やっていることは過去世を利用したレイプ
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週刊文春7月19日号 「幸福の科学 大川隆法 性の儀式 一番弟子が懺悔告発!」 まとめ1
・告発は種村修氏。
・種村氏は幸福の科学退職後、元秘書のYさんより相談を受けた。
・97年夏、Yさんは大川に「あなたの守護霊はヤショーダラー姫だ。」
「ヤショーダラー姫が女性として大川隆法を肉体的に癒して差し上げるようにと言っている。」
と言われた。
・これは「あなたの守護霊が総裁先生のセックスの相手をしろと言っている」の意味。
・そして「これは家内(きょう子氏)も承知している」と大川は言った。
・種村氏はYさんの相談内容を手紙に書き(A4 25枚) 今年4月4日に大川に私信として送付。
その後教団より除名処分となった。
・種村氏の大川への手紙に書かれた描写(Yさんの告白 「彼女」はYさん)
「全裸になられ仰向けになった総裁先生の足の間に全裸の彼女が正座して入り、
彼女は両手で総裁先生のペニスを大切な宝物を両手でおしいただくように包まれました。
しばらくしごかれると大きくなったペニスを口にほおばり、大切な尊いものをいとおしむように
口で愛撫されました。」
「彼女は正座からうつぶせに寝たような形で、口に総裁先生のペニスを愛撫しながら
両手のひらは総裁先生の腹部から乳頭へと優しく撫で進み、円を描くようにまた腹部に戻り、
さらに乳頭の愛撫に移る、そんな仕草をされたと言います。」 やっていることは過去世を利用したレイプ
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週刊文春7月19日号 「幸福の科学 大川隆法 性の儀式 一番弟子が懺悔告発!」 まとめ2
・種村氏によると、大川が関係を迫った女性は他に何人もいる。
・それだけでなく、数年前にも大川は女性秘書にセクハラをしている。
大川の地方出張に同行した際、 ホテルの部屋に呼ばれ裸の大川が風呂場から現れた。
その後彼女は歩けなくなるほどショックを受け、 現在も傷が癒えない。
幹部職員が家族に内密にするように連絡をしたこともわかっている。
・ある元信者は、種村氏の手紙に書かれていた一人の女性の家族から「事件」について直接聞いた。
「大川は個人リーディングをすると称して女性を部屋に連れ込んでいた。
その女性はとても信仰心の強い人だったが、その事件の後は自宅にあった本尊をたたみ
半年ほどショックで毎晩吐いていた。
ご家族も悩んでいたが、結局その女性は偽りの祈願は出来ないと言って教団と決別した。」
・別の元信者 「大川の女性問題の話は以前から教団内で噂になっていたが教祖が絶対的な立場の中で誰も公言出来なかった。」
・種村氏 「幸福の科学は現役信者たちから「お布施返還訴訟」を起こされている。
根本的な原因は大川の女性問題を知って、 彼らの信仰心が傷つけられたから。
三輪清浄では無いので、布施は成立せず、信者に返金すべき。」
・元支部長 「信者さんにお金を出してもらうために
○○建立記念植福月間 とかいろいろ名目を作った。
一人数百万円から数千万円単位で出してくださいと目標額を設定し、メールが回り、植福を煽った。」
・幸福の科学広報局 「Yさんに確認済みで事実では無い。他の女性も全て事実無限であることを確認。」 過去世悪用の強姦
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@過去世を使っての説得があった
大川隆法氏はYさんを釈迦の第一夫人のヤショーダラ妃と、彼女に言っていました。
したがってヤショダラ妃がYさんの守護霊だと言われていました。
そして、要するに
「ヤショーダラ妃が仏陀・大川隆法氏と性的な関係を結んで、仏陀・大川隆法氏を癒すように希望している」
という趣旨のことをYさんは聞かされたのです。
Yさんは、守護霊であるヤショーダラ妃がそう言っていると聞かされても、自分の思いとは、まるで違うことを言われるので当惑したようです。
当時は、大川隆法氏はいつもYさんの守護霊と話して、守護霊がこう言っていると伝えていたようですが、
Yさんにしてみれば
「守護霊の意見と私の気持ちは全く違う。
先生は私のいうことを少しも聞いてくださらないで、守護霊とばかり話しをしている」
と不満に思ったと、私に教えてくれました。
Aベッドを共にしたあと大川隆法氏がYさんに合掌した
彼女が一番混乱したのは、セックスを終えた後、大川隆法氏が彼女に対して合掌し、感謝の気持ちを表現されたことでした。
その時の気持ちは複雑で
「仏陀が私のような罪深いものに合掌して下さっている。
そんな資格は私には無いのに」
という罪悪感が湧いたと言われました。
その心の混乱は結構、激しかったように感じました。 過去世悪用の強姦
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BYさんの葛藤
Yさんが逃げ出したのは、自分がいると奥様に悪いことをしてしまうから、
自分がいなくなったほうがいいのだという気持ちが、まずあったようです。
それに彼女には当時、結婚を考えていた男性がいたので、その人への罪意識は当然ありました。
そして大川隆法氏が合掌したことへの上記の葛藤もあったようです。
さまざまな葛藤で胸が張りさけそうになって、M局長に相談したそうです。
そしたら「逃げなさい。後のことは私に任せなさい。」という言葉で、逃走したのです。
大川隆法氏からの連絡が来ないように、自宅の電話線も引き抜きました。
しかし、逃げ出した事により、仏陀の指示にそむいて逃げ出したという罪悪感も追加されたようでした。
CYさんの嗚咽
Yさんはどのような行為があったのかも、私に教えてくれましたが、
仏陀と信じている大川隆法氏を一生懸命に真心込めて癒そうとされた印象を強く受けました。
しかし突然嗚咽が始まりました。
今まで溜まっていた悲しみ、葛藤、そうした抑圧された感情が堰を切ったように涙となって溢れてきました。
慟哭というか、体を揺らしての激しい嗚咽の涙です。
呆然と見守るしかありませんでした。
その時の印象ではものすごく長時間泣かれていたような感じを持ちました。
私はYさんに、次のように言いました。
「守護霊のヤショーダラ妃がそう申し出たと言うことは、
天上界がよほどそれが必要と判断されるような事情があったに違いないから、
そういう関係になったこと自体で、自分を責める必要は無いと思います。
合掌されたということは、よほど大川隆法氏が癒されたのでしょうから、
その感謝の気持ちは素直に受け止められていいのではないでしょうか。
教団から逃げ出したことは、M局長に相談された上で指示でもあるし、
あなたには約束していた方がいたのだから、止むを得ないことで、
自分を責める必要は無いと思います」
この時には、私の中に大川隆法氏の行動をおかしいと思う気持ちは起きなかったのです。 過去世悪用の強姦
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守護霊のヤショーダラ妃がそう言ったという事を完全に私も信じたからです。
きっと何か天上界で、そういう必要を感じられて、そういう事になったのだろうと、
信仰心で受け止めてしまったからです。
「何か深いお考えや、計り知れないご事情があるに違いない」と考えたのです。
これは洗脳状態に特徴的な思考停止をまねくフレーズです。
私はただ、彼女の罪悪感が癒える事だけを願っていました。
この時にYさんは終わったあとに「このことは誰にも言う必要は無いからね」
と大川隆法氏から口止めされたと聞きましたので、私も黙っていました。
その後の彼女は、明るさを取り戻されたように感じましたので、私はお話を伺ってよかったと思っていました。
私が、大川隆法氏に疑問を持ち始めたのは、まだ最近のことなのです。
疑問を持ったきっかけの一つは、大川隆法氏がヤショーダラ妃を長女の過去世であると言い出した事です。
私は耳を疑いました。
もしそちらが真実なら、一体、大川隆法氏がYさんに言ったことは何だったのか、という疑問が起きました。
私はYさんの守護霊のヤショーダラが自分で申し出たと言うので、そういう特別な事情が何かあったのだろうと、
天上界の判断だと思って信じていたのです。
しかし、ヤショーダラ妃が長女であるとなると、大川隆法氏のしたことは詐欺です。
教祖が霊の声を偽ってセックスを職員の女性に強要したという犯罪になります。
過去世が間違うなら、大川隆法氏は自分が釈迦の生まれ変わりだと言っていたのですから、
自分の奥さんも分からないような仏陀がいるのかという疑問も起きました。
それとも、ヤショーダラ妃を名乗って悪魔が大川隆法氏をそそのかせたのではないかとも考えました。
私は大川隆法氏が意図的に騙しのテクニックを使う人物だとは考えることが出来なかったので、
当時、大川隆法氏は霊障だったのだという判断に傾きました。
しかし、霊障になる仏陀というのはありえませんので、私はその段階で思考停止になりました。
http://sakurakaory.blog.fc2.com/?cat=14 過去世悪用の強姦
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決定的だったのは、別の方の性的被害を聞いたときでした。
2009年に選挙の折に随行していた若い女性秘書に、ホテルで何らかの性的なアプローチがあり、
その結果、その女性は翌朝自宅へ逃げ帰ったという話を知ってしまったのです。
その方のお母さんのお話なので、私は信じないわけにはいきませんでした。
その家族は、御両親も姉も退会され、御本尊も祭壇もずたずたにしたと聞きました。
また、その方にお話を聞いてお辞めになった方が大勢いらっしゃるということも知りました。
そのお母さんが余り周りに話をしないようにと、長く秘書をしているM氏が口止めをしようとしたものの、
母親の剣幕に押されて退散したという話も知りました。
私は大川隆法氏が異常な行動を継続的に行っていることを知るに至りました。
それまでは、大川きょう子さんが週刊誌で発表された内容を信じていなくて、週刊文春に抗議の手紙を書いていたほどです。
教団側の洗脳に深く侵食されていましたので、そういう状態でした。
その私が変わったのは、やはり2009年の被害者の方の存在を知ったことでした。
その時初めて、私は大川隆法氏自体がおかしいという認識を明確に持ったのです。
私は、知ったものの責任として、大川隆法氏に対して反省を求める意見具申をする決意をしました。
今年(2012年)の2月頃です。
そのころ大川隆法氏の行状を知った会員さんが、納骨壇のキャンセルをしたいということで、
購入の際に支払ったお金を返してもらいたいという話が出て、支部や那須精舎に相談をされていました。
すると「お布施なので返せません」という決まり文句が返ってくるのみで、
中には支部長から「お布施の返還を求めるのは教団を敵に回すことよ」という恫喝をされた方もいました。
この方々は仕方なく消費者センターにも相談されましたが、弁護士を紹介されただけでした。
結局、裁判になったのですが、私は幸福の科学で布施が尊いのは三輪清浄ゆえに尊いと言ってきたので、
受者たる大川隆法氏がここまで穢れている以上は、そもそも布施として無効であると思いました。 過去世悪用の強姦
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そこで、私はそのことを陳述書として提出することで、この裁判を側面支援させていただく事にしました。
大川隆法氏への手紙は最初は弁護士から教団に送ってもらった(無視されないようにと考えての事です)のですが、
「事実無根」「慢心」だとして、私に広報局から否定する内容の文章が届きました。
大川隆法氏にも手紙が届いていないようでした。
それで私は、大川隆法氏が否定できない事実をなるべく詳細に書いて、
被害者の救済と納骨壇等のお金の返還を勧告する手紙を4月4日に、大悟館へ配達証明で送りました。
その手紙が着いたのは4月5日ですが、奇しくもこの日に布施の返還訴訟が提訴されていました。
これは不思議な偶然の一致(共時性)だと感じました。
なお、手紙が届いた4月5日付けで、私は幸福の科学から除名になりました。
その後、週刊文春がこの手紙の存在を知る事になり、世に出る事になりました。
私は被害者の拡大を防ぐために、週刊誌に出ることはむしろ必要なことだと思いましたので、取材に協力する事にしました。
しかし、この記事が出る前に、私は、Yさんともう一度連絡を取って、彼女の了解を頂きたいと思いました。
そして、新大久保のマンショアンも探し当てたのですが、引っ越されていました。
引越し先も探したのですが、分かりません。
私はYさんにお伝えしたいことがあります。
私はYさんの出来事は、大川隆法氏の犯罪的な行為を明るみに出し、
これ以上被害を広げないために、本当に大きな犠牲であったと思います。
Yさんの存在に感謝されている方は、非常に沢山おられます。
私はYさんの傷ついた心を癒すためのお手伝いをさせていただきたいと思います。
Yさんから連絡を頂くことを、私は心からお待ちしております。
http://sakurakaory.blog.fc2.com/?cat=14 実はそれほど、世の中に必要とされていない書籍類であったのだ。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/08/blog-post_8886.html
自分の考えは間違いないと思っている私は、自分の考えを表現できる会社を立ち上げることにした。
幸福の科学時代に気の合った何人かと始めるのであるが、そこが新たな落とし穴になるのである。
結論から言えば、この事業は当初全くうまくいかなかった。
死ぬほど一生懸命やったし、優れた製品を扱っているという自負もあった。
それなのに、とにかく結果が出ない。
即ち収入に結びつかないのだ。
高邁な思想と立派な態度で携わっていたという自負が、実は一番の敵であったことにこの時には全く気づかずにいた。
相変わらず、この時代はいつもいつも心に雲がかかってたように、どんよりとした心で「本当にこれで自分の使命は果たせるのだろうか?」という気持ちと、うまくいかなければいかないほど幸福の科学の職員に対して怒りのような気持ちも湧いてくるのである。
幸福の科学に残った職員が、左遷されたり、辞めたりすると「それみろ」とか「今に見返してやる」というような気持ちも湧いてきて、そのためにも自分は成功しなければならないという気持ちにもなった。
この時代が一番幸福の科学という組織を憎んだ時代でもあったし、私に人生の中で、一番惨めで人を憎み組織を恨んだ暗黒の時代でもあった。
ところが、その当時、不思議にまだ教祖に対しては、未だ信じる気持ちも残っているのである。
何故か、「教祖は間違っていなのに、バカな職員ばかりだからこんなことになるんだ」と思えてしまうのである。 実はそれほど、世の中に必要とされていない書籍類であったのだ。
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だから、本尊も書籍も処分することが出来ず、今から思うと、本音では幸福の科学に対して未練たらたらの状態だったのかも知れないのである。
心は暗黒、口と顔はニコニコ、本音は大成功して見返したい。言うことは謙虚・・・・。
その時は自覚が無かったのであるが、今思えば、心と体が正反対のことをやっていた、うらはらな自分に苦しんでいたのではないかと思う。
こんな状態だったので、勿論、仕事は全くうまくいかず、どんどんジリ貧状態になっていった。
次にやることがあるわけでもなく、他にやることがあるわけでもない状態の中で、辞めることも出来ず、進むべきに必要な資金もアイデアも無く、
ただただジリ貧の状態で日々を過ごしている中で、ただ、唯一の気晴らしが同志でもある幸福の科学を辞めた仲間との会話であった。
傷口を舐めあうような関係であったのに、それにも気づかず、相変わらずの上から目線で「ここが間違ってる」だの「あの人がわかっていない」だの「法の解釈はああだこうだ云々・・・」などと、今思えば、本当にバカなことを繰り返していたのである。
その仲間も「教祖が悪いのではなく、職員が悪い」という共通認識の上で話をしていた記憶がある。
その結果、いよいよ事業は行き詰まり、財布の中には100円も無いような日が訪れ、息子が住んでいたワンルームに転がり込み、それさえ、いつまで続くのか・・・というような状態に陥っていき、いよいよホームレスか・・・とまで、行き詰っていった。
この時の自分に対する絶望感で、本気で「死にたい」と思った。 実はそれほど、世の中に必要とされていない書籍類であったのだ。
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生きている意味が見出せなく、高邁な思想どころか、明日食べていくお金にも困り果て、頼るべき人も無く、プライドもずたずたのただの惨めな負け犬の自分は、
「せめて、どこかの車がぶっつけてくれないかな。
そうすれば、あっという間に死ねるし、お金も入ってくるから子供たちや周りの人に迷惑かけなくて済むし・・・・」
と、最後のプライドを守ろうとして、祈るような気持ちで過ごしていた。
実は、ここから私の人生は大きく変わり始め、大逆転が始まるのである。
いよいよここまで行き着いてしまったのが、本当の意味で教祖の呪縛から逃れられた結果になったし、教えの呪縛からも解き放たれた瞬間になったのである。
自分の命が本当の意味で脅かされた時、ぎりぎりまで自分が追い込まれたとき、本当に大切なものがわかったのである。
それは、あきらかに「大川隆法」でもなく「幸福の科学の教え」でもなかった。
教団にいた時は、迷わず自分の命に代えても「大川隆法」を守り、教団の為に死ねるとさえ思い込んでいた、そんな気持ちが、いざ、本当に生きるか死ぬか・・・というぎりぎりの場面になった時に、「大川隆法」も「幸福の科学」も吹っ飛んでしまったのである。
ただただ、両親に対してと子供たちや、自分の人生の中で愛する人々に対しての感謝と愛があふれ出て、本当に申し訳なく、心からの謝罪の気持ちが出てきたのである。
その、自分の中から出てきた気持ちが大きな気転となり、私の仕事は上向きになり、私はあっさりご本尊も書籍も、ありとあらゆる幸福の科学関連のものをゴミ箱に捨てることにしたのである。
ちなみに、書籍は古本屋に売ったのであるが、勿論1円にもならなかった。
実はそれほど、世の中に必要とされていない書籍類であったのだ。
「これは捨てることになりますがいいですか?」という店員の言葉に「宜しくお願いします」と答えた私であった。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 「地球系霊団最高大霊を信じる自分」という優越感は、
「最高の玉座に座る快感」なのです、
宗教に名誉を求める輩にとっては。
この名誉心を捨て去り、
「常に誰よりも優位に立つこと=幸福」という、
「幸福の科学独特の幸福感」を捨て去らぬ限り、
幸福の科学的洗脳、大川隆法の呪い、を断ち切り、
「普通の人間の心」になれません。
昨今では、「根本仏の化身」というフレーズを
支部長に祈らせ、洗脳を強化していますが、
この大法螺を信じ込めば、信じ込むほど、
名誉に狂い、裁きに狂い、無反省な増上慢を
量産してゆくのです。
公選法違反という犯罪を犯しながら、
反省も謝罪もせず、開き直り、
「あれくらい、いいじゃないか」と
党声明まで出す始末。
盗人、猛々しい、とは、まさにこのことです。
嘘の過去世を利用し、多くの女性関係者に
性的恥辱を与え(強姦)
紙っぺらのご本尊に100万の値を付け
会員たちから金を騙し盗り(詐欺)、
ブリキの仏像は300万、真鍮にメッキの正心宝は10万。
エゴとエロと金に塗れた
最低最悪の邪教団なのです。
「全人類救済」 「ユートピア建設」
全部、嘘です。
「全人類堕落」 「ユートピア破壊」
こそが、「邪教・幸福の科学」の
行き着く先です。
成功しない要因は「教え」そのものと、教えにより自ら身につける「考え方の癖」にある
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/08/blog-post_4478.html
前回の話の中で、ホームレス寸前までいった私が、洗脳から解き放たれ、生活が安定してきたところまでの様子をお伝えしました。
今なら、何が成功しない要因かよくわかります。
成功しない要因は「教え」そのものと、教えにより自ら身につける「考え方の癖」にあるということが、洗脳が取れ、心の癖がとれるといとも簡単に見えてきます。
今から思うと、何故あんな幼稚な考え方に洗脳され、その手法にはまってしまったのか不思議に思えるのであるが、当時は、霊界情報などの見えない世界の話をされると、「凄い」と勘違いをしてしまったのであったのではないかと思っている。
そこには、現在のスピリッチャルブームにもつながる部分もあり、ここにも警鐘を鳴らしたいという気持ちも私の中にはある。
私に関して言えば、幸福の科学入会前に自身が体験した神秘体験がそうした錯覚を強め、間違った感覚をもってしまった結果になっていたように思う。
幸福の科学を辞めても、なかなか成功しない人の特徴は、性格が真面目で、一生懸命な方で、素直な方で、例えば「教え」を強烈に勉強した元職員だったような方に多く見られます。
そうした方は辞めてからの苦しみも強く、幸福の科学から離れて経済的に困る状態であるという傾向にあります。
それは、強い洗脳を受けて、強烈に付けてしまった癖が、新しい人生を阻害することになってしまっていることに気付かないでいるだけなのです。
もし、今、そんな苦しみの中にいらっしゃる方が、私の体験を読んでいただいているのなら、もう一度声を大きくしてお伝えしたい。
「あなたは何も悪くはないですよ。
努力不足でもないですよ。
ただ、学んだ教えがまずかっただけですよ」
「その洗脳からいち早く抜け出せば、必ず貴方らしい充実した人生を過ごすことが出来ますよ」
「貴方は大丈夫です!
経験した私にはそれがわかります」
と心から声援を送りたいと思います。
そんな皆さまへ、今日は私が感じた仕事がうまくいかない教えとその弊害について、お話させていただきます。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 成功しない要因は「教え」そのものと、教えにより自ら身につける「考え方の癖」にある
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うまくいかない「教え」と「癖」
@「反省」と称する裁き心の癖
幸福の科学にいたころは、なんか言うと「反省」という言葉を使っていた。
反省することで心が正せると思っていた。
しかし、これが成功しない一番の要因かもしれない。
反省という名の下に自己否定し、いかに自分が駄目であるかを確認する仕組みになっている。
その結果、裁き癖がつき、その裁き癖の矢印が内に向かえば自分を裁き、外に向かえば人を裁くことになる。
その結果、本当の意味で自己信頼が出来ず人を信頼することも出来なくなった私は、当然、仕事もうまくいかないのである。
A「正しい心の探求」と称する手法の罠
幸福の科学のなかには「正しさ」を追求するあまり、「悪」を排除しようとする心が芽生えてくる。
その教えが心の狭さと人間性の小ささにつながってくる。
この教えとこの教えによって付けてしまう心の癖により、人が人を裁くというような愚かなことを知らない間にしてしまっている。
正しさを追及し間違いを排除しようとしてしまうことで、人間関係の中で本当の信頼を築くことが出来ず、孤独感を味わうことになる。
いわゆる、愛と反対の方向へ知らない間に向かっていることとなる。
B霊界と言えば許されるという自己中心的な手法
人間は五感をもちこの世で生きるうえで、多くの得がたい体験をするわけですが、幸福の科学の中の常識は、あの世の中にもこの世の中にも序列があり、人間を上下関係で判断していこうとする癖が出来る。
自分は何次元であの人は何次元かなどと、長くそんな霊界感を常識のように疑いなく持ってしまった結果、人間関係を上下感でしか見られなくなり、上から目線になるか、卑屈さで苦しむかという心の癖が仕事上での大きな弊害となっている。 成功しない要因は「教え」そのものと、教えにより自ら身につける「考え方の癖」にある
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C問題解決という問題拡大の癖
私自身知らない間についていて、なかなか取れなかったやっかいな癖に「問題解決能力が認識力である」的な考えである。
何が問題なのか問題の原因を突き止め、どのような対策を打ちどう解決に導くか。
というようなことが出来ることが能力だと思い込んでいた感がある。
これにはまると、問題の周りをぐるぐる回る羽目になり、問題は一見解決したように思えることもあるが、実際には問題の答えは問題であり、その「問題という枠」から抜け出せなくなってくる。
本当の意味の問題解決なるものが在るとしたら、それは、現在の自分の物の見方感じ方を変化させるしかなく、問題に目を向けるのではなく、そう感じる自分に目を向けたほうが早いのである。
D自己変革という自分を否定する癖と自己責任という他人を否定する癖
ゆりがバラになるかのごとく変化することを自己変革と勘違いし、自分を責めて苦しい思いでいた。
自分が親からもらった個性を認めることなく、個性を変えようと出来ないことをして自分を責める心が自分を苦しめていた。
他人には自己責任だということで、人を突き放し、人を裁く言い訳にしていた。
いずれにしろ、調和とはかけ離れた心の癖を付けていた。 成功しない要因は「教え」そのものと、教えにより自ら身につける「考え方の癖」にある
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今から思えば、何故こんな癖をつけてしまったのか。
これについては何度も自分自身、精査をしてみた事もある。
勿論、自分自身が愚かであった事は否定しないが、そればかりでもないような気がしている。
それは、その後の幸福の科学の動向を見ていると、教祖自身にもはっきりとその傾向が出ているからである。
一般的に離婚も人が離れることもよく在ることです。
そのことをとやかく言うつもりはありませんが、その後の態度がちょっとひどすぎるように思えます。
離婚も弟子の問題も全部悪いのは相手で、一方的に悪口言い放題。
自分は間違っていない・・・。
子供の喧嘩ではないのですから、それはちょっといただけないと思います。 新年早々、「成人式献本」と称して、在庫処分で本をばら撒く信者たち。
興味のない本を押し付けられる迷惑を考えないのでしょうか?
「尊い法縁を付ける行為で、素晴らしいことだ」
いつも、そういう言い訳で、己の腹黒さを合理化する悪質さ。
仏陀が偽物であることが、ほぼ確実となった今、
その十八番の名文句は、賞味期限切れです。
そもそも「成人式献本」とは、愛の心から行われておりません。
「在庫を処分したい」という身勝手、エゴからの行為です。
「本が足りない」と会員を騙して大量に購入させ、
配る先もなく、成人式にゴミのようにばら撒くカルチャー。
結局、幸福の科学の欲するものは常に、
数字、金。これだけなのです。
新品の本が袋ごと、コンビニのゴミ箱に捨てられている光景は
正直、悲し過ぎます。
また、古本屋でさえ、新品を10円ほどでしか買ってくれません。
幸福の科学の本はそれほど、無価値なものなのです。
お金や女性への執着の固まりになっているので、蛇の姿になってしまうのでしょう。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/08/blog-post_7807.html
確かに釈迦が「私は王子だった。だから高貴な身分なのだ」といったら誰も釈迦には従わなかったでしょう。
権威と謙虚さを併せ持つ人格が、真に素晴らしい人格だという指摘も、頷けました。
芥川龍之介氏の目に映る大川隆法氏の姿は、とても納得がいきます。
お金や女性への執着の固まりになっているので、蛇の姿になってしまうのでしょう。
嫉妬深い人も「蛇のようだ」と言いますが、赤い目は怒りでしょうから、嫉妬と怒りがそうした姿になっているのでしょう。
尻尾を振っているというのは、敵への威嚇だと思います。
3億円の名誉毀損訴訟とか、霊言本とか、威嚇恫喝です。
「地獄へ堕ちるぞ」という脅しも、それに当たると思います。
大川氏の霊言と称する毒を持った書籍を読むと、熱心な信者の方は、毒蛇に噛み付かれて毒が回る状態、つまり洗脳状態になってしまうのでしょう。
霊言という毒で攻撃して、熱心な信者には怒りや恐怖の心を抱かせ思考を麻痺させて、
教団という毒蛇の体を使って、信者を「救世活動」と称して締め付けて支配するのでしょう。
さらに問題と思われることは、自分の気に入らないものは、全部地獄行きにしてしまう大川隆法氏のやり方です。
その為なら、霊人の思想とは異なる、大川隆法氏ご自身の考えを、「霊言」として世に出しています。
これは霊人となられた故人の権威を利用して、さらに、その故人の思想をも汚すことでもあります。
このような暴挙には、名前を使われた霊人も許すことは出来ないでしょう。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 問題の書籍は「家庭の法に関して」というタイトルで、
イエス様とヘルメスの霊示だったと思います。
愛人に関しては、第1章の方でふれていました。
細かい文章は覚えていませんが、要約すると
「責任が重い立場にいる人(社長など)はストレスがたまるので、
愛人をもってもかまわない」
といった内容だったと思います。
家内は一夫多妻を容認する内容だったような気がすると言ってます。
でも、愛人容認の記述があったのは確かです。
会員さんにその箇所の感想を聞いたら、
松下幸之助さんにも愛人がいたからいいんじゃないか、
という返事が返ってきました。
恐るべしマインドコントロールです。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/09/blog-post_6697.html 大川隆法氏の人格、エル・カンターレファイト、降魔型エル・カンターレ像についての疑問
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/09/blog-post_4004.html
幸福の科学を退会された方から、メールをいただきました。
この方のメールの内容は大川隆法氏の精舎等での発言や研修内容、そして教団の動きを冷静に見極めて、その上で御自分が退会された理由を理路整然と説かれています。
大川隆法氏の人格問題、エル・カンターレファイトの効力、降魔型エル・カンターレ像という信仰にとっての中核的問題が論じられています。
いずれも宗教としての幸福の科学にとって、死活的に重要な問題を、ここでは要点だけを簡潔に論じておられると感じましたので、御紹介いたします。
(投稿)
私は長年幸福の科学の信者でしたが、昨今の大川隆法氏の変節ぶりに、ほとほと嫌気がさして退会しました。
退会してからは心身ともに軽く、幸福な心に満たされた毎日を送っております。
種村氏が大川隆法氏を訴えられたことは、大川氏に対する神仏の慈悲であると思います。
これ以上の悪行をさせないようにとの神仏のはからいであると思います。
私が退会した理由は、ひとつではありませんが、代表的なものを幾つか上げて見たいと思います。
1.大川隆法氏について
彼は「人を愛し、人を生かし、人を許せ」ということを基本にしていたと思います。
しかし、これは彼には「人を憎み、人を殺し、人を裁く」傾向があるからではないでしょうか。
昨今の彼の言動を見るにつけ、まさに彼のカルマを修正するために、この最初のテーマが与えられたと現在では確信できます。
妻の悪口、元弟子の悪口、元信者の悪口、そして、訴訟を頻繁に起こすことなど、彼はそれを平気で行えるのです。
訴訟ではなく、自分の言葉で教化すればよいことばかりであると思います。
手に負えないと訴訟を起こすのでしょう。
こんなことをする者が、偉大な救世主であるとは到底思えません。 大川隆法氏の人格、エル・カンターレファイト、降魔型エル・カンターレ像についての疑問
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2.地獄界解消について
幸福の科学の使命の一つに地獄界解消というテーマがありました。
しかし、「悪魔撃退の秘術を探る」という話(精舎でのDVD)では、幹部の誰ひとり悪魔を説得できませんでした。
さらに、その中では「エル・カンターレファイトが効かない」と女性職員が平気で語られていました。
これは驚くべきことです。
悪魔を撃退出来ないことだけでなく、経文においても効果がないことを教えてくれたのです。
この効かない経文を信者は毎日祈っているのです。
「主と一体です」というと悪魔は転法輪氏より出たというのです。
ここも言葉をしっかり見つめてみると、ここでいう「主」は、「主エル・カンターレ」ではないのでしょう。
主です。
単なる主、つまり、根本なる主ですね。
なぜ、主エル・カンターレのことではないと言えるのか?
それは「悪魔撃退の秘術を探る」の中で、何ども職員たちが「私たちは主エル・カンターレと一体です」と喚いているのです。
しかし、悪魔は立ち去りませんでした。
ですから悪魔にとっては主エル・カンターレと言われて痛くも痒くもないことが、この「悪魔撃退の秘術を探る」で暴露されてしまったのです。 大川隆法氏の人格、エル・カンターレファイト、降魔型エル・カンターレ像についての疑問
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3.降魔型エル・カンターレ像
さらに驚くのが「降魔型エル・カンターレ像」です。
最初は総合本部の玄関に置かれたと思います。
そして、中国や北朝鮮から侵略に備えて必要だと言い出しました。
日本を守る陰陽師のパワーでは建物つまり精舎で結界を作るという話であったことが、いつの間にか、降魔型エル・カンターレ像に変わってしまったのです。
そして、これもおかしなものなのです。
安倍晴明の講義で「結界論」でしたか、あそこで、最後に職員を対象に憑依されている状況が明らかになりました。
そして、低レベルの動物霊に憑依されている職員が出てきました。
彼らは、総合本部に出入りしている職員たちです。
ここで、誰も疑問に思わないで話が進んでいました。
私は呆れてしまいました。
総合本部の玄関には降魔型エル・カンターレ像が鎮座しているのです。
その前を、職員たちは出入りしているのです。
つまり、総合本部にある降魔型エル・カンターレ像があっても、狐や蛇などの動物霊からの憑依からも守られることはないということなのです。
そんな偶像が日本中に増えたとしても何の役に立つのでしょうか?
このような偶像を有り難がっている職員や信者が信じる信仰に神聖な価値があるのでしょうか。
また、昨年宇都宮正心館で開催された「破邪顕正」では、信者から「降魔型エル・カンターレ像」の霊的意味について大川に質問をした信者がいました。
しかし、大川はこの信者の質問の趣旨とはまったく違う回答をしていました。
「降魔型エル・カンターレ像」の霊的意味については語らなかったのです。
今、言える「降魔型エル・カンターレ像」の存在意味は「金集めの道具」ということでしょう。
幸福の科学が開催した法話を見聞きし、彼らの異常性に気がついた私は、きっぱりと幸福の科学との縁を切ることになりました。
まだ目覚めていない信者たちが、大川隆法氏がいかにインチキな存在であると1日も早くに気がついて欲しいです。 エル・カンターレ像に祈る人に、地獄の霊や悪魔が取り憑いてきます。それが今起きているのです。
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S.私はあなたがそれを推進されているのを見ていて、非常に困った事になったと思いました。
そのために、あなたの知り合いにインスピレーションを降ろして、その推進をストップするように仕向けたのですが、あなたは我を張って、聞く耳を持ちませんでした。
大分経ってから、あなたが別の方に私の意見を聞いてくれたので、やっと私はあなたに
「降魔型エル・カンターレ像には反対である。
それには邪な念が付着しており、推進してはならない。」
ということを伝えることが出来ました。
それでようやく、あなたは過ちを悟ったのです。
あなたは本当に頑固でした。
確かにあなたが言うように、中国の民衆の心に蓄えられた反日感情という偏見は、ものすごいエネルギーを持つでしょう。
しかし、それを防ぐのに、本当に降魔型エル・カンターレ像が有効であるという証明が出来るのですか。
T.その後、私はこういう話を聞きました。
心が綺麗で、霊的なことを感じ取る力のある子供が何人も、降魔型エル・カンターレ像の前に行くと、とても怖がったり、変なものを感じて嫌がるというのです。
私は思いました。
お金集めのために、嘘をついて信者さんを騙して入れた降魔型エル・カンターレ像なので、動機の不純さからそうした悪想念をこの像が引き寄せるのだろうと。
だから、本当に悔やんでいます。
精舎や支部で大川氏が職員の霊的指導をしているDVDを見て知ったことですが、総合本部の職員が結構、動物霊や宗教霊などの悪霊に取り憑かれているのです。
毎日、大きな降魔型エル・カンターレ像の前を通っていても、そうした悪霊には全く通じないのです。
ということは、中国の悪想念がきても、この像にはそれを跳ね返す結界を作る力がないということの証明になります。
信者の皆さんは、本気で日本を守りたいという熱意で植福をされたと思います。 エル・カンターレ像に祈る人に、地獄の霊や悪魔が取り憑いてきます。それが今起きているのです。
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私も、純粋な気持ちで推進しましたし、自らも10万円の植福をさせていただきました。
しかし、この像に霊的効果がないことは総合本部の職員が証明しているし、大川氏もこの象の霊的意義を一言も説明できませんでした。
それを勝手に思い込んで推進したということは、本当に私が馬鹿であったと思います。
S.あなたも支部に入った降魔型エル・カンターレ像を見て違和感を感じたはずです。
霊的な崇高さも、降魔の霊的な力も何も感じなかったので、あれっ、と思いましたね。
それで仕方なく、当たり障りのない挨拶をあなたはしました。
この降魔型エル・カンターレ像の推進は、教団の霊的磁場の悪化に拍車を掛けました。
組織を挙げての、詐欺が行われたからです。
そこに邪なものの波動が入らないわけはありません。
だからそれを敏感に感じる心の綺麗な幼い子供が、複数でてくるのです。
エル・カンターレ像は教祖とつながっていきます。
霊的には大川隆法氏につながるのです。
そして幸福の科学を指導している霊的存在へつながっていきます。
問題の鍵は大川隆法氏の心境なのです。 エル・カンターレ像に祈る人に、地獄の霊や悪魔が取り憑いてきます。それが今起きているのです。
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奥さんを罵倒し、何人もの女性問題を継続的に引き起こし、弟子を罵倒し、悪口を霊言と称して語り、金集めに奔走し、自分は贅沢三昧をする者の心が何処に通じているかは、はっきりしています。
悟りをいつわる者の「心」が無間地獄に通じることは、あなたも知っているでしょう。
ゆえに、エル・カンターレ像に祈る人に、地獄の霊や悪魔が取り憑いてきます。
それが今起きているのです。
T. 私は本当に罪深い事をしたと思います。
生まれ故郷の滋賀県で支部長をしたときも、子々孫々にこの信仰を受け継いでもらいたいと思い、大乗の御本尊の推進を最も熱を入れて行い、大量に普及させたのが私です。
当時は、すでに別の御本尊が各家庭に入っていましたので、大乗の御本尊の推進力は難しく思われていました。
しかし私は、各家庭に信仰を根付かせるには御本尊が一番良いと思い、徹底的に御本尊を頂くことの功徳を説いたのです。
その結果、目標をはるかに上回る成果が出て、その結果、私の方法は全国の支部長たちに取り入れられて、全国的に御本尊の普及がなされました。
その結果、相当数の信者さんのご家庭に御本尊が入ってしまったのです。
今、こうしたご家庭は、大川氏の悪想念と悪しき霊的世界への通路となっていると思うと、本当に申し訳ない事をしたと悔やんでおります。
どうしたらいいのですか。 エル・カンターレ像に祈る人に、地獄の霊や悪魔が取り憑いてきます。それが今起きているのです。
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S. だからこそ、神があなたに過ちを修正する機会として、週刊誌や裁判やブログを通しての洗脳解除の仕事をさせて下さっているのです。
こうした機会を与えて下さったのです。
その事に感謝して下さい。
真の釈尊、真の神に感謝してください。
あなた自身が、相当深い洗脳状態でした。
ですから、その得意の説法を通じて、多くの過ちを広げてしまったのです。
しかし、その過ちに気がつき、学んだものが深かった分、その過ちに対して理路整然と反論を加えることが出来るようになっているのです。
ですから、既に犯した罪は罪として反省したならば、自らの過ちを多くの人に知らせるために、そして苦しんでいる人に導きとなる言葉を与えるために、あなたは全力を尽くして欲しいと思います。
そして、あなたの勇気ある行動で、恐怖心で縛られている人々に励ましを与えて差し上げてください。
それがあなたの償いです。
その償いの中に真実の心が宿るならば、洗脳で閉じ込められた人々の心を解き放つ力となるはずです。 親愛なる職員、会員の皆様へ
**************************
まず、植福の会を全口、解約しましょう。
電話一本で出来ます。
直ぐに終わりです。
御本尊を全て、「不燃ゴミ」で出しましょう。
最も危険な「モノ」です。
正心宝なども、一緒に捨てましょう。
霊言全集、書籍、CD、ビデオなども
全て処分しましょう。
私の場合、量がかなりのものでしたので、
資源回収では、一年くらいかかりそうなので
「町の便利屋さん」にお願いして
全部で1万円でした。
親愛なる職員、会員の皆様、
このまま放置すれば、地域を魔界磁場化させ
家族、地域の方々を
次々と霊障にしてゆきます。
気付いた人から即、実行して下さい。
最早、完全な邪教団です。
心ある職員さんたちもまた、
厳しいことですが、自主退職された方がいいのでは、
と思われます。
教祖が詐欺師で、強姦魔。
もう、終わりです。
【恩赦で転生したルシフェル】 幸福の科学、大川隆法の正体
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7144817.html
どうやら、ルシフェルが恩赦で転生した、と見るべきでしょう。
結局、オリジナリティーがなく、霊言に頼る他ない、
いつもの「物真似大魔王」だった、ということ。
ひな型は「GLA」そのまま。
「仏陀再誕」などは、「物真似、最高傑作」だと思うが、「ルシフェル臭」がプンプンww
レプタリアン矯正プログラムの似非仏教であるところの
諸行無常、一切皆空とかを仏説とか、
直説金口とか言ってる所が、仙人の千里眼の限界ww
地球絡みの全パラレルワールドを把握出来ないようなので
仏陀でも、地球系霊団最高大霊でも、
根本仏の化身でも、何でもないww
ただの「7次元仙人」ww
ハッキリ言っちゃえば
「高橋信次より2ランク下の仙人」っちゅうこったなww
だから、HSの「守護神」は、実質上、
男仙人ナンバー3のルシフェル、
女仙人ナンバー3のアマーリエ、
によって運営されてる、っちゅうことww
霊言も、幸福の科学出版のものは全て、
「男霊=ルシフェル」「女霊=アマーリエ」
だと思う。
霊言全集で、潮文社を切り捨てた理由も、
僅かに残る「光」が邪魔だった、ってことだねw
「救世の三部作」なんて全部、
「ルシフェル仏陀」の為せる業ww
「天照大神」系の霊言は、
「アマーリエ、最高傑作」だろうねww
ハイ、仙人の呪力、ここまでww 大川氏を教育するために、それによって地獄を解消するために仕組まれた計画
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/09/blog-post_5502.html
法の修正の裏にある秘められた意図
洗脳解除のために、私達がしていきたい作業の一つに、初期に説かれた法と、その後に変更された法の矛盾点を明らかにすると言う方法論があります。
何故その変更がなされたのかを注意深く見ていくと、どのような意図が働いているかを見抜くことが出来ます。
その法が真理だから示されたのではなく、ある意図があって示されたことが明らかになると、その分、洗脳が解除されていきます。
これも一種の別解脱といえると思います。
ただしこの作業は、なかなか時間がかかる作業です。
そこで、私は読者の皆様にお願いしたいのです。
皆様が気がつかれたもので結構ですので、投稿して頂けませんでしょうか。
一つ一つはささやかでも、集まれば大変な洗脳解除の力に変わっていきます。
そのサンプルとして、投稿者Uさんが送ってくださったものを、二つの投稿を掲載させて頂きます。 大川氏を教育するために、それによって地獄を解消するために仕組まれた計画
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1.聖アントニウスは自身の権威付け
89年当時、10次元の大日意識の一部が人格化したものを聖アントニウスという説明があった
これは地球における神であって、この存在は9次元上段界霊の本体としか意思を交換しないという
9次元の本体でしかわからないから、これまで知られることはなかったという
それがなぜか現在では聖アントニウスは、架空の存在とされている
これは当時ORが自身の権威付けのために、聖アントニウスと意思を交換できる自分を、9次元上段界霊の本体であるというために使ったのだろう
このようにORは89年当時から、自分の都合がいいようにうそを言っていたのだ
2.イエスキリスト霊示集(土屋書店刊)のあとがきで
「本年のクリスマスを前に、本原稿を完成させることができたのは、幸福の科学出版編集部の阿部浩之氏、種村修氏の奮闘の賜物であります。
この歴史的な書物刊行に際して、両氏のご協力に謝意を表したいと思います。」
とある
この両名とも現在ではHSを除名処分になっているのは感慨深い
この中の第二章「神の愛」1987年11月6日霊示において 地球における神とは、10次元の大日意識をさして間違いないとある
これと現在のエルカンターレ信仰とは隔たりがある
1987年の時点では、神は大日意識であったのだ
エルカンターレを前面に出したところから、天上界の指導が得られなくなり法が曲がっていったのであろう
そうゆう面では「イエスキリスト霊示集」はHSの分岐点になった貴重な一冊といえる 大川氏を教育するために、それによって地獄を解消するために仕組まれた計画
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四国のKK元信者さん
「何故その変更がなされたのか」
私の心に強く印象に残っている「変更」
@神理の言葉「正心法語」の変更、 何故その変更がなされたのか。
「天上界の言葉」を地上に正しく伝達するという役割を 放棄して、自分の「自我の言葉」を伝達する組織にしたい という欲が出てきた。
(種村のコメント) 賛成です。
大川氏は天上界の言葉を受けつつ、自らも学んでいくという姿勢を堅持されるべきだったと思います。
大川氏がその教えを実践し、かつ人に実践指導する過程で出てきた問題を一つ一つ乗り越えるというプロセスを大切にしてきたなら、これほど教えと行動の乖離が激しい事にならなかったと思います。
大川氏を教育するために、それによって地獄を解消するために仕組まれた計画だったと考えると、やはり正心法語の変更に時点で、大きく軌道がずれたのではないかと思われます。
自分も実践できない教えを如何に説こうと、それはまったく虚しい言葉でしかありません。
彼がやはり神仏のラッパという立場を取っていたなら、その謙虚さが彼を守った可能性があると思うのですが、つくづく増上慢は怖いと思います。 加速し続ける狂気の自己顕示欲
名誉欲、増上慢・・・
生ける「貪り」ww
高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/10/blog-post_5280.html
(解説)
千乃風さんは、あれほどの幸福の科学にまつわる幻覚幻聴に苦しみながら、そのために仕事が出来なくなって生活保護を受けざるを得なくなるほどの霊的被害にあいながら、理性で御自分をコントロールできる方のようです。
私が彼女のメールを読み、さらにお話して感じるのは、非常に鋭い洞察力をもたれていることです。
直観力が高く、言われることが非常に的確なことが多いのです。
彼女の幸福の科学に対して感じている違和感と、私が色々検証した結果は、結構一致していました。
これにも私は驚きました。
私は2年前まではどっぷり洗脳状態でしたから、基本的に大川氏が言うことは疑わないできました。
ところが千乃風さんは、ご自分の感覚でしっかり判断されています。
私はとても感銘を受けました。
こういう意見もあるという事で、皆様の御参考になるのではないかと思います。
特に、大川氏の政治論・憲法論に対する千乃風さんの批判は、本当に鋭いと思います。
一番最後に出てきますので、是非注目してご覧下さい。(種村)
(千乃風さんの投稿)
1.著作の内容と人格にギャップを感じた
私は「方便の時代の学習団体」の時に入会しておりますので、大川氏をエルカンターレだと信じなくても入会できたのです。
私は会員時代、一度も大川氏を好きだと思ったことはありません。
ま、きらいではありませんでした。
で、「一応神からの啓示は受け取ったんだろうなー」とは思うものの、「この人の何かがうさんくさい」と言うことで、ずっと「観察体制にあった雲の上のお方」だったのであります。
きょう子さんにつきましては、当初「きれいな人だな」と思い、応援をしておりましたが、1995年時点で、いやになっております。
ある発言が元で、それ以来、私はきょう子さんに無関心となってしまうのでありました。
では、釈迦の生まれ変わりと信じ込んだかといいますと、私には皆目分かりませんでした。
それが正直なところです。 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
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「一応そうしておこう」というものでした。
どう考えても、『太陽の法』と『黄金の法』だけは、普通の人に書けない類のものだったからです。
以来、私は『黄金の法』に出てくる偉人の書いたものやら、周辺文献やらを読み漁り、ふうむなんて、うなっていた日々を持っております。
大川氏の「書いた本」と「目の前の人物」の「ギャップ」に、私は?(疑問)だったのです。
書いた本のほうは、まあまあなのですが、目の前の本人から「滲み出しているもの」は、 何というか、不思議な感覚だったのです。
確かに沢山の読書をされ、勉強もされた方だとは思っており、学歴も東大であり、私よりずっと頭がいいことは事実で、私はこの点について批判の余地はございません。
ですが、「ラブレターを小包で書いた」(『太陽の法』初版本)というくだりを読んで、普通はラブレター、2、3通出して断られるかデートに2、3回誘って断られたらおしまいなのにな、と思い、ここに彼の相当の「ナルシストぶり」を見るのですね。
大川氏の悩みというのは、「実はたいしたことのない悩み」なのです。
私から言わせると。
一生懸命勉強して、東大生の優秀な中に混じって、劣等感を感じた程度の悩みであり、会社はトーメンで、待遇も良かったものと思われますので、たいした悩みでもないのです。
世の中には、「もっと悲惨な悩み」を抱えておられるかたが沢山おられます。 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
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ですので、大川氏の書いた「悩み処方箋」のような本を読んでも、「これはそこそこの悩みの人用のもので、絶望している人向けのものでもないなー」という印象しか受けませんでした。
きょう子さんに関しても、「恵まれたお姫様生活」をされた方で、やはり絶望的な悩みとはほど遠い方であります。
まあ、大川氏に絶望的な悩みを経験してごらんになれば? というつもりは毛頭ないのですが、私は大川氏の書いた本は、まあまあ程度に読んでしまっており、そんなに「目からうろこ」的なものでもなかったように思います。
そこで、「感じたうさんくささ」というのは何かと、ずっと追求の日々だったのであります。
2.よかったのは1991年の講演会まで
私は、大川氏が高橋信次氏を評して、「魂のきれっぱし」宣言をされたときに、「ひどいなー」と思ったものです。
仮に裏であっても、7次元ぐらいなので、いいんじゃないの? と思っていたからです。
じゃ、そんなことを言われるなら、私は「目くそ鼻くそを笑うだ」と思って、どっちらけです。
そして、『新太陽の法』で、日蓮、谷口氏、高橋氏批判をしました。
如来というのは、そうそうなれるものでもないので、もうこうした如来批判などされないほうがいいのですね。
私からしますと。
大川氏の講演会でよかったのは、1991年まででございます。
それまでは、「誰それの霊指導による講演会」というのがありました。 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
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この内容はもうすでに忘れましたが、かなり良かったように記憶しております。
仏陀再誕の講演会では、「それならば、現代の日本に生まれるな」と怒鳴り散らしておられました。
私は「はー」とため息でしたが、当時、涙が一筋だけ、流れた記憶があります。
また「孔子霊指導による講演会」も良かったような記憶で、「なみだがにじむ程度」でありました。
もっともよかったのは、天御中主神霊指導による講演会で、1時間中、涙が滝のように流れ、まともにまっすぐに椅子に座っておられず、前かがみになって、うっ、うっと泣いておりますので、どうも、私は天御中主神に、「反応」するようであります。
イエス霊指導による講演会も良く、涙は出ませんで、「幸せだな」と思いました。
ここまでが、1991年までなのでございます。
ところが、それ以降、エルカンターレ宣言以降、講演内容は、私にはつまらないものとなってしまいました。
感激した思い出もありません。
東京ドームですべて聞きましたが、そんなにいいとも思えませんでした。
ところが、1996年以降、ビデオ拝聴となるのですが、私はどのご法話もつまらなく、どっちらけという歳月を送ってしまうのでありました。
3.1990年代後半から内容の格が落ちた
そしてまた、書かれた本の方も、1990年代後半より、「なーんか6次元レベルに下がったような感じよね」というようなものとなっていったのです。
ですので、私の評価としましては、初期の頃に書かれた幾冊かの本のほうが、良かったように思います。 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
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『永遠の仏陀』などは、ちょっと「ごう慢波動が強すぎて」私読めません。
そして、『神秘の法』という本は気色悪くてたまりません。
『希望の法』については、「うつになる過程がずらずら書いてあり、だから自分をほめてやりましょう」という結論だったように思いますが、私は病気中この本を読み、「これ読んだらかえってうつになりそうだ」ということで、もう処分してしまいました。
ですので、「本当にいいのよね」という人とは違った感覚を、私はもっております。
また、エルカンターレファイトなども、ちっともやっておりません。(すみません)
バレーボールのファイト! みたいよね、と笑ってしまい、ま、ほったらかしです。
今、脱会してさまざまな事柄を9割忘れてしまいました。
月刊誌も法話も本もほとんど忘れました。
歳月を経てもなお、「良かった」と思えるものは、天照さまの「幸福瞑想法」であります。
病気中、私をなぐさめたものは、「幸福の科学とは関係ない、幸せな思い出」であり、そうした思い出が私を救いました。
ですので、「自分が幸せだった日々をだきしめましょう」という天照さまの幸福瞑想はかなり役に立っております。
沢山本を出せばいいというものでもなくて、やはり「言霊と言霊の間ににじみ出す雰囲気」といったものが、かなり魂に影響を与えますので、「繰り返し読む」ものには、注意が必要かと思います。
最近の本はまったく読んでいないので、皆目分かりませんが、種村さんの「にせ守護霊」は気分悪く、また「にせものと思われる舎利弗」も、気分悪いのであります。
菊池寛なんて、もっと気分悪いです。
こういうものを平気で、じゃかすか出すようになり、私は「会員さん大丈夫かな?」と思うようになってしまいました。
「無言」であっても、やはり滲み出すものが、仕事をするのであります。
私はそういう気がしております。 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
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どんなに言葉をべらべらとしゃべっても、そこに「うわっつらだけの見せかけのとりつくろい」だけだと、やはり、人は何か感じ取ってしまうように思うのですね。
大川氏のすべてを「まったくでたらめだ」というつもりも毛頭なく、また初期の本は良かったですよという評価はしております。
ですが、今は?という印象を受ける次第です。
宗教書というのは、「魂に影響を与える」ものなので、なるべく良質のものを、吟味して選び、繰り返し読んでも魂に良いものにしたほうが、ベターかと思います。
また、宗教書は「悪霊や悪魔の領域」を書いてもいますので、そうしたものを繰り返し読みますと、しらないうちに、潜在意識にしみこんでしまいますので、一定の距離を持ちながら、読むほうがベターかと思うのです。
私は生前の高橋信次氏の書いた「悪霊」という本を読みました。
まあ、知識として知っておく分にはいいかと思いましたが、もう気色悪くて、捨ててしまいました。
「よりすぐった高級霊の言霊だけに慣れ親しんで」いますと、そうでないものに、「違和感」を覚えるようになり、なんか違いがわかるものと思います。
そういう意味では、初期霊言集の幾冊かは、良かったように思うのです。
最近は、悪霊から悪魔から宇宙人からきょう子さんの悪口から、色々な本がじゃかすか出るようになっている様子で、ちょっと魂に与える影響の観点からいうと「?」がつくところであります。
私も欠点だらけの人間なので、人のことをとやかくは言えないのですが、宗教書を読み比べしておりますと、なんかその「気」を受けて、気分が左右されてしまうのです。
たとえば、私は旧約聖書があまり好きではありません。
旧約聖書を読むと、気分が暗くなるのです。
どうしてか分かりません。
で、モーゼを導いた神は、ユダヤ民族のためだけの神で、「おそろしい神だ」という印象を受けます。
どうしてかというと、出エジプトで、エジプトに下された「さまざまな災い」を見るからであります。 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/10/blog-post_5280.html
そしてまた、モーゼを導いた神というのは、「カナンの地の先住民の地を奪ってよろしい」という神であり、なんといいますか、ユダヤ民族のためだけの神のような気もされなくはないからです。
それにひきかえ、新約聖書は、私は暗くなりません。
また、天御中主神の啓示のようなものも、暗くなりません。
というふうにですね、やはり何か「気」というものを受けてしまいますので、宗教書も一概に良し悪しです。
格調高さというものがあり、やはり格調高いものだけを読んでおいたほうが、いいかなと思われるので、最近の大川氏の「気分悪くなるような霊言」に、会員の皆様の魂が汚染させてしまうことを、少なからず懸念している次第であります。
4.「大川氏の妄想」による「馬鹿政策」に「大川氏の野望」を見る
私は実は、2009年に幸福実現党が選挙に出たときに、「当初は良かったら応援する」というスタンスでネットを見ました。
がしかし、「新日本国憲法試案」なるものに、かんかんに腹をたててしまいました。
相当怒りました。
2週間ぐらい、朝から晩まで怒りぬいています。
怒った理由には、二つの観点があります。
大統領が「大統領令」をだし、なんでも勝手に決めてしまえるという独裁制なのであります。
国会と大統領令の意見食い違いの場合は、2週間で自動的に大統領令が優先するとありました。
つまり大統領の権限が無制限なのであります。
私は「日本を独裁国家にするつもりか」と怒りました。
そしてまた、チャンネル桜の討論会では、「幸福実現党宣言」の本に、「天皇制はあってもなくてもいいけども、まあ文化的遺産として残してあげてもいい」みたいなことを書いているのを見てあきれたのです。
ここで問題なのは、これが「聖徳太子の啓示」なんだそうです。 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
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私は「うそだ」と思いました。
どうしてかというと、聖徳太子は、「意見が食い違った場合は、皆でよく話あって、決めるように」という旨をいっているんですね。
ですから、こんな独裁制を言うわけがないと私は思ったのです。
ですので、私はそこに「大川氏の野望」を見た思いがしました。
つまり、ご自分か、あるいはお子さんたちかの誰かが、「独裁」をやって政治を牛耳りたいのだと。
ま、そんな気がした次第です。
私が幸福の科学に対して相当腹をたてて怒ったポイントは、3点ございます。
一つは新日本国憲法試案。
二つ目は、大川氏が宇宙根本仏となっている記述であります。
大川氏が宇宙根本仏であるわけがありません。
高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
三つ目は、日本神道系の神々に第二次世界大戦の罪をきせているところです。
私はこれにも、かんかんに腹をたてておりました。
ですので、私はこの3つのポイントに対して、大川氏に真っ向から異議を唱えるものでもありました。
ということでですね、私は色々と幸福実現党を分析しまして、「大川氏のにせ霊言による祭政一致は困る」と思い、幸福実現党応援にまわることは、やめたいきさつを持っている次第です。
また、彼らは義務教育に、どうやら宗教教育を盛り込みたいようであり、この場合の宗教教育とは幸福の科学のことです。
幸福の科学が良ければいいのですが、「悪くなりつつある今」、この政党がねらっている宗教教育の盛り込みは、ちょっと考慮が必要とのことで、私はここを応援する気がなくなった次第です。
そしてまた、1億人移民受け入れにも反対です。
移民問題で苦しんでいる国家は多いからです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
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多少の移民受け入れは必要かとは思いますが、1億人はひどすぎます。
犯罪も多発するだろうし、また日本文化が壊されるだろうし、また職業でも、外国人に日本人が奪われてしまうし、食糧、水、電力などの面でも、こうした「短期間による大量の移民受け入れ」に、インフラが整わないものと思うからです。
ですので、私はこれを、「大川氏の妄想による馬鹿政策」と名付けて、笑いました。
こんなことを、本気で幸福実現党は考えている様子であります。
国防問題については、まあそこそこ評価できる気はするのですが、もう応援する気もありません。
:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-
3年越しに出された坂本龍馬の霊言を昔のそれと比べてみると、 政治活動の実りのなさに対するかなりの焦りを感じます。
やはり宗教人としての分を超え過ぎたとしか言いようがありません。
10月には阿部氏との対談が発刊されるそうですが、 またも守護霊とのこと。
どうしても本人と腹を割る覚悟がないようです。
●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━
安部総裁はじめ、自民党のひとからも相手にされていないのだと思います。
それで誰々の守護霊ということでごまかしているのではないでしょうか。
大川氏が対談できるのは、子供や部下ばかりです。
大川氏は実在の社会の人物と対談する自信がないか、全く相手にされないか、どちらかだと思います。
そう思われても仕方がないのではないでしょうか。
私はそう思います。
●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━●━ 高橋信次氏にふりまわされる情けないような人が、なぜに宇宙根本仏でありましょうか。
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教えが正しいように思えるのは当然です。
何故なら、大川の言葉は偉人たちの受け売りだからです。
あたかも大川が考え出したかのような言説ですが、大川のオリジナルではありません。
ただ、それが偉人たちの言葉であるから「正しい」と感じるのは悪いことではありません。
問題は、その「受け売りパクリおじさん」にそこまでの多額な金額を布施する必要があったのかどうか。
「良い言葉」を古今東西から集めてくれて読者に教えてあげるだけなら、その書籍代だけで充分なはず。
何も豪華なお屋敷にパクリおじさんを住まわせてあげる必要はありません。
パクリおじさんが豪邸に住みたいのなら、自分の稼いだ金でやればいいだけの話。
その金をあなたが出してあげる義務はありません。
にも関わらず、パクリおじさんは書籍代以上の金銭を信者に要求しているのです。
「信仰」という名目のもとに。
ですから、今までに学んだものは大川の教義ではなくて古今東西の偉人の言葉としてあなたの心に残しつつ、会からは離れればいいのです。
そもそも、出典を明記せずにあたかも自分の言葉のように教義を語る大川の言葉こそ、偉人への冒涜なのですから。
そんな不遜な人物への尊敬などは一刻も早くやめれば、「波長同通の法則」として今後のあなたの人生は繁栄していくでしょう。 【現役会員の実体験暴露】 「幸福の科学」の狂気
私が一番、狂気を感じたのは、桜の植樹の時の、狂気ともとれる植福の勧進です。
「絶対、お金の話はしない」と言いながら会員を騙して、植福の話にもっていくのです。
それも個別に部屋に監禁して。
とても評判の悪い地方本部長でした。
また、本購入の催促も狂気を極め、全会員の購入状況の地区ごとの表を、 支部会員全員にFAXする、という異常なことも、支部長命令で行われました。
これと同じことが昨今、釈量子により、行われました。
毎日、30分の辻立ちを支部長に強要し、全会員名簿を支部に貼り出せ、と 強権宣言。
いよいよ狂ったか、と思いました。
また、釈量子は、「背水の陣で戦う」と高らかに宣言しながら、未だ 役職に蜷局を巻く図々しさ。
今迄の党首は全員、惨敗後、辞任した、というのに、 釈と七海の恥知らずには、呆れ果てます。
大川の愛人たちは、何をやっても許されるのでしょうか?
腐り切ったセックス教団です。
財力が破綻し、家庭が崩壊してゆく会員たちが哀れでなりません。
もう、この大川の「救世主ごっこ」に終止符を打たねばなりません。
これ以上、偽仏陀の犠牲者を出してはなりません。
「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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霊的体験から学ぶE
洗脳解除には「疑」の検討が不可欠
仏説・降魔経を点検する必要がある
(解説) 千乃風さんは、幻聴との戦いの中で、悪霊、悪魔を引き込んでいる自分を反省されました。
その時の点検項目として、仏教の五大煩悩のチェックをされました。
その時に、一番問題になったのが「疑」の扱いです。
大川隆法の教えを疑ってはならないという意味で「疑」を捉えると、洗脳から逃げられなくなります。
幻聴で語ってくる悪魔は、そこをついてくるのです。
ですから、千乃風さんは必要に迫られて、教えの点検をされ、さらには自分の心の点検をされました。
非常に個性的な意見かもしれませんが、霊的な格闘の中から生まれてきた見解には、思わぬ実用性があるように思います。
千乃風さんのような霊的な格闘をされている方のために、現実に役に立つ可能性を考えて、掲載させて頂きます。
この投稿のポイントは、後半にあります。
幸福の科学に素朴な疑問を持ち、正当な批判をすることへの恐怖心を取り去る一助となることを願っております。
(千乃風さんの投稿)
1.私の五大煩悩の反省
さて、私は「幻聴の悪魔と名乗る声との悪魔問答」を、何の因果かしりませんが、否応なくさせられてしまった不幸な人間なのであります。
で、本日は五大煩悩について書きます。
とん、じん、ち、まん、ぎ であります。
私はさほどこれを戒めてきた人間ではないのでして、会員時代、しいていえば、「じん」を戒めました。
なるべく怒らないようにしたのであります。
しかしながら、理不尽なことが起きるたびに、内心腹をたてたりして、そうして平常心を取り戻しても、また次の難局で、腹をたてたりの繰り返しでした。
それはさておき、この五大煩悩について、少し書きます。 「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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とん(貪)。
とん欲。
欲しい、欲しいという気持ち。
これは比較的あっさりと、「まあそこそこで満足しよう」と、足ることを知る、で、あっさりと解決できます。
じん(瞋)、怒りの心、も、「もうあまり腹をたてないようにしようじゃないか。怒っても健康に良くないし」と比較的あっさりと、まあなんとかかんとかできます。
ち(痴)。
愚かな心ですが、これ難しいです。
やはり賢くなければなりませんが、誰しもが優秀な頭脳を持っているわけでもありません。
ですが、自分で「おろかだったな」と思えば、あっさりとまあ教訓にできるわけです。
まん(慢)。
これは、「えっへん。自分はえらい」と思いあがる心ですから、これも比較的あっさりと、「そうはいっても、自分はたいしたことないしね。世の中には素晴らしい人が沢山いるし」ということで、まあ簡単にいけるんです。
2.「疑」と「素朴な疑問」は違う
ぎ(疑)。についてですが、これがやっかいなのです。
これを、幻聴との「悪魔問答」で繰り広げざるを得なかったのが、私という人間です。
疑問についてですが、あるいは疑いの心ですが、「基本ライン」として、「人の善性を疑う」のは良くないことですし、親切な人をいやみに受け取って、素直に人の親切を喜べない心、「あの人どうせ、おべっかつかってるんだわ」 みたいな心は、良いとは言えません。
ですから、基本ラインとしては、疑いの心は良くないと私は考えてはおります。
がしかし、一方でですね、「素朴な疑問」というのがあるんですね。
たとえばニュートンは万有引力を発見しましたが、「なんでりんごが木から落ちるんだろう」の素朴な疑問から生じています。
ですから、この場合、素朴な疑問は、「偉大な発見への道」でもあったわけです。
この意味で、疑いの心は悪いとは言えません。 「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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同様に、「なんか変だな、あやしいな」という疑いの心は、良い側面を持っています。
たとえば、それによって、犯罪や詐欺から身を守ることもできるのです。
「あの人悪いことしてるんじゃないの?」という素朴な疑いの心が、意外とあたっていて、あとで、犯罪の露見につながったりもします。
この場合、やっかいなのは、「その疑いを追及していくと、悪がその先に待っていて、悪との対決をしなければならない」羽目となるのです。
たとえば、私は会社で、「これ、おかしいね。帳簿操作してるね」と疑いの心を持ちました。
果たしてその結果は、その先に悪があったのです。
で、ここで話を幸福の科学に戻します。
大川氏は「疑いは悪魔の心である。疑いの追及は真理の探究とはいわん。私を信ぜよ、信ぜよ」というようなニュアンスのことをかつていいました。
そうするとですね、「素朴な疑問」が思いうかぶたびに、「いけない、いけない。これは悪魔の心だわ」ということで、自分にブロックをかけてしまい、その素朴な疑問を打消し、信じることに決めるんですね。
この結果どうなるかといいますと、例えば種村さんの「にせ守護霊の霊言」を信じ込んでしまい、盲信のほら穴に突き落されてしまう結果となるのです。
で、私は、この数年間一冊も本を買って読んでませんが、選挙後、ネットをみて、「どうも、なんとかの守護霊という霊言はうそくさいね」という疑いを持っていたのです。 「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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それが、今回、種村さんの件で、やはりうそだということが判明しました。
3.素朴な疑問を探究すると大川氏の嘘に突き当たる
ですからね、会員さんの中でも、「素朴に変だな」と感じる事柄があって、「こういうこと思う自分は信仰心が足りないからかな? 悪魔にやられているからかな?」と、自分を責めてしまう人もいるかと思います。
私は、はっきりと、「素朴な疑問は保留にしなさい。疑問点の部分は信じなくてもいいですよ」と言いたく思っています。
ですが、素朴な疑問を追及していくと、「その先に大川氏のうそが待っていることになり、それと対決しなければならない羽目になりますよ」と言いたいです。
ですので、この疑いの取り扱いは、非常にむずかしいと思いました。
必ず、その先に、「悪がまっている可能性が高い」からなのであり、そうしてそれを見て、いやになったり、心を害したりすることになるんです。
ですので、この疑の取り扱いというのは、非常にむづかしいものをはらんでいると、私は思いました。
いづれにせよ、疑いの心は、気分を「どんより」させるのです。
私は幻聴の悪魔と名乗る声に、こういうことをしきりに主張したところ、「この子は、大川隆法の洗脳がもうないから、もうこんなこといっても無駄だ」というようになりました。 「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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4.悪魔は「信仰心」を揺さぶる
「悪魔は信仰心をゆさぶる」ということについて、お話しします。
私の幻聴の悪魔と名乗る声が、しきりに「悪魔は信仰心をゆさぶるんだよ」といってくるんです。
「悪魔は信仰心をゆさぶると思う?」と聞いてきたりもします。
私は、「そういう悪魔も中にはいるかもしれないね。しかし、信仰心を揺さぶったりしないと思うよ」と私は答えています。
「見てごらん。私が一時期通った、川口の教会のクリスチャンは、20年、40年やってる人ばかりだよ。誰も信仰心揺さぶられてないよ。ばーか」と。
で、「私、幸福の科学脱会したけど、もう今後どこにも宗教には入らないだろうけど、イエス様のファンなのと天御中主神のファンなのは、変わらないよ。信仰心揺さぶられてないけどなー。ばーか」などと言い張っています。
私の考える信仰心とは、「霊天上界の神への信仰」であり、幸福の科学の主張する、「一人間・大川氏への個人信仰とは異なるよ」ということです。
信者は、大川氏を離れることを、「信仰心を失った」ととらえる方もいるかもしれませんが、そういうことはないと思います。
「人間・大川氏を離れた。あるいは組織を離れた」というべきでしょう。
脱会しても、「霊天上界の神仏」を信じておればよく、これを信仰心がないとは言えないと思います。 「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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5.ニセモノの仏・法・僧の点検
私の幻聴の悪魔と名乗る声がしきりに問答してきた事柄は、「悪魔は疑にとりつく」「悪魔は信仰心を揺さぶる」 ということと、仏説降魔経でした。
さて、仏説降魔経については、別のところでも、一部書いておきました。
ですが、ここで改めて私の個人的見解を述べたく思います。
この、仏、法、僧についてですが、仏とは、「本来法が説けるもの」であり、如来の条件をクリアーしているものです。
ですので、菩薩は違います。
菩薩は法の解説者および伝道者であり、如来の資格はありません。
如来の「光を体現しているとき」に、そのとき、その方は「地上における光の使者、仏」と呼ぶことが可能かと思います。
大川氏も初期の頃は、「光を体現」されていたのかもしれません。
私は霊視ができないので、はっきりと定かに言うことはできません。
たとえ、過去世が釈迦であったとしても、「光を体現している如来の資格がある状態」でなければ、仏とは言えません。 「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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法ですが、この光を体現している地上に降りた光の使者がその時説く法が、法です。
そして、それが真理であり、うそいつわりがないことは、もちろんのことです。
たとえ、本のタイトルが「何とかの法」というタイトルであっても、「どう見ても、光の感覚が落ちて、6次元レベルにさがった、7次元レベルにさがった」ということになれば、これは、「解説」になってしまうと思います。
そしてまた、組織ですが、これはいわずもがなで、「組織の腐敗」ということはあるのです。
組織は完璧ではないですから。
かつてキリスト教会のおいても、組織の腐敗がありました。
ですので、この仏説降魔経の、
「仏、法、僧への中傷は極悪非道の所業なり。もはや人間として生まれるはこれが最後と悟るべし」
を、表面上だけとらえて、「単に幸福の科学の悪口をいったらだめだ」と解釈しますと、おそろしいお経ともなるかと思います。 「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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6.正当な批判は中傷とは言わない
私は幻聴の悪魔と名乗る声が、1秒も途切れずに、朝から晩まで仏説降魔経を唱え続け、私に大川氏批判をさせ、「ほら、お前は悪魔」と脅してきたときに、「これね、正当な批判は中傷とはいわないんだよ」といって、上に書いた旨を主張しました。
そうしたら、脅さなくなり、「こいつを仏説降魔経で苦しめてもだめだ」ということになり、 私には通用しなくなりました。
7.仏説・降魔経は大変怖いお経である
この、仏の定義、あるいは法の定義、あるいは組織のルールみたいなもの、これの位置づけというものを、きちんとしないと、この仏説降魔経は、ある意味恐怖のお経となってしまいます。
ですので、幸福の科学の悪口を言う人を、信者は「悪魔だ」ということになるんですね。
私もまた、幸福の科学批判をする人間ではありますが、なんでもかんでも批判しているわけではありません。
そうではなくて、やはり、「これ、おかしいねという部分のみ」なのです。
ですので、会員さんの中で、一人で疑問をかかえて苦しんでおられる方は、やはり自分を責める必要はないですよ、と私は言いたくおもいます。
そして、その場合に、この「疑の取り扱い」あるいは「信仰心をゆさぶる」という問題、色々あるかとおもいますので、一つ一つ、問題をクリアーにされて、あまりかかえこまないほうがいいかと思います。
私は、「何の因果でこんな問答を否応なくされねばならないのだろう」と、はて?と考えました。
なぜなら、私は幸福の科学に入る前、六大煩悩さえ知らなかったような人間だからなのです。
もう、あきれてしまって、ため息をついております。
私の幻聴との戦いというか、エピソードが、何らか、困っている信者さんに参考になればと思い、書き記す次第です。 「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていた
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信仰といっても、今幸福の科学を信仰すると、ここを指導しているものに通じてしまいます。
天使が指導して下さっている間は良くても、悪魔が指導し始めているとしか思えない今、この信仰は本当に危険です。
「疑」も真実を「探究」していく上での「素朴な疑問」は、本当に価値があります。
大川氏が数年前に、「非合理ゆえに信ずるのが信仰だ」ということを言い出した段階で、実は相当危険な状態になっていたと、いまにして思います。
私は遅ればせながら、職員幹部のしていることと、それを追認している大川氏の言動をみて、本当に大川氏までおかしくなっているのだと認めるようになりました。 仏説降魔経は「悪魔道具」
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霊的体験から学ぶF 『正心法語』の呪縛を解き放つ
なぜ悪魔の道具になってしまったのか
(解説) 千乃風(せんのかぜ)さんは、2001年に『正心法語』のCDを4日間掛け続け、5日目から恐怖の幻聴幻覚に苦しめられました。
それゆえに千乃風さんの分析する『正心法語』論には、説得力があります。
霊的な格闘の裏づけがあるからです。
私は彼女とは正反対に、『正心法語』を数年間で二千回以上も読み続けました。
生活を律するという効果があったのでしょうか、私にとってはそれほど破壊的にはなりませんでした。
自分では心境が上がっていったと思い込んでいました。
ただし、洗脳は確実に深くなりました。
『正心法語』は教えの中核に位置する経文です。
ところが、これには会員の心を縛りつけ、呪縛する洗脳の道具になっているというのです。
さらにそれのみか、悪魔の道具になっているというのです。
これは千乃風さんが、悪魔との問答の中で獲得した認識です。
そして、この呪縛から解脱するための反論も彼女は考え出しています。
それは幻聴との戦いで必要に迫られて、生まれてきたものです。
ユニークな経験から生まれた思想は独自性が高いですが、こういう意見も尊重したいと思います。
さらに、彼女のように、実践の中から生み出された有効な思想は、広く求めていきたいと思います。 仏説降魔経は「悪魔道具」
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(千乃風さんの投稿)
1.正心法語の危険性
2001年不気味現象が多発したおり、私は幻覚で、「慢」という文字をありありとみているのであります。
これは、大川氏のことをさしているものかと、推測しております。
というのは、私はたいした人間ではなく、そんなにいばりくさった思い出もないからなのであります。
会員さんは、正心法語を読まないことをおすすめします。
もしも読むとしたら、大宇宙に光ありと八正道ぐらいで、三法帰依と伝道教と降魔経は読んではなりません。
これは私の見解です。
「幸福の科学がおかしくなりつつある今」、三法帰依文を読みますと、それが信念に高まり、おかしくなった組織から離れることを困難といたします。
ですから三法帰依文はダメです。
また、伝道教も駄目です。
おかしくなりつつあるものを広めることは悪であります。
たとえ善意であったとしても、宇宙の理法に照らすと、悪なのです。
ですから伝道教も駄目です。
降魔経も駄目です。
これは幸福の科学批判をするものを悪魔とするお経で、これを唱えると、恐怖心がすりこまれ、幸福の科学をおかしいと思いつつも、そこから逃れられない恐怖心をすりこみますので、読まないほうが賢明なのです。 仏説降魔経は「悪魔道具」
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2.仏説降魔経は「悪魔道具」
では、仏説降魔経に関する、私の幻聴との対話をお話しします。
私はこの仏説降魔経をめぐり、幻聴に毎日三か月間も脅され続けた人間なのです。
で、幻聴いわく、「仏説降魔経は悪魔道具なんだよ」ということでした。
つまり、大川氏がおかしくなっていきつつあっても、これがあるために批判できない、批判すると悪魔で人間に生まれることができない、信者はそう思いこむ。
ゆえに、サタンは大川氏を通じて、世界支配をしたい、大川氏がおかしくなればなるほどいい、そうすると信者を地獄に引きづりこむことができるから。
信者はこの仏説降魔経がおそろしくて、何もいいだせない、つまり、悪魔道具にされているのだと。
こういうことを私に言ってきたのが、2007年のことでありました。
私はこう反論しました。
「さて、過去は大川氏に仏陀の資格があったかもしれない。
がしかし、今はどうだろう。
仏陀の資格がないのではないか?
ゆえに、仏、法、僧の仏の資格を喪失しているものと思う。
次に法だけど、どうだろう?
つじつまがあわないおかしなものになりつつあるのではないか?
僧はどうだろう?
組織は堕落し、腐敗し始めているのではないか? 仏説降魔経は「悪魔道具」
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こういうことを指摘したとして、それは『正当な批判』であって、別に何ともないよ」
と、私は反論しました。
そうしたら、仏説降魔経で、幻聴が私を苦しめることはなくなりました。
推測ですが、仏説降魔経は悪魔道具にされているものと思います。
大川氏がこのお経を書いたのは、1994年。
で、大川氏がおかしいと私が思い始めたのが、1997年。
で、どうやら大川氏のセクハラもこの年に起きている様子です。
ですから、この仏説降魔経の効力は、1994年から1996年までで、その後は効力がないと、私は考えております。
ですから、会員の皆様は、別に気にすることなく、格別批判する必要もないので、おかしいなと思われた方から、脱会されることをおすすめする次第です。
これが、私の正心法語に関する見解です。 仏説降魔経は「悪魔道具」
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3.見抜くと魔が暴れ立つ
で、私が幸福の科学を離れたのが、2005年です。
そして、2007年、Aさんのところにおりた、幸福の科学元指導霊のご見解という記事を、インターネットで見ました。
それには、大川氏は天意を失って、仏陀の資格がなくなってしまったこと。
幸福の科学指導霊団は解体をし、新しい指導霊体制になっていること。
10次元大日意識の個性化した聖アントニウスの怒りを、買っていること。
聖アントニウスが幸福の科学を総合的に判断し、正統性なし、と結論づけ、高級霊があの世で会議をし、その意見に一致を見たこと。
大川氏の2000年時点での法は、法とは呼べず解説レベルに下がっていること。
幸福の科学のおかした間違いは、慢心であったこと。
このままでいくと、大川氏は地獄にいくことになり、それにつらなるものも、地獄におもむくことになること。
生き仏信仰はあやまりで、地上に降りた光の使者を、絶対視することは間違いであること。
イエスキリストも、「私を通じて神を感じ取りなさい」といったのであり、「私を絶対的なものとしなさいといった覚えはない」ということ。
などなどが書かれてありました。
これを読んで私がふむふむと思っていたとき、私の幻聴が「サタンだ」と名乗ってあらわれたのであります。
「こんなもの読みやがって」といって、怒った様子であります。
私のところにあらわれている幻聴が、サタンなのか、何なのか私には判別しかねますが、大川氏の正心法語のCDで悪魔がやってきたとすると、これは相当の悪魔です。 仏説降魔経は「悪魔道具」
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相当の不気味現象が起きました。
で、私の幻覚に、「最澄」という文字がありありと見えました。
閉じたまぶたの裏にですが。
最澄は地獄にいる様子です。
以上のことを考えますと、「本当のことを見破る」と、魔があばれたつという見解です。
大川氏にだまされて、ふむふむといってやっているうちは、いいのですが、見破ると、魔があばれたちます。
ですから、会員の皆様は、もう批判する必要ないですから、おかしいと思ったら、さっさと会を離れ、別のことをやることをおすすめします。
とりあっていると、魔にやられてしまいます。
かつて大川氏はこう言われました。
「信仰心をゆすぶるものが悪魔だ」と。
で、大川氏が天上界の指導を受けていた時期はそれで良かったかもしれません。
しかし、天上界の指導がないと推定される今、大川氏を離れても、別に何ということはありません。
脱会しても、直接イエス様やお釈迦様を信じていればいいだけの話なのです。
大川氏の言葉を間にうけますと、「やめたほうがいいわよ」という人のアドバイスにも、耳をかさず、「む、これは悪魔が私をそそのかしているのだ」と思いこみ、おかしくなりつつある組織にしがみつく結果となります。
ですから、もうそうしたことはしないでいいのですよ、と私は申し上げたく思っております。 仏説降魔経は「悪魔道具」
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4.教団から離れても大丈夫です
では、組織が良くなりつつあるか、悪くなりつつあるか、見てみましょう。
私は1996年時点で、「これからこの組織は、金、金というようになるだろう」と予測しました。
果たして結果はどうでしょうか?
金、金になりました。
で、お金を集めること自体は悪くはないのですが、最近のやり方を見ておりますと、「どう考えても変だな」という霊感商法もどきものも多々見受けられるようになってしまいました。
神様は、「祈る前からその人の願いを知っておられる」と私は思います。
ですから、無理をして、高い祈願料を払って、祈願を受ける必要性もなく、脱会してやめても、一人静かにお祈りをしていればいいのです。
神の御心にかなうものなら、願いは聞き届けられるし、身分不相応なものや、努力しない願いは却下されることでしょう。
本当の高級霊であるならば、現在の幸福の科学を「憂いて、なげく」ことでありましょうし、また「立て直し」のインスピレーションを下すはずであります。
ところが、実際の幸福の科学は、年年悪くなりつつある気が、私にはされており、これはどう考えても、指導霊および高級霊の指導が組織に入ってないことを証明し、意味するものであると考えております。
ですから、もう500名の指導霊だとか、そうしたことに振り回される必要性はないと考えます。
脱会して、個別に各人が、好きな神様を大切にしていればいいだけの話なのであります。 仏説降魔経は「悪魔道具」
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5.招き猫は悪魔の指導か
私のところにあらわれる「サタン」と名乗る幻聴が出現したのは、2007年。
で、私は仕方なく、「さーさん」というニックネームをつけて、その後、幻聴の相手をしておりました。
最近、種村さんの「舎利弗の真実に迫る」講義のブログを見た途端、幻聴内容が変化しました。
私があきれかえって、あまりにも大笑いしたので、あきれた様子で、「馬鹿らしいなあ、大川は」というようになり、それまでの幻聴内容と変化を見せたのであります。
私の今までの12年間の幻聴との戦いは、「悪魔問答」の一言につきます。
本当の悪魔の霊かどうかは定かではありませんが、「脅し」がやたら多発しました。
その脅しの手口というのは、すべて「恐怖心」につけこむものであったことは、事実であります。
ですから、会員の皆様も、あまり恐怖心を持たれないことをおすすめします。
幻聴が私に何を言ってきたかというと、2007年、「招き猫をやっていればいいんだよ」ということでした。
つまりね、「お布施をしましょう。お布施をしましょう。研修に参加しましょう」と、招き猫をやっていると、信者はうはうは喜んで、お金出したりするというわけです。
ですから、意外と、そうした招き猫を、悪魔が応援しているかもしれないという懸念も一方であったわけです。
今日はこの辺といたします。
私の実体験から、脱会がスムーズにいくようなお話を今日はさせていただきました。
では、脱会がスムーズにいくことを、祈念いたします。 私はかつて秘書であった立場から、大川隆法の行動面で批判していきます。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/10/blog-post_10.html
1.正心法語が駄目な本当の理由
大川は、いついかなるときでも正心法語を携帯していることはありませんし、読誦することもありません。
私は、大川隆法の家でも読誦したのを見たことすらありません。
信者は勝手に大川が正心法語を毎日読誦していると思い込んでいる(思い込まされている?)だけです。
それだけ、大川本人が無価値なものであるかを知ってる証拠です。
2.大川隆法氏の本は気分が悪くなる
大川は自分の思想をしみこませる(洗脳)ために、自分の本以外を読むことを否定します。
なぜ、信者にまで講師資格があるのか、なぜ、統一試験みたいな制度をつくったかお分かりですか?
徹底的に自分の本を読ませ、洗脳させるためです。
だから、まだ、知性や理性が残っていれば、大川本を読めば気持ちが悪くなるのは当然です。
気持ちがよいと感じたらそれは完全に洗脳されている証拠です。 私はかつて秘書であった立場から、大川隆法の行動面で批判していきます。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/10/blog-post_10.html
3.霊能力信仰の罠
まず、大川には霊能力はないことを知ってください。
霊能力があれば、きょう子さんのことや、種村さんのことなど、最初からわかっていたはずです。
わかっているなら、当然防げますよね。
大川は霊能力があるふりをしてるだけです。
霊言は大川の脳内を駆け巡る妄想を語っているに過ぎないのです。
だから、大川霊言はあとで正確に検証してみたらトンチンカンであることがわかります。
信者は大川の妄想をありがたがって真に受けているだけです。
4.エル・カンターレ信仰は信者のプライドをくすぐる
幸福の科学の特徴のひとつに「選民思想」があります。
選ばれた民と思い込ませることです。
これ、やられると誰もが有頂天になります。
おだてられれば「ブタも木に登る」というやつです。
一度、この味を覚えると、人間はもっと言って欲しくなって、大川のくだらん話を真に受けます。
そして、気がついたら多額の布施をする。
布施をしたらまた褒められるからまた布施して・・・
こういう無限の繰り返しのなかに信者を囲い込むのが大川の手口です。 私はかつて秘書であった立場から、大川隆法の行動面で批判していきます。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/10/blog-post_10.html
5.大川隆法氏の品定め
宗教家というのものは自ずと品格があり、そのオーラを感じさせるものです。
私もかつて、偉大な方の清らかなお姿を見て思わず合掌したこともありました。
ところが、秘書になって、大川のそばにいること3年と数ヶ月、その間、大川から清らかな、徳の高い雰囲気を感じたことは一度もありませんでした。
職員時代、それをずっと不思議におもっていたのですが、職員を辞めてすぐにわかりました、「大川は俗物だった」と。
6.反省しない大川隆法氏
これは、1で書いたのと同様に、大川は、まず反省をしたことがありません。
いわゆる結跏趺坐もできません。
そういう作法すらしたこともありません。
この目で見ています。
反省しないかわりに、いつもぶつぶつ言ってます。
「あのとき、ああしなければよかった」とか、それか、秘書の私に愚痴をこぼすか、職員の悪口三昧。
八正道の基本中の基本、正語ができてないのです。
いま、大川の本をよく見ると、半分は悪口と批判ばかりでしょう?
全て悪いのは他人のせいだと大川自身が思ってるからです。 私はかつて秘書であった立場から、大川隆法の行動面で批判していきます。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/10/blog-post_10.html
7.本音と建前を使い分ける人物
大川の発言は疑ってかからねばなりません。
大川の前に座ってる人には持ち上げますが、その人がいなくなると途端に悪口を言い始めます。
私は何度も何度もその光景をみて、ゾっとしました。
私だって同じ目にあうのですから。
また、表向きに信者に感謝を述べますが、裏ではペロっと舌をだしてます。
だから、信者さんからいろいろなご好意をよせられたとしても、「ありがとう」とは言いませんし言えません。
「当然のことです」で片付けて終わりです。
このように、大川隆法とは、とんでもない俗物にすぎないのです。
サッサと見切りをつけたほうが賢明ですよ。
もしや、もしや、なんて思って今日まで来たんでしょうが、もう、もしや、ではありませんから、足抜けしても大丈夫ですよ。
運命が好転しますよ。 http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40515246.html#40515246
考えてもみたまえ
ノルマ達成の奴隷となり
電話ごしに怒鳴り散らされ
支部長室に拉致監禁され
「信仰あるなら金を出せ」と脅迫され
書籍購入に年間百万近く出費し
その書籍は年初、成人式献本と称して
バラ撒かれ、凡そ半数は
コンビニのゴミ箱や、公園の噴水周りに捨て去られ
使いもしない布教誌は
信者たちの布施で大量に刷られ
毎月数千部が封も切らずに箱ごと資源ゴミ
熱烈信者たちは貯金を使い果たし
おばさんたちは白髪染めも出来ぬ斑狼
在家支部長たちはタダ働きで
家事も満足に出来ず家庭崩壊
ところがどっこい教祖のエロ姦は
過去世を偽り女性職員をコマしまくり
宗務に大きなハーレムを建設し
愛人たちにポストを与え
過去世のビッグネームを与え
月給は百万越え
月云十万の高級マンション暮らし
エロ姦自身は数千万の腕時計のコレクター
指輪は世界に数個しかない数億円のもの
ブランドもんのスーツは一回着てポイ捨て
こんなカルトに洗脳されたキチガイ猿どもに
社会的影響力なんて与えていい訳ねーだろ
ふざけんじゃねーぞ、コラァ 投稿・大川氏の離婚は正当か?
釈尊と大川氏の歴然たる違い
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/11/blog-post_16.html
(紹介) ある女性の方から、大川氏の離婚について、とても貴重なご意見を頂きました。
大川氏と釈尊の比較は、とても鋭いと思います。
後半には、この方の経験から来るご意見を掲載させて頂きました。
皆様のご参考になることを願います。
(投稿) @ 幸福の科学職員に告ぐ
どうも幸福の科学の職員は、大川氏の離婚を指摘されると、 「ブッタも妻を捨てて出家した」 と大川氏の離婚を正当化しようとするのですが、 全く別の事情を比べている事がわからないのでしょうか。
簡単に言いますと、釈尊は、妻だけを捨てたのではなく、 一旦この世的なものを全て捨てたのです。
何不自由ない生活を絶ち、苦行を始めました。
またその苦行を経て、中道を説いたのです。
これは、釈尊が悟りを得る前にとった選択です。
その後、釈尊の妻も子供も出家しております。
大川氏は、出家者であったきょう子氏を追い出したのです。
プライドさえも捨てきれず、一方的にきょう子氏を責め立てました。
大川氏の環境は愛人を囲いやすくなった以外、何一つ変わっていません。
職員はそれに疑問を持つべきです。
職員の皆様には、 今後、「比べ物にならない偉大な人物」と大川氏を比べないこと、 また離婚の正当化をしないことをお勧めします。
A 子供の立場から見た親の離婚
私の両親も離婚しているのですが、 幸福の科学が大川氏の離婚を、 英雄の選択のように語るのは間違いだと思います。
離婚は本人のみならず、家族を悲しませます。
たとえそれが、最善の選択であっても、 やはり離婚は「結婚の失敗」であり、 「正当化」する必要はないと思います。
私は両親の離婚を悲しみ、傷つき、 そして時間が経つに受け入れました。
「両親の離婚」で学べたこともありましたが、 そこから学ぶという事は、 私が選択した「癒しのプロセス」であっただけの事です。
母も父も元気にやっておりますが、 「離婚してよかったね」なんて思った事は一度もありません。 投稿・大川氏の離婚は正当か?
釈尊と大川氏の歴然たる違い
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/11/blog-post_16.html
大川氏の言動は、とても宗教家のものとは思えません。
ましてや仏陀である訳がありません。
愛人と赤ちゃん言葉で話していることを、妻に暴露された為の腹いせとしか思えません。
自ら著書に残している通り、仏陀を詐称した罪は重く、その来世は厳しいものになるでしょう。
また妻にルシフェルが入っているのに、大川氏はなぜ折伏しなかったのでしょうか?
修法「エル・カンターレ・ファイト」を行わなかったのはなぜでしょうか?
絶好のチャンスだったのに。
私はきょう子氏に関しても同罪だと思っております。
本当にルシフェルが入っていたのか、それとも三文芝居だったのか、信者や元信者に説明する義務があると思います。 投稿・大川氏の離婚は正当か?
釈尊と大川氏の歴然たる違い
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/11/blog-post_16.html
私は離婚そのものが問題というよりも、釈尊の生まれ変わりと称する大川氏が、ああいう形で奥様を罵倒しながら離婚劇を演じたことが与える信者さんへの影響を、とても問題だと思っています。
弟子は師を真似ます。
大川氏を信じた人は、同じことをしても、悪いとも思わないと思います。
でも、大川氏のしていることは、明らかに異常です。
人としてすべきこととは思えません。
まして釈尊の生まれ変わりを標榜する人がすることではない。
だから、大川氏が厳しい批判にさらされるのは当然であり、またさらされなければならないと思います。
大川氏の行ったことが、社会に害毒を流すからです。
その意味で、離婚一般と大川氏の問題は、分けて考えるべきだと私は考えております。 http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/11/blog-post_5479.html
投稿・「教義の検証・進歩と調和の教えは正しいか?」を読んで。
悟りの認定法を問う
(紹介) 匿名希望さんから、辛口のご意見を頂きました。
大川氏の悟りの認定方法が、そもそもおかしいという批判です。
大川氏は受験システムを悟りの認定システムに適用した。
それでは弟子を悟りに導くことなど、そもそも出来るはずがないだろう、 というご意見です。
(投稿) 教義として正しいかどうかは私にはよくわかりませんが、それよりも問題なのは悟りの認定の方法だと思います。
まず、論文の題を出して提出期限を決めたこと。
これは学生に対して先生が点数をつける、だけの延長線上にあるもので悟りの認定でもなんでもないと思います。
何故なら、悟りとは個人個人のものであり、その歩み方も気付き方も人それぞれでいついつまでに悟れと言われてできるようなものではないと思います。
論文で良い点数をとったから悟っている人とは思ったことがありません。
学生の延長線で遊んでいるだけですから、あの制度そのものをありがたがる意味がわかりません。
本当に悟った人を輩出させるには、仏陀釈尊がシュリーハンドクにされたように、又、アングリマーラにされたようにその人の機根に合わせた悟りの求めかたをさせるべきだと思います。
その結果、この人はこういうことを悟ったと発表するならいいと思いますが、理論をこねくりまわすだけでは悟りでもなんでもないと私は思っています。
真にその人が苦しみを乗りこえて体得したものこそが多くの人の心の糧になりうるものと私は思っているのですが。
頭の悪い者のひがみと言われるかもしれません。 http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/11/blog-post_5479.html
考えてみれば、釈迦も、イエスも、ソクラテスも、孔子も、弟子たちと交わりながら、または共に生活しつつ、教え、導いたのですよね。
けれども大川隆法氏は、演壇の上から講演するばかりのようです。
弟子や信者たちと親しく接しつつ教えたということはあるのでしょうか。
聞いたところでは、支部巡錫でも、法話のとき以外は控室にこもったきりだとか……。
信者宅に宿泊したとか、お茶でも飲みながら信者たちと親しく雑談したとか、そんな話は聞いたことはないですね。
多くの人たちに呼びかける講演というものも大事でしょうけれども、
本当に人を育てようと思ったら、やはり一対一で手取り足取り教えて行くしかないような気もします。 >>76
初期のころに会員宅に止まったり一緒に釣りをしたこともあるよ
藤田さんという人だったな
タネムラは知ってるはずだがな
タネムラは嘘つきだね
いまこういうことをやったら「わたしもわたしも」ときりがないからできないんだよ
ひとりひとりを手取り足取りなんて物理的にできるわけがないだろう
体はひとつしかないんだから、大勢の前で話をして教化するのが指導者としての
仕事なのはどの分野でも同じことだぞ
タネムラよ、おまえがやらなければならなかった仕事も総裁は全部カバーしてくれてたんだぞ
普通だったらとっくの昔にクビになっているのにもかかわら職員としていらたのにも
関わらず、さらに再就職先まで斡旋してやっているのに少しくらいは感謝の気持ちというものが
おまえにはないのか
おまえはそれでも人間か!ふざけるな!恥を知れ! 【呪いのネックレス】 恐怖!!悪魔の正心宝
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/11/blog-post_6837.html
投稿・幸福の科学のネックレス(正心宝)は危険です
幸福の科学の法具と書籍の危険性
(紹介) 投稿者Kさんから、幸福の科学の法具や本の危険性について、独特の視点から警告する投稿を下さいました。
私自身、すでに幸福の科学関連のものは全部捨てています。
投稿者Kさんがいうように、霊的な危険性があると感じているためです。
(投稿) 呪縛された職員や信者の方に、お伝えしたいことですが、ROネックレスには、オーラの周波数を、栄養源として人体より収奪するプログラムが入っています。
邪霊が、人間の活力を吸収して、栄養源とできる呪いのネックレスがROネックレスです。
その霊的機能を多くの人は、知りません。
また、幸福の科学の書籍も、手にとるだけで、体が硬直して、柔軟性を失い、オーラは、きわめて収縮します。
これは、Oリングをしたり、あるいは、まず、手に何も持たずにゆっくり前屈して、指先と地面の距離を確認したあと、幸福の科学の書籍や、ROネックレスを身につけて、ゆっくり前屈します。
すると、体が硬くなり、指先から地面の距離が拡大することを確認できます。
これは、ROネックレスまた書籍に込められた周波数が粗悪であるため、体を構成する細胞間のエネルギーの流れを低下させ、体は柔軟性を失い、それに伴い、オーラも縮小するという事象です。
細胞はそのモノが発している波動と共鳴するため、幸福の科学の書籍、法具についてのファイナルジャッジメントを、その細胞が証明してくれています。
それは誰もが簡単に、確認できるのです。 【呪いのネックレス】 恐怖!!悪魔の正心宝
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/11/blog-post_6837.html
同じく、ご本尊を安置しているご家庭では、周辺の時空の磁場が乱れてしまい、いろいろな邪霊の集まりやすい環境が整います。
また、正心法語を集団で唱えることが、邪霊を活性させます。
邪霊の充電です。
なぜ、邪霊を活性させる手伝いを人間がさせられているのか、情けないですが、構図としてこの唱和により、音に込められたみなさまのエネルギーを、邪霊が活力としているのです。
これは霊的詐欺です。
信者の方がかわいそうです。
幸福の科学に携わる方々に、あなたがたは、教祖をはじめとして 悪しきものの「奴隷」になっていますよと、お伝えしたいのです。 この人は、駆け出しから嫉妬で始まっているんですよね。
富山誠の仏陀へ嫉妬して、自分が仏陀となる、もう、ここから
彼を運命づける方向性が出ていますね。
このタイプはレプタリアン特有の傾向性で、片っ端から周囲の者へ
嫉妬の矛先を向けるんですよ。
いつも自分が一番じゃないと気が済まないんですね。
ですので、彼が部下として許可する者は全て、能力的に
彼より劣った者しかいない、ということです。
事実、意見した者は全て、遠方左遷し続けております。
言葉は悪いですが、彼の周りには「バカのイエスマン」しか
存在することが出来ないシステムとなっています。
これが、組織が発展せず、限界に達し、崩壊してゆく理由です。
能力相応の部下を周囲に置く、ということだけは、
本能的に出来たのでしょうが、組織の規模を考えた時、
「バカなイエスマン」たちだけでは、どうにもならぬほど
膨れ上がってしまったのではないでしょうか。
「夜の淋しさを癒すバカ女」ばかり手懐けたところで、
そのような毒女どもは基本、金や名誉を強請るばかりで
仕事自体は出来ないことでしょう。
こういう当たり前のことが分からず、目先の欲のまま暴走するエロ姦に
私はあまり、賢さを感じないのです。
「根本仏の化身」の割に、頭が悪いと思います。
ただ、幻術だけは、6次元の仙人の割に、見事でした。
まあ、ダークサイド系から、かなりの指導があったのでしょうがね。
今回の「ケイシーリーディングの矛盾」に気付けなければ私も、
延々とド仙人の幻術に嵌り続け、植福を貪り盗られ続けたことでしょう。
「出来る者」を遠ざけ、「バカなイエスマン」で周囲を固めれば、
やがて、その組織が崩壊するのは自然の理。
彼がもう少し利口なら、自分の力量を客観的に分析し、
中身のレベル、組織の規模から、30年はもたないことは
導き出された筈なのです。
「過ぎた欲は、身を滅ぼす」、「エロ姦・幸福の科学」の30年の歴史から
学びを得るなら、こういうことかな、と思います。
恐怖心をなくさせるものが仏陀であり、
恐怖心を使って人々を支配するものが魔であるとすると、
大川隆法総裁は果たして何者なのでしょうか。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/12/blog-post_18.html
私の還俗体験 1 還俗の始まり
幸福の科学では還俗する人が、これから出てくると予想されているようです。
私も1999年に還俗した人間です。
私のささやかな体験を書かせていただくことで、還俗させられる方々のお役に立てればと思います。
@ 人事からの電話
私は1999年の夏に還俗しました。
還俗に至った2ヶ月ほどの経緯は、強烈に記憶に残っています。
日光へと向かう列車に乗っていたとき、人事部のHさんから突然、携帯に電話がかかってきました。
「種村さんの守護霊が総裁先生のところへ来て帰らないそうです。
そのために総裁先生は昨日からお仕事が出来なくなっておられます。
種村さんのほうで、守護霊が暴れないようにしてもらえませんか。」
突然のことで、何のことかが分かりませんでした。
どうも詳しく話を聴くと、私の守護霊が「種村の扱いをもっと上げてもらいたい。いまの立場では納得が出来ない。」と、総裁先生のところへ談判しに行って、納得のいく回答がもらえないので帰ろうとしないということのようです。
そのために総裁先生は仕事が出来なくなり、エネルギーを奪われているということのようでした。
私は当時、
「総裁先生は大救世主であり、総裁先生のお時間はすべて人類のために使われなければならない貴重な時間である。
それにもかかわらず私の守護霊のために、その貴重な時間が奪われているということは、本当に申し訳ない。
大救世主の貴重な時間は人類のためのものであり、私一人のために割かれてはならない。」
と固く信じていました。 ですから、これを告げられたときは、驚天動地であり、三界に身の置き所なし、という心境でした。
ただただ申し訳ないという気持ちがこみあげてきました。
途中の停車駅で飛び降りた私は、駅のホームで土下座して、本当に申し訳ないとお詫びをしました。
人事のHさんは、「高橋大亀さんも同じように仰いましたよ」と言い、言葉を詰まらせていました。
そして、
「思いつめるとかえって守護霊が暴れますので、ここはリラックスして総裁先生に思いを向けないようにしてください。
総裁先生の近くにいると、どうしても守護霊が行きやすいので、遠くへいったん旅行されてはいかがでしょうか。
そしてリラックスされてはいかがでしょうか。」
と言われました。
業務命令として、遠方での休養を示唆されたわけです。
当時、日光精舎の講師をしていた私は、急遽、北海道へ旅行に出かけました。
休養の旅なので、温泉に行ったり、夏の花火を見たりと、普段なら考えられないような時間を何日も過ごしました。
そして、ひとまずは大丈夫と言うことで、職場に戻りました。
しかし、実際にはこれが還俗への始まりだったのです。
その後は、何度も、同様の電話が人事からありました。
そのたびに、Hさんは親身になってアドバイスをしてくれました。
それでまた別の地方へと、休養旅行をしたりもしました。
すべてこれは、守護霊が総裁先生のところへ行かないようにするためのものでした。
しかし、ことごとくうまくいかないようでした。
A 大川隆法総裁に感じた恐怖心
それと前後して、私が総合本部に呼ばれたときの事です。
当時、秘書をしていたKさんと話す機会がありました。
Kさんは、後に幸福実現党の党首もされた方ですが、その頃、悪魔からの攻撃を短期間でかわしたというので評判になっていました。
Kさんは秘書の責任者をしていたときに、悪魔からの総攻撃を受けたそうです。
それで一時悪魔に憑依されたので、秘書の任を解かれました。
休養をとり温泉につかったところ、リラックスしたためか、悪魔の憑依がはずれて、数日後に秘書に復帰したという話でした。
温泉につかって何も考えないというのが、悪魔対策にも効くらしいと、このとき話題になっていました。
そうしたことも、人事局のHさんのアドバイスの根拠になっていたのです。
この時、Wさんという元秘書の方とも話しました。
Wさんは後に理事長をされた方です。
Wさんは私に次のような話をしてくれました。
「種村さん、お釈迦様の時代には、釈迦の十大弟子が中心にサンガが動いていたけど、今世は文殊が中心なのですよ。
昔とは立場が逆になっているということを理解してください。」
これは、
「(文殊菩薩の生まれ変わりである)大川きょう子氏が教団の中枢にいるということは、文殊に縁のある人々が教団の中心におかれるのです。
過去世の釈迦十大弟子は周辺に追いやられても当然です。
だからあなたは教団の中心位は戻れない。
だから出世を諦めなさい。」
と、こう言っているように聞こえました。
教団には強い疎外感を感じました。
また、Wさんは、ご自分の体験として、このようなことを話しました。
「私は秘書をするとき、総裁先生からは
『あなたは本来なら私の傍に来れる人間ではないが、今世は特別に秘書をしてもらっている』
といわれました。
秘書になって総裁先生のお近くにいたときに、凄まじいほどの恐怖心を感じた事がありました。
自分が巨大な宇宙の前で本当に小さい存在にすぎなくて、押しつぶされてしまうほどの小さな存在なのだということを、その恐怖の中で感じ取りました。」
仏のそばにいて仏弟子が恐怖心を感じるというのは、本来であれば理解しがたいことです。
一切の恐れのない安らぎの心境を味わうのならわかるのですが、凄まじいほどの恐怖を感じるというのは、悪魔のそばで味わうことのはずです。
しかし、洗脳されきっていた当時の私にとって、大川隆法総裁は絶対の疑うことのできない存在でした。
ゆえに常に大川総裁を正当化する理論を自分自身で組み立てて、自分自身を納得させていました。
この時はこう考えました。
「W氏は自我の強い天狗タイプの人である。
彼のような人が自我を抑えるには、自分の小ささを霊的な感覚で知る必要があったに違いない。
エル・カンターレの偉大さを、恐怖心の中で骨身にしみて感じることで、自我を抑えることができるのだろう。」
職員は、「総裁先生のお言葉です」と言われれば、絶対に正しいと信じて従いました。
これに疑いを挟むことなどありません。
仏陀は法の上に立つ存在であり、法を変えることができる存在であると教えられていたからです。
法に基づいて大川総裁を批判的に見るということは、許されないことだと教えられてきました。
ですから、いかに理解しがたいことでも、「総裁先生が言われた」という一言で職員は従います。
私の還俗に関連する出来事も、いろいろ摩訶不思議なことがあります。
しかし、疑いませんでした。
今から思うと不思議なのは、もし私の守護霊が行ったとしても、真の仏陀ならそれを諭して、考えを改めさせることができるはずです。
それがなぜできなかったのでしょうか。
釈迦教団で守護霊が釈尊のもとから離れず、還俗になったというような記録は皆無です。
また仏陀は無畏施といって、恐れない心を与えます。
恐怖心をなくさせる方なのです。
それが凄まじい恐怖心を起こさせるというのは、道理に合いません。
相手が魔なら、仏陀を見て恐怖心を起こすこともありえるでしょうが、秘書に置くような仏弟子が大川総裁のそばにいて、凄まじい恐怖心を起こし、「この方には逆らえない」と肝に銘ずるというのは不可解です。
マフィアのボスに対して手下が恐怖心を抱くのならわかります。
悪魔と一体化した総裁に対して、弟子が恐怖心を抱いたのなら理解できます。
しかし、仏陀にそば近くに仕えるほどの高弟が、仏陀に対してそうした恐怖心を抱くというのはありえません。
にもかかわらず、当時の私は、そうした理性的な批判は持ち得ませんでした。
それが洗脳された状態と言えるのではないでしょうか。
B恐怖心を使う者の正体
恐怖心に関して、一言述べたいと思います。
釈尊は菩提樹下で悟りを開かれた際に、悪魔の正体を見破り、「おまえは、こんなことを考えて攻めてくるのだろう」と悪魔の狙いどころを全部指摘されたと仏典は伝えています。
その際、悪魔には十の軍隊があることを指摘し、「第六番の軍隊は恐怖といわれる」と喝破されました。
大川隆法氏は『仏陀の証明』でこの魔の十の軍隊のことを解説していますが、なんと中村元訳『ブッダのことば』から引用して、それに解説を加えています。
これはオリジナルの思想としては説けなかったということであり、仏陀の証明とはなっていないのではないでしょうか。
なぜなら仏陀は根源の法を説く方だからです。
さて、大川総裁が恐怖心を多用して組織を統制していることは、よく知られています。
頻繁な異動命令もその一つですが、還俗勧告というのは職員にとっては究極の恐怖心を与えるものなのです。
法名を与え、それを剥奪することもそうです。
「お布施しないと富士山が爆発するなどの天罰が起きる」
「幸福実現党と書かないと日本人3000万人が死ぬ。」
「死にたくなかったら幸福(実現党)と書きなさい」
こうした恐怖の予言を「天照大神」の名前を騙って行ったり、街頭演説で総裁自らが述べていたと報道されていました。
これは恐怖心を使って、会員はもとより、一般の有権者まで操ろうとしているわけです。
今年の2本の映画も、この恐怖心による一般国民の囲い込みに戦略目標があったと感じさせるものでした。
一方、『仏陀の証明』では、かつて大川総裁がこう述べていました。
「この恐怖も悪魔が使います。
特に邪教団などは、この恐怖心をよく使います。
『あなた、大変なことになりますよ』と脅して、金を巻き上げるのです。」
この教えに照らせば、今の幸福の科学は邪教団以外の何ものでもないことになるのではないでしょうか。
恐怖心をなくさせるものが仏陀であり、恐怖心を使って人々を支配するものが魔であるとすると、大川隆法総裁は果たして何者なのでしょうか。
是非とも教えに照らして、大川隆法総裁ご自身にしっかりと判断して頂きたいと思います。
政党として見てどちらがまともか、一目瞭然です。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/12/blog-post_18.html
「幸福実現党と書かないと日本人3000万人が死ぬ。」
「死にたくなかったら幸福(実現党)と書きなさい」
youtubeの動画で見ましたが、大川氏は本当に言っていました。
大川氏のあまりの浅はかさにあきれるばかりです。
恐怖の予言をすれば、人々が自分の言うことを聞くとでも思ってるでしょうか?
彼が堕落していく姿は、オウムの麻原氏とそっくりです。
種村さんが、心理学や宗教の面から恐怖心について述べていますので、私は政治の政策論として述べたいと思います。
今回圧勝した自民党は「列島強靭化」という、極めてまっとうな政策を打ち出していました。
簡単に言うと、
「最近のトンネル事故に象徴されるように、今日本のインフラが老朽化している。
それにまた大きな地震が起きるとも分からない。
そのため、自民党は公共投資をして、インフラを整備していく。
そしてそれは最も効果的なデフレ脱却策ともなる」
といことです。 公明党の「ニューディール政策」もそれと似たものです。
震災などにもそなえて、国民のためにインフラを整備する、という自民や公明に対し、信者は「(実現党を支持しないと)天照さまが怒って地震が起きる」と言い、総裁は、「死にたくなかったら幸福(実現党)と書きなさい」と叫んでいたのです。
政党として見てどちらがまともか、一目瞭然です。
彼らはよく「自分らの政策は一番正しいのにマスコミに報道されないから悪い」といいますが、マスコミ云々の前に、主張や政策論で、自民には勿論、公明党にも完敗してるのです。
また、大川氏は演説で「釈量子は安倍晋三の100倍優秀だ!」なんて叫んでいましたが、みっともないにもほどがあります。
そもそも100倍ってどうやって計るんでしょうか?
彼らは、日本の政治家のすごさを知らないのです。
安倍晋三さんや麻生太郎さんなどは極めて優秀な政治家です。
すくなくとも実現党とはプロと小学生くらいの差があるでしょう。
今回の惨敗はまさに「自業自得」です。
:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-
投稿を頂き、有り難うございました。
論旨明晰で、仰るとおりだと思います。
釈さんについては、自分が可愛がっている女性を持ち上げている感じで、なんとも情けない気持ちがいたします。
失敗に告ぐ失敗をみて、自分たちの過ちを反省するように求められていると思うのですが、反省できないので修正ができません。
自滅へと向かっているように見えて仕方がありません。
世間解というものを失ったのかなと、危惧しています。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/01/blog-post_7.html
もっと呆れたのは、2009年の都議選では全員当選するとの大川氏が言い、
それで選対本部の職員は何通りかの記者会見用の声明文も用意していたが、
選挙の開票が進むにつれて全員落選が確実になると真っ青になったという話です。
これを聞いたときは、私は本当にびっくりしました。
妄想も度が過ぎると、お笑いの世界です。
あれほど「頭が良く、仕事ができるはず」だった大川氏が、
エル・カンターレが、何故このような信じられない判断ミスを犯し続けるのか。
当時の私は理解できず、意外感でいっぱいでした。
全ては妄想に基づく判断であったと考えることで、初めて納得できました。 http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/02/blog-post_18.html
「情報封じ込め戦略」を打破するために
勇気をもって被害を伝えよう
幸福の科学は社会的に警戒されつつも、深刻な被害の実態は、それほど認識されていないと思います。
これは、一般の人が気付かないうちに被害が拡大していくので、大変危険な状況だと思います。
「被害の認識」が遅れている最大の理由は、幸福の科学が些細なマスコミ記事でも名誉棄損裁判を濫訴することで、幸福の科学に関する批判記事や批判の言論を抑止するという「言論封じ込め戦略」をとっていることにあります。
勿論これは大川隆法総裁の当初からの戦略であり、指示によるものです。
マスコミであれば、有力な週刊誌や雑誌であっても、幸福の科学の批判記事は100パーセント訴訟を見込んでの記事となります。
そのために記事の裏付けがしっかりしているとともに、それを裁判でも立証できることが必要になります。
そのために幸福の科学の問題を指摘した記事が、非常に出にくくなっているのです。
しかも、彼らは、記事の中で証言した個人をも訴えてくるので、数千万円から数億円のリスクを背負い込むとともに、裁判での証言や弁護士費用等の裁判費用の負担も考えなければなりません。
こうなると、よほどのことがないと個人名を出して被害を訴えたり、その主張を書籍にして出版するということは難しくなります。
実際問題として、この「言論封じ込め戦略」はかなりの抑止効果を上げてきました。
それが幸福の科学に関するマスコミによる批判が少なく、被害者の実態が他の問題のある宗教に比べて認識されにくい最大の理由です。
幸福の科学は政治思想的には自由主義を標榜していますが、自分たちへの批判に対しては決して自由な批判は許しません。
徹底的にこれを封殺し抑圧するのが、大川総裁のやり方です。
私はこのやり方を冷静に見つめた結果、この教団が政治を左右するようになれば言論抑圧の全体主義に陥り、ヨーッパ中世の魔女狩り的な恐ろしい抑圧社会が生まれかねないと懸念しています。 私が大川総裁に手紙を出したのは、それを真剣に懸念したからでした。
さて、「被害の報道」が少ないことは、「現実の被害」が少ないことを意味しません。
現実には被害は相当広がっており、深刻な経済困窮や家庭崩壊、精神的苦悩の状況に陥っている人が数多くいらっしゃいます。
そうした人々からのご数々の連絡も、私自身いただいております。
にもかかわらず被害報道が少ないことで、「被害に対する社会の認識」が遅れており、現実には被害が静かに深く進行し続けているのが実態です。
信者の中には、自分が被害にあっているという認識を持てないまま、罪悪感や恐怖心にしばられ、精神的な苦しみのみならず、経済的な貧困、対人関係の崩壊、家庭崩壊などで不幸のどん底に苦しんでいる人も少なくありません。
そうした人々には救済の手を差し伸べる仲間が絶対に必要だと思います。
できれば何らかの連絡組織が必要だと思います。
そうしたものがなくても、まずは多くの人や社会に正確に被害の実態を認識して頂くことが重要ではないでしょうか。
それによって不幸の拡大の連鎖を止めることが、ある程度可能だからです。
もう一つ、被害者の声が上がりにくくさせている理由に、いわゆる「洗脳」があります。
洗脳では、まず第一に「罪悪感」の問題があります。
「信仰しても幸福になれないのは、自分の信仰心が足りないからだ」と信じ込まされ、「不幸なのは自分の責任だ」と思ってしまう人が少なくありません。
「信仰は百パーセントを求める。百パーセントの信仰であってこそ奇跡が生まれる。」というその教説に縛られて、信仰して不幸になった責任を自分の自己責任として、幸福になれないのは自分の信仰が薄いからだという罪悪感まで持っているのです。
また「恐怖心」も大きくのしかかっています。
「信仰のロープを離せば地獄に堕ちる」と思い込まされているために、怖くて信仰への疑念を持てません。
また「仏説降魔経」等で、大川総裁や教団への批判をすると「二度と人間として生まれることができない」と教え込まれているので、恐怖心から声を上げることができないのです。
さらに批判すると
「教団から嫌がらせを受けるのではないか」
「支部や精舎に張り紙に張り出され、さらし者になるのではないか」
「教団から訴えられるのではないか」
等、現実的な恐怖心にも襲われます。
こうして被害者の声を上げることも、教祖や教団への批判をすることも封じられてきたのです。
この「言論封じ込め戦略」を打ち破るには、勇気をもって自分や家族の被害を、事実をありのままに発表する声をあげる人が多数出てくることが必要です。
特に幸福の科学はその「教え」と、実際の教祖や職員、組織の「行動」の食い違いがはなはだしい宗教です。
特に膨大な書籍の群れが、この教団の真実の姿を覆い隠す煙幕となっています。
この煙幕が幸福の科学の実態をわかりにくくさせています。
そこで、特に次のことを明らかにする証言が多数出てくることが必要です。
@ 幸福の科学の活動の実態とその悪辣さ、強引さを明らかにすること。
宗教ビジネスとしての手口、さまざまな資金集めの手口と目標必達のための強引な金集の実態を明らかにする必要があります。
A 大川隆法氏のプライベートについての不浄なる行いに関する証言は最も必要です。
会員は教団組織や職員が悪くても、教祖だけは清浄であると思っており、そのために洗脳が解けません。
また各種裁判では、ほとんどすべての裁判でこの点は最も重要な論点となっています。
したがって、大川隆法氏の仏陀であるとの主張と実際の行いの乖離こそは、最も重要な論点なのです。
B 各会員やその家族の具体的な被害の実態です。
経済的被害は金額が明確になるので、非常に説得力があり重要です。
また家庭の崩壊、社会生活に支障をきたしたこと、精神的な被害、教団から与えられた苦痛などは、なるべく具体的にその被害の実態を知らしめる必要があります。
以上の証言は、インターネット上のブログや真実を報道してくれる媒体に送られることをすすめます。
また各種裁判支援のために使ってほしいというのであれば、私に知らせてくだされば、各弁護士の先生方への情報提供の労は取らせていただきます。
【緊急拡散 心ある信者諸氏へ】直ちに「植福の会」の解除を!!
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12202435069.html
「邪教・幸福の科学」の弱点はズバリ、「金」です。
現在、教団は金欠で、火達磨状態の筈です。
にも拘らず教祖は、数千万円の腕時計をコレクションし、
世界に数個しかない数億円の指輪をし、
ブランドもんのスーツを一回着て捨てる、という毎日。
愛人たちには、偉人の過去世を与え、
偉人の名の一部を使った法名をつけ、幹部職を与え、
月給百万超え、月云十万円の高級マンション暮らし。
「世間解」を説き、「与える愛」の実践を勧める
「根本仏の化身」がこの醜態なのです。
心ある信者の皆さん、どうか目覚めて下さい。
昨今、教団は、脱会者に歯止めを掛ける為、
支部長の許可がなければ脱会出来ぬ新システムに移行しました。
そんなもの、どうってことはありません。
一切、関わらなければよいのです。
ビタ一文、布施をしてはなりません。
これが一番、堪えるのです。
直ちに、「植福の会」を解除して下さい。
電話一本で、直ぐ終わりです。
教団の中には、素晴らしい職員さんも大勢居ります。
一見、彼らを苦しめる行為に見えます。
しかし、それは違うのです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fa7df787ab84b78910b2083d893cc2a4) 【緊急拡散 心ある信者諸氏へ】直ちに「植福の会」の解除を!!
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12202435069.html
ここまでやらなければ、彼らの洗脳が解けません。
「生ける悪魔」と化した教祖に帰依し、支える行為は、
自らも悪魔である、と認める行為だからです。
ある意味、心を鬼にして、「植福の会」を全て解除して下さい。
邪教団を支えてはなりません。
霊天上界の助力など、教団には全くありません。
選挙違反という犯罪を犯しながら、反省も謝罪もなく、
「これくらい、いいじゃないか」と開き直り、
なんと政党声明文まで、犯罪を肯定する始末。
諸如来、諸菩薩たちが、犯罪集団を指導する筈もありません。
最早、宗教でも政党でも何でもない、
幸福の科学も、幸福実現党も、ただの犯罪集団です。
心ある信者の皆様、直ちに「植福の会」の解除を!!
そして、「永久休眠信者」となり、事実上の脱会者となりましょう。
堕落し切った邪教団の洗脳を解き、
本当の幸福を目指して、共に頑張りましょう。
まずは、「邪教・幸福の科学」の討伐です!! 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fa7df787ab84b78910b2083d893cc2a4) こんなこともありました。
紀尾井町ビルに移ってからの話です。
原氏の守護霊が長い針をもって、OR氏を突き刺そうとして来ているというのです。
それを止めるためには、原氏にダメージを与える必要があるということで、原さんを中傷するビラを作り、自宅ポストに投函するという作戦が立てられました。
広報局が担当したのですが、そのビラの内容までOR氏か指示がありました。
原さんがあたかもスキャンダルを起こしているかのような話をでっち上げたものでした。
それを自宅周辺にまかれると原さんはダメージを受けるだろうから、あたかも自宅の近隣にまいたように見せかけて、実際には本人宅にだけ投函するという作戦だったと思います。
「敵はでっち上げてでも潰せ」という教えが、未来館の参謀の鉄則という研修で教えられるそうです。
この研修を受けた知り合いから教えてもらいました。
さすがに印刷物にすると差しさわりがあるので、印刷はしていなかったそうですが、講師が口頭でそれを伝えるのだそうです。
ですから、OR氏がそういう指示を与えるのも、相手を敵だと認定したら何でもないことなのです。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/04/blog-post_5.html http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12202995289.html
神様は、「もっと金よこせ」なんて言わない
神様は、「ノルマ達成しなけりゃクビ」なんて
弟子を脅迫しない
神様は、秘書の女性を過去世で騙し
強姦したりしない
僕は30年続けた信仰を捨てた
ピア健氏とツイッターのダイレクトメール
「頼むから嘘だと言ってくれ・シリーズ」を
数日やり取りして、見破ってしまったのだ
「根本仏の化身」の筈だった教団教祖が
ただのスケベなオジサンだったこと
手を付けたオバサンばかりを
周りに並べたハーレム
あれを宗務と呼ぶならば
ただのセックス教団じゃないか
堕落した惨めな元職員と
勝手に決め付けてた種村さんが
金ピカのお地蔵様のように
見えて来たことが妙に可笑しくてワロタ
糞味噌言われて、霊言本で詰られて
億の訴訟起こされながらも、
たった一人で戦ってたんだね 淫祠邪教
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12203274290.html
以下、ピア健氏との同時共同作業によるもの
Q.キリスト教も幸福の科学と同じく、淫祠邪教でしたね?
A.Yes.
Q.セックス教団だった、ということですね?幸福の科学と同じく?
A.Yes.
Q.イエスもまた、言行不一致のORと瓜二つの偽善者でしたね?
A.Yes.
Q.一仙人の分際で救世主を騙ることだけを取っても、
充分、処刑されるだけの大罪ですね?
A.Yes.
Q.聖書は完全にストーリーを美化し、作られていますね?
「救世主・イエスキリスト」ではなく
「犯罪者・イエスキリスト」ですね?
A.Yes.
Q.処刑した側は、犯罪教団を逮捕し、
正当に処罰したのですね?
A.Yes.
Q.当時、イエスを指導したのは、ORこと、「ルシフェル」ですね?
A.Yes.
**************************************** 淫祠邪教
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12203274290.html
職員、信者の中にも大勢、キリスト者として迫害、処刑された方々が居られます。
その真実がコレなのです。
どうか、早く気付いて下さい。
そして今、また同じことを繰り返そうとしています。
幸福の科学、という淫祠邪教に騙され、
ORという仙人崩れに騙されています。
皆さん、残念ながら、我々のこのパラレルワールドは
亜人種収容所でしかありません。
「神無き世界」です。
「神を装う仙人崩れ」しかいないのです。
この刑務所のようなパラレルワールドの封印を解き
真実の神の直説金口の教えを学ぶ為には
まず、偽仏陀と決別すること、
「淫祠邪教・幸福の科学」と決別することなのです。
「騙され続けるカルマ」を今、刈り取って下さい。
今の今、コレをやらなかったら、永久に
仙人崩れの偽仏陀に騙され、奴隷のように
酷使され続ける未来しかないのです。
心ある職員諸氏よ、
心ある信者諸氏よ、
今こそ、気付き給え。
本当の「神」は、上級パラレルワールドにいます。
我々の世界は、最低最悪の下から二番目の世界です。 >>60
大川がサタンの化身であれば、今頃日本は支配されて絶望的な状況になってただろう。
低俗な笑い者大川に憑いているのはゴキブリ程度の小物だな。
大川とサタンを結び付けるのはサタンに対する冒涜だな。 【拡散】エル・カンターレ像に祈る人に地獄の霊や悪魔が取り憑いてきます。それが今起きているのです。
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12203670421.html
この降魔型エル・カンターレ像の推進は、教団の霊的磁場の悪化に拍車を掛けました。
組織を挙げての、詐欺が行われたからです。
そこに邪なものの波動が入らないわけはありません。
エル・カンターレ像は教祖とつながっていきます。
霊的には大川隆法氏につながるのです。
そして幸福の科学を指導している霊的存在へつながっていきます。
問題の鍵は大川隆法氏の心境なのです。
奥さんを罵倒し、何人もの女性問題を継続的に引き起こし、弟子を罵倒し、悪口を霊言と称して語り、
金集めに奔走し、自分は贅沢三昧をする者の心が何処に通じているかは、はっきりしています。
悟りをいつわる者の「心」が無間地獄に通じることは、あなたも知っているでしょう。
ゆえに、エル・カンターレ像に祈る人に、地獄の霊や悪魔が取り憑いてきます。
それが今起きているのです。
だからこそ、神があなたに過ちを修正する機会として、 週刊誌や裁判やブログを通しての洗脳解除の仕事をさせて下さっているのです。
こうした機会を与えて下さったのです。
その事に感謝して下さい。
真の釈尊、真の神に感謝してください。
あなた自身が、相当深い洗脳状態でした。
ですから、その得意の説法を通じて、多くの過ちを広げてしまったのです。 大川・八正道の最大の誤りは、根底に愛の想いが欠けていること
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/05/blog-post_28.html
(投稿)洗脳解除そして脱会へ・・・幸福の科学の教義、反省の誤りC
3.大川・八正道の最大の誤りは、根底に愛の想いが欠けていること
@ 正道を捻じ曲げる正信の恐怖
1)目に見える生き仏を信じる危険性
親を愛し信じている幼い子供は誰でも親を真似ます。
同様に人は強い信頼をおいている人の言われることを「あの人の言う事だから間違いはない。」と信じる傾向があります。
ましてそれが、生きた仏への信仰であるならば、絶対的な信頼になっています。
生き仏の言葉は仏法、仏の教えといいます。
この法の内容を吟味すれば良いのですが、信じるということは盲目に等しく信じている間は是非が解りません。
それは盲目に信じるという思いは、思考停止を生むからです。
「仏の法は絶対の理法で、全て正しい」という洗脳状態に入ります。
私もそうでした。
こうなってくれば、生きた仏の手足になっていきます。
仏の想い実現の為の手足になっていきます。
活動信者はまさに生きた仏の手足になっています。
正信(正しい信仰)というのは、一歩誤れば恐ろしい教えなのです。
それを八正道の正見の前においているのは、八正道の実践で正見、真実に気がついてしまわない為のものです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) ここが違うと、以降は全てこの信仰による目、行動で実践します。
即ち生き仏の想い、欲望までも形を変えて自分の心にコピーされるのです。
K会では正業は法を広める事を最高として捉えます。
その為に精舎、学校、埋葬所等を建立し、莫大なお金が必要になるので、布施の精神を説きながらも祈願、研修、法話の金額にまで目安の額が付加されています。
高額になると1千万以上の目安で植福菩薩の称号を与えられます。
伝道、布施、研修、献本等は全て修行論として捉えられ、悟りの道への修行という見方をし、正精進ということになります。
これは、法が間違っていれば全て邪道になります。
そもそも布施に目安金額が付加されているのは布施の精神、正思に反します。
これは生き仏の心が誤っているのです。
目安金額が出せない人は、救われないということなのです。
法話さえ聞けないのです。
生き仏から見て、一番大切な法を説いても聞く人が限られてくるということです。
経文には確か、仏陀の説法は宝の山とあったはずです。
釈尊が貧者の一灯を説かれたのは、このような悪事を見通されての事だと思います。
あくまでもまずその心、気持ちが大切であるということです。
又、悟ってもいないのに一気に菩薩の称号を与えるのは、正精進に反しますから、本来の釈迦の八正道の精神に反しています。
つまり、八正道における正しい目、正見が出来ていないのです。
正信というのは、正しい信仰により正しい法を学び、実践するということです。
正見は、正信によって得た真理の目の心で世界をみていくということです。
つまり、正信=正見、正しい目で見る為の真理が正信、真理の正しい目で見ていくのが正見ということになります。
正見ができていないということは、正信が誤っているということなのです。
本来、八正道というのは、自己の心を反省によって点検し、過ちに気づいたならそれを正していくという実践論です。
自己に向けられた修行法です。
生き仏を仮に仏陀とするなら、仏陀が説く法で金銭の多寡を決めるでしょうか。
悟ってもいない者に菩薩の称号を与えるでしょうか。
高額な建屋を建立する事を先行させて、布施を集めるでしょうか。
自分がもつ時計に一千万近いお金をかけて、それをいくつも収集するでしょうか。
これに気がつかない人は、信仰において思考停止の状態にあり、正邪の区別ができなくなっているのです。
つまり、正見が実践できていないのです。
誤った正信によって、目(心)に霞がかかっているのです。
これに救世、菩薩、仏弟子というキーワードが重なれば、自己陶酔の状態に入って行きます。
しかして、釈尊の八正道は、誤った信仰の道具になってしまうのです。
「淫祠邪教・幸福の科学」に天罰を!!
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12204337948.html
活動信者たちをあそこまで暴走させるもの、
家庭は崩壊し、経済は崩壊し、それでも尚、
自ら身包みを剥ぐかのように、
教団に貢ぎ続ける狂気。
そうさせる心の一つに「優越感」があると思う。
自分は他の信者たちより先んじている、優れている、という快感。
社会の中で唯一、自分がメインとなり、主役となり得る場所、
それがHS支部だからではなかろうか?
明らかに、純粋な信仰心とは違うと思う。
毎年、毎年、常軌を逸した布施や購入のノルマ。
異常としか言い様がない。
まるで、悪代官の年貢の取り立てだ。
「信者は、生かさず、殺さず」とOR自身が
周囲に言っていた、というから腹立たしい。
金、時間、友人、家族愛、あらゆるものを失い、
犠牲にし続けて尚、狂ったように活動し続ける信者たち。
根本仏の手足となって働いている、という勘違い、
自分こそ、誰よりも神近き者として先んじている、という優越感。
この優越感こそ、麻薬のように仏性を蝕むのではなかろうか?
そこには、見返りを求める心がある。
無私、無我なる心ではない。
いくら何でも、あの異常な毎年のノルマは狂気なのだ。
明らかに、信者たちの生活の安定など、完全に度外視したノルマだからだ。
これ以上、沈黙し続ける訳にはいかない。
心ある信者諸氏よ、
心ある職員諸氏よ、
立ち上がれ!! 厳し過ぎる洗脳解除
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12204467083.html
私生活の全てをHSに
投入し続けてしまった信者たちはもう
自力での洗脳解除は不可能だろう。
そう、
もうそれ無しでは
生きて行けないところまで
中毒症状は重症化している。
一般社会の知識はなく、
閉鎖的なカルト世界の
マニアックな情報しか知らない。
HSの本しか読まず、
HSの世界の情報で
全てを判断しようとする。
責任者と支部へ、直接話して
メールまで送った私を、今頃彼らは
哀れな転落者のように
言ってることだろう。
それで構わない。
見下すだけ、見下してくれればいい。
とにかく、絶対反省出来ない人たち。
インチキ御本尊の前で祈り、瞑想すれば
いつも、導き出される答えは同じ。
「常に自分は、絶対に正しい」
とある熱心な某支部女性部長さんの
十八番の口癖がある。
「エル・カンターレを信じて、
不幸になるなんて、絶対有り得ない」
おいおい・・・・
その「エル・カンターレ」も
「エル・ランティ」も、
架空の人物だよww
そんなヤツ、最初からいないんだよww
こんな当たり前のことすら、
分からなくなってしまう。
それが、洗脳の恐さだ。 「エル・カンターレ」という虚像を無条件に礼賛する理由
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12204483329.html
何故、信者たちは、エルカンターレという
虚像を無条件に礼賛するのか?
意外に単純な理由からである。
嘗てのTV討論番組で、当時幹部の
S氏の発言が著しい。
「どうしてORが仏陀だと言えるのですか?」
という問いに対し、
「読めば分かります」と答えている。
確かに、内容的には
一定レベルの良さはあった。
しかし・・・・
本の内容が素晴らしいから仏陀だ、
という判断は、完全な間違いである。
正しくは、
「その素晴らしい内容を著者自身が実践し、
体得し、仏陀として生きている」ことが
その実証となる。
「実践なき美辞麗句=仏陀」、
これが幸福の科学の洗脳の
根底に横たわっている。
ハッキリ言って、愚かだ。
単に、本の内容に陶酔しているだけなのだ。
即ち、ブログランキングの
「美辞麗句バラ撒きブロガー」の
口先に騙され、惚気まくる
おバカな人妻が続出したように、
「口先の愛撫」に過ぎないのだ。
実践なき美辞麗句は、仏陀でもキリストでも、
宗教でも道徳でも、何でもない、
ただのまやかしだ、ということを知るべきだ。 心ある信仰者諸氏へ ”エル・カンターレへの祈りは誰が受けるのか”
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12204579743.html
このままだと西日本に大きな天変地異が起きる可能性がある。
HSを経済的に支える名立たる大黒天たちが大勢いるからだ。
淫祠邪教を支える罪は、万死に値する。
何としてもOR逮捕を早めなければならない。
心ある人よ、どうか拡散してほしい。
性犯罪被害者の方、詐欺被害者の方、
どんどん警察へ告発してほしい。
金輪際、HSへ布施してはいけない。
直ちに「植福の会」の解約を。 邪教団を支えることは大罪を犯すこと
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12204605634.html
信者たちはね、「疑ってはならない」と
強く教えられているのです。
「信じ切れ、信じ抜け」と。
ですので、ORや宗務の犯罪を
目の前で見なければ絶対に
受け入れませんよ。
「パンティ強盗」なんかじゃ手緩いですよ。
河口湖殺人だって「ふぇ??」って感じです。
あのね、本物の神様を
疑ってはいけないのであって、
ORは偽神様なんですよ。
これは、寧ろ、疑って
断罪しなければいけないのです。
一日も早いORの逮捕を望みます。
強姦の立件が多ければ多いほど、
いいと思います。
全ての信者さんたちよ、
直ちに「植福の会」を解約して下さい。
もう、あんなドスケベ・バカボンたちを
経済的に支える必要はないのです。
否、邪教団を支えることは
大罪を犯すことでもあります。
早急にORの逮捕を!!
頑張れ、警察!!
「邪教・幸福の科学」を叩き潰せ!! 麻原とORのバカさ加減は、同じである
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12204608501.html
僕には、麻原とORが同じに見える。
リモコンヘリ二機でサリンを撒いて、
「祟り」を起こす練習して
二機同士、衝突させて壊しちゃったおバカ。
将又、霊の声の正邪も分からぬ
ORバカボンは、突然、立党し、
「やっぱやめた」と我儘を繰り返し、
結果、ボロ負け。
年収半減の大ピンチとなった。
僕は思う。
麻原とORのバカさ加減は、同じである、と。
ORは、高学歴と悪知恵で、
バカを上手に包んでるだけで
中身は同じだ、と思う。
あまりに稚拙だ。
公称1100万人??
見れば嘘なの、分かるじゃん。
バカじゃねーの、コイツ、って思った。
閑古鳥鳴く支部に、
ヨレヨレのオバサンたちが
作った明るさを、今日も振り撒くのだろう。
嘘の霊言、嘘の神様、
殆ど全部、ルシとアマのコラボなのに・・・・ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 大悟館を攻め落せ!!
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12204625013.html
徳川家康【警視庁】の、豊臣家の大阪城【幸福の〇〇】攻めが!始まりましたな(^。^)
徳川家康が大阪城に籠城した豊臣秀頼と淀君とその残党を攻めた。
大阪城は炎上して2人は、自害した。
そのキッカケとなったのは!
豊臣秀吉が建てた、難攻不落と言われた大阪城。
徳川家康が取った最初の一手は、外堀【五万円男の逮捕 (笑)】を一つ一つ埋めて行った事でした(笑)
この意味を幸福の〇〇さんは!理解出来るでしょうか!(笑)
大阪城に籠城していた者は、徳川家康の狙いを正しく読んで居なかった。
それが!大将【豊臣秀頼】の陥落へと繋がる序章に過ぎなかった事を(笑)
警視庁さんの狙いは、法廷の裁判の過程において、
五万円男の事件をキッカケに
五万円男からの証言を引き出す事ですね(笑)
つまり!金の流れ(笑)
その源流は、モチロン幸福の〇〇(笑)
これが目的(笑)
法廷での証言は、全て、公に証拠として残る(笑)
モチロン、記録もされる。
これが!警視庁だけの調べで終わらすと!
証拠には!成り得ないから(笑)
モチロン!五万円男は!
嘘の証言をすると偽証罪に問われる。
黙秘権は!有るが、黙秘すると単独犯とされ!
罪の減刑や情状酌量が得られないので、
そこを検察側がついてくるはず(笑)
わかりやすく言えば、
事件の裏側、金の流れ、全て、
白状すれば!罪は!軽くなるよ(^。^)と諭す(笑)
そして!五万円男が知り得る金の流れや、
今回の選挙の絵を描いた人物たちの名前を証言させる(笑)
これが!この公判の本当の狙い(笑)
五万円男の公職選挙法違反の判決、有罪決定は二の次(笑)と言うか!
警視庁にとっては!付け足し(^。^) 【洗脳解除】幸福の科学の欲望の道具となった信者たち
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12205291946.html
(投稿)脱会者からのメッセージ・・・転落の1994―1996@
幸福の科学の欲望の道具となった信者たち
K会(幸福の科学)の活動を振り返ってみると、1994年から1996年がピークだったように思います。
当時私は在家でリーダー的な役割を担っていました。
支部活動でのリーダーとしては、地区長、チーム長、伝道、普及、行事、植福等の各部長、SPM長、青年部長などの役割があります。
各仕事の表向きは救世活動ですが、内容は結局の所、目標数値の達成です。
目標数値は、かなり高い数値だったのを覚えています。
これらの役割に応じた目標数値の達成に支部長、職員は在家会員を言葉たくみに必死で先導していました。
どの活動も全て会員を圧迫しましたが、当時特に酷かったのは、伝道、(書籍)普及、行事(おさそい)関係です。 【洗脳解除】幸福の科学の欲望の道具となった信者たち
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12205291946.html
@巧みな誘導
支部長、職員の言葉によく見られたのは、
「仏が決めた目標」、
「(目標が達成できなければ)仏をはりつけにすることになる」、
「(目標を達成できるか否かで)仏のふるいにかけられている」、
「(目標達成できねば)仏を裏切る事になる」、
「今世を逃すと菩薩の道は難しい」、
「今世は10転生分の効果がある」、
「(今世頑張らないと)あの世に帰って後悔する」
などで、他にもたくさんあります。
教祖(大川隆法氏)の言葉は、
「あなたがたは今世、私は必ずお役に立てます、といって競って生まれてきている」、
「仏は魂の親」、
「仏の誹謗中傷は大阿鼻叫喚地獄」、
「会員は天国が保証されている」、
「今世は菩薩になれるチャンス」、
「全てをなげうってでも」、
「不借身命」
「法を説くは師にあり法を広めるは弟子にあり」、 【洗脳解除】幸福の科学の欲望の道具となった信者たち
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12205291946.html
「全世界伝道」、
「ユートピア」、
「光の天使」、
「仏弟子」、
「選ばれたる者」、
「7次元菩薩」、
など他にもたくさんあります。
支部長、職員の言葉には、信者が動くように強制する恐怖心や不安を呼び起こす内容が含まれていますが、教祖はかなり上手で恐怖心を根底としていますが、正反対の自己陶酔へと意識を向けています。
恐怖心をあおられればあおられるほど、活動会員は「私たちだけは仏との約束を裏切らずに助かって救われている」という安心感へと向います。
逆に、批判する者には悪魔視をして、「大阿鼻叫喚地獄」という言葉を当てはめます。
恐怖心とは逆に、危機の時代、仏陀再誕、9次元、救世主、天国の保証、菩薩への道、与える愛、悟り、救済、誇り、希望、発展繁栄、などと会員に対しては未来を示します。
実に扇動が上手です。
A活動の実態
このころ活動会員はたくさんいました。
仕事が終わったら毎日支部へ通い伝道活動です。
1994年から1995年にかけては、まだ天上界の光は降りてきていました。
しかし、この酷(ひど)い活動で活動会員は徐々に人間関係、時間や経済が圧迫されていったのです。
毎月の伝道数が追いつかないので、無理な信仰告白をしてしまい人間関係を破壊していきます。
活動時間が長くなり体を休めることもなく無理をしますので、仕事に支障をきたしてきます。
「仕事を捨ててでも活動しなければならないのか」という苦悩の声が聞こえてきます。 【洗脳解除】幸福の科学の欲望の道具となった信者たち
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12205291946.html
経済的には、毎月毎月の書籍購入目標が膨大で、電気、ガスが止められた方や貯金が底をついた方が徐々に出てきました。
「もうこれ以上は経済的に無理なのにまだ膨大な目標がおりてきている」という悲鳴が聞こえてきました。
「書店で在庫がはけないから20万円で買い取ったが信者にはこれ以上無理させられないから」といって部屋中本だらけの方もいました。
私は支部長に相談しましたが、
「仏がたてた目標に間違いはない」、
「仏のお役に立つために生まれてきている」
などという返事です。
何を言っても無駄でした。
私は、これは酷い状況になっていると察知して個人的に内緒で苦しい地区の目標を削ったりしていました。
当時の某支部の支部長は愛に欠けていました。
自分は活動を強制するだけで、信者がこれほど苦しんでいてもその悲鳴が理解できないのです。
当然、人の心が遠ざかっていきました。
こうなってくると、支部では裁きが蔓延します。
愛の無い状態です。
悪口、愚痴、不平不満、怒り、憎しみ、嫉妬、慢心、迫害、いじめ、裁きが蔓延してきていました。
こうなれば悪魔が暗躍してきます。 【洗脳解除】幸福の科学の欲望の道具となった信者たち
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12205291946.html
支部には悪魔がきていました。
支部長、職員は、活動会員を裁きます。
肉体疲労、精神疲労、経済的に困窮で1997年ごろになると地区長クラスの脱会者が出てきだしました。
日頃、愛を説く支部長は一番、まったく会員への愛がないのです。
単なる霊道者です。
根源は教祖夫妻に罪があるのです。
これほどまでに信者は、お金を工面して支えてきたかわかっているのでしょうか。
この苦しみは文筆に尽くしがたいものです。
想像以上です。
この状況下で教祖夫妻は一体何をしていたのでしょう。
私は批判しました。
教祖も支部も。
そして、悪魔にされました。
K会の歴史は、信者の血で塗り固められた歴史です。
熱心な会員は、貧乏になりました。
人間関係が破壊されました。
たいへんなことです。
(続く) 「数は、愛です」の異常
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12205335795.html
「数は、愛です」
上層部のバカの戯言が下に伝染して、末端の数上げ婆あまで口にすうようになったHSの迷言の一つ。
これ、完全な摩り替えね。愛ってのは、相手の幸福を願っての心と行い。
これが大切だってこと。
数はあくまで、愛の行為の後の結果。
ところがHSは、その
「行為の結果であるところの数字」こそが愛だ、悟りだ、
と定義付けしたから、さあ、大変。
つまり、「結果が出なけりゃ愛じゃない」ってこと。
だから、キチガイ信者たちが、何をやり出したか?
飲み会やパーティーを開いて、参加者名簿に署名してもらい、
その景品として「入会版・正心法語」を紛らせて「ハイ、入会」とかやり出した。
「結果出たから愛なんだ」と。
バカじゃねーの?と言いたくなるが、これがHSの正体。数字原理主義の結果原理主義。
とにかく、徹頭徹尾、金と数字。
もう、骨の髄まで沁み込んでて、絶対、治らないよ。
だから、「公称1100万人」なんて言ったって、「焼肉大会に署名しただけ」の透明人間ばかりが「数字としての信者」なのさ。
にも拘らず、あのバカボンORは、「選挙に勝てる」と信じ込んで立党したはいいが、ボロ負け。
これって、必然的なワケよ。
「見上ぐる天空に木の葉一枚落つるも、何一つの偶然はない」のです。
勝てる訳ないから負けたのです。
永久に勝てません。
だって、全然、信者いないし。
信者たちは、ボロボロのヨレヨレで布施を貢いでも、当のエロ姦とその愛人たちは、ハーレムで贅沢三昧なんだよ。
だからもう、「植福の会」を解約しろよ、みんな。
バカボンと愛人たちをカラッカラに干上がらせてやろうぜ。
面白ぇーじゃん。
そう、「見上ぐる天空に木の葉一枚落つるも、何一つの偶然はない」のです。
神様が滅ぼそうとしている邪教団は、滅びるしかない、ってこと。
それだけのことさ。 正しい宗教から、
ガンレオNZKのような
無反省自己陶酔患者が
次々と量産される筈がありません
30年信仰し、学び続けた結果が
自己愛性人格障害ならば
何て恐ろしい邪教でしょうか
【洗脳解除】没落の法則から逃れる道
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12205415788.html
(投稿)脱会者からのメッセージ・・・転落の1994―1996C
G没落の法則から逃れる道
1995年―1996年は、正に転落のはじまりだったと思います。
堂々と悟りと救済を掲げていた救世団体が金の欲望に本格的に取り憑かれた時代であったと思います。
それは、教祖(大川隆法)の転落のはじまりであったと思います。
その後、霊言集の姿は書店では見なくなりました。
支部には悪魔が暗躍し、常に魔の存在を感じていました。
愛に欠け裁きが蔓延しはじめた時です。
人を悪魔視する傾向が強くなった時です。
この頃より、私は常に魔に監視されている状態になっていったと思います。
こうなれば、人生は傾いて行きます。
没落していくのです。
周囲に魔が入り込んでいき、本人の人生を狂わせて行きます。
つまり、没落させられていくのです。
過てる仏に祈ったところで救いはなく、益々酷くなっていくのです。
何故か自分が不幸になっていく、迫害されていくという方は、魔が周囲に入り込んでいます。
魔は本人の人生を破滅させていくのです。
そして最後には自分に魔が入り込んできます。
原因は自分にもあるのです。
ここまでくれば余程強い精神でないと抜け出すことは難しいでしょう。
種村氏のロールレタリングのカウンセリングを受けるべきです。
ここから、脱する為には、過てる神への信仰を捨て真なる神への信仰を抱くしか道がないのです。
しかし、独力は難しいのです。 【洗脳解除】没落の法則から逃れる道
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12205415788.html
H永遠の地獄から抜け出すには
私自身過去を振り返ってみれば、常に大きな不幸が付きまとっていたと思います。
又、貧乏神が付きまとっていたと思います。
教祖は最大の貧乏神です。
信者はお金を全て吐き出し貧困に喘ぎますが、教祖一家、幹部は不自由なく、豪華に暮らしてきたようです(アンチ情報より)。
これが現実です。
信者は気がついた時には年齢もいき、社会情勢は厳しく、現実面での再起は難しいのです。
信者の心、人生を犠牲にし、その反面優雅に暮らす教祖一家、幹部の罪は重いのです。
神は全てを見ておられます。
神の目からは逃れられません。
降魔経に説かれる罪の報いは、その罪の度合いに応じて、信者を犠牲にしたK会の本人たちにこそ返るでしょう。
信者は身を焼かれ、切りきざまれるような想いで過ごしてきたのです。
どれだけ裁きに耐え、貧困に耐え、疲労に耐え、生活の不安や精神の破綻に耐えてきたことかわかりません。
信者は脱会後もかなり苦しみます。
熱心な信者は生死の境をさまようまでいくことがあります。
霊的な信者は更に苦しみます。
この地獄から逃れる為には、内なる神の心を愛することが大切です。
たった一つのこの思いが、長年に渡り植え付けられてきたK会の悪想念を一掃するでしょう。
愛の無いところに自我我欲は生まれ、悪が発生してきます。
愛無きところに真なる繁栄はありません。
つまり、自分の正体が愛であることに気がつけば、永い地獄から逃れることができるのです。
以上 『創価学会を斬る』(佐高信)
(抜粋)
それを読んで、今年の3月13日に、東京都の大田区議会で
公明党の区会議員がやった質問を思い出した。
質問というより“焚書坑儒”的要望である。
「『週刊新潮』『週刊文春』『文藝春秋』を
全大田区の全図書館から排除してもらいたい」
幸か不幸か、本誌は入っていなかったが、この議員は
「週刊誌は人のことを中傷している」とし、
「私は不愉快だから何とかしてもらいたい」と訴えた。
「不愉快」の感じ方は人によって違う。私は、
公明党のバックの創価学会のドン、池田大作の跋扈こそ不愉快だが、
それでも、彼の本を図書館から排除してもらいたい、とは思わない。
しかし、彼らは排除を求める。それは自信のなさを表してもいるが
『週刊新潮』の3月30日号によれば、1969年に刊行され、
言論出版妨害事件を惹き起こした『創価学会を斬る』(日新報道)
の著者、藤原弘達が昨年春に亡くなった時、夜中じゅう、
「おめでとうございます」という電話が続いた、
と妻の充子さんが証言している。
「実は厭がらせは主人が死んでからも続いたんです。
出版妨害事件の時は段ボール箱に3箱以上も投書が来ましたし、警察が
うちの子どもに警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました。
彼らは本当に仏教を信じているんでしょうか……」
ギンギンギラギラ飾らねば、貧乏波動を打ち返せない仏陀など、有り得ません。
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12204833343.html#c12883804129
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12206270959.html
反省から自己変革へ繋げる、発展的宗教者の心の在り方とは、種村氏がブログで述べているように、ありのままの自己を受容する、
つまり、醜い自己をこそ全部受け入れ、矯正してゆくこと、これが反省から発展へのプロセス。
幸福の科学が没落の一途を辿る理由もここにあり、昨今の家宅捜索でも見られたが、全くと言っていいほど反省が出来ない。
金に狂い、異性に狂い、数字に狂う自己を受け入れ、矯正する、というプロセスを全く踏めないビギナー以下の完全悪魔体質なのだ。
この傾向は信者たちにも顕著に表れています。
30年経っても未だ、面談、面談と職員を追い回す、吸血鬼のようなオバサンたちばかり。
つまり、30年経っても未だ、反省を知らず、愛の意味すら分からないのです。
それもその筈、教祖自身が、全くその状態だからです。
布施、購入などの強要により、信者たちは極貧生活をしているのに、このバカ教祖は、数千万の腕時計をし、数億の指輪をして、「貧乏波動を打ち返す」などと、
これまた、自らを、そして信者たちの困窮振りを顧みることなく、嘘八百並べて、己の卑劣を合理化しています。
ギンギンギラギラ飾らねば、貧乏波動を打ち返せない仏陀など、有り得ません。
仙人・大川隆法の正体、見たり!!
汝、仏陀に非ず!!
生ける悪魔よ、恥を知れ!! 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) (投稿)信者が辞めていく本当の理由
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7835399.html
二世信者による告発
初期のころからコロコロ変わった過去世「設定」
<検証・大川隆法3>
過去世認定の確率
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/06/blog-post_12.html
こちらのブログを拝見しました。
2つ感想を持ちました。
同感できないところと非常に同感できるところがありました。
<そう信じた理由の一つは、最近まで、一度認定した過去世を決して変更しなかったからです。
ところが、大川隆法氏の近くにいた人の過去世の大幅な変更がありました。>
(ブログから引用)
そんなことはないと思います。
「方便の時代は終わった」で、高橋信次や関谷さん、原さんなど大幅な変更をしています。
高橋信次についてはエルランティ→ただの裏側、関谷さんは天台智といっていたのにその否定です。
あと小川空城さんも曹操でないとか。
当時中学生だった私が覚えていて、あれれ?と不思議に思ったぐらいですから。
非常に同感できる点は、過去世の認定がころころ変わるという点です。
アンチは「過去世の"設定"」と言っているようですね。
種村さんの過去世認定(設定)も、恭子さんのそれも確かに覚えています。
中学生だった私が覚えているものを、われわれの親など、当時大人だった人が忘れるはずがありません。
今回、総裁は過去の認定が正しいか(つまり恭子さんは文殊、種村さんは舎利弗等)、今の認定が正しいか(実は文殊、舎利弗は息子たちだった)を選ばなければならず、
当然今の認定が正しいとしたのですが、それは種村さんがおっしゃるように、幸福の科学の根本を否定することになりました。 (投稿)信者が辞めていく本当の理由
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7835399.html
もはや信仰できる状態にはない
<大悟したという時も、日興がイイシラセを自動書記で書かせたと言いますが,本当に日興なのでしょうか。
どうしてそれを確認したのでしょうか。
日蓮が指導したと言いますが本当に日蓮でしょうか。
黄金の法も過去世の認定を正しくするだけの霊能力がない以上、信じてはいけないということなのです。>
(ブログから引用)
「イイシラセ」として今もメールやFAXを流していますが、そもそもそれが日興によるものだったのか?
それを大悟としていいのか?
会員さんにとっては、過去信じたものを否定しないと今信じることができない。
一種の踏み絵ですね。
私の親やほかの活動会員さんはどうしているのかと申しますと、「忘れてそれを心の奥底にしまい、触れない」のです。
恭子さんとの「文殊よ、泣くでない」の話を親としましたが、「そんなのあったっけ?」でした。
テープやビデオを全巻もっているのにです。
そこに触れてしまうと、自分の中のすべての前提が崩壊してしまうからです。
そのように、自己矛盾をしないと信仰をつづけることができない状態にしている総裁はひどいと思います。
布施をたくさん取るのもひどいと思いますが、こっちのほうがもっとひどいのではないでしょうか。
宗教なので、政治家がころころ主張をかえるのよりずっとひどいです。
親は、「恭子や種村のせいで会員が減っている」と言っていますが、違うんです。
やめている会員さんは、自己矛盾を受け入れられなくなったからです。 初期の霊言集は潮文社から1000円前後で販売され、その後は土屋書店や幸福の科学出版からも発売されました。
こうした霊言集を豪華装丁の内部売り経典として1冊2万円で全50巻を発売しています。
この霊言集の販売には非常に巧妙な方法がとられました。
ある元信者は次のように証言しています。
「この霊言集の購入金額が多い支部から順に自前の支部精舎を建てるという本部からのお達しに基づき、役職者をはじめとするリーダー信者は必死になって高額なこの霊言集を何冊も買うことになりました。
私の場合、もっと霊言集を買わないと支部精舎がいただけないからとせかされて無理をして40冊ほど買いました。
計約80万円もの支出でした。
『時限を決めて有無を言わさずお金を出させる巧みなやり方』だと思いましたが、『魔が入った』と言われるのが怖くて批判的な言葉は言い出せませんでした。」
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/06/blog-post_27.html 教祖の自己満足と印税の確保、そして教団の収益確保のために、信者が時間とお金を注ぎ込んでいる実態
http://bakaleo.diary.to/archives/11553794.html
K会では平均3年に1本の割合で映画が作られます。
そのたびに布施が募られます。
映画に関する布施には大きく二つがあります。
一つが信者企業や取引企業に協賛金を出させるもので、協賛会社の名前を映画の最後にいれて宣伝します。
教祖のOR氏が協賛会社をチェックしていて、常連の名前が見えないときはプッシュさせることがあります。
私は教祖に直接催促されて協賛金を出したというある企業役員の話を聴いたこともあります。
もう一つは、映画チケットも割り当て購入です。
献本と同様に目標数字が総合本部で決められ、末端の信者が数枚から100枚、人によっては1000枚近く購入する人もいます。
布施と活動の実態をある元信者は次のように証言しています。
「映画チケット(鑑賞券)の買い取りについても、本部から設定された目標を達成するために毎回100枚程度買い取らなければなりません。
私はその映画チケットのほとんどを自分で知り合いに配りましたが、多くの信者は渡しきれずに自分で何回も見ます。
なかには50回以上観た人もいましたが、私が映画館に出向いてみれば毎回まばらに入っている観客の中にグーグーと寝入っている同じ支部の人たちがあちらこちらに見えました。
これは一部の熱心な信者が動員報告数をあげるために無理やりやっていることなのですが、かえって逆効果であり、
このやり方を許している教団は信者のお金と時間をあまりにも無駄遣いさせていると思いました。」
別の元信者はこう証言しています。 教祖の自己満足と印税の確保、そして教団の収益確保のために、信者が時間とお金を注ぎ込んでいる実態
http://bakaleo.diary.to/archives/11553794.html
「幸福の科学では、布教の一環として何本もの映画を制作して上映していますが、これらも信者が布施と称してお金を出しチケットを購入し、
それも『仏から頂く尊いものである』と言われ、支部の本尊前でうやうやしくお金を出してチケットを買うという儀式までやっていました。
当時の私も綴りになったチケットを購入して、友人知人に無料で配り、
『何度も観ることで仏の気持ちがわかり仏と一体になれる』
と言われて、毎日のように映画館に通っていました。
当然、家事などそっちのけでした。」
これは私も同じようなことをしてきました。
映画館では一人の信者が一日に何度も観ます。
やがて10分したら出てきて、また次の上映時に入るということをするようになります。
こうしたことが続いたのも一因で、以前は東映系の映画館で上映されていましたが、2012年の映画からは東映に映画配給を断られ、やむなく日活系の映画館に変わりました。
経典の購入、献本書籍の購入、映画観賞券購入。
これらもK会における集金システムの一部です。
そしてその目標数値はしっかり教団が管理して言葉巧みに信者を操り洗脳し、目標額を集金しています。
教祖の自己満足と印税の確保、そして教団の収益確保のために、信者が時間とお金を注ぎ込んでいる実態がそこにはあるのです。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207055540.html 【K会からの教訓】依存の恐さ、宗教オタクの恐さ
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207254774.html
誰にも「依存欲」はあるよね。
験担ぎもそうだけど、やはり、大いなるものに委ねたい思いはある。
全てが神様の子だから、神様を求める、ってのは真理だろう。
が、しかし、それを悪用してエゴを充たそうとする鬼畜が存在するから堪らん。
ってか、そんなのしかいない最悪パラレルワールドな訳だ、俺らのこの世界は。
HSってのは、超インスタント。
金貢げば菩薩、本ばら撒けば菩薩、試験良ければ菩薩。
これが修行??バカじゃねーのww
これが更に「キチガイ化」したのが「にほんブログ村幸福の科学カテゴリ」の狂気。
美辞麗句並べるだけのドラキュラ・ボロガーが「神」として君臨。
その実、そいつは自支部の支部長にすら認知されていないぶら下がり。
そんでも、「人気=悟り」「人気=菩薩」のようで、子持ちのオバサンたちが狂乱。
「大好きー」「サミスィ〜☆」「娘婿にしたい」「舘ひろしみたい」
今も、狂いまくっているから呆れる。
読書=菩薩? 美辞麗句=悟り? 捏ね繰り回した長い文章=天使?
HSは「キチガイ製造工場」だねww
この教団では、真理の実践、継続、体得の重要性は、全く説かれていない。
つまり、お勉強したら即、悟り、菩薩、という超インスタントな「教え」。
これ、宗教じゃないよ、ただの「遊び」。
だから、美辞麗句並べて人気が出ると、担ぎ上げられて「神」になるおバカなボロガーが、
公開処刑の嵐を吹き荒らす醜態を晒し続けるようになるのさ。
そもそも、教祖自体が、仏陀を名乗りながら、仏陀として生きれず、デパスがぶ飲みして、
女性秘書を犯しまくっている訳で、こんなの宗教ではなく、ただの犯罪集団でしかない。
職員諸氏よ、信者諸氏よ、速やかに退会すべきでは? 【依存心に向き合うB】依存心理の実態
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_9.html
依存対象を求める
私は実家のある滋賀に帰りました。
しばらくして母が病気で倒れたのを機に、私のことで母にストレスがかかったのではないかと思い、近江八幡市の借家に移り住みました。
考えなければならないのは、次の就職のことでした。
しかし、自分の精神的な部分を立て直さない限り、前には進めないと感じていました。
その時にある職員の紹介で、K会の信者でヒーラーの人に出会いました。
私の心理状態を見抜きながら、適確なアドバイスをくれる方でした。
私の喪失の悲しみを感じ取り、あるクラシック音楽を聴くように勧めてくれました。
不思議なもので、その曲を繰り返し聞いているうちに、どうにもならない悲しみが引いていくのを感じました。
それをきっかけに、その方への心理的依存が生まれました。
「仕事はしなければならないけれど、今のあなたの状態では仕事にはつけない。
まず心を立て直さないと次に進めないのではありませんか。」
と指摘され、その通りだと思いました。
そこで集中的に反省し自己変革するために、札幌に移り住み、しばらく自己変革に取り組むことにしました。
こういう時期は、非常に危険な時期だと思います。
うつ状態でしかも依存心が強くなっているので、正しい判断ができず、間違った方向へとひっぱられることが往々にしてあります。 【依存心に向き合うB】依存心理の実態
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_9.html
札幌には3か月ほど滞在しましたが、結果的には私の心の傷を深めることになりました。
霊的な現象も数多く体験したので、この世離れしていきました。
内面を見続け反省するので、私自身もずいぶん霊的になりました。
もっとも悪い面だけではありませんでした。
自分の心の傾向性の問題点に気が付いたからです。
私は自分より上位の方から学ぼうという気持ちが強すぎて、ヒラメのように上にだけ目が付いていて、横や下には目が向かないとい欠点がありました。
それが人への関心の欠如、ひいては愛の欠如となっていることに気づかされました。
札幌での経験は、隔離型の洗脳ではないかという疑念を持たなかったわけではないのですが、自分の問題点に気が付かされ反省をした実感があったので、全部は否定できませんでした。
また自分の選択が間違っていたと認めることはプライドが邪魔をして困難でした。
そこで自分に都合の良い物語を作って、自己を正当化していました。
いずれにしても精神的に依存できる対象を無意識的に求めていたのと、自分一人では心の変革ができないとの思いから、引っ張られたと思います。
洗脳においては、それまでの自分の間違いを認めると、自尊心が崩壊する危機を感じているときには、自分流に都合のいい物語を作って正当化するという心のメカニズムが働きます。
その結果、間違いを受け入れて修正するのが難しくなります。
現実的にとことん行き詰ることで、初めて修正の可能性も出てきます。
したがって間違った信念を持っているときは、現実がとことん行き詰ることは、それ自体大いなる導きであると側面があると思います。 【依存心に向き合うB】依存心理の実態
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_9.html
K会もOR氏が創った物語(エル・カンターレ神話)を信者が共有することで、一つの信仰共同体ができているのです。
神話というのはその人の人生の存立基盤を説明している物語なので、完全にそこから離れることは結構難しいものがあると思います。
それを崩すために、一時的に生活基盤と精神基盤の崩壊現象が起きることがあるでしょうが、それは洗脳を解除するためには有効なのです。
興味深いことに、ソ連のパブロフ博士が条件付けした犬たちを飼育していた地下室が、ある嵐の日に水浸しになり、危うく犬たちが死にかけたことがありました。
驚いたことに、この生命の危機にさらされた犬たちは、それまでの条件付けが消えていたのです。
そこでもう一度、初めから条件付けをし直さなければならなくなりました。
つまり、生命を脅かされるほどの危機にさらされると、いったん条件づけされ教え込まれたものが白紙になるのです。
おそらくそれは、深刻な危機の中ではそれまで身につけた思考パターンでは適応できなくなると、それを白紙化し新しいパターンを身につけやすくすることで、新しい事態に適応しようとする心のメカニズムが働くのだと思われます。
ですから、洗脳解除のためには危機的状況はプラスの側面があるということを知ってほしいと思います。
その時に問題になるのは、その危機の中で何を新たに自分が身につけるかなのです。 【依存心に向き合うB】依存心理の実態
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_9.html
安全基地を求める
さて、札幌を引き払い滋賀に戻ってからは、支部長の好意により支部で在家信者として活動しました。
当時は「太陽の法」の映画へのお誘い活動でした。
私も100枚のチケットを買って、親戚や近所のであった人に片端から声をかけていきました。
そこで活動をすることで信者としてのアイデンティティを確認したかったのだと思います。
しかし、これに間もなく教団からストップがかかりました。
教団では私が還俗してから、私や同時期に還俗した初期からの数名の職員を批判する職員研修が開かれていたそうです。
そのために教団職員から向けられる眼差しは、本当に冷たいものでした。
支部長だけが例外でした。
その支部長も総合本部に呼び出されて尋問され、結局その後に還俗しました。
在家としての信仰のよりどころを失い、再び私は方向性を失っていきました。
そして精神的に追いつめられました。
職員の妻との生活も精神的に難しくなり、友人の誘いで単身、大阪に出ることにしました。
不況のさなかの大阪には、ハローワークに人の列ができていました。
どん底になると、むしろ開き直ることができたようです。
多くの失業者があふれている街で、私もハローワークの列に並びました。
いくつも面接し、何回も落とされ、その都度落ち込みました。
面接で落とされると、自分の存在価値そのものが否定されたようなダメージを受けることを知りました。 【依存心に向き合うB】依存心理の実態
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_9.html
またどこにも所属するところがない辛さもしみじみと味わいました。
友人が落ち込む私をとにかく支えてくれました。
ようやく就職した先でも、うまくいかないと落ち込みました。
友人のアドバイスで筋肉トレーニングに通うことで、かろうじて前向きな自分を支えました。
やがて別の職場に拾われ、そこには私を理解してくれる上司がいて、ようやく居場所ができました。
ですが、仕事内容への疑問もあり、1年もしないうちに行き詰まり、結局辞めることにしました。
この頃は、落ち込むたびに自殺念慮に苦しみました。
自分では方向性が決められなくて、また精神的に立ち上がれなくて、何かにつけ友人に頼り相談しました。
友人が新たな依存対象だったわけです。
そのおかげで何とか最悪の時期を脱し、自分を再建することができました。
しかしその反面、大きな弊害がありました。
それは依存対象を失うことが恐ろしくて、内心に反論や疑問があってもそれをいうことができず、たとえ理不尽と見える要求にも応えるべく献身するという行動パターンが生まれたのです。
この傾向は、その後も長く続きました。
当時の依存心を振り返ると、心の安全基地を必死に求めていたと思います。
赤ん坊は母親を「安全基地」と感じることができて初めて「探索行動」が出来、積極的な活動をするようになります。
大人になっても、精神的な安全基地は必要です。 【依存心に向き合うB】依存心理の実態
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_9.html
自分がそこでは受容され共感的に理解され安全に守られるというよりどころがないと、怖くて前に進めないことがあるのです。
人は自信を無くしたり、自分の基盤を喪失すると、依存心が増大しがちです。
それが高じると依存性パーソナリティー障害にもなります。
特に信仰が崩れるときは、精神的な危機だと思います。
その時に、しっかりと心の安全基地になってくれる家族や友人が必要です。
安全基地があって初めて、積極的な行動がとれるからです。
また失業や離婚などで、それまで自分の生活基盤であった人間関係や生活基盤を失うことが往々にしてあります。
そんなときに、だれかの支えが必要です。
周りの支援者は、本人を支えながら、次第に依存から脱却させて自立させていくことが重要であると思います。 【楽山日記】人の振り見て我が振り直せ、だね。
筏のたとえ
http://www1.odn.ne.jp/ceu55990/IKADANOTATOE.html
釈尊は次のように語った。
ーーー修行者たちよ、、絶対的安楽を得るために、こだわりの心から開放されるために、”筏の譬え”(いかだのたとえ)を説こう。
修行者たちよ。
例えば、道行く旅人が、大河に出あったとする。
こちらの岸は危険であり、向こうの岸は安全である。
しかし船も橋もない。
そこで旅人は考えた。
「大きな河だ。
しかし、こちらの岸は危険で向こうの岸は安全だから渡るしかない。
でも、船も橋もない。
とするなら、葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡るしかない」
そこで、彼の人は、葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡った。
次に、この人は考えた。
「この筏は、大変役に立った。
この筏のお陰で、大河を渡ることが出来た。
さあ、次に私はこの筏を担いで道を歩いて行こう」
さあ、この人は、適切な行動をとっているか? 否か?
ーーー弟子たちは「否」と言った。 【楽山日記】人の振り見て我が振り直せ、だね。
http://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40553597.html#40553597
釈尊は続けた。
では、どうするのが適当か考えてみよう。
「この筏は,大変役に立った。
この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
さあ、私はこの筏を河中か岸辺に置いて、道を歩いていこう」
このように行う人こそ、適切な行いをした人である。
修行者たちよ、絶対的な安楽を得るために、こだわりの心から開放されるために、私は以上のように、”筏の譬え”を説いた。
どうか修行者たちよ、この譬えの意味をよく理解せよ。
教えをすら捨て去るべき時がある。
なおさら、誤った教えは捨て去らねばならない。
(マッジマ・ニカーヤ) 【緊急拡散】信者諸氏よ、「天変地異は神の警告」と学んだのではなかったか!?
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207570259.html
幸福の科学信者諸氏よ、未だ分からないのか?
大量の死体が転がる惨状を見なければ理解出来ないのか?
仏陀を詐称する仙人教団が教勢を拡げることは、神々は断じて許さないのだよ。
伝道と称して、邪教を弘める熊本出身の某女への警告でもあるが、某県補選への警告でもあろう。
ORは、仏陀ではない。
あの嫉妬深く、キレ易い性格、情緒不安定な仏陀など、居る訳もあるまい。
猿にも分かる真実である。
幸福の科学信者諸氏よ、直ちに「植福の会」を全口解約せよ。
直ちに退会届を支部に提出せよ。
直ちに「偽仏陀」と決別せよ。
直ちに悪縁を断ち切れ。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fa7df787ab84b78910b2083d893cc2a4) 【カルトの恐怖】縋り付く人々
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207565481.html
私は、所構わず合唱して拝むHS信者たちの姿に異常を感じていました。
何故、あそこまでして縋りたいのか、功徳に肖りたいのか、と。
彼らの姿に「声無き、声」が聞こえるのです。
「神様ぁ、もっと面倒見てぇ!もっと甘やかしてぇ!」
私は支部で、そこそこの責任者だったこともあり、この依存癖の強い人たちの「過剰な甘え」にはウンザリだったのです。
毎月毎月、何もかも、一から教えなければならず、いつも一緒で面倒を見なければならない。
でっかい赤ちゃんを常に数名抱えているような不自由さでした。
基本、カルトに喰われる人々はこのように、
「誰でもいいから、何でもいいから、依存したい」人々
なのではないでしょうか? 当時、教祖のOR氏は当時秘書部長だったAさんに対して「会員は生かさず殺さず」と嬉しそうに語ったと言います。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207712178.html
幸福の科学の植福についてK・・・ビッグバン貸付
洗脳集金システムE
ビッグバン貸付制度の裏側
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_10.html
K会(幸福の科学)は最初は宗教ではなかったため、宗教法人を取得してからも布施(植福)を呼びかけることには躊躇がありました。
また西荻窪でビルの一室を事務所に借りている間は、多額の布施を必要としませんでした。
しかし、大伝道期を目前に迎えた1989年末、紀尾井町ビルのフロアを借りるようになってからは、そういうわけにはいかなくなりました。
さらに、1991年には大伝道が行き詰まりから財政破たんに見舞われました。
マスコミの批判報道により伝道や書籍売上げがストップしたことで、宣伝広告への巨大投資が回収できなくなり、職員のリストラに追い込まれ、存立の危機を迎えました。
この財政危機の打開策としてスタートしたのがビッグバン貸付の制度でした。
それは会員から100万円単位で教団にお金を貸すというものでした。
当時の謳い文句は、次のようなものでした。 当時、教祖のOR氏は当時秘書部長だったAさんに対して「会員は生かさず殺さず」と嬉しそうに語ったと言います。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207712178.html
1)「ご自宅にあるタンス預金を仏陀(OR氏)に預けませんか。」
2)「バブルがはじけた今、銀行はいつ破たんするかわからないから、仏陀(OR氏)に預けたほうが安心だ。」
3)「お金が必要になった時には、いつでも返す。」
4)「満期が来たら、利息をつけて返す。」
勧誘の成果は大きく上がり、1年後の1992年の秋には資産が150億円にまで膨れ上がりました。
ただし利息の支払いについては、
「仏陀から利息をもらっていいと思うのか」
「与える愛を知っているなら、その利息分を仏陀にお布施するべきだ」
と主張し、利息分を布施へと転換させていきました。
つまり「利息の反故」を宗教的な論理で正当化したのです。
また借入期間も延長させていきましたが、最後にはこれを布施へと転換させました。
この頃、OR氏は信仰の大切さと「植福(布施)の功徳」を盛んに講演会で説法し、書籍でも植福の大切さを訴えていましたので、
「布施することが、会員にとっての与える愛の実践だ」
「布施に対価を求めてはいけない」
としつつ、布施には功徳があり
「天の蔵に徳が積める」
「あの世へ行けば10倍返しになる」
という誘導をしました。
こうした洗脳が精力的になされた結果、貸付金は次々と布施に切り替えられていきました。
当時の秘書部長の証言によれば
「1991年の資産150億円(ほとんどが貸付金)が、翌年の初めには資産200億円で、150億円が貸付金ではない純資産になっていた」
といいます。
これは宗教的説得という洗脳を通じて、貸付金を巻き上げたと言われても仕方がない行為でした。 当時、教祖のOR氏は当時秘書部長だったAさんに対して「会員は生かさず殺さず」と嬉しそうに語ったと言います。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207712178.html
会員の証言
ある元信者の方は、その時期の体験を次のように証言しています。
「私は、当時、何ごとにも素直な純粋な信仰心を持って臨みたいという気持ちが強くありましたので、元証券会社に勤務経験があるW支部長の話を信じてしまいました。
W支部長は、私たちに対し
『生命保険はダメになるから、保険を解約して、その分BB(注:ビッグバン貸付の略称)として幸福の科学に預け、利子の分をお布施したほうがよいです』
と熱心に言われ、私はお役に立ちたい気持ちだったので、主人と大喧嘩をし、離婚の話も出てきても、仏のお役に立つ良いことをしているのだからと納得し、主人のいうことを聞かないでBBをしてしまいました。
しかし、ある時BB(貸付)と言っておきながら、『それをお布施に回しませんか』ということを聞かされました。
その時に、
<内緒でBBをお布施に回すと、主人から『お金はどうした?』と聞かれたとき、お金が無くなっている状況を見て絶対に怒られる>
と思いましたが、お役をしている手前断り切れなく、
<もう離婚されてもどうなっても仕方がない>
と破れかぶれの気持ちになって、結局主人に内緒で布施に回しました。
その後は、貸付から布施に回したことが主人に知れたらどうしようと、常に心の中はビクビク状態で恐怖心で膨れていました。
決して心の中は幸福ではありませんでした。
私は100万円3口の貸付をし、結局、それらは全部お布施にまわされて1円も返ってきませんでした。」 当時、教祖のOR氏は当時秘書部長だったAさんに対して「会員は生かさず殺さず」と嬉しそうに語ったと言います。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207712178.html
この方は、書類上はいったん返済した形式をとり、直ちにそのお金を布施することで、実質的には貸付の布施への転換をされたようです。
「お布施の目標額を達するために、支部長に頼まれて、そうしただけです」と証言されています。
この貸付の布施への転換は非常に巧妙で、しかも汚い集金の手口です。
信仰心が大切だ、布施は大切だと言われ続けていた当時、会員さんは布施に転換するしかなかったと思います。
しかしこれは宗教的説得を駆使した騙しのテクニックです。
これがK会の集金の原点にあることを、私たちが銘記しておかなければならないと思います。
当時、教祖のOR氏は当時秘書部長だったAさんに対して「会員は生かさず殺さず」と嬉しそうに語ったと言います。
徳川時代の農民政策では、「百姓は生かさず殺さず」で収穫の半分程度を年貢として差し出させていましたが、まさか教祖がそんなことを考えていたなどと、会員は想像だにしなかったと思います。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 【依存心に向き合うG・・・思い込みの崩壊】依存の心の糸が切れていく
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207786488.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_15.html
幻想が消えていくプロセス
K会(幸福の科学)に対して抱いていた幻想が消えていくプロセスと、私の心の働きを見ていきたいと思います。
これは私の中で2011年から2012年に生じたことです。
佐久平支部問題での斎藤氏らの活動停止処分事件のほかに、次のようなことが起きました。
2011年2月22日、K会はそれまで文殊の再誕として敬ってきたOR氏の夫人大川きょう子さんの「永久追放」処分を決定しました。
理事会の決定ということですが、明らかにOR氏の意向を受けてのものです。
私は一切衆生救済というK会の根本理想が崩れたことに衝撃を受けました。
K会の教えによれば天国への鍵はOR氏が持っており、地球霊界はエル・カンターレがすべおさめていることになっています。
ですから、永久追放とは大川きょう子さんの魂は永遠に救わないということを意味します。
「一切の衆生を救う」という理念は、一人でも救わないと決めた人が出た段階で崩壊します。
「衆生無辺誓願度」という四弘誓願の理念にも反します。
一人例外を作れば、次々と例外は増えていきます。
その決定が、エル・カンターレの本体であるはずのOR氏の指導の下になされてということは、エル・カンターレは真の救済仏ではないということを宣言したと感じました。
「えっ、どうなっているの?」という疑問が、衝撃を伴って心に生じました。
「悪魔撃退の秘術を探る」というDVDを新宿精舎で見たときは、驚きでした。
その時の詳しい内容は、私のブログ(2012年9月22日)でも紹介しましたので、詳細はこちらをご確認ください。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/09/blog-post_22.html
このDVDをみて次のことを知りました。 【依存心に向き合うG・・・思い込みの崩壊】依存の心の糸が切れていく
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207786488.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_15.html
・理事会の最中に、高名な理事がルシファに完全憑依され倒れていた。
・エル・カンターレ・ファイトはルシファに対して全く効果がない。
・悪魔を撃退できる弟子は、最高幹部たちの中に誰もいない。
これは真実の仏陀の教団であればありえないことばかりでした。
特に教祖が降魔のできる弟子を誰一人として育てることができなかったことは衝撃でした。
釈尊の本体であればありえないことです。
そう言えばこんなこともありました。
私の携帯電話に伝道局の職員が電話してきたことがありました。
その時に、相手の霊的な波動の悪影響を受けて、私は具合が悪くなり2日間寝込んでしまいました。
私は総合本部職員の波動の悪さを実体験して、以来、一切電話を受けないようにしました。
私は二度と具合が悪くなるのは御免でしたので、一切出ませんでした。
それでもしつこく教団が、精舎や総合本部の異なる電話番号から執拗にかけてきました。
私を呼び出して封じたいのだろうと想像しました。
勤務先の最寄りの駅でも早朝に伝道局の職員に待ち伏せされたこともありました。
私はストーカーに付きまとわれているような気がして、怖くなり携帯電話を変えざるをえませんでした。
教団が一般社団法人心検の生徒の名簿を不正入手して、そのうちの信者を一人一人所属支部に呼び出し、心検を辞めるように圧力をかけ、心検の信者の生徒を全員やめさせました。
露骨な威力業務妨害でした。 【依存心に向き合うG・・・思い込みの崩壊】依存の心の糸が切れていく
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12207786488.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_15.html
K会の目的のためには手段を選ばない、犯罪行為すら辞さない危険な体質をはっきり教えられました。
降魔型エル・カンターレ像は、私も趣旨に賛同して信者さんに強く布施を勧め、私自身も布施しました。
この像を各支部に置くことで、北朝鮮や中国の脅威から日本が守れるとK会が説明していたからです。
しかし、教祖がこの像の意味について法話の質疑応答で信者の質問を受けたときに、ただの一言もそうした説明はありませんでした。
私はそれをモニターで見ていて、教団の説明が単なるお金集めのための営業トークでしかなかったという事実に気づかされ、本当にショックを受けました。
そして、まんまと騙され、人にまで勧めた自分に嫌気がさしました。
以上さまざまなことがありましたが、私が一番許せなかったのは、教祖が自分の性欲のために純粋な若い女性秘書の人の信仰心と心を傷つけボロボロにし、その家族にまで深い心の傷を与えたことでした。
その被害女性の母親と私の友人との電話のやり取りを聞き、私は2009年に教祖によって女性秘書にセクハラが行われていたことを知って愕然としたのです。
2011年12月のことでした。
その結果、私が1999年に相談を受けた元秘書の女性の苦しみも、実は私が思ったような天上界の計画でも何でもでもなく、教祖の煩悩によるものではなかったかという深刻な疑念がわきました。
私はOR氏に手紙を書いて、反省と償いをされるように進言しました。
その結果、除名処分になりました。
さらに私を誹謗中傷する霊言『舎利弗の真実に迫る』が発売されました。
私はこれらのことを通して、私の信仰が間違いだったことを知りました。
私は邪教教団に入り、信仰し、そこに依存する人生を送ってきたという事実を受け入れなければなりませんでした。 【布施を誘導する仕組み】幸福の科学の植福についてM・・・見返りの制度化
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7983607.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post.html
布施に対する見返りの制度化とは、主に布施をした信者に名誉・重要感・賞賛を与えることを、教団の賞罰の仕組みとして組み入れることです。
見返りの制度@・・・植福菩薩、大黒天の名称と優遇制度
高額の布施をした人には信者が欲する称号を創り、それを与えることで名誉を顕彰し来世の栄光を示唆します。
1000万円の布施をする人には植福菩薩の名称が与えられます。
菩薩の称号は教団では非常な名誉であり、来世に菩薩になる原因となる功徳を積んだとされます。
信者によっては、これで自分も菩薩になれると思いこみ、大きな自己満足を覚えます。
また、教団内でも特別扱いされ名誉心が満たされます。
特に支部や精舎等での教祖の説法や記念式典には最前列の席が用意され、特別扱いを受けます。
大黒天信者とは、植福の会に入り、毎月1万円以上の定額の布施を銀行引き落としで行う信者のことです。
大黒天信者という呼称を与えられることで、自分も来世には大黒天になれるという期待を持つことができ、自己満足します。
仙台の正心館の建設に当たっては、布施にランクをもうけ、1口10万円以上を「篤志家植福」、100万円以上を「復興大黒天」、1億円以上を「復興菩薩」と命名しました。 【布施を誘導する仕組み】幸福の科学の植福についてM・・・見返りの制度化
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7983607.html
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これらの命名は教祖が決めたために、その金額の布施で大黒天や菩薩として認定されたという自己満足を得るとともに、教団内での名誉が与えられ、特別扱いを受けたりします。
大黒天信者や植福菩薩には特別の機関紙が送られ、特別扱いされます。
場合によってはその機関誌に記事として取り上げられて賞賛され名誉を与えられます。
こうした制度のメリットは、教団にとってまったく何の出費もなく単に名称を与えるだけで、信者が進んで高額の布施をするようになるということです。
実際に来世(あの世に還ってからという意味)に菩薩や大黒天になるかどうかは、誰も確認することができません。
しかし、そう信じさせることで、お金が集まるのです。
これは洗脳集金システムの核心部分であり、コロンブスの卵ともいえる画期的な発明です。
OR氏が天才的な宗教ビジネスマンと言われる所以です。
この弊害は、「お金さえあれば菩薩になれるのですか」という不満が、教団の信者の間に広がることです。
また菩薩になりたい一心で無理をして、貯金の大半を使い果たす人も出ます。
その結果、貧しくなって後悔する人もでます。 【布施を誘導する仕組み】幸福の科学の植福についてM・・・見返りの制度化
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7983607.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post.html
見返りの制度化A・・・名前の顕彰
建立した精舎に一定額以上の布施をした人の名前を刻んだものを設置し、顕彰する。
これは一般的に神社仏閣で行われている方法です。
この精舎建立に自分は貢献できたという満足と、それが永年顕彰され続けることへの満足が得られます。
また教団内での名誉となります。
K会では3年に1本の程度の映画が作製・上映されますが、その際に大口寄付者は映画の最後の部分で名前が上映されて顕彰されたり、機関誌で顕彰されたりします。
見返りの制度化B・・・祝福
さまざまな植福者に対しては、支部ごとに信者でお祝いをしたり、祝福の拍手をしたりして称賛され、顕彰されます。
これは自分が非常に良いことをしたという自己満足が得られるとともに、仲間に祝福されていることの喜びを感じます。
そして仲間内からの賞賛、祝福は、その人の自己重要感を満足させてくれます。
これは一種の麻薬のような効果を持つので、何度でも布施をしたいという気持ちを起こさせます。
もし布施ができなくなると支部内で重要感が失われ、肩身が狭くなったりします。
布施は本来、見返りを求めてはいけないことになっています。
執着を断つ修業なので、見返りを求めると意味がなくなるのです。
しかし実際には、これまで見てきたように、見返りを制度化しており、建前と本音は乖離しています。
名誉心、重要感が与えられ賞賛欲求が満たされる。
それは執着となり、強いプライドになったりすることもあります。
純粋な修業ではなくなっています。
にもかかわらず経文等で布施の見返りを求めないことを説いているのは、高額の布施をした人が見返りに特別待遇等を要求することを防ぐための予防措置としての効果があるからでしょう。 【布施の見返り】幸福の科学の植福についてL…見返りを求める心理
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_31.html
K会(幸福の科学)では、一方で恐怖心と罪悪感を巧みにあおりながら、他方で布施をすることによる功徳(効能)を強調することで、集金目標を達成しています。
布施は仏教的に言うと、本来は執着を断つ修業であり、慈悲心を育てる行為です。
そこでK会でも布施の見返りを求めないことの大切さが、経典や祈りの中で強調されています。
しかし、実際には「見返り」を強調するだけでなくそれを制度化しています。
その結果、信者は見返りを求め期待する気持ちを抱くようになります。
純粋な思いで布施したように見えても、心の底では見返りを期待しています。
見返り@・・・あの世の見返りは10倍
まず最初に期待する見返りは、K会で布施をすることにより、布施した金額の十倍の豊かさをあの世で得ることです。
これはこの世でなした善も悪も、あの世では10倍の報いを受けるという説に基づいています。
ですから、布施をしつくして貧しくなってあの世に還っても、あの世に行けばその10倍の豊かさが与えられると信じますと、気持ちは豊かになれるのです。
勧める方から言うと、これは「銀行の利子はわずかだけれど、K会にお金を出すと元本の10倍になって返ってきます。」と主張できます。 【布施の見返り】幸福の科学の植福についてL…見返りを求める心理
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_31.html
しかも「ただし受け取るのは死んでからです」ということなので、「この世的な執着を持たない」という教えと矛盾しないことになるのです。
実際にそうなるかどうかは誰も確認していません。
もし違っていても、死んだ人からはクレームが来ません。
つまりいくら強調しても、責任が問われる心配がないのです。
なお、この説を裏返すと、この世で金持ちでも、布施をしていない人はあの世では貧しくなるのです。
信者はあの世で貧しくなることを恐れ布施します。
またこの世では布施した結果貧しくなっても、布施していない金持ちより豊かになれると信じているので、内心では優位性を味わうことができるのです。
見返りA・・・次の転生で金持ちになれる
K会に布施すると、あの世で10倍の豊かさが与えられるとともに、次に生まれ変わった時に金持ちになれると教えます。
今の人生で貧しいのは、過去の転生で十分な布施をしなかったからでしょう。
しかし今世十分な布施をすれば、次の転生では金持ちになれますと説きます。
これも縁起の理法の応用です。
今世、布施をするという功徳を積めば、次に生まれ変わった時には豊かになれると信じることで、布施をして貧しくなっても、それが気にならなくなります。 【布施の見返り】幸福の科学の植福についてL…見返りを求める心理
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_31.html
この説を逆にすると、布施をしない人は、次に生まれ変わった時に貧乏に生まれることになります。
「次の転生で貧しくなりたくなかったらしっかり布施をしなさい」というと、これは宗教的な脅しです。
見返りB・・・天国にいける
K会では布施をすると天国に生まれることができると教えます。
これは根本経典『仏説正心法語』で、施論・戒論・生天論が強調されているからです。
布施をして戒律を守ると天国に生まれることができるという教えです。
この教えを逆に使うと、「布施しない人は天国に行けない」という脅しとなります。
根本経典を示しながらこう言われると、天国に行きたい人は一生懸命に御布施をすることになるでしょう。
実際にトークを脅しに使って、布施を集める支部長がいました。
以上の見返りは、いずれも今世に得られるものではなく、あの世に還ったときとか、次に地上に生まれ変わるときに得られるものです。
これを強調する利点は、結果の確認ができないことです。
だからいくらそれを強調しても、そうならなかったという責任が問われません。
しかし、これには弱点があります。
確認できないので、インパクトが弱いのです。
従ってこの世的な見返りが必要です。
K会では布施の見返りを制度化しています。
それを次に見ていきます。
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7983277.html 【法帰依の落とし穴】依存心と向き合うO・・・知的な依存
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7980643.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_4490.html
書籍への依存とその原因
K会で私が身につけた依存の一つに書籍依存があります。
OR氏の教えにまずその分野の専門書を1000冊読めという教えがありました。
これが私には書籍をとにかく数多く読むという行動に向かわせました。
心理学を勉強するために、最近3年間で1200冊程度の本を、記録をつけながら読んでみましたが、書物の知識に依存している自分が生まれました。
専門家がどういっているのかが気になり、知識的な根拠を確かめないと落ち着かなくなったのです。
一種の思想の憑依状態にもなりました。
自分の心で感じ取って、心で味わったものが消えて、専門知識と照らし合わせてものを考える癖がついていきました。
ある人の言葉や感情を自分の心で感じ取り判断するのではなく、専門知識に照らして合致するものを探すという思考パターンです。
自分の心に照らして合致するから真実であると考えるのではなく、専門知識に合致するから真実であると考える思考パターンです。
この思考パターンの特徴は、自分がそう判断する根拠として、専門家の名前や著作を挙げたくなります。
考えてみれば、OR氏の教えに照らして真偽や正しさを判断する習慣がK会にいた時に沁みついていました。
自分の主張の根拠を常にOR氏の言葉に求め、それがあれば安心し、自分の正しさを確信するという習慣です。
除名されて以降は、それがOR氏以外の権威者に変わったにすぎません。 【(投稿)日本神道について考える@ 天照大神の偽霊言考】天照大神の「ニセ」霊言を批判する
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7976805.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_24.html
K会を退会してから、本当の真理とは何かを自分なりに追求してきた中で、日本古来からある日本神道についての親和性が非常に高まってきました。
自分なりに真理を追究していく中で、K会で教えていた「日本神道というものは、中身のない教えである。」という考え方、さらにK会で教えていた「光一元」の考え方が、非常に軽薄なものに感じられてきました。
極めつけは、最近になって、天照大御神の名を語った脅しとも思える霊言に非常に違和感を感じました。
私自身、日本神道の神々に向かってお祈りをした場合、彼らから何らかの反応が返ってくることがあります。
この霊言についての反応については、かなり酷いものでしたので、感じたままを述べたいと思います。
天照大神のお心
日本神道を代表する神々の1人が、天照大御神です。
その名の通り、「天よりあまねく照らす」神様です。
「光一元」という言葉をそのまま表している方です。
最近になって、K会が、天照大御神を名乗って、脅しともいえる霊言(まがい)を行い、書籍にもなっていると聞きました。
その内容を少し聞いただけでも、一瞬にしてインチキとわかる代物ですが、よくもまあ、こんな暴挙をしでかしたものだと感じました。 【(投稿)日本神道について考える@ 天照大神の偽霊言考】天照大神の「ニセ」霊言を批判する
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7976805.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/07/blog-post_24.html
天照大御神の名を平気で汚すことを、あえて行った「勇気」には、はっきり言って敬服いたします。
天照様はどのように感じておられるかといえば、とても悲しく感じておられるようです。
そのようにニセ霊言をおこなった張本人に対しては、非常に呆れているのを強く感じます。
それよりも、そのようなニセ霊言を、偽物と気付かずに信じている人々への哀れみと悲しみが強く感じられます。
「天照という存在は、そのようなタタリ神的なものではないことは、私の名前、そして過去の日本における伝統や歴史を見ても、すぐにわかることでしょう。
ですから、そのような偽物が出たとしても、日本人であるならば、すぐに見破れるはずです。
それが、わからない者がいるということが悲しい。
このようなものを受け入れる者が日本人の中にいること自体が悲しい。
私の日本における存在というものがどれほどの意味を持っているか、それを日本の方々は考えて欲しいのです。
神話は神話として存在しておりますが、私たちは、古来よりあなたがたを見守ってきた存在であるということを感じて頂きたいのです。」 【(投稿)日本神道について考える@ 天照大神の偽霊言考】天照大神の「ニセ」霊言を批判する
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深い悲しみ
天照様を想うとき、深い悲しみが伝わってきます。
ああ、天照様は、きっと悲しまれているんだろうなあ、そう感じます。
あのインチキ霊言を信じる者は、日本の中では数少ないでしょう。
しかしながら、K会の洗脳されきった信者の方々は、間違いなく信じています。
そして意味のない恐怖心に支配されたまま、相も変わらずお金を巻き上げられ続けています。
また、一般の方々でも、この本を信じてしまう奇特な方もいるかもしれません。
日本の神々への信仰心が薄れていること、そして、そうであるからこそ、ニセ霊言を信じてしまうような人々も出てしまうということ。
天照様の悲しみも、そこにあるのかもしれません。
天照様で有名なのは、「岩戸伝説」です。
この伝説でもわかるように、世が乱れるような不調和な状況になると、天照様はそのような状況を悲しんで「隠れて」しまうのです。
この神話で判断する限り、決して、日本人口の数千万人を粛正してしまうような言動をとるはずがありません。
また、私が感じる限りでは、天照様から「怒り」を感じるということはありません。
世が乱れた時は、「怒り」をぶちまけるのではなく、「深く悲しむ」のです。
それは、慈悲にも似た「慈しみ」の心です。
そう、天照様は、「慈しみ」で満ちているのです。
ここで、K会および、K会の信者に行っておきたいことがあるのです。
私は、あえてこの場において、天照様の想いを伝えました。
あなたがたは、天照大御神の威厳を踏みにじったのです。
これは、日本の神々においては、とても大きな「侮辱」であると感じているのです。
伝える側のみならず、信じる側も同じです。
このようなものを信じるということ自体が天照の威厳を踏みにじっているということを知ってください。 【(投稿)日本神道について考える@ 天照大神の偽霊言考】天照大神の「ニセ」霊言を批判する
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光一元ということの意味
日本神道が「光一元」という意味がわかりますか。
K会の中でも、「光一元」という思想について学んだでしょう。
その中身をもいちど考えてください。
もういちど言いますが、天照大御神の「天照」というのは、「光をあまねく照らす」という意味です。
「神の光を、地上にあまねく照らす」という意味なのです。
天照大御神という方は、そうした役目を担っている方であるのです。
もし、この方の心に「怒り」という想いがあったなら、神の光を地上に流すことができるでしょうか。
日本神道に不可欠なものは、「清らかさ」です。
「清らかさ」があって初めて、神の偉大なる光を地上まで降り注ぐことができるのです。
つまり、心の中に怒りなどの「不純なる」ものがないということが必要条件なのです。
このような単純なことを見ただけでも、この霊言なるものが「天照大御神」のものでないことが明らかなのです。
要は、この霊言を出す者の、心の中にある、自分達を軽視し続ける日本国民に対する不満や憎しみの感情というものが、天照大御神の威厳を利用して、霊言という形で世に現れたというに過ぎないのです。
言っていることは単純なことです。
決して複雑なことを言っているわけではありません。
天照という存在を想えば、当然行き着く結論です。
天照大御神を悲しませないためにも、私たちは、この日本という国の存在意義、そして、日本の神々への畏敬の念というものを、今一度見つめ直す時期にきているのかもしれません。
きっと、天照様をはじめとする日本を守護してくださっている神々も同じ思いを抱いていることでしょう。 【批判と依存心】依存心に向き合うI・・・その克服のために
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/7975702.html
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大いなる存在がこのような人生を送る個性を許してくださったのであるならば、そこからよき実を実らせてみたいと思います。
私の人生の経験からどのような教訓、気づき、智慧を得るかは、私自身にゆだねられています。
この人生を通してしか採れない実もあると思うのです。
それはある種の心の病を治す薬になるかもしれません。
解毒成分を創り出す
邪教は毒性の強い土壌のようなものだと思います。
その毒を吸い込んだ野菜は、一般に危険だと思われます。
しかし、そこで取れる作物は毒性を持つとは限りません。
体内に取り込んだ毒を、無害化する物質を分泌したり、毒を排出する機能を発達させたりすることも可能です。
こういう野菜は、他にはない薬になる成分を体内に作り出します。
それがほかの人を病から救えるかもしれません。
私は、自分が毒性の強い土壌にわざわざ入って、そこで大きくなった期間があることを、あまり嘆かないようにしたいと思っています。
毒を体内に取り込んだのであるならば、その毒を無毒化し排出する方法を編み出すことで、他では手に入らない有益な野菜へと変わっていきたいと思います。 【批判と依存心】依存心に向き合うI・・・その克服のために
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批判について
OR氏を批判するにしても、OR氏に依存しない批判が必要だと思います。
相手の言動を取り上げて相手を批判しているだけでは、その相手に依存した状態から完全には脱却できない気がします。
人の悪は自分の悪よりも、はるかによく見えるものです。
しかもしばしば人は、自分の持っている悪と同じ種類の悪を他に見出すと、激しく攻撃したくなるものです。
心理学ではこれを投影のメカニズム(機制)と呼んでいます。
OR氏やK会に見出す悪は、実はもともと私の中にもあったものかもしれません。
この場合は、OR氏やK会を批判しても、自分にそれがないことの証明にはなりません。
ひょっとしたら厳しく批判したくなるのは、同じものが自分の中にあるからかもしれません。
ですから、OR氏を批判する刃を自分自身に向けてみて、自分の病巣に気づき、これをまず無毒化し除去なければなりません。
それは必然的に自己反省のプロセスをたどることになります。
自分の心を裸にして、自分自身を点検し、問題点を見つけ出し、対策を考え出す作業になります。
その作業が正しいかどうかは、自分の心が軽くなり、自分自身が変化することで検証できます。
さて、依存心についての自己分析をここまでしてきましたが、依存心そのものはK会に入ってから生まれたものではありませんし、K会を脱会したからといって無くなるものでもありません。
依存心は依存する対象を変えるだけにすぎないかもしれないからです。
そこで、まず次回はK会に入る前の自分の依存心について分析し、なぜK会に惹かれ依存するようになったのか。
その原因を検討して、依存がどこから生じたのかを検証してみたいと思います。 【「霊言」と天照大神のご意思】(投稿)宗教の品格
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神が降りない理由
伊勢神宮が今年式年遷宮を迎える。
今年の参拝者は7月までで700万人程と伺った。
伊勢の大神の御心は、母なる想いであると思う。
信仰心がない人がいれば信仰の大切さを教えられる。
それは赤子を育むように。
天照大神の御神徳が日本中を照らし、人々を育み、日本国を元気にされることだろう。
しかし、某教団は、信じなければ日本国が無くなっても構わないと天照大神が言われていると言う。
これほど、天照大神のことを理解していない言葉はないだろう。
霊言と称して自分に責任が及ばないように保身をしながら語る男に神が降りることはないだろう。
最近は有名人の名を使って霊言を行っているが、池上彰氏がNHKを退職された年齢さえ間違えている。
霊言では55才と言っているらしいが、池上氏ご本人は54才で退職されたと言われている。
自分の守護霊が年齢を間違えるのでしょうか?
と池上氏は語られたそうだ。
種村氏の守護霊の霊言でもそうだ。
種村氏が知っていることを知らないらしい。
そんな簡単なことすら間違える霊言の信憑性とは如何なるレベルであろうか?
今回の参議院選挙でも全員落選。
これが神の意志であろう。 【「霊言」と天照大神のご意思】(投稿)宗教の品格
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何故なら、投票するのは神の子である国民たちだからである。
某教団は、自分たちに都合が良い時は人を神の子仏の子とよび、都合が悪いと信仰心のない人になってしまう。
しかし、存在そのものは神の子であることには間違いはないはずだ。
その神の子が投票しないということが神の意志であり、日本国民の総意であることを受け入れるべきであろう。
それこそが天照大神のご意思を代弁していることであろう。
宗教の格の違い
正しい宗教には品格があると思う。
伊勢に行けばその品格とは何かを味わえる。
伊勢が某教団に抗議しないのは、存在の小ささを知っているからで、格が違いすぎるからであろう。
抗議するのも馬鹿らしいし、伊勢を信仰する人々の数は、実数であり某教団の経典を印刷した数をもって信者数とするところとは大違いである。
さらに今回の参議院選挙で全員落選と、その得票数に真の姿が現れてしまった。
伊勢を尊崇し参拝する人の数は年末までに1000万人を超えるだろうと言われている。
さらに式年遷宮の費用は550億円かかると言われているが、それを集めるだけの力が伊勢にはあるのだ。
さらに伊勢の建物と宝物の素晴らしさ。
日本の伝統工芸の粋を極めているのだ。
そこに込められたる思いの素晴らしさも宗教としての格の違いを現していると思う。
さらに道徳心に欠けていることが気になる。
宗教だから、霊言だからと言ってご本人の意図されないことをあたかもご本人のように印象を与える様は、決して美しいとは言えないだろう。 【集金のボトルネック・・・老後の不安】幸福の科学の植福についてN・・・高齢者の財布を開かせる方法
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根拠のない期待
高額のまとまった布施や毎月数万円もの布施を続けていくと、蓄えはどんどんなくなっていきます。
ご年配の信者さんは老後の蓄えを取り崩してまで布施する人も少なくありません。
その時、「老後は大丈夫なのだろうか」という不安が頭をよぎるのは当然です。
ある元女性信者の方は、そういう時、こう考えて不安を消したといいます。
「総裁先生は,熱心に信仰している信者は、年老いてお金が無くなっても天上界が見ておられて、みじめな老後にならないように、
必要な時期に天上界に引き上げてくれると言ってくださったから、老後の心配をしなくてもいいのだと思いました。
それからは老後の蓄えのことをあまり気にしなくなり、一生懸命植福をするようになりました。」
高齢者ほどお金を多く持っています。
しかしこの人たちは老後にお金がないと不安です。
その人たちの財布を開かせるには、そうした不安が必要ないと思わせてあげればいいわけです。
そこで教祖が
「天上界が必要な時期にみじめな老後にならないように天国に引き上げてくれるから心配はいらない」
との発言をすれば、信者は安心して布施をするようになります。
つまり、こうした教祖の発言は、集金の妨げとなっている要因(ボトルネック)をはずすための手段として、非常に効果的な発言であるわけです。
ぴんぴんころり(元気で生きて死期が来て突然死ぬという死に方)や適当な死にたい時期に死ねるような祈願も、おそらくニーズがあれば作るのではないでしょうか。
そうなるとこの宗教の洗脳集金体制は、非常に手の込んだマインド・コントロールのシステムとして完成していくことになります。 【恐怖の予言の活用術】幸福の科学の植福についてO・・・恐怖による囲い込み戦略
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恐怖による2つの囲い込み
K会(幸福の科学)では、特に近年、恐怖による囲い込み戦略を展開してきました。
この戦略は人の囲い込みと、お金の囲い込みの二つに大別できます。
人の囲い込みには信者の囲い込みと支持者の囲い込みがあります。
前者は信者拡大の伝道活動であり、後者は選挙の票の獲得です。
その目的の為に、2本の映画が作られました。
中国や北朝鮮が日本を侵略してくるシーンとそれをK会やOR氏が救うというシナリオが描かれました。
これは恐怖心をあおって人々に信仰を迫り、また幸福実現党への支援者を増やそうとする狙いがあるのは明白です。
この背景には、中国による侵略の危機を迫真の危機感で訴える数々の霊言集があります。
私はそうした危機がないとは言い切れないと思いますが、K会にそれを救う力はなく、単に戦争の不安を利用して教勢や支持層を拡大しようとしているにすぎないと思います。
その手法は、1991年ごろの大伝道期に『ノストラダムス戦慄の啓示』で恐怖の予言を出したのと、基本的には同じです。 【恐怖の予言の活用術】幸福の科学の植福についてO・・・恐怖による囲い込み戦略
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お金の囲い込み
そしてこれがお金の囲い込み戦略にも使われます。
こうした映画の話は講師の話に引用され、今にも日本が侵略されそうだとばかりあおり続けます。
「北朝鮮や中国が、いずれ日本に侵略してくる。
日本語を話す者は、即、殺される。
財産はすべて没収され、今のような生活は奪われてします。
家族もばらばらとなり、皆さんのかわいいお孫さんたちは、北朝鮮の奴隷として連れていかれてしまうのです。」
と言うわけです。
私も毛沢東の霊言や西郷隆盛の霊言、チャーチルの霊言、エドガー・ケイシーの霊言等の恐怖の予言を数々読んでいた時期は、本当にこうなると思いこんでいました。
それは非常に切迫した思いでした。
信者に対しては大変な洗脳力があるのです。
その結論として,
「だから、私たちはお布施をして、お布施は光そのものだから、光を強くして闇を打ち消さねばなりません!
お布施をすることが大川総裁をおまもりすることになり、大川総裁がお守りできれば、この日本は守られるのです。」
となるのです。 【恐怖の予言の活用術】幸福の科学の植福についてO・・・恐怖による囲い込み戦略
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結局、全てが「お布施」「お布施」となるのです。
それ以外に天変地異の予言も、布施集めに大変強力な効果を持ちます。
侵略の危機にせよ、天変地異の危機にせよ、いずれにしても、
「このままお金を持っていても、このままではいずれすべての財産を失うことになる。
そうならないためにはK会に布施をして、守っていただくしかない」
という心理に追い込むことで、高額の布施を出すように囲い込むわけです。
最も有意義なお金の使い方
ある元信者の方が言われました。
<「神々の主であられる大川隆法総裁先生に布施させていただくことは仏弟子の最高の喜びであり栄誉です。
主こそが最も有意義なお金の使い方をご存知な方であり、主に託された布施は1円たりとも無駄に使われることはありません。」
という話を信者は何度も支部長や本部から布施を勧めにくる幹部から聞かされております。
私たち信者もそれが真実だと思いこむようになり、私も高価な布施の目標に懸命に取り組んでいました。>
私もその宣伝を信じてきました。
だからK会に布施することが、日本のためになり世界のためになると思いこんでいました。
しかし、教祖の現実がその思い込みを崩していきました。 【恐怖の予言の活用術】幸福の科学の植福についてO・・・恐怖による囲い込み戦略
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・支部での総裁の説法に、どうして毎回、全部異なった背広が必要なのだろうか?
どれもとても高価な背広に見えるけれど・・・。
1回着たらもう着ないのだろうか?
・なぜ総裁には、1000万円前後の高額の時計がいくつも必要なのだろうか?
・総裁の離婚に際しての慰謝料は、教団から数億円が支払われたというが、
なぜ教団が支払うのだろうか?
総裁個人の問題ではないのだろうか?
生活を切りつめて、爪に火をともすようにして蓄えたお金を布施する在家の信者には、理解できないことばかりです。
私は支部での説法の度に異なる背広や高価そうな袈裟を取り換えている写真を月刊誌で見ていて、さすがに疑念がわくのを禁じえませんでした。
それでも高額の時計などは、
「世界の富裕層に伝道するには、それなりのステイタスのある身なりが必要だから、総裁は高価な時計をつけているに違いない」
と言って、疑問を抱く信者さんたちを説得した時期もありました。
今思うと非常に恥ずかしく思いますが、洗脳とはそういうものではないかと思います。
一方で侵略や天変地異の危機を煽られて財産を持っていてもしかたがないように思いこまされる一方で、教祖は最も効果的に人類のためにお金を使ってくださるから、K会に布施さえすれば大丈夫だと信じこまされるのです。
こうして信者のお金が囲い込まれてきたのです。 【浄化できないと憑りつかれる】幸福の科学の植福を考えるQ・・・布施の穢れ
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信仰強化の真の狙い
OR(大川隆法)氏は教団初期の経営は、ある経営コンサルタントの忠告に従っていました。
その経営コンサルタントは言いました。
「宗教団体が広がらないのは、信者から布施の深堀りをするからです。
相当数の信者層ができる前に、集まった信者からお金の深堀をすると発展が止まります。
広く浅くお金を集める。
これが教団発展の秘訣です。」
この方針に従って、初期の頃は高額商品や布施集めは控え、OR氏がストイックに労働し、高品質の商品とサービスを提供することに努めました。
その結果、信者とファンのすそ野が拡大していったのです。
しかし、その後、実質的な活動信者は増えないにもかかわらず、OR氏の事業欲は拡張し続けました。
その結果、明らかに信者の深掘りが恒常化していったのです。
活動信者一人当たりの金銭負担がものすごく重くなりました。
「どこまで布施を求められ続けるのだろうか。きりがない。」
「もうこれ以上続けたら生活が持たない。」
と思って活動から身をひく信者も増えていきました。
それでも学園建設、大学建設、全世界への支部展開と精舎建設、政党の創設と選挙、映画の作成上映と、多額の資金を必要とする事業は増加する一途です。
必然的に集金目標額は上がり続けます。 【浄化できないと憑りつかれる】幸福の科学の植福を考えるQ・・・布施の穢れ
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しかしそれを支える信者数は横ばいかむしろ減少していきます。
このジレンマを解決して集金目標を達成していくには、信者の信仰心を強くする以外にありません。
こうして熱烈な信仰心を持つように信仰指導がなされるようになりました。
OR氏が地球神から宇宙の根本仏へと、更にはそれ以上の存在と宣伝されるようになったのには、そういう背景があります。
エル・カンターレを偉大化することで教団の求心力を高め、布施を集めやすくする。
そういう隠れた狙いがあったとみると、K会の異常な信仰教育や集金活動は合理的に説明できるのではないでしょうか。
欲念浄化のすべがない
K会の布施は、全て教祖であるOR氏への布施であると見なされています。
布施の受け手である「受者」はK会の職員でも教団でもなく、教祖一人なのです。
エル・カンターレへの布施というのは、そういう意味です。
だからOR氏は教団のお金をすべて自分のものであると考えています。
ここから大きな問題が生まれてきます。
施者である信者に「見返りを求める気持ち」を巧みに煽ることで効率的な洗脳集金体制を創ってきたために、見返りを求める執着の念という「汚れ」が増大していったのです。
その汚れは当然OR氏に集まります。
布施の唯一の受者である教祖に、お金だけでなく汚れ(信者の欲念)も集中するのです。 【浄化できないと憑りつかれる】幸福の科学の植福を考えるQ・・・布施の穢れ
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私はOR氏の前の奥様から、「教団の総資産が3000億円を超えたあたりから、OR氏は明らかにおかしくなりだした」と伺ったことがあります。
私は、そのあたりで教祖は信者の汚れを受けきれなくなり、その汚れに染まって転落していったのではないかと思います。
これは集合念である信者の欲望の念を吸い込んでしまい、自分がそれに呑み込まれたという意味です。
いくら対価性がないのが布施だから見返りを求めてはいけないと建前で言っても、実際には見返りの制度化を図っている以上、信者の欲念が布施には付着しています。
それが一定レベルを超えると、受者が受け止めきれなくなって、その欲念に憑依され支配されるようになるのだと思います。
もし教祖が、「頂いたお布施は神への捧げものであって自分に与えられたものではない」と考え、神への感謝の儀式をし、そのうえで神から預かった布施を神と信者のために使うのならば、汚れは浄化され教祖が汚れを受けなくてすみます。
しかし、K会ではそうした考えは受け付けないので、汚れを浄化するすべがありません。
その結果、教祖は汚れを受け続け、自分の器以上に受けて欲念に飲み込まれ支配されるようになったのです。
欲望の集合想念に憑りつかれた教祖の誕生です。
これは念の法則として最も警戒しなければならないことです。
執着を断つという布施を推進しながら、施者である信者も受者である教祖も欲望の想念に染まっていく姿は、宗教として最も悲しい姿だと思います。 【執着と与える愛】幸福の科学の植福を考えるP・・・善意のゆくへ
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天の蔵と執着
私はこれまで、K会(幸福の科学)では布施を集めるために、見返りがあの世で10倍の富となることを強調したり、名誉や重要感、祝福などの現実的な見返りの制度化が図られていることを述べてきました。
すると信者は、見返りを求めないのが布施であることを知りながら、心は見返りを求める欲に縛られていくことになります。
見返りも、それがこの世的なものかあの世的な見返りかで、意味が異なってきます。
天の蔵に徳を積むということがよくいわれます。
これは、この世で教祖の捧げる布施はあの世で10倍の豊かさとなって与えられるという意味と同じです。
これはこの世的な執着ではありません。
あの世で豊かになるなら、この世で貧しくとも、このお金を尊いもののために差し出そうという思いは、やはり尊い部分が多いと思います。
しかし、あの世に投資するような気持ちなら、その尊さは損なわれるはずです。
では、見返りの制度化はどうでしょうか。
教団内で得られる名声・名誉、自己重要感、祝福、それらを得たいという気持ちなら、この世的なものです。
お金をそれと交換したわけです。
これは取引に近くなり、尊さは激減します。
布施をして、結果としてそうしたものが与えられ、それを淡々と受ける。
それなら執着ではありません。
しかし、人間の心は弱いものです。
教団から与えられる見返りに、信者はいつしか心をつかまれていきます。
執着の増大です。 【執着と与える愛】幸福の科学の植福を考えるP・・・善意のゆくへ
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布施の心と勧進の心
宗教において布施の功徳とは、差し出す人の心境できまります。
そのために執着を去った清らかな心、信仰心から生まれた深い感謝の気持ち、純粋に尊いもののために差し出したいという心、人の幸せのために使ってほしいという愛の気持ち、そうした心からなされた布施は、尊いものです。
その心を起こしたことが、その方の功徳となり、心の平安、喜び、そして来世の幸福の因となります。
それには勧める(勧進する)側、つまり布施を受け取る側が清らかでなければなりません。
布施を勧める側の純粋な思いが純粋な布施の心を呼び起こし、目標達成や自己保身のためにお金を集めたいという思いは、見返りを求める執着の布施を呼び込むはずです。
私が職員の時代は、勧進する側の想いの大切さを意識していました。
できるだけ信者さんが清らかな心境で布施してくださるようにと意識して話しました。
それでも、多くの布施が集まったときには、得られた結果を誇る気持ちがありました。
職員時代は勧進する側だという気持ちが強く、出すことにおいては非常に少なかったと思います。
しかし在家になったら、できるだけ布施をしたいという気持ちに切り替わりました。
あまり多額の布施をできないことが苦しみでした。
そしてその時にお布施をしたいのにできない苦しみを信者が抱いていることを知りました。 【執着と与える愛】幸福の科学の植福を考えるP・・・善意のゆくへ
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善意の布施のゆくえ
布施ができない苦しみは、もっとお役に立ちたいのに立てないという苦しみです。
そこから人々は繁栄を願うようになります。
そして繁栄系の祈願や研修をこぞって受けるのです。
受けるに際しては数万円から数十万円の布施を研修祈願費として支払います。
そしてもし経済的な繁栄があれば、更に布施をするのです。
手持ちのお金はなくなります。
もし繁栄できなければ、研修と祈願でさらにお金が無くなります。
いずれにしてもお金は信者から教団へと流れ続けるのです。
善意の純粋な布施もあると思います。
その布施をした方は、その心に応じたよき報いを受けると信じたいと思います。
しかし、仏陀であると偽って受け取られた布施は、本当によきものを与えてくれるのでしょうか。
偽のダイヤを「これは本物のダイヤモンドです」という言葉を信じてお金を支払っても、得られるのは偽物の石です。
ある人はこう例えました。
老いた母親を喜ばせたいと思って、娘が母にお金をあげたら、母親はそのお金を孫に上げてしまった。
こんなことならあげるのじゃなかったと思ったが、どう使うかは受けての責任で、与えての責任ではない。
だから布施をした信者が純粋な思いでした布施は、受け手が間違った使い方をしても、布施した人の責任ではないと。
しかし、母親と思った人が、実は魔女が化けた姿だったとしたらどうでしょうか。
母のためにと思う純粋な心は尊いとしても、魔女にだましとられてしまった事を無念に思うでしょう。
そして魔女が勢力拡張と自分の身を飾るためにそのお金を使うことを、さらに無念の思いで見るのではないでしょうか。
そこからは布施を返還してもらいたいという思いが、当然湧いてくると思います。 【汚れた布施とは何か】幸福の科学の植福を考えるR・・・三輪清浄
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3つの汚れ
K会(幸福の科学)は布施の正当性の根拠として三輪清浄を強調してきました。
三輪清浄とは仏教で説かれた布施の理念です。
三輪とは施者、施物、受者であり、この三つが清浄でなければならないという教えです。
清浄というのは執着の穢れがないことです。
三輪清浄の教えに従えば、次のような布施は汚れがあり、功徳がない、つまり悟りの因とならないとされます。
施者が見返りを求めて布施を行い、教団から重要視される立場や、名誉や名声、特別待遇を求める布施は汚れています。
布施は与える行為ですから、見返りを求めるのは取引となり、貪欲を断つ修業としての価値はなくなります。
自分の名前で支部精舎が立ったという名誉を求めたり、多額の布施をすることで教団内で重要な立場や尊敬や注目が欲しかったり、布施の見返りに仕事上での取引を有利にしたかったりすると、施者に穢れがあるとなります。
施物は金銭や奉仕や土地や物など教団に捧げるものです。
通常はお金です。
そのお金が不当な手段によって稼いだものであれば、施物に汚れがあるとされます。
例えば盗んだお金、詐欺的商法によって得たお金は、そのお金に執着の念や恨みがこびりついていますので、汚れています。
受者はK会では教祖一人です。 【汚れた布施とは何か】幸福の科学の植福を考えるR・・・三輪清浄
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8020702.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post_2589.html
職員は受者ではなく、教祖から給料の支給を受ける立場です。
受者が自分の私欲や行き過ぎた事業欲のために金集めをしたいという思いなら、受者は汚れています。
特に仏教で厳しく禁じられたのは、受者が悟りを偽って布施を受け取る行為です。
仏陀でないものが仏陀と偽って布施を受ける。
阿羅漢でないものが阿羅漢の悟りを得たと偽って布施を受ける行為は、宗教的な詐欺であり、無間地獄に堕ちるとされてきました。
過去世を偽って集めた布施も汚れています。
出家者と勧進の問題
K会は厳密には受者は教祖一人とされていますが、職員は教祖の命令を受けて布施を集めるので、信者から見たら受者です。
仏教では出家者は全部受者になります。
この出家者が、自分の営業成績をあげたいためにお金を集める。
目標に及ばず左遷されるのが怖くて布施を集める。
教団から賞賛や名誉を得たくて布施を集めるならば、それは汚れています。
我欲を満たすための行為なので、悟りの因とはならず、執着を深めるにすぎないからです。
仏教は布施は貪欲を制し執着を断って、相手に与える行為だからこそ、悟りや幸福の因となると教えます。
霊的な功徳を求めてする布施であっても、それが欲しいがために布施をするならば「無功徳」であるとするのが仏教の立場です。 【汚れた布施とは何か】幸福の科学の植福を考えるR・・・三輪清浄
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8020702.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post_2589.html
だから、出家者は在家の人が無執着の与える心を起こして布施をされるように導くのが修業であり、在家の人に功徳を積んでもらう行為とされたのです。
これが勧進の意味です。
勧進する人の心と、布施する人の心は合わせ鏡です。
勧進する人の心が、自分の我欲から目標数字達成のためや自分の名誉心や出世欲からお金を集めようとしたなら、差し出すひとはそこに何か嫌なものを感じます。
強制感や出させられたという不快感を感じさせることもあれば、施者に名誉や賞賛が欲しいという気持ちを引き出します。
こうなると迷いの増幅をしていることになります。
そうした布施には功徳がありません。
まさに無功徳です。
ですから、布施を勧める(勧進)側は、常に自分の心に執着や我欲はないか、在家の方に悟りの因となるような布施の心を起こさせ引き出せているかを自戒しなければなりません。
にもかかわらず、K会でそういう指導を私は教祖からも誰からも受けたことがありません。
私自身は仏教の精神に基づいて、そういうことを強調したことがありますが、組織的に勧進する職員の精神性を高める指導は一切されなかったと思います。
ただ、目標達成した支部長は賞賛され、そうでないものは非難される。
それが教団のカルチャーでした。 【熱烈信者の無念】幸福の科学の植福を考えるS・・・信者の怒り
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8027589.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post_22.html
不信を招いた過去世問題
教祖が大救世主にして仏陀であるエル・カンターレであると信じるからこそ、信者は進んで布施をしてきました。
しかし、これが騙しのテクニックだったことが明らかになった時には、施者には無念の思いだけが残ります。
次の元信者の発言は、多くの方の気持ちを代弁していると思います。
<今まできょう子氏に対してなされた布施は、大川氏が彼女を文殊や女神アフロディーテの生まれ変わりであると言ったことに基づいてなされた布施であり、その説を変えた今は布施の根拠をすでに失っています。
しかし、大川氏は突然今までと違うことを言いだしたことを、私たち信者に誠実に説明、謝罪することをせず、むしろ過去世の認定はまだ本当はやっていなかった、としてうやむやにしました。
そして前妻は悪魔だったと衛星放送で妻の悪口を全信者に向けて言いました。
私はそれまで大川氏を救世主だと信じ、お金、お金の活動も耐えてやってきました。
しかし、大川氏が信者に女神だとして敬わせてきた妻に対するあまりにひどい仕打ちに、私は大きなショックを受けました。
これを「神のおっしゃる事だから本当のことである。人間心で判断せずに、主について行こう。」と思うことはとてもできませんでした。
「家庭ユートピア」は名ばかりで、教えを説いた教祖自身がそもそもそれを実現できなかったのだな、と私は失望しましたが、この本音も支部の仲間にはとても言えず、とても苦しい思いをしました。>
教祖と教団を信じて布施してきた方の善意が傷つけられ、それに対して何ら謝罪がなされていないことに対して、私は元職員として本当に申し訳なく思います。
騙され欺かれていたことを知った信者は、ご家族に申し訳なく思い、布施を勧めた人に申し訳なく思い、自分自身を責めていると思います。
今は教団を信じている人も、真実に目覚めれば、次に来るのは怒りですが、その次にくるのは罪悪感や自責の念だと思います。 【職員時代の悔恨】幸福の科学の植福を考える㉑・・・私の後悔
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8039225.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post_23.html
罪悪感と自責の念
私も職員時代には布施の功徳を説いて集めた以上、それらの人の無念の思いの一部は受けなければなりません。
このK会の洗脳集金システムに関するブログ記事は、私の罪をあがなうためのものです。
職員は、収益目標を必達することが常に要求されるので、ありとあらゆる方法を考えて集金します。
私の場合は説法が得意だったので、もっぱら説法を磨きました。
その布施の功徳や霊的な意義付けを考え出して、喜んで積極的に布施していただけるようにするのです。
たとえば「大乗のご本尊」を郷里の支部長として勧めたときは、新しい本尊の意義と功徳を霊的な体験や法にこじつけて、繰り返し繰り返し説きました。
私は本尊が入ればその家に信仰が根付くし、地域も浄化されると思って勧めました。
それを私の郷里への恩返しにしたいと思って、頑張りました。
もっとも、新しい本尊が数多く入れば収益目標は簡単にクリアできるという計算は、口には出しませんが、心の中ではしっかりしていました。
そのトークが受け入れられて本尊が爆発的に伸びたため、全国の支部長がそのトークを使うようになりました。
こうしたトークは、後輩職員に遺伝子として受け継がれたように感じています。
しかし、仏陀が偽物で、教団が邪教団になると、私のトークの技術は邪命説法すなわち霊感商法の話法に転落します。
動機が故郷への恩返しだったとしても、私の故郷を霊的に汚した事実に変わりはありません。
この罪悪感と申し訳ない思いは、ほかの人に味わってほしくありません。 強姦教団
http://ameblo.jp/adgjmptwadgjmpuwadgjmptw/entry-12208487296.html
コウさん、残念ながら、HS信仰をもったままでは絶対、反省出来ません。
なぜなら、仏陀が偽物だからです。
HS教団は、どう足掻いても「立て直し不能」です。
仏陀が偽物で犯罪者、これで全てが崩壊します。
システムそのものが詐欺と強姦です。
「反省」ではなく、「破壊」が必要であり、洗脳された信者たちの「救済」しかありません。
洗脳された信者たちは、身包み剥がれるまで布施し続け、無間地獄で
「白いバスケットボール」と化すのです。
奴隷であり、ルシフェルの「燃料」にされてしまいます。
心ある職員、会員よ、立ち上がれ!!
教祖、宗務、本部の犯罪を拡散せよ!!
今も行われ続ける「性犯罪」を暴露、拡散せよ!!
最低最悪の邪教団・幸福の科学を叩き潰せ!! 退会しなければ信者は確実に経済破綻する!!
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8043422.html
今日はちょっと「数字」見ながら、ハッとしましたね。
これ以上、信者続けてたら、間違いなく経済破綻でしたよ。
ちょっとした贅沢すら出来なくなったと思います。
もう、教団に出し尽くしてしまった、という感じです。
忙しく働く男性たちは、ちょっと分からないでしょうが、奥さんが熱心な信者の場合、要注意です。
支部が心の拠り所ならば、
「主が一番、大変な時に、お役に立ってこその弟子なのです」
なーんて支部長やスタッフに真顔で言い寄られたら恐らく、イチコロでしょう。
ハッキリ言います。
貴方の家庭、財産、経済安定を守りたいならば、「邪教・幸福の科学」を退会するしかありません。
信仰を捨てる、捨てない、は別として、まず、家庭生活、社会生活の安定を図って下さい。
私は、お人好しの信者の皆さんに、「私の二の舞」を演じさせてはならない、と強く念じる者であります。
ホント、ギリギリだった、と思っています。
ピア健氏の助力が無かったら、今後もずーっと貢ぎ続け、破綻スレスレの生活に堕すことは確実でした。
とりあえず退会した方がいいです。
支部に近寄らぬこと。
在家支部長(タダ働き)、スタッフ、皆、破綻寸前のボロボロの暮らしです。
在家支部長は、それプラス、家庭崩壊しています。
熱心な信者たちほど、幸福な日々を送っている筈だったのです、幸福の科学の教義からすれば。
ところが30年経って、蓋を開けて見れば、全てに於いてドン底、困窮状態。 退会しなければ信者は確実に経済破綻する!!
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8043422.html
肥え太るのは教祖と宗務と愛人たちのみ。
教祖は腕に数千万円の腕時計を巻き、指には世界に数個しかない数億円の指輪を付けて、御法話拝聴会の度にブランドもののスーツを新調し、一回着てポイッ。
「信者は生かさず、殺さず」
こんな口を叩かせて、野放しにしては断じていけないのではないでしょうか。
とにかく、今直ぐに、植福の会、全口解約を。
出来れば、退会届を提出して下さい。
私は先日、支部長へ直接、提出しました。
支部長、恐くて書けない、と言い逃れ。
本部長に頼もうかな、とか。
ですので、恐らく「永遠の保留」でしょう。
しかし、「やめる」という意志表示により、最早、勧進して来るバカもいなくなります。
そういう意味では、大切な行為かと思います。
とにかく、支部には金輪際、近寄らないことです。 【良識を疑った家庭崩壊劇】幸福の科学の植福を考える㉒・・・良識の叫び
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8051785.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post_24.html
<毎年8月22日は元奥さんの誕生日で、過去世が文殊菩薩、アフロディーテであると言われ、家庭ユートピアを謳ってアフロディーテ祭を行っていました。
その時には、北海道正心館・限定祈願である「家庭万事円満祈願」という祈願が、国内精舎とハワイ精舎でも出来るようになり、元奥さんの事を
「主のおそばで、主を献身的に支え続けておられるその愛あふれるお姿は、つねに仏弟子の鏡です。」
と褒め称え
「この祈願を通して、家庭の問題がすべて片付き、ますます幸福になる方が、たくさんでますようにお祈りいたします。」
といううたい文句での祈願でしたので、信者はお金を出して祈願していました。
大川氏は、元奥さんの過去世は女神のアフロディーテであり、文殊菩薩であり、ナイチンゲールであると称して、信者からお金を集め、彼女を称える為の建物を建てました。
しかし、自らアフロディーテである、文殊菩薩であると言い、信者にも敬わせておきながら、夫婦仲が悪くなると一転して悪魔だと言い出したのです。 【良識を疑った家庭崩壊劇】幸福の科学の植福を考える㉒・・・良識の叫び
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8051785.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post_24.html
これは極めてノーマルな意見だと思います。
自己保身を振り返る
私はこの追放劇を目にする数年前、ある元職員からきょう子さんに関する悪評を聞いていました。
それできょう子さんが悪いのだと、その当時は頭から決めつけていました。
従って、教祖の前妻への対応に対しては、実は弁護する側の人間でした。
なぜ異常な教祖の言動を、私が擁護しようとしたのでしょうか。
当時の私の心裡を分析すると、私の信念体系を擁護することで自分自身を守ろうとしたのではないかと思います。
これを自己防衛のメカニズムと言います。
言い変えると自己保身です。
真実を真実としてありのままに見ると、自分の信仰が崩れてしまいます。
そうすると自分の精神的な基盤が崩れます。
だからこそ、教団に同調してきょう子氏を否定する側に組みしたように思います。
要するに、教祖を信じたいがために、きょう子氏の悪口を言う教祖の言葉を全部受け入れるという心理が働いていたのです。
真実を直視して「教祖はおかしい」と即座に思えた人は、客観的にもの事が見えた人だと思います。
しかしそう見えずに、教祖と教団の言い訳を丸呑みした人も、実は私と同じように、自分自身が崩壊するのが怖くて、真実を直視する勇気がなかったのかもしれません。
これは無意識的な心の動きで、自覚していないことが多いと思います。
ですから教団を擁護してきた信者も、本当は心の奥底では傷ついていると思います。 【言行の不一致】幸福の科学の植福を考える㉓・・・不信感の根本原因
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8059812.html
信者への裏切り
もともとK会は、教えに惹かれて入信する人が多かった宗教でした。
近年の本は別ですが、以前にはK会の本に書いてあることは、いかにも素晴らしい内容に見えました。
しかし、教祖と教団の実態が教えに反していることがはっきりするにつれて、私はK会が信仰を強調する狙いが見えてきました。
教祖が100パーセントの信仰を力説するのは、実は信者に疑わせないための詐術であったと気が付いたのです。
「説明する気はありません。ただ私を信じてついてきてください。」というのは、事態がもはや理性的に説明できなくなったのを覆い隠すためだったのだと理解できるようになりました。
教えを裏切る教祖と教団の言動は、信者への裏切りだと思います。
ある元信者の方は、その点を鋭く指摘されています。
<大川氏の本には「良いこと」がたくさん書かれています。
誰でも良いことを言うのは簡単ですが、実践できなければ意味がありません。
神を名のるのであればなおさらです。
大川氏は数々の言行不一致がありながら、自分を「仏陀」「救世主」とすることで、巧みな集金システムのもと、多くの人々から多額の布施を集め続けています。
信者は「99%の信仰ではいけない、100%の信仰が必要である」と言われ、常に大川氏あるいは教団本部からの指示に服従し、目標達成のため必死で活動しています。 【言行の不一致】幸福の科学の植福を考える㉓・・・不信感の根本原因
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8059812.html
大川氏はその教えで「与える愛」を説きながら、実態は信者の心を縛り、一切の批判を受け付けず、操ってきたことを私は許しがたく思います。
これらは幸福の科学が「言っていることと、やっていることが違う教団」であることを表しています。
そうであるにもかかわらず、自分を神として多くの人々から多額の布施を集め続けている大川氏は穢れており、今まで自らが常々強調してきた布施の大前提の三輪清浄が崩れています。
真ではない活動を長らく続けてきたこと、そして信者に対して多くの経済的・時間的・心理的負担をかけてきたことに対するすべての責任は教団トップである教祖・大川隆法氏にあると思います。>
こう告発される方も、もとは熱心な信者であり、周囲の懸念を押し切って活動してきた方です。
この方がどれほど無念を感じ取っておられるかと思うと、私は申し訳ない気持ちが起こります。
なぜなら私がこの教団を初期から支えてきた事実は消えないからです。
教祖の教団の実態をありのままに見ることが正見です。
しかし、信仰はそれを見えなくさせます。
信仰がなければ正見ができないとK会は教えますが、これは全くさかさまです。
エル・カンターレ信仰がフィルターとなって、一般の人には見える明らかな事実すら、信仰を持つと見えなくなるのです。
間違った信仰は邪見だというのは、K会の信仰にこそあてはまります。
邪見に基づく行為は間違った行為となります。
私は信者さんの中には、本当に純粋な気持ちで布施されている方が少なくないことを知っています。
この方々の気持ちを思うと、私は心が苦しくなります。
この方々が真実に目覚め、真実と向き合い、真実を受け入れたときに、どれほど落胆され、後悔し、苦しまれるかを思うからです。 幸福の科学を信じないから信仰心が無いと決め付けることの恐ろしさを
幸福の科学の信者は理解されていないのではないか?
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8069002.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/08/blog-post_27.html
日本文化の魂
また、教団から与えられた情報だけを鵜呑みにして判断している人たちには、冷静に見ていただきたい。
日本文化の精神の根底には日本古来の神と仏教精神の生活の上に育てられたものである。
そう、日本神道と仏教が融合して、日本文化の魂を作っている。
そこに神仏が既に宿っているということである。
日本人が生きることは即ち神仏がともに生きているということである。
さらに言えば儒教の教えも日本人は学び、礼節や親孝行の精神を身につけていた。
このように良きものは学び向上しようとする精神があった。
これは寛容の精神がなければ困難なことだと思う。
その伝統は今にも継承されているはずだ。
日本文化はもともと寛容な精神を持ち合わせている。
幸福の科学を信じないから信仰心が無いと決め付けることの恐ろしさを幸福の科学の信者は理解されていないのではないか?
歴史的にみても日本人は神国・日本さらに、仏教国としての位置も確立してる。
その国民に対して信仰心が無いと言い放つことは、それはまさに神仏への冒涜そのものであるということだ。
自らの選択した道に誤りがあれば、潔くそれを手放し、本来の道へ方向を戻す勇気を幸福の科学の信者の皆さんには養っていただきたいと思う。 【依存性人格障害の特徴】依存性人格障害の視点からB・・・特徴
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8088586.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html
人格障害
人格障害は、パーソナリティー障害と表現されることも多いのですが、一言で言えば「偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態」です。
依存性人格障害とは、依存心が過剰なために様々な生活面で不都合をきたす人格障害ということになります。
通常は新興宗教やカルト集団に、働いた稼ぎをほとんどすべて献金しつづけている場合は、依存性人格障害とみなされます。
この依存性人格障害にはどのような特徴があるのかを理解すると、自分の問題として分析しやすいと思います。
無力感と他者への依存
依存性人格障害は、「自己への無力感と他者への依存が最大の特徴である」といわれています。
「自分一人では無力で生きていけないので人に頼らなければならない」という思い込みを持っています。
そして「自分を低め不当なまでに自己犠牲を捧げてまで相手に合せよう」とします。
K会では、信者が教団職員による理不尽な扱いを受けながらも、三宝帰依に縛られて言うべきことも言えず、自分を低くして不当なまでに自己犠牲を払って教団の方針に従うことがあります。
「これが総裁先生のお言葉だ」
「深いお考えがあるから」
と職員から言われたり、自分に言い聞かせることで、普通ならできるはずの理性的な判断ができなくなるのです。
それをすると大きな罪を犯すように思えて、恐怖心が湧くからです。
また教団の運営方針に逆らった意見を言っても、それはすぐに押しつぶされ無視されますので、無力感が強まるばかりとなります。
自分に自信がなく無力さを感じるので、何でも支部長に相談したり、祈願や研修を受けて判断しようとします。
自分で判断することが怖くてできないのです。
誰かに判断してほしいのです。
必然的に他者への依存が強まります。 【依存性人格障害の特徴】依存性人格障害の視点からB・・・特徴
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それでうまくいけば、信頼してますます依存が深まり、うまくいかないと「信仰心が足りないからだ」と言われます。
結局どちらに転んでも依存が深まるようになるのではないでしょうか。
そこで質問です。
あなたは自分に無力感を感じることはありますか?
誰かに依存した、誰かに頼りたいと、強く思うことはありませんか?
もしそうした気持ちが多少なりともあれば、依存心を自分の問題として取り組んでみられてはいかがでしょうか。
私の事例
私は還俗した時に、最も無力感に襲われ、自分の中の強い依存欲求を感じました。
方向性を失い、どうしたらいいかわからなくなり、自分に方向性を示してくれる人を求めました。
現実処理能力や判断力が極端に落ち、誰かの支えを必要としていました。
だから自分への無力感と依存心が密接につながっていることはよく理解できます。
自分に自信がつくには、すごく時間がかかりました。
現実の生活や仕事で着実に足場が固まりだすと、自信がうまれ始め心の平安も戻ってきました。
信仰そのものに疑問を感じた場合は、別に何か自分を支えるに足るものがないと、非常に不安定になると思います。
でもそれが普通だと思います。
ですから、無力感や依存心が出ることは恥ではないと思います。
それをありのままに認めて向き合う勇気こそが大切だと思います。
そして地道な生活の努力の積み重ねは、必ず自信を回復させてくれると思います。 大川は、仏陀じゃない!!
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1475721643/239
職員さん、会員さん、良い人、大勢いるのです。
何とか気付いて欲しいのです。
種村さんも同じ気持ちだと思います。
在家支部長は、タダ働きです。
家庭は、完全に崩壊しています。
スタッフもボロボロです。
映画、選挙・・・疲労困憊して、ウチ帰って倒れたまま
なかなか起き上がれない、とか。
あまりの困憊に、ラーメン丼に顔突っ込んでしまった、とか。
それでも真夜中に起きて、ポスター貼りに行った、とか。
・・・・・
もう、やってはいけないのです。
大川は仏陀じゃありません。
最初の嫁さんを、「サッチャー並みの逸材だ」と持ち上げながら、
悪魔だ、ユダだ、と呪詛文章まで作り、
全国支部長に読誦させたり・・・
これが仏陀??
ンな訳、ねーべよ!!
気付いてほしいだけなのです。
あんな嘘吐きスケベ爺に財産貢いで身包み剥がれて
バカみたいでしょうが!!
で、死後、無間地獄・・・・。
こんなバカげた人生って、何なのよ!!
気付け!! 気付け!! 気付け!!
大川は、仏陀じゃない!!
ただのイタコ、ド仙人だ!! 【教えを判断基準にする功罪】依存性人格障害の視点からD・・・判断
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8098011.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/09/blog-post_7.html
依存させる仕組み
私はK会には、信者を依存させていく巧妙な仕組みがあると思います。
その一つが、「法に照らして判断する」という言葉です。
信者であれば、これは当然だと思うと思います。
私もそう思ってきました。
しかし、もしその法(つまり教祖の言葉)と自分の良心の判断がずれた場合には、どちらを拠りどころにするのかという問題を問いかけられたら、どうされますか。
教祖が言うことなら、自分の良心の声を無視しても従うのでしょうか。
そうなると、オーム真理教の教祖に従った信者と、どこが違うのでしょうか。
教団の変化
K会では、もともとは自分の正しき心の探究をして、そして得られた正しさに照らして判断しなさいと説かれてきました。
教えに照らして反省し、心を清らかにして正しい心を探求し、その正しい心に照らしての判断をするのです。
私はこれは、非常に難しいけれども、信者の自立を促す教えだと思いました。
それが大幅に変わったのは、やはり方便の時代が終わり仏教路線に入ってからでしょうか。
やがて正見とは正信であり、信仰に基づく見方をしない限り正しく見えないと教えるようになりました。
そうすると、自分の良心の判断ではなく、教祖の意見に従うことだけが求められるようになります。 【教えを判断基準にする功罪】依存性人格障害の視点からD・・・判断
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8098011.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/09/blog-post_7.html
「総裁がこういったから」という言い方を、職員は金科玉条にしてきます。
これは大義名分をたてることで、信者を従わせやすくなるからです。
「経典のここにこう書いてあるから」と言うかもしれません。
そういうことで、職員は自分の責任が免除される気がするのです。
ですが、K会の教祖の判断そのものが間違うことが多いのは、選挙結果を見たら明らかです。
またある経典に「家庭ユートピアができないと信仰者としては一人前の修行者ではない」と書かれていましたが、家庭ユートピアづくりは教祖も失敗しています。
つまり一人前の修行者ではなかったわけです。
しかし、それを認めるわけにはいかないので、結婚相手を徹底的に悪者にしました。
そして一夫多妻まで匂わしているようです。
こうした教組の言動は、自分の良心に照らして正しいと思えますでしょうか。
もしこの教祖の言動を根拠に、それに従って行動すれば、おそらく世のひんしゅくをかうのではないでしょうか。
つまり、宗教の教えで説かれても、それと自分の良心と合致するかどうかを考えて、合致しない場合は行動を控えるべきだと思います。
盲目的な依存は、そうすることで予防できると思うのですが、いかがでしょうか。 【人生は他人まかせにできない】依存性人格障害の視点からC・・・決断
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12209163320.html
決断について
依存性人格障害の人は、「重要な意思決定の場面では決断することができず、他人に頼ろうする」傾向が強いものです。
誰しも重要な意思決定の時には、いろんな人の意見を聞きます。
時には占いをすることもあるかもしれません。
しかし、最終的には自分自身で決定して、その責任は自分がとるというのが、健全な在り方だと思います。
ところが宗教への依存が強い場合には、結婚・離婚や学校選び、就職などでも、教団の人や有力な信者のアドバイスには無条件に頼ろうとして、冷静で善意のある家族や第三者の意見は耳に入りにくくなるのではないでしょうか。
まして自分自身で冷静に合理的に判断ができないのではないでしょうか。
私は職員時代に、ある信者の方に相談されたとき、教えと経験に照らして若い人へのアドバイスをしたことがあるのですが、その方が素直で信仰深い人だったので、私のアドバイスの通りにされました。
その時はそれでよかったと思っていたのですが、あとになって、私のせいで、その方の別の人生の可能性の道をふさいでしまったのではないかと思うようになり、非常に反省しました。
性格がよく素質の高い人だっただけに、その方に申し訳なくて、ひそかに長く苦しんできました。
K会で過去世がどうだとか、役職がどうだとかいっていても、実際にはたいしたことはありません。
それを盲信して従うのは、本当に危険です。
誰がアドバイスしたにせよ、最後は自分自身が、冷静に判断していこうとしないと、自分の人生に責任が持てなくなると思います。 【人生は他人まかせにできない】依存性人格障害の視点からC・・・決断
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12209163320.html
いさぎよさ
私は、過去いくつも周囲の反対を押し切って決断をし、成功したこともあれば失敗したこともあります。
でも決断の際にこう考えるようにしました。
「この人の言うアドバイスは自分も正しいように思う。
それを正しいと判断したのは私自身である。
この人がこう言ったからではなく、自分がそれを正しいと認めたから、この選択をする。
これは私の選択である。」
こう自分に言い聞かせるようになりました。
こうしておくと、誰かの意見に従って失敗しても、人のせいにしないですむからです。
愚かなのは私だ、と認めることはつらいのですが、卑怯な人間にだけはならないですみますから。
せめて潔くだけは生きたいと思ってきました。 【人生は他人まかせにできない】依存性人格障害の視点からC・・・決断
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12209163320.html
自由と依存
依存は誰かに自分の人生を預けてしまうことを意味します。
その方が楽なのです。
ところが、相手の意志は自分の本心と相反することがあります。
多少理不尽な思いをしても自分を抑えて相手に従い続けると、相手はどんどん自分の思い通りに操ろうとしてきます。
ここで失われるのは自由です。
特に良心の自由です。
ここが犯された場合には、やはりその依存は続かないと思いました。
依存による生活の安定よりも、良心の自由をとるという決意が、依存を断ち切らせます。
依存は最終的には、自由、それも良心の自由とぶつかるのではないでしょうか。 正心法語は、悪魔の呪文
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12209199943.html
霊的体験に学ぶ@ 「正心法語」の怖さ
「正心法語」で生じた異常現象
1.はじめに
最近、ある女性の方からお電話を頂きました。
この方のお名前を千乃風(仮名)さんと仮に呼ばせていただきます。
40代の女性で、幸福の科学が宗教法人になる前に入会され、2005年にお辞めになりました。
とても鋭い思考と美しい声の持ち主なのですが、幸福の科学の縁で幻聴・幻覚に12年間にわたり悩まされ、それと戦いながら、少しずつ克服してこられたと言います。
特に私のブログを見て、あまりの『舎利弗の真実に迫る』のバカバカしさに大笑いされ、それが幻聴を軽くする効果があったと言って下さいました。
笑いはお腹の筋肉が動くので、丹田に力が入り、悟性を活性化させるきっかけになることがあります。
そうした効果もあったのでしょう。
しかし何と言っても、私のブログを4回精読されて、大川隆法氏の間違いを確信されたことが大きかったようです。
私がこの方の体験談を、何回かに分けて御紹介しようと思ったのは、幸福の科学によって幻聴・幻覚に苦しんでいる方が少なくないからです。
私の知り合いにも、そういう方がいらっしゃり、御主人が今年の映画のお誘い活動をされてから、幻聴による恐怖心で通常の社会生活が出来なくなってしまい、家族中が苦しんでおられます。
こういう方の場合、誰にも理解されなくて、孤立していかれることが少なくありません。
そこで、12年間幻聴と幻覚に苦しみながら、一歩一歩それを克服してこられた千乃風さんの体験は、きっとそれによって光明を見出す方が多いと思ったのです。
また、霊的な戦いをされる中で得られた見識が、あまりにも大川隆法氏の問題点を鋭くついていて、洗脳解除のためにとても参考になります。 正心法語は、悪魔の呪文
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12209199943.html
2.最初の正心法語体験
千乃風さんは、極めて霊的な体質を持っていたようです。
そのために、初期の『正心法語』を読んだだけで、霊的な体験に見舞われたといいます。
以下、千乃風さんが書かれた体験です。
<最初の正心法語体験>
<私は1990年7月、幸福の科学の会員となりました。
そして10月頃から支部に行くようになり、「正心法語」をもらい、それを朝晩、2週間読みました。
2週間たった頃、ある朝、5時ぴったりに目が覚めたのです。
「何だか早く目が覚めたなー」と思ったのですが、「すごーく冴えている」のです。
「何だ、この冴え方は」と思い、ベッドに仰向けになり、胸のところで手を組んで、ぼけーっと天井を見つめていたのです。
そうしたら、「ガーン」という空気が張り裂けたような轟音(ごうおん)とともに、私の体が一度ベッドに叩きつけられたのです。
「わわわ、地震だ。逃げなきゃ」と思っていたら、地震ではなくて、もう二度、「ガーン」という音がして、私は二度ともベッドに叩きつけられました。
つまり、ベッドの上で、バウンドしたわけです。
「あれれ、私の体が動かせない」ということになり、通常手首に感じる脈の感触もまったくなくなり、心臓の奥から、「ぼこ、ぼこ、ぼこ、ぼこ」という音が聞こえ始め、体が勝手に小刻みにゆさゆさとベッドの上で、勝手に動くんです。
私は「なんだ」と思い、「止(や)まれ、止まれ」と唱え続けていました。
感触としては,幽体離脱するか、声が聞こえてきそうな感触だったのです。
その時以来、私は正心法語を放り投げて、読まない人間となったのでした。>
これが千乃風さんの最初の正心法語体験でした。 正心法語は、悪魔の呪文
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3.正心法語のCDを聞いて幻聴が始まった
千乃風さんが次に正心法語に関わるのは、2001年3月9日。
実に十年後のことです。
今度は、正心法語を読まずに、CDを掛けて聞いたのです。
きっかけは、CDを買ったまま、一度も聞いていなかったので、一度ぐらい掛けて聞いてみようと思ったのです。
それが大変な異常事態を引き起こす引き金になろうとは、千乃風さんが知るよしもないことでした。
<2度目の正心法語体験「幻覚」>
<私は「証拠の記録」として、大川氏が読む正心法語のCDを4日間かっけぱなしにしたら、5日目あたりから起きてしまった「異変」について書きます。
2001年の事で、2001年3月9日から3月12日まで、掛けたように思います。
その直後、3月13日頃、私は生まれて始めて「幻覚」を見るのです。
どういった幻覚かと言いますと、真っ黒な海にバスケットボール大の大きさの白い球がずらずらーっと並んでいる「幻覚」です。
当初、これを見たときに、「何だ? これっ! 地獄に堕ちた魂なのかな。」とも思ってみましたが、人の姿でもないし、「なんだろうな?」でした。
3月13日から28日にかけて、来る日も来る日も、不気味現象が起きてしまったのです。
「頭のてっぺんにひも」のようなものがついている感触になり、それをぐいーっと引っ張られ、「頭がくにゃ」になってしまった日がありました。
また、「心臓部分にひも」のようなものがついている感触になり、それをぐいっと引っ張られ、私は体が1メートルほど引きずられました。
その時、「男が私の体に乗り移り」、「あっ、頼む、止めてくれ、この子は27回犠牲だ。止めてくれ。」などと、「意味不明の言葉」をしゃべらされてしまいました。 正心法語は、悪魔の呪文
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私はその直後、「意味不明だ。27回犠牲だって。何だろう?」と思いました。
ある日には、「部屋の半分が真っ黒、もう半分が真っ白」に見えるのです。
私は怖くなって、白い方向に駆け寄っていくのですが、白黒がくるっと反転して、白い半分の部分が黒になってしまいました。
もうよく覚えてないのですが、部屋の床がゆがんで見えたように思います。
ある日は、「がーん」という空気が「張り裂けたような音」が聞こえました。
その瞬間、目の前が「真っ暗」となりました。
四方八方が真っ暗なのです。
私は「黒いコンクリートに塗り込められた」ようになり、何だかわけが分からず、ベッドに倒れ込んで寝てしまいました。
ある時は、「心臓部分」を、「ぐさっ」と突き刺すナイフのような感触を感じました。
5回突き刺されています。
もちろん、痛くありませんが、「突き刺した感触」だけはあるのです。
ある時は、「焼き鳥の串刺し棒」のようなものが、空中から延びてきて、左の卵巣を突き刺しました。
それから、ある日には、「男に乗り移られた」んですね。
そして「意味不明の言葉」を無理やりしゃべらされました。
今でも鮮明に覚えておりますが、「我こそは、天と地を四分割に分け・・・断と通ずる魔を無限無なる無なる無なる無」などと言わされてしまうのです。 正心法語は、悪魔の呪文
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それを言わされている瞬間、心臓部分から太い男の声で、「どんつーま、おつるま、おつるま」という声が聞こえ続け、どうも心臓部分に「ロープ」のようなものがついている感触になり、
それがなんかつるつると、伸びているという感触になってしまいました。
私は「不可抗力」でこんなことをしゃべらされたのであり、私自身が「天と地を四分割に分け」なんて思っておりませんので、「これ、完全憑依だわ」と怖くなってしまいました。
そこで、『太陽の法』でも読むか、と思って読んでいましたら、「ガーナのところを読め」と言う声が聞こえてしまい、試しにガーナ文明の箇所を読んでいましたら、
「胸のチャクラの部分に、こまかーい糸のようなものがついている感触になり、それがつるつるとほどけ始めた」のです。
で、私は、「わわわ。これは一体なんだ?」ということになり、パタンと『太陽の法』を閉じてしまいました。
そして、胸の中央部分に穴が開きそうな感触となったので、そこでやめたんですね。
ある日、「ずかーん」という「衝撃音」が走ったかと思ったら、「頭をVの字にくりぬかれた」ようになった日もありました。
こうした現象は、28日まで続き、ひとまずこれでピリオドを打つのです。
それが2001年のことですが、2002年にも二度ほどあるんですね。
確か2002年5月のことでしたが、マーケットに買い物に行った時に、突如として、心臓部分をぐさっと刺されるんです。
なんだか30センチぐらいの刃物が突き刺さっているような感触でした。
そして7月頃でしたか、書店に行って、「大川きょう子のコーナー」を見たんです。
「大川きょうこさんね」と私が思った瞬間、「頭に四角い箱」のようなものが、「ぱこ」っと、かぶさってですね、なんか「頭の記憶が引き抜かれた」ようになるのです。
私は「なんだ? 頭が真っ白になってしまった。」と思い、その書店の前の道でへたりこんでしまいました。 正心法語は、悪魔の呪文
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2002年5月22日、大川隆法氏が夢に出てくるのです。
「にたにた不気味に笑いながら、私を地底の奥底に引きづり込もう」とする夢だったのです。
その後は、ひたすら幻聴と幻覚の日々が続く事になりました。>
4.異常体験の意味するもの
千乃風さんの正心法語にまつわる体験はまだまだ続くのですが、ここではひとまず、この体験の意味を考えたいと思います。
千乃風さんは「正心法語」は仏陀の言霊でつづられていると聞いていたので、どうしてこんな悪霊現象が立て続けに起きるのかという疑問を持たれて、大変苦しんでこられました。
一つ言えることは、正心法語のCDの声は大川隆法氏の声です。
それを聞いていると、その時点の大川隆法氏の意識に通じていきます。
千乃風さんは極めて霊体質なので、2001年3月時点の大川隆法氏の意識に同通したと思われます。
その結果、このような恐ろしい幻覚や憑依の現象が起きたと思われます。
ここで重要な事実があります。
私はこれまで「正心法語」は結界を作るので、悪魔や悪霊がその場にいられなくなると教わってきました。
しかし、千乃風さんは正心法語のCDを掛けたために異常現象に見舞われたのです。
正心法語のCDの声が悪魔や悪霊を呼び込む役目をしたのです。
千乃風さんのように霊的に敏感過ぎて、大川隆法氏の精神状態に同通することが出来てしまう人にとっては、極めて危険だということなのです。 正心法語は、悪魔の呪文
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この方の体験から推定されることは、2001年3月には、大川隆法氏の精神状態が相当に悪かったのでないかということです。
なお、私ははるかに鈍感な人間なので、「正心法語」を数多く読みましたが、そのような異常現象には遭遇しませんでした。
CDを掛けても、特に異常はありませんでした。
しかし、それでも、昨年の春頃からは、正心法語の読誦は止めていました。
正心法語自体というより、それを通して大川隆法氏と同通する事に危険性を感じ出したからです。
千乃風さんは、潜在的な危険性を、はるかに早い時点で感じ取られていたのだと思います。
炭鉱を掘り進むとき、カナリアをかごに入れて、一番先頭の人が持って進むという話を聞いたことがあります。
カナリアは一酸化炭素中毒に敏感でかかりやすいので、人間が感じないほどの毒ガスでも感知してくれるためです。
私は、千乃風さんの体験を読むと、このカナリアを思い出すのです。 増税の負担率より酷い負担率で会員を苦しめていることを気付いてないのでしょうか
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ビックバン貸付の話は酷い話ですね
家も貸付をしたと聞いているので、その後、
布施に回すように言われ、 そうする人が多かったのであれば、
そうしてる可能性の方が大です
支部で少しでも活動をしていると、
本尊等の大きな植福が出た時に
せざるを得ない感じになるのか家もだいたいしていました
ここでビックバン貸付の裏事情やご本尊の裏事情を聴くと、
実際に支部から話されていた内容と全く違うので
酷いと思います
支部長達は、その布施を勧める時に、経営難の状態から、
会員が支える方法としての植福でもあることも
伝えるべきだったと思いますが 実際は、
銀行が危ない時代に、銀行よりは
幸福の科学に貸付をした方が安全だ のような意味合いで
言われてたのではとも思うと酷い話だと思いました
初期当時の活動会員はほとんどの人がしてたでしょうね・・・
実際、支部の熱心な会員の家にはご本尊が何体もあり、
大きな布施はしていたので 家の布施は
小さい方だと思っていましたが
それでも出来る範囲でと生活をきりつめて信じてきたのに
会員が皆、生活をきりつめて布施をしているという事を、
全く知らないかのように使われるばかり 増税の負担率より酷い負担率で会員を苦しめていることを気付いてないのでしょうか
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12209348231.html
きょうこさんの買い物は酷いと聞いていたので、除名され、
似文殊だったと言われ納得もいきますが、
子供もフェラーリ等も全く会員の生活を知らないんだなと思います
どれだけ、会員の人たちが生活苦になっているか
少しは知ってほしいと思います
自分たちの生活をきりつめて、
自分たちのために使うお金を節約して、
無理な活動で使ってきたことを少しでも知ってほしい
簡単にご本尊100万、ご法話拝聴に1万、5000円と
教団は言うけど
5000円、1万を出すことがどれだけ大変なことか
知ってほしいです
拝聴をしなければ、やこぜん扱いですし、
出来る範囲でいいと言いながら、 皆、
活動している会員は勧進してきます
数か月に1度のご法話拝聴くらいはとか、
新刊の書籍購入くらいはと簡単に言われますけど
月1度でも 5000円、その他、交通費、会員たちとのお茶会代、
その他、書籍代 月1万としても 年に12万です
消費税の増税で自殺者が出ると実現党は
ずっと訴え続けてきていましたが
増税の負担率より酷い負担率で
会員を苦しめていることを気付いてないのでしょうか 布施の負担は減るばかりか増えるばかりで、今はついていけなくなりました
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実際にどれだけしてきていたかを話すれば、
崩壊する家はもっと増えると思います
家族で会員であっても、貸付がその後、
どうなっていたのか等の詳細までは聞いてませんし
多分、 布施に回されたのではとも思いました。
酷い話です。
貸付代、ご本尊と最低でも 300万ほど その他数年で、
私だけで 300万ほどの額がかかっていたので、
家族はそれ以上の額として 900万
その他、神器、別お布施で何10万か、 その他、
先祖供養等の供養代や祈願で数10万
交通費、活動費等も入れると、数10年で
軽く、1千万、使用しています
これで普通に生活もしているわけで、
余裕があるわけがないです
立ち上げの時期だから仕方ないと言われ続け、
選挙で何度も供託金を没収させられても
まだ選挙に出るだけの財力もありながら
布施の負担は減るばかりか増えるばかりで、
今はついていけなくなりました
今ではもうそんな力もないのでどっちみちできませんが、
それだけお金がかかってきたことが
退会者が増えた理由だと思います 疲労困憊の上、貧乏になり、孤独になり、気づけば全て失ってるという人も多いですよね
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12209345885.html
支部長でも生活が大変な人はいましたよね
長い時間拘束されながら、給与は安く、
生活が大変な人もいると聞きました
一方で 一人暮らしをするのに充分な給与と、
待遇が与えられている女性職員もいるとも知り、
その格差は霊格の差なのでしょうか・・
悪と認定されたきょうこさんでさえ、
白金の1件家を与えられてた時期もあり、
慰謝料も結構な額を渡されたとも聞きましたし
そのお金で、イスラエル等の海外旅行を行ってた事等も
FBに記載してありました
全て、生活をきりつめて
布施や活動をしてきた人の布施のお金です・・・
映画、選挙・・
疲労困憊してと書いてありましたけど
会員のほとんどが、無償でただ働き、ボランティアの人が多く、
その上、植福の負担も多く、活動すればするほど
周りからはひかれ、嫌われていくはめに
疲労困憊の上、貧乏になり、孤独になり、
気づけば全て失ってるという人も多いですよね 【相手の機嫌に敏感】依存性人格障害の視点からE・・・いい人
http://bakaleo.diary.to/archives/11827118.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/09/blog-post_11.html
気に入られようとする
依存性人格障害の人は「重要な意思決定の場面では決断することができず、他人に頼ろうとする」傾向を持っているのですが、その結果、人に気に入られようとする習性が生まれます。
従って、このタイプの人は「人当たりが良く、サービス精神が旺盛」で「従順でとても『よい子』『いい人』として振る舞い、よく気が付き、相手の機嫌に敏感」という特徴を持つようになります。
確かに、誰でも大きな挫折の後ですっかり自信を無くしていたときは、そういう気持ちを経験しやすいと思います。
ある人は仕事上の失敗で左遷されて、地方に飛ばされていたことがありました。
その人は経験豊富な年配の上司に何でも教わろうとして、小さなことでも相談し、また大きな判断では、自分の疑問を抑えて従いました。
この時は、その方は大変上司の機嫌に敏感だったと言います。
サービス精神が旺盛でよく気が付くし、相手が喜ぶことを進んでする「いい人」でもあったそうです。
それだけに上司からは大変かわいがってもらったようですが、その方はその時期を振り返って、「上司に忠実な部下であっても、責任ある判断をする人間ではなかった」と感じているそうです。
上司の判断には、自分の疑問を抑えて全面的に従いましたが、そこにはある種の無責任さがともなっていた自分を振り返り、非常に反省すべき点があったと感じているそうです。 【相手の機嫌に敏感】依存性人格障害の視点からE・・・いい人
http://bakaleo.diary.to/archives/11827118.html
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依存が強まる理由
宗教では依存が強まる傾向があります。
通常は「この人は霊的なものを感じて判断している」と信じると、どうしてもその人の判断に依存しがちとなります。
たとえ相手に霊感がなくとも「この人は教祖が支部長に任命した人だから、何でも従わなくてはいけない」と思うと、やはりその人の判断を絶対視し、それに依存するようになります。
その結果、非常識な判断や疑問を感じる指示が出されても、従うようになります。
特にそれが教祖のご意志である、教祖の言葉であると言われると、通常なら働く理性的な判断がストップしてしまいがちです。
教祖の言うことに疑問を挟まないで従うことが信仰であるという洗脳がなされているからです。
いい信者
信仰が高まると、積極的に教祖や支部長に気に入られるような行動をするようになります。
支部長受けが良く、サービス精神が旺盛で教団の方針に従順です。
とても「いい信者」として振る舞うのですが、それが依存によるものであるとは本人も気が付きません。
自分の「献身」の奥にある依存心理に気が付けるということは、心を相当深く見つめる人でないとできないと思います。
しかし、家族や友人など周囲の人間は、案外その人に依存心理に気づきやすいのではないでしょうか。
こうしてみると、やはり宗教団体では「依存の傾向」が、知らず知らずのうちに助長されやすくなるのかもしれません。 【二つのタイプ】依存性人格障害の視点からF・・・献身型
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8130524.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/09/blog-post_13.html
思い込みに縛られる
依存性人格障害には受動的なタイプと能動的なタイプという、大きく異なる二つのタイプがあります。
受動的なタイプの人は、「赤ん坊型」「ペット型」とも呼ばれ、「自立心や生活力がなく、相手の顔色をうかがいながら上手に甘えて世話や保護を受ける」のが特徴です。
時に相手が横暴でも、耐えるしかないと思って忍従します。
これは自立能力、生活力が欠けている場合に見られます。
これと異なる能動的なタイプは、「献身型」と言われ、活動的で自立能力や生活力はあります。
しかし、「自分一人では不安で生きていけない」という「思い込み」に縛られて、つまらない男に報われない献身を捧げたりします。
その他に「新興宗教やカルト集団に、働いた稼ぎをほとんどすべて献金し続けている」場合も、このタイプだと言われています。
つまり活動信者、熱烈信者に多く見られるタイプなのです。
縛りを解く質問
以上の説明を聞いて、もしいずれかに心当たりがあるようでしたら、どうか自分に質問をしてみてください。
「あなたはその宗教に出会う前にも、生きていたのではないですか。
それなのに、どうしてその宗教がないと不安で生きていけないと思うのでしょうか。」
「あなたは、その人と出会う前にも、生きていましたよね。
なのにどうして、その人がいないと不安で生きていけないと思うのでしょうか。」
「自分の『思い込み』が、自分自身の心を縛り付けて、『一人では不安で、これがないと生きていけない』と思わせているだけではないのでしょうか。』」
「その不安は本当はどこから来るのでしょうか。」
それをこそ、しっかりと見つめることが必要なのではないでしょうか。
そして、それがなくてもしっかりと生きていた時期があることを、自分自身で再確認するところから始められてはいかがでしょうか。 俺的邪教評論。
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8132531.html
最初から、「徹頭徹尾の真っ黒け」っちゅう教団、カルト集団は、まず、ないんじゃないかな?
なんらかの木っ端な神、仙人、がちったぁ指導する。
「毛虫のションベン」程度のね。
で、「バカ殿様教祖」が次第に持ち上げられて狂ってく、ってパターンじゃね?
俺的には、そんな感じに見えるワケね、うん。
「最初っから真っ黒け」なら、そもそも、人、集まらんでしょ?
だから、邪教団の教祖っちゅうのは「神をも欺き、裏切る極悪人」ってこった。
OR見てると、そう感じるんだよ。
つまり、ああいう腹黒いド仙人たちは、神様をも利用、悪用して、
怒りを買って滅ぼされる、っちゅうパターンを延々と輪廻しているのではないか?と思われる。
卑近な例を挙げるなら、ブログ村HSカテゴリだよ。
どいつもこいつもHSの仏法真理とかいうヤツを利用しながら、結局、
「テメーが神」になってるじゃんww
「やおろずの神」を名乗る人も出て来たり、「ラビット銀河」の話をする人が出て来たり、
それに嫉妬する「ぶら下がり」や「自称・超ド田舎の女神」が出て来たり、さ。
あいつら全員、「神様の恩義を悪用する、腹黒いド仙人、糞魔女」たちだぜww
そもそも、なんであそこまで意地になって「自己顕示闘技場」にへばり付いてんのよww
自己顕示欲、名誉心、超晒しもの状態なのにさww
普通の神経の人間なら、恥ずかしくて居られない筈だよww
で、にも拘らず、テメーの優位性を保持する為に、パラサイトを動員して
通報活動、中傷活動を継続し、「メロンくま」などの架空人物を複数で乗りこなしては
ゲリラ活動をしながら、「敵」を蹴落とそうとしている。
完全に、霊的におかしくなっているし、もう一種の「精神病」じゃね??
病気だよ、ありゃ病気!!
関わらん方がいいねww
んじゃねww おい、>>15よ、お前は「正義の法」すらも、世の中に不必要な書物だと
言うのか? だと思うのならば、お前が大川隆法総裁先生に変わって、
「正義の法」に匹敵する日本や世界を救う書物を書いてみろよ。
そこまでやってから、我らが偉大なる救世主の悪口を言うがよい。
総裁先生の偉大さが分からない日本人は、生きる価値の無いゴミそのもの。 貴様ら、いい加減にしろ。 お前らのようなアンチ=悪魔どもが、そうやって
嘘八百の妄言を垂れ流しをしているせいで、日本はいつまでも大地震や大水害
などの天変地異に見舞われてばかりだよ。 みんな、貴様らアンチのせいだ。
日本国民が素直に大川隆法総裁先生の言うことに素直に耳を傾け、霊的なこと
を知ることが日本を天変地異から救う唯一の道なんだよ。それを覚えとけ!
「気」「付」「け」「!」「!」♪
正心法語のCDの声が悪魔や悪霊を呼び込む役目をしたのです。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12209603329.html
私はこれまで「正心法語」は結界を作るので、悪魔や悪霊がその場にいられなくなると教わってきました。
しかし、千乃風さんは正心法語のCDを掛けたために異常現象に見舞われたのです。
正心法語のCDの声が悪魔や悪霊を呼び込む役目をしたのです。
千乃風さんのように霊的に敏感過ぎて、大川隆法氏の精神状態に同通することが出来てしまう人にとっては、極めて危険だということなのです。 信仰が傷つき苦しむ人々の声に耳を傾けてあげてください
http://bakaleo.diary.to/archives/11871287.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/201244.html
番外編1
私は、シャーリプトラ(舎利弗)の過去世は自分で辞退していました。
私は大川隆法総裁に「親展」で、「信仰が傷つき苦しむ人々の声に耳を傾けてあげてください」という手紙を送りました。(2012年4月4日投函)
その中で、私の過去世認定に関して、大川隆法氏に返上しております。
大川隆法氏の過去世認定が、実はほとんど信用できないということを、この時点で私が確信していたからです。
この手紙を書いた時点では、まだ師と弟子という関係は保たれた状態でしたので、私は大川隆法総裁に対して弟子の礼をとって書かせて頂きました。
私信ではありますが、最初のくだりは大川隆法氏のプライバシーにはふれていませんので、私の過去世にふれた部分の前後を、ここに転載させて頂きます。(過去世にふれた部分は下線をつけました。)
「拝啓 桜花の候、大川隆法総裁先生におかれましては、益々ご健勝の御事と存じます。
私はとても悲しい気持ちで、この手紙を書かせていただいております。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 信仰が傷つき苦しむ人々の声に耳を傾けてあげてください
http://bakaleo.diary.to/archives/11871287.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/201244.html
私は今世、大川隆法総裁先生にお会いでき、直接に教えを受ける機会を頂き、お側にも仕えさせていただき、退職後もさまざまな危機を助けていただいてまいりました。
私が釈迦の十代弟子のシャーリープトラであると認定いただきましたが、残念ながら私自身を振り返って、そのような偉大な方の心境には程遠く、総裁先生の励ましの方便と受け止めさせていただいております。
しかし、この身の力の及ぶ限りは、総裁先生から受けたご恩に対して、報恩させていただかねばとの思いは途切れることはございません。
いつか報恩ができるようにと、無力さをかみ締めながら精進を重ねてまいりました。
本日、ここに書かせていただくことは、私の報恩行として、心血を注いで書かせていただくものでございます。
お気に召されぬことも多々あろうとは存じますが、あまねく衆生の心を知ろうと全世界を御巡錫くださる総裁先生の大慈悲におすがりして、最後までお読みいただけますことを、伏してお願い申し上げます。」
私は、大川隆法氏が自らの過ちに気付いてくださり、謙虚に反省してくださるようにお勧めすることが、最大の報恩業であると見極めて、この手紙を出させて頂きました。
その思いには、今も変わりはございません。 http://bakaleo.diary.to/archives/11889993.html
宗教家としての品格がまるでないのです。それに、宗教家らしからぬ、悪口のオン・パレード。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/23-20-30-1998-3-24-25-23-26-27.html
種村さんの記述はまったく正しいです。
とくに生長の家の記述はそのとおりです。
私は生長の家の本部講師でしたし、幸福の科学でも本部講師になりましたので、大川の嘘がよくわかります。
谷口雅春先生は高橋信次氏のことを語られたことはありません。
GLAについても語られたことはありません。
生長の家からGLAにいったのは園頭さんくらいで、園頭さん自身は生長の家から除名に近い形で出て行った方です。
生長の家の人たちは今でもGLAとか高橋信次氏のことを聞いてもポカンとするばかりでしょう。
それと、この際ですからはっきり言っておきましょう。
谷口雅春先生とお会いしたときは、神聖な、まさに後光がさしているのを感じさせる清らかな雰囲気を持った方でした。
しかし、大川隆法とは、職務上日常的に接しなければなりませんでしたが、清らかさとか、神聖さとかはまったく感じさせませんでした。
後光すら感じたことはありません。
私は3年半、大川のそばにいたんですよ。
途中で、どうしようもない俗物と感ずるようになりました。
宗教家としての品格がまるでないのです。
それに、宗教家らしからぬ、悪口のオン・パレード。
宗教家は宗教家らしく正しい言葉を使っていただきたいものです。 http://bakaleo.diary.to/archives/11890410.html
ある意味で巧みな、その実、非常にずるい言い回し
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/23-20-30-1998-3-24-25-23-26-27.html
『舎利弗の真実に迫る』講義3 高橋信次霊との関係にこだわる理由
「岩本 教団の初期に高橋信次霊によって過去世リーディングが行われ、その際、今回除名された者(種村修氏)があなた様であるとされましたが、これは事実でございましょうか。」(『舎利弗の真実に迫る』P23)
<解説>
この岩本氏の質問の仕方そのものが意図的です。
この質問のなかに、すでに嘘が入っています。
これですと、あたかも高橋信次霊による過去世リーディングで、種村修が舎利弗だと始めて認定されたことがあったように印象づけていますが、間違っています。
大川隆法氏が、自分の言葉で、種村修が舎利弗の生まれ変わりだと、20〜30人の会員の前で、1998年3月に認定しているのです。
念のために断っておきますが、私は大川隆法氏の過去世認定に全く真実性がないと考えていますので、私の過去世を大川隆法氏に認定して頂きたいとはまったく思っていません。
しかし、こういう明らかな嘘が入ることは、許しがたいと思うのです。
「舎利弗 うーん、うーん、拝火教徒であったように思います。」(『舎利弗の真実に迫る』P24)
<解説>
これは「大川・舎利弗」が登場して、種村修のインド時代の過去世について証言している内容です。
これは一つの伏線なのです。
実は、種村修が高橋信次霊と魂的に密接な関係があるように見せたいというシナリオが、この発言の背景にはあります。
カシャパ三兄弟に率いられた拝火教徒といえば、天狗など裏側の存在であるという印象を与えることができるわけです。
「高橋信次霊と種村修は裏でつながっている」という物語にしたい。
そのためにこういう布石を打ったのです。
そのことは、次の発言を見れば、すぐに分かります。 http://bakaleo.diary.to/archives/11890410.html
ある意味で巧みな、その実、非常にずるい言い回し
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/23-20-30-1998-3-24-25-23-26-27.html
「岩本 除名された者に関しまして、もう一つ、お伺いしたいのですが、彼は生長の家で学んでおりました。
生長の家の教えと高橋信次との間には、霊的な関係が何かあるのでしょうか。
舎利弗 うーん。うーん。うーん。
このへんは、教祖にとっては実に難しいところでありまして、宗教の奥義の部分であると言えるので・・・。
うーん。生長の家の教祖であった谷口雅春氏は『自分は住吉大神である』と言ってみたりしましたが、あるときには、『釈迦である』と言ってみたりしたこともあったようであります。」(『舎利弗の真実に迫る』P25〜P26)
<解説>
高橋信次と私を無理やり関係付けたいという意図が込められた質問です。
谷口雅春氏は生前、自分は神の御心を伝えるラッパに過ぎない、と謙虚に考えておられました。
住吉大神は生長の家の神様であって、自分はそのラッパに過ぎないという自覚です。
この謙虚さが谷口氏を守ったのです。
したがって、ご自分を住吉の大神の生まれ変わりと言われたことはありません。
まして釈迦の生まれ変わりと発表されたことなど、一度もありません。
谷口雅春氏は生前に仏教を熱心に学ばれましたが、それは万教が一に帰することを証明するために学び、仏教を解説されたのです。
「高橋信次に関しましては、『「自分は釈迦だ」ということにしていたので、「周りに釈迦弟子が数多くいなければいけない」ということになり、周りに釈迦弟子の名前を付けた』というような事実があったと思います。
そして、その人たちが当会と対抗的な立場に立ったときがあるので、それとの対抗上、『こちらにも、同じような人がいなければならない』という点はあったかなと思いますね。」(『舎利弗の真実に迫る』P26) http://bakaleo.diary.to/archives/11890410.html
ある意味で巧みな、その実、非常にずるい言い回し
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/23-20-30-1998-3-24-25-23-26-27.html
<解説>
これは大川隆法氏が「大川・舎利弗」の言葉を借りて、非常に正直に教団初期の内情を告白している内容だと思います。
ある意味で、とても正直です。
つまり、大川隆法氏は、「自分こそが釈迦の生まれ変わりである」と主張する必要があったので、釈迦弟子が大川隆法氏の周辺にいなければならなかったと言っているのです。
最初期のころ、幸福の科学は、高橋信次の後継団体と対立していたので、自分が釈迦であると言うためには「真の仏弟子」の認定をする必要があったというわけです。
発想が高橋信次と全く同じ構造であるということを、自分で暴いて見せているのです。
「だから、『教団としての自覚や悟りが、まだ十分に出来上がってはいなかった』という時代においては、やや方便的なものがあったのも事実ではないかと思います。」(『舎利弗の真実に迫る』P27)
<解説>
大川隆法氏の良くやる「印象操作」がなされていますので、注意して読んでください。
それは「教団としての自覚や悟り」という言葉です。
教団に悟りや自覚があるわけでなく、これはもっぱら大川隆法氏の自覚と悟りが低かったと言っているのです。
それをはっきり言うのがはばかられるので、こういう言い方をすることで、あたかも初期に集まった人間の悟りや自覚が低かったから、方便が必要であったような印象を与えているのです。
ある意味で巧みな、その実、非常にずるい言い回しだと思います。 http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/28-4-4-28-1200.html
真実を語る一人の人間と、公称1200万人の教団がぶつかったときにどうなるのか。
私は教団が崩壊すると思いました。
http://bakaleo.diary.to/archives/11904708.html
『舎利弗の真実に迫る』講義4
「除名された、その者が、今、いろいろと動いているようではありますけれども、
『過去世で「釈迦の片腕」であった私が、まだ存命しているのだから、私が教団の正統な後継者だ』
という名乗りを挙げているのではないかと推定されます。」(『舎利弗の真実に迫る』P28)
<解説>
これは大川隆法氏の被害妄想が、そのまま「大川・舎利弗」の言葉として語られたものとしか言いようがありません。
私は4月4日に大川隆法氏宛に投函した私信にて、私が舎利弗であるとはどうしても考えられないという旨を、わざわざその手紙に書いているのです。
ですから「教団の正統な後継者である」と名乗るどころか、「大川隆法氏の過去世認定は間違っていると思うので返上します」という旨をわざわざ大川隆法氏に書いて送っているのです。
(ブログの番外編1に詳細は書いております。)
そういう手紙をご覧になっている方が、どうすればこういう「推定」が出来るのでしょうか。
「大川隆法さん、大丈夫ですか?」と思わず声をかけたくなります。
ここで霊言を語っている「大川・舎利弗」が、その程度の判別も出来ないとしたら、この霊は「真の舎利弗」であるはずがありません。
あえて言えば「新(しん)の舎利弗」です。
(私は「大川・舎利弗」で統一させて頂きます。)
大川隆法氏の得意の偽霊人の活用です。
智慧第一とお釈迦様が認定された人は、もっと霊的な洞察力があると思います。
この「大川・舎利弗」の実態はというと、私はこれは大川隆法氏の意識の一部が舎利弗を騙って、ご自分の妄想をしゃべっていらっしゃるだけだと思います。 http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/28-4-4-28-1200.html
真実を語る一人の人間と、公称1200万人の教団がぶつかったときにどうなるのか。
私は教団が崩壊すると思いました。
http://bakaleo.diary.to/archives/11904708.html
「ところが、その者が自分を中心に物事を考えておりますと、『教団のほうが悪いのだ』という考え方に至ることになります。
そして、『教団自体が邪教化したのであって、本来、中心に座るべき自分が、中心に座っていないのがおかしいのだ』というように、自己中心的に考えているのだと推定されます。」(『舎利弗の真実に迫る』P28)
<解釈>
これも「大川・舎利弗」による種村修の心理の推定です。
ここで注意を促したいのですが、この「大川・舎利弗」が本当に高級霊であれば、種村修の心はストレートに読めなければなりません。(他心通)
したがって、「推定されます」という表現自体が、私は他心通を持った高級霊の言葉と思えないのです。
推定しているだけで、心を読み取っていないからです。
これは本当は、大川隆法氏が肉体の頭で「推定」しているから、こういう表現が出てしまうのです。
「舎利弗」を名乗る霊の正体は、大川隆法氏の表面意識に過ぎないと思います。
大川隆法氏は本当に神通力を失ったのだなと、つくづくと分かる部分です。
さて、この「推定」は、完全に間違っています。
私はそういうふうには考えていないからです。
私が手紙を出した時点で考えていたことは、邪教化していく幸福の科学を何とか正常に戻してもらいたい。
そのために大川隆法氏に反省して、もう一度ゼロからやり直してもらいたいということでした。
そうでないと後世にまで大変な害毒を流す教団になっていくと、心底懸念したからです。
私はこの教団に初期から関わった人間です。
ですから、この教団が邪教化していくことには、私も責任を感じたのです。
私がもし生まれ変わったらどうするかなと思ったところ、やはり幸福の科学の改革のために身を捧げるのではないかと思ったのです。 http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/28-4-4-28-1200.html
真実を語る一人の人間と、公称1200万人の教団がぶつかったときにどうなるのか。
私は教団が崩壊すると思いました。
http://bakaleo.diary.to/archives/11904708.html
だったら、今世において、その仕事を始めようと考えました。
リスクは当然計算しました。
大川きょう子さんの先例がありますから、教団から私の守護霊の霊言なるものが出版され、社会的に抹殺される危険を冒すことは、計算のうちでした。
また過去世がどんどん悪いものに認定しなおされることも予想しておりました。
また私がマスコミ等で発言したら、名誉毀損の訴訟を起こされると思いました。
さらに、万一、教団が言うように幸福の科学が世界宗教の一角に食い込んだ場合は、種村修の名前は裏切りのユダやダイバダッタのように、何億、何十億、何百億人という後世の人から憎しみを向け続けられることになるとも考えました。
「それでもやるのか」と自分に問いかけました。
「それでもやる」と心が答えました。
だから大川隆法氏に親書で手紙を書いたのです。
私のよりどころは一つしかありませんでした。
それは私が真実を語っているという、この一点だけでした。
真実を語る一人の人間と、公称1200万人の教団がぶつかったときにどうなるのか。
私は教団が崩壊すると思いました。
なぜなら「真実は真実。真実は絶対に死なない」からです。
これが私の本心です。
最深部まで腐ってしまった教団とは、本当は私だって縁を持ちたくはありません。
しかし、それでは私の責任回避になります。
最深部まで腐っている教団の中で地位を求めるなどという勇気は、私にはありません。 http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/28-4-4-28-1200.html
真実を語る一人の人間と、公称1200万人の教団がぶつかったときにどうなるのか。
私は教団が崩壊すると思いました。
http://bakaleo.diary.to/archives/11904708.html
私は、一介のカウンセラーとして、死の瞬間まで人々の幸福のために尽くせるなら、それで本望なのです。
カウンセラーこそが、私に許された天職であると思っています。
注目したいのは、ここに出てくる論法です。
これは大川隆法氏の常套手段だからです。
大川隆法氏は、教団内の弟子を押さえ込むのに、
「お前の守護霊がこう失礼なことを言ってきた。
あなたの守護霊がそう言い張って、総裁の所から去らないので、総裁の仕事が妨害されている。」
と言って、左遷させたり、還俗させたりしてこられました。
私も、そう言われて、
「そんなにご迷惑をおかけしているなら、人類のために使われるべき主の貴重なお時間を、私の守護霊が奪っているのなら、これは還俗しなければならない」
と思って、還俗したのです。
大川隆法氏が通常、弟子を排除し、弟子を操作するのに使っている手法を、活字化したのが『舎利弗の真実を語る』です。
全く同じ手法です。
ただし、教団内部でのコントロール方法を、すでに外部に出て久しい私に適応したから、大川隆法氏の人身操縦術のからくりがばれてしまったのです。
私は、大川隆法氏が自分の女性問題を隠蔽するために、私の信用毀損をしなければならないお家の事情を見抜いている立場にあります。
なぜこの本が大川隆法氏に必要なのか、それを知っているのです。
だから、以前は信じ込んだ彼の術中に、今回私ははまらないのです。
私はここで、幸福の科学の職員の皆様に対して、
「こういう大川隆法氏の守護霊情報を使っての恫喝を信じ込んで、罪悪感を感じて、大川隆法氏の精神的奴隷にならなくても良いのですよ」
と、心から申し上げたいと思います。 幸福の科学の遺伝子を持ったままでは・・・
http://bakaleo.diary.to/archives/11915225.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/30-1-10.html
『舎利弗の真実に迫る』講義5
「今、雇用情勢も非常に厳しい折、『生活に苦しんでいる』というようなこともあって、
逆に、かつての過去世認定に関し、『そう言ったほうに責任がある』というようなことで、
ある意味では、教団にブラフ(虚勢)をかけているのかなとは思いますがね。」
(『舎利弗の真実に迫る』P30)
<解説>
これも不思議な分析です。
「生活苦で苦しんでいるから、過去世を認定した責任を取って自分をもう一度高い立場につけて雇え」と私が考えて、それでブラフ(脅し)をかけているといいたいようです。
どこの世界に、その昔、企業内で高く評価されていたからという理由で、その企業を脅して金品をゆすり取ったり、再雇用を言ってくる人間がいるでしょうか。
まして諸行無常を学んだものなら、あり得ないことです。
生活苦で苦しんでいると勝手に決め付けていますが、別にご心配頂くようなことはございませんので、どうぞ邪推はおやめくださいと申し上げておきたいと思います。
こういう推定をされる理由が、私にはひとつ思い当たる節があります。
それは1年以上前のことですが、幸福の科学が、以前の心検の生徒のうち、幸福の科学の信者だった人を一人一人支部に呼び出して、心検を辞めるように、強力な圧力(営業妨害)をかけたことがあったのです。
私はそれまでは、正しい心理学は仏法心理と合致すると信じていましたので、信者の皆様にはさらに信仰心が進むように個別に『正心法語』の全読をお勧めしたりしていました。
今考えると汗顔のいたりですが、そのころはそう信じていたのです。
こういう精神で運営していたので、幸福の科学側から「心検と幸福の科学は相容れない」と言われたら、信者の生徒さんは、それは教団のいうことを信じて辞められても仕方がありませんでした。
このときは、本当に経営の危機でしたが、やはりありがたいもので、さまざまな天の助け、人の情けがあり、そうした危機を乗り越えてきております。 幸福の科学の遺伝子を持ったままでは・・・
http://bakaleo.diary.to/archives/11915225.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/30-1-10.html
大川隆法氏は、ご自分で私どもの経営の危機を演出されておりながら、「生活苦になって教団にたかろうとしている」という印象操作をされるわけです。
大変巧みな情報戦を仕掛けておられると思いますが、あまり人としてご立派なやり方とは思えません。
私の生活状態は、ありがたいことに大変安定しております。
これも母のおかげなのです。
母は昨年10月に他界しました。
母は生前、京都で高額納税者リストに入ったことのある叔母の晩年を、本当に親身になってお世話しました。
そのために、叔母は母に対して、大きな遺産を贈与してくれていました。
母は、人のためにも使いましたが、私と妹のためにも十分なものを遺してくれました。
そのために、立ち上げたばかりの心検に、私は生活の不安なく全精力をつぎ込むことが出来るのです。
これに関しては、母の2つの遺産というブログを、心検のブログに書かせていただいていますので、興味がある方は、そちらもご覧下さい。
なお、幸福の科学が心検の営業妨害を徹底的にしてくださったおかげで、心検は思想的にも経済的にも、完全に幸福の科学の残滓を払拭することができました。
この点では、深く感謝しております。
やはり幸福の科学の遺伝子を持ったままでは、本当に神仏の心にかなった救済力がある心理学やカウンセリングは出来なかったと思います。
私たち、それをきっかけに幸福の科学と完全に決別することで、以前のプログラムとはまったく違う心理学の思想とカウンセリングを確立でき、真に救済力をもったカウンセリングが出来るようになりました。
この点、私たちを突き放して下さった大川隆法氏ならびに幸福の科学にたいして、重ねて感謝を申し上げる次第です。 詐欺師が宗教家を演じているだけのお粗末な存在ということがバレバレです。
http://bakaleo.diary.to/archives/11915025.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/30-1-10.html
私は96年に退職したんですが、辞表はFAXで送りつけ、職員に強制される念書(秘密は話しません・・・)を拒否して、あとは私の弁護士に一切をおまかせしたんですね。
すると、焦った大川は、いろんな役職者を通じて私にメッセージを届けようとしました。
そうした私への説得工作をほとんど断っておりましたが、当時の最高責任者からの電話だけは受けました。
大川は「生活が苦しくなったら戻ってきてもいいからね」といったそうです。
まぁ、私が秘密を知りすぎた人間だったのに困っていたんでしょうね(笑)
さて、私にかけられた大川の言葉と、種村さんに向けて発した言葉は、まったく同質のものとおわかりになりますよね。
大川は、宗教者の発想ではなく、宗教よりも形而下の経済の次元でしかメッセージを発信できないんですよ。
これこそが、大川の精神性が俗物であるという証明なのですが。
それから、半年後、友人の布施返還訴訟の手伝いをしたとたん、アイマイミーはルシファーに支配されたとビデオか何かで宣告されたようです(爆笑)
その分、きっちりとお返しはいたしました。
裁判で、大川が具体的に指示した直筆の犯罪指示書を提出したために、地裁-高裁-最高裁すべてで「大川の犯罪行為」が正式に認定されしまいました。
判決文にはっきりと書かれています(大爆笑)
詐欺師が宗教家を演じているだけのお粗末な存在ということがバレバレです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 外部に少し親密になりかけた人ができても、すぐに団体の教えを伝えようとしてしまうので、結局友人になれません。
そういうことを繰り返すうちに、団体関係者以外の人間関係がほとんどなくなっていくのです。
こうなると、その団体を辞めるということは、親密な人間関係をほとんど失うということになります。
これが怖いので、熱心に活動をした人ほど、その団体から離れることができなくなります。
これは「団体に依存させるしくみ」といえるのではないでしょうか。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12210130288.html 【楽山日記】でもまあ 自分が神だというのは、その通りだね
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12210152386.html
だからね、あんな糞ボロガーの「実践も信仰も無き美辞麗句」に引っ掛かり
牝の臭いを振り撒き、尻振って喜びを表現する欲求不満のバカ婆信者たちは
「ウルトラ・バカ」と言う他ないね。
「究極のバカ」ってことね。
普通の、極平均的な脳味噌の持ち主ならば、あんなアウトカーストの
不可触賎民の戯言で騙されたりしないんだよ。
あの「野蛮人」たちと同通、同調してしまうこと自体、
狂おしいまでに反省と自己変革を迫られねばならぬ事態なのさ、本当はね。
宗教活動、一切しない
選挙活動、一切しない
支部行事も、全く参加しない
本読んで、ブログ書くだけ
これ、熱心な信者??
「熱心な信者を演出しているアンタッチャブルな奴等」ってことね。
「熱心な信者」という御椀を差出し、「クリック頂戴ぃ♪」と
只管、愛を奪い続ける「霊的乞食」、それがガンレオの正体。
恐くも何ともない、単なる幽霊信者のぶら下がり。
彼らが、学んだ真理の一端なりとも実践出来る常識人ならば、
10年に亘って「SNSのトラブルメーカー」であり続けることは有り得ない。
レオに付ける薬、無し!!
レオを漬ける薬、無し!! 過去世を利用して、性的に誘惑するのも大川隆法氏の手法なのです。
これはもはや犯罪であると考えます。
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8213037.html
<解説>
これは大川隆法氏が「教団運営上の必要性から幹部の過去世認定をしていた」という内情を暴露した衝撃発言です。
誰にとって衝撃かと言うと、大川隆法氏ご自身にとって自己破壊とも言える発言なのです。
大川隆法氏は教団発足してから、「人の正確な過去世が分からなかったので高橋信次の霊能力にたよっていた」ということを言いたがっていることは、すでに明らかになりました。
今度は、大川隆法氏の過去世認定は、真実性の探究の結果としてなされたものではなく、教団の自己都合からなされた格付けであったことが判明しました。
大川隆法氏は自分の指導力に不安があり、幹部を統制したり会員の求心力をつくるために、大川隆法氏の自己都合で過去世認定をする人であったということです。
そのような思考をする人であれば、現在、若い幹部を数多く登用したり、若い女性を身の回りに置く理由として、この人達の過去世を大々的に宣伝しているのも非常に納得がいきます。
大川隆法氏は過去世認定の使い方において、一貫されています。
それが真実であるかどうかは問題ではなく、教団運営上において都合がいいかどうかで決まっていくわけです。
問題は2つあります。 過去世を利用して、性的に誘惑するのも大川隆法氏の手法なのです。
これはもはや犯罪であると考えます。
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8213037.html
第1の問題は、偽りの過去世認定までしなければ教団の運営ができない「仏陀」とは何者なのかということです。
お釈迦様は、ほとんど弟子の過去世認定をしたという記録は残っていません。
お釈迦様にとっては、ご自身の悟りと法と人格的な感化力だけで十分だったのです。
ところが釈迦の本体意識を名乗る大川隆法氏は、それだけでは不十分で、「方便として」(こう言いたいのでしょうね)偽の過去世を認定しまくりました。
これは大川隆法氏は釈尊の生まれ変わりだという過去世認定自体が、教団運営上の方便であることを、うっかり漏らしてしまったといわねばなりません。
第2の問題は、過去世認定をされた人は、それが真実なら励みになる可能性がないとはいえませんが、それが嘘だった場合は、ほとんどの場合その人をだめにしたり、間違ったアイデンティティを持たせてしまい、自己確立できなくさせるということです。
これは指導者としての大失態です。
もし間違っていたと言うのなら、それに気がついた段階で、少なくとも真摯にその方にお詫びするべきです。
この書籍に私へのお詫びの言葉は、一言もありません。
この無神経さというのは、どのように理解したらよいのでしょうか。
人格障害の症状と理解すればいいのでしょうか。 『舎利弗の真実に迫る』講義7 舎利弗と大目連
http://bakaleo.diary.to/archives/11944394.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/p38-p39-p42.html
「武田 (真の舎利弗は)ご次男の真輝様・・・ということで、よろしいでしょうか。
舎利弗 うーん。よろしいかどうか、分からない。それが、よろしいことになるかどうかは分からない。
(中略)
それが、よいことかどうかが分からないでしょう?
また、活躍できなかった場合、やはり、問題が出るかもしれませんのでね。
なんとも申し上げられませんが、「慎重な性格である」ということだけは申し上げておきたいと思います。」
(『舎利弗の真実に迫る』P38〜P39)
<解説>
これも興味深い問答です。
真の舎利弗は次男の真輝氏であるというシナリオが出来ています。
しかし、それを認めて、もし真輝氏が大した働きが出来なければ、大川隆法氏の過去世認定の信憑性がさらに危うくなります。
そこで「慎重な性格」だという真輝氏であることをにおわせながら、最終的な断定は、実績が出てからということにしました。
これを慎重さと呼ぶのか、ずるさと呼ぶのかは、受け取り手によって異なるでしょうね。
次に挙げるのは釈迦の二大弟子の一人、大目連に関する問答の一部です。 『舎利弗の真実に迫る』講義7 舎利弗と大目連
http://bakaleo.diary.to/archives/11944394.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/p38-p39-p42.html
「舎利弗 ですから、『神通力があって、透視能力がある』と言われていたにもかかわらず、
ジャイナ教徒たちに撲殺されたような方でございますので、『腕力が強い』ということはないでしょうね。」
(『舎利弗の真実に迫る』P42)
<解説>
これは爆笑できる部分です。
大目連は神通力で釈迦教団を守った人であり、念力も非常に強い人でした。
念力が出せる人というのは、基本的には筋力がたくましくないと不可能であり、「腕力」も相当強くないと不可能なのです。
それを上回る神通力はお釈迦様ですが、お釈迦様も若いときには武芸でからだを鍛えておられます。
念力の強さが筋力と関係すると説いたのは、大川隆法氏ですが、もうお忘れになったようです。
なぜこのような矛盾が出るかと言えば、大目連が長男であると無理に認定したいので、こういう無理な説明をするわけです。
そもそものシナリオに無理があるというべきでしょう。 http://bakaleo.diary.to/archives/11962702.html
『舎利弗の真実に迫る』講義8 大川隆法氏の悟りとは
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/gla-p48-p51-1988-g-gla.html
「武田 今回除名になった者には、当時、舎利弗様以外にも、過去世として認定された方がいらっしゃいます。(中略)
まず、ゼウスの守護霊役であったアサート。
これは事実でございましょうか。
舎利弗 うーん。だから、そのへんは、たぶん、高橋信次が霊指導をしていた時代の認定だと思うんですよね。
だから、高橋信次が入って言っていたのだと思うのですが、削除しておくべきでしょう。
武田 はい。あと、福音書のヨハネ。
舎利弗 ああ、削除しておくべきでしょうね。
武田 不空三蔵。
舎利弗 ああ、削除しておくべきでしょうね。
武田 栄西。
舎利弗 削除しておくべきでしょうね。
武田 そして、「この魂は梵天の霊格を持っている」とされていましたが・・・
舎利弗 うーん。違いましょうね。
武田 違いますか。分かりました。
舎利弗 うーん。これはね、当時のGLAという団体における、過去世認定の安易さからみれば、似たようなレベルでやっていたと思われます。」
(『舎利弗の真実に迫る』P48〜P51) http://bakaleo.diary.to/archives/11962702.html
『舎利弗の真実に迫る』講義8 大川隆法氏の悟りとは
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/gla-p48-p51-1988-g-gla.html
<解説>
この部分は、この本のクライマックスの一つ、見所です。
まずアサートに関する記述は『黄金の法』にのみ出てきます。
『黄金の法』にはアサートは不空三蔵と魂の兄弟であるという記述があるのです。
一方、「不空三蔵は種村修である」と1988年末に幸福の科学道場に集まった数十人の会員の前で、大川隆法氏が明言され、不空三蔵と種村修の対話まで実演されました。
従って、アサートも種村修の過去世ということになっていました。
このアサートという方は、ゼウスの晩年に、ゼウスの守護霊役をしていたと書かれています。
重要なのは、これが「高橋信次が入って言った」というくだりです。
幸福の科学では『黄金の法』はエル・カンターレの歴史観であり、エル・カンターレの法であるとされてきました。
それが「高橋信次が入って言った」ということは、法シリーズそのものの権威が極めてあやしいものであることを、大川・舎利弗に証言させてしまったのです。
その後、福音書のヨハネ、栄西、不空三蔵など、何の説明もなくあっさりと削除になりました。
つまり、
「大川隆法は過去二十年間、会員を騙し続けてきました。
法シリーズの中でも誤りを教え続けてきました」
と告白しているわけです。 http://bakaleo.diary.to/archives/11962702.html
『舎利弗の真実に迫る』講義8 大川隆法氏の悟りとは
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/gla-p48-p51-1988-g-gla.html
何かしら、もっともらしい根拠を示してからご自分の前説を否定しないと、説得力は乏しいと思うのですが、これですむなら楽なものです。
これほどまでに大川隆法氏の過去世認定の信用性がないということは、もともとの大川隆法氏の悟りのレベルが高橋信次氏のレベルをそれほど超えていないことを、大川・舎利弗が、そうとは気付かないまま暴露してしまったのだと思います。
7次元上段階の梵天の境地から六大神通力がすべて備わるというのが『太陽の法』の教えです。
そうすると大川隆法氏の悟りは、心境がよかった初期の段階ですら、高くても7次元中段界を越えないと思われるのです。
大川・舎利弗に言わせているように、大川隆法氏がGLA即ち高橋信次氏と「似たようなレベル」で過去世認定をやっていたとすると、大川隆法氏の悟りは高橋信次氏と同じ6次元レベルになってしまいます。
大川・舎利弗が暴露したように、GLA と同じレベルで教団初期の過去世認定をしていたという指摘は、実は非常に深刻な指摘です。
というのは、ここで幸福の科学は釈迦教団ではなく、釈迦を騙った知天狗(大川隆法氏のことを敬意を込めてそうお呼びしたいと思います)によってつくられた裏側の教団だったのではないかという疑問が浮上してくるからです。
幸福の科学の初期からの会員は、大川隆法氏は高橋信次と全く違って、正確に過去世認定できる唯一の存在であると信じ込んできました。
だから『黄金の法』の記述もすべて真実であると信じていました。
それが、高橋信次のように自分の権威を上げるためにサクラで釈迦弟子を認定していたとしたら、これは仏陀ではあり得ないことになります。 http://bakaleo.diary.to/archives/11962702.html
『舎利弗の真実に迫る』講義8 大川隆法氏の悟りとは
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/gla-p48-p51-1988-g-gla.html
『黄金の法』は過去世認定のオンパレードの本ですが、全く信憑性が崩れてしまうことになります。
弟子の信用性を崩したら、自分の信用性まで崩してしまったわけです。
「人を呪わば穴二つ」という言葉が、脳裏をよぎります。
「舎利弗(中略)ただ、霊能力的なものについては、当初、大川隆法総裁には、まだ十分に目覚めていなかった面があり、自信が十分になかった面があると思うんですよ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P55)
私はこれを不思議な発言と思って読みました。
釈尊が悟りを開かれたときは、それまでのヨガ仙人の教えを完全に脱却しておられましたし、自分の師となったヨガ仙人の境地や霊能力をはるかに上回っておられました。
とくに釈迦の三世を見通す天眼通は、因果の理法の真実性を担保する基礎となる霊能力であり、最初から他の追随を許さぬほど優れていたといわれています。
ところが、釈迦の本体意識の生まれ変わりで、釈尊を超える力をもつはずの大川隆法氏が、高橋信次という6次元の悟りを得た仙人と比較して、自信がない程度の霊能力しかなく、
霊的判断を高橋信次に依存していたとしたら、これは本当に釈迦の生まれ変わりといえるのか、仏陀の悟りを開いたといえるのかという、根本的な疑問が頭をもたげてくるのです。 『舎利弗の真実に迫る』講義9 エンリルの降格人事と私の懺悔道
http://bakaleo.diary.to/archives/11964155.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/p58-p60-p61-p61-p62-1994-gla-9-9-9-9-12.html
「だから、私は、九次元霊の分身か分霊として扱う、高橋信次への一種の特別視は、外したほうがいいと思います。」
(『舎利弗の真実の迫る』P58)
「『ヤーウェ』というのは、・・・『妬む者である』と言っています。
だから、妬むわけですが、何を妬むかというと、それは、『人間が神になっていくことや、人間が神のごとき繁栄を実現したり、自我を伸ばしてきたりすることを妬む』ということだと思うんですね。
今、イスラエルという国が、あれだけ小さくなって、周りから非難される理由のなかには、やはり、その邪神性があると私は思いますよ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P60)
「ユダヤ民族の神は、『バビロン捕囚』を受けたり、エジプトの奴隷をしたりした者たちの神です。
だから、そうとう被害を受けたものたちの神なんですね。
虐げられた者たちの神なので、このなかには、やはり、ある種の邪神性があるのではないかと考えた方がいいと思いますね。」
(『舎利弗の真実に迫る』)P61
「だから、当会では、『魔法界や仙人界、天狗界など、裏側の霊界みたいなものを統括する責任者として、そういう世界の一番上にエンリルがいる』というような言い方をしていたようですけど、もうそろそろ、やめたほうがよろしいと思います。」
(『舎利弗の真実に迫る』)P61〜P62 『舎利弗の真実に迫る』講義9 エンリルの降格人事と私の懺悔道
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<解説>
この部分は、すべて大川・舎利弗の言葉です。
釈迦の弟子である舎利弗であるならば、なぜユダヤの神やエンリルについてこれほど詳しく、大川隆法氏の代弁者のように語るのか、あり得ない感じがします。
そもそも、この大川・舎利弗の霊言であるこの章全体に、仏教についての言及はほとんどなくて、教団初期の事情や、ユダヤ教や高橋信次に関する話が異常に多いのです。
一般の人がここを読むと「なぜ舎利弗がこんな話をするのだろう」と違和感を持つと思います。
大川・舎利弗の正体は、大川隆法氏の意識による演出であると考えると、そのなぞは全部解けます。
大川隆法氏は、自分で「これまでの教義を修正する」と言うと、なぜ修正するのかという疑問に答えなければならなくなるので、舎利弗が語ったことにいて、直接の責任が自分に向かうのを回避しようとされているのです。
大川隆法氏は、1994年ごろ、「方便の時代は終わった」と宣言して、高橋信次関連の記述を、法の中から大幅に削除修正をかけました。
しかし、このときはまだ初期のころであったこともあり、GLA関連の方々は別として、ほとんどの信者はついていきました。
私もその一人です。
しかし、今回はそのとき以上の大きな法の修正や過去世認定の修正をしておきながら、大川隆法氏本人の言葉としてではなく、他の霊人の言葉として出して、それを受けて修正しているのです。
これは大川隆法氏ご自身による演出とみるのが一番正しいのではないかと思っています。
これは自分が責任を取らない、卑怯なやり方です。
昔はもっと潔かったのに、だいぶ退化されたと思います。
もしそうではなくて、本当にそういう霊人がいろいろ言ってきて、その通りに修正するのであれば、それまで説かれてきたエル・カンターレの法というのは、霊人が次々と修正しなければならないような杜撰なものであったことになります。 『舎利弗の真実に迫る』講義9 エンリルの降格人事と私の懺悔道
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そうするとこれまでの大川隆法氏の悟りは、つまりエル・カンターレの認識力は、舎利弗等の霊人よりも低い認識力であったということになると思います。
具体的に法の修正箇所をみておきましょう。
エンリルは、幸福の科学では、9次元霊で裏側の世界の総元締めの祟り神だとされていました。
そして高橋信次は、その分霊だとしていました。
それを、ここではついにエンリルを、9次元霊ではないと宣言し、裏側の元締め的な存在からもはずしたわけです。
エンリルの降格人事です。
さらに、エンリルが「ヤーウェ」と名乗ってユダヤの民を指導したが、その指導には「邪神性がかなりある」として、エンリルを邪神と認定しています。
これが正しいとすると、大川隆法氏は初期において、高橋信次の指導を信じてかなり影響を受けたのであるから、邪神の影響下に幸福の科学は創られてきたということになります。
邪神性をいままで見抜けず、9次元霊という地球を指導する最上位の十人の霊の一人としてきたということは、大川隆法氏は9次元世界について、本当は正しくわかっていなかったということになります。
そして、高橋信次霊の影響でいろいろ悪影響が出てきたので、彼の影響をもう一段排除するために、こういう論理を展開しているように見ます。
教団の自己都合によって変わっていく教えというのは、一体、「久遠の法」「永遠の真理」と呼ぶに値するのでしょうか。
まして「不滅の法」と呼べるのでしょうか。 『舎利弗の真実に迫る』講義9 エンリルの降格人事と私の懺悔道
http://bakaleo.diary.to/archives/11964155.html
ここまで論じると、私が在職中の約12年間、ある時点からは応用本部講師の肩書きまで頂いて、大川隆法氏の教えを真理として伝えてきた私は、一体何をしていたのだろうかという反省が生まれます。
また、私は、大川隆法氏を仏陀であり仏陀の本体のエル・カンターレであると信じたがゆえに、造反された元GLAの方々や、法敵となったと認定された方々に対して、私は批判をしてきました。
これを一体どう考えればいいのだろうかと、実は反省に入っているところです。
私も今は、幸福の科学教団から除名され仏敵の認定を頂いていますので、私がかつて批判した方から見ると、カルマの刈り取りであると見えると思います。
私は、もしそうならば、私に浴びせられる誹謗中傷は、それが正しいものであるかぎりは、甘んじて受け止めようと思っております。
しかし、私はそれだけでは、私は真の懺悔や反省をしたことにならないと思うのです。
真の懺悔、真の反省は、やはり過ちの根源を正す努力を通してしか表現できないと思うのです。
すなわち、大川隆法氏の間違いを指摘して、これを修正して頂く努力をするということです。
これが私の償いであると思います。
このブログも、そうした私の償いの一つの姿です。
私の今までの不明を、心からお詫びしたいと思います。 【犯罪カルト集団・幸福の科学】ORは犯罪者です。女性職員を食い物にしています。
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その行為自体、「犯罪集団・幸福の科学」を支えることになる。
エロ姦祭には、絶対に行ってはならない!
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ドケチなORのこと、今後、二度と御生誕祭もエロ姦祭もやらなくなる筈。
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エロ姦に帰依し続けた信者たちの来世
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「あっ、頼む、止めてくれ、この子は27回犠牲だ。止めてくれ。」 【犯罪集団・幸福の科学】犯罪集団を信仰し、支えるならば、皆さんもまた、犯罪者です。
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元トクマのマネージャーへの不払い900万円
・・・幸福の科学、完全犯罪組織ww
まさに、「蛇・隆法」らしき、金、金、金。
信者諸氏よ、お分かり戴けますか?
「幸福の科学」は、犯罪集団です。
そして、自浄作用はありません。
教祖が犯罪指示を出し、逆らえば遠方左遷かクビ。
職員たちは、何でも従う奴隷です。
犯罪集団を信仰し、支えるならば、皆さんもまた、犯罪者です。
この常識が理解出来ないなら、精神異常者として世間から忌み嫌われることでしょう。
これが、カルト教団による洗脳の恐さです。
常識的判断が出来なくなるのです。
教団が、明らかな犯罪組織であることが明確になればなる程、皆さんへ及ぶ迫害も酷くなります。
その理由は、皆さんが「間違っている」からです。
普通の人なら誰でも理解出来る常識が「理解出来ない」からなのです。
今回の公判の結果を見て、善悪判断が付かない人は、「頭が狂っている」証左です。
洗脳され尽くし、完全に狂ってしまったのです。
「普通は、気付く」のですよ!!
気付いた方は直ちに、「植福の会・全口解約」を。
直ちに「退会届の提出」を。 【犯罪集団・幸福の科学】騙され続けるパラサイトたちへ
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12210875530.html
犯罪を犯す仏陀など、有り得ません。
犯罪を指示する仏陀など、有り得ません。
犯罪を合理化するサンガなど、有り得ません。
ORは、仏陀ではありません。
幸福の科学は、釈迦教団でも仏教でもありません。
仏陀とは、仏陀の教えそのものを体得し、実践し続ける者のことです。
セクハラ三昧、贅沢三昧、悪口三昧のORは、罷り間違っても仏陀ではありません。
それでも信じ続け、騙され続けるならば、信じ、騙される側にも原因があります。
その良識のなさ、見識のなさ、依存心、それこそが偽仏陀に騙され、奴隷として酷使される原因です。
直ちに目覚め、悪縁を断ち切って下さい。
植福の会、全口解約を。
退会届の提出を。 『舎利弗の真実に迫る』講義10 大川隆法氏の悲しい性(さが)
http://bakaleo.diary.to/archives/12043755.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/10-p70-gka-p72.html
「初期には、力のある人がいないから、とにかく過去世が偉くなければ困ったのではないでしょうか。
『釈迦が生まれているのだから、幹部に釈迦弟子がいなくてはいけない』
というような事情があったのかもしれません。」
(『舎利弗の真実に迫る』P70)
<解説>
これは大川隆法氏ご自身の言葉です。
非常に不思議な感覚に襲われるのですが、一体「過去世が偉くなければ困った」人とは、どなたなのでしょうか?
また、「『幹部に釈迦弟子がいなくてはいけない』というような事情」とは、どなたのご事情なのでしょうか。
これは私が「困った」のでもなければ、私の「事情」でもありませんので、ここは念のために申し上げておきたいと思います。
これはすべて、大川隆法氏の事情であり、都合なのです。
そこで問題です。
果たして本物の釈迦の生まれ変わりなら、こんな手段を必要とするのでしょうか。
歴史上のお釈迦様は、弟子の過去世認定をすることで、自分を偉く見せることなど、一度もされたことがありません。
教祖の自己都合で、GLAやその分派の人への対抗の必要から、いいかげんな間違った過去世認定をする。
そうなると、これによって得られた名声は、誤って得られた名誉であり名声ということになります。
これはお釈迦様が悪魔の軍隊として指摘された煩悩です。 『舎利弗の真実に迫る』講義10 大川隆法氏の悲しい性(さが)
http://bakaleo.diary.to/archives/12043755.html
「誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉」は悪魔の軍隊であり、これに執着すると悪魔に支配されることを釈尊は教えておられました。
(中村元訳『仏陀のことば』参照)
大川隆法氏が、エンリルそしてその分霊の高橋信次霊を、「邪神性がある」と認定されるのでしたら、それと同じことをされた大川隆法氏は、高橋信次霊と同じ種類の人間であることを、はからずも告白したことになります。
私ははっきり申し上げます。
今の大川隆法氏には、はっきりと「邪神性」が出てきていると思います。
なお、「あったのかもしれません。」と、何か人事のように言っていますが、これは大川隆法氏一流の弁論術です。
自分が責任を取らなくてすむような言い方です。
自己責任を回避する傾向が大川隆法氏にはあります。
これは自己責任の反省の教えとは相反する傾向性です。
私は、自己責任の思想や反省の思想は、天上界が大川隆法氏の教育のために説かせた教えであったと思います。
ですから、大川隆法氏は、初期のご自分が説かれた教えに謙虚に立ち返り、もう一度人生をやり直すべきなのです。 『舎利弗の真実に迫る』講義10 大川隆法氏の悲しい性(さが)
http://bakaleo.diary.to/archives/12043755.html
私は大川隆法氏にも天国に還って頂きたいので、そのことをあえて申し上げたいと思います。
「どうやら、釈迦の二大弟子が大川家に出てきているようではありますね。」
(『舎利弗の真実に迫る』P72)
<解説>
これも大川隆法氏の発言です。
これがこの本で、最も言いたかったことであると思います。
そのためには、以前の過去世認定は否定する必要があり、除名処分はそのための格好の機会であったと思います。
大川家に釈迦の2大弟子がでているとなると、『仏陀・大川隆法』氏の権威がますます上がると思われるのでしょうね。
自分の権威付けのために、周りの過去世を偉くするというのは、大川隆法氏の基本戦略です。
それが見えてしまうと、人間としての悲しい性(さが)を感じてしまい、悲しくなります。 『舎利弗の真実に迫る』講義11 生活苦と大川きょう子さん
http://bakaleo.diary.to/archives/12054840.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/11-p83-2-3-1200.html
「生活が出来なくなってくると、いろいろとよくないことをやり始めているようです。
そして、最後には、『ミニ教団らしいものをつくって食べていく』というようなことを考えるわけです。
また、初期のころ、文殊菩薩としてスタートした方(元妻・大川きょう子)もいます。(中略)
このへんの人たちが、なんとなく結びついて別派活動をしたならば、古い会員を引っ張っていけるチャンスもあるのかなと感じますので、
霊的な部分について、きちんとしておかなければいけないと思うのです。」
(『舎利弗の真実に迫る』P83)
<解説>
これは大川隆法氏の言葉です。
ここにこの本の第2章と第3章で大川隆法氏が導き出したい結論が書かれています。
ここから始まる霊言は、大川隆法氏のシナリオに沿った「霊言という演出」です。
そのために、霊言をとる前から結論が出せるわけです。
大川隆法氏は、種村修は、生活に困ったあげくに「ミニ教団をつくって食べていく」ことを考えたと言いたいようです。
ミニ教団をつくるにあたっては、大川きょう子氏と組んだほうが得策だと考えて、手を組もうとしていると言いたいようです。
したがって、私がミニ教団をつくろうとする動機は、金銭目的である。
さらにいえば大川きょう子さんと結びついて幸福の科学をのっとろうとする悪魔の手先であると。
こういうふうに印象付けたいという意図がそこには見えます。
実際の私はどうかというと、金銭目的で仕事をしたことは、これまでありませんでしたし、今もありません。 『舎利弗の真実に迫る』講義11 生活苦と大川きょう子さん
http://bakaleo.diary.to/archives/12054840.html
私の仕事の最大の動機は、自分の使命に合致しているかどうかでした。
これは青年期から一貫しています。
さらに、最近はどれだけ人を幸せに出来るのか、それだけを考えるように自分を律してきました。
ですので、ミニ教団をつくりたいという教祖願望もなければ、大川きょう子氏と結びついて教団をつくりたいという気持ちなど、さらさらありません。
大川隆法氏は自分がしたいことを、相手がしたがっていると考える癖があります。
これを心理学では「投影」といいますが、大川隆法氏の指摘を見ていると、あまりにも「投影」が多いので驚きます。
実はそのために、私とか大川きょう子さんとか、マスコミの編集長などへの批判の論点をよく見ると、大川隆法氏が潜在意識下でいかなる願望を持っているかが見えてくるのです。
この「投影のメカニズム(機制)」を念頭において読むことで、「大川隆法の真実に迫る」ことが出来るので、私もこの手法は使わせて頂きたいと思います。
私と大川きょう子氏との接点は、大川きょう子氏の離婚裁判や週刊文春の記事に関する裁判に、私が陳述書を提出したことに尽きます。
私は陳述書で大川隆法氏が不倫をする人物であることを陳述しました。
幸福の科学では大川きょう子さんが悪魔であると信じ込まされています。
大川きょう子さんの肩を持ったというだけで、私も悪魔の片棒を担いだと幸福の科学の会員さんには思われると覚悟しています。
にもかかわらず、私がなぜ大川きょう子氏の裁判に協力しようとしたのか。 『舎利弗の真実に迫る』講義11 生活苦と大川きょう子さん
http://bakaleo.diary.to/archives/12054840.html
その動機を書かせて頂きます。
大川隆法氏と幸福の科学による大川きょう子さんへの人格攻撃は、はっきり言って配偶者に対する虐待であると思います。
現代の法難シリーズで出た霊言は、全部私も聞きました。
本も読みました。
「悪妻封印祈願」を私も支部でもしました。
私も虐待に加担した時期があります。
これは大川きょう子さんにお詫びします。
私は大川隆法氏の説明を、最初は鵜呑みにして、こうした過ちを犯しました。
私が大川きょう子さんと出会えたのは、布施返還訴訟を担当されている松本弁護士を通じてです。
今年の3月頃に、初めてきょう子さんにお会いしました。
その時に、教団内部の話を、相当伺うことが出来ました。
私は大川きょう子さんと直接お会いするまでは、きっと彼女は精神的に相当苦しんでおられるだろうと思っていました。
しかし、お会いして、彼女が神への感謝と、幸福感の高揚を目の当たりにして、洗脳が解けました。
私は彼女が輝いていると思いました。 『舎利弗の真実に迫る』講義11 生活苦と大川きょう子さん
http://bakaleo.diary.to/archives/12054840.html
こういう幸福感を味わわれるのは、うらやましい限りだと思いました。
そして彼女を救おうとされている神の愛を感じました。
私の印象では、幸福の科学の最初期のころの幸せそうな彼女に一番近づいているのではないかと思いました。
その彼女の深い感謝をもたれている人格の雰囲気にふれて、大川隆法氏の言ってきたことが嘘だったと、はっきり知ったのです。
大川きょう子さんの存在価値は、彼女が健康で精神的に安定して、幸福に輝いていること自体にあることを知りました。
なぜなら、それが大川隆法氏や幸福の科学が言うことが嘘であることを、証明してしまうからです。
これが大川隆法氏にとっての最大の脅威なのです。
だからこそ、別に幸福の科学を批判していない週刊新潮の報道記事(大川きょう子さんの奉仕活動の報道)に対して、幸福の科学が過剰なまでのヒステリックな反応をするのです。
大川きょう子さんへの教団からの組織的な攻撃は、はっきり言って「アンフェア」です。
一個人対公称1200万団体の戦いです。
どうみてもこれは虐待です。
これを見過ごすことは、私は個人の人権が全体主義的組織によって侵食されていくのを、黙ってみている卑怯な振る舞いだと思ったのです。
私は、ここでこそ騎士道精神を発揮すべきであると判断しました。 【オレたち「修」親衛隊】「修」の真実、大和魂
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12211238436.html
http://bakaleo.diary.to/archives/12069551.html
仕事仲間の斎藤敏之さんが、佐久平支部の会員さんの正当なクレームを一生懸命に総合本部や総裁に取り次ごうとして努力されていました。
しかし、教団幹部は在家の信者さんのクレームを全く聞く耳持たず、教団を良くしたいという一心で努力した斉藤敏之さんを活動停止にして、全世界の精舎と支部に張り出しました。
私はこのときに、教団の救いがたい官僚体質と教団自体の自浄作用がもはや機能しないことを痛感させられました。
さらに、決定的だったことは、大川隆法氏の女性問題の実態と被害女性の存在を知ったことです。
1997年の総裁の不倫問題は、私は被害者から直接詳細を打ち分けられて知っていました。
しかし、守護霊が申し出たという話だったので、一時的な問題として、胸に収めていたのです。
しかし、数年前にも別の若い女性職員が被害にあったことを知って、私は問題の深刻さを感じました。
熱烈信者の家族全員が退会されたとか、ご本尊をばらばらにしたとか、被害女性は一時は歩くこともままならないほどのショック状態だったとか、目を覆いたくなるような話でした。
私はこのままの状態で、自浄作用が働かぬまま、教団が進むのは危険だと思いました。 【オレたち「修」親衛隊】「修」の真実、大和魂
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12211238436.html
私は大川隆法氏に対して、私が知っている事実を手紙にしたためて送りました。
最初の手紙は広報局が止めてしまったことが判明しました。
そこで、4月4日にもっと詳細に手紙を書いて、大悟館に大川隆法氏への親展で送りました。
それが、先日週刊文春に一部公開された手紙です。
私は、女性問題だけをもって深刻な事態と思ったわけではないのです。
それを事実無根として嘘を突き通していることが、もっと問題だと思ったのです。
女性への執着でセクハラ被害まで出続けているという状態は、もはや大川隆法氏は仏陀ではないということを意味しています。
執着まみれの凡人です。
その凡人が、仏陀だ、宇宙神だと言うという事は、悟りを偽る大妄語です。
釈尊の教えによれば、この大妄語は無間地獄に堕ちる因となります。
それは同時に悪魔に支配されることを意味します。
教祖が悪魔に支配されたら、信者さんはどうなりますか。
みんな不幸になり、地獄へと道連れにされてしまいます。
だからこそ、私はこの問題を看過できなかったのです。
私は手紙を書くときは、相当強い決意を固めました。
その時に私は、自分の心と次のように対話しました。 【オレたち「修」親衛隊】「修」の真実、大和魂
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12211238436.html
Q「教団から除名処分や永久追放になるが、それでいいのか。」
A 「構わない。」
Q「後世の信者から裏切りのユダのように、永遠に恨まれる可能性があるが、いいのか」
A「自己保身は捨てる。生まれ変わっても、誤った教団の改革のために尽くす。
その時に、私が教団の真実に目覚めるように、何か確かな資料を公的に残しておきたい。」
Q「大川きょう子さんのように、守護霊の本を出されたり、呪われたりするが、それでも良いのか。」
A 「甘んじて受ける。多くの人が地獄に行かぬように尽くすのが先決だ。できれば総裁も救いたい。」
Q「大教団に一人で立ち向かうのか。それでつぶされない自信があるのか。」
A「『真実は死なない。真実は絶対に死なない』という言葉は、永遠の真理だと信じる。
私はこの真理に賭ける。
私が真実の側に立つのなら、つぶれるのは偽りを説く教団である。」
Q「いかなる心を持って立つのか。」
A「愛の心を持って立つ。怒りは持たぬ。そう努力する。」
こうして私の戦いは始まりました。 全ての幸福の科学から逃げよ
http://ameblo.jp/pianist-kentaro/entry-12211226867.html
逃げ切ろうとするなら、
今のうちですよ、
あの事件に関わった、
幸福の科学のみなさん。
HSに命を賭けるつもりがないなら、
ORと心中するつもりがないなら、
早くお逃げなさいな。
テレンス・リーの公判で、
検察が徹底的に、
HSを潰そうとしてるの、
判らなかったらアンタらバ カですよ。
幸福の科学包囲網の一人として、
もう一度警告します。
一刻も早く逃げなさい。
あなた方が思っているほど、
時間の猶予はありませんよ?
OR逮捕のニュースが、
テレビで流れているビジョンは、
わたしにははっきり見えています。 『舎利弗の真実に迫る』講13 植福返還訴訟の真実
http://bakaleo.diary.to/archives/12079665.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/90-p92-3.html
「大川隆法 そういう働き(分派活動をしたダイバダッタから弟子五百人を取り戻したこと)をしたのが舎利弗たちであったので、
『舎利弗が別派をつくって幸福の科学の信者を連れていく』
というのは、話としておかしいのではないかと私は思いますし、
信仰心のあまりのいいかげんさに、ややあきれる思いもしないわけではありません。」
(『舎利弗の真実に迫る』P90)
<解説>
これは私が、植福返還訴訟に協力させて頂いていることへの危機感から出てきた発言です。
実は私は、大川隆法氏への私信の中で、女性問題を起こしながらそれを隠蔽する人は仏陀ではないし、そういう人が受ける布施は受者の穢れにより三輪清浄の布施に理念を満たさないので、布施を返還されるようにとお願いしました。
この時点ですでに私は、大川隆法氏が釈迦の再誕であり、仏陀であるという信仰自体が成り立たないことを自覚していました。
またこの大川隆法氏宛ての手紙の中で、私は自分を舎利弗の生まれ変わりであるとした大川隆法氏の過去世認定を、返上しています。
仏陀でない人が、自分を仏陀と偽って、多くの人々を惑わしている。
その迷妄から、彼自身ならびに信者の皆様に目覚めていただきたいというのが趣旨です。
その意味ではダイバダッタの呪縛から仏弟子の迷妄を覚ました舎利弗の活動と、今回の私の活動には、一定の類似性がないわけではありません。
ただし大川隆法氏は自分を仏陀と盲信しているので、このような指摘は全く理解できないと思います。
自分で繰り返し仏陀であると言い続けているうちに、完全に自己洗脳してしまい、真実が見えなくなっていますから。 『舎利弗の真実に迫る』講13 植福返還訴訟の真実
http://bakaleo.diary.to/archives/12079665.html
「大川隆法 (中略) まあ、はっきり言えば、初期のころに当会に来て、最初、事務局課長として職員になった種村という人が、
今、別派的な動きをしており、当会に多額の布施をした信者あたりを狙って、布施したお金を取り返させ、それを資本金にして別派をつくろうとしているらしいということが分かっています。」
(『舎利弗の真実に迫る』P92)
<解説>
これはひどい言いがかりですが、こういうふうに大川隆法氏がこじつけるのには理由があります。
植福返還訴訟の真相を信者の皆様に知られたくないのです。
そこで返還訴訟の真相を語ることで、これへの反論とさせて頂きます。
今回、提訴した人たちは、いずれも熱烈信者であり植福菩薩も複数いらっしゃいます。
いわば筋金入りの信仰者です。
この方々が、提訴した本当の理由は、女性問題等で大川隆法氏が堕落しており、もはや信仰するに値しない状態であることをことを知り、深く信仰心が傷ついたからです。
この方々は3つの願いを込めて裁判を起こされました。
@ この裁判を通して大川隆法氏と教団が反省して、悔い改めて欲しい。
A 自分たちと同じように騙されて被害を受ける人を少なくしたい。
B 納骨壇を返却し、あるいは生前供養をキャンセルするので、その分のお金を返還してもらいたい。 『舎利弗の真実に迫る』講13 植福返還訴訟の真実
http://bakaleo.diary.to/archives/12079665.html
この方々は、最初から裁判をしようとされたわけではありません。
まず、来世幸福園に電話したり、サービスセンターに連絡されましたが、それは布施なので返却できないと言われ、支部に相談するように言われています。
そこで支部長に相談すると、布施なので返還できないと、取り付く島がありません。
ある人は支部長から「あなたがしようとしていることは幸福の科学を敵に回すことよ。」と脅されました。
またある人は、本部長からピントはずれの手紙を何度ももらい、埒が明きませんでした。
仕方なく、各自が地元の消費者センターに相談しましたが、理解は示しながらも、弁護士を紹介されました。
そこで弁護士の先生に相談して、提訴の運びになったものです。
教団側の論理は、納骨壇等の代金は「布施」(植福)だから返却できないというものでした。
そこで私が、布施だというのなら、三輪清浄の理念を総裁自らが汚している以上、布施そのものが成り立っていないことを理論的に説明する支援を行いました。
総裁は女性問題を多発させ、受者の清浄性は皆無です。
受者が穢れてしまった以上、幸福の科学の布施には何の功徳もありません。
功徳のない布施をこれ以上集め続けるのは、詐欺以外の何ものでもありません。
私は、そのことを裁判を通して明らかにし、被害者を救いたいのです。
裁判をしている人々は、ほとんどが家庭不和の原因を多額の植福によってつくっています。
このたびの裁判で、高額な植福が返還され、家庭が調和することを願っています。
「布施したお金を取り返させ、それを資本金にして別派をつくろう」としているという言葉は、大川隆法氏が真相を隠そうとして創り上げた架空の物語(妄想)に他なりません。 「『職にあぶれて食い詰めている』という現状」
(『舎利弗の真実に迫る』P94 )
<解説>
大川隆法氏は、この本のなかで、繰り返し繰り返し、「種村修は職にあぶれて食い詰めているので、信者をそそのかせて裁判させ、そこからお金をえようとしいている」と主張しています。
退職金を使い果たしたからないとか、ゆすり・たかりをしているとか、言いたい放題です。
この本を読んだ昔の仲間が、心配して生活は大丈夫かと電話してくれた人もいました。
またある生徒さんのご主人が、この本を読んであまりの内容のひどさに義憤を感じられ、わざわざ事務所に激励訪問してくださいましたが、この方も私の生活を心配してくださいました。
こうした方々には、この本に書かれているような生活不安は全くないので、ご心配要りませんと申し上げ、ご安心をいただきました。
私は、ありがたいことに、心検の仕事で本当に多忙です。
また、亡くなった母が残してくれた遺産もあるため、新事業の立ち上げ期に、お金の心配をすることなく仕事にだけ打ち込めています。
これは本当にありがたいことだと、感謝しております。
改めて、ご心配くださる皆様に、「ご心配なく」と申し上げたいと思います。
もとより、諸行無常の世の中ですから、私の仕事がうまくいかないことも可能性がゼロとはいえません。
でもその場合でも、ありがたいことに田舎が農家で、いざとなったら自分が食べていくぐらいは十分な土地の広さがありますので、心配はしていません。
これまで農家で家を維持してきたからです。
また田舎の親戚には農協の職員の方をはじめさまざまな方がいますので、本当にいざとなれば、いかようにも生きていくことは可能です。
こんなことは書く必要もないと思うのですが、これも大川隆法氏の洗脳技術に抗するために、あえて書いています。
【騙される人々】俺流「現証」解釈
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12211352496.html
俺的には、現証で最も大事なことは、教祖が、名乗る神の教えを実践し、継続し、且つ、それを体得しているか否か、これが一番大切なことだと思う。
幸福の科学では一切、これには触れていない。
何故か??
教祖が偽仏陀であることが露骨だからだ ww
宗務で、バカボンを仏陀と本気で信じてる阿呆は、殆どいないのではないか?
悪口三昧、贅沢三昧、セクハラ三昧、強姦三昧のクズ。
仏陀どころか、とんでもない犯罪者。
俺的には、現証で最も大事なことは、教祖が、名乗る神の教えを実践し、継続し、且つ、それを体得しているか否か、これが一番大切なことだと思う。
選挙違反、買収の金の流れも、概要がメディアに流れた。
幸福の科学は邪教どころか、犯罪集団であることが確定したようなものだ。
それでも一切、自浄作用が働かない。
職員たちは皆、バカボンの命令で動くロボット。
「自浄作用命令」が出るまで、恐くて動けぬ機械。
それでも、貼り付き続けるのか? パラサイトたちよ ww
それでも、ぶら下がり続けるのか? パラサイトたちよ ww
行き着く先は、無間地獄だというのに・・・・
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/09/blog-post_18.html
真っ黒な海にバスケットボール大の大きさの白い球がずらずらーっと並んでいる
「あっ、頼む、止めてくれ、この子は27回犠牲だ。止めてくれ。」
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
正しい宗教なら、信者たちが次々と家庭崩壊し、経済破綻になるのはおかしい。
間違った宗教だから、布施を搾り取り、信者の身包みを剥ぎ、どん底へ突き落す。
教祖は、数千万円の腕時計を付け、数億円の指輪を付ける。
愛人たちは月収百万円を超え、高級マンション暮らし。
この「現証」もまた、幸福の科学が邪教であり、犯罪集団である証左だ。 http://bakaleo.diary.to/archives/12097438.html
『舎利弗の真実に迫る』講義14 「種村守護霊」が偽者である理由
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/14-p96-5-22-4-4-p96-p97-gla-gla-p98-gla.html
「里村 種村氏の守護霊でいらっしゃいますか。
種村偽守護霊 サーリプッタと言いな、サーリプッタと。」
(『舎利弗の真実に迫る』P96)
私は、この本に登場してくる種村守護霊なるものが偽者であることは、根拠を挙げて繰り返し証明していきたいと思いますが、「種村守護霊」という表記そのものが間違っているので、引用箇所ですが、「種村偽守護霊」と、敢えて表記を修正させて頂きます。
まずこの引用部分が、「種村守護霊」が私の本当の守護霊ではない証拠となります。
この霊言は5月22日に収録されています。
私がシャーリプトラであるという大川隆法氏の認定は間違いだと申し上げたのは4月4日に送った大川隆法氏への手紙のなかにおいてです。
だから、私の守護霊が自分のことを「サーリプッタと言いな」ということは、あり得ないのです。
(手紙の内容についての詳細は、このブログの番外編1をご覧下さい)
これは何を意味するかというと、ここに出てきた種村守護霊は偽者であり、私とは無関係の霊であるということです。
なお、 「サーリプッタ」という表現そのものが、「シャーリプトラ」をなまった言い方になっていて、「種村守護霊」を貶める表現として意図的に使われているように思われます。 http://bakaleo.diary.to/archives/12097438.html
『舎利弗の真実に迫る』講義14 「種村守護霊」が偽者である理由
「種村偽守護霊 うんうん。そうだね。釈迦の右腕だし、もう釈迦も老いぼれたから、
本来、私が教団の代表者となるべきときが来てるね。」
(『舎利弗の真実に迫る』P96)
<解説>
私は真の釈尊に対して、こんな失礼なことを言うことはありません。
それに教団の代表者になりたいなど、思ったこともありません。
とても下品で品性のない「種村守護霊」ですね。
「釈迦も老いぼれたから」というような言葉を目にして、私はとても悲しくなりました。
私はここで、あえて「真の釈尊」という表現をさせていただきました。
なぜなら、大川隆法氏は、釈迦の生まれ変わりと名乗っているからです。
私は大川隆法氏が名乗る「偽の釈尊」と区別をさせていただきます。
「種村偽守護霊 (中略) ただ、わしは、今、もう、職がなくて困っとるんじゃ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P97)
私が所属している一般社団法人心検は、立派なカウンセリングの職業です。
これは一生の職業と考えて、打ち込んでいます。
「職がなくて困っとるんじゃ」というのは、私の職業に対する侮蔑にしかきこえません。
また、心検で学んでくださっている方々に対しても、大変失礼な言い方です。
と同時に、この本に登場する「種村守護霊」が偽者であることを、はっきりとあらわした部分でもあります。
「職がなくて」ということそれ自体が、事実に反してますから。 http://bakaleo.diary.to/archives/12097438.html
『舎利弗の真実に迫る』講義14 「種村守護霊」が偽者である理由
「里村 ところで、今、『釈迦認定』とおしゃいましたが、今世、あなたを「シャーリプトラ」と認定したのは、お釈迦様ですか。
種村偽守護霊 うーん。よう分からんけどな。とにかく、何となく、そんなふうになったんだよ。
里村 いや、認定したのは高橋信次霊ですよね。
種村偽守護霊 うーん、そう。まあ知らんけど、(生前の)高橋信次が『仏陀』を名乗っとったのだよな。
その当時(幸福の科学の立宗期)はだね、(高橋信次が)死んで十年ぐらいのころで、(長女の)計佳子氏が(GLAの)跡を継いだけど、小娘なので、みんなついていかなくて、古い弟子がみんな分かれて、分配とってさあ。
里村 はい。
種村偽守護霊 九州で正法会とかいうのをつくった園頭広周っつうのが、(自称)シャーリプトラっていう男であってねえ。
里村 はい。いましたね。
種村偽守護霊 『高橋信次より九歳年上だ』って男が、『GLAの教団を継ぐ』とか言っててな。
それで、うち(幸福の科学)が仏陀を名乗ったら、『仏陀なら、シャーリプトラもいるはずだから、出してみい。
わしこそシャーリプトラだ。高橋信次こそが仏陀だ。こっちが本物だあ』みたいなことを言ってて、それで、対抗上、何となく出てきたような感じになったんかなあ。
里村 つまり、高橋信次氏の霊的復活と同時に、『シャーリプトラ』と指名されただけで、実は・・・。
種村偽守護霊 うん、そうそう。代わりでね。」
(『舎利弗の真実に迫る』P98)
長々と引用しましたが、これは「種村偽守護霊」が本当は誰であるかを調べる上で、非常に重要な部分です。
私はGLAに関してほとんど何も知りませんでした。
生長の家からきたので、高橋信次の生前の著書は幸福の科学で薦められて読んだことがありますが、教団がどうなっているのかとか、ましてや園頭広周と大川隆法氏との具体的な確執に関しては、始めてこの本で知りました。
ということは、私にインプットされていない知識を語っているこの霊は、一体誰なのでしょうか。 http://bakaleo.diary.to/archives/12097438.html
『舎利弗の真実に迫る』講義14 「種村守護霊」が偽者である理由
それはずばり、大川隆法氏その人の意識の一部ではないかと、私には思われるのです。
大川隆法氏の魂の兄弟が、私を貶めるために、「種村守護霊」を名乗って演技をしているように感じるのです。
そして、大川隆法氏のシナリオに従って、演じているわけです。
そう考えると、私にはこの霊言のからくりが非常によく分かります。
ここでは、大川隆法氏が教団の最初期に、なぜシャーリプトラの過去世認定をしなければならなかったのか、という事情が種明かしされています。
GLAとの対抗上、釈迦弟子が身近にいる必要があったそうです。
しかし、この偽の「種村守護霊」は、致命的な間違いを犯しています。
いつシャーリプトラと認定したのかが、あやふやでしかないのです。
本当は1988年3月の末に、西荻窪駅から徒歩10分程度の地下の事務所で、「種村修がシャーリプトラである」と認定したのです。
しかも高橋信次霊の霊言ではなく、大川隆法氏が自ら宣言したのです。
私にとって、これは衝撃的な出来事でしたので、そのときのことを、非常に鮮明に覚えています。 大川に霊能力がないというのは幹部職員ならみんな知っています。 生活のために黙っているだけです。
http://bakaleo.diary.to/archives/12099776.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/15-p101-p105-p106-p108-1-p111-p112.html
大川はまた墓穴を掘りましたね。
種村さんの守護霊が大川に来て語るはずもありませんし、また語ってる内容もでたらめです。
大川の初期の守護霊理論では、守護霊とは魂の兄弟であるから、本人と考え方やしぐさもまったく良く似ているというものでした。
それで、大川自身による守護霊を「呼び出し」ショーを間近で何度も見ましたが、いつも噴飯ものでした。
なぜなら、本人に、似ても似つかわしくない守護霊がでてきては「俺が偉い」「いや俺様のほうが偉い」「あいつが偉いのは気に食わない」などの話ばかりなんですよ(爆笑)
これは、大川の意識を単に語ってるだけのイタコ芸なんですよ。
種村さんとは、知り合った頃からいまにいたるまで、一貫して変わっていません。
彼が上京して生長の家の学生組織の中核メンバーになったときが最初の出会いですが、まことにも勉強熱心で、活動家というよりも理論家肌の人間で、将来を期待される人でした。
(当時、私は青年組織の事務局長でしたから,その組織の傘下にある学生組織は人材の供給源としていつも注目していました)
その勉強熱心さ、求道心の高邁さ、そして正義感の強さはまったく変わっていません。 大川に霊能力がないというのは幹部職員ならみんな知っています。 生活のために黙っているだけです。
http://bakaleo.diary.to/archives/12099776.html
だから、詐欺師・大川の欺瞞と大川の犯罪行為が許せないのです。
それ以来、30年近く彼を知っていますから、大川のイタコ芸にでてくる種村守護霊は、すぐ偽ものだとわかります。
種村さんの守護霊が、増上慢な発言をするわけがありません。
信じられない人は、大川に頼んであなたの守護霊を呼び出してもらうといいですよ。
荒唐無稽のことしかしゃべりませんから(笑)
大川の意識をしゃべっているだけだからです。
いんちきなんです。
そもそも大川には霊能力なんてないんですから(爆笑)
大川に霊能力がないというのは幹部職員ならみんな知っています。
生活のために黙っているだけです。
大川が指定する、過去世とか守護霊の話なんて、自分のいま置かれている状況に応じてどんどん設定変更してくるわけですから、テキトーな発言と理解するのが一番です。
いま、大川に過去世認定されてる人も、利用済みとなった途端、また設定変更がありますって。
こういうと、お前はもらってないから嫉妬してるんだろうという輩がおりますので、一言いえば、私も有難くも(爆笑)たいそう立派なものを頂戴しましたよ。
証人もいますよ。
でも、職員を辞めたときに捨てました。
そんなもん、何の役にも立ちませんから。
そんなもん有難がってるのは大川妄想ワールドの住人だけです(大爆笑) 『舎利弗の真実に迫る』講義15 生長の家について
http://bakaleo.diary.to/archives/12100677.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/15-p101-p105-p106-p108-1-p111-p112.html
「種村偽守護霊 私はねえ、幸福の科学の救世主だったわけでねえ。
幸福の科学がほんの数百人か千人か、そのぐらいのときにだねえ、もう三百三十万人の信者数を誇り、昭和五年から数十年やっているところの、
日本を代表する大・大教団のねえ、大・生長の家の編集部から、大幹部が降臨したんだよ。
ほんと、法人格もない貧乏教団の事務局課長に降臨してやったんだよ。」
(『舎利弗の真実に迫る』(『舎利弗の真実に迫る』P101)
<解説>
これは私の意識とは全くかけ離れています。
まず私は生長の家の大幹部ではありませんでした。
幸福の科学では最初から事務局課長になったのではなく、最初は編集部員として入れていただきました。
幸福の科学の救世主という意識はあるはずがなく、偉大な霊的指導者のもとにはせ参じて、新しい文明を興していくお手伝いが出来るということに、ひたすら感激していたのです。
貧乏教団かどうかは私にとってはどうでもいいことで、大きな使命に加われることに悦びを感じていたのです。
幸福の科学が原久子氏に間借りしていた最初期の事務所に通う道すがら感じた「ここから新文明が始まるのだ」という高揚感はいまだに忘れていません。 『舎利弗の真実に迫る』講義15 生長の家について
http://bakaleo.diary.to/archives/12100677.html
「斎藤 (中略)学生時代にお金がなくて貧乏だったのは、ご本人でありまして、なんと、家賃を滞納し、大学は中退だったそうですが、どうですか。
事実か事実でないか、二者択一でどうぞ!(会場笑)」
(『舎利弗の真実に迫る』P105 )
<解説>
私が京都大学を中退したことは、幸福の科学のなかで隠したことはありませんでした。
別に恥ずかしいことではないからです。
自分で選んだ道を、恥じる気持ちがありません。
家賃の滞納は、私が大学生のころ、一年間、東京(原宿)にある生長の家の本部に呼ばれて、無給で生長の家の学生部のボランティアをしたことがありました。
この期間は、家族の賛成が得られなかったので仕送りがなく、学生部の職員をしていた人が多少の支援をしてくれていましたが、それではまかないきれませんでした。
借家の大家さんは生長の家の職員の家族だったので、支払いを待ってくれました。
翌年、私が生長の家の本部で働きだすと共に、滞納分は全額支払いました。
そうした事情がありました。
「種村偽守護霊 あのねえ、画学生なんて、だいたい、使えるわけがないんだから。
ヒトラーと一緒だよね、貧乏画学生・・・。」
(『舎利弗の真実に迫る』P106 )
<解説>
画学生からヒトラーを連想することは、私にはできない発想です。
そういえば大川隆法氏は、ヒトラーが画家を目指していたことを、講話の中でふれていたことを思いだします。
これも、「種村偽守護霊」は、実は大川隆法氏の意識の一部が演技しているのではないかと思わせる部分です。
なお、ここに出てくる「種村偽守護霊」は、貧乏ということにすごくこだわりをもっています。
ここに大川隆法氏が学生時代まで、非常に貧しい生活をしてたことのコンプレックスが出ているのではないかと思われるのですが、いかがでしょうか。 『舎利弗の真実に迫る』講義15 生長の家について
http://bakaleo.diary.to/archives/12100677.html
「斎藤 家賃を滞納していて、結局、大学も中退というのは非常にまずい展開ですね。
種村偽守護霊 き、君・・・。
きつい、きついな。
いやあ、妻からは、禁治産者と呼ばれてたわけでねえ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P108)
<解説>
これも「種村偽守護霊」が私の守護霊ではない証拠になる発言です。
元妻から禁治産者と呼ばれたことは一度もないからです。
私が家からの仕送りもなく、生長の家の本部で1年間ボランティアをしたことは既に書きました。
その頃の私の霞を食べているような、非現実的な、生活感覚の欠如した生活ぶりを見た父が、たまりかねて私に「禁治産者」という表現で警告したことが、一度だけありました。
しかし、その父も、私が生長の家本部に奉職して、はじめていただいたお給料で、ささやかなプレゼントを買って贈ったときに、心から喜んでくれました。
ですから、「元妻からは、禁治産者と呼ばれていたわけでねえ」と言った時点で、「種村守護霊」が偽者であることは、決定的になりました。 『舎利弗の真実に迫る』講義15 生長の家について
http://bakaleo.diary.to/archives/12100677.html
「種村偽守護霊 いやあ、まあ、それはね。
『生長の家』っていうのは天狗教団だから、基本的には、もう、『生長するしかない』わけだからして・・・。
斎藤 (苦笑)人のところばかり悪く言うのではなく、自分の心を見つめてください。
種村偽守護霊 こう、鼻が伸びて伸びて伸びて伸びて伸びて伸びて、反省なんかしたら、いけないじゃない?」
(『舎利弗の真実に迫る』P111〜P112)
<解説>
生長の家が「天狗教団」だというのは、大川隆法氏の言い方です。
私も教団にいた頃、大川隆法氏から直接、そう言われたことがありました。
ですから、大川隆法氏の意識が、こういう発言をされるのは分かります。
生長の家を侮蔑する表現ですが、私はかつての師である谷口雅春先生や生長の家の主宰神である天御中主神をこんなに貶めるようなことは、やはり言えません。
生長の家にも一部には天狗的な方もいらっしゃいますが、ほとんどの方はそうではないと思います。
何よりも谷口雅春先生は、天狗ではございません。
大川隆法氏は初期のころから、日本神道に対して非常に侮蔑的な言い方をされることがありました。
ですから、大川隆法氏の意識の一部が「種村偽守護霊」であるとすると、同じ傾向がこの発言ににじみ出ているように思います。
「鼻が伸びて・・・」と「伸びて」を六回も繰り返しているのは、私が大川隆法氏に送った手紙の中で、謙虚に反省してくださるようにお願いしたので、それがよほど許せなかったのではないかと思います。
きっと「大増上慢だ」「大天狗だ」とおっしゃりたいのではないでしょうか。
生長の家の谷口雅春先生の教えには、確かに八正道はありません。
ですが、谷口先生が説かれた「心の法則に照らして自分の心を振り返る」という教えがあり、これは実質的な反省へとつながるものでした。
また晩年の谷口雅春先生は、自分の生前の罪を書き出して、滅罪のための行を、信者さんに混じってされています。
生長の家であるから反省ができないというのは、本当はおかしいように思います。 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_19.html
「種村偽守護霊 (中略)
そういえば、「聖使命会員」とか言うて、一人で百冊以上配ってたから、・・・」
<解説>
これは大川隆法氏の仕事の杜撰さが、際立つ箇所です。
これは、生長の家に所属したことのある人から見ると、あり得ない基本的な間違いです。
この部分ひとつでも、「種村守護霊」なるものが真っ赤な偽者であることを証明してしまっています。
生長の家では、聖使命会員という制度がありますが、これは毎月一定額以上の会費を振り込む人のことであり、その人には聖使命新聞が配布されていました。
聖使命会員には3種類あり、護持会員は月額400円以上、什一会員は月額1000円以上、特志会員は月額1万円以上を収めます。
百冊以上の神誌(生長の家では布教誌のことをそう呼んでいました)の配布者を聖使命会員という呼び名をしていた事実はありません。
実は私は、聖使命新聞の編集部にいました。
ですからこんな基本的なことを私の守護霊が間違えるはずがありません。
ですから、ここは「種村守護霊」が偽者であることが、疑問の余地なく判定できる部分です。
なぜこのような致命的で基本的なミスが予防できないのでしょうか。
それは幸福の科学編集部の職員が、大川隆法氏の霊言を本物だと盲信しているからです。
だから、チェックをしないのです。 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
霊言が偽者であると見抜く見識があれば、霊がいうことをいちいちチェックして、外部には間違ったまま出さない努力が出来るはずです。
もっとも、DVDに出ているものは修正できないので、この箇所は削除するしかないでしょう。
「斎藤 (中略) 実は、『学生のときに、「生長の家」に属していながら、政治活動もしていた』と、元奥様から聞いております。
そのときには、スーパー右翼的発想で、左翼と激突し、棒を持って殴り合って、暴力沙汰になったそうですね。
しかも、そのときに、あなたの担当していたグループのなかで、生長の家の学生が一人死んだとも聞きました。
種村偽守護霊 それはねえ、谷・・・。
斎藤 実際に死亡したと言われましたよ。
ヘルメットを被って、バンバンバンバン、お互いに叩き合うような、非常に阿修羅的な波動を持った状態だったそうです。」
(『舎利弗の真実に迫る』P144)
<解説>
この部分の記述にも、致命的な情報の間違いがあります。
確かにここにいわれている京大での事件はありましたが、その時に学生が一人死んだというのは、完全に間違いです。
死亡者など一人も出ていません。
それとは別に、その約2年後ぐらいに、九州大学の仲間の学生が一人亡くなりました。
私達は彼の死を悼みました。
なぜなら、その方はこのとき京都大学の行事に参加してくださった仲間であったからです。
しかし、京大事件と彼の死亡は別の問題です。
京都大学での事件は、私が大学2年生の秋に起きました。
この年には昭和天皇の御在位50年の記念式典が国や地方で開催されました。
私達の仲間も、京都大学の教養部の教室を借りて、昭和天皇御在位五十年の式典を開催しました。 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
これは至極平和的なものでした。
ここに至るまでには、2ヶ月ほどの前哨戦がありました。
私は昭和天皇が終戦と戦後の復興に果たされた役割を評価するビラをつくり、京大の正門の前で配ることからはじめました。
京都大学は左翼の学生運動が極めて強い大学で、すぐに私達は左翼学生によって暴力的に排除されました。
私は、暴力による言論の抑圧には屈することが出来ませんでした。
近隣大学からも協力者を募り、毎日宣伝活動を続けました。
左翼は暴力を振るうこともありましたが、私達は言論のみで応戦しました。
記念式典の当日は、さすがに緊迫感が漂いました。
無防備で式典をすれば、暴力で排除されることは目に見えていました。
そのために、安全のためのヘルメットや最小限の防衛の装備を用意して、攻撃を抑止しました。
抑止のための「武」です。
式典も無事終了し、私達数十名は街頭へ出て、市民集会に合流する予定でした。
予定通りの行動をしていれば、何の問題も起こらなかったはずです。
ところが外部から来た年上の学生が、京大の時計台前で勝利集会を開こうと言い出し、予定外の行動に出たのです。
時計台前は左翼グループが日ごろ武闘訓練を行っているホームテリトリーでした。
案の定、集会をしているところを武装した左翼学生に襲撃されました。
防衛の装備をいちど片付けていたので、あわてて支給しなおし、攻撃を防御しました。
しかし、後手に回り、負傷者が出てしまいました。
私も少し怪我をしました。
やはり日ごろは平和的な言論活動をするだけの人間が、武闘訓練を日常的にしている集団のホームテリトリーのなかに、うかつに入り込むべきではなかったのです。 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
急な作戦変更がもたらした重大なミスです。
まだ2年生の私には、それを阻止する権限はありませんでした。
しかし、その後のほうが大変でした。
私が学内で高校時代の友人と話をしていても、左翼学生に囲まれ、暴力的に排除されました。
危険で、大学にいけなくなりました。
自分の信念のために、大学で身の危険を冒してまで主張を貫くのは、自己保身の観点からは愚かなのかもしれません。
しかし、身の危険を冒してまで信念を貫く人間がいなければ、国は変わらないと思います。
私はそれを恥ずかしいことだとは思いません。
戦いの折に、やや戦闘的な精神状態になることはありました。
しかし、幸福実現党で北朝鮮にミサイルを先制攻撃することを主張したときほどは、過激な主張ではなかったと思います。
「斎藤 智慧があるのに、『生長の家』のなかで、どうしていじめられるのですか。
種村偽守護霊 いや、『教祖』っていうあだ名だったからさあ。
斎藤 確かにそのとおりだったと聞きました。
ご本人は、確かに、『「教祖」と呼ばれていた』と言っていましたよ。
種村偽守護霊 そうなんですよ。『教祖』というあだ名をつけられてねえ。
斎藤 お、すごい信憑性!」
(『舎利弗の真実に迫る』P116) 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
<解説>
質問者の斎藤氏が、「確かにそのとおりだったと聞きました。」といっていますが、誰に聞いたのでしょうか?
この部分は、いくら考えても私にそんな記憶がないので、不思議に思いました。
そこで、早稲田大学を出て生長の家の職員をしていた、同期の人に聞いてみた。
この人は、その後生長の家を退職し、父親が興した菓子製造販売の会社を継いで、現在経営者をしている方です。
私はこの元同僚に、つぎのような質問をしました。
「ひとつ教えてほしいのですが、生長の家時代の私は、他の人から『教祖』というような表現で呼ばれていましたでしょうか。
最近、昔の私がそう呼ばれていたと言われて、ピンと来なくて、それでどうだったかなと思って、お尋ねすることにしました。よろしくお願いします。」
それに対する元同僚からの返事は次の通りでした。
「私にも、そんな記憶はありません。
いくらなんでも、谷口先生の弟子の仲間同士で、誰かを『教祖』などと呼ぶ者はいないと思いますが。」
宗教団体に所属していて、そこで『教祖』というあだ名がつくことは、通常ありえないことは、少し考えれば誰でも分かりそうな話です。
ですから「種村偽守護霊」に、こういうあり得ないことを語らせ、斎藤哲秀氏に「お、すごい信憑性!」と言わせているのが、ものすごく不思議な感じがしました。
記憶を振り返ると、私には思い当たることが一つだけあります。
幸福の科学に出家した最初のころ、私は大川隆法氏から直に、「種村さんは教祖になりたがるからなあ」と言われたことがあります。
そのとき私はきょとんとしてしまって、「そうなのだろうか」と不思議な感じを持ったのをおぼえています。
この霊言で、大川隆法氏の意識の一部が「種村守護霊」の名前を騙って発言しているなら、すごく納得のいく話です。 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
私の本音はどうかというと、教祖願望はありませんでした。
仏弟子だと思い込んでいましたから。
そして大川隆法氏を仏陀と信じていましたから。
舎利弗とかヨハネと言われていたので、一番弟子になりたいという願望は強くありました。
そうでないと、過去世より出来が悪いということになると思い込んでいました。
これはある時期まで、私の執着となり、苦しみとなりました。
大川隆法氏には、いつか自分の地位が誰かに奪われるのではないかという、強迫観念が、潜在意識下におありになるのではないかと思います。
ですから、大川きょう子さんが二代目教祖になりたがっているとか、私に教祖願望があるとか妄想されるのだと思うのです。
大川隆法氏は被害妄想が強い方だと思います。 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
種村さん、またひとつ大川の化けの皮が剥がしていただき、ありがとうございます。
溜飲が下がります(爆笑)
ここでも大川の呼び出した種村さんの守護霊が“偽者”だと証明されましたね。
種村さんは,たしかに、生長の家の職員時代の最後は、聖使命新聞の編集でした。
だから、種村さんの言われるとおり「こんな基本的なことを私の守護霊が間違えるはずがありません」ということなのです。
種村さんのことをなぜ、そんなに詳しく私が知っているかということを述べますと、私と種村さんは、生長の家の学生組織の出身者であり、生長の家本部職員のグループの中で、同じグループだったのです。
かなりの大きなグループだったのです。
あわせて、質問者のお馬鹿な斉藤博也が、「生長の家の学生が一人死んだ」とわかったような口をきいていますが、種村さんの言われるように、かれは、そのときから2年後に死亡しています。
私の直系の後輩ですから忘れようもありません。
その京大事件とは無関係です。
テキトーに情報を集めているからこんな間違いを起こすのです。
また、斉藤博也は、あいつらしく「スーパー右翼的発想」とかいうお馬鹿な質問をしていますね。
この「右翼的発想」の意味が理解できないから、どうしても、幸福実現党が日本の正統的な保守の国民運動から排除される理由でもあるんですが・・・
なぜ、幸福の科学や幸福実現党が日本の正統的な保守界に受け入れられないのか申しますと、天皇観がまったく違うからです。 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
大川は天皇の上に立とうとしているのを日本の保守界の人々が知り、激怒しているからです。
それで、幸福実現党関係者が保守勢界の地方組織に行っても、冷たくあしらわれているのはそのためなのです。
まぁ、そのことを関係者に詳細に伝えているのは私なのですが(爆笑)
何せ、私の直系の後輩がかなりの人数,専従者となっているので、話が一発でとおるのです。
それで、大川らは「天照大神がお怒りに・・」なんていってるのは、保守界にとっては噴飯ものなんですよ。
大川も馬鹿丸出しで、「天照大神」をもちだせば、日本の保守界はいうことをきくと思い込んでいるんでしょうね。
講談社事件のときも、講談社へのデモに右翼が抗議していると怯えた大川は、「天照大神ののぼりをたてよ」といった類と同じ発想なんですよ。
そんなもん立てても、日本の保守界は一笑に付すだけです。
大川の頭の中は、妄想と「痴」性の塊でできているんですから(爆笑)
でも、日本の保守界は、むしろ「天照大神は、大川と幸福の科学に対してお怒りになっている」という認識ですよ。
「天壌無窮の神勅」を理解すれば、大川は皇位簒奪者にほかなりませんからね。
いまや、大川を相手にしてくれるのは、もはや数千名の信者ばかりですよ(大爆笑)
もう一言述べさせてもらいます。
斉藤博也が、種村さんのことを、生長の家時代の「教祖云々」の話を持ち出していますが、これこそが幸福の科学お得意の捏造なんです。 『舎利弗の真実に迫る』講義16 教祖願望
http://bakaleo.diary.to/archives/12110369.html
種村さんはわざわざ、Y君に確認をとったようですが、確認するまでもなく、そんな「教祖」呼ばわりされたことはありません。
なぜなら、生長の家という宗教は,谷口雅春先生というとても高潔で、高徳で、しかも、慎み深い方を指導者として仰いでおりましたし、
さらには、谷口雅春先生は「教祖」という言葉をお好みではなかったので、生長の家では「教祖」という言葉自体があまり使われない言葉であるからなのです。
したがって、職員同士でも「教祖」という言葉は、めったに使われません。
こうした基礎知識なしに、勝手に「教祖」という言葉を使わしめてるのは、明確な意図があるからです。
大川と斉藤博也、その他の質問者は事前に打ち合わせて、「どのように質問したら、種村をイメージダウンさせられるか」とやってるわけです。
やらせです。
こんなことばかり、やってるから、守護霊になりすましても、すぐに嘘だとわかるんですね。
そういえば、2chでも、その他のサイトでも、幸福の科学の人間はよくアンチになりすましますもんね(爆笑)
でも、十分に準備しないから、すぐ、なりすましだと見破られています(大爆笑)
はからずも、この「教祖」の一言でも、大川の霊言がいんちきであり、大川の妄想がかたられていることが明らかになりました。 『舎利弗の真実に迫る』17 大川隆法氏は教団を自分の財産と思っている
http://bakaleo.diary.to/archives/12111671.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_6278.html
「種村偽守護霊 ええ? 『シャーリプトラと文殊が組めば、仏陀を倒せる!』ということでね。
(中略)いや、シャーリプトラと文殊が組めば、弟子の大部分は取れるんじゃないか。」
(『舎利弗の真実に迫る』P120)
<解説>
私は、熱心に大川隆法著『現代の法難』シリーズを熟読したので、大川きょう子さんは文殊ではなかったということを信じています。
従って、私も、私の守護霊も、「文殊」と組めば云々という発想をすることが、そもそもあり得ないことです。
ましてやすでに大川隆法氏から認定されたシャーリプトラの過去世も返上していますので、「シャーリプトラと文殊が組めば・・。」という発言は、絶対にあり得ないのです。
また大川隆法氏が仏陀であるということも、まずあり得ないと考えていますので、なおさらこの発言はあり得ません。
こういうところも、大川隆法氏の意識の一部が「種村守護霊」を騙って話しているということが、ありありと分かる部分です。
「斎藤 どうして、『文殊とシャーリプトラが組んで、信者を取る』という発想がでてくるんですか!
種村偽守護霊 商売上、しょうがないんじゃん。
『名前』がなかったら、商売にならないだろうが。ええ?」
(『舎利弗の真実に迫る』P121)
<解説>
ここでは、教団をつくるのに、看板として文殊とシャーリプトラを必要としていると言わせています。
単なる大川隆法氏の妄想です。 『舎利弗の真実に迫る』17 大川隆法氏は教団を自分の財産と思っている
http://bakaleo.diary.to/archives/12111671.html
私は一般社団法人心検の所長の仕事があり、これが私の天職です。
私の使命そのものです。
それを継続するために、過去世の名前も文殊の名前も、全く必要はありません。
心理学に宗教を持ち込むことは、経営的にはマイナスにしかならないので、宗教的な表現が混じらないように苦心しています。
「商売上、しょうがないじゃん。」と言う話は、もっとも私から遠い発言です。
宗教を商売(ビジネス)と捉える発想は、大川隆法氏はふんだんにお持ちなので、こういう発言が出てくるのだと思います。
「里村 重要なことをお伺いしたいと思います。
今、『文殊とシャーリプトラが組んで仏陀を倒す』とおっしゃいましたが、『仏陀を信じないシャーリプトラ』がいますか!
『仏陀を信じない文殊』がいますか!
種村偽守護霊 うん。まあ、それは、若干、疑問ではあるけど・・・・。」
(『舎利弗の真実に迫る』P121)
<解説>
これも同様の理由で、成り立たない話であることが分かります。
大川隆法氏の頭の中に妄想されているストーリーに過ぎないことが分かるはずです。
「種村偽守護霊 いやいや、『俺に対する信仰心』が大事だ。
里村 ああ、『俺に対する信仰心』ということは、つまり、『教祖になりたい』という意味ですね。
種村偽守護霊 うん。だからまあ、俺が事実上の教祖で、大川隆法っちゅうのはねえ、これはまあ、商社マンだ。
商売人なんだよ。俺、金を儲ける能力は大してないから、それは商売人の商社マンにやらせて、実質上の宗教家は俺しかいなかったから、俺が教祖として、教団を・・・」
(『舎利弗の真実に迫る』P123〜P124) 『舎利弗の真実に迫る』17 大川隆法氏は教団を自分の財産と思っている
http://bakaleo.diary.to/archives/12111671.html
<解説>
私は自分自身への信仰を説いたことは、これまで一度もありませんでした。
私は、仏陀の心を信者の皆様に取り次ぐ自分の使命だと思ってきました。
それでひたすら仏陀への信仰と法への帰依を説いてきました。
これが法の解説者としての、最も基本的な姿勢だと信じていたからです。
私は、本当に馬鹿の付くお人よしだったと思います。
心検の前身である「カウンセラー検定協会」のときも、幸福の科学の信者の生徒さんには、『正心法語』を毎日全部読むようにと信仰のアドバイスをしていました。
大川隆法氏への信仰は私はなくなっています。
大川隆法は神ではない。
仏陀でもありません。
そう私には思われます。
しかし、私は信仰心は保っています。
目に見えない神仏の存在は信じています。
そして願わくば、そうした神仏のパイプになって生きていきたいという願いは失っておりません。
これは自分が教祖になるということではございません。
どんな職業、どんな立場にあっても、神仏の愛のパイプとなる生き方は可能だと信じています。
したがって、これは私のそれまでの信仰姿勢への中傷であり、虚偽の、事実の捏造による人格攻撃にほかなりません。
繰り返しになるかもしれませんが、大川隆法氏が人を攻撃するときに、「あいつは教祖になりたがっていた」というのが常套手段となっています。
大川きょう子さんも「共同教祖」を主張したのでけしからんとう主張でした。
大川隆法氏は教祖という言葉を、教団財産の権利者という観点から見ているようです。
ですから、教団の財産をねらっているという印象を植え付けようとするのです。
そういう繰り返される主張を見ていると、大川隆法氏は教団を自分の財産として偏愛しているのではないかと思えてきます。 『舎利弗の真実に迫る』18 ダイバダッタの可能性
http://bakaleo.diary.to/archives/12113215.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html
「里村 最初にちょっと口を滑らせましたが、あなたはシャーリプトラではなく、本当はダイバダッタなのではありませんか。
種村偽守護霊 いや、『ダイバダッタをいじめたことは悪かったな』と思って、反省して、今、逆のことをやって、カルマを消そうとしてるわけだ。
里村 そんなカルマの消し方はないですよ。
種村偽守護霊 ダイバダッタは正しかったかもしれない。
里村 そんな・・・。
種村偽守護霊 仏陀は老いぼれとったから、本当は、引退させて、教団の若返りをかけるべきだったのかもしれない。」
(『舎利弗の真実に迫る』P125)
<解説>
ここは種村修をダイバダッタであるかのように印象付けたい、という大川隆法氏の意図が感じ取れる部分です。
大川きょう子さんを裏切りのユダに仕立て上げたわけなので、種村修をダイバダッタに仕立てると、このコンビは非常におぞましいものとして、印象付けられます。
これまでの分析で、私は「種村偽守護霊」は大川隆法氏の意識の兄弟であることを実証的に解明してきました。
そこで知りたいのが、ではこの大川隆法氏の魂の兄弟は、一体本当は誰なのかということです。
里村さんが言っているように、ダイバダッタの意識が話している可能性を、私も感じます。
そこから、私はこういうことを空想しました。
ダイバダッタが生まれ変わって、今度は自分が「教祖」になって「仏陀教団」をつくり、「世界宗教」にする野望を実現しようとします。 『舎利弗の真実に迫る』18 ダイバダッタの可能性
http://bakaleo.diary.to/archives/12113215.html
昔、自分の野望を阻止した仏弟子の名前を自分の弟子に与え、一定の仕事をさせてから教団から放り出します。
そのあと教団内で、全職員を集めた研修会を開き、この人間がどれほど駄目な弟子だったかを徹底的に教えこみ、事実上の抹殺を図ります。
ところが、12年後に教祖の女性問題を取り上げて反省を迫る手紙を書いてきました。
また「信者さんが納骨壇の返却を希望しているので、お金を返してあげてください」とも言ってきました。
「教祖」は激怒して、この者を「除名」処分にし、「現代のダイバダッタ」として葬り去ろうと考えます。
しかし、真のダイバダッタの生まれ変わりである「教祖」は、それでは自分のプライドが許さないので、「ダイバダッタに洗脳された愚かな名前もない弟子」と認定して、完全に抹殺しようとします。
これでこそ「ダイバダッタをいじめたカルマの刈り取り」だといえるわけです。
シャーリプトラと認定されてきた者にふさわしい仕返しをしたのかもしれません。
「ダイバダッタをいじめたカルマの刈り取り」とはどういうものだろうかと、その一点から素直に考えたのが、以上の「空想」です。
でも、本書を熟読すると、これを単なる空想と一笑にふすことが出来ない要素があるように感じるのです。
本書で大川隆法氏は、幸福の科学でそれまでシャーリプトラとみなされてきた人物(種村修のことですが)に、「ダイバダッタをいじめたことは悪かったな」と思って反省していると説かせています。
また「ダイバダッタは正しかったかもしれない」と言わせています。
これを一番言わせたい人物がいるとしたら、誰でしょうか。
やはりダイバダッタ本人ではないでしょうか。
そして、ダイバダッタであれば、その発言をシャーリプトラとされていた人物に語らせたら、さぞかしすっきりするのではないでしょうか。 『舎利弗の真実に迫る』18 ダイバダッタの可能性
http://bakaleo.diary.to/archives/12113215.html
ただし、大川隆法氏は、種村修をダイバダッタと認定することは避けています。
それは主張の整合性が取れなくなるからでしょう。
ダイバダッタは五百人の食い扶持を確保して、それを餌に釈迦弟子を誘って分派活動をしたわけです。
ところが大川隆法氏が描きだす種村修は、自分の生活費にすら困って、ゆすり・たかりをする人物なのです。
これでは種村をダイバダッタの生まれ変わりと言っても、話のつじつまが合いません。
いや、ダイバダッタのプライドが許しません。
だから、元拝火教徒の名もない仏弟子で、ダイバダッタに餌でつられて洗脳されていた人間という人物設定をしているわけです。
この本を繰り返し読んでみて、不思議と印象が残るのは、ダイバダッタ復権への布石が打たれていることです。
「種村偽守護霊」にダイバダッタは正しかったのではないかと言わせているだけではありません。
最終章に出てくる「大川・舎利弗」もダイバダッタをある意味で非常に擁護する発言をしています。
その結果、全体的な印象として、ダイバダッタはそれほど悪い人ではなかったのではないかという印象が残るように書かれているのです。
「仏陀は老いぼれとったから、本当は、引退させて、教団の若返りをかけるべきだった」というのは、本物のダイバダッタの言い分でしょう。
大川隆法氏は、常に古参職員に還俗圧力をかけ、段階的に教団の若返りを図っていますから、この主張は大川隆法氏が実践して見せていることです。
ただし、「仏陀」と称する自分はそのままで、幹部職員らの若返りだけを図っていくわけですが。
私は、大川隆法氏がこの本で、ダイバダッタを弁護する深層心理は何なのだろうかと考えました。
その結果たどり着いた一つの仮説が、大川隆法氏は本当はダイバダッタの魂の親なのではないかというものでした。 『舎利弗の真実に迫る』18 ダイバダッタの可能性
http://bakaleo.diary.to/archives/12113215.html
もしそうだとすると、大川隆法氏が金集めに固執するのも、女性問題を多発させるのも、最初は真面目に修行していたのに、後に堕落していくのも、すべてうなずけます。
お釈迦様の魂の親ならあり得ないことばかりをしています。
しかし、ダイバダッタの魂の親なら、分かる気がします。
これは、あくまでもそういう可能性が一筋見えるというだけです。
そう断定しているわけではありません。
しかし、そう考えるといろいろつじつまがあってくるので、今後の研究課題としたいと思っています。 『舎利弗の真実に迫る』18 ダイバダッタの可能性
http://bakaleo.diary.to/archives/12113215.html
種村さんの「真実を語る」に対して、幸福の科学側が攻撃できなくなっていますね。
なぜ、そうなったのかを考えていたら、面白いことがわかりました。
幸福の科学は、大川の妄想によって、大川妄想ワールドに信者を閉じ込めてしまっているのですが、その妄想ワールドの支配原理はパトスだけしかないからです。
ロゴスもエートスもないのです。
パトスだけだから、大川の感情に左右され、大川の扇動によって妄想ワールドの住民は右往左往しているのです。
だから、幸福の科学の論調は、感情論に基づく誹謗中傷や、捏造による一方的決めつけばかりになるのです。
ここでのダイバダッタ云々もその実例です。
そのような幸福の科学に対して、種村さんがロゴス(論理)を駆使して、しかも、パトスとエートスを統合して、鋭く真実に迫っているから、大川をはじめ幸福の科学の連中も何も反論できなくなっているのです。
つまり、幸福の科学は、論理では反論できない知的劣化団体であるということをはからずも露呈してしまったのです。
実際、幸福の科学側から論敵をうならせるような論理展開などは見たことがありません。
あるのは居直りとへ理屈ばかりなり(爆笑)
とくに、今回の種村さんの「真実を語る」によって、幸福の科学の弱点がまたひとつわかりました。
論理による批判には耐えられないということを。
かつて、『内村鑑三霊示集』のときと同様、大川の霊言や書籍類は、大川の妄想の上に構築されたものであるがゆえに、最初から知的営為で積み上げられたものでないから、間違いだらけなのです。
だから、真実の光を照射すれば、ごまかしがきかなくなるわけです。
いま、妄想鬼畜大川と幸福の科学は、固唾をのんで、この種村ブログを見ています。
反論しようにも論理での反論は不可能ですから成り行きを見守るしかありません。 『舎利弗の真実に迫る』18 ダイバダッタの可能性
http://bakaleo.diary.to/archives/12113215.html
かれらに残された唯一の打つ手は、種村さんの人格の全面否定をもって、この「真実を語る」を封じ込めようとするしかありません。
しかし、そうすれば、このブログを現役信者がたくさん見ていますし、種村さんの話のほうが筋が通ってると思っていますので、幸福の科学が種村批判をすればするほど、種村さんに心がなびいてしまうのです。
一部の狂信者を除いて。
これは、人間の心理を研究したことがある人には良くわかる法則なのです。
もはや、幸福の科学側の打つ手はありません。
かくも、種村さんに大川妄想本を論理的に攻められるとは思っていなかったでしょう。
妄想鬼畜大川が愛人との”薬”池肉林生活に耽溺して勉強しなくなり、もパトスだけで信者を支配していたからこうなってしまったのです。
それから種村さんは分派などという小さいことは考えていません。
大川と幸福の科学の撲滅・解体が強い願いなのですから。
もうどうあがいても無理だよ、大川クン
もう、おしまいです。
合掌、チーン。 『舎利弗の真実に迫る』講義19 タイプ論でみた大川隆法と種村偽守護霊
http://bakaleo.diary.to/archives/12114959.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_21.html
「種村偽守護霊 そうなんだよ。俺みたいな善人が出世せないかんのや。
だけど、『俺みたいな善人が出世しない』ということは、
『この教団が「悪の教団」だ』ということを意味している。
斎藤 つまり、自分が出世しないために、当会は『悪魔の教団』になったわけですか。
種村偽守護霊 そうそうそう。悪魔の教団だ。これはもう、文殊菩薩と意見が一致してるんだ。
(中略)だから、『そういう、立派な教えを広げたり、「智慧第一」と呼ばれたりしていた人が、
こんなにも不幸をかこっている』ということは、『この教団が悪魔に支配されている』いうことだ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P126〜P127)
<解説>
「教団の中で重要な役職が与えられなかったり、落ちこぼれたりすると、それを恨みに思って教団に敵対するようになります。
これが分派活動をする弟子に共通してある欲望です。
その奥にあるのは嫉妬心です。」
大川隆法氏が弟子を辞めさせたり、辞めた弟子を攻撃したりするときは、この論理を使います。
これは辞めた人を、無能な落ちこぼれということで全部ひっくるめて批判できるので大変便利な理論です。
それにしても、この種村偽守護霊の言い分はすごいです。
「自分はこれほど善人で素晴らしい人間なのに、その自分を認めず、出世させず、逆に追い出してしまう教団は『悪魔の教団』であり、自分への不当な仕打ちを見れば『この教団が悪魔に支配されている』ことが分かる」
とまで言わせています。
しかし私たちは、大川隆法氏がこれとそっくりの論理を使って、自己弁護しているのを知っています。
大川隆法氏は、これほど素晴らしい幸福の科学の思想が日本に広がらないのは、日本が宗教に偏見を持ち、悪魔に支配されている国だからだといいます。 『舎利弗の真実に迫る』講義19 タイプ論でみた大川隆法と種村偽守護霊
http://bakaleo.diary.to/archives/12114959.html
また衆院選挙に三百人も出て全員落選するのは、自分たちのことを正当に報道しないマスコミのせいだ、とマスコミを批判し、マスコミは悪魔に支配されていると糾弾します。
最後にこの国は悪魔に支配されていると断言します。
この二つを見比べると、論理の構造は瓜二つです。
「種村偽守護霊は大川隆法氏の意識の一部(魂の兄弟)である」という主張は、ここにも根拠を見出せるようです。
大川隆法氏は、世間が自分を認めてくれないので、自分で自分のことを「国師」と名乗ったり、「大救世主」と名乗ったりします。
仏陀であることに疑問を投げかけた種村批判の本書のあとがきには、「仏陀 大川隆法」と書いています。
つまり、自分を認めない存在が増えれば増えるほど、彼の自己宣伝は過剰になっていくのです。
だから最近では、大宇宙の根本仏と呼ばせているようですが、その背景には、会員の減少や総選挙での敗北など、マイナスの評価の増大があるのではないでしょうか。
大川隆法氏の自我は、ハイパーインフレーションを起こしています。
自我肥大です。
あまりにも自我が膨らみすぎて、宇宙神になりました。
これをエル・カンターレ信仰と言います。
ひるがえって私の思考形態はどうだろうかと反省しました。
私は大川隆法氏から「釈迦の一番弟子の舎利弗であり、イエスが最も愛した弟子の福音書のヨハネであり、禅宗の開祖の栄西であり、
密教を唐の国教にし、死んで後には空海の入唐求法を指導した不空三蔵であり、天上界ではゼウスの守護霊をしたこともあるアサートである」と言われてきました。
これは『黄金の法』等の基本書にも出てくる名前です。
私はかつてこれを全部信じていました。
信じたために、内心のプライドが高かったのは事実です。 『舎利弗の真実に迫る』講義19 タイプ論でみた大川隆法と種村偽守護霊
http://bakaleo.diary.to/archives/12114959.html
しかし、現実には教団を還俗し、社会に出ても今までやったことがない仕事をやってみて挫折をし、徹底的に自分の未熟さを見つめることになりました。
大川隆法氏を仏陀と信じていたので、過去世認定を疑うことなく、ひたすら今世の自分の出来の悪さを責めました。
そして絶望感と戦ってきました。
在家に戻って7年後ぐらいたったころでしょうか。
日光精舎に約10日間泊り込んで反省修行したとき、一人、礼拝室のエル・カンターレ像に向かって、魂から搾り出すような声で、次のようにお詫びをしたことがございました。
「仏陀よ、今世の私の出来の悪さをお許しください。
あなたから舎利弗であると過去世を明かして頂きながら、何らお役に立てない今世の未熟な私をお許しください。」
つまり私は徹底的に自分自身を責めるタイプなのです。
自分を認めない教団や世間を悪魔として責める「他罰的なタイプ」の人間ではなく、自分を責める「自罰的なタイプ」の人間なのです。
ですから、種村偽守護霊に語らせている言葉は、私の心境とは相当かけ離れています。
一方、大川隆法氏は、責任はすべて相手にあるとする「他罰的なタイプ」の方です。
それを一番感じたのは、大川きょう子さんへの批判を聞いたときです。
私も離婚していますが、幸福の科学の教えから言っても、また常識的に言っても、夫婦の責任は五分と五分のはずです。
相手が悪いと言っても、そういう相手に育てたのは自分です。
幸福の科学でもそう教えています。
しかし、大川隆法氏は、ご自分が当事者になると、全部妻のせいにされました。
そして、教団から追放した後も、「口臭が臭い」とか「便器の裏が汚れていた」とか、聞くに堪えない悪口を本に書き、さらに恐ろしい守護霊の言葉を本に出して人格攻撃をされます。 『舎利弗の真実に迫る』講義19 タイプ論でみた大川隆法と種村偽守護霊
http://bakaleo.diary.to/archives/12114959.html
信者全員に呪詛(「悪妻封印祈願」)までさせました。
これほどの極端な「他罰的なタイプ」は珍しいです。
大川隆法氏を知るある医師は「これはボーダーラインと呼ばれている人格障害の典型的な症状です」と言いました。
別の女性の会員さんは、「奥様を追放するだけでは満足されず、羽根をむしりとって、飛べないように半殺しにする行為を見て、信仰に疑問を感じ始めました」と悲しげにいわれました。
他罰より自罰の方がいいとは申しません。
どちらも極端であり、中道から外れています。
でも他罰的なタイプの種村偽守護霊と、自罰的なタイプの私の間には、大きな開きがあるという点だけは、申し上げたいと思います。
加えて、種村偽守護霊のタイプは大川隆法氏のタイプに酷似しているという事実は指摘させていただきたいと思います。 【支えてくれる人が欲しい】依存性人格障害の視点からL孤独が苦手
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8353076.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/09/blog-post_29.html
団体の猜疑心
そのためにある団体では、そこの職員を辞めた人や有力な会員に対して、過度に警戒するということが起きました。
その元職員や元会員に影響力があればあるほど、警戒してリサーチしていきます。
さらに、その元職員や元会員の影響力をそぐために、団体内でその人への批判や悪口を流します。
これはその人が団体を辞めたことで、団体への不信が出ることを恐れるからです。
さらにいうなら、その人がもしも団体への批判者に変わった時に、それに追随する人がでてくるのを恐れているからです。
ところが、その人が依存性人格障害があった場合には、いくら冷たくされても必死にしがみついて行こうとします。
そこでの人間関係や団体とのつながりを切実に求めている場合は、特にそうなります。
そして、つながりを保つための努力をするので、懸命に奉仕活動をする場合もあります。
やはりその奥には、切り離されて孤独になることへの恐れがあるのではないでしょうか。
その結果、その団体にいいように利用され、使われていくようになることがあります。
孤独になることがなぜそんなに怖いのか。
一人になることが、なぜそこまで不安なのでしょうか。
これは自分の心とじっくりと向き合って、孤独への恐怖心の奥に、どんなことを感じているのかを発見する必要があるように思います。 『舎利弗の真実に迫る』20 ダイバダッタを擁護する理由とは
http://bakaleo.diary.to/archives/12119060.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_1038.html
「種村偽守護霊 ・・・後世の人からは、『ダイバダッタは偉い人だった』っちゅううわさもあるんだよ。」
「『舎利弗の真実に迫る』P128」
「種村偽守護霊 『彼(ダイバダッタのこと)は真面目な方で、仏陀が初期に決めた五戒の教えをキッチリと守って、貧乏生活をしていた。
衣は一枚だけにして、お金は受け取らず、一切の欲を断ち、五戒を守って、真面目に精進しとった』ということをねえ、後の坊さんも言ってた。」
(『舎利弗の真実に迫る』P128)
「種村偽守護霊 (釈尊に対して)あれは特別食を食って、太ったのよ。
(中略)ダイバダッタは、それを『堕落だ』と言った。」
(『舎利弗の真実に迫る』P129)
「種村偽守護霊 やっぱり、『初心、忘るべからず』で、食べず、もらわず、質素に生活する。
これは、君ね、今の仏教学者にも支持している人が多いんだよ。
『ダイバダッタは、実は真実の人だったのだ。誠実な人だったのではないか』というふうにね。」
(『舎利弗の真実に迫る』P129)
「種村偽守護霊 仏陀が、・・・娼婦のアンバパーリだとか、あんなやつらからお布施をもらったり
接待されたりするっちゅうのは、これはもうイエスと一緒で、完璧に堕落しよったわけよ。
(中略)だから、堕落はいけない。
やっぱり『初心貫徹』で、要するに、西荻時代の教団を貫徹すべきだったのね。うん。
里村 今の言葉は、『シャーリプトラの言葉』ではなくて、完全に『ダイバダッタの言葉』のようですね。」
(『舎利弗の真実に迫る』P130) 『舎利弗の真実に迫る』20 ダイバダッタを擁護する理由とは
http://bakaleo.diary.to/archives/12119060.html
<解説>
少し長い引用になりましたが、この本でダイバダッタ擁護・礼賛が如何に熱意を込めてなされているか。
そしてダイバダッタの論理によって仏陀が誹謗されれているか、よく分かる部分です。
「種村=ダイバダッタ的な人物」という印象操作がなされています。
これは私への誹謗中傷ですし、真の仏陀に対してこういう失礼なことをいうと言うのは、あり得ないことです。
ただし、そういうことにして、私を貶めたいのが大川隆法氏の狙いでしょうから、それはそれとして彼の気持ちは理解出来ます。
しかし、この本のP246には大川・舎利弗の言葉として、
「私は、『ダイバダッタそのものは、もともと、仏弟子としての素質がそうずっと悪かった』とは思いません。」
と言ったダイバダッタ擁護をしている箇所とあわせて読むと、この本全体としてダイバダッタを擁護したい、復権させたいという底意が潜んでいるのを感じます。
『舎利弗の真実に迫る』講義18 で、私は大川隆法氏の過去世が真のダイバダッタなのではないかという可能性を示唆しました。
私はこの講義で繰り返しさまざまな角度から、種村偽守護霊も大川・舎利弗も大川隆法氏の意識であることを実証的に論じてきましたが、彼らがダイバダッタを熱心に擁護しているということの理由は、まさに彼がダイバダッタと密接な意識であるからではないのでしょうか。 エロバカンターレの不幸の科学なんかに騙されるなよw
局長・理事クラスには月額百万円以上を支給されているようです。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12211666753.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_4551.html
お金に執着しているのは大川隆法氏です。
なぜこんなにお金集めに奔走されるのでしょうか。
ご自分の見栄で拡大する事業欲を抑え、大悟館で使うお金を削減されたら、もっとロー・コストで経営できるはずです。
人が来ないところに建物を建てすぎておられます。
大川隆法氏も一つが二千万円もする腕時計を、両腕につけて講演するような、恥ずかしい真似は二度とされないで下さい。
また理事を大量生産されていますが、局長・理事クラスには月額百万円以上を支給されているようです。
こうした人件費のバラまきをおやめください。
もともと宗教法人の職員というのは、それほど高給取りになってはいけないのです。
なぜなら信者の皆様のお布施で生活しているからです。
信者さんの中には理事・局長さんたちの数分の一という人が数多くいらっしゃいます。
この方々は、爪に火をともすようにして生活を切り詰めたなかから、人類のお役に立つなら、仏陀のお役に立つならと、布施をされているのです。
大川隆法氏は、信者は老後の心配は要らない、適当な時期にあの世に引き上げてもらえるという説法をされたこともありますね。
これを信じた人は、老後の蓄えまで切り崩されています。
私はこうした人々が気の毒でなりません。
教団は彼らを助けてくれないからです。
私は大川隆法氏と教団の犠牲者が少しでも少なくなるように、勇気を持って裁判に立ち上がってくださった方々に、深い敬意を捧げます。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 局長・理事クラスには月額百万円以上を支給されているようです。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12211666753.html
信者さんの中には、納骨壇を拝受し、HSしか墓地のない方々も大勢居る筈です。
このままの流れで教祖逮捕、教団崩壊となれば、救済不能となるでしょう。
そうなる可能性が非常に高いですが。
教祖があの状態で堕落し切っておりますので、まず、救済力は全くないでしょう。
最早、祈願、研修など、詐欺以外の何ものでもありません。
これ以上、被害者を増やしてはいけない、と固く決意し、私も退会届を提出しました。
邪教を支えてはなりません。
騙されてもいけません。
即刻、植福の会を全口解約し、退会届の提出を!! 局長・理事クラスには月額百万円以上を支給されているようです。
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12211666753.html
ORは軽井沢で 「セックスは天国で光を入れるのと同じ」 という
セックス教義を女性職員達に語っていた。
幸福の科学内部の地位が死後の世界の上下を決めるらしいので(笑)
ORにガードされて出世している女性達は 幸福の科学的に「悟りが高い」と言う事になります。
実際、ORは97年の軽井沢で宗務の女性職員達に 「セックスによって光が入る。」 という趣旨の講義 (つか新幸福の科学教義)を語っていますので。
この幸福の科学理論に沿えば、 ORとセックスした女性は 霊格が向上=悟りが向上 と言う事になります。
・ORは女性職員に「君は僕の子供を産む事になっている」と迫っている。
・従ってORに隠し子情報が出てくるのも不自然でも何でもない。
ORに隠し子がいるという情報あり。 ただし母親は未確定。
・ 変死を遂げた元幹部の真杉氏は、ORの愛人の存在(YMより前)を 周囲に語って左遷され、結局職員を解雇された。
・ ORは軽井沢で 「セックスは天国で光を入れるのと同じ」 というセックス教義を女性職員達に語っていた。
・YMは「先生は性欲の抑えが効かなくなって・・・」とファルコンに嘆いていた。
ORはきょう子との別居時、女性職員とすぐに二人きりになろうとしていて、 女性職員達が怖がっていたとYMは嘆いていた。 ORとレプオに共通する異常人格☆『僕こそ、一番なのだぁ!!』症候群
http://ameblo.jp/an9ue2nfb/entry-12211689238.html
まあ、この二人ね、そっくりですね。
母星が同じなんでしょう。
根性が腐り切ってますね。
病的な自惚れなんですよ。
自分が一番賢いと信じ込んでいる。
その割に、ちょこちょことズッコケるのですが、
そういう反省点は、絶対見ないんです。
本当に賢い人は、反省点をこそしっかり把握して
同じミスをしないのです。
しかし、「二匹のバカボン」は延々と、同じミスを繰り返します。
今迄のようにこれからも、遥か未来まで輪廻しながら
「俺は一番だ」 「俺は優秀だ」 「俺は最高だ」
永遠にトチ狂い続けることでしょう。
バカは永久に、バカなのだ・・・。
BON BON BAKABON BAKA BON BON 『舎利弗の真実に迫る』講義22 簡単に見破れます
http://bakaleo.diary.to/archives/12137532.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_8807.html
「里村 そうやって、大変な恩義のある総裁先生に対して・・・。
種村偽守護霊 いや、恩義はない!
わしが、あの三百三十万教団の遺伝子を入れたからこそ、
幸福の科学は、今、世界宗教へと向かってるんじゃないか。」
(『舎利弗の真実に迫る』P134)
<解説>
どうしてこういう言葉が出てくるのか、すごく不思議に思いました。
私は別に生長の家の遺伝子を、幸福の科学の経営に持ち込んだわけではありません。
編集部の仕事だけは、生長の家時代からの培ったものがありましたから、一部それを使いもしましたが、ほとんどは高名な一般紙の編集長の手法を学んだりしながら改良していったもので、生長の家の遺伝子はごく一部でしかありませんでした。
編集部は、その後大きく変わっていますので、痕跡があるとは思えません。
大川隆法氏に恩義を感じていないというのも、事実ではありません。
数々の場面で霊的にもこの世的にも助けて頂いたり、守っていただいた事を感謝しておりますし、なによりも初期のころの目の覚めるような法を説いてくださったことにはとても感謝しておりました。
しかしながら、それも私自身が錯覚していた愚かさの証明であったのかもしれないと、深く反省する必要を感じ始めております。
私には、自分が情熱を持って費やした日々をよきものであったと思いたいという気持ちがあります。 『舎利弗の真実に迫る』講義22 簡単に見破れます
http://bakaleo.diary.to/archives/12137532.html
その気持ちは、大川隆法氏もいいところもあったと思いたい気持ちへとつながります。
しかし、今の段階では、たとえそうした面が一時期あっても、それを言うことが、もはや害にしかならないのではないかという不安を感じ始めています。
それだけ大川隆法氏と幸福の科学の異常性の度合いが深刻化していると感じているからです。
もっと早くにそれに気がつかなかった無明は、人から責められてもしかたがないと反省しております。
私はエル・カンターレの弟子として、信者として一生を送らせていただければ、それで満足だと思って、日々「正心法語」を全部読ませていただき、周に一度は幸福実現党のために街頭演説を有志の会員さんを誘って行うという生活を、1、2年前まで行ってきたのです。
深く洗脳されていたといわれればそれまでですが、私はある意味で馬鹿がつくような真面目さが取柄の人間なのです。
馬鹿でしたので、多くの人々に大川隆法氏を信仰するように勧めてしまいました。
この点は深く反省します。
種村守護霊を騙るにしても、もう少し私らしいことを言わせられたらいかがでしょうか。
私は生長の家にいたことを、そんなに大げさに自慢したり、恩着せがましく言ったことは一度もありません。
これでは私が、「これは私の守護霊ではない」とあまりにも簡単に見破ってしまうではありませんか。 『舎利弗の真実に迫る』講義23 大川隆法氏の猜疑心
http://bakaleo.diary.to/archives/12143096.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_22.html
「斎藤 では、あなたは教祖になりたいのですか。
種村偽守護霊 教祖ですよ。もちろんです。だから、今、ここの嫁さんだか元嫁さんだか知らんけど、あれが教祖になろうとして撃退されとるんだろう?
里村 そうです。
種村偽守護霊 だから、俺が力を貸してやって、何とか乗っ取りを成功させてやろうとしているんじゃないの。」
(『舎利弗の真実に迫る』P136)
<解説>
これは、私が幸福の科学教団の教祖になりたいと言わせています。
こうなると大川隆法氏の妄想としか言いようがありません。
そういえば大川きょう子氏も二代目の教祖になりたがっているとして、排除されました。
教祖の地位というのは、大川隆法氏の立場です。
つまり大川隆法氏は私が彼の地位を狙っていると言わせているわけです。
妄想と言うしかありません。
ここで教祖になりたいというのは、教団財産が欲しいと言っているのと同じ意味で使っているようです。
教団財産への固執は大川隆法氏であって、私ではありません。
前にも書きましたが、教祖になるというのは、大川隆法氏の願望であり、宗教から世界を支配するという野望をお持ちだと思います。
大川隆法氏は、自分の座を誰かに狙われないかと、常に猜疑心をつのらせている人物です。
ものすごく猜疑心が強いです。
ですから、部下の中に自分より評判が高くなる人間が出たり、経歴が自分より高い人間がいると、常に猜疑心を持ちながら、同時にそれに嫉妬して、排除していくか意地の悪い人事異動を繰り返して、自分への忠誠心をとことん試していきます。
こういう猜疑心の強い大川隆法氏だからこそ、はむかうものが出ると、自分の座を狙っているのではないかと疑うのでしょう。
それが「教祖になりたい」と種村偽守護霊に言わせている理由だと思います。 『舎利弗の真実に迫る』講義23 大川隆法氏の猜疑心
http://bakaleo.diary.to/archives/12143096.html
私は大きな組織を運営していくタイプの人間ではないと思っています。
そういう立場は、私には合わないし、万一そういう立場に立たされても、私は幸せではないと思います。
ですから、大川隆法氏の勘ぐりは残念ながら、はずれです。
弁護士の先生の仲介で、今年にはいって3度、大川きょう子さんと顔を合わせたことがあります。
その時にきょう子さんにお話を伺いました。
彼女の今の生活の基盤は、キリスト教会や東北でのボランティア仲間におありだと伺いました。
彼女は、「幸福の科学と縁を切ったからこそ、世間の信用が得られた」と力説されていました。
また、「自分のような立場のものを受け入れてくださった教会の先生は裏切れない」と言っておられました。
これは、「幸福の科学とは縁を切る。もう教団には戻らない」という意味です。
だから、教団の教祖を狙っているというのも嘘ですし、ましてそれを私が支援することもあり得ません。
こういうことを、正しい意味で「事実無根」と言うのです。 『舎利弗の真実に迫る』講義23 大川隆法氏の猜疑心
http://bakaleo.diary.to/archives/12143096.html
「大川隆法氏の猜疑心」、まさにそのとおりだと思います。
長年、大川のそばで、大川の人となりを見る機会が多かったのですが、大川の発する言葉は悪口ばかりでした。
人への悪口を聞くのが仕事みたいなものでしたが(笑)
その分、私がいないときは私の悪口をいっていると十分に想像ができますが・・・
なぜ、宇宙根源の神仏であると自称する大川が、かくも、正語ができないのかといえば、種村さんご指摘のとおり、猜疑心の塊だからだと思います。
正見すらできていないからですね(爆笑)
とにかく疑り深いし、人の話を信用しない。
自分が都合が悪くなると、周囲にあたりちらし、人のせいにする。
そしてとどめは,だれそれに魔が入ったからだと言い訳ばかりする。
これらは、小さい頃からの劣等感による心の歪みでしょうね。
小さい頃から、賢兄愚弟といわれてましたし、東大では開学以来の落ちこぼれでしたし、商社時代はOLにも馬鹿にされる実務能力でしたし、
さらに、幸福の科学では、弟子たちの圧倒的な能力には舌をまくしかありませんでしたから、大川自身の心のバランスをとるためには、悪口三昧で溜飲を下げるしかなかったのでしょう。
とくに職員の中では、種村さんに一番脅威を抱いていたでしょう。
なぜなら、大川の教祖としての権威の源泉は、霊能力と教化力=教えを説く能力ですが、前者はそれがないことを多くの職員に見破られていましたから、残された後者でかろうじて権威を保たねばなりません。
しかし、96、7年の宇都宮移転以降から、愛人との耽溺生活に入りましたから、大川の唯一のとりえの勉強すらしなくなった。 『舎利弗の真実に迫る』講義23 大川隆法氏の猜疑心
http://bakaleo.diary.to/archives/12143096.html
しかるに、種村さんは、こつこつと勉学に励みましたし、職員の中で最も人気ある講師になりましたから、大川にとっては脅威の存在になってしまいました。
いつか、取って代わられたらという猜疑心が芽生えたのです。
そこで、大川の打った手は、種村さんの強制還俗。
目の上のたんこぶをとったわけですね。
それで、今回の週刊文春による種村さんの告発は、大川自身の恐怖心と猜疑心が再現した形となって、「乗っ取り」をたくらんでいるとなったわけですね。
もう、これは大川の妄想によって、脳乱してしまったと見るべきで、救いようがないレベルに至っています。
こんな荒唐無稽なことしか考えられない大川を教祖と仰ぐ信者さん、はやく目を覚ましましょうね。
最後に、この種村ブログ「真実を語る」と、こころけんブログを同一視して、混同していろいろ言う人がおりますが、それぞれが戦略的目的が違うのですから一緒くたに考えますと、ことの真相はわからなくなりますよ。
幸福の科学の大混乱はそこにあるのですから(爆笑) 『舎利弗の真実に迫る』講義24 除名の権限
http://bakaleo.diary.to/archives/12145049.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_5459.html
「種村偽守護霊 おまえ(里村)が除名したからだよ。
里村 ええ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P137)
ここでは広報局長の里村英一氏が、私の除名処分を決定したことになっています。
宗教的には除名とは、破門と同じく、霊的な関係をたちききり、特に師と弟子の関係を断ち切ることを意味します。
そういうことを、大川隆法氏以外の人間が出来るわけがありません。
そんなことが出来たら、その人が実質的な教祖です。
ですから、本書のこの部分は、大川隆法氏が自分の決定を、部下の決定に見せかけて、責任逃れをしていることを証明しています。
こういう細かな細工を見ると、大川隆法氏がいかに責任の矢面に立つことを恐れる小心で気が小さい人物であるかが分かります。
ちなみに里村氏が、「ええ」とそれを肯定しています。
ここに事前打ち合わせで、その時に描かれたシナリオがあって、それにそってこの霊言が進んでいることを、垣間見せています。
大川隆法氏は、躁的な状態の時には大言壮語して攻撃的ですが、うつ状態に入ると、怯えて何も出来ないような心理状態になる と、宗務の方から伺ったことがあります。
大川隆法氏は本質的に気が小さい。
これは彼を理解する上でのキーワードです。
臆病で気が小さい人は、心臓病になりやすいのです。 『舎利弗の真実に迫る』講義25 大川きょう子婦人との関係
http://bakaleo.diary.to/archives/12154127.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_7873.html
「里村 そうすると、今、大川総裁の元夫人のほうが『みちのく衛生の会』を続けるつもりで、
例えば、『あなたを事務局長に雇ってあげよう』というような話があるのではないですか。
種村偽守護霊 いや、『理事長に』という話も、まあ、ないわけではないな。うん。」
(『舎利弗の真実に迫る』P139)
<解説>
これも正真正銘の事実無根なので、私も聞いたことがない話で、この本で知ったびっくりした(笑)という空想物語です。
大川隆法氏ももちろんそんなことは先刻承知のはずです。
それではなぜこんなすぐ見破られる嘘話を入れたか。
これはその意図を考えると、一つ考えられることがあります「理事長」というのは、この「みちのく衛生の会」のトップではないのでしょうか。
そすると種村はトップになりたがっているのだと言う情報を流すことで、大川きょう子さんに疑心暗鬼を生じさせ、種村と大川きょう子さんの関係を断ち切るための情報操作ではなかろうかと思うのです。
でももともとない関係を切ることも出来ませんので、まあ予防策でしょうか。
もう一つ考えられることがあります。 『舎利弗の真実に迫る』講義25 大川きょう子婦人との関係
http://bakaleo.diary.to/archives/12154127.html
大川きょう子さんは、幸福の科学ではすでに裏切りのユダとされ、信者はそう信じ込まされています。
この人と共同事業をする利害関係でつながっているとなると、それだけで幸福の科学の信者は種村修を信用しなくなります。
大川きょう子氏とつながりがあるという事は、幸福の科学では最大の信用失墜となるのです。
ですから、種村修は裏切りのユダとつながっている人間だから、一切信用するなというメッセージを、ここで発信しているのだと思います。
要するに幸福の科学の会員向けのメッセージです。
教団の外部の人にはわかりにくいのですが、大川きょう子氏と密接につながっていることを示唆するだけで、相手の信用を失墜させることができるという、そういう空気が幸福の科学のなかにはあるのです。 【ノーと言えない理由】依存性人格障害の視点からM断れない
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8379782.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html
利用されやすい
依存性人格障害の人は、人から頼まれたり、頼られると「断るのが苦手」という特徴があります。
人からの要求にはっきりとした「拒否ができない」のです。
不本意な要求でも、断れなくて受け入れます。
なぜそうなるかというと、その人自身が「人に頼らないと生きていけないと思っている」からです。
私も嫌な思いをしながらも相手に合せていた時期を反省すると、「自分一人でやっていくのは難しいので、嫌なんだけど、ここは従うしかない」と思っていました。
それが、本来ならそこで主張すべきことをきちんと言い得ない弱さとなりました。
人に依存した状態は、「もし断ると自分が見放されたり、嫌われるのではないか」と恐れるので、断るべき正当な理由があっても断るのは怖くてできません。
するといろんな仕事や役割を押し付けられて、いいように人に利用されるということも生じやすくなります。
依存性人格障害の人は、 「自信を持って、はっきりとした態度をとる人に対して、心理的に屈服し、畏怖を感じ、一見確固とした存在にうまく利用されてしまう」 という傾向があります。
そのため自信もって断定的に語る詐欺師に騙されたり、強引な主張をする団体に利用されて多額の布施をしてしまうことが起きがちです。 【ノーと言えない理由】依存性人格障害の視点からM断れない
http://ninnninnninnjyatai.livedoor.biz/archives/8379782.html
自信がない
依存する理由は、自分に自信がないからです。
自信がないと、人からの評価にも依存するようになります。
その結果、周りの評価に振り回されるようになりがちです。
こういう時は、褒められたことよりも、けなされたことばかりが記憶にこびりついて、「やっぱり自分は劣っている」という思い込みを持ちやすくなります。
これはうつ状態でもよく経験します。
自分への評価が低い人で、障害を回避する傾向を持つ場合は回避性人格障害とよばれ、「他人に執着し、必死にしがみつく」場合は依存性人格障害といわれます。
自分に自信がないときは、回避か依存のどちらかに傾きやすいものです。
自信がなくて占いや霊の言葉に極端に依存してしまって、人生が大きな振幅を示すようなときには、これは依存性人格障害の可能性があります。
自信がないのでチャレンジができず引きこもってしまう時は、回避性人格障害の可能性が高いと言えるでしょう。
こういう自分に気がついたならば、どうしてそんなに自信が持ってないのか、その原因を静かに振り返ることから始める必要があると思います。 『舎利弗の真実に迫る』講義26 私の還俗の原因?
http://bakaleo.diary.to/archives/12158065.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/blog-post_8113.html
「種村偽守護霊 これが生長の家だと、『地方に異動した場合は左遷』ということに決まっているから、抵抗したわけよ。
だから、最初に大川総裁から数名呼ばれて、『宇都宮へ行け』と言われたときには、拒否して、抵抗しましたよ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P142)
<解説>
該当する事実がありません。
私は総裁から個人的に呼ばれて、総本山が出来るに際しては私が講師としていく候補になっていると告げられていました。
それは名誉なこととして、お話があったと記憶しています。
それで私はそのつもりで心待ちにして待っていました。
しかし、結果的には滋賀の支部長として赴任するように辞令が降りたのです。
そのまえに、総裁ご夫妻がわざわざ研修施設にこられて、創価学会との言論戦の影響が残っているので、波動を切り替えるようにとのアドバイスを頂きました。
阿修羅の影響が残っていたようです。
それが十分に切り替わらなかったので、まず滋賀支部で英気を養えということだなと理解して、故郷の滋賀に喜んで赴任しました。
滋賀は琵琶湖がありましたので、平静心を養うには最適の場所でした。
正心館に呼ばれたのは、その後で、滋賀支部長としての赴任期間は半年もなかったと記憶しています。
したがって、宇都宮に行くのを嫌がって拒否して、抵抗をしたという事実はありません。
宇都宮を田舎だというなら、滋賀はもっと東京から遠い田舎でしょう。
ですから、どうしてこういう話が大川隆法氏の頭から出てくるのか、私には理解が出来ません。 『舎利弗の真実に迫る』講義26 私の還俗の原因?
http://bakaleo.diary.to/archives/12158065.html
「種村偽守護霊 『宇都宮くんだりに送られたら、もうタヌキと一緒に住まなきゃいかん』っちゅうんで、抵抗した。
当然、あんな所に本山が出来るなんて、もうほんまに思わなかったけど、あっちに住んじゃったら、今度は、『中部本部長で行け』と言われて、
それにも抵抗して、反対して、『行かない』っちゅって拒否したら、クビにされちゃったんで、びっくりしちゃった。」
(『舎利弗の真実に迫る』P142)
<解説>
該当する事実はありません。
別に抵抗した覚えはありません。
もっとも大川隆法氏なら、「私の守護霊が抵抗した」主張する可能性はありますが、それが本当に私の守護霊である可能性は、この本を見る限りやはりゼロだと思います。
この本によると、私が還俗した理由は「中部本部へ行け」という辞令を拒否したためということになります。
初耳です。
私が聞いたことがない還俗理由が、守護霊はわかるということなのでしょうか。
非常に不思議ですね。
ということで、この本は本当に杜撰な内容だと思います。
こういうものをまずDVD で支部や精舎で数千円も出してみせられる会員さんも気の毒です。
この本を買わされた方も本当にお気の毒に思います。
それにしてもこの偽守護霊の発音は、私には無縁のものです。
「っちゅって」「ぅちゅうんで」などと言う表現は,私は使わないです。
守護霊だというなら、たまにはこういう言い回しを私がしてもよさそうですが、ゼロです。
完全な捏造です。
これはひょっとして徳島弁ですか? 『舎利弗の真実に迫る』講義27 大川隆法との決別宣言
http://bakaleo.diary.to/archives/12174312.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/07/27-p143-p144-30-p214-4-4.html
「種村偽守護霊 わしは先生であって、幸福の科学を教えるのが仕事だったわけだから、幸福の科学に教えられるっていう仕事はないわけよ。
里村 つまり、生長の家の信仰を全然捨てていなかったんですね。
種村偽守護霊 うん。そう。人間、二つはね、学べないのよ。」
(『舎利弗の真実に迫る』P143〜P144)
<解説>
これも私の考えではないですね。
「幸福の科学を教えるのが仕事」というのですが、私にそういう仕事はなかったと思います。
生長の家には、私は二十代に数年間いただけですから、そんな大きなことがいえるはずがありません。
宗教団体の雰囲気を知っていたという面では、多少のお役に立てた面はあるかもしれません。
生長の家では編集の仕事しかしていませんので、それ以外で教えるのは難しいですね。
むしろ幸福の科学でいろんな仕事を経験させて頂いたというのが真実です。
「人間二つのことは学べない」と言わせていますが、幸福の科学できちんと学ぶことが出来なかったから、今こうして大川隆法氏を批判しているのだと、こういいたいのだろうと思います。
しかし、それが事実でないことは、初期からの職員や会員さんはよくご存知のはずです。
客観的な事実として、私は幸福の科学ではもっとも熱心に教義を勉強する人間として有名でした。
また職員に対する論文の採点は初期のころは大川隆法氏がされていましたが、常に上位にいたことは、初期の職員なら誰でも知っていることです。
30歳から幸福の科学を学び始めて、それが全く頭に入らないということは、常識的にも医学的にもあり得ないことです。
つまり、無理に無理を重ねて、それでもこれを敢えてこう言わせねばならなかった理由というものがあるわけです。
生長の家が抜けないから批判しているのであって、批判している事実そのものが、幸福の科学の教えが頭に入らなかった証拠だと、こう言いたいのだと思います。 『舎利弗の真実に迫る』講義27 大川隆法との決別宣言
http://bakaleo.diary.to/archives/12174312.html
しかし、私は大川隆法氏から学んだ教えに基いて、大川隆法氏の行いを批判しているのです。
例えば、女性問題。
これは執着を断つという仏教の根幹の教え、反省の教えに反しています。
その事実を指摘されると、事実無根と言って自分が執着にまみれていることを隠そうとするのは、悟りを偽る大妄語です。
これは無間地獄に堕ちる因となります。
これは八正道の正語の教えから来ています。
また、幸福の科学において行われている布施が、大川隆法氏の穢れにより、受者の穢れが発生して、三輪清浄が成り立たなくなったので、功徳はなく無効であるという主張は、『仏陀の証明』に基いています。
私があえて大川隆法氏が隠していることを表に出すのは、『不滅の法』の実践でもあります。
『不滅の法』のP214にはこう書かれています。
「どうか強くあってください。
真実を求めてください。
真実を追求し、探究し、実践する勇気を持ってください。
真実を隠蔽するものに対して弱くあってはなりません。
勇気もまた徳の一部です。
智慧もあり、勇気もあり、行動力もある人間になっていただきたいのです。
後に来る人々のために道を切り拓くことをもって、各人の使命としていただきたいと思います。」 『舎利弗の真実に迫る』講義27 大川隆法との決別宣言
http://bakaleo.diary.to/archives/12174312.html
だから、私は一縷の望みを託して、4月4日に大川隆法氏に手紙(週刊文春に一部掲載されました)を書いて投函したのです。
しかし、その結果は「除名」でした。
つまり、大川隆法氏は「真実は明らかにせよ。ただし大川隆法の真実は除く」ということなのでしょう。
しかし、と私は言います。
「真実は真実。真実は絶対に死なない」という教えは真理です。
だから、嘘によって自分のこの世的な立場を守ろうとする大川隆法氏と教団は滅びざるを得ないと確信しているのです。
以上の説明により、私が生長の家の教えに留まっているので大川隆法氏を批判しているのではなく、幸福の科学で学んだことに基いて批判していることが分かって頂けると思います。
大川隆法氏の教えから、私自身の思想へと脱皮していくのは、やはり時間をかける必要があると思います。
一連の私の行動は、大川隆法氏との決別宣言です。 (投稿)最近のK会に想う
http://bakaleo.diary.to/archives/12175035.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/10/blog-post_12.html
書店を見て思うこと
久しぶりに大型の書店に行く機会があり、時間もあったので、最近は足が遠のいていた「宗教書コーナー」に足を運びました。
規模が大きいだけあって、K会の本も、ある程度は置いてありました。
最近はどんな本を出しているのか少し興味があったので、少しのぞいてみました。
昔のような思想本は全く無く、最近出版したと思われる霊言の類の本が占めていました。
K会の思想本の類は売れないということが店側でわかったのか、一斉に返本してしまったのでしょうか。
霊言の本のタイトルだけを見ると、その内容の無さに、つい失笑してしまいました。
それと同時に、完全に思想性を捨ててしまったことを、とても残念に思いました。
そして、前に、K会の指導者が、「世の中のニーズに合わせたものを出さないと・・」と言っていたのを思い出しました。
確かに、最近出している本を見てみると、ニーズに合わせた出し方をしているなということは納得できます。
しかし、確かに本の販売は見込めるかもしれませんが、それでは世の中を救世するだけの力には決してなり得ないでしょう。
救世運動とは、世の中のニーズに合わせることではなく、世の中にニーズを超えた、新たな価値観を創っていくものであると思うからです。
救世の主体媒体である書籍が、このような状況ですから、すでに救世活動の本道からは、大きく逸脱してしまったと感じました。
救世運動よりも、自らが生き残るために、必死にもがいている姿。
そんな感じを、書棚に並べられた書籍を見て感じました。
そして、こんな状態になってしまったK会を、とても、とても悲しく思いました。
もはや、この団体に、繁栄の道はないでしょう。
自らが語った「縁起の理法」に忠実に従って歩んでいるということに、彼らは気付いていないのでしょう。
そして、彼らが行く先を、私達は、哀しみの目でもって見守らねばなりません。
どうか、彼らの縁ある方々に幸あれ。
以前に縁のあった存在として、そう祈らずにはいられません。 【何故K教団は控訴したのか】週刊文春対K教団の名誉棄損裁判について@
http://bakaleo.diary.to/archives/12175479.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/11/blog-post_13.html
隠していた教団の敗訴
最近私の手元に、文芸春秋社の弁護士から書類が送られてきました。
開封してみると、K教団が文芸春秋と私に対して起こしていた裁判(週刊文春の記事に対する名誉棄損裁判)で、K教団が東京高等裁判所に控訴したことを示す「控訴状」が入っていました。
私はこの裁判は、K教団の広報局が発表していたものには全面的に彼らが勝利したように書いていたので、非常に不思議な気持ちがしました。
控訴というのは、判決が不服であるからするわけです。
負けた側がするのであって、勝っていれば控訴はしません。
実はこの裁判は、異なる二つの裁判をひとくくりにして行われていました。
一つは、K教団が文芸春秋と私に対して起こした名誉棄損の裁判です。
もう一つは、K教団の女性職員が私個人に対して起こした名誉棄損の裁判です。
前者は週刊文春の記事に対するものですが、後者は私が別の裁判で提出した陳述書に対して訴えたものです。
東京地裁の判決では、K教団の名誉棄損の訴えはすべて退けられました。
つまり教団としては完全敗訴です。
だから、この度、控訴してきたのです。
ところが教団職員が私の陳述書に対して起こした名誉棄損は、私のほうに不利な判決が出ました。
もちろん、これに対しては控訴の手続きをすでにとっております。
K会の広報局の見解を見ると、教団が敗北していた事実は完全に伏せて、自分たちに有利なところだけを意図的にPRしていることがわかります。
この裁判には、驚くようなことがありました。
それは次回に報告します。 【証人喚問を拒否したK教団 】週刊文春対K教団の名誉棄損裁判についてA
http://bakaleo.diary.to/archives/12175934.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/11/blog-post_14.html
今回の記事を読んで、K教団の裁判での対応に疑問を感じております。
私も複数の裁判経験がありますが、『陳述書にサインまでした人の証人喚問を、それを提出したK教団が、裁判所の指示がありながら拒否する』ということは、普通考えられません。
ましてや、『正しい心を教える宗教法人』がそういう態度をとるとは。
私が経験した裁判で、相手側の証人が、「虚偽内容の陳述書」を提出して、証人喚問でも同様に虚偽内容を話したことがありますが、その時の判決文には、
「陳述に信用性が無い」とまで書かれ、相手側の請求棄却になっています。
普通の弁護士でしたら、これくらいのことは判るでしょうから、K教団側の弁護士もこのような判断をしたとしても不思議ではないと思います。
K教団のホームページには、教団の勝訴との記載がありますが、『勝訴したと言っているのに、控訴する』のも、これまた不思議なことです。
K教団には、『正しい心を持って、社会に接して欲しい』ものであると切に願っております。 【証人喚問を拒否したK教団 】週刊文春対K教団の名誉棄損裁判についてA
http://bakaleo.diary.to/archives/12175934.html
最重要証人を出せない教団 (前回の続き)
週刊文春の記事は、私が個人的に話を聞いた元総裁秘書(Aさんと呼ばせていただきます)の体験が中心でした。
私は1999年の12月にAさんの自宅に呼ばれて、Aさんから直接話を聞きました。
ご主人が最初はご一緒されましたが、話の途中で中座され、そこからAさんの告白が始まりました。
さて、東京地裁では、K教団側は、Aさんの「陳述書」なるものを提出してきました。
そこには、ワープロでこう書かれています。
「週刊文春本年7月19日号の記事で、『大川隆法総裁の元女性秘書のAさん』と書かれていますが、私は、種村修さんに、この記事に書かれているような話をしたことはまったくありません。
もちろん、そこに書かれている出来事についても、私の体験談ではありません。」
日付は2012年7月20日になっていて、7と20だけが手書きです。
さらに名前は手書きです。
K教団の説明では、ある職員がAさんと話しをして確かめた際に、ワープロ部分を教団側の人間が書いて、そこにサインをしてもらったことになっていました。
不思議なことに、この裁判で最も重要な陳述書にも関わらず、この陳述書には住所も印鑑もありません。
確かに本人が書いたと証明できるものが、何一つ添付されていません。
さらに本文は本人が書いたものではなく、教団側が用意した文章であると裁判で認めてます。
証人喚問の時のことです。
裁判所はAさんを証人として呼ぶように命じました。
ところが、K教団はAさんを証人に出すことをかたくなに拒んだのです。 【証人喚問を拒否したK教団 】週刊文春対K教団の名誉棄損裁判についてA
http://bakaleo.diary.to/archives/12175934.html
裁判所の呼び出しの通知書をご本人に送る事すら拒否しました。
理由は、Aさんの住所は明らかにできない、というものでした。
それなら、K教団からAさんに通知書だけでも手渡して、本人の意向を確認すればいいと思うのですが、それも教団は行いませんでした。
結局、証人喚問にAさんは出てきませんでした。
ちなみに、文芸春秋と私の側の弁護士はAさんの出廷を強く求め、粘り強く何度も交渉しました。
しかし、K教団はかたくなに拒み通しました。
Aさんがもし本当にこの陳述書にサインをしたのなら、本人を証人として呼べば、完全勝利するはずです。
それほどK教団にとって決定的に有利な陳述書なのです。
にもかかわらず、Aさんの証言をこばんだのがK教団側でした。
これは何を意味するのか?
これは何を意味しているのでしょうか。
私はこの陳述書はK教団が自作したものであるのではと思います。
Aさんを証人に出すわけにはいかなかったのだと思います。
Aさんが私に話した内容を、話していないという内容の陳述ですから、そんなものをAさんが書くはずがありません。
だからK教団側が自作するしかなかったと、私は思います。
もちろん、K教団が用意していた文章に、無理やりサインだけさせたということも考えられなくはありません。 【証人喚問を拒否したK教団 】週刊文春対K教団の名誉棄損裁判についてA
http://bakaleo.diary.to/archives/12175934.html
その場合、Aさんが法廷に出てくれば、この陳述書の嘘はすぐにばれますから、教団はぜったいにAさんを法廷に出すわけにはいかなかったでしょう。
私は、本当は週刊誌の記事が出る前にAさんに会って記憶を確認するだけでなく、記事が出ることの承諾を得たいと思っていました。
そこで記事が出る前に、かつて伺ったご自宅のマンションを懸命に探しました。
週刊文春の記者と私とSさんの3人でようやく探し当てたマンションには、すでにAさんは住んでいませんでした。
そこからの住所の移動は確認できませんでした。
それで結局、事前確認と事前の承諾がとれなかったのです。
その点だけが心残りで、私は申し訳なく思っております。
私は、Aさんから「告白」をきいただけではなく、その後、ご夫妻とは北海道で数か月ご一緒したりしました。
またその数か月後にも、私はAさんとお会いして、ご自宅で聴いた「告白」の核心部分について再度確認しています。
ですから、もし私がお会いできれば、Aさんは真実をお話くださることについて、何の疑いも持っておりません。
それはさておき、K教団が、Aさんの陳述書を提出しておきながら、証人喚問をかたくなに拒否したことは裁判所も確認している事実です。
もしAさんの陳述書の内容が真実なら、K教団にとって決定的に有利になるはずの証人です。
にも関わらず、私や文芸有春秋側が証人にAさんを強く要請し、K教団側がかたくなに拒んだという、この非常に不思議な現象をどう解釈するか。
それは読者にお任せしたいと思います。 『舎利弗の真実に迫る』名誉棄損裁判の報告D 判決の問題点
http://bakaleo.diary.to/archives/12186359.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/11/blog-post_27.html
判決に対する私の見解
これまで私は、この裁判の判決の概要を紹介してきましたが、ここで私の見解を述べさせていただきます。
結論から言うと、この判決は不当判決です。
そして大きな禍根を将来に残すと確信しています。
その理由は3つあります。
第1の理由は、大川隆法氏の霊言方式による意見の表明や論評は、信者以外の一般の読者はそれを信じないという認定が、まず誤っています。
そもそも幸福の科学は、大川隆法氏の霊言集の発刊によって教団を形成してきた歴史があります。
私も霊言集を読んで、大川隆法氏の言葉を信じ、会員になり職員になった一人です。
つまり霊言方式による大川氏の言葉を、文字通り霊の言葉として信用し、その内容の真実性を信じた人々が信者や職員になってきたのです。
信者数を大川氏は1000万人を超えると大語し、全世界に広がっているといいます。
そして、世界各地にさまざまな自前の施設が立てられています。
つまり、一般的な読者の中に、霊言方式で表明された大川氏の意見や論評を信用する人が多数存在し、教団の主張によれば今なお世界に増え続けているわけです。
また、信者にならなくても大川隆法氏の愛読者はさらに数多く存在しています。
また幸福の科学は中学、高校の学園を2校建設していますし、大学も建設中です。
幸福実現党という政党を結成して、数十万票を獲得しています。
これは大川隆法氏が一定の社会的信用を得ていることを示唆しています。
ゆえに大川隆法氏の意見の表明や論評は信者以外にも信じる人がおり、それゆえに本書籍の刊行により私の社会的信用が低下することは否定できません。
私は大川氏の霊言で誹謗されたあるマスコミの方から、信者以外の人が霊言の影響を受けて攻撃的なメールを送ってきたとお聞きしたことがあります。 『舎利弗の真実に迫る』名誉棄損裁判の報告D 判決の問題点
http://bakaleo.diary.to/archives/12186359.html
信者以外にも霊言を信じて攻撃的になる人が出るのです。
一般読者は信じないという判決の判断は、絶対に誤っています。
第2の理由は、こうして生じた社会的信用の低下の結果のみならず、本書が発刊されて一般書店に並べられ、新聞広告が出されるということ自体で、私は非常な精神的苦痛を受けました。
それに対する配慮がこの判決にはまったく見られません。
精神的心理的な被害の程度を確認するために、通常は証人喚問が行われるそうですが、私の場合は証人喚問すら行われませんでした。
被害を受けた私の気持ちは、考慮すらしてもらえなかったのです。
この一点だけでも、私は不当判決であると考えます。
これは私の憶測ですが、私より先に結審した大川きょう子氏の名誉棄損裁判で、非常によく似た判決が出ていたため、今回はそれにあてはめることを優先し審理を尽くさなかったと思われます。
実に不当な手抜き裁判です。
第3に、そしてこれが最も重要なのですが、この判決により、司法は大川隆法氏に霊言方式であれば誰に対していかなる内容を書こうとも名誉棄損にならないという保証を与えてしまいました。
これがもたらす災禍を想うと、私は慄然とします。
この判決によって大川隆法氏は、自らへの批判者に対し「霊言方式による人格攻撃」を、法を気にせず自由にできることになります。
そして教団の組織と財力にものを言わせて、それを広告し、批判者を追い詰めることも自由です。
単なる一個人、私人に対しても、何お懸念もなく行えます。 『舎利弗の真実に迫る』名誉棄損裁判の報告D 判決の問題点
http://bakaleo.diary.to/archives/12186359.html
名誉棄損の被害を受けた個人には、法による救済は与えられません。
司法はカルトによる言論の暴力から、個人の人権を守ってくれません。
これがこの判決の意味するものです。
霊言問題に関して、さらにいうならば、大川隆法氏は天皇陛下の霊言なども平気で書籍にしています。
『今上天皇元首の本心 守護霊メッセージ』では、大川隆法と幸福実現党が主張してきたこととほぼ同じことを天皇陛下もお考えであると、読者に印象付けています。
憲法草案では天皇は京都に引っ込んで伝統行事や祭祀に特化して、政治的に責任が発生しないようにするべきだと言いつつ、本書では今上天皇が幸福実現党の政策と実によく似た見解を述べる内容となっています。
天皇陛下は幸福実現党の政策を支持している方のように見えます。
そう思って喜んだ幸福実現党の党員、シンパは多いと思います。
これは露骨な天皇の政治利用です。
これによって、右翼や伝統的保守派の幸福実現党への批判を抑え込むことを意図しているのだと思います。
このような新手の天皇の政治利用に対しては、厳しい批判がなされるべきであると考えます。
そのほか幸福の科学に批判的なマスコミ人等に対しては、名指しで霊言方式での誹謗中傷を行い、公然と悪魔視しています。
こうした悪辣なカルトの言論活動に対して、この判決は法による救済に道を閉ざしてしまったと言わざるを得ません。
法に依る制約を受けないカルトの権力が横暴さの度合いを増した時、この判決の持つ過ちが誰の目にも明らかになり、歴史によって裁かれるに違いないと思います。
大川隆法氏とK教団に対して、このような「霊言方式により人格攻撃できる表現の自由」を与えてよいのでしょうか。
これはあまりにも危険です。
大川隆法氏に人格攻撃の自由を与えた今回の判決は、将来に大きな禍根を残すと思います。
私はこのような惨禍を絶対に防ぐためにも、控訴審で戦い続けます。
この裁判のゆくえは私個人の名誉の問題にとどまらないのです。
必ずや勝利してゆきたいと思います。 OR氏は平気でうそをつく人
http://bakaleo.diary.to/archives/12201748.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/12/blog-post_3.html
(投稿を読んで)
判決文Aを読んでくださった読者の方から、重要なご指摘をいただきました。
この方が言われるように、高橋信次が私の過去世を認定したなどということは、『舎利弗の真実に迫る』が出るまで今まで一度も教団で言われていたことはありません。
裁判所に提出している私の陳述書にも、OR氏が自分の口から数十人の信者の前で、私をはじめ初期の釈迦弟子の認定を行った事実を指摘しておきました。
この判決文では、この書籍に書いてあることを単になぞって確認しているだけで、私の指摘がどこにも書かれていません。
やはりこの判決は一方的でずさんな判決だと思いました。
私はOR氏は、「平気で嘘をつける人」だと思います。
こういうことがありました。
私は大川きょう子氏に、
「本当に、OR氏に出した手紙で『自分の過去世は文殊、ナイチンゲール、アフロディーテです』と書いたのですか?」、
と訊いたことがあります。
彼女は
「そんなことを私が手紙に書くはずがありません。
KKではOR氏以外に過去世認定できる人はいなかったし、OR氏以外の人間がした過去世認定は誰も信じませんから」
とのお話を聞きました。 OR氏は平気でうそをつく人
http://bakaleo.diary.to/archives/12201748.html
きょう子氏の三つの過去世の内、どれか一つは高橋信次が霊言で言ったことがあると伺いましたが、他の二つはOR氏自らがきょう子氏に話したとのことでした。
いずれにせよ、大川きょう子氏が「自分から過去世を言いだした」というOR氏の主張は、まったく事実ではない、と完全否定されていたのが印象に残りました。
K会では初期の頃からOR氏以外の過去世認定は、「9次元霊の高橋信次先生すら生前には過去世認定を間違ったのだから、OR氏以外に正確に過去世認定できる方はいない」と信じられていました。
ですから、きょう子氏の意見は当然の話で、非常に納得ができました。
私がこの話で言いたいのは、OR氏は平気でうそをつく人だということです。
そして私が舎利弗だと高橋信次が言ったというような話は、この本が出るまで一度も聞いたことはなく、私も初期の会員もOR氏が断言したのを聞いているということです。 裁判で尚、嘘をついてまで、3次元的にお金を護ろうとし、助かろうとしている。 醜いものです。
http://bakaleo.diary.to/archives/12206534.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/12/blog-post_54.html
布施返還訴訟におけるK会の抗弁には呆れ果てました。
K会の実態が白日の下に曝されたと思いました。
植福のノルマが無いとは、よくも平気で言えたものです。
教祖が会員を騙して金銭を集めていたことが良く解ります。
降魔型エルカンターレ像による侵略からの守護は、誰でも聞いたことがある話しです。
しかし、幹部が教祖の決済なく勝手に布施を強要したというのは、無理があります。
仮にそうならば、幹部に対して布施返還請求をしても良いのでしょう。
教祖(自称仏)の名を出して、信者を信じ込ませて布施をかき集めるのは、詐欺ですよね。
幹部は、信者を騙して布施を集めたことになります。
刑事事件として、警察の調査が入っても良いと思います。
しかし、あのような立派な像を製造し、しかも1500万円で販売するのですから、教祖が知らないというのは実におかしいことです。
降魔型エルカンターレ像による侵略からの守護がないというのなら、教祖も信者を騙しています。
1500万円もの金銭を何の理由も無く出すわけがないでしょう。
侵略から日本を護るエルカンターレ像と説かれ、それを信じたから裕福で心清い信者は布施をされたのではないでしょうか。
又、「目標必達」は、近年始まったことではなく、方便の時代が終わってからは特に酷く続いて来ました。
こうなれば、他の販売品や祈願等も嘘になってきます。
嘘で固められたK会で、信者はさんざん騙されて、布施をしてきたことになります。
教祖の異常なまでの金銭への執着がはっきりしました。 裁判で尚、嘘をついてまで、3次元的にお金を護ろうとし、助かろうとしている。 醜いものです。
http://bakaleo.diary.to/archives/12206534.html
だから、本当に困っている方々に寄付しないのでしょう。
悟りの法に欠陥が有り、我欲が潜在していくのでしょう。
納骨壇を解約しているのに尚、お金を握り締めて離さない教団は、もはや宗教団体とは思えません。
3次元の執着を絶つのが教えのはずです。
それを説いて指導してきた教祖教団が、執着だらけでお金を返さないのは、教えに反します。
でもこの裁判の事実によって、もういい訳は効かないのです。
信者の経済と大切な人生の時間、人間関係、仕事・・・を返して欲しいです。
みんなそう思うでしょう。
結局、大部分、嘘だったのですから。
やがて悪事はいつか白日の下に曝され、犯したる罪を償うことになる(因果応報)。
代償の法則は必ず働く。
心を客観視して、自分に対しては反省をして、相手を理解し、和解する。
これは、教祖の教えなのですが、心と行いは全く逆ですよね。
裁判で尚、嘘をついてまで、3次元的にお金を護ろうとし、助かろうとしている。
醜いものです。
ここまでくれば、未だに信じている信者も目が覚めるでしょう。 幸福を保証して幸福になれないならば代金を返却すべきである。
詐欺になるからである。
A支部長が「K会には一切植福のノルマはありません」と発言した時に、傍聴席から失笑がもれ、「嘘だ」という声まで上がったことです。
http://bakaleo.diary.to/archives/12207221.html
布施返還訴訟を傍聴しました@
「植福のノルマはありません」???
2013年12月4日、午後3時から東京地方裁判所にて、宗教法人幸福の科学(以下K会)の元信者の女性4名がK会に対して起こした布施返還訴訟の証人喚問が行われました。
私はこの裁判に原告側(返還を要求している側)を支援する陳述書を提出している関係で傍聴しました。
この日の証人喚問は2回目で、A支部長(K会・被告側)とB元信者(原告)の二人が証人喚問に立ちました。
最初はA支部長が双方の弁護士の質問に答えました。
印象的だったのは、A支部長が「K会には一切植福のノルマはありません」と発言した時に、傍聴席から失笑がもれ、「嘘だ」という声まで上がったことです。
私も元職員として、支部長や本部長をした際には総合本部から「目標必達」を常に要求されてきた経験があるので「嘘をつけ」と思いました。
さらに驚いたことに、A支部長は天照大神の恐怖の予言や中国侵略の予言を利用して布施を集めたことはないと言い切りました。
これもまた大嘘です。
恐怖の予言を防ぐためには光を強めなくてはならず、そのためには伝道と植福の目標達成によりK会の救世事業を発展させなくてはならないと、K会では常に現場で声高に叫ばれてきたからです。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) A支部長が「K会には一切植福のノルマはありません」と発言した時に、傍聴席から失笑がもれ、「嘘だ」という声まで上がったことです。
http://bakaleo.diary.to/archives/12207221.html
降魔型エル・カンターレ像の植福
またこういうK会弁護士とA支部長のやり取りもありました。
K会弁護士「降魔型エル・カンターレ像を全国の支部精舎に置けば、中国や北朝鮮からの侵略が無くなるという大川隆法総裁の予言はありましたか?」
A支部長「そのような予言は存在しません」
細かい表現については再現できませんが、私が聞いた趣旨はこういうものでした。
つまり、大川隆法総裁は降魔型エル・カンターレ像を全国の支部や精舎に配置すれば中国や北朝鮮のミサイル等の侵略から日本を救えるという予言などしたことがなく、
したがってそういう予言に基づいて一体1500万円もする降魔型エル・カンターレ像を利用しての植福を強要したこともないということを、A支部長に言わせたのです。
K会ではW理事長の大号令のもとに、降魔型エル・カンターレ像を全国の支部や精舎に置けば中国や北朝鮮のミサイル等の脅威から日本を守れるから、
すべての支部精舎にこれを配置しなければならないと言って、一体1500万円もの高額の植福をかき集めていたのは、信者ならだれでも知っている事実です。
私も、当時はそれで日本が救えるなら、是非ともそうしたいと素直に信じて、支部の信者さんたちに呼びかけた張本人の一人です。
(馬鹿だったと反省しています)
しかし、この弁護士とA支部長のやり取りは、信者にとっては爆弾発言です。
W理事長を始めK会が組織的に主張した降魔型エル・カンターレ像の功徳は、教祖の予言でも言葉でもなかったことを明らかにしてしまったからです。 A支部長が「K会には一切植福のノルマはありません」と発言した時に、傍聴席から失笑がもれ、「嘘だ」という声まで上がったことです。
http://bakaleo.diary.to/archives/12207221.html
つまり教祖が言ってもいないことを、さも教祖のお墨付きをもらった内容であるかのように大々的に組織を挙げて主張し、半ば強制的に植福をかき集めたわけのです。
信者は、ここまで組織を挙げて言う以上、当然教祖の許可を得て言っているはずなので、教祖の予言があったと思いこむのは当たり前です。
当時は私もそう思っていました。
つまり、降魔型エル・カンターレ像によって中国・北朝鮮の侵略を防げる、ミサイルから日本を守れるという宣伝は、教団幹部が金集めのために勝手にでっち上げたレトリック、宣伝にすぎないのであり、教祖の意志とは関係がないということを、K会弁護団が明らかにしたのです。
信者は全員騙されたということです。
それを教団側の弁護士が法廷で証明したということです。
そういう意義がこの証人喚問にはあったと思います。
もう一言いうならば、この植福は教祖の予言に基づくものではないことをことさら強調することで、組織を挙げて行われていた植福集めの事実までもなかったかのように裁判長に印象づけようとしていました。
そういうK会の意図が透けて見えました。 A支部長が「K会には一切植福のノルマはありません」と発言した時に、傍聴席から失笑がもれ、「嘘だ」という声まで上がったことです。
http://bakaleo.diary.to/archives/12207221.html
お金への執着を断っているなら、何故返せないのか?
A支部長への証人喚問で、最後に弁護側のもう一人の弁護士が行った発言は、特に印象に残りました。
K会側は、植福とはお金に対する執着を断つ修業であり、天国へ行くための大切な修業であるということを何度も何度も強調しました。
そこで、弁護士は、 「お金に対する執着を断つことが尊いのだということですが、それでは納骨壇等を解約した元信者が金を返してほしいとお願いしているのに、びた一文返さないというのは、これはお金に執着しているんじゃないんですか。」
と、突っ込んで聴きました。
答えは、要領を得ない言い訳でした。
この質問は、K会の教祖の金銭への異常なまでの執着を、白日の下にさらしたという印象を強く受けました。
私は心の中で、拍手しました。
なお、私がK会側の証人喚問を聞いた印象は、「K会の人達は『嘘を平気でつく人たち』だ」というものでした。
次回は、原告のBさんの証人喚問について、書きたいと思います。
(文中、証人や弁護士の発言は、私の記憶に基づくものですので、細部の表現まで正確には再現できませんが、意味内容は記載したとおりです。)
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/12/blog-post_54.html 教団幹部の問題と思っていたK会の問題の根源が教祖に起因していた
http://bakaleo.diary.to/archives/12213671.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2.html
私は、OR氏が2009年の総選挙中に秘書の女性へのセクハラが原因で、その女性が脱会し、家族も脱会し、大きな心の傷を家族中が受けたことを知って、OR氏への見方が一変しました。
教団幹部の問題と思っていたK会の問題の根源が教祖に起因していたことが、ようやく理解できたのです。
私は教祖の問題点を知人に話すとともに、教祖に反省を求め軌道修正をしてもらいたいと手紙を出しました。
大川きょう子氏からは直に話を聞く機会があり、彼女の立場と教祖の実態について詳しい説明を受けました。
様々な疑問をぶつけ、納得できる回答を得ました。
彼女との関係はそこまでです。
私はカウンセラーとして、人々の心の救済に誠心誠意取り組んでいるだけで、分派活動とは無縁です。
ただし、私の意見を知って、相談される方には正直に私が知っている限りのOR氏の問題点はお話してきました。
その中には、OR氏の実態を知って布施をしたことを悔やんでいる人もいました。
その方々は返還訴訟を起こされました。
私は以前、教団職員として布施の推進をしてきた責任を感じ、この裁判への協力をさせていただきました。
もちろんそれは無償の行為です。
これが真相であり、OR氏本書籍で書いているようなシナリオは、信者向けにOR氏がつくりあげた妄想です。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 「あなたはA支部長の発現の最中に『嘘だ』とよく囁いていましたが、どこが嘘なのですか」・「ほとんど全部嘘です」
http://bakaleo.diary.to/archives/12214327.html
「あなたはA支部長の発現の最中に、私に『嘘だ』とよく囁いていましたが、どこが嘘なのですか」
「ほとんど全部嘘です」
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2891.html
布施返還訴訟を傍聴しましたA
「マインドコントロール」
布施返還訴訟での証人喚問のふたり目は、原告の一人でもあるB元信者でした。(以下Bさんと呼びます)
この日は、Bさんのご主人と娘さんも傍聴しておられました。
Bさんの発現で印象的だった場面がいくつかあります。
まずA支部長の発言に対して原告側の弁護士が
「あなたはA支部長の発現の最中に、私に『嘘だ』とよく囁いていましたが、どこが嘘なのですか」
と訊いたことに、
「ほとんど全部嘘です」
と答えたのは、インパクトがありました。
そしてノルマ達成のために支部でどのような目標管理をしていたのかを具体的に示す何枚もの書類を提示して事細かに説明する話を聞いているうちに、
「ノルマはありません」というA支部長の証言が「全くの嘘だということがすっかりばれたな」
と思いました。
もう一つ印象に残ったのは、「マインドコントロール」という言葉でした。
K会側の弁護士は、Bさんが行った植福で、Bさんが当時書いた植福のおすすめの文章や、植福部長として発言した内容や、振り込みの記録をいちいち指し示しながら
「これは誰が書いたのですか」
「これは誰が発言したのですか」
「これは誰が振り込んだのですか」
としつこく尋問しました。 「あなたはA支部長の発現の最中に『嘘だ』とよく囁いていましたが、どこが嘘なのですか」・「ほとんど全部嘘です」
http://bakaleo.diary.to/archives/12214327.html
これに対してBさんは一貫して
「強くマインドコントロールを受けていた当時は、そうせざるを得ませんでした」
と、毎回繰り返し主張しました。
これにはK会の弁護士も困ったと見えて、次第に怒気を含んだ発言が弁護士の口から洩れるようになりました。
全体としてK会のマインドコントロールがいかにすさまじいものであるかという印象だけが強く残りました。
Bさんが受けていたマインドコントロールを、Bさんは次のように説明されました。
「仏説降魔経には、仏法僧の三宝にそむくと地獄へ堕ち二度と人間として生まれ変わることができないと書かれています。
私達信者はこれを毎日読むことで、教祖と教えと教団の方針に背くことへの恐怖心を深く植え付けられます。
そういうなかで、植福の目標を示され強く勧められると、それに従わないということは地獄行きだという思いから、恐怖心で従わざるを得ない。
そういうマインドコントロールをされていたので、さも喜びをもって植福をしてきたように、言わざるを得なかった。
しかし実際には、毎回毎回多額の植福を強要されて、もうこれ以上は続かない、もういやだと感じていた。
そこへきょう子さんが週刊誌に暴露した教組の女性問題が明らかになり、教祖への信仰を失っていった。」
被害者の救済を
この裁判でBさんたちは、K会を信じた過ちに気が付いて、勇気をだして布施の返還訴訟をされました。
これは同じような苦しみを味わっている多くの方々に、布施返還への道筋をつけるための「被害者救済のための戦い」だからこそ、裁判で味わう苦痛を敢えて耐え忍んでおられると感じました。 「あなたはA支部長の発現の最中に『嘘だ』とよく囁いていましたが、どこが嘘なのですか」・「ほとんど全部嘘です」
http://bakaleo.diary.to/archives/12214327.html
私はBさんたちの勇気に敬意を表します。
なお、この日の証人喚問の最後に、裁判長の方から
「裁判所としては和解勧告をします。
少なくとも納骨壇に関するお金の一部を返却されることを希望しますが、和解勧告を受け入れますか」
という趣旨の発言がありました。
K会は前回、裁判所の和解勧告を拒否したそうですが、今回は「持ちかえって検討する」ということでした。
和解勧告に対する返答は12月末までになされることになりました。
(文中、カッコ内の記載内容は、私が聞いて記憶しているものを再現したので、細部の表現は食い違うことがあると思いますが、趣旨は損ねないよう配慮しています。) 表面上、正統派を装うORに、まんまと騙された・・・
http://bakaleo.diary.to/archives/12215067.html
例えば選挙。
消費税を下げろ、とか尤もなことを言う。
しかし、現実を見れば「何、言いやがる」なのだ。
嘗ては、秘書部長にニヤけながら「信者は生かさず、殺さず」と語っていた、というからムカつく。
現在も支部では、植福、書籍購入、他、「集金ノルマ」は凄まじい額である。
「減税」とは、よく言えたものだ、と聞いて呆れる。
バカ面下げてロボットどもが、必死こいて補欠選挙をやっているが、ふざけるな、と言いたい。
中朝の侵略危機などの発言も、如何にも保守的で正統派。
つい、まともな人たちか、と信じてしまう。
しかし、天皇よりもORの方が上だ、というHSの思想は断じて、日本国民には受け入れられないだろう。
また、ORが周囲に語る「僕は、隠れ共産ファンなんだよ」というセリフも恐い。
父親は共産党員だし、そもそも教団運営は独裁者運営。
意見する者は、片っ端から瞬間的に左遷かクビにするバカ殿様。
HSは、保守どころか、実質、北朝鮮と同じだ。
ORは、表面的に正統派を装うから、麻原のように峻別出来なかった。
ただ、横柄な態度、口の悪さが露骨で、とても仏陀とは思えぬ品の無さが気になってはいた。
やはり・・・
といった感じだ。