旅順攻略戦での指揮は、その後の第一次大戦の欧州戦線における最新式の戦術を先取りしていたとも言われる。ただ、作家、司馬遼太郎はこれを乃木神話と切って捨て、公刊戦史や一次史料からは確認できない児玉源太郎の二〇三高地直接指揮説に立ち、徹底的に乃木愚将論を展開した。
乃木に反発する一派は戦前から存在していた。代表格は白樺派である。志賀直哉は日記で「馬鹿な奴だ」と断じ、「丁度下女かなにかゞ無考(むかんが)へに何かした時に感じる心持と同じやうな感じ」を覚えたなども記した。武者小路実篤も「ある不健全な時が自然を悪用してつくり上げたる思想にはぐゝまれた人の不健全な理性のみが賛美することを許せる行動」(『白樺』大正元年12月号)とした。新思潮派の芥川龍之介も小説『将軍』でこき下ろした。
この憎悪にも似た批判は何なのか。それを読み解くヒントは、乃木が殉死の直前、裕仁親王(後の昭和天皇)に熟読するよう渡した『中朝事実』(山鹿素行(そこう))『中興鑑言(かんげん)』(三宅観瀾(かんらん))にある。この2書は、歴史に鑑(かんが)み、日本は天皇から民に至るまで全て家庭や組織、国家における立場と役割があり、その役割に自らを落とし込むことではじめて一体となって調和すること、役割になりきってこそ人の個性は輝くもので、わがままや自我などは日本を崩壊させる悪徳であることを懇々と説く。