【6月23日 AFP】古代ローマの将軍・政治家ユリウス・カエサル(Julius Caesar)が紀元前44年に暗殺されたことをきっかけに20年近く権力闘争が続き、共和政ローマの崩壊と帝政ローマの興隆につながった。
史料によると、この時期、異常な寒波が続き、飢饉(ききん)も広がっている。その原因は、現在の米アラスカ州の火山噴火が原因だった可能性があるとする新たな研究結果をまとめた論文が22日、米科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された。
科学者と歴史家が集まった国際的な研究チームは、北極の氷床コア(氷床を掘削した氷のサンプル)に含まれるテフラと呼ばれる火山噴出物を分析し、地中海地域で原因不明の異常気象が続いた期間と、紀元前43年に起きたアラスカのオクモク火山(Okmok Volcano)の噴火との関連性を調べた。
米ネバダ州リノ(Reno)にある砂漠研究所(Desert Research Institute)所属で、論文の筆頭執筆者のジョー・マコネル(Joe McConnell)氏は、「地球の裏側にある火山の噴火によってローマ人とエジプト人(が築いた共和政ローマと古代エジプト王朝プトレマイオス朝)が事実上滅亡し、帝政ローマの台頭につながった証拠を発見するのは、非常に面白い」と述べ、「2000年前でも、世界がどのようにつながり合っていたかがはっきりと分かる」と続けている。
研究チームは、2件の噴火事例の特定に成功。噴火は激しいが局所的かつ短期間で収まった紀元前45年前半の事例と、それよりはるかに規模と範囲が大きく、2年以上も火山灰が降り続けた紀元前43年の事例だ。
北極の氷床コアから見つかった2回目の噴火による火山噴出物のサンプルを地球化学分析したところ、過去2500年に起きた中で最大級の噴火、オクモク山が噴火した際の火山灰と完全に一致した。
■噴火後の2年間、気温が最も低かった時期に一致
研究チームは、北欧スカンディナビア(Scandinavia)地域の気候の歴史を刻んだ木の年輪から中国北東部の洞穴の生成物まで、仮説を裏付けるさまざまな証拠を世界中で収集した。このデータを気候モデルで分析したところ、オクモク山の噴火後の2年間、北半球の気温がこの2500年で最も低かった時期に重なっていたことが分かった。
噴火後の夏と秋の平均気温は標準を7度も下回り、秋の降雨量は欧州南部では通常の4倍に達していたと考えられる。合わせてこの時期には、平野を潤すナイル川(Nile River)の氾濫が起きず、その後、病気や飢饉も発生した、と米エール大学(Yale University)の歴史家ジョー・マニング(Joe Manning)氏は付け加えている。
この時期には、太陽の周りにかさが懸かり、太陽が暗くなったり、あるいは太陽が三つ見える幻日と呼ばれる現象が起きたりするなど、異常な大気現象が記録に残っていることも、火山の噴火で説明がつくかもしれない。ただし研究チームは、観測事例の多くはオクモク山の噴火より時期的に早いため、紀元前44年に起きたエトナ山(Mount Etna)の小規模噴火が原因かもしれないと指摘している。
マコネル氏は、共和政ローマと古代エジプト王朝プトレマイオス朝の崩壊にはさまざまな要因が絡んでいるが、中でもオクモク山の噴火は重要な役割を果たし、これまで歴史家を悩ませてきた謎を解明するのに役立つはずだと述べている。(c)AFP
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