1年前に終了した南スーダンでの自衛隊のPKO活動で、NHKは、派遣された部隊がまとめた自衛隊の内部文書を入手しました。文書には、おととし7月、現地の政府軍と反政府勢力の間で大規模な武力衝突が起きたときに、自衛隊の宿営地でも「25発の弾頭、施設に弾痕等9か所の被害を確認」などと記され、戦闘の渦中に置かれた宿営地内部の詳細が初めて明らかになりました。
去年5月までおよそ5年半にわたって続いた南スーダンでの自衛隊のPKO活動について、NHKは、現地の派遣部隊が日報などをもとに取りまとめた「成果報告」を情報公開請求で入手しました。
入手したのは、おととし7月、現地で大規模な武力衝突が起きた際に派遣されていた10次隊の報告書で、一部が黒塗りになっていますが、さらに取材を進めたところ、その部分に記された宿営地内部の詳細が初めて明らかになりました。
それによりますと、現地の政府軍と反政府勢力が自衛隊の宿営地を挟んで南北に分かれて機関銃や小銃などを撃ち合う形になり、隊員たちは「2度にわたりコンテナへの退避を実施」していました。
その後、事態が収束した際に宿営地の状況を確認したところ、「小銃、機関銃等の25発の弾頭、施設に弾痕等9か所の被害を確認」したと記述され、宿営地の広い範囲で被害が確認され、隊員が寝泊まりする居住区にも及んでいたということです。
さらに、「流れ弾による屋根の被害に留まらず、直射弾による側壁等の被害を3か所確認」したことも記され、当時、隊員たちは戦闘の渦中に置かれていたことがわかりました。
また、事態の収束後、警備などを担当した隊員を対象に「惨事後ミーティング」という戦闘後の精神状態を確認する面談が行われ、「事案時、孤立し恐怖心を強く感じた隊員」や、「事案後イライラ感を強く示した隊員」、「睡眠障害を訴えた隊員」がいたことも記録されていました。
この武力衝突について当時、政府は「発砲事案が発生したことをもってPKO参加5原則が崩れたとは考えていない」などとして、自衛隊の派遣を継続しました。
そして、5か月後のおととし12月、派遣部隊に対し、安全保障関連法に基づき、「駆け付け警護」などの新たな任務を付与しましたが、武力衝突時の宿営地内部の詳細が明らかになることはありませんでした。
PKOや紛争地の平和構築に詳しい上智大学の東大作教授は、自衛隊の海外派遣の在り方を広く国民が考えていくために政府が必要な情報を出していくことが重要だとしたうえで、「南スーダンのPKOは相当リスクの高い現場での活動になったので、そこで得た経験や教訓は次のPKOに参加する場合の財産にもなると思う。現地で起きたことをほじくり返すということではなく、きちんと内実を国民に伝えて自衛隊の活動について議論していくことが非常に重要だと思う」と指摘しています。
公開進まない南スーダンPKO
南スーダンPKOをめぐり、今回、明らかになったおととし7月の武力衝突の状況については、日報問題でも注目されていました。
日報問題で情報公開請求に対し、防衛省が「すでに破棄され、存在しない」として非開示としたのは、この武力衝突が起きたおととし7月7日からの6日分の日報でした。当初、防衛省は陸上自衛隊には存在しないと一貫して説明していましたが、実際には保管され、組織ぐるみで隠蔽していた事実が明らかになりました。公表された日報には、「政府軍の攻撃ヘリや戦車の動きを確認」など、武力衝突の際に自衛隊の宿営地の周辺で確認された状況が記され、悪化する治安情勢の推移がわかる内容となっていました。
今回、新たな内部文書が情報公開請求で開示されましたが、宿営地内部の被害や当時の隊員の状況など黒塗りになって伏せられている部分が多くなっています。
しかし、南スーダンPKOと同じように、現地の治安情勢が注目された自衛隊のイラク派遣では、迫撃砲弾などによる宿営地内部の被害の状況は事案が発生した直後に公表されていました。
イラク派遣では、自衛隊に関する被害の状況は宿営地の警備体制や隊員個人に関する情報を除いて、できるだけ早く広報する体制がとられていて、今回の対応の違いが際立っています。
派遣された隊員「議論し 検証を」
現地に派遣された10次隊の隊員は当時の状況について「銃口が自分の方向に向くほど乾いた音になり、その音量も大きくなり、衝撃も来る、その音が怖かったです。銃声がすぐ近くで聞こえていて、もしかしたら弾に当って、当たりどころが悪ければ死ぬかもしれないと当時、考えていました」と証言しました。
続きはWebで
NHKニュース
5月25日 19時22分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180525/k10011452931000.html