「これからは自動車と空路の時代」と反対され、新幹線が実現しなかった日本の物語を語るスレである。
休校続きで殆ど通学してないのにもう夏休みとか関西余裕コキ杉
東京コンプレックス+犯酷スーパーうんち垂れ流し土民師匠の>>1、
ま〜〜〜〜た下らないスレ立てて楽しいか? 全国で583系使用の寝台電車が走り285系は作られなかった
新快速が岡山まで延びたor神戸〜岡山間の特急が出来ていた(notはくといなば)
関西線の加茂亀山間は電化+加太越え迂回ルートがつくられ急行がバンバン走っていた
東海道線は短絡線をあちこちに作っただろう
静岡県内は御殿場線みたいな路線があと2〜3個くらいできてそう
モータリゼーションが今以上に進んで高速道路網が今以上に発展し結局夜行列車、寝台列車はごく一部を除き無いだろうし東京大阪発着の特急ぐらいしか残らない
その煽りもあり都市圏以外の鉄道不要論が加速して全国で廃線が進んでいる
阪急上牧から阪急大山崎の辺りが高架になっていた
御堂筋線の東三国と西中島南方の間に駅はなかったor宮原駅になっていた
(神戸)西神・山手線の起点(終点?)は三ノ宮駅になっていた
谷上駅まで長いトンネルになっていた
鳥飼車両基地は田んぼor民間の工場になっていた
博多南線は狭軌で造られたor何も造られず更地のまんまだった
盛岡駅在来線ホームが高架化し駅ビルの規模が更に大きくなっていた
そもそも自動車と空路の時代っていうなら史実以上に鉄道の衰退は激しくなってたのでは?
>>1はロマンがあるな
だがしかし、何事も繁栄と衰退はセットなわけだが
その山が急激かどうかなだけで・・。 >>13
ほぅ・・なるほど・・。
つまり
>>11のうち
上牧ー大山崎は高架にはならずに地上のまんまで
御堂筋線も中津から先は造られなかったと・・ 45−47協定が健在でLCCの国内線は存在しない。
国内線に 747が未だにバンバン飛んでいるが、1000人乗りの380への置き換えが進んでいる。
東京〜仙台、大阪〜広島などは会社の金で乗るなら飛行機、自分の金で乗るならバスが当たり前で鉄道はやや中途半端な立ち位置になるが、それでも特急が毎時2本くらい走っている。
伊丹は4発機降りられなくなってるから、大型化もできないし飛行機は本数増やすのも大変だしで、詰んでそう
天王寺の短絡線が無いことになるので
くろしおは天王寺発のままになる
はるか(若しくは別の特急名称)は阪和貨物線、大和路線、奈良線経由になっていた
それにより15-18番ホームは大和路線専用になるので
大和路快速の増便が10年早くはじまっていた
>>19
関空建設は何年早まっていた?
セントレアはもっと早かったと思う? 新幹線から在来線へ流用されてる技術もあるだろうし20年ぐらい技術も遅れてそう
明治時代からの懸案だった在来線の標準軌が捗る。ボトルネックな区間は新線で。
TGVと変わらないな
大阪駅と東淀川駅の間に駅がつくられることはなかった
品川駅(JR)は在来線のみの駅だった
GALA湯沢は自動車で行くしかなかった
「はやぶさ」といったら九州方面の寝台列車の名称でしかなかった
標準軌に改軌した在来線を高速列車が走る
イギリスのHSTやアメリカのメトロライナーみたいなのが
線形が良い区間で200km/h走行する
一瞬だけ200km/h出してあとは120〜160km/hで走行
大阪発着「しなの」はもう少しだけ長い期間運転していた
そもそも東海を作る必要も無かったから民営化は豊橋か浜松で東西に分裂されてた
何にしても名古屋本社の東海はあったと思う
NEXCO中日本の範囲で
まあ西だったら広島岡山のように凄まじく冷遇されるから反発されただろうし
名古屋と大阪は水と油だから
とはいえ東に含まれていたら、DE10が50系引いてるイメージ
いきなりリニアに進化。
1970年代半ばに東京〜新大阪、80年代に博多まで開業
田中角栄が上越リニアを建設させようとするがロッキード事件で頓挫、計画自体がなかったことに。
東北リニアは消滅した上越リニアの予算を流用して札幌まで開業。
世界も高速鉄道なんて概念がないからTGVやICEやAVEらは開発されなかった
フランスなどでは160km以上の営業運転はされてたから今の様に在来線にバイパス作って高速鉄道化はされてただろ
そもそも日本は戦前から東京〜下関に標準軌の弾丸列車構想があって建設が始まっていたからね
>>15
少なくとも西中島南方と東三国の間には駅は作ってた
もしくは
南方から千中まで阪急の線路だろ 夜間10−15分間隔でブルトレ寝台列車 普通列車長距離20−30分間隔
東海道本線ー山陽本線通し運行
昼は10−20分間隔で特級・急行頻繁運転 荷物列車 貨物が入る
S39時代のまま 地方はキハ58急行 多層建て急行 夜行も健在だった
貨客混合ディーゼル、電車(客車ではない)が開発された。
貨物車にパンタグラフ
長距離特急や貨物を逃がすために品川〜小田原、山科〜新大阪〜明石の史実に近いルート高規格の路線とか作られてそう
上越線 信越本線
185系量産されていたな
15−30分間隔運行 夜行も健在
早朝長野駅乗り換え、新潟駅乗り換えは
国鉄時代にみられた。
>>35
ドイツのラインゴルトやイタリアのセッテベロも新幹線開業前に160kmは出してたな 新幹線が実用されて無くとも
戦前から構想されて着工されてた弾丸列車があったから
バイパス別線で高速化はされるのは自然の流れでしょ
まあ、直通を考慮して国電を除く在来線が標準軌化された可能性が有るけど
田中角栄により日本初の160km/hは上越線。
振り子式でゲロ
近鉄よりも
関西線が複線電化されて準急や急行や特急が走っていただろう
北海道 気動車不足
12系 14系客車からの改造は急ピッチで
実施されたな。
勾配区間DD51補機後押し: エンジンの響きが楽しい
新幹線の無いJR東海
名松線、飯田線、紀勢線多気以南廃止不可避
コロナによる鉄道赤字額は史実より少なかった。
史実より空港が多い航空会社が即死w
東京ー姫路間に夜間快速143列車が復活 普通列車用寝台連結
ながら 青汁ながら 安泰
とは言え今だに昼夜兼用新型車両がある
西鹿児島→東京 はやぶさ
東京→秋田 いなほ
東海道線は特急急行貨物優先で普通電車は30分に1本のみ
通勤は苦痛の極み
普通列車が史実の高頻度化の真逆を行っていたな
市内・郊外交通は完全にバスが覇権を取る
長距離輸送も高速バスに流れ出した頃に対抗して特急をべらぼうに安くして普通列車廃止1000人以下の利用駅は廃止廃線
結局不便になって幹線系も貨物専用化
新幹線が標準軌ではなく狭軌(スーパー特急)で建設された場合の鉄道事情が興味ある。
長崎スーパー特急新線は佐賀県内で揉めることは無かっただろうか。
東京神戸の東海道線とか中央東西線は東海の管轄だろうね
東北方面 夜行荷物列車に客車数両増結した
夜行急行列車 寝台急行がいまだ現役
新聞積み下ろしで小駅運転停車を繰り返す
東京ー大阪 夜行急行一部寝台車
銀河がビジネス用に残っていたかも:
大垣夜行 救済 青汁1 青汁2 青汁3臨時
夜間快速 113 115系は潰されていなかったかも
現、愛知環状線や城北線に貨物がばんばん走ってると思うし、小田原〜大船の貨物線にも旅客列車が大量に走っていると思う。
それよりも東海道本線の静岡を含めて大半が複々線になっていたと思うな。
在来線の特急「こだま」は、東京→大阪を5時間ぴったり、表定110キロまで成長していたに違いない。