そこは人里離れた山間部にある一軒家だった。
「ここで一緒に暮らすんだ。いいね?」
オレーナさんは、身元保証人の日本人男性、高田さん(仮名、50代)からそう告げられた。高田さんは、ある大学の准教授で、ウクライナの避難民を支援する基金の中心人物だ。
来日早々、オレーナさんは高田さんと同じ屋根の下で暮らすことになったのである。ウクライナからオンライン取材に応じた彼女は、こう振り返る。
「私はかつて日本に行ったことがあり、共通の知人を介して高田さんと知り合いました。それで今回、保証人になってもらったのですが、まさか一緒に住むとは。本音を言うと望んでいませんでした。ですが私には選択肢がなかったので、全てお任せという気持ちでした」
当時は連日、ウクライナ戦争の報道が過熱していた。そんなタイミングでの来日だったため、早速、テレビや新聞社からの取材が相次いだ。
「ウクライナの現状を伝えたいという気持ちはありましたが、戦争で精神的にダメージを負っている上、大変な思いで避難をしてきました。そんな中で毎日のように色々と聞かれては思い出し、忙しいのがストレスでした」
取材に難色を示すと、高田さんから「これは大事なこと。きちんと答えないと支援が来なくなるでしょ」と窘められた。オレーナさんが言う。
「生活を含めて全体的にコントロールされているような気分でした」
張り切っていた日本語の勉強は、教室が週1回2時間しか通えない上、高田さんの都合が合わないと参加できなかった。普段のコミュニケーションは、政府支給の音声翻訳機を使っていたが、それでは意思の疎通にも限界がある。
中でも困ったのは、インターネットが通じない環境だ。整備するよう高田さんに頼んだが、対応が鈍かった。母国に残した両親のことが気がかりだったため、自己負担でスマホを設定してやり取りした。
「病院に行きたいと伝えた時も、叶わなかった。免許も車もないので自分から動けないのです」
単身でやって来た異国での田舎暮らしに、戸惑いや孤独を感じていた。いつかは慣れるだろうと思いきや、そこには意外な展開が待っていた。
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