右も左も安倍晋三を語りたくなる
もう一つ、「安倍晋三という人物が、右にとっても左にとって何か言わずにはいられない存在」であったから共通の話題になり得た、という理由もある。評価は全く逆ではあるが、「安倍」を介して議論の応酬をしていたことは確かだ。
そもそも、人々の興味や情報源が限りなく細分化された現代において、「同じ話題」で話をすること自体、難しくなってきている。生活に直結する政治の話であってもだ。
先の参院選で当選した「ガーシー」こと東谷義和氏などは、参院選出馬時点では「全く何も知らない」という人も少なくなかった。あるいは参政党についても同様で、メディア関係者でも少し年齢が上の人からは、「あれは一体、何なんですか」とこちらが尋ねられる状況にあった。分断どころか、それぞれが砂粒状態でどこに裂け目があるのかもわからないのが現状だ。
そういう時代にあって、既存の媒体でもネット上でも、話題の尽きない安倍晋三という存在は、賛否はあれども「共通の継続的な話題」ではあったのである。祖父の時代からの話題も豊富で、評価も面白いほど割れる。岸田総理も3世にわたる世襲議員だが、祖父や父の話はほとんど出てこない。賛否はあっても、熱烈なファンもアンチもいない。岸田総理では、対立以前に議論が盛り上がらないのだ。
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