ラーメン二郎好きが「ニセモノ二郎」に行って痛感…ファンが「二郎」に求めているものの正体
何でも経験だからと入ってみたのだ。
「中は小綺麗だった」という、ここにすでに違和感がある。
二郎直系店(ホンモノ二郎)でもカウンターやらは綺麗にしてあるが、厨房や壁やら天井やらそのへんは
長年にわたる「ケモノ的なアブラ」でぎとぎとになっている。
たぶん取っても取っても取り切れないのだろう、それがラーメン二郎らしい姿だとおもっている。
だから、店内のすべてがぴっかぴっかにキレイなところに入った瞬間に、
あ、これはおもっていたものが食えないわ、とすぐに気づいてしまう。
アブラを必死で絞り出している形跡がなく、それはあのホンモノラーメン二郎のアブラには追いつかないだろうと、すぐにわかるからだ。
心を入れ替え、何が出てきても受け入れる心構えになり、席に着く。
(略)
アブラがもちろん決定的に違うが、それだけではなく、いろんなものの味が、二郎とはかなり離れている。
そして、それはうまいのだ。
二郎に似せたのに二郎じゃないのか、という落胆さえ無視すれば、つまりふつうのラーメンとしてふつうに食えば、ふつうにうまいのだ。
あ、うまいじゃん、とおもった。
そして同時におもったのは、そういえば、ラーメン二郎ってべつだんうまいわけじゃないんだよな、ということである。
うまうまうまーーーーいと食べながら叫び出したくなることもあるが
(最近だと川越店で、心のなかでずっとめちゃうまいめちゃうまいと叫び続けながら食べた)、
でも、最初から最後まで、うまいとおもう瞬間もないまま食べ終わることも、多々ある。
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