の上杉軍は銃化率が低い
同時期の東国で最も銃化率が
高いとされる武田でも
天下が取れないなら無理では
謀叛起こされ度は信長>謙信>>信玄くらい?
信玄は義信&虎昌以外はあんま聞かんな
むしろ自分が裏切る側か
塩をつまみに酒を飲んで
最後は馬小屋で脳卒中になって死亡だっけ?
野心が無いのが致命的だと思う
本人が関東管領で満足してたし
>>68
「雪の峠」で人質のガキ撫で切りとかしてたぞ 輝虎は幕府に臣従を貫いたからありえない
そもそも「天下を取る」とは幕府に逆らうことだからな
まんさん説あるけど
こいつがガチでまんさんでも驚かない
女というか単に性的に倒錯してただけだと思う
細川政元みたいにストレスからおかしくなるやつは珍しくない
俺は乖離性性同一性障害と踏んでるけどね。
「婦人病で死んだ」記述の資料があるから
恐らく身体は女で心が男。
家格がものいう時代に
上杉になったんだから
天下に興味無かったと思われ
北条氏康の実子景虎が
御館の乱で勝ってたら
上杉家ってその後どうなってたと思う?
家柄がCレベルだから生涯権威を追い求めるハメになったというのに。川中島合戦時の色部勝長に対する態度なんかほとんど懇願やで。
人柄というか性格Dだろ宗教の教祖みたいな部分もあるし駄々っ子だしよく従う気になったと思うわそれほどキチゲエで恐ろしかったんだろうけど
ライバルの武田と比べたら家柄が天と地ぐらい差つけられてるからな
上杉謙信のやってる事って、
日本版十字軍という認識でええんか?
>>79
ねえよ
あと信長本人は追っ払ってない
まとめサイトレベルの知識だな >>12
これ本物の雰囲気出てるしこれ本物でいいだろ 謙信女説に関しては
実際兄貴がいるわけでそれを差し置いて
妹を擁立するなんてありえないから
織田家で言えば信長がうつけだから妹の市姫を当主にしようという奇想天外な行動なわけで
そんなことありえないでしょ
謙信ちゃん「姉貴は男装部将職を嫌がったのであーしが家業を継ぐ事になった」
戦はメチャクチャ上手い 武田とか完全にやられ役
調略で武田が勢力伸ばしてるけど戦争自体はいいようにやられてんだよ
川中島とか外国の戦争研究家にも評価されてるらしいけど目立ってるの謙信だけ
武田方の高坂弾正とか真田幸隆とか綺羅星の如き武将が
立ち木に等しいあしらわれ方してるから
キレた頭の奴しかあんな芸当はできないってのがマジマジとわかる
越後国は鎌倉時代に地頭として入って来た佐々木氏、秩父氏、三浦氏、
毛利氏の一族が健在だったから、後から来た長尾氏には居心地が悪すぎた。
>>85
まぁ そんなとこ
そもそも謙信の目的は足利幕府の再興だからな
呆れた話だが
自分が勝ち続けることで威光を示そうと思ってたんだろ >>93
ただ実際に謙信がどのような戦をしたかはわかってないんだよな
車懸かりのの実在は疑わしいし、川中島や手取川も詳しい一次資料がない 揚北衆とかいう息をするように謀反を起こす世紀末集団
立地E←大体これのせい
三国山脈のせいで行軍難で関東管領の責務すらまともに果たせてない
>>97
車懸りは確かに怪しいけど陣の移動は資料あるよな
なんつっても謙信は勘介も半兵衛もいない
全部一人でやってるわけだからな
しかも言うこと聞かないので有名な荒くれ家臣率いて 関東管領職を簒奪した上に、その最早形骸化した権威に固執してたから
斯波家簒奪からの管領就任とかではなく、新しい秩序体制の構築を模索した織田には勝てんよね
織田信長本人に勝った訳じゃないというか
信長がやり合うの嫌がっただけだろあれ
だってそのあと信長から謙信に「お館様へ」とかって
媚び媚びの手紙付きで貢物送ってたわけだからさ
マジで格が違う
>>102
それは織田の外交が匠だという所作だと思うんだが
あと外交文書を鵜呑みにするのはよくなくて
実際ビビってなくても持ち上げるだけで戦を回避するならいくらでも持ち上げるわけで >>99
関東は難しいけど日本海の海運が発達してて色々と出来たらしいじゃん >>12
このなんちゃって謙信みたいな名ばかりのものよりキャラ愛を感じる
>>104
敗けた家臣に「二度とあの馬鹿を怒らせるな」って激怒したらしいな
「大うつけ」に馬鹿呼ばわりされるんだから
やっぱり流石かな
織田信長も自分より強いってことは理解してたんだしな >>102
そりゃ背後を安定させとかなきゃ畿内に集中できんからでしょ
「お館さまへ」みたいな媚び媚びの手紙で懐柔できると思われてる時点で舐められまくりじゃん 人心掌握に関しては不得意な点が見られるのは確かだろ
そもそも潔すぎる点がある 自分も命を惜しんでないし
家臣にも「全員討ち死するまで闘え」とかって作戦を平気でやるしな
日本人としてはさばさばし過ぎてるのが弱点っちゃ弱点かな
武田信玄が謙信にどうしても勝ちたくて謙信を呪い殺す願掛けをしたんだが
それを見つけた謙信は住職を斬らずに「女々しいヤツ信玄!
これは武将の恥として後世まで残せw」って大笑いした逸話が残ってる
「家臣C」って酷いわ
いくら命を懸けて戦争をしても領地も褒美も与えないから優秀な家臣が集まるわけがない
それでもついてきてくれたような家臣なのに
>>47
本能寺の変のあたりの歴史が少しずれてたら
上杉が滅亡して新発田重家のほうが越後の主になってた可能性もそこそこ高いもんな
謙信の生きてた頃も完全な家来とはちょっと言えない感じ いずれにせよ織田に快勝した時点で
初めて謙信は天下統一に言及してる
「噂の織田も存外に弱い。天下統一は難しくないのかも」
みたいな手紙が残ってるわけだわ
あれほど強かった上杉謙信は武力による天下統一を不可能だと考えてた節がある
おそらく自分の中の信条や美学に反するということなんだろうが
天下統一に色気を見せてからほどなくして死んだわけだ
謙信が強かったのって最初の関東遠征のときだけなのでは
それ以外は案外しょぼい
>>55
義理の兄とうさみさん一緒にいなくなるからなぁ >>114
関東遠征って将軍からもらった役職を利用して、北条に恨みを持つ勢力を糾合した戦いだろ?
謙信自身の強さと言えるかは微妙だし、それも長期化で撤退した訳で戦略が優れてるとも言えないだろ >>87
ねぇよ、とかおまえは実際に見てきたのかバカが。 >>41
しばらく前にたまたまテレビで見たな
謙信だけに限らないんだろうけど、この時代の酒って、現在で言うみりんに近いんだって
だから糖尿病だったらしい
謙信は酒好きで糖尿病でって考えると、天下取るとかの野心は無かったんじゃないの? >>69
川中島やってもう終わった
なんか蒼天航路の最終回みたいなオチだった 冬に雪山越えて侵略とか明治にもなって八甲田山で訓練で全滅してた大日本帝国軍がアホみたいだよな
京に近いかどうかだけだろ
六角、三好とか自滅していったから
近ければ有利
人柄Dだと思う
そこら中の争いに首突っ込んで部下死にまくってるだろ
頭おかしい奴だよ普通に
>>113
信長はわりと負けてるから
それでもいいとこまで行けた理由は
戦上手だけの話じゃないわけで 武田の家臣は知ってるけど上杉の家臣はマジで知らん
柿崎景家と鬼小島弥太郎くらいしか知らん
長尾じゃなく上杉を指すんであればAでいいんじゃないの
味噌ナメながら地酒晩酌するのが日課で
ある日ウンコしようと便所で踏ん張ったら
脳の血管が切れて死んだ
信長の野望って従属勢力だったり取り込まれていたりの線引きがよくわからない
揚北衆は上杉に取り込まれている
松平広忠は今川に取り込まれている
毛利元就は大内に取り込まれていない
波多野晴通は細川に取り込まれていない
なにが違うんだ?