英雄色を好むといわれ
同時代の名高い武将の多くが何人もの妻妾を持ったのに対して
謙信公は妻妾を一切持たず、子供を一人も作らず、それらとは正反対の生き方をしました。
子種を残すのが第一の戦国時代で彼は何故生涯不犯を貫いたのでしょう?
性的不能だったから
これが一番現実味があると思う。
直江実綱の娘
近衛前嗣の妹「絶姫」
千葉采女の娘「伊勢姫」
のうちの誰かに振られたショックで女嫌いに
近衛前嗣の書簡に
夜、足利義輝と上洛中の謙信が「華奢な若衆」を連れて
押しかけてきたうえ、死ぬほど大酒飲んで「若衆好きです」と言って帰った。
ってあるから、多分真性ゲイだったんじゃないか?
それかもしかしたら女かどっちかだろう。
あの時代、側室も設けなかったら、家臣団が一斉に
「頼むから世継ぎ作ってくれよ」と泣きついてた筈なんだが
そういう記述もないしなあ。
異性より衆道に関心があったから。
究極のオナニストかもしれんぞ!
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
謙信は兄と争った事を、ずっと後悔していたらしい。
妻帯しなかった理由には、兄に対して筋目を通そうとしたこともあげられるのではないか。
>>14
確かに幼少の頃は林泉寺で育ったし
僧の稚児文化みたいなものは目の当たりにしてたはずなんだよなあ。
仏門では女色は禁じたが男色は禁じてないし。
法名やら位階やら貰ってるから仏門の影響で
女犯を冒さず稚児とのみ性交渉したのかもな。 >邪淫戒
数ある謙信の願文に、このフレーズが皆無なところに
真言密教の「邪淫戒説」は危ういんだよな。
同じく、飯綱権現の女色忌避説も、謙信の願文にまったくはないし。
じゃあ、やはり近衛前久の言うとおり
ただ単に稚児が好きだっただけなんかね。
それも無名の。
愛人やら恋人と目された女性説は全てフィクションだし
逆に謙信の稚児だった人間の名前は信玄と高坂昌信のように
具体的にはあがってないし、本当に謎の性癖だよな。
ゲイだったのか、不能だったのか、半陰陽だったのか、女だったのか、
どれとも取れる。
×愛人やら恋人と目された女性説は全てフィクションだし
○愛人やら恋人と目された女性との交渉説は全てフィクションだし
すまん
謙信は24歳の時に紫野大徳寺に参禅し、
宗九禅師から三帰五戒を授かり、『宗心』という僧名をもらっています。
そして律儀な謙信は、本気で戒めを守ろうとした。
その証拠に、三年後、突如出家を発表しています。
武将としての人生を捨てて、一回の僧として余生を送ろうとした。
越後国内は動揺して、家臣の説得により思いとどまりますが。
出家できなければ、殺生戒は守れない。
それならば、せめて邪淫戒だけでも守ろうとしたのでは。
謙信が畠山の未亡人を家臣の北条景広に娶わせようとした書状には
「出家の身分として、かかる世話、いかがかと思へども」
と、仏に仕える身として恐縮している様子が描かれています。
関東一の美少年といわれた景虎を愛していたんだから、やっぱりホモだからじゃないだろうか。
景虎、御館の乱で死亡した時も26歳の若さだったし
養子に来た時は17歳か。ウホッと思ったかもしれんね。
しかし、自分の名を与えるわ、妻まで斡旋しちゃうわと物凄い厚遇振りだな。
自分の同性愛の相手が異性と付き合っても
あんまりトラブルにならないどころか結構、斡旋してるのね。
同性愛相手が他の同性(変な言い方だが)と付き合うと嫉妬で
トラブルになるんだが。
景虎は13歳で北条幻庵の娘と結婚して
越後に来るために17歳で離縁しているから
可哀相とでも思ったんだろうね。自分の姉の娘を嫁がせたんで絆が深まるし。
「それはそれ。これはこれ」だったんじゃないだろうか。
嫁はん、たまったもんじゃなかったかもしらんが。
エカテリーナ方式かもしれん>用済みになったら、厚遇して引退させる。
景虎優遇は普通に自分の作った子供がいないからそのぶん養子といえど我が子のように愛し養っただけだろう。
謙信はけっこう世話好きなやつだから純粋にこういった感じだったのではないかと思います。
マザコン説を唱えてみる。
海音寺潮五郎にすっかり騙されて謙信の母の虎御前は
謙信が幼少のうちに亡くなったと思っていたんだが
永禄十一年(1568年)、謙信三十九歳まで存命している。
宗教心に篤くなったのも母親の影響のようだし
マザコンのゲイというのは現代でも一つの典型としているよな。
三島由紀夫だったり、アンディ・ウォーホルだったり、
パゾリーニだったりと。
(●ω・`)
男色説、片想い説、不能説、子に家督を譲らない為説、女性説、あるが有力説は信仰説とある
飯綱の法と言う術が使える様になるからだとある
戦国武将 闇に消されたミステリー からより
それ忍術紛いじゃんw
つか信仰説の場合、
当時の僧は皆不犯のために稚児を寺に囲ってたわけで
男色説とは全く矛盾しないよ。
(●ω・`)ゲームだと髭がむっさい、ごっつい親父だもんな男好きなんだと思うよ儂も
(●ω・`)ちなみに儂は謙信公より上杉鷹山公の方が好き
さて、ここで新たな異説を持ち上げてみようか
上杉謙信、雌雄同体説
上杉公の領地が安定した頃、配下の者達は後を継ぐものを作るべきだとせっついた。
それから数日後の朝、謙信公を小島が起こしにいったところ何故か布団に二人いた。
起こしてみたところ、片方が上杉謙信、増えた方のもう一人は上杉景勝と名乗った。
これを知った配下武将達はこれ以降何も言わなくなったそうな。
>>38
まるで俺のようだw
って笑い事じゃないかorz 毘しゃ門天の加護を戦場で得る為に、私利私欲をたった。
嫁さん貰って子供でもできたら、戦場で命張れないからじゃね?
それくらいの戦争マニアでしょ謙信。 どんな大軍でも撃破できるって言ってるのは
守勢に入らず、いつでも玉砕的突撃戦に移行できるぜってことでしょな。
例えば謙信なら、秀吉20万に包囲されても一万前後で幸村みたいに突入しちゃう
んだろね。 嫁も子供もいないし、戦場で死ぬことにまったく躊躇なんてないんだろな。
というより、武名挙げる好機と喜んで士気アップする恐ろしいタイプ。
真性ゲイ
女ともやったことあるけどあんま気持ちよくなかった
種無し
女説はぶっとびすぎだろ
それだったら子供できてもおかしくねえし
種無しは理由にならないと思うぞ。
今と違って医学的に診断できないから何十年も子供がなくて初めて可能性が
認識される時代だったわけで、判明する以前に結婚しておかしくない。
>>44
参考にならん。結婚してるじゃんか。
キプロス島で、婚約者であるべレンガリアと合流する予定だったが、
ビザンティン帝国のキプロス太守が彼女を捕らえたため、
リチャードはこれと戦ってキプロスを占領し、
キプロスでべレンガリアと結婚した。
たぶん、初陣でチンポを刀で切り落とされちゃったんだよ。
うん、間違いない。
>>46
おでもそう思う。おかげで変な精力剤とかの悪徳商法に悩まされずに済んだね 近いけど遠い、
実は情熱的な女にフェラされてガブーッ→アッー!!
>>46
確かに。
もし領主なり大名なりが事故で性器欠損してしまったなら
話が広まるのを防ぐために女人との接触は避けるだろうし
性的な話題は意図して避けるようになるだろうし
時世が許せば出家するだろうし
性欲を紛らわせるために他の事に偏執する傾向も出てくるだろう。
謙信の奇行を上手く説明できるな。 >性的な話題は意図して避けるようになるだろうし
大酒飲みw
最初は単に興味が無かったんだろう
その後、不犯の戒律を守ることによって毘沙門天に勝利を願い
勝利を得ることで部下の結束を図ったんじゃないかな
越後は長い間、謀反でゴタゴタしていたからね
国外に「敵」を作り、常に「勝つ」とこが重要だったんだと思う
母性を感じる文章を相手に送ったり、勝てる戦いを途中で引っ込んだり
とにかく奇行が多い人ですね。
戦国武将有名どころの中では一番ミステリーな人だとおもう
初恋の失恋を生涯引きずったか 性欲が微塵もない超人
男色の可能性が一番強いと思うぜ
普通ならEDでも性欲はあるから女くらいはべらすよ
まして当時の女は殿様がEDでも外部に漏らしたり
文句は言わないからな
毘沙門天像が恋人だった。
謙信が愛用した毘沙門天像は日本初のダッチワイフだったと…
たびたび毘沙門堂に篭るのは性欲処理のためだったと…
まあセックスも恋愛も趣味の一つみたいなもんだからね
誰もが絶対に恋に落ちるというわけではない
興味がない人というのは世界中に少なからずいるもんだよ
女とはやってないけど男とはやってるだろ
寺で育ったら先輩から彫られないわけがないし
自分もしてるだろうし
寺で育ったからといって、自分の住んでいるところの大名の子を
掘る勇気があるやつはいないだろ。
>>64
どんだけお前無知なんだよ
謙信は養子だぞ >>64
謙信の父ちゃんは、バリバリの下克上やらかした大名というイメージがあるせいか、
身分というより、父ちゃんが怒鳴り込んできたらどうしよう?
という理由で手を出しにくいんじゃないかと妄想してしまったw
ただ、そんなに無理やり掘ってたもんなのかね?
そっち関係は良く知らないんだが。 あ、そういや、謙信が出家したのは父ちゃんの死後だっけ?
とすれば、より掘りやすくなるのかねw
>>67の意味が良く分からない。養子になったのはもっとずっと先の話では無くて? ホモでもどうって事ないよ
武将として名を残したんだから
まあ、現代なら上杉謙信は完全に性犯罪者だろうなwww
家康はうんこ漏らして死ぬまでいじめられっこwwww
現代だったら、秀次は「親子丼関白」か?とくに2ちゃんあたりで。
三条河原はかっこうのワイドショーネタだろうな。
週刊誌に載ってた読み切り小説で、謙信が
「敵の槍を股間に受けちゃったぁ」というのがあった。
その傷がもとで、生涯不犯となったということをほのめかして
終わっていたと思った(いや、まあフィクションなんですが)。
気になったのは、その小説で、謙信に対して老臣が「殿がそこまで
丈夫な体になったのは塩をたんと取ったからじゃ。これからも塩を
お取りなされ」という場面があったことなんだが、当時はそういう
考えがあったのかね?あの当時、塩分の取りすぎはいけません
なんて事は言われてないと思うけど、塩をバンバン取れというのも
その小説以外では見た事ないので少し気になる。
迷走大将上杉謙信でも
その頃は塩バンバン取れって風潮で謙信もそうだった
と書いてあったな。
小説自体の出来は酷いもんなんだが
当時は塩を重視してたのは本当かと。
謙信が塩辛い梅干をつまみにしてたのも本当。
両性具有だったらしい。チンコとマンコが両方あるんだって〜
真実を打ち明けると
仏法守護神に不犯を誓ったんだよね
他者の領土を己の欲望の為に侵略しない
室町(義輝)の権威再興の為に尽力をつくす
女としない
これを真剣に貫いたから最強の最強たる所以なんだよね
で、そういう一途な心を持ち合わしてる男というのは得てしてホモ気質
で、ホモで天才は偉人の中では珍しくなく、脳の働きがそうなってる
一般的に男性の脳は左脳をつかい、計算や合理的な分野を司る
対して女性は右脳をよく使い、感性や閃き、芸術性などに向いている
で、ホモ男性はと言うと持って生まれた雄としての左脳部分と
雌としての閃きや微細な変化に気付く感性を持ち合わせているから
信玄の啄木鳥戦法を神憑りに見破り、瞬時に合理的に割り出す
なので、ただの思いつきでもなく、理詰めでもなく
凡人には真似できない偉業を達成する
そして、その能力を最大限に発揮する為には
自分が正しい行いをしている
その為に損得を捨てて自己犠牲に身を奉げてる
・・と、思い込むことなんだよね
ヤクザが一般人から見て理不尽極まりない思い込みや信条で
イカれた行為を出来るのも、こういった心理が働いている
言わば、善悪じゃないんだよね。
己の中の真実、価値。
これを貫けるかどうかで人間の力は何%発揮できるかが決まる
>>82
啄木鳥戦法は誰でもすぐに見破れるよ。
12,000人もの軍勢が目の前で動き出せば、
かなりの音になるし。
何故、信玄があのような愚作を用いたのかは未だに
不思議。 >>84
> 何故、信玄があのような愚作を用いたのかは未だに
> 不思議。
それで勝てるとふんだから用いたんじゃない?信玄がどれほどの武将なのか、定かじゃないけど彼にはそれなりの勝算があったんでしょう。 で、その力を100%発揮する為に謙信は生涯不犯を貫いた
だから、生涯無敗なんだよ。創作並みの神憑りを実現出来たんだよ
で、信玄のような一般人が、それに対抗するには
持って生まれた才能も大事だけど、何より経験。
経験ってのは、それ自体が+アルファーだからね。とても大切なこと。
信長や秀吉、謙信が天才なら
信玄や元就、そして最終覇者の家康が経験で天下を取ったタイプ
けど、どちらのタイプにも通じて大切なのが
諦めず努力し貫くこと・・
分った?
謙信は女だった。
我が家に伝わる門外不出の巻物に書いてある。
ゲイは、男性と女性の部分をもってるからね。
現代の脳科学でわかってるし。
>>89-90
どうでもいいが、中身がないなwww
ユング心理学におてる内的異性性を持っているのは、ヘテロセクシャルであって、ゲイではない。
もしも脳外科の話がしたいなら、視床下部の違いで性差が発生する。これもゲイに固有ではない。
アーネスト・ヘミングウェイのように極度の短小だったとか?
伊勢姫の話は本当なのかね?
であれば少なくとも女性への興味はあったってことだよね。
> 伊勢姫の話は本当なのかね?
いいえ後世の創作です
強度のホモで、子作りだと割り切ってても女とセックスするのが嫌でしょうがなかった
直江実綱の姉娘
関白近衛前嗣の妹・絶姫
上野国平井城主千葉采女の息女・伊勢姫
の3名
お前ら何でわかんないかな?インポだったんだよ
い・ん・ぽ
妻妾を持たなかったのは事実だが生涯不犯を貫いたかはわからない
やっぱり謙信は女性だったんだろう
真実は闇の中だ
これから先も真実が解き明かされることはない
永遠に
>>114
じゃあ他の女武将は皆生涯不犯だったのか? >>116
大祝鶴姫とか成田甲斐姫、立花道雪の娘(ギン千代)とか、知らんの??
井伊直虎(井伊直政の叔母で井伊家の当主)も有名だポ
正式に婚礼はしていないが、女は3人いた。
一人は直江の娘。
信玄と謙信が男色盟友関係を結べば
織田以下の三傑は無かったな。
北条も。
間違いない。
信玄と謙信の同盟以外に、信玄が中央進出する可能性は無いよな
はっきりいって戦闘に関しては信長や秀吉や家康は信玄の敵ではない
謙信と同盟さえ結べれば天下は信玄のものだった
>>129
確か米沢の上杉家御廟所にあるはず。
遺骸は甲冑を着せて甕の中に納められ蝋か何かで密閉されてるらしい。 やはり真性のゲイだったんだろうなあ、
それも入れるより、入れられる方が好きだった可能性が高い。
墓掘り帰したら毒殺したのがバレちゃうから不許可です
不犯であろうとなんだろうと子供が大事な戦国時代において、
独身を通した時点で彼の程度が知れてる
95 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/02(火) 23:36:35 ID:xOBX8pXe
極悪非道ではないとおもうが、謙信は
戦国大名としては失格だろう。
彼は子供が重要な戦乱の世のなかで妻をめとらず、
しかも養子がふたりいたため、死後に家中が内部崩壊してしまった・・・
これにより、織田の柴田勝家に侵略され、領土の多くを失う結果となった。
景勝も大変な思いをしたに違いない・・・・・・・
下半身の怪我で不能になったのかもしれん。
がそれがたんなる怪我ではなく暗殺されてたのではないか。
隠蔽のために謙信をよく知る身内、妹か姉、遠戚の男、謙信に生き写しの馬の骨等につなぎで謙信を演じさせた、それも武将の極度の理想像として。
ブレーンや結託諸将の意見に従わざるをえないところが、戦上手や異常な士気の高さに繋がったかもしれんね。
謙信は生母にも実姉に愛された、すなわち肉親の女性の愛情に恵まれて幸福な一生を過ごした男である
このような環境にいた謙信は肉親以外の女性の愛に溺れないばかりかその存在をさして必要とはしなかった
そもそも男とヤッテタかどうかもわかんないんでしょ?
今東光が「毒舌日本史」という本で、天部の行者は御利益は大きいのだが、
生涯不犯でないと祟られると言ってたぞい。
まさにハイリスク&ハイリターン!!!
なんかGacktの謙信見てたら、ただの変わり者だったんじゃないかという気がしてきたw
なんだろな 若いころ兄貴いじめてるから
そんな純粋な人ではなかったろうし
まっあんまこの人とは戦いたくないな
北関東でむちゃくちゃしてるでしょ
>>151
>兄貴いじめてるから
あほですか
喧嘩を仕掛けてきたのは兄貴の方からだぞ
兄貴に栃尾に派遣されて越後の中部地区を瞬く間に鎮静化したが故に越後の豪族が景虎に心酔しちまった。
嫉妬した兄貴が景虎に向け兵を送って戦争が勃発したわけだ。 ダイオキシンの影響で謙信のナニは小指の先程の大きさ長さしかなかったのです。
そのため女子と交わることは敵いませんでした。
知らないの?初陣で敵の武者に種袋を潰されたんだよ。
不犯なんて大嘘。単に女に興味が無かっただけ
近衛前久に書状で「あなた衆道好きですねw」とモロ書かれてるぐらいだ
長尾は、若かりし頃、愛した女が居た。しかし、その女性は若くして亡くなった。その事があったから結婚しなかったんじゃなかったっけ?
・女性説
・ハードゲイ説
・短小説
・不能説
・戦傷不能説
いろいろでましたね。
妻を持たなかっただけで童貞だったかは分からないんでしょ?
何にしろ変人にはかわりない
戦国時代の武士はみんな男同士でやってる
これ常識
秀吉がそうじゃなかったのは農民上がりだから
同性愛だから異性を愛せないというのは近代の感覚。
この時代ホモはタブーでもなんでもないし、多くは両刀使い。
細川政元の前例もあるし、
やはり純粋の宗教心から女を遠ざけていたからでわ。
>>171
宗教心からだったら酒も飲まないはず。
他にも色々やって駄目なことがあったのに、
不犯だけ守るってのもおかしな話だしね。
やっぱり機能しなかった説が一番有力だと思うよ。 神仏に深く帰依,正義漢,理想主義,男気,衆道。
謙信は典型的なキーワードのオンパレードみたいな人だったんですな。
戦国衆道のオーソリティ,それが上杉謙信です。
自分がネ申の化身と信じて疑わないあたり、リアルで統失だったんじゃね?
神として、宗教上不浄とされた女性に触れられなかったんだよ。
特に女性の最も不浄とされた部分は陰部(ほと)だしな。
だから、女性とは性交渉持てなかったんじゃね。
彼は生涯に600名の小姓を抱いたというから
心から男色好きだったに相違ないぞゑ。
ソース出せ
とかめちゃくちゃ懐かしいことをほざいてみる
最初の女がド腐れマンコで、興味本位で臭いを嗅いだり、じっくり観察してしまったからトラウマになった
「マンコとかマジでもういいですわ」ってなっちゃった
ワタクシは、
「ああ謙信というのは女は特に嫌いじゃなかったんだけど、戦に勝つために神ががり的な要素を持とうとしたら戦争趣味だから殺生は止められないし酒は好きだし肉とかガッツリ食わないと体持たないし…で結果妻帯だけはクリアできそうだから妻を持たなかった人なんだな」
と認識してる。
実は女だったと想定すると、
全てが納得できる。
んな事は無いか。
ただ男色は戦国時代では普通の事だったし、仏教に通じた武将は、たくさん居たが
皆、家督を継ぐために、妻子を持っていた。
妻子を持たなければ家督が得られないと言っても過言じゃない時代に、
家督を継げたのは不思議だな
ふつーに女だったんだろ。死因の「不慮の虫気」は「腹痛」「陣痛」だと。
脳卒中説(上杉年譜)がデッチあげだと、研究者もその方向になってるし。
女だったなら知らないが、男だったなら誓願とかじゃね?
たとえば、天下取りが成るまでとか幕府再興が成るまで女性に触れないってしたとか。
仏教ってか、幾つかの宗教や説話は、何かを得るのには何かをその間我慢するとか、何かと引き替えにするって話があるよね。
足を得る為に声を失った人魚姫や、知識を得るために片目を失ったオーディン、神仙になるために女性に触れないようにしたのに触れてしまって神通力を失った久米仙みたいに。
謙信も毘沙門天の力を得て、毘沙門の化身になるために女性に触れない誓願を立てたんじゃあない?
>謙信も毘沙門天の力を得て、毘沙門の化身になるために女性に触れない誓願を立てたんじゃあない?
残されている謙信の願文には、まったく書かれてないんだがな。
願いがかなったらお礼に観経をすると、具体的にどのお経をあげるかも述べてるにの。
どちらかというとすでに毘沙門天だと信じていたフシがある
でも毘沙門天って吉祥天が妻とされることあるよな? 妹の場合もあるけど。
あれは後世の民間信仰で仏教としては無関係なんだろうか。
NHKそのとき歴史が動いた・第283回
「謙信 恐るべし」
放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 NHK総合
番 組 内 容
越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。
しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、
助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと
特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。
この謙信を恐れたのが織田信長だった。
信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、
この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。
そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。
そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。
謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、
織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。
ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。
女色を断っていたのは、毘沙門天信仰じゃなくて、
飯縄信仰ですよ。
飯縄信仰って、人を斬っても、酒を飲んでも、略奪しても
女さえ断てばいいの?
個人的には不犯より未婚の方が気になる。
前者はまぁバレなきゃ個人の主義って事でどうとでもなるが、後者は家中の
人間にとっちゃ跡目関係でもめる可能性が高いし(実際もめたわけだし)、
気が気じゃないだろうに周囲は何も言わなかったんだろうか。
今までは長らく織田信長が好きだったが
NHK「その時歴史が動いた」を見てファンになった。
謙信は男としてカッコよすぎる!
『その時歴史が動いた』の屏風絵に描かれた謙信と思われる人物、髭がなかったな。
やっぱ絶世の美女説が有力だな。
じゃなきゃとんでもなくコストがかかる戦を感謝状1枚で何度も家臣団が従うわけない。
信長が送った着物といい、リアルで着てた赤羽織?だか見ても
女だったような…
有名な謙信の絵は江戸時代に書かれたもので、上杉家のお取りつぶしがないよう
男の絵で書いたとか。
>>210
奇形児なんて生まれた時点で間引きされるだろ。
身分ある家ならなおさら。 ヒント エリザベス女王
ザバージンクイーンは
ア バージン=処女って意味じゃないからな
ザバージン の意味くらいは検索して常識として知ってろ
当時は男は孔雀のオスなみに派手なかっこうしていた。
政宗は水玉衣装の陣羽織。信長は南蛮のビロードマント。家康でさえピンクの着物。
謙信の赤い衣装当時の戦国武将として普通だよ。
当時は男は女より美しく装い強く神聖なのが世の中の価値観。
公家の手紙からも衆道だったからだろう。
「田夫物語」なんて衆道が女色よりすぐれているといってる本あるくらいだから。
信長も政治的理由のほか気を引こうといろいろ贈り物したんだろうな。
ちなみに江戸時代の女性のヘアスタイルも少年の稚児髷から発達したもの。
振袖も少年が着ていた。
出雲阿国を例にするまでもなく男のファッションを女性が模倣してた時代。
公家の娘を寄せ集めてグループを結成したが、応援の仕方がキモ過ぎて女が寄り付かなくなった。
女だから美少年を集めたと妄想
つまり謙信は腐女子の先駆けである・・・と妄想
大丈夫か?慶応大学病院へでも連れて行ってやろうか?
信長はどうなるんだ
森蘭丸なんていう超美少年が常に側にいたんだぞ
毘沙門天信仰が行きすぎて自分を神の一族と思いこんだ。
神族が下種と交尾出来るかって理由でセックスレス
謙信女性説は意外と信憑性あるんだよなぁ
義清のために信玄と戦ったのは義清に惚れてたためか
でも女だとしたら絶対ばれるし、なんかの文献には残るよね?
姉ちゃんが好きだった。
姉ちゃんが他の男の息子産んだ時はショックで家出。
後に姉の夫を暗殺。
春日山に姉一家を引き取って疑似家族を築く。
>225
信憑性ねえよ。義経ジンギスカン説と同レベル
ぶっちゃけると、性的不能かED
有り得ないことではない
>義清のために信玄と戦ったのは義清に惚れてたためか
この発想がキモ過ぎ
>>223
信長が小姓とやってたのは間違いない。もちろん森蘭丸とも関係があっただろう。
しかも若い頃は前田利家と男色関係があり、色々と優遇してやっていた。この事は二人とも堂々と公言しており、そればかりか誇りにもしていた。と、史料にはある。 史料に残るぐらいだから、当時でも異様な程の関係なんじゃないの?
>>231
そんな今さら、たくさんの人が周知のことを何を偉そうにw 本物が早くに戦死か病死して影武者立ててた説とかありえる?
影武者の子に後継させるわけにもいかないから表向きは結婚もしなかたっとか
ただの妄想だけど
衆道は貴族の嗜み。
ホモキモーイ発言は下衆の勘ぐりモングリ。
一卵性の双子の兄妹の兄・謙信が夭折後、妹・謙信が身代わりをつとめていた。
下らない妄想だが、有力な大名にこの条件が当て嵌まっていれば、辻褄は辛うじて合うかも。
殿様なんだからヤリまくってた筈だよ。ただ子供が居なかっただけだよ。
戦と酒と女に明け暮れた人生だよ。不犯の訳ない。戦陣の疲れを癒すのは
酒と女だよ。例えるなら志村けんの様に結婚しないで女優や若いネーチャン
と楽しんでいるのと同じだよ。
謙信だけでなく上杉一族が子供が少ないからふしぎ。跡継ぎ残すのが武将の使命なのに。
ドラマでも景虎の傀儡だった越後守護は子供がなくて死亡するとその家は滅亡して
越後国主の地位は景虎に委譲。
伊達政宗も信玄も室町幕府の将軍も大内氏も愛する寵臣にあてたラブレター
残ってるし美少年は内乱の原因になり源五郎や前田利家など出世の糸口にもなる。
当時は子供いなくて養子や娘婿に家督継がせる大名も多いし寺育ちの大名も多いから
男色そうとう蔓延してたんだろうな。
ほとんどバイセクシャルだったが謙信は純粋の衆道だったんだろう。
遊びが過ぎてイケナイ病気をもらって子種をなくした武将が多いんだよね。
柴田勝家とか
姉上が本気で好きだった
と、今日の大河見て思った。桃姫可愛いよ桃姫(;´д`)
生涯不犯は後世の作り話。
妻帯しなかったからってエッチしてないってお前ww
>>236
確かに今のじだいでもそうだわ。
金持ってて女飽きて男に走った有名人たくさん知ってる。次にロリに走るらしい。
「天と地と」の謙信VS信玄一騎打ち動画。
謙信ファンは必見だぉ
2021/11/19(金) 09:52:29.71ID:9RB+cGYF ホモでも不能じゃなけりゃ
家臣団は跡継ぎ居ないと困るから、
子供だけは作ってくれと泣きつきそうだが…
山内上杉憲政女との縁組が流れたから遠慮してただけなんじゃないの?