余談だがとなりのトトロににも出てきたあのピンク色の粉末って今でもあるんだよなw
日本で最も古い惣菜なんじゃないか?
村上龍の本で北朝鮮で飢饉のときに松の皮を食べる話を読んだ
戦中には乾パンだとか粉物を珪藻土で増量して凌いでいたのだとか
こう言う通達出さないと生で草木食って食中毒で死ぬ人が多かったらしい
死因で多いのは飢餓よりも食中毒
そんな昔話じゃなくても太平洋戦争中〜戦後ってふすま破いて食ってたらしいぜ
ノビルとかも食っててんだろ
小指の先より小さいのに
貧困層にこそデブが多いという、今の日本は幸せなのかも知れないな。
ワイらもこういう知識集めて将来に備えた方がいいかもしれない
戦時中のアメリカ人捕虜「木の根を食わされた!」→ゴボウ
栄養あんのかこれ?
消化に負担掛かってかえって体が弱りそう
>>24 かつゑちゃん! 名城鳥取に戻ろう! >>29
生き延びてない
江戸時代の人口は一見増えてるからマスクされてるけど 飢饉のとき食えるからって城の建材にもしてたらしいな
松の皮
>>27
味はともかく一応植物油脂のカテゴリだからいくらかのビタミンとエネルギーだけは確保できるはず いま生きてる人はこういう状況を
乗り越えてきた子孫だと考える感慨深い
現代は上皇のおかげでブルーギル食い放題だからな
感謝しなくちゃいけないわ
米を年貢でとるから江戸にはあまりまくる→諸藩は飢餓がおこる
これ誰か頭おかしくね?って提案するやついなかったのか
俺は本当に江戸時代のこの手の資料の少なくともひとつを持ってるけどやばいぞ
入会山とか伝馬とか
>>1
全員に釣りのマニュアルと糸と釣り針を配るのはどうか?
それと製造所は魚屋にする
その辺の長い枝に糸をくくりつけて昆虫などを餌に魚釣って食べたら良い
沢山とれれば魚屋に持ってって魚引換券を貰う
全く釣れなかった人は魚引換券で魚と交換する >>37
とっくにいた
ただあくまで米「取引」の中心が大阪にあることを覆せなかったこともある >>27
飢餓の時こそ腸内細菌に人体が消化できない食物繊維を与えて死なないようにしないと食っても栄養を消化できずにそのまま出てしまう
こんにゃくと同じで飢饉時に松皮を食べると体によいことを昔の人は経験則で知っていたのだ 昆虫とか土壌動物を食べればいいのに
動物性で栄養満点だぞ
>>37
幕末なんかでも地方よりも江戸や海外のほうが高く買ってくれるので
地方の物資はみんな外に流れて地方は生活物資が不足していた
んで地方民は不満爆発して一揆を起こした
高く買ってもらえるならいいことばかりのように見えるけど
逆に綿なんかは海外から安く入ってきた結果
木綿農家は商人に従来の半分以下で買い叩かれるようになって食べていけなくなり
蝦夷の開拓や海外移民に応じていった 今だって花粉しかばらまかない杉なんか伐採して
食える木の実なる木を植えとけば良いのにな
土粥のほうがやばい
大躍進政策の頃の中国でも食ってた
>>48
そんな知識もなにもないの江戸時代の前提だぞ
農民が豊かになったら困るだろ BSアンコール大河で
4月から黄金の日日やるけど
鳥取城兵糧攻めで城内に閉じ込められた助左が飢えて松の皮でダンゴ作って食べるシーンがある
偉大だったさ
さつまいもが入って鹿児島の人口は倍になった
飢饉の歴史
と言うけど、飢饉が問題の本質ではないんだよ
これはなぜか分かる?
幕藩体制がーとか言いたいんだろうけど小氷河期だったのはどうしようもない
そもそも朝鮮関西人が米作広めたのが悪い
おれが小中学校のときに、少年マガジンかチャンピオンかジャンプに
載ってた漫画
では土食って生き延びたっていうエピソードがあった
土を水に溶かして栄養分を抽出するっていう方法
>>55
他に例を見ない特異なゆるキャラ
かつえさん
の謂れとなった事績だな 壁も食ってたぞ土壁に藁を練りこんであったからその藁を食った
ちなみに昭和恐慌での東北の身売りも原因は政府でなく地主が小作料下げなかったのが原因。
江戸時代の飢饉といいこの辺りはおかしい。
だから東北みたいな寒冷地で米作ること自体間違ってるだろ
家庭菜園やってるけど雨が多いとすぐパーになる
今は自分で作れなくてもなんとかなるけど昔の人は大変だよマジで
土人とか原始人とかバカにするけど本当に大変だったと思う
江戸幕府が品種改良も温暖化もない時代に米作を東北に押し付けたのが東北の飢饉の原因でそれ以外は些細な影響に過ぎない
この島はまたそういう時代に戻るからな
自分たちの首を絞める集団の末路などそんなものだ
>>77
米が貨幣の代わりっていう米本位制の呪縛だろうな >>12
ノビルって野草のか?小指ってことないと思うけど 江戸時代に入ってからはかつての戦国時代みたいに村同士で殺し合って食料調達したり大名からの要請で戦に参加したりとかもなくなったから
人口がどんどん増えていったんだよな食料供給も当初は安定してたし
ただ人口が増えすぎて食糧問題が発生したり人口増加により新種の疫病が流行ったりだった
天保時代の『備荒草木図』って「食べられる野草」についての救荒農書を読むと
ヒガンバナとかアヤメとか「それ食えんのかよ」っていう植物が載ってて面白い
だいたい「葉を茹でて食え」か「根からデンプンを採り出して食え」なんだけど
ジャップ陸軍の獣医学校が昭和19年に『食べられる野草』なんて本も出してるし
瑞穂の国って言うには程遠い国土だったんだなこのジャップ列島は
トリカブトとか有毒植物食って死んだ人多いんだろうな。
>>77
東北は小麦での年貢も認めてたらかなり違ったよな。小麦は冷涼な気候でも育つ(北海道でも大量に取れるし) >>88
縄文時代は関西より東北の方が人口が多かった
木の実とかたくさん取れた >>92
1960年代までは白米は今の5倍くらいの感覚で高価だったから 江戸人はセルロース分解する腸内細菌持ってたんすかね?
>>37
東北の諸藩が馬鹿なだけ
米がそのまま通貨になるからって、稲作に極振しまくってた
リスク全く考えないで毎回ホームラン狙いでフルスイングしてたようなもん
しかも、凶作の時ほど米の価値が上がるからって、僅かに取れた米も上方に売ってた
つまりセルフ飢餓輸出
田沼意次が商人の買い占めと溜め込みを防ぐために寄り合い作ろうとしたけど、息子が殺されて失脚してパアになった
結局田沼意次が改革しようとした事も白紙に戻されて、徳川吉宗時代に逆戻り ベア・グリルス並みのサバイバル技術があれば、餓死者なんかでなかった
単に文明が劣ってただけですわ
>>95 ちょっとビットコインっぽいな。 >>74
文明は過去の技術の累積に過ぎないからなぁ
栄養不足で発達不良はあってもスペックは現代人と変わらんでしょ
むしろ生きる力というか生活力は昔の方があるんじゃねーか 江戸時代のジャップの飢饉
・農民は基本放置(1人米150gだけ配ったこともある)
・武士は餓死者ゼロ
・幕府が各藩から寄付金を集めるが9割盗んで1割だけ被災地に送る
東京の本州部の唯一の村である檜原村も昭和30年代までコメは作らずムギ・オカボ・ソバ・ヒエ・アワといった畑作で生きていたそうだから
坪井洋文が『イモと日本人』で指摘したような全くコメを食べない文化圏が厳然としてあったんだよな
現代だと差別されてるけどヒエとアワ食ってみてぇわ… >>27
脂質と食物繊維にミネラルは多少は摂取出来るけど…
一時凌ぎでタンパク質が足りない分だけ自身の体細胞を破壊して他細胞に供給する事になるんじゃね? >>107
日本人は元来草食動物だからジャングルでも補給が無くても作戦行動が出来るとか言い出しそう >>105
点滴注射もない時代には粥ですら食えなくなったら栄養失調で死ぬんだわ
食物繊維だけでも接種して腸内環境を守ることが最重要だった ドロドロに煮ると食えるってのは聞いたことあったけど餅にするのか
野山を駆け回って鹿やイノシシを狩ってた人たちは
助かったわけでしょ
あと漁師も
ニラとスイセン間違えて食った香具師もいるんだろうな
>>103
江戸時代には、年貢米収めろって強要されてたはず
米以外のものを作って、それをコメに替えて差し出すのはすごい負担だったはずだ
なんか特例にしてもらってたとかもしれないけど >>37
だからサツマイモに乗り換えたとか、この板で聞いたことあるな >>104
スーパーで売ってねえか?
米に混ぜて炊く用に >>41
大阪の取引所の話もこの板でよく聞いたな
ここが実権握ってたとか何とか >>37
江戸に余りまくる、ってのがちょっと違うんだわ
コメが不作になると高く売れるからそれを高く売りつけるって普通の行動してるわけ
江戸には溢れてたって言っても普段より高値だから、
当然庶民には買えるわけでもなかった
てか、高いコメを売り、安い作物を仕入れるつうのが当たり前だったので、
飢餓が起きた理由は実はコメではなくて、アワやヒエ、キビの不作なんだな
コメが不作なら武士が飢えてたわけだから。 >>119
商いですから、実権握って嫌がらせなんてしないよ
それやって大塩平八郎の乱が起きて、
結果的に奉行が処分され、大阪の商家が処分されたりもするし、
米騒動みたいに売らなきゃ討ち入りするのが常
相場ってのは操縦できないから相場なんだよ >>125
日本がそうなったとしてその時世界はどうなってるかまで語れなけれ両手両足落ちてンだわ 戦国時代から江戸時代はプチ氷河期だったんだっけ
逆に平安時代は熱帯気候だった
だから流行り病というなのマラリヤが大流行
>>104
十穀米とかに入ってる鳥の餌みたいなやつだろ
むしろ今だとお米より高いかも >>122
武家が飢えるとか頭アベ過ぎて死ぬべき
凶作でも武家わ規定の年貢分きっちり強奪するから
農家の食料が無く成るとしてもな 見栄を張って大大名ぶって石高を高く申告して沼田の百姓を苦しめたのが真田家
取れるはずのない作物をもっと出せと強要し幼い子供を水攻めの拷問で殺したり残虐の限りを尽くした
木の成分を消化できる生き物って微生物しかいないとか聞いたことあるような
樹皮は別か
?
確か飢饉の時って子供の頭割って脳みそと葉っぱ混ぜて食ってたんだろ?
お前らみたいだな
>>136
というか割と最近まで人肉食ってるし日本人と西欧人 そりゃ餓死するんだから
食べられるものは食べるんじゃないの?
飢饉を生き延びたご先祖様に申し訳ないが
この飽食の時代に子孫を残すことができないわ
魚とかは不作関係ない気がするんだがどうなんですかね
米ばっかに偏ってたからな。
交通網も退化してたし。
全てに置いて徳川の治世の都合を優先。
調べれば調べるほどアホみたいな時代だぞ。
温暖な西日本の大名は産業振興作成で逆に換金作物栽培を推奨してたのに
寒冷地で無理やりコメばっかり作らせたとうほぐの大名頭おかしい
下北半島だと田んぼもヒエ8割、コメ2割で作ってたからな
嫌儲は安倍が憎すぎてたまに江戸時代は最高だったって言うやつ現れるけど
結局江戸も明治もジャップだぞ、俺は少なくとも戻りたくねーわ
誤解してる人がいるようだけど税金は米の何割という義務を負わされ雑穀はカウント外になる
だから税金用の米以外に密かに雑穀を作って自分たちは米ではなく雑穀を食う 米が余ったら換金する
>>33
城の近くに松が植えてあるのは食うためだしな >>135
鹿は反芻動物で胃に微生物飼ってるから。 スマンそういう意味じゃなかった、何のスレと間違えたんだろ…OTL
江戸時代のおじさん「人間の腕、んまーい」
ふすまって小麦の籾殻だよな 笑
ミルワームなんかの飼育床によく使われる
>>148
江戸時代にもしばしば大津波が襲来してて(宝永地震やら安政地震やら)
海辺の街が壊滅したり塩害で田畑がダメになったりしてる >>157
東北の太平洋岸に大都市がないのでお察し >>48
栗、胡桃、桑とかは木材にも使えそう
白樺は花粉がひどいけどシロップがとれるし 江戸時代の木は食糧以前に燃料だったのを忘れるなよ
石油も石炭もないから燃料はほとんど木
燃料にできる成長の早い木が重要だった
そりゃどうだ
化石燃料とモーターや内燃機関ねーんだぞ?
それだけで供給力がどんだけないかわかるやろ
てことは蓄えも無いてことだ
例えば今食い物がなくなったら何を食おうかなと考えることあるよな
俺は土手に咲いてるアブラナから油取ってタンポポとかを天ぷらにして食糧にしようと思ってる
>>156
ふすまって小麦の籾殻じゃなくて糠だよな 笑 >>160
茨城千葉の太平洋岸にもないよね
下北半島北端から房総半島南端までを表す地名がないのは不便だと思う >>142
日本で飢饉が起きる時と言うのは天候不順だろ
天候不順の大きな要因は海流の変化だから飢饉が起きる時は海の漁でも変化が起きるんじゃね?
大型船があれば多少海流が変化しても遠くまで漁に出ればいいかもしれんが小型船ばかりだと
沿岸で獲れるものが例えば沖合まで行かないと獲れなくなるのは大問題なんじゃね 日本で飢饉が起きる最大要因は何時の時代も超重税と汚職,天災がその次
なので海村も都市が有る地方の農村も比較的安定してる
餓死者で溢れるのって農村の不要な奴隷人口を押し付けられた都市と奴隷を抱えたままの遅れた田舎
>>142
大正時代初め頃の漁獲高は現代の1/10
江戸にまで遡れば汽船がないので更に減るので
民衆を飢えから救うほどの漁獲高はない >>171
面白いデータやな
温度が低く雪が降るとうほぐや北陸は夏の稲作の同じ田に
裏作ができないから麦の比率が低い
関東以西は、冬に裏作で麦を栽培してたからな
二毛作のたまもの 今でこそ東北で普通に米作ってるがこれは割と最近の品種改良の成果だからな
漫画アシュラて何時代の話だっけ >>173
東北太平洋岸や朝鮮半島、旧満州あたりだと二年三作という一年目春から秋雑穀(ソバ、ヒエ、アワなど)、秋から春にかけて麦、二年目春から大豆、大豆収穫したら翌年春まで休耕というパターンもありました。大豆は換金作物でそれ以外は自給だったとか。 >>180
江戸時代の山村の実情知らんだろ
人口増加に対応しきれず薪争いなんだぞ >>180
みんな無視するし全滅してもほっとくしな 割りとイケるみたいだぞ
http://www43.tok2.com/home/hatlee/0000/02_tree/matsu/0000.html
松の皮:
ゴツゴツした外樹皮を取り除いたら出てくる白く柔らかな内樹皮。
この部分を採取して頂きます。
木へのダメージを最小限にするために横ではなく、縦長に頂きます。
※マナーとして公園や・・・当然ですが私有地の松などを傷つけないようにして下さい。
採取する側にとっても・・・管理されている場所の松には殺虫剤が散布されている可能性が高いので、やはり避けるべきなのです。
写真は黄色っぽく写ってます・・・
重曹を加えてコトコト煮込みます。
濃い赤茶色になります。
手で探って硬い部分が混ざっていたら取り除きます。
包丁で何度も叩いたもの。
ここまでで下拵え完了です。
下拵え:
1、松の内樹皮を丁寧に集めます。硬い部分やゴミなどが混ざらないように。
若い赤松が良いようです。
2、重曹を加えて煮込みます。1日〜3日程。
私は一日中煮続けることができないので、夜の間2〜3時間煮たらこぼし、
次の夜まで水に晒す方法を3日間続けました。
3、包丁で何度も叩いて繊維を細かくします。
切りやすい様にまとめたら5mm間隔程度に切り、こねたら、また切りを繰り返しました。
擂り粉木も途中で使いましたが効果があったのかどうか・・・
その他、
・古い黒松の内樹皮を臼でひいて粉にしたら、米か麦の粉と半々で混ぜ合わせてダンゴにする。
・内樹皮を臼でついたら水に浸け、数日したら漉して干すと粉ができる。
ダンゴ粉と半々の量で混ぜたもの。
松皮餅。
下拵えの済んだ松皮と同量のダンゴ粉を加えて捏ねました。
今回は火が通り易いように“へそだんご”(真ん中が凹んだ形)にしてみました。
クセ・臭みなど全く無く、極僅かながら甘さを感じるほど・・・これは美味しい!
ゴマを掛けたり、きな粉で頂いたり、海苔を巻いてしょうゆで頂きました。
おすすめです。
松皮パン。
・・・またまた奇想天外! ・・・と思われるかも知れませんが・・・
調べるとヨーロッパの一部地域でも松の皮を利用し、パンに混ぜることもあるようです。
松皮餅同様に・・・クセなど無いのでどんな料理に投入しても美味しいです。
しかも若干の風味&旨み+色合いで美味しくなります。
これまたおすすめ。売っていたら普通に買いたくなる美味しさです。 >>181
知ってるよ
室町時代から広大な山林を所有してそれで食ってた一族だし 絶対量の減少はあるにせよ分配の問題に尽きると思うわ、飢饉は
山持ってると何でも捕れるからな
薪や建築資材になる材木は莫大な財産を生み出したし
たいていは水源も抑えてるから地域一体も実質支配してる
百姓なのに武器も沢山持ってた
>>183
どんなもんか...と思って元サイト見たらパンとか美味そうじゃん
他のページも少し覗いてみたけど、白土三平の「野外手帳」みたいで面白いな 一方ニューギニアの戦い、フィリピンの戦いでは人肉まで食べていた。
なんで搾取してた側の武士の話ばかり大河ドラマはやるんだろうな
そういう側の記録しかないからな
沈黙とかは庶民側がメインだが
だって殆どの日本人は自分の祖先は武士だって妄想して信じてるから
大半はどん百姓なのにね
>>78
放射能まき散らして農産物も海産物もダメにしてる国だぞ
昔よりも悪化してんだわ >>192
鹿児島県人ならありえるぞ
そもそもあそこは武士身分(と言っても郷士)
がやたら多くて下手すると農民よりも多い土地 江戸時代にジャガイモあったの?
ジャガイモあれば昔の食糧問題だいたい解決するって聞いたけど
>>196
汽船がなかった江戸時代の漁獲量は現代の数十分の一で
飢饉に苦しむ農民全員を救えるほどの漁獲量はないのですよ。
漁業に汽船が使われるようになった大正時代でさえ
漁獲高は現代の十分の一でした。 どうして現代のクジで庶民は富の再分配を感じてくれないの?
>>197
ジャガイモは連作障害を起こすから農地を休耕しなきゃならず土地が狭い日本では不向き
それに元はアンデス高地産の植物だから寒冷地の方が適していて本州でも栽培地が限られる
まあだから今も北海道で栽培が盛んなんだが当時の交通や保存技術では本州への輸送は難しそう
従って江戸時代には既にジャガイモは伝来してたけど救荒食物の決定打にはならなかったと思うよ >>198
その上冷蔵冷凍技術も素早い運送技術も無ければ海産物の恩恵を受けられるのはごく限られた範囲だけだしな >>200
サツマイモじゃ代わりにならないの?
薩摩はマジで主食レベルで武士も食べていたし
幕府も普及に力を入れていたと聞いたけど? >>186
近代以前の山岳資源の重要性ってやたら過小評価されてるよな サツマイモもジャガイモも江戸中期から救荒食物として全国的に普及していった
また戦中戦後期は公園も芋畑になってた
ジャガイモの連作障害にはネギ植えろ
それで大抵どうにかなる
>>203
誰も過小評価してないだろ
入会山の権利争いなど日本史なら常識だ