意味のない嫉妬だよ
莫迦みたいな自己認識だないつも
ありのままでいい人生ですから、前に進んでください
もっと強気で行け
ルサンチンマン[フランス語]
怨恨、遺恨、復讐感情。 特に、ニーチェの用語で、弱者の強者に対する憎悪をみたそうとする復讐心が、
内攻的に鬱積した心理をいう。
これを解決する方法はあるよ
でもちょっと長くなるけど
俺はお前らとは同じ方向歩いてねーんだよ!と強がって誤魔化してた
気付けばサブカルこじらせて孤立したおっさんになってた
法華経はこの世にある見えない世界の「魂」と人間の精神を導き 宇宙の法則を理解させる目的をもっ
て説かれたお経です
お釈迦様の教え
1、この宇宙には進化の法則があります
① 十界(じゅっかい)とは今私たちがいる世界です
地獄界 餓鬼界 畜生界 修羅界 人間界 天界 (解脱) 声聞 縁覚 菩薩 仏界
|←---ーーーーー(六道)---ーー-ー-→|
<未来に苦の現象が具現化する方向> <未来に幸福の現象が具現化する方向>
【逆進化の方向】←------ーーーー 人間界 ーーーーーーーーーーーーーー→【進化の方向】
低我の意識:怒り 不満 金銭欲 権力欲 真我の意識:自己犠牲の精神 慈悲 感謝 信愛
支配欲 名誉欲 自己中心的な心 邪の心 (信用して愛すること)により仏の智慧を得る
うぬぼれの心 傲慢な心
十悪(盗み 殺生 うそ悪口 むさぼりなど)
目先の金や快楽に溺れる浅はかな心
邪の心を喜びたがる精神のゆがみ・・・など
② 宇宙(進化)の法則とは何でしょうか
お釈迦様がこの宇宙を誕生させたときのことが法華経では化城喩品(けじょうゆほん)で説かれていま
すが「十二因縁」(の法)というものです
それは「無明」の闇を取り除くということが「進化(意識)」を意味しています
お釈迦様は「進化」するためにこの宇宙を創造されたのでした
では進化とは何でしょうか それは逆進化に向かわないことです
ですから私たちの心が逆進化に向かえば「苦」という形でお釈迦様がそちらに行ってはいけませんよと
教えてくださるのです 逆進化に向かえば向かうほど「苦」は増大していき来世にもカルマとして現れ
てきます
「無明」とはこの法則を知らないで何度も生死を繰り返している(六道輪廻する)私たちのことです
自分は何のために生まれてきたのかを知るということが大切なのですね
③ ところが私たちの現状は根深い慢性的な不満の意識から怒りや妬みや苦しみ等で心をゆがめ
そうした意識から人をやり込めることや苦しめることを面白がったり 世の中の不快な出来事をむしろ
楽しんだり 人の苦痛の上に自分の喜びを成り立たせることに快感を持ったりと世の中全体がそうした
ことを当たり前のこととしているので それが特に悪だという自覚もありません
それどころかそれが正当化され人生の価値観につながっていたりもします
ほとんど悪魔に操られていながら気が付いていないともいえるような状態にあります
これは心の中心を欲望と感情が支配して精神がそれに追従してしまっている状態です
欲望や感情には物事の善悪や正邪を判断することができないのですから心の中心に置いてはいけないの
です
④ ではどうしたらいいかということですが法華経には薬草喩品(やくそうゆほん)という章があって
お釈迦様は全てのものに雲の上から救いや教えの雨を平等に降らせております
それによって人々の不満が減ったり精神に真我の意識が芽生えます
ところがそれを受け取る側の人間が邪の心や低我の心(怒りや不満意識 うぬぼれや傲慢な心など)
または欲望に操られた精神状態だったりしますとお釈迦様がいくら救いの雨を降らせてもその教えは私
たちの心に届きません(よって不満がどんどん蓄積していく)
お釈迦様の救いは低我の意識の中には現れないのです
ですから心の中心に精神(魂・理性)を置いて欲望と感情をコントロールしなさいというのが仏教の教
えです
そうすることでお釈迦様の教えを受け取れるのです(不満を増やさない智慧)
進化の方向である真我の意識はこのように「未来における不幸」を消し去ってくれるのです
⑤ では具体的に私たちの心をのぞいてみましょう
・車を運転していたら前の車が遅いので煽り運転をしてしまった
・パチンコをして大金を失ってしまった
・インターネットの掲示板で喧嘩になり相手の名誉を棄損してしまった
・電車で痴漢行為をしてしまった
これらの原因は「怒り・不満・名誉欲・金銭欲・淫欲」などです
まず怒りというものは、根底に不満意識があります 不満が蓄積してある時に爆発してしまうのです
だからきっかけは些細なことでも、蓄積されている不満は大きな災いを起こします
心に真我の意識を持っていても他のことに気をとられて知らず知らずのうちに心に欲望が生まれて真我
の意識が消えて低我の意識が心を占領してしまったのです
これは理性と欲望の戦い 真我と低我の戦いといい死ぬまで一生続きます
そういう低我の意識に早く気が付いて真我の意識を思い出すことが大切です
そのために信心や瞑想を通してお釈迦様の智慧をもらい自分を徐々に変えていくことが大切なのです
(低我の感情に振り回されない真我の精神を持つことが大切)
⑥ その方法ですが
私たちが常に神仏に対して「感謝」の心をもって生きることが大切だと仏教では教えられています
感謝の気持ちは魔物を寄せ付けません そして神仏とつながって慈悲と智慧が与えられるのです
人間には目に見える範囲があってそれ以外の目に見えない空間に神仏や鬼霊や魔物が存在します
私たちからは神仏は見えませんが神仏からは私たち人間が見えます
神仏や鬼霊や魔物などは意識波動と言い電波のような肉体のない「意識体」で存在しています
(例えば私たちが感謝の心を持てば神仏とリンクし怒りや憎しみの心を持つと魔物とリンクします)
その見える空間と見えない空間の2つの空間(次元)で私たちの世界は成り立っているのです
「魂」は目に見えない空間に存在している私たちのそれぞれのお釈迦様の「分霊」です
「精神」は私たちの肉体の中にある意識です
私たちは精神に真我の意識を持つことで目に見えない空間にある「魂」と肉体にある「精神」がリンク
され欲望と感情をコントロールして お釈迦様の救いを受け取れるのです
<目に見えない世界> <リンク> <私たちの精神>
神仏(魂) ←ーーー真我の意識でつながるーーー→ 感謝・信心 未来に幸福の現象が具現化する
鬼霊・魔物 ←---低我の意識でつながるーーー→ 欲望・感情 未来に苦の現象が具現化する
⑦ 「苦」が訪れるのは自分の体の外側(社会)の問題ではなく自分の内側のゆがんだ心が原因なので
す社会が悪くても真我の意識を持つこと 心を正しく持つことが大切です 進化する方向(真我の意識)
に向かいなさいということです
欲望を智慧に感情を慈悲の心へと変えることで逆進化の方向を進化の方向に変えるのです
そうすることによって魂と精神がつながってお釈迦様の智慧と救いを受け取ることができるようになり
私たちは無限の進化を実現できるようになります
無限の進化とは無限の幸福ということです
人はそれぞれに宿命がありその中を生きています
どんなに過酷な宿命であろうが進化の方向に向かって無明を取り除く機会は皆平等にあります
真我の意識を持った人には輝かしい未来が訪れるでしょう
以上です。
一人でいたりネットだけしてるとヤバさのみが煮詰まってくる気がする
人と触れなければいけないけど社会的に孤立してる
おまけ
信心とカルマ(苦)
例えば通勤時 交差点で歩行者用の信号が点滅しています
どうしてもこの信号を渡りたいと思って駆け出したときに歩道の段差で転んでしまった
ズボンは破れるし バスに乗り遅れるし 遅刻するし 今日は休んじゃおうとか
普通の人は怒りの感情が生まれ段差を睨むでしょう
しかし仏教徒はそうは考えない
「ここで転ばなければもっと大きな災難にあったかもしれない」
「もし交差点を渡っていたらトラックにぶつかっていたかもしれない」
それを神仏が教えてくれたんだと考えるのです
ですから怒りの感情が発生しません
逆に神仏に対して感謝の念が生まれます
怒りの心は未来に負のカルマ(苦)を生みます
だから信心は救われるのです
大きなけがや病気をしたら それは何かの合図なんだと考えるべきです
聖書や仏典の中にある「方便」(神仏が伝えたいこと)を探すというのは
自分の人生の中にあるけがや病気も神仏による「方便」ですからそれに気が付きなさい
ということです 今までのような生活を続けてはいけませんよということです
人間の行動と霊格
霊格とは私たちの魂のことです人によっては霊という場合もありますので「霊魂」と
書きましょう
私たち人間には霊魂があってその人間の心と連動しているそうです
霊魂は人間には見えない次元に存在しますが すぐ近くにおります
良くない気持ち(低我の精神:憎しみ 不満 怒りなど)を持つと霊格は下がります
真我の精神(正しい心:宇宙の法則)で行動すると霊格は上がります
低い霊格には同じ波動の低い霊が集まってきます ひどいときには「憑依」されて思い
もよらないことを口走たりします
低い霊格はまた輪廻して苦の六道に生まれ変わります
霊格は自分で作れますから頑張ってください
その霊格は人相にも表れるそうです
では霊格はどのように変えるのでしょうか
私たち人間は真我の精神で生きていてもふとした瞬間にそれを忘れて低我の精神が心
に生まれてしまうようにできています 真我の精神(理性)は後から生まれるのです
ですから常に心をチェックして低我の精神が入ったら落ち着いて見るもう一人の自分
が必要になります
例えば5chの差別や誹謗中傷を誘うスレタイを見たとき人間には必ず邪の心が生ま
れてしまうのです
ですから落ち着いて心を見て理性を入れることが大切です
邪の心でスレを開けばその書き込みも邪の精神(ゆがんだ心)による書き込みになっ
てしまいます
ところがそれに気がつかないから今度は自分に対して注意をする人を「敵」だと思っ
てしまうのです それは見た目は人間でも動物として生きていることと同じです
それら低我の心は理性でブレーキをかけてもそれを振り切ってでも自ら求めるものを
ひたすら満足させようとするのです
悪魔に心を乗っ取られないように嫌儲民の皆様はご注意ください
持病みたいなもんだから
無理に捻じ伏せようとしたり刺激したりせずに、気長に付き合え
そのうち、情念の炎は激しさを失っていく
弱い=正義 ということでしょ😤
下級が上級を打ち倒す山上精神に昇華させるべき😤
ジョギングに行ってきた
わからないところがあったら言ってください
幸せになるためにはどうしたらいいのか
それは隣人を幸せにすることです