学問・理性を尊重する高野山は大乗の教えは釈迦の教えとは異なることを素直に認めている。
当時(初期)の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
https://www.koyasan.or.jp/shingonshu/ 釈迦の時代にはなかった「他者救済」を大乗は全面に出した。
しかし、現実の苦悩に対しては何の効力もない。コロナで多くの人が苦しんでいるのに、大乗は何の役にも立っていない。
「他者救済」は詭弁である。
創価学会は破門されているので、大乗として扱うのは疑問である。
日蓮正宗は、平成3年(1991)11月、日蓮正宗の教義・信条に従わない創価学会を破門し、信徒組織を法華講に統一しました。
11月28日 日蓮正宗 創価学会及びSGIを『破門』(無関係の団体となる)
1992 平成4年 3月28日 日蓮正宗 創価学会が宗教法人の適格性を欠くため、東京都知事(当時鈴木俊一氏)に対し『意見書』を提出
8月11日 日蓮正宗 池田大作を信徒除名処分
1993 平成5年 9月 7日 創価学会 『ニセ本尊』作製発表
10月 1日 創価学会 『ニセ本尊』販売開始
https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/soka-j.html 984:神も仏も名無しさん 2021/08/26(木) 20:16:12.95 9DRyyRni(38/44)引1NG
>>983
釈迦の教えから外れてることに笑える神経は理解不能。
外道カルトは気持ち悪すぎ。
989(2):神も仏も名無しさん[sage] 2021/08/26(木) 20:38:17.39 fj+Q385H(44/49)NG
984
お前が密教の成り立ちを少しも理解していない事が笑われてるんだよ
999:神も仏も名無しさん 2021/08/26(木) 20:55:55.50 9DRyyRni(43/44)引1NG
>>989
外道大乗には興味ないと何度も言ったろ。
外道大乗の教義は詳しく知らないと明らかにしてるのに、アホな煽りするなあ。 1000:神も仏も名無しさん 2021/08/26(木) 20:56:19.15 9DRyyRni(44/44)NG
大乗はインチキカルト。
それがこのスレの結論。 >>2
バーリ語の三帰依文
Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi ブッダン サラナン ガッチャーミ
Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi ダンマン サラナン ガッチャーミ
Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi サンガン サラナン ガッチャーミ
三宝を私の拠り所とするのが佛教スタンダードである >>6
釈迦個人の神格化や崇拝は、釈迦の本来の教えとはずれているだろうね。
釈迦は「己と教えだけを頼りにしろ」と説いた。釈迦個人を頼りするということ。
また、「教えは隠さずすべてを教えた」とも言った。
釈迦の教えは包み隠さず教えられた。だから、釈迦に頼る必要はない。
もちろん、釈迦を敬愛する気持ちはあるが、頼ったり神格化するのは教えに反する。 >>9
無茶苦茶だな。
しかし、大乗での扱いは実際そうだな。 龍樹がいなかったら仏教はただのペシミスティックな宗教というだけだし
龍樹が仏教を哲学のレベルに引き上げた
>>11
否。龍樹のせいで、理性的哲学だった釈迦の教えがオカルト宗教になってしまった。 >>7
Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmiを直訳すると
Buddhaṃ ブッダを
saraṇaṃ 避難場所と
gacchāmi 私はする。
です。
仏陀を頼りにするどころか、「避難所」としているのです。
これが中国訳される時に
「私はする」と併せて、帰依すると訳されました。
それと仏教は釈尊を客観的に見て、様々な形で神格化していますよ
三十二相とか御存知無いですか
事実に基づかずにイメージで語り過ぎなのでは? >>13
学問・理性を尊重する高野山は大乗の教えは釈迦の教えとは異なることを素直に認めている。
当時(初期)の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
https://www.koyasan.or.jp/shingonshu/ >>13
高野山が認めていることを、お前は自分のイメージと違うというだけの願望で反対している。
事実に基づかずにイメージで語り過ぎなのはお前。 >>14
たしか、君は前スレで誰かにこう言ってなかったっけ?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
113神も仏も名無しさん2021/08/18(水) 15:44:48.95ID:XY1Aqq8X>>116
>>112
あーあ、壊れちゃった。
壊れたテープレコードになってしまった。
はい、論破。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
君も、同じく「壊れたテープレコード」になったんだから
どうやら、君も論破されたようだね。(苦笑 >>16
論理的に指摘に反論できずに同じこと繰り返す馬鹿に対する発言。
俺が繰り返してるのは、同じ指摘に何も反論できないくせに、しつこく喚き散らしてる愚者に対する者。
まったく状況が違うんだよ。
今回も、お前はまた、論理的反論はできずに、的外れな悪口を垂れ流すだけ。 >>2
>>3
は、前スレから大乗カルト側が反論できないままの論理的指摘。
もう、これで詰んじゃってんだよ。
詰んでるのに発狂して喚き散らしてんのはみっともない。 結論は出たと言いつつ次スレ立てる両舌使いは不両舌戒も知らない素人
999:神も仏も名無しさん 2021/08/26(木) 20:55:55.50 9DRyyRni(43/44)引1NG
>>989
外道大乗には興味ないと何度も言ったろ。
外道大乗の教義は詳しく知らないと明らかにしてるのに、アホな煽りするなあ。 1000:神も仏も名無しさん 2021/08/26(木) 20:56:19.15 9DRyyRni(44/44)NG
大乗はインチキカルト。
それがこのスレの結論。 衆生済度は大乗が言い出した事じゃない
始めに釈迦が言い出し 後にしなくなった事だ
聖求経 第三章
「比丘達よ、もはや、生まれ変わらない、わたしの解脱は、不動であると知ったとき、このような思いが、私の中に生じたのである。」
『果して、この境地を、誰が見とめるのか。
心から求めない者は、端から認めないだろう。
この地に至るまで、数々の仕掛けが潜んでいる。
第一に、生に臨まず、空を望まないとならない。
第二に、老に臨まず、空を望まないとならない。
第三に、病に臨まず、空を望まないとならない。
第四に、死に臨まず、空を望まないとならない。
第五に、苦に臨まず、空を望まないとならない。
第六に、業に臨まず、空を望まないとならない。』
「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時、私の目の前に、梵天が現れ、このように言った。」『世尊よ、どうか、法の輪を回して下さい。
仏陀が、法を回さないと、世界が廻りません。
世尊が滅するときに、世界が亡びてしまいます。』
『世尊よ、生まれ付き、汚れの少ない者が、法を認められる者が、少なからず来ています。
どうか、彼らのために、法を説き示して下さい。』
「私は、アーラーラ・カーラーマを尋ねた。
そのとき、神の声で、彼が死んだ事を知った。
彼の機根を、見とめたからこそ、残念に思った。」
「私は、ウッダカ・ラーマプッタを尋ねた。
そのとき、神の声で、彼が死んだ事を知った。
彼の機根を、見とめたからこそ、残念に思った。」
>>20
論理的な反論ができないならおとなしくしてればいいのに。
頭の悪さを晒してる自覚もできないのかな? >>22
根拠も提示できないんじゃお話にならん。
論理的反論を期待してるよ。 >>21
覚ったときは、「教えを説いても凡愚には理解できないだろう。理解されないものを説くのは面倒だ。」と思ったと書かれている。
つまり、他者救済は覚りの必要条件ではないし、覚ったら「衆生済度しなきゃ!」ともならないと明記されている。
ただ、懇願されて、「理解できる者もいるだろうから、それなら説こう。」と考え直した。
そう書かれている。
「衆生済度」なんてどこにも書かれていないし、むしろそんなものは覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもない。
自分が出したソースで、自分の主張が間違っていると示されるスタイルは笑う。 >>25
>衆生済度」なんてどこにも書かれていないし、むしろそんなものは覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもない。
いや、ガッツリ書かれてあるんじゃないの?
※ちなみに「パーリ仏典」がすべて正しいとは思っては無いが。
「比丘たちよ、私もまた正覚以前のころ、未だ正覚を得ていない菩薩であったとき」
つまりこれは、釈迦の修業時代は「菩薩行」であったこと、それを因として「正覚」を得たという事ではないのかな?
パーリ語経典経蔵小部に収録された「ジャータカ」も、その殆どの内容は「菩薩行」であったし。
末代の凡夫が瞑想だけで悟れるもんじゃないんだよ。
小乗教の教えは、あくまでも仏法理解の為の参考として学ぶのは良いが、人々の幸福のためにはあまり価値は無い。 >>26
>ガッツリ書かれてあるんじゃないの?
というならソース出せよ。お前らの妄想ソースは>>21のレベル。
むしろ、大乗カルトの主張に反する内容のソースを、なぜか根拠のソースと勘違いしちゃう愚かさ。 >>26
で、「人々の幸福のため」に大乗は何ができんの?
現実の苦悩に対しては何の効力もない。コロナで多くの人が苦しんでいるのに、大乗は何の役にも立っていない。
「人々の幸福のため」は詭弁である。 >>29
で?
>>25で論破した。
大乗の連中はまともな反論ができないよな。
論破されてるのに、しつこく同じことを繰り返すか、発狂して悪口連呼するかの二択。 >「人々の幸福のため」は詭弁である。
そんなことは無い。
創価学会のHPを観よ。目を背けるな。
これ程、世界から賞賛されている宗教団体は無い。
但し、君の言う「大乗は(平和の為に)何の役にも立っていない。 」という主張はすべてでは無いが、一応は正しい!
その中でも最も糞宗教団体は、今の日蓮正宗(別名:日顕宗)だろうね。
平和を標榜する宗教は数多い。しかしながら現実にそれを行動に移して実践している宗教団体は数少ないと思う。
大乗でありながら、自身の安穏を優先しているような宗教もたくさんある。
法師の皮を著(き)たる畜生のなんと多いことか。※現代に於いて出家坊主は必要ない。
大聖人曰く <松野殿御返事>
「末世においては、犬のような僧や尼は、恒河の砂ほどたくさん出現する、と仏は説かれている。
この文の意味は、末世の、僧や尼は名聞名利に執着し、外には、袈裟、衣を着ているので、姿かたちは僧や尼に似ているけれども、
内心には、邪見の剣を携え、自分の出入りする檀那のところへは、他の僧尼をよせつけまいとして、いろいろと、ありもしない悪口をならべたてるのである。
このように、他の僧尼を寄せつけないようにして、檀那を独占しようとするさまは、譬えていえば、犬が人の家で餌にありついて食べているところへ、あとから他の犬が来るのを見て、
いがみ吠え、噛み合いのけんかをするようなものだ、という意味である。このような僧尼は、当然全て悪道に堕ちるのである。」
「とても此の身は徒(いたずら)に山野の土と成るべし・惜(おし)みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・
人久しといえども百年には過(すぎ)ず・其の間の事は但一睡(いっすい)の夢ぞかし、受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も・
仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談(ゆげぞうだん)のみして明し暮さん者は法師の皮を著(き)たる畜生なり、
法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一(ひとつ)もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人(ぬすびと)なり、恥づべし恐るべし、」
その最たる坊主どもがコレダ!
3..2..1 ↓ 閲覧注意
https://nichiren.com/index.php/f03_001/ >>30
ぜんぜん論破になっていないし。(笑
「ハイ論破!」という夢をみたんだよ。 >>31
だから、で、「人々の幸福のため」に大乗は何ができんの?
現実の苦悩に対しては何の効力もない。コロナで多くの人が苦しんでいるのに、大乗は何の役にも立っていない。
「人々の幸福のため」は詭弁である。
何の役にも立っていないから、具体的な回答ができない。 >>32
な、これが論破されてるのに、しつこく同じことを繰り返すのパターンw。
論理的反論ができない状況に追い込められてるくせに、論破されたと認めないアホ。
悔しかったら論理的に反論してみろよ。 >>34
えーーー? ぜんぜん悔しくないんだけど。(笑
というか、顔を赤らめ「ムキーーっ!」としている君があまりにもオカシすぎるんだよ。
落ち着け、落ち着け。
そんなんじゃ「悟り」どころじゃなかろーーもん。
釈尊は反論されて、バカアホなんて言わなかったとおもうぞ。
しらんけど。 >>35
まーた妄想してみっともない。
論破した側が何で発狂するんだよwww。
愚かなお前に呆れてて、馬鹿の相手は面倒だなあと思ってるだけだ。
「凡愚を相手に説教するのは面倒だ。」と思う釈迦の気持ちだよ。
悔しかったら論理的に反論しような。
>>25で論破されたお前の醜態がみっともない。
論破されてないなら「論破されてない!」と喚くんじゃなくて、論理的に反論しような。
論理的反論ができないんだから、お前は論破されてるよ。 で、「人々の幸福のため」に大乗は何ができんの?
現実の苦悩に対しては何の効力もない。コロナで多くの人が苦しんでいるのに、大乗は何の役にも立っていない。
「人々の幸福のため」は詭弁である。
何の役にも立っていないから、具体的な回答ができない。
創価学会が破門されてるのも、効いてて笑う。
日蓮正宗は、平成3年(1991)11月、日蓮正宗の教義・信条に従わない創価学会を破門し、信徒組織を法華講に統一しました。
11月28日 日蓮正宗 創価学会及びSGIを『破門』(無関係の団体となる)
1992 平成4年 3月28日 日蓮正宗 創価学会が宗教法人の適格性を欠くため、東京都知事(当時鈴木俊一氏)に対し『意見書』を提出
8月11日 日蓮正宗 池田大作を信徒除名処分
1993 平成5年 9月 7日 創価学会 『ニセ本尊』作製発表
10月 1日 創価学会 『ニセ本尊』販売開始
https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/soka-j.html >>36
えーーー? 発狂って、君がか? そう自虐するなよ。
大丈夫!私が助けてあげる。
いいか! まず目をそっと閉じろ。
そして精神を集中してこう思うんだ。
「オレは妄想をみている」
「だれも論破していないのに、論破したと思っている」
「妄想だ!目を覚ませオレ!」
これを100回繰り返せば落ち着くはずだ。がんばれ! >>39
うんうん。
破門された創価学会の信者やってるとか恥ずかしい気持ちは分かる。
しかし、理性的に議論しよう。
>>25に対する論理的反論がいつになっても出て来ないんだが、君には無理かな?
「凡愚を相手に説教するのは面倒だ。」と思う釈迦の心境だよ。 23
破綻した感情論しか言えてない自覚ないの?
前スレで結論しといて次スレ立てるなんて論理破綻以外の何ものでもないんだけど
>>25
面倒だなんて書かれていないし 衆生を再度すると書かれている
つまり君はそういう病気だという事だよ
頭が明らかにおかしいんだから診療を受けなさい
→「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時、私の目の前に、梵天が現れ、このように言った。」 28
そもそも小乗なんて一部の比丘しか救ってないのに在家に寄付をたかるんだから完全に詐欺だろ?
対価に見合う働きなんて何もしてないに等しい
30
論破したんじゃなくて 君が書かれてない事が書かれていると言ったり 書かれてある事を書かれていないと言ったりして勝手に論理破綻しただけ
早めに検査を受ける事をお勧めするよ お大事に
>>42
「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった」と書いてあるんだから、
他者救済は覚りの必要条件ではないし、覚ったら「衆生済度しなきゃ!」ともならないと明記されている。
ただ、懇願されて、「理解できる者もいるだろうから、それなら説こう。」と考え直した。
「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもない。
で?
論理的反論はまだ? >>44
他者救済は覚りの必要条件ではないし、覚ったら「衆生済度しなきゃ!」ともならないと明記されている。
それなのに、お前と来たら…。 >>44
馬鹿のお前のために引用してやるよ。
「人々が私の言うことを理解してくれなければ、私には疲労が残るだけだ。私には憂慮があるだけだ。」
こう書かれているから読んで来い間抜け。
無知な馬鹿の恥晒しが。 今のスリランカなどの南伝系は上座を自称しているが、
本当の上座部では勿論無く、分別説部が本来の呼び名である。
経典も後代の不届きものによって改竄された怪しげなものが一旦散逸し、
何百年も経ってから、外国から再輸入して復元したと主張する代物である。
また六神通が説かれるが、そんな力のある者は現在いない。
第一結集は、仏教学というより、教科書的な極めて粗い世界史の話。
スリランカ島史 大史に書かれた伝承の説。
仏教学でわかっていること
南伝パーリ経典は紀元前後にスリランカでシンハラ語訳された。
5c頃、ブッダゴーサによってパーリ語に書き換えられたが散逸、
東南アジアから、12c前後に再輸入された。
現在の我々が使うPTSは、19cに英国がまとめたパーリである。
パーリは古くて仏説に近いといった共同幻想をばら撒いて、
多くの人に感染させようと謀る輩がいる。
>>50
考古学資料や文献に基づいて、パーリ経典は釈迦の時代から伝承されたと判断された。
それに対して、根拠なしの妄想で反論する馬鹿。
大乗は愚か者ばかりなのか?
いや、高野山はまともなことを言ってたな。
当時(初期)の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
https://www.koyasan.or.jp/shingonshu/ >>50
>南伝パーリ経典は紀元前後にスリランカでシンハラ語訳された。
のソースは?
パーリ語のまま伝えられたはずだけど。 インドでもパーリ語三蔵があったんだろうけど、インドの仏教組織がなくなってしまったから絶えてしまった。
一方の大乗がサンスクリット経典を作ったこと自体、ヒンズーの影響だよね。
ヒンズーというより、ヴェーダの影響というべきか。
いずれにしても、ヒンズーに近い。
45
関係ない別の経典で誤魔化さないで自分の発言の間違いと経典の該当部分を理解しないと自分に嘘を吐いて誤魔化してるか頭がおかしくて認知エラーを起こしてるのに気付いてない事になる
> 「衆生済度」なんてどこにも書かれていないし、むしろそんなものは覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもない。
> 覚ったときは、「教えを説いても凡愚には理解できないだろう。理解されないものを説くのは面倒だ。」と思ったと書かれている。
>
↑誤読
正解↓
「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時、私の目の前に、梵天が現れ、このように言った。」
面倒だなんて書かれていないし 衆生を済度すると明記されている つまり君は経典にない事を付け加えた上にある事を書かれていないと酷いデタラメないし嘘を言った事になるし ブッダの言葉を勝手にアレンジするのも大妄語罪だから大乗をとやかく言う資格なんて微塵もないよ
仏教を語る資格すらない
>>56
思いっ切り関係する経典を示されてるのに理解できない馬鹿かよ。
ソースを明確に提示されたんだから確認してからレスしろよ。 >>56
「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時、」
と書かれているんだから、その部分が「衆生済度」だと言い張るなら、
「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないことになる。
馬鹿は自分で出したソースで自分を論破するのには失笑するしかない。
「人々が私の言うことを理解してくれなければ、私には疲労が残るだけだ。私には憂慮があるだけだ。」
も引用してやった。この部分はお前みたいな「愚者に説いても理解してもらえないから面倒だ」と言ってんだよ。
まともに経典読んでる人はお前に呆れてるぞ。
大乗仲間もお前に呆れて無言になってるじゃんw。
馬鹿がいると、他の大乗まで馬鹿に見えちゃうからな。 46
君は> 「衆生済度」なんてどこにも書かれていないし、むしろそんなものは覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもない。
と嘘を吐いたんだからまず非を認めなさい
で 大乗の菩薩が何故衆生済度の欲を残したままにしているのかに付いては既に述べた通り完全に欲を無くして涅槃入りしたら他者を導けなくなるからだ
ブッダや阿羅漢は一回生だから後進がいないままに入滅したら仏教は途絶えて誰も解脱なんて出来なくなる
特にスリランカ仏教は一度失伝しているから阿羅漢が出ましたなんて言われても眉唾物だし 何しろ悟りの証を明かしていないのだから単なる自己申告に過ぎない
初期サンガと同等の阿羅漢なんていないと思った方がいい
現に君は一番下の預琉向にすら入れていないのはこの場の誰が見ても判るんだから そんな人が初期仏教を読んだだけで悟れるなんて言っても彼等に対する侮辱にしかなっていない
48
そんな杞憂は梵天勧請の後に五百羅漢が育った事で打ち消されるし 寧ろ衆生済度の可能性を示唆している
君の歪な理解とその後の仏教の発展とは全く関係ない
>>59
まさか、覚った後に、
「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時」
という部分が「衆生済度」だと言い出すとは想像の斜め上過ぎたわw。
その部分が「衆生済度」だと言い張るなら、「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないことになる。
お前が主張する「衆生済度」ではないなあー。
「衆生済度」は超重要!ってのがお前の考える「衆生済度」なんだろ?
むしろ逆の書き方されてるぞw。 衆生済度の意欲をなくしたと経典に書かれているなあ。
むしろ、俺の主張に沿ったソースを提示しちゃってる自覚ある?
57
聖求経の読み方に付いての話なんだから間違いを認めないなら今まで同様に会話にはならない
61
逆なのは当たり前 大乗は仏教を後世に伝え続ける為にある
完全に悟った覚者ばかりになった原始仏教は三代で根本分裂して阿羅漢を輩出出来なくなったのが明らかなのに未だに原始仏教の形骸たる小乗にこだわって悟れるなんて事実確認が出来ない事を吹聴する方がおかしい
そんなに初期仏教で悟れるのならブッダと同等の悟りを開いた五百羅漢が一人辺り10人を悟らせれば次の世代は五千人 その次は五万人 その次は五十万人と増えて行かないとおかしいだろ?
或いは一人が一人の阿羅漢に伝えても五百羅漢は継承される筈だが 現状そうはなっていない 釈迦ど同等の悟りなんて早くに失伝して今やどの仏教だろうと途中までしか悟れない事に変わりはない
無上正等覚なんてもはや過去の伝説だと認めた上でないと単なる嘘吐きか妄想患者にしかなれん
>>65
お前が提示したソースは、お前の主張する「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないと書いていることをようやく理解できたようだな。
お前の主張する「衆生済度」を釈迦が説いたというソースを早く出してくれや。
ソースなしの妄想野郎。 おとなしくなったけど、『ブッダ悪魔との対話』をようやくチェックしたのかな?
明示的にソースを提示されたらチェックしてからレスしような。
62
その意欲を保ったまま自らの涅槃入りを止めて大衆を導くのが大乗仏教の菩薩道だと繰り返し言われても理解出来ない君がルーピー君なだけ
解脱所か会話が延々と輪廻してる
初期仏教で悟れるというのなら自ら悟って経典にある通りに執着から離れてスレからも大乗批判からも離れて一人で修行すればいいだけだよ
自分が悟れないからって大乗に八つ当たりしても君が悟れないという事実は変わらないんだから悟れない人が悟れないままに初期仏教では悟れるが大乗仏教では悟れないと言い張ってるだけで信用には値しない
本当に衆生を済度する意欲がなくなるぐらいに悟ってから出直したまえ
出来ればの話だがね
>>68
だからさ、ソースなしの妄想垂れ流すなよ間抜け。
もちろんカルト大乗の創作経典はソースにならない。
詐欺師が捏造した文書に、詐欺師に都合がいい内容が書かれているのは当たり前。
で、早くソース出してー。
いや、そんなものないのは分かってるんだけどさw。
お前があると言い張るから、だったら出せよってだけ。
やっと出て来たソースには、「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないと書いているのは笑った。 64
今はその話ではなく 君が聖求経に書かれていない事を付け足したり 書かれている事を何処にも書かれていないと嘘を付いた事に付いての話だから他の経典に話を移そうとしても無駄
事実と異なる事を口にするのは原始仏教時代から禁じられてる妄語だし 妄語を使う者は悟っていないと誰からも判る様になってるから戒律は有り難い
君は原始経典を実践せずに 実践すれば悟れると絵空事を言っているに過ぎないんだよ
仏教徒の風上にも置けない酷い態度とセットでね
>>70
無知な馬鹿だなあ。
ソース提示されてチェックもしないアホの相手は疲れた。
「凡愚を相手に説教するのは面倒だ。」と思う釈迦の心境だよ。 66
そんな事は端から承知だという事も理解出来ない読解力で相手の上位を装っても無駄
君は仏教徒じゃない
ただそれだけ
>>72
「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないと書いていることは端から承知wwww。
散々説明されてようやく理解できたくせに何言ってんだよwww。
もしも、端から承知していたなら、なんで自分の主張と正反対の内容が記述されてるのにソースとして提示しちゃったの?
馬鹿の言い訳は笑う。 67
そんな既に読んでる経典を一々読む必要もなく君が文章を正しく理解出来ていないのは聖求経の勝手な改竄からも判る通り
>>74
みっともない言い訳だなあ。
読んで理解しているなら、密接に関連しているのは明白だし、
「凡愚を相手に説教するのは面倒だ。」と釈迦が思ったこともはっきり書かれているのも知ってるはず。 69
ソースを出した結果として 自分勝手な付け足しや削除をしたんだから君にはどんなソースも無駄
簡単な国語の教科書もまともに理解出来ないレベルで初期仏教や大乗経典をとやかく言っているというだけに過ぎん
先ずは学校の勉強からやり直しなさい
>>76
提示されたソースをチェックせずに妄想垂れ流す馬鹿が何言ってんのさ。 >>76
そして、自分の主張と反対の記述をソースとして提示しちゃう馬鹿でもある。 71
原始仏典で釈迦はその様な悪口は厳に戒めているし 君のその態度や言葉遣いだけでも悟りとは程遠い無明さんが 釈迦の心境等と大妄語を重ねてるのが誰の目にも明らか
君はどの仏教でも一段階にも進めない
73
君の言語能力の低さは私の責任ではない
普通の一般人の言う事も理解出来ない状態で勝手に自分を理想化して釈迦の境地だと思い込むのは心の病だから早く病院に行きなさい
精神疾患の人が仏教に関わろうとすると より悪化するし そういう人達は沢山いるから
どの仏教でも舐めるとそうなるし 本当は仏教って凄く恐ろしいんだよ
75
経典に一言一句の改竄も認めないというのが上座部の教義だから目の前で付け足しや改竄をやる君は初期仏教すら下に見ている勘違いさんだというだけ
誰にも習わずに仏教をマスター出来ると勘違いしている才能の無い自惚れ屋さんには他人との意思の疎通さえ無理だよ
77
私に読む必要が有るんじゃなくて君が自分の誤読を誤魔化す為に読ませる必要が有るってだけだろ?
今までもそうやって他人を欺いて生きて来た君の人生の一端だね?
嘘を吐く人に仏教はどうやっても理解出来ないから もう止めなさい
自分が仏教を理解出来てるという その思いさえ君の承認欲求が生み出した幻想だから
まあ勝った負けただの論破だのに拘ってる内は誰で有ろうとも悟りの一段階にも達していないから
悪い見本だね
>>80
「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないと書かれている記述をソースとして提示しちゃうお前が言語能力騙るなよ。 >>81
ソースを明確に提示しているのに、読まない馬鹿が改竄されたー!と喚いてるのは呆れるしかない。
提示されたソースをどうやって改竄すんだよ?
論破され過ぎて、発狂してんなお前。 で、「衆生済度」を釈迦が説いたというソースはまだー?
提示できないんだからお前の負け。
論理的に明確なのに、発狂して、感情論と悪口を垂れ流す醜態を毎度毎度晒すねえ。
84
そもそも大乗は阿羅漢の手前で止まると完全な悟りではない事は散々述べているのに 理解出来ないのはやはり言語能力が低いんだよ ルーピー君
85
現にこのスレで提示した経典にない衆生を済度するのが面倒だなんて付け足しをあるといい 衆生を済度するという言葉が書かれていないといいして君自身が改竄して見せたじゃないか
言葉なんてのはそんな風にいとも簡単に付け足されたり削除されたりするんだから原始仏典が釈迦の言葉そのままだなんて信じる方がおかしいんだよ
一番古いとされるスッタニパータでさえ韻を踏んでるんだから内容を覚えやすくする為に言葉を変えてるというのが常識的なものの見方
だから君にはそれが解らない
86
ルーピー君は何度出しても自分が内容を理解出来ない事を晒し続けて何が面白いのかな?
悟る直前の釈迦に最後まで残った欲を取り除いて世を捨てて涅槃入りするのが小乗で自分達の完全な悟りを犠牲にして後進=衆生を悟りの道へと導くのが大乗だと散々言ってるし 大乗の菩薩は完全な悟りを目指さないと何度も何度も繰り返し教えてるのに大乗側が言ってもいない大乗で悟れるの一点張りするルーピー君
自分の頭がおかしいという自覚を持ちなさい
>「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時、私の目の前に、梵天が現れ、このように言った。」
>>87
インチキ大乗がそう騙ってるだけ。
釈迦がそんなこと説いたという初期経典のソースはまだー? >>88
大乗カスの主張。
「人々が私の言うことを理解してくれなければ、私には疲労が残るだけだ。私には憂慮があるだけだ。」 の部分を「凡愚を相手に説教するのは面倒だ。」と要約
→付け足しだーー!発狂
「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時、私の目の前に、梵天が現れ、このように言った。」
と覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないと書かれた記述
→これが「衆生済度」を釈迦が説いたソースだーー!!と騙る
発狂と捏造しかできないのかよ。 >>89
で、その戯言の根拠は?
お前が出したソースには、「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないと書かれている。
自分で自分を論破するソースを出していきっちゃってんのは失笑。 >>89
原始仏典で釈迦はその様な悪口は厳に戒めているし 君のその態度や言葉遣いだけでも悟りとは程遠い無明さんが 釈迦の心境等と大妄語を重ねてるのが誰の目にも明らか 。
君はどの仏教でも一段階にも進めない 。仏教徒の風上にも置けない酷い態度。
悪い見本だね。 >>89
原始仏典で釈迦はその様な悪口は厳に戒めているし 君のその態度や言葉遣いだけでも悟りとは程遠い無明さんが 釈迦の心境等と大妄語を重ねてるのが誰の目にも明らか 。
君はどの仏教でも一段階にも進めない 。仏教徒の風上にも置けない酷い態度。
悪い見本だね。
だってさwwwww。 大乗諸君はもっと理性的に議論することを覚えたほうがいい。
主張には根拠を付けなさい。
そして、大乗経典はソースにならない。なぜなら、創作された文書に自分らに都合のいい内容が書かれているのは当然だから。
初期経典、できれば相応部をソースにしなさい。
そもそも、釈迦の教えはどうだったんだろう?と調べないのが知能低い。
釈迦の教えを知ろうとすれば、初期経典に遡るのは当然だし、初期経典も数世紀に渡って編纂されたものだから、その中でも最初に作られた部分が重要になる。
そうなると相応部を重視するのは必然。
これくらいの常識すら備えてないなら議論に参加する資格はないよ。
>>95
そもそも、大乗の者に、「小乗のソースを引用して大乗の正当性を証明せよ」と言うこと自体おかしくない?
しかも、「大乗経典はソースにならない。」と根拠も無く決めつけて。※大乗は後に出来たのに小乗経典にソースを見いだすこと自体が困難
理性的に物事を検証すると言うことは、まずそうした先入観を廃して、釈尊が仏法を説いた本意とは何かを探求すべきだよ。
そうしなければ、いつまでも狭い視野で固定観念にとらわれて仏教の本質を見誤ってしまう事になる。
それに、君は仏教を実践したことも無いし、理屈だけで「仏教を理解してる」と思っている、たんなる仏教マニアでしかないので尚更だ。
例を挙げれば、恐らくマニアの君とは比較ならないほど賢くて見識の広い、一級の仏教学者である「中村 元」ような学者の意見も参考にすべきだろう。
<大乗非仏説>Wiki抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC
龍樹は、「大乗は仏教にあらず」という主張に対する反論を行なっている。
「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」
「中村元は、著書の中で最初期の仏教が縁起真如を説いていた[要出典]という独自の説を述べている」
「上座部、説一切有部が縁起を時間的生起関係からのみ解釈したのに対して、最初期の仏教は縁起を存在論的な観点から説いていたのであり、
縁起に真如を見るという思想は、一切衆生悉有仏性という大乗の教えそのものである、といった主張もなされている。」
等々、まだまだ仏教学は研究段階、これから多くの真実が発見される事だろう。
しかしながら、仮に新たな文献が発見されようとも、その「義」や「意」を理解出来るのは、仏道修行の伴わない文献学者ではかなり困難である事は間違いない。 >>97
釈迦の教えに沿っていると主張するなら、初期経典にソースを求めるのは当然。
高野山のように、後から出て来た競技だと認めるなら正しい認識。 >>97
そして、まーたそのソース出しちゃうの?w
そのソースは、お前の主張とは食い違っていると前スレで教えてあげただろ。
「しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。またこれらの学者は釈迦がサーリプッタに説いた教えが大乗の経典に含まれているとは主張していない。」
「一方の大乗経典は口伝伝承を前提としていないため暗記を容易にするような、単純な文を反復するという構成ではなく、その内容も哲学的なものも多く、明らかに文伝を前提とする文章構造になっている。文献学的観点からは文伝を前提としているのが大乗で、口伝を前提としているのが小乗である。」 90
>「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった時、私の目の前に、梵天が現れ、このように言った。」
これが完全に悟った状態という事は衆生を済度するという意欲が最後まで残る欲という事になる
これを棄てて自分達だけ涅槃入りして後はほったらかしなのが部派仏教時代以降の小乗の阿羅漢
敢えてこの欲を棄てずにこの世の衆生を度し続けるのが大乗の菩薩
以上 ソースは提示済み 理解出来ないのは君の知能の問題だから諦めて三劫かけなさい
91
そういう脳内編集をするから上座部は信用されず 今や四億仏教徒の過半数が大乗信徒なんだよ
何をどう言い繕おうと経典にない事をあると言ったり ある事をないと言って改竄が起こる様を晒し続けてるんだから
出家に至る経緯
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%B1%82%E7%B5%8C
を少し考察してみた。
「わが解脱は達成された。これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれ変わることはない。」
※これが小乗の最高位「阿羅漢」の悟りを得れば、二度と輪廻する事は無いという根拠なんだろうね。
ところが、次にこうある。
「そこで梵天が現れ、一部の人たちは悟ることができるであろうから、教えを説くよう釈迦へ懇願したのであった(梵天勧請)」
「釈迦はそれに応え、その教えを説くことを決意したのであった。 」とある。
ここで、登場する「梵天」とは宇宙根源の「法」そのものを指し、釈尊自身の「己心の「梵天」」を指している。
すなわち、釈尊己心の「梵天」が「一切衆生を救え!」と勧請しているわけだ。
すると、この物語は弟子に対しての「師のメッセージ」とも捉えることが出来る。
すなわち「たとえ解脱を得たとしても、そこに安住するのでは無く、私と同じように迷える衆生を救っていくべきである」と。
すなわち弟子に対し「菩薩道」を促しているのではなかろうか?
すると、前文の
「私もまた正覚以前のころ、未だ正覚を得ていない「菩薩」であったとき」という釈尊の言葉にも整合性を認める事ができると思うのだが。 94
ルーピー君と敬称を付けて事実を指摘してるだけ 君の悪辣な中傷と一緒にしないでね
96
殆どの大乗仏教徒は原始仏典を読んでるし 自称上座部は般若心経の批判しかしない
最初から議論なんて不可能なんだよ
>>100
だから、大乗の創作経典はソースにならない。
安価も付けられない馬鹿だけあって理解力低過ぎる。 >>102
だから、大乗の創作経典はソースにならない。
安価も付けられない馬鹿だけあって理解力低過ぎる。 >>103
「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもないと書かれているのは明らか。
それをごまかしたいという意図に基づく妄想解釈すんな。 >>106
自分の主張に反するソースを提示しちゃう馬鹿が何言ってんの? 107
聖求経が原始仏典なのも知らないとか凄い見識だな?
結局上座部の経典の事も禄に知らない非仏教徒というより他にない
109
相手の文章をコピペして返しても当てはまらなければ 君の独り相撲でしかないし そもそも原始仏典の中で論争するなと説かれてるのだから 基本から間違えてる
要するに大して経典を詠んでないから何も知らないに等しい
>>112
聖求経が初期仏典に含まれないなんて言ってないが。
捏造は大乗の習性だな。 >>113
釈迦は論理を重んじた。
それなのに、お前は論破されて発狂して悪口垂れ流してばかりだな。
論理的な主張してみろよ。
お前には無理か? 111
大乗経典で完全に悟れるとも言ってないし 全く悟れないとも言ってない
両極端のどちらかに限定しないという原始経典に共通する文脈を読み取れない君には最初から議論なんて不可能だし ただ相手を罵倒して中傷してるだけ
その行為自体が上座部で禁じられてるものだと知らない君は単なる上座部仏教のファンでしかない
本気で上座部に帰依してる人達からもさぞかし迷惑な事だろう
>>116
自分の主張に反するソース出しといて何言ってんだ?
安価すらまともに付けられない馬鹿だけあって、会話すら成立しない。 >>116
安価付けて、やり取り追われると、お前のロジックが破綻してるとばれちゃうから、
ビビッて震えて安価貼れなくなっちゃってるのは分かってるけどさーw。 >>114
聖求経をソースにしてるのに
108:神も仏も名無しさん 2021/08/28(土) 17:50:59.52 Pf54okbO(2/2)引1NG
>>102
だから、大乗の創作経典はソースにならない。
安価も付けられない馬鹿だけあって理解力低過ぎる。
と言ってる訳だから 君は聖求経を大乗経典だと誤認してる事になる
言い訳無用 >>119
お前がビビッて安価すら付けられないくせに、
突然過去レスを参照されても困るわーwww。
安価くらいまともに付けてから言えよ。 >>119
そもそも、お前が大乗経典を持ち出したものに対する俺のレスだったろ。
大乗はすぐ捏造する。
捏造・改竄・詭弁は大乗の習性だな。 115
論理的じゃないとする相手の文章をコピペして相手に向ける行為は論理的じゃない
君が発狂してばかりで論理性のない人間だという自己紹介をしとるなら同意する
そもそも君のは原始仏典の論理を解っていない人間がよくやる言動で 特に目新しいものでもない
117
君が相手の文意を読み取れないだけ
こんな簡単な理屈も解らないのにさも原始仏典の理解者みたいに錯覚してるのは病気の領域だよ
>>123
安価も付けられない、まともな文章も書けない馬鹿が何言ってんの? >>111
まずは、大乗教を少し学んでみたらどうかと思う。
そうすれば、少しは仏教の見方も変わってくるんではなかろうか?
バカとかアホは、あまり言わない方がよい。
「悟りを得た人間」とは真反対の人格と低劣な品性を晒していては、いかに君が小乗教の優位性を叫ぼうと、誰の耳にも入ってこないと思うよ。
むしろ、純粋に修行を積み重ねている小乗教徒にとっては、いい迷惑なのかも知れないぞ?(笑
小乗教(方便・権教)は正法(法華経)に開会(かいえ)されるときに、はじめて意味をもつ。
「絶待妙と申すは開会の法門にて候なり。此の時は爾前権教とて嫌ひ捨てらる所の教を皆法華の大海におさめ入るるなり。」
仏の教えは皆真実ではあるが、「唯一乗の法のみ有り 二無く亦三無し」とあるように、真実の法は「一乗」である。
その他の教えは皆「一乗」に誘引するための方便と言えよう。
末法に於いて、原始仏教に執着し修行をしても、何も得るものは無い。
自ら「小乗は世の役に立たない」と認めながら、なぜそこまで執着するのか分からない。
<法華経>
「四十余年には未だ真実を顕さず」「正直に方便を捨てて」「但だ無上道を説く」
釈尊は「執着をもたず、きっぱり(方便は)と捨てろ」と説いている。 118
相手の文章を禄に読まずに口答えするお子様にはアンカーなんて勿体ない
自分が何を言ったのかもよく覚えていないから戻って確認する必要が有るんだろ?
>>122
自分自身にぴったりの文章で、他人を誹謗するとか、馬鹿だねえw。
という、論理的指摘だぞ。
愚者には難しかったカー。 >>125
読んだ結果がお前じゃあねえww。
論理的な主張は、お前には無理か? >120
君に確認する癖を付ける為にわざわざアンカーを消してあげてるんだから感謝したまえ
相手の文章も読まず 出してるものが原始仏典か大乗経典かも理解してないからこんなおかしな返答になるんだしな
108:神も仏も名無しさん 2021/08/28(土) 17:50:59.52 Pf54okbO(2/2)引1NG
>>102
だから、大乗の創作経典はソースにならない。
安価も付けられない馬鹿だけあって理解力低過ぎる。 >>126
アンカーすら付けられない馬鹿が文脈とか騙るなよwww。
文脈を尊重するなら、そんな間抜けなことしねえよwww。 121
まだ大乗経典は出してないから人違いだな
そういう所も含めて確認不足
カーラーマ経すら読んだ事がないと見える
124
アンカー着けられないと当日の自分の発言も覚えていられないという敗北宣言かな?
127
相手の真似をして怒らせて優位になろうとするのは小学校低学年迄のやり方だから それが君の理解度そのものなんだよ
>>131
そうか?出してたと思うが。
安価すら付けられない馬鹿のレスを読み返すのも面倒だから読み返してないからな。
安価すら付けないお前が過去レスをとやかく言うのは失笑するしかない。 130
文章と言ってるのに文脈と誤読する所を見ると老眼かな?
見た目は大人 頭脳は子供って事か
>>132
は?この馬鹿何言ってんだ?
安価すれ付けてないのくせ、過去レスをチェックしてもらえると思ってんのかよwwwwwwwwwww。
頭悪杉。 >>135
は?文脈と散々言ってたのはお前だろ。
この馬鹿、何言ってんだろ? ぜんぜん、独り言なんだけど、小乗教徒(テラワダも含め)の人達って、輪廻しなくなるのが最終目的なんだろうけど
「無」になって何が良いの? 私にはサッパリわからん。
まぁ、そういうのを「厭世思想」と言うんだけれども
世の中、確かに苦しいこともあるけど、楽しいこともそれ以上にたくさんあると思うよ。
「ひたすら苦しい現実から逃れたい。」なんと消極的な思考なんだろうと思う。
ちょうど自殺志願者が現実逃避の為に「死」を選んでしまうようなものである。
釈尊も「苦しい現実から逃れたい。」その一心で厳しい修行をして解脱したのだろうか?
それが本当なら、釈迦はなんと、弱っちー人間なんだろうかと言うことになる。
そんなはずは無いんだけどね。
134
法華経なら俺じゃないぞ?
大乗経典はせいぜい般若心経の名前ぐらいで文面すら出してないけど 一体何の経典を大乗経典だと思い込んだのかな?
要するに大乗経典と原始仏典の見分けも付かなければコテハンとIDも宗派も違う別人の見分けもつかない全くの無明さんという訳だな?
136
相手の文章も読まない上に自分の発言もチェックしないのならアンカーは要らないだろ?
語るに落ちたな
137
君の主観的な世界の中ではそうでも 君以外の人々に共感して貰える事実とはならない
138
今回の君のアンカー先では文章と言ってるのに対して文脈と言ってるんだから受け答えとして支離滅裂
>>139
>何が良いの?
良いとか、悪いとか、言ってんのがもうねえ…。
>世の中、確かに苦しいこともあるけど、楽しいこともそれ以上にたくさんあると思うよ。
はい、欲望に塗れた凡愚。
凡愚には理解できないのは、釈迦の時代から分かってる。
お前には理解できないよ。 >>140
だからさ、安価すら付けてない馬鹿が
>法華経なら俺じゃないぞ?
とか言うなよwww。
お前のレスなんてチェックしてない。
安価すらつけてないのに、チェックしてもらえると思ってんの?
ワガママすぎる愚者。 >>141
安価すら付けてない馬鹿のレスなんて読み返す筈がない。
安価すらつけてないのに、チェックしてもらえると思ってんの?
ワガママすぎる愚者。 >>143
安価すら付けてないのに過去レス語るなよwww。
安価すらつけてないのに、チェックしてもらえると思ってんの?
ワガママすぎる愚者。 わざわざ安価外しておいて、「過去レスではーー」と言い出す馬鹿には失笑するしかない。
面倒だから過去レスチェックせずにレスしてる。
過去レスではそう書いてなかった?
だったら安価消すなよwwww。
ワガママすぎる愚者には失笑するしかない。
自分が原因なのに、他責にすんなクズ。
>>139
釈迦は苦しみの原因を我だと見なしたんだよ
我が生まれて死ぬ理由を思いと行為にあると見抜いて過去の因果を受けつつ来世の因となる業を積まなければ輪廻からは解脱出来るて同時に我も無くなるから苦しみと主体が消える
転生しなくなれば死もなくなるから不死という理屈だから
大乗の菩薩達は僅かに残した欲を原動力として生死輪廻の狭間から衆生を悟りへと導く事に悦びを見出したから涅槃に消えなくてもいいし 望まない限り再び生まれて来る事もない 所謂浄土を設けて其処に住する事が出来るという訳
だから皆悟りに近づくと菩薩行に魅せられて 阿羅漢とはならずに利他を続ける事が出来ると
大乗が小乗を越えて広く大衆の支持を得たのもそういう所だろうね >>149
釈迦の教えが、凡愚には受けないというのは事実だろう。釈迦もそれは認識していた。
しかし、だからといって真理を曲げるのは違う。
そこが、釈迦の教えと、大乗の違い。
釈迦は真理を語り、大乗は真理を曲げた。 145
チェックもしないで間違えたからってアンカー要求するなよ
「他人の過失を見るなかれ 他人のしたことと しなかったことを見るな
ただ自分のしたことと しなかったことだけを見よ」『ダンマパダ』50
どんなに立派な教えでも実践出来なきゃ ただの飾りだぞ
146
だからチェックしないのならアンカー要求する必要はないだろ?
以後要求するなよ
>>151
だから、安価も付けてない馬鹿の過去レスなんてチェックせずにレスしてる。
当たり前だろ。
安価を付けないなんてお前だけだ。
そんな、マナー違反やっておいて、過去レスをチェックしてもらえると期待すんなクズ。 >>152
安価要求なんてしてないぞ。
安価も付けないくせに、「過去レスはこうだったぞ!」と言い出すのは間抜けだなww、と言ってるだけ。 148
つまりブッダや上座部の阿羅漢達みたいに相手の言葉と自分の言葉とのやり取りを覚えていられないって事だろ?
悟った人達が出来る事を出来ないという事は悟れていないという事で 悟れていないままに あれでは悟れない これなら悟れると仏典全体を上から見下ろして評価しているって事だし そんな人物の言う事なんて誰も本気で聞かない
誰が見ても悟れていない人が初期仏教で悟れるんだーって人の集まる駅前で騒いでる様なもんだ
>>155
凡愚の発言をいちいち覚える筈がないだろ。 安価をわざわざ消すなんて凡愚は、お前くらいのもんだろ。
そんな馬鹿、初めて見たぞww。
嫌がらせのために安価をわざわざ消してると全スレで言っちゃったのはID:56oC5N2xのミスだなあ。
そのせいでごまかせなくなっちゃってるw。
156
ところが原始仏典に出て来るブッダや阿羅漢達は逐一細かい所まで覚えてるんだよな これが
だからそれが出来ない人は悟っていないとバレてしまう
それを凡愚と言うんだよ 最も悟った人はそんな汚い言葉は使わないし その手前の人達も同様 目指してる人だって努力ぐらいはするもんだ
だから君は初期仏教で悟れると言いつつ 何一つ悟っていないし その為に必要な事は何一つ実践していないし 努力すらしていない最下層の人物だという事が誰の目にも明らかで 今のままだと死後は三悪趣
悔い改める気がないなら軽々しく仏教を偽る様な事はしない方がいいよ
ブッダは誰も罰さないけど 仏教に帰依する神々は経典にある様な恐ろしい罰も平気だからね
157
2ちゃん時代から沢山いるよ
君が知らないだけ
158
嫌がらせなんて一言も言ってないのにまたもや捏造歪曲したね?
さすが日本人をジャップ呼ばわりするミンジョクだけの事はあるニダ
>>159
興味ある相手とのやり取りしか覚えてないよ。
凡愚乙。 >>161
は?前スレで言ったのも忘れた振りかよww。 162
誰も君に興味深いから消えなさい
せっかく本物の初期仏教徒と高度な話をしてたのに 君のお喋りで台無しだから戻って来ないでね
大乗カスの言い訳
「確認させる為にワザとアンカー消してやってる]と言ったのであって、「嫌がらせ」なんて言ってない。
絶対こう言ってる来るぞ。
カスのやることはお見通しwwww。
163
前スレで結論は出たと言ったのも忘れて未練がましく次スレを立ててるのは誰かね?
>>165
スレタイを証明してくれるお前みたいな人材は貴重だよ。 >>167
前スレの終わりでもっと発言したと言ってる奴がいたからな。
そして、興味ないならレスすんなよ。
毎度毎度論破されて、悔しくて粘着しちゃってるのは笑う。 >>164は効き過ぎて、涙目スルーのID:56oC5N2x 大乗カスの手口は、
「嫌がらせのために安価をわざわざ消してると言った」と指摘されて、
「確認させる為にワザとアンカー消してやってる」としか言ってない、捏造だー!!!と発狂してるだけ。
経典についても同じことやってる。
クズ大乗の手口がばれたなあ。
>>149
※頭のおかしい人は無視して、しばらく「放置プレイ」が「吉」です。
※この手の人間は要するに「かまって欲しいだけなのです」
※無駄な労力を使うだけで無意味です。
>苦しみの原因は「我」
「我」というか、つまり「無明」(愚かな煩悩・執着心)ってことですよね。
>来世の因となる業を積まなければ輪廻からは解脱出来る。
理屈では分かりますが、まず現代人には不可能じゃないかな?
>我も無くなるから苦しみと主体が消える
>転生しなくなれば死もなくなるから不死という理屈だから
我が無く、主体も消えるとなれば、「完全なる無」と言うことでしょうか?
だとすれば、もはや「生も死も無い」と言う事になりますので、「不死」という表現は適切ではないのかもしれませんね。
しかし、私はこの考えには納得出来ません。 <涅槃経>に曰く
「生まれ、存在し、形成され、壊れていくもの、それを「ああ、壊れるなかれ」ということがどうして得られようか。そのようなことはあり得ないのだ。」
これは、「生老病死」は不変の真理である事を釈尊は認めているのではないでしょうか?「無情の生命」に於ける「成住壊空」もまた不変の真理であると思います。
であるならば、「死なない人間」が居ないように、「生じない生命」もまた無いのであると解釈してみたいと思います。
「なぜ、生命はこの世界に生じるのか」という根源的な問題を考えるとき、「因果の法」より必ず理由があると思います。。
仏法に「偶然」や「因果を無視した奇跡」などあろうはずも無い。
そうなってくると、私たちはなぜ、この世に「人間」して生まれてきたのだろうか?という疑問が生まれます。
仏法は「人間以外を生命と認めない」なんて事は言ってませんので、ゴキブリやミミズでは無く人間として生まれる事には、それなりの理由(過去世の因)があるでしょう。
人は様々な環境に生まれて来ます。五体満足でないこともありますし、戦禍の国、貧しい国に生まれることもあるでしょう。
そこには必ず「過去世の因」があるはずです。
とはいえ、仏法では人界に生じることは、過去世に無数の善根を積んで居るからだと説かれます。
また、人間に生まれたからこそ、仏法を学ぶことが出来ます。
「私たちはなぜ、この世に「人間」して生まれてきたのだろうか?」この問題を解決できない限り「死後の問題」を解決できる居るはずがありません。
もし仏教の最終目的が「輪廻からの解脱」であるならば、べつに「無」にならなくとも「ミミズ」でも良かったはずです。
ミミズやもっと下等生命体ならば「苦悩」なんて感じないでしょうからね。
もっと言うならば、「最初から生まれて来なければ良かったはずです」そうすれば修行も必要もなかったはずです。
※いわゆる「生まれて来てゴメンナサイ」理論ですね。(笑
しかし、「生老病死」という不変の真理はそれを許しません。
「諸法」はその、ありのままの姿が「実相」であるというのが私の認識です。
>>173
お前には欲を断つことが不可能なのだろう。
しかし、それはお前の問題であって、「現代人には不可能」とか言い出すのは良くない。
お前個人の問題。 >>174
そのような勝手な妄想で恣意的な理論を構築するのは釈迦の教えに反する。 明確にこうだ!と言えないことについて、
こうかもしれない、そうだと仮定すると、と妄想を膨らませても無意味。
そして、釈迦の教えに反する。
初期経典を読めば、釈迦は確実に言えることだけに基づいて教えを説いていることに気付く。
169
禄に経典も読まず修行もせず 初期仏教で悟れるんだなんて軽々しく言う方がインチキだ
170
駄レスし続けてるのはお前なんだから お前が黙れば済む話
本物の初期仏教徒との話が面白いだけだからお前は黙ってていいから
禄に原始仏典を詠んでない上に意味内容が読み取れないんじゃ話にもならん
171
小学生並みの煽りはどうでもいいから論理性のある事を書いてくれ
172
嫌がらせの為という発言をした俺のレスが存在しない以上はお前の妄想
>>173
完全な無というのは宇宙の何処にも存在しないから空というしかないよ
原子の中の広大な空間でさえ素粒子で満たされてるけど それ自体には自我は存在しない訳だしね
要するに構成条件を解消すれば我は存在せず 条件が揃った時だけ我となるんだから 天台教学で言う仮って事じゃないかな?
仮の我が集合離散を繰り返す度に生死輪廻して四苦を受けるというのが基本法則で 原因を作らなければ結果もないというのが裏技=解脱で 大乗の菩薩は更なる裏技として涅槃の寸止めで存在するけど死にませんという特殊な状態に入ったと見れば ああなる程となるよ >>174
一寸の虫にも五分の魂だから 下等動物と言えど死ぬ瞬間の苦しみは有るんじゃないかな?
出なければ不殺生をあれほど強調しないだろうし 晩年の釈迦は戒を守る事で戒に護られるとも言ってるし アングリマーラは悟った後でもそれ以前の殺生の果報で虐殺されてるしね
けれどもその死が最後で 苦しみの終焉だと確信出来たから釈迦の言う通りに耐え抜いて無抵抗のままに死ねたんだと思う >>178
釈迦の時代は、経典など存在せず、釈迦の教えを聞くだけで覚れていた。
それなのに、「マントラ経典を読まないと覚れない」と言い張るんだから、お前は釈迦の教えを何も理解できていない。 >>179
誰でも自由に書き込める掲示板で、我侭に暴れてるのは愚か。 >>180
まーた、小学生並みの煽りだな。
今日も、論理的反論ができなくて発狂してんのかよ。 >>181
出たーwwwww。
>>166で予言したとおりの言動。
「確認させる為にワザとアンカー消してやってる]と言ったのであって、「嫌がらせ」なんて言ってない。
絶対こう言ってる来るぞ。
カスのやることはお見通しwwww。 >>182
オカルトしかない理論だな。
釈迦とは似ても似つかぬオカルトカルト。 >>183
そんな妄想論理では、死を恐れたままなのは必然だな。
お前は、欲望に捕われたままだ。だから、苦悩するのは必然。
そんな教えでは、一生マントラ繰り返しても、覚れないだろう。
お前らが覚れないのは必然。 >>183
お前が愚かなのは、覚りに向かっている俺を誹謗中傷するくせに、お前ら自身は欲望に塗れ、快楽を求める凡愚だということ。
凡愚が覚れない状況を理由に、正しい教えまで卑下してしまっている。
嘆かわしい限りだ。 >>184 〜 >>190
子どもじゃあるまいし、少し落ち着いたらどうかね。
戒律を重んじる初期仏教に於いては、あなたのその言動や修羅界の心こそ
釈迦の教えに反しているんではないかい?
しらんけど。
>>182
その「裏技」の論拠となる経文を教えて頂けませんか?
>>183
>一寸の虫にも五分の魂だから 下等動物と言えど死ぬ瞬間の苦しみは有るんじゃないかな?
>でなければ不殺生をあれほど強調しないだろうし...
そこ私も一番悩むとこなんですよね。(笑
「不殺生」は、なにも人間だけに適用されるものではなく、下等動物にも適用される。
顕謗法抄に曰く
「螻・蟻・蚊・蝱等の小虫を殺した者も、懺悔しなければかならずこの地獄に堕ちるのである。」とある。
生きていくうえで殺生をしないということはありえない。
無意識のうちに微生物を殺している場合もあれば、害をなすものを除くためや、食料となるものを殺す場合もある。
ところが御文では、殺生を繰り返せばその罪は消えがたく、現に意識するといなとにかかわらず殺生が行われている故に、
「されば当世の日本国の人は上一人より下万民に至まで此の地獄をまぬがるる人は一人もありがたかるべし」と仰せられている。
※アサリのバター焼きとか魚の活き作りとか。考えてみれば人間って残酷だよね。
※実際、豚や牛の 屠殺場の現場を見たら人間が悪魔に見えてくる。
ごれじゃ世俗を断って、山林で木の実を喰って生きるしか、罪障消滅なんて出来ないだろうね。
ましてや「仏の悟り」なんて、夢のまた夢でしょ。
では、どうするのか?ポイントは「懺悔しなければ..」という部分でしょうね。 >>191
また、論理的な反論はできずに、悪口連呼するだけかよ。
明確にこうだ!と言えないことについて、
こうかもしれない、そうだと仮定すると、と妄想を膨らませても無意味。
そして、釈迦の教えに反する。 あっ!裏技って、「四弘誓願」の事だったかな?
自分の悟りを後回しにして衆生を救済することを誓ったんだよね。
納得。
あっ、「放置プレイ」の快楽にのたうち回ってるお子ちゃま発見!(爆
ご自分の事は棚に上げておいて「釈迦の教えに反する。 」を連呼する幼稚さ。
>>194
まともな日本語しゃべれよ。
もはや論理以前の問題。 184
教えを聞くだけで悟れたのは元々修行してた人だけで 何もしてなかったのに教えを聞いたらいきなり悟れたなんて話は知らん
187
つまり言ってないのが判ってて嘘をついたか直後に気付いて慌てて判ってたフリをしたかのどっちかで不妄語の教えを実践出来てない事の証左
189
死を恐れてないのに他人の死の恐れを指摘する必要はない
自分が恐いからお前も恐いだろうと言ってるだけ
死が恐いなら常に自分の死の場面を観想するのが初期仏教のやり方だから それが出来てれば そんな事にはならない
190
本当に悟りに向かってるかどうかは師について教えて貰え
お前の主観的な妄想とは真逆の答えが返って来るから
>>196
またもや無知を晒す馬鹿大乗。
感嘆の言葉25章
「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 >>202
馬鹿が発狂してるけど、元のレスが分からんし、読み直すのも面倒なんでレスは省略な。
せっかく頑張ってレスしてくれたみたいだけど、ごめんな。
ま、ざっと読んで気になる部分があったらレスしてあげるよ。
前後の文脈は分からないけどw。 >>191
経典は忘れたけど 初期大乗〜龍樹の論書辺りを調べて行く内に「悟ってなお涅槃入りせず」というのが有ったんだよね
阿羅漢になってしまえば死後は涅槃入りして我を維持出来なくなるから その前の何処か‥不還でもこの世との関わりは薄くなるから一来果辺りで死んで転生をしないままに止まるのではなかろうかという仮説だけと それなら菩薩や明王が死ぬ事なく衆生から見えない手助けをしているというのも有り得るかなと
不殺生の事だけど 釈迦はジャイナ経の菜食主義は極端だと批判もしてるかし 三種の淨肉の条件に当てはまれば肉食も可としているから殺意の有無と殺生をしない努力が大事なんじゃないかな?
懺悔も大事だよね
例えば赤ん坊を雀蜂が刺そうとしている時にどうするか とかトロッコ問題の場合とかは全く殺生をせずには解決出来ないだろうし >>205
「「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった」
というソースを提示しておいて何言ってんだよ。
お前の主張する「衆生済度」は覚りに必要でもなければ、覚りの内容でもない。
はっきりそう記述されてるのに、妄想と願望で釈迦の教えを曲解すんな。 203
その文章で言うならお前は賢者じゃない方だから
204
まずお前が自分自身を悟りに向かう俺と評したが本当にそれに値するかどうかは自分で決める事ではなく師僧に評価を仰ぐべき事だというのが仏教全体の常識な
自薦が認められたのは最初の阿羅漢即ちブッダのみだから 自薦で悟りへ向かってる等と評するのは厳に慎むべき事
在家の五戒すら守れないで貪りと憤りと愚かしさを自らに禁じられない内は間違っても軽々しく自分は悟りに向かってる等と大それた発言は控えるべきなんだよ
本当に初期仏教の指導者に付いて学んだら そういう増上慢はへし折られる筈だからお前は悟りに近づいてるんじゃなくて 悟りを自分に近付けてるだけに過ぎん
降霊術でブッダが自分に降りて来た〜とか言ってるおかしな人と変わらん
初期仏教の瞑想会にでも参加しておかしな所を治して貰うか心療内科で診察を受けなさい
教本を読んだだけで俄かに悟ったなんて古今東西聞いた事もないし 釈迦の説法を聞いて悟った人達は元から修行していた人の中の極々一部だから
そんな才能が有るなら釈迦の時代のインドに生まれてとっくに涅槃入りしてなきゃおかしいという事に気付かないとな
>>209
釈迦が覚ったかどうかを誰が判定したんだ?
頭悪過ぎて笑う。
そもそも覚りは内面的なこと。
覚ったー!と誰かに宣伝するものでもないし、誰かが判定するものではない。
大乗カルトは色んなことを捏造してんな。 今日も、外道が論破されて発狂してる。
論理的反論ができる大乗は少なくてもここにはいないんだな。
211
そんな事も判らんのか?
釈迦の指導で悟った弟子達から見て悟ってたら互いの悟りを保証し合う集団が形成される それがサンガだ
人数が少ない内は相互承認で構わんが増えたら自称する者が出て来たから長老達が判定する様になって行ったんだよ
前に話したタイの高僧の戒律違反もそうした認定システムが甘くなって自己申告になったから真贋の見分けが付かなくなったって事で そんな覚者と偽物の見分けが付かない僧侶達が悟ってる訳がないだろ?
其処で初期仏教で悟れるというお前の主張は元から崩れてるし 判定出来る僧侶もいないか いても機能していないって事が推察出来るんだよ
>>213
まったくもって的外れ。
自身の問題なのに、なんて他者に同意してもらう必要があると勘違いしてる?
釈迦が「己だけを頼れ」と説いたのも同じ趣旨。
自分の問題なんだから、他者がどう評価するかなんて完全に無意味。
また、「こうして、最後まで残っていた、私の欲、衆生を済度する意欲を、亡くしてしまった」 というもの類似の趣旨。
他者がどうかなんてことはどうでもいいこと。 >>213
それと、釈迦の覚りをサンガが判定してなんて妄想は初めて聞いたよw。 そもそも、酒飲んでSEXしてる生臭大乗坊主に覚りの判定なんてできない。
大乗生臭カルトと縁を切るのが、覚りへの第一歩。
いかに、彼女いない歴数十年、かつ童貞だからといって、大乗に嫉妬し責任転換するのは男らしくないし
如何なものかと思うよ。マジで。
みっともないからやめなさい。
っったくもう。
>覚りへの第一歩。
それは「悟り」を「−100歩」進んでいる君が言うことではない。
>>217
くっだらな過ぎる煽り。
酒飲んでSEXしてる生臭大乗坊主の教えを受けてるからそんな低俗な悪口吐くんだろうな。 >>218
よっぽど悔しいんだろうな。
しかし、覚りは個人の問題。他人を気にするより自分のことに集中しよう。
そんなんじゃ、欲望と悩みに囚われて苦しみ続けるだけだ。 214
だからそれはオリジナルだけの特権な
自ら悟り他者をも悟らせて初めて あの方はブッダだ となる
一番最初のコンダンニャの悟りがそうだ
その後弟子達が続々と悟りを開いて行った事で その悟りが本物であると確認する人が増えて更に確立されて行く
他人が関係ないならわざわざ他人に自分は悟ったなんて言う必要もないし 一人で鏡に向かって俺は悟ったってやっとけばいい
本当に悟ったなら仏教に帰依した神々が礼拝に来るだろうから それで確認すればいいし それがないなら単なる独り善がりだな
215
何の判断も無しに人が他人を信じる訳が無いだろ?
何千年も失われていたブッダが現れて直ぐにはいそうですか なんてなる訳がない
実際に最初の五人の元修行仲間達はブッダを脱落者と見なして疑い 問答をしてる訳だから妄想でもなんでもない
お前が字面しか読めてない事の証左だよ
>>221
お前はまた愚かなことを言ってるな。
覚った釈迦は、他人に説法するのは面倒だと思った。
「他者をも悟らせて初めて あの方はブッダだ となる」というのは明白な間違い。
他人に説法することは覚りに必要ではないし、覚りの内容でもない。
これだけ同じことを教えてあげても凡愚は理解できないんだからうんざりする。 >>222
これもまた愚か者。
他人に信じてもらうことになんぞ何の価値もない。
これもまた何度も教えてあげたのに、凡愚は理解できないんだからうんざりする。 216
それはお前のステレオタイプの思い込み
禅寺なんかは未だに そうした俗欲とは無縁の質素な暮らしをしながら ひたすら修行三昧だしな
俗悪の権化みたいに言われてる密教にだって世間と縁を切って細々と修行生活をしてる人達も僅かにいるし そもそも結婚=sex三昧なんてお前が同棲生活すらした事がないから膨らむ妄想でしかないよ
コントみたいに 毎晩の様にあなたもう寝ましょ みたいな事を女はいないから
実際に後継者不足で僧侶の婚活パーティーなんて開かれるぐらいだし そもそも寺に婿入り 嫁入りしようなんて物好きはそうそういない
金の集まる大寺院の雇われ僧侶なんてサラリーマンよりも安い賃金で長時間労働だし お前が言う様なのは全体の一割にも満たないだろうな
総本山か各地の有名寺院の跡取りとかでも無ければ金も女もままならないっていうのが実態だよ
それに寺は個人の物じゃないから跡継ぎがいなかったりしたら定年後は追い出されるしな
で 何で悟りの目利きが出来るかと言えば覚者は戒律違反をしないからだよ
有名なスマ長老なんて午後の食事をしたからってアンチに突っ込まれるぐらい詳しい在家がいるから偽物はすぐにバレるんだよ
南伝だろうがチベットだろうが日本だろうが高僧の違背はニュースになるし サンガ律が守られず 余程の事がない限り追放もされないという温い実態が今の仏教だから完璧な覚者がいるなんて幻想だぐらいに思っとかないと騙されるぞ
未だに山林に住み続けて食事は1日一回午前中のみで睡眠も必要最低限で日中も深夜もひたすら瞑想してるなんて集団があったら違うかも知れんが もはやそんなのは伝説だよ
223
その思い込みが魔境だから
教えてあげるだなんて心得違いも甚だしい
増上慢から教わる事は何もないか こうなったらお終いという反面教師程度だな
>>225
まーた捏造。
「大乗坊主は酒飲んでSEXするのがスタンダード」と言ったのであって、
全員が酒飲んでSEXしてるとも言ってないし、sex三昧だとは言ってない。
大乗は捏造と詭弁と藁人形論法ばかりだな。 >>226
欲望まみれで、現世を楽しむのが現代人、とか抜かしてる凡愚が、思い上がるな。 >>227
まーたそれ。
だからさ、正しい道を歩んでる俺が妬ましい気持ちは分かる。
しかし、覚りは個人の問題だ。
そうやって他人を誹謗中傷しても、お前には何の益もない。
他人を誹謗中傷してる暇があったら、お前自身の内面を見つめ直したほうがいいよ。
このスレのお前のレスを読んだだけでも、お前の濁った内面が現れていて、酷い有様。 そういや、創価学会の破門されたソース提示されて、発狂して日蓮宗の坊主が女と遊んでる醜態の写真貼ってる奴がいたな。
あれこそまさに「大乗坊主は酒飲んでSEXするのがスタンダード」。
内心では、酒飲んでSEXするのは釈迦の教えに反すると感じている。だから、飲んでSEXするの大乗生臭坊主のスタンダードだと指摘されると発狂する。
内心では、破門された創価学会の教義に疑問を感じている。だから、創価学会は破門されたと指摘されると発狂する。
内心では、ニセ本尊を崇拝して、マントラ唱えて成仏できるなんてほんとか疑問を感じている。だから、
当時(初期)の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
https://www.koyasan.or.jp/shingonshu/
と示されると、発狂する。
そうやって、自分自身の正しさに確信がないから、他人を誹謗中傷するのだろうな。
しかし、そんなことをしても、ますます苦悩するだけ。
賢者は理性によって己の正しさを確信する。 >>225
「酒飲んでSEXしてもいい!
だけど、午後の食事をするのは偽者だ!!!」
こんな愚かな主張をしていて恥ずかしくないのかな?
まともな理性があれば、
「酒飲んでSEXしてもいいんだから、午後の食事なんて何の問題もない。」
「午後の食事するのは問題だ。酒飲んでSEXもする??そんな生臭坊主いんの?え?JAP大乗はそれがスタンダード?JAP大乗は外道だな。そんなもん拝んでる連中はアホだなww。」
のどちらか。 釈迦の時代にはなかった「他者救済」を大乗は全面に出した。
しかし、現実の苦悩に対しては何の効力もない。コロナで多くの人が苦しんでいるのに、大乗は何の役にも立っていない。
「他者救済」は詭弁である。
に対する回答も、論理的反論も、結局出てないのがねえ。
>コロナで多くの人が苦しんでいるのに、大乗は何の役にも立っていない。
なにが「苦しんでいるのに...」だよ。
そうした人を救う気も無い人間が偉そうに言うもんじゃない。
そもそも、「コロナで苦しんでいる人の為に役に立つ」とはどういう場合を想像しているの?
答えられないでしょ。助けたことないから。
君の思考は本当に幼稚過ぎる。自分で解らないのかな?
もし、「テラワダのような低級思想の小乗教」が、この日本に蔓延していたら
学校の倫理の教科書には「他者救済は詭弁だ」とか普通に載るんだろうな。
そうすると、コロナ患者を治療する為に身を危険にさらしてまで医療に従事する人なんて皆無だったろう。
そんな無慈悲な社会なんて想像するだけでゾッとするね。
人類が平和に暮らす社会を望むのなら「他者救済は詭弁」とかいうバカみたいな考えはやめた方がよい。
小乗教は人々に「無気力」「無関心」「自己中」な心を植え付ける。
そして、この様な低劣思想に染まってしまうと、頭のオカシイ人間になってしまう。
>>235
馬鹿だなあ。
釈迦は「生ある者が死に、形ある物が滅する」のは世の理という立場だから、それを救えないのは当然。
ところが、騙り大乗は「他者救済」と言い出した。そんなこと謳ってるけど、実際には救えてないのはどうして?
こういう状況なのも理解できてないのが頭悪い。 >>235
「医療に従事する人は大乗!!!」と捏造して言い張るのかよwww。 >>235
ワクチンを開発したのは大乗とは無関係の海外の製薬会社。
医療に従事している人もほとんどは大乗信者ではない。
それなのに、「コロナ患者を治療する為に身を危険にさらしてまで医療に従事する人」がいるのは大乗のお蔭と言い張る独善詐欺師。
それがお前。
釈迦の時代にはなかった「他者救済」を大乗は全面に出した。
しかし、現実の苦悩に対しては何の効力もない。コロナで多くの人が苦しんでいるのに、大乗は何の役にも立っていない。
「他者救済」は詭弁である。 >>238
>そもそも、「コロナで苦しんでいる人の為に役に立つ」とはどういう場合を想像しているの?
この質問にはスルーですか?(笑
それより、文意を読み取れないようだね。
>「医療に従事する人は大乗!!!」
どこに書いてある、そんなこと?
君は老眼なのか?
まぁ、ハッキリ言えることは「医療に従事する人」はテラワダのような低劣小乗教徒など、
比較にならないほど人々の為に貢献しているというのは事実はだわな。(笑 無宗教の一般人より遙かに劣る宗教(思想)
それが「小・乗・経」なのだ。
そんな時代遅れの宗教は、ハヨ!ヤメなしゃい!
>>239
「他者救済」を謳う大乗が、コロナで苦しんでいる人たちをどう救済するか考えろよ。
「他者救済」を謳っておいて、そんなことすら回答できないとは呆れた。
騙り詐欺師大乗。 >>240
論破されて発狂して誹謗中傷。
情けない醜態だな。
反論は論理的にしような。
愚者には無理か。 >>239
ワクチンを開発したのは大乗とは無関係の海外の製薬会社。
医療に従事している人もほとんどは大乗信者ではない。
他者救済を騙っておきながら、何の役にも立ってない詐欺大乗。 「生ある者が死に、形ある物が滅する」という真理に反して、「他者救済」なんて掲げたら破綻するのは必然。
だから、大乗は破綻しているし、覚ることができない。
オカルト仏を頼っても救われないし、他者を救うことなどできない。
できるのは、正しい教えを示すだけ。
しかし、正しい教えを示しても、欲望に塗れた愚者には理解できない。
それは、釈迦も言ってたし、このスレからも明らか。
>>241 〜 >>243
ダミダこりゃ!(笑 ※いかりや長介風
たぶん君は日本人じゃないだろ。※確実に誰にでも分かる事だ。
だって日本語読めてないもん。
しかも小学生にも劣る読解力なんだもん。
出身は何処の国なの? 東南アジアとは思うが。
カンボジアあたりか?
「スォ スダイ!」こんにちわ
君は日本にいつまで滞在するのかな?
ここへ来るには、もう少し日本語を勉強して来なさい。(笑 >>245
論破された発狂してんのはみっともないなあ。
「他者救済」を謳うヒンズー大乗が、コロナで苦しんでいる人たちをどう救済するかを考えるのは当然。
なんで、そこで他の宗教に聞くんだよwww。
自分らの教義すら分からないならヒンズー大乗の信者なんて辞めたら? >>245
理性的に論破されて、悪口連呼の醜態は仏教徒ではないな。 >○○は他者を救うことなどできない。
なんて言う人は、少なくとも他者を救おうという心がある人間が言う言葉であって
<「他者救済」は詭弁>とかいう無責任な人間の発する言葉ではない。
なんべん言い聞かせたらわかるんだよ。
日本語分かる?
伝統仏教「己を救うのは己」
ヒンズー大乗「他者救済を謳う俺たちのほうがすごい!」
伝統仏教「ふーん、じゃあコロナで苦しむ民衆を大乗はどうやって救うんだ?」
ヒンズーアホID:xMEX/TNF「コロナで苦しんでいる人の為に役に立つとはどういう場合を想像しているの?」
伝統仏教「他者救済と言い出したのはお前なのになんでこっち聞くんだ?お前が説明する側だ。」
ヒンズーアホID:xMEX/TNF「あぼぼぼぼぼおおお!」
論破されてヒンズー大乗は今日も発狂。
あんねー
>コロナで苦しんでいる人たちをどう救済するか考えろよ。
って、救済の仕方を思いつかない(※いや考えたこともない)人間に
「このように救済する」と話したところで
それが正しいかどうか、どうやって判断するんだよ。(笑
いつものごとく幼稚な返事しか返ってこないでしょ。
つまらんのだよ君は。
日蓮大聖人曰く
「法 自ら(おのずから)弘まらず(ひろまらず) 人(ひと)・法を弘むる故に(ゆえに)人法共に尊し(にんぽう ともに とうとし)」
要するに、大乗教徒が直々に人々を救済するというより、大乗の菩薩の精神を学んだ人々が
あらゆる分野(医者、教育者、政治家、学者)に於いて人々を救済してゆくと言うのが現実だろうな。
別にどこかの宗派に属さなければならないと言うわけでは無い。
「自分の事より苦しんでい人を救いたい」という「その心」は誰であろうと「菩薩の心」であり大乗仏教の根本精神でしょう。
歴史に残り、皆が尊敬するような偉大な人間はみんなそうだ。
小さな殻に閉じこもって、自身の安穏のみ願う小乗の思想がいかに低い考えか分かるだろう。
「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」だ。
>>251
「他者救済」と謳ったのはただの詐欺で、具体的な方法は何もないから逆切れ。みっともないなあ。
コロナに対する救済策は何も提示できないのに
「要するに、大乗教徒が直々に人々を救済するというより、大乗の菩薩の精神を学んだ人々が
あらゆる分野(医者、教育者、政治家、学者)に於いて人々を救済してゆくと言うのが現実だろうな。 」
とか、言っちゃう詐欺師。
他者救済と謳っておきながら、具体的方策は何も示せないんだから、論理的にお前の完全敗北。 >>252
ワクチンを開発したのは大乗とは無関係の海外の製薬会社。
医療に従事している人もほとんどは大乗信者ではない。
それは認めたくせに、
「要するに、大乗教徒が直々に人々を救済するというより、大乗の菩薩の精神を学んだ人々が
あらゆる分野(医者、教育者、政治家、学者)に於いて人々を救済してゆくと言うのが現実だろうな。 」
と、捏造する詐欺師。 >>253
もともと釈迦の教えは、哲学に近い。
それを、大乗がオカルトを注入してカルト宗教をでっちあげた。 >>251
「自分の事より苦しんでい人を救いたい」という愛の精神はキリスト教の教えだろ。
キリスト教をパクっておいて、大乗仏教の根本精神と騙るのは呆れる。
パクリ詐欺師かよ。 他人は自分の鏡だから、
他人を助けることで自分を助けてるともいえる
自分は万法に証せられているわけなので
万法=他人、証せられる=他人の評価
ということも重要ですね、世俗的にね
世俗を度して自分を度するのが大乗ね
世俗が地獄でも自分は極楽が南方系ね
228
言った事を言わなかったと言い 言わなかった事を言ったというのがお前だから
お前が言うのが事実なら一人ぐらいはお前の側について証言するさ
230
幸せな勘違い乙
お前を妬む奴なんて仏教界には一人もいないから そのまま一生他人に投影してればいいよ
お前が他人に向けてる言葉はそっくりお前に当てはまってるとお前以外の人は見抜いてるからな
それぞれの宗教における絶対者が単に有的であれば、諸宗教はけっして両立しえない。
また、絶対者が単に無的である宗教においては、他宗教との真の対論というものがない。
従来、聖書の神は単に有的に理解されてきた。そのために、他宗教の全面否定に走った。
しかし、単に有的にではなくて、無的にも理解されるようになったことによって、真の対論が原理的に可能となった。
相互否認に終わる偽りの対論ではなくて、相互承認に終わる真の対論の原理的可能性は自己の無性の自覚に存するのである。
けっして有限性の自覚に存するのではない。
人は言うかもしれない。自己の有限性を自覚して、自己絶対化を慎むならば、相互の平和共存は可能となろう、と。
しかしそうではないのである。
そこでは徹底した真の対論も真の相互承認も起こらないのである。
各宗教は自己の絶対性を主張すべきである。
しかしながらそれでいて、この絶対性を単に有化しないことが肝心なのである。
信仰に関しても、それが単に有的であれば、他の信仰を審くことになる。
すなわち、他の有的信仰に対しては、自分の信仰と異なる、と言って。
また、他の無的な信仰に対しては、信仰が無的である、と言って。
しかし、信仰が無信仰の信仰であるならば、信仰を有的に絶対化し、他の信仰を審くことはないであろう。
(宗教哲学入門 (講談社学術文庫) 量 義治 )
「神なんて実在しないよねぇ」もそうなんですが、展開されてる持論が余りにも幼稚に思えるんですけど、>>1はそれをどう思ってるのですか? 宗教なんですからw
私は宗教は理性を包み込む様な形でその上位に立つと考えますから、文献学的な考証は尊重しますけど、その事を以ってして密教がーだのお念仏がーだのお題目がーだのw、ちょっと考えたが子供じみてませんかw
訂正
宗教なんですからw
私は宗教は理性を包み込む様な形でその上位に立つと考えますから、文献学的な考証は尊重しますけど、その事を以ってして密教がーだのお念仏がーだのお題目がーだのw、ちょっと考えが子供じみてませんかw
>>258
発言を追われると嘘がばれるからアンカを消してるのはばれてるよ。パクリ詐欺師。 233
そういう問題じゃない
他者をを批判する者が自分の落ち度は認めない その様を指摘してるだけ
大体大乗よりも教えに忠実だと自称する自称初期仏教が金ピカの仏像拝んで戒律は無視して 挙げ句の果てに還俗してるのに長老を名乗ったら同じ穴の狢だと思うのが日本人の常識だから 幾ら大乗を貶した所で自称上座部は先進国では流行らないし フランスではセクト指定だぞ
自称初期仏教も大乗も僧侶の堕落に付いては五十歩百歩 信者の民度は日本の方がマシ
トータルで見て勝ち目無しだな
大体世界の仏教人口四億の内二億は中国なんだから 其処でワンナウト インドの仏像徒人口も一億迄回復してはいるが中身はアンベードカルの新仏教とチベットがほとんどだからこれも違う 日本の大乗人口が約三千万人だからこれだけでも三億三千万人 他にロシアやモンゴルとベトナムにもチベット密教の信者がいるから南伝仏教の人口なんて全体で四分の一未満というのが実態
初期仏教が本当に優れているならこうまで差は開かない 実態は国と民衆の保護で食べてるナマポと大して変わらんし 日本では乞食は嫌われるから流行る要素も皆無
まあ お前は入信すらせずに文字だけ読めば悟れるっていう初期大乗のアプローチで上座部をマスターしようという ちょっとアレな部類だから相手にもされないだろうけどな
234
仏教究極の救済は死後救済だから救われてないと感じたら辞めればいいだけ
伝統宗派は勧誘も引き止めもないからな
>>261
釈迦は神を崇拝しないから他の宗教とも理性的に対話できる。
当時(初期)の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
https://www.koyasan.or.jp/shingonshu/
その結果がこれ。
伝統仏教「己を救うのは己」
ヒンズー大乗「他者救済を謳う俺たちのほうがすごい!」
伝統仏教「ふーん、じゃあコロナで苦しむ民衆を大乗はどうやって救うんだ?」
ヒンズーアホID:xMEX/TNF「コロナで苦しんでいる人の為に役に立つとはどういう場合を想像しているの?」
伝統仏教「他者救済と言い出したのはお前なのになんでこっち聞くんだ?お前が説明する側だ。」
ヒンズーアホID:xMEX/TNF「あぼぼぼぼぼおおお!」
主張が破綻した信者は、理性ではなく、誹謗中傷に走った。 >>263
まーた幼稚な感想。理性的対話がしたいものだ。 ここの大乗信者は、アンカも付けられない馬鹿と、幼稚な感想しかいえない奴しかいないのか。
高野山のサイトくらいの理性がある奴と対話したいもんだ。
255
釈迦本人が神々や悪魔の存在を認めて経典に残してるんだから元からその要素はある
それを大乗だけになすりつけるのは卑怯
帝釈天も弁財天も梵天も大乗以前からあったし 神通力を云々したのも他ならぬ釈迦本人
あれは信じるけどこれは信じないなんてのはあんたの度量の問題でしかない
www
ですから、宗教者であれば当然に信仰を理性の上位に置くわけですよ。
掛かる意味に於いて密教も浄土教も日蓮宗も仏教な訳です。
分かりますかw
>>273
たぶん俺宛なんだろうけど、アンカも付いてないから確認するのも面倒。
論理的な内容でもない上に、アンカもないんじゃ読む気にもならん。 お釈迦様の説かれた法は当然し遵守されるものですが、時代は変遷しますし、思想も展開するのです。
何よりもお釈迦様ご自身のお言葉として
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
>(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
とされてるのですよ、
>>276
釈迦の死後、教えを騙るものが出てくるだろう。
そのときは、私の言葉と対比して、整合性がなければ排除せよ。
と説いた。 266
お前は発言を追っかけて提示出来ずに勝手に付け足したり削除したりして事実を自分に合わせて編集してるんだからアンカー要らんだろ?
何回アンカー言えば気が済むんだよ?
訂正
お釈迦様の説かれた法は当然遵守されるものですが、時代は変遷しますし、思想も展開するのです。
お釈迦様の説かれた待機説法が必ずしも時代や社会、個人や集団等に適さなくなる事は当然なのです。
おそらく、お釈迦さまご自身もその様な事は予見されてたでしょうし、何よりもお釈迦様ご自身のお言葉として
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
>(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
とされてるのですよ。
>>281
間違っていても信じる。正しいか分からないけど信じる。これが信仰。
釈迦の教えは正しいと確認する。 馬鹿でもできるのが信仰。
賢者だけが理解できるのが釈迦の教え。
>>283
www
最初からお釈迦さまの教えが正しいと分かっていたのなら、その方はもう仏陀に等しいのではありませんかw
正しいかどうか分からない。だから、帰依するのです。
最初はどうか分からないけど信じる他ないのです。 >>284
信仰が理解されやがて確信に至り、信仰の役目が終わるのです。 >>285
教えの内容は示されてるんだから自力で発見する必要ない。 >>286
正しいことを正しいと理解するのに、信仰はいらない。
必要なのは知恵。釈迦もはっきりそういってる。 大パリニッパーナ経第一章より〜
仏陀は、アーナンダに対し、このように言った。
「ヴァッジ族は、神仏を供養し祭ると聞いた。
アーナンダよ、汝も、聞いた事があるだろうか。」
アーナンダは、仏陀に対し、このように答えた。
「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、神仏を供養し祭っていると、私も聞いています。」
「アーナンダよ、彼らが、神仏を祭る限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
彼らが崇拝する限り、彼らの繁栄は約束される。」
>>287
> 教えの内容は示されてるんだから自力で発見する必要ない。
ですから、その教えの内容が正しいかどうかは最初は分からないでしょ? >>288
www
だから、正しいかどうか最初からは分からないでしょ? 最初は正しいであろうと信じ、やがて教えが理解され、正しかったと確信する訳です。
そもそも
私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである。
なのですから。
>>290
だから、その教えの内容が正しいと理解するのに必要なのは知恵。釈迦もはっきりそういってる。 >>292
正しいことを正しいと理解するのに、信仰はいらない。
必要なのは知恵。釈迦もはっきりそういってる。 >>289
そのヴァッジ族の神は、異教の神だぞwwwwwww。 295
その通りだが 神仏とある様にブッダと神々を供養すればいい訳だから此処にも大乗の種がある
そもそもブッダは度々ヴェーダにも言及し 教えを乞いに来たバラモンにも教えを説いているから彼にバラモン教と自分の教えとの間に明確な境界は無かったと見るのが正しい
バラモンの中には彼を三ヴェーダの達人 と呼ぶ者もいたし 本人もリグ・ヴェーダは褒め アタルヴァ・ヴェーダは否定するなど 必ずしも反ヴェーダだったという訳ではない
>>294
君、馬鹿なの?
何度も言うけど、お釈迦さまの教えが正しいかどうか、最初から分かるわけないでしょ?
最初から分かっていたなら、それはもう仏陀に等しい様なものでしょ?
正しいかどうかは分からないけど信じてみるのですよ。
やがてそれを知識として理解して確信に至る。
それが智慧として日常に発露されるんです。 仏教の基本は聞思修と戒定慧、慧が最初にあるわけではないんです。
当たり前の事をいちいち言わせないで下さいね。
智慧の種子が阿頼耶識に先天的に獲得されているものか、それとも後天的なものかはともかく、仏法の聞法薫習によってそれが発芽するんです。
最初から発芽してる種子なんてあるわけないんですw
これを再掲しておきましょう。
まさに智慧の種子を発芽させる仏法の事ですから。
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
>(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
>>296
ヴァッジ族はバラモンの神を奉っていたと言われている。
バラモンと大乗の神は違うだろwww。
それとも、ヒンズー大乗だと認めてんの? >>297
釈迦は自分で正しい道を見つけた。
それと、釈迦の教えを知って、それが正しいと理解するのは大違い。
釈迦に教えてもらって理解するのは、仏陀に等しい様なものにはならない。 >>298
初期経典を読めば分かるけど、釈迦の教えを聞いて、正しいと理解する、あるいは正しいのかもしれないと思う。
だから、釈迦について学び深く学びたい。
そういう流れだ。
教えを聞きもしないで妄信するなんて愚者のエピソードはないなあ。 >>299
だから、それはもう論破されてる。
釈迦の死後、教えを騙るものが出てくるだろう。
そのときは、私の言葉と対比して、整合性がなければ排除せよ。
と説いた。 馬鹿野猿は教えが正しいと理性的に判断したのではなく、信仰として妄信してるんだろうな。
まあ、大乗はそうだろうな。オカルト過ぎて理性的に正しいとは思えない。
だから、釈迦の教えとは違う。
馬鹿野猿はオカルト大乗を前提にしてるから、オカルト大乗が信仰というのは正しいよ。
馬鹿野猿の発言はある意味真理である。
大乗のオカルト教義を理性的に正しいと確認することはできない。だから、大乗は信仰。
>>306
釈迦は自分で正しい道を見つけた。
釈迦が見つけた正しい道を教えてもらう。
大違いだろ。そんなものに根拠を求めるとか、どんだけ頭が悪いんだい? >>305
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
龍樹を読んだか?
世親を読んだか?
はい、全て却下www >>310
は?
龍樹や世親を読んでその教えの正しさを理性的に確認できる、というなら、
お前の「信仰で信じるーーーー!!!」という主張とは違うなあ。
自分で自分を論破するスタイルは笑う。 >>309
その教えてもらった事が正しいかどうかは分からないでしょ?
日本語理解できますか? なぁ、バカ?
お釈迦様にとって正しいと認知された事が、他者にとって正しいと認知されるかどうかは分からないだろ?
日本語分かるか?
>>312
なんでそう思った?
むしろ、釈迦は賢者ならば理解できると説いてるんだが。
感嘆の言葉25章
「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 >>313
無知と凡愚を晒しててみっともない。
お前は「愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 の方だな。 お釈迦様にとって無(非)我説は正しい法理として把握されてるが、我々凡夫は悟りをひらいているでもなし、それを正しいと信じて実践する他ないだろ?
そうして実践の中で無(非)我説が正しいことを確信するんだろ?
>>314
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
理解する前にそれを信じる事が前提となるだろ?
信じていなけりゃ理解しようともしないだろ?
おまえ、ガチで頭が逝かれてるぞwwwwww >>315
だからさぁwwwwww
まず信じて実践し、で、目的が達成(確信)するんだろ?
何をどうすればお前のような考えになるんだ?
真面目に聞くけど、君は知的障害者なの? >>316
愚者だなあ。
「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
お前は「愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 の方。 >>317
理性的判断するのに信仰なんていらねえよ。
「生ある者は死に、形ある物は滅する」がこの世の理だと理解するのに、どうして信仰が必要になる? >>318
ナマポの分際で、差別発言すんな。
お前は収入も、品性もないんだな。 こいつ、まじで頭が逝かれてる。
最初から分かっていればそれは仏陀に等しいだろ?
分かっているのならいちいち仏陀に学ぶ必要はないだろ?
分かってないから仏陀の教えに歩みよってそれを信じて学ぶんだろ?
そしてその実践のうちに信仰が確信に変わっていくんだろ?
日本語分かりますか?
云ってる意味分かりますか?
>>322
お前まじで馬鹿だな。
この2つは大違い。
釈迦は自分で正しい道を見つけた。
釈迦が見つけた正しい道を教えてもらう。
それなのに「最初から分かっていればそれは仏陀に等しいだろ? 」と連呼するなよ凡愚。 >>320
> 理性的判断するのに信仰なんていらねえよ。
> 「生ある者は死に、形ある物は滅する」がこの世の理だと理解するのに、どうして信仰が必要になる?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
世の中には殺さない限り死なない生き物もいるんだけどwwwww
また、不滅の霊魂を信じる宗教もあるんだけどwwww
こいつガチで知障だろ。
頭が本当に逝かれてるわw >>323
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
何で教えてもらうんだよ?
分からないからだろ?
で、正しいであろうって信じるから教えてもらうんだろ、キチガイwwwww >>324
殺さない限り死なない生き物?何それ?
そして、殺されたら死にんだから死ぬじゃん。
お前馬鹿だろ。
不滅の霊魂なんてものがあると信じるのは信仰だよ。
そんなものを俺は確認したことないし、お前もないだろ?
一方で、生物が老いて死ぬのはみんな知ってる。 >>325
馬鹿野猿さあ、初期経典に釈迦の教えが書かれているのは知ってる?
そして、それを自分で思い付くことと、読んで知るのは大違いなのは分かる?
それぞれに、Yes/Noで回答しろ。
馬鹿野猿は一歩一歩進まないと無理だろう。 >>320
>理性的判断するのに信仰なんていらねえよ。
凡夫の智慧だけで悟れるんだったら、東大生なんかガンガン悟ってるし。
そんなのムリだから。(笑
確かにテラワダスレでは「悟った、悟った」と言う人間がワンサカ居たけど、たぶん妄想の類いだよ。
「以信代慧」(「信を以て慧に代う」)という言葉がある。
昔、十六羅漢の一人に「周利槃特」(しゅり・はんどく)という弟子が居た。
自分の名前さえ覚えられないほど愚かではあったが、、師(釈尊)の教えを微塵も疑うことなく信じ、言われた通りの事を実践した。
その結果、中途半端に賢かった他の修行者より遙かに早く「阿羅漢の悟り」を得たという。
宗教に限らず、弟子が人生の師匠を求めるときは、「理解して信じる」というより、「信じて理解する」というのが一般的だろうね。
なかんずく、自身の一生を左右する宗教なら尚更な事だよ。
※例えば、「このリンゴとても美味しい食べてみて」と言われたら、リンゴの成分を完璧に理解して食べることはないだろう。
※普通なら「ホントかい!じゃ食べてみよう(信じる)」=>「うまっ!、ほんとに美味しいね」となり「リンゴがホントに美味いことを理解する」となる。
さらに言うなら、どんなに立派な事を言っていても、賢明な人であれば、まずはその「人間性」を観るだろうね。
言ってる事とやってる事が違えば信じるに値しないからね。(君みたいにw) 以前、テラワダスレに書いた事ですが
−−−−−−−−−−−−−−
一般人は宗教は心の問題であって、生活とは別の世界であると考えがちであるが、これは仏法に無知な者の浅はか考え方で、仏法は生活の根本なのです。
よく自分の生活を観察してみると、人は「信じる」という行為無しに一日たりとも生活出来ない事が分かるはずです。
親を信じ、友を信じ、食べ物や乗り物を信じる。またお金を信じ、銀行を信じている。
このように、私たちは無系統で経験的な雑多な「信」に生きている。
ただ、普通は人はその信じるものに支配されていることに気付かないだけなのです。
支配されるものを思索し、系統立てるときに「信仰」というのです。
ゆえに「信仰する対象」によって、その人の幸・不幸が決まると言っても過言では無いのです。
このように自分自身が信仰生活に生きていると言う事を自覚するならば正しく、かつ最高のものを信ずるべきであって、
低級、邪義なものを信ずべきでは無い事が分かる。
>>328
釈迦の時代はばんばん覚ってた。
大乗は間違った教義のせいで覚れないだけだぞ。
「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
瞬時の教えで真理を理解できると釈迦が言ってるのに、カルト大乗は釈迦を否定か? >>326
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だから、お前は仏陀の理法を最初から知ってるのかよ?
知らないだろ?
違うか?
知らないけど、信じてそれを実践するんだろ?
違うか? >>327
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
あのなぁww
俺はもともと仏教の研究機関で働いてたんだよwwwwww >>329
お前の発する言葉はからは、現世の欲望塗れの俗物の悪臭がぷんぷん。
「親を信じ、友を信じ、食べ物や乗り物を信じる。またお金を信じ、銀行を信じている。」
釈迦の教えとは正反対の生き方してるお前には一生理解できないよ。 >>330
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである。
つまりだ、お釈迦様の教えを信じて実践するからこそ、縁が叶い、またたく間に真理の確信に至るってことだよ、バカwww >>331
仏陀の理法を最初から知ってるなんて一度も言ってない。
むしろ、その教えを初期経典から知ることができると言ってる。
この2つは大違い。
釈迦は自分で正しい道を見つけた。
釈迦が見つけた正しい道を教えてもらう。
何度言われれば理解できるんだ? >>332
だったら、少しは論理的な主張しろよ。
そして、お前はヒンズー軍曹の多人格だろwww。
ヒンズー軍曹はそんな仕事してたか?
仏教の研究機関で働いてたというのは妄想では? >>334
欲望に塗れ、愚鈍な世俗の一般の人々には釈迦の教えは理解できないだろうな。
一方、「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
まあ、頭が良くても欲望に塗れた俗物は、快楽を楽しむかもね。
欲望に囚われない心の綺麗な賢者が、釈迦の教えを理解し、実践できる。 ほんと、こいつガチで知障だろw
こいつはいつも俺に「凄まじいバカ」とか「マジモンのキチガイ」とか「稀にみる低知能」だの云われてる知障だろ。
通社会概念上の常識を云っても理解出来ないからな。
知的障害者としか評しようがないんだよ。
>>335
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だから、知ることが出来てそれを信じて実践して確信するんだろ?
ばかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww いや、真面目な話ここまで話が通じないとか、何者なんだろこの馬鹿。
本当の知的障害者でしょ、この人。
一種のキチガイのように思える。
信じること → 実践 → 確信
これ、仏教や宗教に限らないでごくごく当たり前の常識でしょ?
何でこんな事が分からないんだろ?
それが不思議でしょうがないんだけど?
確かに初期仏教は信仰の 対象 は持ってなかったけど。
それが信仰だったんだけど、その区別も付かないとか・・・
>>339
知る→正しいと確認→従う
どこにも信仰はいらないなあ。
そして、背別発言は浅ましいから止めたほうがいいぞ。お前は人間として浅ましい。 >>330
>釈迦の時代はばんばん覚ってた。
ババンバ バンバンバン、 ア、 ビバノンノン いい湯だな アハハン
それは、ドリフターズの見過ぎだよ。
確かに、今よりは多いと思うけれど、現代に於いて「頭だけで悟ろう」なんて、まずムリ。 >>340
だからさ、「生ある者は死に、形ある物は滅する」がこの世の理だと理解するのに信仰はいらない。
脳みそ腐ってんの? なぁ、キチガイ?
何で正しいと判断されるか、生まれてから一度でも考えたことあるか?
実証されるから正しいと判断されるんだろ?
実証されるまでは正しいと判断出来ないだろ?
仮にだ、お釈迦様が正しいと実証されても我々はその実証が正しいと 信じてる って事だろ?
お釈迦様が正しいと仰ってるから、正しいと 判断 してるんだろ?
違うか?
・・・こんな事、大の大人が話すことじゃないけどな。
>>342
釈迦「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
大乗カルト信者「「頭だけで悟ろう」なんて、まずムリ。」 >>341
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!!!!!!!!!!!!!
正しいって言うのなら何で確認するんだよ?
正しいって言うのなら確認とか要らないだろ?
で、だ。
何故正しいと確認(実践)するんだよ?
正しいかどうか分からないから確認するんだろ?
違うか?
正しいかどうか分からないと疑いつつも信じてるから正しいって確認(実践)するんだろ?
ほんと、信じられないくらい頭が逝かれてるな。
精神病院にいけよ。 >>344
差別発言は浅ましいから止めたほうがいいぞ。お前は人間として浅ましい。
お釈迦様が正しいと実証したから正しい??
お前は何を言ってるんだ?
「生ある者は死に、形ある物は滅する」がこの世の理だと理解するのは、
お釈迦様が実証したからではない。現実の理として誰しも体験しているからだ。 >>343
> だからさ、「生ある者は死に、形ある物は滅する」がこの世の理だと理解するのに信仰はいらない。
だから、滅しない限り死なない生き物もいるし、不滅の霊魂もあるって宗教もあるだろ?
お釈迦様は基本的に霊魂や死後のことは無記の態度であったんだし。 >>345
> 釈迦「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
> 大乗カルト信者「「頭だけで悟ろう」なんて、まずムリ。」
www
世の中聡明な人ばかりじゃないだろ?
お前の存在がそれを証明してるじゃないかwww >>348
それに対してレスしたのに、お前が逃げたんだろ。
殺さない限り死なない生き物?何それ?
そして、殺されたら死にんだから死ぬじゃん。
お前馬鹿だろ。
不滅の霊魂なんてものがあると信じるのは信仰だよ。
そんなものを俺は確認したことないし、お前もないだろ?
一方で、生物が老いて死ぬのはみんな知ってる。 >>349
世の中聡明な人ばかりじゃないのは知ってるよ。
だから、お前は「愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 の方だな。
釈迦も凡愚には理解できないと言ってる。 >>351
梵天なんて見せられないから、梵天に縋る教えにはなっていない。
当時(初期)の仏教は無神教(むしんきょう)といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許しませんでした。
弘法大師・空海(くうかい)によって開かれた真言宗は、仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された「密教」であるといわれます。
https://www.koyasan.or.jp/shingonshu/
一方のカルト大乗は、見たこともないなんちゃら仏に縋る教義だから、妄信が必要になる。 信者たちが集団で出家するようなところは全部カルトだろ
仏教は発生した初期からずっとカルト
>>354
親しき人との別離を悲しむのは、親しき人とともにあれると勘違いしているからだ、というのが教えだからな。
別れるのは必然だし、別れてしまえば苦しむこともない。
頭では分かるが、十分に納得できたとは思えない部分ではある。
いつの日かそこまで覚れるのかどうか。 >>350
wwwwwwwwwww
殺されたらだろ?
条件が違うじゃねーかよwww >>353
縋るじゃねーよww
初期経典経には梵天が存在してあるんだろ?
で、
知る→正しいと確認→従う
なんだろ?
正しいと確認したというのなら証拠を見せろってことだよwwwwwww >>352
www
お前が凡愚だから信仰前提も分からないんだろwww
常識も知らないとか、精神病院に帰れよwwwwww こいつ明らかにカルトだろ。
お釈迦様が仰った事を信仰もなしに無条件に正しいとか。
それ自体が盲目的信仰って事以外の何ものでもないじゃないか。
お釈迦様は脇の下から生まれたっていうじゃないかw
知る→正しいと確認→従う
それ、どう確認したんだよww
経典にあるからって、それは経典に書いてあることの確認で、実際に確認したことにはならないからなww
「仏教は宗教でも信仰ではない。人の生き方の科学的な教え」
アホの戯言ですw
>>356
だから、殺さない限り死なない生き物?何それ?
そして、殺されたら死にんだから死ぬじゃん。
お前馬鹿だろ。 >>357
釈迦の教えは梵天が存在しようがしまいがどうでもいいんだよ。
見たこともないなんちゃら仏に縋るオカルト大乗とは大違い。 >>358
釈迦は信仰が必要なんて言ってないのに、この馬鹿はw。
釈迦が信仰が必要だと言ったソース出してから言おうな。
理性のない凡愚。 >>359
お釈迦様が仰った事を信仰もなしに無条件に正しい???
誰もそんなこと言ってない。
大乗クズはすぐ捏造する嘘つきばかりだな。 >>360
お釈迦様は脇の下から生まれたなんてオカルトは当然否定するわwwww。
そんなの妄信してるのオカルト大乗だけだろwwww。 初期仏教でも当然に 信 が説かれてるんだけどなぁw
(在家向けの五財等)
>>361
で、論破されて悪口は大乗のいつもの完全敗北wwww。
反論したきゃ論理的にしろよ。
凡愚には無理か? >>367
ソースの提示の仕方も知らない馬鹿が仏教の研究機関で働いていた?
脳みそ腐ってんな。 >>362
あのなぁ…
「生あるもの」はって条件付きってことだろ?
外形力の行使を前提してないだろ?
馬鹿もほどほどにしろや? >>363
> 釈迦の教えは梵天が存在しようがしまいがどうでもいいんだよ。
> 見たこともないなんちゃら仏に縋るオカルト大乗とは大違い。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
どうでも良くないだろ?
その見たこともない梵天の勧請なしに仏教は伝道されなかったのだからなw
で、 知る→正しいと確認→従う なんだろ?
正しいと確認したというのなら証拠を見せろってことだよwwwwwww
ほれほれ! >>364
> 釈迦は信仰が必要なんて言ってないのに、この馬鹿はw。
> 釈迦が信仰が必要だと言ったソース出してから言おうな。
> 理性のない凡愚。
在家の五法(財)があるだろ、馬鹿www >>370
だからそもそもなんて生物だよ。
逃げるなくず。
そして、「生ある者は死ぬ」の反例になってないのも理解できないのか?
愚者だなあ。 >>365
> お釈迦様が仰った事を信仰もなしに無条件に正しい???
> 誰もそんなこと言ってない。
wwwwwwwwwwwww
云ってるだろw
知る→正しいと確認→従う
ってwww >>371
良き心を神、邪な心を悪魔で表しているだけだ。
神・悪魔が存在しなくても釈迦の教えには何の影響もない。実際、神を崇拝しろなんて言ってないし、神が救ってくれるとも言ってない。
そこがオカルト大乗との違い。 >>375
お釈迦様は脇の下から生まれたなんて初期経典にあったか?
大乗経典だろwwwww。 >>371
理性で判断しろと何度も回答した。
愚かなお前には無理なんだな。
お前は「愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 の方だから諦めろ。 >>372
ソースの提示の仕方も知らない馬鹿が仏教の研究機関で働いていた?
脳みそ腐ってんな。 >>368
論破されてないだろwww
妄想すんなよw
>>370
だから、条件付きって日本語知らないのかよ?
ガチで頭がおかしいだろ、お前。
実際に死なないで生存が確認されている生き物(ベニクラゲ)があるのがその証拠だよw >>374
理性で判断しろと何度も言ってる。
判断した結果正しかっただけ。
「お釈迦様が仰った事は信仰もなしに無条件に正しい」なんて一度も言ってない。
大乗クズはすぐ捏造する嘘つきばかりだな。 >>376
> 良き心を神、邪な心を悪魔で表しているだけだ。
> 神・悪魔が存在しなくても釈迦の教えには何の影響もない。実際、神を崇拝しろなんて言ってないし、神が救ってくれるとも言ってない。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!!!!!!!!!!!!!
表してるって、それが信仰だろ?wwwww
つまり、実際に存在が確認されていない目に見えないものを表してるって信じてるんだろ? >>375
普通の伝統仏教は伝説を紹介した上で真っ向否定してますよ
真宗大谷派名古屋教区HPより
http://www.nagoya30.net/study/basis/sakya_youth.html
右脇から産まれたというのは奇妙な伝説ですが、これは釈尊がクシャトリアの出身で
あることを暗示していると思われます。バラモン教の『マヌ法典』や『リグ・ヴェー
ダ』によれば、梵天(ブラフマー、バラモン教の神)の口からブラーフマナが、上
半身からクシャトリアが、下半身からヴァイシャが、足からシュードラがそれぞれ生
まれたとされています。また、なぜ右かというと、インドの習俗によると、右は清
らかで、左は汚れているからです。これはもちろん後世に創作された話であり、カ
ースト制度の影響が仏教内部にまで浸透していた証拠といえます。事実はもちろん、
釈尊はふつうの人間として産まれたのです。
(仏教には「処女懐胎」のような非科学的伝説は無用です) >>378
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そもそも仏教自体が理性の領域を超える部分を有してるんだよw
それが信仰の領域だろうが、アホww >>382
まったく違うぞ、馬鹿アスペ。
良き心と邪な心はある。それさえ認めるならそれで十分。
神も悪魔も存在しない。ただの抽象表現。そう思ってて、何の問題もない。
一方のオカルト大乗はなんちゃら仏が救ってくれるという教義。なんちゃら仏なんて見えないし、会った事もないんだから、そんなものはない!と言っちゃうと、大乗オカルト教義はおしまい。 >>379
> ソースの提示の仕方も知らない馬鹿が仏教の研究機関で働いていた?
> 脳みそ腐ってんな。
www
生天信仰って知ってるか?
在家 五法 五財 信 等で検索しろ、アホw >>384
仏教自体が理性の領域を超える部分を有してると言うなら、
初期経典のどの部分がそれに該当するのか明示できる。
明示すりゃいいんだよ。
明示できないで発狂してるのが愚か。
なお、初期経典の数世紀に渡って編纂されたので、大乗要素・オカルト要素が多少は混入している。その部分は虚偽がある。 >>381
だからさぁ、結果として正しいって理性による確信がされるまでの間は?
その間思考停止してるのかよwww
その間が信仰だろ、アホw >>386
ソースの提示の仕方も知らない馬鹿が仏教の研究機関で働いていた?
脳みそ腐ってんな。
研究にちょっとでも関与していれば、ソースの提示で検索しろ!なんていい出すのは、ありえないほどの愚行だと学ぶ。 >>383
当たり前だろw
「脇の下から生まれたとかそれは科学的事実ではないから仏教は正しくない」って云わないだろ?
そうした非科学的な事実があっても、真理を云ってるとして信仰するんだろ?
アホw >>388
理性によって確信できないなら、当然確信はしない状態。そんなの当たり前だろ。
一定の説得力を感じたなら、教えを学ぶとか、釈迦に付いて行くとか、そういう行動に出たんだろうな。
釈迦に従ってから、覚りまでには期間があったケースは頻繁に登場している。その間は、完全な理解と確信には至っていないだろう。
「その間が信仰」???
確信してないのに妄信するとか、釈迦の教えに真っ向反する態度だよ。
だから、お前は「愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 の方なんだよ。 >>390
お前が信仰してるオカルトカルトは仏教ではないぞ。
一体、どこでそんなあやしげな独自カルトを発見した?
ヒンズー軍曹は独自カルトを開発してると自慢してたな…。 >>385
>良き心と邪な心はある。
本来善悪なんてないだろ?
後付で設けられた基準を善悪って信じて分けてるだけだろ?
>神も悪魔も存在しない。ただの抽象表現。そう思ってて、何の問題もない。
存在しないことの証明が出来るのかよwww
そう信じているだけだろw >>393
覚りへ繋がる考えと、外れる考えでいいよ。
そのくらい説明されないでも分かれよ。 >>393
神と悪魔が存在するとも、存在しないとも証明してないな。
しかし、釈迦の教えは神にも悪魔にも依存しないから、神と悪魔がいようがいまいが変わらず有効。 >>391
> 理性によって確信できないなら、当然確信はしない状態。そんなの当たり前だろ。
> 一定の説得力を感じたなら、教えを学ぶとか、釈迦に付いて行くとか、そういう行動に出たんだろうな。
www
それが信仰っていうの。
覚えなさい、アホwww
>確信してないのに妄信するとか、釈迦の教えに真っ向反する態度だよ。
どこが盲信なんだよw
疑いつつも正しいであろうと言う理性の推測のより意思決定(信仰)するんだろwww
アホw >>392
www
新婚旅行はスリランカの仏教遺跡巡りしてるけどなぁ。
研究機関には原始仏教研究の泰斗とかいたしw
そのそも、研究機関に出向した縁がダンマパダだったんだけどw >>396
正しいのか確信なく学ぶのが信仰?は?
そんな定義なら、どんな学問分野だってそうだぞ。
物理法則だって、それじゃ説明できない現象が発見される可能性は常にあるし、実際あった。
数学の基礎理論だって、直近100年くらいで整備されたくらいだしな。
お前は頭が悪いからたぶん理解できないだろうが。 >>394
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そもそも宗教板で仏教での善悪が問題になってた時、仏道の成就に資するを善、妨ぐるを悪って紹介したのは俺だったと思うけどなぁwww >>397
スリランカの仏教遺跡巡りしたから何?
そして、ソースすらまともに提示できないくせに、しつこく研究機関連呼w。 >>399
お前このスレに書き込んでたなかったと思うが。
少なくても、俺がこのスレに来た1週間くらいでお前のレスを見た記憶がない。
ヒンズー軍曹で登場してたろw。
自意識過剰だよ。お前のレスを読んでないからw。
まあ、その部分はお前も合ってる。そこは正解が言えてよかったね。 >>395
> 神と悪魔が存在するとも、存在しないとも証明してないな。
> しかし、釈迦の教えは神にも悪魔にも依存しないから、神と悪魔がいようがいまいが変わらず有効。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だったら梵天の勧請なんて最初から経典に入れる必要ないだろうがwww
信仰の切っ掛けになるからそういう 神話 が挿入されたんだろ、アホw >>398
アホw
学問だって手ほどきを受けるときは先生に教わった事を正しいと 信じる だろ?
信じた上で実証し、正しいって確証されるんだろw
仏教も同じだよw
>>400
だから、自分で検索しろって。
結果が出るのが怖いんだろwww >>402
だから、梵天勧請として表現するのは必須ではなかったと言ってるだろ。
そもそも、天人の原義は「良き人」の意味で、そのまま良き人を表していただけだという説もあるくらいだ。 >>401
精神病院に行きましょうw
栄進さんと私は別人だよ。
論破・瞬殺された奴はそう錯覚するようだけどなw >>403
学問は先生に教わった事を正しいと信じないぞ。
実際、師匠の学説を否定する説を打ち出す学者なんてざらにいる。
お前の学問は義務教育レベルなんだよw。
はい。ソースも出せない馬鹿w。
研究騙るのは無理なんだよ。みっともないから諦めろw。 >>405
本人が馬鹿野猿はネット上の別人格だと認めてたぞwww。 >>404
しつこいなぁw
必須でないのに何で載せたんだよw
脇の下から生まれたとか、生まれてすぐ七歩歩いたとかもそうだろ?
生天思想なんて信仰そのものじゃないかよwww
>>406
少し訂正するが、最初は正しいであろうと信じるだろ?
小学生の時そうじゃなかったのか?
www >>407
> 本人が馬鹿野猿はネット上の別人格だと認めてたぞwww。
それってあまりにも馬鹿げているからお前が誂われてるんだよwwwwwwwww
・
で、アホは仏教辞典は持ってるの?
岩波の仏教辞典(第二版)P562の 信 を見てみな。
やりたくないが持ってないなら写メを送ってやるぞ、アホw >>408
当時はそういう慣習だったんだろ。
脇の下から生まれたとか、生まれてすぐ七歩歩いたとかは大乗経典だろwww。
確認したいと思えば確認できるだろ。
数学の証明とかは小学生のときから、前提となる論理の説明が不足していると感じていた。
大学生になって、その疑問が正しかったと確認できたな。
お前には高度過ぎて理解できないだろうが。 >>409
持ってるが、今すぐは見れない。
内容くらいは書いたら?
少なくても、俺は何を主張したいのか示す箇所くらいは引用してるけど。
お前とのやり取りでもそうしてるなあ。
ま、そこもソースの提示方法を知ってる俺と、知らないお前の違い。 >>408
ちなみに、俺は天人も悪魔も信じてない。
そして、信じてなくても、釈迦の教えには何も影響しない。
天人・悪魔を信じられないなら信じなくていいんだよ。
そこが、オカルト大乗との大きな違い。なんちゃら仏を否定すると、大乗は潰れる。 >>410
だからさぁ、それまでは一応信じてるんだろ、アホw >>413
そういうのは普通は「信じる」なんて言わんよ。
テストにでるからそうやって覚えてるだけ。
逆にお前は、小学校の教師の授業を信仰してたのか?
頭の悪いガキだったんだなあ。 >>390
バカなのか?
経典に書いてあっても
伝統的大乗仏教の現代人は、迷信を否定して信仰はしない。
そして迷信の「右脇」伝承を科学のメスを振るう。
そしてカースト制度的発想が仏教に流入してしまった負の遺産である
とまで断罪する。
その上で、信仰を建てる。これが大人の信仰である
経典にあるから無条件に信ずるのは新興宗教のカルト連中である 鹿野園君は、法相宗とか臨済宗を自称するが
本当は立正佼成会だからな。
文化度が低すぎ
>>414
> そういうのは普通は「信じる」なんて言わんよ。
> テストにでるからそうやって覚えてるだけ。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
テストに出るじゃないだろw
テストに出る場所を予め教えてたのか?
そういう教師も居たけどなw
テストに出るであろうと信じて覚えるんだろ?
アホw 私は全てを依存や信仰として見る考え方はするな、お金でも働くことでも、服でも靴でも社会の色々な決まり事でも、何でも
>>415
だからさぁ、俺はキリスト教のスレでも仏教のスレでも「信仰は理性を包み込み様な形で理性の上位にたつ」って持論を持ってるの。
かかる意味に於いて理性は重視してるし大乗仏教を信仰してるんだよ。
逆に、お前はそういう信仰と理性について全くの理解がない アホ なのよw
>>416
ハゲがまた嘘をついてるw
立正佼成会には法華経の原稿を取りに、その他天理教やPL、生長の家等にも仕事で訪問してるよ。
スマナサーラ師にも幾度かお会いしてたし。 >>417
だからさ、
お前は、小学校の教師の授業を信仰してたのか?
頭の悪いガキだったんだなあ。 300
神仏と言ってる所がポイントな
ブッダと神々を供養すればという意味だから
それにしても読解力ないな?
「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、神仏を供養し祭っていると、私も聞いています。」
「アーナンダよ、彼らが、神仏を祭る限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、神仏を供養し祭っていると、私も聞いています。」
「アーナンダよ、彼らが、神仏を祭る限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
「尊師よ、ヴァッジ族は、繁栄を得るために、神仏を供養し祭っていると、私も聞いています。」
「アーナンダよ、彼らが、神仏を祭る限り、
彼らが滅びることがないと、よく知りなさい。
岩波の奴なw >>420
基本的に先生の言うことはおおよそ信じるだろ。
つーかお前はヤンキーだったのかwww >>419
「信仰は理性を包み込み様な形で理性の上位にたつ」って、ふわっとした言い回しでごまかしてるだけで、何も言ってないな。
理性と騙るなら、もっと論理的に明確に書こう。 >>422
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」とあるな。
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」は俺が言った「理性に基づいて正しいと判断する」に相当するな。
そうなると、「理性に基づいて正しいと判断したこと」が「宗教的行為を起こさしめる原動力」になる。
つまり、俺が説明した通りだな。
妄信信仰が「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」を産む、というお前の主張の真逆。
馬鹿って、自分で自分の主張を論破するのは笑う。 >>423
「小学校の教師の授業を信仰してる」なんて言っちゃう頭のおかしい日本語を言うのは、お前くらいもんだと思うぞ。 347
差別とかじゃなくて明らかに健常者と違う異常な言動が有るから皆そう指摘してるんだよ
早く診療受けなさい
>>426
> 「小学校の教師の授業を信仰してる」なんて言っちゃう頭のおかしい日本語を言うのは、お前くらいもんだと思うぞ。
信じるとは云ってるが信仰なんて云ってないが?
ソース出せよ?
アホw >>430
え?信仰が必要だとお前が主張する流れで小学校の話をお前が持ち出したんだけど。
お前さあ、ごちゃごちゃやってるうちに、自分でも何が主張したいか分からなくなってんだろw。
信仰と関係ないなら、小学校の話で何が主張したいんだ? >>425
おまえ、底なしの究極馬鹿なのか?
. 「全佛教に通底する」 って書いたあるのが読めないのか?
全佛教には当然に釈迦仏教も含まれてるだろ?
お前の脳裏では含まれてないのか?
つまりだ、今更言うこと自体おかしいのだが、当然に釈迦仏教にも信仰はあったんだよ。
……アホは去れ。 >>432
だから、その「信」の内容に付いての説明を読めば、
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」とあるな。
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」は俺が言った「理性に基づいて正しいと判断する」に相当するな。
そうなると、「理性に基づいて正しいと判断したこと」が「宗教的行為を起こさしめる原動力」になる。
つまり、俺が説明した通りだな。
妄信信仰が「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」を産む、というお前の主張の真逆。
馬鹿って、自分で自分の主張を論破するのは笑う。 >>431
???
信と信仰は共通部分があるが適用領域が違うだろ?
アホw
で、釈迦仏教にも信仰形態があった。
こんな馬鹿な話 大の大人に言うことじゃないよな www >>434
俺は、妄信は不要という立場。
妄信信仰が必要だと言ってるのはお前なのに、まじで何言ってんだ?
まじで、お前何が言いたいんだ?
論理が弱過ぎて、自分でも何が言いたかったのか分からなくなってんのは失笑。 俺は小学四年生の頃、百科事典をひっぱりだして
学年主任の間違いを指摘したぞ
普通は、論理的に考えておかしいことは
調査して裏を取るだろ
鹿野園は立正佼成会だから基本ができない
>>433
だから、釈迦仏教にも信仰という形態があったよな、アホw
アホの戯言ですw
↓
「仏教は宗教でも信仰ではない。人の生き方の科学的な教え」 >>437
はい。今日も論破されて、発狂して悪口−−−。
反論は論理的にしような。
論理的に主張できなくなった時点で今日もお前も完全敗北。 中村はじめ御大は、釈尊は信仰を否定したと主張していたが、
鹿野園君は知らんか?
>>436
ハゲ😯
高校中退でfラン大の哲学科聴講生、しかもゲバ棒だけでなく人生も棒に振った宗務所のお茶汲み風情がこのスレに来るなよ、ハゲ😯 >>435
> 俺は、妄信は不要という立場。
> 妄信信仰が必要だと言ってるのはお前なのに、まじで何言ってんだ?
盲信が必要ってどこで云った?
ソース出せよ、キチガイwww
.
で、結論出ただろ。
釈迦仏教にも信仰という形態があったの。
それ、 大の大人が言うことじゃないよな www
去れ。 中村元訳「スッタニパータ」岩波文庫
1146 (師ブッダが現れていった)、
「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが
信仰を捨て去ったように、
そのように汝もまた信仰を捨て去れ。
そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」
>>439
その中村先生の編集された辞書に信仰が書いてるるだろ、ハゲ😯 >>442
ハゲ😯
それはバラモンや在俗の民間宗教のだろ、ハゲ😯
なにも知らないんだな、ハゲ😯 >>443
それ、素人の信者向けの辞書やん
で、仏教は2500年の歴史がある 信者に配慮した構成になっているやろ
大人だからな
その上で中村はじめ御大は
古層で釈尊が信仰を否定していることをことさらにピックアップされとるのや
しらんのか?
大学一回生で習う事柄やぞ >>444
おまえ、岩波文庫のスッタニパータを読んでないようだな
注記があってな。
その個所はsaddhAa否定や。バクティ否定の箇所やない
本当おまえ無知すぎやわ 学部一年からやり直したほうがええで
宗門立大では常識や >>438
> はい。今日も論破されて、発狂して悪口−−−。
> 反論は論理的にしような。
> 論理的に主張できなくなった時点で今日もお前も完全敗北。
可哀想に・・・
最後はこうなると思ってましたが、遂に壁打ちを始めましたか。
もういいですよ、去りなさい。
去ればこれ以上追求はしませんからね。
サヨナラ (^_^)/~ >>445
ハゲ😯
また辞書否定か、ハゲ😯
見苦しいんだよ辞書否定とか、ハゲ😯
>>446
ハゲ😯
またその知ったかの話か、ハゲ😯
論破されたことも覚えてないとか重症の認知症だな、ハゲ😯 鹿野園くんわいつも論破しているが
論破されたことはただの一度もない
おまえあほやろ
おまえはいつも口だけ
論破したとか 瞬殺とか言うが
具体なしや
俺はちゃんと、資料を提示して、おまえを論破している
>>449
ハゲ😯
おい、ハゲ😯
落ち着け、ハゲ😯
瞬殺されたことに気付け、ハゲ😯 ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第10章 信仰より (中村元 訳)
尊敬さるべき真人たちに対する信仰を財とし、安らぎに至るための教えを聞こうと願うならば、
聡明な人は(ついには)いろいろのことについて明らかな知慧を得る。
ひとは、信仰によって激流を渡り、つとめはげむによって海を渡る。
勤勉によって苦しみを捨て、明らかな知慧によって全く清らかとなる。
>>421
胡散臭いと思って、確認したら、岩波の「ブッダ最後の旅」にはそんな訳ないぞ。
「ヴァッジ霊域を敬い、尊び、崇め」の部分か?
注には墓地の塚といった説明がされてる。つまり、「先祖の墓を守ってるか?」と聞いてる。
その以前のやり取りも、「会議してるか」「共同してるか」「ルールを守ってるか」とかやってるし。
規律とマナーのある社会なら滅びないだろう、と言ってんだよ。
それを、神仏を奉れば滅びないと説いたことに捏造するとか、大乗は隙あれば捏造すんな。
おまけに、釈迦の時代になんちゃら仏はねえよ。
神「仏」とか、詐欺師の翻訳。
一体何をソースにしてんだ?
まさに、詐欺カルトの詐欺教本。 >>441
理性に基づいて正しいと判断できないときに、信仰で信じろ!と言ってたのはお前だろ。
>>322「(正しいと)分かってないから仏陀の教えに歩みよってそれを信じて学ぶんだろ?
そしてその実践のうちに信仰が確信に変わっていくんだろ?」
理性で正しいと判断してないのに、正しいと信じるんだから妄信。 >>443
だから、その意味は「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」とある。
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」は俺が言った「理性に基づいて正しいと判断する」に相当するな。
そうなると、「理性に基づいて正しいと判断したこと」が「宗教的行為を起こさしめる原動力」になる。
つまり、俺が説明した通りだな。
妄信信仰が「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」を産む、というお前の主張の真逆。
馬鹿って、自分で自分の主張を論破するのは笑う。 >>442
注釈も含めて興味深い。
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」
神を崇拝するものではないので、信仰ではない。理性に基づく合理的思想だったのだろう。
まったく同感である。 >>448
辞書で論破されてるのはお前だろ。
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」とある。
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」は俺が言った「理性に基づいて正しいと判断する」に相当するな。
そうなると、「理性に基づいて正しいと判断したこと」が「宗教的行為を起こさしめる原動力」になる。
つまり、俺が説明した通りだな。
妄信信仰が「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」を産む、というお前の主張の真逆。
馬鹿って、自分で自分の主張を論破するのは笑う。 >>454
> 理性に基づいて正しいと判断できないときに、信仰で信じろ!と言ってたのはお前だろ。
信じろ?
だらがそんな事云った?
あほ😯
> 理性で正しいと判断してないのに、正しいと信じるんだから妄信。
お釈迦様の仰ることだから、正しいであろうと信じるんだろ、アホ😯 >>455
妄想はお前が勝手に云ってるだけの話だろ、アホ😯
もう結論は出てるんだよ、アホ😯 >>452
二の注に「ここでは教義を信仰する人という意味ではなくて、心の素直な人の意であろう」とある。
また、一〇に「聖者に見えようと願い、正しい教えを聞くことを楽しみ、物惜しみの汚れを去った人、かれこそ信仰心ある人と呼ばれる」とある。
ここでの信も、理性・真理の探究といった趣旨を含んでいて、
「「(正しいと)分かってないから仏陀の教えに歩みよってそれを信じて学ぶ」というお前のいう妄信的信仰とは異なる。 277 神も仏も名無しさん 2021/08/31(火) 01:41:45.39 ID:9Swm+y2D
>>274
釈迦の教えは信仰ではないなあ。
↓
信仰だろw
終わり。
去れ。 >>460
だから、
>>322「(正しいと)分かってないから仏陀の教えに歩みよってそれを信じて学ぶんだろ?
そしてその実践のうちに信仰が確信に変わっていくんだろ?」
と言ったのはお前だろ。 >>461
お前が提示した辞書に、俺が言ったのと同じ内容が書かれていた。
ここからお前が逆転すんのは不可能。諦めろ。 >>452も>>463で論破済み。
そして、>>456を読みなさい。
ソースはこうやって提示して使うものだ。
誹謗中傷しかできない馬鹿とは大違いだろ。 あほの鹿野園は何がしたいねん
スッタニパータに対抗するために
大乗が興隆していたカニシカ王時代にサンスクリット語訳された
ウダーナヴァルガを引用して何がしたいねん。
元はパーリ経典のダンマパダとウダーナであるとはいえ、
大乗の頃に成立したサンスクリット経典で何を論じたいねん。あほなのか?
パーリ経典の古層から論じろよ、あほ。
>>464
それは信(まこと)って訳されてる箇所な。
却下www >>469
注をちゃんと読みなさい。
九の注に信仰もsraddhaだと明記されてる。
もう反論すればするほど、愚かさを晒して、火だるまになってる君がかわいそうだよ。 >>468
ハゲ😯
ダンマパダにも信仰の語はあるだろ、ハゲ😯
鞭をあてられた良い馬のように勢いよく努め励めよ。
信仰により、戒しめにより、はげみにより、精神統一により、真理を確かに知ることにより、知慧と行ないを完成した人々は、思念をこらし、この少なからぬ苦しみを除けよ。 >>465
だから、信じろなんて云ってないだろ、アホ。
知的に理解とは言語による理解って事だろ?
それが分からなきゃ意味不明だからな。
いい加減に諦めろ、お前は終わってるの、アホ😯 >>466
だからさぁwww
その辞書には釈迦仏教にも信仰があったって書いてあるだろ?
だから、此れは間違えってどんな馬鹿でも分かるよな?
日本語分かるか?
↓
277 神も仏も名無しさん 2021/08/31(火) 01:41:45.39 ID:9Swm+y2D
>>274
釈迦の教えは信仰ではないなあ。 >>472
>>322「(正しいと)分かってなくても仏陀の教えに歩みよってそれを信じて学ぶべき。
そしてその実践のうちに信仰が確信に変わっていく。」
と散々主張しておいて、「信じろなんて云ってない」って…。
みっともない言い訳すんなよ。
過去レスが残ってるのに、ごまかそうとしても無理。 ダンマパダ
143 みずから恥じて自己を制し、良い馬が鞭を気にかけないように、
世の非難を気にかけない人が、この世に誰か居るだろうか?
144 鞭をあてられた良い馬のように勢いよく努め励めよ。
信仰により、戒しめにより、はげみにより、
精神統一により、真理を確かに知ることにより、
知慧と行ないを完成した人々は、思念をこらし、この少なからぬ苦しみを除けよ。
303 信仰あり、徳行そなわり、名声と繁栄を受けている人は、
いかなる地方におもむこうとも、そこで尊ばれる。
333 老いた日に至るまで戒しめをたもつことは楽しい。
信仰が確立していることは楽しい。
明らかな知慧を体得することは楽しい。
もろもろの悪事をなさないことは楽しい。
という信仰を肯定的に捉えるのもあるが、一方で信仰否定もある
97 何ものかを信ずることなく、
作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、
生死の絆を絶ち、(善悪をなすに)よしなく、
欲求を捨て去った人、──かれこそ実に最上の人である。
そろそろ総括するが、以下は馬鹿の戯言って事で終了だな。
消えな、アホ😯
↓
> 277 神も仏も名無しさん 2021/08/31(火) 01:41:45.39 ID:9Swm+y2D
> 釈迦の教えは信仰ではないなあ。
> 「仏教は宗教でも信仰ではない。人の生き方の科学的な教え」
鹿野園さん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
>>475
ハゲ😯
だから、民間信仰やバラモンのそれだろ、ハゲ😯 鹿野園さんに透明あぼーんされてるのか・・・
鹿野園さんは高熱出たと言ってたけどその後、大丈夫なんですか?
>>474
おい、>>322にはなんて書いてある?
何 故 レ ス を 改 竄 す る ?
↓
お前
「(正しいと)分かってなくても仏陀の教えに歩みよってそれを信じて学ぶべき。
> そしてその実践のうちに信仰が確信に変わっていく。」
実際の>>322のレス
322 鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe [sage] 2021/08/31(火) 11:51:38.02 ID:3TgG8jFu
こいつ、まじで頭が逝かれてる。
最初から分かっていればそれは仏陀に等しいだろ?
分かっているのならいちいち仏陀に学ぶ必要はないだろ?
分かってないから仏陀の教えに歩みよってそれを信じて学ぶんだろ?
そしてその実践のうちに信仰が確信に変わっていくんだろ?
日本語分かりますか?
云ってる意味分かりますか? >>473
だから、その信の内容は「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」とある。
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」は俺が言った「理性に基づいて正しいと判断する」に相当するな。
そうなると、「理性に基づいて正しいと判断したこと」が「宗教的行為を起こさしめる原動力」になる。
つまり、俺が説明した通りだな。
お前が主張する妄信信仰ではない。お前はもう完全に論破されてる。 流石にレスを改竄・偽造してまで持論を通そうなんて思わないけどな😅
・・・こいつ、ガチで頭が逝ってるわ😯
453
過去七仏は誰の教えかぐらい知ってろよ
つまらん揚げ足取りはする癖に全体の文脈から共通性を見つけようともしないで解った気になるのは単なる自惚れでしかない
>>482
www
お前は信仰と勝解を勘違いしてるんだよ。 >>471
ダンマパダ九七とその注を読みなさい。
「何ものかを信ずることなく〜かれこそ最上の人である。」
ここでの意味は「信仰すること無く。」
一四四も、「ここでは教義を信仰する人という意味ではなくて、心の素直な人の意であろう」。 一時期、批判仏教とか流行ったけど、流石に今はもう下火で、そう、炎上は終わったって事だよなw
また、云いたかないけどさぁ、科学云々云ってる宗教に限って非科学的に教祖(格)の個人崇拝が進んでるよな。
事実上、大乗仏教より歴史が浅くて正当性もなく経典もかなり改ざんされてるのにさぁ・・・
大乗からは相手にされてないって言うのが実情でしょ。
>>475
333の注にあるように「正しいことを信じるのである。」
馬鹿野猿が示したように、「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」
つまり、理性的判断が基礎。 >>486
ハゲ😯
だからなあ、ハゲ😯
>バラモン教や当時の諸宗教に対する信仰を捨てるのは当然のことであったであろう。
ってあるだろ、ハゲ😯
認知症だからって同じことを何度も云わせるな、ハゲ😯 >>488
で、釈迦仏教には信仰が無かったんだろ?
www ハゲ😯
確かお前、大谷派の宗務所のお茶汲みだったよな、ハゲ😯
それを根に持って「大乗仏教はカルト」とか馬鹿と一緒になって騒いでるのか、ハゲ😯
>>481
こんなこと言ってない。
大乗はすーぐ捏造するなあ。 >>485
お前が張ったソースに書かれている文章だぞ。
馬鹿野猿さあw。 ID変えてやんのwwwwwww
で、あれは俺じゃないとかいい出すんじゃねーのwwww
>>489
仏教が信仰だと釈迦は思ってなかったから、「信仰すること無く。」 なんだよ。
そのすぐ後に、「仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると信仰を説くようになった。」と書いてあるだろ。
つまり、釈迦の時代には信仰なんて説いてなかった。
馬鹿ってなんでこうやってすぐに指摘される間違いを侵して、愚かさを晒すんだろうな。 >>490
だから中村元もそういってるだろ。
馬鹿は少し前に提示されたことをなせ覚えていないんだ? >>494
それはヒンズー軍曹と馬鹿野猿を使い分けて、しょっちゅう失敗してるお前だろww。 >>493
矛盾してないよwww
で、釈迦仏教に信仰は無かったんだろ?
www >>498
だから、中村元がそういってるソースをお前に示してやっただろ。
同じことを何度も聞くなよ。 >>495
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
通仏教っていうのは釈迦仏教も含まれてるだろ、アホ😯
信仰を捨てよはバラモン教や俗信に対してだろ、アホ😯 >>498
馬鹿野猿は「信」つまり「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」と、
「信仰」を混同してるのか?
さっきからずれまくった意味不明な煽りレスしてたけど、そういうことな。納得。
馬鹿野猿さあ、まーたお前は愚かさを晒してるぞ。 中村元は、
「信」つまり「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」は仏教に通底する。
信仰は、釈迦の時代には否定された。
と言ってんだよ。理解できたか馬鹿猿。
>>499
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
その中村先生が通仏教って云ってるんだよ、アホ😯
で、捨てるべき信仰はバラモン教や俗信のことだって、アホ😯
初期仏典には信仰が紛れもなく説かれてるだろ、アホ😯
>>497
精神病院に行きなさい😯
別人だから。
そういうの妄想はガチでやばいぞw >>500
>>456を読めよ馬鹿猿。
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」
>>486を読めよ馬鹿猿。
ここでの意味は「信仰すること無く。」 >>501
信仰にも確信したそれ(勝解)を不信を残しながらも信仰するものがあるだろ?
何回それを云ったら人並みに理解出来るんだよ、アホ😯
>>502
初期経典で信仰をお釈迦様が説かれてるだろ、アホ😯 >>503
うんうん。馬鹿猿さ、お前が愚かな勘違いしてるのは分かってた。
中村元は、
「信」つまり「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」は仏教に通底する。
信仰は、釈迦の時代には否定された。
と言ってんだよ。理解できたか馬鹿猿。 >>505
だからさ、お前が持ってきたソースに
「信」とは「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」と書いてあんだわ。
自分のソースに不満があるならお前の中で戦ってろ。
他人に八つ当たりすんな、馬鹿猿。
そして、中村元!中村元!と連呼してたくせに、
中村元が「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」と言ってるソースを提示されたらスルーってw。
みっとも無さ過ぎる馬鹿猿だなあ。 >>504
> 「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」
アホ😯
お釈迦様も教団の形成に従いあとから信仰を説くようになったってことだろ?
読み違えてるんだよ、アホ😯
> ここでの意味は「信仰すること無く。」
だから、その(ダンマパダ 97)解説が「バラモン教や当時の諸宗教に対する信仰を捨てるのは当然のことであったであろう。」だろ、アホ😯
本持ってないんだろ、アホ😯 >>508
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」
「仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると信仰を説くようになった。」
とはっきり書かれているのに、どこをどう解釈すれば、釈迦が信仰を説いたことになるんだ?
馬鹿猿さー、みっともなさ過ぎる。 >>506
> 中村元は、
> 「信」つまり「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」は仏教に通底する。
> 信仰は、釈迦の時代には否定された。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
その中村先生が訳したダンマパダやウダーナヴァルガやスッタニパータにお釈迦様が信仰を説かれたって書いてあるだろ、アホ😯 >>508
まあ、これが大乗カルト信者の手口。
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」
「仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると信仰を説くようになった。」
とあるのに、
お釈迦様も教団の形成に従いあとから信仰を説いたことのソースだ!!
と言い張る。
かわいそうなほどに頭が悪いのか、ありえないレベルの厚顔無恥の詐欺師なのか。 >>510
ダンマパダやウダーナヴァルガやスッタニパータにお釈迦様が信仰を説かれたって書いてある???
は?は?はあー??
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」
「仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると信仰を説くようになった。」
と書いてあるのに、「ダンマパダやウダーナヴァルガやスッタニパータにお釈迦様が信仰を説かれたって書いてある」???
大乗カルトはしゃれにならないレベルで脳みそ腐ってんな。 >>509
> 「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」
> 「仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると信仰を説くようになった。」
> とはっきり書かれているのに、どこをどう解釈すれば、釈迦が信仰を説いたことになるんだ?
> 馬鹿猿さー、みっともなさ過ぎる。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
その中村先生が訳したダンマパダやウダーナヴァルガやスッタニパータにお釈迦様が信仰を説かれたって書いてあるだろ、アホ😯
お釈迦様の初転法輪時の説教と晩年の説教には違いがあるんだよ。
そういうことも初期経典から推測されてるのも知らないのかよwww
アホ😯 >>511
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アホ😯
だったらお釈迦様は最初期に戒律を説いたか?
教団の発展とともに戒律が説かれまた、拡充されたんだろ、アホ。
信仰も同じだよ、アホ😯
>>512
アホ😯
辞書にそう書いてあって経典で実際に信仰って書かれてるということはそういう事だろ、アホ😯
少しは頭を働かせてものを考えろ、アホ😯 まぁ「大乗仏教はインチキカルトだな」とか言ってる時点で仏教の教義も歴史も知らない知障だし、どこぞのカルト教団を狂信してる奴だろうな。
ガチのキチガイだろ、コイツわ。
>>514
自分で出したソースの記述にケチを付ける。
中村元!中村元!と繰り返しておいて、中村元が自分の主張に反する記述をしていることが判明すると、意味不明な言い訳と曲解でごまかそうとする。
挙句の果てには逆切れして他人を侮辱。
なんとも見苦しい醜態だ。 >>513
お釈迦様が信仰を説いたというソースを具体的に提示しろよ。箇所もはっきり示せよ。
まーた、お前の勘違いがばれて発狂するんだろうな。 >>515
お前見てると、やっぱりカルトには頭のおかしい連中しかいないんだなと納得。 >>516>>517
経典に書いたあるのが動かぬ証拠だろ、アホ😯 >>518
wwww
その研究機関には中村元先生も居たんだけどwww
で、君はどこの教団に所属してるの?
私は臨済宗だけど。 >>519
注を読めよ。
「信仰」と訳されていても、お前が期待する「信仰」ではないと明記されてる。
>>470とかで説明してやったろ。
また、経典にも
「何ものかを信ずることなく〜かれこそ最上の人である。」
などと書かれている。 >>520
で、中村元は
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」
「仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると信仰を説くようになった。」
と言ってる。
何度同じこと繰り返せば理解できるんだ?馬鹿猿。 「信」つまり「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し、宗教的行為を起こさしめる原動力である。」であって、
馬鹿猿の期待する「信仰」ではないと明確に説明されてるのに、
頭の悪い馬鹿猿は自分の願望でソースを歪めて解釈してばかり。
馬鹿猿は「愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 の方。
>>519
で、お釈迦様が信仰を説いたというソースを具体的に提示しろよ。箇所もはっきり示せよ。 >>521
???
「信仰」は「信仰」だろ?
頭の大丈夫かよ、アホ😯 >>521
???
「信仰」は「信仰」だろ?
頭の大丈夫かよ、アホ😯 >>521
> また、経典にも
> 「何ものかを信ずることなく〜かれこそ最上の人である。」
> などと書かれている。
たまから、それは解説にバラモン教や俗信ってかいてあるだろ? >>525
sraddhaについて、「ここでは教義を信仰する人という意味ではなくて、心の素直な人の意であろう」と注釈されていると教えてやっただろ。
馬鹿猿は知能が低過ぎる。 >>522
だから、お釈迦さまの時代に変遷があったんだろ?
それ故に通仏教だし、経典にも「信仰」をお釈迦さまが説かれた旨が書いてある。
で、何処の教団?
開かせない理由があるのか? >>527
だから、
ここでの意味は「信仰すること無く。」
バラモン教や当時の諸宗教に対する信仰を捨てるのは当然のことであったであろう。
仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると信仰を説くようになった。
と書いてあるだろ。
馬鹿猿は自分に都合が悪い内容は見えないようになってんのか?
頭の悪い妄想をしちゃうのもそれが原因だろう。 >>524
> で、お釈迦様が信仰を説いたというソースを具体的に提示しろよ。箇所もはっきり示せよ。
???
お経にあるって何度言わせるの? >>530
???
お釈迦さまはバラモン教や俗信を信仰する事なくって説いてたんだよ。
で、最初期には信仰について言及してなかったであろうが、やがて信仰について説かれる様になったんだろ?
アホ😯 >>529
馬鹿猿の相手をしてると、スレの品位が落ちる。
せっかく、少しはまともなレスをする人もいたのに、馬鹿猿に呆れて去ってしまった。
馬鹿猿の相手は終了だ。
勝手にカルトに嵌ってろ。 >>533
はいはい、去れ。
で、何処の教団?言えないのか?
まさか、無所属じゃないよな?
あ? スレの品位が落ちるってwwww
「大乗仏教はインチキカルトだな 」って言ってる事自体が全然品位がないだろw
しかも所属教団も明かさないし。
コイツは根本的な所で致命的な勘違いをしてるな😯
「信」も「信仰」変わらないと思うよ。
>客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し
ここで言う「客観的・知的理解」とは「悟り」とは別モンだしね。
悟りと言ったって、結局、師(ブッタ)と同じ境地に立つと言うことだから
あくまでも、師の教えを微塵も疑うことなく「信ずる」ことが仏道修行の出発点だと思う。
仏の教えを信じる=>出来ます。
仏の教えを理解すること=>出来ません。
※いや、理解出来るだろ!=>それは「愚かな凡夫の智慧で想像したもの」でしかない。
ようするに、「言ってる言葉が理解出来た程度」。
それは、まだまだ「真に仏法を理解した」とは言えない。
仏の教えを信じて、長年修行を積んではじめて少しずつ分かることもある。
初心者が、「最初に理解していた通りだ」なんて事はまずない。
10年、20年やってみると、想像以上に仏法は深いなーと感じるよ。
という事ではなかろうか?
しらんけど。
仏典には、こう記されている。
「善くない人は恩を知らず、恩を感じない」
「善い人」は「恩を知り、恩を感じる人である」(中村元著「『恩』の思想」、仏教思想研究会編『仏教思想4』所収、平楽寺書店)。
不知恩の者は釈尊の教えに反している。それは仏法者のあるべき姿でもない。
親の恩を知り、師の恩を知り、国、社会の恩を知るものこそ、賢者である。
ゆえに仏法を学ぶ者は当然、「恩を知り、恩を感じる人である」
>仏教は人の為、社会の為に役に立たない
など大きな間違いである。
>>536
「客観的・知的理解に基づく信頼・信用を意味し」ってあるんだから、一般的な「信仰」ではない。
神なんて客観的・知的理解に基づいて確認できるものではない。
客観的に神との意思疎通したり、存在を確認したりできたことはない。
神仏が存在すると信じるのは、「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」ではない。 釈尊は有名な言葉を発した。
「生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのでもない。
行為によって賎しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」
〈中村元訳『フッダのことば──スッタニパータ』岩波文庫〉
いかなる権威にも屈しない。
地位や肩書などには、目もくれない。
いかなる行動をしているのか──その一点で、釈尊は人を評価した。
これが仏法の大精神である。
釈尊の一番の「悲願」は何だったのだろうか
それは「生きとし生けるものよ、幸福になれ!」という願いです。釈尊は言っている。
「母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし」
(『ブッダのことば − スッタ二バータ』中村元訳、岩波文庫)
母が一人っ子を、命がけで守るように、あらゆる人を、あらゆる生命を幸福にしようと、命をかけて立ち上がれ!。
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」(同)
「立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ」(同)
>>536
もう、これが釈迦の教えとは違うし。
仏の教えを理解すること=>出来ません。
感嘆の言葉25章
「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 「信仰」ググると、確かに
「神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して)信じたっとぶこと。」
とあるが、これはあくまでも宗教全般に関しての一般的な説明であって、
仏教に於ける仏・菩薩や諸天善神はあくまでも、「法」、あるいは生命の働きの一つとして解釈すべきでしょう。
キリスト教のような神様を想定しているわけではないと思う。
>>542
大乗はなんちゃら仏が救ってくれるという教義では?存在しないと仮定すると、教義として成立すんの?
釈迦の教えは、神仏が存在しなくても問題ない。 >>542
また、念仏の類を繰り返すことでご利益があると説いてるはず。
それもそのような力が存在しないと仮定しても、教義として成立すんの? >>540
では「仏の説かれた真理をはっきりと知る」事の出来る「聡明な人」とは、一体どういう人を指して言うのでしょうか?
創価(そうか)なるほどと言うような回答を待つ!
「俺の事だよ」とか言ったら許さんぞ。(笑 >>545
感嘆の言葉25章を読みたまえ。
学識豊かで、高潔で、努力を続ける人だと書かれている。 >大乗はなんちゃら仏が救ってくれるという教義では?
ちがうよ。たしかにそう言う教えもある。
しかし法華経では、そんな事は教えていない。
少なくとも日蓮仏法はそうじゃないよ。
>>546
それは、あくまでも一般論だよ。
仏道修行者なら、だれでも同じでしょ。
「仏の説かれた真理をはっきりと知る」事の出来る「聡明な人」になる為に
仏を「信じ」修行するのではないのかな?
初門でゴールに行き着けるほど、仏法は甘くない。 >>547
大日如来は存在せず、そのほかの諸仏も存在しない。衆生を救いに来ることはない。
題目を繰り返しても何の効果もない。
となったら、どうやって救われるんだ? >>548
だから、「客観的・知的理解に基づく信頼・信用」あるいは「理性に基づいて正しいと判断する」で十分だと何度も言った。
同じことを繰り返し聞くなよ。
同じことを聞かれても、同じ回答しかしない。
お前が納得しないなら、それでは何が不十分なのか論理的に主張してくれ。
こっちは明確に回答してるのに、それに対してお前は根拠もなしに同意しないと言ってるだけだ。
同意しないならそれはお前の自由だが、根拠も何も示さないで言われても、時間の無駄だ。
こっちはちゃんと、
「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」
を示した。
釈迦の教えを理解できると明記されているし、釈迦の時代は弟子達は覚っていた。 >>549
ふっ。君には少し難解な話になるがついて来れるのかな?
まずは...だ。つまり...だ。
その−明日は仕事だから寝る。
お前もハヨ寝ろ。
今から、少女ヲタゲーとかして徹夜すんなよ。
健康が一番! >>551
世俗のくだらない俗人の悪臭が漂うレスをするなよ。
明日は心を入れ替えて、まともな回答を期待している。 >>539
初期経典を通して読めば、その主題は、欲望を絶ち、苦しみから解放され、安らぎを得ることにある。
覚れば、自分勝手な欲望もなくなるから、他者への慈悲も沸いてくるが、それは副次的な結果であって「生きとし生けるものよ、幸福になれ!」が釈迦の悲願というのは無理がある。
実際、「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 といった類の態度は経典のあちこちにある。
欲望に塗れていたり、自分勝手だったり、思い上がっていたり、愚かな人間を批判はするが、彼らをどうやって救うかは経典には書かれていない。悪しき人間は、悪しき人間だと指摘するだけ。
己を救えるのは己だけだという態度が根本にある。善い言動と悪い言動を示し、善い言動を取りなさいと説くのみ。
そもそも、己を欲望から解放するための教えであって、己が欲望から解放されても、他人の欲望には何の影響も無い。
他者を欲望から救う仕組みがない。そんなことを考えたという記述も皆無。 「善き人と交われ。悪しき人と交わるな。」といった教えもあちこちに出てくる。
交わりを絶たれた悪しき人をどう救うかなんて、一度も考えていない。
その理由は、他者を救うことなんてできないから。釈迦の教えは原理的に個人の問題。
549
お前 底無しの無明だな?
法華経の本仏は久遠実成の釈迦といって無始=始まりの無い永遠の昔から悟っていた根本の仏=法身の釈迦即ち釈迦の本体にして応身=人間としての釈迦をこの世に遣わした存在とされてるけど この時代は法身と応身のどちらも釈迦如来という二身説だから大日如来は登場して来ないんだよ
>>555
で、釈迦如来なんて存在しないと仮定したら、どうやって救われるんだ?
大乗の教義は成立しなくなるのでは? 554
基本的にはまず自分が悟ってから他を救いなさいって事だろ?
お前みたいに悟りもしないで偉そうに人様に教えてあげようなんて子供みたいな態度を取れば周りは悪人として袋叩きにするからな
精神年齢3歳ぐらいか?
>>556
…存在してただろ?
死後の如来は存在する訳でも存在しなくなる訳でもないとする原始経典の言葉から小乗は法体恒有の間違いを犯して邪見だとして龍樹にコテンパンにされた訳だ
法華経の久遠実成の釈迦如来は断滅論に対する批判として生まれ 龍樹の中観派は常住論を痛烈に批判するが この両方を理解しないと原始経典の理解には程遠い
死後の如来は存在しないと言えば断滅論に陥り 存在すると言えば常住論に陥るから外道や在家信者には無記を貫き 内弟子達には そのどちらでもないとしたのが釈迦の立場即ち中道という事だ
死後の如来は死ある生き物としての生存からは解かれたが存在しないという事もなければ存在するという事もないという言葉の難しさから大乗の哲学的考察が始まったんだよ
有無のどちらかに分けて捉えてる内は理解出来ん >>560
人間としての釈迦は存在していたが、釈迦如来なんて存在しないと仮定したら、どうやって救われるんだ?
大乗の教義は成立しなくなるのでは? 559
その時々で気付きを与える事で導いて行くという事だ
>>564
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 とも、
「善き人と交われ。悪しき人と交わるな。」とも説いている。
釈迦は、愚かで悪しき人間は釈迦の教えを理解できないだろうと言ってるのだが。 562
先ずは原始経典のお浚い
死後の如来は存在しなくなる断滅でもなく存在し続ける常住でもない
涅槃入りした後の如来や阿羅漢達はお互いに自他の見分けが付かず無漏
従って他者を導くには涅槃の手前で止まりこの世に影響を与えられる様に存在し続けなければならない→完全に悟らない菩薩の境地でなければ他者救済は出来ない=法界の如来は直接衆生に説法出来ない→法界如来の説法を聴いた菩薩が新たにな経典を伝え その経典を学ぶ事で衆生に煩悩に気付かせ菩提心へと向かう様にして行く
やがて衆生は何度となく輪廻を繰り返しながら少しずつ成長して未来仏降誕の時には悟れる様に修行を続ける
大乗の救いとは生活保護ではなく 迷いからの救済の手を差し伸べ続ける事
お前が言うようなコロナに苦しむ人を死から救うという様な意味ではなく 死後も果てしなく続く輪廻からいつか不死となって迷いの生存から解脱出来ると教え 迷える衆生を励まし続ける事だよ
>>565
それで終わらせたらその目的を達成出来なかった我々人類は愚者のまま取り残されて永遠に悟れないから仏教なんて学ばず 経典なんて棄ててしまえばいい筈だがそうはなっていない
原始経典に指名された次のメッテイヤ・ブッダ降誕を信じて何度生まれ変わろうとも僅かずつでも成長を心がけて学び続ける意欲を持ち続けなければ仏教はいずれ滅ぶ
何しろ現代では阿羅漢はいないか いても誰をも自分と同じ等覚者へと導かずに入滅してる訳だからな
既にいないかも知れない阿羅漢を探し求めて当てのない旅をするか 無明と如来の間で今も衆生を導き続けるとされる菩薩を信じて学びを続けるかでしかない
誰の指導も仰がずに経典だけを信じてあらぬ方へと進んだ者がどうなるかを見る限りに於いて 灯明を得て帰依を成し遂げた者など見当たらん
互いに通じない世迷い言を叫ぶ狂人達ならウンザリする程見てるけどな
ブッダとて二人の仙人を師として学んだ後に悟ったのであって最初から誰にも学ばずに灯りにもならない灯明が道を照らすと信じてるのは狂人の類いだ
狂人の行きつく先は阿鼻叫喚の奈落しかない >>566
そんな内容は初期経典に書いてないと思うが。
具体的なソースを示してくれ。 >>567
まず、そのような考え方は初期経典にはないと思う。
ソースを示してくれ。ないならないで、その旨をはっきりさせてくれ。
そして、他者を救済できるなら、それはできたほうがいいだろう。
しかし、釈迦の説いた解脱の方法からして原理的に不可能である。なぜなら、己の欲望からの解放が必要になるからです。
己自身の問題なんだから、そんなものを他者は解決しようがない。
また、釈迦の教えを現代人が理解できないとの主張にも同意できない。
釈迦自身が「聡明な人は瞬時の間賢者たちに仕えても、仏の説かれた真理をはっきりと知る。」と説いている。
信者が入信するときのやり取りも、釈迦と議論して、説得されて釈迦に従うという流れである。
本来の釈迦の教えは、説明されて理解できるものである。そして、その内容は初期経典から十分読み取れる。 568
ソースは理解出来ない人間には無駄だから出さない
お前は先ず会話の仕方や文章の読み方 表現の仕方等を学習しないと誰とも対等な会話が成立しない劣った人間で有る事を認めて受け入れる所から始めないと幾つソースを示しても無駄になる
キチンと学んでいる人間なら読んだ事があるだろう範囲内だからこんな初歩的な所で誰もソースを要求等しない
お前だけだよ
569
ソースを示しても内容が理解出来ないなら一手間無駄だから敢えて出さない
範囲はスッタニパータ ダンマパダ アーガマ ニカーヤ 長部でガーターは含まない
他者救済又は衆生斎度というのは直接手取り足取り教える訳ではなく 助言やヒントを与える事だ
釈迦の指導だけで弟子達が阿羅漢となった訳ではなく本人の理解の向上が肝要で その為に戒を授け 禅定のやり方を教えるが慧は教えられない
本人の才能と努力と指導者と仲間が必要になる
だから仏教では先ず帰依仏 帰依法 帰依僧と唱え ブッダと法とサンガに帰依する事を違う
パリッタのボダナン サラナン ガッチャーミ等と同じ意味だ
聡明というのも絶対的なものではなく相対的なものだからブッダが聡明というからにはブッダに比する聡明なものという事になるし 広く世間を見渡して何人候補がいるかと探せば絶望的だし 徳の高いとされる名僧高僧でも瞬時にブッダの教えを理解して悟ったなんて人はいない
凡人の何倍も聡明な人達が子供の頃から 信じられない程の年月と時間を修行に当てて尚まだ完全には悟れていないというのだから どれほど困難で成しがたい道かぐらいは理解しないとならない
完全に悟った人が周囲になく縁も薄い人にこそ姿の見えない菩薩や明王の助けが必要だから力を示し それを受けた者が信仰を更に深めて行くのだからリアルな指導者よりも遥かに有益だったりするんだよ
経典の神仏の話も単なる比喩や方便じゃないという感覚になる人もいるからな
仏典理解が如何に難しいかを示す一例として
物事は思い通りにならないという法則があり その通りだと思っていたら不意に何かが思い通りになって驚いたとする
この時に物事は思い通りにならないのがブッダの説いた法なのに何故思い通りになるのかという疑問が生まれる
ブッダが嘘を教えないという前提の下に考察すると 物事は思い通りにならないという教えに対して その通りだと思い「物事は思い通りにならない」という思いが生まれる
するとその「物事は思い通りにならないという思い」さえも法則通りに「思い通りにならない」ので「思い通りにならないという思い」に反して思い通りになるという現象が起こり「物事は思い通りにならないという思い」さえも思い通りにならないので最初の法は何一つ変わる事なく打ち消しの打ち消しという現象が起こっり 結果として「思い通りになる」という複雑な結果を生み出し 最初の法が破られたかの様に錯覚してしまうが 法そのものの働きは変わっていないのである
仏典は単純に読めば判るとか理性で理解出来るという思いも同じように思い通りにはならないという法則の下に複雑に変化し 二転三転四転と思いが無くなるまで打ち消され続ける
>>478
立正佼成の鹿野園君と中村元御大は無関係だ。
おまえ、読解力がないというより、
先入観をもって読むから常に誤読するねん それを世間ではアホウという
岩波文庫『ブッダ 真理のことば・感興のことば』中村元訳 p93 97偈註
信ずることなく-従来の諸訳では「軽信することなく」と訳されている。
しかし文字通りの意味は「信仰することなく」である。
釈尊が悟りを開いた時の心境をうたった詩句には「信仰を捨てよ」ということがある。
バラモン教や当時の諸宗教に対する信仰を捨てるのは当然のことであっただろう。
ところが仏教が大きくなって、教団の権威が確立すると、信仰を説くようになった。
↑
中村元先生の解釈では
1.釈尊は信仰を説かなかった
2.釈尊は信仰を捨てよと説いた。
3.仏教は理性によって悟るからである
4.しかし佛教団が大きくなり、権威が確立すると仏法僧に対する信仰を
釈尊に叛いて佛教団が説くようになった
「信仰を捨てよ」という解釈が余りにも得意なので、読者の理解を促進するための
緩衝材として、中村元先生は
「バラモン教や当時の諸宗教に対する信仰を捨てるのは当然のことであっただろう。」
という感想を入れられたのである。
あほの鹿野園君はここしか見なかったようだが、ここは言い訳部分である。
問題は、ここでバクティではなく、サッダーを釈尊が否定していることである。
バクティを経典は否定する。それはバラモンの信仰とされている。
経典では釈尊の覚りを信ずるサッダーを各所で説ていて矛盾するのである。
なので中村元先生は、時間軸を導入して
釈尊自身はサッダーを否定。佛教団の権威が確立護にサッダーを説いたと
主張されているのである 《われらはあらゆる宗教が大生命より発せる救いなることを信じ、
他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼す。》
いろいろの宗教がこの世に出ておりますけれども、どれもみな
この世の光となろうとする使命をもって生れているのでありまして、
電燈の光も、ネオンの光も、ランプの光も、あるいはマッチの光もことごとく
これ照らさんがために現われているのであります。
照らさんがために現われているけれども、おのおの用途がちがう。
小さな電燈もわるいものでなければ、大きな電燈もわるいものでない。
あるいは電燈の形にもいろいろある。
けれども、それを用いる部屋とか、あるいはその光を求める場所とか、
それぞれに応じて適当な形をしているのがよいのでありまして、
四畳半の部屋に大講堂につけるようなシャンデリアを
装置してみてもこれまた眩しくて、書物を読んでも、
かえって読めないということになるかもしれないのです。
照らす役目のものであるけれども、
この世には、いろいろの程度の光やさまざまな形が必要である。
こんなわけで、この世の中のあらゆる宗教は、すべて人生の燈台となり、
人の心を照らす光の輝きをしているのであります。
それに、いちいち相手をけなして自分ばかり善いのであると、こういうような
宗教争いをするようなことでは実にみっともないことであります。
すべての生きとし生けるもの、すべての人間を愛によって結びつけ自他一体である
という実相を悟らせるために現われた
この宗教が、互いに欠点をあばいて石を投げ合いして、
あいつらを撲滅しなければならない、という利己的な観念をもって、
争いあうようでは宗教がこの世を照らすために現われたという
目的にそむくわけであります。
自分は自分で光ればよいのであって、他はまた他で光ればよい。
人種も時代も文化も多種多様であるからそれに適するように多種多様の宗教が現れて
これを照らす、五百燭光の電燈がありさえすれば、懐中電燈は要らぬというわけでは
ない、
太陽が出ている時でも、地下鉄には電燈の光が要るのであります。
>>570
>ソースは理解出来ない人間には無駄だから出さない
あのさあ…。これは呆れるしかない。
お前は、まじめに相手する価値がない。 >>571
>ソースを示しても内容が理解出来ないなら一手間無駄だから敢えて出さない
はいはい。まともに学問を学んでいたら、ありえない発言だな。
学識のないものは愚者だと、釈迦も言ってる。
もう、お互い不快になるだけだから、このスレには来ないで欲しい。 >>573
>3.仏教は理性によって悟るからである
同意。
経典には、明らかにそう書かれている。 仏教の基本は聞思修と戒定慧なんです。
ザックリ言うと聞思が知識的なもの、修・戒定慧が実践となりましょうか。
お釈迦さまの説かれた法は理性的に理解されなければならないでしょうし(盲信ではない)、聞思修と戒定慧という智慧の完成に至る迄の形態も理性によって把握されるものでしょう。
総じて、これらの事は成道に至るまでの理性による準備段階・予備知識だと思う思うんです。
そして、修(戒定慧)という実践に進む訳ですが、悟りそのものは直観・感覚的なものでしょうから、理性の領域を超えていると思うんです。
つまり、信仰の領域だと思うんです。
>>574
そんなの初期経典にあったか?箇所を示せ。
話に出ているように釈迦は、「信仰を捨てよ」と言った。
お前らがイメージするより割と攻撃的だよ。
理論的に考えると、理論的におかしいものに対しては「それはおかしい!」と言うしかないのだ。 信仰は理性を包み込む様な形で理性の上位にたつ、私はそう思うんです。
掛かる意味に於いて、仏教は理性で悟るものではないと思います。
何故なら、悟りは直観・感覚的なものであろうと思うからです。理性はあくまでも準備段階、また、成道後の後得智としてのそれだと思うんです。
>>583
>修(戒定慧)という実践に進む訳ですが、悟りそのものは直観・感覚的なものでしょうから、
この部分は瞑想などのオカルト的実践をイメージしているんだろうけど、初期経典にはそういった類の修行を要求するような記述はないはずだが。
知恵・高潔な心を繰り返し要求している。そして、欲望を抑えることを求めてる。
その結果として、質素な生活を送るよう求める。
釈迦の時代における実践とは、己を律して生活することであって、神秘的体験を求めて瞑想したりすることではない。 さて、繰り返しになりますが、「信仰を捨てよ」とは、バラモン教や俗信の事でしょう。
或いは、信仰が確立されてもそれが拘りになる事に対しての警句なのかも知れません。
仏教の聞思修と戒定慧という智慧の完成・成道に至るまでのシステム。これは知的に、理性的に解釈されなければならないでしょう。
そして、そしてその先に一歩踏み出すという確信。
その一歩先の世界が信仰の世界であって、掛かる意味に於いて、信仰というのは理性と確信から成り立つのかもしれません。
>>586
>この部分は瞑想などのオカルト的実践をイメージしているんだろうけど、
瞑想=オカルト的実践とかw
余りにも短絡的な思考ですね、相変わらず。
つまり、あなたは定慧を否定するのですか? 知見を得てのちに解脱した。
この記述は初期経典に散見されますけどね。
尊敬するものがなく、恭敬するものがないのは苦である。
したがって自分は、何びとかを尊敬し、その人に帰依して住したいが、しかし自分よりすぐれた戒蘊、定蘊、慧蘊、解脱蘊、解脱知見蘊をそなえた人を見ない。
それ故、自分は、自分の悟った法を尊敬し、恭敬して住しよう。
(スッタニパータ 宝経 より)
>>587
十分解説されたのに、まだそんなこと言ってんの?
一晩考えて、今日は落ち着いた印象だし、もう一晩考えなさい。 >>588
初期経典のどこにお前が想定する実践が書かれているのか、ソースを提示しよう。
個人的感想を押し付けられても、説得力はない。君も得意な、研究的にお互いソースや根拠を付けるようにしよう。 >>589
> 知見を得てのちに解脱した。
> この記述は初期経典に散見されますけどね。
また、この解脱した事を知見した(解脱知見)というのもありますね。
その知見が理性であるのなら、解脱は理性とは違うものとなりますから、やはり直観・感覚的なものなのでしょう。
そして、その直観・感覚的に得られたものが理性(知見)によって確認されるのです。
それが智慧と呼ばれるものなのではありませんかね。 >>589
「生ある者が死に、形ある物が滅するのは世の理。だから、何者もいずれ失われる。それが必然だと知り、執着するな。」という教えを知り、理解した。
しかし、それを実践して己の欲望をなくすまでには、多少の時間がかかるだろう。だから、教えを理解してから、欲望をなくし覚ったと言えるまでに期間があるのは当たり前。
お前が想定していると思われる神秘的実践は、初期経典のどこにもないはず。 >>593
教えを理解することと、その教えが身に付くことは違うな。
自動車免許を取るときに、車の操縦方法を学ぶ。これは頭で理解する。
ただ、理解しただけでは体がついて来ない。練習を繰り返すうちに、体に染み込んで、考えずに運転できるようになる。
同様に、釈迦の教えを理解する。ただ、これだけでは覚れない。
教えに従って生きようと繰り返すうちに、普通に生きているだけで教えを実践できている。
気が付くと、自分の中から欲望が消えている。その段階が覚り。
釈迦の教えにはオカルトや神秘は無い。 下記の確信は意志の間違いです。
訂正します。
↓
587 鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe [sage] 2021/09/01(水) 11:28:13.63 ID:cFeLlaO8
さて、繰り返しになりますが、「信仰を捨てよ」とは、バラモン教や俗信の事でしょう。
或いは、信仰が確立されてもそれが拘りになる事に対しての警句なのかも知れません。
仏教の聞思修と戒定慧という智慧の完成・成道に至るまでのシステム。これは知的に、理性的に解釈されなければならないでしょう。
そして、そしてその先に一歩踏み出すという確信。
その一歩先の世界が信仰の世界であって、掛かる意味に於いて、信仰というのは理性と確信から成り立つのかもしれません。
↓
そして、そしてその先に一歩踏み出すという意志。
その一歩先の世界が信仰の世界であって、掛かる意味に於いて、信仰というのは理性と意識から成り立つのかもしれません。
>>587
>信仰は理性を包み込む様な形で理性の上位にたつ、私はそう思うんです。
>仏教の聞思修と戒定慧という智慧の完成・成道に至るまでのシステム。
>これは知的に、理性的に解釈されなければならないでしょう。
>そして、そしてその先に一歩踏み出すという確信。
>その一歩先の世界が信仰の世界であって、掛かる意味に於いて、
>信仰というのは理性と確信から成り立つのかもしれません。
上段の「信仰が理性より上位に立つ」とか
下段の「理性の一歩先が信仰の世界」とかと新興宗教の鹿野園君は主張して
「右肩よりの出生」伝承を盲信せよと言うのだが、
伝統仏教は、「右肩よりの出生」伝承を理性で切り刻んで盲信しません。
そして「信」は「聞」より生ずると解釈しています。
教えて「聞信」するのですが、盲信ではないので、「聴聞した教え」を
「思」によって切り刻むのです。そして納得したところに「慧」があるのです
新興宗教の鹿野園くんと伝道仏教では根本的に文化が違うのです >>597
www
何で勝手にオカルトだの神秘だのって決めつけるのですか?
その体に染み込むのは理性ですか?
違いますよね。
直観・感覚的なものですよね。
で、その直観・感覚的なものが身に付いたと知見する訳ですよね。
>教えに従って生きようと繰り返すうちに、普通に生きているだけで教えを実践できている。
それが聞思修と戒定慧でしょw >>598
>「右肩よりの出生」伝承を盲信せよと言うのだが、
ハゲ😯
そんな事言ってないだろ、ハゲ😯
速やかに認知症外来に行け、ハゲ😯 >>599
たぶん俺宛だと思うが、
こういうもやもやしたやり取りをやっても無益。
まず、初期経典のどこかにお前が想定する実践があるならその箇所を提示しなさい。
それができないなら、釈迦の教えとして記録された内容ではないと確認できる。
大乗の教えなのかもしれないけど、であればそれはそれでその内容が書かれたソースを提示しなさい。
そもそも、お前の考えなんだから、それを明確に提示するのはお前の義務。 >>601
???
聞思修と戒定慧。
それが釈迦仏教に無かったと? >>602
単語だけ出されてもお前が何を想定してるか分からん。
その単語だけで言えば、>>596で十分。
それで十分だとお前も考えているなら解決済み。
違うなら、お前の考えが分かる箇所を提示しような。 >>603
?????
意味不明。
お釈迦さまは聞思修と戒定慧を説いてなかったと言いたいのか?
初期経典を見た人ならそれが普通に散見されてるのは分かるはずだし、その様を総じて聞思修と戒定慧って表現してるのだけどw
昼が終わったから一旦落ちw >>604
こういうもやもやしたやり取りをやっても無益。
まず、初期経典のどこかにお前が想定する実践があるならその箇所を提示しなさい。
それができないなら、釈迦の教えとして記録された内容ではないと確認できる。
大乗の教えなのかもしれないけど、であればそれはそれでその内容が書かれたソースを提示しなさい。
そもそも、お前の考えなんだから、それを明確に提示するのはお前の義務。
と、言っただろ。 >>605
そんなの仏教徒なら常識なんだけど・・・
もしかしてS師の本に感化されて 大乗仏教わー な人なの?
www >>606
そういうみっともないのはいいから。
初期経典のどこにも、お前が主張するような実践は書かれていなかったんだね。
素直にそう言えよ。
で、どこに書かれてんの?
まさか、どこにも書かれていないお前の独自妄想? >>607
いや、だから、聞思修と戒定慧なんて通仏教的な常識でしょ?
なのに何でそんな事をいちいち尋ねるのか、それが逆に不思議で仕方ないんですよw
で、あなた、どこの教団所属なの? >>608
ソースが提示できない馬鹿かよ。
一晩頭冷やして出直せ。 ソースとかwww
ある意味、経典そのものが聞思修と戒定慧を説いてるんだけどwww
この人相当やばい人なんだろうかwww
聞・思・修のほんの一例
聞
>この世で、心が暗くふさぎ込んだり眠くなるのを取り除いて、心を喜ばせ、勝利者(=仏)の説かれたこの感興のことばをわれは説くであろう。さあ聞け。
>(ウダーナヴァルガ 中村元 訳)
思
>(道に)思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである。
>(ダンマパダ 中村元 訳)
修
>この世の福楽も罪悪も捨て去って、清らかな行ないを修め、よく思慮して世に処しているならば、かれこそ〈托鉢僧〉と呼ばれる。
>(ウダーナヴァルガ 中村元 訳)
戒定慧のほんの一例
戒
>修行僧らは、つとめはげむのを楽しめ。よく戒めをたもて。その思いをよく定め統一して、自分の心をまもれかし。
>(ウダーナヴァルガ 中村元 訳)
定
>信仰あり、また徳行をそなえ、精神を統一安定して、真理を確かに知って、知慧と行ないを完成し、
>思念をこらして、このような境地に達した人は、すべての苦しみを捨て去る。
>(ウダーナヴァルガ 中村元 訳)
慧
>徳行を完成し、つとめはげんで生活し、正しい知慧によって解脱した人々には、悪魔も近づくによし無し。
>(ダンマパダ 中村元 訳)
>>612
それのどこをどう読むと、
>>585
「仏教は理性で悟るものではないと思います。
何故なら、悟りは直観・感覚的なものであろうと思うからです。理性はあくまでも準備段階、また、成道後の後得智としてのそれだと思うんです。 」
のソースになるんだ? 聞思修は、南伝パーリでは説かれてないみたいね。
倶舎論では説かれているので部派時代からみたいね
「戒の実践に居る者が、聞と思とを具え、修習を行ずる。
聞所成等の慧は名と(名・義)の両方と義とを境とする」
>>613
???
聞思修と戒定慧の話を前提に話をしてたんだけと?
何故そこに飛ぶ?
聞思修の話をしてる時点で何でその話だって言わない?
頭がおかしいな、お前😦 >>583
「そして、修(戒定慧)という実践に進む訳ですが、悟りそのものは直観・感覚的なものでしょうから、理性の領域を超えていると思うんです。
つまり、信仰の領域だと思うんです。」
>>585
「仏教は理性で悟るものではないと思います。
何故なら、悟りは直観・感覚的なものであろうと思うからです。理性はあくまでも準備段階、また、成道後の後得智としてのそれだと思うんです。 」
辺りのソースが必要。理性の領域を超えた実践とやらが、経典のどこに書かれているんだ? >>615
は?
お前の>>583に対して、「理性の領域を超えた実践」とやらのソースを提示しろ、とずっと言い続けているぞ。
読み直せ。 >>617
いま手元に資料がないからソースそのものは出せないけど、確か馬場先生の「初期仏教の研究?」だったかに、「知見を得て、その後に解脱した」って経典からの引用があったけどな。
知見とは理性に該当するものだろうから、理性と解脱は別物となるし、解脱を知見の後に置いたということは、理性の領域を超えてることだろ。
少し考えればわかる事だよ。
で、何処の教団の所属なんだよ? >>600
いや、鹿野園君は、理性と言いつつもそれは、ポーズで
実際的に言っているのは『盲信せよ』ですよ
1.「脇の下から生まれた」は非科学的な迷信であるが
2.「科学的ではないから正しくない」という理性を信仰で包み込んで
3.非科学的な記述があっても、真理であると盲信せよ
↓
390鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe 2021/08/31(火) 15:35:35.01ID:3TgG8jFu
>>383
当たり前だろw
「脇の下から生まれたとかそれは科学的事実ではないから仏教は正しくない」
って云わないだろ?
そうした非科学的な事実があっても、真理を云ってるとして信仰するんだろ?
アホw >>618
資料があるときに提示してくれ。
あと、「知見を得て、その後に解脱した」自体はそういう記述は経典のあちこちに見られると言ったぞ。
聞いてるのは、
>>583
「そして、修(戒定慧)という実践に進む訳ですが、悟りそのものは直観・感覚的なものでしょうから、理性の領域を超えていると思うんです。
つまり、信仰の領域だと思うんです。」
>>585
「仏教は理性で悟るものではないと思います。
何故なら、悟りは直観・感覚的なものであろうと思うからです。理性はあくまでも準備段階、また、成道後の後得智としてのそれだと思うんです。 」
辺りのソースだぞ。 580
俺は早い段階でそう判断してお前を真面目に相手してないから
>>619
ハゲ😯
おい、ハゲ😯
宗教的真理を掴み取れという事だ、ハゲ😯
認知症外来に行け、ハゲ😯 >>618
パーリニカーヤでは
「(私は)解脱知見をさとるように」という思いが為されるべきではない。
比丘たちよ、これは常法であるから、(汚染から)厭離(した者)は解脱知見する。」
と解脱と知見が一体化で説かれている箇所もあるよ。
解脱したいとか思うな。修行したら、自然と解脱したという認識(解脱知見)を
得るものだよ、焦るなみたいな感じやで 581
まともに学識を学ぶという日本語がおかしい
小学生に高校レベルの内容を教えても理解出来ないから初歩的な話しかしてないのに それすらソース出せというから そのぐらいは自分で勉強して確認してからおいでと言われる
不快というならお前がスレ立てと書き込み止めれば多数が不快な思いをしなくて済むんだから 多数を不快にさせて於いて自分を不快にするなは筋が通らない
>>620
だから、知見(≒理性)と解脱は別でしょ?
違いますか?
理性でなければ、それは直観や感覚でしょ?
違いますか?
「知見得た後に解脱した」というのであれば、当然にそうした事になると思いますが?
違いますか? >>625
だから、>>596の違いはある。
お前はそれとは違う主張がしたいんだと思うから、その具体的内容とソースを提示して。 >>623
ハゲ😯
おい、ハゲ😯
構ってちゃんは認知症外来に行ってやれ、ハゲ😯 あほの鹿野園君はテキトーな先入観でモノを語らず
経典論書など資料を確認して、考えてからモノを語りなさい。
1.確認
と
2.思索
これを装着しなさい
>>627
こちらの質問は一方的に無視かよw
お前が答えなきゃこっちも答える必要ないかなら。
移動が終わったから一旦落ち。 >>630
お前の主張を聞いてやってんのであって、質問じゃねえだろ。
本来は、お前自身で主張を明確に書いて、根拠を提示すべきなんだよ。それをお前ができてないから、こっちが聞いてあげてんの。
研究機関で働いていたなら、それくらい常識だろ? >>631
???
何勘違いしてるのか分からないけど、誰しも>>1の様な狂気じみた妄想に対して、ごく普通の立場から護教的弁明をしてるのであって、問い質されてるのはあなたなんだけど? >>632
研究機関で働いていたんだから、主張には根拠を付ける。
このくらい常識だろ? 大乗は他者他者言うけど、釈迦は「己!」なんだよな。
スッタニパータ 35
子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
サンユッタ・ニカーヤ 1編2章3節
かの神は〜「子ほど可愛いものは存在しない。〜」
尊師いわく「自己ほど可愛いものは存在しない。」
他者救済が釈迦の悲願!とか言ってる連中は、友達など要らない。子供も要らない。己が一番!と釈迦が言っている理由を説明できない。
つまり、他者救済が釈迦の悲願!は間違い。
>>636
ソースも出せないし、論理的主張もできないのに、研究機関で働いていたと言い張る奴。 研究機関で現行の配送のバイトをしてただけらしいよ
バイク便のあんちゃんでしょ
634
それを説かれる相手は釈迦から見た他者だろ?
635
自帰依を自分に問いたり法帰依を法に向かって問いたりしないだろ?
経典は他者に向けて説かれてるんだよ
◆スッタニパータ
第一 蛇の章
<8、慈しみ>
143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
147 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
148 何びとも他人を欺(あざむ)いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
149 あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥(が)しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
くれぐれも、「自分にだけ都合の良い釈迦の言葉を採用してこれらの教えを無視することの無いようにしような。
「ことばやさしく、柔和で」、
「他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。」
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」
「この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を「崇高な境地」と呼ぶ。」
「一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。」
この教えを守れない人間が、他者に対して「それは釈迦の教えでは無い」とか言う資格などない。
すぐ感情的になるのは未熟な証拠。修行が足りん。w
たまには、桃太郎のようにオヤジギャグかまして、堂々としていられるような度量と、心の広さを持つべし。w
※なお桃太郎はタタだの「アホ」だからというレスは一切受け付けません。w
>>637
お前、確か大乗仏教批判をしては瞬殺されて、熱りが冷めてはまた再掲示してた奴だろ?
確か数年前に最近の学術成果の話をされ瞬殺喰らって発狂してたよな? >>638
wwwwww
そうかそうかw
俺の前任は文部省からの出向者だったけど、バイク便をやらせてたのかwwww >>646
だったらお前の知りたい事を箇条書きでまとめておけw >>641
だから>>553で書いたように、
初期経典を通して読めば、その主題は、欲望を絶ち、苦しみから解放され、安らぎを得ることにある。
覚れば、自分勝手な欲望もなくなるから、他者への慈悲も沸いてくるが、それは副次的な結果であって「生きとし生けるものよ、幸福になれ!」が釈迦の悲願というのは無理がある。
実際、「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 といった類の態度は経典のあちこちにある。
欲望に塗れていたり、自分勝手だったり、思い上がっていたり、愚かな人間を批判はするが、彼らをどうやって救うかは経典には書かれていない。悪しき人間は、悪しき人間だと指摘するだけ。
己を救えるのは己だけだという態度が根本にある。善い言動と悪い言動を示し、善い言動を取りなさいと説くのみ。
そもそも、己を欲望から解放するための教えであって、己が欲望から解放されても、他人の欲望には何の影響も無い。
他者を欲望から救う仕組みがない。そんなことを考えたという記述も皆無。 >>643
ごちゃごちゃ言い訳ばかりで、いつになったらソースは出て来るんだ?
ソース出せないくせにいきってて、恥ずかしくならない?
>>583
「そして、修(戒定慧)という実践に進む訳ですが、悟りそのものは直観・感覚的なものでしょうから、理性の領域を超えていると思うんです。
つまり、信仰の領域だと思うんです。」
>>585
「仏教は理性で悟るものではないと思います。
何故なら、悟りは直観・感覚的なものであろうと思うからです。理性はあくまでも準備段階、また、成道後の後得智としてのそれだと思うんです。 」 >>649
wwww
そんな事かw
明日の晩あたりにレスしてやるよw 釈迦は明確に
「立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥(が)しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。 」
と教えている。にもかかわらず、「自分の考えと違う」からと言って
>覚れば、自分勝手な欲望もなくなるから、他者への慈悲も沸いてくるが、それは副次的な結果であって
などと、経文には一切無い。あなたの勝手な自説を展開する、
同じ小乗教なのに、多くの部派が派生したのも、貴方のように中途半端に仏教を学んだ人間が「自分に都合の良い適当な解釈」を加えるからそうなったんだじゃないのかな?
>>650
馬鹿野猿はまーだ理解できてないんだな。
研究機関で働いていれば、主張のソース・根拠を明示するのは常識だ。
研究機関で勤務した経験のあるお前なら、ソースも付けないなんて恥ずかしいことだと当然知ってるだろ? 先の釈迦の言葉は、覚者に対する教訓というよりは、修行過程の弟子に対する教えだと思うんだけどな。
>「生きとし生けるものよ、幸福になれ!」が釈迦の悲願というのは無理がある。
これは、自分の考えと違うから、いかに釈迦の言葉と言えども、否定すると言うことだよね。
>>651
初期経典を通して読めば、その主題は、欲望を絶ち、苦しみから解放され、安らぎを得ることにある。
初期経典の主題が慈悲だとでも?
そして、釈迦は愚かで悪しき人とは交わるなと説いている。
そうやって切り捨てるだけで、悪しき人を救う方法は一切説いていない。
そいつらを救うために釈迦が何かしたと、初期経典のどこかに書いてあるなら提示しろよ。
都合の悪い記述から逃げてるのはお前。 >>653
悪しき愚かな人間と付き合うなと言って、悪しき人間とは交わらなかったのに、
「生きとし生けるものよ、幸福になれ!」が釈迦の悲願って、無理でしょ。
覚れば、自分勝手な欲望もなくなるから、他者への慈悲も沸いてくるが、それは副次的な結果。
都合悪い記述から逃げんなよ。 >>648
自分の考えと違うからと言って、明確な釈迦の言葉に、
「自分に都合のよい歪んだ解釈を加える」
あるいは
「そんなはずは無いと否定する」
そうなると、もはや「自分教」であり新興宗教じゃないか。 >>656
おいおい。
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」
「悪しき者とは交わるな」
というのは経典に書かれていることは理解できてる?
過去レスで経典中の箇所も明示したぞ。
そして、経典の主題は、欲望を絶ち、苦しみから解放され、安らぎを得ることにあるのは明らかだろ。
お前は一体どれについて争ってんだ? そうやって、私の指摘に回答できず、論点をズラしてうやむやにする。
人には「ソース、ソース」としつこいのに、ご自分の返事はいい加減だね。
だめだよ。それじゃ。
>悪しき愚かな人間と付き合うなと言って、悪しき人間とは交わらなかったのに、
なぜ、これを根拠に「生きとし生けるものよ、幸福になれ!」には「無理がある」となるのだろうか?
ぜんぜん関係ないと思うよ。
これは「悪知識」に親近するなと言う事であって、
「涅槃経には「菩薩は悪象等に於いては心に恐怖すること無く、悪知識に於いては怖畏の心を生ず。悪象に殺されては三趣に至らず、悪友に殺されては必ず三趣に至る」とある。」
という事だよ。
>>658
だから、はっきり回答している。
釈迦は「悪しき愚かな人とは交わるな!」としか言っていない。
だから、悪しき愚かな人は救われない。それを釈迦は放置している。
悪しき愚かな人だって、「生きとし生けるもの」には含まれるが、彼らを救う手段を、釈迦は一切考えていない。
釈迦が何か考えたという記述があるなら、その手段が書かれた箇所を示せよ。
ソースに基づく反論から逃げるなよ。 きみの言うことが、よーわからんが。
菩薩が「一切衆生の幸福を願う事」と、「悪知識に親近しない」ということは、ぜんぜん別の話じゃないかな?
>>660
「生きとし生けるものをあまねく救う」には、悪しき愚かな者を救う必要がある。
ところが、釈迦は悪しき愚かな者とは交わるな!と言って、放置している。
「生きとし生けるものをあまねく救う」が絶対的なゴールではないことは明らか。 >>659
私のソースは
>>641 だよ。
君は未だに、このひとつひとつに、「ソースに基づく反論」なんてしていない。
ほんの一部だけ反論しているようだが、
君の提示したソースは、まったく的外れな釈迦の教えを引用して、それを自分に都合良く解釈しだけで、
まったく反論になっていない。
>悪しき愚かな人は救われない。それを釈迦は放置している。
そんな無慈悲な仏など居ないんだよ。(苦笑 放置しているというのも、誤解を招くな。
釈迦の教える救いの原理は個人の欲望を断つから、己がどうにかするしかない。だから、原理的に他人を救うことは不可能。
教えを説くことはできても、相手にそれを受け入れる知恵や心がなければ、救いようがない。
だから、一切衆生を救うことは不可能。
>>662
悪しき愚かな人を救う手段はどこにも見当たらないだが。
あと、釈迦に慈悲の心がないなんて言ってない。
悟りの副次的な結果としては慈悲が生まれると言ってる。
否定してないのに否定してると捏造してるのはお前。
で、悪しき愚かな者が救う手段は? 「49 あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。 」
「母が已が独り子を命を賭けて護るように」とあるように。
釈尊にとっては、一切衆生が「我が子」である。
子を見捨てる「母」などいないのです。
仏の慈悲は平等ではあるけれども、「愚かな子」には一重深く親の思いは強くなるものだ。
>>662
初期経典のどこにも悪しき愚かな者を救う方法は書かれていない。
それなのに、「悪しき愚かな者とは交わるな」とのみ説く経典を無視して、
>そんな無慈悲な仏など居ないんだよ。(苦笑
と言い張るお前こそ、自分の願望とは違う経典の記述を無視している。 >>665
で、悪しき愚かな者が救う手段は?
悪しき愚かな者を救う手段が一切ないんだから、一切衆生を救うことなんて不可能。
釈迦は当然気付いていたけど、何もしていない。
だって、原理的に一切衆生を救うことなんて不可能だから。 >一切衆生を救うことは不可能。
釈迦は一切衆生を救う為に「仏法」を説いたのです。
仏が「一切衆生を救うことは不可能。 」なんて言ってたら、
仏法を学ぶ意味が無い。
もしそうなら、仏は、各地で困っている人たちのために日々活躍しているボランティアより遙かに劣る「愚かな者」となってしまうだろう。
>>668
だから、悪しき愚かな者を救う手段を提示しろよ。
初期経典のどこにも書かれていないはずだが。
お前は、有りもしない手段を、お前の願望に沿うように妄想しているだけ。
まさに、経典を自分の都合に合わせて曲解している。
それは、釈迦の教えを曲げている。 「悪しき愚かな者」なんて最初からいないよ。
「悪しき愚かな者」は常に「悪しき愚かな者」であるという考えは「仏教」の考えでは無い。
そんな固定された人格など無い。
「無常」つまり、常に変化すると言うこと。
善縁、悪縁によって、人は「善人」にもなり「悪人」にもなる。
したがって、最初から「救えない」という結論は出せないはずだよ。
正しい思想、正しい哲学、そしてその最高峰である仏法だからこそ、
いかなる境涯の衆生であろうとも救って行くことが出来るのです。
>>670
釈迦は
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」
「悪しき者とは交わるな」
と説いた。経典中の箇所も既に示した。
ソースから逃げて、自分勝手な妄想するな。
それでは釈迦の教えを理解することはできない。 >初期経典のどこにも書かれていないはずだが。
それは、初期経典が大乗経典と比べ、遙かに劣っている経典だから仕方ないよ。
大乗を学べ、されば道は開かれる。(笑
アインシュタインが相対性理論を説明するのに、
学生が曰く「小学生の教科書のどこにそんな理論が書いてあるんだよ!」と言っているのと同じだ。(笑
大乗は他者他者言うけど、釈迦は「己!」なんだよな。
スッタニパータ 35
子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
サンユッタ・ニカーヤ 1編2章3節
かの神は〜「子ほど可愛いものは存在しない。〜」
尊師いわく「自己ほど可愛いものは存在しない。」
お前の解釈には反するこの意図を、お前には理解できないだろう。
>>672
あー、言っちゃったね。
「経典を無視するな!」「ソースから逃げるな!」とちょっと前に偉そうに言ってたくせに、初期経典の釈迦の教えを侮辱。 >>672
で、大乗だと、悪しき愚かな者を一体どういう手段で救えることになってんの? >>671
君の経文の解釈が間違っている事を、これでもか!と言う程に教えてあげているのに
きみが理解出来ないだけの話じゃないのか?
きみの反論は突っ込んだ反論が為されていない。
同じことをオームのように繰り返しているだけじゃないか。
だから話が噛み合わない。
ロムっている人も話の内容にまったく進展が無く、つまらないと思っているのではなかろうか? >>676
間違っていると主張したいなら、どこがおかしいのか論理的に指摘しような。
愚者じゃあるまいし、感情論の悪口はみっともない。 >>670
「生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのでもない。
行為によって賎しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」
〈中村元訳『フッダのことば──スッタニパータ』岩波文庫〉
まぁ、同じような事を言っているね。
最初から「賤しい人」、最初から「賢い人」なんていないと言うことだよ。
「行為によってかわる」※日常生活に於いて、他者に対していかなる振る舞いを行っているのか、それが大事だ。
日蓮大聖人曰く
「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」
仰せの通りだ。 >>677
感情論はきみの十八番だろ。
なに言ってんだよ。(笑
よし!今日はこれまで!明日も早い。
君もハヨ寝ろ!
夜更かしは体に良くないぞ。
あっ、コロナワクチン打っとけよ。 >>676
悪しき愚かな者を救う手段は初期経典のどこにも書かれていないと認めておいて、何言ってんだよ。 >>678
結果として、悪しき者や愚かな者がいるなあ。 >>678
生まれながらに悪しき者、愚かな者はいなくても、
悪しき者や愚かな者に育つ人はいる。 >>679
悪しき愚かな者を救う手段を提示できないまま逃亡。
そのくせ、一切衆生を救うと言い張る間抜けが偉そうに。
釈迦の教えを、お前の願望で捻じ曲げるな。 673
仏教には出家向けの教えと世俗向けの教えの二通りある
お前がやってるのは相手が世俗向けの教えを出してるのに対して出家向けの教えはこうだ と違う内容で応じてるだけ
大乗は世俗を悟りに導く事を重視しているから噛み合う訳がない
スッタニパータは僧俗の区別の無い経集だから世俗向けの教えに出家向けの教えをぶつけても釈迦の出家向け教えで釈迦の世俗向けの教えは間違ってるという主張にしかならないから 私は仏典の構造すら理解出来ない愚か者ですと自己紹介してる事になる
>>680
釈迦の教えを知らないだけでは。
日本では、釈迦の教えとは似ても似つかぬものが仏教徒されている。 >>685
>仏教には出家向けの教えと世俗向けの教えの二通りある
なんて、初期経典のどこにも書いていない。
釈迦の教えを捻じ曲げるな。 >>685
それと、悪しき愚かな者を救う方法が提示できないんだから、お前らの主張には説得力が皆無。 687
それはどの部派にも有った世俗諦と勝義諦の否定だから上座部にも釈迦の教えを ねじ曲げるなと誹謗しているに等しい
知って言うならまだしも知らずに言うのだから仏教的にはより思い罪に当たる
688
悪しき愚かなお前を救えるのは宇宙が三回生滅した後だから 自分で自分が悪しき愚かな者だと気づくより他にない その為に皆が注意してるのに自分で耳を塞ぐのだからブッダでも阿羅漢でもお前は相手にもされない
鹿野園君にソースを期待しても無駄
彼は頭を使う仕事では無くて、身体を使うブルーワーカ。
感情的な先入観でしかモノを言えない人で
経典すら読まれていない
鹿野園君は自分を誇る
・中村元先生の研究機関にいた
・法相唯識を勉強している
・臨済宗の師家について30年坐禅して初関透過した
などと。
しかしダンマパダは鹿野園君を批判して言う
64 愚かな者は生涯賢者につかえても、真理を知ることが無い。
匙が汁の味を知ることができないように。
73 愚かな者は、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。
修行僧らのあいだでは上位を得ようとし、
僧房にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行って供養を得ようと願うであろう。
74 「これは、わたしのしたことである。在家の人々も出家した修行者たちも、
ともにこのことを知れよ。およそなすべきことなすべからざることとについては、
わたしの意に従え」──愚かな者はこのように思う。
こうして欲求と高慢とがたかまる。
おはようございます。
中村元 博士のスッタニパータの解説動画がYoutubeにあるじゃん!
なげーよ。二時間半。
しかし、本だけ読んでもわからない、丁寧な解説があるんで聞く価値あり。
<冒頭>
そもそも釈尊は特別に仏教というような特殊な宗教を説くつもりはなかったのです。
ただ、本当の人間として生きる真実の姿を目指していた。
人間はどのように生きたら良いか?人間の生きる真実の道を求めたのであります。
※まったく、その通りだ。
後半に「議論している釈迦の言葉が」出てくるが
これを聞けば、釈尊の説く「愚かな者」とは、知恵が無い、頭が悪い人間を指すのでは無く
逆に「賢い人」とはたんに頭が良い知恵がある人を指すものでも無い。と言うことが分かる。
まさに >>678 に書いた釈迦の言葉に通じるし、悟りを得られるような「賢者」とは
>>328 に書いたような
「周利槃特」のように、「欲が無く愚直に師の教えを微塵の疑いも無く信じ、実践する弟子」のことを言うんではなかろか?
また、「愚かな者」とは知恵があっても欲深く嫉妬深い「提婆達多」のような人間を指すと思われる。
その他、>>641 ここら辺の話も26分あたりに出てくる。
ここでは更に突っ込んで、あらゆる生き物に対して「幸福であれ」と言っている。
これは「慈悲」以外の何物でも無い。ここには「バカは救えない」なんて心は微塵も感じることは出来ない。
16分辺り
「スッタニパータは仏教が発展する以前の、簡単素朴な一番最初の時期の仏教である。」
「そこには後代に説かれるような煩瑣な教理は説かれていない。」
初期仏教は対機説法なんで、衆生の心にスッと入ってくる。
いまだ、最上の経典「法華経」を理解するには時期尚早だったんだろうね。 後半に「議論している釈迦の言葉が」出てくるが (誤)
後半に今議論しているところの「釈迦の言葉」が出てくるが (正)
「スッタニパータは仏教が発展する以前の、簡単素朴な一番最初の時期の仏教である。」
「そこには後代に説かれるような煩瑣な教理は説かれていない。」
だからこそ(仏典を研究し尽くして)
−−−−−−−−−
中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ
増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」として、
"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。
−−−−−−−−
と言う事なんだろうな。
釈尊は弟子に伝えた、もっと深い教えがあったはずだ。
そう考えたんだろうね。
それが大乗経典であり、なかんずく「法華経」なんだと思う。
>>695
それはあり得ないです。
釈尊の教えはすべてアナンダが確認したアナンダ仏教です。
舎利弗は天才で、実質釈尊を超えたナンバー1ですが、早死にしました。 宗教者であれば信仰と理性の問題について、信仰を理性の上位に置くのが当たり前だと思うんです。
ただし、理性を包み込む様な形で置くのであって、理性を全く無視する訳ではありません。
掛かる意味に於いて大乗非仏説は問題にしてません。
理性による真理の探究には限界があって、その理性の領域を超えた処に、理性を包み込む様な形で信仰による真理を探究する世界が無限にあると考えるからです。
仏教においては、釈尊の在世も、釈尊の滅後まもない時代にも、多くの女性出家者が活躍しています。
その様子は『尼僧の告白 テーリーガーター』(中村元訳、岩波書店)というパーリ語仏典にうかがえます。
中村元博士は、その「あとがき」で次のように述べています。
「尼僧の教団の出現ということは、世界の思想史においても驚くべき事実である。
当時のヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、東アジアを通じて、(尼僧の教団)なるものは存在しなかった。仏教が初めてつくったのである」と。
比丘尼たちの、かつての境遇もさまざまでした。中村博士は述べています。
「尼僧も、かつて世俗の生活のうちにあった時には、唯の女人であった。彼女らは濁悪の世に生き、この世に生きる苦しみ、つらさをつぶさに体験していた。
夫に死なれ、子を亡い、人々にさげすまれ、生きて行くのがやっとのことであったという人々もいた。男運が悪くて、何度結婚しても破局を迎えるという、気の毒な、不運な女性もいた。
(中略)あまりのつらさに自ら死を決意した人々もいた」(中村元訳、前掲書)と。
もちろん、なかには裕福で、才能や美貌に恵まれた女性もいました。
しかし、そういう女性も老いと死の問題に直面して苦悩せざるを得ませんでした。
釈尊が、さまざまな女性に対し、「ここに幸福への道がある」と教えたのです。
釈尊は出家・在家を差別しなかったから、在家の女性にも平等に幸福への道を示したことはいうまでもない。
また、在家の女性信者の中には頻婆娑羅王の妃(韋提希夫人)や阿踰闍国の王妃(勝鬘夫人)などもいたが、釈尊の態度は、庶民と接する態度と変わらなかった。
「生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」
釈尊は厳しい差別社会にありながら、身分や性別、出身、僧俗の違いなどは、まったく問題にしなかった。
だからこそ保守的な差別主義者から危険人物とされ、迫害されたともいえる。
まさに、釈尊の「万人平等の思想」がここに明確に表されていると言えるでしょうね。
釈尊の平等の精神は、初めのうちは、教団内に生き生きと脈動していたようです。
ある尼僧は、女性は絶対に悟りを得ることができないと囁く者に対して、堂々と言い返しています。
心も安定している、智慧も現に生じている、悟りを得るのに「女人であることが、どうして妨げとなろうか」(『尼僧の告白テーリーガーター』、中村元訳)と。
また、この尼僧の言葉を裏付けるような釈尊の説法も伝えられています。
「男女の区別があるが、しかし人の本性に差別があるのではない。男が道を修めて悟りを得るように、女もまた道を修めれば、然るべき心の道筋を経て、悟りに至るであろう」(田上太秀著「律大品」『仏教と性差別』東京書籍)と。
男性であろうが、女性であろうが、その人が何をしたかによって、高貴にもなれば卑しくもなる。問題は「行為」である。「心」である。それが釈尊の精神でしょう。
>>689
初期経典のどこにもない。反論したいなら、具体的箇所を提示しろよ。 >>690
初期経典のどこにそんなことが書かれている?反論したいなら、具体的箇所を提示しろよ。 >>693
二時間半も観て探せとでも?時間と内容を明示しとけよ。
観ていないが、「人間の生きる真実の道を求めた」とか言ってるようじゃずれてるな。前後の文脈を知らないから、お前の曲解の可能性も高いが。
経典を読めば、「生きる」から欲が生まれ、苦が生まれる。そういう否定的な書き方ばかりだ。
「人間の生きる真実の道を求めた」ような教えは経典のどこにもない。
徹頭徹尾、欲のない質素な生活を送れ!学べ! >>695
ソース提示して論破されたからって、ソースを隠蔽するとか恥かしい奴だなあ。
中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ[8][要ページ番号]、増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」[9][要ページ番号]として、"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。またこれらの学者は釈迦がサーリプッタに説いた教えが大乗の経典に含まれているとは主張していない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC >>697
で、その主張のソースはいつになったら出て来んの? >>698
生まれや、性別による差別はしなかった。それは知ってる。
しかし、悪しき者、愚かな者がいると、釈迦ははっきり言ってる。そういう連中は教えを理解できないし、付き合うなと説いた。
悪しき者、愚かな者はどう救われるんだ?
経典のどこにもその手段は説明されていない。
それなのに、「一切衆生を救うのが仏教!」って捏造デマはいかんよ。 >>699
まさにそう。女人も悟りを得ることができる。
それなのに、お前「現代人が覚ることは不可能!!!」と言い張ってたろ。
釈迦の教えを何も理解できていない証拠。 凡人は覚ることができない!!と言い張る大乗は、どうやって一切衆生を救うんだ?
己自身すら救えないのに、他者を救おうと騙るなど、思い上がりも甚だしい。
>>697
カエサルのものはカエサルに、神のものは神に、か
でもここで言うことか >>704
この件に関してはソースは特に必要ないだろw
何故ならなにものかを実証する訳でもなく、広義でいう生き方の選択を問う事だからな。 >>709
釈迦が「信仰を捨てよ」と説いたことは、昨日?示されたろ。
>信仰を理性の上位に置くのが当たり前
とか、ソースもなしに主張するなんて、そんな恥ずかしいことを研究者がするはずないなあ。 以前にも話題になりましたが、インドでは同一寺院でいわゆる大乗と有部等の兼学ないし選択が行われていた様で、また大乗経典の成立も従来の説より繰り上がる事が予想されてる様ですね。
それらはガンダーラ等の遺跡発掘の成果なのですが、アフガニスタン情勢が気になるところです。
>>711
「信仰を捨てよ」とは、その対象がバラモン教や俗信の事であって、お釈迦さまの教えに対するそれではないでしょ。
また、信仰が囚われになってる人に説かれたのかも知れませんし、信仰が確立されて信仰が不要になる事を示唆したのかも知れませんがね。 >>713
それについても、お前の解釈は間違っていると、散々説明済み。 >>712
おまえはあほうだ。中途半端な知識を一般化するな
中国僧のインド訪問記が数点あって
そこで言われているのは
小乗専修寺が一番多いである。
大乗・小乗兼修寺も報告されているが、限定的で少数派である
しかも時代が新しい。中期大乗時代の報告である >>715
根拠も示さずにしつこく繰り返すのは恥。そんなの研究者なら常識だろ。
お前の気は確かか?
ソースを提示しような。いや、そんなものはないから提示できないだけ。 >>716
兼修されていたのは事実で、また比率は変化してる。
当方の見解に矛盾は無いだろw >>717
俺は研究者じゃないよw
出向の事務員だからw ガンダーラの仏教教団について、4Cの法顕は「ほとんどが小乗」と記しているが
それが100年後には大乗経典が入手できる地域となり、by『洛陽伽藍記』
更に100年後には「みな大乗」と言われる地域になっている
>>707
もうちょっと落ち着いて人の話を理解しようと努力しようよ。
>凡人は覚ることができない!!
凡夫が「経文を読んだりしただけで、頭だけで理解して悟ることは出来ない!」と言っているのです。
ぜんぜん、意味が違います。
貴方にも分かり易く理解して貰うために、「野球の教本を丸暗記したところで、ホームラン王にはなれないのと同じ」と言いたいのです。
私の言いたいこと分かります? >>719
お前がマジで頭大丈夫か?
>>456で指摘されているように、
2枚目に「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」と書かれているだろ。 「信仰を捨てよ」
ならば、釈迦の教えを捨てよと同じ意味じゃん。
だったら、もはや「仏教」でも何でも無くなる。
そういうのは「外道」と言うのです。
>>722
>>173「まず現代人には不可能じゃないかな?」
「まず」は付いていたな。
現代人にだって非常に高潔な賢者もいる。そういう人は覚れる。
しかし、凡人には不可能。
そういう意図で書いたのでは?逆に凡人でも覚れるなら、
「まず現代人には不可能じゃないかな?」
と言うのがおかしい。
こんなこと言っておきながら、
>もうちょっと落ち着いて人の話を理解しようと努力しようよ。
と言っちゃうのが愚者。 >>724
お前がちょっと前にソースとして出した中村元が書いてるんだけどw。
愚者だなあ。 >>719
あほ。
ヴェーダ宗教云々は、中村元先生の無根拠な感想であって
事実の提示ではない。信者に配慮しているだけだ
学問的にはサッダーを最初期の仏教は説かなかったとされている点だよ
おまえは馬鹿だから論点が見えてない >>720
立正佼成会から送られた原稿配達人だろ。
学者さんに新興宗教団体が資金と人材を提供する例のパターンだろ
ただの出向の事務職なんだから、仏教の研究所と無関係やん >>695
>>719
大乗の連中は、何でこういう愚かな連中ばかりなんだろうな。
自分で提示したソースの全体を見れば、明らかに大乗愚者と主張と反する内容なのに、一部だけを抜き取って自分のソースになると勘違いしてしまう。
愚かだから大乗信者になるのか、大乗信者になると愚者になるのか。 悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。
この指摘は、大乗の根本的欠陥の指摘だな。根本的欠陥。
おまけに、己自身が覚ることさえも、大乗では非常に困難、ほぼ不可能の扱い。
自分自身すら救えないのに、一切衆生を救うとか大言壮語がひどい。
>>723
> >>456で指摘されているように、
> 2枚目に「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」と書かれているだろ。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
あのさぁ、お釈迦さまが最初から準備万端に教義や戒律を確立してから法を説かれた(開教)と思ってるのか?
法を説き始めた最初は、信ずべき教義も確立してされてないし、信ずべき相手の人格も確立なかったんだろ?
アホw >>728
ハゲ😯
おい、ハゲ鷹
某メーカーからの出向だろ、ハゲ😯
茶でも汲んでろ、ハゲ😯 >>731
で?
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」とお前自身が提示したソースが、お前の主張を論破している。 >>734
wwwww
開教したてのホヤホヤで、そこまで(教義や信ずべき相手の人格)出来てなかっただけの話だろw
アホかw >>726
釈迦の教えを捨てろとは、どこにも書いてないよ。
弟子が釈迦の教えを(信じ)リスペクトし、
その教えを聞いて、学び、実践する。
そして、悟りを開く。
こういうのを「信仰」って言うのではないのかい?
釈迦の教えを一度聴いたら、あとは無用。それで悟れるなんて、仏法は甘くない。
師を離れて仏法を極めることなんて出来なんだよ。
それに、君はあまりにも経典の文言にこだわり過ぎて、釈尊の「本意」を理解しようとしていない。
やはり、そこらへんが実践の伴わない「仏教マニアの限界」なんだろうと思う。
まえにも言ったが、仏法は「文」「義」「意」をよく理解して学ばないと、
まったく変な方向に解釈してしまうという誤りを犯す。
中村元博士の解説がすべて正しいとは言わないが
少なくとも君よりは深く学んでいるので重要な示唆を与えてくれるだろう。 阿含経典を否定するわけではないけど、はっきり云ってそれじゃ外道の宗教や思想・哲学に太刀打ち出来ないでしょ?
中村先生や増谷先生が「シャーリプトラに説かれた法は〜」と疑義を呈したのも、かかる意味で納得がいくんですけどね。
>>735
で?
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」とお前自身が提示したソースが、お前の主張を論破している。 >>736
釈迦の教えを捨てろと説いたなんて誰も言ってない。
まーた、お得意の藁人形論法かよ。愚かだなあ。 >>737
まーた、それやっちゃうんだw。
中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ[8][要ページ番号]、増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」[9][要ページ番号]として、"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。またこれらの学者は釈迦がサーリプッタに説いた教えが大乗の経典に含まれているとは主張していない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC >>738
>>734
wwwww
開教したてのホヤホヤで、そこまで(教義や信ずべき相手の人格)出来てなかっただけの話だろw
アホかw >>740
???
疑義に対して納得がいく事がおかしいのか?
おまえ、やっぱりおかしいぞ? >>741
「最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。」が
>信仰を理性の上位に置くのが当たり前
のソースになると、言い張るのはお前くらいのもんだ。
発狂して喚き続ける馬鹿野猿になってしまったな。一匹で喚いてろ。 >>743
で、開教したてのホヤホヤで、そこまで(教義や信ずべき相手の人格)出来てなかっただけの話だろw
また瞬殺しちまったwww >>693
賢者の条件を淘汰のに対し、>>546で「学識豊かで、高潔で、努力を続ける人だと書かれている。」と回答されてのは、都合が悪いから感嘆のことば25章は無視。
「善き人と交われ。悪しき人と交わるな。」
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」
の経典の記述も都合が悪いから無視。
挙句の果てには、
>最上の経典「法華経」
と妄想を垂れ流す始末。
まさに、「愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」 >>701
その経典にないものを定義したのが部派仏教時代以降の上座部で現在の上座部を自称する南伝仏教もその中の一派の亜流なんだよ
だから釈尊の教えが在世時のそのままに残され伝わってるなんてのは幻想だと再三言ってる訳だ
http://www.horakuji.com/treasures/vibhajjavadin_cetasika.htm
現在の分別説部では、そのような究極的実在を、パーリ語でparamattha[パラマッタ]と呼称します。その意味は、parama(第一の・勝れた)+attha(本質)で、漢訳語ではこれを「第一義」あるいは「勝義」などと言います。あるいは、それら究極的実在を、vatthudhamma[ヴァットゥダンマ]などとも呼称します。これはvatthu(拠り所・基礎)+dhamma(存在)で、いわば存在の根拠、要するに実在するモノのことです。
さて、ではその四つとはなんであるか。これを簡潔に表にして示せば、以下のようなものです。
- 名目 意味 法数
paramattha
(第一義)
【72】 citta
(心) こころ。精神活動の主体となるもの。 1
cetasika
(心所) こころの働き。必ずこころと伴って働く作用。 52
r?pa
(色) もの。物質の本質。物を成立させている構成要素。 18
nibb?na(涅槃) 渇愛(飽くことなく欲してやまない欲望)から離れ、何ものからも束縛されず自由な実在する世界。 1
これら四つの範疇に属するいちいちの法はすべて真に実在するのであり、これ以外の実在を認めるのは誤りである、というのが分別説部における見解です。 >>746
初期経典と言えども、すべてが釈迦の言葉ではないのは正しい。
だけど、「だから大乗は釈迦の教え」というのも間違い。
初期経典と言えども、すべてが釈迦の言葉ではないのだから、それより後になって創作された大乗は釈迦の言葉ではない。
それまでそんな伝承はされてないのに、500年以上経ってから「釈迦はこう言った」と創作してるんだから。 で、大乗の根本的欠陥の指摘に対して、論理的回答はないのかな?
悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。
>>701
初期経典にお前の名前が乗る訳ないだろ?
初期経典で悟れた者はブッダと500人の阿羅漢達と悟りの流れに入った750人の弟子達で我々も含めた現代の仏教徒がその中に含まれてる可能性は非常に低いし いたとしても既に高度に修行が進められた指導的な立場になっているか それに近い環境にいるだろうよ
釈迦の教えを受けて悟りの流れに入ったが未だ修行完成に至っていない者は750人 世界の仏教徒人口は4億人という事は750/400,000,000=0.0001875%だ
つまり現代仏教徒に釈尊の直弟子の転生が現れてる可能性は非常に低いし その指導に預かれる可能性も数学的にほぼ有り得ない確率なんだよ
何を勘違いしてるか知らんが 自惚れは仏道の大敵だと肝に命じないと覚醒のきっかけすら掴めないという事だけは間違いない 707
三人寄らば文殊の智恵
一人一人は愚かでも集団で一つの事を目指して切磋琢磨すれば智恵第一のマンジュシュリー尊者のそれと同じ様になるという格言な
「信仰を捨てよ」についての中村元先生の立場を
あほの鹿野園君のために説明する
1.釈尊は信仰を説かなった。
2.最初期の仏教の教えに信仰はなかった。
3.なので「信仰を捨てよ」の「信仰」は佛教にないから
他宗教の信仰についてであろうと先生は感想を述べられているのである
その上で
4.仏教団の権威が高まると、仏教団への信仰を仏教団が説くようになった
つまり釈尊に叛いたと中村元先生は考えられているのである。
711
それは修行の結果として悟りに至る直前の段階に達していた弟子に対しての言葉でお前に対してでも我々に対してでもない
だからお前は駄目だと言っている
747
大乗が生前の釈迦の教えだなんて言っていない
748
ならお前は救われない即ち悟りを開けないという事になるじゃないか
他者の助け無しに一人で悟った者などいないし 釈迦でさえ二人の仙人に指導を仰いだ後に悟り 初めの弟子達は釈迦の指導で悟り 教団が大きくなってからは皆先に悟った阿羅漢達の指導で悟ったのだから
助けとなる阿羅漢が世に出て来ない現代で教団にも入らず 修行もせず 経典読めば悟れますなんてのは大乗でも言わない世迷い言だぞ
>>724
その有名な言葉は法信仰だったという説も有るから
向こう岸に渡れる様になるまでは信仰は保たなくてはならない しかし渡りきった後には信仰は無用となるという理屈なんじゃないかな?
何処に有るのか判らない島(法)に辿り着く為にはその島が必ずあると信じる事が大切で その信仰が筏津(乗り物)で島が法と見ればたどり着いた後はそれ以上何処にも行く必要が無くなるから信仰という筏津を棄てなさいという教えだという注釈を何処かで読んだけど 730
一切衆生を救う事が不可能とするなら釈迦の時代に生まれず サンガにも入れず指導も受けられず 後世の仏弟子達には正確な伝承も遺されなかった仏教の悟りは誰にも得られない事になる
そんな短いスパンの話ではなく過去七仏も未来仏も過去のブッダ達から某かの情報を得て自らの悟りを完成させ 幾らかの弟子達を悟らせる
歴史を飛び越えて目覚めた者が現れ続けて その都度周囲を悟らせ続けたら何時かは苦も尽き果て衆生も尽き果て皆悟り果てて解脱に至るだろうという超マクロスケールの話 それが大乗 小さなスパンでは誰も成仏出来ないし 本物のブッダが現れて条件の満ちた者を悟りに導くのはまだ遠い未来の話だよ
知りたければ原始経典のメッテーヤ・ブッダに付いてブッダが語ってる箇所を探して読んだらいい
747
釈迦入滅ご数百年経って瞑想中の比丘に釈迦が現れて それまでに説かれなかった教えを説き始めるという事が部派を超えて起こり 上座部にも起こった
この教えを重視して記録したのが大乗仏教でスリランカ仏教はこの辺りの事情を除名されていた為に知らなかった即ちインド仏教から見た場合外道の立場に当たる
インドの大小合わせた諸部派が内道で追放されたブッダゴーサの下についたスリランカ大寺派は当時のインド仏教からは既に外れてる
748
それが事実なら後世の仏教徒は誰も悟れないから大乗だろうと小乗だろうと解脱は出来ないとしかならん
どちらも完全な覚者を出して見せろと言われたら沈黙するんだからな
>>749
初期経典に自分の名前が載ってるなんて一度も言ってない。
まーた、藁人形ぶっ叩いてんなあ。 >>751
馬鹿野猿はよく読んで理解しておくように! >>753
大乗が釈迦の教えではないことは認めてんのね。納得。
じゃあ次は、悪しき者、愚かな者を救う手段が提示されてない根本的欠陥について回答しよう。 >>755
お前の妄想解釈なんぞ垂れ流すな。
外道はそうやって釈迦の言葉を歪める。 >>758
釈迦の教えに従えば覚れると釈迦が言ってるだろ。
同人創作経典ばっか読んでて、初期経典の知識は皆無なんだな。 >>757
>釈迦入滅ご数百年経って瞑想中の比丘に釈迦が現れて それまでに説かれなかった
>教えを説き始めるという事が部派を超えて起こり 上座部にも起こった
>スリランカ仏教はこの辺りの事情を除名されていた為に知らなかった
>即ちインド仏教から見た場合外道の立場に当たる
あほたれ。おまえも仏教史の基本事項を知らんで嘘ばかりつくな
南伝の伝承では紀元前1Cに第四結集が行われて
それまで口伝だった経典をはじめて文字化したとあるが
小乗専修の大寺派が大小兼修の無畏山派の勢力が強くなったので
それに対抗するためでもあったのだから、スリランカに大乗はかつて修せされて
いたし、勢いもあったのである。
無畏山派は12Cまでスリランカにあって、密教まで受容しているし
無畏山派から3Cにジェータ林派が出て三派時代もあったのてある 説一切有部の『阿毘達磨大毘婆沙論』で、分別説部を異端と排斥しているが、
大衆部の伝承では根本仏裂時に、上座部、大衆部、分別説部の三部派し、
分別説部からは化地部、法蔵部、飲光部、赤銅鍱部が出たとしている。
法蔵部といえば、説一切有部と並ぶ有力部派だ。
説一切有部と分別説部が対立していたとしても
説一切有部は北インドを本拠にし、分別説部は南インドを本拠にしていたのだから
守備地域を異にしているのである。
>>751
ハゲよ😯
耳のあるハゲなら聞くがよい😯
ハゲよ😯
目のあるハゲなら見るがよい😦
お釈迦さまが最初から準備万端に教義や戒律を確立してから法を説かれた(開教)と思ってるのか、ハゲよ😯
法を説き始めた最初は、当然に信ずべき教義も確立してされてないし、信ずべき相手の人格も確立されてないのだよ、ハゲよ😯 そもそも>>1は以下の言葉の前に既に瞬殺されてる。
何であれ善く説かれたものであれば、それは全て 釈尊のことばである」
(『増支部経典=アングッタラ・ ニカーヤ』) >>766
>>767
お前そうやってすぐコテを付け忘れたり、IDを変え忘れたりして、工作がばれるよな。 再掲しておくか。
そもそも>>1は以下の言葉の前に既に瞬殺されてる。
「何であれ善く説かれたものであれば、それは全て 釈尊のことばである」
(『増支部経典=アングッタラ・ ニカーヤ』) >>766
ハゲよ😯
ハゲよ😯といいながら、
「お釈迦さまが最初から準備万端に教義や戒律を確立してから法を説かれた(開教)」
等と書き込むとは、
戒律も くそもないだろ。
脳細胞に虫が湧いとるwwwwwwww >>769
お前、鮮やかに論破されると、「瞬殺した!」って言い出すよなw。 「神なんて実在しないよね」「大乗仏教はインチキカルトだな」
宗教史上既に瞬殺されてる上記の問題について炎上狙いでスレたてとかw
それは暇な奴が時間潰しでやってるにしてもお粗末なんですよww
>>774
だったら、その瞬殺ロジックをここで展開してくれよ。
それと、大乗の根本的欠陥の指摘に対して、論理的回答はないのかな?
悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。 再々掲しておくか。
そもそも>>1は以下の言葉の前に既に瞬殺されてる。
「何であれ善く説かれたものであれば、それは全て 釈尊のことばである」
(『増支部経典=アングッタラ・ ニカーヤ』) >>776
なんで、それで瞬殺してることになるのか意味不明過ぎるw。
ロジックを展開したまえ。馬鹿野猿には無理かな。 >>777
なんで、それで瞬殺されてることにならないのか意味不明過ぎるw
ロジックを展開したまえ。アホには無理かな。 仏教学部一回生向け教科書である
平川彰『インド仏教史 上』第二章部派佛教 第一節部派教団の分裂と発展
セイロン上座部の項p168-173から概説する 南伝の伝承による
1.マヒンダ一行が来島しセイロン仏教が開始 大寺が立てられる
2.BC29年、王がマハーティッサ長老に無畏山寺を建立。大寺からマハーティッサ長老が排斥され
大寺はそれまで口伝であった三蔵と注釈をはじめて文章化する
3.同時代に補特伽羅で有名な犢子部のダンマルチ長老が来島。無畏山寺に迎えられる
無畏山寺派はこの後もインド仏教と親密な関係を維持し新説を積極的に受容
大寺派は分別説部を堅持
4.3Cに無畏山寺派は、大乗(方広派)が流入。王から放逐される
しかし無畏山寺派は方広派を受け入れ続けたので、ジェータ林派が分離 三派に。
5.4C初には60人の方広派比丘を捕えて無畏山寺から対岸の南インドに王が放逐
6.だが4C中に王が大小兼修の無畏山寺を支持して隆盛。大寺派は衰微する
7.5Cに他国からブッダゴーサが来島し、衰微した大寺に住み、シンハラ語注釈を
パーリ語に翻訳したりして、大寺派の基礎を気づくが、勢力は衰微したまま
歴代王の多くは無畏山寺を支持することが多かった
8.8Cには金剛智や不空が来朝し、無畏山寺に密教を伝える
9.11Cにシヴァ教徒の侵略支配(50年)によって仏教荒廃。
王が島を回復するとビルマから長老を招来して仏教再興
10.12C、王が三派の比丘から頽廃した者を還俗させ、大寺が正統と認めた。
これによって無畏山寺とジェータ林派が滅び、大寺に一本化された。
>>778
馬鹿野猿がまーた愚かなことを言ってるなあ。
>以下の言葉の前に既に瞬殺されてる。
とお前が主張してるんだから、そのロジックはお前が示せよ。
ロジックも、ソースも、根拠も示さず、勝利宣言しちゃうんだから愚かw。 悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。
大乗の根本的欠陥だな。大乗カルト信者は回答できずに逃げ回るだけだ。
>>780
再々々掲しておくか。
そもそも>>1は以下の言葉の前に既に瞬殺されてる。
「何であれ善く説かれたものであれば、それは全て 釈尊のことばである」
(『増支部経典=アングッタラ・ ニカーヤ』) >>779
ハゲ😯
おい、
おい、
ハゲ😯
東大の仏教青年会のHPでもよ読め、ハゲ😯
最新の学術的な成果はもっと進んでるんだよ、ハゲ😯 東大の仏教青年会のページを見ると
サンスクリットテキスト中心やで。
スッタニパータは、パーリ語ではなくて翻訳で読んでいるようやし
ここの論点には参考にならんやろ
おまえはほんまあほやな
>>784
ハゲ😯
高校中退、fラン大哲学科聴講生、革マル(?)、場末の宗務所のお茶汲み。
人並みの口をきくな、ハゲよ 釈迦の「幸せ」はスッタニパータ2章4節に書かれている。
259 愚者に親しまないで、賢者に親しむ。
261 深い学識があり、技術を身に付ける。
4節全体としては、学問を学び、知恵を付け、教えを学び、節制して、よき心を保つ。それが幸せだと言っている。
結局、「教えを学び、学問を学び、修行しなさい。」ということなんだよ。
衆生が幸せであれ!というのは、大乗が言ってるような、偉大なる釈迦がみんなを救ってくれるということではない。
「皆さんが、教えを学び、学問を学び、修行するよう願ってます。」ということ。
これが釈迦の慈悲の正しい解釈。
>>693
お前が賢者についてごちゃごちゃ言ってる理由がわかった気がする。
しかし、中村元の解釈など求めなくても、感嘆のことば25章で説明されている。
>>546で教えてやった通り、「学識豊かで、高潔で、努力を続ける人だと書かれている。」
学識を釈迦が尊重してたのは明らか。高潔な心も求めていたのは事実だが、だからと言って学識を求めていなかったことにはならない。
経典はしっかり読んで、曲解はしないように。 >>693
中村元を批判するような書き方になってしまったが、中村元だって高潔な心も必要だと言ってるだけ。
つまり、「学識豊かで、高潔で、努力を続ける人」だと言ってるんだから、正しいな。 智慧第一の舎利弗をはじめ、もともと外道の弟子であった多くの修行者が、その外道の師を捨ててまで釈尊の弟子となったのは
果たして、その釈尊の教えが外道のそれを遙かに凌駕していたからであろうか?
本来ならば、厳格な身分制度があったインドにおいて、万人平等を説く釈迦の教えはいわば異端であったに違いない。
にもかかわらず、多くの外道の修業者が釈迦の弟子となったのはどういう事であろうか?
いかにその教えが優れていたとしても、そう簡単に受け入れられたとは考えにくい。
釈尊は決して自身を賢者のごとく飾ることも無く、対等の立場で人々に慈愛の眼差しで語りかけたに違いない。
それは、どこまでも慈悲深く、いかなる人間も差別すること無く、誰一人、見捨てることもない。
その「ありのままの人間、釈尊」というすぐれた人格に魅了されたのではなかろうか?
そうした「釈尊という人間像」を想像しながら仏典を読み解いていくと、釈尊の教えたかった本当の真意というもが分かってくるのではなかろうか?
愚かな人間であっても「善知識」に縁すれば賢い人間にもなれる。
ゆえに、
「愚かな人間は救えない仏法」ではなく
「愚かな人間をも救える仏法」というのが正しい。
いかなる人間であろうと見捨てないのが仏教の根本精神だからです。
>>789
だからさ、
「善き人と交われ。悪しき人と交わるな。」
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」
と言って、愚者はばっさり切り捨ててるから。
お前は、何度経典を示されても、都合が悪いから無視して逃げ回ってるよなあ。 >>790
釈迦の教えを聞こうとしない、聞いても受け入れない人は、当時も、今も大勢いた。
しかし、そのような相手の家に押し掛けるようなことはしなかった。
と、書いてて思ったが、お前は創価だっけ?
他人の家に押し掛けるのが慈悲の心とか言う頭のおかしい正当化しようとはしてないよな? いや大乗のほうこそ真理にちかいとおもうぞ
チベット仏教、ダライラマの仏教は大乗だろうが
世界的に認められてると思われる中では新興宗教で大乗仏教だろうが
新しいほうがいいとおもうぞ
そもそも大乗と小乗、顕教と密教の区分が良くないとおもってるが
それと近いが、人間原理と宇宙原理にわけるべきだとおもうが
仏陀の仏教は人間中心で、大乗とか最新版は宇宙の法みたいになってるかと
>>793
悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。
大乗のこの根本的欠陥に対する論理的回答がないんだから、大乗には致命的欠陥がある。 >>794
宇宙の法って何だよ?
インチキオカルトかよ。 さらに言えば、一切衆生を救うと謳う以上は、信者である必要もなくなる。
信者以外は救わないんじゃ、一切衆生を救うというお題目に反するからな。
となると、信者でなくてもいいし、となると欲望に溺れ快楽を楽しんでいても救われる。
節制の教えは何のためにあるんだ?となってしまう。
ま、JAP大乗生臭坊主は酒飲んで、SEXしてるから、坊主からして快楽を楽しんでいるとも言えるが。
原始仏教、仏陀の仏教は対象は人間であって、密教や大乗仏教は人間以外の(仏教的)宇宙をあつかっているって事
じぶんの見方では浄土真宗なども、仏陀の無記に反しているが、それは宇宙を扱っていてより真理に近いのかと
「大日如来(だいにちにょらい)」は、密教の世界でもっとも位の高い神様として知られています。
たとえば、「釈迦如来」や「阿弥陀如来」は、大日如来が姿を変えたものだと考えられています。
大日如来は太陽よりも偉大な存在であり、宇宙そのものだと捉えられていることになります。
ほかの神仏はもちろん、世界のすべてのものが、大日如来から生まれたと考えられているのです。
https://www.riyak.jp/column/386/ >>798
>大日如来は太陽よりも偉大な存在であり、宇宙そのものだと捉えられていることになります。
なんてのが正しいとは思えないが。少なくても、そんな学説は物理学にはない。
大言壮語だから真理に近いとはならんよ。ただの大法螺は真理とはほど遠い。 チベット仏教は、大乗で古典と比べると新興宗教だろうが
真実はいつもひとつ、みたいに釈迦が説いたかどうかは関係ないという見方、立場は重要かと
時輪タントラ - Wikipedia
『時輪タントラ』は、インド仏教・後期密教の最後の教典である。
ダライ・ラマ14世によると、時輪タントラを含む四種のタントラは、業と感覚が純化され神秘的な状態に達した人々に秘法という形で与えられたものであり、
歴史上の釈迦が説いたかどうかはさほど重要な問題ではないという。
>>800
正しければいいかも知れないが、
学問には反するオカルトで、致命的欠陥を抱えているのだから、間違っているだろう。 神とか曼荼羅の姿・形・話は初心者の方便みたいな物かと
こういう部分にはあまり拘らなくていいかと
>大日如来は太陽よりも偉大な存在であり、
チベットでは曼荼羅を描き、完成したらその場ですぐに消してしまう。作っては消して、消してはまた作り、それが曼荼羅である。
なぜ消すのかといえば、それは無いもの・無い世界に自己を立脚させるためだ。
人はいつも〈あるもの〉に対して立脚しようとする。〈無いこと〉に対する強迫観念が〈あること〉に対しての執着心を誘発するのである。
だから、チベットではそのまやかしを間髪入れずに打ち砕くために曼陀羅を消し去る。
https://ameblo.jp/masayukiniitsuma/entry-12488969109.html
マイスター・エックハルト - Wikipedia
教義
神との合一を、そして神性の無を説く。
極限の無になることで自分を消し去ったとき、内面における神の力が発現し、被造物の内にありながら創造の以前より存在する魂の火花が働き、魂の根底に神の子の誕生(神の子としての転生)が起こる。
エックハルトにとって最高の徳は離脱である。それは愛や慈悲や謙虚よりも貴い。
エックハルトはさらに神からの離脱を説く。
神と考えられるもの、それは真の神ではない。考えが消えれば考えられた神は消えてしまう。そのような神は所詮、我の立てたものである。
エックハルトは神の本質を神性としての無と表現する。有として形ある神は突破されなくてはならない。
純粋な有たる神が本質的には神性という無であり、無という神性に徹した我が、最高の存在になるというのは、初発に無と有を峻別しながらも、無の貫徹に終わる境地である。
エックハルトは一切の神イメージを持つことから脱し、神と合一した自己をも捨てた究極の無を目指している。 >>802
で、お前が真理だと主張したい教義は何?
出て来たのはオカルトとしか思えないし、大乗自体が致命的欠陥を抱えている。 宗教はやってなく真理や信仰が確定してるわけではないが
チベット仏教はなかなか優れているとおもうが、これが完璧とも言えない
しかし大乗はインチキカルトではなく原始仏教よりかは優れているだろうと
>>804
根拠のないお前個人の感想のようだな。ご自由にどうぞ。 こういうのは大乗であって、重要なことだとおもうが
ダライ・ラマ法王14世の思いやる心を育む言葉
今私たちに必要なのは、この世界に生きている60億の人間たちが自分の兄弟姉妹だと考えることです。
この60億の人間たちはひとりの人間だという点でみな同じです。
幸せを願い、苦しみたくないと思っている同じ人間なのです。
どこの国の人か、どの宗教を信じているのか、そういう二次的な違いは問題ではありません。
すべての人たちが、地球という同じ惑星に住んでいる1つの人間家族なのですから、世界の60億人の幸せを考えることが大切です。
人類はみなひとつだと考えることが今の私たちに求められていることであり、これが悲劇を回避する究極の答えだと思います。
https://www.kateigaho.com/migaku/80273/2/
自 然 法 爾
親鸞聖人86歳のお手紙である『自然法爾の事』という文章が遺されています。
これは聖人が最晩年に至った浄土真宗の究極的な境地であるといわれています。
仏教で説かれる「自然」とは、人間を含めたすべての縁起する全体、{ ありのまま }のことをいいます。
そして「法爾」ということは、諸行無常・諸法無我という「自然法」の中に保たれている、一切の生きとし生けるものに平等に施されている功徳のはたらきが、自然と{ ひとりでにそうなっていく }ということです。
浄土の教えに説かれる「阿弥陀仏」とは、私たちは{ 大いなる自然のはたらき }のもとに、生かされて生きているのだということを、私たちに知らしめようとする「手立て」 なのだといえます。
https://www.link-age.or.jp/shinran/jinenhouni/ 761
現にお前は救われてないから後回しというだけ
ものには順番が有るからな
しかし仏陀の縁起の法はいいが、それを(仏教的宇宙に)拡張する部分でいくつか失敗してるとおもってる
この文章からして、全体というのが不変 OR 一定だと読めるとおもうが
縁起の法の時点では全体については触れてはいないが
あと別の話として慈悲を根本原理みたいに扱うのが宇宙の法としてはふさわしくないとおもってる
龍樹 「中論」 帰敬序
何ものも消滅することなく
何ものもあらたに生じることなく
何ものも終末あることなく
何ものも常恒であることなく
何ものもそれ自身と同一であることなく
何ものもそれ自身において分かたれた別のものであることはなく
何ものも来ることもなく、去ることもない
戯論の消滅というめでたい縁起の理をときたもうた仏を、
もろもろの説法者のうちでの最も優れた人として敬礼する
http://blog.livedoor.jp/ichikurateru/archives/541878.html 762
外道はお前
かつてブッダは弟子たちに因果の教えを説明し、弟子たちはそれをはっきりとわかり、理解したと答えた。そこでブッダが言った。
「弟子たちよ、この見解は純粋で明晰である。しかしあなたたちがそれに固執し、思い入れ、尊び、拘(こだわ)るならば、教えは流れを渡るために乗る筏(いかだ)に似たものであり、保有するものではない、ということを理解していない」 教えは流れを渡るために必要な筏のようなものであり、保持して背中に負い運ぶものではない、というこの有名な譬えを、ブッダはいたるところで説明している。
「弟子たちよ、ある人が旅の途中で大きな川に出くわしたとしよう。こちらの岸は危険であり、対岸は安全で危険がない。安全で危険がない対岸に渡る舟もなく、橋もない。そこで彼はこう思った。「私は手と足を使って安全にこちらの岸に着いた。だから、これからは頭に載せるか、背負うかしてこの筏を持ち歩くことにしよう」
弟子たちよ、彼の筏に対する思いは正しいかどうか」
弟子たちは「正しくありません」と答えた。
「では弟子たちよ、どういう態度がふさわしいであろうか。もし彼が「この筏は大いに役立った。そのおかげで、私は手と足を使って安全にこちらの岸に辿り着けた。筏は浜に揚げるか、つなぎ止めて浮かしておき、私は先に進もう」と言ったらどうだろう。これこそが、正しい行ない、正しい態度である。
弟子たちよ、私の教えは筏と同じである。それは、流れを渡るためのもので、持ち歩くためのものではない。あなたがたは、私の教えは筏に似たものであると理解したならば、よき教えすら棄てなければならない。ましてや悪しき教えを棄てるのは、言うまでもないことである」
この譬えから明らかなように、ブッダの教えは人を安全、平安、幸せ、静逸、ニルヴァーナへと導くためのものである。ブッダが説いたすべての教えは、すべてこの目的のためである。
【『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ:今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉訳(岩波文庫
763
その教えを受け継いで完全に悟った者が途絶えて2000年以上経つのに何を言ってる?
六つの神通の一つでも証明出来てから言いな
>>764
現存するスリランカ大寺派が分別説部の本流じゃないという話をしてるのに勝手に論点ズラすなよ
少しは頭がおかしいお前の文章を読まされる身にもなれ 787
お前は低学歴で不浄で自分で瞑想会に行く努力もしてないのが他人からはありありと判るんだが?
実際に今まで上座部スレでもマインドフルネススレでも相手にもされてないだろ?
「大日経を読み解く」 本論・「三句の法門」の解説
「わたくし」こと金剛手秘密主は、大日如来さまにこう質問しました。一切智智を得るにはどうすればいいのか、その一切智智によって法を説くのは何故か、
そしてその一切智智を得るためには、何が原因となり、何が根本理念となり、何が究極の目的となるのか、ということ。
何とも大それた質問である。それでも大日如来さまは、「わたし」秘密主を『善きかな、善きかな』と、とっても褒めてくれて、喜んで質問に答えてくれました。
『よいか、よく聞きなさい、秘密主よ。菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟としなさい』
この「三句の法門」が、「大日経」のメインテーマである。
まず悟ろうという意志がなければ、そもそも悟ることは出来ない。その固い決意が何よりも重要になる。これが因である。
ただ、仏教の悟りとは、独り善がりの幸福感に満足するだけでは済まされない。
他者に惜しみない慈しみと愛情を傾け、救いの手を差し伸べようとする心、慈悲心が原動力となってこそ、本当の悟りに到達出来る。それが根本理念「根」となる。
そして、悟ることの究極の目的は、他者を救うことである。様々な方法(方便)を用いて、困苦に喘ぐ多くの他者を悟りに導くことこそ、仏教の究極の目的なのだ。
さらに大日如来さまは続けて「わたし」にこう説かれました。
『秘密主よ。悟りとはなにか。それは自分の心をありのままに知ることである。この至高の悟りの境地は、他の教え(外道)ではほんの少しも解らないだろう。
どうしてなのか。それは宇宙そのものが悟りの世界だからである。
これを知る者、また聞かせてみせる者は、外道にはひとりもいない。なぜなら、悟りとは姿なきものだからである。
秘密主よ。あらゆる現象は本来、姿なきものである。それこそが、宇宙そのものの姿なのである』
何とも明確な答えである。これこそが密教の真髄なのだ、と感嘆する他ない。
もうこれで「大日経」を読破したくらいの想いになる、究極の一文である。
だがそうもいかない。誰よりも金剛薩?が納得していないのだ。
「わたし」が大日如来さまに質問したのは、最上の智慧「一切智智」を得るにはどうしたらよいのでしょうか、ということだったのに、いつの間にか世尊は悟りの話をされている
https://kongozi.jp/blog/7729 796
物理学みたいに宇宙の何処ででも同じように働く法則だと言われても理解出来ないだろうな…
797
信者にならなきゃ始まりはしないが 興味すら持たない者を信仰へ向かわせるのなら情報発信だろうと勧誘だろうと加持祈祷だろうと構わん
お前だってネット情報で仏教に興味が出たんだからそういう事
俺は勧誘をいいとは思わんが それでも何らかの功徳を感じて信仰するならそれもあり 奇怪な現象に悩まされて加持祈祷で仏教との縁が出来たならそれもあり
それまでの伝統仏教で戒律違反を理由に入信を拒まれてた読み書きも出来ない底辺層向けにこれさえ唱えておけば良いと教えて戒律を廃して広く大衆に門戸を開いた宗派も仏教に興味を持たせたという点で評価出来るし それぞれが自分の理解力と好みに応じて 好きな教えから入ればいいだけの事だし 当然テーラワーダやチベット仏教も排除はされない
この大らかさが日本式大乗で全ては大きな乗り物 大法に内包される
小さな教えで大きな教えを幾ら否定しても それは釈迦の手の平から逃げられなかった孫悟空みたいなもんだ
>>812
頭がおかしいのはおまえ。おまえは中途半端な情報で嘘ばかり書いている
基本的な仏教史を知らんし、概念の使い方もいい加減である
×スリランカ大寺派が分別説部の本流じゃない
〇スリランカ大寺派が上座部の本流じゃない
ここでもおまえは自分の論旨を間違えているだろ、あほう。
その上で、俺たちは北伝の文化圏にあるから、北インドで隆盛をを誇った
説一切有部を上座部本流と見る傾向があるだけで、それは偏見の類。
分別説部は、南インドに隆盛した。
が北伝文化の見解として「スリランカ大寺派が上座部の本流じゃない」
という意見はありうる
さて
>スリランカ仏教はこの辺りの事情を除名されていた為に知らなかった
>即ちインド仏教から見た場合外道の立場に当たる
これがウソである。
・スリランカ仏教はインド仏教から除名されたことはない
・分別説部を異端と排斥した北インドの説一切有部は大乗佛教も排斥していた。
・つまり「インド仏教から見た場合外道」も嘘である
おまえは、ちゃんと勉強してから正確な事を書きな 大乗の致命的欠陥の指摘が流されてしまったので、再度指摘しよう。
悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。
一切衆生を救うと謳う以上は、信者である必要もなくなる。信者以外は救わないんじゃ、一切衆生を救うというお題目に反するからな。
信者でなくてもいいとなると、欲望に溺れ快楽を楽しんでいても救われる。節制の教えは何のためにあるんだ?となってしまう。
ま、JAP大乗生臭坊主は酒飲んで、SEXしてるから、坊主からして快楽を楽しんでいるとも言えるが。
このように、一切衆生を救うと謳ってしまうと、釈迦の教えはすべて無意味になってしまう。
なんせ、偉大なるオカルト神が救ってくれるんだから、己の欲望をなくす努力なんて必要なくなる。
ただ快楽を楽しんでれば、そのうち救ってもらえる。
まさに、欲望に塗れた愚人向けの論理破綻した空っぽカルト。
>釈迦入滅ご数百年経って瞑想中の比丘に釈迦が現れて それまでに説かれなかった
>教えを説き始めるという事が部派を超えて起こり 上座部にも起こった
>スリランカ仏教はこの辺りの事情を除名されていた為に知らなかった
別論点から批判する。
釈尊時代になかった仏像がイラン系のクシャーナ朝カニシカ王の時代に建立されるようになった。
ガンダーラとマトゥラーが有名であるが、
スリランカ分別説部を含めて南伝仏教はどこの国でも仏像があり崇敬している。
釈尊の仏像しかないことになっているが、来日された東南アジアの方々は
鎌倉大仏(阿弥陀仏)が大好きである。
仏像崇拝は後代に生まれた要素であるが、北伝南伝にも広く受容されている
また南伝パーリニカーヤと北伝阿含経を比較するとパーリニカーヤが増広されている
事が知られている。
南伝も独自に比丘が瞑想中に釈尊に会い、経典を増し加えたのである。
鹿野園君がよく引用する大乗から影響を受けている増支部経典が
明瞭にそのことを示しているのである
>>819
釈尊の弟子では
1.物覚えの悪い愚かなチューラパンタカが阿羅漢になった
2.殺人鬼のアングリマーラも阿羅漢になった
悪しき者、愚かな者でも釈尊と出会い、指導を受け
悟った人はおられるが? >>821.仏像は芸術美術の問題である。
それは宗教とは関係がない。
キリスト教会のイエス像マリア像も同じである。
バカには理解できない。
大爆笑である。 >>822
それは後世の創作。
そして、当時から釈迦の教えを聞こうとしなかった者、受け入れなかった者はいた。それらの人は救われなかった。
さらには、釈迦に従った者でも覚れない者はいただろう。仲間の中での諍いを戒める教えを説いたのは、逆に諍いがあったから。 仏教を知らないと駄目、修業や勉強しない駄目って事はないだろ
「神の国に入れる人」
イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。
しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」
乳飲み子は、物心もついていません。イエスさまのお話を、頭で理解することもできません。ただ、お母さんなどの懐に抱かれているだけです。
その乳飲み子のようになれとは、いったいどういうことでしょうか。
自分を抱いている人、親に、全面的に信頼している。全くゆだねきっている姿がそれです。神さまに対してこのようであれ、ということです。
http://zushikyokai.holy.jp/sermon/ser_140511.html
水に学べ、赤子に学べ 道家道学院
老子の思想は 水のようにさらさらと高いところから低いところへと流れ どんな器にも添う 柔軟で柔らかい生き方が最善であると説いています。
それは純粋無垢な赤子の生き方でもあるのです。
水や赤子のような 柔軟で弱い生き方が 本当は最も強い生き方であり 無為自然な姿だと 老子は説いています。
http://tokyo−dokan.jp/taoistroad/roushi.html
天上天下唯我独尊
釈尊は生誕と同時にこの言葉を語られたと伝えられている。
この釈尊の言葉は、人間は何らかの条件によって尊いのではなく、人間の、いのちの尊さは、能力、学歴、財産、地位、健康などの有無を超えて、何一つ付加することなきままで尊い「私」を見出すことの大切さを教える言葉である。
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qsb.html
http://www.guidenet.jp/spresent.php?id=304 >>824
何を根拠に後世の付け加えと?
釈尊の教えに聞き従わなかった者は救われなかったが
聴いた者は、盗賊や殺人鬼でも阿羅漢になった
愚者も阿羅漢になったのでは?
釈尊に従って悟れなかった者もいたが五百人は悟った。
提婆達多と舎利弗とが争そって、提婆達多が離脱した。
仏教は離脱した提婆達多を悪者視しているが、
7cの玄奘の『大唐西域記』よれば提婆達多教団はベンガル地方にはあったと報告
しているので、厳格派の真面目な人たちであった。
学者の中には法華経は提婆達多教団の編纂とする者もかつてはいた
釈尊は完璧では無いが、釈尊に会って阿羅漢になった
元愚かな者や元悪しき者はいる >>826.元愚かな者である福音伝道が言う、ことである。
間違いはない。か。
大爆笑である。 いや元ではなくて、昔から今も愚かななので
現愚かな者ですよ
5chする程度の愚かな者です
君や、鹿野園君や真言君の愚か者仲間です
法華経だと釈迦から教えを聞いた弥勒菩薩とかは実力不足とみなされ
教えをきいて無さそうな地涌の大菩薩というほうが伝道資格があるんだろ
>>830.だからして福音伝道の登場である。大爆笑である。 地涌の菩薩 - Wikipedia
法華経の本門では弥勒菩薩を筆頭とする釈尊の弟子は本仏が分身した迹仏が教化した迹化の菩薩とされる。
それに対して地涌の菩薩は久遠の本地に本仏が教化した本化の菩薩とする。
即ち末法の大衆を救済するのは迹化の菩薩ではなく、久遠の本地の菩薩である地涌の菩薩であるとされる。
弥勒菩薩の問い
弥勒菩薩は釈尊の弟子の中でも大衆を代表する高位の菩薩であり、様々な世界で修行してきたが、地涌の菩薩は未だ曾て一人も見たことがないと言い、
地涌の菩薩は三十二相を具え、この娑婆世界に住していることから、他方の世界には住さず娑婆世界において久遠の昔から常住していた大菩薩であるとされる。
弥勒菩薩が地涌の菩薩の徳を見て、この地涌の菩薩が釈尊の弟子であることに疑念を持ち、
それは「二十五歳の少年が百歳の老人に対してこれは我が子である」と言っているのと同じであるという譬えをもって、
その真意を明らかにしなければ、滅後末法の世界の人々がこのことを信じることができないことを挙げ、その疑念に答えることを請う姿で終わる。
>>833
そういう事です。
法華経勧持品第十三には、末法に法華経を説けば必ず「三類の強敵」が現れ、法華経の行者に迫害を加えるだろうと説かれてある。
その攻めに耐え抜き、法華経を弘教できる菩薩は「地涌の菩薩」以外にないとされ、様々な阿羅漢や菩薩たちが釈尊の前で末法に於ける弘教を誓願しますが
釈尊は、ことごとく「止みね善男子」とそれを制止します。
<法華経従地涌出品第十五>
釈尊滅後の末法に法華経の弘通を担う地涌の菩薩が出現することを説いて釈尊が久遠実成という本地を明かす序となっており(略開近顕遠)、如来寿量品第十六の直前にあって重要な役割を果たす品である。
法師品第十から釈尊が滅後の法華経弘通を勧めたことを受けて、迹化・他方の菩薩は、その誓願を立てた。
しかし釈尊は菩薩たちに対し、「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」(法華経451~452n)とこれを制止した。
その時、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩をリーダーとする地涌の菩薩が大地から涌出する。
その様を目の当たりにした弥勒菩薩は、いまだかつてこのような菩薩を見たことがないとして、地涌の菩薩の正体について釈尊に尋ねた。
これに対し釈尊は「爾して乃ち之を教化して|初めて道心を発さしむ……我は久遠従り来|是等の衆を教化せり」(法華経467n)と答えたのである。
※つまり久遠の昔より彼らを教化してきたと言うわけです。
これを聞いて、会座の聴衆は大きな疑問を起こし、弥勒菩薩が代表して釈尊に尋ねる。
すなわち、始成正覚(今世で仏に成った)の立場を確認した上で、成道から40余年しかならない釈尊が、どうしてこれだけ多くの菩薩を教化することができたのか。
しかもこの菩薩の一人一人が実に立派であり、釈尊がこれをわが弟子だと言うのは、譬えていえば、25歳の青年が100歳の老人を指してわが弟子であると言うほどの矛盾がある。
どうか未来のために疑いを除いていただきたい、と。これを「動執生疑[どうしゅうしょうぎ]」という。この疑いにまさしく答えたのが、続く如来寿量品である。
以上の内容は「開目抄」(211n以下)で詳細に述べられている。 >>818
だから相手の論点を理解しろって
分別説部がスリランカへ移植された後にインドの本部とスリランカ大寺派は没交渉になってるから それを本流じゃないと言ってるのに…
説一切有部が最大部派だったのも史実で その説一切有部が本上座部は雪山部と断言してるんだから分別説部も説一切有部も上座部の本流じゃない
お前とそんな議論をする意味は誰にも無いんだからお前はチラシの裏にでも書いとけ >>821
だからそれにも触れてるだろ
無駄に論点が散らかるだけだからお前はレスするな
お前が出てきて議論が纏まった事なんか一度もないだろ
賑やか師なんか誰も求めてないから野良におべんちゃらでもやっとけよ
>南伝も独自に比丘が瞑想中に釈尊に会い、経典を増し加えたのである。 >>835
だから、おまえはあほ。
スリランカ仏教、つまり分別説部は、三派に分かれて
大陸の影響を受け続けた人たちと
分別説部を堅持した者たちに分かれる
それと動揺していた中間派もあった。
>スリランカ仏教はこの辺りの事情を除名されていた為に知らなかった
>即ちインド仏教から見た場合外道の立場に当たる
おまえは論点を「スリランカ仏教」としている
おまえのつもりでは「大寺派」だったのかもだがそう書いてない
あほだからである
で、大寺派は、除名されてないし外道でもない。
>説一切有部が最大部派だったのも史実で
>その説一切有部が本上座部は雪山部と断言してるんだから
>分別説部も説一切有部も上座部の本流じゃない
7C玄奘訳 伝世友造の『異部宗輪論』に
「雪山部を本上座部」とあるが、訳した玄奘自身が雪山部の現存を伝えてないし
義浄も伝えてない。また南伝も雪山部を伝えてない。
先行する6cの真諦訳『部執異論』では「上座弟子」としている。
更にどの派の伝承にも雪山部から分かれた出た部派を記していない。
なので雪山部は上座部本流というより、ヒマラヤのローカル部派だ。
そして勢力は弱く早くに滅んだ部派だ。
大衆部の伝承では上座部・大衆部・分別説部とあるわけだが、整理すると
「雪山部」=「本上座部」(伝・有部)=「分別説部」(伝・大衆部)となるんだよ。
本上座部は、上座部の本流という意味ではない。 >>836
>南伝も独自に比丘が瞑想中に釈尊に会い、経典を増し加えたのである。
ならば
おまえの
>釈迦入滅ご数百年経って瞑想中の比丘に釈迦が現れて それまでに説かれなかった
>教えを説き始めるという事が部派を超えて起こり 上座部にも起こった
>スリランカ仏教はこの辺りの事情を除名されていた為に知らなかった
は嘘だ
>釈迦入滅ご数百年経って瞑想中の比丘に釈迦が現れて それまでに説かれなかった
>教えを説き始めるという事が部派を超えて起こり 上座部にも起こった
>南伝も独自に比丘が瞑想中に釈尊に会い、経典を増し加えたのである。
となるのである
>>837
おまえと鹿野園君の気持ちの上では、仲間ではなくても
世間から5chを見ると、「あほ仲間」なのである
客観性を装着しなさい >>838
> >>835
> だから、おまえはあほ。
> スリランカ仏教、つまり分別説部は、三派に分かれて
> 大陸の影響を受け続けた人たちと
> 分別説部を堅持した者たちに分かれる
> それと動揺していた中間派もあった。
>
> >スリランカ仏教はこの辺りの事情を除名されていた為に知らなかった
> >即ちインド仏教から見た場合外道の立場に当たる
>
> おまえは論点を「スリランカ仏教」としている
> おまえのつもりでは「大寺派」だったのかもだがそう書いてない
> あほだからである
>
そのぐらいの事を読み取れないお前がな
日本語の省略を理解出来ないから文章が無駄に長くなる
> で、大寺派は、除名されてないし外道でもない。
>
除名されたブッダゴーサの配下になったんだから同じ事だ
> >説一切有部が最大部派だったのも史実で
> >その説一切有部が本上座部は雪山部と断言してるんだから
> >分別説部も説一切有部も上座部の本流じゃない
>
> 7C玄奘訳 伝世友造の『異部宗輪論』に
> 「雪山部を本上座部」とあるが、訳した玄奘自身が雪山部の現存を伝えてないし
> 義浄も伝えてない。また南伝も雪山部を伝えてない。
> 先行する6cの真諦訳『部執異論』では「上座弟子」としている。
> 更にどの派の伝承にも雪山部から分かれた出た部派を記していない。
> なので雪山部は上座部本流というより、ヒマラヤのローカル部派だ。
> そして勢力は弱く早くに滅んだ部派だ。
>
> 大衆部の伝承では上座部・大衆部・分別説部とあるわけだが、整理すると
> 「雪山部」=「本上座部」(伝・有部)=「分別説部」(伝・大衆部)となるんだよ。
>
> 本上座部は、上座部の本流という意味ではない。
雪山部〜説一切有部〜分別説部の系譜という学説を支持する
説一切有部の法体恒有説が先に出てから分別説部の一部法有説が出たと見るのが妥当
どっちにしてもスレちだから引っ込め >>839
その下りは何部経典だ?
分別説部のオリジナルじゃないだろ?
仲間の定義として外部からみた場合の仲間に対してお前だけ仲間ハズレと言ってる訳じゃない事ぐらいは文脈から理解出来そうなもんだがな >>826
中村元が釈迦の実際の言葉が残っていると考えられている経典を訳したと言ってる通り、岩波文庫から出てる経典が古いと考えられている。
それ以外のほうが古いなんて説は通説ではないんだから、根拠出せよ。
>聴いた者は、盗賊や殺人鬼でも阿羅漢になった
は根拠出せよ。
昔、多少の悪事をしていても、改心して釈迦に従い、覚った者も中にはいたかもしれない。
しかし、当時から釈迦の教えを聞こうとしなかった者、受け入れなかった者はいた。
釈迦自身が「わたしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。」と言ってる。
それを、なぜお前は誰でも理解できるはずだと言い張るのか? >>826
五百人が覚ったとは言え、信者はもっといただろう。
しかも、インドの人口だけでもそれよりはるかに多い。
当時から釈迦の教えを聞こうとしなかった者、受け入れなかった者はいた。指摘した通りだ。
一切衆生を救うなどよく騙れるものだ。 >>834
創作同人経典をソースにするようではねえ…。
大乗は釈迦の教えとはかけ離れていると認めたのか? >>842
『般若心経・金剛般若経』はもちろん違うな。それは、後世の創作。 >>843
一切衆生を救うなどよく騙れるものだ。
は大乗に対する批判。
釈迦の意図は>>786の「皆さんが、教えを学び、学問を学び、修行するよう願ってます。」だから、これは現実的願い。
そういう思いを持つのはどこもおかしくない。
しかし、大乗が具体的手段もないのに、「一切衆生を救えるんだーー!」と騙るのは間違っている。
しかも、釈迦の教えに近い南伝を「小乗」呼ばわりする呆れた姿勢。
伝統仏教は釈迦の教えを守ってスルーしているのをいいことに、「あい争うな」という釈迦の教えに反する見苦しさ。 >多少の悪事をしていても、改心して釈迦に従い、
悪人が「善知識」会うこともなく、自ら改心して釈尊に教えを乞うなんて事はないでしょうね。
しかしながら、その逆はあるかもしれない。
悪人が釈尊と出会い、その崇高な人格に触れ改心することはあるだろうね。
>>844
法華経を普通に読めば、荒唐無稽なおとぎ話のようにみえるよね。
というか、小乗しか学んだ事のないものにとっては、大乗経そのものが、そんな風に思えるかもしれない。
しかし、中国、日本に於いては、天台智、伝教最澄によって法華経第一が証明されたぐらいだから
少なくとも、小乗教よりは優れた教えだと分かる。 >>840
馬鹿者。
7C玄奘訳 伝世友造の『異部宗輪論』に依拠するならば、
有部から、雪山部を除くすべての上部系部派が出たあるのだから
説一切有部が上座部本流というのは動かん。
>>841
『仲間』論題
「5chする程度の愚かな者です
君や、鹿野園君や真言君の愚か者仲間です」の「仲間」定義の問題だから
おまえの主観は問題とならんのだ。
鹿野園君が多用する増支部だよ。大乗の影響下の。 >>847
だからさ、反論があるなら論理的に回答しような。
悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。
一切衆生を救うと謳う以上は、信者である必要もなくなる。信者以外は救わないんじゃ、一切衆生を救うというお題目に反するからな。
信者でなくてもいいとなると、欲望に溺れ快楽を楽しんでいても救われる。節制の教えは何のためにあるんだ?となってしまう。
ま、JAP大乗生臭坊主は酒飲んで、SEXしてるから、坊主からして快楽を楽しんでいるとも言えるが。
それと、大乗は釈迦の教えとはかけ離れていると認めたのか?
釈迦の教えとは似ても似つかぬヒンズー系宗派だと認めるならよいよ。
他宗教の教義が相容れないのはどうしようもない。他宗教を貶すべきではないからね。ただ、世間の人が誤解しないように「ヒンズー系」は明示して欲しいね。 846
争いを仕掛けてる破戒者は誰だ?
大乗の救いはロングスパンで今生限りでも一劫でもないと説明済み
どんな無明でも少しずつ働きかけて行けばそれを機縁として遥かな未来には草木悉皆成仏に至るという結論だから 七回転生する間にさとれなかったら落第とか そんなちっちゃい教えじゃないし 到達目標も三劫成仏から極楽往生から即身成仏まで それぞれの素質に応じて様々だし 誰も見捨てたりしないからな
初期サンガに入れなかっただけで皆落伍者だという出発点を理解しないと
落伍者が合格もしない内から卒業すれば資格が貰えるなんて言っても意味がない
原始経典で悟れるというなら入信して実証出来てから言えばいいだけの話だし 大乗は落ちこぼれの予備校みたいなもんだから本科に入れもしない奴が何か言っても我が身を振り返れの一言でお終い
どっちが悟れるとか言いたいのなら先ずは覚者を出して見せろ
話はそれからだ
上でもいったが、小乗VS大乗、顕教VS密教は少し見方を変えて
人間原理VS宇宙原理(人間法則VS宇宙法則)で対比させるべきだろうと
そのとき、慈悲や苦や知恵などを根本とするとおかしくなるとおもうんだが
たとえば石とか岩とか月とか水とかにそれらがあるのか?という問題
>>848
歴史的に雪山部の方が古い
世界大百科事典内の雪山部の言及
【上座部】より
…この五事を認めたのが大衆部となり,反対したのが上座部となった。 根本上座部は《異部宗輪論》によれば雪山(せつせん)部(ハイマバタHaimavata)とも呼ばれたという。上座部の教義は明らかではないが,その後200年してこの部派はさらに分裂を繰り返し,その中の犢子(とくし)部,化地(けじ)部,説一切有(せついつさいう)部,法蔵部,経量部などは精緻にして特色あるアビダルマ(論蔵)を構成して,部派仏教(小乗仏教)の展開に大きく貢献し,仏教思想全体に多大な影響を与えた。…
※「雪山部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版
お前の下らない主観に俺を巻き込むなと言っている
お前なんか認識を共有出来る仲間じゃない >>851
森羅万象を一つと見れば全体で悟りを構築していて 個別の個体には個我故にそれが判らないという見方も出来るからね >>842
>中村元が釈迦の実際の言葉が残っていると考えられている経典を訳したと言ってる通り、
>岩波文庫から出てる経典が古いと考えられている
んなことはない。中村元訳
『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』は長部経典だから後代成立です。
ダンマパダとスッタニパータの第四・第五章は最古層で、
相応部経典も古層と言われているが訳出されている
「神々との対話」「悪魔との対話」部分が相応部の古い部分でもなく抜粋だ。
長老偈、尼僧偈は古いと言われているのであるが、
その中村元訳「仏弟子の告白 テーラガーター」に
兄から「お前はバカだから、帰れ」と追い返されたパンダカを釈尊が
「この清らかな物をひたすらに専念して、気をつけていなさい」と指導されて
瞑想実践して、三明を得たとありますよ
アングリマーラは中部経典にアングリマーラ経というのがあって
南伝仏教ではパリッタとして唱えられているが、同じく
中村元訳「仏弟子の告白 テーラガーター」に
盗賊アングリマーラが武器を捨て釈弟子となり修行し三明を獲得した次第が説かれています
つまり、悪しき者も愚かな者も釈尊の出会って、指導を受け修行すれば
悟って阿羅漢になってます。
>>843
500人も悟れば多いのでは?
南伝テーラワーダのスマナサーラ長老も
「ブッダは一切衆生に無条件に慈しみを抱いていました。」と仰せですよ
実践的な『慈悲の冥想』が伝承されています
https://j-theravada.net/dhamma/chienotobira/tobira063/ 大体ねぇ>>1は馬鹿なんですよ。
そもそも十把一絡に大乗仏教を扱ってる時点で程度が知れるんです。
なぜなら、大乗仏教は到底十把一絡に語れるものでは無いからです。
また、大乗非仏説とか、それは大寺派が島史を打ち曲げて構成した理屈でしょ? 大乗仏教はカルトであるとかw
まぁ、ご勝手にって事なんです。
もっとも、護教的弁明はしますけど。
で、大乗仏教の何処がカルトなんでしょうかね?
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
>(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』
知る限りではチベット仏教が良いと思うんだが
カーラチャクラ(時輪)は無上瑜伽タントラ(インド最後期密教の最終経典)
カーラチャクラは、インド後期密教の最奥義である無上瑜伽タントラの聖典です。カーラチャクラは、「時輪」と訳され、「カーラ」とは時間を意味し、「チャクラ」は存在を意味します。
カーラチャクラでは、「空身(トンスク)」、空のからだと言うものが説かれており、無上の不動の大楽、無上の不動の信仰、無上の不動の智慧を得ることを目的とし、「光明(ウーセル)」についての内容が最も強調されています。
【ルン ―カーラチャクラの鍵―】
カーラチャクラでは、ルンと呼ばれる「風」が、ウマと呼ばれる「中央脈官」に入る最初の過程から、カーラチャクラ・タントラの「究境次第」とします。
他の無上瑜伽タントラでは、「風」を「中央脈官」に集めてそれから究境次第の悟りを得るとされています。
ルン・・・光明としての心の乗り物となる微細なる風。生体エネルギーのようなもの。
【カーラチャクラの三つの種類】
カーラチャクラには、「外のカーラチャクラ」、「内のカーラチャクラ」、「別のカーラチャクラ」の三種類があります。
「外のカーラチャクラ」とは太陽、月、星など外部世界のことで、「内のカーラチャクラ」とは脈官(ツァ)、風(ルン)、滴(ティクレ)など私たちの体の内部世界のことです。
「別のカーラチャクラ」とは、外部世界と内部世界の不浄な要素を浄化する方法である「生起次第」と「究境次第」のことです。
http://divinesoul.jp/info/kalachakra-001 >>1は何度尋ねても絶対にポジション(帰属する宗派)を明かさないでしょ。
しかも、過去に瞬殺済の件を熱りが冷めてからまた持ち出してるだけ。
また、ほぼ24時間レスに対して応答してるケースが散見されてる。
何者なんでしょうねwww >>854
テーラガーターには進歩が遅かったとしか書かれてないだろ。後世の創作のような愚鈍だとは書かれていない。
また、殺人鬼ではなくただの盗賊。
お前が言ってる
1.物覚えの悪い愚かなチューラパンタカが阿羅漢になった
2.殺人鬼のアングリマーラも阿羅漢になった
なんて、書かれていない。そんなものは後世の創作。
「昔、多少の悪事をしていても、改心して釈迦に従い、覚った者も中にはいたかもしれない。」と言っただろ。
既に認めている部分について、認めていないかように藁人形作って叩くのは面倒くさいから止めような。 >>857
そんな高度な所からじゃなくて 一番最初の論理学からプリーズ
論理学→根本経典→大乗経典→密教の順を追ったカリキュラムを殆ど誰も知らないからごく初歩的な所からお願いしまつ >>854
>500人も悟れば多いのでは?
については、釈迦の教えに従って精進すれば覚れるということだろう。
知恵ある者は釈迦の教えを理解して覚れる。
ただし、釈迦の教えを聞こうとしなかった者、受け入れなかった者も当然多い。そのような連中に対して釈迦がするのは、
>>786の「皆さんが、教えを学び、学問を学び、修行するよう願ってます。」だけ。
個人の問題なんだから、それ以上のことは釈迦といえどもできない。
それと、大乗の「一切衆生の救済」は大違い。
もしかしたら、「一切衆生の救済」と大言壮語しているのに騙された信者がいるだけで、実体は釈迦の一緒という可能性もあるが。 >>854
スマナサーラ長老の言葉とやらのページも読んだけど、一切衆生に慈しみの心を持つことは可能だし、釈迦も持っていたと思うよ。
ただ、それと「一切衆生の救済」はまったく違う。
悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。 チベット仏教 カーラチャクラ(時輪)
カーラチャクラは、最高位のタントラである無上瑜伽タントラに属する複雑な瞑想の実践です。カーラチャクラとは「時の輪」という意味です。
時間は、自分の身体の内側の変化と、世界や宇宙、つまり自分の外側の変化の尺度です。
自分の外側には、惑星の公転周期、一年のうちの月や季節、月齢、一日の時間、そしてもちろん、歴史の中の戦争と平和の周期など、様々なカーラチャクラがあります。
自分の内側にも、人生の時期、月経、睡眠、概日周期、一日の呼吸回数などのカーラチャクラがあります。このような内側と外側のカーラチャクラは密接に連動しています。
星々や銀河、宇宙が誕生・持続・消散・消滅というサイクルをたどるように、人間も、中陰(ある死と次の生の始まりとの間の期間)を挟みながら、誕生・人生・老年・死というサイクルを繰り返します。
内と外のカーラチャクラの経験には、カルマが影響しています。
さらに、カーラチャクラの教えでは、形象をつかさどるカルマの風のサイクルも付け加えます。
さらに、内と外のカーラチャクラに加えて、「別のカーラチャクラ」と呼ばれる第三のカーラチャクラもあります。このカーラチャクラは、内と外とは別のもので、その二つが及ぼす悪影響に打ち勝つ大きな力になります。
外のカーラチャクラの解説の一部として、月・太陽・惑星の位置、夏至の日照時間、日食・月食の時期、太陰暦や星座などを計算する複雑な公式や、平時や戦争のときに使う機械の製造工程まで提示されます。
内のカーラチャクラに関する議論では、チャクラや脈管、滴を含む身体の微細なエネルギー体系についての詳しい解説、チベット医学の伝統に含まれる様々な側面やサンスクリット音声学の分析なども扱われています。
内外の世界はどちらもとても複雑であり、その両方を完全に浄化しなければならないので、カーラチャクラの曼荼羅は、他のほとんど全てのタントラ体系より多くの神仏を宿しています。
さらに、微細なエネルギー体系の実践の最終段階では、光明心(精神活動の最も微細なレベル)に達する独自の道と、仏の色身の原型となる、独自の微細な身体(幻身)を生み出します。
https://studybuddhism.com/ja/chi-be-xtsu-to-futsu-kyou/ta-n-to-ra/ka-ra-chi-ku-ra-kakko-ji-rin-kakko/ka-ra-chi-ku-ra-to-ha-ka-ka >>852
一般百貨辞典レベルだから混乱している。専門書で確認しなさい、あほたれ。
雪山部は
『部執異論』が「上座弟子」
『異部宗輪論』では「本上座部」
6cの清弁が「根本上座部」
インド仏教史を持ってないなら買いなさい。基本をしなさい >>856
大乗の致命的欠陥は既に示した。反論があるなら論理的に回答しなさい。
悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。
一切衆生を救うと謳う以上は、信者である必要もなくなる。信者以外は救わないんじゃ、一切衆生を救うというお題目に反するからな。
信者でなくてもいいとなると、欲望に溺れ快楽を楽しんでいても救われる。節制の教えは何のためにあるんだ?となってしまう。
ま、JAP大乗生臭坊主は酒飲んで、SEXしてるから、坊主からして快楽を楽しんでいるとも言えるが。 「仏教は宗教でも信仰ではない。人の生き方の科学的な教え」
非常に馬鹿げてますね、これ。
科学的な手法では一つの答えしか見いだせませんし、1つの答えを見出そうとするのが科学でしょう。
生き方とは選択なのです。選ぶ事なんです。
選ぶ事は知・情・意に左右されますが、それは科学に収まりません。
答えは一つではないのです。
>>859
進歩が遅かった・・・愚かな者
武装盗賊・・・・・・悪しき者
私の側の論点は「愚かな者」「悪しき者」も
釈尊の指導を受けて、修行すれば阿羅漢になったと初期経典に書かれているです。
>>861 862
「一切衆生に慈しみの心を持つことは可能」だし、
釈尊は持たれていた。そして我々に持つように勧められていて
実際に南伝では『慈悲の冥想』という手法も準備されていて
1000年以上修習されているわけです。
北伝の大乗でも様々な形で「慈悲」が説かれているのでは? >>866
今日も論破されて悪口連呼の馬鹿野猿になってしまったなあ。 >>867
だから、「昔、多少の悪事をしていても、改心して釈迦に従い、覚った者も中にはいたかもしれない。」と言っただろ。
愚かな者でも学んで賢者になることは可能。
悪しき者でも改心することは可能。
ただ、その数は少ない。
釈迦自身が、「わたしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。」と言ってる。
それを、なぜお前は誰でも理解できるはずだと言い張るのか?
愚かなままの愚者、悪しき心もままの悪人が現に存在していると釈迦が言ってる。
それらに対しても釈迦は、>>786の「皆さんが、教えを学び、学問を学び、修行するよう願ってます。」という気持ちは持ち続けただろう。
しかし、彼ら自身が改心しなければ釈迦には何もできない。釈迦がやったのは、そうなることを望むだけ。 >>849
わっははは。論理的説明しているつもりなんだけど。ダメッスかねぇ。(笑
なんちゅーかなぁ〜。君は人の話を最後まで聞かず、言葉尻を捉えて
「あー言っちゃった、言っちゃいましたね−!!」とか言って騒ぐタイプなんで、正直疲れるんよ。
そうではなく、相手の意見も半分ぐらいくみ取って、
「なるほど、そういう考えもあるかもしれません」と相手の意見を尊重し、「しかしながら私は○○の経文に基づいてこう思います。」とかいう風に対話すれば
いたずらに感情的にもならず、建設的な意見も交わすことが出来るんではなかろうか?
かく言う桃太郎も未熟者であり、結構感情的になったりするんで、人のことは言えんけどな。(笑
>一切衆生を救うと謳う以上は、信者である必要もなくなる。信者以外は救わないんじゃ、一切衆生を救うというお題目に反するからな。
その通りだ。
>信者でなくてもいいとなると、欲望に溺れ快楽を楽しんでいても救われる。節制の教えは何のためにあるんだ?となってしまう。
必ずしも、そうはならないでしょ。仏は「人間はどのように生きたら良いか?人間の生きる真実の道」を教えた。
その道を自ら踏み外せば、結果は目に見えている。
だからといって、道をつくった釈尊に罪は無いし、釈迦はその者を見捨てたわけでも無い。
なので、仏法者としての使命は自身の修行もさることながら、この尊き仏法を多くの衆生に聞かしめる。いわゆる「弘教」が大事になってくる。
法は自ら弘まることは無いですからね。
日蓮大聖人 曰く
「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」というわけすね。 >>867
お前が出してきたスマナサーラ長老も、慈しみの心で接すると説明してる。これは正しい。
そのような心を持つことは可能。
しかし、一切衆生を救ってやろうなんて言ってない。そんなこと不可能だから。 >>870
だからさ、道を自ら踏み外す人は当然いる訳だ。
現代社会で言えば、そんな人だらけ。
で、そういう大勢の人はどうすんの?
放置するなら一切衆生を救うというお題目に反する。 >>869
本に次第ではあるが、釈尊は願いとして
「一切衆生に慈しみの心」を持ち続けられわけですね。
『真理は深遠』で、一般人には理解しがたいにも関わらず
悟った後、45年の全人生をかけて願い続けられたわけですね
数は極めて少ないけれども
「愚かな者でも学んで賢者になることは可能。」
「悪しき者でも改心することは可能。」
なのですから、一切衆生の救済も不可能とは言えませんよね
少なくとも
願いとして持つのは可でしょ?
大乗派はそんなドン・キホーテなんです。
客観的に見ると滑稽かもですが、我々はドン・キホーテを選び取ったのです 大乗で全員が救われない問題について、理想の仏教国の伝説があるが、実現されてないんだろ
おもったがイスラエルの約束の地と似た感じになってるな
「シャンバラ」とは何か?
シャンバラは理想の仏教国のことで、チベット仏教の最高の教えである「カーラチャクラ・タントラ」(時の輪の教義)を信仰する聖なる都です。
この地に英雄が現れ、いずれ来る最終戦争に勝利して、世界を「唯一の法」で統一するとされています。
う?ん、ちょっと難しいので、ダライ・ラマ14世自身に解説してもらいましょう。
《「シャンバラ」には96の地方があり、そのそれぞれに王と眷属が住んでいます。
しかし、もしあなたが地図を広げて、「シャンバラ」を探したとしても見つけることはできません。
「シャンバラ」とは業と徳の力が熟した人以外は、訪れることも見ることもできない聖地のようなものなのです。
7代目のシャンバラの法王はマンジュシュリーキルティと言います。この王は修行者がマンダラに入ることを許し、マンダラに入って精神の成熟した者たちを仏の一族に組み入れていきました。
このことから、シャンバラの法王には「一族(クラ)を持つもの」という意味のクリカという称号が付されました》(『ダライ・ラマの密教入門』より省略引用)
中国の圧力による混乱が続くなか、1959年、ダライ・ラマはついにインドに亡命します。
チベットでは、120万人とも言われるチベット人が殺され、6000あった僧院や寺の99%が破壊・略奪されたのでした。
<おまけ>
中国では、わが地方こそ「シャングリラ」とばかり、2001年に雲南省デチェン・チベット族自治州ジエタン県が「シャングリラ県」と改名しています。
続いて四川省ダパ県ローワ郷が「シャングリラ郷」になりました。
ちなみに日本では、オウム真理教が阿蘇の波野村に「シャンバラ」を建設しようとしていました。
https://tanken.com/tibet.html >>873
『真理は深遠』で、一般人には理解しがたいにも関わらず 、「一切衆生に慈しみの心」を持ち続けた。
そうはっきり書いてるんだから、書かれてことをいちいち確認するなよ。面倒。
当時のインドの人口が何人かは知らないけど、100万人以上はいたのでは?
そのうちたった500人。それじゃ、残りはどうすんの?
それを放置して「一切衆生を救う」なんて騙ってたら失笑。
実際、釈迦はそんなこと騙っていない。
お前らが必死に探しても、出て来たソースは「一切衆生に慈しみの心」を持ち続けただけ。
>>786の「皆さんが、教えを学び、学問を学び、修行するよう願ってます。」が正解。 >>873
一切衆生の救済も不可能なのは、その手段すら示されていないから。
さらには、一切衆生を救うと謳う以上は、信者である必要もなくなる。信者以外は救わないんじゃ、一切衆生を救うというお題目に反するからな。
信者でなくてもいいとなると、欲望に溺れ快楽を楽しんでいても救われる。節制の教えは何のためにあるんだ?となってしまう。
ま、JAP大乗生臭坊主は酒飲んで、SEXしてるから、坊主からして快楽を楽しんでいるとも言えるが。 >>874
そういうオカルトを妄信するしかないのがオカルト大乗。 自分の見解では、小乗と大乗は、人間原理と宇宙原理を説いてるだけであって
宇宙の法、真理を知ったところで、それと人類救済は別の話となる
>>875
500人/100万人だとかなり当選確率が高いのでは?
今70億人の世界人口で覚者は何人います?
比率からすれば350万人の覚者が必要ですよ
「一切衆生に慈しみの心」にご納得頂けてうれしい限りです
>>876
道筋は示されていますよ。
初期仏教の四諦とか八正道とか
南伝の『慈悲の瞑想』もそうですし
北伝大乗の『称名念仏』とか『唱題目』もそうでしょう。
それに納得ができるかどうかは
そしてやるかどうかは
本人次第です。 >>879
そういう話じゃないだろ。
99万以上の覚れない人達を放置して「一切衆生の救済!!!」とやってんのは愚か。
>本人次第
と言ったら99%以上はそれをできてないから、覚れていない。
その99%以上は放置?どうすんの? 大日経ではこうなってるな、
「大日経を読み解く」 本論・「三句の法門」の解説
「わたくし」こと金剛手秘密主は、大日如来さまにこう質問しました。
一切智智を得るにはどうすればいいのか、その一切智智によって法を説くのは何故か、そしてその一切智智を得るためには、何が原因となり、何が根本理念となり、何が究極の目的となるのか、ということ。
何とも大それた質問である。それでも大日如来さまは、「わたし」秘密主を『善きかな、善きかな』と、とっても褒めてくれて、喜んで質問に答えてくれました。
『よいか、よく聞きなさい、秘密主よ。菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟としなさい』
この「三句の法門」が、「大日経」のメインテーマである。
まず悟ろうという意志がなければ、そもそも悟ることは出来ない。その固い決意が何よりも重要になる。これが因である。
ただ、仏教の悟りとは、独り善がりの幸福感に満足するだけでは済まされない。
他者に惜しみない慈しみと愛情を傾け、救いの手を差し伸べようとする心、慈悲心が原動力となってこそ、本当の悟りに到達出来る。それが根本理念「根」となる。
そして、悟ることの究極の目的は、他者を救うことである。様々な方法(方便)を用いて、困苦に喘ぐ多くの他者を悟りに導くことこそ、仏教の究極の目的なのだ。
https://kongozi.jp/blog/7729 >>865
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いやいや、思わず車内で吹いちまったよ。
そもそも、救われるものがあるだの救われるものはないだの、そうした両辺に堕ちることをお釈迦様は戒められて中道を説かれたんじゃないのかなw
悪しき者だの愚かな者というのも、掛かる意味に於いて「諸の衆生のために分別し演説し開発顕示するのみ」な訳でしょ。
そこを知らせるために
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
>(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
という事じゃないのかな。 >>880
そこで、「願いを持つ」です。
後は
ご本人次第です。
道は開かれ、示されています。
拒絶するのも、挑戦するのも相手の自由意思です。 >>882
違います。
釈尊は愚かなる者は、鹿野園君のように努力しない。
賢者は励むと説かれています。
よい行為をしなさい。悪い行為をするなとも説かれています
鹿野園くんのように悪ぐちばかり言うのは悪しき者です
釈尊は悪しき者に近寄るなと仰せです >何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
>(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』
なかなか、いい言葉っすねー。
歴史を振り返って、世界的に名を残すような偉人・賢人の思想や言葉は、大乗仏教の精神に通ずる場合が多々あるもんね。
「あっ!この言ってる事、仏法じゃん」とかよくあるね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ロマン・ロラン
「自分の魂が救われるか救われないかということばかりにこだわっていれば、救われることからかえって遠ざかる。
君が君自身を救いたいなら、人間を救え!
もっと的確に言うなら、ほかの人々の中へ、君自身を忘れ去れ!
そうすれば、それ以外の大切なことは、みな君につけ加わってくるだろう」(「内面の旅路」より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ロマンロランは仏法者では無いけれども、仏法を胸中に挟みたる賢者といえるでしょう。
「菩薩」と言うのは「万人の胸中にある生命の働き」を指すので、自然とこうした人々の胸を打つ言葉を発することが出来るんだろうね。
>>883
だから、釈迦の教えに従わない99%は放置なんだ。
それで「一切衆生の救済!!!」と騙るなよ。 >他者に惜しみない慈しみと愛情を傾け、救いの手を差し伸べようとする心、
>慈悲心が原動力となってこそ、本当の悟りに到達出来る。
真言君と鹿野園君に極端に欠けている慈悲心。。。
大日経的にはお二人は覚りには遠いですね
>>887
釈尊の教えに従わない99%にも
「願い」を持っているので放置ではありませんよ
門は誰にでも開かれています。
ただ叩いてやってきても
入門準備のチェックがあります。
「諸悪莫作諸善奉行」が身に着くまでは入門はできません。 >>885
ハゲ😯
おい、おい、ハゲ😯
ハゲ😯
反証無しなら消えろ、ハゲ😯 >>889
それは俺が最初から言ってることだし、「一切衆生に慈しみの心を持つ」と言おう。
「一切衆生を救う!」なんて言っていない。そう言ったら騙り。 >>889
>入門準備のチェックがあります。
云々は違うな。
しかし、概ねは一緒だろう。
「一切衆生に慈しみの心を持つ」と言おう。「一切衆生を救う!」なんて言っていない。そう言ったら騙り。 仏教は無(非)我説にたってるんです。
仏道の成就、或いは智慧の完成に向かう個人の姿勢や態度に賢いだの愚かだのはある事はあるでしょう。
しかし、賢き者だろうが愚かな者だろうが、その者に常・一・主・宰なる我があるとは認めていないという点では、当然に両者は等しいのです。
いいですか?
お釈迦さま何を伝えたかったのか?
それを伝えるためにどの様な手段を取られたのか?
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
>(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
こういう事なんですよ。
大乗はカルト?
www
それを以ってお釈迦さまが伝えたかった事がその当人に伝わるのであれば、私は別に構いませんけどね。
そういう事です。
それぞれの宗教における絶対者が単に有的であれば、諸宗教はけっして両立しえない。
また、絶対者が単に無的である宗教においては、他宗教との真の対論というものがない。
従来、聖書の神は単に有的に理解されてきた。そのために、他宗教の全面否定に走った。
しかし、単に有的にではなくて、無的にも理解されるようになったことによって、真の対論が原理的に可能となった。
相互否認に終わる偽りの対論ではなくて、相互承認に終わる真の対論の原理的可能性は自己の無性の自覚に存するのである。
けっして有限性の自覚に存するのではない。
人は言うかもしれない。自己の有限性を自覚して、自己絶対化を慎むならば、相互の平和共存は可能となろう、と。
しかしそうではないのである。
そこでは徹底した真の対論も真の相互承認も起こらないのである。
各宗教は自己の絶対性を主張すべきである。
しかしながらそれでいて、この絶対性を単に有化しないことが肝心なのである。
信仰に関しても、それが単に有的であれば、他の信仰を審くことになる。
すなわち、他の有的信仰に対しては、自分の信仰と異なる、と言って。
また、他の無的な信仰に対しては、信仰が無的である、と言って。
しかし、信仰が無信仰の信仰であるならば、信仰を有的に絶対化し、他の信仰を審くことはないであろう。
(宗教哲学入門 (講談社学術文庫) 量 義治 )
しかしながら、自己絶対化が同時に無的であるならば、対立はあっても、相互否認は起こりえない。
対立・対論は必要なのである。
必要というより、必然的なのである。
これがなければ、真理性の放棄に等しい。
互いの間にきびしい対立が存しながら、相互承認が成り立ちうるためには、有的であると同時に無的でなければならないであろう。
単に有的であれば、ただ対立があるだけであり、また、単に無的であれば、ただ融和があるだけである。
真理と真理とは対立しつつ融和するものである。
(宗教哲学入門 (講談社学術文庫) 量 義治 )
864
雪山部が他の部派より古いかどうかだろ?
根本分裂の時に大天の五時に呆れてヒマラヤへ飛び去ったとされる長老達の部派が雪山部と読めば本上座部で解決するから お前の余分な知識は蛇足なんだよ
蛇に足がないと難癖をつけて無理やりない足をくっつける様なもんだ
>>872
>で、そういう大勢の人はどうすんの?
君がぜんぶ面倒みるんだよ。
......
......
ジョーダンだ。
さて、どうするのか?
師である教主釈尊なら、やはり「ムリっす!」と言って投げやりになり愚人を見捨てるのだろうか?
もし、釈尊が梵天勧請に応じず、涅槃に入って一切の「法」を説かなかったならば、釈尊は一転して地獄に堕ちていたでしょうね。
仏がこの世に出現する理由は、一切衆生に「仏法」を説くためです。それをしなかったら仏の誓願を自ら打ち破る事になるのです。
小乗では「始成正覚」すなわち、釈尊は今世で悟りを得て「仏になった」と教えているので、なかなか理解出来ないかもしれませんが、
法華経では「久遠実成」を説いて、計算できないほど大昔に「私は仏であった」ことを明かします。
では、釈尊はどのように人々を救済しようとしたのでしょうか?
仏法に於ける「一切衆生の救済」とは「一切衆生に仏法(法華経)」を受持させるという事になります。
その為に仏法者としては「弘教」という実践を重んじるのです。
釈迦在世も、釈尊は一箇所に止まり、悟り澄ました顔をして弟子たちに法を説いたわけではありません。
命の尽きるまで、釈迦はインド中を弟子と共に遊行し、法を説きました。(涅槃経)
要するに法を説いて「仏縁」を結び、ひとり一人の衆生の心に「仏の種」を植えて行ったのです。
そうした仏の振る舞いの意味を法華経の中で一つの喩えとして説かれています。 有名な「衣裏珠の譬え(えりじゅのたとえ)」です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ある貧しい人が親友の家で酒に酔って寝てしまった。親友は彼の衣の裏に無価の宝珠(価が付けられないほど貴重な宝石)を縫い付け、出かけていった。
目を覚ました貧しい人は、それに気づかず、衣食を求めて他国を放浪するも困窮した。やがて親友と再会して衣の裏の宝珠のことを知らされた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
酒に酔った「貧しい友」=>欲や煩悩に執着し苦悩する衆生を表す。
親友=>別して仏、総じて「法を弘める菩薩」を表す
無価の宝珠=>法華経(※仏の究極の教え)を表す
衣の裏に縫い付ける=>法を説き、衆生の生命に仏の種を植える(仏縁を結ぶ)※聞法下種とも言う。
親友と再会=>仮に法を説いて反発しても、再び仏法に巡り会い法を聞くことが出来る ※法をすでに一度は聞き、そうなる「因」を命に刻んでいるゆえに。
そうして、最後はみんな仏になると言うことです。
一度仏縁を結べば、それを因として仏界の生命を触発し、その縁は三世に渡っても消えることは無い。
ゆえに実質、この時点で救われているのです。
ちなみに、この喩えにはもう一つの意味合いがありますが、ここでは割愛させて頂きます。
創価の日蓮仏法で言うと、究極の救済というのは「広宣流布」という事になります。
釈迦の二十八品の法華経ではなく、末法の御本仏の顕された「南無妙法蓮華経」を教える、
あるいは日蓮仏法のに生命尊厳主義、人間主義の平和の哲学を多くの人々に教え伝えることです。
すべてが「仏縁」を結ぶ事になるからです。
>>900
>もし、釈尊が梵天勧請に応じず、涅槃に入って一切の「法」を説かなかったならば、釈尊は一転して地獄に堕ちていたでしょうね。
>仏がこの世に出現する理由は、一切衆生に「仏法」を説くためです。それをしなかったら仏の誓願を自ら打ち破る事になるのです。
←すべてお前の妄想。
>仏法に於ける「一切衆生の救済」とは「一切衆生に仏法(法華経)」を受持させるという事になります。
←で、そのソースは?創作同人経典をソースにすんな。
>要するに法を説いて「仏縁」を結び、ひとり一人の衆生の心に「仏の種」を植えて行ったのです。
←で、その結果が99%以上は、釈迦の教えに従わないし覚れない。
>そうした仏の振る舞いの意味を法華経の中で一つの喩えとして説かれています。
←創作同人経典をソースにすんな。それとも大乗は釈迦の教えとは似ても似つかないと認めるのか?
で、99%以上の大勢の人は救えてないな。
そんなんで、一切衆生を救うとか大言壮語のお題目騙るなよ。 >>901
創作同人経典をソースにすんな。それとも大乗は釈迦の教えとは似ても似つかないと認めるのか? >>902
それで他人の家に押し掛けて、他者を脅して苦しめるのは釈迦の教えに反する。
直ちに止めなさい。 >>902
釈迦は個人を尊重し、何事も自己判断を尊重した。
また、集団行動ばかりしてる連中は釈迦の教えを理解していない。
スッタニパータ
40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。 >>903
そう思うんだったら、やっぱり「君がぜんぶ面倒みる」しかないだろ。(笑
それに、やたらソース、ソース言うもんだから、なんとなく焼きそばが食いたくなってきたよ。
洗脳するのはやめたまえ。
何言ってんだよチミわ。(笑
>すべてお前の妄想。
わははは。かもな。
つまり、私は創価の日蓮仏法の立場で話してんだから、
小乗信奉者の君にいきなり理解しろと言うのは無理なのかもしれないな。
いずれ、少しずつ分かってくる。
ただ、主張すべきことは言っておこうと思うのだよ。
日蓮大聖人 法華初心成仏抄に曰く
「末法において、甲斐なき僧が法華経を弘めると、必ずこのような難があると経文にたしかに説かれている。
したがって人がこれを用いなくても、機根に合わないといっても、「強いて法華経の五字の題名を聞かせるべき」である。
これでなくしては、仏になる道はないからである。」 >>907
「一切衆生の救済」なんて大言壮語を吐いてるのは大乗だけ。
釈迦はそんなことは言ってない。そんなできもしない約束をするほど、釈迦は恥知らずではない。 >>907
できると言うなら、その手段を提示しろ。
創価学会の強引な集団訪問を社会問題を引き起こしている。そんなことを続けるべきではない。
また、創価学会の信者の何割が覚れたんだ?そもそも、創価学会で覚れた信者はいんの?
信者ですら救われていないのに、「一切衆生の救済」とか寝言は寝て言え。 ダライ・ラマ法王14世の思いやる心を育む言葉
今私たちに必要なのは、この世界に生きている60億の人間たちが自分の兄弟姉妹だと考えることです。
この60億の人間たちはひとりの人間だという点でみな同じです。
幸せを願い、苦しみたくないと思っている同じ人間なのです。
どこの国の人か、どの宗教を信じているのか、そういう二次的な違いは問題ではありません。
すべての人たちが、地球という同じ惑星に住んでいる1つの人間家族なのですから、世界の60億人の幸せを考えることが大切です。
人類はみなひとつだと考えることが今の私たちに求められていることであり、これが悲劇を回避する究極の答えだと思います。
https://www.kateigaho.com/migaku/80273/2/
自 然 法 爾
親鸞聖人86歳のお手紙である『自然法爾の事』という文章が遺されています。
これは聖人が最晩年に至った浄土真宗の究極的な境地であるといわれています。
仏教で説かれる「自然」とは、人間を含めたすべての縁起する全体、{ ありのまま }のことをいいます。
そして「法爾」ということは、諸行無常・諸法無我という「自然法」の中に保たれている、一切の生きとし生けるものに平等に施されている功徳のはたらきが、自然と{ ひとりでにそうなっていく }ということです。
浄土の教えに説かれる「阿弥陀仏」とは、私たちは{ 大いなる自然のはたらき }のもとに、生かされて生きているのだということを、私たちに知らしめようとする「手立て」 なのだといえます。
https://www.link-age.or.jp/shinran/jinenhouni/ 禅僧・道元が「最新物理学の結論」にたどり着いていた!
厳格な仏教思想を流麗に表現する達人だった道元は、『正法眼蔵』「有時」の巻で時間論を展開している。
人は、自分という人間が時間から独立した実体で、この実体が時間の流れとともにさまざまな体験をすると考えがちである。
しかし、仏教は、こうした見方を我執だと切り捨てる。自分は実体ではなく、仏が一時的に自分という姿をとって現れたにすぎない。
時間が過ぎ去るという見方を批判し、過去の出来事について「彼方にあるににたれども而今なり」と語る。
「而今」とは、道元の時間論の要となる概念で、素朴に言えば「今このとき」。過去も未来も、本来のあり方という観点からすると、すべて而今なのである。
道元によれば、時間的・空間的に拡がった世界の至る所に、本来の自己が存在する。
もっとも、道元は、私のように「われ」として人間しか想定しない狭量な思索者ではない。
彼は、人間や動物だけでなく、小石や瓦などの無生物も仏の現れと見る。有名な「悉有は仏性なり」という世界観である。
超越者を世界の外に求めず、現実の世界がすなわち超越者だと見なす道元の世界観は、西欧思想とは根本的に異質なのか。そんな考えを巡らすうちに、ふとスピノザに思い至った。
思想の根幹をなすのは、実体の単一性についての信念である。主著『エチカ』では、「神以外には、いかなる実体も存在し得ず、考えることもできない」(第1部定理14)と主張される。
アインシュタインがスピノザを高く評価したことは有名だが、宗教と科学に関する講演に、気になる一節があった。
宗教的な確信に貫かれた人格として、スピノザと仏陀を挙げたのである。
アインシュタインは、外部の超越者による創造や奇跡は認められなくても、世界そのものが超越者だとする信念を合理的な宗教だと感じたのだろう。
とすれば、スピノザと並べるのに相応しいのは、記録に欠落の多い仏陀よりも、むしろ道元ではないか。
また、時間・空間は無限大だと考えたスピノザと異なり、道元は、時間の始まりや空間的な境界はないが、一顆明珠(いっかみょうじゅ――一個の曇りなき玉)に喩えられる閉じた世界を想定した。
アインシュタインが『正法眼蔵』を読んだら、どんな反応を示したろうか。想像すると楽しい。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70017 日本に禅の思想を確立した一人といわれる、鎌倉時代初期の禅僧・道元(1200〜1253)。正法眼蔵は今も多くの人に読み継がれています。
道元は、十四歳にして比叡山に入り出家。しかし一つの疑問に逢着します。
仏教では「人間はもともと仏性を持ち、そのままで仏である」と説かれているのに、なぜわざわざ修行して悟りを求めなければならないのか?
比叡山では解決を得られなかった道元は、山を下り禅の本場である宋に渡りました。最後に出会った如浄禅師の下で参禅中に頓悟。
「仏性をもっているのになぜ修行せねばならないのか」という自身の発問の仕方自体がおかしかったことに気づきます。
その問いは実はあべこべであり、真実は「われわれは仏だからこそ修行ができる」だった……そう悟ったのです。
正法眼蔵を読み解くキーワードは身心脱落。悟りを求めている自己を消滅させることで真理の世界の中に溶け込むこと…それこそが身心脱落なのです。
「仏法は、人の知るべきにはあらず」 仏教の真理は我々人間には知ることができない、というショッキングな書き出しで始まる唯仏与仏の章。
道元の提示した答えはいたってシンプルだ。「我々が仏になればいい」
我々は実は最初から悟りの世界の中にいる。それなのに迷いの中にいると思っている。悟りも迷いもコインの裏表のようなもので実は一体なのだ。
迷ったら迷ったでよく、しっかり迷えばよい。その中にこそ真の悟りがあると道元はいう。
一切衆生悉有仏性
涅槃経に出てくる有名な一節だが「一切の衆生は仏性を有している」という意味に解釈されてきた。
道元はこの一節を大胆に読み変える。「一切が衆生なり、悉有が仏性なり」
衆生が悉有(全宇宙)であり、その全宇宙こそ仏性であるというのだ。
この見方に立てば、私たちは仏性の中で呼吸し、仏性の中で生活していることになる。
それは、仏こそ万物を生かしている命であり、山川草木全てがそのまま仏の命のあらわれであるという壮大な世界観である。
道元は「修証一等」という立場に立つ。修行そのもの中に悟りがあり、悟りの中に修行があるとみるのである。
行(歩き)・住(止まり)・坐(坐り)・臥(臥す)といった生活の一挙手一投足が修行となり、その只中にこそ悟りがあるという。
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/59_dougen/index.html 小乗 悟った俺すごい(実際は何も悟ってない)
大乗 他者を救済する俺すごい(実際は誰も救済してない)
どっちも中身のないハッタリで自分を偉く見せかけて自分高い高ーいやってるだけの詐欺
>>914
伝統仏教では、覚りは個人の問題。すごい、すごくないとかいうのはないのよ。徹頭徹尾、己があるのみ。
>大乗 他者を救済する俺すごい(実際は誰も救済してない)
はまあそうだね。 誰も救済してないのに全仏教徒の大半が大乗とかもうね
救われたかどうかは個々の問題だけど 余りにも差が開き過ぎだな
>>916
データあんの?
今や中国でも仏教は超マイナーと聞くが。
韓国ではほぼ滅んだ。
日本だってまともな信者はどんだけいるのか?葬式以外じゃ接点ないほとんどの人を信者にカウントしてるんだろ。日本人の賃金が下がってるから、葬式に掛ける金も減ってきてる。
墓の土地もなくなってるし、海に撒いたりすんのが当たり前になったら消滅しそう。
下手すりゃ50年くらいで大乗は消滅する。 >>913.道元の批判ができれば、それが悟り、である。 >>916
データあんの?
今や中国でも仏教は超マイナーと聞くが。
韓国ではほぼ滅んだ。
日本だってまともな信者はどんだけいるのか?葬式以外じゃ接点ないほとんどの人を信者にカウントしてるんだろ。日本人の賃金が下がってるから、葬式に掛ける金も減ってきてる。
墓の土地もなくなってるし、海に撒いたりすんのが当たり前になったら消滅しそう。
下手すりゃ50年くらいで大乗は消滅する。 >>918
第2位 日本 8465万3000人
これだけでインチキだと分かる。 >>921.それだけの数の悟った仏教徒がいる、のかと驚愕した学者がいた、とさ。
大爆笑である。 >>918
アメリカでは仏教徒が増えてるらしいぞ。
合理性重視する西洋には、合理的な釈迦の教えが受けると思う。
情緒的なアジアにはもともと向いてなかったんだよ。たまたま、他の宗教が入ってなかったから広まっただけ。 >>923.仏教とキリスト教とが同じである。ことが理解できれば良い。 >>924
大乗は言ってることがキリストだよね。
7世紀の唐の時代には入ってきたらしいし、完全にパクってるよね。 >>921
新興団体も含めてならそのぐらいにはなる
文科省の宗教年鑑で確認すればいい >>923
チベット仏教が何やらやらかしてカルト指定されたりラジニーシも禁教扱いだから おそらく一番増えてるのは禅宗だろうが 彼等には哲学やヨーガみたいに見えてるからキリスト教徒のままで双方在籍とか普通じゃないかな >>925
比較宗教学者に言わせるとキリスト教が先に仏教からパクってるからお互い様だよ
列聖された聖人の中には後から仏教の聖人だったと判って外したりとか結構抜けてる >>926
文科省の集計でも実態とは違うだろ。
8465万人も仏教徒いねえよ。葬式に坊主呼ぶのを信者と呼んでるだけ。
結婚式を協会で挙げてるのを信者と呼べば、キリスト教徒だって8465万くらいいるわ。 >>929
喪家というだけでは信者扱いにならんよ
檀徒信徒共に所属寺院に年会費払って登録されてる人だけ
伝統宗派だけなら4000万人程度だと前置きした通り 残りは分派や新興団体まで全部集計したらって事
新興団体の中には無理やり入信させたり 勝手に名簿登録して勧誘員が自分の成績の為に会費を払ってたりという話も有るから4000万人程度は実態不明
それでも南伝仏教みたいに国教扱いしてないのに大乗仏教徒の方が遥かに多いから南伝仏教が保護から外れたらどうなるかは判らんよ >>930
8465万人も年会費払ってるか?
都市部に住んでる日本人が大半だし、都市部に住んでる人で所属寺院に年会費払って登録されてる人なんてほとんどいないと思うが。 >>930
墓があると会費取られるとかそんな仕組みか?
それだったら親がなくなっていれば信徒扱いされるのか?
そのレベルなら納得。
しかし、そんなの結婚式を協会で挙げてるのを信者と呼ぶレベルだよ。 >>931
人数じゃなくて世帯だろ
家長が払えば家族は信者として登録される
伝統宗派の実態は4000万人程度だと言った筈だが文盲かね? >>932
檀家=檀徒は大半が江戸時代以前からの代々引き継ぎだからな
信徒は寺に墓を持ってなくてもなれる新規が多い
まあ地方から都市部へ出て生活拠点を移したついでに離壇というパターンも有るらしいがな >>934
その内訳を説明してるのに理解出来てないんじゃ話にならん まあこういう事らしいが 大きな教団は各寺院から上げられた報告を集計するだけだからな
どっかのカルト教団で国政選挙に通らない程度の信者数なのに1000万人とか見栄を張ってるパターンも有るから伝統仏教から仏教系団体を差し引いて集計したら実態に近い数字が出るだろう
各宗教の信者数は、文化庁『宗教年鑑』令和2年(2020年)版によると、2019年12月31日時点で、神道系が8895万9345人(48.6%)、仏教系が8483万5110人(46.3%)、キリスト教系が190万9757人(1.0%)、諸教(神道系・仏教系・キリスト教系以外であるもの([分 1]))740万3560人(4.0%)、合計1億8310万7772人となり、これは日本の総人口(約1億2600万人)のおよそ1.5倍にあたる([6])。
>>936
お前が出した資料は「人」で数えていて、俺もそのソースに基づいて語っていたのに、突然「世帯」と言い出すお前がおかしいんだよ。 「世帯」と言い出すというより、
>>930 所属寺院に年会費払って登録されてる「人」だけ
>>933 人数じゃなくて世帯だろ
家長が払えば家族は信者として登録される
伝統宗派の実態は4000万人程度だと言った筈だが文盲かね?
がおかしい。それまでずっと人で語ってたのに、後から突然世帯だろーー!とか、読み直したら完全にお前がおかしい。 >>933
4000万人程度だってそんないるか?だわ。
結婚式を協会で挙げてるのを信者と呼ぶレベルだよ。 >>938
日本の寺檀制度って知ってるか?
江戸時代はどの家も何処かの宗派に所属しなきゃならなくて その台帳を寺が管理してたんだよ
普通の日本人で普通に高校まで出てたら ああなる程と判る話だからお前に何かが欠落してるだけの話だぞ?
文科省は人数登録で各派寺院は家ごとの登録 それで過去帳を作ったり 遡れば先祖は何処何処の誰々でって判るシステムなんだよ
そのぐらいは義務教育しか受けてなくても調べれば判るだろうって話だから成人しても他人に甘えてるお前が悪いし そんな風に育てた人物や地域がおかしいとしか言いようがない >>939
ああ 自分のポイントがズレてる箇所が判らないんだな?
既に日本の伝統宗派の信者数は4000万人程度だろうと内訳を話している「にもかかわらず」8500万人もいる訳がないと仏教系全体の数字をしつこく言うから俺のした話が読めない=文盲かね?と聞いたんだよ
つまり相手の書いた内容が部分的に抜け落ちて最初の自分の質問を繰り返してる状態な
会話で言うと相手の話を聞き入れずに一方的に自分の言いたい事に異常に固執して一方的に攻撃してるという事
リアルだったら誰も相手にしない 言動が迷惑で暴力的で危ない人って印象だな?
近所の人達からも疎まれてないか? ……>>1
まだやってんの?
大乗カルト云々いうのは勝手だけと、それって護教的弁明のかませ犬にしかなってないことは確認してるよね? >>940
寧ろスリランカの1000万人の方がそんなにいるかと思うわ
東京都に1000万人も仏教徒がいない様に 大ざっぱなカウントしかしてないだろうしな
日本の場合はそれで300年以上続いて来たから仏教の檀家の家系は離壇しない限りは仏教徒だし 亡くなった御先祖を寺で供養して貰い墓参りをする事で悪い所へ堕ちないで浄土で暮らせるという独特の信仰に変わってるから それを仏教徒じゃないと言われても そんなのはアンタの主観と言われて終わり
実際先祖代々の墓を一度も墓参りしないなんて現代では非人階級でもないだろうし そういう平安時代迄は入信すら認められなかった階級を受け入れる宗派が鎌倉新仏教で 戒律も修行も廃して文字も読めない大衆に ただこれだけを唱えれば死後は浄土に往生して 其処で阿弥陀如来なり釈迦如来の元で生前出来なかった修行をして完成したら成仏出来るという教義だから信じた人も多かったんだろう
何しろ戦国武将も恐れる程の勢力だったし 強い信仰感情がないと そうはならないからな
現代でも下層階級が親しんだ宗派や その枝分かれには社会問題になる程の勢いと人数が揃えばどうなるか判らないものが有るから 大乗批判も程々にしとかないと… >>942
自分で提示したソースに書かれた8465万人がおかしいと言うなら、そんなソースをていじすんなよ。
お前がそれを提示したから8465万人もいないだろう、という話をしてる。
そして、文脈を分かってないのもお前だよ。4000万人だってそんなにいるとは思えねえ。
それだって、結婚式を教会で挙げてるのを信者と呼ぶレベルだ。 >>3
> 釈迦の時代にはなかった「他者救済」を大乗は全面に出した。
> しかし、現実の苦悩に対しては何の効力もない。コロナで多くの人が苦しんでいるのに、大乗は何の役にも立っていない。
> 「他者救済」は詭弁である。
www
「大乗仏教の教えを聞いて救われました」って人がいたら貴方はどう弁明するの? >>941
江戸時代の話が現代でも通用すると思ってんのかよ?
現代の都市部ではそんな繋がりはもはやなくなってるのも知らないど田舎土人か? >>944
スリランカの1000万人の話なんて一度もしてねえだろ。
話をごまかすなよ土人。 >>909
>できると言うなら、その手段を提示しろ。
私の主張は >>900 で提示済みだよ。
生命は永遠だ、しかし一生は幻の如く、あっと言う間に過ぎ去ってしまう。
日蓮大聖人は、人生は「一睡の夢ぞかし」と仰せだ。
その大切な一生をどう生きるのか、人間としてなにが正しい人生なのか
それを、明快に教え説いたのが「仏法」です。
仏法は今世のみならず三世に渡って衆生を救いゆく「究極の法」(妙法)なのです。
万物生成の法、全宇宙の諸現象も妙法の働きであり、私たちの生命もまた妙法です。
そして、この「妙法」を覚知し体現した人が「仏」というわけですね。
話が逸れましたが、社会の安穏、世界の平和は、この仏法を世に広め、一人一人に不軽菩薩のごとき
生命尊厳主義を思想を理解させることが大事と言えます。
仏法の精神を心に刻んだ、あらゆる社会的立場の人々(政治家、医者、教育者、芸術家等々)がこの精神を軸に人々を触発してゆく
この運動を私たちは「広宣流布」と言います。
「仏法」がどんなに優れた教えであっても、それを行動に移さなければ意味がありません。
https://www.sokanet.jp/
個人々の救済は「南無妙法蓮華経」の仏法を一人ひとりに説き聞かせてゆくという事になるでしょうね。
正しく受持して信仰に励めば、死んでから極楽へ行くという話では無く、現世に於いて必ず最後は幸せになってゆく。
それが創価の日蓮仏法です。 >>946
「コロナが怖かったんですが、大乗の教えを聞いて安心しました!」
頭の悪さに笑うよ。 >>952
「コロナが怖かったんですが、大乗の教えを聞いて安心しました!」が役に立ってることになるんだ…。
俺の中では、そんなの役に立ってないだろ、だったが。
まあ、そう言われると、そんなんでも役に立ったと言えるという見解もあり得るか。
俺とは会話で使う言語の解釈がずれてるな。
お前の解釈とのスレがあったことを認めよう。 大乗の致命的欠陥。
悪しき者、愚かな者を救う手段が何も示されていないから、一切衆生を救うことなど不可能。
一切衆生を救うと謳う以上は、信者である必要もなくなる。信者以外は救わないんじゃ、一切衆生を救うというお題目に反するからな。
信者でなくてもいいとなると、欲望に溺れ快楽を楽しんでいても救われる。節制の教えは何のためにあるんだ?となってしまう。
ま、JAP大乗生臭坊主は酒飲んで、SEXしてるから、坊主からして快楽を楽しんでいるとも言えるが。
>>953
・・・いい加減、しつこいよ😯
馬鹿じゃあるまいし。 >>955
しつこく絡んで来てるのはお前だろ。
論破され過ぎて頭おかしくなったか? >>949
相も変わらず、
偽善が臭う。
くさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。 >>957
それは君の足の臭いだ。
人のせいにするなよ。 >>956
もうそういうデタラメはやめようよ。
あなた、大乗仏教の護教的弁明のかませ犬とか当て馬のポジションでしょ? >>960
お前が途中からこのスレに来て粘着してるだろ。
過去ログあるんだからばれる嘘はみっともないぞ。 >>961
いや、とどのつまり信仰の問題なのに、そういう事を考えないで変なスレをたててるから。
護教的弁明をしてるだけだよ。 >>958
桃太郎というコテからして、
偽善のにおいが、
くさーーーーーーーーーーーーーーーーーい。 >>962
だったら失せろよ。
自分から粘着しておいて、粘着されてるとか被害妄想がひどいな >>963
それは君のパンツの臭いだよ。
何日も風呂に入ってないからそうなるんだよ。
不潔な男はモテないぞ。 >>966
だったら、論理的に弁護してみろよ。
お前はいつも論破された発狂してばかりで、大乗のイメージがどんどん悪化してる。 >>965
正義の味方かよ。
偽善の臭いーーーーーーーーーーーーーーー強すぎ。 >>970
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
>(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
この一句で終わり。
瞬殺終了。
合掌 >>971
ロジックを説明できないのに、瞬殺連呼してんのは呆れる。 .
何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
この一句でスレタイは瞬殺終了
合掌
>>954
その指摘は全く的外れ。
仏教はそもそも「善悪」を判断基準としていない。
現代の価値観で「悪人」だった仏弟子もいたし、「悪人を救う」という概念はキリスト教的な視点。
というか、マトモな仏教教学を知ってれば、日蓮のやらかした事で仏教を語ったりしない。(笑)
これでは論破ではなく、無知を晒してるだけです。
(^。^)サッカーの話してる最中に独りだけアメフトの話をしてるようなもの。(笑) >>969
「革命作家 魯迅先生を語る」より
−−−−−−−−−−−−−−−
一般によく「低俗な批判には取り合うな。自分を相手と同じレベルに下げてしまうから」と言われる。
しかし、魯迅先生は違った。
「賤しい奴らの中には、汚物を人に投げつけては、「向うはきっと相手になるまい、手を出せば、自分のほうが人格をおとすことになるのだから」と考えているのもいる。
だが、私は元通りに投げかえしてやる。もし、向うが投げてよこすならば」
−−−−−−−−−−−−−−−
要するニダ、「糞レス」には「糞レス」で投げ返す。
これが、品性下劣な相手に対する対話の「王道」だ!(笑
「糞レス」考えるのも、なかなか大変なんだぞ。 >>975
初期経典に書いてあるぞ。
このスレ読み直してからレスしろ。無知を晒してるだけだ。 >>976
論理で返せないから、駄レス返してるだけだろ。 >>976
こういう連中は、本来の仏教徒とはかけ離れた姿で、
戒律や先人達の遺徳を全く知らないエセです。
(^。^)まぁ、日蓮だし。(笑) >>977
初期経典で、弟子達に向けた話として、だろ?(笑)
お前さんは、講演する時には、聴衆より居ない人達を持ち上げるのか?(笑) >>980
意味不明だな。まともなロジック書けよ。 .
何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
この一句でスレタイは瞬殺終了
合掌
.
「何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
この一句でスレタイは瞬殺終了
合掌
.
「何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」
(『増支部経典=アングッタラ・ニカーヤ』)
この一句でスレタイは瞬殺終了
合掌
>>954「大乗の致命的な欠陥(中略)悪しきもの、愚かなものを救う手段が示されてない」
>>975「仏教では善悪を判断基準としてません」
>>977「初期経典に書いてある」
>>980「あー、初期経典にね、はいはい。」
(この人が「読んだ」初期経典には、大乗仏教の致命的な欠陥とやらがかいてあるらしいから、適当に合わせておこう)
「そこには、釈尊が誰にお話してたことにかってるのかな?お弟子さんたちでしょ?じゃあ、お弟子さんたちを持ち上げて、大乗仏教を落としめたんだね。
君でも、お友達と話す時は、目の前のお友達を悪く言ったりしないよね?」
>>981「よくわかんなーい」
(^。^)僕も君の考えはよくわかんなーい。(笑) >>985
愚かだなあ。
「賢者の説いた、意義ある一つの句でも、目的を達するものであるが、しかし愚者にとっては仏の説かれたすべてのことでも、目的を達成するには至らないであろう。」
「善き人と交われ。悪しき人と交わるな。」
だーから、スレ読み直せと教えてあげただろ。 >>986
人にモノを教えるときには、先ず実践して見せなきゃだめだよ。(笑)
こんなところで、あんな連中相手にして、
「悪しき人にマジワルナ」
とか書かれてもねぇ。(笑)
(^。^)愚かだなぁ、って思われちゃうかもよ?(笑) >>987
すごい悔しがってるなあ。あー、君のこと分かっちゃったよw。 あれ、なんか最後に関係ないリンク張り付いちゃったよ。
>>945
おかしいなんてどこに書いてある?
そういう脳内編集がお前の致命的な欠点なんだよ
余計な事を付け足して大事な所が抜けてるから学問でも仕事でも失敗続きで上司や先輩や仲間の言うことも聞かないから失敗してもそら見た事かと笑われるだけだろうな
キリスト教も教会で結婚式を挙げたから信者なんて乱暴なカウントはしないし 仏教にしてもそうだが入信の儀式というのが有るからな
要するにお前の育った家は伝統宗教と無関係だから肝心な事に無知って事だろ? >>947
お前の言う都市部って その田舎土人が集まる東京限定だろ?
新しい建築物が建つ度にお詣りみたいに集まる連中が揃ってる…
そんな所でも伝統宗教の寺院は有るから それなりに信者はいるけど 無宗教教や新興宗教の信者から隠れる為にひっそり生きてるかと思うと不憫だな >>986
お前は仏典の全てを読んでも目的を達成出来ないってブッダに言われてるんだよ
それを大乗だとか自分を否定する人間に振り向けて自分以外はと経典にない事を付け足してるからいつまで経っても釈迦の説いたゴールが解らずに同じ所をグルグル回ってるだけ
釈迦の説く苦の根本的な原因は己に有るから我を滅しなさいと言われてるのに他を滅ぼしてその上に座ろうとするからそんなんじゃ駄目だよって優しく言われてるのな 仮想敵を設定して戦う宗教や宗教感覚は必ず滅ぼされる
勝手な大乗批判を展開してるどっかの部派仏教の名残も同じ事
あらゆる宗教はいつか必ず滅びる定めにある
人類は永遠ではないからだ
同じように物事にも必ず終わりが有って 一切衆生はいつか必ず滅度する
あらゆる物事が滅びた後には苦も苦を受ける者も共に存在しない
lud20221007021956ca
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