ある程度の物事についての考え方というか
ある程度一貫した個人としての自我というか?
つまり主義主張か
例えば安倍に対してこういう考えがあるとかそういうのをある程度の部分で一貫性を持ってそれを世界全体に対してもちたいんだが 価値観と優先順位と前提を俺は哲学だと思ってるけどたぶん違ってる
物事に対する自分なりの主義主張があるだろ
それでいいんじゃね?
これまで主義主張は邪魔なものでしかないからなるべく持たないようにしようとしてきたけど
主義主張を持つことで自己が多少なりとも確立して生きやすいし人間味とか説得力が出てくるんじゃないかと考えたんだよ そもそも自身の心の余裕が無いと
哲学を受け入れられるスペースも無いと思うんだよな
>>8
俺もそんな感じでとらえてるわ
というか別に哲学の定義は重要では無いが 「世界に対する個人としての考え方」
世界を定義せよ
意識するそれが本来の意味で世界なのか検証せよ
個人を定義せよ
意識するそれが本来の意味で個人なのか検証せよ
対するとは何かを正しく理解せよ
考え方をを定義せよ
考えと考え方の違いを意識せよ
そのうえで
「世界に対する個人としての考え方」を定義せよ
哲学っていうか人生哲学のことかな
若い頃に身に付ければそれは人生哲学となり信念になるが、年取ってからのそれは処世術であり自己防衛に使われる気がするな
もちろんどちらが悪いって訳ではないのだけれど
>>10
俺はあまり無いし自分でもよくわかってないのでその辺をある程度はっきりさせて自分で認識しておきたいと思ったわけだ
>>17
確かに今後の人生にわたる俺の考え方をはっきりさせるという意味でそれくらいしっかり定義付けしてからやった方が良さそうだな
>>18
今の所そういうものが欲しいから作りたいと思う
>>21
憲法、読んだ方がいいか
日本人というのは俺の1番大きいアイデンティティだしな >>26
憲法が保障する価値がどのようなものなのかを知っておくと
その後の学習の基礎になるかも知れない まずは入門書を沢山読むしかないわな
古代ギリシャから20世紀末に流行った現代思想の流れを頭に入れる
あとは哲学者個人の解説書があるからそういうのに手を伸ばしていく
>>27
そうだよ。自分の人生の責任は当然自分だけにある。
これは同時に自由と権利への最大限の尊重だよ。 自分が生活する上で疑問に思うことが割とあるだろ
それを突き詰めると哲学になるわけよ
例えばなぜケンモメンはこんなに安倍晋三を好きなのか、とかね
そこに答えはないから、自分なりの結論を出すところまで突き詰めて、その理由を説明できれば立派な主義主張だよ
>>25
年齢によって読む本が変わると思う
でも前提として東洋か西洋どちらかの思想のベース知識は必要
社会人向けの啓発書なんかもたいてい西洋思想か東洋思想の古い哲学の焼き直しだし
>>31
んーそこまでのバイタリティないなあ 哲学って、人生の危機に必要なのかな
危機から遠い所にあるよね哲学って
遠回りこそが近道
まず自分が嫌で後回ししてることや優先順位を低いことからやってみよう
あらたな気付きがあるかもよ
>>38
衣食住足りて礼節を知ると言うしな
物質的人生が危機にあるようならそっちの対策をするべきでしょ普通に
但し衣食住足りても精神の危機に陥ることはあって、そういうときに哲学や信仰などが役に立つ 実用性でいうなら哲学より脳科学やメンタルヘルスのほうがいいわな
正義中毒、発達障害みたいな思考の癖みたいなのも解説されるようになってるしな
>>40,41
確かに俺は人生になんとなく、なんとなくの不満を抱えているからそれを解消する手段として哲学を持とうとしているのかもしれない
他に有効な手段があるのかもしれないが今思いついたり自分の実行可能性を考えると哲学を持つことがそれなりに最善、次善なのかなあと思う 「哲学がある人間」の哲学って学問の哲学ではなくね?学問の哲学はもっとシステマチックな感じがする
自分の主義主張って体験から生まれるものだから
色んな経験をするといいんじゃない
哲学大好きなやつってやってる事ひろゆきの事大好きな小学生共とやってる事一緒だから
>>43
俺も学問の哲学を持とうとは思ってないよ >>38
元はといえば金持ちの暇つぶしだから仕方ない
既存の主義主張の中から自分の考えに合いそうなものを選んでそれをカスタマイズしていって自分の哲学とするのがいいのかな
そしてそれを判断基準や自分の軸とする >>42
自己肯定のための人生哲学なら上にも出てる自己責任論の源流の一つであるニーチェとかキルケゴールとかいいかもね
そっち読む前にデカルトの入門書くらいは読んだ方がいいと思うが
あと読むなら文庫の解説書でいいよ
>>50
明日図書館で漁ってみる
ありがとう
自己肯定というか
自己の確立? ある程度学問で習得することはできるけどどっちかというと芸術に近い天性の感性が必要な気がする
個々の事柄に対する考え方から帰納的に自分の哲学を作り出してみるか ごまかさず「問い」を生きる 中島義道
https://web.archive.org/web/20081120201106/http://www.ittsy.net/academy/instructor/yoshimichi2_1.htm
「どうせ死んでしまうのだから、何をしても虚しい!」「人生はすべて偶然に左右される!」「何が正しいのかわからない!」「生きる理由がわからない!」と呟いているきみへ。
きみの呟きは恐ろしく正しい。人類が地上に出現して以来、われわれはこう問い続けてきたし、しかも誰も最終的な答えを見いだせなかった。
きみが二十代の若者であるとしよう。よく知っているだろう?世の大人たちは、一致団結してきみからこの問いを奪おうと企んでいる。「そんなこと考えたって仕方ないじゃないか」
「もっと前向きのことをしろよ」というように。あるいは、「よく考えてごらん、生きる理由はあるはずだよ。きみはよく考えないから、そんなことを言っているんだ」
「どうせ死んでしまうからこそ、一瞬一瞬を大事に生きるべきではないかなあ」というように。あるいは「その前に、おまえいったい努力したのか」「ずいぶん結構な身分だよなあ。
誰がおまえを養っているんだ?」というように、あるいは・・・。なぜ、大人たちはこうもこういう「正しい」問いを嫌うのであろうか。躍起になって潰そうとするのであろうか。
なぜなら、自分たちにとっても、本当は「気になる」問いだからであり、その問いにからめ取られている奴がまわりにいると目障りだからである。
生きるとは、こうした問いをグイと腹の底に沈めてしまうことだ、と確信した男女がきみの周囲にうじゃうじゃいる。彼らは有用な問いなら受け付けてくれる。
年金問題をどうすべきか。だが、どんなに年金を受けても、死んでしまうのだ。その後、宇宙の終焉まできみは死に続けるのだ。
生きるチャンスは(たぶん)もうないのである。これは、年金問題より何千倍も重要な問いではなかろうか。
少子化で日本の人口は今後減り続けるという。だが、日本が滅亡するより、きみ自身が滅亡するほうが何万倍も切実なことではないのか。
きみが、本当にごまかしなく問い続けるなら、「その問いを生きる」という一つの回答がきみの前に開けてくる。すなわち哲学者になることである。
哲学者とは、哲学研究者のことではない。両者が重なることはあるが、一応別であり、大学で哲学を教えている教授が、自分の問いを生きていないことは稀ではない。
逆に、一片の哲学的知識も持たずに、すでに哲学的に生きている人もいる。それを判定する方法を教えよう。
もしきみが、いまの困難な状況を脱して、この世の幸福を手に入れたら、先の問いを放棄してしまう(しまえる)なら、きみは哲学者ではない。
これに対して、この世で何が与えられようとも「その問いを生きる」なら、きみは哲学者である。
哲学者とは、たとえこの世のすべての価値が与えられても、「どうせ死んでしまう、しかも何もかもわからないままに」ということに深く落胆し、
その限り何が与えられても虚しいと思うような、大層要求の高い人種だからである。
たかがローマ皇帝になったくらいでは、シェークスピアになったくらいでは、ロスチャイルドになったくらいでは、満足しないのだ。
もうじき死んでしまうこと、その後、(たぶん)二度と生まれてこないこと、しかも、ほとんど何も知らずに死ななければならないこと、
その後、宇宙には人類について何の記憶も残らないこと、それでも宇宙はいつまでもいつまでも存続するだろうこと・・・この枠組みの「うちで」何が与えられようと虚しいのだ。
もしきみが、同じような感受性を持っているのなら、哲学をしたらいいと思う。だが、この枠組みの「うちで」幸福になりたい気持ちがわずかにでもあるなら、哲学はしないほうがいい。
哲学は幸福を諦めるところから開始される。あの(『旧約聖書』のヨブ記の主人公の)ヨブのように、まわりの人々が何と言おうと、
「神(ここでは抽象的にとらえてもらいたい)に向かって」直接問いかけるところから開始される。
あらゆる幸福が―ヨブのように―きみから飛び去っていっても、きみが問い続けるのなら、親が反対しようと、乞食になろうと、狂気に陥ろうと、哲学をするがいい。
ということは、もしそうでなければ、きみは幸福を求めるべきであって、哲学をしないほうがいいということだ。
そして、普通の大人になり、「どうせ死んでしまうのだから、何をしても虚しい」という若者のうめき声を、ありとあらゆる仕方で潰しつけるがいい。
それが、きみにぴったりした生き方なのだから。 学問の哲学は存在者を存在者たらしめる存在を究めるみたいなのがテーマ
人生訓ではないのだけど
カフカの審判なんかは不気味な寓話であると同時に実存主義の書としても読まれるし人生訓的でもあってとっつきやすい
あと黒澤明の生きるって映画も
このコロナ禍振り返れば勉強になるんじゃね
老人は介護施設で家族にも会えずに監禁状態
外出もできず認知症老人・寝たきり老人増加
そして老人のために犠牲になる子どもたち
命大事にとか言いながら若年層の急増する自殺はガン無視
ただただコロナ被害抑制ばかりフォーカスして負の側面からは目を逸らす
その上、結局コロナ被害は減らないどころか悪化しているというオチ
もう哲学というか生き方に対する意識がめちゃくちゃ
何のために生きているのか
>>52
自分が何者か、人は(自分は)どのように生きるべきか
というのはキリスト教以降の西洋思想のど真ん中テーマだから、興味がその辺なら西洋哲学がいいかもね
アリストテレス以前は後回しでいいよ
>>55
俺の考える哲学とは違うなー
真理を追い求めたいわけじゃないからな
いやでも追い求めたさはあるな 「哲学は万人に必要」は、マヌケな幻想だ ほとんどの人には、役に立たないどころか害
https://toyokeizai.net/articles/-/89938
まず強調したいことは、本塾の設立趣旨は、「とにかく多くの人に哲学を学んでほしい」というものとは限りなく遠いということ。
哲学など学ばなくて生きていければ、それでいいのです。私はこれまで50年にわたって哲学に関わってきましたが、
「哲学は万人にとって必要だ」と考えたことは一度もありません。
ですから、そうもっともらしく語る人をちらほら見かけますが、哲学とは何かまったく知らずに、いや知ろうとせずに、
勝手に自分が思い描いている『哲学』という美名についてベラベラ喋っているだけなのだと思い、全身鳥肌が立ってくる。
軽い殺意さえ覚えます。
哲学は、ほとんどの人にとって、まったく必要ない。生きるうえで必要な知識など何も与えてくれません。
そこで「いや、すぐには役に立たなくても、人生やこの世界についての根本的な真理を明らかにしてくれるんではないですか?」としたり顔に答える輩は、本当に殺したくなる……
というのはあくまで比喩的表現で、「バカモノ!?マヌケ!?アホ!?シネ!」と叫びたくなります。
しかし、きわめて紳士的な私(?)は、そう思うだけであって、叫ぶことはない(つまり、「心の中」で叫んでいるだけ)。 安倍晋三批判。自分の物差しを持って、妥当かどうかを常に考察するんだ。
>>60
だとすると、あれか。自分の信念を確立するとか、他人に振り回されないとか、そんなニュアンスかな。 まず高校の世界史や倫理政経の教科書読むぐらいがいいんじゃね
>>66
そういうことだな
物事に対する個別的な考え方を抜き出して帰納的に考えていったら自分の中に相反する主義主張が数多くあることがわかったわ 人に聞いてる時点でダメだろ
そんなもん借り物の壺の味噌だわ
>>71
人間そんな簡単に割り切れるものじゃないからな。
>>72
方法論を知りたいわけだ
それを使って自分の哲学をみつけ出せればいい >>68
それやるから誰もが世界史嫌いになるんだよ。
そもそも教科書ほど教養をつまらなくしているものはない。
だって本が売れる必要ないんだもん。
段々煮詰まってきた感じはあるわ >>74
何と調和すべきと自分が思うか、がスタート地点じゃないかな
社会、国家、法律、財産、親など、君は生まれたときから雁字搦めなわけなけども、これらの環境がなぜそうあるのか、を知れば自分の意見も持てるし、
興味があればより学べば、また意見がひっくり返ることもある。
そうして自分の考えが何度も変わっていくことで、そのうち人生哲学が出来上がるよ。
>>81
そうだな
俺を形作ってきたものについて理解してそれに対する考え方を持つのは大事かもしれない >>74
100万回苦しんで100万回考えるだけだよ >>1の問題設定が杜撰で
前提条件や制約、必要性について何も説明できていない
まずは前提条件、制約条件、必要性について他人に意思を伝えるスキルを身につけてから、哲学についてスレを立てた方がいい
今のままでは、ただ漠然とした妄想を書き連ねる行為を哲学と勘違いして、また10年単位の時間を浪費しそう 哲学を勉強するにあたってソクラテスから始めるのは時代遅れ。
途中で挫折するのが目に見える。
1万人中1人くらいしか現代哲学に行き着けないよ。
そんな宝くじを当てるような行為はやめよう。
>>85
すごく哲学史の人っぽい
一般的な意味での哲学って人生哲学つまり自分が依って立つ思考法や価値観のことで、このスレで議論されてるのもそちら >>1が求めてるのは勉強せずにお手軽に哲学棒を振り回す方法が欲しいだけですな 自我が薄くてこれじゃいかんと思って何かしっかりとした自分を見つけたいとかいうふうにも見える
なら本よりまず旅
>>76
新たに金出す必要ないし雰囲気ぐらいはわかるやん
>>1の欲求ふわっとしすぎだし 哲学ってあくまでそいつ自身の考え方であってそれが真理なわけではないから
脳科学や医療とは全く異なるある種宗教的な糞学問だと思ってる
自分の考え方を帰納的に探ってて
普通とかスタンダードへの憧れというのがあることに気づいた、というかこれは前から知覚してたんだけど
それがなぜか深く考えてたら小中の時俺だけ滑舌が悪かったり挙動が変だったんだよな
中一くらいまでは本当にありのままに生きてたんだけどそれをイジられたり自分で自分の動画を見て変だと思ったりしてそれに気づいてからなるべく普通に近づくように努力し始めてそれで普通への憧れを持つようになって自分が薄くなったし人と違うことを恐れておかしく思うようになったんだな、って
このことに気づけたのはすごい収穫だわ 世界放浪が向いてそうな感じではあるけど今交通費馬鹿高いからな
来年大学4年だから夏休みに日本放浪とかしてみるか >>93
そもそも哲学的命題は事実命題ではなく当為命題なので宗教的と言われれば否定はできない
それはそれとして宗教とも違う >>100
若くて草
そんな年齢なら普通に古典小説読んで貧乏旅行でもしてればいいよ
>>99
そもそも俺はずっと変わり者と言われてきた人間だし普通と外れたことをしてきたし自然とそうなったりしたんだよ
それ俺が普通への憧れがあるというのは別に矛盾してないわけ、というかそういう人間だから憧れがあるしその安価先にあるように後天的にその志向が増したわけ
だから本来変わり者であろう俺が嫌儲でスレ立てするのはおかしくない >>101
カント倫理学限定やろそれw
例えばヘーゲルなんかは当為命題の無力さを嘲笑している とりあえず疑うこと
当たり前と思っていることが本当にそうなのか、もしそうならなぜそうなのか考えるようにすればいい
今時もこういう若者おるんやな
わりと絶滅危惧種じゃね
とりあえず
美徳を追い求めていいが何が美徳かはしっかり吟味してそれを誤謬して行動や人生には支障を来さない
根源にあった普通を求めていた根拠はもはや意味をなしてないので普通を求める意味はもはや全くないのでやめる
人の不快感とか尊厳とある程度折り合いをつけつつも基本的に自分の価値観を通して行動する
というのを俺の哲学にするわ
これは今後も吟味と検討を重ねる
色々アドバイスくれた人ありがとう
これでもう少し立派な人間になれる気がするわ
しかしどうせ朝起きたら忘れてるかただそこにあるだけになってるから時間をかけてこれを頭にたたきこむぞ >>20
それでいいと思う
自分の考え主義主張を固めると面倒な人になる
それが哲学かって話は微妙だけど 哲学を持てないとギャンブルと愚痴と悪口とイジメしか取り柄のない生き物になっちまう
>>111
そう思ってたんだよ、邪魔だなって
でもある程度あった方が良さそうだと思い直した >>1のレスだけざっと目を通したけど、お前に必要なのは思考力と言語化能力だよ
全体的に文章がふわふわしててなぜ人生哲学を持ちたいのか必要性が不明瞭だし、
今の認識で外から哲学を得ようとしても自分の考えに落とし込めないと思う
こうあるべきだこれこそが指標だ、を追い求める前にまず自分の問題意識を明らかに(=言語化)したほうがいい
>>85が言ってるのもこういうことだろう 若い時に失敗すればするほど成長するから気楽にやれよー
>>114
いや別に書けるけど面倒臭いから散発的に書いてるだけだよ その人間が今まで生きてきたバックボーンやらなんなりが哲学を形作るんじゃないか?
>>1
プラトンは哲学者は幾何学を学ぶべしと言ったとか言わないとか
要するにある問いに対してどのような方法論が必要なのかなので数学と同じ
それが実生活や人生の問いなら代数の代わりに言葉や思想といったものになる
そのためには過去の先人たちの思考法や倫理観を学んで
そこから自分の哲学を作っていくほうが早い
全くの初心者なら「世界の十五大哲学」(PHP文庫)という本をお勧めする
もちろん、実人生で試行錯誤を重ねて自力で見つけるというのもアリ アドバイスの前にスレ立て履歴をチェックしよう
その上で今後改心するってんなら見守ってやってもいいのかもしれんが匿名掲示板のスレ立て人の成長を長いスパンで見守る意義がこちら側にあんのかという話
意味のない善意だよ
人生哲学と学物の哲学は別物だけど
思想哲学は人生哲学において
自己と他者の関係性の中でどう自己を確立していくべきなのかを教えてくれる
だから
この手の人生哲学を構築するために必須の思想哲学もある
例えば倫理学においては「考え続けること」がどれだけ大事なのか
考えることを諦めてしまうことやめてしまうことがどれだけやばいのかがわかるし
レゾンデートルは『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』からの
存在理由を考えることが重要だと教えてくれる
自己と他者の関係性とはアイデンティティの確立なのでこれも思想哲学からのもの
そういったことをほぼ全て網羅し
ケンモメンが選択した人生哲学が
安倍晋三だけは絶対に許さない
徹底してその全存在を否定していくべきなのがネトウヨである
ケンモ卿こそ至高の存在
などである>>1 >>92
科学哲学から生まれた科学をポリコレ棒だと思い込んで30年間振り回してきた知恵遅れは、言うことに説得力があるなぁ
自身の足元すら理解していないバカの良いサンプル 学としての哲学は、歴史と一緒に学んで価値があるものだとは思う
というか、哲学(思想)は歴史をつくってきた
なので、未来を考える意味で哲学は必要なんだろうな
ちな
書店に並んでいる人生哲学本の殆どは
経営者にとって都合のいい人生哲学で
雇用主が労働者に「こんな都合のいい豚になって欲しい」と
説く詐欺でしかない
利口な人はこの手のまがい物の人生哲学本から
経営者はどんな人間を必要としているのかを読み解き
自分の出世のためには何をしたら経営者が喜ぶのかを理解し利用する
まあさ
人生哲学で一番大事なポイントは
それを考えるときに詐欺にあわないこと騙されて利用されないこと
それを考えている状態はカルト宗教にとっては絶好の餌になっている状態だと
よーく自覚すること
これ
バカがこの状態になるともちろんオカルトスピリチュアルカルトに簡単に飲み込まれ
論理性も糞もない病的な言説に手を出し
頭おかしい言動をネットで乱発することが多いため
最大限の警戒が必要
だから人生哲学を始めるときには
まずはカルトオカルトスピリチュアルを徹底して無視することを自覚することが
一番大事だし
自分の思考が常に「論理的で筋が通っているものなのか」を自己と他者評価によって
確認し続けることが大事だよ
どうも哲学というと高級だという観念をもつ人が多くていけない。
だから、女性に哲学者がいないと言うと、本気で怒る(とくに知的な)女性が少なくない。
だが、哲学は下品なものなのだ。ワイセツなものなのだ。
それは、生物としての人間にとっては随分不自然な営みである。
一つのわかりやすい説明を。電車の中で男の尻をさする女性は皆無ではないがきわめて少ない。
男のパンツを盗む女性も少ない。男子用トイレにカメラを仕掛ける女性もあまりいない。
男の前で突然性器を露出して快感を覚える女性もまずいない。
男以上に残忍な女性権力者が史上少なくなかったにもかかわらず、いまだ何百人の男たちを
「蓄えておく」ハーレムを造営した女帝を知らない。
つまり、女性は現実的な性にしか興味がなく、精神的にせよ肉体的にせよ具体的な性行為に
直結したものにしか興味がなく、総体としての「生身の」男にしか興味がなく、またそのつど一人の
男にしか興味がないようなのだ。
以上のことは重要なヒントを与えてくれる。哲学がワイセツに思われる(これは私の実感である)
秘密もこの辺りにあるのかもしれない。
生殖を伴う(そして、できれば愛を伴う)性行為から離れれば離れるほどワイセツな感じがつきまとう。
それは、無用という感じと至近距離にある(だから、人間以外のいかなる動物もワイセツではない)。
男のズボンの中を盗撮する女性がほとんどいないように、男が排泄するシーンに興奮を覚える
女性がほとんどいないように、哲学する女性はほとんどいない。
逆に言えば、女性達はこういうワイセツ行為に欲求を覚えないように、哲学に欲求を覚えないのだ。
中島義道「生きにくい・・・私は哲学病。」
>>128も個人的に好きな文章だけど、
「どうせ死んでくるのに何故生まれてくるのか?」「生きる意味とは?」
みたいなことを真顔で考えたり、他人に話したりする(特に成人の)女性を見かけることはまずないよね。
女性には「子供を産む」という、生物にとって最重要の役割があるから、自分の存在意義についてぐらつくことが少ないんだと思う。
一方、男性は種をまいたら終わりの根無し草みたいな存在だから、不安を紛らわすためにあーでもないこーでもないと生きる意味を考えたりするような気がする。 客観と主観を区別して相手の立場に立つ他人の視点
自分の視点
主義や主張の対立とかを考えていくだけで哲学ぽさがでるし
仮定と想定とで思考実験していくとかになると哲学者がやってるものに似てくる
>>27
そうだよとりあえず自己責任
失敗したら他人は助けない
自分でなんとかすること 他人の正義と自分の正義
じゃあ正義はどこにある?
とかチープな答えとしては
善悪の二元論にしか正義と悪は存在しないし
善が無いと悪も無いみたいになる
そうなるとでは正義は?正義もそこにはない
哲学は個人の、世界に対する思想だけどそれがないやつは宗教でも信じてればいいと思うよ
>>121
読んでみるわありがとう
>>123
そこまで徹底させると生きづらそうだから俺は嫌だな
崇高かもしれないけど実用的では無いな 哲学を得た結果どうなりたいんだろ。
どうなりたいかわかっていないのに哲学を考えても無駄なんじゃなかろうか。