https://mainichi.jp/articles/20200119/ddv/010/070/003000c
便利と不便の間で=服部みれい
どうしてお正月にパンを焼いてみようと思い立ったのか。パン屋さんが開いていなかったからである。こういうときの「完全に困りはしないけれど、ちょっと不便」を自分の手で乗り越えるのが好きだ。移住以来特に楽しんでいるきらいがある。
味噌(みそ)づくり、ぬか漬け、お餅つき。一昨年はおせち料理も。そうだ、干し柿、梅干し、お茶もつくる。お米や、わずかだけれど畑も続けている。継続しているものもあるが、でも、どこか1回やると安心している自分もまちがいなくいる。消費、つまり買い物で解決していたひとつひとつを、すべて自分の手に取り戻したいとまではいわないけれど、人生で1回くらいは自分でやってみて、そのつくりと全体をからだで把握しておきたいという欲求がある気がする。
もちろん、消費生活もあたりまえに続けている。でも、なんですかね、東京の生活でなんでもかんでも買っていた頃よりも、自分でつくる暮らしのほうが、だんぜん充実感を感じる。これは、一体何のせいなのか。
話がつながっているかどうかわからないけれど、以前ご紹介した料理家の後藤しおりさんが、岐阜・美濃でお弁当をつくってくださった時、お弁当の味やデザインにも感動したが、ひそかに目を見開いてしまったのはゴミの少なさだった。40人分の食事をつくったとは思えない量だった。確かにしおりさんは、里芋の皮まで揚げて出してくださった。不思議なくらい気分がよかった。
もうひとつある。昨年、この欄で、干し柿をつくるべく大量の柿の皮をむいて、庭の木の根元に置いた話を書かせていただいたら、宮城県の読者の方からお便りをいただいた。秋田の漬物、いぶりがっこを漬ける際、柿の皮を天日に干して、いぶした大根を、米ぬかと塩を合わせたのとともに段々に重ねて漬けるという。最後に残りの皮を全部入れて重しをして60日置く、とのことだった。柿の皮を捨てないで有効利用するお話だ。大量の柿の皮が役に立つとはなんとうつくしい知恵だろうか。
先日、IT企業を辞めて岐阜県下呂市の山奥で自然養鶏を営む「のびのび養鶏場」の中村建夫さん(31)と話していたら、「本当に今の暮らしがたのしすぎる!」と輝く笑顔でいっていた。東京・渋谷生まれ、青山育ちの彼がなぜそう思うのか。我が夫も「暮らしのことをしているときがいちばん充実感がある」なんてしみじみいうし。便利と不便の間で、この充実のわけを、もっといえば幸福の源を、まだまだ探りたいナと思っている。