公明のチラシには
コロナ対策も給付金も
公明党がいたからと自画自賛
共産党とともに無くなってほしい政党
自公共に議員でなくなれば獄中行きのねつ造、改竄、賄賂だらけww
池田犬作の迷言 ★脱会信者は自殺するまで追いこめ!
(別冊宝島「日本を動かす巨大組織の裏側」60ページ。公明党の福井県会議員、田賀一誠の証言)
.
矢野元公明党委員長「公明党が与党連立するのは、学会への税務調査を阻止するため
」
tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1246450872/
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在日参政権は、池田犬作の半島布教請願から始まった!(04年10月25日 静岡新聞〜屋山太郎)
> 在日参政権は、池田大作が金大中に半島での布教禁止の取り下げを求め、
> その見返りに日本での在日参政権を実現するとの合意がされたのが始まり。
.
民団、在日参政権を得るため、ミンスと犬作公明を支持(08年11月26日 民団新聞)
www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?corner=2&page=1&subpage=3199
大人はもう頼りにならないから18歳以下に10万円ばら撒くよ
公明じゃなかった公明党 看板に偽りあり 山口代表 不作為でこのままじゃ日本はもう直ぐ特亜に食われてしまうぞ〜
池田犬作の迷言 ★脱会信者は自殺するまで追いこめ!
(別冊宝島「日本を動かす巨大組織の裏側」60ページ。公明党の福井県会議員、田賀一誠の証言)
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矢野元公明党委員長「公明党が与党連立するのは、学会への税務調査を阻止するため
」
tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1246450872/
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在日参政権は、池田犬作の半島布教請願から始まった!(04年10月25日 静岡新聞〜屋山太郎)
> 在日参政権は、池田大作が金大中に半島での布教禁止の取り下げを求め、
> その見返りに日本での在日参政権を実現するとの合意がされたのが始まり。
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民団、在日参政権を得るため、ミンスと犬作公明を支持(08年11月26日 民団新聞)
www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?corner=2&page=1&subpage=3199
裏人間革命(1)
世の中の矛盾や不正義を正すのが「革命」という言葉の本来の意味だとすれば、
創価学会の掲げたスローガン「人間革命」は何を正したと言うのだろう。
私は学会2世で生まれた時には既に学会の中にいた。
両親は昭和30年代に入信したらしく、懸命に組織活動に参加し、選挙を応援している状態だったのだ。
幼い頃から母親に付いて座談会や唱題会に参加し、聖教新聞や大白蓮華を読んで学会の思想に
触れていた私は昭和40年代から平成10年代頃まで内部から学会の組織を見、様々な活動にも参加してきた。
少なくとも昭和40年代の創価学会は燃え立つような正義感に溢れていたが、現在はどうだ。
かつて掲げていた「反権力」、「反公害」、「反戦反核」というような主張はどこへ消えたのか。
今や自民党ベッタリの政権与党である公明党へ無批判に選挙協力を行い、水俣病患者の訴えを
門前払いにし、アメリカの戦争に諸手を挙げて賛成してしまっている。
事は政治分野だけに収まらない。
自ら「師弟不二」という宗教的スローガンを掲げながらも、師である池田大作名誉会長の行方が
数年に渡り、皆目見等つかないという心もとない状態なのである。
まるで矛盾だらけの主張と行動はどういう事なのか。
「勝利」とか「前進」とか掛け声倒れのスローガンはもういいから、この辺で変節と
失敗を認め、組織としての軌道修正を行なうべきではないだろうか。
少なくとも600万人近い会員を擁し、政権与党を保有している社会的影響力について
本部幹部はよく考えるべきだろう。
会員の信頼に応える為に何をするべきかをだ。
革命するべきは本部幹部の精神そのものだ。
(2)へ続く
裏人間革命(2)
そもそも公明党の過ちが始まったのは今日今の話では無い。
既に昭和45年(1970年)1月の段階で「言論出版問題」を引き起こしている。
(ちなみに公明党が結党されたのが昭和37年(1962年)なので、僅か8年後だ。)
その内容は藤原弘達氏の「創価学会を斬る」という書籍に対する出版差し止め圧力が表面化したもので、
公明党の竹入義勝委員長が、自民党の田中角栄代議士を通じて工作したという。
それを共産党と当時のマスコミに叩かれたのが「言論出版問題」だった。
さらに同じ年の7月に「共産党宮本邸盗聴事件」まで引き起こしている。
これは共産党の動きを監視する為に同党委員長だった宮本顕二氏の自宅に盗聴器を設置しようとして
見つかり、事件化したものだった。
出だしから後ろ暗い政界工作と陰謀の党だったわけだ。
そんな創価学会・公明党が自民党にとって役立つ時もあった。
1960年代後半から水面下で続けられていた日中国交回復に向けた動きである。
当時の中国は毛沢東に率いられた文化大革命の真っ只中、アメリカとはベトナムで交戦中であり、
日本にとっても安全保障上の脅威と考えられ、佐藤内閣当時に中国を念頭に置いた核武装計画まであったらしい。
これでは到底、国交回復など叶わぬ夢でしかないと思われたが、意外な方向から話が変わり始める。
それはアメリカ・ニクソン政権当時の国務長官だったキッシンジャー氏の「リンケージ戦略」だった。
同氏の考えはソ連に対する包囲網を形成する為、中国を西側に引き込むというものだったが、
前述の通り、中国は北ベトナムを助け、ベトナム戦争に派兵していた為、アメリカが直接中国と交渉できる環境ではなかった。
そこで日本という裏口を通じて中国を西側に引き込もうと考えたらしい。
だが自民党政府が表立って動くわけには行かず、代役として創価学会の池田大作会長が選ばれた。
(3)に続く
裏人間革命(3)
60年代後半から70年代前半辺りの学会の記録物を見ると当時の池田先生が
中国やアメリカの要人と頻繁に会見していたのが解かると思う。
それは日中国交回復(裏の意味は中国を西側に引き込む工作)のメッセンジャーとして走り回っていたからだ。
中国側にも国交回復を望む止むに止まれぬ事情があった。
文化大革命と言われる紅衛兵と走資派の内戦で生産設備の大半が破壊され全土が極貧の状態に陥っていたのだ。
そこで日本から資本と工業力を導入して復興を図ろうと考えたのだろう。
アメリカ、中国の思惑と、貿易利権が欲しい自民党政権(表面的には反共だったが、水面下では中国との
密貿易を行なう代議士までいた。LT貿易で調べてみるといい。)の使い走りとして便利に使われていたのが
当時の池田先生であり、創価学会だった。
こんな権力の走狗そのものの働きをしていながら、先生は当時の男子部、学生部に対して
「権力の魔性」だの「第六天の魔王(仏教でいう「他化自在天」。他人を自由に操るのに
無上の喜びを見出す心の働きを示す言葉。)」だのと言い、反権力を気取った。
その結果、60年代後半に「新学生同盟(新学同と言われる。)」という当時最大規模の学生運動が生まれたが、
何が気に食わなかったのか解散させられ、その存在は長年封印された。
この運動で散々な目にあった人もいたというのに酷い話だ。
まあ先生の努力の甲斐あって1970年代に沖縄が本土復帰し(これにも裏事情があり、
アメリカは復帰前の沖縄に核巡航ミサイル「メースB」を配置していたが、中国がそれを
脅威と見て「核抜き」の沖縄返還を要求したらしい。「メースB」は撤去されたが、
同等以上の威力を持つミサイルがB52戦略爆撃機に搭載された為、中国にとっての脅威は去らなかった。)
、日中国交回復も実現、田中角栄総理に大きな利益をもたらした。
(4)へ続く
裏人間革命(4)
田中内閣当時の自民党にとって便利に使える駒だった創価学会・公明党ではあるが、
その内部では利権を巡る暗闘が繰り広げられていたようだ。
昭和52年(1977年)に発生した山崎正友事件、第2次宗門問題がその表れである。
これは顧問弁護士で学会の内情に詳しい山崎正友氏が76年頃から宗門を煽り、
さらに自民党とマスコミをそそのかして学会叩きを画策、金をせしめようとした事件として記録されている。
ただ自民党は手駒を捨てるのが惜しかったのか山崎氏の話に乗らず、創価学会会長だった池田先生が
勇退し、名誉会長になっただけで終わった。
しかし学会が一枚岩の団体では無く、きな臭い火種を抱えている事が表面化したのも事実だ。
(山崎氏が宗門に吹き込んだ「学会が新しい教義と本尊を作って独立」という話は、
91年の宗門からの分離で実現されてしまった。)
池田先生に代わって4代目の会長になった北條浩氏は問題解決に奔走したが1年後に死去、
5代目会長に秋谷栄之助氏が就任する。
中央がこの有様なので地方も乱れ始めるのが1980年代だった。
昭和62年(1987年)に発覚した公明党・田代富士男参議院議員による
大阪・砂利運搬船事件である。
これは全国砂利石材転用船組合連合会会長からの贈賄工作で内閣への質問主意書を提出するという
経済事件だった。
公明正大という掛け声とは裏腹に、およそ不公正な実態が垣間見えた一瞬である。
さらに翌年、昭和63年(1988年)は公明党が民衆を裏切る大きな事件が発生した。
消費税導入を巡る強行採決である。
(5)へ続く
裏人間革命(5)
当時、消費税導入を巡って政界は大きく揺れていた。
当然租税を徴収される側の国民にとっては反対意見が主流だった。
話し合いで決着が付く問題では無く、野党が審議をボイコットする中で
公明党だけが審議に応じ、自民党に民主的採決という口実を与えてしまった。
とんだキャスティングボード戦略もあったものだ。
(キャスティングボード戦略というのは1986年頃、公明党の矢野委員長が言い出したもので
与野党伯仲の政治状況を利用し、公明党がいずれかに付く事で有利に働こうという話だった。)
消費税3%が導入された背景には自民党とズブズブの関係だった公明党の手助けが存在していた事を忘れてはならない。
今でも読者諸氏を苦しめている消費税は半分公明党の所為なのだ。
さらに平成元年(1989年)になると矢野委員長の連座した明電工事件が発覚、
公明党のクリーンイメージは大きく損なわれる。
こういう贈賄による工作事件が個人の力だけでなんとかなる筈も無いので複数の人物が
関わっているのは予測できるが明電工側が処罰されるだけで幕切れになった。
大方、自民党の力で助けてもらったのだろう。
まあ名前の出てしまった矢野氏は委員長を退任する結果になったが。
その公明党の母体である創価学会にも黒い金の動きがあった。
同年7月3日、横浜市内の廃棄物処理場から現金1億7千万円の入った金庫が見つかり、
それが創価学会専務・中西治雄氏の所有である事が判明したのだ。
どうやら何らかの裏金を処分に困って捨てたものらしいが、詳しいことは一切解からなかった。
本来、学会に対する財務の一部であり会員に対して説明が行なわれるべきだが
聖教新聞には一行の説明すら載らず、ただ中西氏を処罰した事だけが記載されていた。
(6)へ続く